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3●暴力を生み出す基盤にきづく

本表紙

暴力を生み出す基盤にきづく

ピンクバラもうかなり昔になりますが、妻とこのことで話し合ったことはが何度かあります。そう、妻がカウンセリングを始めた(1987年頃)のこと、つまり私がフェミニズムと向き合って生きるようになった頃ですが、再現してみますと・・‥。

「わたしは自分の行動や言動を正当化しようつていう気持ち、ないよあんまり」
「ああそう――でも、そういうもんちゃうの? 人間て」
「それはわからないけど、わたしはしんどいことはしないの」
「えつ? しんどいことか、それ。正当化した方が楽ちゃうの?」

「それはそうでしょうけど、そのために歪めなければならないことが出来るでしょ」
「まあ、そら、自分が正しいと思うためには、相手を悪者にするほうが楽やもんなあ」
「相手を悪者にしたり憎んだりするのはしんどいことよ」
「でも、ときどき、『わかっとらんなあ、あの男は』とか言うて、ぼやいたり悪口を言ってるやん、あれはどうなんよ」
「それはストレス解消、言ってみてスッキリしたらもう終わり、自分を正当化するための道具にしようとする気なんかないもん」

「ああ――そうか、スッキリするだけの話か――なるほど、じゃユキの心のなかでは相手を悪者にしたりしてないんか」
「それも時と場合、相手によっても違うけど、相手を悪者にしたからって、わたしは自分が別に楽になるとは思わないよ」
「えっ? そんなことしても心が楽にならんちゅうの?」
「うん」
「ほんまいかいな?? ・・・・じゃあどうしたら楽になるっちゅうんや?」
「好きか嫌いか――やね」
「なぬ?…・」
〈好きか嫌い? んなあほな。そんなんじゃやっていけん。子供やないかそれやつら、ったく。ようカウンセラーやってるなあ〉
 なんとなく煙に巻かれたような感じですが、実は、彼女は返事に困ってごまかしたのではなく、出来ないことをしようとしている私に、《どうしてそんなしんどいこと、するのかなあ。私はそんなしんどいこと、好きじゃない》と教えてくれていたのだと思います。
 考えてみれば確かに、自分のしたことを常に正当化するのは、恐ろしいほどしんどいことでした。

 最近になって分かったことですが、「いつもいつも自分のしたことを正当化しなくても、人は生きていけるんだ」と言うことなのです。別に自己否定につながることでもなかったんです。そう思うと、なんだか彼女の生き方がとても楽なような気がします。

 ここで、もう一度、私のDVについて振り返ってみようと思います。
 本当にエゴだったのでしょうか。エゴがDVを引き起こしたのでしょうか。確かにエゴには違いありません。しかし、そのエゴを「夫婦間ではいいんだ」と思わせる「何か」があるのではないでしょうか。

 女性学では、その「何か」というものの正体を発見しています。それはジェンダーというものです。生まれながらにして男が男らしくなるのではなく、女が女らしくなるのでもない。
 生まれた時から、社会のそのときの風習、全体的な流れ、かかわる人たちの考え方、生き方の影響を受け、男が男らしく、女が女らしくなるのだ、といった見方です。

 つまり、「男らしさ」とか「女らしさ」とかいうものは、本来、生まれた時から備わっているものではなく、あとから学習することによって個々人のなかで創られていくものだというものです。
 勿論社会にはいろんな考えが方があって、そうではない、という考え方もあり、どれが正しいと決めつけられるものでもないでしょう。私がここでそのことについて何かを言えるほど研究もしていません。私が思うことは、どちらの考えであってもいい、「違うことはいけないことでないんだ」ということです。これが当時、妻に対しての欠けていたものです。

 彼女という女性に対して、「私のイメージや願望どおりの妻でなけれねばならないという必要は何処にもないんだ」という考え方を持てなかったということです。そして、その持ってなかったのはエゴもあったかもしれませんが、「妻というのはそういうものだ」「それが良き妻なんだ」という当時のジェンダーの影響によるものだと思います。

 そしてそれこそが、夫婦間のもめ事の本当の敵だったと思います。
 ジェンダーの影響によって、従来型の基盤で生き、それしかないと思い込んでいることはとても偏った意識です。
 現実には基盤は他にあり、違う基盤上で生きている人達もたくさんいます。

 ジェンダーの存在を知り、他の基盤を知り、思い込みから解放された時、その時こそ抑圧やDVを生み出す感情から解放されると思います。
[私のフェミニズム観]
フェミニズム――女性差別を撤廃し、女と男が対等である社会をめざす主義主張
フェミニスト――フェミニズムを実践して生きている女性

 今、社会で起ころうとしている男と女のせめぎあい、それは、私たちのたどってきた道のりと同じ気がした。
 私は記憶をたどった、出来事は憶えているが、そのときの状況がなかなか思い出せない。思い出したことを片っ端から記録にとった。

 ひとつのことを思い出して書いているうちに、そのときの感情がつぶさに蘇った。しだいに浮き彫りにされる過去。状況、気持ち、本音のやり取り、最悪の状況等々‥‥。

 書きながら出る冷や汗、それはまるでタイムスリップしているようだった。だが、これほど面白い作業もなかった。
「フェミニズムの視点かで生きているようである今の私」が「フェミニストの妻に『そんな考え方、おかしい』と対峙している、かつての私」を、思い起こしているのである。

 一人の人間がこうも変化するものか、と今さらながら驚かされる。と同時に、誰もがこのような可能性を秘めているのでは、という気がしてならない。
 ごくありきたりの男が、どのように心情を抱きながらフェミニズムを受け入れるに至ったか克明に書き記したのがこの本である。

赤バラ著者/著者のパートナー 略歴
 宮本博文(著者)
 1949年12月23日生まれ
1972年、近畿大学商経学部商学科卒業後、家業の家庭金物卸業者に従事
1974年 結婚
1994年 男とフェミニズムについて書きはじめる
1996年 ケガにより退職もシナリオを学ぶ。
現在 フリーライター、エッセイ「家庭とフェミニズム」執筆中
『出会った相手がわるかった!?』――札つきのフェミニストを妻にして=2000年5月20日第1刷発行=
宮本 由起子 パートナー
 1949年7月3日生まれ
関西大学大学院修了
1987年、仲間と共同で、「こころの相談室マインド」設立。
1995年 仲間と共同で、フェミニストカウンセリングルーム「大阪心のサポートセンター」を設立。
著書に「ジェンダーとセクシュアリティ」