キャバクラ嬢という職業は華やかである反面、性格はわがままに、私生活はだらしなくなってしまいがちなものらしい。年若くして蝶よ花よとおだてるだけおだてあげて若い肉体を貪ろうとしている客の男がいちばん悪いという見方だってあるだろう。
本表紙 草凪優 著

第四章 華やかな獲物

 ひとまず大成功と言っていいだろう。
 レイコが発案したプレミアム・ペットフードの手売り販売は、二か月も経たずに軌道に乗った。
 矢代は昔のコネを必死に辿り、ようやくのことでペッフードを作ってくれる小さ工場を見つけ出した。迷惑をかけた債権者を巧妙に避けながらだったので、骨の折れる作業だった。
 しかし先方は、前金でなければ仕事を請け負うことができないという。矢代が前に会社を潰した話を、噂で耳に挟んでいたらしい。
 金はなかった。
 矢代と大倉には稼ぐ術すらなく、ヒナとレイコには借金があった。最小のロッドでやれば二、三十万の話だったが、それっぽっちの金がどうしても工面できなかった。
 清川がアパートにふらりと姿を現したのは、そんなときだった。
「ずいぶん豪勢なとこに住んでいるんだな」
 ギギッと音をたててベニヤ製のドアを開けると、清川が笑いながら立っていた。
「いや、まあ…‥」
 矢代は驚く前に苦笑するしかなかった。昼間だったので、ヒナいなかったことだけが不幸中の幸いだった。こんなボロアパート住まいのうえソープ嬢のヒモとくれば、清川も皮肉すら口にできなかっただろう。
「どうしてここが?」
 清川には連絡先を教えていない。
「中井だよ」
 ペットフーズを頼もうとしている工場の社長だ。そちらにはさすがに教えていた。
「やつとはちょっとした知り合いでね。信用調査の電話がきた。矢代って男の仕事を請け負っても大丈夫かって」
 清川が言い、矢代は息を呑んだ。
「それでなんて‥‥」
「決まっている。現金前払い以外はやめたほうがいいって答えたさ。やつはなにもかも失った男だ。ヤバい橋渡ろうとしている可能性すらあるってな」

 清川は楽しげに笑ったが、矢代は不快な気分になった。言っている事は間違いないけれど、清川が工場を立ち上げるとき、ずいぶん協力したはずだった。少しは気を回して、曖昧に答えてくれてもいいだろう。
「それで、いったい何の用なんですか? 何もかも失くした男に」
 矢代は突き放すように言った。
「〈牡蠣元気〉、もう取りに来ないのかい?」
 清川はまだ笑っている。
「…‥今のところは。邪魔になりましたか? ヤバい橋を渡ろうとしてる男の荷物を、これ以上預かって置けないって、そういうことですか? 清川さん、俺‥‥」
「売ってくれ」
 清川は遮(さえぎ)って言い、銀行の封筒に入った金を懐から出した。
「五十万入ってる。これで買えるだけ買わせてくれ」
「…‥清川さん」
 矢代は呆然と立ち尽くした。清川が封筒を押しつけてきた拍子にドアノブから手を離してしまい、ベニヤ板の軽いドアが風に吹かれバタンと壁にあたった。
「あんたに受けた恩、忘れたわけじゃないないんだ。会社を潰させてしまったときも、申し訳ねえ気持ちでいっぱいだった。少なくて悪いけど、収めてくれ」
「いや、しかし…‥」
 矢代は封筒を押し返した。
「清川さんのところだって楽じゃないでしょ。受け取れませんよ」
 清川は照れくさそうに頭を掻き、
「いいんだよ。〈牡蠣元気〉は本当に効くしなあ。うちの職人連中にも配ったら、俺と同じような感想を言ってた。みんな元気で働いてくれりゃあ、惜しくない金だ」
 ふたりの間に、びゅうと風が吹き抜けていく。
「…‥ご厚意に、甘えさせていただきます」
 矢代は震える声で言い、深々と頭をさげた。唇を嚙みしめていないと、涙が溢れてきそうだった。
 その金を手元にペットフードをつくった。
 もちろん画期的な開発することはできなかったので、ありていの材料を適当にミックスして、コストをぎりぎりまで下げた。
 プレミアムと呼ぶにはお粗末すぎる中身だったし、包装もラベル一枚貼られただけのものだったが、それが逆に本物志向の手作り感覚と勘違いを誘って、キャバクラ嬢たちにウケたらしい。ほぼ一カ月ぶんに相当する一袋が三万円という、べらぼうな高値を付けたにもかかわらず飛ぶように売れた。ブランド志向の彼女たちは、「いい物高い」ではなく、「高いからいい物」と考えているようだ。

 大倉がネットカフェのパソコンで作ってきた販売促進用のチラシをレイコに持たせて一週間後には、続々と注文が集まり出した。すぐにレイコひとりでは捌(さば)ききれなくなって同僚のキャバ嬢を三人、仲間に入れた。むろん、仲間には中身がインチキであることは伏せてあったが、売上げの一割バックで喜んで働いてくれた。

「まつたく、濡れ手に粟っていうのはこういうことを言うんですねえ」

 大倉は、レイコが集めて来た注文票を眺めながら笑いがとまらないようだった。
 なにしろ、工場に渡している制作コストは一袋千円ほど。それを三万円で売っているのだから実に九割五分以上が利益なのだ。注文が殺到してからはさすがに気が咎めて材料費を倍にし、量販店で売っているものよりはちょっとは「プレミアム」になるようにしたものの、それでも濡れ手に粟なのには変わらない。

「俺もまさかこれほど上手くいくとは思っていなかった」
 矢代は大倉をみて頷いた。
「レイコちゃんには完全に脱帽だ。俺なんかよりずっと商売のセンスがある」
「まあ、あいつは思いつきで言っただけでしょうけど‥‥」
 大倉は苦笑し、
「こんなに儲かるなら、矢代さん、本業にしちゃえばいいんじゃないですか。健康食品なんかやめちゃって」
「いやあ、さすがにいまの形じゃ長くは続けられないよ」
 あまり派手に稼ぎすぎると税務署に眼をつけられそうだし、商品のボロが出てしまえば警察だって黙っていないだろう。これはあくまでも裏の仕事で、表の仕事に打って出る資本を稼ぐだけのものだと割り切って考えた方がいい。できれば半年、長くても一年、というのが当初からの矢代の目算だった」

「それじゃあ、そろそろ行きますか」
 大倉が腰を上げ、矢代もそれに続いた。アパートの前は空き地には、大倉がどこから借りてきた古いワンボックスカーが停まっていた。ペットフードは、猫用も犬用もひと袋で三キロもある。複数の注文があるときは、クルマで六本木まで輸送していた。

 深夜十二時近く、仕事を終えたキャバ嬢たちが、路地裏に停まったワンボックスカーに集い、終電の時間を気にしながらペットフードを抱えて帰る様は、一種異様な熱気に包まれていた。通りがかりの不良外国人が例外なく訝しげな視線を投げかけてきた。彼らの捌いている商品はイリーガルだが、こちらが扱う商品はそうではない。値段の付け方と商品表情がイリーガルすれすれなので、自慢できることでもないが。

 とはいえ、栗色の巻が髪をした若い女の子たちはおしなべて満足そうで、
「この餌いいですね。おかげでうちの子、とても元気になりました」
 と口々にお礼を言ってきた。
「餌のあげすぎには注意してね。あとは新鮮な水を絶やさないように」
 そんなことを笑顔で平然と答えられる大倉は、詐欺師の才能がありそうだった。矢代はさすがに良心が咎め、愛想を振りまくことなどできなかった。

 キャバ嬢にはたいへん好評なプミアム・ペットフーズだったが、一方のソープランドでは芳しくなかった。
 ようやく二袋売れただけで、それ以降もまた動かない。
 しかしそれもしかたがないだろう。矢代は考えていた。
 そもそも六本木にある大バコのキャバクラと、場末のソープランドでは店の規模がまったく違う。女の子の在籍人数が十分一以下ではないだろうか。人間関係も、キャバクラでは、同じ席に着くとか、更衣室や客待ちの間のおしゃべりとか、アフターと呼ばれる店が終わったあとの付き合い等々、同じ店の女の子同士が仲良くなる機会は多い。

 対してソープランドは基本的に個人プレーだ。ヒナの働いている店では、女の子その日にあてがわれた個室を一日中使うことになるので、部屋に籠っていれば誰とも顔を合わせないでいられるらしい。むろん、誰とも顔を合わせたくない女の子がいるから、店の側が配慮しているのだ。共同の待機室に顔を出してもみな疲れ切っていて、キャピキャピとガールズトークを繰り広げているわけではないというから、ペットの餌の話を聞いてくれるムードでもないのだろう。

「‥‥ただてま」
 午前二時過ぎ、矢代はアパートの部屋に戻った。
 ヒナはウイスキーを飲んでいた。炬燵(こたつ)に入ってた。近ごろ夜がめっきり寒くなってきたので、数日前に掛け布団を出したのだ。やはり炬燵には布団が必要だった。骨組みだけだと貧相すぎて哀しくなる。
「まだ起きてたのか?」
「ソープとキャバクラじゃ、横のつながり方が全然違うのだから、女の子同士、あんまり仲良くないだろう?」
「そんなことないんだけど‥‥」
 ヒナは首を傾げ、
「わたし、あの店に仲のいい子もわりといるよ。だけど、みんなペットを飼っていなくて。興味もないって感じで‥‥」
「…‥そうか」
「わたしだって、協力したいのに…‥矢代さんが早く事業興して、奥さん迎えに行けるように‥‥協力するって…‥約束‥‥したし‥‥」
 唇を嚙みしめ、大きな瞳が潤んできたので、
「あのさあ…‥」
 矢代は後ろからぎゅっと抱きしめて遮った。
「おまえもキャバクラで働いてみたらどうだ? 店からの手取りは少なくなるかもしれないけど、ペットフーズ売れればそれを補填してお釣りがくるぜ」
 それに体を売らなくて済む、と言いたかったがやめておく。
 ヒナは力なく首を振った。
「わたしキャバクラみたいなところ、向いてないもの、女の子同士でキャァキャァ言ってるの苦手だし、マイペースだからまわりに絶対虐められるし」
「やったことあるのか?」
「…‥ちょっとだけね」
 ヒナは苦く笑い、
「新宿の店だったけど、一週間も続かなかった。あのノリにはついていけなくて」
「…‥そうか」
 矢代はそれ以上言葉を繋げなかった。ヒナの言葉もっともに聞こえたからだ。たしかに彼女は、キャバ嬢をやるには、垢抜けていないというか、垢抜けようとする意志が欠如しているというか、同世代の女の子とうまくやっていけそうにない。
「わたし、もう寝る‥‥」
 ヒナはのそのそと体を動かし、矢代の腕の中から出た。
「明日わたし休みだから、ずっと一緒にいられるね」
「ああ」
「お休みなさい」
「お休み」
 意気消沈の体(てい)で四畳半に入っていくヒナを、矢代は苦い気分で見送った。
 四人で始めたビジネスだから、最初は四人で儲けを均等割りするつもりだった。しかし、いまの状況だと、ヒナの分け前は与えられない。いちばんの功労者であるレイコにはいささか色をつけるにしろ、三等分が妥当な線だろう。このまま順調に半年、一年と稼ぐことができれば、それぞれの手元に少なくない金が残るに違いない。

 ヒナだけが蚊帳の外になってしまうけど、矢代は金が入ったらまず、借金をきれいにしてやろうと考えていた。そうすることでケジメをつけたかった。
 別れるケジメだ。
 矢代がヒナより遅く帰ってくるという日々が続くと、居候の条件であった「毎日抱くこと」という決まりは、なし崩し的になくなってしまった。ヒナが先に寝ていることも多いし、起きていてもいまのように疲れてしまっているから、体を求めあう雰囲気にならないのだ。
 
しかし、だからといって肉体関係そのものがなくなってしまったわけではない。
 三日に一度、ヒナが店を休む日には必ず体を重ねる。陽の高いうちから裸で抱き合うことも珍しくない。回数が減った分、内容はむしろ濃ゆくなっている感じだった。
 あの日――ヒナがヒナスペシャルなる特別なやり方を披露した日以来、矢代はいままでに輪をかけて彼女との情事に魅せられるようになった。抱いて抱いてなお、底が見えないセックスの虜(とりこ)になってしまった。ありとあらゆる愛撫を試し、ありとあらゆる体位で繋がった。そのたびに新鮮な快感と、眼も眩(くら)むような恍惚を味わえた。

 わたし馬鹿だから、がヒナの口癖だった。
 否定するつもりはない。
 一方で、ヒナの体は男を馬鹿にする体だった。
 息を止めて動いて動いて、汗みどろになって達する射精は指先まで恍惚に満たされるほど峻烈(しゅんれつ)で、終わってしばらく立ち上がることができない。生も根も尽き果ててしまう。
 いつまでも呼吸が整わず、心臓が口から飛び出してしまいそうで怖くなる。セックスをして体が悪いんじゃないかと思った事など初めてで、身を削ってまで快楽を欲するという意味では、まさにドラッグそのものだった。
 このままではいけなかった。
 ヒナとの情事のあとは、いつだってひとつの未来が頭に浮かんでくる。この河原の街で、ヒナとふたり、底辺を彷徨(さまよ)う生活だ。世間から隔絶されたポロアパートで、肉欲だけを貪る毎日。末路は悲惨なものだろう。にもかかわらず、たまらなく甘美なことに思ええてしまう。これほどの甘美を手放してまで手に入れようとしている元の暮らしに、それほどの価値があるものだろうかと思わないときはない。

 怖かった。退廃や自堕落をそんな風に感じたりしてはいけない。
 ならば、ここで真っ当に生きて行くという選択肢はないのかといえば、それはそれで想像がつかなかった。真っ当に働いて真っ当に事業を興し、真っ当な金で真っ当にヒナを養う‥‥そんなことが果たして可能だろうか?

 なにしろ矢代は、ヒナの本名も知らなかった。生まれた場所も、卒業した学校も、ソープ嬢になる前はどんな仕事をしていたのかも知らない。
 分かっているのはただ、彼女が身体を売って生きていることだけ。友達の裏切りによって背負ってしまった借金があり、それを返すために働いているというが、彼女の口からソープ嬢を辞めた後の夢が語られたことはなかった。二、三ヶ月しかやっていないという割には、生業(なりわい)と呼んでもよさそうなほどソープの仕事に馴染んでいるように感じられてならなった。

 彼女のプライヴェートについて訊ねるのはだから、勇気が必要そうだった。体を売ることを生業にしている女が、どれほど深く、どれほど凄まじい闇を抱えているか、考えるだけでも恐ろしい。深層に身を乗り出して中を覗きこめば、身の毛もよだつほどの怪物と対面しなければならないかもしれない。
 だから矢代にとってヒナは、いつまで経ってもただの肉体だった。
 いくら抱き心地がよく、時折胸が熱くなるほどの愛おしさを覚える事があっても、裏側にはなにもないハリボテの人形。

 そういう存在と真っ当に愛し合い、真っ当に暮していくなんて、おとぎ話のようにリアリティが感じられなかった。彼女と暮らすということは、昼間から酒に酔い、夜は肉欲に溺れて、ただ時間を浪費するだけ。
 一刻も早くいまの暮らしから抜け出さなくては、取り返しのつかないことになるかもしれなかった。

 矢代たちが手売りで販売しているペットフーズがキャバクラ嬢に人気が高いのは、虚偽(きょぎ)のプレミアム感以外にもうひとつ理由があった。
 キャバクラ嬢という職業は華やかである反面、性格はわがままに、私生活はだらしなくなってしまいがちなものらしい。年若くして蝶よ花よとおだてるだけおだてあげて若い肉体を貪ろうとしている客の男がいちばん悪いという見方だってあるだろう。

 しかし、とにかく相手をするのが大変な子が多かった。
 たとえば「送りのクルマ行っちゃったから、家まで乗せていって」と頼んでくる。送って行けば送って行ったで眠ってしまい、部屋まで運んでいかなければならないこともよくあった。「お腹空いたからご飯奢って」と言われることもある。ラーメンや牛丼なら奢るのもやぶさかでないが、彼女たちの言う「ご飯」は、しゃぶしゃぶ屋やイタリアンレストランなので、丁重にお断りしなければならない。

「今すぐうちまで犬の餌を持って来てくんない?」という電話も後を絶たなかった。
「今夜のぶんもうないの。あ、ついでにディスカウトストアでペットシートと犬用のシャンプーも買ってきて」とまで言う。夜中の十二時にだ。
 そんな無茶な要求にも、矢代と大倉はきっちりと対応した。
 むろん別途配達代は請求するが、頼まれれば千葉でも埼玉でも届けた。ペットフーズはいったん別の物に切り替えられてしまうと。次から買ってくれなく恐れがあるので仕方ないと割り切っていた。それが意外にも、面倒くさがりなキャバクラ嬢たちの需要を掘り起こしていったのである。

 ある日のこと。
「ちくしょう、まいったな…‥」
 六本木の路地裏に停めたワンボックスカーの助手席で、大倉が舌打ちした。
「家に帰ったら餌がなかったのに気づいたから、これから持ってこいだって。まったく馬鹿にしてやかせる」
 時刻は午前一時少し前、いましがた、今夜の予約分を捌き終えたところだった。
「ハハハッ、いつものことじゃないか」
 矢代は笑った。大倉がバツ悪そうな顔をしているのは、これから予定があるからだ。仕事終わりにレイコと待ち合わせて、おかまが踊るショーパブに行くらしい。
「何もよりによって、こんな日に言って来なくていいのになあ。俺、久しぶりにあいつと外でデートなんですよ」
「俺が独りで行っとくから、そっちはあがっていいよ。場所、何処なんだい?」
「例の代々木上原です。先週も行ったじゃないですか。あの女、絶対、餌なんてまだあるんですよ。ついでに買い物を頼みたいだけで」

「ああ、なるほど‥‥」
 矢代は多く苛立っていることにようやく合点がいった。
 代々木上原に住んでいる、エリカというキャバクラ嬢だ。年は二十代半ばだろうか。ハーフのように彫が深い顔立ちと、モデルばりのスタイルの持ち主なのだが、性格にやや難があった。悪気はないらしいが、とにかく行き当たりばったりというか、物事を深く考えずに行動するタイプで、その度合いがいささか常軌(じょうき)を逸(いっ)していた。

 たとえば「こんな調子だ。
 矢代が大倉と別れ、六本木から代々木上原に向かう途中、この仕事用に入手したプリペイド携帯電話に、エリカから計四回連絡が入った。
 一回目は餌だけではなくペットシートと犬のおやつのビスケットが欲しいという内容で、二回目はビスケットのメーカーを指定され、三回目はディスカントストアーに行くのならついでにボデーソープと化粧水を買って来てくれないかと頼まれ、矢代はわかりましたこれが最後にしてくださいよと言うと頷いて電話を切ったものの、何事もなかったようにすぐに四回目をかけてきてコンビニでカップラーメンとポテトチップスとアイスクリームを買ってきて欲しいと言われた。

 まあ、その程度にわがままな女を相手にしているからこそ、ボロ儲けできるとも言える。実際、先週ひと月ぶんの餌を買ったにもかかわらず、今日もまた買ってくれる。一時間ちょっと車を走らせて粗利が三万弱なのだから、悪くない話なのだ。
 それにしても‥‥とエリカのマンションに着いた矢代は思った。

 ペットフードの注文ひとつまともにできないのだから、仕方がないと言えばしかたがないが、めちゃめちゃな部屋に住んでいた。
 玄関から覗ける範囲だけでもその惨状はすさまじいばかりで、服や化粧品や空のペットボトルが散らかり放題になって絨毯(じゅうたん)もろくに見えない。その中を来客に興奮したチワワが走り回っているのだから、大変な騒ぎだ。そのくせ本人は、キャバクラ勤務から戻ったばかりなので髪もメイクもばっちり決めて、ファッション誌から抜けだしてきたような服とアクセサリーで飾り立て涼しい顔なのである。

「餌ひと袋に買い物に宅配代、全部合わせて四万六千八百円になります」
 矢代が荷物を渡して言うと、
「はーい、ご苦労様でーす」
 エリカは軽快に返事をして財布を開いたが、
「ありゃりゃ‥‥ごめんなさい、お金が‥‥なかった‥‥」
 彫りの深い顔をくしゃっと歪めて苦笑した。
「じゃあ、コンビニのATM行きますか? クルマで送りますから」
 矢代も苦笑を返すと、
「…‥銀行にも、お金入ってないかも」
 エリカは栗色に盛った髪をポリポリとかき、
「明日まで待ってもらえません? 明日給料日だから、お店の帰りにいつものところまで返しにいくし」
「申し訳ないけど、ツケは出来ないんですよ」
 矢代は首を横に振った。上客と言えば上客なので一日くらい待ってもいいのだが、この商売を始めるにあたって、それだけは絶対にやめようと大倉と決めたのだ。銀座のホステス時代、売り掛でしくじったレイコと同じ轍を踏まないために。
「じゃあ‥‥どうしよう‥‥困ったな‥‥」
 エリカが上目遣いですがるように見つめて来る。矢代は黙っている。足元でチワワがあまりにもうるさくキャンキャン吠えるので、
「すいません、ドア閉めてもらえますか」

 エリカは矢代に言って、チワワを脱衣所のあるアコーディオンカーテンの向こうに追いやった。犬の鳴き声が遠ざかると、気まずい沈黙がよけい気まずくなった。
「でもぉ、そのぅ…‥餌だけならともかく、個人的な買い物まで頼んじゃって、いまさらキャンセルできませんよねぇ?」
 エリカがシレッとして言ったので、
「あんた、最初からそのつもりだったろ?」
 矢代は低く声を絞った。
「最初から金がないのをわかってて注文したな? 本当に欲しかったのは餌じゃなくて、化粧水とか食い物とか、そっちだろ」

 バレたか、という表情でエリカはペロリと舌を出し、
「まあまあ、いいじゃないですかぁ。わたし、けっこうなお得意様でしょ? それに、明日給料日っていうのは噓じゃないですから、お金はきちんと払いますって」
 矢代が睨(にら)みつけていると、
「…‥わかりましたよぉ」
 エリカはやれやれという表情で矢代の手を取り、部屋の中に引っ張った。その力がかなり強かったので、矢代はあわてて靴を脱いだ。
「何をするんだ?」
 足の踏み場もないくらい散らかった室内に、引きずり込まれていく。六、七畳の狭いワンルームに不釣り合いな広いベッドが置かれた部屋は、香水なのかアロマエッセンスなのか、バラの匂いがむせるほどにこもっていた。まるで花園の迷宮に迷い込んでしまったように、眩暈(めまい)が襲いかかってくる。
「ふふっ、先に利子払います」

 エリカは振り返りざま両手を矢代の首に巻きつけ、息がかかる距離まで顔を近づけてきた。近くで見ると目鼻立ちが驚くほど端整だった。とくに切れ長の眼が麗(うるわ)しいラメ入りアイシャドウや厚塗りのマスカラなど、派手な化粧に負けない生来の美しさがある。
「利子ってまさか‥‥」
「もちろんカ・ラ・ダで‥‥」
 苦笑をもらした矢代の口を、エリカの唇が塞いだ。分厚く塗られたリップグロスがぬるりとすべる。
「…‥よせよ」
 肩を押してキスをとくと、エリカは切れ長の眼を丸くした。まさかわたしの誘いを断るつもり? とでも言いたげな表情で、呆れたように見つめてきた。
(まいったな…‥)
 矢代は全身が熱くなっていくのを感じた。この女は男を舐めている。若くて綺麗というだけで万能の力を手にしているような、始末に負えない勘違いをしてしまっている。
 しかし、その勘違いを正すのは、インチキ・ペットフーズを届けに来た男の仕事ではなかった。
 欲望が疼(うず)いた。
 エリカはたしかに若くて綺麗だったけれど、それだけが理由ではない。
 彼女を抱くことで、ヒナとの距離を置きたい、心に余裕をもってヒナと接したい、という欲望が疼いたのだ。

 エリカは顔もスタイルも化粧も衣装もすべてがゴージャスで、場末のソープ嬢にはない華やかさに満ちており、男の征服欲も存分に満たしてくれそうだった。ヒナにはない魅力で興奮を駆り立て、夢のひとときを与えてくれるに違いなかった。
「…‥本当に、明日になったら払うんだね?」
 矢代がつぶやくと、
「ふふっ、ようやくその気になってくれました?」
 エリカは得意満面の笑顔で頷いた。憎たらしい笑顔だった。しかし、それが板についている。客観的に見て、彼女はヒナよりもずっと綺麗で、ずっと若かった。できることなら、抱き心地もずっとよくあってほしい。
 ヒナを忘れさせてくれるくらいに‥‥

 エリカの装いは、胸にフリルがたくさんついたギンガムチェックのシャツと、こちらもふりふりしたミニスカートだった。ふりふりしていることが逆に、スレンダーなモデル体型をひときわ伸びやかに見せている。髪は栗色に染められて螺旋状に巻かれていた。アクセサリーを首にも手首にも音が鳴りそうなくらい着けていて、ストーンが並んだネイルは家事を拒否することを宣言しているかのように華美だった。

「ぅんんっ…‥ぅんんっ‥‥」
 口づけをしながら、シャツのボタンをはずし、スカートのファスナーをさげていく。ブラジャーは白のレースだった。全体が細いのでサイズは控えめだ。ショーツも白のハイレグで、その上にやたらときらきらと光沢のあるパンティストッキングを穿いている。
 センターシームが生々しかった。

 ヘアスタイルもメイクも人工的な装飾が目立ち、手脚の長い体型はバービー人形のようなのに、そこだけが妙に女の匂いを放っていていやらしい。
 矢代はエリカを押し倒した。
 リップグロスがぬるぬるとすべるキスを続けながら、ブラジャーのフロントホックをはずし、カップを割った。手のひらにすっぽり収まりそうな乳房だった。サイズは控えめでも先端に赤く咲いた乳首は敏感そうで、早くも物欲しげに尖っている。「ぅんんんっ‥‥ぅんああっ‥‥」
 悶えるエリカの胸元のネックレスがいくつも下がっていた。耳に大振りのピアスが揺れ、手首には幾重ものブレスレット。裸身を飾るそれらのアクセサリーが、ストッキングのセンターシームとは別の意味で生々しかった。栗色の巻き髪や煌(きら)びやかなメイクもそうだが、キャバクラで接客している格好で白い乳房をさらしている姿に、得体の知れない劣情をそそられてしまう。

 敢えてアクセサリーを外さないまま乳房を揉み、乳首を吸った。ナイロンの妖しいぎらつきを指腹に感じながら、センターシームをなぞった。こんもりと小高い丘の丸みを、吸い取るように指を這わせていく。
「あああっ…‥はぁああんっ‥‥」
 エリカはみずから両脚を開き、指の愛撫を丘の下に呼び込んだ。スカートを穿いていたときからわかっていたが、腰の位置がおそろしく高く、両脚が驚くほど長い。そのくせ太股は逞しいほどむっちりと張りつめて、溜息を誘うくらい悩ましい。

 これほどの体をたかだか五万円弱のお金のかわりに差しだすなんて、どうかしていると思った。たとえば全額踏み倒されたても、お釣りがくるほどの役得かもしれない。
 エリカを四つ這いにした。
 Tバックを桃割れに喰い込ませた尻を突き出させると、光沢のあるナイロンに包まれた尻の双丘と逞しい太股はますますもっていやらしい眺めになり。熱っぼく撫でまわさずにはいられなかった。気がつけば頬摺りまでしていた。先程まで蔑んでいた女の尻に頬を寄せて、うっとりしている自分が滑稽(こっけい)で仕方なかった。桃割れの間に指を忍び込ませると、二枚の下着がじんわりと湿っていて、それを意識した瞬間、ズボンの中が痛いくらいに勃起した。

 矢代は服を脱いで全裸になった。
 股間で隆々と反り返った男のものに、エリカが目ざとく顔を近づけてくる。グロスで濡れ光る唇で咥え込む。矢代もエリカの下半身にむしゃぶりついた。股ぐらに鼻面を突っ込んで横向きにシックスナインの体勢になった。ざらついたナイロンに包まれている股間に顔を押しつけて甘い湿り気を堪能し、鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。バラの香りに包まれた部屋の中で、そこだけが獣じみた牝臭に彩られている。

「んんんっ…‥」
 エリカがネックレスやブレスレットをジャラジャラ鳴らしながら身をよじり。
「意外に変態なんですね。ストッキングの上からそんなにしつこく‥‥」
「ハッ、べつにそういう訳じゃ‥‥」
 矢代は苦笑したが、
「破っちゃってもいいですよ」
 エリカの言葉に息を呑んだ。なんて大胆なことをアッケカランと言うのだろう。べつにそんな趣味はないが、望み通りにしてやろうと思った。ビリビリと引き裂いて、光沢のあるナイロンから汗ばんだ素肌を剥き出した。そんな趣味はない筈なのに、無性に興奮してしまった。剥き出しになった桃割れの間から、発情した牝の匂いがむっと立ち上ってくる。白いショーツを片側に寄せると、じっとり湿り気を帯びたアーモンドピンクの花が艶やかに咲き誇った。
「ああんっ‥‥」
 エリカが喘ぐ。恥部を露出された羞恥(しゅうち)に眉根を寄せながら、男根をねろねろと舐めまわしてくる。そそり勃つ全長をあっという間に唾液でコーティングして、野太く漲(みなぎ)った根元をしごきたてる。
 矢代も負けじとアーモンドピンクの花びらに口づけした。舌を使って左右に開くと、薄桃色の粘膜からとろりと発情のエキスが溢れた。それを啜りながら、クンニリングスに没頭していく。舌と唇だけではなく、左右の手指までねちっこく動かして、女の性感を刺激する。

 エリカのフェラチオはさして練達ではなかった。それでも、舐めて舐められる双方向愛撫が欲情を揺さぶり、口唇の動きを活発にさせる。淫らに収縮する唇によって情熱的に吸いたてられると、矢代は我慢できなくなり、シックスナインの体勢を崩した。
 エリカの体を横向けたまま左脚だけを持ち上げた。それを肩に担ぎ、いわゆる松葉崩しの体勢で挿入の準備を整えた。
 口火を切る体位にしては珍しいかもしれない。ネックレスと乳房が卑猥(ひわい)なハーモニーを奏でる胸元と、破れたストッキングを同時に愉しみたかった。エリカは一瞬驚いたように眼を丸くしたが、すぐに蕩(とろ)けそうな笑みをこぼした。
「ふふっ、エッチィ。いきなり横ハメですか」
「悪くないだろう?」

 矢代はL字に開いたエリカの両脚の間に、いきり勃つ男根を埋め込んでいった。アーモンドピンクの花びらを亀頭でめくりあげ、薄桃色の粘膜をずぶずぶと窺(うかが)った。根元まで埋め込むと、すかさず腰を回しだした。グラインドをピストン運動に変化させていきながら、片手で乳房を揉みしだし、光沢のあるナイロンに包まれた太股を片手で撫でまわした。

「あああっ…‥はぁあああっ…‥くぅうううううーっー」
 他の体位よりも深々と繋がることができる松葉崩しに、エリカはすぐに夢中になった。ぐいぐいと送り込まれる律動の虜になり、栗色の巻き髪を振り乱しては白い喉を反らせた。ゴージャスなネイルの施された爪が剥がされてしまいそうな力で枕を掴み、彫りの深い美貌を生々しいピンク色に上気させていった。

 矢代もまた夢中だった。
 みずから男を誘う尻軽女のくせに。結合感は若々しく新鮮で、よく締まった。淫らなほどに大量の蜜を漏らし、あっという間にお互いの陰毛がびしょ濡れになった。なにより、首から上がキャバクラで接客しているままの派手やかさで、アクセサリーをジャラジャラ鳴らしてよがり泣く様子が、非日常的な興奮を駆り立ててきた。
 そろそろ正常位に体位を変えてフィニッシュに向かおうか‥‥。
 そう思ったとき、奥からチワワが駆けてきて、ベッドの下でキャンキャンと吠えだした。アコーディオンカーテンを自力ですり抜けてきてしまったらしい。

 エリカは一瞬だけ瞼(まぶた)を開けて濡れた瞳でチワワを見たが、すぐに眼を瞑った。目尻に涙さえ浮かべてよがっていたので、犬などかまっていられない様子だった。
 矢代は肩に担いだエリカの脚をおろし、結合したまま体位を変えた。予定を変更し、正常位ではなく四つん這いのバックスタイルだ。牝犬のように犯してやろうと思った。
「ああっ、いやあ…‥」
 結合の角度が変わって、エリカが喘ぐ。矢代は光沢のあるナイロンに包まれた尻丘を突き出す悩殺的なポーズに息を呑みながら。ピストン運動を再開した。細い柳腰を掴んで引き寄せ、斜め上に向けて連打を放った。
「はぁああううううううーっー」
 エリカがのけぞって獣じみた咆哮(ほうこう)をあげる。ワンオクターブ跳ね上がった。いまにも感極まるそうな悲鳴を放つ。

 その様子を、立ち上がったチワワがベッドの縁にしがみついて見ていた。唸っては吠え、吠えては唸り、悦楽(えつらく)をむさぼる飼い主を威嚇(いかく)する。
 だが、エリカも負けていなかった。濡れた唇から、迸(ほとばし)る悲鳴はすぐに小型犬の鳴き声を凌駕(りょうが)し、圧倒していった。背中に淫らな汗をびっしり浮かべてよがり。四つん這いの肢体を身も蓋もなく歓喜に震わせる。
「犬も呆れて黙っちまったぜ」
 矢代は興奮に上ずる声で言った。
「愛想尽かされないといいがなあ、こんな女。ご主人様じゃなくてただの牝犬だって」
 エリカは言葉を返せない。「ああっ」「いやあつ」と短く叫びながら、男根の抜き差しを受け止める事だけに没頭しきっている。ストッキングに包まれたままの逞しい太股と尻を、歓喜にぶるぶると震わせる。
 矢代はそのストッキングを破った。
 汗ばんだナイロンをビリビリにして、丸みを帯びた白い尻を剥き出しにした。いままで直接触れなかったのを後悔したくなるくらい、滑らかな触り心地がした。まるで剥き卵のようつるつるして、そのうえ生汁の天然ローション付きだった。
「ひいいっー」
 エリカが悲鳴をあげ、男根を包み込んだ部分がぎゅっと引き締まる。矢代は硬く漲ったペニス抜き差ししながら、左右の尻丘をかわるがわるビンタをした。打ち込まれるたびにエリカは、「ひいっ」「ああっ」と悲鳴を上げたけれど、拒みはしなかった。
「もっと! いいっ。いいいぃぃぃっ‥‥」
 それどころか、なおさら尻を突き出して哀願してきた。叩かれた衝撃によってヴァギナが一瞬引き締まり、結合感が深まるのが堪らないらしい。

 矢代は望み通りにしてやった。飼い犬の前で牝犬さながら燃え盛るキャバクラ嬢を、怒涛の連打とスパンキングでとことん責めた。やがて煮えたぎる男の精を噴射するまで、汗まみれのエリカを何度なくオルガスムスの高みへと昇りつめさせた。
つづく 第五章 舐めあう傷