家事と育児だけでは満たされないという――なるほどと思いました。将来がきまりきっていれば誰しも一抹の寂しさを感じるでしょう。それである程度の理解を示したのです。それで満足とまではいかないまでも平穏な生活は保たれるだろうと。

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1●恋愛結婚の数年後――学びはじめた妻の変化を受け入れられず

本表紙
ピンクバラ恋愛の末の結婚、先ずはめでたし、めでたし。ところが数年も経たないうちに妻の様子が違ってきました。家事と育児だけでは満たされないという――なるほどと思いました。将来がきまりきっていれば誰しも一抹の寂しさを感じるでしょう。それである程度の理解を示したのです。それで満足とまではいかないまでも平穏な生活は保たれるだろうと。

 しかし、それは間違いでした。だか、何処かでどう間違っているのか、当時二十代の私には分からなかったし。妻にもわからなかたのです。
妻は自分がどうして満たされないのか、心にすきま風が吹き、人生をつまらなく感じてしまうのかを模索しはじめていました。

 その頃、しきりに言っていたことがあります.「私も働く、子どもは二人で育てるものだと思う。あなたが働いたお金使うのは息苦しい」と、私には妻のその気持ちが理解できませんでした。その考え方はおかしい、自分の考え方を押し付けた私。しだいに関係は悪化していきました。

私は自分の考えが間違っているとは思わなかったで、妥協しませんでした。男がしっかかり働いて家族を養う、それのどこがおかしいのか分かりません、分かりようもありませんでした。
 
しかし、妻の気持ちはもって切実なものでした。私と一緒に暮らす意味を見いだせなくなっていたのです。(この頃に車の中で離婚宣言をされている)。それで妻は、「こういう思いは私だけではない」と、新聞で主婦たちの動きをチェックするようになり、当時、僅かな動きではありましたが、同じような悩みを持つグループの存在を知りました。

妻は「主婦問題講座」という自主グループに参加し、率直な本音での話し合いを通して、自分たちの満たされない心の葛藤がどこからきているのかなどを、つかみ取っていたのでした。
 
この頃になると、妻の生き方がはっきりした形になって我が家に現れました。妻は自分の生き方、『私はこういう風に生きていくわ』ということをはっきりと私に伝えだしたのです。もの腰は柔らかでした。それまでそういうことには真剣にかかわらない方が無難だと思い、そういう接し方しかしなかった私も、それですまなくなっていったのです。

 仲間としっかりと学んできたことを、私を非難するのではなく、『こうこうこういう生き方を私はしたいの』と活き活きとして、楽しそうな笑顔で話しかけられると、ついこちらも笑顔が出てしまう。
なんかそういう生き方にそえるようにしたい、と真剣に妻の生き方を考えるようになっていきました。そんな時には話も弾むのですが、それだけでは終わらないことも多くありました。
 
いつの間にか妻の生き方を「自分の女房」としての在り方と重ね合わせて、『それは理解できるが、それやったら男って何やなんや。ちょっと男の気持ち、無視してないか』と言うようなことになり、気がつけば、私一人が喋りまくっていました。
何度となくそれを繰り返す日々、徹夜で怒りをぶちまけていたことさえ珍しくありませんでした。妻は辛抱強く聞いてくれました。話すだけ話して最後に私が「まあ、これで分かつたやろうと思うから、もう止めとく」と言うと、同じ言葉がいつも返ってきました。

「分かったわ、あなたの考え。でも私はそうは思わない」。あきれ果ててものもいえなかった私。何を言ってもヌカに釘、言うだけ無駄と感じるようになっていきました。
 
妻はこの頃、女性学の本をよく手にするようになります。「わたしの思っていることとフェミニズムの言っていることがピッタリ合うのよ」とよく言っていました。そして彼女の知らなかった、知りたかった「社会での女性の置かれている位置」がどういうものかを学んでいったのです。

 この頃の妻は「一個人の女」かせ「社会の中の女である自分」という意識に変わっていったように思うのです。それまでは「女は損」とか「女も男も同じでしょ」ということを言っていたものですが、「私は女であることが好き」とか「主体的な女で生きる」というようなことを言いだすようになりました。
 
 今の男社会でいうところの「女」を受け入れられなかった妻の意識が、フェミニズムによって、新たな「女と男が対等な関係」のなかで「女」として生きることに生きがいを見出している。
それまでの「女だって男並みの仕事ぐらいできる」という意識から、女が今の男性優位社会ではそれをすれば女はつぶれてしまう、たとえ男以上の能力があっても社会に潰されてしまう、と変化していきました。

フェミニズムは多くの先達フェミニストたちの血と汗の結晶です。いかに能力をもって真剣に社会で生きても、男たちはその女に

「女としての優しさや愛情、女らしさからくる女としての魅力」

を要求する(ダブルスタンダード)。としても女一人で対抗できるものではない。そういう苦しみの中から洋の東西を問わず一人ひとりが声を上げた、傷つき傷つけられながら築き上げられた生き方がフェミニズムである。

 私は妻と暮らす中で、そういう人たちの思いを何度となく聞かされたのでした。
 
また、以前から二人の間でとくに問題になっていたのが「妻の幸せ」ということでした。それは夫である私が妻にもたらすものであるとずっと思っていました。
 
 私の稼いだお金を使うのに気がねするという妻の意識は一体全体何事かと、どうしても納得できなかったのです。
 とにかく妻の考えていることが、まったくもってわからない。そんな状況のもと、一方ではフェミニストとの生き方などを聞いていた私は、いつしか妻の書棚にある女性学、フェミニズムの本に興味を惹かれるようになっていました。 
 
ついに自らそれを手にした私。数時間後、私は震えていました。そこには、私の知らなかった世界がありました。

妻の言っていた言葉の意味が何だったのか、私は正しいと思って妻にしていた行為、それが何だったのか、はっきりと見えてしまったのです。
そして、今までの事を妻にどう謝っていいのかと、そればかり気になり、どうしょうもなくなっていたのです。妻の悲しそうな顔、じっと耐えて私の話を聞いていてくれていた姿、それでも数数日後には明るい笑顔を見せてくれた妻‥‥。
 次々に浮かんでくる過去の光景がいつしか私の顔をくしゃくしゃにしていました。
 
今まで何もわからず、あんなことを‥‥、と自分の至らなさに目は宙空を漂うばかり。愕然としながらも、自分の生き方をいかに押し付けてきたかを感じ取った瞬間でした。
 その頃から妻には妻の生き方がある。自分の生き方を押し付けるのはもう止めようと思いました。1996年の事でした。
 つづく 2●男とフェミニズム――夫婦関係、その従来型と対等型