夜の夫婦生活での性の不一致・不満は話し合ってもなかなか解決することができずにセックスレス・セックスレス夫婦というふうに常態化する。愛しているかけがえのない家族・子どもがいても別れてしまう場合が多いのです。

 トップ画像

女性たちの意識の変化

本表紙 亀山早苗著

女性たちの意識の変化

 出会う場所が増えたことと同時に、やはり「恋愛」に関する価値観が変化したことも大きいだろう。もちろん、誰も公に「結婚していながら恋愛することがいいことだ」とは言わない。倫理的に行けないという意識はもちろん、もっている。それでも、世間的には「フリン」とカタカナで書かれるほど軽くなり、「いくつになっても恋愛することは、決していけないことではない」ような風潮がなんとなしに、はびこっている。

 私自身は一貫して、不倫を勧めもしないし、かといって断罪もしないという立場だが、いつの間にか世の中では、「恋愛と結婚は別」という認識がまかり通るようになってしまった。

 個々の女性たちは、みんなそれなりの罪悪感をもってはいるし、危ない橋を渡っているという認識もあるのだが、それでもその罪悪感は、姦通罪があった時代のような切羽詰まったものではない。その裏には、やはり「既婚者の恋愛」に対して、事件にならない限りは、世間がなんとなく寛容的だという実感があるのだろう。

 そしてもうひとつは、家族観の変化も見逃せない。離婚の増加には歯止めがかからない状態だ。恋愛している多くの女性たちも若ければ若いほど、「今は子どもが小さいし、夫のことも嫌いなわけじゃないから、離婚はしないけれど、将来はわからない」と言う。

 就職先が一生の勤め先でなくなるのと同様、結婚も永遠のものとは思っていないのかもしれない。「子どもが大きくなるまでの仮の住まい」、もしくは言葉は悪いが「保険」のようなものと感じている女性も多いような気がしてならない。

もし、今の恋人といずれ一緒になれるときがきたら離婚する、だが一緒になれなければ今の夫と生涯、連れ添いながら恋愛は続ける。そんな希望を持っているのではないだろうか。それだけ、「結婚と恋愛は別」という意識が根付いているとも言えるだろう。その良し悪しは別として。

 女性たちの意識の底辺に、そういった時代的風潮からくる価値観が潜んでいることは否定できないと思う。時代の波というのは、人間の意識に大きく影響するものだから。

 さらには、セックスがカジュアルなものになったことも、もちろんひとつの要因だろう。これはセックスの価値が下がったということとは違うと思う。かつては、お互いの気持ちが最高潮に達したところで「結ばれる」のが普通だった。だが、今はもう少し気持ちの沸点が低いところでもセックスの関係を持ってしまう。それによって、さらに気持ちが高まってくればつきあいは続く。

 セックスが男女のある意味での行き着く先であった時代は終わり、好意を抱いている相手なら、「とりあえず」してみてから、先の展開を考える、というふうに変わってきているのだ。セックスの相性もまた、関係が続いていくかどうかの大事な要素になっている。そういう意味では、セックスの価値が下がったともいえるのだろう。女性たちが、セックスに関して、正直になってきたのだ。

 既婚女性の恋愛がなぜこれほどまでに増えてきたのかを考えると、そういう時代的風潮を含めたもろもろの要素が反映しているとしか、言いようがない。良くも悪くも、結婚しても「誰かの私」ではなく、「私は私」という個人としての考え方が、完全に定着してきているのではないだろうか。

 夫婦関係が希薄になっている?

 本来、家庭に対する責任は、男女とも同じくらいの重さがあるはずなのだが、おもな家計の担い手が男性であるせいか、「男は外、女は内」という従来の感覚が誰も頭の隅に残っているせいか、どうしても女性に重みが偏りがちだ。子どもがいればなおのこと。

 だから家庭のある男性が、外で恋愛に走るより、既婚女性の恋愛のほうが非難されやすい。世間が寛容になったとはいえ、たとえば身近な友人や親などから非難されるとしたら、女性により強く、その矛先は向けられるだろう。結婚していて、大事な家族がありながら、なぜ女性が恋愛などするのか、と怒りを抱く人もいるましてや「母親なのに」と――。子どもを教育する立場にあるべき存在の母親が、夫以外の他の男にうつつを抜かしていていいのか、という気持ちは私にもわかる。そして、恋愛している既婚女性たちの葛藤もそこにある。

 だが、子育てや家庭に対して、もし夫が自分と同じ目線で考え、悩んでくれていたら、それでも妻たちは恋愛に走るだろうか。

 これは、「結婚と恋愛は別」という考え方とは矛盾しているように聞こえるかもしれない。だが、「結婚と恋愛は別」と女性が考えるようになる背景として、夫への底知れぬ不信感があるような気がしてならない。のだ。そもそも、結婚する時点で、女性は「恋愛の行く着く先」として結婚を選んでいることが多い。それなのに、結婚生活を続けていく中で、「やっぱり結婚と恋愛は別」と気持ちが変わっていくのは、結婚生活に対する不満や夫への不信感が出てくるからではないのか。

 現状に不満はないけれど恋愛してしまう、と言い切る女性であっても。もし夫を男として愛しきっているなら他の男性に目が行くことはないはずだ。認めたくなくてもそこには潜在的な不満がある。だが、もっといえば、結婚生活の中で配偶者になんら不満がないなどということはあり得ないはずで、だからこそ、誰もが「婚外恋愛予備軍」し言うしかない現実が見えてくる。

 女としての危機感

 夫への不満の最たるものは、「女として見てくれなくなった」ということだ。これは言い換えれば、自分自身も夫を男として見られなくなったということでもある。

「あんなに好きで結婚したのに、いつの間にか夫から女として見られなくなった。それは寂しいんですよね」

 山本佳奈さん(三五歳)はそういう。五歳年上の男性と大恋愛の末、結婚して十年、八歳の長女がいる。

 ところが、つい三ヶ月前、高校の同窓会で初恋の相手と再会、お互いに家庭がありながら恋愛関係に陥ってしまった。その背景には、夫から女として見られなくなったということがあるという。女として見られなくなったということは、具体的にどういうことなのか。セックスがなくなったということなのだろうか。

「いえ、夫との間に、セックスの関係はあるんです。だけどそのやり方が…‥。夫は自分の欲求があるときだけ、私のベッドに潜り込んでくる。それで私のパジャマの下だけ脱がせて、自分も下半身だけ出して、前戯なんかほとんどしないで挿入してくる。

酷いときは、自分の指にツバをつけて、私のアソコを濡らして入れてくるんです。そんなので感じるはずないでしょう? 私は早く終わればいいなと思いながら体を貸しているだけ。ここ数年はずっとそんな状態です。実は、まだ娘が赤ちゃんのころ、夫が求めてきても、私はその気になれなくて断り続けていた時期があるんです。

あるとき、夫はイライラした様子で、『すぐ終わるから』って、私の口にまず自分のペニスを突っ込んで、濡らした状態にしてから、いきなり挿入してきた。それ以来、そんなセックスが定着してしまったんです。

最初はあまりのことに泣きましたけど、私もいつしかそれに慣らされて‥‥。早く終わればいいと思うようになった。本当はずっと虚しかった。だけど、今さら時間をかけて、という気にもなれない。道具として扱われている間に、自分の欲求も枯れていった。女としてもう終わりなのかなあって思っていたんです」

 同窓会で彼に再会したのは、そんなときだった。
「当時、お互い好きという気持ちは確認しあっていました。でもたまに手をつなぐ程度で、キスもせずに卒業して、それっきり。再会してみると、彼はすごく男っぽくなっていて、どきっとしました。同窓会が終わりに近づいたころ、彼が私のそばにきて、耳元で『二次会に行かないで、ふたりだけでどこかに行かない?』って。

ちょっとくらくらしました。そんなふうに耳元でささやかれて、『ふたりだけで』なんて言われて‥‥。それに夫に二次会に行くから、少し遅くなると電話して、彼と二人でホテルに行ってしまったんです」

 「女」が目を覚ますとき

 女は求められると弱い。自分の中の「女」が目を覚ますと、後先を考えないところがある。
「ホテルに行って彼に抱きしめられても、まだこれが現実だと思えないところがありました。正直言って、そのときは夫のことも子供のことも、頭から飛んでいましたね。彼にキスされて、そのままベッドになだれ込んで、あとは我を忘れて…‥。夫とのセックスとは違って、彼は丁寧でした。今思えば、大好きだった人と卒業して十五年以上たって、こんな関係になっているということに興奮していのかもしれません。

恥ずかしいほど塗れてしまって‥‥。私、自分があんなにセックスに夢中になれるとは思っていなかった。夫にはしたくないようなことまで、彼にはしてしまいました」

 佳奈さんはそう言って、真っ赤になってうつむいた。もともと、オーラルセックスはあまり好きじゃなかったという。それなのに、そのときは彼のペニスを抵抗なく口に含んだ。夫には強要されても、いつもおざなりにすませているのに、彼のときは自らそうした。彼の反応をみたくて、咥えたまま、彼の顔を上目遣いで見た。そうしながら、自分の中の「色気」を自ら感じてしまったという。

「その日、家に帰って夫の顔を見たとき、初めて、『いけないことをしてしまった』と感じました。夫に男として不満があっても、夫として父親としては、決して悪い人ではない。浮気もしないし、娘にはべたべたのいいお父さんだし。それなのに私は、夫を裏切ってしまったんだ、と思いました。でも、だからといって彼との関係は断ち切れない、ともわかっていた」

 彼とは月に一、二回の頻度で会っている。彼と会うようになってから、夫への不満も薄れてきた、と佳奈さんは言う。

「夫は相変わらず、月に数回、自分がしたいときだけセックスをしかけます。でも私、以前なほど不満じゃないんです。夫とは一緒に家庭を上手くやっていければそれでいい。女としての私は、彼との関係で満たされているから。そう思えるようになってから、心の奥のほうにあった、もやもやとしたものが消えてしまいました」

 多くの女性たちが、佳奈さんと同様の言葉を口にした。「夫とはうまく家庭をやっていければいい。女としての自分は彼で満たされている」と。

 どんなに情熱的な恋愛をしても、結婚して数年経つと、そのころの新鮮な情熱は消えていく。もちろん、穏やかな家庭としての愛情は育っていくのだが、人間は強烈なものに対する未練が強いから、自分の中に相手への強い情熱が消えていったことを切なく感じているものだ。

 さらに女性は、出産後はたいてい性欲を失っている。二十四時間、自分を必要とする赤ちゃんに、どうしても気を取られる。こんな小さな子が、本当に無事に育つのだろうかと不安は、母親ならではのもので、なかなか夫と気持ちを共有できない。

自分の分身として子どもを見ている女と、どこか客観的な男との違いだろう。心身ともに疲れている時期に、夫からセックスを求められても、そこには没頭できない。いきおい、「体を貸す」感覚に陥る。その時期が長くなると、女性の方は性の喜びから遠ざかり、女として枯れてしまったという自覚を持つようになる。

 そんなとき、新しい男性が、あるいはかつて好きだった男性が出てきて、独身時代のように自分を褒めそやしてくれる。半信半疑ではあっても、女は称賛されると自信を取り戻す。

「誰かひとりでもいい。自分をまるごと認めて褒めてくれる人が欲しかった」
 と切実に訴えた女性もいる。

 女性たちかよく聞くのは、「恋を失ったら、その心の穴は恋でしか埋められない」という話だ。これは独身女性だけの話ではないだろう。結婚生活は、いわば失恋状態と言っても過言ではないのかもしれない。

 はたから見たら、女性たちが、「女としての危機感」を抱いているとは思えないだろう。だが、ごく普通の家庭を営んで、「明るい奥さん」「楽しいお母さん」と言われている女性の気持ちの奥底には、そんな「女としての焦燥感」が眠っているものなのだ。

 夫婦は、なぜ「男女」でいることが難しくなってしまうのだろう。もちろん、ときめくような恋愛感情は、長続きしない。夫婦は、家族としての結びつきが強くなると同時に、男女としての感覚が薄れていくという宿命を抱いているかのようだ。

 おたがいを異性として意識できなくなったとき、外には恋愛という名の甘い罠が待ち構えている。

 つづく 第二章 恋と家庭との狭間で