男なんて信じられないと思った。しかし、その心を癒してくれたのも、皮肉なことに男だった。妻も子もある人。その人とも別れた。状況こそ違え、前の夫と同じことをやっている自分に気が付いたからだ。
「勤めていましたけれど、このまま一人で年を取っていくのか、という気持ちって、もう恐怖に近いものでした」
何を生きがいにしたらいいのか分からない。深い孤独だったと語る。高原さんの話と同じだった。
「仕事は任されていてもおもしろかったですよ。でもそれが給料や地位に結びつかないんです。将来への保証がない。このままでいいのだろうか、悶々としていました」
子供がいないことだし、もう一度結婚したいと思っていた。前の結婚は巡りあわせの悪さだった。その彼女が結婚していたら、あんなことにはならなかったんじゃないか。
男に対する不信感や結婚への疑問よりも、”巡りあわせ”の問題として、彼女は、結婚をもう一度したいと考えていのだった。三六歳になっていた。
「じゃ、その巡りあわせの問題というのは、二度目の結婚の場合、裏切られなかったんですね」
「ええ、裏切られなかったんです。本当にいい人です。驚くくらい。こんなんでいいのかなって思うほど。でも、私とまるで正反対の人です。恋愛なら絶対にしないような相手ですね。私が”動”なら向こうは”静”で」
三LDKのマンションに五年前に移ってきた。きちんと整理されて、磨き込まれた家具。サイドボードのなかのワイングラスが、夏の午後の陽にかすかな虹色を放っている。私と寺本さんは二人ともカーペットの上に触り込んで、彼女は紅茶のポットを両手で温めるようにして持ちながら、力強く答えた。
「友人の紹介で会ってみないかって言われたのが十月なんです。十一月には、息子の数え五歳の七・五・三で、母親も一緒の写真があった方がいいといわれて、それがプロポーズの言葉だったんです」
彼女はくすんと笑った。早い方がいいということで、結婚したのは十二月。だから、結婚前に会ったのは、十月と十一月の二回だけだった。ずいぶん早い結婚。一度手酷い目に遭っているというのに、身元調査もしなかったという。
「高校の教師ですから、変なことはしないだろうと」
急いでいたのは夫の方だったというのは分かる話だ。妻の長い入院生活と子育てとで、夫も、子供を預かってくれていた親戚もくたびれ果てていた。そこへ子育てをやってくれそうな三六歳の再婚希望者がいた。それ急げ、やれ急げというのは夫の事情だ。
しかし彼女の方は、再婚は即母になることである。それだけでも大決断であるうえに、妻に亡くなられたばかりの人である。女にとって再婚相手は死別がいいか離別がいいか、一概には言えないけれど、
『去り跡にはいっても、死に跡にはいくな』「この世で一番完璧な女性、それは亡くなった妻である」という諺もある。相手の胸に残っているだろう女性像に不安はなかったものだろうか。
「それは母が言いました。おまけに子供のいる人でしょう。他人の子供を育てるというのは簡単なことではないんだ。よくて当たり前、人の口には戸を立てられないって。母は結婚することには賛成でしたが、
この再婚には反対でした。でも私は、結婚ってやっぱりいいなと思っていたんです。前の人だって、いい時もあったんですもの」
もし、仕事も収入も十分で、将来の保証がきちんとしていたとしても、再婚したいと思うと彼女はいった。
「私、仕事でずっと生きていくタイプじゃないんです。それなりに力を発揮して行けるとは思いましたけれど、意識としては古いところもあって」
一人で生きるのは、やっぱり淋しかった。
離婚直後はすっきりして、なんと自由かと思いましたけれど、その時期が通り過ぎると、自由が苦痛になって耐えられなかった。
自由であることの苦痛、多くの再婚者が語った言葉だ。自由とはなんと厄介な代物だろう。自由を欲しがりながら、続くと苦痛、拘束を呪いながら、拘束に安心を見出す。『自由からの逃走』とは、エーリッヒ・フロムの言葉だが、これが再婚のエネルギーでもあるかもしれない。
「再婚してから、まったく憑き物が落ちたかのように、表情が柔らかくなったって言われます。一人で仕事をしていた頃は、険しい顔だったんですね。どっかで肩ヒジ張っていて。全部自分でやらなくちゃなんないし、老後のことがやっぱり頭にあって、今はいいけど、年とったらどうしようかって、そのことがいつも頭にあって」
結婚して突然母になって、覚悟はあったが、現実の生活のなかでは、利用されているだけだと夫に疑いの目を向けたこともあった。
「吹っ切れていなかったんでしょうね、多分、女手がほしくて結婚したんじゃないかって思うのは、辛かったでしょう」
「しようがないですよ。それは。私もあっさりした性格だから」
「おばちゃんとかは」
「あ、それは私、大歓迎で向えられて、前の嫁は病気ばっかりで、おばあちゃんもヘトヘトになっていたのね。今度の嫁は病気しなそうにない、頑丈そうだって。だから気が楽でしたね」
頑丈一直線、彼女は姑たちの期待を裏切らなかった。
死別の場合は、仏壇とか、お墓とか、前の奥さんの親戚づきあいがある。そっちにもおじいちゃん、おばあちゃんがいる。
「仏壇は、子供の部屋に置いてあります。命日ごとにお花を供えたり、受験とか節目のときにはお参りするようにっていっていますよ。亡くなった人に嫉妬してもしようがないし。
子供も四歳のときに別れて、じつの母親の記憶がないのが可哀想でね。話を外から仕入れてきて教えてあげるようにしています」
亡き妻の一周忌の法事は、夫の再婚が決まっていたので、先方だけで済ませた。彼女の友人には、仏壇もお墓もいやだ、処分してくれと言った人もいるけど、私はそんなことないと語った。
このあと取材した大川啓子さんは、亡妻の実家から墓を建てるように、それが共養だといわれたという。死別の人との再婚はここが辛いところだ。亡くなった人への精神的な恐れのようなものだろう。迷信だと思っても、この世への未練・怨念が残っているのではないか、それを思うと心が落ち着かない。
向こうのおじいちゃん、おばあちゃんとのつき合いも、子供を育てくれた一時期もあるし、電話が来たり、子供にお小遣い送ってくれるのを彼女は、ありがたく受け入れている。ただ、家具を返したときのトラブルで、あまりつき合いはなくなっていた。
子供が中学一年生になったとき、先方も高齢だし、彼の叔父さんや叔母さんも集まるという日に、一人で行かせたこともある。孫が大きくなった姿を見てほしいと思った。翌年、またいく? と聞いたら、もういい、やめとくと答えたそうだ。
「子供が行きたいって言わない限り、いいんじゃないでしょうか。はっきりしていますよね」
おじいちゃんが亡くなったとき、遺産相続を放棄してほしいといってきた。
「それも承知しました。争う気なんてまったくないですもの」
これで、亡くなった妻の実家との縁は切れたようなものだ。これはすっきりしていると、寺本さんはいう。
前の妻の実家とどう切れるか、とくに死別による再婚の場合、大きな問題だ。孫との関係が残っている以上、すっきりさせることは難しい。夫の親の方だって、前の嫁と比較したがる姑もいる。
加えて家具など、前の妻が使っていたものなんて気分が悪い。前妻の実家の再婚の認識が必要になってくる。
寺本さんの場合は、ちょっとのゴタゴタはあったものの、尾を引くものではなく、平和な再婚生活を送ってきた。彼女が、今の生活や夫に百点満点文句なしというのも、うなずける。
「お子さんは、一人だけなんですね」
「最初は自然に任せようといっていたんです。でもいろいろ考えてみて、子供まで欲張るのは止めようと思って」
子供のことで、心が揺れた。これが彼女にとっての最大の悩みだった。もう一人生んだ方がいいよと勧めてくれた人もいる。だが決心がつかなかった。友人にも、他人の子を育てることに大反対した人がいた。その彼女は、二度目の母親に育てられた人で、食べ物も満足に与えられなかったと言った。”まま子いじめ”されたとも。
「子供を生まなかったのは、その彼女の話が基本になっています。私は、彼女のお母さんの立場ですから。食べ物は存分に与えるようって決心しましたね。
自分の子供を生んだら、そっちの方が可愛くなって差別するんじゃないかという不安もありました。自分の気持ちが変わらないとは言い切れないですもの」
人間の気持って、どこでどう変わるか分からない。もしそうなったとき、一番嘆くのは夫。その思いが子供を産むことを踏みとどまらせた。
「今はこういう形でよかったと思っていますけど、やっぱり生んでおけばよかったと後悔したこともあります。でも、それも過ぎたことですから」
それは涙の決断であっただろう。子度を生める身体でありながら、産まなかった、自分の子供を生んだら、そっちの方が可愛くなって、差別するんじゃないか、そうすれば、夫が嘆く、だから産まなかった。この子は一人と思い定めて育ててきた。切ない話だ。
「子供が何気なくふっと見せる笑顔、あれは本当にいいものですね」
彼女は繰り返していった。その笑顔は、この母の決断に報いて有り余るものだろう。
「子供にフランクに何でも言っています。ぼくのお母さん、本当のお母さんじゃないよって。このマンションは引っ越してきて五年ですけど、ご近所の人はみんな我が家の事情は知っています」
「好奇心とか偏見とか、感じます?」
「あまりないですよ。逆に、自分の子でも大変なのにって言ってくれたりして、助けられてます。男の子だからあっさりしていますね。男の子でよかったと思っています」
まま母 まま子ということも、子供が男の子か女の子では違うものだろうか。彼女は男の子だからあっさりしているという。私には、それは性でなく、個人差だと思えるのだが。だが、女の子だったら、やっぱりもう少し難しいものがあるかもしれない‥‥。
「でも、子供を叱りながら、本当のお母さんならこういう言い方はしないだろうなって思うことありますよ。そういうとき、たまらないですね、ホント、たまらない、ひとことで済ませればいいのに、そのあといろいろくっけちゃうのね、それが一番よくない」
「それは実の親でも同じですよ。私なんかもそう。叱っているうちに、前のこといろいろ思い出したりして」
「どうしてもね、続いちゃう。主人にそれがよくないっていわれて」
「心の中で、どうせこれもあんたのお母さんの遺伝よって思うことありません? 自分の子だったら、これも私の遺伝と諦めもつくけど」
「あ、そういうのはないですね。それはない。うちの息子、主人とそっくり、性格も顔も。だから救われているんです。尊敬している人と同じ性格だというのは救いですよね。これが主人を疎(うと)ましく思っていたら、ああいやだ、似ていてい嫌だって思うでしょうけど」
「反抗期はどうでした? 今は落ち着いているでしょうけど」
「中学二年くらいから高校にかけてのころね、親を無視してかかってきて。私の姉に電話して相談したら、それは自分の子でも同じ、血がつながっているかどうかは関係ないって。
ただ、母はさっきも言いましたように、子供のいる人は反対で、他人の子っていうのはよく育って当たり前、普通に育ったってあれこれ言われるんだから、それだけは覚悟しておきなさいって言ったんですよ。だから母にはいえなくて、それが辛かったですね、近所の人にも言えないこともあったし」
支えは、夫と夫を紹介してくれた友人だった。この二人が常に彼女を励ましたのだった。これがあったからやってこれたと、彼女はいった。
「遊び仲間と付き合ったこともあったし、他人の中で育ったせいか、子供らしくないところもあって、学校の先生にもいろいろ忠告されて、主人にいったら、教師の言うことより。自分の目を信じなさいと」
「ご主人、学校の先生になのに?」
「そうなの、おかしいでしょ。でもそうなんですね、親としてずっと育ててきたという自信ね、それを持ちなさいって。そういう言葉に助けられましたね。先生の言うことを真にうけて子供を批判しちゃいけない。あとに感情を残さない子だから、それも良かったですね」
じつの母親のことを思ってジメジメしたりすることもない。これも男の子だから、女の子だったら、また違っただろうと、再び彼女はいった。
まま母やまま子のことを子どものころから考えて続けてきて、私は二つのことを思っている。
ひとつは、私たちは、普通のやり方と違う、異性質を排除するメンタリティがあるのではないかということ。結婚とは初婚のもの。わが子とは血のつながっているもの。それが”普通”であって、それ以外はうんくさい。
母親が子を愛せるのは、生みの苦しみがあってこそ、だからその苦しみがなく、かつ”血のつながらない”子とは、愛情の基盤がない。血の信仰とまま子は合わせ貝のようなものだ。
ピタッとはまる一枚の絵。もし、女の子のほうがまま子に敏感だとしたら、それは女が異質性排除による苦しみを多く背負ってきた長い過去の累々(るいるい)たる記憶があるからなのではないだろうか。
二つ目には、差別の根底には貧しさもあったこと。彼女の友人や私の母の時代は、食べるものにしても十分ではなかった。そういう時代なら、一個のパンを半分にしたとき、より大きい方を実子に与えるかもしれない。貧困は差別の温床である。
今の時代、貧困はなくなった。とすれば、二つ目の問題はない。残るのは、義理の関係に対するメンタリティの問題だ。最初のめぐりあわせの悪かった結婚のおかげで、自分の子を産むことを諦めて、血のつながらない子を育てて来て‥‥。勲章こそあれ、悩みを一人で背負うものではないはずだ。
近所の人が、自分の子でさえ大変なのに、といってくれた言葉は、聞く人によってはそれも差別だと思うかもしれないが、私の耳には、時代が変わってきたと、うれしい言葉だった。
彼女が常に、本当の母親ならこんな叱り方はしないのではないかと悩み続けてきた気持ちが、理解される時代になったのだろう。
これはもしかしたら、この世には血よりも濃い関係がある、心と心が血よりも固く結び合えるものだということを証言しているのではないだろうか。
たとえ血がつながらなくても、じつの親子、兄弟同様のものになれる、この関係を求めて悪戦苦闘したのは、タレントの佐々木功さんと声優の上田みゆきさんの再婚カップルである。二人が書いた『子連れ再婚の片道切符』(講談社)によると、二人は双方ともに男の子を連れて再婚し、家族をつくった。
親の再婚によって新しい”父”のできた子と、そして”兄弟”になった子供たち。この世人の義理家族は、当初の予想をはるかに越えた波風にさらされる。とくに母親の愛情に飢えていた兄による弟いじめが酷かった。兄弟間の緊張の厳しさに親たちはもうダメかと悩みながら、心を込めて解決していったその愛情物語には、深く胸に響いてくるものがある。
“片道切符”と銘打った決意も重いものだ。
愛情というものも、乳牛がちちを出すに自然に流れるものではない。努力して、なやんで、ときに傷つきながら、作り上げていくものだと、この義理の母は教えてくれる。もし愛情というものが目に見えるとしたら、それは、荒地に生えるオリーブの木のような色と形をしているのかもしれない。黒くてゴツゴツとしていて節くれたもの。そしてたっぷりと油の入った実をつける‥‥。
義理の関係には、血は流れていなくても、このオリーブの油のようなものが豊かに流れているような気がする。寺本さんにも、それはたっぷりとした大きな実になっているはずだ。
その反面、義理の関係は、甘やかなものととらえるのも危険だと思う。
私の”姉”のKちゃんは、ときどきふっと思い出したように、「本当のお母さんに会いにいきたい」と洩らしたものだ。育ての子が”本当のお母さん”への心情を持っていることを否定してはいけない。
さて寺本さんが一三年間育ててきた子、その子も来年には家を出るつもりらしい(平成二年取材したので、今ごろもう出ているだろうか)。
「大学に入ったら、この家を出るつもりらしいですよ。父親にはまだいってませんけど、私には打診しています。父親が苦労した人で…‥。彼は昼間働いて学資を稼いで、大学は夜の部なんですね。
そう言う話を子供にずっとしていましたから、子供も独立するって決めていますね、お金は最低限出してくれればいいって。父親も、勉強したければ大学に行きなさい、でなければ働きなさいっていっています。息子も、うちはよその家とは違うんだよなっていうけど、父親がさめているから」
「お父さんは学校の先生だから‥‥、その辺は‥‥」
「でもね、これにもやっぱり偏見がつきまとうんですよね。自分の本当の子じゃないから早く外へ出したって、でも私、これは平気で受けとめようと思っていますの。子供のためなんだからって」
「人は勝手なことを言いますものね。子供を一人前にしようと思ったら、家から出すのが一番いいと思いますよ」
私なんて二人の娘をアメリカとドイツに出している。これは少し遠くに出しすぎたとときに後悔もするけど、やっぱり私も子供のためだと思っている。本当の親の愛というのは、子供を空高く飛ばせることだと思う。その意味でも、彼女には本当の親の愛がある。
「これからの時代、マザコンは結婚できないですよ」
「そう。うちは一人息子だけどマザコンじゃないですね」
もうすぐ夫婦二人になる、子育てに女の手ほしくて再婚したのではないかと悩んだこともあったが、これかにはいよいよ夫婦本番だ。今のところは親子三人で水泳に通っているが、二人だけでいくことになる。彼女はかつての事務能力を生かして、銀行にパートで働いている。子離れの用意はできているらしい。
「この十三年、いろいろあったけど、悔いはないですよ。再婚して本当に良かったと思っています」
彼女と息子とは、まだ養子縁組をしていない。まだ、と書いたのは、目下彼女はそのことを考慮中だからだ。夫に万一のことがあったとき、遺産は子供と半分ずつ分ける。彼女に万一のことがあったとき、実子なら遺産を受け取れるが子供とは養子縁組をしなければ、
彼女の兄弟の方にいってしまう。どっちがいいか、それは彼女の老後観にも関わってくるだろう。自分が一番得をする方法を選んでほしい、と私は思っている。
取材中、彼女の顔は私の母が重なって見えてしようがなかった。同じくまま母と他人から呼ばれた人。しかもこの人は、それがゆえに自分の子を産むのを断念した。義理の関係を深い母性愛に高めていってその意志と努力、その自覚的愛情は尊いものと思う。
だから彼女には、人生の帳尻を合わせてほしい。どこで、どういう形になるのがいいのか、具体的な形については分からないが、「これで帳尻があった」そう思うものを心に抱いてほしい。
私の母も、母なりに人生の帳尻を合わせた人のような気がする。
あの告白の日から三年後、母は息を引きとった。そのとき、母の側にいたのは、父とKちゃんだけだった。母は自分の子供を九人も生んでいながら、死の床に間に合った者は誰もいなかった。母は”姉”に看取られてあの世に行った。
じつの子が誰も間に合わなかったということ、”まま子”と言われた”姉”が看取ったということ、私はここに母の人生を見る思いだ。母のこのことによって、人生の帳尻を合わせたのではないだろうか。誰よりも。一番ふさわしい人に見守られて…‥これもまた、帳尻の合わせ方の一つだった。
つづく 第六 新しい命の意味