不倫の恋はふたりの恋はふたりの世界が濃密な分、結果的に第三者を遮断してしまうことがある。世間に背いているというふたりの連帯感が、よりその傾向を強くすることもある。生活のすべては彼中心にまわり、彼以外の男性は男性でなくなる。仕事や趣味にも熱が知らなくなり、いつどこにいても彼のことを考えてしまう。まさにあなたの世界は「彼しか見えない」のだ。
本表紙 梅田みか 著 

陥りがちな恋のフレーズ~心の声を乗り越えるため

【第3章】 ● あなたの心の声に答える21のヒントが、ここにあります

ここにあるのは、あなたの心のつぶやきかもしれません。
ここにあるのは、あなたの心の叫びかもしれません。
ここにあるのは、あなたが涙を流すたびに浮かんでくる言葉かもしれません。
ここにあるのは、あなたが打ち消して打ち消しても響いてくる声かもしれません。
ここにあるのは、あなたが周囲からいつも言われている忠告かもしれません。
ここにあるのは、あなたが、必ず一度は通らなくてはならない通過点かもしれません。
あなたはそこを通るたびに何かを考え、自分の恋を見つめ直しているかもしれません。
あなたはそこを通るたびに、何かに絶望し、そしてまた新たな希望を見出しているかもしれません。

 不倫の恋の中には、常にいくつもの相反する事柄が重なり合っています。
 幸福と不幸、真実と嘘、喜びと悲しみ、常識と非常識、希望と絶望、信頼と不信感、愛と憎悪、強さと弱さ、悩みと成長、安心と不安、自立と依存‥‥それらはまったく正反対のことのように見えて、実はとなり合わせに存在するものであることが多いのです。

 そのひとつひとつが、見方や捉え方の角度をちょっと変えるだけで、180度違った世界が見えてくる。赤に見えていたものが、じっと目を凝らしてみると実は黒。あなたもそんな経験を、何度もくり返しているのではないでしょうか。

 何が正しくて何が間違っているか。何を信じて、何を信じなければいいのか。いいことなのか悪いことか。何もかもそんなふうにすっぱり切り離せないものであることは明らかです。
 もちろん、ここに書かれてあることが100%正しいなどと言うことはできません。ただ、ひとつ確かなことは、あなたの中にひとつの言葉が浮かんだのなら、あなたがその言葉について考えるときだということです。あなたは先延ばしすることなく、その言葉と正面から向き合って、あらゆる角度から見つめるときだということです。

 あなたの中にある疑問が生まれたときは、その瞬間について考えるときです。あなたの心に、どうしても引っかかって仕方がないフレーズがあるのなら、そのフレーズの持つ本当の意味を考えるときです。あなたがひとつの認識に押しつぶされそうになっているのなら、今こそ新らたな認識を刻むときなのです。

  あなたの心の声に答える21のヒントが、ここにあります。

VOICE1 「わたしは都合のいい女」

「『愛人の掟』36か条を全部守ったら、ただの都合のいい女になってしまいますよね」。これは女性からも男性からも、実によく聞かれた感想である。

 結婚の二文字を口にせず、彼への電話を控え、日曜日は彼を求めず、何も望まず、女性のほうから別れてくれる‥‥。確かにひとつの見方をすれば、これ以上都合のいい女はいないかもしれない。しかし、それはあくまでもひとつの見方であって、真実とは程遠い。

 なぜなら、この掟はすべて、女性側のつらさや苦しみを軽減させるためにつくられているからだ。困難な恋の中でいかに主導権を握り、相手の男性の心を本気の恋まで引き上げ、素晴らしい恋の中で成長していくためにつくられているからだ。

仮に、この掟をすべて守れる女性がいたとしたら、相手の男性はこころから彼女を愛し、大切に思い、自己嫌悪と罪悪感に苛まれ、それでも別れられない辛さを味わうだろう。そして、別れを告げられたあとも生涯、彼女を忘れられないだろう。相手の男性にとって。こんな「都合のいい女」がいるだろうか。

 本当の「都合のいい女」というのは、男性が一方的に主導権を持ち、心までは奪われることなく、適当な所で捨ててしまうことができる女性のことである。自己中心的にふりまわし、あと腐れなく別れられる女性のことである。本当の「都合のいい女」とするのは真剣な不倫の恋ではなく、ちょっとした「浮気」なのである。

 もしあなたが本当に「都合のいい女」になりたければ、掟を片っぱしから破ってみればいい。あなたが会うたびに彼の前で涙を流し、奥さんへの恨みを吐き、しつこく電話をかけ、うるさく結婚を求め、彼を追いつめれば、彼は実に簡単にあなたから離れて行けるのだから。

 一方で、女性たちが「都合のいい女」であることをなぜそこまで毛嫌いするのか、という問題もある。執拗に「都合のいい女」を拒否する根底には、彼との関係への自信のなさが存在するのかもしれない。けれど、恋愛において「都合のいい」ということはそれだけで価値があるのだということを忘れないでほしい。あなたの「都合のいい」姿勢があったからこそ、この恋はここまで進んでくることができたのだから。

 不倫の恋への批判としてこの言葉には、確かに彼に愛されているあなたの自信に満ちた態度が必要だ。「都合のいい女で何が悪い」と玉砕してみてはどうだろう。

 「都合のいい女は、都合の悪い女である」

VOICE2 「不倫だけはしないと心に誓っていたのに」

 不倫の恋に悩む女性たちの中に、「不倫だけはしないと心に誓っていた」人は驚くほどたくさんいる。親に不倫だけはするなと言われて育てられてきたり、父親が愛人をつくって出て行ってしまい、悲しむ母親の姿を見ていたり、不倫の恋をする友人を反対し続けていたりする場合が多い。

 彼女たちは長い間、不倫の恋を「いけないこと」として封印してきた。「悪いこと」として軽蔑し、目を背けてきた。それなのになぜ、彼女たちは自ら不倫の恋に落ちたとき「まさかわたしが」「わたしだけはしないと信じていたのに」と、自分自身に強く失望してしまうのだ。

 でも、失望することはない。なぜなら、しては「いけないこと」はあっても、しては「いけない恋」はないのだから。

 不倫の恋を「いけない恋」として封印するのはとても簡単なことである。確かに正論であるから、反論を受けることも少なくないだろう。でも、正しいことを言っているように見えて、これは実に多くの問題を含んでいる。もう、倫理観や道徳だけで愛を語れる時代ではない。
不倫の恋を「いけない恋」として目を背けて続けられる時代ではない。独身の女性も男性も、既婚の男性も女性も、親も子も、誰もが、古くから続いている既成概念を打ち崩さなくてはならないときにきている。すべての立場の人がこの恋の存在を認め、しっかりと把握していなければならない時代なのだ。

 独身同士の恋が真っ当で、不倫の恋は悪いこと。結婚を幸福、離婚を不幸。そんなふうにすっぱり割り切れるものではないことは明らかではないか。

 あなたが今、不倫の恋に落ちたのは偶然ではない。「不倫の恋だけはしない」と誓った人ほど、この恋に深くのめりこんでいくのは、自分の中に一代革命を起こす必要があったからなのかもしれない。幼い頃から心に刻み込まれた呪文から抜け出して、自分の人生を歩きはじめた証なのかもしれない。

 逆に、「不倫の恋だって普通の恋とあまり変わらないんじゃない?」というような見方する人は、かえって不倫の恋を経験しないで歩いていったりする。自分に失望する前に、新たな目を持ってみることが大切である。

  「してはいけないことはあっても、してはいけない恋はない」

VOICE3 「彼はわたしの気持ちをわかってくれない」

 これほど真剣に愛している自分の気持ちを、相手はまったく理解してくれない。そう感じたとき、不倫の恋にはどのような変化が訪れるだろうか。
 独身同士のカップルであれば、結婚というゴールに向かって前を向いて歩いて行くことができる。夫婦であれば、幸せな家庭づくりや子育てを協力し合って進んでいくことができる。

 それに対して不倫の恋は、ふたりが同じ目的に向かって歩いて行くことは難しい。周囲の反対や障害に悲しみを分かち合うことはあっても、お互いに罪悪感や独占欲に苦しめられることはあっても、女性と男性では立場も感じ方も異なってくるから、その想いや目的を共有することにはならない。

 不倫の恋は、それ以外のケースよりも、お互いと向き合って時を過ごすことが多い関係だということが言える。その中で、これだけ見つめ合っているのだから、相手の気持ちがわかって当たり前だという気持ちが生まれやすい。不倫の恋をする女性の中に「本当の彼は私だけが知っている」と感じる人が多いのはそのせいのためだろう。

 けれど本当は、自分以外の人の気持ちなどわかるはずがない。どんな恋愛においても、どんな夫婦関係においても、特に男女がお互いの気持ちを本当に理解するなどということはまずありえない。

 あなただけが「彼の気持ちがわからない」などということは決してない。そして、彼があなたの気持ちをわからないように、あなたも彼の気持ちがわかっていないのだ。その事実を知ることが、お互いの気持ちを「わかる」第一歩ともいえるだろう。

 大切なのは、お互いの気持ちをどうやって理解し合うかではなくて、相手の気持ちを「わからない」ことを「わかり」その上でその「わからない」をどうやってつき合っていくか。を考えることである。そこで、同じ目的を持って歩きましょう、という解決策が見いだせないことで不倫の恋の道は険しい。

 でも逆に、同じ目的を失うという大きな危険を、最初から回避できているのも確かだ。結婚したりする夫婦が多いことを考えれば、最初からお互いだけを見つめている恋の素晴らしさが見えてくるかもしれない。

 「あなたも彼の気持ちがわからない」

VOICE4 「結婚する友達が羨ましい」

 誰かを羨ましいという気持ちは、自分の持っていないものや、途中であきらめてしまったり、努力しても手に入れることができなかったりしたものを、相手が持っていると感じたときに湧き上がる感情である。

 不倫の恋をする女性にとって、羨ましさの引き金となるのは「結婚」という二文字だろう。「いい恋愛をしている」友達には「私だっていい恋愛をしている」と同等な立場でいられる。だから羨ましいとは思わない。でも、あなたの目から見るとあまりうまくいっていないように見えるカップルでも、ふたりが結婚すると決まった瞬間に、あなたの中には羨ましいという気持ちが生まれてくる。

 羨ましいという感情は、一度生まれるとなかなか消えない。そのせいで素直に祝福することができなかったり、嫉妬が態度に出てしまったり、そんな自分を責めたりしているうちに友情や大切な人間関係を毀してしまうこともある。

 そうなる前に、少し視点を変えてみる必要がある。自分の持っていないものを持っていると思うから、あなたは彼女が羨ましいと感じている。では、本当に彼女が自分の持っていないものをもっているのか、と考えてみてはどうだろう。

 彼女が「持っている」あなたの「持っていなもの」は何だろう。愛する人と結婚できる状況。安定した生活。周囲の祝福。エンゲージリングとウェディングドレス。将来永遠に一緒にいるという約束‥‥。確かに、彼女はそのすべてを持っているように見える。

 でも、今のあなたそのすべてを手に入れたときを想像して、その幸福とまったく同質の幸福を彼女が味わっていると考えるのは少々早計過ぎるだろう。あなたが求めている同じ幸福感や安心感を彼女が感じているとは限らない。あなたと彼が愛し合うように彼女たちが愛し合っているかどうかもわからない。ましてや、安定した生活や周囲の祝福や「永遠の約束」が永遠に続く保証はないのだから。

 もちろん、その結婚が破局することを考えなさいというのではない。ただ、どんな結婚も何か何まで薔薇色に染まっているわけではないことを思いだすだけで、ずいぶん楽になれる。彼女が手に入れたのは、ひとつの幸福の形であって、あなたが欲しいものはまったく別のものなのだ。

 「あなだ欲しいものを彼女は持っていない」

VOICE5 「わたしって彼の何なの?」

 恋人、彼氏、ボーイフレンド、夫、妻、そして愛人。男女の関係を表すために肩書きに、いつも敏感に反応してしまうのは、不倫の恋をする女性たちの特徴だと言えるだろう。

 彼には愛する妻がいて、可愛い子供がいて、それなのにどうして外にわたしもいるのか。彼にとって自分はどんな存在なのだろうか。彼にとって自分は必要な人間なのか、そうでないのか。守られた家庭とは対照的に、彼の生活が揺らぐような何らかの状況に陥れば、いちばん最初に切られる場所にいる自分は一体何なのか。

 彼にとって自分がいてもいなくてもいい存在なのではないかという疑問から不安が生まれる。自分にはっきりとした立場がないことを実感するとき、不安定な場所にいることに気づいたとき、どこに出しても恥ずかしくない肩書が欲しくなるのだ。

 けれど、それは不倫の恋をしている女性に限った不安ではないことを忘れないでほしい。独身の恋人を持つ女性たちの多くは、「わたしって本当にあなたの彼女なの?」「これってつき合っているっていうのかしら?」という疑問を持ちながら恋愛を続けている。指輪を貰ったから、愛していると言ってくれたから、毎週末デートを欠かさないから、相手の両親に紹介してくれたから、もう三年以上つき合っているから‥‥といって、それがステディの証とは限らない。それだけで「正式な恋人であるかどうか」の定義は曖昧なのだ。

 同じように、あなたから見れば揺るぎない立場を手に入れている妻たちでさえ「わたしは彼にとって妻なんかではなく、ただの家政婦じゃないかしら」といった疑問に苛まれながら暮らしているケースが多い。自分は来る日も来る日も家事をして、子育てに追われ、やがて女でなくなり、年老いていくだけではないかという恐怖と戦っているのである。

 不倫の恋をする女性たちの多くは「愛人」という肩書を嫌う。自分は愛人ではなくごく普通の恋人と何ら変わらないことを強調する。しかし、妻は「妻」として扱われることに不満を抱き、いつまでも「恋人」として存在したいと願う。恋人は「恋人」という立場に不安を抱く。こうなってくると結局、恋に肩書など必要ないのだということがわかる。

 大切なのはどんな肩書きを持つかどうかではなく、本当に彼の「愛する人」でいられるかどうかなのだ。

 「恋に『愛する人』以外の肩書きはない」

VOICE6 「わたしたちはどうせ愛人だから」

 女性が被害者意識を持たずに生きていくことは、まずありえないと考えたほうがいい。いくら男女平等が叫ばれても、まだまだ男性社会の中で生きていく女性たちは、それだけ大きなハンディを背負っている事実を認めなくてはならない。女性たちの口から「どうせOL」「どうせアルバイト」「どうせ独身」「どうせ主婦」などという言葉がしょっちゅう出てくることからも明らかだろう。

 恋愛関係においても、同じことが言える。最近はいかに女性が強くなり、優位に立って恋を進めているばかりがクローズアップされるが、実情とはかなりギャップがある。まだまだ男性に翻弄され、いつふられてしまうかとびくびくし、自分の魅力さえ失ってしまう恋をくり返す女性たちは大勢いる。

 女性の身体的構造が受身に作られている以上、どうしても精神構造まで受身になりやすい。恋の中で「遊ばれてた」「捨てられた」という被害者意識を持ったことない女性は希少である。まして、不倫の恋の渦中でいつも満たされていない想いを抱えている女性たちが、「どうせ愛人」と思うのはごく当たり前のことなのだ。

 問題は、被害者意識を持つこと自体ではなく、その被害者意識とどう折れ合って生きていくかということだ。打ち消して打ち消しても湧き上がってくる被害者意識とどうつき合っていくかが、不倫の恋の行方を左右するといっても過言ではない。

 ここで、無理にあなたの中の「どうせ愛人」を封じ込めてしまう必要はない。それでは本当の強さを身につけているわけではなく、ただ強がっているだけで終わってしまう。

「どうせ愛人」という意識からなかなか抜け出せないでいるあなたが、特別卑屈な人間であるということでは決してない。逆に、それさえ感じないで辛さに耐えている女性たちの一歩先を進んでいるのかもしれない。自分に対して「どうせ愛人」という捉え方ができるということは、すでにあなたの中に客観性が生まれている証拠なのだから。

 あとはそこからどうやってその意識を変換させるか、だけのことである。喜びや幸せをたくさん味わいたい。素直にそう感じられたとき、あなたは「ちゃんと愛人」をやり遂げているはずである。

「どうせ愛人」は「ちゃんと愛人」への第一歩。

VOICE7 「わたしの努力が足りないの?

不倫の恋に行き詰ったとき、誰もが二人の間にそそり立つ障壁の前で、自分の無力さに打ちひしがれる。そしてその壁を越えられないのか、その理由を考え始めるだろう。そのとき「自分の努力が足りないからだ」という結論をだす人がいる。「自分に魅力がないからだ」というのもこれに近い。

 これは、どんなことも努力によって解決する。という考えのもとに成り立つ発想である。「自分の努力が足りない」という結論に至るのは、これまでの人生を、すべて自分の努力によって切り開いてきた優秀で真面目な女性も多い。

 彼女たちは努力していない自分を責め、苛立ち、自分で自分を追い込み、苦しめていく。そのうち「こんなに努力しても上手くいかないのは彼の奥さんが悪い」などとその矛先を変えていくこともある。どちらにしろ、この発想を転換しないかぎり、いつまでも同じ場所で立ち尽くすことになる。

 あなたがもし、自分の努力不足を責めているのなら、こんなふうに考えて見たらどうだろうか。

 不倫の恋は、あなたの努力によって何とかなるものではない。不倫の恋の道を塞ぐ障害は、たとえあなたがどんなに努力しても、あなたがどんなに魅力的でも、まず越えられることはない。もしあなたの身近で不倫の恋を成就させた人がいたとしても、それはたまたま幸運が重なり合って生まれた偶然の結果であって、彼女の努力によるものでは決してない。

 それが不倫の恋でもなくても、どんな恋も努力によって成就するわけではないのだ。これは恋愛に限ったことではなく、努力によって達成したと思っているほとんどは、幸運に助けられていたり、知らず知らずに周囲のバックアップが存在しているものである。

だから恋に努力など必要ない、と言っているのではない。恋はお互いの多大な努力なくしては成立しない。現に今の恋も、あなたの努力によって支えられ、ここまで歩んでくることができたのだ。ただ、それが自分の思うような方向に進んでいかなくても、それはあなたのせいではないということなのである。

 努力によって何とかなるものではない。ということを知った上で、あらゆる努力を続けること。それがあなたの恋を次のステップに進めるのだ。

   「恋は努力によって成就しない」

VOICE8 「強くなりたい」

 何の障壁のない恋にくらべて、不倫の恋は、強い意志によって自分の気持ちや欲望をコントロールしなくてはならない局面が多いと言えるだろう。

 もちろん、どんな恋愛でも、我慢しなければいけないことはあるし、いつも自分のしたいようにしていたのでは上手くいくものもいかなくなる。でも、常にぎりぎりのところで頑張っていなければバランスを失う不倫の恋にくらべたら、まるで風まかせで進んでいくように見えるだろう。

 会いたいのに会えないことを我慢し、電話したい気持ちを抑え、あふれ出しそうになる涙をこえる。ごく日常的な生活を送るのにも、強い意志をなくしてはやっていけない。そんな彼女たちの姿勢は、とても強い女性であるといって間違いないだろう。

 しかし、それでも、自分の意志ではどうにもならない局面を迎えることがある。夜中に電話してしまったり、彼の前でめちゃくちゃ泣いてしまったり、結婚や離婚を要求してしまったり、もう会わないと決断したのにまた会ってしまったりする。

 そんなとき、彼女たちは意志を貫き通せなかった自分を責め、自分がいかに弱い人間であるかを思い知る。そして、二度とこんなことをするまいと心に誓う。けれどまた、同じようなことは起こる。それをくり返す自分を戒め、もっと「強くなりたい」と願うのだ。

 けれど、彼女たちは本当に弱い人間なのだろうか。弱い人間に、そこまで一人の人を愛しぬくことができるだろうか。数え切れない我慢を強いられる日常に耐えられるだろうか。

 そう考えると、ただひたすら自分の強固な意志を貫くことだけが強さではない、ということが見えてくる。耐えることだけが強さではない。自分を押し殺すことだけが美徳ではない。いつも相手の立場に立ってものを考えられることだけが愛ではない。時には自分を見失い、感情に流され、後悔や自己嫌悪を味わいながらも尚、そこに居続けることこそ、本当の強さではないだろうか。

 本当に弱い人間は、自分のことを弱い人間だなどとは思わないものである。逆に「自分は強い」思い込んでいる人間ほど、意外なもろさを抱えているものだ。自分の中にある弱さを認め、その上で「強くなりたい」と素直に思えるあなたは、すでに自分に必要な強さを身につけているのだ。そのしなやかな強さは、鋼鉄のような強さにも優るのである。

  「そう思えるあなた誰よりも強い」

VOICE9 「彼しか見えない」

 不倫の恋はふたりの恋はふたりの世界が濃密な分、結果的に第三者を遮断してしまうことがある。世間に背いているというふたりの連帯感が、よりその傾向を強くすることもある。

 生活のすべては彼中心にまわり、彼以外の男性は男性でなくなる。仕事や趣味にも熱が知らなくなり、いつどこにいても彼のことを考えてしまう。まさにあなたの世界は「彼しか見えない」のだ。

 どんな恋でも、一時期にこんな状態に陥ることはあるだろう。でも当初のときめきや高揚から醒めれば、すぐにいつもの自分を取り戻していく。けれど、不倫の恋においては、このような状態が一年以上、場合によっては三年近くも続くことがある。

 なぜなら、不倫の恋は外部からの要因に揺るがされることなく、ふたりの世界の中で育まれていくからだ。ある種、浮世離れした恋だといってもいいだろう。そこが不倫の恋の素晴らしさでもあり、危険さである。

 けれど「彼しか見えない」と感じているときは、往々にして彼のことはよく見えていない。これはどんな恋愛にも当てはまる、恋の法則である。

 ふだんは忙しい仕事や、楽しい仲間たちとの生活や、次々と生まれる興味や好奇心を満たしているだけであっという間に時が過ぎていく。多忙がステイタスの証に変わり、友人の数で人望を量るようになる。早すぎる時の流れに身をまかせているうちに、自分自身の変化や成長に気づかない、本当は自分が何をしたいなどと考える暇もない、気がつくと、本当の自分らしさとかけ離れた場所まで行ってしまっている。

 でも今のあなたは、新たな興味に目を輝かせることもない。ほかの男性に目を奪われることもない。この情報過多な時代に、様々な情報に振り回されることもない。じっと彼だけを見つめているあなただからこそ、何にも邪魔されず自分自身を見つめることができるのだ。

 今あなたが本当に向き合っているのは、彼を愛する自分自身なのだ。彼しか見えない不安に襲われたら、そのこちら側にいる自分自身を再確認してみてはどうだろう。毎日変化し、成長していく自分から目が離せなくなるはずである。

「彼しか見えないときこそ自分が見える」

VOICE10 「彼の妻と入れ替わりたい」

 不倫の恋をする独身女性にとって、妻の座ほど光り輝いて見えるものはない。羨ましいという気持ちを越えて、朝目が覚めたら、自分が彼女になっていればいいとまで思う夜もあるかもしれない。

「彼の妻と入れ替わる」ことができたら、どんなに幸福だろうとあなたは思うかもしれない。でも、そんな想像はあなたに何ももたらさない。

 なぜなら、彼の妻と入れ替わったあなたは決して幸福ではないからだ。もちろん現実的に考えれば、単純に妻の座だけが入れ替わる事などありえないことだが、「彼との結婚」に対するひとつの比喩としても、適切ではない。

 なぜなら、現在すでにある彼の家庭は、彼が彼の妻と一緒に、築き上げたものだ。そこには彼らの子供たちや両親、遠くには親戚縁者や友人、知人の存在もあるだろう。そして、そこには多かれ少なかれ、家族の歴史が刻まれている。

 その中で彼が離婚し、あなたが妻の座に着くことになったとしたら、あなたはすでにそこにある家庭にあとから入っていく「侵入者」になってはならない。あなたはそこにある歴史に名前を加えるのではなく、新たな歴史を刻んでいかなくてはならない。あなたは彼と、ゼロから新しい家庭をつくっていかなければならない。

 そんなことは言われなくてもわかっているとあなたは言うかもしれない。けれど、その自覚が双方にない場合、本当に「彼の妻と入れ替わった」だけ、という状態で新しい家庭がスタートしてしまうことがある。彼は以前の妻に求めていたものをそのままあなたに求め、あなたは以前の妻の役割をそのまま続ける事になる。誰かの代役としとて生きるのは、想像するよりもずっと難しいことだろう。

「彼の妻と入れ替わりたい」と願う時間があるのなら、彼とふたりでどんな家庭を作れるかを思い描く方がいい。遠い未来の夢ではなく、あなたの生活や仕事や生き方など含めてごく現実的に想像してみるほうがいい。今まで気づかなかった障壁が見えてきたあなたは、不必要な願望がひとつ、消えているはずだから。

「入れ替わったあなたは幸福ではない」

VOICE11 「彼の家庭をのぞいてみたい」

 今、あなたが透明人間になって、どこでも好きなところをのぞいてみられるとしたら、迷わず彼の家庭を選ぶだろう。これは不倫の恋に苦悩している女性なら、誰でも持っている願望の一つだ。

 あなたにとって彼の家庭は決して開けられることのない秘密のブラックボックスだ。彼が家庭ことを全く話さなくても、あなたは彼の向こう側にあるはずの彼の家庭をじっと見つめている。彼の言葉の端々にぼる家庭についての情報を敏感に拾い集める。決して自分の目で見る事のできないという飢餓感が、あなたの好奇心を増幅させていく。

 好奇心が高まって、本当に彼の家を見に行ってしまうところまで進むと、あなたは自分の想像力にとらわれてがんじがらめになっている証拠である。たとえこのような行動に出てしまったとしても、それはあなたが特別、ストーカーのような資質を持っているということにはならない。酷い自己嫌悪に陥るよりも、自分の中に自然に発生した欲望を受け入れ、その源を探って見ることである。あなたに必要なのは、果てしない想像をばっさり打ち切る意識の切り替えなのである。

 実際は、あなたが見たい見たいと切望するほど、大した事実はそこにはないのだ。あなたは、いつもあなたの前にいる彼とはまったく違う側面を発見すること――たとえば、あなたの前では優しい彼が妻にはがらりと冷たい態度をとっているとか、あなたの前では饒舌な彼が家では一切口を利かないとか、いつも偉そうな彼が妻には頭が上がらないとか――を期待しているかもしれないが、まずそんなことはない。

 もちろん、多少はそんな傾向もあるだろうが、基本的にあなたの前にいる彼と、家庭にいる彼とは全く同じとだと考えたほうがいい。あなたにやさしい彼は妻に子供にも優しく、わがままな彼は家でも自己中心的であり、あなたの部屋でごろごろしている彼は家庭でもごろごろしている。そう考えれば、悩まされるほど彼の家庭に興味を持たなくてもすむのではないだろうか。
 突き止めた事実だけが真実ではない。事実など何の意味も持たないことだってある。事実はどうあれ、あなたが愛しているのは家庭の中の彼ではなく、あなたの前にいる彼なのだ。それこそがあなたにとっての事実であり、真実なのだから。

 「家庭の中では彼は彼」

VOICE12 「わたしの体が目当てなの?」

「彼はわたしの体だけが目当てなんじゃないかしら」。この不平をこめた疑問は、若い女性の口から非常によく聞かれるものである。もちろん不倫の恋に限った悩みではなく、ごく日常的に使われるフレーズだ。

 この「体だけが目当て」という発想はどこから生まれるのだろうか。おそらく、彼と共有する時間の中で、セックスがおおきな割合を占めているときに湧き上がる疑問だろう。

 ちゃんとしたデートに連れて行ってくれないのに、会うたびにセックスを求めて来る。大したプロセスもないのに会ったその日にセックスをしようとする。ろくな会話もしないのに、セックスだけはしたがる。「愛している」というのはベッドの中だけ。結局、彼は私の体が欲しいだけなのね、ということになる。

 けれど、「体だけが目当て」という発想こそ、女性が自分の体をひとつの商品として考えていることにはならなだろうか。だからこそセックスに関して「捧げる」「捨てる」「奪われる」などという表現が未だに使われているのではないだろうか。その商品を高く売るために、セックスをする時期やタイミングを計算したりすることが、かえって自分の価値を下げていないだろうか。

 あなたは、セックスを肉体的なものだと決め過ぎてはいないだろうか。
 女性たちが思うより、男性にとってセックスは精神的な部分が大きいのだということを忘れてはいけない。本当に体だけが目当てだとしたら、彼はとっくにあなたから去っていったはずだ、ただ自分の欲望を満たすだけなら、次々にいろいろな女性と関係するほうが、男性にとってずっと魅力的なことなのだから。

 それでも彼があなたを求めているのは、体だけではない、あなた自身を必要としているからである。あなたが精神的に愛されているからこそ、肉体的にも愛されているのだ。

 女性にとっても、セックスは恋愛の中で最高の愛情表現だ。セックスなしで不倫の恋を進んでいく難しさを思えば、「体だけが目当て」と思えるほど肉体的に愛されることは喜ぶべきことではないだろうか。

 彼はあなたの体に魅力を感じ、あなたのセックスに興味を持ち、その行為を強く望んでいる。これはどんな恋愛「不倫なんかする自分に酔っているだけだ」という言い方をする人がいる。彼らの言い分は大体このようなものだ。

「体目当てほど素晴らしいものはない」

VOICE13 「わたしはこの恋に酔っているだけ?

 わざわざ家庭のある男性を選んでつき合って、つらい、つらいと泣いてばかりいる。そんなにつらいなら別れればいいじゃないかと思うのに、全然別れない。やっと別れてもまた家庭のある男性とつき合ったりする。ということは、つらい、寂しい、悲しいと泣くのも好きでやっているのだろう。結局、結ばれない愛に苦悩する悲劇のヒロインになった自分に酔っているだけだ、というのである。

 このような見方をされることは、真剣に不倫の恋をする女性たちにとって当然本意ではない。だから、彼女たちは必死で反論しようとする。彼を純粋に愛して、彼も自分のことを本気で考えてくれているのだ、と訴える。すると、「どこからどう見ても遊ばれているだけなのに」自分の世界に入り込んでしまっている本人にはわからない。やっぱり酔っているんだな、ということになる。

 このような中傷を受けたときは、反論すればするほど、彼らの思うつぼなのだ。あなたがどんな熱意を傾けて話しても、最後までお互いを理解するには至らない。多大な労力を使って消耗するだけである。それなら、不愉快な苛立ちを抑えて、彼らの言うことも一理ある、と認めてしまってはどうだろう。

 絶頂の幸福感とどん底の辛さを交互にくり返して進んでいく不倫の恋は、それだけ麻薬性の強い恋愛だということが言える。そして独身時代の恋愛よりも閉じられた世界に浸る傾向があり、客観性を持つことが非常に難しい状態に置かれているのも事実だ。

ある意味ではあなたは確かに、この恋に酔っているのだ。酔っていなければ、この純粋な気持ちを保ちつづけるのは不可能だと言ってもいい。

 けれど、不倫の恋にかぎらず、どんな恋愛も「酔って」いなければはじまらない。恋がはじまるとき、相手のことを誰よりも素晴らしい人だと思い込み、相手のどんな部分も魅力的に映り、顔を見るだけで胸が高鳴る、このような状態を「酔っている」以外に何を表現すればいいのだろう。いつも平静でいられるのなら、それはすでに恋ではない。そんな恋ならしないほうがましなのだ。

  「酔えない恋などしないほうがいい」

VOICE14 「どうしてわたしだけこんなつらい目に遭うの」関係においても、素晴らしいことなのである。

  不倫の恋をしていて、何もつらさを感じたことがない、という人はいないだろう。何のつらさも伴わなかったとしたら、それは恋とも呼べない一過性のものか、すでに恋という状態を超えてしまっているのかどちらかだ。

 不倫の恋をしている女性たちの多くが感じていることは「どうしてわたしだけつらい思いをしているのだろう」ということだ。個人差はあれ、誰もがそう感じている思いはそれぞれ確かな真実だろう。問題は、そのつらさの受け止め方にある。

 不倫の恋のつらさに耐えているとき、世の中のカップルはみんな幸せに見えるものだ。そのとき、その幸せに見える光景と自分のつらさを照らし合わせ、ほかの恋をしているひとはまったくつらい思いなどしていないのだと思い込む。

 自分以外の人は何のつらさも悩みもなく、一点の曇りもない幸せの中にいると決めつけてかかる。そんなことばかり考えていれば、当然余計つらさが増す。
 でも、本当はつらさのない恋など存在しないのだ。もしあったとしても、それは味気のないものだろう。

 人は、辛さがなければ幸せかというとそんなこともない。だから、辛さの原因になるものが何もないカップルでも、何とかそこに辛さの原因を見つけて喧嘩したり、ぶったりしながら進んでいく。

 辛さがあるから喜びがあり、不安があるから安心がある。不安定な状況では安定したいと思い、安定して見ると今度はそれを壊したくなる。安らぎのあるときは刺激を求め、刺激に疲れると安らぎを求める、孤独と戦っているとずっと一緒にいたいと願い、いつも一緒にいれば飽きて疎ましくなる。矛盾しているように見えて、どんな恋もそのくり返しによって営まれているのである。

 極端に言えば、不倫の恋はその辛さが大きいからこそ、その幸福感も大きい、ということになる。
 不倫の恋からきれいさっぱり辛さだけを拭い去ろうなどと思わず、その辛さもまた、この恋の楽しみなのだ、と思って見てはどうだろうか。もちろん、楽しみとは思えないかもしれないが、辛さを恋の一部と認めるだけでずいぶん楽になれるのだ。

   「そのつらさもこの恋の楽しみ」

VOICE15 「どんな手を使っても彼を手に入れたい」

 何かを強く欲するとき「どんな手を使ってでも手に入れたい」という人がいる。しかしその「どんな手でも」というのは一体どんな手段を指すのだろう。

 そこには、合法的なやり方でなくても、という意味合いが含まれまれている。たとえば欲しいものがあってお金が足りないとき「どんな手を使ってでも」と言えば、何とか頼み込んで値引きをしてもらうか、誰かにお金を借りて買うか、それでも駄目なら万引きや盗みを働いてでも手に入れる、というものだろう。でも、それが不倫の恋だった場合は「どんな手」があるのだろうか。

 結論から言えば、そんな手はない。もしこうすれば絶対に彼が手に入る、という手段があるのなら、それがどんな非合法で卑劣なやり方だったとしてもその手を使う女性はたくさんいるのだろう。でも、どんな頭のいい人が考えてもそんな手は思いつかないから、こうして不倫の恋に苦悩する女性たちは一向に減らないのである。

 問題なのは、この世にあるはずのない彼を手に入れる「手」を考え出したと思い込んでしまうことだ。そこで間違った「手」を実行してしまう女性たちもいる。彼に誓約書を書かせる、彼の会社に乗り込んでいく、彼の奥さんと直接会って対決する‥‥その究極には、新聞やニュースで時折目にするように、彼の家に火をつけたり、彼の奥さんや子供を殺してしまったりするとんでもない「手」が存在する。

 その「手」の始末が惨儋(さんたん)たるものであることは明らかだ。もちろん、彼女たちがその「手」で彼を手にいれられなかったことは言うまでもない。
 それは極端な例としても、多かれ少なかれ、彼を手に入れる「手」を何とかひねり出そうとているうちは、彼女たちを軽蔑することはできないだろう。彼女たちはまた、彼を手に入れたいと強く願った女性たちなのだから。

 本当の問題は「どんな手を使ってもいい」という部分ではなく、「彼を手に入れたい」という部分にあるのかもしれない。
 この恋の目的は、彼を手に入れることではない、彼をじぶんだけのものにすることでもない。お互いを心から愛し大切に思い、ふたりでかけがえのない関係を築いていくこと。その純粋な想いだけがこの恋の行方を知っているのだ。

   「彼を手に入れる方法はない」

VOICE16 「別れ話をくり返すのはうんざり」

 不倫の恋をするカップルの中には、何度も別れたりよりを戻したり、ということをくり返しているケースがよく見られる。これはもちろん不倫の恋に限ったことではないが、独身同士の恋よりも深刻な状況にあることは確かだ。

 何度決意して別れ話をしても、結局元の鞘に収まってしまうことに、自分がいかに意志の弱い人間かのような嫌悪や苛立ちをおぼえる人は多い。どうせ別れられないのなら、別れ話をする必要なんてないんじゃないか、と思うだろう。そんな無駄な労力を使うくらいなら、同じ時間をふたりで楽しいお喋りして過ごした方がいいとおもうのだろう。

 そう思ってまた、別れ話をしてしまう。よく考えたら、本気で別れたいと思っているわけででもないのに、別れ話をしてしまう。自分でもなぜそんな話をしてしまうのかよくわからない、ということもある。

 でも、別れ話を何度もくり返しても別れられない自分を恥じる必要はまったくない。不倫の恋の途中で、ふたりが真剣に別れ話をすることは、とても大切な意味を持っているからだ、なぜなら、不倫の恋をするふたりは、別れ話という形でしか、ふたりの将来について真剣に語ることができないからである。

 もちろん、ふたりの明るい未来を語ることはいくらでもできる。けれど、それは所詮夢物語の域を越えない。夢物語を綴るのがどんなに楽しい作業だったとしても、そこに越えられない現実がある以上、真剣になりきれないし、長続きしない。だから、現実性を帯びた未来としてお互い真剣になれる話題がどうしても別れに向かっていくのは、ごく自然な成り行きなのだ。

 大切なの、別れ話を最終通告のように考えないことだ。別れ話は、不倫の恋をするふたりにとって重要なコミュニケーションの場だということを忘れないでほしい。

 本気でも、そうでなくても。あなたが別れ話をしたくなったのなら、それはふたりが別れ話をするべき時期にあるということだ。そのときは、中途半端に感情だけをぶつけるのではなく、きちんと対話という形で成立させることが条件である。別れ話を始めたら、途中で放り出さずに自分の気持ちをすべて出し切ること。それを最後まできちんと受け止めた彼との間には、必ず新たな関係がはじまるから。

「別れ話は大切なコミュニケーション」

VOICE17 「無駄な恋ならもうしたくない」

 現代に生きる女性にとって、結婚、そして出産のタイミングはとても大事な問題である。エネルギッシュに仕事をする優秀な女性たちが立ち止まるのはいつもそこである。

 常に結婚、出産までのタイムリミットを考えなくてはいけない以上、恋愛の延長線上に結婚を想定するのは当然である。二十代後半から三十代に差し掛かると、その傾向はさらに強まる。その先に結婚が見えなければ、恋愛などしても仕方ない、というドライな考え方も出てくるのも頷ける。

 そのような目で見たとき、不倫の恋は無駄な恋以外の何ものでもない。彼女たちには、どうしてそんな遠回りをしなくてはならないのか理解できない。だから「相手は離婚すると言っていたのか」「結婚のみ込みあるのか」といった一点に集中して質問を浴びせてくる。毎日そんなことばかり言われていると、本当に貴重な時間を無駄遣いしているような気がしてくるものである。特にあなたが三十歳前後になると、取り巻く状況はますます厳しくなってくるだろう。

 それでは、この恋はあなたにとって本当に無駄な恋なのだろうか。もちろん、そんなことはない。今経験していることが無駄ではないことは、あなた自身がいちばんよく知っていることだ。なぜならあなたはこの恋によって、何の見返りも求めず愛する気持ちを知り、どんなに望んでもけっして手に入らないものがあるのだということを知り、それでも耐えて愛を貫く喜びと辛さを知ったのだ、その経験があなたの今後の人生を、どれだけ豊かにしていくかは明らかである。

 将来あなたがまた別の恋をしたり、結婚したり、責任のある仕事を任されることになったときも、この恋の経験はあなたの結婚生活を支え、幸福に導く基盤となるだろう。人の心の痛みがわかり、努力が報われない虚しさや苦しみを理解できるあなたは、どんな場所でも誰にとっても信頼できるパートナーとなれるに違いない。

 ある目的に向かってわき目もふらずに直進するよりも、遠まわりをして時間を「無駄」にしながら歩いているほうが、本当に求めているものが見えてくる。一本の道しか歩いたこととない人には見えないものが見えてくる。

 同じ一度の人生なら、いろいろな風景を見ながら歩いたほうが楽しい。常に最短距離の道を歩くことが最良の道とは限らないのだから。

 「遠回りをするほうが人生の目的に近づく」

VOICE18 「わたしは彼の家を不幸にしている」

 不倫の恋は、どんな場合もある程度の罪悪感と切り離せないものである。男性が自分の家庭に後ろめたい気持ちがあるのは当然だが、女性のほうも相手の家族に対して、そしてこの恋をしていることに対して強い罪悪感を持つものだ。

 恨み、憎しみ、羨望、優越感など様々な感情が入り乱れる中で、特に罪悪感を強く感じるのは、優しく、真面目で、他人の立場に立ってものを考えられる人に多い。彼女たちが陥りやすいのは「わたしは彼の家族を不幸にしている」という考えだ。

 自分の存在が家族の幸せを脅かしている、という発想は、彼女たちに浴びせさせられる中傷の中に見え隠れしている。「人の家族をこわして平気なのか」「他人を不幸にしてまで幸せになりたいのか」というようなフレーズが頻繫に使われる。

 しかし、そこで、自分はひとつの家族をめちゃめちゃにし、不幸にしているのだという罪悪感に苛まれる前に、あなたは本当に彼の家族を不幸にしているのかどうかを考えて見るべきである。

 あなたが彼の家族に対して何か危害を加えたのなら別だが、ただ純粋に彼を愛しているあなたが、本当に彼の家族を不幸にしていることになるのだろうか。

 結果的に、あなたが彼との関係を家族が知るところになり、妻を苦しめたり、家族にひびが入ってしまうことはあるだろう。でも、それはあなたの存在のせいというよりも、家族を、そしてあなたとの関係を守り切れなかった彼の責任だ。彼の自覚が足りなかったか、覚悟が甘かったか、あるいはもともとこの困難な恋に足を踏み入れる甲斐のない男性だったか、ということになる。

 そして、もうひとつ頭に入れておかなくてはならないのは、家族は、あなたが簡単に不幸にできるものではない。という事実だ、家族の絆は、外部の人間が想像するほどやわなものではない。端から見れば崩壊しても仕方がないだろう、ということが起こっても、長い時間をかけて修復していく。あるいは形を変えて存続していく。

 残念ながら、あなたは彼の家族を不幸にすることはできない。「彼の家族を不幸にできる」と思うのは、不倫の恋をする女性たちの思い上がりなのかもしれない。そう考えると、罪悪感に苛まれること自体、馬鹿馬鹿しくなっては来ないだろうか。

 「あなたは彼の家族を不幸にできない」

VOICE19 「もう彼なしで生きられない」

 不倫の恋をする女性たちの多くは「もう彼なしでは生きられない」と言い切る。この言葉は、彼女たちがどれだけ彼に依存してきたかを表している。
 でも、これを訊いた周囲の人たちはそんなことはいけないと忠告する。将来ずっと一緒にいられる人ではないのだから、そんなに強く依存するべきではない。不倫の恋をするなら、しっかりと自分を持ち、精神的にも社会的にも、彼に寄りかかることなく常に自立しなくてはならない、と口をそろえて言う。

 ずっと一緒にいられない人だから依存するなというのは、確かに正しい意見には違いないが、この恋の渦中にいる女性たちの助けになるかどうかは疑問である。なぜなら彼女たちは、ずっと一緒にいられないからこそ、彼に強く依存するのである。

 いつ終わってしまうかもわからないという危機感があるからこそ、「もう彼なしでは生きられない」という確信を強めていく。

 そこに気づかず、そんなにも彼に依存してしまった自分の弱さを責め、早く自立しようとあせって切り離そうとすると、かえって屈折した形で彼に依存しつづけることになる。彼と別れたあとも「もう彼以外の人を愛せない」と訴える女性が少なくない、「早すぎた自立」によるものかもしれない。

 もちろん「自立」は恋する女性たちの永遠の課題である。「自立」がいい女の代名詞のように使われることからも、いかに女性たちが自立に向かって努力しているかがわかる。けれど、自立することを急ぐあまり、中途半端に相手と距離をとりつづけているのは見せかけの自立に過ぎない。離れよう、離れようとすればするほど、さらに彼に寄りかかっていく。

 本当の意味で彼から自立するには、やはり無条件に依存する期間が必要なのではないだろうか。依存できるときは思い切り彼に依存し、彼のいない人生など考えられないというところまで突き進んでみることが必要なのではないだろうか。

 この恋にどっぷり浸かったあなただからこそ、本当に彼から自立することができるのだ。そして「彼なしでは生きられない」と思うほど強くかれに依存したあなただからこそ、「彼なしで生きていく」ことができるのである。

  「とことん依存することが自立への早道」

VOICE20 「死んでしまいたい」

 いくら不倫の恋がつらいからと言って、何もそこまで思い詰めることはないだろう、という人もいるかもしれない。そんなことを考えるのをやめなさいというのは簡単だが、不倫の恋に苦しむ女性たちの心の叫びにもっと耳を傾けるべきではないだろうか。

「死んでしまいたい」という心の叫びに、家族やまわりの人々はひどく動揺し、一体彼女に何があったのかを追求しはじめる。不倫の恋に何か大きな事件があったからこそ、死を考えたりするのだと信じて疑ない。けれど実際に大きな事件など何も起きていないケースがほとんどである。かえって、いいことにしろ悪いことにしろ、何か大きな動きがあったのなら、彼女は「死んでしまいたい」などとは思わないはずだ。彼女を精神的に追い詰めていったのは、大きな変化ではなく、この恋の変わらない日常なのである。

 彼を愛しているでも彼とは一緒になれない。不倫の恋の苦しみのほとんどはこの基本的な構造から発している。様々な段階を経て、様々な努力をし、長い時を重ねても、結局最後はここに戻る。いちばん好きな人と決して一緒になれない人生なら、もう生きている意味はない。彼女たちの「死んでもしまいたい」理由はいたって純粋でシンプルなものだ。

 だから、もしあなたがこの恋の中で「もう死んでしまいたい」と思うことがあったら、原因を究明しようとしても無駄である。「死んでしまいたい」という思いはあなたの中でごく自然に生まれた願望なのだから、無理なのだから、無理に詮索したり抑え込もうとするのではなく、まず自分自身を認めてあげることが大切だ。

 そして「死んでしまいたい」と思うことが異常だとか、悪いことだとか、自分は弱い人間だというような認識を捨ててほしい。なぜなら「死んでしまいたい」という気持ちの半分は、必ず「死んで生まれ変わりたい」という気持ちが含まれている。この上なくネガティブに感じられるこの思いが、実は非常にポジティブな側面を持っていることには驚かせるほどだ。あなたは今、最大のピンチである反面、最大のチャンスを手にしているのである。「死んでしまいたい」と思うるあなただからこそ、必ず生まれかわることができるのだ。

 もちろん、これはあなたの解決になることではないかもしれない。けれど、あなたの状況を脱する第一歩であることを願っている。苦しみの底にあるあなた、ここまでしか手を差し伸べられないことを許してほしい。

「死んでしまいたいと思えるからこそ生まれ変われる」

VOICE21 「幸せになりたい」

 幸せになりたくないと思って恋する人はいないだろう。自ら選んで不倫の恋の道を歩いている女性たちも「幸せになりたい」と願っている。そこで、幸せになりたいなら不倫の恋などしなければいいんじゃないか、などと思う人もいるかもしれないが、不幸になりたくて恋をする人などいるはずがない。

 誰もが幸せを求めて自分の人生を歩いて行く。何を持って幸せとするかに個人差があるのは当然のことである。それなのに、こと恋愛に関しては、その個人差を無視して非常に画一的な「幸せ」が語られることが多い。結婚イコール幸せ、という単純な捉え方が未だに幅を利かせているのは少々時代遅れな気がしてならない。結婚することが幸せ、結婚できないことが不幸、と定義できないことは、もう数え切れないほどのカップルが証明済みである。

 不倫の恋に反対する人の根底には「不倫の恋では幸せになれない」という揺るぎない認識がある。不倫の恋をしている当事者の女性たちも、この認識に大きく影響を受け、「この恋をしている以上、幸せになれないのではないか」という不安に苛まれている。

 でも、それが真実なら、不倫の恋はとっくにこの世の中から消滅しているはずだ。不倫の恋の中にも確かな幸せが存在するからこそ、悩み苦しみながらもこの恋の道を歩き続けていけるのである。

 ここで大事なのは、幸せを人生のゴールのような捉え方をしないことだ。誰もが同じ人生のゴールを目指して歩いているわけではない。幸せはどこかに既にあるものではなく、自分で作り上げていくものではないだろうか。たどり着いたり、努力して手に入れたり、誰かに導かれたり、もらったりするものではなく、自分自身の中に少しずつ築き上げていくものなのではないだろうか。

 自分にとって何が幸せなのか。いきなりそんな永遠のテーマに挑む前に、自分が何によって幸せを感じるか、どんな時に幸せだと思うのか、今の自分にいちばん近いところからはじめてみてはどうか。
 幸せになりたい。だけどなれない。そうやって人は幸せを求めて歩いていく。けれど幸せはあなたの中で、今まさに築かれつつあるのである。

  「幸せは常にあなたの中にある」

あとがき

『新・愛人の掟』は、『愛人の掟』シリーズの四作目にあたる。
『愛人の掟』は出版当初から様々な反響を呼び、2000年秋には『愛人の掟』がテレビドラマ化されたことも重なって、この本の内容ではなく「愛人の掟36か条」だけがひとり歩きをはじめてしまったような気配が感じられる。

 この36か条だけを取り上げて「不倫をするにはこんな厳しい掟を守らなくてはいけないのか」「これを守れる女性などいない」「これを全部守ったら、ただの都合のいい女ではないか」などと多数の意見や批判を受けた。もちろん、読者の方々は、この掟が不倫の恋する女性たちの辛さを少しでも和らげるためにつくられたものであることを理解していただいていると思うが、そこでわたしが痛感したのは、不倫の恋は、一面的な見方では決して語れないものであるということだ。

 それらの意見のほとんどは、一見「正しい」ことを言っているようで、彼女たちの状況をほんの一面的にしか見ていない、当たり前の倫理観でしかない。彼女たちの気持ちを理解するためには、彼女たちの恋を一面的にではなく、あらゆる角度からしっかり見つめなくてはならないのである。

 それがどんなに辛く悲惨な状況であっても、そんなに辛いなら止めてしまいなさいと言うことはできない。果たされることのない約束を信じて待ち続けていても。彼を信じてはいけない、と言うこともできない。たとえ死を考えるところまで追い詰められても、頭ごなしに死んではいけないとも言えない。そのとき大切なのは、正論をぶつけて説き伏せ、不倫の恋やめさせることではなく、この恋の素晴らしいものにしていこうとする中で彼女たち自身が成長していくことなのだから。

 この本が、あなたに新しい視点を投げかけられることを願ってやまない。あなたが心ない中傷に傷つくことなく、自分の中の矛盾に惑わされることなく、彼の言葉や行動を、奥行きのある目で見つめ直すきっかけになってくれたら、そんな嬉しいことはない。

 最後に、わたしに貴重な体験を綴ってくれた多くの女性たちに、心から感謝を申し上げる。わたしの作品に触れてくださった方々にも最上級の幸せを。
 二十世紀の終わりに  梅田 みか
梅田みか
1965年、東京にて作家・故 梅田晴夫氏の長女として生まれる。慶応義塾大学文学部卒業後、執筆活動に入る。現在、小説、エッセイのほか、脚本家としても活動中・著書に「別れの十二か月」「愛された娘」などなと・・・。