工藤美代子 著
一通の手紙から始まった一人女性読者との交流
以前『快楽』という更年期の性を扱った本を上梓したときに、ずいぶん多くの読者の方からお手紙をいただいた。そんな読者の一人、仮に鈴木静香さんとしておこう。
彼女は重い更年期障害に苦しんでいて、そのために夫との関係がうまくいかなくなった過程を、長文の手紙に綴ってきた。最後に。私は離婚するべきでしょうか? という問いかけがあって、手紙は終わっていた。
それが二年ほど前のことで、静香さんは五十二歳だった。私は自分の感じたことを、素直に述べた返事を書いた。離婚とは、不思議なもので、迷っている間は成立しない。
そして迷いながら人生を終わる人もいる。しかし、ある時何かがきっかけで離婚の二文字が天から舞い降りてくることがある。そのときが離婚するときではないかといったふうな内容の返事だった。
やがて静香さんから、「思い切って離婚しました」という報告が届いた。最初の手紙をもらってから半年ほど過ぎた頃だった。そうか、それも彼女の選択だろうと、私は思った。
夫婦のことは他人にはわからない。ただ、五十歳を過ぎてからの彼女の決断の重さは、手紙の背景からひしひしと伝わってきた。
そして今年になって、この連載が始まった直後に静香さんから手紙をくれた。もしできたら一度お会いして、今の自分の境遇を聞いてほしいのだがと、遠慮がちに書いてきた。私はすぐに返事を出して彼女と会うことにした。熟年離婚をしてから、一年近くが経過したという彼女の現在の心情を聞きたかった。
初対面なのに、待ち合わせたホテルのロビーで、彼女のことはすぐわかった。手紙の便箋がとても可愛い花柄だったが、それと同じように静香さんもレースのついた仕立ての良い花柄のスーツを着て、髪の毛もきれいにカールさせていた。全体に華やかな雰囲気の漂う女性だ。
挨拶がすむと私たちは最上階にある料理屋へ入った。最近は取材のときに和食の店を使うことが多い。理由は簡単で個室があるため、ゆっくりと話が聞けるからだ。
静香さんはにこやかな表情で、スーツの上着を脱いだ。
「以前からお会いして私の全てを聞いていただきたかったんです」と話し出した。
性交痛でできなくなる前にしたいという焦りと恐怖感
私は当然、彼女が離婚した経緯を語り始めるものと思っていたら、まったく違った。
「あのね、私、今、恋人がいるんです。それも二人いるの。工藤さん、そういうことに関して偏見はおありじゃないわよね。つまり私くらいの年齢の女が恋愛をすることについて」
もちろん、静香さんは独身なのだから、ボーイフレンドが何人いても、私は彼女を批判する気は全くない。いや、むしろ元気な女性の話を聞くのは楽しい。
そう答えると、彼女は安心したように頷いた。
「あのねえ、やっと最近、気が付いたんですけど、私どうしてこんなに忙しいんだろうと思っていたんです。でも、よく考えてみれば当たり前ですよねえ。男が二人いたら、そのために使う時間は二倍になるわけじゃない。そりゃあ忙しいですよ」
おかしそうに静香さんが笑った。
「じゃあ一人に絞ったらいかがですか?」と私が自然に感じたことを口にした。
「あら、それはできないわね。二人の男の間で絶妙なバランスを保っているのが、今の私の生き甲斐なんですもの。一人だけっていうのは普通の女の人がやっていることじゃないですか」
確かに言われてみれば、その通りだが、何事につけても横着な私は、男が二人いると聞いただけでも面倒で頭が痛くなる。しかし、どうやら静香さんは、違うらしい。
「えーと、どこから話したらいいかしら。そうそう、まずは敗者復活戦の話。主人と別れて、私は完全に自由の身になったでしょ。離婚については、後でお話しします。
とにかく五十歳を過ぎて独身になったときに、工藤さんが書いていらしたことを思い出したのよ。女性は閉経するとセックスが難しくなるっていってましたよね。あれ、何でしたっけ、あの身体に問題がでること」
「ああ、性交痛ですか?」
「そうそう、その性交痛が自分の場合だっていつ起きるかわからないじゃない。そう気づいたら急に不安になりましてね。今のうちに男の人とセックスしておかなかったら、できなくなるっていう恐怖感に取り憑(つ)かれたんです。焦りみたいなものですね。
それで昔、主人と結婚する前につきあっていた男の人に連絡してみたんです。あちらは今六十一歳で、会社の重役さんなんですけど、すごく驚いたみたいです。まあ、はっきりいうと主人とその人とどっちにしようか迷って、
結局主人を選んだわけですから、彼は私に振られたと思っていたんです。だから三十年ぶりくらいにこちらから電話したら、すごく喜んでくれました。これって敗者復活戦みたいなものですよね。
二回目に会ったときには、もう縒りが戻っちゃったんです。ええ、昔も関係がありましたよ。真面目な人だから結婚を前提に交際してたんです。それなのに私が裏切った形になったわけです。でも、恨んでなんかいませんでしたね。それはそうでしょ。もう時効ですよ。
もちろん、彼は妻子がいますけど、奥さんとは家庭内別居も同然だって言っていますね。お互いに干渉しあわないという暗黙の了解があるんですって。だから、金曜日なんか、私のマンションに平気で泊っていきますよ。
安田さんというんですけど、安田さんとの時間が楽しいのはお互い青春を共有したっていう意識があるからじゃないですか、正直いって、セックスはねえ、ちょっともう彼は精力が落ちているっていうのか、いつも中途半端で終わっちゃうんですよ。なかなかフィニッシュまでは至らないんですけど、でも私には不満はありません。
ベッドの中で、二人で手をつなぎあって、一九七〇年代の終わりに流行った歌と映画の話をしたり、共通の友人の噂をしたり、そんな和やかな時間が嬉しいんです。彼もそれは同じだと思います。
でも、私かっては人妻で夫の浮気には苦労しましたから、彼に離婚を迫る気もありません。定年後は静香と暮らしたいなんて安田さんは口走したりしますけど、私は何も答えません。だって将来のことは、わかりませんものね」
謎の熟女サークルに参加。飲み会の相手は可愛い年下の男
静香さんの話が途切れたところで、私は尋ねた。
「離婚なさったご主人には愛人がおられたのですか?」
「そりゃあいたでしょう。私は四十六歳くらいから、ずっと体調が悪くて寝たりおきたりでしたからね。更年期障害でひどい眩暈(めまい)や脱力感もあって、家事なんてほとんどできなかったんですもの、主人がよそに女を作っても当然だったと思います?」
「うーん、そうとも言い切りませんね。でも、まあ離婚の話は後からしますよ。
それよりもね、もう一人の彼の話を聞いていただきたいの。これは、すごくおかしいんですよ。
ある日ねえ、女の友達から飲み会に誘われたんです。それが、相手は若い男の子ばっかりで、こちらは四十代から五十代のオバサンたちなんです。熟女サークルって呼んでいるんですけど、とにかく、そのサークルに集まる男の子たちは、若い娘なんかには、全く興味がないんです。熟女一筋なの。
そんな驚いた顔をなさらないでよ。本当の話ですよ。それで二週間に一回くらい安い居酒屋で、会合があるんです。参加してびっくりしたのは、可愛い二十代の男の子が、たくさん来るんですよ。まあ、はっきりいってちょっとオタクっぽい子もいますけど、翔太はいたって普通の子でしたね」
「ちょっと待ってください。いったいどんな組織がその熟女サークルを運営しているんですか?」
正直にいって、私は静香さんの話が、少し胡散臭(うさんくさ)く聞こえた。背後に何か悪質な組織がついているとしたら危険だ。
「別に、誰が運営しているというほど大袈裟なものじゃなんいんですよ。ただ、熟女好きな男の子が集まって、それに小まめなオバサンが世話役になって適当な熟女の人数をそろえるだけなんです。
もちろん、非営利団体ですよ」といって静香さんはくすりと笑った。どうやら私が心配しているような大掛かりなものではないらしい。
「そこで翔太と知り合ってすっかり意気投合しちゃったんです。彼ですか? えーとね、年は二十六歳で、コンピュータ関係の仕事をしています。でも、それだけでは食べていけないから、まだ親のところにいます。
まあバラサイトですね。とにかく若い娘はまったく眼中にないってはっきり言っています。初対面のときから一目惚れしたんなんていって、猛烈に接近してきました。
私も悪い気はしなかったんで、最初は食事程度、といってもファミレスですけどね、それから散歩をしたりして、なんか若い頃に戻った気分でした。
男女関係になったのは三回目に会ったときくらいだったかしら。新宿の安いラブホテルに入ったんです。これも、自分では信じられなかったですね。だってこの歳でラブホに行くなんて考えてもみなかったからです。
おかしいのは翔太はお金がないから、食事もホテル代も私が負担するんですけれど、彼はそれをすごく申し訳ないと思っているんですね。だから安いファミレスやラブホしか使わないんです。そういうところは妙に律儀なの。
翔太は私とのセックスには満足しきっているっていつも言います。『静香さんは最高です。理想の女性です』なんて、こっちが恥ずかしくなるほど褒めてくれるんですよ。
最近やっとわかったんだけど、あの子ねえ、どうもコンドームを着けると萎えちゃうらしいのね。どうしてだかわからないけど、コンドームが苦手らしい。
それで、私が相手なら、もう妊娠する心配がないから、初めからコンドームを着けなくていいでしょ。それで安心してセックスに没頭できるようよ」
それで静香さんは、翔太とは必ず、外で会うようにして自宅には連れてこない。そのへんは、まだ警戒しているそうだ。後で別れるときのことまで考えているという。
安田さんは身元もわかっているし、もしかしたら老後は一緒に暮らしてもいいと思っているので、自分のマンションに迎えるが、ときどきは彼がシティーホテルを取ってくれることもある。食事はいつも安田さんがご馳走してくれる。
「さっさと離婚して、若い男の子とセックスすればよかった」
ちょっと気になったので尋ねたら、静香さんの生活費別れた夫が一ヶ月に十万円、ほかに三人の子供たちがそれぞれ五万円ずつ仕送りをしてくれる。さらに2DKのマンションを持っていて、
そこからの家賃が十五万円入る。合計四十万円の収入があるうえに、ピアノの教師といて月に十五万円くらいは稼ぐので、生活の心配はないのだという。
離婚したときの慰謝料で中古だが二千五百万円のマンションを買ったので家賃もいらない。前の夫が会社を経営していた経済的には裕福だからこそ、静香さんも今の暮らしが維持できている。
「私ね、本当に今は後悔しているんですよ。なんでもっと早く離婚しなかったのかと思って。だってこんな楽しい生活が待っていたんですよ。更年期障害なんて、あなた、さっさと離婚して若い男の子とセックスしていたら、とっくに治っていたでしょう。それなのに、何にも知らなかったから、私は六年も苦しんだんですよ。信じられないわ。
翔太は私のことを女神様みたいに崇(あが)め奉っているのよ。おかしいでしょ。こんなオバサンのことを。でも、彼は私に巡り会えて初めてセックスの悦びを知ったなんてお真面目な顔でいてますよ。それまではセックスってオシッコをするのと同じくらいのものだったんですって。
射精するのがオシッコと一緒だっていうの。だけど今は、愛に裏付けられた行為だなんて耳元でささやいてくれるんですよ。『ボクは静香さんの負担にならない範囲で一生ついていきたいんだ』とか言ってますけどね。
案外、歳を取ったら安田さんじゃなくて翔太に面倒を見てもらっていたりしてね。ふふふ‥‥」
静香さんは幸せそうだった。あんまり嬉しそうに二人の恋人の話を報告してくれるので、私は彼女の離婚についての詳しい経緯を聞き損ねてしまった。話がその点に及ぶと、また「後から話すわよ」とかわされてしまった。
まあ、それでもいいかと取材が終わってから思った。静香さんは今、青春が満開なのだ。人間の青春は必ずしも二十代や三十代だけじゃないんだなと、彼女が私に教えてくれた。
悪妻から逃げるには「蒸発」するしかなかったあの頃
自慢の娘をもった夫婦に、一片の陰りもなかったはずだった
これは、ある友人から聞いた話だ。少し古い時代のことである。
そう、たしか昭和四十年代から五十年代にかけて流行った言葉に「蒸発」というのがあった。ちゃんとした家庭があって、仕事も順調なサラリーマンが、ある日、突然失踪(しっそう)してしまう。姿を隠してしまうのだ。
家族や会社が必死になって連絡を取ろうとするのだが、どうしても居場所がわからない。そういうケースを「蒸発」したという。私が記憶しているくらいだから、当時は大きな社会問題になっていたと思う。
なぜ、今頃になって、こんな昔の話をするかというと、それには理由がある。十代の半ばに学習塾で知り合った友人に清美さんから、先月、電話をもらったのだ。彼女とは、もう年賀状をやり取りするだけの付き合いになっていたので、突然の連絡に驚いた。
「父が亡くなったんです」と清美さんが開口一番にいった。
「お父様って…‥」と答えたまま、私は次の言葉が出なかった。なぜなら、清美さんの父親は昭和四十代の終わり頃に、忽然(こつぜん)と蒸発した人だった。そのことで、彼女がどれほど憔悴(しょうすい)していたかを、私は思い出したからだ。
「どこで亡くなられたのですか?」と私が尋ねると、しばらくの沈黙があって、「山形でした」という。
それから二時間にわたって、私は清美さんと一家の数奇な運命について電話で聞くことになった。ほんとうは直接会いたかったのだが、なぜか彼女はそれを拒んだ。ただ、私が熟年離婚について書いているのを知っていて、「うちみたいな悲惨な例も美代子さんにお知らせしておきたかったの」と自ら電話かけてきた理由を述べた。
清美さんの家族構成は複雑だ。彼女の実の母親は清美さんが十三歳のときに病死した。残されたのは父親の義雄さんと清美さんの兄で二歳年上の浩一さんだった。
清美さんは非常に理知的な女性で、わたしと同じ歳だったが、もう十代のころから大人びて見えた。彼女の家は老舗の和菓子屋さんで、職人も五人くらい使って手広く商売していた。経済的にも豊かだったので、清美さんは高校時代に一年間、アメリカに留学した経験がある。
彼女の継母の歌子さんに私は何度かお会う機会があった。正直いって、あまり好きなタイプではなかった。遊びに行くと、いつも寝巻きのままで平気で客間に出てくる。髪の毛もくしゃくしゃで、なんともだらしない印象だった。
そして口を開けば清美さんの自慢話なのだ。たしかに清美さんは有名女子高から国立の大学に進学した、優秀な人だった。顔をも可愛くてスタイルも良かった。それなのに、とても謙虚な性格で、みんなに好かれていた。
だから清美さんの継母が彼女を誇りに思う気持ちはわかるのだが、あんまり毎回同じ話(清美さんはいつも学年ではトップの成績だったとか、男の子がみんな彼女に憧れてお誕生日には数えきれないくらいお花が届くといった類のこと)を聞かされると、私は内心、でも、彼女はあなたの実の娘じゃないじゃないと反発したくなったものだ。
まったく似ても似つかぬ母娘だったが、清美さんは感心するくらい歌子さんを大事にしていた。長男の浩一さんは、歌子さんと折り合いが悪く、高校を卒業すると同時に北海道にいる親戚を頼って家を飛び出してしまった。それでも、清美さんは歌子さんの肩を持って「兄が我儘だから困るのよ。世間体が悪くて母が可哀想なの」などといっていた。
買い物に行くと言って、蒸発した父とその後
清美さん父親は、ほんとうに無口な人だった。私たちが遊びに行っても、ただ黙って頭を下げて挨拶するだけで、何も喋らずに黙々と和菓子を作っていた。それだけに妻の歌子さんの饒舌はいやでも目立った。
まるで一卵性双生児のように歌子さんと清美さんは、どこに行くにしても一緒だった。清美さんの洋服も、すべて歌子さんが決めて買っていた。あんなに従順な娘というものが、この世にいるのだと、私は不思議だった。
なぜなら、私は母としょっちゅう喧嘩をしていたし、母は口癖のように「どうしてこんなに出来の悪い娘が生まれたのかねえ」といっては、私の顔を見てため息をついていたからだ。
そんなふうなので、清美さんにボーイフレンドができると、いつも歌子さんが猛烈な勢いで邪魔をした。どんな男の子でも歌子さんは気に入らなかった。性格がよくて美人の清美さんに恋をする男の子はたくさんいたが、次々と歌子さんに撃退された。それでも清美さんは歌子さんと衝突はしなかった。
「母がダメだっていうのだから仕方ないわねえ」と温和な微笑みを浮かべていた。
たしか彼女が二十三歳くらいの時だったと思う。突然、清美さんの父親が蒸発した。
ある日、ちょっと買い物に行くといって家を出て、そのまま帰ってこなかった。もちろん、家族は心配して警察に相談した。事件に巻き込まれた可能性も考えたが、義雄さんらしい男性は発見されなかった。
「あれはねえ、父が消えて一年たったときだったわ。北海道にいる兄から電話があったのよ。『親父は生きている。心配するな。でも、捜すな。それから、あの女には言うなよ』って、それだけいって、兄は電話を切ったの。あの女っていうのは母のことなの。
それで、私はピンときたのね。ああ、そうか、父は蒸発したんだ。母のことが嫌いで逃げたんだなって。そして兄とは内緒で連絡を取っていたんでしょう。それほど母が嫌いだったのね」
「たしか清美さんはお母様とすごく仲良しだったわよねえ」
「ええ、母が家に来た時、私があの人とうまくいかなかったら父が可哀想だと思ったの。だから、母のどんな言葉でも従う覚悟をしたわ。それからほどなくして、母の秘密を知って、余計に身動きができなくなっちゃったの」
「母はね、父と結婚したときはもう四十一歳だったのよ。それから五年の間に、あの人は四回も子供を中絶したの。いつも憂鬱そうな顔をして、自分の実家がある千葉に帰って行ったわ。
そこの産婦人科の病院で手術を受けていたのを知ったのは母の妹にあたる叔母がおしえてくれたから。
清美がいるので、もう子供はいらないっていって、あんたのためにお母さんは子供を堕したんだよっていわれたときはショックだった。
それに私だって、避妊の知識はあったから、どうして父がコンドームを着けなかったのかも腹が立ったの。父が身勝手な男で母が気の毒だって思い込んだのよ。
そりゃあ、今になれば夫婦の間のことって、そんなに単純じゃないってわかるわよ。母は杜撰(ずさん)な女でしたから、きっと避妊に関してもいい加減だったんでしょう。ピルを飲むのを忘れたりしたんじゃないかしら。
とにかく、妻としても母としても失格でしたね。食事は作らない、掃除はしない、年中汚れた浴衣で、寝転んでいましたもの。まして、店の手伝いなんてとんでもない。
それでいて、少しでも気に入らないことがあると切れまくって怒鳴り散らしていました。そんな母が六十五歳で死んでくれたときは、ほっとしたわ。これでやっと自由の身になれると思って」
継母から逃げた父は、地方で住み込みの職人になっていた
世間から見たら、すごく仲良し母娘に見えた二人が、実は清美さんの必死の忍耐の結果だったのを知って、私は愕然(がくぜん)とした。
ずいぶん清美さんと親しかった時期もあるのだが、彼女はそんな胸中は一度もうちあけてくれることはなかった。
義雄さんが蒸発して三年目に、歌子さんは夫がどこかで生きていると知ったようだ。清美さんも風の便りで東北地方の和菓子屋さんに住み込みの職人として働いていると聞いた。
清美さんの実家の商売は、ご主人が消えてしまったのでは続けていけるはずもなく、間もなく廃業しました。しかし、都内の中心部に百坪以上の土地があったので、歌子さんはそれを売り払って清美さんと一緒に自分の実家の近くのマンションに移り住んだ。
「今、考えると、どうやって父の名義だった土地を売却できたのかもわからないけど、たぶん、母が勝手に父の実印や権利証を持ち出して売っちゃったんでしょうね。後は残ったお金と私の給料で食べていけると考えたわけ。実際、私は四十歳になるまで結婚もしないで、商社に勤めて母との暮らしを支えていましたから」
その当時の清美さんは父親に対する恨みばかり募っていたという。なんで黙って自分たちを捨てたのか。役立たずの継母が清美さんの重荷になるのはわかりきっているのに、ひどいじゃないかと憤(いきどお)った。
「もしかしたら、父は誰かと新しい所帯を持っているのかしらとも思いました。そちらに子供でもいるのかと悪い方に、どんどん想像が膨らんでいました。考えてみると、あんな口下手で不器用な父に女なんてできるはずもないですよね。それだけの才覚があったら、母を追い出していましたよ」
「それはそうねえ」と私は相槌(あいづち)を打った。
義雄さんは、よほどの覚悟で家を出て姿を消したのだ。その背後には、後妻の歌子さんの存在があったのは間違いない。なにしろ仕事はうまくいっていたのだから、借金に追われていたわけではないし、子供達も優秀で、これといった問題はなかったのだ。少なくとも歌子さんが、あの家に入り込むまでは。
「母が亡くなった後で、叔母からいろいろ話してくれました。母は若い頃から男好きで、男出入りが絶えなかったんですって。でも四十歳になっていつまでも独り身でいられないと思ったときに、父との縁談が持ち上がったんです。
それで見合いの翌日には、もう自分から父を誘って連れ込み宿に行ったんですって。ほら、昔はラブホテルのことを連れ込み宿って言ったじゃないですか。
おそらく最初の頃は父は母とのセックスにのめり込んだんでしょう。女遊びもできないような人でしたから。でも、母の本性を知るにしたがって、どうにも我慢ができなくなったんですよ。何もかも嫌になって蒸発したんです」
「あの時代には、熟年離婚なんて言葉も、発想もなかった」
清美さんの父親の義雄さんと連絡を取り合うようになったのは、歌子さんが亡くなってからだった。
驚いたことに、失踪して十年後くらいに義雄さんは歌子さんとは離婚していた、戸籍上は赤の他人になっていた。それを清美さんは知らされていなかった。しかし、おそらくは、歌子さんが土地を売却したときと同じように、勝手に離婚手続きもしたのではないかと思っている。
「父に何度も、こちらで引き取るから一緒に暮らそうといたんです。私だって、所帯を持ってみれば、父のいたたまれなかった気持ちもわかるし、母がいかに横暴だったかも知っていますから、父を責める気なんてこれっぽっちもなかったです。
でもねえ、父は最後まで遠慮して、俺が同居したら、お前の婿さんに迷惑がかかる。俺はお前に合わせる顔がないっていって、東京にも出てこようともしませんでした。
かつては、あれだけの大店(おおだな)の主人だった父が、田舎の和菓子屋さんに厄介なって、四畳半の一室で、ずっと職人として働いていたんです。可哀そうなことをしました」
聞いている私が、胸が痛んだ。逃げることしか選択肢がなかった義雄さんの人生は、あまりにも淋しい。
「ねえ美代子さん、どうして今ごろになって、こんな話をあなたにするかっていうとね、今はさかんに熟年離婚が話題になるじゃないですか。もしも父が蒸発した頃に、熟年離婚が今くらい認知されていたら、父も思い切って母と離婚ができたと思うんです。
でも、あの時代はまだまだ、熟年離婚なんて言葉も存在していなかったし、発想もなかたでしょ。父みたいに昔気質(かたぎ)の男は蒸発するしか生きていく道がなかったんですね。
そんな男もいたっていうことを忘れないでやってほしかったの、ごめんなさい。つまらない話を長々としちゃって。でも最後は山形の老人ホームで孤独に死んでいった父を思うと、ああ、時代さえ、
ほんのちょっと遅かったらって、娘としては思うわけ。熟年離婚ができると今の人たちは幸せだと感じてもらいたかったの。私? 私は大丈夫よ。主人も優しいし、とっても幸せよ。お邪魔してごめんなさい」
清美さんは上品な口調でいうと電話を切った。私は何とも切ない気持ちで胸がいっぱいになった。清美さんの父親は、時代の犠牲者だったのだろうか。もしかして熟年離婚は私たちの世代がようやく選び取った権利かもしれない。そう考えると熟年離婚も軽々しくろんじられないとおもったのだった。
つづく
第十章
まさか三十年連れ添った夫がホモセクシャルだったとは.