沖藤典子 著
愛情の引き出し
大谷千加子さん(仮名)はその日、咲きこぼれるような笑顔で約束のレストランに現れた。
「これ、仮名にして下さるんでしょう」
彼女は、気がかりのことを一気に解決しようとしているようにいった。
ご希望なら、と私は答えた、その代わり、本当のことを教えてくださいね。
「関係者がたくさんいるから、仮名にしてほしいんです」
大谷さんの最初の結婚は二四歳のときだった。相手は二〇歳年上で、四四歳、再婚だった。
その相手には、男の子と女の子がおり、長女の方は彼女と三歳しか違わなかった。昭和四一年のことだった。その後まもなくこの娘は結婚し、彼女は三〇代に入ってすぐに”おばあさん”になってしまった。
「孫って、かわいかったですよ」
元おばあさんは、晴れやかに笑った。
彼女が生まれた時から父を知らない。昭和一七年生まれの彼女は、戦死したと聞かされていたが、ずいぶん大きくなってから韓国で生きているらしいと聞いた。再婚もしているようだ。
女手一つで育ててくれた母は、彼女が高校を卒業した一八の年に亡くなった。妹が一人いる。
「中学生のときからアルバイトで働いてました、母が亡くなった時、借金で建てた家のローンが残っていて、それを返さなくちゃいけないから、昼は保険会社で、夜はスナックでアルバイトしていました」
「大変でしたね」
「みんなそういうけど、自分ではそれほどには思わないんです」
「最初の結婚のとき、向こうの子供さんたちや、あなたの親戚から、反対はありませんでした?」
「いえ、どこからも反対なんてありませんでした。自分で何もかもやる生活でしたから」
「そのとき結婚式は」
「内輪だけの、ささやかなのをやりました」
この結婚のころであれば、これくらいが普通の常識であった。相手が再婚なんだから、派手なことは止めておこう。
昭和二七年以降の三八年間のうちで、婚姻件数が最も多かったのは、昭和四七年の約百十万件である。それが平成元年には七一万件と四〇万件も少なくなってしまった。初婚件数も、その年の九八万件から五十八万件への激減である。半減したといっても大げさではない。
婚姻件数の減少は当然ながら、結婚式や披露宴の減少となる。ホテル関係者や式場関係者にとっては大変な打撃だ。
そこで登場したのが、再婚者・再々婚者のための披露パーティである。ホテル・オークラでは、これを再婚市場として位置づけ、”レインボウ・ブライダル。マーケット”と呼ぶ。再婚のカップルを放っておく手はないというわけだ。
ホテル・オークラの橋本保雄専務はいう。
「ホテルの仕事の一つに”人生のステージ演出業”というのがあります。若い、初々しいカップルの出発をお手伝いするのも仕事なら、もう一度人生を出直そうとする人たちのお手伝いをするのも我々の仕事です」
ただ、再婚の場合は、再婚に至る事情によって、周囲の受け止め方が違ってきたりする。初婚の場合と違って難しいのはそこのところだ。
「お子さんが居る方なんかには、子供を連れてくることをお勧めしています。再婚を恥しいとか、テレたりする時代ではありません。これは新しいファミリーを作るためのイベントです。それに、中年になるとかならないとか、古い友人同士が集まることもないので、社交の場としてもいいですしね。ヒューマン・ネットワーキングですよ」
橋本専務は、これを”意義のある表現”と定義づける。
しかし、再婚の場合の結婚式や披露宴は、全体に地味なものが多いそうだ。バックに金?風もない。当人たちの社会的地位や立場によっても、対応は異なる。
平成元年にホテル・オークラでは、約一二〇〇件の結婚式があったが、再婚は一五件、全体の一パーセント程度だから、市場としてはまだ大きくはない。費用も接待客一人について三万円程度。
再婚をターゲットとしているのは、初婚市場の激減が生み出した”意義ある商魂”でもあるが、こうした演出があるのも悪くないと思う。再婚はこれまで、あまりにも日陰すぎた。
もっと堂々と社会や世間に向けて「再婚でーす」と表現していい。人生の仕切り直しを派手にやるのも、だらだらと結婚している者にはいい刺激だ。
さてそのとき、内輪だけのささやかな”意義ある表現”をした大谷千加子さんは、一〇年で離婚した。
離婚にはよく、背景と直接的にきっかけがあると言われている。彼女の場合もそうだったか。今回取材した人たちは皆そうだったと思う。背景がきっかけを生む。
大谷さんの場合は、夫の結核と賭け事(もう一つ、女)→賭け事や事業の失敗で一千万円以上の借金→妻が働きに出る→好きな男性と出会う→離婚、という流れになる。
彼女は音の借金を取り立てにきた人達にいったそうだ。私が働いて、責任を持って返しますと。病気の夫の看病をしながら、自営業を手伝い、夜働きに出た。
「だから皮肉な結果なんです。借金がなければ働きに出なかったかもしれないですものね。外を見るチャンスなんて、全くなかったから、一〇年ぶりに外を見たことで、私にも私の人生があるんじゃないかって、思い出したんです。こんなもんだと思って生きて来たのが、これでいいのだろうかと思うようになったんです」
彼女は昼も夜も働いた。夫に女が居たことは離婚してから知ったのだが、結核の看病とたった一人の”社員”として自営業の仕事。子供はできなかった。
「今の夫はそのスナックにお客さんできていました」
熱心にプロポーズされたのよ、彼女はいたずらが見つかったときの子供のような真剣な顔でいった。
「やっぱりどうしようかと悩みました。でも、ほかの人に心が移ったから前の主人が嫌になったというのではないのです。彼との出会いによって、前と同じ愛情で夫と付き合えなくなったって思ったんです。別の人生を歩きたくなったということでしょうか」
病気で借金をかかえた二〇歳年上の夫と、元気でハンサムな若い男。背景は見事にきっかけを生んできた。
「そういう状態だったから、別れるというのもつらくて。でも私、できることだけのことはしたという満足感がありましたよ。とことんやったと思っています。もう未練もなかったし」
だが相手には未練が残ったようだ。夫は彼女が遅くなると寝ないで待っていて、グチグチ嫌味をいう。若くて美貌の妻を得たことを得意にもしてくれたが、不安もまた大きかったのだろう。
しかし若い妻にはそれが嫌でたまらない。彼女が離婚を切り出したとき、老いた夫は泣いて引き留めたという。
「それがかえって醒めさせてしまったんですね。私の性格だと、いったんダメとなったらもうダメで。そのころまだ百万円ぐらい借金が残っていたんですけど、これは私が返すか、だからきれいに別れましょうって」
別れ話を切り出して、一〇日後に、夫は離婚届に印を押してくれた。別れたい一心で慰謝料をもらわなかったという話は聞くが、夫の借金をもって別れたという話は初めてだ。彼女らしいエピソードである。返済を終えるまで三年かかった。
こうして彼女は一〇年暮らした家を出て、アパートへ身一つで移った。
「そのとき、結婚はもうこりごりとか、思いませんでした?」
彼女もまた山野桂子さんと同じく、恋人が現れことが離婚のエネルギーになった。離婚は再婚への足掛かりであったわけだが、また同じことになるのではないかという不安はないものなのだろうか。
「いえ、全然ありませんでした。私、前の人も愛していました。別の人が現れればもう一つ別の愛情が湧いてくるんですね。どうしてかしら。愛情に種類があるわけでもないでしょうし、うまく説明できないんだけど、より大きい愛情が生まれるって」
前の人とはいろいろあったけど、やっぱり愛していたし、そのことは否定できない。一〇年の結婚生活を「なかったことに」にはできないという。
「私の胸の中にはきっと愛情の引き出しが二つあるんです。どちらもいっぱい愛情が詰まっているんですね」
「それは前の人への未練でしょうか」
未練? 彼女は私の問いかけに驚いたように顔を上げた。未練があったのは向こうの方です。私はさっぱりしていましたといった。
「それは、私なりに精一杯だったから、後悔がないということだと思います。あの人を愛したのは私の責任だから、あとになって愛情が醒めたといっても、愛したという過去は消えないんです」
「前の愛情を消そうとする努力する人はいっぱいいますよ」
「再婚にはその方がいいのかもしれないけど、私には消し去るなんてできません。二つの愛情を大事にしていく以外、生き方を知らないんです」
「で、その前の方はどうなりました? あなたと離婚後」
「亡くなりました」
「亡くなった‥‥」
私には、複雑な人の気持ちを分析するだけの能力はないが、この亡くなったということへの彼女の思いがあるのかもしれない。またもし今の彼が”二つの愛情の引き出し”を知ったとしても、亡くなった人に嫉妬はできない。
「亡くなったことを知った心境って‥‥」
「いえ、私、自分の責任はきちっと果たしたと思っていますたから、亡くなったことに責任があるとは思えません」
今するべきことは、二つの引き出しの愛情を大切にすることだと彼女はいう。
一〇歳年上の女との結婚に、夫側の両親や親戚からの反対はまったくなかった。私の友人のTさんやKさんは、年上の再婚者であるがゆえに親戚中が猛反対だった。多分この辺りは、地域性や親族の結婚観の違いなのだろう。
反対されるとばかり思っていたけど、と大谷さんもいった。彼は五人兄姉の末っ子であったことも、気楽な身分であったかもしれない。正式な結婚届は出さなくてもいいと思っていたが、「正式にしたい」という彼の希望で、区役所に届けに行った。このときは、あの”意義ある表現”はしなかったそうだ。
「再婚には不安はありませんでした?」
「夫婦生活のことが一番心配でした。夫が若いし、歳いっている私の方が経験があるから‥‥。それが悪い影響になったり、違和感があったら困るなあって思ったこともあります。でも、大丈夫でした」
なんという正直な話だろう。私も正直になった。
「それって、初めの内だけってことありません? 再婚してもう十三年ですわね。相手を替えてみても、年月が経つと元の木阿弥っていうことありません?」
「いいえ、そんなことないですよ。全然変わらないですよ。今でもベタベタしていて、一緒にお風呂に入ったり」
「いいなあ」
私は思わずいってしまった。このなんともいやらしい一言に触発されて、二人は笑い転げた。
「本当に、羨ましいですよ」
年齢とは不思議なものだ。彼女は私より四歳年下であるにすぎない。Iさんよりも一歳年上である。それなのに、どう見ても三〇代半ばにしか見えない、再婚してから時間が止まってしまったかのような若さだ。人は本当に人を愛すると、時を止めることができるのだろうか。
「若い。大谷さんって、本当に若い」
「でもね、主人が若いから若ぶった格好するとか、そんなこと考えたこと一度もないですよ。だって、主人の方がオトナですもの。すべてのことに私なんて太刀打ちできない。もう尊敬を通り越して、崇拝です。
姉さん女房だから、あなたが取り仕切ってるんでしょうって、まず、十人中十人がいうけど、甘えているのは私のほう、自分でもこんなに甘ったれだなんて彼と一緒になるまで思わなかったもの」
「いい男なんだ」
「よく思うんだけど、砂丘の中から針を見つけ出すようなものです。すべての面で私にはもったいないような人で。だから私、人は絶対に、自分に合う人に巡り合うに違いないって思っています」
人は必ず自分に合う人に巡り合う――
取材中いろんな人から聞かされた言葉だった。初婚でめぐり合えればそれでいい。だが、そうでなかった人は、やり直してもいい。結婚が二回であっても三回であってもそれは、”巡り合い”への旅であり、人格の問題ではない。
彼女はフルーツが上にたくさんのアイスクリームを注文した。子どもが喜びそうな賑やかなアイスクリーム。
彼女の感性の世界には深く考えさせられるものがある。生まれや育ちからいえば、俗にいう幸せとは縁遠いものだった。母は洋裁の内職で娘二人を育てた。しかも大谷さんには先天性股関節脱臼の持病がある。冬になると関節がきしきしと痛んで、歩くのが辛い。夏に会った時でさえ、彼女は軽く足を引きずっていた。
世の常識や偏見に立てば、彼女はもっと陰があってもいいはずだ。にもかかわらず、彼女は明るい。砂丘の中で針を見つけた人は、その浜辺に輝く真夏の陽射しだった。ひたむきで、正直で、まっすぐで、強くて、激しい。
あとになって私とIさんはしみじみ話し合ったものだ。
「あんなふうに人を愛せるなんて、心が健康な人なんですね」
「純粋なのね、彼女のいろんな話が」
「世の中には、こんな人もいるのかと思いましたよ」
―人は絶対に自分に合う人に巡り合う―
あくまでも人生を信じ、人を信じ、男を信じ、自分を信じ、再婚を信じ、人生を確信している人の言葉だ。その確信によって、彼女は過去の愛も輝かしいものにしているのかもしれない。
幸せな再婚は人生を確信させ、過去を救う。それとも、人生を確信し、過去に救いがあるから、幸せな再婚となるのだろうか。
この、人を愛する能力は、母親から教えられたと大谷さんはいう。どんなときでも人に恨まず、自分に正直に生きること。嘘のない生き方こそが、本当の人間の人生なのだと。母の話をするとき、彼女はかすかに涙ぐんだ。
「私ね、よく人から言われます。一度結婚に失敗しているんだから、今度は失敗しないようにって。でも、何で失敗なのかしら。私なりに、この二〇年間ずっと努力してきているんです。失敗だなんて、いやな言葉だなって。そのときそのときで精一杯であれば、失敗なんかじゃないでしょう?」
「結婚には成功も失敗もないってことね」
「自分で経験してみて分かることって、あるはずです。経験してるからこそ、相手の立場が分かるんです。人様からみたらあんなことでも、自分から見たらプラスだっていうこともたくさんあるでしょう。
私にとっては最初の結婚は人生の財産ですもの。あの結婚があったから、今があるんです。だから私、前の人に感謝しているし、失敗なんて言わないでほしいんです」
彼女は、失敗を認めない傲慢(ごうまん)な性格ではないと思う。つまらない失敗もたくさんしてきたと思う。だがしかし、ここでいま彼女がいっているのは、離婚という一点を絞って、前の結婚を失敗ということは、自分も前の夫もおとしめることになるといっているのだ。
また、現在があるためのプロセスと思えば、過去の結婚は財産だ。これは多分、離婚者を人生の落伍者のように見る世間の風潮、再婚を結婚不適格者のように見ることへの彼女のレジスタンスであるのだろう。
「日常生活の細々したことってあるでしょう。箸の上げ下げのような。あるいは習慣の違いとか、そういう整理って再婚してすぐにできるものですか」
「私はできましたね。こんなに幸せでいいんだろうかかって思うことがあるくらいです。彼と一緒にいると、自分の嫌な性格がばあっと消えて、いいところがぐっと出てくるんですよね。不思議でならないんだけど」
彼女は、胸のあたりから両手をぱあっと広げてみせた。自分のいい部分が、限りなく広がっていくと。女が最大に望む相手に、彼女は巡り合あった。このとき彼女は、今の夫は尊敬を通り越して、崇拝だといったのである。
「女って、本心から男に惚れると、いい方へいい方へ変わって行かれるものなのかしら。女の恋愛に対する期待とか、結婚願望の中には、そういうものへのぬき難い願いがあるのでしょう。
その人と一緒に居ると、限りなくいい自分が出てくるような。そして、崇拝できる人。でも、そういう人とは大方の人はまず巡り合ない。大谷さんは出会ったのね」
「夫婦は人間同士が一番許し合える関係です。二人でいろんなお喋りをします。私、こんな性格だから、胸の中に溜めておけないでしょ。どんな些細(ささい)なことでも隠さないで喋ることにしています。でも、冗談でも人をバカにするような言葉は嫌がるわね。彼はそういう話は嫌だって。それだけは夫婦でも、最小限のルールだから、気を付けていますよ」
忘年会の夜、山野さんの”中古発言”に、彼女がムキになって反論したのには、こういう彼女たちの生活態度が基準になっているのだった。夫婦だって、それが仲が良ければよいほど、ルールがあると。
「今、世の中はシングル志向っていうでしょ。惚れ合って一緒になっている大谷さんに聞くのも野暮というものだけど、二度も結婚するなんて、私の目からみれば何をすき好んでって思いますよ。どうしてだと思います?」
「愛する人の傍にいたいってことかしら。そりゃ、キャリア・ウーマンでシングルっていうのは楽しいかもしれないけど、私なんて結婚で束縛されていると思ったこともないし。逆に彼に助けてられているわ。彼の方も、一人の方がいいんじゃないって聞いたこともあるけれど、そんなことないって」
「どんなことで、助けられていると感じます?」
「すべての面で。賢い人だから。彼にいうだけで嫌なことも忘れるし、ちょっとした助言で胸がすうっとなって、素直に聞けるの。それはもう本当に感謝でね、私って激しい性格なのに、そういう嫌なところが全部消えてしまうんだもの。よくね、人に話すと辛いことは半分になる。嬉しいことは倍になるというでしょ。結婚ってそういう関係なのが本当なんだわ」
「理想的な結婚を二度めで手に入れたって感じね。彼もいい人なんだ」
「本当の男らしさって、広い気持ちのある男と思うの」
「尊敬を通り越して崇拝、そのうえに心酔ね」
「そう、本当にそう。さっきもいったけど、今でも一緒に風呂に入るもの。いつもべたべたしていたいのね。友達がね、十三年も経っているのに、少しおかしくないんじゃないかって」
「まったく。私だってそう思うわ。嫉妬のあまり気が狂いそう」
「姉さん女房だからと言う人もいるけど、それも違う。年なんて関係ないのよ」
もしこれを悪意をもって読む人がいたとしたら、全部嘘だと思うかもしれない。どんなに仲のいい夫婦だって歳月と共に色褪せる、再婚だって同じさ。再婚を何か特別に幸せなふうにいうなんておかしい。喋る方も喋る方だけど、書く方も書く方だ。
確かに私も、離婚同士の再婚夫婦であった両親を見ていて、特別変わったこともないと思う。父は癇癪(かんしゃく)を起こしてはお膳をひっくり返すし、母はいつも舌鋒(ぜっぽう)鋭く父を責め立てた。
「夫婦仲の悪い両親のもとで育つ子は、親のいない子よりも不幸である」などと日記に書いた覚えもある。再婚の夫婦がとてつもなく幸せだとも、仲がいいとも私には思えない。姉さん女房だから夫に寛大だともいい難い。
多分、大谷さんだって、夫の愚痴(ぐち)をこぼすことがあるかもしれない。新聞のたたみ方にイライラすることもあるかもしれない。どんな夫婦にもあることは、彼女たちの上にもあるだろう。
だが、それらを全部承知したうえでいうけれど、彼女が今とても幸せだというのは事実、これは変わらないのだ。夫婦の愛を信じている、これも動かせない。人を愛することは、彼女にとっては人生の賛歌を美しく歌いたいのは、人の素直な気持ちである。
子供がいないことも、彼女はこんなふうにいう。
「子供のいないと家庭ではないかもしれないけれど、やっぱり基礎は夫婦なんですね。子供のために夫婦の大事な時間を我慢するくらいなら、いないほうがいいんです」
同じようなことを山野さんもいっていた。子どもが居たらかわいがるかもしれないけれど、どうもそれは夫婦から愛情を削ぐもののような気がすると。
子供は、夫婦から愛情を引きちぎる形で、夫婦を結びつける、そういうものなのだろうか。大谷さんも、もし前の夫との間に子が居たら、あるいは、いまの彼に子どもがいたら、再婚しなかっただろうといった。
本当に自分たちの愛情でないもの縛られるのは、嫌だから。子供がいなければ一人前でないという社会の中で、堂々とそれを言うのは勇気がいることだ。
“子は鎹(かすがい)”といわれて、子供があってこそ夫婦は結びついていた時代が長く続いていた。かつて人生五〇年時代‥‥そして今、日本は世界一の長寿国になって、子供が巣立ったあとの夫婦の問題が浮かび上がっている。”空の巣症候群”という言葉さえ生まれた。子供が巣立ったあと離婚した夫婦もいる。子供と夫婦、これは本当に厄介な問題だ。
しかし、ここに、大谷さんのように、子供は鎹にならない、逆に夫婦の本当の愛情を奪うものだ、そういう女が現れた。一・五ショックと言われる現代の出生率の低さも、住宅問題や働く女性の育児休業、保育制度の問題とはまた別に、女と男の愛情のありようとして語られるとなると、法律では解決できないだけに難しい問題だ。
「私、沖藤さんに書いてほしいことがあるんです。再婚のこととは違うですけど」
何ですか、大問題を離れて私は顔をあげた。
「よく、うちの息子は頭が悪いから板前でもしようかっていう人がいるんですけど、頭が悪かったら絶対に板前にはなれないんです」
「分かりました。そうですよね。書いておきますよ」
本当にかわいい人だ。夫の職業をおとしめる発言に、憤慨している。このとき、彼のお料理を食べさせて貰いにいく約束をしたのだった。
彼女が電話局に出勤する時間が迫っていた。
彼の仕事の時間帯に合わせて、夕方からの電話交換手を選んだ。スナックは収入はいいけれど、彼と出会ってからは、働く場ではないと思った。
取材場所のレストランは、昇りのエスカレータはあるけれど、下りはなかった。そのころは私もまた、春に手術した足の痛みが残っていて、二人は手をつないで階段をそろそろと降りた。
「足の不自由な者にとっては、昇りより下りのエスカレータが必要なのよね」
そんなことを言い合いつつ、一段ずつ降りた。
日本の社会は”昇り”主義なんだなあと思う。結婚にしたって、初婚は”昇り”。昇りのための情報や応援はたくさんある。しかし、離婚と再婚に関する情報は、下りのエスカレータ並みだ。若き日の決断を一生背負って生きるには、人生はあまりに長くなったというのに。
「大谷さんは、人生を燃焼させて生きていくことを知っている人なのね。そのための勇気を持ち合わせているんだわ。多くの人はそれにあこがれながらできない。こわくて昇りのエスカレータから降りられないのね。私もそうだけど‥‥」
少し汗ばんだ彼女の手に、ふっと力がこもったように、私は思えたのだった。
つづく
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