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 赤バラ恋することと愛すること =遠藤周作氏著=
 約30年前に書かれましたが、現代の若者へのメッ セージとして紹介します。

本表紙 恋することと、愛すること

ピンクバラ愛の期待について・・

1951年ころは、ぼくはフランスのリヨンという美しい町の大学で勉強していました。蒼(あお)いつめたいローヌ河が真ん中を流れ、まひるには古い家々の遠くから教会の鐘がねむたげに聞こえ、そして町のむこう、地平線の彼方にはアルプスの山々がまるで地球の歯のように真白に見えるところでした。

 日本人はほとんどいませんでしたから、ぼくはあるフランス人の家に下宿をしていました。その下宿の下には未亡人であるお内儀(かみ)さんとジャックとよぶ十四歳の息子、マドレーヌという十歳の娘が住んでいました。お内儀さんはこの家の門番をしていたのです。
 
ある日、ぼくは大学へ出かける時、何時ものように郵便を受け取るため、この門番のお内儀さんの部屋に寄ろうとしたのです。すると戸口から彼女が息子のジャックになにか教えている言葉が洩れきこえてきました。

「いいかい、ジャック。お前もこれから大人になるのだから学校や色々な所で女の人と遊ぶことが多くなるだろうね。そんな時、どういう風な考えを持つか、おわかりかい」
「ううん、わかんない。ママン」

「ジャック、そんな時はね、お前がお母さんや妹のマドレーヌにしてはならぬことや言ったり出来ないこと女の友だちに言ったり、しないようにね。それさえ飲みこんでおけば、女の人とウンと遊んだっていいんだよ」
 
それは何処の家庭にでも見うけられる母親と息子のやさしい何気ない会話でした。けれども、ぼくはなぜか非常にこの場面に感動してしまったのです。

 大学へ向かうローヌ河にそった路を歩きながら、ぼくは考えこんでしまいました。ちょうど秋のはじめマロニエの金色になった葉が歩道にかるい音をたてて舞いおりていました。

(ぼくが日本で子供だった時、ああした話を家庭でしてもらっただろうか。異性と交際する時の態度や心の持ち方を親たちに話してもらっただろうか)
 
フランスの門番のお内儀さんでさえ、自分の息子に女性を眺めるすべを教えるというのに、残念ながらぼくにはそのような記憶は見当たらなかったのでした。

 勿論、皆さまのご家庭では御両親がこのような話をして下さる家があるかもしれません。けれども、ほとんど大部分の親たちは今でさえ息子や娘たちとそういう話題を持つことはほとんどないか、ひょっとすると避けようとしているにちがいありません。
 
皆さん。ボーイフレンドとお遊びになる時、こんなことを時々、お気づきになりませんか。Mさんはとっても良い青年だけれど一緒にいると何故か気持ちがキュークツになってしまう。

M君も悪い人じゃないけれど、ガールフレンドと遊ぶ時、何時も自分がえらい所を見せようとする。そして貴方たちでさえ――ひょっとすると――はじめてのデートの時、妙にモジモジしてしまったり、堅苦しい気分になってしまった記憶がありませんか。
 
ぼくは決してそんな青年が悪いなどと言っているのではありません。けれども確かに日本の青年たちは、まだまだ、女性を扱うすべをほとんど子供の時から学んでいないようです。

女性を扱うとイヤな表現になりますが、女性と交際をしたり、それを自然な形でいたわったり、悦ばせたりする礼儀や考え方がなめらかに育っていないようなのです。

ですから、女の前にでると、彼らはひどく深刻ぶったり、あるいは妙に気負って見せたりするのです。あのよくパーティなどで見うけられるギコチない風景が出てくるのです。
 
男の子たちだけではありません。貴方たち女性の方たちにも、御一緒していると、時々こちらまでが重苦しくなったり、ジレったくなったりする方がまだまだいますよ。

男性にはじめて話かけられたようにモジモジするお嬢さんは今では大分少なくなりましたが、その代わり、我々青年をひどく警戒させてみたり、あるいはその逆にベタベタ狎(な)れ狎れしかったりする方がまだ見うけられるのです。
 
 話はちょっと、横にそれましたが、とにかく、ぼくたち日本の若い男女はまだまだ異性を眺める眼や、それを正しく考える力が未熟なようです。

なるほど昔と違って貴方たちは随分、そうした機会を持たれていますがそれでもまだ過渡期にすぎないことは貴方たちが一番、御存知でしょう。
 
さて――ちょっとしたパーティやお交際(つきあい)だけのことならこうした未熟さは今申しましたようにギコチなさや気まずさを作るだけで済みますから、まだ問題はありません。

 けれども、いざ、これが恋愛の世界にもちこまれると色々な罅(ひび)や悲劇をつくることがあるのです。今日はその一つについてお話しましょう。

 貴方たちお嬢さんはみな夢をもっていらっしゃる。やがて貴方に愛をもとめる青年について誰だって娘である限りはあれこれと思いを描いていらっしゃるはずです。
 
ぼくはある女子短期大学で教えていますが、女子学生の一人に「今、一番、何を考えているの?」と尋ねたことがありました。すると、彼女は少し顔を赤らめながら「どういう恋人があらわれるか、ということ」と正直に答えてくれました。

 この答えは決して恥ずかしいものではありません。少し勇気と素直さがあれば、どんな娘さんでも同じような返事をするはずです。そうした夢が高く美しいものであればあるほど、貴方たちの恋愛もステキなものとなるのですから、美しい大きな夢をもってください。

 けれども、その夢が高く美しくあれと言うことは、それが夢想であったり非現実的なものであれと申しあげることではありません。

貴方は映画御覧になる。ジェラール・フィリップにうっとりなさる。御自分の夢の中の男性もフィリップ的なような気分がする。貴方は小説をお読になる。その小説の素晴らしい主人公、たとえば『風と共に去りぬ』の男のように逞しい青年が自分の前に何時か現れるような気がする。

 こうして色々な男性の美点を重ね合わされて、貴方は毎日毎日御自分の理想の男性を心の中にだんだんとおつくりになる。
 
そうした夢想の世界は別に危険なものではありませんから、どのように貴方がそこでお遊びになろうと結構です。けれどもそうした理想の男性の夢想をつくることと「男性を知る」こととは全く別なことです。

 危険なのは、ある時、本当に一人の青年が貴女に愛を求める日です。女性というものは、とにかく、愛の期待にながい間生きていますから、相手がそれほど嫌でない男性である限り、自分を愛してくれたとわかれば嬉しく思うのは当然でしょう。

(嫌いでないということは微妙な曲者です。女性は嫌いな男に愛を求められると甚しく相手を拒絶しますが、そう嫌いでない男性だとふしぎにその相手に好感もつものです。)
 
さて、その次にその嫌いでない男性がだんだん好きになっていく心の動きがはじまるのですが、それはほとんどと言ってよいほど、相手を美化して考えることから生まれるのです。

つまり、今まで心に描いていた夢想の男性の姿を現実の彼の上に重ね合わせて――もし寸法が合っていなければ、勝手に寸法を伸ばし、彼の眼はちょっとフィリップ的だと考えようとしたり、あるいは彼のすこし粗野な性格を逞しい男性だと努めて思い込むように――本当の彼の姿でなく、貴方の美化された彼の影像に心動かされはじめます。
 
「満更でもないわ、あの人」という気持ちがやがて「あの方は素敵だわ」と思い込む感情に変ってきます。

 けれどもこの結晶作用や陶酔があまりに強く烈しすぎると、これはやはり危険なものです。
 
まず、恋愛はいつかは狎(な)れや疲労をともなってくるものです。いつかは貴方が美化していた彼の姿が思いもかけず、みすぼらしかったことに気づくときがあります。

今まで力強いと思っていた彼の性格が実は粗野とエゴイズムとの変形であったり、今までジェラール・フィリップ的だと想像していた彼が坊やのように我ままで頼りにならない青年だとわかると――

 夢が、結晶作用が、はじめの陶酔があまりに強く激しかっただけに、その幻滅感も受け入れる傷もまた深いものとなるのです。
 
一方、そうした夢や美化感情を託される側もまた辛いものです。立場を逆にして、もし貴方が、相手の青年からグレイス・ケリイのように高貴で美しい娘であり『穿(せま)き門』の主人公アリサのように純潔な心の持主と思われたらどうでしょう。

 貴方はきっと不安になる。「あたしは、そんな立派な娘じゃないわ。わたしは普通の平凡な娘なのに…・」

 けれどもあなたは愛している彼を幻滅させたくない。失望させたくはない。すると貴方はどうしても彼の夢、彼の美化した影像に応じて背伸びをするようになります。本当の貴方、よい所も欠点も共に多く持っている本当の貴方ではなく全く美しい清純な一人の娘のフリを何時もしなければなりません。
 
やがて、貴方はその背伸びに疲れます。彼といることが少しずつ苦しくなり、何時か自分の一人ぼっちなことを考えだしてしまうのです。

 こうして恋愛によくある悲劇の一つを救うために、貴方たちはどうしたらいいでしょうか。皆さんにもイロイロ、考えがあると思いますが、今日、ぼくが二つの方法を書いておきましょう。

一、まず恋愛に恋をせず、本当の恋人に恋してください。と申しますと随分ヤヤこしい言い方ですが、若いお嬢さんのなかには、はじめから恋愛の雰囲気やその素晴らしさに余りに憧れる人がすくなくないようです。

自分もいつかは恋愛をしてみたい――そういう期待が昂じると、本当に自分を真剣に真面目に愛してくれる男性をえらぶことに力を注ぐのをウッカリ忘れてしまい、一番はじめに愛情を告白してくれた青年に夢中になってしまうものです。

つまり彼女が愛しているのはその青年よりはその青年との恋愛の方なのです。

二、つぎに男性を正しく見る眼を養ってください。相手を美化しすぎたり、陶酔しすぎたりして本当の彼でなく、貴方の夢想の彼を愛する危険を防ぐために、男性をもっともっと知る必要があります。
 
初めにも書きましたように、ぼくたちはまだまだ、互いに異性をみる眼、それに正しく接する力が未熟なのです。だから妙にギコチなくなったり、妙に警戒したり、妙に甘えすぎたりするのでしょう。

 このためには貴方たちには沢山の青年と接せられて、それを観察されたりするのも一つの方法だと思います。だが、その時誰か恋人を選ぼうとは当分、お考えにならぬこと。

そしてできるならば、学校や職場サークルや合唱クラブなどと通じて男性と女性とも集団でお付き合いできる場所が一番よいのです。
 
男性をみる眼が肥えれば、相手を必要以上に美化しすぎたり、陶酔したりする危険がなくなっていくものです。

恋愛は勿論、陶酔がなければ生まれませんが、その陶酔を知恵によって制御することも、二人の愛を何時までも続かせるため必要なのです。
 つづく 男性のドン・ファン的心理について・・