工藤美代子 著
「いかなるものか」を知るために、「秋葉原へ向かった
平成二十年十月だった。私は秋葉原の駅のすぐ近くにあるラブメルシーという店を探していた。
前章に登場した房子さんから、真剣な面持ちで、女性用のバイブレーターを入手したいというのだがと相談された。彼女が困っているのも無理がなかった。そういうものが、どこで売られているのか普通の女性には皆目見当がつかない。私自身もまったくわからない。
そこで、『婦人公論』の編集者に問合せたら、担当してくれているN嬢が、早速調べてくれて、女性社長が経営する会社があり、そこで様々なアダルトグッズを売っているのだと教えてくれた。
私はN嬢に頼み込んだ、取材の許可を取って、その社長にお話を伺えるようにアレンジしてもらった。
単に、バイブレーターを買うだけだったら、秋葉原のお店に行けばすむ話だ。その場所を房子さんに知らせればよい。しかし、私はもう少し詳しい事情を知りたかった。
実際に女性たちは、どのようなアダルトグッズを使用しているのか。年齢層はどのくらいか。どういう販売システムになっているのか。
また、ラブメルシーというお店のみならず、卸ででも手広く事業展開をしているとう女性社長にも興味があった。
そこで、まったく土地勘のない秋葉原へ向かうのに、今回はしっかり者のN嬢に同道を願った。N嬢は若いのに、とても落ち着いていて、私が何かと彼女に頼っている。
「ねっ、お願い、私、秋葉原って、昭和六十年以来、一度も足を踏み入れたことがないの。一緒に行ってくださいな」と頼むと彼女は快諾してくれた。
まだ嫁入り前のN嬢には気の毒だったが、とにかく京橋で待ち合わせて、ラブメルシーを目指した。
ラブメルシーの社長室で代表取締役である高橋さなえさんにお会いしたときは、ちょっと驚いた。
美人なのである。鼻筋がすっと通っていて、目元、口元もきりりとしている。年齢は四十代の後半だろうか。こんなきれいな人がもしも会社の仕事でアダルトグッズの営業などに出掛けたら、商売相手の男性は照れてしまうのではないかと思った。
ところが話を始めると、それは杞憂(きゆう)だとわかった。さすがにプロである。高橋社長の口調は実にさばさばしていて、雰囲気もべたつかず、性別を感じさせない。彼女は非常に有能なキャリアウーマンであるとすぐに悟った。
女社長が自ら開発した、大ヒット商品とは
まず、私は女性にも買いやすいバイブレーターというものがあるのかどうかを尋ねた。
「それならば下記オルガスター税込み2.050円がいいでしょうね」と高橋社長は答えた。
これはラブメルシーのヒット商品で、八年間で百五十万個売ったという。月に一万個、そして年末になるとクリスマス・プレゼントなどで二万個は売れる。
婦人科の先生と相談しながら、高橋社長が自ら考案した商品だという。
私は目を丸くしてしまった。この不況の時代にそんな飛ぶように売れる商品があるというのが信じられなかった。
実物を見たいという思いが私の頭をかすめた。それを高橋社長は敏感に察知してくれたらしく、即座に部下の男性を呼んでオルガスターを持ってくるように指示した。
待っている間に、オルガスターの値段を聞いてみた。
「そうですね、小売価格で二千円くらいですかね」という。
安いと思った。あまり高い商品はなかなか手が出ないが、二千円なら気軽に買える。
そういったら、高橋社長が答えた。
「以前は一万円くらいしていたんですよ」
ところが、ラブメルシーでは製造から卸し、店舗での販売、通販などもやっているので、低価格が実現した。
さて、実際にオルガスターを見せてもらって、私は「えっ、これですか?」と思わず口走ってしまった。
想像したより、はるかに小さかった。後で採寸してみたら、長さは六・五センチ足らずである。いやその前にオルガスターの形が予想とは違っていた。
色はピンクで。ペニスに似た形で、その付け根のところにお皿のようなものがついている。そのお皿みたいなものの上側にはぶつぶつがある。
どうも上手に説明できないのだが、私は今まで見たことのないデザインである。
「あのう、それは?」と私が高橋社長の手にある、オルガスターのお皿の部分を指さすと、
「これは、挿入をしたときに、クリトリスに当たるようになっているんですよ」と教えてくれた。
なるほど、膣とクリトリスと両方同時に快感を得られるように設計されているわけだ。
高橋社長は通常十人くらいのモニターに製品を試用してもらって、七人くらい良いといったものを世に送り出すそうだ。
余談だが、モニターの中には六十代の女性もいるという。
女性の性器の形やサイズは個人差が相当ある。そこで、オルガスターは、これくらいの大きさなら、すべての女性のクリトリスまでをカバーできると計算して、お皿の部分は作ったらしい。
「どうぞ」といわれて、触ってみると、びっくりするほど柔らかい。まるで赤ちゃんの肌のようにぼにょぼにょしている。
ふーむ、と考え込んでしまった。こんな頼りないもので大丈夫なのか。
ところが高橋社長にいわせると、オルガスターは圧倒的に女性が買うそうだ。男性が買うのは棒状のものが多い
私に続いてオルガスターを触ってみたN嬢が、感嘆したようにいった。
「なんかバイブレーターっていうと懐中電灯みたいなものを想像していますが、こんなに可愛いものなんですね」
確かに、彼女の言葉通り、オルガスターは、なんとも可愛らしい風体である。
周囲も最高に太いところで九センチあるかどうかだ。はっきりいって成人のペニスに比べたら明らかに小さい。
これでは物足りない人のためには、もう一回り大きいオルガスター・ビッグというのがある。しかし、普通のオルガスターで、多くの女性はイクことができるという。
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2018年においてはバイブレーター・オルガスターも進化しているのだが。女性の自慰行為おいては優れた商品である。しかし、当社に多数寄せられているバイブレーターの問題、は耐久性に乏しくて何台も買い替えているという消費者の声も寄せられている。
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イクことを知らない女性も「自分磨き」
ここで高橋社長が少し使い方のヒントをくれた。
女性の中にはこうした製品を使用することに抵抗がある人もたくさんいる。だから、初めからオルガスターを挿入することを考えずに、まず、製品を触って感じてみる。腕とか胸とかかに当ててみるのもいい。自分が気持ちよいと思えるスポットを探すのだ。
それからローションを塗って、挿入してみる。だが、いきなりスイッチを入れていけない。気持ちがなじんできたら、動かしてみよう。こうした手順を無視して、初めから電源を入れて使おうとするから、恐怖感を煽(あお)るのだ。
なるほど、時間をかけて、ゆっくりと、自分がオルガスターと知り合いになるというような感じで使用すれば、かなりリラックスして楽しめるのだろう。
考えてみれば、こうしたグッズの使い方は誰も教えてくれない。それどころか、セックスについても、誰かが教えてくれるわけではない。そこから、間違った知識が浸透していくこともある。
私はオルガスターの実物を見るまでは、N嬢ではないが、バイブレーターとは懐中電灯みたいに大きくて硬くて、何だか異様なものだと先入観があった。
しかし、初めて目にしたオルガスターは、安心して房子さんにも勧められる品物だった。
「世の中にはイクことを知らない女性はたくさんいます。でも、本人に欲望があれば、必ずイクことができるんです」と、高橋社長はなんとなく含蓄のある言葉を口にした。
つまり、女性も前向きにセックスをとらえれば、きっとそれなりの満足感を得る方法があるのだろう。
しかし、カップルに対しては、「これは、あくまで前戯に使うのよ。最後は自分の道具でやるのよ」男性に注意するそうだ。
バイブレーターに頼ってしかセックスができない男性がいるとしたら、少々情けないことだと私も思った。あくまでも、これは補助道具だろう。
いずれにせよ、私にとって新発見だったのはバイブレーターは怖いものではないということだった。やはり女性である高橋社長が考案したという意味は大きいかもしれない。女性だからこそ、女性の気持ちがわかっているのだ。
こうした製品を使用した後は、女性は若返り、血行が良くなり、頭の回転も良くなる。「つまりは自分磨きなんですよ」と高橋社長が的確な表現をした。
セックスはしたいけど、相手に恵まれない。あるいは、房子さんのように、過去に心の傷を負って、なかなか踏み込めない人たちもいる。そうした女性たちが、後ろめたさを感じずに、アダルトグッズを使えたら、それはそれで結構なことだ。
オルガスターは日本製だが、他のメーカーも真似して同じようなものが売り出されているらしい。また、外国でも模造品が出回っている。それほど人気なのは、挿入するときに、ツルンと呼び込めるような感じがするからだという。それと素材にこだわった。
「要するに、農家の方々が無農薬の美味しい野菜を作りたいという気持ちと同じなんですよ」と、高橋社長は微笑んだ。
これからの商品は、もちろん、秋葉原のお店でも売っているのだが、ネット販売もしている。その場合は「ラブメルシー」で検索すると、多種多様な商品が掲示されている。
ネットでの注文なら、女性でも恥ずかしくないかもしれない。ただ、問題は五十代、六十代の女性の場合はネットをやらない人が結構多いという点だ。
「その場合はお電話をくだされば、ちゃんと対応して宅配便の代引きでお送りしますよ」といってくれた。
秋葉原のお店には熟年の女性たちがどんどん買いに来るそうだ。
高橋社長がこの仕事を始めて十年が経つという、その間に彼女は実に多くの製品を考案して実用化させた。その中に廃番になったものは一つもないと語っていた。
私は高橋社長の仕事に取り組む前向きなエネルギーにすっかり圧倒されてしまった。今さらながら、女性は強いと思った。こうした生命力が子供を産み育てる力になるのだろうか。
二時間ほどインタビュー帰るときにお礼を述べると、高橋社長は「どういたしましたて」と。こちらが恐縮するほど、深くお辞儀をした。その仕草がとても女性らしくて、先ほどまでビジネスの話をしていた時とは打って変わってしとやかだった。
「有能な女性がいらっしゃるんですねえ」と、社長室を後にしてからN嬢が感心したように言った。私も同じ思いだった。
性欲の処理は熟年世代の切実な問題
自宅に帰った私はしばし考え込んでしまった。たまたま房子さんと知り合いになって、彼女から頼まれて、アダルトグッズの取材をした。なんか房子さんが、無理なくバイブレーターを買える方法を見つけてあげたかったのである。
しかし、その副産物として、日本のセックスの最前線を垣間見るとこができたようだ。
もはや、セックスは若者だけの特権ではない。熟年世代も貪欲に楽しもうとしている。しかも、そのことを恥ずかしいとも思っていない。
だから、ラブメルシーには六十代でも現役でバリバリ(というのは高橋社長の言葉だ)の女性たちが、訪れてかいものをしていくのである。
昔だってバイブレーターはあっただろう。しかし、それはあくまで男性から与えられるものだった。男性が楽しむ道具だったのではないか。
ところが、現在は事情が大きく変わった。房子さんのように熟年離婚を選択する女性も増えてきて、当然、性欲の処理が大きく問題になる。
自由を得た女性がアダルトグッズを楽しむのは、ごく普通の結果だともいえるのだろう。
私は後から、自分のパソコンで「ラブメルシー」を検索してみて、その商品の多彩さに目を丸くしてしまった。正直なところ、何が何だかよくわからないものもあった。
また、女性がオナニーをすることにも私の頭はあまりよく理解ができない。しかし、必要としている人に必要な商品を供給するのは、けっして間違ってはいないだろうと思った。
早速、房子さんに電話して、取材結果を報告したのはもちろんだった。
携帯に写された若い女の痴態に涙が溢れて
年下の夫を細腕で養ってきた
性欲の処理は熟年世代の切実な問題 美容師の武田みどり先生が離婚したということを、知らせてくれた友人がいた。
私はある時期、みどり先生の常連だった。先生は明るくて親切で、なによりカットの技術が抜群だった。だから私は月に一度は通っていたのだが、自宅から電車で片道一時間近くかかるため、いつしか足が遠のいてしまった。
みどり先生の年齢は、なかなか判別するのは難しい。いわば、年齢不詳と言われるタイプの女性である。しかし、五十代半ばは過ぎていると思われる。
さて、みどり先生の離婚を知らせてくれた友人によると、それは全く突然の話だったという。
みどり先生の夫はカメラマンで、子供はいなかったが、夫婦仲は円満だった。お正月は二人でハワイへゴルフをしに行くという話を友人が美容室で先生から聞いたのは、昨年の十月だった。
ところが十二月に入ると、みどり先生が浮かない顔で、「実はね、うちのと二十五年連れ添って、もうすぐ銀婚式のはずだったんだけど、離婚することになっちゃったのよ」とカットの鋏(はさみ)を動かしながら言った。
びりくり仰天したのは、友人だった。
熟年離婚なら、前にこの店に来ていた工藤さんがいろいろ調べているから相談したらどうかとアドバイスしたのだが、「いいのよ。もう遅いわ。覆水盆に返らずっていうじゃない」と、みどり先生は力なく笑った。
私は友人の話を聞きながら、何とか先生にお会いして、詳しい経緯を教えてもらえないものかと考えた。友人に尋ねると「わかったわ。ちょうど今週、先生の美容室へ行く予定だから聞いておいてあげる」と答えてくれた。
それから十日ほどで返事が来て、美容室の休みの火曜日なら時間を取ってくれるとのことだった。
お正月が明けて間もなく、西麻布の料理屋の個室で、私はみどり先生と食事をしながら、彼女の告白を聞いた。
「最初から無理な結婚だったのかなあって今になると思うのよね」
みどり先生は店でも明るい笑顔を絶やさなかっ人だが、私にも優しく微笑みながら話し始めた。
結婚したのは先生が三十二歳のときだった。夫の隆志さんは七歳年下の二十五歳だった。みどり先生の両親は相手が年下であることにこだわった。「将来、辛い思いをするのはお前だよ」と母親に言われた。さらに隆志さんはフリーのカメラマンなので、定収入がなかった。
「男がどうやって妻子を食べさせるつもりなんだ」と父親は激怒した。
それでも、先生は美容雑誌のための撮影に来て知り合った隆志さんと、どうしても一緒になりたかった。
「ほら、あたしたちの商売って、お客さんはほとんど女の人でしょ。今は男のお客さんもいるけど、当時は少なかったわ。だから男性との出会いもなかったのよ。
あたしも三十歳すぎて焦っていたこともあったし、内心では自分の腕一本で、この人一人くらいは食べさせていけるっていう自信も実はあったの。それがいけなかったかしらね」
みどり先生はシャネルのバッグから煙草を取り出すと、細い指に挟んだ、私は彼女の煙草を吸うのは知らなかった。
「やめたいんだけど、離婚してから、また吸い出したの。だめだわねえ」
ため息をついて煙を吐いた。
資金を用立てたり、不甲斐なさに浮気をしてみたり
みどり先生が独立して今の美容院を開いたのは三十六歳のときだった。前に勤めていた店の顧客がごっそり先生についてきてくれて、お店の経営は順調だった。
隆志さんはとにかく細やかな気配りをする人でした。妻に声を荒らげて怒ることもなかった。ほんとうは雄大な自然を撮る、『ナショナル・ジオグラフィック』誌のカメラマンのような仕事がしたかったのだが、
それには費用は掛かるし、競争も激しくチャンスは巡ってこなかった。どうしても商業誌の写真や宣伝用のチラシの写真を撮る仕事が多かった。
「あれは隆志が三十三歳のときだったかなあ、このへんで写真家として勝負に出たいっていい出し、チベットまで行く費用を捻出してやったこともあったわねえ。助手を連れて行くっていうんで、全部で二百五十万円くらいかかったんじゃないかな。
そうそう、それから写真集を作るっていうんで、さらに二百万円追加したんだったわ。古い話だけどね。あの人も夢を追いかけた時代があったのよ」
しかし、隆志さんの写真集は話題にもならず、本人が意気込んでいた木村伊兵衛賞の候補すらならなかった。
その頃、みどり先生は、ただがむしゃらに働いていた。両親の手前は見栄を張って、隆志さんの収入で食べているといっていたが、実は夫の稼ぎは彼自身の小遣い程度だった。マンションのローンも食費も光熱費もすべて先生が負担していた。
「あたしね、工藤さんだからいうんだけど、そんな暮らしが頭にきて浮気してみたことがあるのよ。あれは、あたしが四十二歳のときだったかな。相手はお客さんだったの。
初めはその人の奥さんがうちの店に来て、すごく気に入ってくれて、ご主人の方も来るようになったの。
ハンサムっていうわけじゃないけど、一流銀行にお勤めで、いかにも自信に溢れていて、隆志と正反対のタイプだったから魅かれたのね。容姿だけだったら隆志のほうがよっぽど格好いいわよ」
「それで、浮気してみていかがでした?」
「うーん、ミ・ジ・メの一言だった」
「惨めって?」
「だめだったのよ。指が違うのよ。こんな恥ずかしい話は誰にもしたことがないけれど、あたしね、隆志の指でされるだけでいっちゃうのよ。あの人の指って、しなやかで、微妙に動くの。
上手く説明できないけど、あの指でされたら、どんな女でもいけると思うわ。だから、浮気相手の男がいざ乳首を愛撫してきたら、違う、これじゃない、そこじゃないって思って、全然燃えなかった。ただ、惨めな思いだけが残ったの。
ああ、どんな不満があっても、あたしは隆志を支えて生きていくように運命が決まっているんだなあって、あらためて知らされたようなものよね」
お互い積もった不満が不幸なかたちで爆発することに
それだけ相性が良かった二人なら、なぜ、離婚したのだろう。私が頭の中で考えていると、みどり先生が淋しそうに頷いた。
「そんならどうしてって。思うでしょ。でも、工藤さん、こんなふうに考えたことはない? 夫婦ってさ、こちらが不満を感じていたら、相手も同じくらいの大きさの不満をきっと抱えていているんだって。
そりゃあ種類や性質は違うかもしれない。だけど、隆志だってあたしに不満をかんじていたのよね。口に出して言わないだけで。それでずっと我慢していたんでしょう。
隆志がやっと、一流女性誌の専属カメラマンになれたのが、二年ほど前なのよ。それまでは不定期でファッションの写真なんかもあったけど、その他はスーパーの売り出しのチラシの撮影とか、マンションの広告の写真とか撮っていたから、本人してみれば、やっと人前に名刺が出せるようになったと思ったでしょう。
あたしは、あの人に肩身の狭い思いをさせた憶えはないけれど、積もり積もった不満があっちにあったんじゃない? きっとそうだったのよ」
みどり先生の口調はあくまで静かだった。たしかに、お互い不満が一つもない夫婦なんていない。何かしら、解決できないわだかまりを胸の内に秘めながら、夫婦は何食わぬ顔をして暮らしている。そんなものだと思ってしまえば、そんなもんだ。
「あたし、思うんだけど、隆志が不満を爆発させるようなタイプの男だったら、今度のようなことは起きなかったでしょうね」
みどり先生が、また煙草に火をつけながら、口元だけちょっと笑った。
「女ができたのよ。隆志が専属になった女性誌の編集部に出入りしていたフリーのライターの子なの。私の店にも何度かカットに来て、顔は知っていたわ。でもねえ、まさかねえ」
ふ―っとみどり先生は煙草の煙を深く吸い込んでから吐き出した。
「だって、工藤さん、カメラマンがまさか携帯電話で写真を撮ると思う? しかも五十枚以上も。普通はちゃんとカメラで撮るわよね。でも、違ったのよ」
それが最悪のシナリオだった。
ある日、みどり先生は、隆志さんの携帯電話を忘れて仕事に出かけことに気づいた。たまたま火曜日で、彼女は自宅にいた。
何に気なしに携帯電話を開けると、待ち受け画面に若い女性の写真が出てきた。ああ、あのフリーライターの優子ちゃんだと先生は思った。そのまま電話を操作した他の写真を見てみた。
「自分の人生で、あれだけショックだったことは今までなかったわ。子供が流産したときも、父が亡くなったときもショックだったわよ。その比じゃなかったわよ」
みどり先生の眼に飛び込んできたのは、若い女性が服を着たまま、大きく足を広げて、性器を露出した写真だった。
靴を履き、ハンドバッグを持ったままで、スカートをたくし上げている。
それから、女性が自分の性器を左右に開いて、アップした写真が続く。さらに、彼女は少しずつ衣装を脱ぎ捨てていった、その過程を丁寧に撮影されている。
次に場面は変わり、女性が男性のペニスを舐めているシーンが撮られていた。これも初めは女性の顔がはっきりと分かるように撮られていて、それから、だんだん距離を縮めていく。彼女の舌がペニスに絡まる写真が延々と続いた。
「どうして携帯だったの? あたしに見つけてほしかったのかしら?」
「あたしね、何度も。もう途中で見るのを止めようと思ったの。だってつらくて気が狂いそうだったわよ。でも、止められなかった。とうとう最後まで見てしまったの。
最後にあったものを見たとき、私の中でストンと何かが落ちたの。今考えると『離婚』の二文字だったでしょうね。そう、あれで決まったのよ」
「あれっていうのは?」
と尋ねながら、私は少し恐かった。あまりにも生々しい話なので、私自身も耳をふさぎたかった。
「セックスしたら、最後はどうなるか、工藤さんだってご存知でしょ? 隆志は射精するときも携帯から手を離さなかったのよ。しかも、普通にセックスをしていたんじゃないのよ。女の口の中で果てたの。そして、その後、女に『あーん』って口を開かせて、舌の上に白い精液が溜まっているところまで撮影していたのよ」
一気にみどり先生はしゃべると、目尻の涙を華奢な手で拭った。
なぜか、私も話を聞いていて一緒に涙を流してしまった。あまりにも酷いことだった。
「おかしいわよね。隆志はカメラの機材はすごく凝るたちで、最新のデジカメから、昔のライカのコレクションまで、すべて私の稼ぎ買ってやったのよ。どんな名作だって撮れたでしょうに、携帯であんな小娘の裸を撮ってたってこと。
その理由はどれだけ考えてもわからないわ。隆志が普通のカメラで、ああいう写真を撮っていたら、あたしが、それを見ることは絶対になかったでしょうね。彼の仕事場になんて入っていかないもの。
ねえ、工藤さん、どうして携帯だったの? あたしに見つけてほしかったのかしら?」
まさかそんなことはないでしょうと私は否定した。ただ、カメラマンとしてより、ひとりの男として愛人の姿を記録に残したかったのだろう。そう考えないと説明がつかない。
みどり先生と隆志さんの夫婦生活は、もう十年くらい途切れていた。理由なんてない。ただ自然とお互い触れ合うことがなくなった。だからといって、喧嘩をしていたわけでもない。
お正月には二人で仲良くハワイにゴルフに出掛けるのが恒例の行事になっていたくらいなのだから。
みどり先生は隆志さんの携帯を見てしまってから、一週間ほど、じっと考えた。素知らぬ顔をしていれば、夫は自分のところに帰ってくるに違いないとも思った。
しかし、白濁した精液を湛えて大きくあけられた女の口の画像が何度も彼女の脳裏に甦るのだ。そのたびに涙が溢れてた。
「結局、すべて隆志に話して、離婚しようといったの。そのとき彼の頬が、ほんの少しだけ緩んで、笑いをこらえているのがわかったわ。ああ、終わったと思った」
みどり先生の申し出を隆志さんは待っていたのかもしれない。今は優子さんと同棲しているという。だとすると、携帯の写真は罠(わな)だったのだろうとか。私には最後まで真相はわからなかった。
つづく
第十三章
誰かに甘えて現実逃避するのは、男のほう