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第五章 不倫の恋の結末

本表紙 亀山早苗著

「今」は「未来」に続くか

相手にも家庭がある恋愛の場合、多くの女性たちは、
「家庭は家庭として大事にし、彼とは一生付き合っていく」
 と覚悟を決めている。
 それでも、将来を考えると不安になると話す女性たちも少なくない。

 宮本彩子さん(五十六歳)には、二十年来の恋人がいる。彼は二歳年上。お互い三十代のころ、職場が同じで一緒に仕事をしているうちに恋に落ちた。

 それから早二十年。そのころ小さかった子どもたちもすでに成人した。だが、彩子さんにはすでに定年を迎えた夫がいて、彼には綾子さんより一つ下の妻がいる。
「子どものしがらみがなくなったらいつかは一緒になりたい」
 とお互い思っていた。だが、それぞれの子どもたちの入学、卒業、成人、独立、結婚など、いくつも家族の行事はなくならない。

「次は孫が生まれて、彼自身が定年になって‥‥。そうしているうちに、どちらかの配偶者が弱ったりしていくでしょう。一時期、彼の奥さんが更年期で心身ともに弱っていたんです。やはりそういうときには、何も考えずにふたりだけの時間を持つのは難しい。歳を取ればとるほど、分別が出てきて、家族第一になってしまう。私自身も、彼に対する情熱は衰えていないんですが、定年を迎えた夫を邪険にするわけにいかない。でも今振り返ってみても、恋に落ちたときだって、家族を捨てて自分の幸せだけを追求する気には、お互いなれなかった。結局、一緒になれない人なんですよね」

 つい最近、彼としみじみとお酒を飲んだという。二十年と一口に言うけれど、生まれたての子どもが成人する歳月だ。ふたりにとって。決して軽い日々だったわけではない。

 実は彩子さんに会うのは、とても時間がかかった。お互い家庭がありながら二十年という歳月を、どうやって暮らしてきたかのか、それを聞かせてほしいとお願いしたのだが、なかなか承諾してもらえなかった。

「私は今まで友だちにさえ、この恋愛のことは打ち明けていません。誰も知らないこと。おそらく、彼も誰にも言っていないでしょう。誰かにいってしまうことで、この関係が壊れるのが怖かったんです。今回、ようやく話す気になったのは、こういう恋愛もあると知ってほしかったからかもしれませんね。生涯、当事者だけの秘密にしておくのは、ちょっと寂しいと思ったんです。かといって、かえって知っている人には話せない。だから話してみようと思いました」

 そんな彩子さんにとって、この二十年はどういう思いで過ごしてきた歳月だったのだろう。そして、今どんな思いで振り返っているのだろう。

「いろんなことがありました。付き合い始めて十年くらいたったころが、いちばんの危機でしたね、このままでいいのか、という思いが高まって、お互い家庭に戻ろうかという話もしたことがあった。それでも大事な人だから、別れられなかったし、最終的には別れたくなかった。

誤解がもとで喧嘩したこともあったし、嫉妬したこともあった。たくさん泣きましたけど、彼とたくさん笑いもした。一方で、家族との思い出もいっぱいある。その時は大変だったけど、冷静に考えれば、人生、人の二倍は生きて来たような気がしますね。だけと、果たして本当に満たされた人生だったのかといえば、それは何とも言えません。どこかで勇気を出して、彼と一緒になる努力をした方がよかったのかもしれないし、両方上手くやって来たことがよかったのかもしれないし…‥」

 彼との人生を決断していたら、ひょっとしたら、彩子さんの家族はすべて崩壊していたかもしれない。彩子さんの立場であれば、そのときそのときで、周りのことも含めて、リスクの少ない選択をしてきたのだろうし、全体を考えればそれが結局、正しかったと言えるのではないだろうか。

 もちろん、周りにどんな迷惑をかけようが、傷つけようが、自分の欲望を第一に考えているという方法もなくはない。そうした場合。結局後悔するとしたら‥‥。

 人は選ばなかった道に、必ず未練を残す。個人的には、彩子さんの選択は誤りではなかったと思う。今、身内に嵐が起こっていないから、「もっと思い切った選択をしても良かったのかもしれない」という思いがくすぶっているだけではないだろうか。

「ただね、先が見えてきた今になると、最後は私たち、どうなるのかなと思うんですよ。主人が定年になって家にいるのを見ると、彼もこんなふうに家にいるようになるのかな、と。彼の奥さんは専業主婦だから、そうしたらふたりはずっと一緒にいることになる。自分たち夫婦は、もう空気みたいにいてもいなくても同じような感じだけど、彼のところはどうなるんだろう、とかね。余計なことを考えちゃいます」

 ずっと一緒にいることで、お互いが「いてもいなくてもいいような存在」になってしまうなら、一緒にいる時間は短くても、互いに情熱が失せないほうがいい、という考え方もある。ただ、実際には、そこまで割り切っている女性は多くはない。やはり「いつかは一緒に」という思いがある。

 将来への不安

 四十代半ばで、互いに家庭がありながら三年間付き合っているという中島由希子さんは、テレビドラマなどで夫が病気になる場面を見ると、心がざわつくという。

「夫が病気になって、妻が毎日見舞う。でも、私たちはそうはいかない。どちらかが病気になっても、そう簡単にお見舞いに行けない関係なんだな、と思い知らされるんですよね。もしどちらかが急死したら? ひょっとしたら、いつまでも相手が死んだことを知らないまま、連絡を待ってしまうかもしれない。そう考えると、本当にあてのない恋愛をしているんだし実感させられます。よく考えると、本当に好きなのは彼なのに、その人とは毎日をともにできない。これってやっぱり切ない。本音は彼と、いちばん好きな人と生涯をともにしたい。だけど、それを言ったら終わりだという気持ちが自分の中にあるんです。だから、恋愛と結婚は別だ、と言い聞かせるしかないんでしょうけど」

 由希子さんは大きくため息をつく。考えても考えても先は分からない。家庭が安定している人ほど、恋愛の行く末に思いを巡らせてしまうようだ。

「やっぱり、家庭を壊さずに恋愛していることに対して、どこか潔くないと感じてしまうんでしょうね。私自身は、夫とは関係を持ちたくないけど、求められれば拒めないところもあります。おそらく、彼も奥さんともしているでしょう。お互い、配偶者と関係しながら、ふたりの世界ももっている。心の底では、『そういう関係は、どこか違う、間違っている』という気もするんです」

 一対一の関係こそ美しい、とする考え方は、もちろん、誰にでもあるだろう。特に女性は、好きなら一対一が当然だと思いがちだ、だが、それができない状況に置かれているなら、やはりどこかで割り切るしかない。割り切るという言い方が冷淡に聞こえるなら、覚悟をすると言い換えられる。

 結婚も自分が選んだこと、離婚する勇気がもてないのなら、何もかも受け入れて生きるという方法もあるはずだ。それがいいとか悪いとかという基準で語られる問題ではないということを、本人自身が受け止めるしかない。

 恋愛で悩むのが好きな人は、悩むことに時間を費やせばいい。
 ただ、自分が始めてしまった「不倫」と呼ばれる恋を、どこまでいいものにしていけるかどうかは、自分の考え方にかかっているという認識をもっと強く持った方がいいのではないだろうか。

 結婚という責任と、恋愛という自由。そのはざまで罪悪感にさいなまれたり、独占欲に苦しんだりするのは、とてもよくわかる。だが、究極としては、悩んでもどうにもならないこともあるということだ。悩む気持ちを捨て去って開き直るのもどうかと思うが、悩み続けて結婚も恋愛も壊してしまったら、元も子もない。つまりは、自分の人生にどれだけの覚悟をもてるか、と言うことに尽きるのかもしれない。

 離婚はしてみたものの…
 お互い家庭がありながら恋に落ちた場合、その決末として、離婚して一緒になろうと努力を続けるカップルもいる。

 渡辺しのぶさん(四十二歳)は、恋に落ちたあげく、三十五歳のとき、六歳と四歳の子を連れて離婚した。

 下の子が生まれたからは、夫がほとんど彼女との関係を持とうとしなくなってしまった。そんなとき、下の子の保育園友だちの父親と知り合う。

「最初は、ただの保護者同士だったんです。だけどあるときたまたま、会社の近くでばったり会った。なんと彼の会社がすぐ近くだったんです。それからたまにランチをするようになって。ある日、夕食に誘われて、彼に、『こんなこと、言っちゃいけないと我慢してきたけど、ずっと好きだった』と言われたんです。私も気になる存在だったことを、認めないわけにはいかなかった。そこから一気に恋に落ちたんです」

 離婚できるものなら離婚したい。彼女はそう思った。これほどまでに好きな人ができたのに、好きでない夫とは暮らせない、と。彼はしのぶさんより二歳年下。やはり妻とはしっくりいっていないことを打ち明けた。

「彼は奥さんの実家近くに住んでいるんだけど、奥さんが子供を連れてしょっちゅう実家に帰ってしまう。なんだか自分の家庭を持っている気がしないって嘆いていました。恋に落ちてすぐ、私達はお互いに離婚を決意したのです」

 しのぶさんは夫に「離婚したい」と話した。夫はわけがわからないという顔をした。
「夫に話したとき、夫は、『オレが何かいけないないことをしたか?』と言うんです。夫は何もいけないことはしていない。だけど、私自身、性的な関係もない夫を愛していくのは無理だった。『夫婦だという実感が持てない』というと、夫はいきなり私を押し倒して、無理矢理セックスしようとしたんです。抵抗すると殴られて‥‥。濡れてもいないのに突っ込まれて、膣が切れました。それなのに夫は自分だけさっさと終わって、『こういうことをしたかったんだろう』と言ったんです。私は思いっきり夫を平手打ちしました。あんなに屈辱的なことはなかった。その次の日、離婚届を取りに行ったんです」

 しのぶさんは強かった。子どもには子どもたちの生活があるから、自分たちは動けない、と夫を追い出した。

「そうなって初めて、夫は慌てたみたいです。『この前のことはすまなかった。だけど、どうしたらいいか分からなかったんだ』と涙ながらに謝るんです。だけど私の気持ちは変わらなかった。もちろん、彼と一緒になりたい一心で離婚を申し出たんですが、同時に夫の本性を見てしまった、という気持ちになりました」

 夫は近くにアパートを借りて出て行った。しのぶさんは、逐一、それを彼に知らせた。彼も、「僕の方もすぐに言うよ」と言っていたが、どうやらそこは男と女の違いなのか、なかなか妻に離婚を言い出す気配が感じられないという。

「私の方は、それからすぐに離婚が成立しました。夫とは共同名義で買ったマンションは、ローンの残りを夫がすべて払うことで話が付きました。その代わり、慰謝料も養育費もなしです。幸い、私には仕事があるので、家さえあれば経済的には何とかなる。後は子供が大きくなっていったとき、入学費用などかさんだら、そのつど話し合っていこうということで、そういう書類も交わしました。夫はやはり子供ことは可愛みたいなので、そのあたりは信用しています。私、おそらく彼の方はそう簡単には離婚できないと思っていたから、もちろん、ゆっくり待つつもりでいました」

 恋に落ちて一年半後には、しのぶさんは離婚成立。だが、その時点で、彼は妻に何も言っていない。

「彼の奥さんは、かなりヒステリックな性格だと聞いていたんです。だけど、私のことが本当に好きなら、やはり離婚してほしかった。彼をせっつくつもりはなかったけど、たまに、『話を進めてね』とは言いました」

 彼の妻に脅されて

 ところが、あるときから、彼女の家に無言電話が入るようになる。一日に数回、日が経つにつれて電話の回数も増えていった。十日ほど経った頃、彼女が、電話に向かって、「言いたいことがあるなら言ったらどう?」と叫ぶと、低く押し殺した女性の声が、「殺してやる」と言った・

「これは怖かった。慌てて彼に連絡をとり、そのことを言いました。どうやら彼の奥さんは彼の行動に不信感を抱いて、興信所を使って調べたようです。それで私の家も突き止められてしまった。それからはマンションの周りに包丁をもった女がうろうろしていると、という噂があって。

私自身は見たことがなかったんですが、近所の奥さんが『あなたの名前を叫んでいた。殺してやるって言っていたわよ』と教えてくれました。当然、近所では、私がその女性の夫を奪い取ったという噂も出ました。元の夫までそのことを聞きつけて、『オマエは何やっているんだ、そのために離婚したのか』と家にやってきて騒いだりして‥‥。私もかなり心身ともに疲れましたね」

 夫には離婚してから知り合った男性だと説明した。夫は信じたわけではなさそうだったが、放っておけば子どもたちの危険につながる判断。子どもたちの学校や保育園の送り迎えを積極的に手伝ってくれたという。

「彼はそういうことを知らないんですよね。私が報告しても、『わかった。何とかするよ』とはいうけど、自分の妻がそこまでやっていることを信じたくなかったのかもしれない。うちでは、とうとう警察に相談に行ったくらいですから。そのことを彼に話しても、「家では普通なんだけどなあ」って不思議そうに言う。でもこっちは、子どもの命がかかっている。私だっていつ刺されるか分からないから、毎日、緊張しながら生活していました。精神科に通って、安定剤を貰っていたこともあります」

 彼の奥さんから、しのぶさんの会社にしのぶさんを中傷する内容のファックスが送られてきたこともある。会社からも、「会社の信用を落とすようなことをするな」ときつく説愉された。眠れない、食べられない日々が続いた。もし子供が居なかったら、とっくにダウンしていた、としのぶさんは振り返る。

 会社に送られてきたファックスを彼に突きつけると、さすがに彼も妻のしていることを認めざるを得なかったようだ。

「すったもんだして、あげくに家裁の調停までいって、彼のところの離婚が成立したのが、二年前です。うちの子と同い年の彼のひとり娘は、彼の奥さんが引き取りました。それでようやくすべてが解決、と思ったんですが、そうはいかなかった」

 なんと彼の奥さんにも、付き合っている男性がいたのだという。彼はしのぶさんの存在を認めたために、多大な慰謝料と養育費を請求され、それをのんだのに、離婚後、元妻はすぐに別の男性と同棲を始めたのだという。

「今度は彼が裁判を起こしたんです。もう慰謝料は払わない、と言って。その裁判は今も続いています。あげく、奥さんが子どもを彼に押し付けてきたんですね。彼も子どもがかわいそうだから、と自宅にお母さんを呼び寄せて娘さんと一緒に暮らし始めた。だから、離婚はしたものの、再婚しずらくなってしまったんです」

 再婚するとなると、お互いの子供もたちの相性もある。なにより、彼の娘はあちこちをたらい回しされて、精神的に不安定になっているという。

「大人の勝手がこういう結果を招いてしまった・彼も私も反省しているんです。だから当分は一緒にはなれないね、と話しました」

 さらに、事態はそこでは終わらなかった。元夫がいい話し相手になってくれるのをいいことに、いろいろ相談していたしのぶさんが、彼と一緒になるのが難しいとわかった時点で、ふと元夫の前で涙を見せてしまったのだという。

「そのとき、元夫がすごく温かく慰めてくれたんですね。私も気が弱くなっていたものだから、それでつい元夫と寝てしまって…‥。それから元夫との仲が急速に復活してきたんです。考えてみれば、子どもたちの父親だし、もともと好きで一緒になった人である。今は、週末は必ず元夫が家に来て家族で過ごしているんです。彼も週末、会いたがるんですけと、『子供たちとの時間をとりたい』と言って会うのを避けています」

 二転三転、事態はこの先、どうなるんだろうか。しのぶさんは、すべて自分が招いたことで、周りの人みんなを巻き込んでしまった、と深く反省しているようだ。

「以前は夫に嘘をついてまで離婚し、今は彼に嘘をついて元夫と一緒にすごしている。ふたりの間で揺れ動いて、いったい、私は何をしているんだろうと思うんです。『好き』という気持ちは強いものだけど、それだけに流されてはいけないのかもしれないと今は思っていますね。自分の『好き』という気持ちなんて、いつ変わるかわからない」

 だが、おそらくしのぶさんの場合は、離婚したあげく、彼とのすったもんだがあったからこそ、元夫の良さがわかったのだろう。事態がさまざまに動いて、それにつれて彼女も元夫も気持ちが変化した。それによって見えてきたことは大きかったはずだ。

「確かに、あのまま元夫と一緒にいたら、今もきっと不平三昧だったでしょう。どちらにしても、自分のしたことを否定し続けるとつらくて生きていけなくなりますよね」

 子どもたちも十二歳と十歳になった。母親の恋愛には気づいていないが、上の子は、父親が週末しか帰ってこないことに不信感を抱くようになった。

「だから、先日、子どもたちに私たちのことを話したんです、お父さんとお母さんは、一時期、うまくいかなくてなって離れていた。だけど、また仲良くなろうと思って努力しているところなんだ、と。上の男の子が、『お父さんとお母さんは離婚しているって本当?』と言い出したので、もうごまかせないと思って。籍については、まだ説明していませんが、子どもたちは、私たちが無理しているわけでなく、仲良く一緒に居るのを感じているはず。私も今となっては、この家族をもう一度、やり直すのが一番いいのかなあと思うんです。もちろん、彼には申し訳ないんですが」

 しのぶさんの人生。もう一波乱ありそうだ。自分に嘘をつけない人ほど、こうした波乱に満ちた生活を送ってしまうのかもしれない。それでもやはり、私はしのぶさんに好感を抱いた。彼女か、自分の人生から逃げていないからだ。しかも、肝心なところでは、子どもの感情をきちんと考えて行動をしている。

 石を投げなければ波紋は起きない。だが、波紋が起こったからこそ、事態は変わる。それはいい方に変わるのか悪い方に変わるのかは、当事者の対処のしかたに関わってくるのではないだろうか。

 しのぶさんの元夫もまた、離婚して初めて、家族の良さを感じたのかもしれない。

「元夫とはそういうこともよく話します。『オレは家族というのは、いて当たり前のものだと思ってた。だけど実はそうじゃなくて、作っていくものだったんだ、と離婚してようやく分かったよ』って言ってくれた。離婚したから、私もう一度女として見ることもできるようになった、と。私が気になるのは、彼とその娘さんですよね。彼は今、娘さんのことで頭がいっぱいだし、私もそれでいいと思っている。でも一段落したら、きちんといろいろ話し合わないといけないなと思っているんです。その前に、こっちが勝手に元夫と復縁するわけにもいかなくて」

 しのぶさんの気持ちは、確実に復縁の方向に向かっている。だが、やはり彼との仲をきちんと精算してからでないと、「彼に義理が立たない」という気持ちがある。このあたりが、勝手なことをしているようで、実はそうではない彼女の真骨頂なのだろう。
「状況が変わったら、また連絡しますね」

 と明るい声を残し、セミロングの髪をなびかせて、颯爽(さっそう)と去っていくしのぶさんの後ろ姿を、私はしばらく見送っていた。背筋がぴんと伸びた、きれいな歩き方をする女性だった。

 人を好きになる気持ちは止められない

 かつて「逢びき」という映画があった。一九四五年の入義理映画だ。ふとしたことで知り合った既婚女性と。家庭ある医師かせ、毎週木曜日、密会を重ねるようになる。ふたりは深く愛し合い、医師の友人の家で関係を持とうとするが、彼女はぎりぎりのところで「できない」と言う。結局、ふたりは別れ、彼女は家庭に戻る。
 
 ドアを開けて家に入ると夫が待っていた。
 彼女は何も言わない、夫が静かに言った。
「お帰り、長い旅をしたね。よく戻ってきたね」
 夫は彼女の心が自分にないことを知っていながら、ずっと待っていたのだ。

 かつてこ、夫の身で、他の男性に会っていたという村山可奈子さん(三十四歳)に、この映画の話をすると、彼女はふうっとため息をついた。

「それは女の理想かもしれませんね。知っているけど、黙って待ってくれる夫をもちたい。という。私の場合は、そうはいきませんでしたけど」

 かなこさんは、そう言って少し寂しそうに微笑んだ。二十七歳のとき、学生時代から付き合っていた同い年の男性と結婚したものの、三十二歳のとき離婚した。原因は、可奈子さんに好きな男性ができてしまったため。

「夫の最後の言葉が、『どこまでもバカにされたような気がした』というものでした。学生時代から、同じ時代をずっと一緒に生きてきた、という気持ちが私にはあったから、その言葉はショックでした」

 同じ大学、同じ学部を卒業したが、可奈子さんは大手企業に入り、夫は中小企業に就職した。
「就職ってある意味、運もあると思います。だからそれはたまたまであって、私と彼の人間関係には何の関係もないはず。結婚するときも、彼はずっとそのことにこだわっていたようです。私が気付かなかったんですね。ただ、私は仕事が楽しかった。結婚直後、女性ばかりのプロジェクトで商品開発を担当させてもらったんです。

チーフという肩書きももらったので、頑張りました。女性ばかり六人のチームでしたが、ラッキーなことにみんな仲がよくて、一年間、本当にいい環境で仕事をした。偶然、結果もついてきて。商品が売れたんです。それまでますます仕事が楽しくなって。そんなときですね、会社でいろいろ相談に乗ってもらっていた先輩とそういう関係になってしまったのは」

 仕事に恋にと、可奈子さんは非常に充実した時間を味わっていた。もちろん、夫に悪いという気持ちはあったが、それより仕事が楽しかった。仕事の話ができる先輩との関係も、毎日の充実感に拍車をかけた。

「彼との関係は半年くらいたったころ。どうやら夫は私の携帯電話から、関係を察したようです。そのときは何も言わなかったですけどね、それから三年ほどたって、彼との関係は終わりました。奥さんにばれたのがきっかけです。私は終わらせたくなかったけど、仕方がないですよね。彼と別れて、意気消沈しているとき、夫から『離婚しよう』と言われたんです」

 それは夫の復讐だった。夫は、彼女が、相手と別れるのを待って、離婚を言い出したのだ。

「男って怖いな、と思いました。女なら知った時点で騒ぎ立ててしまうけど、男はずっと黙っている。それでいて、私が傷ついたときに、さらに傷つけるように離婚を言い出す。私が離婚を渋ると、『訴えてもいいんだけど』って。夫は、自分が傷ついたことを、そういう手段で示してきたんですね。話があるとき、夫は、『オマエはいつもオレより仕事ができることや、給料がいいことを内心、鼻にかけていただろう。さらに他に男を作ったりして。オレをバカにするのもいいかげんしろ』と叫んだんです。

私は仕事や給料のことを夫に自慢したことなんてなかったけど、夫はどこかプライドが傷ついたんですね。正直、夫に失望しました。私もそれ以上、逆らわずにあっさり離婚しましたが、一時期は、そんな男と結婚したことを呪いました。でも、私が恋愛したことで夫の本性が見えた。もっと長年たってから知るより良かったかな、と思います。逆に夫の悪いところを引き出してしまったとも感じていますが」

 相性が悪かった、とひとことで片付けてしまえばそれまでだが、確かに男性は、女性の気づかない微妙なプライドがある。仕事に関しては、可奈子さんが言うように、彼女が運をつかんで頑張ったのだから、夫が傷つく必要はないはず。それを可奈子さんに気づいてフォローしろというのは、無理な話だ。そういうつまらない傷つき方をしないだけの度量を、男には持ってほしいものではないか。

 夫の立場になってみれば、妻のほうが仕事もできて給料も上、さらに男を作った、となれば「バカにされた」と思うのかもしれないが‥‥。

 今や収入が夫を超える妻と言うのもかなり多いはずだ。
 それをいちいち夫のプライドを気遣っていたら、女性はいつまでたっても思い切り仕事することができない。

「私の周りでも、男より仕事、という女性が増えてきました。私も今のところ仕事モードですね。決して、それがいいことだとは思わないのだけれど、男性と関係することが面倒になってきちゃって」

 可奈子さんの意見には思わずうなずかされる。実際、私の周りにも離婚したり、ずっと独身で仕事に生きがいを見出している女性は多い、「仕事は裏切らない」が合言葉のようになっている。

 だが、本当はみんな心のどこで「恋愛したい」と思っている。別に結婚という形態をとらなくても、深く理解し合って一緒に生きていける男性を待ち望んでいるのだ。だが、なまじ仕事で実力をつけてしまうと、常に男性と対等であることが当たり前になってしまい、男を立てることを忘れてしまう。

 立てられなければプライドを保てないような男性と付き合っていくことが、だんだんうっとうしくなっていく。そんな女性の気持ちはよくわかる。

 結婚しても、男性たちが従来の「夫婦観」を変えない限り、これからも妻たちの恋愛、離婚は増え続けていくのだろう。

 女性たちは、いつまでも「女」でいることを望んでいる。いくつになっても、女として男と関係をしたいのだ。その気持ちを、夫たちはくみとっていく必要がある。女性が、結婚と恋愛を分けて考えるようになり、さらに経済力を持てば、「若い男をつまみ食い」するような女性たちも増えていくのかもしれない。

 どんなふうに生きていこうと、自分の人生に責任をもてば、他人がとやかく言うことはないと私は考えている。既婚女性が恋愛しようと、その人が考えた末に、自分の気持ちを抑えきれずに走りだしてしまったのなら、それはそれでしかたない。いちばんわかっているのは、本人なのだから。

 ただ始めてしまったことは必ず分岐点があり、いずれかどういう形にせよ終わりがくる。そのとき、どう言う覚悟をもつか、それが大事なのではないかと思う。

 「愛し愛された記憶」を大事に生きる

 長い年月、互いに家庭がありながら関係を大事にしてきた、という女性に会った。
松田昌子さん(六十五歳)。三十五年連れ添った夫は、五年前に病死した。

 彼と知り合ったのは、昌子さんが結婚して十年ほどたった三十五歳のとき。三人の子育てと舅姑の世話に追われていた晶子さんが、唯一の楽しみとして通っていたのが、お茶の稽古。彼はその茶道の先生の夫だった。彼は普通のサラリーマン。人目を忍んで、会い続けた。

「なかなか会えない時期もあったし。もうダメかなと思ったこともあります。だけど、続いてしまったのね。それはやはり、お互い好きだったから、の一言に尽きます。子どもたちが成人すると、けっこう自由に会えるようになったけど、それまでも一緒になろうなんて話したこともありません。私が五十代に入ってから、一度だけ、一泊で旅行したことがあります。あれが唯一、二十四時間、彼と一緒に居られた思い出ですね」

 実は彼も三年前に逝った。昌子さんと会った翌日、家で倒れて、そのまま帰らぬ人となった。

「私はもちろん、そんなことは知らなかった。二週間後に会う約束をしていたから、会うはずだったホテルのティルームに行ったんです。そうしたら館内で呼び出された。彼の息子さんでした。顔が彼にそっくりでね。その人が『父は二週間前に、死にました』って。最初は何が何だかわかりませんでした。息子さんは、『あまりに急だったので、オヤジに何か近々、予定が入っていたら困ると思って、手帳を見たんです。

そうしたら今日の日付に,Mというイニシャルと、このホテルのティールームで会うことが書かれていた。これはきっと秘密の関係だろうと察したんです。母親に隠れて、あれこれ探しました。オヤジはあなたからの手紙を全部保管していました。写真もありました。それはたぶん、あなただろうと予測して、今日やって来たんです」って。

ショックのあまり、私は泣くこともできませんでした。息子さんは、遺品だって言って、彼がいつもしていた腕時計をくれました。息子さん自身が貰ったものだったようですが、『きっとあなたに持ってもらいたいと思っているはずです』と言ってくれて」

 昌子さんは、本当に青天の霹靂(へきれき)で、ただ信じられないという思いしかなかった。
「でも四十九日がすぎたとき、息子さんが内緒で、挨拶状と彼の写真を何枚か送ってくれたんです。それで、本当に亡くなったんだと実感しました。丸三日間、泣きつづけましたね。三十年余り付き合ってきた人との最後がこういう形になるなんて、考えてもいなかった。私は彼が亡くなってから、二週間も知らずに生活していたんですよね。もちろん、私の立場では仕方ないことだけど。ただ、いまだに私は、彼のお墓がどこにあるのかも知りません。息子さんは、『知らせたいけれど、母親の気持ちを考えると、そうはいかないんです』と。それでいいと思うんです。私は彼の写真にお花やお茶を供えて。毎日、彼に話しかけています。まあ、これで私が一人暮らしだからできることです。娘夫婦と一緒に暮らすという話も出ているんですが、そうなったらそれはできない。私自身は、最後までなるべくひとりで、夫と彼、両方に話しかけながら生きていきたいと思っています」

 昌子さんが、唯一、良かったと思うのは、彼が急死したことだ。
「彼自身、長い間苦しまずにすんだ。そして私をも苦しめなかった。だって、たとえば長期入院なんかしたら、私は見舞いにも行けないわけだし、とてもつらい思いをしますよね。彼は、家族にも私にも迷惑を掛けずにひとりでひっそり逝ってしまった。

彼らしい逝き方だったなと思います。彼には、本当に愛情をたくさんもらったというおもいがあるの。だからこれからは、その思い出だけで生きていけると感じています」

 結婚と恋愛の狭間にあって。昌子さんの世代の女性がもつ倫理観が彼女を苦しめた時期もある。それでも「本当に好きだったから」別れることはできなかった。今になってみると、
「勝手な言い分ですけど、結婚生活をまっとうし、恋愛もまっとうできた。それは彼のお蔭だけれど、同時に私の誇りでもありますね。もちろん、人に自慢できるようなことじゃないけど」

 昌子さんは、そう言ってにっこり笑った。人生で大事なことは、何だと思いますか、と私は尋ねた。そうねえ、と昌子さんはしばらく考えたあと、
「そのときそのときで、違うと思うんですよ。子どもが小さいときは、私は子どもがいちばん大事だった。万が一、子どもにばれるようなことがあったら、彼とも別れていたとおもいます。でも今になってみると、いちばん大事なことは、『愛し愛された記憶』かなと思う。それは夫とのことも、子どものことも、そして彼も含めてね。私は誰も憎まなかった。家族も彼も愛し続けたから」

 不覚にも、昌子さんの話を聞いて、私は涙ぐんでしまった。昌子さん自身が、すべてを消化したせいかもしれないが、彼女の言葉には重みがある。

 人生は長いようで短い。短いようで長くもある。自分の生き方に誇りをもてる女性を、心から素敵だなと感じた。

エピローグ

 結婚していながら、他に好きな人ができてしまう。夫や子どもに隠して、好きな人と逢瀬を重ねる。それは喜びであると同時に、女性にとって大きな苦しみでもあるだろう。

 それでも別れられない。そこに倫理観や善悪の判断など、入り込む余地はないようなきがする。それぞれに苦しみながらも、自分に嘘をつかずに生きていく道を選ぶしかないのだろう。自分に嘘をつけば、必ず後悔するものだから。

 だが、ときには、自分に嘘をついても、恋愛を終わらせなければいけないこともあるかもしれない。『勘づいた子どもに、止めろと言われたときは、やはり続けられないと思った』という女性の言葉が印象に残っている。人は、そのときそのときで、優先順位をつけながら生活している。今が子どもとって、いちばん大事な時期だと思えば、自分を犠牲にしなければならいこともあるだろう。

 それでも、続けられる限りは、恋愛を続け行きたいと願う女性は多い。やはり、人は、「情熱」や「男女の愛情」や「好きという気持ち」を失っては生きていけないのかもしれない。

 終始一貫、不倫を勧めはしないけど否定もしない、と言う立場で、私は話を聞いてきた。それぞれの真実があり、それぞれの人生がある。そうやって聞かせてもらったひとつひとつの恋愛を、なんとか大事にしていってほしいというのが、私の正直な気持ちでもある。

 人生の折り返し地点をすぎたころから、私は、人と人との縁というものを、よく考えるようになった。せっかく巡り合ったのなら、どう言う関係であれ、無理に断ち切らずに縁を大事にしていった方がいいのではないか、と。
「結婚しているから、好きだけど別れなければいけない」
 と考えるのは、もったいないような気がするのだ。どうしても、自分の倫理観が許さないと囁くのなら、なんとか友だち関係をとして縁を結び続けていくことはできないものか。

 どんなにお金があっても、人は決して幸せになることはできない。人の心は、人の気持ちでしか救われない。だから他人から羨ましがられるような生活をしていながらも、人は恋に走ることがあるのだ。

 今回もたくさんの女性たちが話を聞かせてくれた。心を開いて話してくださった方たちには、言葉を伝えきれないくらい感謝している。彼女たちの「生の声」がなければ、この本は成立しなかった。また、内容の性格上、名前はすべて仮名にしてある。

 いつもながら、常に励まし続けてくれた編集部の小田明美さんにも感謝。彼女の情報や考え方は、いつも私の大きな支えとなっている。そして読んでくださったあなたへ。この本を手に取ってくださって、ありがとうございます。

 ひょっとしたら、あなたは結婚していながら恋愛をしている女性だろうか。その恋愛をやめろとはとも続けよとも、私には言えない。

 だが、ひとつ思うのは、「愛した人を大事にしてほしい」ということ。
 大事だからこそ、どういう道があるのか、その選択と決断をするのは、あなた自身。
 人生、後悔しないために、あらゆる角度から考えた上で、自分の幸せを作っていってほしいと願っている。
 二〇〇四年二月  亀山 早苗

『夫とはできない』こと
 文庫化にあたって

  この本を書いてから、私はますます多くの「恋愛をしている人妻」と知り合った。かってより罪悪感も減り、人生を謳歌しているようにも見える。
だが、もちろん苦悩しているのだ。「恋愛している自分」ら。「結婚生活がうまくいかない状況」に。

 結婚と恋愛をうまく分けている女性たちも、当時より圧倒的に増えている。それでも、婚外恋愛の相手に精神的に依存したり、嫉妬で身をよじったりしている女性も少なくない。

 恋愛は、最終的には自分との闘いだと私は思っている。婚外恋愛という過酷な恋に落ちたからには、強い精神力を持たなければ。結婚と両立させられないはずだ。不倫の恋をする既婚女性増えていると実感するが、忍耐と覚悟を持って恋をしていこうという強さをもっている女性はそうはいない。だから家庭が空辣化したり、自分自身の心が壊れてしまったりしやすい。近頃は、むしろそうしたケースがよく耳にいってくるので、私としても心苦しい。

 結婚生活の退屈さ(それは安心感の源でもあるのだが)年齢を経て、もう一度女として輝きたい欲求などは、私自身もよくわかる。だが、恋はしたいからできるというものではない。自分の心の空虚感が、ただの友人関係を恋と錯覚させることもあるだろう。あるいは出会った瞬間、どうしようもなく惹かれてしまう場合もある。つまり、恋などしたくなくて落ちてしまうこともあるのだ。だが、そこで一踏ん張りしてみることも必要なのではないだろうか。

「私は本当にこの恋にいってしまっていいのだろうか」
「何があっても、自分で責任をとれるだろうか」
 自問自答を繰り返し、誰のせいにもしないこと、家庭を壊ししたくなかったら最大限の配慮をすること。たとえ恋に心を占領されてしまっても、どこかで冷静になる瞬間を持たなければならないように思う。

 それでも止められない恋ならば、底なし沼のように相手に惹かれる恋ならば、妙な言い方だが、出会ったことを運命として受け入れるしかないかもしれない。

 戯れの恋はすまじ。だが、いったん恋に落ちたなら、とことん愛するしかない。結果はどうあろうとも。
 二〇〇一〇年四月 亀山早苗
 恋愛サーキュレーション図書室