子どもへの愛と束縛感に葛藤しつつ妻の座の正体が見えてしまった。家庭だけで生きていくことに焦りを覚える。どうしたらいいのだろうと惑いの中にある妻にとって、強い足枷(あしかせ)になっている子どものことです。

赤バラ煌きを失った夫婦はセックスレスになる人が非常に多い、新鮮な刺激・心地よさを与える特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致を改善しセックスレスになるのを防いでくれます。

第七母性愛神話からの脱出

本表紙 沖藤典子 著

――子育てと職業・社会参加は矛盾しない

1・三歳児神話の崩壊

――子育てと職業・社会参加は矛盾しない
1・三歳児神話の崩壊
子どもへの愛と束縛感に葛藤しつつ
 妻の座の正体が見えてしまった。家庭だけで生きていくことに焦りを覚える。どうしたらいいのだろうと惑いの中にある妻にとって、強い足枷(あしかせ)になっている子どものことです。

《告白25》「子どもは可愛いの、でも子育ての間は、女にとって何もできない時期なのね。毎日の時間は細切れで集中できないし、常に中断させられて思うようにならないのよね‥‥。ときどき、子どもはから解放されたいと思うの。一人になって、自由に好きなことをやってみたいわ」

 出産によってデザイン会社を退職した主婦は、家でデザインの勉強をしようと思っても、遅々として進まない苛立ちをこう述べています。

 このように、子どもと自分のやりたいこととの板挟みになって悩む主婦がいるかと思えば、一方では、子育てに熱中して満足しきっている女もいます。

《告白26》「赤ちゃんがうまれて、こんなに可愛ものかと初めて知ったのよ。もう夢中ね。赤ん坊を人に預けて働きに出たいとか、子どもが居るから何もできないなんてイライラする人の気持ちがわからないわ」

 母――この言葉は甘い響きを持つものです。あどけない目で、じっと母親を見つめる赤ちゃんの深く澄んだ瞳の可愛らしさ。プクプクした頬のなんという柔らかさ。ミルクの匂いに包まれた体は、世の何ものにも代えられない宝物。その自分を頼りきっている小さな命に、母親は責任を感じます。

 子どもへの愛、そして子育ての間のそこはかない束縛感。この二つは割り切れないままに女の葛藤を深くします。どちらも本当にあるがゆえに、回答を求めて女は考えあぐねています。

 昨今、女への共働きの風当たりは少なくなり、新婚家庭の妻の半分は職業を持っています。

 けれど出産となると、それを機に辞める女は依然として多いのです。意識調査を見ても、「子どもができたら退職して、子育て終了後に再就職するのがよい」が、四割の支持を得ています。

 この考えの底には、子どもは母親が育てるもの、とくに三歳までは、母親がいかに育てるかによってその子の将来が決まる、とする”三歳児神話”が根強く流れています。さらには、子供への絶対的な愛情がそれに拍車をかけます。

“母親”と”母”は区別して考えよ

働く女の場合は、職業意識や環境も大きく影響します。女の第一児出産期、二〇代後半の頃は、勤めていてもたいしておもしろい仕事はできません。この会社に一生勤め続けるのかしら‥‥と、職業観に自信がないし、将来の展望も見えにくい。

だんだん居づらくなってくる雰囲気の中で、産休を取ってまで働き続けることにどんな意味があるのかに悩みます。仕事はレベル・ダウンし。

周囲の目も厳しい。体もつらいうえに子どもは可愛い。こんな時、女は「三歳までは母親が育てるべきだわ」と三歳児神話に精神の救いを見出して辞めてしまう女が、あとを立ちません。

《告白27》「私自身も二人の子供の子育ての間、職業と愛情の板挟みで悩みました。周囲の人たちからは『お子さまがかわいそうに』と言われ、実際、可哀そうな思いもさせました。

会社の仕事も大して能力があったとも思えず、人間関係にも傷つき、何度辞めようと思ったかしれません。仕事にも育児にも中途半端な自分を思うと、これでいいのか、その問いかけか、いつも私を苦しめました」

 過日も三歳児を持つお母さんの集まりで、
「子どもは三歳までが大切だといわれますけど、ずっと働き続けてよほど仕事がおもしろかったのでしょうね」
 と言われたのですが、仕事などおもしろいわけがありません。会社のトイレで涙をこぼしつつ乳を絞り、こんな思いをしてまでどうして働こうとするのか、自分の心を探りあぐねて泣きました。ただ、その時の私には”子どもは可愛い”だけでは生ききれない、自分の世界(それが仕事かどうか分からなかったのですが)を持ちたい、という強い願望だけが支えでした。

 強いて女に関していえば、この二〇代後半の職業生活に明確な展望を得られない時期に、出産・育児が重なります。そして、保育環境の問題や「子どもがありながら‥‥」とする今なお冷たい社会の眼、さらには女自身の中「子どもに可哀想な思いをさせてまで‥‥」という思いの葛藤に巻き込まれるのは、本当に残酷なことです。

 男のように「この道一本」と思い定めることができず、職場の中の男女差別に将来の展望も得られず、いっそのこと育児に専念すべきではないか迷います。

 けれど女の一生を考えた時、この二〇代後半にどう生きるかによって、中年期以降の女の生き方は大きく違ってくるように思うんです。この時期大いに叩かれ自分を鍛えていった女と、そうでなかった女とでは、やはり差がでます。二〇代はまだ頭も柔軟、体力もある時期、まだ人生のスタート期にあって、社会的にも生き方においても、成熟しきるには早すぎます。

 この大切な時代を、子育てだけで明け暮れて、しかもそれに満足できるならいざ知らず、そういう自分に疑問を持ちながら時間を過ごすことは、なんともったいないことでしょうか。

 それでは、女の生き方を拘束している“三歳まで“とは、どう考えたらいいのでしょうか。

 三歳児神話に対しては、多くの議論が寄せられていますが、要は、赤ん坊をしっかりと抱きしめて、母の愛の豊かさを肌で伝えていくことの大切さ、ということに尽きると思います。

 それで、必ずしも母親の手である必要はありません。
 私には常に、”母親”と”母”とは区別して考える必要があると思っています。母親の部分は代行者で可能ですが、母であることは一生責任を負う部分です。

いい保護者に母親を代行してもらえば、子どもはけっして情緒不安定になったりはしません。むしろ一日子どもに振り回されて欲求不満に陥り、それを子どもにぶつけているイライラしている母親(最近非常に多いのですが)のほうが、子どもにとってずっと危険です。さらには、母親であっても、母親たり得ない女もいます。

 働き続けた私への娘からの回答

 二〇代は女が一番伸びる時期です。この時代に大いに自分を鍛えていくのだと、自分を育てることは貪欲である必要があります。

それは、一生背負う”母”たることのためにも、大切な準備期間なのです。子育てとは、子どもを育てていく。それと同時に、自分を育てていく「育ちの分かち合い」であると、私は思います。それが、私を勤めつづけさせたエネルギーでもありました。

 けれど現実には、保育条件がよくなかったり、夫の非協力による体の疲れ、職場における位置づけの不安定など、女には迷いが付きまといます。何よりも大きいのは、前にも述べたように子供可愛いと不憫(ふびん)さ‥‥。

 これを乗り越えるには、自分はいい母親だと思っているお母さんよりも、自分はいけない母親だ、子どもに不憫な思いをかけていると思い、心に痛みを感じているお母さんであってもいいと自分に言い聞かせることだと、私は思います。自分の中の至らなさ、未熟さを知っているお母さんのほうが、はるかに母としての愛は大きいものだといえましょう。

 現代の子どもの不幸は、あまりにも母親が子供に幸せを与えようとし過ぎるところがある、と私は思っています。子供を、幸せに、幸せにと思って育てた結果、不幸や悲しみを知らない心のいびつな子供に育っているのです。それが子供の心を弱くし、他人の痛みがわからず、自分の困難に耐性のない子供を育て上げています。

《告白28》私自身も、娘二人を赤ん坊の時から他人の手で育てています。彼女たちも朝別れを泣いていやがり、母親が留守であることの淋しさを味わって育てたと思うのです。

「どうしてママは会社に行くの、お家に居て」
 と泣かれたこともあります。二人の娘の育ち具合いは、可もあり不可もあるというところ。けれど、とくに情緒不安定でもなければ、家庭内暴力や校内暴力を起こすような問題児ではありません。過日、上の娘がこんな短歌を私のために作ってくれました。

 幼な子の伏せる姿を後にして
      家出る我を鬼かとぞ思う
 そして、この短歌には「二〇年前のママを思って。辛かったでしょうね。ごめんなさいね」というコメントがついていました。
 
 この際、歌の上手下手は問題でありません。なんと心の優しい豊かな感性の子に育ってくれたのだろう。かつての日、トイレで乳を絞ったことを思い出して、私は涙ぐみました。

 私が出産したのは大学四年生の秋、卒論書くにも背中におぶって机に向かい、卒業後、共働きの生活では膝下に預けたの、保育ママに預けたりしました(それも、本当に素晴らしい人にめぐりあうまで三人も変えました)時には反抗に手を焼き、勉強の不出来は働いているせいかと悩みました。

 そして何度も、この子のために辞めようかと思いつつ育てきた娘の、二二年後の母親への回答がこの歌でした。

 彼女にとって、母親は長いこと反面教師でした。母親のようになりたくない、私は平凡なOLになって、平凡な主婦になると言い続けていたのですが、OL生活を二年やり、二十三歳にして、やっぱり”自分”というものを助ける専門職がないと駄目と気が付いたようです。

今アメリカの大学に留学していますが、子どもはいつか母の姿から学ぶものだと思ったことが、遅まきながら実現しているように私は思います。

2・過保護、偏愛。マザ・コン

 女が女の不幸を再生産していく悪循環

 女は母性愛というものを取り違えているのではないでしょうか。何か漠然とした”母親”なるもののイメージだけで、自分の”母性”のありようを確かめることをせずに、その美しい言葉に酔ってしまってはいないでしょうか。

 子のために自分を犠牲にする。母として身を捨てた愛。女はそうした自分の姿に甘え切ってもいるようです。

 母の愛というものは、子どもにとって成長するための太陽の光ですが、他人の言葉に左右されず、光の注ぎかた、自分なりの光、そういうものにもっと自信を持っていいのではないではないでしょうか。

 子育てに迷いと悩みの連続、三歳過ぎればそれでいいというものではない。むしろ、子どもが思春期を迎えた頃の夫婦の姿の方が、ずっと重要です。そのために、いかに自分が”母”になっていくか――だからこそ母になることは簡単だけれど、母たることは至難の業といえるのです。

 このあたりは、モーバッサンが『女の一生』の中に書きつくしています。夫に裏切られ、夫の愛を求められない代償にこどもを愛した末、その子に裏切られていく‥‥。これは現代にも通用するはなしです。

 さらにはチエホフが『可愛い女』の中で、芝居演出家と結婚すれば芝居の話ばかり、材木屋と結婚すれば材木の話ばかり、そして心を寄せる男が子供を連れてくれば、今度はその子に熱中して、どこにでもついて歩く女の姿を描いています。

その子が、夢の中でさえ「うるさい、あっちに行け」と怒鳴っているのも知らずに、子どもへの愛に溺れきっている”可愛い女”の不幸‥‥。

 今、多くの女が、母性愛だけでは一生を生き通せないことに気付き始めました。
 昭和初め頃、子育ては一八年間でしたが、今はせいぜい八年間です。そこから、子育て終了後をどう生きるかが女の大問題となってきているのですが、

こうした実態の変化に、男はもちろん、当事者の女でさえ意識がついて行っていないのです。それによっていろんな悩みが起こってきているのです。

 その最たるものが三歳児神話で、子どもにたっぷりと愛情を注ぎたい。そうでなければならないと思いつつイライラしている。そして、子育てを理由に何もしないでいるのが、多くの母親の実像です。さらには、子どもに対して過剰な愛情を注いでいる母親もいます。

 一般的に言われるように、家庭を省(かえり)みない”仕事”あるいは”つき合い”一途の夫への不平や不満、さらには夫と心が離れ離れになった淋しさが、子どもへの愛情をかきたてます。

 夫に求められないものを子どもに求める母親の、なんと多いことでしょうか。
 勉強のできるいい子になってほしい。こう願わない母親はいないと思いますが、その”いい子”へのあらゆるイメージを子どもに期待し、育て方しだいと張り切ってしまうのです。

 それが、歪んだ母子一体感を育て上げます。子どもに対してなんでも親の言うがままになってほしいと願って育てる。そして、子どもとって母親の愛情こそが、世のすべてに優(まさ)ると信じた結果、とくに男の子では、母子分離のできないマザ・コン夫を育て上げることになる、と言っても過言ではないのです。

 マザ・コン夫に失望し、夫にも姑にも嫌悪感を抱く妻は、けっして2章に登場してきた妻ばかりではありません。一生懸命子どもを可愛がって育て、その子が次の世代の女を悲しませていく。

 このままでは、女が女の不幸を再生産していく恐るべき悪循環が、絶えることなく続くのではないでしょうか。

 なぜ、母親は娘より息子を偏愛するのか

 母親と一緒に風呂に入る夫、家に帰ってくるなり母親の部屋に閉じこもってしまう夫、どんな理不尽な話でも母親の言うことには絶対服従の夫。こういった異常なまでの母子の愛情の関係の緊密さ。さらには、受験期の息子の情緒不安定にと、セックスの相手を探してくる母親までもが出現し始めました。こうなってくると、女の性とは何なのか、母性愛とは何なのか、あらためて問い直す必要がありましょう。

 私の独断と偏見で言えば、男の子を持つ母親は、自分以外の女の性には残酷です。私の友人で、二人の男の子を持つ母親が言いました。

《告白29》「私、売春防止法は悪法だと思うのよ。うちの息子のセックスはどうなるのよ」
 彼女は、婦人問題で活躍している著名な女性です。もしかしたら、友人の気安さで言ったのかもしれませんが、その時の?然とした思い。これが男の子を持つ母親のホンネか、と思ったことは忘れられません。

 また、男の子を持つ近所の主婦から、こんなことを言われたことがあります。
「おたく、女の子さんでいいわね。無理して勉強させなくたっていいじゃない。なにも公立なんか入れなくたって、女子校いくらであるでしょう」

 そのとき、ちょぅど上の子の高校入試が控えていた時でしたので、これも我が子の公立高校への競争率を下げようとする彼女の母心かと思ったのは、私の勘繰りでしょうか。

 男の子なら一生懸命育てる。セックスの心配までして、いい学校、いい会社、いったい、これらの母の心の中には、どのような魔性が棲んでいのでしょうか。

 アメリカの育児時間の調査でも、男の子は女の子よりも二倍近く接触時間が多いという結果があります。男の子は大切に――将来、立派な人物になってもらうために‥‥。そして母親は、○○さんの母堂と呼ばれたいために。

男女の役割分担の不公平さを作り出しているのは、女自身でもあるのです。しかし、はたして”大きな坊や”製造機が母性愛というものでしょうか。

 もっと最近は、男の子にも家事を執拗とする母親が増えてきました、私は、子どもの教育において最も必要なのは、家庭観教育だと思っています。また、それと同時に性教育、それも単なる性器教育ではなく、男と女の性のなんたるか、男と女が作り上げる家庭とは何か、その考え方を教えていく必要があると思うのです。

 最近、高齢化社会の到来とともに、嫁の世話になりたくない。やっぱり血を分けた娘の方が優しいし、気兼ねなくいいという母親も多いのですが、将来はともかく、現在では、不公平に育てられたという恨みのためか、母親の面倒を見るのを拒否する娘が数多く出現しております。

 ある娘は言いました。
《告白30》「兄たち二人は大学に行かせてもらえたんです。でも私は高校止まり。家が貧しかったから仕方ないとは思うけど、その口惜しさは忘れられませんよ。それに女の子ということで、小さい時から家事をやらされて遊ぶ暇もなかったもの。それがなんで、今、私が親の面倒を見なくちゃならないの。冗談じゃないわ」

 まさに育て方のツケが回ってきたようなものです。
 女の子を尊重せず、男を偏愛する。その結果として、自分自身も次代の女を不幸になっているのです。

3・子どもにとって「母の犠牲」とは何か

「子育てが終わったら‥」では、何もできない

 子どもに対する過剰な愛情のもう一つの側面として、自分がやりたいこともやらずに、犠牲になってしまったとする心理があります。

あたかも自分が果たせなかった夢の代理戦争を生きる者、とする期待です。これもまた、母が充分な人生を生きてこなかった世間知らずからくるものなのです(もっとも、子育てにおいては、ある程度の親の期待が子供を励ますことにもなり、そのバランスは難しいところもありますが)。

 子どもが聞かされて一番いやな言葉として、「お母さんは、あなたの犠牲になったのよ」があると言われてますが、これからの母親は自分が犠牲になることもなく、子どもを犠牲にすることもない生き方を求めなければならないのではないでしょうか。子供を一人前の人間として尊重することは、母親自身の人間がしっかりいなければできません。

 働く母親には、悩みも多いでしょうが、”子育て”の美化に騙されることなく働き続けてほしいと思います。

 けれど一方では、先に述べたように、保育の環境の悪さや、安心して預けられる保育者のいないなどによって、辞めざるを得ない母親もいます。その挫折感は大きいと思いますが、子どもか手が離れるのをじっと待って、新たな計画を立てている母親もいます。

《告白31》「子どもに手がかかる間は、しっかり可愛がって育てようと思うんです。でも、将来は女性史の勉強をしたいので、今のうちから本を読んでノートを作ったり、少しずつ勉強しているんです。子育ての間にできることはありますから」

 私は、子育てが終わったら何かやろうと考え方は反対です。体力・気力のある二〇代のうちに人生の基礎を作るべきだと思うからです。車だって、いきなりハイトップでは走れないではありませんか。ギアーをローに入れ、セカンドに入れてハイトップになるのです。

 子育て中の二〇代は、その意味でロー・ギアーの時代。この主婦のように、少しずつ何かをやっておくことが子育て終了後の生活を豊かにします。さらに、再就職を考える主婦には、有利な条件を少しずつ積み重ねておくことも大事なのです。

 自分も子供も犠牲にしない生き方をするためには、保育園なども、もっと専業主婦のために解放され、時間預かりなどしてもいいと思うんです。子どもは母親だけが育てるものではありません。若い母親を子どもから解放しなければ、中年期以降の女の生き方はますます惑いに満ちたものになるのです。

 子どもへの愛が、ある日突然、憎しみに変わる

 母性という物に対する考え方は、時代や状況によって変わってきています。武家社会では、子どもは乳母が育てました。母親の役割と母の役割が区別されていたのです。

 今、私たちが考えなければならないことは、三歳児神話にしてもそうですが、世の社会通念とか常識に振り回されずに、自分の生き方に目を向けることです。

母性の中には、子どもを育てること、自分を育てることの二つが、二重構造になっていることを知る必要がありはしないでしょうか。この二つとバランスよくつきあっていくことが、ある日突然に母性を喪失する危険を、未然に防ぐことになると思います。

 女の中には、子どもより自分が大事だとする気持ちが必ずあります。それは、育児天職論や、育児こそが女の輝かしい仕事だ、とする枠の中に押し込めてしまうことのできるものではありません。

 その典型が、八人の子を捨てて駆け落ちした私の母の例にみられると思います。子どもゆえに自分を抑えに抑えてきた忍耐が、その子どもすら捨てさせることになってしまったのです。子どもよりも恋を選んだ四〇歳の母は、生きる上で、子どもは支えとはならないことを知ったのでした。

 子殺しや母子心中なども、女の中にある二重構造を無視してしまった結果ではないでしょうか。ある子殺しをした母親は、こういったそうです。

「子ども、子どもで、私の人生には何もないじゃないの」と。
 この話をしてくれた精神科医は、

「子どもだけで生きて来た女の人は危険ですよ。自分の中ある欲望や、やりたいことを認めていかないと、ある日突然に、子どもへの愛が憎しみに変わることだってあるんです。子どもを邪魔物でしかないと思う時が来るものだ、と知っておいた方が利口ですね」

 これまで女は、女を取り巻く家庭や母性に素直に生きてきました。それは、外の枠組への素直さ、他人への素直さでもありました。その中で圧(お)し殺してきたのが自分への素直さ。セルバンテスは『ドン・キホーテ』の中で、主人公にこう言わせています。

「人生を素直に生きてきた人の不幸を、たくさん見てきた」と。

何度も言うようですが、今、女たちが抱えている妻の座の虚しさや離婚願望、これらも、もとをただせば二〇代後半の頃の育児期に、自分を育てることを忘れてしまったところに要因の一端にあるのです。

 夫の育児参加も子どもの不幸、女の不幸を大きくしています。家庭で子どもを育てるのは女の役割だと、父たることの存在を示すことを忘れてしまっている多くの夫たち。けれど、こうした夫を育て上げているのも、実は女なのです。

 子育てというのは、つきつめれば男とは何か、女のとは何かを常に問う作業であり、広く社会や時代の動きに関わっていくことから、初めて可能になるものでしょう。

 子どもは可愛くて大切なものだ。そう思うのは当たり前のことです。それを思う気持ちと職業や社会参加をしていく行動とは、何も矛盾するものではないし、子どもに与える悪い影響ばかりを採りあげる必要もありません。要は、母親が「人生」を生きていくこと、そして、その姿を子どもに見せることではないでしょうか。

=妻の生き方を考える資料=

女性の性意識(資料:モア・レポート)
●セックスをどんなことと結びつけて考えるか
 愛―――――4.250人
 快楽―――3.592人
 妊娠―――2.701人
 結婚―――1.100人
 生殖―――639人
 スポーツ―600人
 出産――――482人
 排泄―――459人
 その他――265人
     (5.422人中・複数回答)
●セックスのとき、パートナーと心が通い合っていないと思うことがあるか

 よくある―――――7%
 ときどきある―――46
 な い――――――43
 無回答――――――4

●性交に肉体的不快感をもったことがあるか
 よくある――――――5%
 ときどきある――――26
 ごくまれにある―――36
 な い―――――――29
 無回答―――――――4

つづく  第八
 4章”女の桎梏(しつこく)”を乗り超えた妻たち
―――”夫に養われる身”から”自分に生きる”女へ