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第八 戸籍は語らず

本表紙 沖藤典子 著

戸籍は語らず

何も疑わずに本当の母親だとばかり思っていた人とは別に、じつの母親がいると知った時、その子はどんな衝撃を受けるのだろう。安手の小説などは、疑い深くなり、無口になり、孤独を好むようになると書いてあるけど、本当のところはどうなんだろう。

 私が初めて自分の戸籍謄本を見たのは、三十七歳、父が亡くなったときだった。そこで私は、なんと母の実の子供になっていない事を初めて知った。

 戸籍謄本によると、父と母とが結婚したのは、私が中学校を卒業して高校に入るときだった。父と先妻とが離婚したのは昭和一五年、私が生まれたのは昭和一三年、したがって私は父と先妻の間の子供なのだ。

 戸籍上では、私もまた”まま子”として”まま母”に育てられたことになっている。だから、姉の”Kちゃん”とは、母も父も同じとする”きょうだい”だった。

 じつの母だと信じていた人が、そうではなかった。じゃあ、あの八人の”きょうだい”
は、”兄”でも”姉”でも何でもない。まったくの他人ということになる。

 そんな、まさか、信じられない。

 いくぶん胸の中で波立つものがあったけれど、私は、この戸籍が違うのだと断定することにした。戸籍は真実を語っていない。戸籍を信じるのはよそう。それよりも自分の直感を信じよう、私はあの母の子なのだ。

 多分、真相はこういうことなのだろう。父と母とか知り合ったとき、二人共前の配偶者の籍が抜けていなかった。子供ができてしまった。いってみれば不義の子、さて、こういう場合はどうしたらいいか。父のいない子にするのも不憫(ふびん)だし、じゃあ、このまま父の戸籍に届けておこう。

そこに何の不便があるものでもないし。そのうち二人とも、このことをすっかり忘れてしまった。父と母らしい健忘症のおかげで、私は実の母と育ての母を持つことになってしまった。戸籍上の母とじつの母。

 子供の頃から、不思議なことに母は二つの名前があった。八重と千枝子。母はこの二つを適当に使い分けていた。私が小学校を卒業するときの文集には、千枝子の名で随筆が載っている。

千枝子が本名で、八重は通称だと思っていた。というのは、父もまた二つの名を持っていたからである。大病したあと、本名は災いをもたらすということで、姓名判断で別の名前をもらった。

本名は茂で、通称は悦啓。だから、母にも二つ名があることに、何の不思議でなかった。

 よくよく戸籍謄本を見てみると、千枝子というのは、父の先妻の名前だった。つまり母は、夫の前の妻の名を名乗っていたことになる。母もまた本名と通称があるというように振る舞っていた。

しかしこれも、戸籍をじっくりと見る人がいたら、たちまちばれてしまった話である。昭和一五年から二九年まで、父には妻が居ないことになっているからだ。別れた妻と内縁関係で一緒に暮らしている、そういう奇妙なことになっていた。

 この一件から私は二つのことを思った。
 ひとつは、戸籍上はだれが母親であろうと、自分が母と信じている人を母にしようということだ。これには私の三十七歳という年齢も大きく作用していたと思うけど、生まれたときの話や、共に生活したしたことによって思い出話のたくさんある人が母なのだ。

千枝子さんという人はKちゃんの本当のお母さんだから、どんな人だろうとは思うけれど、私の母は八重さんだと思う。

 ともかく私には、二人の母がいる。まことに”運のいい”話だ。この運をありがたくこそ思え、マイナスなもとして考えることはすまい。

 二つには、だがやっぱり父は、本当のことを自分の口で言い残しておくべきだったということである。子供への礼儀として、軽い調子で、戸籍謄本見たら驚くぞ、ま、こういう事情で、本当のところはこうだと、きちんと語っておいて欲しかった。

曖昧にされておくのが一番いやだ。生みの母が育ての母になっている戸籍をもっている人など、そうそういないだろうから、これも運のいい話だぞと、あっさり知らしておいて欲しかった。それが父の責任だというものだろう。

 じつの親の存在を知って子供が不幸を感じるとしたら、その存在のありように対してではなく、周囲の人たちに責任ある態度を感じないからだと思う。自分か軽視され、ないがしろにされているという不安感のせいだ。生きて、ここに存在していることの確かさを、きっちり証明するのは、親の責任だ。

 とういうわけで、私は戸籍を信じていない。戸籍のために、ややこしくなるものもある。戸籍なんて、何にも語っちゃってくれていない。

『大辞林』(三省堂)によると、戸籍とは「個人の家族的身分関係を明確にするため、夫婦とその未婚の子とを単位として、氏名・生年月日。続柄などを記載した公文書」である。

 この戸籍ほど古いイエ制度の匂いを、振りまいているものはないのではないだろうか。
いみじくも“家族的身分関係”と表現されているように、夫婦においても兄弟姉妹間においても序列をつくる元凶だ。長男とか次男とか表記することに、もうすでに序列があるし、

婚姻届を出していない夫婦の子が、非摘出子として”男””女”としか記載されないことも差別である。何よりもこの場合”子”は母の戸籍に入れられて、男は未婚の父となれないというものも、気の毒なことだ。

 よく「戸籍が汚れる」という言い方がある。再婚などは、「戸籍を汚す」最たるものかもしれないが、人々の戸籍へのこだわりは根強い。戸籍よりも自分たちの現実の生活を大切にした方がよほどいいのに。

しかし現実には、離婚して母子家庭になった子供や、未婚の母の子供の就職に、戸籍抄本は不利に働いている。最近は就職に履歴書を出さない企業も増えているが、私たちはどうしてこの”籍の魔力”から抜け出せないのだろう。

 この戸籍というのは、久武綾子著『氏と戸籍の女性史』(世界思想社)によれば、古代から存在するもので、古くは欽明元年(五四〇年)に遡るとのことだ。現存最古の戸籍は、大宝二年(七〇二年)の美濃国および西海道諸国のものとか。戸籍制度の意義などは、時代と共に変わってきているけれど、千年以上にわたって延々と続いている制度である。

 また『現代のエスプリ、二六一号』(至文堂)の安江とも子「夫婦同姓は非『常識』」によれば、戸籍制度は世界のなかでは極めて珍しい。

戸籍が存在するのは日本のほかには、大韓民国と台湾だけという。この二国の戸籍制度は、日本が統治時代に押し付けられたものと聞いたこともある。

 再婚の場合に問題になるのが、姓のことだ。昭和五一年の法改正で、離婚した妻は夫の姓をそのまま名乗ってよいことになったが、それまでは旧姓に戻らなければならなかった。寺本和子さんそうである。

彼女は結婚して夫の姓になり、離婚で旧姓になって、再婚でまた別の姓になり、三度も違う姓で呼ばれることを経験した。

 改正の結果、離婚後も夫の姓を名乗れるようになり、職業上の理由からそのまま別れた夫の姓を使っている女性は多いが(たとえば山谷健さんの前の妻のように)、ことは簡単なものではなく、

彼女たちの悩みは深い。私の友人にもそういう人がいて、別れた男の姓を使い続けることへの抵抗感を語る。

「姓を替えれば離婚したことがあちこちに伝えなければならないし、仕事の上でも別人と思われたら困るので、夫の姓をつかうことにしたんだけど、別れた男の姓を名乗るなんて本当に侮辱的だわ」

 日本は、これまた世界に珍しく、「夫婦は同じ姓であるべし」という法律を持っている国である。民法七五〇条「夫婦は、婚姻の定めるとこに従い、夫または妻の氏を称する」の規定は、夫婦は同じ姓であるべきことをいっているのだ。

この場合、夫の姓を名乗っても、妻の姓を名乗ってもいいことになっているが、妻の姓を名乗ることは養子縁組と間違える人も多く、何と九八パーセントが夫の姓を選んでいる。

男の姓を選ぶことは日本の社会においては常識であり、若い女性の多くは、男の姓を名乗ることは結婚の実感というものだと語る。

 最初の結婚で夫の姓を名乗り、離婚した後も夫の姓を選び、そして再婚した場合、女は新たな問題を抱え込む。

 私の友人木村京子さんは、結婚して川本京子となった。離婚の時、仕事の都合上もあるし、旧姓に戻るのは不利と、そのまま川本を名乗ることにした。そのあと山田姓の男性と巡り合い、再婚することにしたのだが、ここで姓の問題にぶつかってしまった。

「夫または妻の姓を選ぶことができると言われても、現実には相手に対して別れた夫の姓を名乗ってほしいなんていえないじゃない。だから私が山田姓を名乗ることにしたんだけど、離婚のときに仕事上の都合で川本の姓を選んでいるくらいだから、やっぱりここでも姓が替わるのは不利なのよね。

だから、戸籍上は山田姓にし、日常的な仕事では通称として川本姓にしたんだけど、再婚していながら前の夫の姓を使うっていのも、おかしなものじゃない? こんなことになるんなら、離婚のときに思い切って木村に戻っておけばよかった。

だけどあのときは、よもや再婚なんて思ってもいなかったし、女一人仕事して食っていかなきゃならないと思い詰めていたから、少しでも不利になることを避けたかったのよね。民法改正も良し悪しだなあ」

 一度決めた”姓”の改姓はなかなか難しい。

 井上治代著『女の「姓(なまえ)」を返して』(創元社)にも、これと同じようなケースが書かれているが、もっと深刻な場合もあることが紹介されている。

 藤本(旧姓中村)早苗さん(三六歳)は、離婚時に夫の姓を選んだ。三人いる子供のうち、上の子供が小学校二年生になっていて、子供の状況変化を最小限に食い止めたかったからである。

それじゃ別れなきゃ良かったじゃないという声もあるかもしれないが、それとこれとは別問題だ。別れざるを得なかった母としては、せめてもの配慮と思っていたのである。

 その後彼女の前に素敵な人が現れ、再婚を考えた。そうなると、川本さんと同じ問題が起こった。結婚のとき、夫または妻の姓を名乗ることができるとはいえ、ここでもやっぱり新しい夫に前の夫の姓を名乗ってもらいたいなんて、いい出せるものではない。

「なんで僕が、あんたの別れたダンナの名前を名乗らなきゃならんの?」

 この疑問は当然のものだ。すると彼女の方が変わらざるを得ない。いくら姓は記号のようなものだ。どっちの姓でもいいじゃないかといったところで、やっぱり姓に被さっている生活の歴史や感情を無視できない。

 夫の姓に替わるとなると、ここでもまた子供の姓のことで問題になる。せっかく状況変化を避けようとしたのに、また姓のことで悩むなんて。彼女は結局婚姻届を出さないことにした。子供の姓のために、内縁関係、事実婚を選んだ。藤本姓のままでいいと。

 ところが新しい夫との間に子供ができて、その姓で悩むことになった。

 この四人目の子は、婚姻届を出していないがために、母の戸籍に”男”とだけ記され、摘出でない子となり、性は藤本を名乗ることになった。民法七九〇条の第二項「摘出でない子は、母の氏を称する」に基づくものである。

 そうなると新しい夫としては、奇妙な立場に立たされる。自分の実の子が、妻の前の夫の姓を名乗ることになるのだ。妻の生まれた姓、中村ならいざしらず、何でわが子が妻の前の夫の姓を名乗るのか。

矛盾を感じて当然だ。婚姻届を出して、新しい子の姓をじつの父の姓にするとなると、前の夫の三人の子の改姓が問題となる。母と違う姓でよしとするか、改姓するか、悩むことになった。

 この離婚後の姓についての定めは、離婚後氏に関する民法第七六七条にある。それによると、

○1婚姻によって氏を改めた妻は、協議上の離婚によって婚姻前の氏に復する。
○2前項の規定によって婚姻前の氏に復した夫または妻は、離婚の日から三ヶ月以内に戸籍法の定めるところにより届け出ることによって、離婚の際に称していた氏を称することができる。

 この昭和五一年に追加された第二項によって、女は離婚後も夫の姓を名乗ることができるようになった。これは離婚による職業上の不利を防ぐ効果はあったが、再婚という視点からみると、新たな問題を発生させることになった。

 民法第七五〇条では「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫または妻の氏を称する」となっているが、離婚して夫の姓を名乗ることにした女は、これまで述べたように、新しい夫の姓を名乗らせるわけにもいかず、結局は夫の姓にならざるを得ない。選択の自由があるようでいて、実際はないのである。

 もし、離婚届を出さなければ、新しく生まれた子供の姓はおかしなことになる。

「子の氏」第七九〇条にはこう定められている。
○1摘出である子は、父母の氏を称する。ただし、子の出生前に父母が離婚したときは、離婚の際における父母の氏を称する。

○2摘出でない子は、母の氏を称する。

 藤本さんはこの問題について次のように述べている。『女の「姓」を返して』から引用してみると、
『民法七六七条「離婚による復氏」をよく読むとどうもヘンなのだ。第七六七条には「離婚によって氏を改めた夫または妻は、協議上の離婚によって婚姻前の氏に復する」とある。

一九七六年に第二項が追加されたが‥‥(中略)。これは「離婚の際に称していた氏を称することができる」のであって、氏はあくまでも「婚姻前の氏に復する」のである。したがって私の場合も、氏は「中村」に復しているのだが、届けを出したために「藤本」と称しているだけということになる。

とすると「摘出でない子」とそれた四人目の子は「母の氏を称する」のであるから「中村」と称して何の不思議もないはずなのだ。

ところがそうなってくると、戸籍法第六条一の「夫婦及びこれと氏を同じくする子ごとにこれを編製する。ただし、配偶者がない者については‥‥、その者及びこれと氏を同じくする子ごとにこれを編製する」に矛盾するという具合なのだ。後略』

 こうした母の姓、子の姓の矛盾は、基本的には、民法七五〇条にあるのではないかと、当然の疑問が湧いてくる。

「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」という定めは、つまりは、夫婦は夫または妻の姓を名乗って、同じ姓でなければならないということであり、夫婦は同じ姓というところに、再婚と姓のミスマッチが起こっている。なぜ女ばかり。

夫婦別姓ではいいではないか、同姓か別姓か選べるようにしよう

女たちは運動を始めた。札幌、東京、名古屋、大阪などで、夫婦別姓を考えるグループが生まれたのも、この矛盾を含む民法、戸籍法への疑問からだ。

 私も、夫婦別姓の選択制を考える『賢い女いい結婚ができる』(大和出版)を書いたとき、それじゃ外国ではどうなっているのか、世界青年意識調査や政界老人意識調査などでなじみの深い国の大使館にアンケートを送って、夫婦の姓の名乗り方を調べてみた、信頼に足りる回答を寄せてくれた一六カ国は、次のようだった。
〈夫婦別姓が認められている国〉
 スペイン、フランス、デンマーク、スウェーデン、ソビエト連邦、ハンガリー、ユーゴスラビア、ブラジル、チリ、フィリピン、大韓民国(この国には同本同姓の原則というまた別の問題もあるが)、中華人民共和国。

ミドルネーム、結合姓の認められている国

 ドイツ、スイス、イタリア、オーストラリア。
 私が調べた範囲内では、日本のように同一の姓であるべきと定めている国はなかった。回答のなかったアメリカ、イギリスでも、夫婦別姓の選択制は認められているは周知のことである。こう見てみると、単一の姓で夫婦が存在する日本の法律は、世界的に見ても珍しいということになる。

 私の友人で、海外取材に出かけた人が、ミスター・ヘンリーの奥さんは、ミセス・ヘンリーであろうと、しきりにミセス・ヘンリーを呼び掛けたが、全然振り向いてくれなかった。何でだろう、何か失礼なことでもあったのかと悩んだそうだ。

彼女は、自分が呼ばれているとはつゆとも思わなかっただけなのだが、各国の姓の名乗り方を知っていないと、とんでもない失敗をしてしまう。日本の常識は世界に通用しないということだ。

 今、法制審議会議でも、夫婦別姓の選択制について検討を行っている。

 夫婦別姓の選択制とは、別姓を認めている多くの国が採用しているもので、同姓でも(この場合、夫の姓でも妻の姓でもいい)、別姓でも、結婚時に選べるようにしようというものだ。

 じつは私の姓を名乗るかさんざん悩んだ末に、父の希望にしたがって、夫に私の姓を名乗ってもらうことにした、夫は長男であったから、「長男のくせに婿養子に入るなんて」と、結婚改姓イコール婿養子と間違えた先入観のお蔭で、さんざん嫌な思いをしてきた。もし別姓が可能であったなら、別姓を選んだだろう。

 最近は女の子だけでの家庭も多くなった。
 前記の本を書いたとき、神奈川県相模原市にある短期大学の学生を調査したのだが、何と四割が女の子だけ、うち半分は一人娘だった。そしてこの女の子だけの家庭の娘のまた四割が、結婚の時に姓のことで”非常に・少し悩むと思う”と答えている。

 法制審議議会の動きは、かなり早いだろうと見る向きもあるが、昨今のように、離婚や再婚が多くなり、結婚が多様化している現在、本当に早く実現してほしいものである。

 だが、夫婦別姓の選択制には、反対も多い。離婚が増える、女のわがまま、子供がかわいそうなどである。

 面白い調査結果がある。『男女平等に関する東京都職員の意識調査』(昭和六二年)で、都職員の夫婦同姓・別姓観を聞いているのだが、男性職員と女性職員とでは大きく意識が違う。

『現在の法律では、結婚した夫婦は同じ姓を名乗ることになっていますが、このことについて、あなたはどう思いますか』
 という問いかけに対して『現在のままでよい』というのは男性七一パーセント、女性三三パーセントだった。『夫婦別姓を認める』は、男性八パーセントに対して、女性二三パーセント。『どちらでもいい』が男性一九パーセント、女性四二パーセント。

 この結果では、男性の方がはるかに保守的であり、女性のほうが別姓を認めることに賛成率が高い。女の切実な願いなのである。

 アメリカでアメリカ国籍の男と結婚した私の娘が、アメリカの法律を利用して夫婦別姓を選択したとき、日本人の中年男性からこんなことを言われたことがある。

「嫁にやったのに、向こうの家の姓を名乗らせないなんて、ずいぶんと失礼じゃないですか」
 男の保守性について、おもしろいエピソードがある。日本人の男には、イエ制度のなかで、女は嫁にやるもの、もらうもの、相手の姓を名乗るのが当たり前、当然の礼儀と考えている人が多いようだ。しかも、それが昔から続いている日本の伝統のように思っている人もいる。

 ところが、日本における夫婦同姓の歴史は、明治三一年以来のたかだか九三年のものにすぎないのである。古代の戸籍簿においても、同姓、別姓、さまざまである。

 日本で最初の近代的な、かつ全国的な戸籍が編まれたのは、明治五年の壬申戸籍であった。庶民が姓を持つことになったのは、明治三年の太政官布告による。

 この壬申戸籍には、結婚改姓の制度は存在しなかった。結婚して生まれたときの姓を名乗っていた。そして明治九年になって、夫の家を相続した場合には、夫の家の姓を名乗ることとする太政官指令が出たのである。

 明治三一年に、夫婦同姓(氏)の原則が確立された。このときの趣旨は、正妻の権利を守り、妾妻などによる財産の散逸を防ぐためのもであったといわている。

それまで妻は、夫の家にあっては異分子であったが、これからは結婚の最初から、”動分子”として認めよう、夫が勝手に離縁したりしないよう、妻の地位と権利を守るものである。

 この明治民法は、東京大学教授利谷信義氏によると、次のようなものであった(読売新聞、平成元年三月二九日)。

『それは、社会の末端組織としての「家」の法的枠組みを強固なものとし、氏を「家」の者として確定した。戸主も家族も「家」の氏を称するものであり、婚入した女性もその例外ではない。ここでは、夫婦同姓は「家」の制度の結果にすぎない』

 戦後、昭和二二年に民法が改正された。このとき戸籍法も改正され、三つの原則が確立された。

○1夫婦同氏一戸籍の原則
○2三代戸籍禁止の原則
○3一夫婦一戸籍の原則
 一番目は、夫婦は同じ姓で同じ戸籍であるべきものというもの。二番目は、三世代の複数の夫婦を含むことを否定したもの。だから結婚の際の「ウチの籍に入れる」などという言葉は、現代では実態のない言葉であり、明治民法のものだ。三番目はそれより一層はっきりさせたもので、結婚した夫婦は、独立して新しい戸籍をつくる。

 しかし、姓の問題は明治のまま残された。夫婦は同じ戸籍をつくる。この夫婦同姓は、これまで述べたように、一〇〇年足らずのものである。それなのに私たちは、昔からそうであったかのように錯覚してしまった。

考えてみれば、源頼朝の妻北条政子は、源政子とはいわない。これは北条家の存在を強調するためではなく、昔は夫婦は別の姓でよかったことを示すものだ。

 かつては妻の権利を守るために定められた夫婦同姓も、時代に合わなくなった。働く女性が増え、改姓は仕事上の不利を招く、再婚も多くなり、子供の姓の変更など、不都合なことも多くなった。

離婚のときに前夫の姓が名乗れるようになっただけでは、女性の実状に合わないのである。諸外国が夫婦別姓や結合性を認めるようになったのも、時代の変化に合わせて法を変えて来たためだという。

 離婚ときだけでなく、結婚のときに自分の姓を名乗っていれば、回避できる問題がたくさんある。さらには、自分の姓は自分の存在を示すものだ。同姓でも別姓でも選べるようにしてほしい、そういう声が上がってきたのは。当然のことと言える。

 古来の常識と思っていたものが古来のものではなく、世界の常識と思っていたものも、必ずしもそうでない。日本人はなぜ同姓に固執するのか、その理由が判然としない。

何も離婚や再婚を考えて別姓を選択しようというのではない。女性の生き方や、人としての存在感や、夫婦の信頼の問題として、別姓問題を考えてみたいのである。

 現代のように、結婚観にも変化が起こり、家族の形も様々になってくると、従来の戸籍制度では処理できない場合も生まれてくる。この私だって、欧米の教会のようなところでの出生証明であれば、私の母は誰なのか悩まないですんだ。

母は誰なのか分からないということは、自分が誰だと分からないということである。これには私の父と母の怠慢もあるけれど、戸籍制度の無理やりはめようとした結果でもあった。

 夫婦別姓の選択制の問題も含めて、なさぬ仲や父のいない子に対して配慮のある戸籍のありようを検討してほしいものだ。

 義理のある関係を取材していて、つくづく思ったことは、法律や制度を越えて、優しい人と人との関係を作ろうと努力している人たちの人生の重みである。そこには紛れもなく人間の証明があった。その貴重な精神に対して、社会の目や世間の口に応えなければならない時代になってきているのではないだろうか。

つづく 第九 三章 今ひとたびの、めぐりあい
 1 縁結びのビール