家に帰りたくない、このままもう一度電車に乗って何処かに行ってしまいたい。そんな思いを?み殺すようにして久美子は家路をたどります。

ピンクバラ煌きを失った夫婦はセックスレスになる人が非常に多い、新鮮な刺激・心地よさを与える特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致を改善しセックスレスになるのを防いでくれます。

第四共通の目的を持てない苦悩の末に

本表紙 沖藤典子 著
〈ケース・4〉共通の目的を持てない苦悩の末に
 夫・幸村鉄夫 三十九歳 大卒 家電メーカーの営業マンを経て独立 妻・久美子 三十九歳 短大卒 結婚十五年 少女時代に両親が離婚 現在化粧品の訪問販売で年収四五〇万円 長女・満代十四歳

 愛するより愛される方が幸せだと思った

「女って淋しいものなんだわ」
 ふと口を衝(つい)いて出たその言葉に、久美子はわれながら驚いて身を震わせました。

 化粧品のセールス・レディとして一日を歩き回り。私鉄の駅に降り立つと夕暮れの雑踏の中に、一人ぽつんと佇んでいる自分を見出します。駅前商店街を急ぎ足で通り過ぎる人や、買い物に立ち止まる勤め帰りの女たちの姿が、華やかで眩しい…‥。

 家に帰りたくない、このままもう一度電車に乗って何処かに行ってしまいたい。そんな思いを?み殺すようにして久美子は家路をたどります。来年中学三年になる娘のことを思うと、その受験期の大切さゆえに、母親である自分がしっかりと守ってやらなくちゃと、気を取り直すのでした。アスファルトの固い表皮の奥深くに、体がのめり込んでいくような思いけだるさを持て余しながら…‥。

 寺村久美子が鉄夫と結婚したのは十五年前、二十四歳の時でした。彼女自身今の化粧品セールスを始めて八年になります。

 鉄夫とあるメーカーの秘書課に勤めていた頃、営業マンだった彼と自然に口を利き合うことで付き合いが始まりました。

 小柄で色白、チャーミングな笑窪(えくぼ)が頬に広がる久美子は若手社員の注目の的、その彼女に群がってくる男たちの中に鉄夫もいました。

 勤めて三年ほどして、久美子はある事情で他の会社に移ったのですが、その頃から鉄夫の猛烈な求愛が始まりました。

 夕方、会社を出ると玄関の前に鉄夫が待っています。雨の日も風の日も、じっと自分の出てくるのを待っている長身は、久美子の胸にも、求められている女の誇りをそこはかとなく満足させるものがありました。

 その頃久美子には、つきあっていた男がおりました。結婚を前提として身体を許しており、ゆくゆくは彼の妻にと思っていたのです。ところが、その彼には他にも性関係を持っている女が居ました。

「私だけではなかった‥‥。なんという多情な男だろう」
 その怒りが、彼との別れを決意させたのです。そして思いました。

「鉄夫さんはあんなに熱心に私を求めてくれる‥‥。そのくらい愛されているなら、愛するよりも愛される方が幸せじゃないかしら」

 あの男とのことは、結婚前の青春の思い出。鉄夫に対しては、好きだとか惚れたとかそういう気持ちはないけれども、自分をしっかり愛してくれる人に縋(すが)りついていくほうが、堅実な生き方というものだ。

そう思った久美子の心の中には、結婚というものへの誤算がありました。自分の心の不自然さから目を背けたまま、あたかも心と体の二つが別のものだという壮大な実験をするような思いで、鉄夫との結婚に踏み切ったのでした。

 出産直後に浮気されて母乳があがる

 愛してくれる男との経済的な安定した生活。求められた女の至福の中で、自分の幸せを築いていこう。そうした久美子の心の背景には、父母の離婚という悲しみがあったかもしれません。

 両親が離婚したのは彼女が中学一年生の時、兄と下三人の弟の五人兄弟だったのですが、弟は母のところに留まり、兄と彼女が父について家を出たのでした。その時の父母の争いについては、久美子はくわしいことは分からなかったのですが、母からは、母が働き始めたことで父が家計費を入れなくなったことが原因と聞きました。

 やがて自分が夫にしようとする男も、その父とまったく同じ道をたどるとは夢にも想像しえなかった久美子は、父のそうした無責任さも母を愛していなかったからだ、やはり、しっかりと妻を愛する男を夫にすることが女の幸せだ、と思えてならなかったのです。

 しかし、あとになって、久美子はホゾを噛む思いで振り返ります。
「あの強引な求愛を愛情と勘違いするなんて、結局は私が意志薄弱でフワフワしていたからなんだわ。あなたがすべてだというラブ・レターにも、私は嘘の心で返事を書いていた…‥」

 けれどその時には、久美子は”求められた女”の幸せに酔っていました。あの性にふしだらな前の男に比べたら、鉄夫はなんという誠実さ、ひたむきさだろう。この人こそが私を母と違う人生に導いてくれるはずだ、と。

 久美子のこうした期待が裏切られるのには時間はかかりませんでした。
 結婚、退職、お定まりのOLコースを経て長女を出産したのは一年後でした。

その入院の時、母が久美子の家に行ってみると、女が居たのです。鉄夫が学生時代下宿していた家の嫁なる女でした。それを聞いた時のショック。たちまち母乳があがってしまいました。

「結婚はお互いの信頼が基礎じゃないの。しかも出産は夫婦の共同作業。こっちが大変な時に、許せないわ。女として絶対に許せない」

 以来、夫を見る眼が変わりました。今新たに母としての責任が加わった自分に対して与えられた侮辱を、久美子は忘れることができません。その反面、久美子自身、自分の心をしかと見定めることもせず、一種の自惚(うぬぼ)れで結婚してしまったことへの苦い思いも湧いてきます。この始末は、結局は自分が背負うべきものではないだろうか‥‥。

夫は、妻が愛していないことを見抜いていた

 鉄夫がそれまで勤めていたメーカーを辞めて独立したのもその頃でした。小さいなりといえども会社の経営者に納まったのです。

 最初のうちは事業もうまく進んでいました。赤ん坊を囲んでの豊かな生活は、久美子の心の中にある冷ややかなものを除けば、外面的には幸せそのものでした。

 けれども久美子の心は、どうしても夫に対して開いていかないものを感じるのです。鉄夫は、家では無口な男でした。感情というものが一切表情に出てこないのです。

「この人いったいどういう人なんだろう」
 そうした思いが隙間を吹く風のように、いつも久美子の心の中に吹き荒れています。

「ねえ、あなた、嬉しいの? 嬉しくないの? この食事だっておいしいの? おいしくないの? 何か言ってくれたっていいじゃないの」
「何言ってるんだ。そんなこと言わなくても、夫の気持ちが分かるのが女房っていうもんだろう」
「そうかしら。人間っていうのは、喜怒哀楽を表現しなくちゃわからないものなんじゃないの」
「それはお前が俺を愛していないからだ。まだ俺を好きになれないのか?」

 その鉄夫の一言は、久美子の胸の中の騙そう騙そうとしていた感情に鋭く突き刺さってくるものでした。鉄夫は見抜いていたのです。久美子が自分を愛していないこと、愛そうともしないこと、この点においては鉄夫もまた、この結婚に自分勝手な夢をかけ、それに裏切られた苦しさ、淋しさを味わっていたと言えるのではないでしょうか。

 久美子の会社の前で彼女を待ち焦がれていた鉄夫の情熱も、歳月を経て醒めてみれば、他の女の優しさを求めなければ埋められない、やりきれなさを持つものであったかもしれません。

 一方、事業も三年ほどしてから、経営が行き詰ってきました。しだいに生活費を入れたり入れなくなったりしていました。

 会社の経営はこれからどうなるのか。それとも誰かに貢いでいる女が居るのか。久美子にはわかりません。女の影を感じることもあります。出産のときの夫の浮気相手だった昔の下宿先の人妻に宛てたらしい恋文の下書きを、タンスの抽出しの底から発見したこともありました。

 生活費もろくに入れないというのに、どこに金があるのでしょうか。毎夜グデングデンに酔っぱらって帰って来ます。日曜日には昼間から飲み始めて、ボトル半分は軽く空けてしまうほど酒にひたる夫。平日でも平均すれば十一時、十二時に一万円ものタクシー代を払って帰ってくる夫。夫と妻は一つ屋根の下で、まったく他人のようにして暮らす生活が続いたのでした。

この人には情緒というものがあるのだろうか

 結婚前はよく遊びにも連れて行ってくれたし、飲みにも連れて行ってくれました。誕生日にはネックレスやスカーフなどのプレゼントもあったのですが、結婚後は全くそういうことを忘れて果ててしまったようです。

 夫の趣味といえば、麻雀に競馬。その男だけの社会(女もいるかもしれないのですが、久美子には分かりません)で遊んでいる。久美子は学生時代のサークル活動で児童劇団をやっていたこともあって、相変わらず演劇や音楽会が大好き。

苦しい家計のやりくりの中でも、観たいと思うものを逃したくありません。でも、それを観た後で、感激を語って楽しむ相手がいないのです。鉄夫に話しても「ふん、そんなもの」とばかりに軽蔑するだけです。

 そのうえ、お客を招くようなことがあっても平気で久美子のことをけなします。
「うちの女房は気が付かんもので…‥」

 あたかも女房をこき下ろすのが男の美徳と言わんばかり。とくに、それを女性の客の前でやられると久美子はこたえます。

 生活の細々したことついても、何一つ一致したところもなく、楽しいこともなければ、心ときめかすような喜びもない。毎日が子育てと家計の不安だけ。鉄夫の人間味のない、人の心を無視したような態度を冷ややかに見ている自分に気づいたとき、久美子は結婚という名の恐ろしい罠に落ち込んでいる自分を発見したのでした。

「この人には情緒というものがあるんだろうか。女と一緒に暮らすということはどういうことなのか、まったく分かっていない…‥。そしてまた、この人はいったい生活というものをどんなふうに考えているのかしら。

この人にとって結婚って何のかしら。妻や子の生活を守る、それが最低の男の条件というものがあるはず…‥。会社の経営が苦しいなりに、それなりの生活の仕方というものがあるんじゃないかしら」

愛は醒(さ)めたのではなく、最初からなかった

 いよいよ家賃も払えなくなった時、娘の満代(みつよ)が小学校に上がったのを幸いに、友人の紹介で化粧品のセールスを始めたのでした。

 こんな生活の中で二回妊娠中絶をしました。経済的にも今の状況で精一杯。しかも出産の時にあの裏切り。娘にも弟か妹を作ってやりたいという気持ちなくはなかったのですが、どうしても愛情を持てない人の子はもう産みたくない、という気持ちから逃れなかったのです。
二回とも、人知れず一人で行って堕してきました。

――男はいつもなんとかなるさで始めるが、女は常に、もうこれ以上どうしようもないというところから始める――こんな諺を見た覚えはありますが、まさに働き始めた久美子の気持ちは家賃滞納で退去命令を出されたこの家を動きたくない、その一念からだったのです。

 がむしゃらになって働きました。母に子供を育てていく責任がある。(それは夫にもあるのですが)。そのためには人よりも一軒でも多く回り、一品でも多く買ってもらおう。足を棒のようにして、体全体を疲労に縛り付けるようにして歩き続けました。

 久美子が働きに出ることに対して、鉄夫は何も言いませんでした。それどころか、それを幸いとばかりに一切のお金を家に入れなくなりました。

「あなた、せめて食費だけでも入れてもらえないのかしら。貯金はもうないのよ。こんな生活おかしいと思わない?」
 夫に問いただしても、
「そのうち何とかするよ。今は会社が苦しいんだから、俺の取り分も全部事業に回しているんだ。今に良くなるから」

 一銭の金も入れずに主人面している夫に腹を立てながらも、久美子は鉄夫にそう言われてみれば、彼女もまた今に良くなる時が来るかもしれないと思ってしまうのです。また、鉄夫に対して、生活費を入れられない心苦しさもあるだろうと、ふっといたわりにも似た思いを抱きます。

 こういう久美子の状況を見た、友人たちは、

「どうしてそんな男と一緒にいるの。別れてしまいなさいよ。酒は飲む、女は作る、金は入れない。そんなの男として最低じゃないの。満ちゃんと二人、母子が生きていけるくらいの稼ぎはあるんだもの、別れたってやっていけるでしょう」

 でも久美子は、離婚だけはしたくないと思うのです。父と母の別離とその間に立って悲しかった少女時代を思うと、絶対にやってはいけないことだという気持ちが強い。さらには自分の心を偽って結婚したことが、鉄夫の心を荒廃させてしまったのではないかとする忸怩(じくじ)たる思い。

あんなに情熱的だった男が、こうも変り果てるはずがない。いつかきっと、またあの時の鉄夫に戻るのではないかとする幻のような期待、そんなものが離婚を拒否させます。満代のためにも、家庭を破壊させてはならない。

祖父母、両親二代にわたる離婚は、彼女にいい影響を与えるはずがないと、久美子は歯をくいしばる思いでなんとか生活を立て直していこうとします。

 久美子が働きだしてから、鉄夫とのセックスもなくなりました。いったいどこで何をしているのか、そんな話し合いもなく、夫婦は別々の寝室で一日中口を利くこともなく、そんな日を何日も続けるのが日常となってしまいました。

 三十代後半の男が、一年に二年もセックスなしで過ごせるとは久美子にも考えられません。
 けれど、久美子にはそうした夫の浮気などもういいのです。愛は醒めたのではなく、最初からなかったこと、どうしても持ちえなかったことを思うと、夫が外で女と楽しみごとを持つことも、久美子にとっては贖罪(しょくざい)という気持ちあります。

 そうした夫に憎しみを持ちながらも、憎むことすら禁じようとした自分は、いったい何なのだろうと、疑問を拭えないこともあるのですが‥‥。

 人を欺(あざむ)くことはできても、自分の心だけは欺けない

 久美子にも自分が女であることを確かめたいと思う気持ちがあります。化粧品を扱う仕事なのであれば肌の手入れにも心を配り、化粧も念入り、着る服にも気を使います。鏡に映る自分の姿は、まだ充分みずみずしく、三十九歳の女の最後の香りのようなものに満ちています。

「このまま私の人生は終わってしまうのかしら。まったく他人に等しい夫との枯れ果てたような生活、家庭は洞穴にも等しい暗闇、子供の成長だけが生きがいにしていっていいのかしら」

 涙にじんできます。娘も中学生になると、父親と口を利こうとしません。父親が帰ってくると、さっと自分の部屋に引き上げて、避けてしまいます。父娘の会話もなければ夫婦の会話もない。家庭の温かさなんて何もないじゃないか。いっそ友人の言うように離婚したほうが自分の正直な姿ではないだろうか…‥。

 久美子にも誘惑の手はあります。仕事上のつきあいの老社長は、それとなく離婚して愛人にならないかということをほのめかしたりもします。あるファッション・ショーで知り合った三十歳の独身の男に、ほのかな思いを抱いています。この九歳年下の男に、鉄夫には感じられなかった男のいとしさ、抱きしめ抱きしめられたい命の炎のようなものを感じます。

 けれど久美子は、今はもう男は信じられないような気がしています。男には必ず表と裏がある。男というものは女をボロボロにするだけではないのか。

 どの男も似たり寄ったりに違いない。それならば、せめて満代が高校を卒業するまで今の生活を続けて行こう。その先のこと、誰か他の男と再婚するか、または一人でやっていくか、それはわからないけれど、今はとにかく離婚しないでいれば、いつか鉄夫が責任を取ってくれるではないか。そこのとこに望みを留めておこう‥‥。

 けれど久美子には、いつか決断を迫られる日が来ることへの予感があります。それは、愚かなにも己れが心に背いた結婚、鉄夫を苦しめた結婚への袂別(べいべつ)の時でもあるのです。その日のための準備だけはしておかなくてはならないと思っています。

 今、久美子は、胸の奥から絞り上げるように思っています。人を欺(あざむ)くことはできても、自分の心だけは欺けないものだ。結局苦しむのは自分自身、若き日の未熟であった自分のツケを、今、中年になってしっかりと苦しまなければ、また同じ過ちを犯してしまうのではないか。もう二度といい加減な気持ちで動いてはいけない‥‥。

「愛するよりも愛される方が幸せだ。求められているうちが花だ」
 と世の人は言い、久美子もその言葉を信じた一人ですが、それはなんと偽りに満ちたものだったのでしょう。

 人は愛されることでは幸せにはならない。心から愛さなければ幸せになれない。このことを十五年に及ぶ結婚生活で嫌というほど思い知りました。けれど、それを今になって知るというのも、なんとむごいことでしょう。

 夜のとばりの落ちかかってくる薄明かりの駅頭に立って、久美子は目頭を押さえました。
 家路に向かう自分の姿の影は、そのまま自業自得の嘲笑となって、ぴったりと後についてきます。ひとたび人の妻になるということは、生きることの罠の中に落ち込むこともある。その中でもがけばもがくほど楔(くさび)はきつく突き刺さっていきます。とにかく毎日を生きること、精一杯働くこと、それだけを頼りに久美子は一歩一歩と歩き続けるのでした。

〈ケース・5〉浮気願望とともに、夫の死を願う妻

 夫・大山弘 三十七歳 大卒 妻・克子 三十七歳 職場結婚後十三年 一度流産 子どもなし 現在週三日和文タイプのパート勤務 神奈川県藤沢市在住 年収 夫・六五〇万円 妻・二六〇万円

 紙版画教室に通っても、満たされない日々が続く

 女たちが発散する香水や化粧品の匂いが、狭い教室にむせ返るように充満しています。
 年賀状のための紙版画教室。「市の広報」で見て、ふと行ってみようかと思ったのは、克子自身毎日の生活の中に、あまりに彩りが乏しいと思ったからかもしれません。

 週三日、知人の経営する会社の和文タイピストとしてパートで勤める大山克子ですが、これまでこれといった趣味もありませんでした。

 このまま無趣味で老後を迎えるのは淋しすぎる。そう思っていた矢先に、公報で教室のことを知ったのでした。七回コース、基礎から始めて七回通えば手作りの年賀状ができるなら、ひとつやってみようか。子どものいない克子には、何かひどく楽しいことに出くわしたような心のときめきでした。

 普段、公民館通いなどしたことのない克子には、見知らぬ顔ばかりでしたが、手を動かしながら適当なお喋りをしていく。しかも、しだいに形もうまくなり配色もシャレたものになっていくのが楽しくてなりませんでした。

 けれど、それも最初の二、三回まででした。
 しだいに狎(な)れ狎れしくなっていく女たちの無遠慮な質問に、克子は奇妙な苛立たしさを感じるのです。

「お子さん居なくて淋しいでしょう。どうしておつくりにならないの。あら、こんなこと伺ってごめんなさい。いけなかったかしら」
「あんまり仲がよすぎると、かえってできないんですってよ。ホドホドになさったほうがいいわよ」

 この無遠慮な主婦たちの好奇心に、どう説明しても、今の自分の気持ちなど通じないだろうと、ふと泣きたいような思いと、彼女らに対する軽蔑の思いに駆られるのでした。そして心の中で呟(つぶや)きます。

「子どもがいるからって幸せじゃないでしょ。あなた方は幸せの仮面に自分をごまかそうとしているだけじゃないの」

 今年三十七歳の克子は、同い年の夫とは職場結婚でした。一応は恋愛結婚のつもりでしたが、今となってみれば、あれが恋愛だったのかしら、あの時は何をひとりのぼせていたのかしらと不思議に思うことがあります。

 結婚と同時に、共働きはしにくい雰囲気もあり、また辞めるのが当然とする気持ちもあって職場を去ったのですが、いざ辞めた後は後悔の毎日、今でも職場に復帰した夢を見ます。

 夫の思いやりのなさに、急速に心が冷めていく

 結婚したのは二十四歳の時ですが、その後は別の会社に勤めることにしました。
 結婚後まもなく、克子は風邪をひいて寝込んでしまいました。夫の義弘は、朝出かけに言いました。

「薬飲んでおきなさいよ。あまりひどいようだったら医者に行った方がいい」
 朝から三八度三分の熱にうるんでいる妻にそう言いおいて出かけて行きました。

 その一言だけでも、ないよりはあったほうがマシというものかもしれません。けれど克子にしてみれば、そんなことは子供でもあるまいし、言われなくたって大人であれば誰でもすることだ。それよりもちょっと額(ひたい)に手を当ててみるか、部屋の空気を入れ換えてくれるとか、おかゆを作るとか、何かほかにしてくれることはあるんじゃないか。そんな気持ちだったのです。

 その前に義弘が風邪をひいたとき、たいした熱はなかったけれど、克子は会社を休みました。夫は妻が熱を出していても、会社を休んではくれないのだろうか。それは新妻の胸にわずかですが淋しさを湧きあがらせるものでした。

 その夜、義弘は九時頃帰って来ました。せめて早く帰ってきて、私のために夕飯の支度をしてくれるだろう・・・・、そう思った克子の期待は見事に裏切られたのです。

「どうせめしの支度はしていないだろうと思ったから、外で済ませてきたよ」

 克子は、体のだるさと薬を飲んでも熱が下がらない熱のために、夕飯の支度どころではありません。朝から何も食べていないのです。その夫の言葉を聞いた途端、涙がどっとあふれ出ました。

「せめて病気したときぐらい夕飯の支度をしてくれたっていいじゃないの・・・・」
 思えば、父は母が病気をした時などは、娘の克子が居ても母の食事の支度をする人でした。
 そうした細やかな愛情こそが夫婦の絆だと思っていたのに、この夫の思いやりのなさはどうだろう‥‥。克子はひそかに誓います。

「私もこれからは、あなたが病気をしたって会社休むことは二度としないわ」
 克子は、夫に対して急速に心が冷えていくのを感じました。

 共働きの生活に対する夫の無理解にも腹が立ちました。疲れて帰ってみると、夫はビールを飲んでテレビを見ています。家事というものは、どんなに疲れても、女がやらなければならないものなのでしょうか。もしこれが逆で、克子がビールを飲んで夫の帰りを待っていたら、彼はどんなに怒るでしょう。

 しかも、夜遅くなる時でも電話一本ありません。夕飯の支度をして待っていてもすっぽかされるのは日常茶飯事。そのくせ、たまに早く帰ってくると「腹減ったなぁ。まだ夕飯の支度もできていないのか」。その口ぶりには、非難めいたものが込められています。

 そんな時、克子は、そばのお皿でもぶつけてやればどんなに気がせいせいするのかと思います。
「私は神様じゃないんですからね、あなたが早く帰るかどうか、どうしてわかるのよ」

初恋の人の夢を見て、その余韻に浸る妻

 夫が最初の浮気をしたのは、結婚して一年ほどした時でした。相手は二十歳の女子大生。
「何かおかしい」
 そう思っていた時、夜中に夫の寝言でその女の名前を聞いてしまったのです。問い詰めると克子に、義弘は簡単に白状しました。

 克子は仲人のところに出かけ、その顛末(てんまつ)を語るとともに、離婚したい旨を告げました。驚き慌てたのは義弘でした。

「向こうはまだ大学生なんだよ。ほんの遊びじゃないか。それを大袈裟に騒ぎ立てて」
「あなたは遊びで、それでいいかもしれないけど、私はどうなるのよ。冗談じゃないわ」

「君だって、僕に優しくしてくれたかい? 僕がどこか具合が悪いって言ったって、君はなんて言った? 『私に言ったって無駄よ。お医者さんに行ってよ』と言うだけじゃないか。僕は優しさに飢えているんだ」

「じゃ、なおさら別れましょうよ。そう言うことを言うんなら、私だって言い分はたくさんあるわ」

 この時は、仲人のとりなしで離婚沙汰は取りやめになりました。この事件は決定的に克子の気持ちを義弘から引き離してしまったのです。

 人は、自分のことに対しては敏感過ぎるほどほど敏感でも、他人のことになると、こうも鈍感なのでしょうか。お互いに優しさを求め合いながら、一度、ほんのちょっとしたことで歯車が狂い始めると、永遠に噛(か)みあわない別々の機械になってしまう‥‥。

 この頃から克子は、しきりに初恋の人に会う夢を見るようになりました。克子はよく夢を見るタイプの女なのです。その夢の中で幸せな自分を発見し、時として、深い交わりの感覚が体に残ることもあるのです。

 会社に行っても、これまであまり気に留めなかった男性社員に心をときめかすようになりました。
 克子は述懐します。
「私って、浮気っぽいのかしら。いつも誰か好きな人がいないと心が落ち着かないのよ」

 義弘に対して申し訳ないとか、なんらの罪悪感を持つとか、そんなことは全く感じませんでした。それは、けっして夫が浮気したからその仕返しにこっちも浮気しようとか、そんな思いはなかったのです。

 妻が、夫以外の男性に心を動かさないなんて、そんな不自然なことはあり得ない。結婚したからには夫以外の男に目を向けてはいけないとか、心を動かしてはいけないとか、そういう風に思えなかっただけのことでした。

 その点では、克子にも義弘の浮気を大目に見ようとする心の動きがありました。夫と妻といえども、ほかの男や女に心を奪われることもありうることだと、夫に対しても寛大になれたのでした。事実、その会社に勤めていた頃、克子のほうから誘った男がいました。

 最初のうちはほんのちょっとしたいたずら、そんな気持ちだったのですが、ズルズルと体の関係になっていきました。ところがその男はまさに浮気者。女は克子だけでなく、多方面に手を伸ばしている多情な男だったのです。

 このことは、克子の誇りを傷つけました。しかも、優しくすれば付け込んでくるという感じ。そのうえ、女同士のさやあてや飛び交うあらぬ噂。すっかり克子は嫌になってしまいました。その会社を辞めたのには、他にも通勤事情などもあったのですが、やはり、その男のことが大きな原因でした。

夫が早く死んでくれないかなぁと思います

 流産したのは、それから一年ほど経った頃でした。
 その流産の時の苦しさを、今も克子は忘れられません。突然出血が始まったのは、夜中、お腹の異常な激痛に気づいて、トイレに立とうとした瞬間でした。

 流産の後の精神的ショックと肉体の疲労に対しても、義弘はまるで無関心でした。克子は、子どもは絶対に産むまいと決心しました。

 義弘がサラ金から五〇万円借金していたことを知ったのもこの頃でした。
 結局その五〇万円は、克子の働きの中から返済しました、夜討ち朝駆けの催促に、家で寝ている克子には耐えられなかったのです。どうせ返さなくてはならないものなら、ボーナスまでこのしつこさを我慢するよりも、早く返した方がいいと思ったのでした。

 何に使ったお金だったのか、最後まで克子には言いませんでした。
「お金返しておいたわよ」

 その一言に、義弘は一瞬たじろいだ表情を見せましたが、ありがとうでもなければ、すまんでもない、ただ黙って自室に引き上げていきました。

 義弘は酒好きな男で、普段はおとなしいのですが、酒が入ると別人のように変わります。このサラ金の一件も、女か酒かと問えば、多分、酒場の借金だったのではないかと克子は思うのですが、

その後も夜中に帰ってくる生活は相変わらず。寝ている克子の枕を蹴飛ばしたり、何が気に入らないのか物を投げつけてきたり、身の危険を感じることもしばしばでした。

 酒が人格を変える。時として恐怖の思いで克子は酒乱なのではないか、と逃げ出したくなることがあります。何回も離婚しようと考えます。けれど、克子もまたその頃は会社を辞めた専業主婦の身の上、離婚の損得を考えるとその決断ができません。

 会社を辞めて失敗したな、経済力のない女ってこんなに惨めなものだろうか。義弘にはもう愛も何も感じない。旅行しても面白しろい相手ではないし、共通の趣味とてあるわけでもない。このまま年老いていく自分の姿を思うとぞっとするのです。

 最近、つくづく夫が早く死んでくれないかなぁ、と思います。そうしたら、今度こそ間違いのない男を夫にして、楽しい生活を築いていけるのに‥‥と思えてなりません。

 生きている実感は、浮気の夢のなかにしかない

 パートに出るようになってからも、克子の心の中には常に異性の面影が棲(す)んでいます。
 夫とのセックスはせいぜい月に一回、下手すると三、四ヶ月に一回。それも燃えることのないお義理のようなもの。克子の心の中にはふといろいろな人とセックスをしてみたいな、という気持ちが湧くこともあります。この肉体の奥から湧き上がってくる淋しさに耐えられないこともあるのです。

 けれど今のところ、克子は積極的にそういう交際を持とうという気になれません。平凡な家庭の主婦にとって、しかも週三日のパート勤め、小さい会社の中では、ちょっとした心の浮気めいたことはあっても、そこまでの関係にのめり込めそうな男はいないのです。

 そのうえ、やはり克子には最終的に帰れるところがないと恐ろしいのです。夫への罪悪感がないのは前にも述べたとおりですが、やはり不倫の女を見る世間の目が気になるし、さらには肉体関係を持つと男は必ず離れて行ってしまう、という確たる思いが克子にはあるのです。

 男を引き付けておくには、肉体関係を持たないに限る。それが克子の美意識でもありました。
 流産の時に味わった妊娠への恐怖もあります。けれどそれ以上に強いのは、やはり男の心を永遠に自分に引き付けておきたい女の願望なのです。子どもを産んでいない克子の体は肉付きのいい四肢のせいもあって、まだ若く張りつめています。

 肉体に謎を残しておくこと。そのうえで生き生きとして楽しい会話を男と楽しみ、危うい一線で逃げる。それが克子の求めるものなのです。そこには、女は性の交わりによって必ず傷つくという信仰があり、また、かつての会社で味わった屈辱が、もう二度とあってはならぬこととして胸の奥深くに潜んでいます。心の浮気なら、夫にとやかく言われることもない。

家に逃げかえることもできれば、やましさもない。傷つけることも傷つくこともない。そのうえで自分の女である部分を楽しむこともできる。克子の心の中には、いつも幻のごとくに慕う男が棲んでいます。ある時はタレントであったり、ある時は勤め先に出入りする若いセールスマンであったり、ある時は電車の中で見かける男であったり、ある時は夫の同僚であったりします。

 紙絵画教室に通うようになってから、克子はまた一つ楽しみができました。講師の先生が、版画ひと筋に生きてきて世俗を卓越した、どこか翳(かげ)の漂う渋い男なのです。白髪の混じった髪を首筋まで垂らして、細身の長身がひょうひょうとした男の悲哀が漂います。

 克子には、年賀状完成でこの七回コースが終わってしまうことが残念でたまりません。この先生と二人だけで、どこかの喫茶店の片隅で、熱いココアなどすすりながら、じっとシベリウスでも聴いていたいような気分に駆られます‥‥。

もし体を求められたら…、逃げおおせるかどうか、克子にも自信はありません。でも、そんなことは夢なのです。克子だけが一人白昼夢のように心に描いて楽しんでいるだけなのです。

 相変わらず、いろいろな男の夢を見ますが、最近は頻?に先生の夢を見るようになりました。
 昨夜見た夢は、先生と北鎌倉を歩いている夢でした、先生の腕がきつく克子の胴に回り、熱い息吹きを首筋に感じます。その抱きしめられている感覚の中に、克子は生きている実感、この世に在ることの幸せを、しっかり?みとっていたのでした。

 なぜ、結婚への期待は虚しかったのか

 この五人の妻たちは、教育歴も結婚の動機も家庭状況もことごとくに違います。
 現実に抱えている悩みも多様です。
 何ひとつ不自由のない暮らしでありながら、日々虚しさを感じている妻、姑の言いなりになる夫にやりきれなさを感じる妻、心の浮気に慰めを感じる甘さに飢えた妻、気の合わない夫にないものを求めて恋人を作ったけれど、家を出ることに決心のつかない妻、愛されることが女の幸せと信じて結婚したのに、変わってしまった夫にあらためて自分自身を問う妻、一人一人の人生の綴れ織りは多色です。

 彼女たちは夫との乖離(かいり)に苦しみ、夫婦とは何かを問い、自分の生きようを探します。夫との会話もなければ、生活の中にこれが自分の結婚だと納得させるものがありません。結婚への期待は虚しかったです。

 彼女たちは五人が五人とも共通して。
「うちの主人は無口なんですよ」
 と言います。

 けれど、私は彼女たちの夫が決して無口だとは思いません。彼らは職場で、あるいは仕事上の付き合いで、自分を表現し、主張する会話欲求を満たしているのです。妻が求める”感情を分かちあう”ような会話は、家に帰ってくれば面倒なものにすぎない。無口だと思われていることは、彼らにとってありがたいことであるのです。

 それゆえに妻の心は離れていきます。この人に語っても無駄だ、わかってはもらえない。妻たちは、その心の渇きを夫以外の何かで潤そうとしているのですが、その何かがわからないのです。ある妻は、自分の内へ内へとその問いかけを発して苦しみ、ある妻は、他に恋人を持つことで解消しようとし、ある妻は、仕事に解決の場を求めています。

いずれにしても、自分は何者なのかを問い。その答えを得ようとして得られずに、家庭という名のぬるま湯に浸っているというのが、惑いの中にある妻の姿でした。

 いつか、離婚を決意する日が来るかもしれない。この、形だけの夫婦なんてあまりに偽りに満ちている、と彼女たちは言います。自分の『人生』に忠実でありたい‥‥。その願いが彼女たちの未来を支えているのでした。

 と同時に、その夫との心の距離は、セックスのつまらなさを産み出しています。
「こんなものなのでしょうか。今は新鮮さも興味も感じませんね。私たち淡白なんですよ」
 これもまた。五人共通して語られたことでした。セックスをこの数年まったくしていない妻もいます。心においても性においても、夫婦というものが形だけになっている。これでいいんだろうか・・・・、というのも彼女たちの深い悩みです。

 夫婦になればこそ、ひろびろと大らかであるはずのセックスが、歳月とともに貧しくお義理のようなものになっていく‥‥。
 夫は、もはや男として胸をときめかせるものではないし、妻もまた夫にとっては同じような存在。その戸惑いも隠し切れません。

 今、女が乗り越えなければならない三つの障害

 彼女たちは自分が”女”であることの確認の手立てがなくなっています。女の性を抱えたまま、中年期という若くもなければ老いてもいない時期に立ちすくんでいるのです。彼女たちの中には、意識しようとしまいと、もう一度、煌(きらめ)くようなセックスの憧れがあります。

「相手が変わればまた違ったものになるのではないかと」と言った妻もいます。彼女たちが抱く甘さへの飢えには、セックスも大きな位置を占めています。語りにくいものがあるゆえに正面きっては出てこないのですが、夫への不満、あるいは自分の中の満たされないもの、その中には、もう一度女として認められたい、異性の目が欲しいとする願望も込められています。

 女ばっかりの集まりなんてつまらない、男と喋りたい。こうした心の動きに、女である自分の再発見欲求を見逃すわけにはいきません。

 けれど、現実は家庭での母たるもう一人の自分がいます。現実の生活に疑問を感じ、自分に忠実に生きていないと思っていても、子どものことを考えると決心がつきません。一章で述べた女たちが、子供の育つ過程での問題を割り切っているのに対し、惑いの中にある妻は、そこまで吹っ切れてはおりません。

 自分の心をなだめるために子どもを利用している感すらありますが、それが離婚願望を持つ多くの妻の行動できない理由でもあるのです。

 家庭破壊を恐れる気持ちには、経済的に独り立ちできない、夫という支柱を失うことへの心細さや孤独の恐怖などあるのですが、それ以上に、子どもにとって家庭は大切だとする思いがあります。子供がかわいそうだから自分が我慢する。そうした母たることの自己犠牲に生きている女のなんと多いことでしょう。

 いったい、女にとって母とはどういうことでしょうか。母性愛とは何なのでしょうか。
 私はこの五人の妻たちの惑いの告白を聞きながら、今、女が乗り越えなければならないものが三つあるのではないかと思いました。

 その一つは、結婚に対して女が抱く幻想的な期待、二つは夫婦間のセックスのありよう、三つには母性愛なるもの。

 これらは、いずれも旧来の女を惑わせてきた”女の幸せ”神話のようなものです。それがゆえに惑いも深く、もつれたものになっていると思えてなりません。女は、もう一度自らを縛りあげている神話の正体を見定める必要がありはしないでしょうか。

つづく 第五
三章 妻たちが戸惑う”三つの神話”
――結婚幻想、貞淑、母性愛に、もう縛られない