自分の夫に他に女がいると分かったら、私は浮気現場に乗り込んでいく勇気があるだろうか。そこで二人が同衾(どうきん)していたら、その布団をひっぱがすような根性があるだろうか。

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第二章 妻が浮気現場に踏み込むとき

本表紙 工藤美代子 著

楚々とした女性が隠し持っていた、夜叉のごとき嫉妬心

 忘れもしない。あれは私が二十七歳のときのことだ。今から三十年以上の昔になる。
 当時、私はカナダに住んでいて、現地の大学で日本文学を教えている日本人の男性と暮らしていた。その人と一緒に日本に帰ったとき、流行作家のT
先生のお宅にお伺いした。今は亡きT先生は大変な売れっ子で、新聞連載や週刊誌の連載を何本も抱えておられた。それだけでも忙しいのに、女性関係もまた派手で、芸者さんと浮名を流したりしていた。

 玄関に出迎えてくださった奥様はきれいな方だった。真夏なのにきっちりと単衣(ひとえ)の紺大島を着ていらした。T先生もまた、和服だった。

 冷酒が出て次第に初対面の緊張も解けたころ、T先生が女性の話を始めた。奥様が台所に引っ込んだ時だった。

「うちの女房は怖いんですよ。私なんか、女と一緒にいるところを踏み込まれて、掛ふとんを剥がされことがありますよ。あのときは凄かったなあ」

 T先生は他人事のように笑った。居合わせた二人の男性も一緒に笑ったが、私は下を向いてしまった。何といっていいのか、わからなかった。あの楚々とした奥様のどこに、そんな夜叉(やしゃ)のような一面が隠されているのだろうかと思った。

 いよいよお宅を辞するとき、すっかりご機嫌になっていたT先生が、「いやあ、奥さん、お一人で日本に里帰りしたときは宅のほうへお越しくださいませ」と低い声でおっしゃった。

 なぜか私は足が震えました。別にT先生と内緒で会いたいなんて、これぽっちも考えていなかった。しかし奥様は、しっかり牽制球を投げてきた。その情念の強さが、まだ二十代の私には不気味にしか映らなかった。

 あれから長い年月が流れ、T先生は鬼籍に入られた。私もあのときの奥様よりも年齢が上になった。今でも時々考えることがある。もしも、自分の夫に他に女がいると分かったら、私はそこに乗り込んでいく勇気があるだろうか。そこで二人が同衾(どうきん)していたら、その布団をひっぱがすような根性があるだろうか。

 多分できないだろう。生まれつき小心者だから、大胆な行為はできっこない。夫が他の女に奪われたら、悲しくて泣くだろうけど、相手と闘うだけのエネルギーはこちらにはない。ただ無慚(むざん)に敗北するだけだ。そう考えると悔しいが、自分に甲斐性がないのだから仕方ない。

 T先生の奥様のような女性を男性は必要としているのかもしれない。何度愛人を作っても結局はT先生は奥様の入る家庭へと引き戻された。そして、家族に看取られて亡くなった。

「すまないが別れてくれ。理由は聞かないでくれ」

 なぜ、私が三十年も昔のことを思い出したかというと、つい先月、熟年離婚したばかりの容子さんに、その経緯(いきさつ)を聞いたからだ。

 彼女は現在五十四歳である。結婚して二十七年たつ。子供達も育ったところで、小さな貿易会社の経理部に就職した。もともと几帳面な性格なので経理の仕事が向いていたのであろう。
 すぐに社長に信頼されるようになり、彼女は生き生きと働いていた。

 一歳年上の夫は、外資系のサラリーマンで、二年ほど前から子会社の専務として出向している。

「セックスに関して、主人は淡泊な方だったと思っていました。だって、四十歳くらいから、もう指一本触れてこなくなったんですもの」

 二人の息子がいて、その育児に追われていた容子さんは、それを不思議に思わなかった。
 しかし、他人の私から見ると、やっぱりそれは不自然だ。

容子さんの夫を知っているが、年齢よりはるかに若く見えて、少年のような面差しの持ち主だ。特に、黒眼がちの瞳が輝くようで、いかにも女性の本能をくすぐる感じがする。どこからどう見ても現役の男と言うのが私の印象だ。

 だが、妻というのは、いつも一緒にいるためか、夫のマーケットヴァリューにあまり気づかないものらしい。容子さんは、夫がセックスしないのは、単に仕事で疲れているからだろうと思っていた。

夫が女性にもてるかどうかなどと考えてみたこともなかった。夫は夫であり、常に家の中心にいる。そこで子供たちと平和に暮らしているだから、満足だし、セックスなどは、たいした問題ではないと思っていた。

 今日は話があるから早く帰ると夫から言われたのは、昨年の二月十日だった。このときも容子さんは何の心配もしていなかった。二十年前に購入した家がそろそろ古くなり、子供たちも巣立ったので、マンションへでも移ろうという相談かもしれないと気楽に考えていた。

 簡単な夕食がすむと夫は彼女に向き合って、いきなり頭を下げた。
「すまないが別れてくれ。離婚してほしい。理由は聞かないでくれ。頼む」
 そういって、また頭を下げた。

 あまりに急な話に容子さんはあっけにとられた。
「人間って、本当に驚くと、それこそ漫画じゃないけれど、口がぱくぱくするものなのね。私も、あ、あ、っていったまま、何も言葉が出てこないの。ものすごく怒らなきゃいけないんだけれど、それも忘れているの。なに、この人、どうしちゃったのっていう感じ」

 ずいぶん長く、沈黙の時間が流れた。
「終わりにしてくれ。俺が家を出ていく。この家はお前にやる。それで清算させてくれ」
 夫だけがしゃべり続けた。容子さんは、言葉が浮かばない。

「淋しかったら勇太を呼び戻したらいいじゃないか」と夫はいった。勇太とは、つい最近、横浜の大学に進学したため家を出て行った次男のことだった。

 しばらく夫が話し続けるのを聞いているうち、猛然と腹が立ってきた。夫の頭の中では、もう何度も別れのシミュレーションが繰り返されていたのだろう。

だから、彼はよどみなく言葉を吐き出す。それは一刻も早く離婚を成立させたいという思いからに違いない。

 しかし、容子さんにとっては不意打ちだった。なんと返答したらよいのか詰まっていたのだが、やがて事態をはっきり認識した。

「私は嫌です。今更なんで離婚しなければいけないんですか? 理由もわからずに、『はい』という女がいると思いますか」

「わかった。じゃあ一ヶ月だけ待つ。一ヶ月の間にお前の方も、心の整理をつけてくれ。一ヶ月したら俺は家を出る」

 夫は容子さんの語気に少し怯(ひる)んだように譲歩案を出してきた。
 一ヶ月でも一年でも、私の考えは変わらない。離婚なんて絶対にしない。と容子さんは思ったが、黙っていた。口を開くと泣きだしそうな自分が情けなかったという。

 翌日から何事もなかったような平穏な日々が始まった。しかし、それが限られた時間であることを容子さん知っていた。

 夫の帰りは相変わらず午後十一時過ぎだった。しかし、これは離婚話が出る前からそうだった。いつも仕事や接待で忙しいのだと彼女は信じていたのだが、どうやらそれだけでなかったらしいと、ようやく気付いた。

 愛人の家を発見して、「乗り込むしかないと」と思った

 そんなある日曜日の午後、夫が急性の胃痙攣で緊急入院するという騒ぎが起きた。熟年離婚という爆弾を抱えての日常生活は彼にとって負担だったのだろう。

 自宅から救急車で病院に運ばれる夫を見て、ああ、これが愛人の家じゃなくてよかったと容子さん思った。そんな社会的な体面を気にしている自分がおかしかった。

いずれ、二人の別居が公になるのは時間の問題だろう。だとしたら、夫がどこで倒れようとかまわないではないか。

 このとき、容子さんは痛切に真実が知りたいと思った。自分の知らないところで、夫は何をしているのか。

 あわてて入院したので、夫は携帯電話も手帳も鍵のついたキーホルダーもすべて家に置いて出た。

 点滴を受けて眠っている夫を病室に残して、容子さんは急いで家へ帰った。そして夫の所持品を徹底的に調査した。

 携帯から愛人の存在はすぐに判明した。「ユミ」という女の人にかけている回数が圧倒的に多く、メールも残されていた。

「七時、いつものところ」とか「九時にちょっと寄れる」とか用件のみの短いものだったが、それだけで親しさが表れているようだった。

 夫のアドレス・ブックを見ると、一人だけユミという名前に該当する女性の電話番号と住所が載っていた。その住所は容子さんたちの家から歩いて数分の距離だった。ずいぶん長く続いた仲なのだろうと容子さんは察した。夫が立ち寄るのに便利なように、すぐ近所に女はアパートを借りたのだ。

 そして夫のカギを調べてみると、やはり一本だけ、見慣れない鍵が交っていた。家のキーでも車のキーでもなかった。

その鍵を握って容子さんはすぐに近所のスーパーに走った。そこでは鍵の複製を十五分でしてくれるのだ。彼女はその鍵の複製を作った。

 それから何食わぬ顔をして夫の病室へと戻った。おっとはすやすやと眠ったままだった。

 一晩を病室で過ごした夫は、翌朝になって帰宅した。妻がずっと自分に付き添ってくれていたと思い込んでいるので、「容子もすこし眠ったほうがいいよ」と優しい言葉を掛けて、自分は会社へ出勤した。

「その晩ね、絶対に主人は女のところへ寄るだろうと直感でわかったの。日曜日に連絡が取れていなかったので、女はイライラしていたはずよ。だから早めに女のところに行くに違いないって目星を付けたの。

夕方五時半ごろ、主人の会社に電話したら案の定『もうお帰りになりまた』っていう返事だった。それが決めたのよ。乗り込むなら今だって」

「そうよ。そのために鍵を作っておいたんじゃないの。いきなりいかなかったら、どうとでも言い訳されるじゃないですか。絶対に現場を押さえたかったのよ。逃げられないように追い詰めてやりたかった」

 その先を聞くのが、私は少々恐くなっていた。これはまさに修羅場だ。

 それにしても、仕事はしているものの、一見するとごく普通の主婦しか見えない容子さんのどこにそんな行動力が潜んでいたのだろうか。彼女とは、ほんの二、三年のつき合いに過ぎない私にはまったくわからなかった。

 浮気現場での戦慄。セーラー服を着ていたのは‥‥

「工藤さん、驚かないで聞いてね。この話をするのは、あなたが初めてなのよ。子供たちにも親にも親友にも話していないわ。でもすべてが真実のことよ。はっきり憶えているわ。そのアパートに着いたのは。六時十五分だった。
窓に灯りがついているのを確認して、いきなり鍵穴に鍵を差し込んで開けたら、簡単にドアへは開いたわ。私が想像していたのは、主人がだらしない格好で女とビールを飲んでいる姿だった。

ところが、全然違っていたのよ。なんて言っていいかわからないけれど、もう酷いものを見てしまったの」

 それはつまり、彼女の夫がセックスしている最中だったのだろうと私は察した。一番見たくないものだが、ある意味では、その現場を押さえるために容子さんは乗り込んだといえるだろう。

「自分の夫が他の女の後ろからペニスを挿入している姿なんて、誰だって見たくないわよ。私だってそうよ。私も五十歳過ぎた女よ。大概のことには動じない年齢になっている。だけどあれには驚いて足がすくんで動けなかったわ。あなた、主人は何をしていたと思う?」

「だからセックスをしている最中だったんでしょ?」
「それがね、普通のセックスじゃないのよ。相手の女がセーラー服を着ていたの。私は一瞬、主人が高校生とやっていると思ったわよ。でも、こっちを振り向いた女の顔はしっかりお化粧してあって、どう見ても三十代半ばはいっている女だったわ」

「なに、それ?」
 私は何度も瞬(まばた)きをしてしまった。容子さんの説明によると、女性はセーラー服の前をはだけて片側だけ乳房を出して、プリーツスカートを後ろからめくりあげたまま後背位でセックスをしていたのだという。しかもベッドではなく台所の床に手をついていた。

 なんとも異様な光景に容子さんは言葉を失った。向こうもまた、驚愕して凍りついたように動かなかった。

 黙って容子さん自宅に帰り、一人で泣いた。自分の夫は変態だったのかと思うと、そんな夫と連れ添ってきた自分が惨めだった。

 まして夫に未練を感じる自分が許せなかった。その晩、帰宅した夫に一言だけいった。

「明日、離婚しましょう。この家も貯金もすべて私がもらいます。あなたは裸で出て行ってください」
 それに対して、夫は無言で頷いたのだった。
 今でも息子たちには両親の離婚の真相を知らない。

 夫の死を願うのにはワケがある

「あの人は死ねばよかったのに」取材中に繰り返された呪詛(じゅそ)
 まだ子供のころ、よく二歳違いの姉と喧嘩をした。理由は憶えていないほど他愛のないものだった。「バカ」「トンマ」と罵(ののし)った後で「死んじゃえ」といったら、母に猛烈に怒られた。

「どんな場合でも『死んじゃえ』という言葉は絶対に使ってはいけません。人間の生命はと尊いものです。大切なものです。だから、どんなに腹が立っても死んでしまえと誰かにいうのは、とても悪いことなのですよ。わかった?」

 真面目な顔の母に諭された私は、なるほど、「死んじゃえ」とは、ひどい言葉であり、他人には絶対にぶつけてはいけないと知った。

 そして大人になってからは、死んでしまえばいいのにと真剣に思うほど誰かを憎んだ記憶がない。もちろん、男の人に裏切られたこともあるし、つい最近も実の肉親にひどい仕打ちを受けだ。

それでも、「死ね」とは思わなかった。私にとっては憎い人でも、誰かにとっては大切な人かもしれない。そう思うと、この世に死んでいい人間はいない。生命はと尊いものという母の言葉は、今までも私の心奥底に染み付いて離れないでいる。

 それだけに、友人の紹介で会った真利子さんが、取材の間じゅう、何度も同じ言葉を繰り返していたのは衝撃だった。

「あの人は死ねばよかったんですよ」
あの人は、彼女が一年前に離婚した夫の俊雄さんのことだ。

 その言葉を彼女が口から吐き出すたびに、私は身がすくむような感じがした。
 といって真利子さんを非難しているわけではない。彼女がいかに追い詰められているかはよく理解しているつもりだ。それでも、かつては愛した男性の死を願うというのは、あまりにも悲しい現実だ。

 この発端は五年前の冬だった。当時五十七歳だった俊雄さんが脳梗塞で倒れたのである。それまでは、二人はごく普通の夫婦だった。若い頃には夫の仕事関係で長くヨーロッパに在住していた。だから一人息子は語学堪能で、今では一流企業に就職している。

「主人が会社で意識を失ったときには、初めはそりゃあ驚きました。救急車で病院に運ばれて、すぐに頭を切開しての大手術でした。今夜が山場ですよとお医者様にいわれて、ほんとうに、ただ助かってほしいと祈りましたよ。

馬鹿みたいです。あの時あの人が死んでくれりゃあ、なんてことなかった。後で私がこんなに苦労することもなかった。ほんとに死ねばよかったんですよ」

 真利子さんは悔しそうに両手を握りしめた。そうはいっても、とにかく俊雄さんは死ねなかった。驚異的な回復力を見せて、この世に戻ってきた。

 しかし後遺症は残った。左半身が麻痺したのである。それから半年間は、リハビリの毎日だった。ようやく杖をついて歩けるようになると、会社は温情措置で、俊雄さんを社史編纂室という閑職にまわしてくれて、定年まで毎月給料をくれた。

 その時期は真利子さんも必死になって夫を支えた。今振り返ると、職場で知り合って結婚した二人は、大きな喧嘩もしたことはなかったし、子供の教育はもっぱら真利子の担当し、外で働いて稼ぐのは俊雄さんというふうに役割分担もはっきりしていた。

 一人息子が立派に育ったのは真利子さんの誇りでもあった。自分は妻としての役目をきちんと果たしたという自負があり、俊雄さんもそれを認めていた。

 定年後の再就職で、生き甲斐を取り戻したはずが

 セックスは真利子さんが四十代の半場になったころから途絶えた。ちょうど俊雄さんが会社で部長職に就いた時期であった。

「なにしろ、主人は団塊の世代でしょう。競争は激しかったですよ。その中で勝ち抜いていくには、半端なことではすみません。あの当時、『二十四時間戦えますか』っていうコマーシャルが流行っていましたけど、ほんとうに主人も戦場にいるようなものでした」

 だから、セックスがなくなっても、夫が浮気をしているとは思わなかった。今でも真利子さんは、その点では信じている。彼はひたすら、会社のため、そして家族のために働いていたのだ。

 平日は飲み会や食事会、そして休日には接待ゴルフが毎週のように入っていたのだから、ある意味では病気になるのは当然だった。

「男って不思議ですよ。出世して役員になると、今度は常務から専務に、そして副社長から社長になりたいと思うんですねえ。

主人にいわせれば、それは入社したときから、皆が頂点を目指しているものなんだそうですよ。特に主人の場合は同期の人数も多いですからこと一倍頑張っちゃったんでしょうねえ」

 真利子さんはため息をつく。彼女の話から浮かんでくるのは典型的な団塊世代のサラリーマン像だ。多分、女性にうつつを抜かす暇もなく俊雄さんは働いていたのだろう。

 そして、いよいよ定年の日を迎えた。
「私ねえ、反省はしているんです。あのときに主人にもう仕事をきっぱりと辞めさせればよかったんです。なにしろ左半身が麻痺している障害者なんですから。でも、障害者に対する国からの手当は大した額はなくて、

しかも六十三歳までは年金も満額はもらえないってわかったもんですから、ちょっと、その、色気が出ちゃったんですよ。いえ、変な意味じゃないですよ。主人の会社がね、アルバイトでまた雇ってくれるっていってきたんです」

 ここで、俊雄さん会社の業種を書くわけにはいかないのだが、とにかくそれは、掛かってきた電話にマニュアル通りに対応するという単純な仕事だった。しかも電話は一日にせいぜい数本しか掛かってこない。

 時給は千円だったが、悪い話とは思えなかった。一ヶ月に十五万円でも稼いでくれれば、後は何とか年金で暮らしていける。

そう考えた真利子さんは俊雄さんにアルバイトを引き受けるように勧めた。半年ほど休んで、失業保険が切れてから職場に復帰した俊雄さんは、嬉々として通勤を始めた。

「そうですね、主人がまた働き始めて一ヶ月くらいした頃でしょうかねえ。私はなんだか変と感じたんです。これは妻の勘のようなものでしょうかねえ。

主人が妙に明るいんです。『今度の仕事は大変?』と尋ねてみると、『昔の元気な頃は、同期に後れを取るまいと、そればっかり気にしていたもんだが、今は仕事があるだけありがたいと思う。かえって、若い頃より精神的に楽なんだよ』って答えるんです。そう言われる私もなるほどなあと思いました。

病気になった当初は出世コースから外れたわけですから、本人もつらかったでしょう。でも、定年になって、そうした思いが吹っ切れて、もう後は余生だと思うようになったんだなあって、私は解釈していたんですよ。とんだお人好しです」

 そういって真利子さんは、一瞬、鋭い眼光を放った。

 やがて、俊雄さんは一週間に一回くらい、職場の人たちと親睦会があるという理由で遅く帰るようになった。

 これも真利子さんは、初めは喜んでいた。障害者のある夫でも、同僚と交流できるのは嬉しいことだし、なにより本人の気晴らしになるだろう。しかも、その親睦会も安い居酒屋やカラオケボックスにいくので、一回に二千円か三千円くらいしか使わなかった。

 ただ、少し心配だったのは俊雄さんの物忘れが激しくなったのと、すぐ怒るようになってきたことだった。以前は、声を荒げるような喧嘩は意年に一回もしなかった。ところが。定年後は、一ヶ月に一度は真利子さんの些細(ささい)な落ち度を見つけては怒鳴った。

「たとえば、私がお手洗いの電気を消し忘れたり、朝食にお味噌汁を作らなかったりとか、本当にどうでいいような小さなことを血相を変えて怒るんですよ。この人、

ちょっとどうかしちゃったんじゃないかって、思ったんですけどね。今になって考えると、脳梗塞の手術の後遺症だったのか、それとも、ただ単純に認知症が始まったのか、それはわかりませんけどね」

 そんな俊雄さんが出勤してくれると、真利子さんはほっと息が抜けた。

 運命の日がやってきたのは俊雄さんがアルバイトを始めて半年ほどした頃だった。真利子さんが何の気なしに、銀行の通帳の保管場所を変えようと思ったのである。

真利子さんは、俊雄さんの退職金の半分の千五百万円は定期にして、残りの半分を普通預金に入れておいた。

またいつ俊雄さんの病気が再発するかわからないので、いつでもすぐに引き出せるようにしておきたかったからである。

 その千五百万円が入っている普通預金の通帳を見て、思わずわが目を疑った。残金が五百円になっているのである。三回にわたって、千五百万円は引き出されていた。しかも、ごく最近の二か月くらいの間である。

 その通帳は、よほどのことがなければお金を動かすつもりはなかったので、キャッシュカードも作っていなかった。スキミングの被害とも思えなかった。お金を引き出すには印鑑が必要だ。その置き場所を知っているのは、夫と自分以外にいない。息子には退職金のあることさえ話していなかった。

千五百万円の退職金を女につぎ込まれて

 その晩、真利子さんは夫が帰って来るや、すぐにお金について尋ねた。
「あの金に手を付けたのはなぜですか?」
 真っ直ぐな視線を向ける真利子さんに夫は「うるせえ」と怒鳴った。

「うるさいといわれても、あれだけの大金が消えたのですから訊くのは当然でしょう」
 真利子さんの口調もけんか腰になった。

 初めは「知らない」とか「お前には関係ないことだ」とか「俺の金だろう」とか屁理屈を並べていた俊雄さんも、真利子さんの「それでは息子に相談します」という一言でおとなしくなった。

「やっぱりねえ、あんな人でも息子にはいい父親を演(や)っていたいんですね。息子にはあの人も弱いんです」

 ようやく俊雄さんは真利子さんの顔を見て答えた。
「ちょっと知り合いに頼まれて貸したんだよ。返ってこないわけじゃない」

 そのとき、真利子さんはすぐに思い当たる節があった。これも女性特有の勘だった。
 俊雄さんがアルバイトをしている部署は女性社員が圧倒的に多かった。

その中の、ある一人の女性の話を夫がよくしていた――可哀想な身の上で夫に捨てられて、病気の母親と幼い子供を抱えて、一人で健気(けなげ)に働いている。

 あの女に違いないと真利子さんは睨んだ。俊雄さんを問い詰めると、やはりその春美さんという女性にお金を用立てたと白状した。

「もちろん、私はすぐにその女に電話をしてお金を返してくれと申しました。初めは自分じゃないと女は白を切っていたんですけど、『証拠はあるんですよ』とはっきり言ったら、ぎくりとしたらしくって、とにかくお会いしましょうということになったんです」

 真利子さんの目の前に現れたのは「いかにも男好きしそうな」四十代初めの女性だった。ああ、この女性と自分の夫は肉体関係にあると、真利子さんはすぐに察した。

「でも、失礼ですが、ご主人は身体に障害がおありなんですよね。そんなことをなさいますでしょうか?」と私が問うと、すぐに真利子さんから反撃がきた。

「工藤さん、たしかに主人は普通のセックスができる身体ではありません。でもねえ、相手の女がその気になったら、手を使っても口を使ってもできるでしょう」

 そういわれると、その通りである。

 しかし、問題は俊雄さんがお金を現金で春美さんに渡してしまったことだった。実際には証拠は何も残っていない。

 真利子さんと春美さんとの話し合いは決着がつかなかった。春美さんは五百万円をもらっただけだと主張するし、真利子さんは千五百万円を返せと迫るのが当然だ。

 そんな矢先、俊雄さんが一人で銀行に出向いて、残りの退職金の定期を勝手に解約してしまった。このままいけば、どんどん家の金を持ち出すだろう。

「だから、つくづく思いました。主人があのとき脳梗塞で死んでくれていたら、生命保険の三千万円も入っていたし、退職金も満額近くもらえたでしょう。後は遺族年金があれば、私は平和に暮らせたんです。死ねばよかったんですよ、あの男が」

 真利子さんは息子に相談をした。「ママ、それは離婚するしかないよ。そうじゃないとパパはまた同じことを繰り返すよ」といわれて決心がついた。

 おそらく夫の認知症はもう始まっているにちがいない。家や預金すべてを女につぎ込まれる前に離婚するしかない。それが真利子さんの出した結論だった。

 六十歳近くになって、突然、近所のすし屋でパートとして働くことになった真利子さんは、自分の境遇をしきりに嘆いた。こうなったのは、すべて夫の責任だという。

 たしかに俊雄さんの異常な行動がなければ、夫婦は平和な老後を迎えただろう。だが、それは夢と消えた。

 今、俊雄さんがどうでどうしているか真利子さんは知らないし、知りたくもないという。

つづく 第三章 南洋の島でアバンチュール