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恋と家庭との狭間で

本表紙 二〇〇一〇年四月 
亀山早苗著

恋のときめきと不安

 恋してしまっても、結婚している女性たちはもろ手を挙げてそこへ飛び込んでいくわけではない。

 女として認めてくれる人がいて、褒めそやかされてなんとなくその気になり、深い関係を持ってしまう。そこから女性たちの苦悩が始まる。

 趣味のサイトで知り合った男性と、メル友から恋愛関係へと発展、一年ほどつきあっているという安藤美香さん(三十七歳)は、こんな話をしてくれた。

「彼と最初にそういう関係になったとき、私は学生時代の友だちと飲み会があると言って家を出たんです。子どもは夫が見てくれました。家に帰ると、夫が、『お帰り。お風呂沸いているよ』と言ったんです。その瞬間、ものすごく大きな罪悪感が湧いてきて。夫に対して申し訳ないという気持ちも、もちろんありましたけど、

それ以上に、なんて言うかな、自分が何か大きな渦に飲み込まれていくような、何かに逆らっているような感じがしました。きっと天罰が下るって思いました。具体的に夫に??られるとか夫を傷つけるということ以上に、神様に許してもらえないというか。私は別に信仰心があるわけじゃないのに、そのときはそう感じたんですよね」

 自分の中にある倫理観を裏切ったことへの漠然とした、だが大きな罪悪感に、美香さんは苦しんだ。彼に会いたい、だがこの罪悪感に打ち勝てる自信はない。そんな思いで、二度目のデートを承諾するまでに二カ月かかったという。

「どうしてももう一度、彼と会いたかった。彼は仕事の関係で、週末ではなく、平日が休みなんです。だから二度目は、平日の昼間に会いました。それなら深い関係は避けられる、会って話すだけならいいんじゃないか、と自分に言い聞かせて。彼の車でしばらくドライブしながら、いろいろ話しました。そして最後には、やっぱりホテルへ行ってしまって。

そのとき、『私はこの人のことが好き。もう離れられない』と感じました。彼も、『もう会ってもらえないかと思っていた。嫌われたんじゃないかと悩んだんだ』と言って。嫌ったわけではなく、自分がのめり込むのが怖かったんだと正直に言いました。それで、お互い家庭は壊さない、でも関係を続けていこうと話したんです」

 そうやって話し合った時点で、その関係は「婚外恋愛」として成立してしまうのかもしれない。なんら話し合いがなく、会える時に会って食事をしてセックスするような関係なら、女性はそんなにのめり込まない。女性は不安定な関係を好まないからだ。

 もちろん、婚外恋愛も不安定な関係である。だが、「お互い家庭を壊さずに続けていこう」と話し合った時点で、女性は不安定な関係の中の、確固たる安定を見出す。それは秘密であり、共犯関係であるという、ある種の甘美なつながりを確認できたから。関係自体は不安定でも、相手の気持ちを確認できれば、女性の気持ちは安定する。

 それでも恋が始まったら最初のうちは、女性の心は千々に乱れることが多いようだ。
「独身だったら、この関係の先に、結婚があるかもしれない、と目標が見えるでしょう? でも不倫の関係の先にありそうなのは、どちらかの配偶者にばれるかもしれない、二度と会えなくなるかもしれない、という暗いことばかり。目標もない。だから、何度もめげそうになりました」(三五歳)

「恋が始まったばかりのころ、これから先、どこまで家族に嘘をつき続けなければいけないのか、と辛い気分ななったことがあります。私は自分の両親と同居しているので、夫よりむしろ、両親の目が恐かった。あるとき、彼に会いに行こうとすると、母が『子どもが居るんだから、人に後ろ指差されるようなことはしちゃいけないよ』って、ぽつりと言ったんです。母は気づいていようですね。それでも私はやめられなかった。すでに丸三年、今の彼と付き合っています。今でも後ろめたさはずっと感じていますけど」(四十歳)

 そんな「めげそうな気分」「後ろめたさ」を乗り越えるのは、やはり「彼を好き」という強い気持ちだ。それだけに、「本当に好きな人」でなければ、恋には落ちない。裏返せば、そこまで好きだと思える人に出会ってしまったのは、なんという因果か、ともいえる。

 恋が降りるとき

 もちろん、中には、あまりの罪悪感から、恋を途中で降りる女性もいる。
「一年前のことです。仕事関係で知り合った人と、何度か仕事がらみで食事をしているうちに、お互いに気持ちを抑えられなくなったんです。一緒に出張したとき。出張先でとろとろ関係を持ってしまった。彼は正直な人で、『これからも会いたい。あなたのことが大好きなんだ』と言ってくれた。

でも彼には家庭があり、私にも家庭があって子どももいる。出張から帰ってきてからも、彼とは仕事でたびたび顔を合わせるし、顔を見ると恋心が募ってくる。食事も喉を通らなくなって、二ヶ月間で五キロも?せてしまいました」

 そう言うのは、木村妙子さん(三十九歳)。学生時代の同級生と結婚して十三年、ひとり娘は今年で、中学に入る。
「私がどことなく、心ここにあらずという状態だったんでしょうね。ある日曜日、娘が夕食を全部ひとりで作ってくれたんです。そして、『お母さん、仕事が大変だったら、私がもっと手伝ってあげるから言ってね』って。夫は目を細めて聞いていたけど、私は涙があふれにあふれて‥‥。私が恋愛でやつれているなんて、娘は思ってもみない。それできっぱり、彼に、『私は娘を裏切り続けることはできない』と言いました。

彼とつきあったら、どんどんのめり込みそうで怖かったし、きっと娘をひどく傷つけてしまう。それだけは避けたかったんです。今は、一夜だけの恋として、自分の胸だけに秘めておこう、と冷静に思えるようになりました」

 妙子さんは、あの決断は間違っていなかった、と感じている。そして今後、もし誰かを好きになるとことがあっても、違う対処をするだろうと言う。

「あのときは、激情に負けて彼と寝てしまったけど、次はもうちょっとプラトニックな期間を楽しむかもしれません。自分に恋愛が降ってくるなんて考えていなかったから、猪突猛進してしまった、という苦い気持ちがあります。もちろん、あれはあれで後悔はしていませんが、もう少し余裕を持って恋愛してもいいじゃないか、と。大人なんだから、友情と恋愛のぎりぎりを楽しむようなことなら、私にもできるなあと思っているんです」

 恋愛が降ってくる、というのは興味深い表現だ。結婚している女性にとって、独身女性と違って、恋愛というものは探すものでもなければ、当然起こり得ることでもない。まさに、にわか雨のように「降ってくる」ものかもしれない。それにしても、それだけ苦しかった恋を経験しながらも、「次に恋愛するときは」と言ってしまうあたり、恋から永久に降板したわけではないという気持ちが伝わってきて、女のたくましさを感じさせられる。

「子どもにばれたら、どう頑張っても続けてはいけません」

 そう言ったのは、河合千穂さん(四十三歳)。結婚して十七年。今は高校生になった息子が、中学三年のころ、千穂さんはパート先の三歳年上の上司と深い仲になっていた。

「あのとき、どうして息子にばれてしまったのか、今もよくわからないんです。家では携帯電話を使って彼と話したことも、あんまりなかったはずだし。月に一度か二ヶ月に一度、職場の飲み会と言って、彼とホテルに行っていました。たまに、昼間から、ということもありました。私はかなり彼に夢中でしたね。

あるとき、あれは冬休みだったと思うんですが、パートに行くのに、朝、化粧をしていたんです。ちょうど紅筆で口紅をつけていると、鏡に息子が映った。それはすごい形相でね、『どうしたの?』と聞いたら、かっと目を見開いて、『お母さん、あんな男とつきあうのは、もうやめてくれよ』って。絞り出すような声でした。ぎょっとしました。人生の中で、あれほど驚いたことはなかった。

でも、一瞬で自分を立て直して、『何のこと?』ととぼけたんです。息子は執拗でした。『やめてくれよ』と繰り返しながら、ふと見ると泣いているんです。私も泣きそうになりましたけど、ここで揺らいだらもっと息子を傷つける。『何か誤解しているんじゃない? お母さん、あんたに恥ずかしいことは何もしていないわよ』と言い切りました」

 その日はそのままパートに向かったが、息子の切実な、思い詰めたような顔と声が心から離れることはなかった。

 おそるおそる家に戻ると、息子は自室でこもって勉強していた。それからも何事もなかったように、息子は普通に千穂さんに接していた。それだけに、あの日の息子のせっぱ詰まった様子が千穂さんを苦しめた。

「その三日後、私はパートを辞めました。『息子の高校受験がもうすぐだから』という理由で。もちろん、同時に上司との関係も断ちました。帰ってきて、息子に、『お母さん、パート、辞めちゃった。リストラされちゃったのよ』と言ったら、息子は目を伏せて、ぽつりと、『ゆっくり別のところを探せばいいよ』って。思わず息子を抱きしめました。

いつもなら体をよじっていやがる息子が、そのときは黙って私に抱かれてた。何も知らない夫は、『そりゃ大変だな。まあ、しばらくゆっくりするといいさ』って。
『私はこの家族を大事にしていこうと』と、そのとき、本気で思いました。息子は無事に第一志望校の高校に合格。あのとき、私が恋愛を続けていたら、こうなったかどうか。あれからは、恋愛は二度とするまい、と思っています」

 恋を降りた人が賢明で、突き進んだ人が愚かだとは思わない。その逆もない。人それぞれの状況で、みんな自分を信じた道を進むしかないのだから。

 久しぶりに感じたときめきと、同時に襲ってくる罪悪感。それにも増して自分の中で大きくなっていく彼の存在。日によってどれかが突き出してくることもあれば、すべての思いが同時に湧き起こってきて、「自分が壊れそうになることもある」と話してくれた女性もいる。

 表面的には、「好きだから関係を持った」というだけの話にみえる。だが、実際には、彼女たちの心の中にはさまざまな思いがあり、心は行きつ戻りつつしながら進んでいく。

 恋にのめり込みそうになるとき

 数ヶ月から半年ほどたち、恋愛が落ち着いてくると、彼女たちはようやく自分自身を取り戻す。そして、今度は家庭と恋愛を両立させていくために腐心するようになる。

「彼との仲をこのまま進めていきたい、そう強く思ったとき、じゃあ、どうしたらうまくやっていけるのか、と真剣に考えました。彼ともそれについては、よく話し合いましたね。お互い子供が小さいし、家庭に対する責任はきちんと負っていこう、と。彼は奥さんを傷つけたくないと言うし、私も夫を傷つけるつもりはない。

お互いにとにかくばれないように細心の注意払っていくしかない。その代わり、連絡は密に取り合っています。携帯電話のメールは毎日。でもお互い読んだらすぐに消します。彼はときどき、昼休みなどに電話をくれることもあるんです。無理せず、長く続けていくことを第一にしているので、会うのはせいぜい月に一回くらい。でも、いつかは一緒になりたい。六十歳になっても七十歳になってからでもいい。最後は彼の看取るか私が看取れるか、どちらかが死ぬときは一緒に居られたら‥‥。そう思うんです」

 高野真弓さん(三十八歳)は、そう話すとうっすらと目に涙をためた。五歳年上夫との結婚生活は十年を超えた、子どもは八歳と五歳。一つ年下の恋人とのつきあいは、三年になる。

 彼女自身も結婚前からずっと働いていて、経済力もある。彼のことをそこまで思い詰めるなら、離婚という選択がないわけじゃない。だが、あえて離婚という道を選ばないのは、彼の妻が専業主婦で、彼自身が離婚という選択をしたがらないから。

「彼の両親が離婚して、彼は母子家庭で育っているんですよね。お母さんは働き詰めで、彼を大学まで出してくれた。彼自身も寂しい子ども時代を送ったそうです。だから自分の子にはそういう思いをさせたくないという気持ちが強いみたい。

もちろん、私の子にもそういう思いはさせたくない、と言っています。それにきっと、奥さんのことを愛しているんだと思う。そう思うと、自分のことは棚に上げて、ときどき嫉妬してしまうんですけどね。いずれは一緒になれるんだ、と信じていないと、くじけそうになることがあります。そんなときは、私には家庭がある。この家庭を大事にしていかないと、彼との将来もない、と言い聞かせることにしています」

 自分自身も家庭がありながら、相手の妻に嫉妬してしまう。理屈では割り切れない、そんな思いに苦しめられる女性もいる。

「だから私は、彼との間では、今の家庭の話は一切しません。彼も家庭のことは持ち出さない。会っているときは、お互いのことだけ考えたいから」
 と真弓さんは言う。
 そのあたりの自己制御が上手くいかなくなると、恋愛が泥沼になってしまう恐れもある。
「私は自分で自分をコントロールできなくなって、ひどく苦しんだことがあります」
 そう告白してくれたのは、坂田敬子さん(三十三歳)。高校を卒業して就職した会社で、十歳年上の上司と不倫に陥った。すったもんだのあげく、子どもが居なかった上司は離婚、敬子さんは二一歳のとき、上司と結婚した。その後、一男一女に恵まれ、落ち着いた結婚生活を送っていたが、三年前、自分を担当してくれていた美容師と恋に落ちてしまう。

「彼は一つ年上。ある日、たまたま街でばったり会ったんです。彼は休みで買い物に出たって言いました。時間があったのでお茶を飲んで、あれこれ話をしていたんです。その日は、携帯電話の番号だけ教え合って別れました。しばらくして彼から電話があって、『明日、休みなんだけど、よかったらランチしない?』と誘われて、私も楽しかった思いが残っていたから、すぐに承諾しました。そしてランチのあと、彼にホテルに連れ込まれちゃったんです。私もそんなことになりそうな予感はあったけど。彼とのセックスは、気持ちいいというよりは楽しいものだった。すっかり彼に気持ちを奪われてしまいました。その時点では、私も彼が独身だと思い込んでいたんです」

 次に美容院に行ったとき、別の美容師との世間話から、彼が既婚者だと知った。
「ふたりで会ったとき、『どうして話してくれなかったの?』と言ったら、『なんとなく言いそびれた。でも妻とは全然、セックスの関係がないんだ』って。私はそれを信じてしまったんですよね」

 月に二、三度は彼に会った。公園でデートしたり、映画を見に行ったり。敬子さんは不倫関係から結婚したため、若い女性がするような恋人とのデートをほとんどしたことがない。彼との恋愛は、若い自分を生き直すような感じだったのかもしれない。

 自制心が効かなくなる恋愛

 一年ほどたったころ、またも美容院で、彼の赤ちゃんが生まれたことを別の美容師から知らされる。敬子さんは頭に血が上るのを止めることができなかった。
「彼に言いましたよ、『奥さんとはしていないって言ったじゃないか』って。そうしたら、彼、『オレは覚えていないんだけど、酔っぱらって一度だけしちゃったみたいなんだ。それでできちゃって』と。私だってそれを信じるほど子どもじゃない。それで彼を責めてしまったんですよね。そうしたら、彼、『オマエだって結婚しているくせに勝手なこと言うなよ』と怒り出して。

確かにその通りなんだけど、なんだか私、悲しくなって号泣してしまったんです。すると彼は、『もうやめよう、オレたち、うまくいかないよ。別れようよ』と、吐き捨てるように言ったんです。でも、私はどうしても諦められなかった。騙されたような気がしてならなかったんです。

それで、店から彼を尾行して、彼の自宅マンションを突き止めました。それから、夜になると彼の自宅の周りをうろうろしたり、ときには玄関のチャイムを鳴らしたり。自分でもやめようと思うんだけど、自分を止めることができなくて」

 彼からは、ときどき、携帯電話に「もういい加減にしてくれ」というメッセージが入っていた。それでも彼女はやめられず、ついに昼間、彼の自宅訪ねてしまう。
「奥さんの顔が見たくて。自分自身がどういう対応をするかを考えもせず、彼の家のチャイムを鳴らしてしまった。奥さんが赤ちゃんを抱いてチェーンかけたままドアの隙間から、『はい?』と顔をのぞかせたとき、私、急に憎悪に駆られてしまったんですね。奥さん、とても若くてきれいな人でした。だからよけいに腹が立ったのかもしれない。『私、お宅のご主人と一年くらい関係を持っていました。彼は、妻のことは愛していないと言ったんですよ』とまくしたててしまった。

奥さんは突然のことで訳が分からなかったみたい。私はそのまま逃げるように帰りました。ものすごく後悔しました。彼が何とか言ってくるか、びくびくしながらすごしてた。でも彼、何も言ってこないんです。

一週間もすると、なんの反応もしてこないことに腹が立って、今度は彼の自宅に無言電話をかけ続けました。でも、すぐに留守電に切り替わってしまうんです。だから、留守番電話に彼とのセックスのことを吹き込んだり、『死んでやる』と言ったりしていました。自分で自分が何をしているのか、まったくわからないような状況でした」

 それでも、家ではきちんと家事をこなしたという。家事はしていても、頭の中は彼のことで一杯だった。そんな状態が一ヶ月ほど続いたころ、弁護士の名前で内容証明の郵便が届いた。ストーカー行為を辞めろというものだった。

「それで目が覚めました。このままだと私は警察につかまってしまう、そうなったら子どもと夫はどうなるのか、と現実に戻ったんです。私はなんて危険なことをしていたのか、と憑き物が落ちたような気がしました」

 敬子さんは、彼宛てにお詫びの手紙を書き、いっさい、連絡を断った。二度とその美容院にも行っていない。それから二年近くだった今、彼女は当時を振り返って、こう語る。

「変な言い方ですけど、彼と恋に落ちたのも、その後つきまとったのも、すべて夢の中のできごとみたいな気分がするんです。どうしてあんなことになってしまったのか、自分でもまったくわからない、あのときの気持ちが整理できないんです。ただ、もう二度とあんな風にはなりたくない。自分がひどく惨めだったことだけは鮮明に覚えていますから。夫は優しい人だし、子どもたちも素直に育っている。そもそも夫と一緒になるのも大変だった。そんな大変な思いをして作った大事な家庭を、私はふとした気持ちから失う可能性もあったんだ、ということを肝に銘じます」

 人間には、「魔がさす」ということがある。敬子さんにとって、その美容師との恋愛、それに続く執念は「魔がさした」としか言いようがないものだったのだろう。人は自分自身をコントロールしきれるものではない。特に恋愛というのは、ただでさえ「思案の外」と言われるようなもの。そこに飛び込んでいく限りは、よほど冷静に慎重に、ことを進めていかないと、思いがけない事態に発展することがありそうだ。

 恋に甘えない

 だからこそ、恋愛に陥っても、自分からは、極力、働きかけないようにしている女性もいる。

「半年ほど前から付き合っている人がいます。でも、私からは電話はしない、メールもきたら返事はするけど、自分からは出さない。本当は電話もしたいし、自分から『会いたい』言いたい。でもそれを一度自分に許したら、なし崩しのように甘えていきそんな気がするんです。彼は、『いつでも電話していいよ』って言ってくれるけど、それに甘えたらいけないと思って」

 そう話してくれた阿部英子さん(三十六歳)は、出会い系サイトで彼と知り合った。知り合ってから実際会うまで半年かかっている。

「ちょうど出会系で事件が報道されていたころで、私も会うのが恐かったんです。彼の方も「怖い気持ちは分かるよ」というメールをくれて。メールのやりとりをほぼ毎日、半年続けて、初めて会ってみようと決心できた。それは彼が全く焦らずに、じっくりと待ってくれたから。会って見ても、印象は変わりませんでした。ほんわかと温かい人で、今は彼と会っている時間だけが、自分らしくいられる時間だと思っています」

 英子さんは、彼にはなんでも話せると言う。なぜ夫には話せなくて、彼には話せるのか。本来、パートナーである夫に打ち明けなければ意味がないのではないのだろうか。

「うちの主人は、『家のことはきみに任せるよ』というタイプなんです。働き者だし、特に横暴なわけでもないけれど、主人は外、私は家という役割分担ができてしまった。毎年、誕生日にうちの両親と主人の両親にプレゼントを贈るんですが、『あなたのお母さんには何がいいかしら』と言っても、「任せるよ」って。ちっとも相談に乗ってくれない。もちろん、子どものこととか、ここぞというときは耳を傾けてくれますが、主人にとっては些細だと思われることは、何を言っても、『任せるから、適当でいいよ』って。

それで結果的に主人から文句を言うこともない。でも、なんだか寂しいんですよね。主人も彼も、私より二歳年上。同い年なのに、どうしてこうも違うんだろうというくらい違います。彼はとても細やかな人で、私が前に話したことも覚えていてくれるタイプ。彼の奥さんは幸せだなあと思います」

 彼も、自分の妻には、英子さんの夫と同じように接しているかもしれない。恋愛相手だからこそ、細やかになるという可能性はあるはずだ。

 夫たちが外で恋愛するとき、彼らは妻と彼女を比べるようなことはしないものだ。だか、女性たちはなぜか「夫と恋人」を無意識のうちに比べている。夫で埋められない何かがあるから、恋人が必要なのだと自分で納得するためだろうか。あるいは、女性というのは同時進行する場合、つい比べてしまうものなのだろうか。

「彼には甘えないよう甘えないよう、といつも気を付けています。女って、どうしても彼がここまで受け入れてくれたら、じゃあ、もっと先まで、とつい甘えてしまうでしょう? でもそれをやったら、必ず相手の負担になる。だから、常に一歩抑えているようにしています。

今のところ、それで彼とはうまくいっている。会っているときは彼のことだけを考えて、できるだけ楽しい時間を過ごせるように心がけています。友だちに言わせると、『ただ都合のいい女じゃない』ということになるけど、それはお互いさま。たまにやってくる、『いちばん自分らしくいられる時間』を失いたくないんです」

 私自身は、家庭や家族というものから降りてしまった人間だが「家庭」という枠に縛られているストレスはよくわかる。彼女にとって、家庭や家族は、この上なく大事なものだからこそ、より強いプレッシャーやストレスを覚えるのだろう。

 単に不倫、婚外恋愛と一口に言っても、そこにより強い情熱や刺激を求めていく人もいれば、「自分らしくなれる、ほんわかとしたぬくもり」を求める人もいる。すべて不倫の関係を、決してひとくくりにはできないものだと改めて感じてしまう。

 恋と家庭は両立するか

 恋愛と家庭を両立させている女性たちは、思いのほかたくさんいる。その中には、もちろん、「夫のことも嫌いじゃない」という女性も多い。むしろ、夫が大嫌いだから他の男性に走ったという女性の方が少ない。

 かつて、女性は同時に複数の男性を好きになれないと言われていたが、それはおそらく男性の希望的観測だったのだろう。「好き」の種類は違っても、「夫は好き、彼も好き」という女性は数多くいる。といっても、「両方好きなんだからしょうがない」と開き直っているわけではない。

 恋をするようになってから、結果的に家庭をより大事に思うようになった、夫をより大切にしようと思うようになった、という声をよく耳にする。

 吉本麻理恵さん(三十歳)は、三歳年上の男性と結婚して四年、ここ一年半ほどは十歳年上の職場の上司と不倫している。実は夫も同じ職場。噂が立つだけでも危ないという状況での恋愛だ。

「夫とは部署は違うんですが、同じフロア。危険といえば危険ですよね。でも私。その上司のことは本当に尊敬しているし、大好きなんです。私たちは子どもが居ないから、お互い目一杯仕事をしている。どちらかというと、事務職の夫より、営業職の私の方が忙しいので、帰宅が遅くなっても、夫はあまり不審には思わないみたい。

営業はどうしてもつきあいも多いから。夫は年は上だけど、とても優しい性格で、何を決めるのでも私の気持ちを尋ねてくれるタイプ。結婚して一緒にすごすにはそういう男性の方がいい。一方、上司は男気が強くて、少し強引なところがある人。つきあうならこういう人の方が安心できる。学生時代の親友だけが、この恋愛を知っているんですが、彼女に、『あなたは用途に応じて、男を使い分けるの?』と言われました。言葉は悪いけど、そういう部分はあるのかもしれません。

だからといって、夫をないがしろにしているわけでもないんですよ。恋愛するようになってから、夫の性格がいかに優しいか、本当によくわかるようになりました。だから私も、週末などは夫の好きな料理を作ったり、夫の趣味につきあって魚釣りに行ったりと、自分ができることは一生懸命やっているつもりなんです」

 上司とは、電話やメールのやりとりもほとんどしない。毎日顔を合わせているし、一緒に外出する機会も多いので、コミニケションをとる時間はいつでもとれるからだ。

「あえて危ないことはするまい、というのが共通の考え方なんです。仕事には非常に厳しい人だから、仕事中は、プライベートな顔を見せたりしません。たとえふたりきりで移動していても、私たちは定時に終わるということはまずありえませんから、残業しながら、相手の様子を見て、なんとなく目で合図しあうということが多いですね」

 部署のグループ数人を、その上司が引き連れて食事に行くことも多いという。
「そんなとき、彼は店を出ると、たいてい『みんな、カラオケでも行くんだろう。オレは帰るから』って、誰かに少しお金をカンパして一人で去って行くんです。私は何曲かつきあったあと、『家庭持ちはそろそろ帰りまーす』と店を出る。そうするとたいてい、彼から携帯に連絡が入っているんです。そういうとき、携帯電話もメール機能も便利だなあと思いますね」

 会社や、会社近くの繁華街からみると、ふたりの自宅方向が同じ。繁華街から自宅方向に向かう途中のバーで、彼が待っていることが多い。

「私が合流して一杯飲んで、そのままラブホテルに行くというパターンが多い。実は、私は夫のことがとても好きなんですが、夫とのセックスで満足したことがないんです。夫はもともと、あまりセックスが好きというタイプじゃないんですね。私が上司に惹かれたのも、彼が非常にエネルギッシュな人だったから。こういう人に組み敷かれて、思う存分、セックスしたい、自分の快楽をどこまでも追及したいという欲求があったんです」

 最初に上司と深い関係になったとき、麻理恵さんは自分で自分が信じられなかった。セックスでそれほど深い快感を得たのは初めてだったから。

 その先を言いよどむ麻理恵さんに、何度も「どうよかったのか」としつこく尋ねると、彼女はようやく重い口を開いてくれた。

「肉体の相性がいいって、こういうことなのか、と思いました。抱き合って瞬間、すごく肌が合うのがわかって。変な話で申し訳ないんですけど、彼が入ってきたとき、私のあそこの内部がびくびくと動いたんです。まるで喜びにうち震えているみたいに。彼もそれに気づいて、『こんなに合う人は初めてだよ』と言ってくれました。お互いにすごく興奮して、興奮しっぱなしで‥‥。わけがわからなくなったのは初めてでした」

 会うたびに快楽は深くなる。彼への執着も増していく。それでも、麻理恵さんは、彼を奪い取りたいとは思わないと言う。

「彼との時間が貴重なのは、おそらく、上司と部下という立場に興奮するのと、私が彼を男として大好きだから。彼と一緒にいると、自分がどこまでも女になれる。万が一、結婚したとしても、彼とでは落ち着いた生活は送れない。彼は私にとって、あくまでも『男』なんです。生活を共にするパートナーではない。いつまでも興奮させてくれて、情熱を傾けることのできる男でいてほしい。こういうことを言うと、また親友に、『あなたって男みたい。貞淑な妻と娼婦みたいな女が両方ほしいって、男が思うものじゃないの?』って笑われますけど」

 麻理恵さんのように、「夫と恋人」を完全に分けて考える女性は、まだ少数ながら確実に増えている実感がする。そして、ある意味では、それも無理はないのかもしれないと思う。

 女性も社会に出るのが当たり前になった。たとえ、結婚や出産でやむを得ず家庭に入ったとしても、社会で働いていた自由なころの自分を忘れていない。社会で得た人間関係の作り方は、きちんと自分の中で生きている。だから、結婚して家庭に入った場合、男性との付き合い方に戸惑うような女性は、今は少ないと言えるだろう。

 機会があってまた社会に出たり、子供との関係で地域にかかわったりする。そこで新たに男性と接する。そうなれば、恋愛が生じても不思議はない。

 恋愛に便利なツールの代表。携帯電話がある限り、細心の注意を払えば、不倫の恋は秘密裏に進めることができる。しっかり割り切って結婚と恋愛を同時進行させているように見える麻理恵さんだが、ときどき、ふっと怖くなることがあるという。

「この先、私はどこへ行くのだろう、という漠然とした不安がよぎることもあるんです。夫の両親は、早く孫の顔が見たいと言っている。会社は産休も育休もとれるから、子どもを産んで復帰することはできる。でもそうなったら、彼との関係はどうなるのか…‥。

今はまだ彼との関係を続けていきたいんです。勝手な言い方をすれば、私の快楽はまだまだ深くなる。それを知りたい、もっと追及したいという。暫くはこのままでいいと思っているけど、いつまで続けられるのか、最後はどうなるのか。夫との関係は大丈夫なのか。考え出すと不安で眠れなくなることもあります。でも自分が選んだ道だから…。後悔しないように生きていくしかないですけどね」

 結婚したら、もう二度と恋愛なんてしない、夫だけを見て生きかたもあるのだろう。だが、好きな人ができてしまったとき、結婚を続けながら、もうひとつの人生を生きていくという選択する女性もいる。その生き方を誰が否定することができるのだろうか。

 両立させるために苦心していること

 家庭と恋を両立させるために、女性たちはいろいろなことに気を配っている。
 特に、両方とも既婚の場合は、自分の家族にばれないようにすることと、相手の妻に気づかれないようにすること、独身同士の恋愛の何倍も気を遣わなければならない。

「うちの夫が、私の携帯電話や持ち物を見るようなことはしないと信じています。だけど、細心の注意を払って、家に着いたら少なくともメールは消しますね。携帯もそのへんに放っておくようなことはしません。夫を傷つけたくないという気持ちもあるけど、ばれたら彼に会えなくなるという気持ちのほうが強いかもしれない」(四十五歳)

 これは興味深い意見だと思う。
 外で恋愛している夫たちが、自分なりに注意を払っているのは、「妻を傷つけたくない、家庭でもめごとを起こしたくない」という気持ちが強いから。だが、恋愛している妻たちは、なによりも「彼と続けられなくなる」ことを恐れている。外での恋愛について、男女はこれほどの認識の違いをもっている。

 夫たちは家庭に波風が経つのを極端に嫌う。つまり、家庭は家庭、恋愛は恋愛だから、双方、うまくやっていきたいという気持ち強いのだ。妻への愛情も、恋愛ではないにせよ、穏やかに続いていることが多い。両方手に入れておきたいという気持ちが強いからこそ、きちんと分けて考えているような気がしてならない。男にとっては、「大事なものは家庭、愛しているのは彼女」であり、最終的には、やはり家庭に戻ることを考えているケースが多い。

 一方、妻たちは、恋愛にはまると、夫のことは、「単なる同居人」と見なしがちだ。「彼と続けたい」から、家庭に影響がないように心を砕く。せっかく出会えた「運命の彼」との別れを極端に恐れる傾向がある。「彼と会える時間のために、あとは修業だと思って家庭生活を頑張る」と言った女性も少なくない。

 もちろん、夜あまり遅くならないこと、家事を手抜きしないことなど、女性たちは、他にもいろいろ気を配っている。夫たちは、恋愛によって知らず知らずのうちにテンションが上がってしまい、そこから妻に悟られてしまうことが多い。だが、女性たちは、恋に落ちるとテンションが上がる一方で、急激に冷静になる一面ももっている。

自分の感情を的確につかみ、なんとかコントロールしようと努める。恋が楽しくてうきうきしていても、夫の前ではごく普通にふるまうし、つらくて泣きたくても、夫の前では感情の変化を見せまいとする。シャワーを浴びながらひとり浴室で泣く女性のなんと多いことか。

 既婚女性が恋をすると、人目を気にして「ホテルで会ってホテルで別れる」などという場面を想像しがちだが。デートは案外普通の場所でしている。映画を観に行ったり買い物をしたりというケースも多い。

 お互い家庭があるから、セックスの場所はラブホテルが使われる。それぞれが車で赴き、ホテルの駐車場で待ち合わせたり、近くまでついたところで携帯に連絡をとりあったりする。

「普通に生活している方が人目につかない。たとえ一緒にいるところを誰かに見られても『友だちよ』と平然と言えば大丈夫。今どき妻にだって男友だちぐらいいるから、気を付けるのはホテルの出入りだけです」

 と言った四十代の女性の言葉が耳に残っている。
 たとえ女性が、相手の男性の好みで髪型や洋服を変えたとしても、それに簡単に気づく夫は少ない。そのあたりの夫の無関心さが、妻の恋愛を容易にしているとも言えるし、妻を外での恋愛に押しやっているとも言える。

「相手にも奥さんがいる。そうなると、そちらにも気を遣わなくてはいけませんよね。自分も妻の立場だから、どんなところから、妻に疑いを抱くかはよく知っている。だから私は彼に会うときは、絶対に香水をつけません。ホテルに入ったら口紅も落としてしまう。シャンプーなども香りの強いものは避けます。彼にも、『私の送ったメールは必ず消して。着信も私からのはずして』としょっちゅう言っています。男の人はけっこうそのあたり、気を遣わないんですよね。だから簡単に、奥さんにばれちゃう」(三十八歳)

 自分が妻という立場だからこそ、相手の妻の気持ちが分かる。しかしまた、自分が妻だからこそ、相手の妻に妙に敵愾心も抱くことがある。いずれにしろ、妻たちの恋愛は葛藤が大きい。

 恋に走るか、家庭に戻るか

 恋が煮詰まってきたとき、あるいは恋に気持ちがとらわれ過ぎたとき、こう考える女性たちがいる。
「家庭か恋か、ふたつにひとつ、選ぶしかない」と。

 結婚しながら恋愛を続けていく、結婚生活を降りて恋愛に走る、恋愛をやめて結婚生活に戻る。最終的にはこの三つの選択肢しかないわけだ。いずれどこかで、決断と覚悟の日がやってくる。

 関東地方に住む。荒木里美さん(四十五歳)は、離婚という選択をした。「ひとりの人を愛し続け、愛し抜くため」の決断だ。

 八歳年上の彼とは、彼女が結婚した二十年ほど前からの知り合い。夫も彼女も彼も、当時、同じ会社で働いていた。彼はすでに結婚していた。それ以降も、年賀状や、子どもの入学などのお祝いのやりとりは続いている関係だった。

 里美さんには、十八歳と十五歳の娘がいる。夫とは結婚してすぐ、「うまくいかないかもしれない」という予感があった。恋愛している分には楽しいし、いい人なのだが、「家庭」を築いていくには奔放過ぎた。結婚して数年後には浮気が発覚、里美さんは子どものためにと黙って耐えた。夫はそれをいいことに、「オマエは強い。家庭のことは全部任せるよ」と自由な生活を続けた。生活費だけは入れてくれていたが、気づいたときには数百万の借金があった。困り果てて夫の両親に相談すると、両親はポンとそのお金を出してくれる。親がしりぬぐいしてくれるせいか、数年経つとまた借金が膨れ上がっている。

 里美さんは、人一倍、愛情を求めて結婚した。子どものころから母親の愛情を、求めても求めても得られないという傷を抱えていたからだ。母は兄を溺愛していた。彼女には、母親の愛情が欲しくて「いい子」でいつづけ、それに疲れ果てて結婚したという経緯がある。

 だが、結婚して、どんなに尽くしても、夫の愛情を得られなかったことに気づき、里美さんは疲弊していく。七年ほど前、里美さん自身の癌、父親の死、さらなる夫の借金などから、彼女の心労が高じて、パニック障害になってしまう。

 その時期には、夫との間で決定的な事件があった。長女があるとき、夜中に出かけようとしていた父親に、
「パパは、私も妹もママもいらないの?」
 と厳しい言葉を投げつけたのだ、夫は、こともあろうに、「いらない」と言い捨てた。夫自身もその時期、借金のことやつきあっている彼女のことで思うようにいかず、いらいらしていたらしい。だが、どんな理由があるにせよ、子どもに対していっていけないことを、言ってしまった。

「そのとき、私は主人を許せないと、と思ったんです。娘はよほど傷ついたんでしょうね、それから徐々に不登校になってしまった。私は私でパニック障害が酷くなっていきました。死んでしまうんじゃないかと思うような不安感、過呼吸、血圧の乱高下、電車に乗れない、ひとりでいることさえできない。もうどうしたらいいかわからない状態でした。

母に助けを求めましたが、母は一度は『私が治してあげる』と言っておきながら、数日後には、『やっぱり無理。私はあなたの面倒見られないわ』と言い出す。いつも母は、私が愛してほしいときに愛してくれない。子どものころのトラウマがまた蘇ってきて、パニック障害もさらに酷くなる。そのとき、なぜか八歳年上の彼のことをふっと思いだしたんです」

 ごくたまに電話のやりとりがある程度の男性だったにもかかわらず、彼女は彼のことを思いだすと迷わず、「助けてほしい」と手紙を書いた。なぜそれほどつらいときに、親戚でも元恋人でみない彼を思い出し、頼るような気持ちになったのか、いまだに里美さん自身も説明がつかないのだという。ただ、ふっと彼の顔が浮かび、すがるような思いで手紙を書いた。

 当時、彼が西日本のほうに単身赴任しているのを知っていたから、そちらの会社宛てに手紙を出した。

 一週間ほどして、ようやく彼から電話がきた。
「とにかくゆっくり話を聞かないとわからない」
 と、彼は数日に分けて電話をくれ、彼女は今の状態を細かく伝えた。

 彼は「少し考えさせてほしい」と言った。それから二ヶ月後「出張で戻るから、一度会って話そう」という電話がきた。彼は電車に乗れない彼女のために、車で自宅近くまできてくれた。ドライブしているうちに、とある湖まで出た。ふたりは車を降り、近くを散策する。

「私は彼の一方後ろを歩いていたんですが、歩いていく彼の背中を見たとき、それまでの全ての疲れがす―うっと、取れていくのがわかったんです。まだ何の関係もない人なんですよ。それなのに、『私はこの人について行こう、そうすればきっといいことがある』と思ったの。あれが原点なんですよね」

 手ひとつ握らず、彼は、里美さんを送り届けてくれた。そして、とにかく体を治せと何度も繰り返した。

「ただね、こうも言いました。『オレは家庭は絶対に壊さない。子どもがとても大事だから。自分の人生をかけやる、ときみには言えない。それでもなんとか守ってやりたいと思う』と。私、それを聞いたとき、誠実な人だなあと思ったんです。口先だけできれいなことはいくらでも言える。だけど、彼は自分の立場を明確にした。友だちに言わせれば、『あなたは、ただの都合のいい女じゃない』ということになるんだろうけれど‥‥」

 遠く離れていたが、彼は関東に戻ってきたときには必ず時間を作って会うようになった。肉体関係も自然とできた。楽しい日々が続いたという。

 ふたりでひとつの銀行通帳を作り、デート費用を賄なった。ペアの腕時計も買った。映画を観に行ったり、小旅行をしたり。不思議なことに、里美さんは、彼と一緒にいると、まったくパニック障害の発作が出ない。ところが、彼が帰るとたんに発作が起こる。

 ブランクのあとの再会

「彼に会っていると嬉しいんだけど、子どもたちに対する罪悪感がある。家にいると、彼に会いたくてたまらない。目の前にいないほうが気になって仕方がないんです。彼にその気持ちを正直に言いました。『どうしたい?』と聞かれたけど、私にはわからなかった。彼は、『オレの存在がストレスになっているなら、そしてオマエが母親でいられないことを苦しんでいるなら、別れてもしかたがないと思っている』と絞り出すように言いました。ふと彼の顔を見ると、涙ぐんでいる。それからしばらく電話だけで、励ましてもらう日々が続きました、そして私、とうとう夫の両親のところに逃げ込んだんです」

 パニック障害がひどく、ひとりでいられなくなったためだ。小学生の子どもたちだけでは、里美さんに万が一、激しい発作が起こったとき対処できない。

「子どもを連れて、一家で夫の両親の家に転がり込んだのです。子どもたちもほっとしたみたいでしたね。私自身もずいぶん、救われたところがあります。だけど、そうなると舅姑を裏切ることができなくて、彼とはどんどん会いづらくなっていく。それに、彼への思いも限界に達していました。彼を私のものにしたいという独占欲が強くなってきて。でも、家庭があると分かっていて始めたことだから、そんな独占欲にかられている自分が嫌で嫌でたまらなかった」

 互いに家庭がある。分かった上で始めたことであっても、相手を好きだという気持ちが募れば募るほど、側にいてほしいと思ってしまう。決してひとつ屋根の下で暮らせない相手だからこそ、さらに思いは募っていくという悪循環。これにはまると、いわゆる「不倫の恋」はつらい。いかに嫉妬と独占欲の螺旋地獄に陥いらないようにするか、それはいわば自分自身との戦いでもある。当時の里美さんは、心身ともに弱っていたせいで、ものの見事にその螺旋地獄にはまってしまった。

 さらには転校したせいもあるのだろう、子どもたちがふたりとも不登校になってしまった。保守的で律儀な祖父母は、学校へ行かない孫たちを責め立てる。それを見ている里美さんもつらくなっていった。

「子どもたちを保護するために、しばらく児童相談所へ預けようと決めました。子どもたちは泣いていたけど、相談所に行きたくないとは言わなかった。家に居る方が辛かったんでしょう。彼女たちを預けたら、私はその足で彼に会いに行く約束をしていたんです。だけど‥‥行けなかった。子どもたちを他人に預けたくないから、子どものすべてを自分の目で見届けてから、私は出産後には仕事を辞めて家庭に入った。
それなのに、今、子どもを他人に預けて、自分だけ彼に会いに行くことはやはりできなかった」

 里美さんが声をつまらせる。八方塞がりで、自分自身も弱っていた当時のことを思いだしたんだろう。思わず私も目頭が熱くなる。

 恋に走る決意

 とうとう、里美さんはひとつの決断を下した。
 彼と別れて”家族”をやり直そう、と。
「子どもを引き取り、私は主人の両親の家を出ました。そうしたら、なぜか主人もついてきて。家族としてやり直そう、と私は主人に言いました。結局、やり直せたのは私と子どもたちだけ。主人ともずっと男女関係がなかったから、私は何とか受け入れようとしたんです。だけど、結局、できなかった。どうしてもその気になれないんです。ただ、そうやって頑張っている間に、だんだんパニック障害はよくなっていきました。

彼とはきちんと別れの言葉を交わしたわけではないんです。だから、私の支えは、『彼に愛されたという誇りを持って生きていこう』ということ、『いつかどこかで彼に会ったとき、生き生きとした自分でいたい』ということだけ」

 子どもたちは学校に行けるようになった。里美さん自身もPTAの役員を引き受けたり、再び仕事を始めたりして、必死に生きてきた。その間も、ときどき、彼と作った銀行通帳を確認した。カードを持っているのは彼だったが、残高はずっと変わらなかった。

 二年が経ち、ある日、彼女は彼の携帯電話に電話をかけてみた。
「戻りたい、と私が言ったら、彼は『昔と同じことだよ』と静かに言いました。それでもいい、やはり会いたいと心から思った。会ってみたら、彼。ペアウォッチをしていたんです。ずっとしていてくれたみたい。もちろん、私もずっとしていました。『あのときは、勝手に離れていくオマエを、どうしてもひきとめることができなかった』
と彼は言ってくれました。あんまり感情を言葉にする人じゃないだけに、その言葉をきいて、彼も苦しんでいたんだと実感しましたね」

 好きな女が病気になり、家庭も不和で苦しんでいる。男としては、何とかしてやりたいと思うだろう。だが、自分も家庭がある身。そう簡単に身動きがとれない。相手は、再起をかけて、自分から離れていこうとしている。それがわかっても、彼の立場では引き止められないだろう。むしろ、引き留めないのが男の誠意かもしれない。

「再会して三ヶ月くらいたったとき、主人と別れよう、しはっきり思いました。どう頑張っても、主人とはもう夫婦でいられない。主人と仮面夫婦を続けながら、心の中で彼を愛し続けるなんていうのは、主人にも失礼だと思ったんです。自分自身に?を衝くことはできない。もっと自分に正直に生きたかっただけです」

 夫には、「私は自分の人生を歩いていきたい」と告げた。子どもたちは最終的には離婚に賛成してくれた。「ママが泣かないようになるならいいよ」と、上の子は言った。

 そして今は、ときどき、夫と四人で食事をすることもある。夫婦は男女としてはやっていけなかったが、子どもを交えての家族としては、ちょうどいい距離感を保てるようになったのではないだろうか。

 現在は、夫が養育費と。ある程度の生活費を出してくれている。だが、里美さんも、さらに自立すべく、今やっている会社勤めの他に、何かできないかと模索中だ。

 途中、ブランクはあったものの、里美さんと彼のつきあいは七年を超えた。彼女は結局、結婚生活を降りて恋愛に生きる道を選択した。

「私は不器用なんですよね」
 と里美さんは笑うが、私は潔いと思う。あのまま、夫と家庭生活を営んでいくことは不可能ではなかったはずだ。だが、里美さんは、それは「誰に対しても誠実ではない」と感じた。

 家庭を捨てて恋愛に走る。彼には離婚は求めない。自分自身の気持ちとして、「彼を愛し続けるために」あえて茨の道を選んだのだ。言葉で言うのは簡単だが、実際には愛情に満ち溢れた家庭でなくても、なかなかそこから飛び出す勇気はもてない。

 夫を愛していなくても、家庭は運営していけるものだから、家庭は家庭、恋愛は恋愛と分けて考える人もいるだろう。それはそれでいいと思う。だが、それができないタイプだと自覚して、「誰に対しても誠実に生きたい」と思ったら、里美さんのような選択もある。もちろん、勇気がいることだけれど。

「私は彼に離婚してほしいとは思っていません。家庭を壊さない、娘を愛しているんだと言い切る彼を愛してしまったのだから。でもこれってかなりの矛盾なんですよね。家庭を愛している彼だからこそ、私は好きになった。でも彼が彼である限り、私の手元に彼はこないんです」

 その気持ちはよくわかる。彼が簡単に家族を振り捨てるような男性なら好きにはならない。だが、彼が家庭を捨てない限り、一緒にはなれないわけだ。それでもあえて思う。結婚するだけが愛の形ではない、と。もし結婚することで新鮮な愛情が死んでいくなら、里美さんは生き続ける情熱を選んだとも言えるだろう。

 今の里美さんは、パニック障害で苦しみ、「死んでしまいたい」ところまで落ち込んで人の影はみじんもない。表情豊かに話し、自分自身のことを明快に分析し、自分の言葉で語れる女性。

「結局、私は子どものころから、自分の居場所をずっと探して生きて来たんだと思うんです。結婚が、自分の居場所になるかなあと感じた時期もあったけど、違っていた。
私はこの七年で、目には見えないけど、何か彼の強い絆があると感じているんです。最終的には、彼との絆を感じていられるところが、私の居場所なのかなあって考えているんですよ」

 自分の居場所。
 私自身もその言葉にこだわり、悩み続けた時期があった。私の最終的な答えは、「自分の今いる場所が自分の居場所」だった。「誰かのいるところを、自分の居場所と定める」という考え方を放棄したのかもしれない。誰かに素直に甘えるとか、守ってほしいとか、人が根源的に抱いているはずの欲求を、どこかに封じ込めたまま生きてしまったのだろうか。

 里美さんの素直な告白をぶつけられて、私は自分がどこかに置き去りにしてきたものを、太目の前に突き付けられたような気がしてならなかった。

「先のことを考えると、不安はあります。娘たちもいずれは独立していく。そうしたら、私はたったひとり。彼には家庭がある。それに、いつかは彼との間に肉体的なつながりもなくなるでしょう。そのとき、夫婦ならそれでも一緒に暮らしていける。だけど、私と彼の間に何があるのか。ただ会って話をして、という関係を死ぬまで続けていくのか。

もちろん、彼は、『オレたちは別に、体だけの関係じゃないんだから』と言ってくれる。でもそれは、今、肉体関係があるからこそ言えることだと思うんですよね。先のことを考えると、居ても立っても居られない様な不安に駆られます。その一方で、先のことは分からないから、考えても仕方ない、とわかっているんですけど」

 里美さんの不安はよくわかる。だからこそ、女性たちは、それほど愛していない夫であっても、別れることができないのだ。夫たちが「家庭と恋愛は別」と明確に考えているのに比べて、女性たちがそこまで明確に分けられないのは、先の不安があるからかもしれない。

だが、里美さん自身が言うように、状況はかわっていく。自分の心も変わるかもしれない。先のことを考えても意味がない。今を強く生きていくしかないのではないだろうか。

 初めて見た夫の情熱

 西日本のとある町で、私は二十代後半の既婚女性に会った。すらりと背が高く、抜群のプロポーション、しかも歩いていれば誰もが振り返るような美女だ。

彼女、田村明恵さんが一回り以上年上の男性と、四年越しの恋を実らせて、そして結婚したのは二十三歳のとき。夫は穏やかで、いつも明恵さんのことを考えてくれる優しい人。

だが、彼女は結婚して二年目で、他の男性と恋に落ちてしまう。相手は同い年、職場も同じだった。

「彼は、奥さんも仕事をしていて、結婚して日が浅いのに単身赴任できていたんです。お互いと年も同じ、結婚した日も近かったということで親近感がわいて、いつの間にか親しくなっていました。主人は優しかったけど、年齢がかなり上だから、話していても多少の世代的なギャップがあるんですよね。大事にされすぎているということもあって、私は甘えはするものの、どこか本心を出せないところがあった。

でも彼は同い年だから、友だちのノリで何でも話せたんです。私は主人が初めての男性だったから、主人以外の人とセックスしたのも初めて。彼も決して女性慣れしている人ではなかったので、ふたりで模索しながらのセックスでした。でもそれはとても楽しいかったんです。私は男の人が『イク』というのを初めて知りました」

 ということは、夫とはいつもいっていないということ? 私が怪訝な顔をすると、明恵さんはちょっと困ったような顔をして、言葉を付け加えた。

「主人は、私を気持ちよくしてくれることにいつも一生懸命だったんです。私から何かしてあげるということはほとんどなかった。でも、彼とはお互い気持ちいいところを探し合いながらセックスしたんです。彼が私の愛撫で、本当に気持ちよさそうな顔をしてくれたとき、単に射精ということだけじゃなくて、男の人が気持ちよくて、イッちゃうことってあるんだなと初めて知ったんです。

気持ちがいいときは、男の人もこんなにいい表情をするんだ、と私も感動してしまった。私はいつも一方的に奉仕されてばかりだったから、セックスがコミュニケーションだとおもっていなかったんです。でもその彼との間では、体を合わせることが、言葉にも増して素敵なコミュニケーションだとわかったから、本当に嬉しかった」

 ところが、彼は一年余りで、また転勤。今度は妻と一緒に暮らせる場所に移動になったため、ふたりの関係もあえなく消滅してしまう。

「別れるしかないね、と話したとき、ふたりとも涙を流して抱き合いました。私は彼と一緒になれるなら、離婚してもいいと思っていたくらいなので、只々悲しかったんです」

 それほど好きだった人と別れてから半年、明恵さんは、またしても恋に落ちてしまう。今度は三歳年下の男性だった。

 彼は、東京から明恵さんの入る町に出張にきていて、ケガをして入院。明恵さんがたまたま知人の見舞いに病院に行ったとき、知り合った。知人と同じ病室だった彼から声をかけられ、話をするようになったのだという。彼は二十三歳、独身だった。

「でも彼は一ヶ月ほどで退院、東京に戻ってしまいました。それから私、月に一、二回は東京へ通うようになったんです。彼は、会うたびに、『こっちにきて、一緒に住もうよ』と言う。私もだんだんその気になってきて、知り合って半年ほどたったある日『今日こそ家を出よう』と、荷物をまとめていたんです。そこへ主人が帰ってきた。

『何をしているんだ』と言われて。結局、すべてを打ち明けました。主人は薄々気づいていたみたいですが、黙って全部聞いてあと、ものすごい強い口調で叫んだんです。『そんな男と一緒になっても、幸せになれるはずがない。オレがこんなにオマエを大事に思っているのに、どうしてわかってくれないんだ』って。すごい勢いでした。自分の親にも、あれほどの口調でものを言われたことがなかったし、ふだん穏やかな主人の口からあんな言葉が飛び出すなんて思ってもいなかったから、かなりびっくりしましたね」

 その勢いに押されてか、明恵さんは知らず知らずのうちにまとめた荷物をほどいていたという。穏やかな夫が初めて見せた、強い強い情熱。

「その晩、主人とじっくり話し合ったんです。主人は、私の前の恋愛にも気づいていた。自分は年上だし、結婚前に実は人妻と恋愛したこともある。若い妻をもらったから、きっと妻も恋愛に走ることがあるだろう、そのときは戻ってくるのをじっと待とうと覚悟していたそうです。

だけど、荷物をまとめている私を見たとき、自分の中で、何かがぷつっと切れた。自分の本当の気持ちを伝えないと、大事なものは逃げていくと思ったんですって。優しいけど、どこか本心の見えにくかった主人の気持ちが、私にも初めてわかった。私のことをいちばん思ってくれるのは、やはり主人なんだ、と実感しました」

 私は同姓でありながら、脳が半分男性化しているせいか、女性というのは不思議な生き物だなという気がする。夫や恋人などいちばん近い存在の男性には、誰もが「優しさ」を強く求める。だが、穏やかで優しい夫や恋人をもつと、今度は物足りなさが心をよぎる。なんでも「いいよ」と言ってくれる男性には、「私のことを本当に好きじゃないんじゃないの」と疑念を抱く。彼の自分に対する情熱を見せてほしいと思ってしまうのだろう。

 かといって、独占欲の強い男にも嫌気がさしていく。最初はそれを自分への愛情だと確信していても、最終的には「私を信用していないのね」となる。

 女性は男性に比べて、より強く、「自分のそのとき求める愛情をくれる人」を理想としがちなのではないだろうか。それが女性の可愛さとも言えるのかもしれないが。

 明恵さんは、東京の彼に「別れよう」と告げたが、相手は承知しない。さらに実は、彼女、その彼に百万以上のお金を貸していた。だから明恵さん自身、お金が返ってこないまま、あっさり別れることもできなかった。

 明恵さんは、夫にお金の件も打ち明けた。

「主人は、『お互い好きなら、肉体関係をもつのはしかたがない。だけど女にお金を借りる男は信用できない。オマエを大事に思っていないから、簡単に金を借りるんだ。そいつはろくなヤツじゃないぞ』と言いました。確かにそうだなあって思いましたね。『お金は振り込んで』と言っても、『少しずつ返すから会おう』としか言わない。なかなか別れるきっかけがつかめなかったんです。

その直後、彼が二股をかけていたことが発覚して。それを問い詰めると、さすがに彼もしどろもどろで‥‥。結局、主人に諭されて、お金は高い授業料だったと思って、諦めることにしました。それでようやく別れたんです」

 その彼と別れて一年近くたち、今は仕事に家庭にと、内面的な充実感を覚える日々を送っているという。

「実は私、いまだに主人とセックスできないんです。相手に未練があるわけじゃない。だけど、きっと主人は嫌だろうなと思ってしまって。私、外で恋愛しているときも主人とは
セックスできなかったんです。今も、主人は誘ってくるんですけど、『本当は、他の人に抱かれた女を嫌いだと思っているに違いない』と感じて、その気になれなくて‥‥。

主人のことは、本当に好きなんです。主人が自分の本音を思い切り吐き出してくれたから、私も主人への気持ちが一気に盛り上がった。もしあのとき、怒り狂って別れようと叫ぶような夫だったら、私は魅力を感じなかったと思うんです。それなのにセックスができないというのが、なぜなのか。自分でも矛盾しているとわかっているんだけど」

 おそらく、明恵さんは、夫に対して「悪かった」と思うあまり、夫の愛撫を素直に受け止められなくなってしまったのではないか。夫はセックスのとき、明恵さんを気持ちよくさせようと、ひたすら奉仕してくるタイプだというから、それが今の明恵さんには重荷になってしまうのかもしれない。

 だったら、明恵さんから、夫に仕掛けるという手だってある。奉仕されることは、女としてもちろん嬉しいけど、女だって好きな男には奉仕したい。相手が気持ち良くなることで自分が幸せな気分になるのは、男も女も同じだということを、夫に分かってもらえばいいのではないか。

 私がそう言うと、明恵さんは、「やってみます」とにっこり笑った。夫は私と同世代。こんなに若くてきれいな奥さんだったら、奉仕しまくりたくなる気持ちが、なんとなくわかるような気がしてしまう。

 私があった日の明恵さんは、きれいなピンクのセーターに白いスカート、そして真っ白なダウンジャケットといういで立ち。雑誌から抜け出てきたようなあか抜けたファッションだが、すべて夫の見立てなのだという。妻に綺麗でいてもらいたいという夫の気持ち、そして綺麗な妻が他の男と恋に落ちてしまうという矛盾。

「私は、主人と一緒になるまでは、ファッションなんて全然興味なくて、いつもセーターにジーンズというラフな格好ばかりしていたんです。主人が『綺麗にしていてほしい』と言って、一緒に買い物に行ってくれるから、私自身も少し身の回りにかまうようになった。

自分にかまわなくなったら、きっと恋もしなくなると思うんですけど、そのときには主人にも捨てられちゃいますよね。私自身も、そんな矛盾した気持ちがあるんです。綺麗でいたい、でも綺麗でいようと努力していると、また他の人を好きになってしまうかもしれないって。一時期は、私、どこかおかしいのかもしれないと真剣に悩みました。結婚しているのに、どうして他の人を好きになる気持ちが止められないのか‥‥」

 この先も、ひょっとしたら恋をしてしまうかもしれない。誰かを「いいな」と思う程度でおさまればいいが、また深みにはまってしまうのではないか。そして結果的に、夫を傷つけてしまうのではないか。

「主人が言っていました。人を傷つけたら自分が幸せになれないんだなって。主人は、自分が過去に人妻と付き合ったことがあるから、そのしっぺ返しがきたのかな、とも呟いていたことがあるんです。そう思わせてしまったのは私なんですよね‥‥。

それが苦しいんです。でもその一方で、恋しているときの自分がすごく輝いているような気がする。人間なんて、いくら若くても、いつ死ぬか分からないでしょう? このままずっと恋をしないで死んでしまいたくない、と切実に思うんです」

 夫の優しさと忍耐強さに、明恵さんが甘えている部分もあるのかもしれない。だが、夫の方も実は、恋している明恵さんに惹かれている部分もあるのだろう。恋して去られるのはつらいが、自分の側にいて恋をしている分にはしかたない、その妻の輝きを受け止めるくらいの度量がなくてはいけない、と自分に言い聞かせている部分も、なくはないのではないか。

 夫婦というのは、当事者でないから分からないところが多い。ひょっとしたら、当事者にも分からない面もあるかもしれないと思うほどだ。

 私の友人にも、妻が他の男と恋をしているのを黙って見守っている夫がいる。夫はやはり一回り以上年上。彼は、妻が自分にすべてを話してくれるのであれば、外で恋愛することを認めていると断言する。

「僕は彼女が幸せならそれでいい」
 と彼はしょっちゅう口にする。

 彼女の歓びは、そのまま彼の歓びでもあるそうだ。そこに嫉妬の感情はまったくないという。

 ただ、彼女は彼が他の女性と恋愛することを、心地よく思っていない。だから、彼自身は、他の女性とデートすることもほとんどない。

 彼らは、互いに家庭がありながら恋に落ち、ふたりとも家庭を捨てて一緒になった。だからこそ、彼は「彼女の好きなようにさせてあげたい」という気持ちが強いのかもしれない。

 明恵さん夫婦も、もしかしたら、そんな夫婦関係を築いていくのだろうか。
 カップルにはその数だけ形がある。
 どんな形でも、ふたりが納得して認め合っていれば、それは幸せと言えるはずだ。

つづく 第三章 さまざまな恋の形