
工藤美代子 著
洒脱な雰囲気が失せ、くたびれた姿に
富江おばさんに会ったのは実に二十年ぶりだった。昨年六月に母が亡くなったとき、訃報を新聞で見て、葬儀にきてくれた。
富江おばさんは、たしか私より十四歳年上のはずだから、あのときは七十一歳だった。
おばさんといっても、彼女は親戚ではない。私の母の知人の妹にあたるのだが、ある時期、家族ぐるみで、親戚同様の親しい付き合いをしていた。
ひう、あれは私が高校生だったの頃だった。富江おばさんは、恵比寿に住んでいて、原宿の我が家に近かったので、しょっちゅう遊びに来てくれていた。わたしは富江おばさんは、が大好きだった。
飛び切りの美人というわけではないのだが、仕草が女性らしく可愛い。スタイルが抜群に良くて、いつもお洒落な服装をしていた。彼女の夫は不動産関係の仕事をしていて、ずいぶん羽振りの良い時期もあった。
富江おばさんがヨーロッパ旅行をしたときに、お土産だといってエルメスのスカーフを買ってくれたことがある。高校生の私は大感激した。それは長い間、私の宝物だった。
その富江おばさんを母の葬儀で見たとき、私は彼女が誰だかわからなかった。
「富江よ。美代子ちゃん、わかる?」といわれて、はっとした。宝石には目がなかったあのおばさんが、真珠のネックレスも指輪もつけず、くたびれた黒いワンピースを着て立っていた。
顔には深い皺(しわ)が刻まれ、髪は真っ白だった。おばさんの生活ぶりが、なんとなく伝わってきた。
私は慌てて、自分の名刺を出して、おばさんの手に握らせた。
「おばさん、お暇なときに電話ちょうだい。ゆっくり昔話でもしたいじゃない」というと、おばさんは嬉しそうに「そうね」といって頷いた。
それから三週間ほどして、富江おばさんから電話があった。夜の十時過ぎだった。
「おばさん、あれからどうしていらしたの?」
私は挨拶もそこそこに尋ねた。今から二十年以上前に、おばさんは夫と離婚したのだ。熟年離婚なんていう言葉が流行るより、はるかに昔だ。そしておばさんは音信不通になった。母も気にして、「あんまり暮らし向きがよくなくて、訪ねて来られないんじゃないかしら」などと心配していた。
それというのも、富江おばさんが離婚する少し前に、夫の経営する会社が倒産したのである。それまでは君島一郎の店で洋服をオーダーするような派手な暮らしをしていたおばさんの日常が一変したのは容易に想像できた。
ぱたりと、おばさんはわが家に現れなくなり、住んでいた家は夫の会社の債権者に取り立てられて、どこへ引っ越したのかも、私たちは知らなかった。
愛人と同じ指輪に激怒し、夫の顔を「引っ掻いてやった」
「あれから、いろいろあったのよ」とおばさんは、電話口で身の上話を始めた。その話の内容に触れる前に、おばさんが離婚した経緯をざっと説明しておきたい。
まず、おばさんの夫である瀬川さんは、とにかく女好きで、浮気ばかりしていた。それが彼女にとっては最大の悩みの種だった。瀬川さんがバンコクに出張したとき、妻に見事なエメラルドの指輪をお土産に買ってきた。
自慢そうにおばさんは、それを私に見せてくれた。ところが、それから一ヶ月くらいした頃、おばさんが浮かない顔で家に来た。
「昨日はね、主人の顔をめちゃくちゃに引っ掻いてやったの。今朝病院に行ってから会社へ行ったみたいよ」という。理由を聞いてみると、用事があって、おばさんが夫の会社を訪ねたら、バンコク土産そっくり同じのエメラルドの指輪を秘書の女の子がしていたのだという。
それを見て、カーッと頭に血が上るのが、自分でもわかったという。その晩、夫が帰宅したところで修羅場が演じられたらしい。
しかし、夫婦とは不思議なもので、そんな大喧嘩をしながらも、二人はあっという間に縒(よ)りを戻した。私がおばさんの家に遊びに行くと、ご主人はいたってにこやかに対応してくれて、おばさんも幸せそうな妻に見えた。
やがて、私は二十三歳のときにカナダへ嫁に行くことになってしまった。半年ほどした頃におばさんから電話があり、瀬川さんが仕事でバンクーバーへ行くから、お土産を持たせるので何が欲しいかと聞いてくれた。私は虎屋の和菓子をお願いした。
瀬川さんは相変わらず愛想がよくバンクーバーの私の家にやってきた。ディナーをご馳走して食後のブランデーを飲み始めると、瀬川さんは急に饒舌(じょうぜつ)になった。
「いやね、うちの富江は、あっちのほうの感度がいいんですよ。だから、昼間でもね、娘が出かけているときはやっちゃうんです。結婚して十四年たつけど、富江は好色なんだなあ。
やりただるんですよ。だけどアナル・セックスだけはやらせてくれない。これをなんとか教え込もうと思っているんですがね」
そんな夫婦のセックスの話をあけすけに話す瀬川さんに、私はちょっと嫌悪を感じた。どうして、あんなに素敵な可愛い富江おばさんが、こんなエロ親父みたいな瀬川さんと一緒にいるのかわからなかった。
私がしばしば日本へ長期帰国をするようになったのは、最初の本が出たときからだった。三十二歳になっていた。富江おばさんは四十代の半ばだったはずだが、まだ女の魅力がじゅうぶんにあると私は思えた。
しかし、瀬川さんとの仲は末期的な症状になっていた。
五十歳の瀬川さんが二十七歳の素人の娘さんと深い仲になり、そちらに赤ちゃんまでできたという。
「でもね、あたしは絶対に離婚しない。あたしは主人の性質をよく知っているの。今はあの女に夢中だけど、きっと一年もすれば飽きて、家に帰って来るにきまっているのよ。今までもそうだった。だから別れない」
富江おばさんは、決然とした口調でいっていた。
私の母は「富江ちゃんは。なんで、あんな女癖の悪い男に執着するかしらね、さっさと離婚して、もっと誠実な人を見っけたらいいのに、富江ちゃんなら、まだきれいなんだから、いくらでも貰い手はあるわよ」などと、ため息をついていたが、まさか面と向かって離婚を勧められなかった。
女癖の悪さと新興宗教入信に離婚を決意して
そんな最中に瀬川さんの会社が倒産したのである。憔悴(しょうすい)し切った様子で、富江おばさんは、私の家に来た。
「もうダメだわ。何も残っていないのよ。瀬川は女の実家に転がり込んで、向こうで暮らしているの。八百屋の娘なのよ」
おばさんが離婚を決心したのは、その家では一家全員がある新興宗教にはまっていて、瀬川さんもその新興宗教を熱心に信仰していると聞いたからだった。
「主人はそんな人間じゃなかったのよ。でも、もう完全に正気を失っているんだわ。あたしも、あきらめようかと思って」
おばさんの声は暗かった。
「富江ちゃん、あなたはまだ五十一歳なんだから、これから働けばいいじゃない。道は必ず開けるわよ。大丈夫。あたしだって、今商売を始めたのは五十歳になってからよ」と私の母はおばさんを一生懸命に励ました。
実際、私の母は父と離婚した後、五十一歳のとき一念発起して、虎ノ門にコーヒーショップを開いた。それまではお勤めもしたことがなかったのだが、とにかく頑張って店を軌道に乗せ、五年後には銀座に進出してレストランを開業した。
こちらも順調だった。だから母の口癖は「女の一生に遅すぎるという言葉はない」だった。思い立ったらいつでも、再出発ができるというのだ。その意味で母は常に前向きだった。
富江おばさんがいつ離婚したのか、正確なことは知らない。ただ、彼女のお姉さんから「富江もあきらめて、瀬川と別れたのよ。だけど、あの子も腹が据わってないのねえ。ちゃんと正業に就いて働かないで、一攫千金みたいなことばかり考えているのよ」と愚痴をいうのをきかされた。
風の便りに伝わってくる富江おばさんの噂は良いものではなかった。ある実業家の愛人になったとか、バーの雇われママになっているとかいった類のもので、どうも足が地についていない生活を送っているようだった。
そんな噂も十年くらいでぷっつり聞こえなくなった。「あの人も六十過ぎたら。もう色気で世の中は渡っていけないでしょう」などと、私の母は批判的な口調だった。
愛人に見捨てられ、帰されてきた半身不随の夫
「それで、おばさん、いろいろあったって、何があったの?」
懐かしさに胸いっぱいになって尋ねた私に、帰ってきたおばさんの言葉が意外なものだった。
「美代子ちゃん、あたしねえ、今は瀬川とまた一緒にいるのよ。あの人ね、十年ほど前に脳溢血になって半身不随で、呂律(ろれつ)も回らないの。それでその女のところから帰されてきたの。あっちじゃ面倒見切れなかったんでしょう」
ふーんと、私は心の中で大きくため息をついた。あれだけ手酷く裏切った男を、おばさんは介護しているのだ。
実はおばさんと離婚したものの、瀬川さんは、素知らぬ顔で、おばさんのアパートに月に一回くらいの割合で訪ねてきていた。一緒にいた娘さんは、父親の図々しさに激怒して出て行ってしまった。
それというのも、瀬川さんは訪ねてくると、必ず一泊したのだという。娘さんにしてみれば、そんな両親の関係が許せなかったのだろう。
富江おばさんも交際していた男の人は何人かいたが、結局、瀬川さんに引きずられる感じで、月に一回の逢瀬を持つようになってしまった。
「美代子ちゃんは、あたしのことを馬鹿だと思うでしょ。そうよね。でも、他の男とはどうもしっくりこなかったの。お金をくれて生活の面倒を見てくれた男もいたけど、やっぱり瀬川が好きなのよ。
離れられなかったの。それに瀬川だって、向こうに家庭があるのに、あたしのところにちゃんと通って来てくれたのよ。あの人はね、必ず月に一回は来てくれたの。どんなに向こうの奥さんに嫌な顔をされても」
つまり本妻だった富江おばさんが、今度は愛人みたいに立場にになって、後妻になった八百屋の娘さんは、富江おばさんの存在に心を悩ませることになった。
なんとも不可思議な関係である。
だから、瀬川さんが働けなくなった時とき、「そちらで引き取って世話してください」という手紙を持たされて、瀬川さんは寝台タクシーに乗せられて送り返されてきたのだ。
それまで、瀬川さんは、後妻さんの実家の店を手伝っていたという。
では富江おばさんは、どうやって生計を立てていたのだろう。
「あたしねえ、仕事を転々としたわ。バーの雇われマダムもやったし、ブティックの店員もやったわよ。でも、それも六十歳まだの話ね。六十歳を過ぎてから、できる仕事なんて、そうはない。もう、ほんとうなら孫でも抱いて楽隠居の歳でしょ。
だけど、そうもしていられないのょ。瀬川さ一文無しだし、娘とは絶縁状態だし、あたしが働いて瀬川との生活を支えていくしかない。
だから、今はビルの清掃の仕事をしているわ。これだって、いつ首になるかわからないけど、今のところは、何とかやっていられるからラッキーよね」
富江おばさんは電話口の向こうで小さく笑った。
私は、華やかだったおばさんの中年時代を知っているだけに返事に詰まった。もしも、おばさんが瀬川さんじゃなくて別の男の人と結婚していたら、もっと幸福な人生があったのではないだろうか。
瀬川さんに躓(つまず)いてしまったために、おばさんの後半生は苦労の連続になった。そう考えると涙がこぼれた。しかし、おばさんが次に発した言葉で、私の感傷はあっけなくかき消された。
「美代子ちゃん、信じてもらえないけれど、あたし今が一番幸せなのよ。瀬川はもう一人で歩いてどこに行けないの。あたしに頼りっぱなし。もう他の女に取られる心配はなくなったわ。あの人、完全にあたしのものなのよ。あたしが勝ったのよ」
富江おばさんは誇らしげにいって電話を切った。私はふと思った。自分は彼女のように人生を賭けて、一人の男に執着したことがあったのだろうか。いや、なかった。
いつでも、向こうが逃げ腰になる気配を感じただけで、さっさと身を引いた。それに比べて富江おばさんの執念はすごい。もしかしたら、彼女こそほんとうに女っぽい人なのかもしれない。女の性(さが)に忠実な生き方を選んだのだといえるだろう。
つづく
第八章
「普通の朝食」に憧れ、すべてを失った男