自慢話と悪口は女を下げる
デートの時の「べからず集」として、とにかく自慢話と悪口はやめなさいと言っておきたい。若いうちはどうしても、彼、つまり相手の男に対して自分を印象づけるためにはついつい「私ってモテるのよ」的なことを言いたくなるものです。
そう言ったほうが彼は私を大事にしてくれるんじゃないかとか、(他の男に)取られたらいけないと思って選んでくれるとか、いろいろ考えた末に言うのでしょうが、そんなのは全部女の勝手な思い込みなんです。
自慢話をした瞬間に、たいていの男はひいていきます、そんなにモテるなら俺なんか誘わなくてもいいだろって。モテる女を男同士で争うなんていうのは女の幻想なんですよ、たいていの場合は。
それだけでなくて、男は女に比べて、若いころはいろんな意味で下積み生活が長い。
よほどかっこよくない限りは女からちやほやされることはないし、学校でも会社でも、上から下からもたたかれて。
女は若いというだけで、その程度は別として、ちゃほやされていい思いできる時代が誰にでもあるものです。
男にはそれがない。
だからたいてい好きでもない女、(初デートしている女とか、とりあえず女であるというカテゴリー分類されている女、つまり同僚とか、取引先の女とか、とにかく特別でない女、大方の男にとって彼女とか女優とかアイドルのようなあこがれの女以外のほとんどの女が、ここに含まれると思いますけれど) に「あたしってぇ、モテるみたいなぁ」なんてこと言われたら、間違いなく男はさめます。
おまえは何様だと思っているってね。
百年の恋も冷める悪口
それから人の悪口、話題が途切れちゃったりすると、ついわかりやすいから共通の知人の話になることって多くありませんか。
そんな時に「あの人ったらね…」と、女友達とのノリで話したくなるものですがこれはいけない。
確かに昔の人は言いました。「誰か共通の知人に関する悪口ほど他人を結びつけるものはない」って。
でもこれは恋に関しては例外。
とにかく男は人の悪口を嫌います。男も女も若いころってすごく異性に対して幻想を抱くでしょう。
とくに男は、もうロマンチストとしか言いようがないくらい。
私も昔、学生の時に付き合い始めたばかりの人に「お願いだから人の悪口は言わないでくれ。
君の口から人の悪口が出るなんて聞きたくない」って懇願されてびっくりしたことがあります。
今にしてみれば、私に対してものすごい幻想を抱いていたんだろうなぁ、と思えますけれど、当時は本当にどうしてそんなこと…・と絶句してしまうくらい驚きました。
名前の呼び方ひとつで関係が変わる
ただの友達から、一歩進む。より親密になるための工夫として、お互いなんと呼びあうか、というのがあると思います。
『東京ラブストーリー』の冒頭でリカは長尾君に唐突に「カンチって呼ぶわ」と一方的に通告します。
その後、「リカリンとカンチの仲なのよ」と、リカはまずまわりから埋めていこうとします。
実際、ふたりにしか分らない暗号や、呼び方をすることで親密度って上がっていくもだと思います。
あだ名ではなくても、まわりから見ると、夫婦お互いに「パパ、ママ」とか、「お父さん、お母さん」と一般的な名称で呼び合うご夫婦より、「××さん」とお互い名前のファストネームですね。
これで呼び合っている夫婦ってはたから見ていても本当に仲がいいですね。
これはもう子供のいる、いないに関係ない。
さらに妻は他人の夫のことを指して「うちの旦那(主人、夫)というのですが、夫は妻のことを他人に話すときでさえあだ名で呼ぶケースがあり、もうここまでくると夫は妻のことを大、大、大好き。
一種のノロケですね、ふたりの間の愛称を他人にあきらかにするっていうのは。
だから他人がいても、お互い「愛称呼び丸出し」というのは、私としてはちょっと恥ずかしいぐらいの、見せつけという気がしないでもないんですが…。
二人だけの愛称は特別なもの
さて、愛称といえば、うちの夫は職業柄かあだ名をつけるのが好きらしく、もう家族にもあだ名をつけまくる。
何か特別な感じがするみたいで、子供は喜んでいるみたいですけど。私の子供のころは、あだ名の多い方が人気がある。
あだ名は人気のバロメーターみたいなところがありました。でも、高校ぐらいになると、マドンナになるような女生徒は××さんと苗字で呼ばれたり、あだ名でもマドンナだけだったり、もう神聖であだ名をつけてもいけない存在に変わっていたような気がします。
いずれにしても、何かお互いだけに分かる呼び名があるってことはいいことだ、と思っています。
日本には古来から自分の名前を教えない、という文化があって、女が男に名を名乗るということは身を任せるみたいな決まりがあったようです。
百人一首でも天皇が「名、なのらさめ」と、聞いている歌があります。
最近は欧米の影響か、名前(ファーストネーム)だけで仲間の苗字を知らない、などという現象も起きていますけどね。
リカみたいに親密になりたいから先に自分だけが呼ぶあだ名をつけるという方法もありますし、××って呼んでって自分をオープンな感じに持って行く (これは恋愛関係だけのテクニックじゃありませんが) やり方もあると思います。
女だったらやはり男には苗字を呼びつけで呼ばれる、私の場合「柴門!」ですが、より「ふみ」とか「ふみちゃん」って呼ばれたいものではないでしょうか (これはただの例であって、私がそうされたいかっていうこととは別ですよ)。苗字呼びつけだと、なんか女の数に入っていないような気がしちゃんでしようね。
だから、これはって男がいるなら、相手が照れない程度に (男って照れやすい生き物ですから、あまり照れるようなことを強要すると逃げ出します)、あだ名をつけたり、逆に自分のことを苗字じゃなく名前 (あるいはあだ名) で呼んでとお願いしたり。
そのうち、あなたがつけたあだ名に対して男の自我の目覚め (その名前は自分にとって特別だって自覚) ができればこっちのもの。赤子の手をひねるように、あなたの軍門にそのひとは下ってきます。
笑顔が愛を振りまく
最近はずいぶん変わってきましたが、日本人は無表情で、変な笑いをするとよく海外のマンガでカリカチェアされてきました。日本の美学として、喜怒哀楽を表に出さないみたいなところは確かにありました。
それでもやっぱり、うれしい時はうれしい、悲しい時は悲しい、ってきちんと相手に伝えられなければ恋はうまくいかないもの。
誤解は破局の第一歩です。
とはいっても、恋愛においてはあまりに分かりやすいのも飽きられてしまうから、難しいのです。たとえば『あすなろ白書』のなるみ。
喜怒哀楽がはっきり顔に出て、隠し事のできない性格というのはいいのですが、それがまわりへの配慮を欠くというか、自己中心で取手くんを傷つけたりします。
一方で、ひねくれて屈折した掛居くんのような男性には、なるみのようなわかりやすい女の方が安心できる存在になるのでしょう。
相手が屈折しいない素直な男なら『P.S.元気です、俊平』の桃子みたいに、内心傷ついている時に笑っているような、正反対の感情を表したりするミステリアスな雰囲気にまいってしまったりするんでしょうね。
素敵な挨拶の仕方を身につける
こういうちょっとひねった感情の表しかたは、アメリカの女優さんがうまいんですね。
かなり年上だけれどもメリル・ストリープだとか、最近のメグ・ライアン。
映画を見ると、いつも外国人は顔の筋肉の作りが違うのかなぁと思ったりします。
だって、表情の作り方が全然違う。眉の寄せ方、上げ方、ウインクの仕方、すごく表情の作り方が豊かです。
私なんてウインクもできないし、眉を片方だけ上げるみたいな器用なことはできません。
それでも私は(自慢しているわけではないんですけど)とっさの時の笑顔がいいらしいです。
よく「久しぶりにお会いしたのにとっても素敵な笑顔で、ありがとう…」なんてお手紙もらいます。
この偶然出会ったりしてとっさにする挨拶、この時に自然にいい挨拶ができるかどうかが、恋愛体質のポイントの高さを左右します。
これは恋愛に限らず、人間関係の基本として、「こんにちは」でも「さようなら」でも「あなたにお会いできてよかった、うれしい」って気持ちが伝わってくるような挨拶が自然にでるようになればいいですね、ご近所の奥様で、それこそ引き込まれるぐらい素敵な笑顔でご挨拶をしてくださる方がいらっしゃるんです。
もう、私さの笑顔を見たら、「はい、何でも致します」って、ついていきそうなくらいにとびきり素敵なのです。
まずは笑顔から始めよう
エアロビクスのインストラクターみたいに、「はい、こっち見てニコーッ、今度あっち見てニカーッ」と表情筋の訓練も大事だけれど、誰かと偶然ばったり会ったとき、茫然としてアッと、見送るんじゃなく、反射的にでもいいからニッコリ笑って「こんにちは」って言える余裕と反射神経を鍛えたら、もっといいんじゃないかしら。
たとえあなたが近視で、コンタクトも眼鏡も嫌いで、目の前三十センチにある人の顔が分からなくても、「あら久しぶり」とか「やあ」って声をかけられたら眉間にしわを寄せる前に爽やかな声で「こんにちは」ってニッコリ笑い返そう。
相手が誰かって挨拶してから見極めたっていいじゃない。
たとえ人違いでも、そちらの方があなたの印象度はずっといいはずです。
つづく
愛される女はプレゼントがうまい