沖藤典子 著
――生きがいとしての仕事と、家庭を両立させる方法を求めて
なぜ主婦経営者が続々と誕生しているのか
四、五年前、中年主婦には三つのタイプがあると言われていました。つまり、パートに出る主婦、各種学習会やボランティア活動に出る社会参加型の主婦、遊び型の主婦。
マスコミでは、遊ぶ中年主婦のエネルギーが喧伝され、ホストクラブやダンスホールの女たち、はてはアルコール依存症や主婦売春など、主婦非行が取り沙汰(ざた)されたものです。
妻たちの生き方が多様化してきたことは確かなことです。多くの妻が今なお深い惑いの中にあるとはいえ、そしてそれによって試行錯誤があるにしろ、持てる力と自由時間を利用して、何か従来の妻、母、主婦の役割以外の自分を持ちたいと願い始めたのです。
しかし、これまで主婦が働きに出るとなると多くはパート・単純労働でした。とくに高学歴の主婦や専門技術職経験の主婦にとっては、最終職難にもなっていたのでした。
ところが最近は、これまでの主婦の外への出方とは異なった新しいタイプの妻たちが出現しています。
男性が全く気付かなかった分野への主婦経営者の登場です。彼女たちは、新しいタイプの企業を作り始めたのです。家の中で思い惑い、離婚願望を育てるだけの毎日を拒否し、家庭を大切にしながら自らの生き方を求める主婦社長たち。
その一人大江弥生さんは、大学を卒業してすぐに結婚した平凡な専業主婦でした。子育てもそろそろ終わりに近づいたころ、マンションを購入することになったのが彼女の転機でした。
その時、彼女は思ったのです。「主婦の立場に立った設計がなされていない」――。
こうして女性だけの住宅コンサルタント会社・株メディア・プロモーションを設立したのでした。不当産業界という男だけの業界に素人の女性が乗り込んだのですから、最初はひじょうに苦労したそうです。『Will』の一九八三年三月号によれば、彼女のセールス・ポイントは「女性の目を企画や販売に取り入れたマーケティング活動」にありました。
長年主婦として切り盛りしてきましたから、男性にはない生活実感があります。いわば、これが武器だったのです。
長いこと、企業において、女が子を産み育てることはマイナスだと言われてきました。ロング・キャリアの女性が育たない背景もここにあったのです。ところが、それによって企業は大きな弱点を抱えていました。
彼女にはその弱点をついて、主婦サイドに立った生活提案をし始めたのです。消費者である主婦の欲求を素早くとらえ、それを企画に反映し、ベテラン主婦の販売員による購買者の主婦の説明‥‥。設立五年にして、四名の企画スタッフと一六〇人の販売アドバイザー(契約社員)を抱え、年商二億八千万円に達するということです。
「主婦でもできる」から「主婦なればこそできる」へ
(株)ツアーエスコート協会社長三橋慈子さんも、家庭の主婦として育児や家事を専念していました。彼女は元スチュワーデス。子どもに手がかからなくなった時、過去に培ってきた能力を生かした仕事をしたいと、添乗員派遣専門会社を作ったのでした。
旅行添乗員もまた、完全に男に占められていた世界。しかし、その中で女性が多くなった現実を反映して、女性の添乗員が求められてきたのです。しかも海外渡航サービスは、より専門的な能力を要する高度なサービス分野です。女性なればこそのきめ細かい配慮と高度なサービス、それは業界で求められているものでもありました。
現在社員は二六名、七〇〇〇人の派遣登録者がいます。年商五億円になるそうです。
“いい女”になっていくための五つの条件
最近は、高齢化社会の到来が論じられますが、今の中年女性はそのピーク時に老人になる人たち。彼女たちの関心は、そのために中年期をどう生きるかに集まっています。
中年期からよういすることとして、何があるか問われれば、私はいつも、”経済・健康・精神”を挙げるのですが、とくに”精神” ――つまり、ものの考え方が大事だと思っています。
親子のかかわりにしても、夫との関係にしても、女の老後の長い道程(みちのり)を越えるために、しっかりと中年期に自分を確かめておくことが大切なのです。突き詰めていえば、いささか抽象的ですが”いい女”になっていくことだと思います。
では、いい女になるためには何が必要なのでしょうか。私は五つの条件が必要だと思っています。
まず、想像力が豊かなこと、第二に好奇心があること、第三に社会や集団のルールを守れること、第四に自己愛のあること。第五には他人の痛みがわかること。
豊かな想像力というのは、人間関係においても、相手の状況や感情の動きに敏感な感性を働かせるということにつながりますし、発想の新鮮さをも意味しているでしょう。
また好奇心は、物事をやるときの基本的なエネルギーとも言えるもの。ルールを守るこということは、たとえば時間を守るとか責任を果たすとか、社会に出ていくための最低のマナーです。
自己愛というのはいささか危険なのですが、自分を愛せない人は他人をも愛せないし、自分が大切だと思って生きていくことの清々しさにつながります。セルバンテスは、ドン・キホーテに「自分を愛するといことは、未来の自分を愛するということなんだよ」と言わせていますが、まさしく未来の自分を愛する力が、その人を変えていきます。
五番目の痛みが分かるといこと、多くの人間は自分の痛みには敏感でも、他人の痛み(夫の痛みも入ります)には鈍感だということであり、さらには、自分の心の痛みに付きあうことによって、他人の痛みもわかってくるのではないでしょうか。
“いい女”の五つの条件は、私が私のために考え出したものです。人には、それぞれ自分のための”いい女”の条件というものがあるはずです。中年期には、そこを一度チェックしておくことも有効だと思います。と同時に、これは”いい男”の条件にも当てはまります。
いい男がいないからいい女がいないのか、いい女がいないからいい男がいないのかはわかりませんが、”いい男”がいないのは事実です。男もまた”仕事””会社”以外に、本当の意味での”いい男”としての自らの存在価値を求めない限り、妻から捨てられるのは、やはりやむをえないことでしょう。
私が考えた”いい女”というのは、一言で言えば、深い内面的な自己啓発力というものを心掛ける活動的な女、ということになるでしょうか。働くにしても学ぶにしても遊ぶにしても、その多様な行動形式の中に一本筋の通っていなければならないと思います。
私は、職業を持ったり、なんらかの社会参加をすれば、それで「人生」は満たされ、生き生きした毎日を送れるとは思っておりません。最近は、外に出ることが、一つの女の生き方のファッションになっている感もありますが、仕事をすればまた、それなりの虚しさに付きまとわれます。
私自身、勤めている間、いつも「これでいいのか」という疑問を持っていましたし、それは今でも根強くあるのです。ですから、私にとっての”いい女”の条件を作り出して、それに向かって歩いているようなものです。
つまりは、自分の方向付けであり、各人がその心の内なる羅針盤を持たない限り、満足は得られないものと思っています。キザに言えば、ロマンというものかと思います。今一番求められているのは、妻が生き方にロマンを持つことではないでしょうか。
「心を軽やかにするのは、一見無益に思われるもの」
遊ぶことも大事だと私は思っています。よく子供の入学式などで、一生に何回着るかというような着物を作ったりする人がいますが(一式そろえれば、最低でも五〇万円くらいかかるでしょう)。なんともったいない。それだけのお金があればパリかローマで一週間遊べると、いつも思います。
今は旅行ローンもある時代、大金貯めて老後旅行しようなどと考えるよりも、若いうちに貧乏旅行をちょこちょこやっておいたほうが、たとえば三十五歳で旅行すれば八十歳で死ぬとして四十五年間思い出を楽しめるというものです。
一週間くらい家を空けたからといって、何ほどの迷惑になるというのでしょう。それによって家族が餓死するのなら別ですが、そんなことはまずありえないことでしょう。
また、日本も知らないのに外国なんて、と言う人もいますが、国内旅行はそれこそ年を取ってもできるというもの。外国旅行は体力が要るのですから、順序にこだわる必要はありません。
歴史や芸術を知らなくても、ただボーッと街を見てくるだけで、感じ方、考え方が違ってきます。自分にアクセルをかけるためには、一見浪費に近いことをやってみることも大切です。
レマルは『愛する時と死する時』の中で、
「心を軽やかにさせ、意気軒昂(けんこう)とさせるのは、いつでも、思いがけないもの、必要を超越するもの、不必要なもの、一見無益に思われるもの」と語っています。
おしゃれをし、身を飾ることも、心を軽やかにしてはくれますが、モノを持つよりも思い出を持つ、結局、人生とは思い出を作り上げていくプロセスなのではないでしょうか。たくさん思い出を持つ人が、精神的にも豊かな老後を迎えることができるし、思いで作りに励むこともまた”いい女”につながっていくことだと思います。
つまり心のおしゃれです。
要は、主婦という枠組みをいかに利用し、未来の自分を愛するために、現在の”時”をいかに活用するかにかかっています。時間が細切れだとか、子どもには母親が絶対的なものだとか、夫が許してくれないとか、ほかに理由を見つけていたのでは解決にならないのです。
主婦の”時間が細切れ問題”は、多く語られることですが、『自分育てのすすめ』の著者・佐藤綾子さんは、こう述べています。
「男の人は机に向かわないと勉強じゃないと思っていますが、主婦にもその傾向はあるようです。でも、主婦も『時間が細切れ』と嘆いていないで。それを気分転換にして、ある時は英会話、ある時は読書、ある時はレコードと、できるじゃないですか」
時間が細切れだからこそ、それを逆利用しようというのが彼女の提案です。家のあちこちにカセットや本や絵本を置いておく。と、ちょっと時間のある時パラパラとめくってみる。頭の切り換えと気分転換とが同時にできるわけです。
よく、ヒマがないと言いますが、ヒマはヒマとして湧いてくるものではなく、作り出すものだということを忘れないでほしいのです。
「ネット・ワーク家族」とは何か
これからの社会は、ますます女の力、つまり主婦の力を活用していかなければ、成り立たなくなっています。現実に、働く女は、一部の有能な女や家庭生活を犠牲にした女だけでなく、主婦の力を発揮した仕事をはじめています。
ところが、今なお根強い男女の役割分担意識が男の側に強く、男と女の意識にギャップが多くの悲劇の原因となっています。「男にとって都合のいい女、男が思う”いい女”がいい女」と、自らに枠をはめてしまう女も後を絶ちません。
その結果、満たされない中年期を送る妻の姿は、これまで見て来たとおりです。女が生きていくうえでは、女自身が新しい発想で自分自身のための証明書を作っていかなければならい時代、そして女が男を変える時代にもなっています。
昭和三〇年代後半から突っ走ってきた高度経済成長政策は、たしかに豊かな社会を作り出しましたが、その中枢的働き手であった夫たちから、生きてこの世にあることの情緒を欠落させてしまいました。
妻たちの家庭の中の呻(うめ)きは、この情緒欠落社会のひずみから生じています。上村さんのように妻が行動することによって、夫を変えることが大切なのです。
それでは、夫と妻とで作り上げる家庭というものの様相をも、また変えていくものです。
『家庭のない家族の時代』(ABC出版刊)の著者小此木(おこのぎ)啓吾氏によると、現代の家族は四つの類型に分かれるそうです。
ホテル家族(家族のみんなが家庭をホテルだと思っている)、劇場型家族(家族の一人一人がよき夫、よき妻、よき子の役割を演じて拍手を得ようとする)、サナトリウム家族(病気や不幸な目に遭うのではないかと心配し、家庭を癒すところ)、要塞家族(自分たち家族だけが正しく、周囲を攻撃し、非難し軽蔑することで団結)の四つで、これらは、家庭を美化し、理想を求める幻想家族でもあるのです。
氏は、家族と血縁と契約によるものであり、アメリカの離婚・再婚の実態から、五つ目の家族として”ネット・ワーク家族”を挙げています。これは、まさに家庭のない家族の出現で、この家族の基本は、家族一人一人のヒューマン・ネット・ワークの大切さだと言われています。
つまり、家族とは形にこだわらなくとも、お互いの心が結びつきさえしっかりしていればいいのではないか、とする考え方です。新しい家族の形として、ともすれば形骸化した家庭を守ろうとしかしない我々に対して、新鮮な発想を与えてくれるものです。
“平和なる別居(ピースフル・セパレーション)”を実践する夫婦
もうすでに、このネット・ワークの家族を実践している夫婦がいます。
弁護士であり東京家政大学教授の金城清子さんは、沖縄で仕事をする夫とは別居して、東京で二人の子供とともに仕事をしています。妻が夫を残して上京してきたのでした。
《告白42》「お互いに一回きりの人生、可能性を求めて生きることは大切なのではないでしょうか。夫にはつらい思いをさせるな、と胸の痛むこともありますが、それぞれの生き方を大切にする上では、二人一緒でなくていいのではないでしょうか」
この「平和なる別居」には、夫の睦夫氏の頭の柔軟さ、妻を尊敬する気持ちの大きいことが成功のポイントになっています。彼は言います。
「そりゃ病気の時なんて寂しいし、男のメンツというようなことで冷やかしの目もありますよ。だけど、愛情というのは拘束することはないでしょう」
私はこの夫婦に会って、妻の生き方の真摯(しんし)さと同時に夫の大きさを感じたのですが、やはりその底にあるのは、お互いの”人間”を大切にしようとする気持ちです。人間としての”個”を大切にするうえでは、ネット・ワーク家族にならざるを得ない場合もあるし、別居していることで愛情が深まるということも多いはずです。形にこだわらない、新しい夫婦像ともいえるものです。
お互いの生き方を大切にして、人生のうちでも一番実り大きい中年期を頑張って生きていこう。晩年になって「あなたのために犠牲になったのよ」ではなく「お互い楽しい人生だったわね」と言い合えるような夫婦になろう。これが金城夫妻の考え方であり実践です。
人生八十年時代の長い一生において、中年期に”平和なる別居”をすることも、夫婦の一つの生き方です。しかし、あくまでも形にこだわらない点においては、”同居の中の平和な別居”もまた、あっていいはずです。
自分自身の精神世界をそだてあげるために、妻がそれなりの活動の場を求めるのもお同じことだと言えます。同居の中のネット・ワーク家族です。
いろいろな夫婦の形、いろいろな家族の形があっていい。社会通念に惑わされずに、仲間を求め、笑いを求め、いきいきと生きていく。その基本はお互いの心がつながっていることです。それがネット・ワーク家族のネット・ワークたるゆえんであり、
今、女は勇気をもって、自分が一番納得できる世界を作り上げていくことが大切なのではないでしょうか。離婚であろうと、キャリア・ウーマンの道であろうと。方法はともあれ、自分に忠実に、自分に誇り高く生きない限り、長くなった女の一生は過ごしきれない、というのが、私の実感でもあります。
私は大学を卒業する時に、主任教授であった結城錦一先生(現・中京大学名誉教授)から、こんな言葉を頂きました。
「君たちは大学を出たからといって、何様になったと自惚れてはいけない。この四年間君たちは、学問の学び方を学んだだけなんです。本当に学ぶのは社会に出てからなんですよ」
この恩師の言葉は、その後の私を支配し続けているように思います。妻であり、母であり、働く女‥‥。自分の人生に責任を持っていたいと願いつつも、常に迷いや煩悩の中にいる私にとっては、羅針盤ともなる言葉です。それは、私自身の生に対して、いつも密なる決意をせまるものでもある、と言っていいかもしれません。
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