沖藤典子 著
離婚への旅立ちを妻が秘かに決意する時
表面的には一応不自由のない暮らしをしているが、内心は、陽だまりの中で枯れてゆくような焦りを感じているという女たち増えている。
とくに知的な女性に増えている。
性的な冒険の流行にも、離婚ばやりにも一理ある。しかし、ただそんなことだけで、本当の生きがいが見つけられるのだろうか。沖藤典子さんは、そう鋭く問いかけている。
問いかけた後で、妻たちが家庭は離れても、本当に堂々と外で評価してもらえる女に育つための、素敵な自己啓発の方法を提案してくれている。
まえがき
子どもの頃の忘れられない思い出があります。小さな川が私たちの行く手を遮っていました。薄い氷の張る北海道の冬の川です。回り道は遠くて寒い…。私には、その川を跳び越せるような気がしました。「跳べるわよ」と私は言い張りました。「じゃ、やってごらんよ」
結果は‥‥。見事、私は氷を突き破って川の中に落ちたのです。その頃から、かつての流行語で言えば、飛べない女でありました。この、予測が甘くて軽はずみな性格は、大人になった今も引きずっているものなのですが、その私が悩み悩んだのは、一五年勤めて職場を去って、夫の転勤先に行くか否かの問題に突き当たった時でした。
私にとって家庭とは何なのだろう。妻とは、母とは、そして私が生きるとは…‥。結局、私は迷いの末、退職。転居を選び、今のような仕事を始めました。友人には、
「辞めて良かったんじゃないの」
と言ってはくれますが、正直なところ、私には、今なおどちらが良かったのかわかりませんし、女にとっての家庭・妻・母の意味もまだ掴みきってはおりません。
ただひとつ言えることは、女が何かを決断しようとするときは、海面下で隠れた巨大な氷山のように、言葉に尽くせぬ悩みや迷いがあるということです。
私はこの本の中で、妻たちの「これでよかったんだろか」とする自問自答、あたかも両手ですくいあげた砂がポロポロと指の間からこぼれ落ちるがごとき日々の虚しさ、やりきれなさ、それはいったいなぜ起こるのだろうと考えてみました。さらに悩みを乗り越え、一つを得るには一つを捨てなければならないと、清々しく生きる女たちの誇り高さに学びたいと思いました。
これまで女は、私を含めて「生活」を求めてきました。けれど中年期になって、はっと気が付いたのは、「生活」はあっても「人生」ではないということでした。
女には誰しも、いろいろな形で”決意”を胸に抱いているのではないでしょうか。その決意こそが、それがいかなる形のものであれ、「人生」を支えていくように思うのです。ただ、自分の”決意”に気づかないか、膨大な悩みの前に立ちすくんでいるだけ‥‥」
でも、その「人生」の行く手には、氷の川があるかも知れません。実際、川に落ちるというのは、冷たくて恐ろしい体験です。なるべくなら、落ちないですむ”決意”の在り方とは‥‥。
夫とどう関わるのか、子どもとどう関わるか、それには自分自身の気持ちに忠実に生きるにはどう考え実行していこうか‥‥。私自身の問題として、それられを探ってみました。今、迷路の中にある悩める妻たちに何らかのヒントとなれば幸いです。
昭和五八年師走 沖藤 典子
一章 「女が男を棄てる時代」の到来
―意識において男性を凌いだ女性たちの苦悩
なぜ妻が出て行ったのかわからない夫たち
《告白1》「結婚して一五年目、仕事も軌道に乗り、二人の子どもたちも名門と言われる学校に進み、順調な毎日でした。ところが、仕事で三週間の海外出張を終えて帰宅すると、迎えてくれるはずの妻も子も、家に居ませんでした。探しましたが、行方は分かりませんでした。
それから数日してから妻から連絡が入り、『もうあなたとはやっていけない。ずいぶん前から考えていたけど、一緒にいるのも嫌になった』。そして、『別れてくれ』と言うんです。寝耳に水でした」
彼は四〇歳の商社マン、結局子ども二人を妻に渡して離婚しましたが、いまだに、なぜ妻が出て行ったか分からないと言うのです。給料はきちんと渡していたし、ギャンブルもしない、夜遅く帰るのは仕事のためだった。
それじゃ妻に愛人ができたのかと、興信所を使って調べてみたけれど、それもありません。妻が、なぜそんな前から離婚を考えていたのか、思い当たるふしは何一つなく、納得のいかないまま別れたのですが、彼の妻はこう言ったそうです。
「責任も理由も、すべて私の方にあるのです。冷めちゃったのね。一緒に暮らしたくないの」海外出張から帰った日から、突然、全く違う人生になってしまって、今は土曜・日曜が恐ろしい、彼は投書を結んでいます。
現在、”離婚したい…”という離婚願望を潜在的に持つ妻は、三割もいると言われていますが、心の中にふとよぎる思いまで含めれば、夫と別れたいと願う女はもっと多いでしょう。
実際、最近は、妻の方から夫に離婚を迫るケースも多くなりました。そして多くの夫は、なぜ妻がそう言いだすのか、その理由がまったく分かりません。
離婚したい、その思いが願望であったり幻想的に憧れである間は、夫婦はまだ安心と言えるかも知れません。
昭和五七年の離婚件数は約一七万件、三分五秒に一組が離婚しています。しかも、最近の特徴としては、三〇代の離婚がひじょうに多く、全体の四割。昭和二〇年代には、男女とも半数以上が二〇代であったことを比べると、結婚年齢が遅くなったとはいえ、やはり中高年の離婚増加は、夫婦が夫婦としてやっていきにくくなったことを示しています。
子は鎹(かすがい)とばかりに、子どものために離婚を思いとどまる女が多いなかで、もはや不幸な両親の間に育つよりも、片親でも楽しく暮らす方がいいと考えている、ということも見逃せません。
「あの鈍感さが、たまりませんでした」
ところで、離婚の九割が協議離婚ですが、最近多くなっているのが、夫、妻とも「性格が嫌になった」です。女性の側から見れば、一位が「経済問題」、二位が「性格」、三位が「異性問題」、残りは「その他、もろもろの理由」――この四つはほぼ等しく(それぞれ二五%前後)、四人離婚した妻がいれば、そのうち一人は経済、一人は異性問題となります。
ただし、これらの理由はけっして単一には割り切れません。むしろ、この性格、経済、浮気が三つ巴に絡まり合い、もともとしっくりいっていなかった夫婦関係が、浮気や経済的問題となって表面化しているケースが多いようです。
そして、この”もともとしっくりいっていなかった夫婦”という表現の中には、長い結婚生活の間に、夫と妻の心がどんどん別の方向へ向かっていったプロセスも含まれています。とくに注目されるのは、妻の側から夫を見る時に、夫という人間の心が、まるで見えてこなくて「分からない人だ」、さらには「夫は自分のことを何も分かってくれない」というもので、そうした冷え冷びえとしたものが、自然に積もっていき、それが妻の側からの離婚要求になります。
ある日突然、妻の側から言いだす離婚も、その理由は氷山のほんの一角であり、その背景には海に隠れた膨大なやりきれなさと、自問自答の日々であります。秘かなる決意につながっていくのです。
離婚した妻の例では、夫の“分からなさ”をこう述べています。彼女は五八歳で、子どもは既に独立していました。
《告白2》「三〇年、我慢に我慢を重ねて、夫とはどうしてもやっていけないと見切りをつけ、出張中に別居しました。夫は鈍感な人で、調停中にも私の言い分をまったく理解しませんでした。あの鈍感さがたまりませんでした」
?―夫の鈍感さがたまらない?―、これは多くの妻の言うことです。それを我慢して、何とかこちらの気持ちを分かってもらおうと耐えに耐え、ついに、ある日爆発してしまう。人生も終わりに近づいてきたと思うと、もう我慢しない毎日、自分一人伸び伸びとやっていく毎日、それなくして、なんのために生まれてきたかと思うのです。
子どもが小さい間は我慢しなくてはならないと思っていたけど、その子どもが手が離れれば、もうこれ以上我慢する必要はない。自分の人生を考え直したとき、一人で生きていくのが、夫に対しても、自分に対しても、誠実である――こうした思い切りとすがすがしさを持った妻の側からの離婚の申立てが増えているのが、現代の大きな特徴です。
二人でいることの孤独や屈辱より、一人で生きるほうがいい
さらに、昨今注目されるのは、夫の定年を待って離婚する女の増加です。
《告白3》「夫は教員でした。とても真面目な人なのですが、我慢ならなかったのは、私をバカにすることでした。事あるごとに、お前はバカだ、お前なんかに分かるか――さらには人前でも私をくささなければ気がすまないらしいんです。同僚の女の先生と、事あるごとに比較されるのも、ほんとうに地獄でした。定年までは…と我慢を続け、退職金の半分まではもらえなかたのですが、少し貰って別れたんです」
これは、六二歳の主婦の言葉です。彼女は夫との生活は奴隷のようなものだった、自尊心とかプライドとか踏みにじられて生きていくことに耐えられなかった、と言うのです。
彼女が何よりも大切にしたのは、心のありようでした。表面的に見れば夫が浮気するわけでもないし、金を外で使うわけでもない。これまでの離婚では理由にもならなかったであろう。”精神的な誇り”の部分で、彼女は離婚を求めたのでした。
「夫に違和感を抱き続けて生きていくことに心底疲れてしまったのです。彼は立派な人ですし、彼なりの方法で私を愛してくれていたのかもしれません。けれど、生きることの意味が、彼は教員として立派であり、出世していくことを求めていただけなのに対して、私はもっと別のもの、たとえば気軽なおしゃべりとか、くつろいで散歩するとか、そういう時間が欲しかったんです。
結婚して三十数年、私はそれを求めつづけてきたんですけど、もうこれ以上、期待しては裏切られていく人生はごめんだ、という気持ちになってしまって…」
こうした彼女の思いの中には、人生八〇年時代、長い老後を、この心の通い合わない夫と暮らしつづけていかねばならないという恐怖にも似た感情があったようにも思えます。しかも、定年ともなれば再就職でもすればともかく、毎日二人顔を突き合わせて暮らすことになります。昼間一人で家にいるからこそ、気の紛らわしようもあったものが、長い老後の生活の中では、否応なしに二人だけの生活になる。
その苦痛を思った時、彼女は二人でいることの孤独や屈辱よりも、一人で生きることによって自分の心を守ることを選んだのです。彼女もまさに、夫に見切りをつけた妻でした。
こうした離婚に対して、女には耐える力がなくなったのではないか、自立は結構だけれど、忍耐力を欠落させるという批判もあります。さらには、男も我慢しているのだとも…。
けれど私は、結婚において忍耐させられるのは、女の方がはるかに多いと思っています。女は耐えるものだ――こうして女に課さられている社会的枠組みを、自力ではねつける女が増えてきた現実は、やはり健全な姿だと思うのです。
なぜ、エリート社員の夫を捨てるのか
さらに、定年まで待つことはしない、若さや体力があるうちに自立の道を見つけようと、夫に見切りをつける中年期の妻が多くなりました。
しかも最近の特徴としては、冒頭の商社マンの場合のように、夫がその組織の中でひじょうに有能で真面目、かつ出世欲も強い、いわばエリート社員、エグゼクティブの夫を捨てようとする妻の出現です。三八歳の妻は二児を引き取って、一部上場企業に勤める夫と別れました。
《告白4》「夫は会社で部長でした。会社では有能でもあり、人間関係も上手くやっていた人だと思います。だけど私から見ればなんと冷たい人だろう‥‥、たとえば私が病気しても知らん顔、口を開けば『明日の仕事に差しつかえる』子どもも可愛がってくれない、いったい私はこの人の何なのだろう、そう思うと、
夫の地位とかエリート社員の妻であるとか、そういうことなんの価値も見いだせなくなったんです。あの人はあの人でやっていってくれればいいのですよ」
夫は有能な人、会社の仕事に熱中し、口を開けば「誰のおかげでメシを食っている」。話をしたいと思っても、「今日は疲れているんだ。明日の仕事にさしつかえる」と、頭の中には仕事の事しかない‥‥。彼女は、永い先の人生を思ったとき、老後ぽつんとして枯れ果てているような自分しか想像できませんでした。夫は一緒に暮らす人ではない‥‥。
そうした目で見れば、この会社人間ともいうべき夫は、妻や子どもや自分の日常を取り巻く人間に対して、まったく思いやりと言うもの持っていない。「この人には、心というものがあるのだろうか」――その疑問が日に日に募っていきます。
「こんな夫とはもう暮らしたくない」と彼女は思いつめました。
よく、男は会社と結婚している、と言いますが、この彼女の夫もそういうタイプです。”男は外に、女は家庭に”そうした性的役割分担をよしとする社会通念は、家庭や家族、さらには妻との人間関係に何か欠陥を持つ男に育てあげてしまいました。昨今よく言われる子供の非行の問題、家庭崩壊なども、原因はここにあると言えるでしょう。
夫の側にも言い分はあるかも知れません。「俺は会社の中で精一杯働いている。緊張して失敗のないように、人間関係や根回しに気を使い、部下や上司の間に立って苦労しているんだ。なぜお前はそのところが分からないのだ」
そんな声が聞こえてきそうな気がします。妻の心に関わらない夫よりも、夫の心にかかわらない妻の方がはるかに多いのではないか、とする男側の反論もあるでしょう。
けれど、そうした会社や仕事一途の夫が何を悩み、何に苦しみ、家庭の中の妻とどう生きようとしているのか、妻には何も伝わってこないのです。
冒頭の商社マンの妻の「冷めちゃったのね」と言う一言も、こうした夫と人間的関わりを持っていない妻の悲鳴に近いものかもしれません。
夫は表面的理由であるにせよ、ともかくは”妻子”のために働いて、それによって会社人間となり、自分の生き方や心の問題を置き去りにしてしまった。そしていま、妻はそのことに耐えられなくなってしまった――妻も悲劇なら夫も悲劇です。
見捨てられはじめた”家族生活不適格人間”
見捨てられはじめた”家族生活不適格人間”
いわば、夫が求めているのは”会社”という枠の中での外的に与えられた勲章、それに対して妻が求めているのは、自分が自分に与える勲章、人が何と言おうとかまわない、社会的立場とか役職とかそういうものではない、もっと人間としての存在にかかわる名誉のようなもの、つまり夫と妻の求める方向は、全く逆になってしまい、生きることの意味を見いだそうとする妻の意識が、人生の意味を問うことを辞めてしまった夫を凌(しの)いでしまっているのです。
この事に気づかない夫、あるいはそういうものに無関心な夫は、妻の側から見れば、たとえ夫婦として何十年一緒に暮らそうと、また夫がいかなるエリートであろうと、それが夫への信頼や敬愛の気持ちにつながらないのです。生きることの目的が違う夫には、「何とつまらない男だろう」と、疎ましさやわずらわしさにしか繋がって来なくなります。
会社の中でエリートである男も、孤独を感じることもあるでしょう。けれど、今、妻の方がずっと孤独が深い。なぜなら、自分の存在そのものに手ごたえがないからです。
妻は、この孤独をバネに、もう一度自分の人生をやり直してみたい、気の合う人は他にも居るのではないか、よしんば居ないにしても、一人で生きるほうが二人で生きる時に味わう孤独よりも、まだ救いがあるのではないかと思いはじめます。
西洋の諺(ことわざ)に、「嫌いな人の庭園の中で自由に生きるよりも、気の合う好きな人とそばで束縛されて生きるほうがましである」というのがありますが、女も中年となれば、そう簡単に気の合う男に巡り合うことはありますまい。
それでも女は、この”好きな人”を”孤独”に置き換えて、まだ一人で生きる孤独に束縛されて生きるほうが、自分らしく生きることにはなるのではないかと考え始めます。
今や、妻の心に無関心な会社一途のエリート社員は、妻の方から”家庭生活不適格人間”としての烙印(らくいん)を押され、それによって見捨てられはじめているのです。
妻がよく働く夫に、感謝あるいは期待や頼りがいを感じていることは事実です。けれども、そうしたアタマの部分で解っていること以上に、夫が持っている雰囲気、生活態度、人生への態度に懐疑心を持たざるを得ない――つまり、ホンネのところでのやり切りなさもまた感じます。
女には、このタテマエとホンネのところでの葛藤(かっとう)があります。けれど、最近は夫の社会的地位やエリート社員であることの誇りよりも、自分自身の感情、ホンネのところでの誇りを持ちたいと願う妻が多くなったのです。医師と別れた妻は、こんなふうにも表現しました。
《告白5》「夫の浮気では苦しめられ続けました。私には経済的な面での生活のレベルを落としたくないとか、院長婦人であるとかへの未練があって、結婚して十五年耐えてきたんです。でも、ある日ふっと思ったんです。
いったいお金がなんだ、○○夫人っていう肩書がなんだ、それに気が付くと急に心が軽くなって、こんな屈辱的な生活をするくらいなら、いっそ自分自身で肩書を持つ生活を始めようと」
慰謝料に関しては大モメにモメました。彼女は院長夫人として、所得申告のごまかしも見てきていたのですが、彼はその申告をタテにとっても少ない所得を主張するのです。結局、彼女の言い分は認められなかったものの、金銭にしかこだわれない、その夫の情けなさ加減を知るにつけ、別れてよかったと述懐します。
なぜ、私の母は八人の子を捨てて駆け落ちしたのか
離婚には大変なエネルギーが必要です。結婚の時には、仲人やら親やら周囲がお膳立てをしてくれ、分からないことへのアドバスも簡単に得られますが、離婚は自分一人での闘い。
しかも圧倒的に女に不利に出来ているこの社会の中で、いかに有利に別れるか(もしくは、別れないためにどうすればいい)、離婚に対する社会的偏見とどう闘うか、女たちの悩みは深刻です。
こうして悩みに悩んだすえ、女は結婚生活を精算しているのです。
《告白6》これは私自身のことですが、私の母も離婚した女でした。しかも、母には先夫との間に八人の子がおりました。母はその子たちを捨てて、男と駆け落ちをしたのです。昭和十一年のことでした。
その後、その男と別れた後に、私の父と再婚して私を産んだのですが、その駆け落ちの時、四十歳でした。再婚した父は八歳年下だったのです。
人生五十年の時代の四十歳、それはもう晩年のようなものです。その時になって、母は、なぜそのようなことをしたのか、私には謎なのですが(母そのことについて一言も私に語らずに死に、私が知ったのは臨終の時だったのです)、母もまた、生きることをもう一度やり直してみたいと思ったのではないでしょうか。
恐らく母は、「私の人生は何だったのだろう」と思ったに違いありません。先夫との結婚生活の詳細については、なんぶんにも五十年以上も昔のことですから、知る由もないのですが、母には人生をもう一度やり直したいとする抜きがたい欲求があったのではないでしょうか。
このまま死んでしまうことはできない、自分の生のなんたるかを確かめ、存在の証(あか)しを立てること、生きていることの実感を把(つか)むこと、それなくして生は完結しない、そう思いつめたものがあったと思います。
そのきっかけとして男との恋がありました。夫から見捨てられ、八人の子の母でしかない自分よりも”女”としてもう一度生きることへの燃えるような欲求があったと思うんです。
子供のために、と我慢に我慢を重ねた日々の後、最終的に母が選んだのは”自分”だったのです。生のありようへの選択であったと思います。
離婚、再婚後の母の生活は、私の目から見る限り、母のそうした欲求を満たしたものとは思えませんでしたが、少なくとも夫と自分の子供を捨てて家を出た時の母の心のうちには、我慢して生きるよりも自分の力で生きてみたい、とする欲求が強烈だったように思います。母もまた、自分自身への誇りを求めた女だったのです。
離婚の恐怖に打ち震えながらも、なぜ…‥
自ら夫を捨てて家を出る女には、こうした精神的な自我欲求とも言うべきものに飢えた思いを持つと同時に、やはり夫の側の何らかの理由、浮気やサラ金などの経済的な問題で別れる妻もいます。数としては、こちらのほうが圧倒的に多いのです。
次に述べるケースも、夫の身勝手に悩んだすえ、いわば自立を余儀なくさせられた例ですが、けれどもその決断の背景には、やはり自分の生き方、人生を大切にしようとするきっぱりとしたものがありました。
《告白7》「子どもが一歳の時でした。夫に女性ができたのです。そのうえ経済的にも、もうこれ以上やっていけないところまで追い詰められました。今日は帰って来てくれるかと、毎晩毎晩タクシーの音に耳を澄ませ、子供の泣き声すら耳に入りませんでした。
その時私は、ただもう夫に捨てられたらどうしょう‥‥、そのことばかり考えていて、フラフラと駅まで行ったりして、ボーッと踏み切りの前に立っているんです。死んでやる、そんな気持ちだったのでしょうか」
夫に捨てられたら‥‥。これは多くの妻に根強くある不安であり、それによって言いたいことも言わず、したいこともせずに我慢している妻は多いのです。円(まどか)より子氏の話によると、相談に来る主婦の四割は、現在でも、別れたくないのに、夫の身勝手によって離婚の危機にさらされている妻ということです。
どんなに夫と別れたいと思っている妻でも、いざ夫の方から離婚を突き付けられて見ると、不安や恐怖、あるいは未練・執着、それらはどんな女にも起こってくることでしょう。とくに夫の経済力や社会的地位が平均以上に高い場合には、その葛藤(かつとう)は強いのではないかと思います。
私の友人の奥さんも、夫から離婚をせまられ、その苦しさを紛らわすために、飲めないウイスキーを飲み始め、なんと一晩にボトル一本空けてしまうようになりました。ついにはアルコール依存症となって入院…。
昨今、アル中の妻が増えていると言いますが、まだまだアル中患者全体からみれば、女の比率は一割程度。けれど、こうした夫との離婚や生活危機、感情のもつれなどからアルコールに走ってしまう妻は多いし、最近は妻の潜在的なアルコール依存症が増えています。
その彼女は、子どもが三人いたこともあって、夫は恋人の許(もと)から帰ってきましたが、まさに彼女は身を捨てて夫から捨てられることを守った、別れたくない妻でした。
決断――捨てられる前に捨ててしまおう
さて、先記した、子供が一歳の妻の場合、捨てられる恐怖からいかに立ち直ったのでしょうか。
ほとんど夜眠れない彼女は、これでは母子共倒れになると、朝早い仕事に就くことにしました。
しかも、一日中働くことにしたのです。経済的にも、どうしようないところまで追い詰められていましたから、不眠対策以上に、食べていく上で必要不可欠でもありました。
朝は、五時から九時までサンドイッチ製造屋さんに、十時から夕方六時まではデパートのパートに、夜はスナックにと、一日十五時間以上も働く生活を自分に強いることにしました。
そうすれば、もう疲れてくたくたに、夫に捨てられたとか、他の女に夫を取られた口惜しさとかで、くよくよする時間もなく、眠りこけてしまいます。よく眠ればよく食べられる。経済力と体力がつき、働くことの面白さを知るにつれ、彼女はある日突然思いました。
《告白8》「なんであんな男のために苦しんでいたのだろう。私だって、まだまだ男の一人や二人捉まえられるんだわ。そうだ、捨てられる前にすててしまおう」
こうして彼女は、離婚に踏み切りました。今は保険のセールスで、なんと年収二千万円、恋人もいるし、子どももすくすくと育っています。
もちろん悲しいこと、寂しいこと、孤独感に悩まされることもあったでしょうが、彼女を守ったのは、”捨てられる”恐怖を”捨てる”誇りに変えたことでした。
円氏は、離婚を考える女にとって何が大切かのポイントとして、子どものこと、経済力のこと、離婚に対する知識を持つことの三点を挙げています。
多く女が離婚を躊躇(ちゅうちょ)するのは、子どもの事です。子どもには父親が必要だ、就職にしろ、結婚にしろ、ふた親揃っていることが大切、母子家庭への偏見の中でうまく育つだろうか、等々の理由で母性ゆえに耐え忍んでいきます。子は鎹(かすがい)のたとえのとおり、子があればこそ、夫は家に戻るのではないか、こう思っている妻もいるのです。
けれど形骸化(けいがいか)した家庭の中で、母親の暗い顔を見ながら育つ子どもは、どんな思いでしょうか。
「お母さんよく決心しくれたね。僕は小さい頃から、お母さんの愚痴ばかり聞かされて地獄だったよ」
最近、離婚を決意した母親に向かって、大学院生になった息子がこう語ったということです。
アメリカなどでも、離婚による子どもへの影響が言われますが、それ以前に重要なのは、夫婦のありようなのではないでしょうか。
夫婦としてはやっていけなくても、お互い、父親であり、母親である親としての関わりさえきちんとしていれば、つまり、子供に対して責任を取る視点さえ明確であれば、悪影響も食い止められるとも言われています。片親であることよりも、仲の悪い夫婦の姿を子供に見せ続けることのほうが恐ろしい‥‥。
さらにはまた、母性愛というものの本当の姿を、女はとことん考えていく必要もあるのではないでしょうか。母であると同時に、女としの生をまっとうしていく迫力があるかどうか、そこが問われます。
『人形の家』のノラの胸に燻(くすぶ)っていたもの
「子どものために」を大義名分とし、自らの経済的実力や精神的な成長を怠る妻の姿こそが、夫にとっては都合のいい存在なのです。そして、それは過去には女にとっても都合がよかった。気持ちをなだめなだめ生きていればいいのですから。
けれども人生を八十年時代、女はそれでは生ききれない、ということが分かり始めたのではないでしょうか。それは責任転嫁をしない自分であり、自分の人生に責任を持とうとする女の姿です。
このことを考えた時にまず浮かぶのは、ノルウェーの作家イプセンの書いた『人形の家』の女主人公ノラの気持ちです。彼女が、夫ヘルマンに抱いた思いもまた、「夫は何もわかっていない」というものであり、人間として生きることは何かと問いかける自立の欲求でした。
イプセンがこの作品を発表したのは一八七九年、もう百年以上も前の事ですが、このノラが味わった夫へのやりきれなさは、今も変わらぬ妻の正直な心であり、一世紀以上にもわたって妻たちの胸に燻(くすぶ)っているものです。
当時は、まだノラのような感じ方をする女は少なく、発表後は賛否両論が巻き起こったのですが、現代は”夫へのやりきれなさ”を表現することがタブーではなくなりました。それゆえに、現代はノラの呻(うめ)きに満ちている時代とも言っていいかもしれません。
ノラは、弁護士の夫に愛されて、可愛い子どもたちに囲まれた裕福な家庭の妻でした。そこには、さんざめく光に満ちた”幸福の図”が掛けられているような、何一つ取り立てて不満のない生活があったのです。ところが、ある日、ノラの心をかき乱す事件が起こります。
かって彼女は、夫の困窮を救うために、やはり弁護士である夫の友人から、夫に内緒で借金をします。それは夫の立場、プライドを守るためにやったことでした。
ところがその時、彼女は保証人になってもらった父の死亡日付をごまかしたのです。実際には父は死んでいたのに、金を借りたい一心で、公文書偽造をしたのでした。その後、彼女は夜にこっそり内職しては借金を返し続けたのです。
夫は無事窮地を切り抜け。今はオフィスを任せられる身に。一方、友人のほうはそのスタッフの一員になっていましたが、夫は気に入らず、彼をクビにしようとします。なんとか職を守り続けたい彼は、ノラの保証日付のごまかしをネタに、彼女に向かって夫に取りなすように頼み込むのですが、もともとが夫に内緒でやったこと、今度はノラが窮地に立たされます。
コトはやがて夫の知るところとなりました。その時の夫の狼狽(ろうばい)はどうだったでしょう。
彼の頭には、自分が社会的地位を失う。そのことの恐怖しかなかったのです。妻がどんな思いでその借金をし、自分を救い、また働いて返済してきたか、そのことへの感謝のひと言もなく、ただ不始末をしでかした妻の行為を詰(なじ)るだけ、
この時ノラは、夫が自分という人間を、何もわかっていなかったのではないか、ただ可愛い女として、お人形のように愛していただけだった、心もあり意志もあり、そして失敗もある一個の人間として見てはいなかった、と知るのです。
ノラは夫に言います。
「あなたは終始わたしを甘やかしてくださいました。でも、わたしたちの家は遊び部屋でしかなかったのですよ。わたしは実家で父の人形っ子であったように、こちらに来てはあなたの人形妻でした。そして、こんどは子どもたちが私のお人形さんになりました」
――夫にとって人形にしかすぎなかった――そう気づいたノラは、自分自身を教育し直さなければならない、夫はそれを助けてくれる人ではなかった、一人で勉強し直そうと、家を出ていきます。それはノラにとって、人間として生きる存在の証明でもあったのです。
家を出て行った後ノラはどうなるのかは、作者は何も言及していませんが、この作品は妻と夫との愛のありようをめぐり、また夫の社会的地位の保身への執着をめぐり、さらに生きるということへの男と女の関わり方をめぐって、鋭い問いかけを投げかけたものでした。
苦悩する現代のノラたち
ひるがえって現代を見ても、この男女の相克(そうこく)は、状況こそ違え、今なお私たちの周りに、多くの火種を宿したまま潜んでいるのではないでしょうか。
「もうこれ以上は耐えられない」「夫の鈍感さ」「私にも自分の生が欲しい」――こうした言葉を残して出ていく現代のノラたちの心には、百年前の文学の世界に現れた女の思いと共通するものがあるように思うのです。そして、なぜ出ていくのか、その理由が分からないという夫の気持ちまた、共通するものなのです。
今、私たちが生きている時代は、百年前の女の時代と比べものにならないほど自由になりました。組織で働く女や、キャリア・ウーマンとして実力を発揮する女性が増え、今や主婦の六割が働く女、十年以上のキャリアを持つ女性も二割に達しています。
経済力を持つ女と同時に、各地のカルチャー・センターなどで学ぶ女、ボランティアや社会学級などでの社会参加を求める女もひじょうに増えています。公民館など上手に利用して、”生涯学級”というのは女のテーマになっています。
女の生活形態は変りつつあります。働くにしろ学ぶにしろ、外的な変化は、この十年間で”女が家を空けて外に出る”ことの許容度をひじょうに高くしました。
ところが、このように労働や社会参加などで、外に出て学ぶ機会が多くなった半面、いやそれゆえにと言うべきでしょうか。日々の空虚感とも言うような”満たされない思い”を抱く女も多くなったのです。
働いていても学んでいても、なにか虚しい。毎日があたかも両手で救い上げた砂のように、指の間からボロボロとこぼれ落ちていく、その漠然とした不安と苛立たしさ、その思いに苦しめられます。
いったい私の人生はどこにあるのか、何をやったら満足できるのか、この結婚は私を幸せにはしていない‥‥。その思いはどんな女の胸にもあるのではないでしょうか。
かつて、女の幸せは結婚にあると言われていました。よき妻として母として、あるいは主婦として、姑(しゅうとめ)として、ささやかな日常の中にこそ幸せがある。働くことも学ぶことも、それによって生き生きしていれば、それが夫や家族の幸せにつながる、だから女は、その役割に従順に生きていくのがよい‥‥。
けれど、それは違うのではないか。何かが欠けているのではないか。実は、その思いは長いこと女の胸にわだかまってはいたのです。妻、母、主婦などの役割の大切さはよくわかっていたのですが、何をするにも、その役割のための手段であるとする考え方を拭い難い疑問を感じるのです。
妻には、『生活』はあっても『人生』がない!
これまで、女は『生活』を求めてきました。結婚は経済的にも生きていく基礎を約束してくれています。役割を得ることも、日本は名だたる結婚国ですから、結婚しない女への冷たい目――「あれだから結婚できないのよ」という偏見がありますが、それからも救ってくれました。
女は『生活』はたしかに得たのです。けれどその『生活』に満たされてみると、はっと気が付いたのは、『人生』がないと言うことでした。女には、『生活』はあるけど『人生』がないのです。これが、女の生き方に従順であった”女の報い”とも言うべき虚しさの基本ではないでしょうか。
女は自分の人生のありようを求めて、心の内へ内へと目を向けていくことになります。自分のために生きる『人生』が欲しいと思い始めたのです。
自分へ自分へと目を向けていく心の動き、これはまさしく、まっとうな心の動きではないでしょうか。生活的な不安から開放されればされるほど、人間の関心は自らの”心の動き”へと向けられるもので、これは当たり前のことと言えます。
今、多くの女は、自分の存在感を何によって得るか、ということで悩んでいるのです。それは自らが解決しなければならないがゆえに、その袋小路の切なさ、悩みの深さは、中年期の女が皆、背負っているものとも言えます。
旧来のように、「妻は夫の言いなりになっていればいい」としか考えずに、妻を自分にとって都合のいい型の中に閉じ込め、一方自分の方は、仕事や交際の楽しみにしか目を向けない夫は、自分の『人生』を求め、生のありようを求めようとする女から、見捨て始めました。
“男の座””夫の座”にあぐらをかいているだけの夫。こうした男の生き方を許せなくなった妻は、いさぎよく離婚に踏み切る時代になりました。
私は、このことは男女の在り方としては極めて正常であるとおもっています。離婚は決して恥でもないし、失敗ではありません。
むしろ気の合わない夫と、不平不満・愚痴・喧嘩ばかりで生きることのほうが、はるかにエネルギーの浪費であるし、恥でもあると思っています。
「一人になって人生をやり直す」
こう言って家を出る女は、ひじょうに気位の高い女です。
今、女はこの気位に目覚めつつありますし、一方、夫は依然として男であるというただそれだけの視野狭窄の中で生きているとしたら、今後ますます離婚、しかも子育て終了後の中高年の離婚が増えるでしょう。
女が生き方に誇りを求めて男を見捨てる時代は、男にとっては試練の時代かもしれませんが、けれどそれは、男にとっても女にとっても生きやすい時代になっていくために、どうしても通らなければならない一つの過程ということではないでしょうか。
つづく
2章 妻が離婚を決意する瞬間
――どんなとき、妻は夫に”やりきれなさ”を感じるか