初恋二つの危険

初恋という言葉から皆さまはどういう連想をなさるでしょうか。
たとえばこんなことがあります。仲間たちと時々、年下の友人の噂話をしていますとき、「彼は恋愛をしているのだ」などと耳にしますと、一同はちょっと、真剣な表情をうかべますが「彼初恋なんだ」と言われると、思わず、皆は微笑したりニヤッと笑ったりするものです。
別に初恋をしている若い友人を嘲笑しているのではないのですが、初恋という言葉に何か特別な印象があって、それがふしぎに皆を安堵感に誘うのです。
巷で歌われている流行歌や、シャンソンをちょっと、おききになってごらんなさい。初恋だけは恋愛のなかでもまだ熟していないもの、夢だけ誘うもの、悲しいもの、さまざまの陰影はあっても一種恋愛の手はじめのように軽く取り扱われています。
初恋がそんな軽いもので良いならば、ぼくらはこの問題を殊更(ことさら)に取上げる必要はないかもしれません。結論から先に申しますと、今から皆さまと考えることは初恋をこのように淡雪のように軽い、清純だが消えやすいものとして取り扱うためではありません。
初恋と言う言葉は便宜(べんぎ)上、使うだけで、本当を言えば、ぼくはこの言葉使いがあまり好きではないのです。最初の恋愛がある人の人生の方向を全く決定してしまったり、それほどではなくても、その人の異性観や恋愛観の上に、拭(ぬぐ)い去ることのできぬ痕跡を残す例は決して少なくないのです。
初恋を淡雪のようにモロい、消えやすいものと考える危険と同時に、もう一つの危険が近ごろぼくらの間に拡がっているように思われます。
職業柄、ぼくは自分より一世代あとの青年たちと交際する機会が多いのですが、そういう青年の中には極めてハッキリと「初恋なんて存在するのですか。
ぼく等などは感じませんね」と言い切る人もいます。その言葉をどの程度まで真に受けて良いのか、若い青年にありがちな偽悪的な強がりは別にして、確かに戦後は初恋――最初の恋愛の意味が喪われていっていることはたしかです。
正当な恋愛として取り扱わず
若い男女の交際も昔のように拘束(こうそく)されることなく比較的伸び伸びとしているのは本当に見ても嬉しいものですが、ともするとお互いにたいする新鮮な受け止め方、はじめて愛し合う悦びや感動が次第に失われつつあるのも事実です。
何時までも消すことのできぬ思い出を創り
むかしの人々はそうした接触の機会が少なかったためか、初恋と言うものは何時までも消すことのできぬ思い出を創り、恋人の一語一動さえ、ふかい悦びや悲しみを伴って身をつらぬいたでしょうが、そういう無邪気な新鮮さ、感動深さはやっぱり我々の間では希薄になっているのです。
今日、ぼく等にはこの二つの危険が初恋にたいして存在するように思われます。一方では初恋を正当な恋愛として取り扱わず、なにか子供っぽい、やがては消えてなくなるもの、本当の恋愛のためのちょっとした準備のようなものと考える傾向であり、他方は初恋にたいしてみずみずしい感激や震えるような悦びを失っていく風潮です。
初恋はなぜ破れ易いか?
だが、第一の危険、つまり一般にはぼく等はなぜ初恋を、本当の恋愛の予備段階のように考えたり、初めから初恋とは破れるものと思い込んでいるのでしょうか。初恋を主題にした小説や映画を観ていますと、まるで初恋は破れるもの、破れるが故に美しいものと定めてかかっているような気さえします。
こうした感傷的な初恋の見かたは勿論、バカバカしいものですが、確かに初恋にはもろさ、破れ易さを伴っていることも否定できません。けれどもそれは勿論、絶対に破れ易いものではない。むしろ初恋とは破れるから美しいのではなくて、破れ易いにかかわらず、愛する者たちが、知恵と勇気によって、それを守り貫こうとする時、美しいのだと言い換えねばなりません。
貴方たちのいかなる方が「破れるから美しい」と思って初めての男性を愛するでしょうか。愛し、愛された以上はそれが初恋であればあるだけに我々は懸命になって育てねばならぬのです。
真実、人を愛する悦びと苦しみを知るのは新しい人生にはいることなのですが、それだけに初めての愛がもし真剣であるならばあるだけ、それに破れた時、裏切られた時の絶望や苦痛は肉体の痛みさえ伴うほど辛いものです。
真剣な初恋に破れた時は、ぼく等は再起するまで大きな手術のあとのように長く苦しい闘いと忍耐とを必要とします。時には一生かかってもその受けた傷をいやすことのできない人さえあるのです。
ぼく等は初恋をできるだけゆたかに稔らせ、その失敗を防ぐにこしたことはないのです。初恋とは淡雪のようにはかないが故に美しく、そして初恋の前戯であってはならないという点をよく了解して頂きたいと思います。
初恋について
先日、ぼくはぼくの友人である若い作家に連れられて、彼の妹さんやそのお友だちと伊豆にハイキングにでかけました。
初冬の陽が光っている海べりで桃色の貝殻を拾ったり、蜜柑(みかん)山に囲まれた丘の間を歩いたり、久しぶりでのんびりとした一日をすごし、その夜、友人の親類が経営している宿屋に泊めてもらいました。
夕食が済んだあと、ジェスチュアやイエス。ノオをして遊び、さて、ぼくと友人とが風呂に入って出てきますと、先に入浴をすませた三人のお嬢さんたちは、楽しそうに恋愛論をたたかわせていました。その会話をぼくたち二人は煙草をくゆらせながら、面白く聞いていたのですが・・・・。
みなさんもこの会話にはいってごらんなりませんか。時々、彼女たちのお話の中に顔をつっこむのは、ぼくとぼくの友人とであります。
こちらの言葉がいかにも老成ぶっているのは、我々がもはや、皆さんや彼女たちに相手にされそうもない年のひがみでありましょう。お許しください。
(1) 根のない淋しさ
洋子(友人の妹、B大学女子学生)「あたしたちって妙な年齢ね。
皆さんもそうかしら。つまり――何と言ったらいいのかな。不安定で、腰が定まらないような不安がするの」
悠子(B大学女子学生、声優志望)「スキ間風が、何時も心のうちを吹き抜けているような気分ね」
友人「へえー、そりゃ面白いな、そのスキ間風というのは、どういうスキ間風なんだい」
悠子「たとえば、あたしも洋子さんも、女子学生でしょう。大学に行って勉強している有り難い身分なんですけれども、お教室でも学校でも自分というものがとても頼りなくなる時があるんです。
一体、私は何のために勉強しているのか、本気なのか、そんな反省を強いられることがあるんです」
洋子「その点、男の学生が羨ましいくなる時があるわ。だってあの人たち、自分のやっている勉強が多かれ少なかれ、将来と結びつくんですもの」
友人「ゼイタクな話だな、すると洋子なんか、学校でやる勉強が詰まらなくなった、と言うのかね」
洋子「そうじゃないわ。何と言ったらいいのかな――つまり、私たち女子学生、よく大学におムコさん探しに来ていると皮肉られるでしょう。随分、ひどい皮肉と思うけれど、一概に怒れないの。なぜって、私たち、今、二十歳を超えたばかりでしょう。
二十歳を超えたばかりの女性って、何か根のない不安が何時も心にあるのよ。学生生活にも家庭にもその根をおろせないのが不安なの・・・」
知子(某貿易会社勤務)「それは、社会に出ている私だって同じよ。ひょっとすると、その不安感は洋子さんや悠子さんより、もっと強いかもしれないわ。私、今、貿易会社に勤めているでしょ。
男の社員がよく言うの〈君たちはこの会社にで、ぼく等男性と差別待遇をされるって怒るけれども、ぼく等はこの会社に生涯を託しているわけだぜ。しかし君たち女性は、お嫁に行くまでの腰掛じゃないか〉って」
悠子「ひどいわ。ひどいと思うけれど、やはり、それが本当なんじゃない?」
知子「ええ、だから、私、口惜しいけれど、一人になった時、自分はこの会社に生涯を託してはいないことを感じてしまうわ。ちょうど、あなた達が教室や勉強に根をおろしていないように・・・ね」
友人「すると君たちは根がないと言うわけか。でも、君たちのお父さんやお母さん、兄弟たちのいる家庭という根をおろすものを持っているじゃないか」
洋子「だから、お兄さんは妹の気持ちがわからないっていうのよ。そのお父さんとお母さんとの家庭からも娘はやがて、出ていかねばならないんですもの。やがて、じゃないわ。ひょっとすると来年」
悠子「恋人ができたその日までね、私たちが今までの家庭にいることのできるのは」
友人「ヒデえなことになったもんだな。しかし、その不安感というものは俺にもわかる気がするな」
洋子「だからせいぜい同情して、大事にして頂戴ね。私たち娘はもう家庭にひたれる少女でも、また自分と夫との家庭を見つけることのできた人妻でもないですもの。その中に宙ぶらりんになっている年齢なんですもの」
(2)恋人を待っている
友人「じゃ、その宙ぶらりんをやめて、新しい根と秩序をみつければイイじゃないか。つまり、恋人をみつけ、結婚して、母親になるという秩序と根をね」
洋子「そう簡単にいくもんですか、男って、どうして、こんなに単純なのかしら」
友人「どうして、恋人を見つけられないのだい。自信がないのかね」
悠子「そうじゃないんです。本当のことを言えば、あたしたち、毎日、恋人が出てくるのを心の中で待っているんです。待っているくせに本当に恋人が出てくるのも、何だかちょっとコワいような気がするんです」
洋子「同感だわ。その気持ち」
友人「えらく共鳴したもんだね、つまり、親の家庭という秩序に浸(ひた)りきれないが、そうかと言って現実に別の秩序に体をおき変えるのも怖(おそ)ろしいわけなんだね」
知子「だって、今までの親の世界ならわかっているけれど、これからの世界は未知なんですもの。ちょっと、コワイ気がするのは、当たり前だわ」
友人「だから、君たち現実に男を愛する前に、色々な代用品で自分の気持ちを誤魔化すわけだ。誤魔化すといっては悪いけど、つまり、現実に現れない男性、それがジェームス・ディンであれ、エルビス・プレスリーであれ、ユール・ブリンナーであれスクリーンや小説の中に現われても、実際には君たちの現在の人生を乱す危険のない男に、まず熱中するわけだな」
悠子「本当の恋愛をする前のトレィニングというわけね」
知子「でも、現実に恋愛するとき、そのトレィニングがどれだけ、役立つかしら」
ここで、この会話を中断して、横で黙って煙草(たばこ)をふかしながら聞いていた僕の感想を述べましょう。
知子さんは「このトレィニングが現実に恋愛する時、どれだけ役立つかしら」
といいました。これは大変いい疑問だと思うのです。
三人の会話をまとめてみますと二つの結論が出ます。第一に、娘時代というものは、二つの秩序、つまり今までの(親の家庭という)秩序と、これからの恋愛や結婚という新しい未来の秩序にはさまれて、そのどちらにも腰をすえられない不安な根のない年齢だということです。
第二に、この不安な、根のない状態を感じている貴方たちは色々な方法をとられます。
ぼくの友人がいみじくも申しましたが、現実にあらわれてこない銀幕や小説中の男性に熱中したり、あるいはボーイ・フレンドという一定の距離をおいた男性によって自分の気持ちを発散させる人もいます。
けれども確かなことは悠子さんが言ったように、貴方たちは「恋人が出ることを毎日、心の中で待っている」のであります。
こうした不安定な心理と、恋人の出現を期待する気持ちとは、いかにも乙女らしい微笑(ほほえ)ましいものですが、この根のなさはやはり、ある弱さと危険を持っているわけです。
ここにその二つを整理しておきましょう。それは――
(一) 自分をはじめて愛してくれた男性にすぐ心を許し易いこと。
(二) その男性を非常に完全な男性と思い描き易いこと。
なのであります。
(一) は言うまでもありません。毎日、毎日、恋人の出現を期待するあまり、貴方たちが「恋愛そのものに」恋してしまうかです。はじめて貴方に恋をうちあけた男性よりは、その男性との恋の状態の方が貴方たちをうっとりさせます。
いわば、その時貴方たちはいわゆる免疫のない体に似ているのです。抵抗力というものがないのです。相手の男性をハッキリと見定め、真に貴方を愛するに価するかを調べる前に、貴方の心は彼に傾きやすいのです。
(二) は(一)を考えれば、すぐ、わかります。それは、今、申し上たように、相手をハッキリと熟視し、本当に彼と自分とを冷静に判断する状態にないため、貴方たちはその男性を今までの全ての夢で薔薇色に飾ってしまうわけです。これが恋愛にとってどんなに危っかしいものかは今更申し上げる必要もないでしょう。
そういうことを、ぼくは三人のお嬢さんに話してみたわけでした。さて、そこで、もう少し、その後の我々の会話を書いておきましょう。
洋子「じゃ、そういう心の弱さから逃れるために、どうしたらいいと思う?」
知子「どうしたらっていうものじゃないわ。やはり免疫体をつくりあげなくちゃ」
洋子「でも、免疫になるため男性に対して無理矢理に強情になる必要はないと思うわ」
悠子「そりゃ、そうよ。けれども最初の恋愛にそんなモロさ、弱さを持ち込まぬような色々な方法があると思うの。だって、普通、初恋は破れ易いと言われるけれどそれは多くの場合、そのモロさが根底にあるからじゃなくって。
そして私、いつも思うんだけれど、最初の恋愛って女性の生涯や男性観にとっても大きな影響をあたえるんじゃないこと。だから初恋はとても大事なものよ。敗れ易いものであっては困るのよ」
知子「今、悠ちゃんの言ったモロさを防ぐためには、私たちが相手の男性をハッキリ見詰め、できるだけ正しい判断を下せるような眼を養っておくことが大切だわ」
友人「そうだ。それには、君たちが、出来るだけ色々な男性と(恋愛でなく)友人として交際しておくことが必要だな。決してその男性たちとはじめから恋愛しようと思わずにさ。
そのためには洋子や悠子さんが大学に行っているのも、知子さんが勤めに出ているのも、やり方一つで決して無駄にならぬと思うんだ」
洋子「そんなこと、わかっているんだけど、そこがムッかしいのよ」
友人「一人の男性とだけ、特に付き合わないように。数多くの男性とこちらも同じ数の女性のいるグループなんかを通して、共通な交際をしてごらん。
この共通な交際は他人から誤解されることを防ぐし、男性とはこんな型もあるのか、あんな型もあるのか、段々わかってくるいい方法だよ。
しかし、恋愛と言うものは、家や土地を探しまわるようなものではない。結局は崇高(すうこう)な賭けであり、決意の問題だということを決して忘れないようにね。このことはいくら言っても言い切れぬほど大切なことなんだ」
つづく
シラノの恋・オセロの嫉妬