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第11 四章 自由

本表紙 亀山早苗著

カップル間で、自由はどこまで許されるか

自由と責任のはざまで
 人間は基本的に自由だ。誰とどこで何をしようが、自分の責任のとれる範疇で、あれば構わないはずだ。

 ところが、恋人や配偶者がいると、その自由は、自制心と社会的常識と相手への配慮から、かなり狭まれていく。また、相手に自由を許さないことが愛情だと誤解されている面もある。

だが、本当にそうなのだろうか。互いの自由を認めないということは、互いの人格を認めないということだ。それが果たして愛情なのか。セックスをめぐる自由は、愛情の試金石となってしまうのだろうか。

 恋愛にせよ結婚生活にせよ、互いに放し飼いにできるカップルは、成熟した大人なのだろう。自由でいながら、自分の意思で相手とつながりをもつのが、本当の意味でのカップルではないのか。

「結婚しているから、帰る家はあそこだ」
「一緒に住んでいるから、帰る場所は他にない」

 という認識は、ただの帰巣本能にすぎない。無意識のままで家に帰り、義務で妻を抱く夫のなんて多いことか。それに演技で応える妻も、また多い。だが、習慣というのは根強いものだから、多くの人たちは習慣によって生活していくことで安心感を得る。

 【広告1】人間のすることで、持続し続けるものを挙げることは難しい。苦しみは必ず終わる時が来るが、喜びもやがてはかき消える。だから、人は希望を持っても単純に喜ばないことだ。
 結婚は単純に喜ぶのではなく、夫婦は苦難を背負うことだと意識し、ふたりはもともと違う種の人間であり、夫婦が親子関係に近い親密な関係になるといずれ崩壊する場合が少くなくない。結婚は愛情とセックスという動体表現により結ばれたのであり、その動体表現は少しづつ変容し飽きがこないよう新たな刺激と興奮の連鎖によるオーガズムが得られるのが望ましい。
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 結婚十年間に、夫に何度も浮気されたという、三沢妙子さん(三十六歳)は、こう言った。
「男が『自由』を求めること自体、私には腹立たしいんです。私が三人の子供を育てている間に、彼は協力もせずに浮気ばかり。自分だけ自由をものにする権利が、どこにあるのかと、怒りが沸いてくるんです。子どもは、ふたりで育てるべきでしょう?」

 憤懣(ふんまん)やるかたないという感じだった。まだ三十代なのに、眉間に深い皺が刻み込まれている。夫が浮気したから、彼女がキリキリするようになったのか、彼女が口うるさいから夫が外に自由と快楽を求めるようになったのか、どちらが先か分からない。

 結婚している場合、確かに夫のほうが自由を楽しみやすい。外に出てしまえば、時間の使い方は自分次第だから。

 自由が少なければ浮気も少ない、と一般的には思いがちだが。もしかしたら、それは自由を奪われることで、性欲のエネルギーまでも失われるはずだ、と思われているだけではないか。

 実際には、どんなに妻に監視されようが、ひっきりなしに携帯に電話がかかってこようが、浮気三昧の男もいる。自由を奪えば、必ずしも男がよそでセックスしないとは限らない。その浮気三昧男いわく、「時間は作り出すもの」だそうだ。

複数愛は男間専売特許?

 知りあいで、とにかく、「女性が大好き」と言ってはばからない男性がいる。彼は、森田直広さん(四十五歳)は実際、マメだしは話題はほうふだし、親切なので女性にもてる。

 彼には、五歳年下の彩子さんという長年の恋人がいる。しかし、彼自身は、かつて離婚した経験から、「もう結婚はしない」と決めている。彩子さんも仕事に没頭した時期なので、結婚という形をとらないほうがいいと考えている。

 お互い仕事を優先、時間を都合し合って、楽しく逢瀬を重ねている。ときには一ヶ月くらい会えないこともあるが、電話やメールでは、マメに連絡を取りあう。お互いの一ヶ月の大まかなスケージュールを把握しあっているものの、それ以上、「誰かとどこへ行って何をするのか」と、

細かいことを問いただしたりはしない。相手が言えば聞くが、言わないことを根掘り葉掘り聞いたりしないというのが、ふたりの付き合い方になっている。

 彼らは、完全に「自由」なカップルだ。ところが、実は彼のほうは、ちょこちょこ浮気をしている。本人は、それを浮気とは思っていない。複数の女性と付き合うのは悪いことだという意識が、彼にはないからだ。彼の言い分はこうだ。

「僕が、他の女性と付き合うのは僕の自由。もちろん、彩子が他の男性と付き合っても、かまわないと思っています。嫉妬というのは無駄な感情だから、僕は嫉妬を彩子にぶつけることはないし、僕自身も嫉妬してほしくないんです。

ただ、どの女性と付き合ったとしても、僕自身が彩子を嫌いにならない限り、彩子とのつき合いに、他の女性を入り込ませない自信がある。

五人の女性がいたらそれぞれ魅力があるわけで、自分の体力気力が許すなら、付き合いたい人とは付き合っていきたいと思うんですよね。そのことで、彩子が泣かせるつもりはまったくありませんが」

 別の場所で別のときに、彩子さんとだけ会った。細身で、すっきりした印象の彼女は、話し方もまた、理路整然としていた。穏やかな笑みを絶やさず、自分の言葉で話す彼女は、とても魅力的な大人の雰囲気をもっている。

 まずは、彼との関係をどう思っているか聞いてみた。

「付き合ってもう七年近くなりますけど、その間、おそらく、彼は他の女性と付き合っていたことがあると思う。証拠をつかんでいるわけでないので、他の女性にもそうなんだろうなあと思うんです。

それが、彼の生きるエネルギーのような気がする。他の女性と付き合っていたとしても、それで、彼が私に冷たくなるということはまったくないんです。そのあたりは言行一致の人だから、ある意味では偉いなあと思うくらいです。

私自身も、他に好きな人ができたことはあるんですよ。キスどまりでしたけど。なぜセックスの関係までならなかったのか? うーん、私は、怖かったんですね。器用にふたりとつきあっていけるタイプじゃないし、

ふたりの間で揺れて、自分がストレスを抱えるのが嫌だった。言い換えれば、その人には、その程度の感情しかもっていなかったのかもしれません。彼を失ってもいいと思うくらい、新しい人にのめりこむことはできなかった」

幅広く愛する男と優先順位をつける女

 男性は、複数の女性と付き合うことができ、女性はできないと思われがち。だが、本当にそうなのだろうか。女性自身が「できない」と、決めつけているだけではないか。

 複数の男性と付き合っている女性たちは、けっこういる。ただ、男性たちが「こっちも好きだけど、あっちも好き」と言っているのに対して、複数の男性と付き合っている女性たちは、心の中である種の優先順位をつけていることが多いようだ。

彩子さんは、そうやって優先順位をつけて付き合うことを想像してしまったからこそ、他の男性たちと会うのが面倒になってしまったんだろう。

「正直言って、ひとりの人と付き合うだけで、時間的にも精神的にも、目一杯なんですよね、今の私には。とにかく仕事が忙しいし、私の人生にとって、今は仕事がいちばんだから。

それに、ふたり同時に付き合っていたら、きっと、精神的にも不安定になると思う。私は相手の気持ちにどっぷり食い込んでいく方だから、ふたりとそういう関係を築いていくのは、不可能だと思います。

彼が他の女性と関係を持っていることが分かったら、それは、とてもショックでしょうね。ただ、彼が、私がどんなに問い詰めても、絶対に白状しないと思う。だから、私も問い詰めないようにしているだけ。

私が、もし他の男性と関係をもったら、おそらく彼を騙し続けることはできない。もちろん、彼自身は、私を騙しているとか、裏切っているという意識はないと思います」

 それぞれ別の場所で会って、話を聞き、彩子さんと直広さんとの間には、「他の異性と付き合う自由」について、微妙な違いがあると感じた。それは、「一対一」の関係を、どう捉えるか、ということにも繋がっていく。

 直広さんは、あくまでもニュートラルに、差別することなく、並行して複数の女性と付き合っていけるタイプのようだ。

長く付き合っている分だけ、彩子さんとの間に、時間の重みはある。だが新しい女性には、それとは別の新鮮さというものがある。それぞれのよさを直広さんは楽しむことができる。

 もちろん、男性がみなそうだとは思わない。パートナーをキープしつつ、他にちょこちょこと浮気やつまみ食いをする男性もいるだろうし、パートナーは別格、あとの女性たちは同格と位置づけている男性もいるだろう。だがいずれにしろ、「一対一」の関係を絶対視する姿勢は見えてこない。

 一方で、女性たちはやはり「一対一」を理想としているように思う。私がその意見を直広さんにぶつけると、
「それは女性の本能なんじゃないかなあ」
 と、彼は呟いた。
「太古の昔、女性は、男が獲物を取ってくるのを待っていたわけですよね。男が狩りをしてこなければ、女性と子どもは飢えて死んでしまう。だから、女性はひとりの男を縛りつけておかなくちゃいけなかった。その本能が残っているんじゃないかと、僕は思うんだけど」

 私は、男女の行動やセックスのありようを、本能やDNAで片付けてしまっていいのだろうか、といつも思う。元来はそうだとしても、これだけ情報があって、理性で日々生きてきている「今」という時代の人間のありようを、本能で片付けていいのだろうか。

 むしろ、人は、社会的呪縛や一般常識へのこだわりなどから、不自由になっていることが多いと思うから。

 そこで、彩子さんに尋ねてみることにする。本当は「一対一」の関係しかありえないと思っているのか、あるいは、自分自身の精神状態も含めて、いろいろなリスクがあるから他の男性と付き合うことを躊躇してしまうのか。彩子さんはしばらく考えてから、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。

「理想としては、一対一の関係で、お互いを分かり合っていきたいと思っています。だって、人間って奥が深いから、おそらく一生かけても、一人の人を本当に理解することはできないでしょう。だけど七年近く付き合って来て、彼とだけセックスしていると、確かに飽きもくる。

彼はおそらく、私よりもっと新鮮さに飢えているでしょうね。それを感じることもあるんです。

そう思うと、私が彼の自由を奪う権利なんてまったくないから、彼の好きなようにするしかないだろ、と。それは勝手にしろ、と投げやりになっているのとは違うんですよ。人の心は、止めようとしても止まるものではないから。

 彼が他の女性とセックスして、もし、大きな歓びを感じたとしたら、それは彼にとっては幸せなことなのだから、私がそれを阻止していいはずはありませんよね。私自身のことでいえば、他の男性とセックスしたいと思ったことがないような気がします。

うーん、やっぱり、セックスって相手が好きだからこそするものだし、好きになるまでには、それなりに時間がかかる。自分自身の理想の男女関係と、現実的に時間と労力もないという問題から、私は他の人と付き合うことはないと思うんです」

女だけに刷り込まれた特別なモラル

 では、彩子さんは今まで、一度たりとも、愛情の伴わないセックスをしたことがないのだろうか。
「あー」
 何かを思い出したのか、彩子さんは急に甲高い声を出した。
「二十代のころ、一度だけありましたね、そういえば。そのころ、今の彼とは別の人付き合っていたんですが、ときどき行っていったバーで知り合った人と、そのままホテルに行ってしまったことがありました。

そのときは、すごく自分が解放されたような気持ちになったけど、やっぱり後から後悔したんですよ。なぜ後悔したか? それは‥‥うーん、ゆきずりの人と寝てしまうって、倫理に反するから‥‥」

 彩子さん、なぜか後半、急に口が重くなった。自分自身でも「なぜゆきずりの人と寝てはいけないのか」が、はっきりしていなかったように見える。突き詰めて考えたことがあるわけではなさそうだ。

「ゆきずりの人とセックスしてはいけない」という倫理観が、彼女の中にもともとあったのだろう。だが、あの口の重さからすると、どうもその倫理観は、彼女自身のものとは思いにくい。

 ゆきずりの人と寝て、それで肉体的に満足がえられたら、それはそれででもいいのではないか。「いけない」と感じるのは、「いけないこと」と、教えられていたからではないだろうか。

 私にも覚えがある。私が十代のころは、まだ、「女は処女でお嫁に行った方がいい」という価値観が残っていた。私自身も、親に「自分を安売りするな」と言われた記憶がある。

 だがそのとき、私は「安売り」ってどういうことだろう、と意味も分からずに困惑した。女の貞操は商品なのか、と。高く売るということはどういうことなのか。玉の輿に乗るということなのか。処女ならいいとこへ嫁に行けるのか。親にそう尋ねたこともある。

「女の子はどうしても被害者になるから」
 と、親は口を濁した。なぜ、女の子は被害者になると決めつけるのだろう。そういう紋切り型のことをいう親の心理が、不思議でたまらなかった。今となっては、娘を持つ親心だと分かるのだが。

 セックスの関係において、女性いつも被害者となる、というような内容のことをいまだに言う人たちがいる。どうも私はそのあたりの理屈がよくわからない。

 たとえば、女性が、自由奔放に何人もの男性とセックスしたと聞くと、「結局は遊ばれただけなんだよね」と、したり顔をする人たちがいる。なぜ、「女性が自ら遊んだ」と言わないのだろう。女性は自分の意思で遊んでいても、「遊ばれた」ことになってしまうのか。

「女性は受け身だから」と人は言うが、受け身なのはセックスの体位だけだ。精神的にまで、受け身というのはおかしい。

 以前、三十歳くらいの男性とそんな話をしていたら、やはり彼も、「女の子が遊ばれた」という言い方をした。理由を聞くと、「だって彼女は結局、だれにも結婚してもらえなかったじゃないですか」と言う。

大げさでなく、イスから転げ落ちそうになるくらい驚いた。三十歳の男性が、女性をそういう目でみているのか、という驚愕である。彼はごく普通の人だから、彼の意見は、ごく一般的な三十歳の男性の意見だろう。

「女はたくさんの男を知らないうちに、結婚してもらうのが幸せ」
「女性自身が望んで、多くの男性と遊ぶことはあり得ない」
 と、思っている。

 こういった男性たちの意識が変わらない限り、女性はいつまでたっても、本当の自由を手に入れられないのかもしれないと、私のほうが悩んでしまった。

 結局、そういう価値観は親や社会からすり込まれたものに他ならないのではないだろうか。

大人のカップルならではの「自由」

 彩子さん自身も、そのゆきずりのセックスが、肉体的には、決して悪くなかったと白状している。付き合っている人ではないからこそ、体も心も解放でき、その結果、恋人とは得られないような快感を手にすることもあり得るわけだ。

 もちろん、その後、そんなことをしてまった自分を責めたり、嫌な気分になったりするのであれば、二度としない方がいい。だが、頭から、「ゆきずりのセックスは、いけないことだからしない」と決めてかかるのは、刷り込まれた価値観の正否を、自分で確認することもなく受け入れているだけではないか。

 直広さんと彩子さんのカップルは、これからも仲良くつきあっていくのだろう。直広さんは、彩子さんに絶対ばれないようにしながら、他の女性と付き合っていくのかもしれない。いつか彩子さんに行状がばれたとき、彼はどんな申し開きをするのだろう。「僕には僕の自由がある」と熱弁をふるうのだろうか。

「基本的には、僕は彩子を苦しめたくないし、悲しませたくない。もちろん、それが自制心につながることもあります。彩子とつきあってきたこの七年間に、僕が実際に他の女性と付き合ったかどうかを、彼女に言うつもりはありません。

何があったとしてもなかったとしても、僕は何も言わないつもりですから。ただ、僕が言えるのは、ステディなパートナーがいても、それぞれの行動の自由というものはあるものだ、と言うことだけです」

 私自身も、どういう状況であっても各人の自由はあるし尊重されるべきだと考える。だが、中には単に浮気したいがために「自由」を叫び、浮気が彼女や妻に露見しそうになると、簡単に白状してしまう男性も少なくない。黙っていたり、嘘をつき通したりすることができなくなってしまうのだ。

 そこには「隠し通す」という意志も、「彼女を苦しませたくない」という情も感じられない。自由、という言葉は聞こえがいいが、自由を全うするためには、強靭な精神力と、自分の言動に対する厳格な責任感が必要となる。

づつく 第12 相手の「自由」をどう考えるべきか