第2章 反ハラスメント訴訟の展開
アメリカにおいて、セクシャル・ハラスメントに対する訴訟は、1970年代前半から始まった。ここでは、当時、原告側が敗訴した一連の裁判の判例を紹介するとともに、その後の訴訟審でこれらがどのようにして覆えされていったかを述べる。
それは、セクハラが男女間のありふれた現象でなく、職場における女性の権利を侵害し、女性を排除する結果を生んでいることを裁判所に認識されていく過程を検討することである。
初期の判決を検討する意味
1964年公民憲法第七編(タイトル・セブン)を根拠にセクシャル・ハラスメントを性差別として訴えた裁判は1970年代前半から始まった。しかし、連保地裁レベルにおけるこれらの裁判の大半き、原告側の女性の敗訴に終わっている。後述するように、その多くは、高裁、最高裁において逆転判決を勝ち取った。
その意味では、今これからのケースを検討することに、時代遅れ的な印象を受ける人もいるだろう。だが、それを現段階で検討することは、必ずしも無意味なわけではない。具体的なケースを検討する前に、まずこの点を明らかにしておこう。
第一に、わずか二十数年前までは連邦裁判所の判事も、セクハラを職場における性差別とみなす考えは必ずしも支持していなかった。この事実を確認することは重要である。裁判所の判断は、時代の変化を追認という性格をもっている。
同時に、それは変化に対応していない人々に新たな価値観を示すことになる。
もちろん、裁判所で示された価値観が直ちに一般化するわけではない。
言い換えれば、当時のアメリカの社会には、セクハラを差別行為としてみなすということはまだ市民権を得ていなかったということである。しかし、1970年代後半から80年代にかけて出された高裁の逆転判決は、この問題に対する人々の意識が急速に変わっていったことを示している。
だが、その一方で、この急激な変化に対応できないで取り残された人々も少なくないことも事実であろう。
今日も尚、職場におけるセクハラが大きな社会問題となっている現実は、当初この問題を扱った判事や陪審員のような意識を持っている人々が依然として多いことを示唆している。それがどのような根拠に基づいているのかを検討するということ、これが第二の重要な点である。
下級審において、セクハラは「個人的な問題」「男女間の自然な現象の反映」「女性であることを理由に差別されたのではなく、性的関係を拒否したことによる不利益をこう被ったのである」といった主張がなされた。
これらは、今もなおセクハラに対する加害者の企業の経営者の「常識」を少なからず形作っている。だか、こうした主張はその後の上級審で覆されたのである。経営者側は、これらを根拠に弁護を展開することはできないことを確認しなければならない。
却下された原告側の主張
連邦裁判所にセクシャル・ハラスメントを、タイトル・セブンを根拠に最初に訴えた女性は、バウレット・パーネスといわれている。パーネスは、環境保護局に給料支払い事務員として勤めていた黒人女性だ。
彼女は、上司の白人男性から性的な要求を拒否した後、かえって嫌がらせが激しくなったうえ、最後には彼女の仕事を停止させられてしまったと主張。
これに対して訴えられた男性は、性的な要求を行ったことを否定、仕事を廃止したのは業務の統合に伴うものであると反論した。
首都ワシントンの連邦地裁のスミス判事は、74年、原告は上司の性的要求を拒否しために不利益を被ったのであり、彼女が女性であるために不利益を被ったのではない、という判断を示した。
パーネス裁判は、地裁レベルではほとんど注目されなかった。
セクシャル・ハラスメントのケースとして最初に社会的に注目されたのは、ジェーン・コネル、ジニーバ・デバーンの二人がアリゾナ州の連邦地裁に訴えたものだ。
二人は、バウチ。アンド・リンボという会社に事務員として勤めていたとき、嫌がらせを受けたと主張していた。
二人によれば、二人は職場で言葉によるハラスメントや肉体的な嫌がらせを受け、耐えきれなくなって退職した。その反面、性的な要求を受け入れた女性は昇進させられるなどの不公平な待遇を受けたという。
フレイ判事は77年に出した判決の中で、原告側の主張する性的な要求は性差別には該当せず、会社側に責任はないとして、次の四つの理由を挙げた。
まず、こうした行為は経営者が仕向けたものではないこと。
第二に、嫌がらせが経営者になんらの利益ももたらさないこと。
第三に、この行為が雇用の性格とは無関係なこと。そして最後に、こうした行為が男性にも向けられることを仮定すれば、訴えの根拠を失うことである。
さらに同判事は、セクハラで訴えることを認めれば、訴訟は際限なく発生するだろうとしたうえで、これを確実に避けるには経営者が「無性の人を採用するしかなくなる」とした。
黒人女性、マーガレット・ミラーがバンク・オブ・アメリカを相手取って訴えたケースでカリフォルニア州の連邦地裁は、「個人的」な事柄で経営者の責任を追及するのは適切でないという判断を示した。この女性は、性的な要求に「協力すれば」良い仕事を与えるが、拒否すれば解雇されるという脅迫を上司から受けたとして訴えている。
この判決を出したウィリアム判事は、「男性が女性に対して、女性が男性に対してひかれるのは自然の性的な現象であり、これがおそらく大半の人事問題の決定にあたり、少なくともごく一部に影響をあたえているだろう」との見解を表明した。
以上の三つのゲースはほぼ全面敗訴であった。
それに対して、アドリエネ・トムキンスがパリック・サービス電気ガスを相手取りニュージャージー州の連邦地裁ら訴えたケースは、敗訴したとはいえ、一定の前進もみられる判決を獲得したものだ。
この裁判でスターン判事は、二つの点で注目すべき判決を出した。一つは、原告が訴えているセクハラの内容が、法律上、性差別として認められる内容かどうかという点である。
これに対して同判事は、タイトル・セブンの目的に照らして雇用に関係したものとも性差別に基づいたものとも言えないとした。しかし、原告が受けた苦痛に対しては、州裁判所で私犯として補償を認めることができるとの見方を示した。
もう一つの点は、セクハラに対して抗議したことを理由に原告が解雇されたのであれば、この解雇は性差別と見なすことが出来るかもしれないという判断を示したことである。
転換点となったウィリアムス裁判
セクハラがタイトル・セブンにおける性差別であるという判断を連邦地裁が最初に示したのは、首都ワシントンの連邦地裁におけるダイアン・ウィリアムスの訴えに対する判決においてであった。
この判決はその後の高裁判決の先例となった。まさにセクハラ裁判の転換点をなすものであった。
ウィリアムスは、パブリック・インフォメーション・スペシャリストとして司法省に勤務していた。黒人の彼女は、やはり黒人の直属の上司と当初は仕事上で良好な関係を維持していた。
しかし、この上司の性的な要求を拒否した後は、継続的なハラスメントに悩まされるようになったという。そのなかには、仕事を行う上で必要な情報を提供しなかったり、彼女の提案などを無視するというようなことも含まれていた。そして彼女は、最終的に解雇されることになった。
これに対して、訴えられた上司は、彼女の仕事が満足のいくものでなかったために解雇されたのであると申し立てた。
この問題は最初、司法省の内部機関で審理されていた。
このとき、ウィリアムスが証拠として提出した資料の中には、彼女が上司の性的要求を拒否したことと、上司の彼女への対応、そして彼女が解雇されたことを関連付けるものはないと判断された。
しかし、審理を担当した地裁は、立証責任はウィリアムスにではなく、司法省側が負うべきだとの判断を示して、ケースを差し戻させた。
そこで、「あなたへの愛を感じることなく一日が過ぎることはめったにありません」と書かれたカードが証拠として採用された。
上司のサイン入りのカードに対して、「仮に仕事の上で不満を感じているならば、こうしたカードは贈らなかっただろう」という判断が示された。
こうして連邦地裁のリッキー判事は、女性従業員が性的な要求を拒否したために行われた上司による報復的な措置はタイトル・セブンにおける性差別に該当する、という画期的な判決を言い渡した。
リッキー判事は、「被告の上司の行為は、雇用上人為的な障害を設けることになっており、男女とも同様な状態におかれる可能性があるとはいえ、一方の性(すなわち女性)に対して設けられたものであり、その反対の性に対してはない」とした。
さらに同判事は、性のステレオタイプに基づいたものであるかどうかは関係なく、タイトル・セブンは「性に基づき、雇用上影響を与えるすべての差別」を禁止していると解釈したのである。
この判例を進めるにあたり原告側は、上司の税的要求を拒否したことに対する報復が性に基づく差別であるかどうかを問うことを中心に据えて弁論を展開した。
その意味で、これは前述したトムキンスの裁判の成果を踏まえたものともいえよう。
バーネス裁判の控訴審判決
一審で原告が敗訴したバーネス裁判の控訴審判決は、1977年7月、首都ワシントン連邦巡回控訴裁判所で言い渡された。
その内容は、男性の上司による性的要求を拒否したことを理由にその女性の仕事を廃止することはタイトル・セブンが禁止している違法行為である、というものである。
これは、原告は上司の性的要求を拒否したために不利益を被ったのであり、彼女が女性であるがための不利益を被ったのではない、とした一審判決を完全に覆すものである。
原告は控訴審において、女性従業員を「上司の性的な獲物であり、女性はそれを積極的にかつ喜んで受け入れるものだ」とみなすことがタイトル・セブンで禁止している性に対するステレオタイプにほかならない、という論理で立ち向かった。
また、連邦政府機関の管理職の大半は男性であり、その男性には多くの女性職員が部下として置かれている現状からみれば、セクハラは女性従業員のタイトル・セブンが禁止する不利な影響を与えるという主張も展開した。
原告は上司の性的要求を拒否したために不利益を被ったのであり、彼女が女性であるために不利益を被ったのではないという被告側の主張に対して、控訴裁判所は、次のような論理でこれを退けた。
「原告が上司の招きに応じなかったため、雇用関係において犠牲を強いられたというのは、次のような事実を無視した議論である。
すなわち、原告が上司に招かれたのは彼女が職場においける女性の部下であっためだということである。
換言すれば、彼女は女性であったために上司の性的欲望の対象になったのであり、自らの仕事を確保する代償にその要求に従うよう求められたのである」
裁判所はここで初めて、セクシャル・ハラスメントという「女性ゆえの苦しみ」にたいして、それを性差別と認定することによってその救済への道を認めた、ということができよう。
トムキンス裁判の控訴審判決
バーネス裁判の控訴審判決と同様、トムキンス裁判の控訴審判決も、1977年に出された。第三回巡回控訴裁判所の判決は、次のように述べている。
「経営者は実際に承知していたか、あるいは承知していたと推定される場合、上司が部下の従業員に性的な要求を行い、かつそうした要求を満たすように求めることを従業員の仕事上の地位――勤務評価、継続雇用、昇進、その他のキャリア発展に関する事項――に対する条件とすること、そしてこれを知った経営者がただちに適切な措置を講じないことは、タイトル・セブンに違反する」
この判決により、セクシャル・ハラスメントが経営者の責任になるかどうかについて、次の三つの点が根拠にされることが明らかになった。
一つは、経営者がハラスメントのあった事実を知っているか、知っていたと推定される場合である。
つまり、経営者が全く知らない場合には、責任はないと解釈できる。
次に、性的要求をすることと、それを要求した相手に対する仕事の将将来への見返りとして提示すること。
そのために、これはクイド・ブロ・クォ、すなわち報復を示唆するという手段によって相手を従わせることを意図しているというよう。
「報復型のハラスメント」といわれているのが、これである。
原告側は、控訴審にあたり、この報復の理論に基づいて弁論を展開した。
報復の理論はその後のセクシャル・ハラスメントのケースを扱ううえで女性にとってひじょうに重要な武器となった。
この理論を用いることは、セクシャル・ハラスメント(以下セクハラ)が性差別である主張する際に有利になる。
というのは、タイトル・セブン自体が報復を禁止しているし、報復ということから両者の力関係などの問題が明らかになるからである。
第三に、控訴審判決は、
ハラスメントが起きたことを知った場合、経営者がすみやかに是正措置をとらなければ、経営者の責任が生じるという判断を示した。
これにより、経営者は問題解決への積極的な措置を取ることを迫られるようになった。それは、防止策を含め今日、セクシャル・ハラスメントに対して求められている内容に基礎を与えたものだ。
続く
第三章 最高裁判決の意
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