たまたま、このところ疎遠になっている知人の男性から電話ありました。
「久しぶり」なんて、声を聞いていたらすごく懐かしくなって「まるで昔の恋人から電話もらったみたいだわあ」って思わず口に出ちゃったんです。
彼の声で急に昔に返ったような気になって出た言葉なんですが、相手は急にどぎまぎしてしまって。
そんなつもりでいったわけじゃないので、うれしがらせて悪いことをしました。
でも、女って後先考えずにというか、その時頭に浮かんだことをポーンと相手に投げかけてしまうことが多いですよね。男はわりと何をするにも考える。
こうなって、ああなって、だからこうだ、という具合に、たとえれば土台からきちんと家を建てる。
ところが女は急に屋根を作って「あら、壁がなかったわ」。
女の側からすれば、私の理論ではまず屋根を作るこが重要だったわけで、それが家になるために壁が必要だったなんて考えられなかった、になってしまうわけです。
男の理論の組み立てからすると、まったく不意をつかれた一言に、ドキッとしてしまい、男はその一言が心から離れなくなるようです。
それではいろいろ作戦を練って、ドキッとさせるようなセリフを考えて…といっても、女と男では考え方も感じ方も違いますから、考えたっていつもヒットするとは限りません。
それよりも「ああ言おうかしら」とか「こう言っちゃいけなのかしら」と考えすぎてタイミングを逃す方がもったいない。それにうけを狙うあまり、あまりにもわけのわからないことばかり言っているとただの「ヘンな女」というレッテルを貼られて避けられてしまうことにもなりがちです。
あれこれ考える前のポロッとこぼれた一言の方が意外に効くかもしれません。
実際、とんちんかんなことを言う女が「天然ボケ」と称されて男の人気があったりします。
また、いつも論理的で男の側からすると「ちょっと近寄りがたい」(男は基本的に自分より頭のよさそうな女や、やり込められそうな女を避ける傾向にありますから)女が、無邪気なことやはずしたことを言ったりした瞬間に、「この女、実はかわいんじゃないか」と彼女候補のひとりに勝手に昇格させたりもします。
これは人から聞いた話ですが、どんなに弁の立つ理論学者でもケンカすると妻に勝てないとか。きっと頭で考え練られた理論より、女の一言の方が本質をついてしまうからかもしれません。
とにかく男の理論なんて、女の一言の前にはもろいもの。
考える前に、思いついたらまず一言、そんな習慣をつけましょう。
一言でやさしさと言っても女と男ではずいぶん違います。
女ってけっこう単純だから、分かりやすい、たとえば目に見えるやさしさに弱い。
荷物を持ってくれるとか、いつでも迎えに来てくれるとか、でも、それは男にしてみたらやさしさでなくて、できることのひとつにしか過ぎません。
若いころはよく勘違いして、だれだれ君の彼氏は荷物を持ってくれたり、いつも送り迎えをしてくれるのにどうしてあなたはしてくれないの、やさしくない、私のことを本当は好きじゃないんじゃないの、といって彼氏を責めたりします。
でも、責められた彼氏の方は、なぜそんなことを言われるのがわからない。荷物を持ってあげたり、迎えに行くことが、彼氏にしてみれば「やさしくする」というカテゴリーに入ってないから、何でおこられているのがまったくわからない。それが度重なると、彼女は「彼がやさしくない」と言って不満がつのり、彼は「わけのわからないことばかりを言う」と不機嫌になり、うまくいかなくなってしまうのです。
叱ってくれる男はあなたに好意をもっている
本当の男のやさしさというのはいつも、どんな時でも楽天的であろうとすることだったり、人にも、自分にも誠実であろうとすることだと思います。
そして、その根底にあるのは他人に対する思いやり。それこそが男の考えるやさしさ、だと私は思っています。
もちろん女のやさしさも、根底は他人に対する思いやりだと思っているんですが、私を含めて女は時々勘違いした行動をします。
たとえば男が何かを失敗したり、間違ったことを言った場合、つい、女は正論で攻めて、相手が逃げ場を失うまで糾弾(きゅうだん)するでしょう。
言っている本人は、間違いを糾すのがあなたのためよと、まじめに信じているわけですけれど・・・。
でもそれじゃ、だめなんです。女のやさしさはそんな時、やんわりたしなめはするけれど、追及しないこと。
男の失敗を包み込んで、許すのが女のやさしさだと思います。
逆に、男は女が間違った時、女の間違いをきちんと指摘できることがやさしさの証明になります。間違いを責めるのではなく、はっきりとそれは間違っていると言ってくれることがやさしさなんです。そんなことを言われたらだいたいの女は逆上するでしょう。それを乗り越えて、敢えて言う。
うちの夫も娘に向かって「(おまえのことを)どうでもいいと思っていたら、こんな注意はしないんだからね」と言いながら叱っています。私も『九龍で会いましょう』の中で、遊び人の東郷がだんだんジャスミンに夢中になっていく様子を、彼女を叱る、小言を言う、逆上されても叱り続ける、という形で画きました。
男はどうでもいい女は叱らない。黙ってバッサリ切り捨てます。
女は反対に誰にも正しいことを言いたくて、言いまくります。
見方を変えれば、男の方が情け深いってことになるかもしれません。
だから、自分に気のある男の見分け方の一つとして、自分をきちんと叱ってくれる男がいれば、そいつはけっこう脈があるなと思っていいということでしょう。
バランス感覚を大事にする男はやさしい
もうひとつ、何度も言いますが男は社会性の高い生き物だから、今の好き嫌いより全体のバランスを大事に考えるところがあると思います。
そしてこれも女と違う、やさしさのベースになったりするのではないかと思います。
ことわざに「据え膳食わぬは男の恥」という言葉がありますが、これにはどこかに女に恥をかかせることが男の恥であるという思想が入っていると思うんです。
平たくいうと女は弱いから(男が)護るべき存在である。
だから女に恥をかかせることは男の恥になるという解釈です。
だから女から「あの映画、見に行こう」などと言われたりすると、「この女は俺のこと好きで誘ってるのかな、それとも本当に(映画)みたいだけなのかな。
分からないけど、俺としては誘ってもらったのはうれしいし、(映画も)みたいし、この女が別に嫌いじゃないし、断るのも悪いし…、
それにうまくいけばおいしいこともあるかもしれないし」なんていろいろと男はかんがえるわけですが、結局、誘われたから断れないんです。
女がもしこういう誘い方をされたら、プラチナチケットか意中の人の誘いでもない限り「別に行きたい誘いでもないし、この人と何時間も一緒に過ごすのは時間の無駄かも」で、ニッコリ笑って「ごめんね、その日は都合が悪くて。
また誘ってね」と言いながら、心の中で「こんなもので誘ってくるなんて、何考えてんのコイッ」って毒づいたりして。さらには友達に電話をかけて「アイツったらさぁ」などと話のネタにしちゃうんでしょう。ああ、女って残酷。
つづく 愛の深さと嫉妬深さは、比例するのか