ヒナの中に眠っている優しさを思う。たとえ打算にまみれていても、傷つき、打ちのめされた者だけが持ち得る、たとえようのない優しさが彼女にはある。抱き合ったときの温もりが蘇(よみが)ってくる。

 本表紙 草凪優 著

第五章 舐めあう傷

残ったのは後悔ばかりだった。
 エリカは文句なしの美人だ、キャバクラ嬢としてはかなり高いランクに属するルックスの持ち主であることには間違いない。抱き心地だって悪くなかった。男を見下ろした高慢な態度に苛立ちながらも、夢中になって腰を振りたててしまった。
 それでも彼女の中に最後の一滴を漏らしおえ、射精の余韻が過ぎ去っていくに従って、言いようのない違和感が込み上げてきたのも、事実だった。

 俺はもっと抱き心地のいい女を知っている、身も心も蕩けるようなセックスのできる相手いる、という抜き差しならない感情が頭をもたげ、
「ねえ、すごくよかった。こんなに良かったのは初めてかも、泊まっていって‥‥」
 腕を絡めてきて囁くエリカを残して、すごすごと逃げ帰ってきてしまった。
 エリカは男の征服欲を刺激してくる女だった。モデルのように挑発的な体を四つん這いにして後ろから突き上げる快感は、男の攻撃本能を存分に満たしてくれた。
 しかし、男を包み込んでくれるものが足りない。
 優しさが見当たらない。
 アパートに戻ったのは夜中の三時過ぎで、四畳半を覗くとヒナは寝ていた。
 掛け蒲団を抱き枕のようにしてしがみつき、脚まで折り曲げて股に挟んでいる。地味なページュ色のショーツに包まれた丸い尻を露わにして、くぅくぅと寝息をたているその姿は、もうすぐ三十になる女とは思えないほど子供じみていた。身体を売って生きている商売女にしては、寝顔に罪がなさ過ぎた。

 まるでどこから流れて来て、河原に打ち上げられたボロボロの縫いぐるみだな、と失笑がもれる。可愛いくせに、取り返しのつかないダメージを負ってしまって、誰かにらも本気で愛されることはない。
 憐(あわ)れだった。ボロアパートの四畳半でひとりで寝ているバンツ一丁のソープ嬢など、憐れに決まっている。
 だが、どういうわけか失笑は続かず、胸が熱くなっていく。
 この女を愛しいと思う頼りない感情と、愛しいなどと思ってはいけないという固い意思が、同時にこみあげてきて、胸の中で火花を散らした。

 ヒナの中に眠っている優しさを思う。たとえ打算にまみれていても、傷つき、打ちのめされた者だけが持ち得る、たとえようのない優しさが彼女にはある。抱き合ったときの温もりが蘇(よみが)ってくる。
 見つめていると本当に涙が出そうになってしまい、矢代は慌てて襖を閉め、台所で顔を洗った。

 その翌日のことである。
 矢代は昼間にペットフードの工場へワンボックスカーを走らせた。
 商品を取りにいくためだ。
 前夜レイコと飲み歩いていた大倉はそのまま六本木のラブホテルに泊まったらしく、戻るのは夕方になると連絡があった。
 工場に発注する商品の量は当初の十倍まで跳ね上がっていたので、かつて渋面(じゅうめん)で引き受けていた先方もホクホク顔で迎えてくれ、出前の寿司までご馳走になってしまった。

 とはいえ、ただでご馳走になったわけではない。先方には先方の思惑があった。これほど順調に売り上げが伸びているのなら、正式に会社を立ち上げてみてはどうか、というのだ。もっと本腰を入れて本格的なプレミアム・ペットフーズを開発すれば全国ネットの商売も夢ではなく、そのための協力は惜しまないという。

 大倉にも似たようなことを言われたが、矢代はこのモンキービジネスをいつまでも続けて行くつもりはなかった。期待はできれば半年、長くて一年。
 しかし、そんなことを正直に伝えてしまっては相手もやる気をなくすだろうから、無下には断れない。のらりくらりと矛先をかわしているうちに話は長引き、アパートに戻ってきたのは午後遅くなってからだった。

 いつもの空き地に駐車しようとすると、先客がいた。見かけない車だった。黒塗りのメルセデスベンツが、異様な存在感を放って停まっていた。この街にこれほど似合わない車もそうはないだろう。

 矢代がワンボックスカーを路上に停めてドアを開けると、メルセデスもドアを開けて、男三人、降りてきた。呆然としている矢代を、あっという間に取り囲んだ。それまでの人生で関わったことのないのに、ひと目で極道と分かった。眼つきの鋭さが尋常ではなかった。
「矢代か?」
いちばん貫禄のある。兄貴分らしき男に尋ねられた。訊ね方は素っ気なく、ドスをきかされたわけではないが、矢代は完全に顔色を失った。晩秋の冷たい川風が吹いているのに男は白いワイシャツ一枚で、両腕と双肩にまがまがしい刺青を透けさせていた。
「矢代だろう?」
「‥‥そうですが」
「ちょっと顔か貸してくれ。大倉は先に事務所にいっているから」
 有無を言わさずメルセデスの後部座席に押し込まれた。逃げ出すどころか、理由を訊ねることも出来ななかった。あまりの恐怖に身がすくんでなにもできない。
 事務所に連れて行かれた。

 六本木のはずれだったのでかなりの長い時間車に乗っていたことになるが、頭の中が真っ白になって、後部座席で身をすくめているうちに到着した。極道の事務所に連れていかれる――それがどういうことなのか考えれば考えるほど恐ろしくなり、思考が凍りついたように固まってしまった。

 路地裏にある地味な雑居ビルの三階に、彼らの事務所はあった。
 扉を開け、中に押し込まれた瞬間、矢代の眼に飛び込んできたのは、リノリウムの床に正座させられている大倉だった。ジャケットもシャツもビリビリに破かれ、青紫色に腫れた顔は両目がほとんど塞がっていた。

 組の若い衆だろう。まわりを四、五人の男たちに囲まれていた。みんな少年と呼んでいいほど若かったが、坊主頭に原色のジャージ、体型はずんぐりむっくりとして、あからさまに暴力の匂いを漂わせていた。矢代の歯はガチガチと鳴りだした。
「おいっ、誰がそんなにしろって言った」
 白いワイシャツの男が言い、
「すいません!」
 若い衆のひとりが深く腰を折って頭をさげた。
「こいつが逃げようとして暴れるから、ちょっと大人しくさせたんです。こっちだってやられたんですよ」
 坊主頭にできた生々しい瘤(こぶ)を見せた。
「ったく、しようがないねえなあ。ああ、心配しないでいいよ。べつに痛い目に遭わせようと思って連れて来たわけじゃないから」
 白いワイシャツの男は矢代に言い、ソファに促した。相対して腰を下ろすと、名刺を差し出された。和紙に代紋が箔押(はくお)しされ、墨筆調で峯岸和夫と刷られていた。
「兄さんもこっちに来て座わんな」
峯岸は大倉にも声をかけた。動かなかったのか動けなかったのか、大倉は反応を示さなかったので、若い衆に引きずられるようにして、矢代の隣に座らされた。
 相対した峯岸は背が高い瘦せ形で、頬のコケた顔に無精ひげを生やしていた。眼が糸のように細く、けれども眼光は異様に鋭く、蛇かトカゲを彷彿(ほうふつ)とさせた。
「兄さんたち、ずいぶん派手に儲けてるらしいじゃねえか?」
 峯岸が言った。その後ろには、メルセデスに乗っていた他の二人とジャージ姿の若い衆が、これ以上なく不愉快そうな顔で立っている。
「キャバ嬢に、馬鹿高いペットフード売りつけてんだって? え?」
 若い衆からペットフードの袋を受け取った。矢代たちが売っていたものだ。峯岸は乱暴に封を切ると、中身をテーブルにぶちまけた。

「こんなもん、プレミアムでもなんでもねえだろう? ひと袋三万は無茶苦茶だ。知り合いの獣医に確認したら、原価で千円ちょっとだろうって言っていたぞ」
 要するに‥‥と矢代は胸底で呟いた。
 彼らは自分たちの縄張りで断りもなくインチキな商売をしていることに半畳(はんじょう)を入れたいらしい。面子を潰されたと怒っているのかもしれない。失敗したと思った。世間の裏側で商売するなら、恐るべきは税務署や警察よりヤクザだったのだ。

「しかし、まあ、アイデアそのものは素晴らしいよ。うちの若い衆に見習わせたいくらいだ。犬猫の餌なら一回売ってハイお終いじゃねえ、継続的な客になる。シャブみたいになあ…‥」

 若い衆たちに意味ありげに視線を交わし、口の端だけで笑った。
 峯岸は続ける。
「兄さんたち、極道がどうやってシャブ捌いてるか知ってるかい? 自分じゃ売らないよ、もちろん。事務所に金持ってきたって売れっこない。プッシャーっていう売人がいるんだ。そいつらももちろんシャブ中なんだが、自分がシャブ喰う金稼ぐために、一生懸命小売する。俺たちは黙って待ってりゃ金が入って来るわけだ。わかるかい?」

 矢代は曖昧に頷いた。何を言っているのかは分かったが、なぜそんなことを言っているのかがわからなかった。
「つまりこのペットフードもな‥‥」
 峯岸はテーブルにぶちまけた餌を手のひらにすくい、ザザッと落とした。
「キャバ嬢同士でやり取りさせればいいんだよ。マージンを増やして小売店化するんだ。で、親のキャバ嬢が子のキャバ嬢に卸していく。親は売るほど儲かるから、どんどん子を増やす。子だって馬鹿高いペットフード買うために、ちったあ儲けたい。まわりに勧めて子をもつようになる。キャバ嬢は店をよく移るから、横のつながりが結構あるんだ。裾野はどんどん広がっていくだろうな。六本木だけじゃなく、新宿、池袋、銀座‥‥」
「それって‥‥」
 矢代は思わず口を開いた。
「ネズミ講、ってことですよね?」
「なあんだ」
 峯岸は初めて相好を崩した。左右の口角が裂けていそうなほど口が大きく、すべての歯が真っ黒だったので、笑った方が恐ろしい顔になった。

「燃費の悪い商売してるわりには、あんた馬鹿じゃねえんだな。そうだよ、ネズミ講だよ。頭のユルくて金だけ持っているキャバ嬢引っ掛けるにゃあ、またとないネタってわけさ。うん。あんたたちの考えた犬猫ビジネスは」
 矢代は震える声を絞った。
「そんなやり方で大々的にやっちゃったら‥‥警察が黙ってないかと‥‥」
 峯岸は薄ら笑いを浮かべてそっぽを向いた。タバコを咥えると、若い衆がさっとライターで火をつけた。紫煙を吐き出しながら、峯岸はなにも言わない。都合の悪い事には答えないというあからさまな態度に、矢代はそれ以上言葉継ぐことができなかった。

「ちくしょうっ! ふざけやがって‥‥」
 大倉はアパートの畳を毟(むし)っていた。毟っては窓から投げてはしっこく毟りつづけた。畳に穴が空き。指先に血が滲みだしても、止めようとしなかった。
「ちくしょうっ! ちくしょうおおおおおっ!」
 窓の外の空は、夕焼けのオレンジ色に染まっていた。
 そろそろ視界も覚束なくなり、先ほどまでグラウンドで野球をしていた少年たちの声ももう聞こえない。
 矢代は壁に持たれて溜息ばかりを何度もつき、ただ呆然と、正気を失ったように畳を毟っている男を眺めていることしかできなかった。
「なんなんだよ。まったく。いくらヤクザだからって、こんなやり方ってありかよ‥‥ただの盗っ人、かっぱらいじゃねえか‥‥」
 
 大倉はほとんど塞がった両目の下から、痛恨の涙を滲ませた。青紫色に腫れた顔が憤怒のあまり赤紫色になり、針で突いたら勢いよく血が噴射しそうだった。
 怒り狂うのも当然だろう。

 ふたりはプレミアム・ペットフードの商売から手を引かされた。顧客データを携帯電話ごと奪いとられ。今日仕入れて来たばかりの在庫商品も、たったいま若い衆に根こそぎ運びだしていったところだ。
 そうするしかなかった。
 峯岸は最初、「俺がケツもってやるから、仕切ってみる気はないか?」と言って来た。
 マルチ商法のネズミ講を、だ。報酬はいままでの儲けの倍、とも。
 しかし、本格的にネズミ講に手を染めるのなら、リスクは今までの一千倍、一万倍だ。警察に踏み込まれとき、スケープゴートにされることは火を観るより明らかだった。いや、最初からその目的で雇われると言っていい。ヤクザ者でもないのに、組織の盾になって塀の向こうに落ちるのである。
「それだけは勘弁してください」
 それまでひと言も口を利かなかった大倉が、突然土下座してリノリウムの床に額をこすりつけた。懸命な判断だと、矢代もそれに倣(なら)った。

 万が一、峯岸は警察沙汰を回避する利口さがあったとしても、ヤクザに弱みをつかまれば、その後は一生闇から浮かび上がれないだろう。ペットフードのネズミ講どころか、覚醒剤の売人だってやらせられるかもしれない。
 そんなことになってしまえば、下獄どころか命すら危ない。つい最近も、眼の前の川で覚醒剤の売人らしき男の水死体が上がったばかりだった。

 一週間が過ぎた、
 矢代は日がな一日アパートの部屋でゴロゴロし、陽の高いうちから酒を飲んでいた。以前のヒモ暮らしに戻ってしまったからといって家事に勤(いそ)しむ気力もなく、指一本動かすのも面倒だった。
 ことの経過を聞いたヒナは、
「でも、よかったよ。ヤクザにしつこくつきまとわれなかっただけでも、ラッキーだったって思わなくちゃ」
 さめざめと涙を流しながら言った。
 たしかにそうだったが、なんの慰めにもならなかった。地獄からの脱出口が、再び強固に塞がれてしまったのだ。この二ヶ月ばかりの儲けを、矢代と大倉とレイコは三人で山分けした。濡れ手に粟で儲けていたつもりが、ひとり頭百万円ほどにしかならなかった。新しい商品を現金で大量に仕入れたばかりだったのが痛かった。
 矢代は金をすべてヒナに渡した。
 
 最初からそのつもりだったので、借金を返す足しにしてくれと言った。
 ヒナは驚いて、もちろんさ最初は断ったが、矢代が頑(がん)として引かなかったので、「ありがとう」と涙ながらに受け取った。
 おかげで、昼間から酒を飲んでゴロゴロしていても嫌味のひとつも言われない。
 ヒナは元々嫌味など言うタイプではなかったが、炬燵に根が生えたように動かない居候を尻目に、いそいそと家事に勤しんでいた。
 馬鹿なおふざけも、情事の誘いもしてこなかった。
 ただ、いかにも物々しく、腫れ物に触るような態度で接してきてなにかにつけて顔色をうかがわれるのが鬱陶(うっとう)しく、苛立ちを誘った。それでも矢代には、文句を言う気力もなかった。

「…‥まだ元気出ない?」
 濡れた洗濯物を胸に抱えたヒナが、窓に行く通りがかりに声をかけて来た。
「もう一週間も経ったんだから、そろそろ元気になっても‥‥」
 炬燵で飲んでいた矢代が、アルコールで濁った眼で睨みつけると、
「ご、ごめんなさい」
 ヒナは大仰(おおぎょ)に身をすくめて濡れた洗濯物を抱きしめた。
「わたし今日は休みだから、お料理頑張っちゃうから、あ、でも矢代さんくらいの年の人って、煮物とか好きなのよね? 肉じゃがとかキンピラゴボウとか。でもわたしのレパートリーは、カレーかハンバーグなんだけどそれでいいかな? カレーだったら、鶏肉と豚肉のどっちが好き?」

 どっちだっていいよっ! と怒鳴ってしまえば、少しは気が楽になっただろうか。
 ヒナは眉根を寄せた心配そうな表情で言葉を継いでいたが、嬉しさも隠しきれなかった。矢代が家事を放棄するようになったことさえ、なんだか嬉しそうだ。
「おまえさあ‥‥」
 矢代はため息交じりに言った。
「なんか調子に乗ってない? だいたい、なんだよそれ?」
「えっ? なんだって?」
「そのエプロン」
 ヒナは胸当てのついた真新しいレモンイエローのエプロンを着けていた。二、三日前に買ってきて、家にいるときは必ず着けている。
「だって。これは‥‥矢代さんが落ち込んでるし、わたしが家事を頑張らなくちゃって、意気込みをこめて…‥」
「鬱陶しい」
 矢代は吐き捨てるように言った。
「おまえ、本当は、ペットフードの商売がダメになって嬉しいんだろう? 自分が仲間はずれみたいになっていたから」
 それに加え、金を稼がなければ、矢代はいつまでもこの部屋にいる。母性本能とやらを遺憾(いかん)なく発揮できる。
「違うよ」
「違わない」
「…‥そんな意地悪言わなくてもいいじゃない」
 ヒナは涼し気に童顔を歪め、
「わたしだって、精一杯矢代さんの力になろうと思っているんだから」
「そうかね?」
「そうよ。矢代さんが元気になってくれるなら、裸エプロンだってなんだってするよ」
「…‥アホか」
 矢代は炬燵の中から寝転び、ヒナに背中を向けた。
「似合わないよ、おまえには」
「どうしてよ。やってみなくちゃ分からないじゃないのよ」
「わかるよ、そんなこと」

 眼を閉じて想像してみた。ヒナが裸になってレモンイエローのエプロンを着ければ、たしかにたまらなくエロティックな姿になるのだろう。豊かな乳房が胸当てを盛り上げ、くるりと回転すれば白桃のような尻がまる見え。こんなボロアパートでなければ流しに両手をつかせて、後ろから挑みかかりたくなるに違いない。

 だが、裸エプロンが象徴しているものは新妻であり、家庭だった。幸福感と欲情がいい具合に溶け合って男を興奮させるもので、ソープ嬢とは正反対の位置にあるものだ。
「わたし、可愛い奥さんになれないかなあ‥‥」
 ヒナのつぶやきが、苛立ちを誘う。

「いちおう将来の夢は、お嫁さんなんだけど、無理かな‥‥」
 矢代は背中を向けたまま黙っていた。口を開けば怒声をあげ、口汚く罵(ののし)ってしまいそうだった。苛立ちの原因はヒナではなく、自分の無力ぶりにあった。そんなことはわかり切っていたが、ヒナの態度に無性に苛々してしまう。夢がお嫁さんなんて、場末のソープ嬢がよく言える。
「あのう‥‥カレーのお肉はチキンとポークのどちらがいいでしょうか?」
「カレーはいい」
 矢代は背中を向けたまま言った。
「食欲ないからそうめんでも茹でれば。それより、買い物行くなら酒買って来てくれ」
「…‥分かった」
 背中を向けていても、ヒナが肩を落としたのがはっきりと伝わってきた。
 ガタガタと戸を開ける音が聞こえてくる。
 夏の終わりには汗を冷ましてくれる川風だが、冬になると逆だった。師走(しわす)に入ったところから昼でも凍えるほど冷たくなった。窓から木枯らしが吹き込んできて、矢代はたまらず首まで炬燵に潜り込んだ。
 ガタガタと隣の窓が開く。
「あ、大倉さん、寝てなくていいんですか?」
 ヒナが言い、
「もう大丈夫だよん」
 大倉がおどけて答えた。ヤクザに暴行を受けた彼は、それが原因で熱を出し、この一週間寝込んでいたのだ。
「ヒナちゃんが洗濯物干しているの、珍しいね。矢代さんは留守かな?」
「炬燵に潜っています。蓑虫(みのむし)みたいに」
「ちょっと呼んでもらえる?」
 ヒナが振り返り、矢代は起き上がって窓から顔を出した。
 大倉とまともに顔を合わせるのは一週間ぶりだった。戦友に再会したような懐かしさと、妙な照れくささが交錯(こうさく)した。塞がっていた両目は元に戻っていたが、目尻や唇に暴力の痕跡がまだわずかに残っていた。
「酔っぱらってふて寝ですか?」
「まあね」
 お互いに苦笑する。
 矢代の精神的ダメージも大きかったが、大倉のほうはその比ではないだろう。ヤクザの事務所で寄ってたかって痛めつけられたことに加え、レイコが六本木の店を辞めざるを得なかったからである。
 峯岸の事務所が六本木にあり、これから逮捕も辞さないネズミ講に手を染めようとしているのだから、逃げ出さなければ危なかった。とはいえ、レイコは店に借金がある。矢代は水商売の門外漢だから詳しい事情はわからないけれど、新しい店に立て替えてもらうにしろ、この不景気では条件のいい移籍先もそうそう見つからないのではないだろうか。大倉の看病もあったのだろうが、この一週間はずっと隣の部屋にいたようだった。

「ようやく酒が飲めそうになったんで‥‥」
 大倉は乾いた笑みを浮かべて、腫れの残る頬を撫でた。
「あとで銭湯に行きませんか? 一番風呂で身を清めて、バアッと飲みましょう」
「暴れだしたりしないでくれよ」
「ハハハッ、大丈夫ですよ。この悔しさを共有できるのは、矢代さんしかいませんから。矢代さんには八つ当たりしません」
「頼むぜ」
 もう一度、顔を合わせて苦笑を交わす。
 悪い気分ではなかった。会社が倒産に追い込まれたとき、最後まで残ってくれた従業員はいなかった。もちろん、給料が払えなくなったので辞めてほしいと言ったのは矢代だったが、最後までつきあってくれと懇願しても残ってくれなかっただろう。挫折や敗北を共有できる仲間がいるのは悪くない。
 ところがそのとき、
「あのう‥‥」
 ヒナが二人の間に割って入り、大倉に向かって言った。
「どうせだったら、銭湯じゃなくて温泉に行きませんか? ほら、温泉の方がお湯がいっぱいあるし、嫌なことを洗い流すにはぴったりじゃないですか? レイコちゃん誘ってみんなでいきましょうよ、温泉!」
 この寒いのに相変わらずミニスカートを穿いているヒナは、「温泉! 温泉! 」とはしゃぎながら、腰を振って踊り出す。
「何言ってんだ、おまえは」
 矢代は驚いてヒナの体をこちらに向けた。
「勝手なこと言うなって。なにが温泉だよ。俺たちにゃそんな元気は‥‥」
「元気がないときこそ行くべきでしょ、温泉なんて!」
「いいから向こうにいけ。洗濯物は俺が干しとくから…」
 矢代はヒナの背中を押し、追い払おうとしたが、
「温泉かあ‥‥」
 大倉が遠い眼をして呟いた。
「そういえばずいぶん温泉なんて行ってないなあ。行っちゃいますか、矢代さん。ほら、そういえば僕たち、ちょっとだけ懐が温かいじゃないですか」
「‥‥ホントかよ?」
 矢代は苦々しく顔をしかめた。大倉には、山分けした金を全部ヒナに渡してしまったことを、まだ伝えていない。行きたくても金がないと言おうとすると、ヒナがセーターを引っ張り「まかせて」という笑顔で指を丸めてOKのサインを作った。

 まだ陽が高かったので、四人はその日のうちに温泉に向けて出発した。借りたままだったワンボックスカーに乗り込んで、北関東にある温泉地を目指した。
 大倉はともかく、レイコまでが同行を拒まなかったのには驚かされた。
 六本木の店を辞めてしまったので、仕事に行かなくてもいいという理由もあるだろうが、よほど気が滅入(めい)っていたのかもしれない。まったく口を利かず虚ろな眼つきで車窓の外を眺め、金髪を風になびかせている姿はいつも通りに無表情で、内面は窺い知れなかったけれど、いろいろと思うところがあるのだろう。ペットフードビジネスの言いだしっぺとして責任を感じているのか、儲け話がおじゃんになって落ち込んでいるのか、意欲的に働き出した大倉の思わぬ挫折に胸を痛めているのか、わからないが…‥。

 平日なので道は空いていた。夕暮れ前に目的地に着いた。
 ヒナが携帯サイトで予約した温泉宿は、真新しい和風旅館だった。最近改築したばかりなのだろう、新建材が目立っていささか、趣に欠けたけれど、矢代は文句を言わなかった。四十路(よそじ)前の中年男と違って、若い三人は温泉に鄙(ひな)びた風情など求めないようだったし、部屋が最上階の特別室だったからだ。べつに贅沢をしたかったわけではない。その部屋なら居間プラス寝室が二部屋あり、部屋食を四人で囲むことができるのだ。
 なんとなく、ヒナとふたりきりになりたくなかった。

 建物は真新しくても、渓流に面した露天の岩風呂には風情があった。夜の帳(とばり)がおりた中、ライトアップされて赤く燃える紅葉が鮮やかで、川のせせらぎが耳に心地いい。湯は柔らかく肌に馴染んで、いくらでも浸かっていられそうだった。
「来てよかったですね」
 大倉が柔和な笑みを浮かべて言う。銭湯の馬鹿熱い湯に浸かったときの、鬼の形相とは別人のようだ。
「誘ってもらってよかった。感謝しますよ」
「ああ、本当にいい湯だな」
 矢代も柔和な笑みで答える。
「急な誘いに乗ってきたんで驚いたけど、二人とも温泉が好きだったんだな‥‥」
「いやあ‥‥」
 大倉は苦い顔で首を傾げ、
「べつに特別温泉が好きっていうわけでもないんですよ。でも‥‥気分転換が必要だったんです。俺たちには」
「レイコちゃんも?」
「あいつがいちばんそうですよ」
 大倉は深い溜息をついた。
「この間まで働いていた六本木の店、それなりに居心地がいいところだったから、辞めたことがこたえてて…」
「悪いことをしたよなあ」
「べつに誰のせいっていうわけじゃないですよ。仕方がないって割り切るしかないんですけど‥‥あいつ、愛想がないでしょ?いつも無表情で澄ましてて。でも、本当は思いやりのあるいい女なんですよ。ただ、水商売を始めたばっかりのとき、いじめに遭ったらしいんです。あれだけのルックスだと、まわりの女の子からジェラシー買って疎(うと)んじられてから‥‥銀座のクラブで客が飛んだのも、同じ店のホステスが悪巧みして、あいつを嵌(はめ)めたっていう噂もあるらしくて‥‥一千万近く被されたんですから」
 矢代は眼を丸くした。
「水商売っていうのも、エグい世界だな」
「エグいですよ。それで結構性格が歪んじゃって。六本木の店に来たときも、年中揉め事起こしてて、ただ、手前味噌みたいな話でアレですけど、俺と付き合うようになってからずいぶん丸くなったんです。ボーイとデキてるって問題になりそうになったとき、庇ってくれた姐さんがいたのもあったし、仲間を大事にするようになって‥‥」
「だから、ペットフードもよく売れたんだ」
「そうです、そうです。それまではホント、先輩には突っかかるわ、できない年下の子はいじめるわ、めちゃくちゃだったんですから。店として期待してバンスまで出してるから、簡単には首にはできないし。あのルックスじゃなかったら、とっくに追い出されたような態度、結構とってましたからね」
「そうか‥‥」
 矢代は唸った。
「だったら、こたえるだろうね。ずいぶん」
「そうなんです。実は急に辞めることになったんで精算しきれない売り掛けもあったりして、早く次の店決めなきゃいけないのに、もう一週間もぼうっとしたまま‥‥この旅行で気分転換して欲しいですよ、ホント…‥」
 何度となく溜息をつく大倉の姿をみていられず、矢代は眼をそらした。やはり、人生の大問題はいつだって金だった。足掻(あが)けば足掻くほどその事実だけが浮き彫りになっていくようで、矢代は唇からも深い溜息がもれた。

 温泉を出ると宴会になった。
 ヒナは浮かれていた。
 予想はついたことだが、ともすれば口を噤(つぐ)んでしまいがちな他の三人に「いいお湯だったね!」「ほら飲んで」と酌(しゃく)をしてまわり、自分も童顔を真っ赤にするまで酔っぱらった。矢代としては大倉やレイコの神経を逆撫でしないかと気が気ではなかったが、トラブルもなく夜は更けていった。食事が終わり、もう一度湯に入り直してからも、居間に集まって浴衣姿で飲み続けた。失意と落胆と退廃的な気分が、温泉と燗酒(かんざけ)にゆるゆると溶かされていくような、そんな夜になった。

「よっぱらちゃいましたね」
 大倉が窓から眺めて呟いた。いささか飲み疲れたので、矢代とふたりでテーブルを離れ、窓辺の椅子に移動していたのだ。部屋の真下は渓流で、闇の中ライトアップされて光っていた。
「朝になったら、また露天風呂に行きましょう。眺めが綺麗ですよ、きっと」
「そうだな」
 矢代はうなずき、
「最初は温泉なんてと思ったけど、悪くない」
「でもなあ、商売がうまくいってりゃあ、勝利の打ち上げだったんですけどねえ。もっと豪華な温泉宿で、芸者でも挙げて‥‥」
 大倉が唇を嚙みしめ、
「やめよう、もう。その話は‥‥」
 矢代は力なく首を振った。
「また新しいアイデアを考えればいいよ。次はきっとうまくいく」
「そうですかねえ」
「そうさ」
 前向きなことを口にしつつも、矢代は自分で自分の言葉を疑っていた。
 次などあるのだろうか、と思う。なにをやってもダメなのではないか、という気分だけが心を支配していく。
 いまの世の中、いったんコースからはじき出されて底辺に沈んでしまえば、ちょっとやそっとじゃ浮かび上がれない仕組みになっているのだ。表の社会と同じように、裏社会にも既得権益層がいて、新規参入を認めない。生活を変えるためのタネ銭を、ちょっと稼ぎだすくらいのことも許されない。新しい世界で新しい生き方を探すなら、頭を丸めて雑巾がけからやり直す覚悟が必要なのだ。

 部屋の奥を見た。
 はしゃぎ疲れたヒナはすっかり静かになっていて、その前では、テーブルにもたれたレイコが手酌で酒を飲んでいた。意外にもうわばみだった。すっかり酔っているようで、抜けるような白い顔がピン色に染まり、浴衣の座り方も乱れている。
 淫らなほどに艶っぽかった。

 いつもは鋭利な刃物のような美しさを誇っている彼女も、温泉と日本酒によって潤い、艶出しされ、水も下たるいい女という風情だ。

 キャバクラではきっと、それなりの地位をもつ男たちが、何十万もの金を使って彼女を口説き落とそうとしていたに違いない。金では落ちないプライドを感じる。そういう女を自分のものにできているのだから、ヤクザに殴られた痕跡を顔に残している大倉も、人生の勝ち組と言えなくこともないのかもしれない。
「あのさあ‥‥」
 レイコが不意に、トロンとした眼をヒナに向けた。
「ちょっと質問してもいいですかあ?」
「んっ、なに?」
 居眠りしかけていたヒナが、背筋を伸ばした。
「ソープの仕事って、大変なの?」
「えっ‥‥」
 ヒナが驚いて眼を丸くする。
「そりゃあ、大変て言えば大変だけど‥‥」
「どういことをするの? サーヴィスとか」
「ソープなんかに興味あるのかな?」
 ヒナは戸惑って矢代や大倉のほうに眼を泳がせた。ふたりとも曖昧に首を傾げることしかできなかった。
「あんまり興味をもたないほうが‥‥いいと思うけど‥‥」
「いいじゃない、教えてよ。まずは一緒にお風呂入るわけ?」
「まあ‥‥そうかな」
「お客さんの体洗ってあげて?」
「うん‥‥」
「それから、なに? フェラ? ソープ嬢のフェラってすごそう」
「そんなこと‥‥ない、と思うけど」
 口籠ったヒナは、明らかに居心地が悪そうだった。レイコの口調にどことなく悪意の匂いが漂っていたからだ。
「ちょっとやってみて」
 レイコは人差し指を、ヒナに向かって突き出した。売れっ子キャバ嬢らしく、ゴテゴテした紫色のネイルアートが施かされた指だ。
「これをオチンチンに見立てて、舐めてみて」
「…‥なんで?」
 ヒナは苦々しく顔を歪めた。
「何でそんなこと‥‥」
「そりゃあテクニック向上のためよ。ソープ嬢から直々にフェラテクを伝授してもらえる機会なんて、めったにないじゃない」
 さっさと舐めてごらんなさいとばかりに、レイコは人差し指を躍らせる。
 ヒナの唇は屈辱に震えだした。
 同じポロアパートに住人とはいえ、六本木の高級キャバクラでナンバーに入っているレイコと、場末のソープ嬢のヒナでは女としての格が違う。職種は違えど、女を売る商売をしている者同士、彼女たちがいちばんそのことをわかっている。だから、十近く年下のレイコの虐めにも似た振る舞いに、ヒナは怒れない。蛇に睨まれた蛙のようになってしまっている。
「ほら、舐めてよ、フェラするみたいに」

 そろそろ寝ようか――と矢代は声をかようとした。さすがにヒナが可哀想だった。レイコはかなり酔っているようで、宴会をお開きにして、別々の部屋に別れた方がいいだろう。
 しかし、声を掛けようとした矢代を、ヒナが一瞥(いちべつ)で制した。
「じゃあ、ちょっとだけ…‥」
 痛々しい笑顔を浮かべて、サクランボに似た唇でレイコの指を咥えた。場を盛り上げたい、という心情がひしひしと伝わってきた。盛り上げるためなら、ピエロだってなるつもりらしかった。
「うんんんっ‥‥ぅんんんっ‥‥」
ヒナが眉根を寄せて指をしゃぶりたてると、
「それだけ? なんか普通だけど」
 レイコは侮蔑(ぶべつ)に彩られた瞳で、吐き捨てるように言った。美人というものは恐ろしい。
「ぅんんんっ‥‥ぅんんんっ…‥」
 ヒナは意地になったように、唇を動かすピッチをあげた。口の中に溜めた唾液ごと、じゅるじゅるっ、じゅるじゅるるっ、と卑猥な音を立てて舐めしゃぶる。レイコが緊張させた部屋の空気を、一瞬にして淫らな雰囲気に一変させてしまう。
「うわっ、すごっ…‥」
 レイコの瞳がにわかに光り輝きだした。
「これすっごく気持ちいい。さすがソープ嬢」
 おそらく口内で舌で使っているのだろう、と矢代は思った。いつもされているのだから、それくらいはわかる。
 しかし、みていられなかった。同性の指をさもおいしそうに舐めしゃぶっているヒナの姿は餌に食いつく金魚に似てさもしかった。さもしくないものをむさぼっているのかと言えば、十近く年下の女のご機嫌だ。さもしいと同時に、涙を誘いそうなほど惨めなだ。
「ああんっ、マジで気持ちいいっー」
 レイコはわざとらしくしなをつくって声をあげ、
「指でこれだけ気持ちいいなら、男の人は悶絶しちゃうんだろうなあ。ねえ、せっかくだから、実際にオチンチン舐めてるところも見せてよ」

 ヒナはさすがに表情を凍り付かせて、指をしゃぶるのをやめた。
「実際にって‥‥」
「矢代さんのオチンチン、いつも舐めてるんでしょう? それやってみて」
「レイコちゃん…‥」
 矢代はたまらず声を上げた。
 しかしレイコは矢代のことは一瞥(いちべつ)もせず、ヒナに眼を向けたまま言葉を繋ぐ。
「できないの?」
「それは…‥許して‥‥」
 ヒナはいまにも泣き出しそうな上目遣いで哀願した。
「ソープ嬢だからって‥‥そんなに虐めないで。ね?」
 いったいなんていう卑屈さだろう、矢代は思った。これほど侮辱されて、それでもなお上目遣いで哀願なのか? 場の雰囲気を壊したくないという気持ちはわかるが、そこまで媚(こ)びへつらう必要がどこにある?
「べつに虐めてないわよ。本当にソープのテクが知りたいだけなんだって」
 レイコはハッと苦笑し、
「わかった。それじゃあわたしがやってみるから指導してよ」
 立ち上がって窓際にいる大倉に近づいてきた。腕を取って畳に座るように促し、匂いたつ色気を振りまきながら、ぴったと身を寄せいった。

「お前…‥なに考えてんだよ」
 今度は大倉が表情を凍り付かせる番だった。
「いいじゃない? 舐めてあげるよ」
 レイコは淫靡(いんび)に微笑みながら、金髪をかきあげた。紫色のネイルに飾られた指を妖しく躍らせ大倉の頬を撫で、その手を首から肩、そして股間へとすべり落としていく。
「やめろって、なに馬鹿なことを‥‥」
「いいじゃないっ‥‥」
 レイコが怒声をあげて大倉を睨みつけたので、矢代は焦った。大倉がキレるかもしれないと思ったからだ。しかし、大倉はキレなかった。総毛を逆立てて怒り狂う猫のような形相のレイコに、気圧(けお)されてしまっている。

「わたし、借金返すために、今度からは枕営業だってしなきゃならないかもしれないんだから。ううん。下手したらソープに沈められるよ。わかるでしょ? バンスは雪ダルマなんだから。急に店辞めたから売り掛け精算させられて‥‥おかげで六本木に来てから減らした借金ほとんどパアでしょ? 百万ぽっち山分けしてもらったって、全然追いつかない。ちょっと景気悪くなったら、体でも使わないと間に合わないよ。ホント、ペットフードなんて、よけいなことするんじゃなかった…‥」

 大倉も言葉を返せず、矢代も絶句してしまった。
 レイコのアーモンド形の眼は深い絶望に縁どられ、それが酔った勢いでヤケの方向にはじけている。荒(すさ)みきった笑みを口許に浮かべて、大倉の股間をまさぐる。レイコの剣幕に気圧されてしまった大倉は、身動きもとれずただ息を吞むばかりだ。

 シュルシュルと帯がとかれ、浴衣の裾が捲られた。黒いボクサーブリーフがめくりおろされ、まだ女を愛せる形になっていないペニスが露出されると、
「おい‥‥」
 大倉はたまらず声をあげたが、その声はどこまでも弱弱しく、レイコの動きを止めることはできなかった。紫色のネイルの施された指が、ペニスをつまみあげた。レイコは指でつまんだ芯のない男性器と、強張りきった持ち主の顔を交互に見ると、四つん這いになって口に含んだ。
 矢代は動けなかった。
 大倉が恥辱(ちじょく)のうめき声をあげていることがわかっているのに、その場を立ち去ることができない。やわいペニスを舐めしゃぶっているレイコを横目で眺め、陶然(とうぜん)としてしまう。美しさはパワーであり、エネルギーだった。常識や道徳や仲間意識すらも破壊する強制力をもって、矢代の全身を金縛りに遭わせた。

「早く勃ててよ、勃つでしょ? こんなことしてあげるなんて、超珍しいんだから」
 レイコは金髪を振り乱してペニスをしゃぶったが、大倉の反応は鈍かった。屹立(きつりつ)していないペニスを愛撫する、猫がミルクを舐めるような音だけが部屋に響く。
「なによ?」
 レイコは憤怒(ふんぬ)し上気した顔をあげ、
「わたしも裸にならないと、興奮できないってこと?」
 自分の帯をシュルシュルと解いて、浴衣を脱いでしまった。抜けるような白い素肌と、お椀型の乳房が、矢代の眼を射った。乳首の色はヒナよりなお透明感のある淡いピンク。ブラジャーはしていなかったが、ショーツは穿いていた。つやつやした光沢を放つ黒いシルク製で、ヒップの双丘を飾るバックレースがセクシャルだ。
「おまえ…‥」
「大倉が啞然(あぜん)としたように眼を見開き、矢代もさすがに腰を浮かしかけたが、
「ねえ、ヒナちゃんっ!」
 レイコの甘ったるいハスキーヴォイスがその場支配した。
「やっぱり隣でお手本見せてよ。わたしのフェラじゃオチンチン勃たない」
「あのね、レイコちゃん‥‥」
 ヒナがいそいそと近づいていき、レイコの肩に浴衣をかけた。
「何があったのかわからないけど、ヤケになんないほうがいいよ。人前で服なんか脱いだらダメ。フェラだったら、わたしが指舐めて教えてあげるから…‥」
 矢代は苛立ちが込み上げてくるのを抑えきれなかった。

 ヒナの態度は屈辱よりも仲間はずれを恐れる虐められっ子そのもので、いっそ人前で美しい裸体をさらしたレイコのほうがすがすがしく輝いて見えたほどだ。
 酔っていたのだろう。
 五、六時間も飲み続けた酒が感情を昂らせているだけだとわかっていながら、矢代は言ってしまった。
「いいじゃないか、ヒナ。お手本見せてやれば」
「…‥えっ?」
 ヒナは呆然とした顔を向けてきた。
「お手本って‥‥ここで舐めてって…‥そういうことでしょうか?」
「俺はべつに恥ずかしくないよ。大倉くんとはいつも一緒に銭湯入った。レイコちゃんがどうしてもフェラテクを磨きたいっていうなら、チンコ貸してやるから協力してやれ」

「でも、そんな…‥」
「もったいぶるなって」
「毎日店で客のチンコしゃぶっているくせに、もったいぶるな。おまえソープ嬢だろう? オマンコする意外に取り柄のない女だろう? 頭は悪いし、とびきりの美人ってわけでもないし、おまけにいい年だし‥‥人に自慢できることなんて他になにひとつないんだから、フェラくらい見せてやれって…‥」

 ヒナの童顔がこわばり、くしゃくしゃに歪んでいっても、言葉をとめることができなかった。酷いことを言っている自覚はあった。これからしようとしていることは、もっと酷い。それでも言葉を継ぐほどに、制御できない暴力的な衝動がこみ上げてくる。
 むろん、恥ずかしくないなどといのは噓だ。
 人前でイチモツをそそり勃て、女に舐められるところを披露するなんて、身をよじるほどの恥辱(ちじょく)である。

 それでも、止める気にはなれない。
 ヒナを傷つけたかった。
 立ち直れないくらい凹ませて、屈辱の涙を絞り取ってやりたかった。
「へええ。矢代さんって、あんがい話の分かる人だったのね」
 レイコが笑った。
「いつも世界の不幸をひとりで背負ってるみたいな顰(しか)めっ面してるから、大っ嫌いなタイプかと思ったけど、全然そうじゃないんだ」
「ハハッ、そんなに顰めっ面ばかりしてたかい?」
「してた、してた」
「まいったな」
 矢代は苦笑した。レイコに眼見て話しかけられたのは初めてかもしれなかった。しかし、あまり長く彼女に眼を向けている事はできなかった。レイコが高笑いをしながら背中にかかった浴衣を払い、お椀形の乳房と股間にびっちり食い込んだ黒いショーツを、再び露にしたからだ。いまこの段階で勃起したら、軽蔑を集めるだけだろう。
「ほら、早くお手本見せてやれよ」

 矢代は椅子から立ち上がると、浴衣の前をはだけてトランクスをおろし、萎えたペニスをさらした。顔から火が出そうになるほど恥ずかしかったが、これでこの部屋にいるうち、素肌も性器もさらしていないのはヒナだけだった。ヒナがそんな状態に耐えられるはずがなかった。結局は唇を嚙みしめながらおずおずと近づいてきた。

「レイコちゃんも脱いでるんだから、おまえも浴衣脱いで舐めてくれよ」
 居丈高(いたけだか)に言い放つ矢代を恨みがましく睨みながら、浴衣の帯をといた。レイコと違い、古式ゆかしい作法に則って下着は着けていなかった。黒々とした草むらが蛍光灯を浴びて艶光すると、レイコが眼を見開き、大倉は逆に眼を細めて生唾を飲み込んだ。

「やりますよ‥‥やればいいんでしょ…‥わたしはどうせソープ嬢ですから‥‥」
 ヘラヘラした笑顔を浮かべようとしても、頬がおもいっきりひきつって痛々しいばかりだった。心が軋(きし)み、歪んでいく音だけが、矢代の耳には届いた。
 意外な事に、ヒナの裸身は見劣りしなかった。
  隣に顔もスタイルも完璧な女がいるのにもかかわらず、ヒナにはヒナの色香があった。血管すらも青白く浮かす、抜けるような白さのレイコの肌に対し、ヒナの肌色は同じ白でも艶があるミルク色で、触り心地が想像できる生々しさがあるのだ。男好きする体つき、と言ってもいい。小柄で華奢なのにアンバランスに乳房だけが大きく、さらにそれとはそぐわないあどけないほどの童顔が、レイコに比べてずっといやらしい。

 それでも、本人は十近く年下の美女と裸身を比べられると恥ずかしいのだろう。
「もう、やだっ…‥」
 つらそうに眉根を寄せて、矢代の足元にしゃがみ込んだ。
 長い黒髪を耳に掛けながら、萎えたペニスに顔を近づけてくる。摘まみ上げて包皮を剥き、舌を差し出す。ねろり、ねろり、と亀頭を何度か舐めてから、尖らせた舌先でもっとも敏感なカリのくびれを丁寧になぞりたてる。
 それから口に含んで吸った。

 いったいどれほど肺活量があるのか、息継ぎをせずに長々と吸い立てられ、矢代の眼は眩(くら)んだ。口の中で小刻みに働いている舌先が、亀頭と肉竿を裏で繋ぐ筋をチョロチョロと刺激していて、それがひきがねになってペニスに芯ができた。みるみるうちに、ヒナの唇を卑猥な〇の字に広げるほど野太くみなぎってしまった。
「すごーい…‥」 レイコは感嘆に眼を見開き、ペニスを咥え込んでいるヒナに息がかかる距離まで顔を近づけた。人前で男根を舐める恥ずかしいソープ嬢を嬲(なぶ)るようにひとしきりむさぼり眺めてから、自分も四つん這いになってフェラを再開した。ヒナまで全裸になってフェラチオを始めた異常なシチュエーションのせいもあるのだろうが、先程ピクリともしなかった大倉のペニスが瞬く間に屹立(きり)し、女体を貫ける形状になっていく。

 ヒナはすでにその先に進んでいた。
「ぅんんんっ…‥ぅんんんんっ…‥」
 と鼻息をはずませて唇をスライドさせ、ぷっくりと血管の浮かんだ肉竿をしたたかに舐めしゃぶっている。時折口唇から吐き出すと、嫌らしいほど舌を長く伸ばして、裏筋やカリに舌を這わせ、鈴口から溢れ出す粘液をちゅっと吸った。そうしつつ、両手を器用に動かして、肉棒をしごいてきた。あっという間に両手が唾液でベトベトになるほど、濃厚な愛撫を披露した。

 もちろん、レイコにフェラチオの指導をするためではないだろう。
 人前で恥ずかしい愛撫をしている恥辱から逃れるために、眼の前の作業に没頭しているだけだ。
 それでも濃厚に責められるほうはたまらない。矢代は呻き声を堪えるのに必死だった。唇が一往復するごとに、淫らな刺激が全身へと波及し、両膝がガクガクと震えだした。おまけにすぐ側では、レイコが金髪をかきあげ、端整な美貌を歪ませて大倉のものを舐めてしゃぶっているのだ。

 いても立ってもいられなくなって、ヒナにむしゃぶりついた。そこまでやっていいのか、ともひとりの自分が叫んだが、一度タガが外れてしまったら、もう後には引き返せなかった。
「おいっ、俺にもお返しさせてくれ」
「えっ…‥なにっ‥‥」
 戸惑うヒナの尻を顔の上に呼びこんで、シックスナインの体勢になった。眼の前にきた桃割れの隙間に、アーモンドピンクの花が咲いていた。両手を使ってぱっくりひろげ、薄桃色の粘膜を露出すると、
「んんんんっー」
 男根を咥えこんだヒナは鼻先で悶えた。外気に触れた薄桃色の粘膜は、ひくひくといやらしく息づきながら、熱い発情のエキスをしとどろに溢れさせた。
 矢代は獰猛(どうもう)な蛸(たこ)のように尖らせた唇を押しつけた。くにゃりとした花びらの感触に頭の芯を痺れさせながら、舌を差しだし、薄桃色の粘膜を舐め回す。使い込まれているくせに、あるいはそのせいなのか、ぴちぴちと弾力に富んで、ペニスを挿入したらたまらなく気持ちが良さそうだ。

「すげえなあ、矢代さん‥‥男だなあ‥‥」
 大倉が上ずった声でつぶやく、矢代は大倉に眼を向けなかったが、その視線を全身で受け止めていた。もちろんレイコの視線もだ。複数プレーは生まれて初めての経験だったけれど、夢中になる人間の気持ちが少しはわかった気がした。
 自分の中に他者の視点がもてるのだ。
 
つまりいまなら、男の上に四つん這いで跨がっているヒナの姿を、横から見ている気にもなれる。実際に矢代の視界にあるものは、尻の双丘とその中心で咲き誇った女の花なのだが、ふたりが見ている構図もリアルに想像できてしまえる。
「むうっ…‥むううっ…‥」
 矢代は鼻息をも荒く舌と唇を使った。ヒナを乱れさせたかった。ソープ嬢である本性を人前でとことんさらしものにし、そのプライドを粉々に砕いてやりたい。荒ぶるドス黒い感情が、濃厚になっていくばかりのフェラチオによって煽(あお)りたてられ、やがて女の割れ目に指まで挿入した。クリトリスを唇で吸いながら、びっしりと肉の詰まった蜜壺を攪拌(かくはん)し、
「ぅんぐっ…‥ぅんぐぐぐっ‥‥」
 ヒナは身をよじって悶えた。尻丘と太股をひきつらせては震わせ。くびれた腰をくねらせた。童顔を真っ赤に燃え上がらせていることが、見なくても分かった。

気が付けは、大倉とレイコが両脚を広げられて、股間に舌を這われてあえいでいる姿は衝撃的としか言いようがなかった。自分だけが舐められているときとは違い、眉間に深々と刻んだ縦皺から牝の欲情を濃厚に匂わせている。

 いつもの無表情の澄ました顔の下に、これほどの欲望深き女の顔が隠されていたのかと啞然としてしまった。やがてクンニリングスの刺激に全身をくねらせながら、涎(よだれ)を垂らして男根を貪りだすと、淫乱という言葉さえ使いたくなった。
 淫らな熱気だけが部屋を支配していく。

 性器を舐めあう二組の男女が恥も外聞もかなぐり捨て、快楽を求めて疾走しだすのに時間はかからなかった。性器を舐め合うくらいでは収まらないくらい、興奮はどこまでも高まっていく。

 大倉がまず、四つん這いのレイコを後ろから貫き、矢代も同じ体位でヒナと繋がった。牝犬のような格好をした女ふたりを並べ。貪(むさぼ)るようなピストン運動を送り込んだ。レイコの乱れ方は尋常ではなかった。金髪を振り乱し、細い腰を絶え間なくくねらせて、甘いハスキーヴォイスを甲高く跳ねさせる。いつも彼女の矯声(きょうせい)が聞こえたのは、アパートの壁が薄いせいだけではないらしい。まさしく発情した獣の牝の様相で、肉欲に溺れる歓喜にあえぎ、恍惚を求めてよがり泣く。

 一方のヒナも負けてなかった。最初こそ、羞恥に身を強張らせていたものの、レイコが火がついたように獣じみた悲鳴を放ち始めると、次第に欲情を堪え切れなくっていった。ひいひいと喉を鳴らしてよがり泣いた。激しい動きではレイコに一歩も二歩も譲ったけれど、ねちっこい腰のグラインドが嫌らしすぎる。尻肉や太股を歓喜にぶるぶると震わせながら、水飴状に蕩(とろ)けきった蜜壺でそそり勃つ男根を舐めしゃぶり、感じるほどに収縮感を高めていった。
「ああんっ、いゃあんっ…‥そんなことしたら、ああああっ…‥」

 やがてレイコが切羽詰まった声をあげた。
「そんなしたら、イッちゃうっ‥‥イクイクイクっ‥‥‥はぁああああああーっ!」
 ちぎれんばかりの首を振り、汗ばんだ肢体をビクンビクンと跳ねさせて、レイコは絶頂に行き果ててぃつた。オルガスムスの激しい痙攣がやむと、四つん這いの姿勢を維持できなくなり、うつぶせに倒れた。大倉が膝立ちのままでいたので、まだ射精に至っていない男根がスポンと抜け、分泌液に濡れ光ながら臍を叩くほど反り返った。
 矢代はかまわず腰を振りたてていたが、

「…‥ヒナちゃん、具合よさそうですね?」
 大倉が息を弾ませながら声をかけて来た。
「さすがソープ嬢っていうか、レイコと違ってよがり方がエロすぎますよ」
 ささやく眼つきがギラギラしていた。レイコを絶頂に導いたものの、自分は射精に至っていないからそれも当然だろう。途中で中断を余儀なくされたことで、凶暴なまでに牡の本性を剥き出しにしている。
「試してみるかい?」

 ピストン運動を続けながら不敵に微笑んだ矢代の顔も、ギラギラと脂ぎっていたはずだ。普段なら絶対に口にしない言葉が、性交中の会話という非日常的な状況に煽られて、唇からこぼれてしまった。
「よかったら、こいつも抱いてやってくれよ。なんの取り柄もない女だけど、オマンコだけは最高なんだ」
「マジすか? マジでいいんですか?」
 矢代はうなずき、ペニスを抜いた。四つん這いのヒナを仰向けにして、頭の方にまわりこんだ。
「なにっ? なにっ?」
焦ったのはヒナだった。いまのいままで後ろから突き上げられて牝犬さながらによがっていたので、状況が把握できていない。その両脚を大倉がM字に開いて、そそり勃つ肉の凶器を女の花にあてがっていく。
「や、やめてっ‥‥なにするのっ‥‥」
 ヒナは驚いて体を起こそうとしたが、矢代がその両手を押さえて畳に磔(はりつけ)にした。
「大倉くんにも、おまえのオマンコ味わってもらいたんだ」
「いやよ、そんな‥‥」
 欲情に上気していた童顔がにわかに色をなくし、限界まで頬をひきつらせる。
「いいじゃないか、お隣同士のよしみだよ」
「いやっ! いやですっ!」
「いいって言ってんだろうっ!」
 眼力をこめて睨みつけると、ビビリのヒナは息を吞んで押し黙った。
「いいんですか、本当に?」
 大倉がニヤニヤ笑いながらささやく。
「いいさ、ソープ嬢が貞操観念発揮するなんて、ただの芝居だよ。少しは嫌がったほうが男は燃えるだろうって、ソロバンずくなのさ。なっ? そうだろう?」
 ひきつった頬を鷲掴みにすると、
「うううっ…‥」
 ヒナは眼にいっぱい涙を溜めて下から睨んできた。だが、その程度のことで、獣欲に猛り狂った男ふたりをたぶらかせるわけがない。
「言えよ。ソープで鍛えたわたしのオマンコ味わってくださいって」
「…‥ゆ、許ひぃてぇ」
 思いっきり双頬をつかんでいるので、言葉がひしゃげる。
「許さないよ。言わないと大倉くんだってやりにくいじゃないか。なにも無理やり強姦しようってんじゃないんだから、合意が必要なんだよ。今日は特別無料でサーヴィスいたしますから、恥ずかしいソープ嬢のオマンコ味わってくださいって言え」

 矢代は言いながらぐいぐい頬を締めあげ、開いた口に指を突っ込んだ。唾液にまみれた舌と口内粘膜を、弄るように掻きまわした。
「あぐぐっ‥‥してくださいっ…‥お、オマンコッ‥‥恥ずかしいソープ嬢のオマンコ、味わってくださいっ‥‥」

 ヒナはが涙ながらに声を絞るとも、大倉はひときわ顔をギラつかせて腰を前に送り出した。レイコの分泌液でぬらぬら光る男根で、ヒナの女の花をしたたかに貫いた。
「あああああああーっ!」
 断末魔(だんまつま)に似たヒナの悲鳴が、矢代の胸に突き刺さる。歪んだ声が鋭利な刃物となって、心のいちばん柔らかい部分をズタズタに引き裂いていく。
 こんなことをして傷つくのは、自分の方だった。そんなことはわかっていた。わかりきっていた。
「むううっ、締まるっ‥‥」
 大倉は勃起しきった肉棒を根元まで埋め込むと、すかさず腰を使い出した。いきなりのフルピッチだった。欲望剥き出しに突き上げて、唇を嚙みしめて反応を堪えようとしているヒナから、淫らがましい悲鳴を絞りとる。

「ああああーっー、あぁああああーっー、はぁああああーっー」
 怒涛の連打を浴びたヒナは、白い喉を突き出し、たわわな双乳を胸元で大きく波打たせた。矢代はそれを掴んで揉みしだいた。いやらしく尖り切った乳首をつまみあげて、大倉と脂ぎった笑みを交わした。
「堪らないっすよ‥‥さすがソープ嬢だ…‥なんてオマンコだ…‥吸いつきが…‥す、すごい‥‥」
「そうかい」
 矢代は得意げにうなずき、
「どうだ? おまえも気持ちいいのか?そんなにあえいで堪らないのか?」
 汗まみれてくしゃくしゃになった童顔にささやく。ヒナは必死に首を振るが、よがっているようにしか見えない。いや、実際によがっていた。つらそうに眉根を寄せつつも、宙に浮かんだ足指を反らせては折り返し、太腿をいやらしくひきつらせている。首を振るたびに乱れていく長い黒髪さえ、歓喜に舞い踊っているようだ。

 やはりこの女は‥‥内心でつぶやく。
 セックスが好きで好きでしようがないのだ。どんな男のものでも咥えこまされれば顔をくしゃくしゃにして愉悦(ゆえつ)に溺れるのだ。そうではなくては、ソープ嬢など務まるまい。曲がりなりにも好きな男の前にもかかわらず、快感は快感として受け止める。汚れたペニスを舌で清め、「これは好きな人にしかしないんだから」と言い放つた男の前で犯されているのに、いまにも感極まってしまいそうに身をよじっている。

 いつもこうやってたんだな、とも思った。粗末で貧乏くさい玄関でひとしきりはしゃいでから店に出て、こうやって他の男と淫らな汗をかいていたんだな‥‥。
 熱いものがこみあげてくる。

 いつの間にか隣にいたレイコが意味ありげに身を寄せてこなければ、ヒナの乳房を揉みしだきなから号泣していたかもしれない。
「ソープ嬢って、いやよいやよ言いながら腰使うのね。これも手練手管(てれんてくだ)? 勉強になるなあ‥‥ねえ、わたしばっかり仲間はずれにしないで」

 耳元で囁かれた甘ったるいハスキーヴォイスに、矢代はぞくっとした、高貴な猫に似たアーモンド形の眼の下が、オルガスムスの余韻でねっとりしたピンク色に染まっていることに気づくと、さらにぞくぞくと背筋に戦慄(せんりつ)が這い上がっていった。
「ねえ、して。わたしにも‥‥」
 レイコはヒナの隣で仰向けになり、矢代の腕を引いた。一瞬、大倉とレイコの視線が合った、火花が散りそうだったが、お互いに言葉を発しない。
「いいのかい?」
 矢代が大倉にささやくと、
「この状況じゃ、しょうがないっす」
 大倉はぐいぐいと腰を振りたてながら泣き笑いのような顔で言った。
「今夜は無礼講ってことにしょう。そいつのこと、悦ばせてやってください」
「ふふっ、すごい愉しみ」
 レイコが両脚の間に矢代の腰を呼びこみながら笑う。
「考えてみたら。ソープ嬢のヒモでしょ? 毎日店で客とってる百戦錬磨の女を悦ばせてるわけでしょ? どんなセックスしてくれるんだか」

 挑発的なレイコの言葉は、けれども矢代に向けられたものではなかった。妖しく潤んだ瞳で矢代を見つめて囁きつつも、言葉も気持ちも、大倉に向けられていることは明らかだった。

 それを非難しようとは思わなかった。
 矢代にして同じだったからだ。
「入れるよ‥‥」
 猛り勃つ男根を女の割れ目にあてがい、ずぶずふと入っていきながも、ヒナのことだけを気にしていた。レイコは絶世の美女とさえ呼んでよく、六本木の高級キャバクラでナンバーを張っていたオーラが確かにあった。その女が欲情しきってしがみついてくるにもかかわらず、隣でよがっているヒナだけに心を奪われていた。

 自分でも驚くほど男根が硬く、野太く漲(みなぎ)っているのは、ヒナのせいだった。嫉妬と呼んでいいのか悪いのか、わけがわからない凶暴な感情のせいで矢代は欲望の修羅と化し、抱きしめたレイコの体をメッタ刺しにした。呼吸も忘れて女肉をむさぼった。

 レイコが手放しでよがりだす。金髪を振り乱し、矢代の背中にネイルが剝がれるくらい爪を立てながら、獣の牝と化していく。

 その様子が大倉の欲情に火を放つ。「おうっ、おうっ」と声までもらして、ヒナに甲高い悲鳴をあげさせる。
 ヒナはなにを考えているだろう? と矢代は思った。
 迫りくるカタルシスに五体を燃やし狂わせながら、そのことだけを考えていた。
 自分よりずっと若く、ずっと美しい女と矢代が繋がっていることに、嫉妬してるだろうか? そのことでいつもより興奮しているのだろうか?
 あるいはただひたすら屈辱だけを嚙みしめながら、体ばかり勝手に反応してしまっているのだろうか? こんなことなら温泉なかに誘うんじゃなかったと、自分の軽率な振る舞いを後悔しているだろうか? わたし馬鹿だからと、心の中で泣きじゃくっているのだろうか?

 答えは見つからないまま、矢代は激情をこらえきれなくなり、煮えたたぎる男の精をレイコの中にしぶかせた。
つづく 第六章 昔の女