沖藤典子 著
義理家族の知恵 ―再婚十カ条と財産・年金
義理の仲というのは、義理である故に尊いといわれる反面、好奇心の目で見られたり、ある種の攻撃にさらされる。こうしたことも再婚家庭を危うくする要素のひとつだ。
最近でこそ、血縁を越えた人間関係の大切さが強調されており、血縁集団としての家族から、多縁集団としての家族、他人幸せなどという言葉も生まれたが、”血縁第一主義”とでもいうべきものは、私たちの社会から完全に消えているわけではない。
再婚への偏見には、こうした”血”絶対主義と同時に、”貞女にあらず”と、女の性を見下げるのもまたあると思う。死別した女は不幸な女。離別した女は欠点多き不始末な女、こうした女が”貞女をまっとうせずに”再婚するなんて。性への好奇心の目もある。
さらには、不幸な女や不始末の女は性格が歪んでいるはずだとする先入観。そんな女が幸福になるのは許せない。
晩婚であった女にも、同じような目がある。適齢期にまともな結婚もできなかった女が、優しいはずがないと。
古くは、昭和三一年の朝日新聞「ひととき」にこんな投書が載った。結婚と同時に六年生と二年生の母親になった人は、子供にまつわりつかれる生活に、生きがいと感謝の日々であったと前置きして、次のように書いている。
「ところが最近二人の子供がこもごもと訴えるのを聞きますと、近くの方が、前のお母さんと今度のお母さんと、どっちがいい? とか、生んでくれたお母さんの顔を覚えている? とか、子供に対してそれは残酷な質問や話をするらしく、家を移つりたいと申します。
以前下の子が先生にも、寂しいでしょとか、前のお母さんの方がいい? とか聞かれてしまったと、一大事のごとく私に縋りついて訴えた時、子供を抱きながら私は、なんともいえぬ怒りに涙したこともございました」
この投書には読者から二十数通の反響があった。
同じ立場の”途中からの母”たちは、
『子供が。おかあちゃん、他人のいうことなんて気にしないで、と言います』
『多くの人たちは、子供に対する同情よりも、新しい母に対する好奇心から、子供を通して家庭の様子を探ろうとしているのではないでしょうか? 育ての母は意地悪なものと決まっているようです。一人くらい優しく子供の面倒をみた育ての母の話があってもいいのに』
また、育てられた子供からは、
『私だれにでも自慢できる母を、まま子の名前のある私のために、母が悪く言われる、私はそれがとても悲しかった』
『(新しいお母さんが出来て)うれしさと恥ずかしさに、声には出せず、口の中で何度も”おかあさん”と呼んだことを覚えています。新しい母の悪口を言われると、母がかわいそうで、よく泣いてしまったのです』
『心ない人たちに、母の悪口などを教え込まれたこともありますが、(中略)一途に母の愛を信じておりました。純な童心にしみ込んだ母親の愛は、強く気高いもので、簡単に犯されたり、崩れたりするものではありません』
義理家族にとっての最大の敵は、こうした世間の目であり、好奇心の石つぶてだと思わざるを得ない。義理家族は、内側においても結束しなければならないし、外に向けても団結していかなければならないが、やっぱりそれができる家族とできない家族があるのだろう。
再婚の難しさはここにある。大谷千加子さんや山野桂子さんが、子供が居たら再婚したかどうかといったのも、この難しさを感じていたからだろうし、寺本和子さんが自分の子を生まなかったのも、ここのところだ。
たしかに義理家族は難しい。とくに後妻と呼ばれる人たちへの風当たりは厳しい。
後妻たちの集まりを主宰している大川啓子さん(仮名)は、後妻とは何ぞやと悩んだ人である。夫婦のよさ、有難さもあったけれど、義理家族の難しさ、若さに、唇をかみしめて生きてきた。世間の”いらぬ入れ知恵””いらぬ思惑”、これらを一身に浴びて、さんざん悩んだ末に彼女は、「後妻とは。ねたまれる存在である」と結論を出した。それもこれも、本来なら不幸に生きねばならない女が、幸せそうにしていることへの世間の悪意であると。
大川啓子さんは、六一歳、再婚の夫とも死別、現在一人暮らし、目下遺産相続で嫌な思いをしている。
結婚は、古くからイエとイエの結びつきだった。昭二二年の民法改正でイエ制度は廃止されたが、その精神的残滓は今も多くの人の胸にしみついたままだ、彼女はそのしがらみの波を、モロにかぶって生きてきた。
最初の結婚は足入れ婚だった。三年八ヶ月の生活の後に夫が亡くなった。そのとき、向こうは、その家の養女になって婿をもらえと迫ったという。昭和二八年のことである。新民法のもとにありながら、足入れ婚といい、養女になれといわれこといい、結婚はイエを残すためのものだった。
玉のような男の子も生まれていたが、小児結核で亡くなった。この「お子さんは?」という私の質問に、彼女はひとこと「亡くなりました」といった。悪いことを聞いてしまったと、胸に痛いものが走った。この人は、涙の海を生きてきた人だった。
一人になってやり直そう、と彼女は婚家を飛び出した。東京に出てきて、会社員となった。二四歳のときだった。
前の妻を亡くした人と知り合ったのは、それから一〇年ほどした頃だった。結婚はもうこりごりと思っていたが、「この人なら」と思える相手だった。五年付き合った再婚した。彼の三人の息子のうち上二人は結婚し、下一人が未婚であったが、子育てもほぼ終わっており、身軽な者同士の再婚のはずだった。
このとき、結婚していた上二人は賛成、未婚の一人は反対だった。のちにこの三男が、一番彼女を理解してくれたのだが‥‥。再婚を機に彼女は会社を辞め、パートに切り替えた。
このとき、思いがけないことが起こった。亡妻の実家から横槍である。この口出しは、夫が亡くなったときの葬儀にも及ぶのだが、まず初めは、いった亡妻の家の養女になり、そこから嫁入りするようにという常識外れた要求だった。彼女には二度目の”養女”要求である。
「先妻の兄という人が、何事に一言いわねば気が済まない人で、これには驚きました。昭和四二年ですよ、なんという時代錯誤かと思いましたね」
これが離婚であるならば、前妻の実家の方も引き下がるべきだと思うのかもしれないが、死別の場合には、亡くなった娘がかわいそうという気持ちが働く。孫たちと縁が切れてしまうのではないかと心配もする。
新しい妻に、亡妻の実家の存在を誇示したい、後妻をどこかで見下げたい、そんないやらしいさも感じる話だった。夫は当然のこととして拒否した。
後妻に横槍を入れてくる先妻の実家、これは結構多いのだそうだ。前の妻の母をじつの母だと思え、何かあるたびに手伝いにこい、実家の祝い事に出席せよ。金一封包め。無限の会の取材のときある男性が、前の女房の実家といかに切れるか、これが再婚をうまくいかせるかどうかのカギですよといったが、これがいかに難しいことか。
前妻の七回忌には、墓を建てるようにいってきた。
「お墓を建てるのは後妻の義務です。それが前の妻への供養というものです」
うるさくそういってくるので、建ててあげればいいじゃないと彼女は夫にいった。だが建てろといわれても、どこに、そんなものを建てればいいか分からない。
「それでは、費用は一切こちらが持ちますので、そちらで建ててください」
出来上がった墓を見て彼女は驚いた。彼らの墓の隣に建てたのである。なんと失礼な。身体が震えたという。おまけに、
「いずれあなたもこの墓に入らなきゃなりませんよ。法事とか祭祀を引き継ぐのは長男です。お金もかかることだから、あなたには遺産相続の放棄をしてほしいんです」
といった。しかしこのとき、亡妻が住んでいて、今は長男夫婦が住んでいる家の(彼女たちは、別のマンションに住んでいた)名義を、長男に書き換えるようにいってきたのだった。
先妻の実家の思惑は見え見えだった。新しい妻を前の妻の延長であると考える、それを拒否された以上は、金を使わせてなるべく遺産を少なくさせ、かつ相続を放棄させたい。
「夫も怒りましたね、余計なことを言わんでくれと頑張ってくれました。そしたら、啓子さんと結婚してから彼が変わってしまった、それもこれも啓子さんが後ろでヒモを引っ張っているんでしょうっていうことで」
なんでも後妻が悪いということになってしまう。恋愛じゃなくて見合いだったら、とっくに別れていただろう。おばあさんの白寿のお祝いの時にも召集がかかった。
「いっていいもんやらわるいもんやら、結局お祝いを包むことでいきませんでした。孫たちも仕事が忙しくていけなくて、そしたら、あなたがちゃんと声をかけないからだ、あんたがきちんといっておけばきたはずだと、後になって責められましたね」
夫は、とにかく聞き流してくれの一点張り、彼女も「主人に言っておきます」の一手で対応していたが、夫としては海外生活が長く教養も深く、話も面白い人なのに、なかなか百パーセントの人っていないものだと思ったという。
「この先妻の兄という人の存在が問題でしたね。私はつくづく思いましたよ、再婚には江戸時代が生きているって。いくら学生運動やった、組合活動やってたと革新的なことをいっている人でも、こと後妻ということになると、意識がふるいんですねぇ。後妻が幸せそうにしていると、妬ましいんでしょうかしら」
彼女は、あの墓に入るつもりは毛頭ない。
夫が亡くなったとき、お骨の大半をその墓に、一握りの分骨を彼女が入る予定のところに入れた。彼女としては全骨を先妻に渡してもいいと思ったのだが、三男はそれでは父が淋しがるからと言ってくれたのだった。
「老婚の人は、お墓のこともよくよく話し合っておいたほうがいいですよ。私なんかは、前の妻と同じ墓だなんて、絶対いやですもの」
大川さんは、この墓問題が起こったころ、”後妻とは何ぞや”という思いを、新聞に投書した。こうやって前の妻の実家の干渉を受ける後妻、後妻の人権なんてないのではないか。
凄まじい反響だった。大きなダンボール箱いっぱいになるほどの手紙がきた。彼女が中心になって後妻の集まりがつくられたが、間もなく実子のいる人といない人との対立が起こり、会は分裂した。じつの子供いない人には、いる者の気持ちが分からない、というのが理由だった。そのため会も一時中断したが、やっぱり後妻同士励まし合おうと、再発足して今日に至っている。
「なかには、欲の固まりというか、えげつない人もいるんですよ。どうせ遺産相続でもめるんだから、生きている間に使っちゃえと、海外旅行だ、民謡だ、お茶だと、じゃんじゃん使いまくっている人もいます。お金のためだけに再婚したんでしょうか。こういう人がいるから、後妻は強欲だって見られるんですよね」
大川さんは一見おとなしそうで、優しい口調の物静かな印象を与える人である。しかしその口から出た言葉は、激しいものだった。夫を信じて、長い一人暮らしの生活に踏み切ったのに、亡妻の実家からいらぬ口出しに、さんざん悩み抜いた、その口惜しさが唇の端に滲み出ている。今その夫も亡くなって一人暮らし、彼女は、
「後妻なんて、一度でたくさんですよ」といった。
彼女の言葉で非常に印象的だったのは、どんなに普段、革新的なことを言っている人でも、こと後妻と言う立場の女を見る目は、旧弊で見下したものがあるという部分である。
女の生き方に関する思想は、政治的な革新性とは何も関係ない。これは高齢者の介護問題などと感じることで、どうして、女や家族に対する男の意識は古いのだろう。
彼女は今、不動産をめぐって、家庭裁判所に調停を申し立てている。もうじき結論がでるところだといった。この件では家裁を利用したことで、精神的にずいぶん楽になったという。
彼女の場合、夫は遺言を書いていなかった。夫が亡くなってすぐ、長男に聞かれた。
「遺言はありませんか。書いておいてと頼んであったんです」
いかにも彼女が隠しているかのような口ぶりであった。
「主人の物はこれとこれです。手を付けたものはありませんので、探してください」
「こんなはずがない。まだあるでしょう」
彼女の友人の中には、遺言があったがために揉めた例もある。自分たちとって都合の悪いところは、無理矢理書かせたんだろうと勘繰られたのだ。公正証書の立会人が内容をバラしてしまって、騒動になったこともあるという。
なかには理解のある夫もいて、お前たちが一人前になったのはお母さんのお蔭、だからお母さんにはこれとこれとを差し上げるようにという遺書があって、円満に解決した例もあるが、これも、何のために再婚するのか、そのことをきちんと子供に話してあった日常生活の結果だろう。
前述の後妻の会は、一度分裂してまた復活したが、その会に集まる仲間たちの話には、悲劇的な話が多い。問題を感じた人たちが、同じ立場の人と話し合うことで慰められているのだろう。
やっぱり一番問題なのは、子供をめぐる”世間の目”と、何のために再婚するのか、家族内での意思の不統一に関するものである。そして、まさに彼女がそうであるように、再婚後夫に亡くなられれば一人になる。
そのとき子供とどう付き合うか、子供たちに頼られては困るが放っても置けないという微妙さがある。大川さんによれば、子供の反対にはこの問題も含まれているという。
世間のいらぬ口出しの悲劇として、昔の話だけどと、前述の古い新聞を見せてくれるとともに、こんな話をしてくれた。
その女性は、前妻の子が五人いる男性と、自分の子供一人を連れて再婚した。この二人の間に新しい子が生まれることになった。ところがその話を知った中学二年生の前妻の男の子が、野球のバットで彼女の腰を殴りつけたのである。三ヶ月の入院を要する大けがだった。当然赤ん坊は死産し、彼女は子供を生めない身体になった。
原因は親戚の口だった。
新しい赤ん坊ができたら、あんたなんか可愛がってくれなくなるよ。放ったらかしにされてしまうよ。そう入れ知恵された中学生は恐怖におびえた。この子は少し知能の発達が未開発なところがあった。
また母親から捨てられる? 結果として、彼はそそのかされたことになる。それじゃお腹の子供を殺してやろう、死んで生まれるようにしやろう。
真相を知った彼女は怒り狂った。警察に訴えてやる。しかし夫は、対面があるから、それだけは止めてくれと頼んだ。その代わりに土地をやるからと。
彼女はいったそうだ。それ以来、私は遺産の鬼になったのです。こんな思いをさせられた以上は、財産にこだわって何が悪いのですか、あげるというものはみんなもらいます。
それから三〇年経って、彼女が亡くなるとき、もうろうとした意識のなかで、その男の名を呼び、バカヤロウ、人殺しとののしり続けたという。
「義理の仲は、許すことはできても、忘れることはできないのです」
再婚のとき、先妻の子供たちに対して、父親が新しい母をどう説明するか、ここが大事だといわれている。新しい母も努力がいるが、父親も前の結婚の倍の努力がいる、ここは男を知るべきだと彼女はいった。
自分のために、夫婦として生きることが大切だから再婚するときちっといわずに、人に勧められたからとか、メシ炊きや留守番が必要だからとか、あいまいなことしか言わないところに、問題がある。
だから、子供が大きくなったときに、私は自分でもご飯を食べられるから、お母さん出て行っていいよと言われた後妻もいるのだ。
こうした悲劇も、義理家族が、家族内でどう付き合うか、家族と周辺の人々がどう付き合うか、こうしたルールが出来上がっていないところに原因があるのだろう。生みの親を重視しすぎる日本の精神風土の影響も大きい。学校の先生すらもが「前の母さんの方がいい?」という言い方で、子供の義理の母に悪意を持つようにそそのかしている。
しかし、現代、生さぬ仲に対する見方も少しずつ変わってきているような気がする。
山谷健さんは、テレ隠しに「既製品もいいもんだぜ」といいながら、新しい娘を可愛がっているし、私の友人の働く女性は、もっと過激に、なさぬ仲のよさを強調している。彼女は、息子のいる人と結婚した。
「妊娠中の通勤とか、産休を考えてごらん。とても働き続けられやしない。働きたかったら、子供のいる人との再婚が一番いいのよ。こっちは何の苦労もしないで、ママって縋りついてくる子供ができたんだから、前の奥さんに感謝、感謝。自分の子でないなんて、誰が決めたのよ」
働く女性の第一の大きな壁は、妊娠と出産。満員電車での長距離通勤で流産する女性だっている。産休は法律で決められているとはいえ、同僚に対する申し訳なさ、気詰まり、仕事から遅れるあせり、これらを思えば、生みの親より育ての親。働く女が増えるにつれて、こういう過激な考え方をする女性も増えるかもしれない。
最近、大熊由紀子著『寝たきり老人のいる国いない国』(ぶどう社)を読んで、ショッキングな一文に出会った。この本は、老人福祉先進国であるデンマークやスウェーデンの実情を報告したものだが、そのなかでサルの社会を紹介したくだりがある。
ある種のサルは、新しいリーダーができると、前のリーダーの子供を全部殺してしまうそうだ。子供がいる間メスはオスを受け入れないから、自分の遺伝子を残すために。
なんという遺伝子の利己主義。人間がサルと違うのは、遺伝子のない関係であっても愛し合えるということだ。こう考えると、育ての親というのは、限りなくサルから遠い、生みの親でないとまま子虐めするという遺伝子重視者は、限りなくサルに近いことになる。シンデレラの母も、白雪姫の母もサルの仲間であった。
育ての親に対する世間の目は、マイナス思考に満ちている。欠けているところ、悪いところを探し出したい。減点法でしか見ない。満点、完璧な親などどこの世にもいないのに、その足りない部分を探り出してきて、ああやっぱりと納得する。
私だってこの減点法で母を見ていたところがないとはいえない。”姉”のKちゃんに対して、どうしてあんなに小言をいうのだろう、あんな叱り方をするのだろう、やっぱり自分の子じゃないから? そういう目で母を見たことがなかっただろうか。母の”姉”を育てる苦労を、一番身近なところで見ていたにもかかわらず。
あんたのお母さんまま母だから、まま子虐めするんだよね、こんな言葉に泣きながら抗議しつつ、自然自然にその事実を探したがっていたかもしれない。世間の目は、じつの親子の関係にも影響を与えるのだ。
なさぬ仲は愛情でつながれた関係、その自覚的愛情こそが尊い、そう考えることのできるのは人間だけだ。育ての親は人間の証明である、そういう社会的な目が育っていったら、再婚の悲劇はなくなるに違いない。
大川さんの話ではもうひとつ感じたことは、孫と祖父母との関係である。新しい妻がきて、孫の心を虜にされてしまったら大変だ、孫を取られてなるものか。彼女のほうはちっともそんなことを思っていないのに、あらぬ疑いの目で心を忖度(そんたく)する。だから、余計な入り知恵もしたくなる、財産を少しでも孫のところに残すように。
新しい再婚家庭と、前のつれあいの実家の祖父母とはどう付き合うのか、これもつき合いのガイドラインがない社会では、ゴタゴタの原因になっていると思う。”祖父母の面接交渉権”である。
息子や娘が離婚や死別した時点で、すっぱり孫の存在を諦めればいいけれど、人間の感情としてもそうもいかないところもあるだろう。寺本さんなどは、ごく自然な形で距離を置くつき合いができたようだが、うまくいくケースばかりとはいえない。
私の友人にも、離婚した夫のところに子どもを置いて出た人がいる。彼女の両親にとっては、娘の離婚は孫との別れでもあったという。
新しい母が来てからは、電話することも遠慮する。孫が新しい母のもとですくすく育つのは嬉しいし、その平和を乱したくないと思えば思うほど、淋しい思いを我慢しなければならない。つらいものです、と語った。
ここにも高齢化社会によって起こる新しい問題をみる思いだ。これからは、老親を悲しませたくないから離婚するのを止めようという、”親は鎹”というのも増えてくるような気もする。これもまた考えさせられる話である。
義理家族には、付き合いのルールがない。それがさまざまな混乱を引き起こしている。再婚に暗い影を落としているのも、そのルールのなさによる先入観であったり、偏見だったりしている。
そこで、大川さんの話と体験を中心に、義理家族のためのガイドライン、再婚十か条というものを不完全ではあるだろうけど、参考までにまとめてみた。
第一条 子供に対してきちんと説明すること。
なぜ再婚するのか、愛し合っているから一緒に暮らすのだと話す。男性のなかにはテレて、メシ炊きが必要だからと言ったりする人もいるが、そういう言い方はあとになって問題を起こす。
新しい母親あるいは父親の必要性を明確に。新しい親の存在証明を。
第二条 子供への愛情の確認。
子供への愛情にゆるぎないことを、繰り返し繰り返し話して聞かせる。子供なりに不安な状況にいるのだから、安心させることが必要だ。また、子供の心の中にある”本当の母(父)さん”への追慕の気持ちを認めること。その上で、母(父)が二人いるのは運のいい子だと思ってもらう。だから、実父母の悪口は絶対に言ってはならない。
第三条 育ての親とは、ひとつのビジネスだと割り切ること。
無理な愛情を発散させるのは禁物。夫への協力の一部である。義務だと思うと気が重くなるし、育ててやっていると思うと傲慢になる。本来なら相手がやるべきことだけれど、相手ができないから代わりにやっている。それに対する代価をもらうのだと思い定める。
実の子のいる人で、自分の子に一銭でも多くの財産をと、夫に迫ったりする人もいるけれど、自分だって夫からの協力の一部で生きてきた。自分の心の中で差引の勘定をきちんとする。ビジネスといえば冷たく聞こえるが、不公平なくし、自分の欲を整理して、冷静に現実を見るための心の準備が必要だということである。
第四条 大きくなった前妻の子供とのつき合いはクールに。
トラブルの多くは、向こうからの挑発であることを知るべし。挑発には乗らないこと、多いのが、借金の申し込み。まず、返してもらえないと覚悟する。子供たちの意識には、この生活はお父さんの稼ぎのお蔭だとするものがある。
だから借りても返さなくても当然。そこには意識しなくとも、夫婦の財産を減らしてやろうとする悪意が潜んでいるかもしれない。
このとき、周囲の友人たちの拡大解釈にも注意する必要がある。ふんだくろうとしているのよ、などと言われても、うのみにしない。
呼び名にこだわらないこと。おばさんでも、〇子さんでも、気にしない。また、小さな子ならともかく、大きくなった義理の子は、絶対に呼び捨てにしないこと。他人であることを忘れてはいけない。
第五条 親戚とのつき合いの範囲を決める。
姑のなかには、ことごとく前の嫁と比較して、それを新しい妻の耳に入れることを趣味とする人もいる、すべてを聞き流す。
どういう範囲の親戚と、どういうとき、どういうつき合いをするか、話し合うこと、ここで一番きちんとしなければならないのは、後妻は前妻の代用品でないということ。前の妻がしていたと言われても困る。
孫との付き合い方も、拒否すべきは拒否、妥協すべきは妥協と、態度をはっきりさせる。この親戚とは関係においては、良くても悪くても後妻は損な役回りだとハラを据えることも大事だ。
義理の娘の結婚のお支度に大金をかけた人がいる。評価は二つに分かれた。「本当の親なら、こんなにお金はかけなかった。後妻の心意気」と誉めた親戚と、「今どき、こんなもの、着もしないのに。まま母だからミエ張って」とくさした親戚。後妻とはこういうものだと何をいわれても意に介さないこと。
第六条 何かあったとき、必ず”前の妻”が顔を出すと覚悟すること
夫が急病のとき、危篤のとき、亡くなったとき、前の妻に知らせるかどうか、知らせなくても来たときはどうするか、前もってシナリオを作っておく。必ず現れるのは子供である。
夫の病室で前の妻の子供たちに会ったという話は、たくさんある。そのとき初めて、ああ私は再婚だっただと実感する人も多い、だれとだれに連絡するか、連絡先など知っておいたほうがいい。
初めての親の過去というものに触れる子もいるだろうが、自信をもって、正直に話す。嫌なことも耳に入るだろうが、冷静に受け止めることが大切だ。
第七条 再婚は、助け合うことの契約である。
恋愛であろうと見合いであろうと、再婚の基本は、助け合い。お互いにメリットがあるとはっきりさせておく。
大川さんの場合は、自分の蓄えあり収入もあり、経済的メリットは少なかったが、愛情のある生活ができた。珍しいもの見、楽しい毎日があった。入院したときも、ぜいたくな入院生活で、これも「夫の地位のお蔭」と思ったという。どっとくるお中元やお歳暮に目を丸くし、思い出深い日々であった。
夫の方も、生活の細々としたところでの女手というのはありがたかったはずだ。医者に半年と言われた命を二年延ばせたのも、彼女の献身的な看護のお蔭だった。
愛情から出発したものであっても、再婚の目的は助け合いである。ここが初婚と大きく違うところで、再婚には初婚の一〇倍の努力がいる。お互いに。
第八条 財産管理をお互いに明確にすること
再婚のときに、報告し合って記録しておくこと。これは相手ばかりでなく、自分のほうも万一のことを考えて、こうしてほしいと書いておく。彼女も、「あの、まことに聞きにくいことですが、財産はどのくらい‥‥」と聞き、彼の方も、「あの、まことに聞きにくいことですが」と、報告し合ったという。
「再婚は、お金目当てだとよく言われますよね。だからと言うわけじゃないけど、お金はないよりもあった方がいい。これはどんな結婚でも同じです。お金は大事だと、しっかり肝に銘じた方がいいですよ。それが自然な人情というものですもの」
家族関係の複雑さをこなしていくためにも、お金は必要だ。気持ちはあっても、形に現せるものがないとうまくいかない。
とくに必要なのは、再婚後に得た財産を明確にしておくこと。離婚などいったん精算した場合は別として、死別の場合揉めるのは遺産相続。それ故に、再婚前、再婚後の金銭管理の明朗さは大切である。遺言を書く場合は慎重に。
今後、経済力のある女性が増えるにつれて、新しい母と養子縁組すれば、後妻が先妻の子にお金を残すこともあり得る。その覚悟も必要である。
第九条 遺産相続が発生したとき、ためらいなく公的機関を利用すること。
再婚で一番揉めるのが、この相続である。子供が再婚に反対するのもこれ。後妻が金目当て、欲があると言われるのもこれ。家庭裁判所や弁護士を利用することで、余計な気苦労やトラブルが防止できる。
大川さんの場合、これでずいぶん精神的に楽になった。調べてみたら、こんなことを聞いたが本当か、などという電話があった時にも「弁護士さんに任せてあるから、そっちに聞いてください」と言うだけでも違う。
遺言というもの、後妻にとっては微妙なもので、あればあるで、なければないで、疑われる。隠しているのではないかとあらぬ疑いがかかることだってある。後妻とはそういう立場なんだよと割り切って、すべてを公的機関にゆだねる。遺言執行人などきちんと決めておいてもらう。そのための出費を惜しんではならない。
寺本さん、山谷さんのところでも述べたが、養子縁組した場合、しない場合で、遺産相続は違ってくる。実子のいない場合は、自分の死後の遺産の行方も気になるところだ。寺本さんの場合、育ての子に遺産を残したいと思ったとき、養子縁組をする手もあるし、"死因贈与"という形で、先妻の子に残すという方法もある。こうすれば、実の子と同じ扱いになる。
またよく、養子縁組した妻の連れ子の二重取りということも話題になる。
つまり、義理の父が死亡した時点で一回、義父の遺産を受け継いだ母が亡くなった時点で一回と計二回(このほかに、実父からの相続分が加わるから、三回のチャンスがある)。これに対して、先妻の子は、父が亡くなったときの一回だけだ。後妻の遺産の相続権は養子縁組しない限り、先妻の子にはない。
確かにここだけ見れば、得をしているかのように見えるかもしれないが、しかしこの意見は、妻と夫に養われるもので、かつ財産でないものだという偏見に立っている。しかも、その父の生活を支えたのは誰か、愛情生活を保障したのは誰か、そこのところをじっくり見れば、別な感想も出てくると思う。
機会は公平だ。父が新しい妻のもとで元気百倍、財産も百倍にしたとしたら、彼らとて受け取る遺産も多くなるということだってある。
しかしながら、高齢期になって妻を亡くし、再婚する場合は、先妻の子供の気持ちもよく汲みいれることも大切だと思う。とくに財産が土地と家だけというように場合、それを売らねばならない事態だって出てくる。
その亡き母の思い出の家を、何年か一緒に暮らしただけの後妻のために、売らねばならない子供の感情、これも無視できない。再婚を明るい幸せなものにし、骨肉の争いを防ぐためにも、周囲のアドバイスをよく聞くという姿勢、ここが重要だ。
第十条 再婚であることを正々堂々と。
た自覚的愛情ほど尊いものはない。自信をもって行動している人には、陰口も消えていく。
再婚、とくに老・再婚の場合、つきものは遺産問題であるが、もし相続でもめるのが嫌だからと放棄した場合、頼りなるのが年金である。面白いことに、相続では目くじらを立てる親戚でも、年金には何も言わない。国によって守られている制度のありがたさである。
ここで少し、妻にとっての離婚・再婚と年金について触れてみることにしよう。
昭和六一年の年金改正によって、妻の年金権を得られるようになった。このことによって、離婚をすすめるものではないにしろ、離婚しやすくなったことは確かだ。
離婚のとき、夫がサラリーマンで、厚生年金か共済年金かに入っていた場合は、自分の基礎年金をもって別れることになる。自営業の場合は、国民年金だから、当然妻も離婚の有無に限らず、自分の国民年金をもっている。離婚後、厚生年金などに加入しない限り、国民年金の保険料を自分で払わなければならない。
再婚のときは、その相手がサラリーマンで共済年金か厚生年金であれば、そのまま前の夫のときと同じように、登録することによって国民年金の中に入ることになる(三号被保険者という)。その夫が亡くなれば、遺族年金が受け取れる。
ところが、再婚相手が自営業だったとき、つまり国民年金であったときは、その夫が仮に死亡しても、一八歳未満の子供が居なければ、遺族年金は支給されない。再婚のときに相手の年金を聞いて、
あら国民年金ならいやだわ、子供が大きいと遺族年金が出ないんですもの、といった人がいるそうだ。年金が男の価値を決めている、そんなジョークが出てくるのも、遺族年金に対する女の関心の高さだろう。
そしてまたいても、亡夫がサラリーマンで、その遺族年金を受け取っていた女性が再婚したときは、再婚によって、次の相手が自営業であろうとサラリーマンであろうと、遺族年金の支給権は消滅する。これは、内縁関係でもあっても同じである。
年金というのは、内縁関係の夫婦であっても「事実上生計が維持されている」ということで、婚姻関係と同じ扱いになっているからである。
だから、年金のためには、再婚しない方が得という場合も出てくる。内縁にもならない。とにかく生計を一緒にしない。これは、遺族年金を受け取っている女性の場合である。
いってみれば茶飲み友だちとして付き合うのが、亡夫の遺族年金で新しい男と暮らす方法ということになる。もっともこれは制度上のことで実際には受け取っている(つまり、そこまで調べがつかなくて)ケースもあるそうだ。
再婚のとき、その相手がもうすでに年金の受給を開始している元サラリーマンの年金生活者だった場合には、その相手が死んでも、遺族年金は受け取れないという俗説が流れたことがある。
これは真に受けて、再婚を辞めた人もいるそうだが、厚生年金課の話では、そんなことは絶対にないという。遺族年金はもらえる。
ただし、年金をもらっている人と再婚した場合、夫の年金に”妻・加給年金”は給付されない。年金をもらうようになったときに、生計を維持されていた人に限るというわけである。
したがって、再婚しても、新たに加給分を復活することはできない仕組みになっている。大体、月額一万七千円程度少くなるという。六五歳になれば、妻自身の老齢基礎年金に特別に加算が行われるが、再婚の妻にはこの加算は支給されない。
ということは、年金受給を開始する前に、駆け込み再婚をしたほうが得だということになる。そうでなければ、前述のように、離婚届けは出さず、内縁としての同居もせず、通い婚・茶飲み友だちとして、自分の年金権を消滅させないこと。
そしてこの場合は、当然のこととして遺族年金の対象とならないから、本当にどっちが得か、よくよく調べてみると必要がある。それにしても、再婚の場合でも生計維持関係はあるのだから、妻・加給年金の復活は、あってもいいのではないだろうか。
長い介護をする場合だってありうることだから、月に一万か二万円とはいえ、再婚した妻への見返りはあってもいいと思う。
さきに、年金改正によって女は離婚しやすくなったと述べたが、場合によっては、離婚によって無年金になることもあるから、これまたよくよく注意する必要がある。
私の五十八歳の友人は今、夫の年金を機に離婚したいと考えているが、どう計算してみても無年金になる。彼女の場合、結婚が遅くて四七歳のときだった。それまで家業の手伝いをしていた。国民年金に入っていればよかったものを、そのころ彼女は今ほどに年金の理解もなく、国民年金は軍事費に回されるなどと悪宣伝を流されていたので、一度も加入したことがなかった。
年金改正によって彼女はサラリーマンの夫の三号被保険者になった。ということは、婚姻期間もカラ期間となるから、十一年あることになる。ところが今五十八歳.もし離婚して六五歳まで自分で国民年金を掛けたとしても、七年しかない。計一八年。これは、六五歳までに必要な期間二五年を満たさない。
こういう場合は今の制度では救済ができない。もし若い頃OLをやっていて厚生年金に入っていれば、仮にそのとき脱退手当金を受け取ってしまっていても、改正の救済措置でOLの年数は期間に算入され、三号保険者期間と離婚後の保険料納付期間とを合算して二五年あれば、額は少なくても納めた期間分の年金はもらえる。
しかし、OL経験なし、国民年金なし、離婚期間短しでは、年金権は得られないのである。定年離婚を考える妻たちは、よくよくこういうところまで考えておかなければ、離婚してしまってからシマッタということになる。
彼女のように五十八歳では、どこか勤めに出て厚生年金に入ったとしても、やっぱり年金権にはつながらない。
自営業、つまり国民年金の妻たちも、絶対に加入しなければならない人たちである。入っていなかったことによって、無年金になる妻も実際にいるのだ。
幸せな再婚をするためには、自分の年金権のことはよく調べておく、これもまたさきの再婚十か条の八番目に述べた、お互いの財産管理の問題として、最低限のマナーであると言えるだろう。経済的に自立しているということも、夫に依存しない生き方として、義理家族の知恵の一つであると思う。
つづく
第八戸籍は語らず