沖藤典子 著
正しいボタンの位置
京王プラザホテルの地階居酒屋は、どの席も盛り上がっていた。
酒と会話と仲間意識。サラリーマンやOLは、このときばかりにストレス発散の大砲を撃っている。
会社を辞めてから、私はほぼ永久にこの熱気を失ってしまった。良くも悪くも運命を共にする職場、ときに呪い、ときには歓喜した共同体、年末はいつもプラス・マイナスせめぎ合って、嵐のような酔いに時間を忘れた。
会社生活へのノスタルジアが湧いてくるのは、こんなときだ。会社を辞めたことによって得たものを失ったもの多々あるなかで、失った最たるものは、この運命共同体的意識からくる、共通言語の世界だ。
退職事情が頭をよぎる。もしあのとき、会社を辞めずに、夫は札幌で私は東京で仕事を続けていたら、私は今ごろどうしていただろうと。娘二人の運命も違っていたはずだ。
あのときは、離婚になってもいいと思っていた。結婚は重荷であり、束縛だった。働ける職場がある以上、結婚に頼らなくても生きていける。母親娘三人が生活できる収入はあった。
にもかかわらず、私は会社を辞めて札幌にいった。子供がいたら? 同居していた父を病気で亡くして、淋しかったから? 夫に未練があったから? 仕事に自信がなかったから? それとも、燃え尽き症候群?
私はいつも答えられない。人生の迷路にはまり込んでしまった感じだ。解答なんてありゃしない。感情は錯綜(さくそう)していて、いまだに一本の糸にならない。ただ一つ、会社を辞めてのち一五年間、奇妙な違和感を抱きながら生きてきたことは確かだ。
どこかボタンを掛け違ってしまったような居心地の悪さ。細々とではあるけど、本を二〇冊近く書き、時期によっては殺到する講演依頼に走り廻りながら、それでもまだ会社員生活に未練をもっている。
それもこれも、共通言語を失ってしまったという喪失感、自分の本当の意志でないところで決断してしまったという後味の悪さ、それらが、ない混ぜになっているような気がする。だから、精神衛生上こういう忘年会の光景は、私にとってとても良くない。心がかき乱される。
私は、観たくない光景に背を向けて、大谷、山野の二人にいった。
「あなた方二人を見ていると、自分の責任で決断して実行した人の清々しさを見る思いだわ。私なんて自分をごまかしごまかし生きてきたような気がする」
「沖藤さん、取材の時いったでしょう。百万人の他人は騙せても、自分の心は騙せないって」
「自分を騙し生きている人間は、日々懲罰をうけているようなものですよ。でも最近は、そうやって生きているのも人の一生なんだって、思えるようになったわ。お二人とは違って、自分には忠実に生きられない人も、この世にはたくさんいるんですよ。それとあなた方二人は」
「何か追加注文しましょうか。まだおなか足りないでしょう?」
Iさんが口をはさんだ。彼女は幹事役に徹している。彼女の名前、Kのイニシャルの指輪がキラリと光る。モスグリーンのワンピースに茶色のスカーフがよく似合っている。いつか彼女は、仕事の時は主婦くささをなくしなさいと人に言われたことがあると語った。今夜の彼女は母のように気を使い、管理職のように場をリードしている。
「いえ、もうお腹いっぱい。もう少しあとで、お茶漬けでも食べたいわ」
大谷さんが応じた。彼女はいつも反応が早い。
一同頷いて、私は続けた。
「結婚している間に今の彼が現れて、その恋愛のエネルギーが離婚させたのね。そしてその相手と再婚して、幸せを掴んだ。納まるべきところに納まった。考えようによっては、羨ましい人たちよ。子供もいなかったし、身軽だった」
そのうえ二人は若かった。若いものにとっての離婚・再婚は、過去の分量が少ない分だけ、問題も少ない。結婚をやり直しただけだ。最初の結婚は、再婚のために予定されていたプログラムにも等しいものだった。
「子どもがいなかったことって、やっぱり大きいですよ。私だって、もし子供が生まれていたら、別れなかったかもしれないけど、再婚はしなかったかもしれない」
「大谷さんでもそう思う?」
「仮定のことだから、何とも言えないけれど、多分ね」
「岸田さんが再婚しないのは、さっきいい人がいないだけでしょうなんて冗談てったけど、やっぱりお子さんのことって大きいのかしら」
「さあ。その辺はつきつめて考えたことがないんですよ。今はともかくこの状況を変えたくないのね。子供がいてもいなくても同じなんじゃないですか。巡り会い次第でしょう?」
「そうかなあ、子供がいる再婚ない再婚とでは違うと思う。”複雑な家庭”ていえば、だいたい子連れ再婚よ。尚子ちゃんだってやっぱり子供への影響を考えたと思うわ」
と大谷さん。
「そうねえ。深く考えたことはなかったけど、子供のことって大きかったかもしれない」」
「私なんかの目から見ると、岸田さんが一番理解しやすいの」
私は続けた。
「さっきの話の続きだけど、せっかく離婚して開放感があるはずなのに、また拘束の世界に入る。再婚したこの二人は拘束なんかじゃないというから、そういう感じ方もあると思うけど、私なんかには拘束と映るのね。
再婚だって結婚の平凡さ、日常のうんざりさ加減は同じような気がする。岸田さんもそう思っているんじゃないかなっていう気がするから、私の理解の範囲にあるのよ。この二人は、ちょっとね、理解の範囲を越えてる」
「そういえば、私たちまだ沖藤さんがなぜ離婚しないかも聞いていないわ。お母さんことは伺ったけど」
山野さんが逆襲してきた。
「はい、マイク」
彼女は割り箸をまた日本突き出してきた。
「厳しいわね。突き詰めて考えれば、勇気がないんだわ。お互いに自分から言い出せば、いい出したほうが加害者になる。それはごめんだ。引っ越しやら、お金ことやら考えればそれも面倒。おまけにいい男も現れないし。自由にあこがれながら孤独も怖いし。母親の血だと人から見られるのも嫌だし、”またか、の烙印”への恐怖感が私にもあるのよ。娘たちにもよくない影響があるとまずいと思うし」
「結局のところ、現状を徹底的に否定する材料がないってことですね」
山野さんはズバリいってのける。
「そうなんです。はい、以上」
「沖藤さんは、もし離婚したら、再婚するかしら」
「さあねえ。あなた方の彼みたいな人が現れるかどうか、カギはそこじゃないかしら。少なくともね、私は二K再婚じゃいやだ。経済的には私一人くらい食べていくものは稼げるし、家事をやって男に尽くすなんていうのはもう御免だし。男は一人で暮らせないっていうけれど、女はできるものね」
「これから女性にも経済力がついて、逆に男性でも家事をこなす人が増えれば、二K再婚は減るでしょうね。そしてその分だけ夫婦はお互いに精神的なものを求め合うようになるわね」
とIさん。
「それだけ厳しくなるということでもあるのよ。若いうちなら、経済的にしろ精神的にも二人で家庭を築いていくっていうことが可能だけど、中・高年になると出来上がっていて、色がいっぱいくっいているから、なかなか白紙に戻れない。年いってからの再婚は難しいのは、そこのところね」
「この間取材した高原誠さんの場合、離婚の話もショックでしたけど、それでもやっぱし再婚したいっておっしゃっていたの、あれも強烈でしたね」
その高原さんはまだ再婚していない。再婚相手を探すために無限の会に入った六二歳の男性である。三〇歳で結婚して、離婚したのはた六〇歳だった。三〇年間の婚姻生活を解消。
考えてみれば、平均寿命が長くなり、婚姻期間が長くなれば、離婚の発生率も多くなるだろう。離婚や再婚がタブー視されがちだった時代や地域であれば、あともうわずかの命だから我慢しようと、妥協したかもしれない。しかし人々の意識が変わって、もっと自由に生きてよいとなれば、後わずかな命だからこそ、我慢したくないという発想も生まれてくる。
実際、統計をみると、離婚が増加しているのは、同居期間一五年以上の中・高年層なのである。
平成元年(一九八九年)の人口動態(確定数)によれば、離婚者の平均同居期間は九・七年。これは、昭和五五年(一九八〇年)の八・六年に比べれば一・一年も長くなっている。婚姻期間が長くなることの反映だろう。当然、同居期間の長い夫婦の離婚が増える。
同居期間一五年以上の離婚は、昭和五五年当時、全体の離婚の一七・七パーセントだったものが、九年後には二六・七パーセントと、約一割もの増加である。離婚者数の四人に一人強は、一五年以上一緒にいた人ということになる。
その結果、離婚で一人になった五〇歳以上の男性は約一万二千人、女性は約七千五百人。男性の方が多い。高原さんは、この二六・七パーセントと一万二千人の中の一人なのだった。
「私が衝撃だったのは」
Iさんが続けた。
「夫婦って何十年やったから安心というものではないということですね。それと私たち、女性の側から別れたいっていう話ばかり聞いていたでしょ。それが男性のしかも六二歳の人から、どうしても別れたかったという話を聞いたショックね、あれは大きかったですよ」
それは私も同じだった。とくに根拠もなく、離婚願望は女に特有のもの思っていたのだった。しかも彼が別れた理由が、女房の性格にあり、それがどうしても我慢できなかったというのは、思わず襟を正すものがある。
もし私の夫が、あんたのその勝気な性格が嫌なんだ、オレのことをグチグチと書き散らかすのが嫌なんだ、そういったら、私は取り乱すに違いない。
中。高年になると、妻が夫に失望し、その反面、夫が妻に執着をもつと思っていたのは、総務省がやった調査結果の影響もある。
『長寿社会における男女別の意識の傾向に関する調査』(一九八九年)によれば、『老後において重要なこと』の第一位は”健康であること”(男四六・三パーセント、女五十四・七パーセント)。これは男女とも年齢が高くなるほど、回答率も高くなる。とくに五〇代、六〇代の女性に高い。
問題は第二位の”良好な夫婦関係を保つこと”である(男二二・六パーセント、女一五・三パーセント)。老後において重要なのは夫婦だと、男性の方がより多く答え、しかもその比率は年齢が高くなるにつれて高くなり、はっきりした上昇線をたどる。
ところが女性はといえば、これは下降の一方である。三〇代では、女の方が男よりも良好な夫婦関係を求めているにもかかわらず、四〇代で逆転し、五〇代になれば男二三・二パーセントにたいして、女一二・一パーセント。六〇代では決定的な差となり、男二五・八パーセントに対して女一〇・〇パーセント。
つまり、老後は妻にすがりつき頼ろうとする夫と、夫なんか頼りにしない、あるいはあてにできない妻、そして妻はひたすら、己れの健康を頼ることになる。
「これは男の下心が見え見えですね。男は若いうちに女房なんかと思っているくせに、年を取るにつれて女房に依存してくる。一方、女房のほうは、若いうちは夫婦にロマンをもっているけれど、年を取るにつれて亭主なんかと夢が醒めていってしまっている。皆さんはどうですか」
講演などでこの結果を披露すると、会場からどよめきが伝わってくる。多分、大勢の女たちの実感でもあるのだろう。
高原さんは、こうした女たちの実感を裏切るようにして登場してきた。だから、私にとっても、Iさんにとっても衝撃なのだった。
「離婚の理由というのは五分五分だから、片方の話だけでは本当のことは分からないけど、だけどまあきっぱりとひとり暮らしを始めるなんて、度胸がいい人ですね」
彼の話のなかで考えさせられたのは、離婚を決意してから七、八年の準備期間があったというところだ。その間に一人娘を結婚させて、孫もできた。親の離婚によって、娘を不幸にしてはならないと彼はいった。そして、娘夫婦が親の離婚の保証人になった。定年退職したことにより、世間体への体面もなくなった。僕は身軽になったのである。その用意のよさ。
「大変な財産がたあったらしいけど、全部奥さんにあげたっていっていましたね。とにかく別れてさえくれれば何もいらないって」
無限の会を取材したときに彼から聞いた話を、Iさんは驚きを含めて私に伝えたのだった。
一般に男の離婚といえば、結婚したい女が別にいたという気なしが浮かぶ。離婚は男の得手勝手。古女房に飽きたので新しい女が欲しい。男の再婚には、そんな不義の匂いがある‥‥。しかし、彼の場合は違った。話題になった有責配偶者からの離婚請求ではなかった。
「その点はお互い誠実なものでしたよ。家内だってなかったと思います。彼女はぼくがパートナーでなきゃいい女房だったでしょう。社交的で明るくて、おしゃべりが好きで、八百屋のおかみさんにでもなっていたら、最高だったんじゃないかな」
八百屋さんは怒るかもしれないが、彼はそう言った。彼は若い頃、妻のお喋りがもとで社宅に居られなくなり、転職したこともあるという。亭主の足を引っ張ると、彼は何回もいった。恋愛結婚だったが、いいところだけ見て、悪いところを見なかった。以来、パートナーをも違えたと思い続けていたという。
「シャツのボタンを掛け違えてしまったという。その違和感はずっとありましたね」
掛け違えてしまったボタンをかけ直したい、それには全部一度外してしまおう、彼はじっくりと計画を練っていたのだった。
そこまでして手に入れた離婚。財産と引き換えの自由があったけれど、やっぱり離婚してみると、衝撃は大きかった。何もかも虚しくなって、生きる張りを失った。
「その離婚の前後に、旧(ふる)い友人たちともつきあいを絶ったっていっていましたね」
「何もかも捨てて、一人になりたかった。念願は叶ったんですが‥‥」
高原さんは、離婚後五キロもやせたという。解放感はあった。しかし、未来への恐怖もあった。彼は取材の時こういった。
「男と女が別れるのは、人生の理想や目標を諦めることですよ。何かをやり直すには年数が足りない。五キロやせてまで自殺まで考えましたよ。これからどうやって生きていこうか、あなた、立場を替えて考えてみてくださいよ」
「・・・・・・・」
「でもね、それを乗り越えると元気が出るのよ。娘が、最近明るくなったって言っていますよ。じっと考え込むこともなくなったって」
掃除、洗濯をするのは、ちっとも苦にならない。お料理だってちゃんとやっている。
「料理は、みそと醤油の使い方が今もう一つだけど、おいしいものを食べようと思ったら、あなた、いくらでも外で食べられますよ。精神的に立ち直れれば、女房が居なくたって、やっていけるものです」
民俗学者の梅棹忠夫氏が『妻無用論』を婦人公論に発表したのは、昭和三四年、三〇年以上も前のことだ。この歳はちょうど私が結婚した年でもあり、私なんかこの論文に大いに鼓舞され、勇気づけられたものだった。
内容を要約すれば、サラリーマンの男の立場から見て、妻は家事労働の担当者として分業的関係にある。妻は主婦権を確立するために、家事労働を”発明”した。しかしその家事も、電化や代替業の出現によって、妻がする必要もなくなった。妻なしで文化生活をおくろうとすると、少し高くつく程度。
じゃ、愛情はどうするかという疑問もあるだろうが、今のままでいけば妻は”遊女化”するのみだ。
結婚したばかりの私が『妻無用論』に感激したというのも奇妙な話だが、それは最後の数行を読めば理解してもらえるだろう。
『女が妻であることをやめるというのは、なにも結婚しないことではない。結婚という制度は、なかなか消えるまい。しかし、妻という名のもとに女に要求されたさまざまな性質は、やがて過去のものとなるだろう。
・・・・・・(中略)・・・・・・そして今後の結婚生活というものは、社会的に同質化した男と女との共同生活、というようなところに、しだいに接近してゆくのではないだろうか。それはもう、夫と妻という、社会的にあいことなるものの相補的関係というようなことではない。女は、妻であることを必要としない。そして、男もまた。夫であることを必要としないのである」
この論文は、それをさかのぼること四年前の、やはり婦人公論二月号に発表された石垣綾子氏の論文『主婦という第二の職業論』と共に、華々しい主婦論争の幕を切っておとすものだった。
賛否両論が婦人公論に殺到し、梅棹氏はその年の九月号に『母という名の切り札』を書き、女は母で勝負しすぎる、現代の家庭の男はあまりに”父”でなさすぎるし、母はあまりにも”母”でありすぎると警告している。つまるところ、女と男は対等のゲームをしようじゃないか、ということを呼び掛けている。
今読み返してみても新鮮な梅棹忠雄氏の二つの論文は、そのまま高原さんの話に重なり合っていく。彼はまさしく妻無用論の世界を生きているのだった。岸田さんは、夫無用論を生きている。
その取材のとき、私は彼に聞いてみた。
「再婚の条件というと、どういうことになります?」
「前の結婚でつくづく思ったんだけど、人種違う人間と一緒になると、言葉が意味を持たないのよ。だって喧嘩にもならないんだもの。
バガハカしくって。喧嘩ができていたら別れなかったと思うね。説明してもわからないから、どうしていいんだか、くたびれちゃうのね。物事って、話して理解するってことが大事なのね。伝達の上手・下手もあるかもしれないけど、相手に聞く耳を持ってもらわないと。だから、僕の性格の反対側にいる人は相手にしない。こっち側にいる人ね」
「そのこっち側の人っていうと」
「たとえばね、ゴルフ一緒にやるとき、こっちはシングルだから、余裕を持ってプレイしているしょ。女房の動きを見ていると、キャディさんに威張っているのよ。下手なくせして、キャディさんに優越感をもっている。ああいうの見ていると、男だっていやなものは嫌ですよ。我慢できないもの」
私とIさんは、顔を見合わせた。二人とも、下手なゴルフやるからだ。プレイ中にキャディさんに気を使って、それだけでくたびれてしまうほどだが、威張っているように見られることだってあるかもしれない。
「ぼくはいろいろなことをやりますよ。ゴルフもそうだけど、テニス、囲碁、将棋、麻雀、ドライブ、美術鑑賞、旅行。このうち何か一つね。一緒にできて、気の合う人だったらいいと思ってるのね。女性っていうより、パートナーがほしいのよ」
「じゃ、男でもいいのかしら」
骨格のしっかりしている引き締まった長身。黒いベレー帽の下に、厳格で孤高な光を放つ目が、えっと私を見た。
「ん‥‥、まあ‥‥、そういうことも言えるかもしれない。ぼくなんて性的にも感情的にも女性を必要としていないもの。老人の結婚なんていうと、性的好奇心でね、テレビなんかでやっているけど、そんなに激しいものじゃないのよ。
ただ話し相手ね、一緒にいろいろなことをやって、気が合って、老後を楽しく遊べる人ね。一緒に何かを考えたり、行動したり、そういう関係がほしいんでね」
彼は、従来の”妻役割”を求めていないと言う。料理や洗濯なんて、してくれなくてもいいと。彼のような男が増えると、”妻役割”に従順であった女は、自らの考え方に裏切られることになる。本当に無用論の時代がきたのだろうか。
高原さんは今、年金生活だ、三万円や五万円の収入のために働く気にはなれないともいった。
あり余る時間、保証されている経済生活、欠けているのは共に楽しむ人である。多分その相手は、男よりも女の方がいいに違いない。妻とは、それができなかった、そこのところで見切りをつけたということなのだろう。多くの離婚願望の妻たちが、この夫と老後を過ごすのかと思うとぞっとするというように。
もしかしたら、彼の別れた妻も、ほっとしているかもしれない。夫の視線を感じて針の筵(むしろ)であったと、向こうは向こうでいっていたりして。彼は妻のことを「利口とバカの関係だった」といったけど、妻の方だって同じことを思っていて、多くの妻が”夫の鈍感”をあげるように、彼女も夫と同じセリフを言っていないとも限らない。
「ぼくはね、従来の男意識ってやつは、もっていないつもりなのよ。内助の功なんて、全く必要ないもの。夫が上で妻が下なんて考えていない。だから別居でもいいとのよ。距離のある方がいいかもしれない。人の細かいところは知らない方がいいということもあるもの。そうだなあ、アルビン・トフラーの妻のような人がねぇ」
「ハイジ・トフラー」
「そうそう、ハイジ・トフラー」
私はちょうどそのころ、彼の最新刊『パワーシフト』(徳山二郎訳、フジテレビ出版)を読み始めたところだった。夫の偉業を支える妻、偉大なる陰の力。
秀でた男を支える力になりたいと願うのは、女の古典的発想とはいえ、今も有力な願望の一つだ。山野さんも、形こそ違え、ハイジ・トフラーに近い人だ。『パワーシフト』のなかで、彼は妻のことをこう表現している。
『私の最上の友人であり配偶者であり、パートナーであり、四〇年にわたり私の愛する人、ハイジ・トフラー…‥、彼女の何事にも疑問を抱く聡明さ、知的洞察力、鋭い編集感覚、アイディアや人間にたいする一般的な妥当な判断‥‥』
こういう賛辞を夫から捧げられたら、女たるもの、しびれてしまうだろう。だけど、この世の中、そうそうアルビン・トフラーが居ない代わりに、ハイジ・トフラーもいない。
「どうですか、ハイジは見つかりそうですか」
「この完璧主義のレベルを、下げないとね。もっと寛大になんなきゃならない。そうでないと、また失敗しますよ」
大谷千加子さんがこの場に居なくてよかった。”失敗”なんていう言葉を彼女が聞いたら、また唇をとんがらせて、「失敗なんじゃないわよ」と演説を始めるだろう。
「そのレベル下げられますか」
「正確にはね、下げるんじゃなくて、そういうものを承知できる人を探し出そうとおもって」
「それは難しいですよ。そう言う人、そうそういないと思いますよ。高原さんの奥さんになる人は大変。理想は高いし、完璧主義者だし」
「だけどね、現在ゴルフができて、毎日の生活がくるしくなくて、不自由なんてないんです。正直いって。現在の生活に慣れ始めてきているんですね。一人の生活もいいもんです。
無限の会に入って再婚への努力もしてますよ。この間、役員の人から熱心さが足りないって言われたけど。それで、もしまた失敗したら、今度はすべてがなくなっちゃうでしょ。
それと、これから何がしようと思ったら、女性はプラスにならない。邪魔になることだってあるし。だけどねぇ、毎日楽しいからこれでこのまんま墓場に行く、それも嫌なんだよね」
一人の生活もいいもんだ、今度失敗したらなにかもなくなる、だからといって、このまま墓場に行くのも嫌だ。彼は矛盾相剋のなかにいる。これが再婚願望の正直なところだろうと私も思う。
この矛盾をそっくり引き受けてくれて、性格的領分をすべてにわたって承認してくれる人がほしい。そこには多分、彼の話のなかで感じられる経済的自信もあるのだろう。
「娘婿が銀行員で、経済の話をあれこれしているでしょ。そしたら娘が言うんですよ。最近は女の人も勉強している人が多いから、お父さんと話が合う人きっといるだろうって、早く見つけなさいって言っていますよ」
「お嬢さんは再婚に反対ではないんですか」
「全然。なにモタモタしているのっていって。無限の会に入っていることも知っているし」
「私も娘二人いて、上の子はアメリカで所帯もっているんです。母親だから思うのかもしれないけど、娘の実家はちゃんとしていなければとか、孔雀の羽のようにきらびやかに飾り立てていたい、娘の不利になるようなことは一切してはならないって思うこともあるんです。これもミエというものなんでしょうけど」
「それはね、いよいよのところまで追い詰められていない人の言葉ですよ。そんなこと考えているうちに夫婦も安泰でね。娘も結婚する前に親の不仲を婚約者にチラッと匂わせていたらしいし、うちに何回かきていれば、冷たい空気も感じたでしょう。ま、娘たちには暗黙の了解になっていたらしいですね」
「人はなぜ再婚したいんでしょうね。それが高原さんにお会いしたかった最大の目的なんですけど、なぜ自由を放棄するんでしょうね」
「そうねえ、ぼくだって女性に不信感がないかというと、それはやっぱりあるのよ。だけど、ロマンもねえ、生きがいかなあ、さっきも言ったように一人じゃつまんないのよ。だけどまあ、私にも欠点ありますからね、もっと寛大にならないと。
今のところは焦ってはいないですよ。二年か三年、ゆったりとね。再婚についての考え方とか理想とかは、こうだというものがまだ固まってないですね。成り行きでいい人が現れたらいいなあって。それしかないね、今のところは」
「うまくいくといいですね」
「ほんとね。今後もね、この取材を契機にして、ときどき付き合ってくださいよ。そしたら頑張れるような気がするんですね。ま、希望を持って。そのうちにぼくにも正しいボタンの位置が決まるかもしれないし」
高原さんは最後になって強気の火が消えた感じだった。成り行きでいい人が現れないかなあ、ひどく納得のいく言葉だった。再婚したい理由というのも、突き詰めてみれば漠然としているもので、成り行きで出会ってしまって、ま、この辺かと再婚する。そのうえ、たっぷりある老後の時間を共に楽しめて、気が合って、ハイジ・トフラーとまではいかなくても共に何かをやれるものがあって…‥つまり愛する対象が欲しいということになるだろう。
のんびりした感じで人を愛せて、納得のいく毎日であれば、彼にとっての正しいボタンの位置となる。しつくりした関係、自分の心にぴったりくる女と男の関係、彼が再婚に求めるのは、こういう関係性なのだろう。しかしこれは彼に限らず、誰だってほしいものだ。
「高原さんのお話を伺ってね、つくづく思ったわ」
私は取材が終わったあと、編集者のIさんにいった。
「夫婦っていうものも、一緒に成長していかないと、老後が難しいんだなあって。恋愛結婚だったから、本質がよく見えなかった、恋愛はよくないですなあなんて言ったけど、恋愛がよくないんじゃなくて、ものの感じ方や考え方を影響し合わないことがよくないのよね。
奥さんはずって家にいて、彼女なりにいい妻やっていたと思うのよ。それが老後になってそれじゃ物足りないっていわれたらショックよね。これからの女は、妻の役割だけじゃダメなのね。
夫が醒めていく。そう思うと日本中いたるところに第二、第三の高原さんはいるだろうし、高原さんの奥さんもいるだろうし」
そうなると、今後ますます離婚が増える。そして、再婚も増えるだろう。掛け違ったボタンを正しい位置に戻すための再婚、これが増えるということは、ある意味で健康な社会であると思う。
だがまだ、一般に私たちの社会は、死別による再婚はまあ致し方ないと認めるけど、離別による再婚には、冷たいような気がする。
都内のあるホテルに取材にいったときも、何の話からだったか、担当者が口を滑らせたかのようにこう言ったのだった。
「死別の再婚のケースの方がうまくいくようですね。生き別れの人はいい加減なのが多いんじゃないですか」
そのとき私は「まあ、そうですか」と思わず相手を見上げてしまった。私自身がその”いい加減”な生き別れの男と女の再婚同士の子供だからというだけでなく、ホテル関係者がそんな偏見を持っていいのだろうかと驚いたのだった。それはあまりにも現実無視だ。
この女五人の忘年会のとき、座るなり大谷さんが、前の結婚より後の結婚の方が長くなって、ほっと安心したというのも、気持ちのどこかに今度また離婚したら、”結婚不適格者”つまり、”またか、の烙印”を押されそうだという、潜在的な不安を持っていたからだ。
あの前向きな彼女にしてからそうなら、推して知るべし、世間の偏見の目を感じている人は多いだろう。そしてまた実際、アメリカの調査では、再婚者に離婚率が高いという結果もある。
ある夜、厚生省の人口動態統計を眺めていて、ええっと驚く事実を発見した。
なんと、再婚というのは、圧倒的に離婚者の再婚で占められているのである。眼を疑いつつ、何度も計算機を叩いてみたが、やっぱりそうなのだ。
平成元年、再婚した妻は、約九万五千人だ。そのうち離婚者が八万一千人、九七パーセントである。再婚した夫は約九万六千人、そのうち八万九千人、九三パーセントが離婚者の再婚。現代の再婚とは、離婚者の再婚なのだ。
なんとなく私も、再婚は死別した人のものと思い込んでいるところがあった。別に親のことを恥じていたわけではないが、少数派のような気がしていた。しかし、離婚して再婚するなんてことは、再婚という枠組みの中で見れば圧倒的多数派なのである。
「いい加減」もヘチマもないもんだ。そんなこといっていたら、自分たちの商売の首を絞めるようなもんじゃないの。古い諺の『去り跡へはいくとも、死に跡へはいくな』っていうのは、こういう形で実現していた。私はしばし感慨にふけったものであった。
人はなぜ再婚するのか、なぜ再婚しないのか。忘年会は五人の女たちの思いを乗せて、どんどん過ぎていく。体が温まり、お蚕さんはふわりと膨らんで、その胎内にはまり込んだようにいい気分だ。
同じ関心ごとを話し合える人がいることのありがたさが、酔いをいっそう快いものにしていく。私が日常の中にほしいのはこの感覚だ。久しく味わっていないこの感覚。そして多分、再婚したい人が願うのも、このふんわりとしたものに包み込まれた感じなのだろう。
だけど再婚はけっして幸せなものばかりでない。
子ども時代の思い出のあれこれ。”まま母”といわれ続けた母のこと、家庭生活のぎくしゃくしたいろんこと。そして何よりも、人生を真っ二つに割って生きた母。
大谷さんのいうように、小さい子供のことって大きいなあと思う。子供がいない、あるいは完全に孤立した、そういう場合とは少し違った苦いものが、義理家族にはある。”義理”という社会の因習を背負う女たち。そういう女たちにも、私は会いたいと思う。ボタンの位置は正しくても、はめるボタンが合わない、そんな再婚家庭だってあるだろう。
ボタンの位置を居心地よいものにするために、私の取材は続く。
つづく 第5 第二章 “かすがい”の価値
1 血よりも濃い関係