自分の不倫に対する考え方はぶれ続け、自分のしている事は死をもって償うべき大罪だと感じられる時もあった。待澤と抱き合っていれば夫に会いたいと思い、夫の顔をみれば待澤に会いたいと思った。不倫をしたら、夫に対する気持ちがはっきり見えてくるかと思っていた。
本表紙金原ひとみ著

第二章 五月

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 初めて話した時から、待澤の言葉に特徴的なイントネーションがあるのに気が付いていた。知り合って間もなかった頃、どこ出身なのかと不躾に聞いた私に、二歳から八歳までアメリカで暮らしていたのだと彼は教えてくれた。日本に戻った時、日本語が変で、皆にいじめられてさ。彼は何故か恥ずかしそうにそう続けた。エイリアンエイリアンって言われていつも虐められたけど、俺から見たら皆同じ髪の色をして同じ目の色をして、ロボットみたいに並んでいる彼らの方がエイリアンに見えてしょうがなくてさ、

でもそれを言う相手がいなくて。小学校低学年の頃から、飛び抜けて背が高かったせいでいじめられてきた自分自身と重ねて合わせたのかもしれない。その時唐突に彼を意識した。私はこの人と付き合うべきだ。朗らかな話す彼を見ながら、十五歳の私はそう思っていた。でもそれが実現したのは、それから十三年後の事だった。初めて関係を持った時、彼は三十一、私は二十八になっていた。

 待澤とホテルで過ごした次の日の夜、昨日は楽しかったという内容のメールを入れた。他愛のないいつものメールのつもりだったけれど、寝て起きてサイドチェストの携帯を探り、寝ぼけたまま返信が来ていない事を知った瞬間、血の気が引くようにすっと眠気が消えた。

徹夜明けでホテルからそのまま仕事に向かった彼は、仕事から帰ってすぐ眠りについたかもしれない。そして寝不足のため、今もまだぐっすり眠っているかも知れない。都合の良い憶測をしてみたけれど、二人で過ごした夜の高揚が冷めやらず、普段はあまりメールを書かない類の言葉を打ってしまったのを思い出して、体が重たくなっていくのを感じた。

 ベッドの中でしばらく携帯を見つめていたけれど、自分の打った甘たるいメールを見返す気になれなくて、携帯を閉じて寝室を出た。キッチンでハーブティーを入れながら思う。待澤は、距離感を見失った私の言葉に、何かしらの違和感や嫌悪感を抱いていたのかもしれない。その疑いは、茶葉が吐き出していく薄い赤茶色のように、私の全身を染めていった。消し去りたいと思っても、赤茶色に染まったお湯はもう透明には戻らないように、不安は身体中に溶けていた。

 ソファに腰かけるとオットマンに足を載せ、ゆっくり時間をかけてハーブティーを飲み干した。持病や体調。メンタル面をカウンセリングし、一人一人にオリジナルの配合をしてくれる専門店で購入しているハーブティーを飲み始めてから、冷え性と原因不明の鼻炎が良くなった気がする。

 弥生を出産して一年ちょっと経った頃、突然経血量が増えた。そして念のためにと軽い気持ちで行った産婦人科で、子宮筋腫の可能性を告げられた。MRIの結果、二センチ大の奬膜下筋腫が一つ見つかった。妊娠に差し障りはなく、手術の必要もないと言われたけれど、増えたり大きくなったりする恐れもあるため、今でも五ヶ月に一度は検診を受けている。海外と日本を行き来していた頃、仕事が一番忙しかった時期も体を壊した事はほとんどなく、自然妊娠で健康な子どもを自然分免した自分が、婦人病を宣告されるとは思ってもいなかった。ここ最近、半ばオカルティックなハーブティーや健康食、ホメオパシーにまで手を出すようになったのは、子宮筋腫の事があったからだ。

 セロリの煮浸し、根菜の味噌汁、玄米、納豆。朝ご飯を作ると、携帯を開いた。メールが届いていない事を確認して、不安を無視するようにカメラを起動させ、ご飯に向けてシャッターを切った。ブログの更新が滞っているのを浜中さんに指摘されたばかりだった。煮浸しのレシビも一緒に載せようと、画像を保存しつつ弥生の部屋に向かった。

「弥生、そろそろ起きな」
 うーんと声を上げて、ピンクの布団にくるまった弥生は目を擦った。抱っこ、と甘える弥生を抱き上げてリビングに戻ると、二人でテーブルに並んだ。弥生の前にはビニールのマットを敷き、その上にお皿を載せていく。ねえママ、やよい髪伸びた? 私に憧れているようで、最近しょっちゅう肩下まで伸びた髪に手をやりながら聞く弥生に、伸びたよ、可愛いよと頭を撫でて、お箸を握らせ味噌汁のお椀を弥生の前に引き寄せた。

「パパは? お部屋?」
「うん。寝ているのよ」
 言いながら、何か付け加えるべきだろうかと考えた。お仕事で疲れてるのよ。夜は会えるよ、そのどちらも自分の推測に過ぎないことに気付いて、私は黙ったままご飯を食べ始めた。寝ているという言葉だって、憶測に過ぎない。夫と私の間には、もうほとんど会話がない。彼が今、どんな事で悩んでいるか、ドンなことを考えているか、もう分からない。二人の関係は、同じ家で生活を送りながらほとんど分断されてしまった。

 夫の店は経営危機だという。夫の店に限らず今は予算が一万を超える店はほとんど経営危機だというけれど、夫が経営状況について何の言及もしないから、この半年は本当にいつ潰れてもおかしくないという心構えでいた。それが現実となった時、借金を抱えていたらどうなるだろう。

彼は私にお金を借りる事は出来ないだろう。私は彼ほどプライドの高い男を見たことがない。だからこそ私は待澤という、仕事や年収にプライドを依託していない男に魅力を感じたのかもしれない。

 食器を片付けると、また携帯を開いた。ツダちゃんからお迎えの時間の確認と、真里ちゃんから来週水炊きパーティ来ませんかというメールが来ていただけで、待澤からのメールはなかった。

 車で十分の所にある実家のマンションへ弥生を連れて行くと、お母さんに弥生を預け、実家からツダちゃんの運転する車で事務所に向かった。「ロハスを味わう」という企画の撮影とインタビューの予定だった。メイクをされ、ロケに行き、衣装を着替え、撮影をし、ヨガやピラティスや健康食について話す。それが今日の私の仕事だ。自分にはもっと何か出来たかもしれないとか、自分にはもっと可能性がとか、今自分のいる場所は通過点だとか、そういう事は思わない。今ここにいる私が、私にとって、丁度良い私だ。

 デビュー後、とんとん拍子に仕事を増やして来た私が、初めて挫折を経験したのは二十三の時だった。ショーモデルとして、NY、果てはパリへと望んでいた事務所の意向もあったけど、私も単純に世界と言う言葉に憧れた。でも海外と日本を行ったり来たりして、海外では一人モデルズアパートメントに暮らし、オーディション、フィッティング、ショーに駆けずり回りながら、私は少しずつ諦めていった。

白人モデルばかりの中、言葉もほとんど通じず、他のモデルたちの中に渦巻く「のし上がってやる」という狂気のような向上心を肌で感じるたび、萎縮していた。日本で雑誌に出て、たまにCMやテレビに出て、周りにちやほやされて、安定した生活を送っているのが私には合っていた。千本ノックのような受からないようなオーディションを積み重ねる度、日本で培ってきたプライド修復不能の域まで傷つき、殺伐としたモデルの世界に馴染めずぼろぼろになった。

楽しい仕事もたくさんあったし、日本とは規模の違う仕事に感動もしたけれど、ゴキブリが体中に這うような、頭がおかしくなるほど嫌な事もたくさんあった。二十三という年齢も、アジア人である事も、英語が下手な事も、その頃流行だったドールフェイスでもない事も、私のコンプレックスになった。モデルという仕事をする中で薄れていたコンプレックスが、再び違う形で私にのし掛かってきた、強がりな性格があだとなって、ツダちゃんに泣きついてNYもパリも完全に諦めて帰国した頃には、軽い鬱に陥っていた。

 もうあの世界で戦わなくていいんだと安堵しつつ、自分が負け犬に思えなくてすっかりモチベーションをなくしていた頃、夫と出会った。そして出会ってから一年も経たないうちに妊娠した。あの時、もとも海外で自信を喪失していなかったら、産もうとは思えなかったかもしれない。つまり、プライド取り戻すために、私は出産を決意したのかもしれなかった。

 メイクルームに入ると、待機していたユリちゃんはおはようと声をかけ、すぐに携帯を開いた。12:38.メールは届いていなかった。待澤とは、朝、昼、帰宅後、寝る前、と一日に三回から四回程度メールをやり取りしている。待澤はもう、昼ご飯を食べ終えているだろうか。悲しみが襲って来て、怒りが襲ってきて、その次には虚しさ、そしてまた悲しみ、と何度も何度も激しい感情がぐるぐると入れ替わった。

待澤と関係を持って半年、こんなにメールが返ってこなかったのは初めてだった。携帯が疎ましかった。メール機能は人の不安の産物で、でもそうして発明されたメールのせいで新しい不安が生まれる。私はまた、私を避けるように生活しているあの夫と二人で生きて行かなければならないのだろうか。待澤の事を考えていたはずなのに、夫との生活に対する絶望が蘇った。

 これからどんな風に仕事をこなし、実家に戻って弥生を連れて帰宅し、料理を作り、寝かしつける。そういうことが出来ると思えなかった。でもするのだろうと思った。既視感に囚われて、私は初めて待澤と寝た時の事を思い出した、あの時も、明け方ホテルから家に向かうタクシーの中で、久しぶりのセックスで痛みに近い火照りを持つ股間を持て余しながら、これから帰宅して起き出した弥生の面倒を見て、仕事をして、またいつも通りの生活を送っていくのだと考えて、そんな事絶対に出来ない。

でもどうするのだろうと思っていた。その予測できる現実が、鳥が動物の死骸をついばみ少しずつ骨にしていくようにじわじわと私の生きる気力を蝕んでいっているような気がした。

 ユリちゃんがヘアアイロンで僅かに残る癖を伸ばし始めた頃、私は待ち受け画面を見つめるのを止めて、化粧品で埋め尽くされた化粧台の脇に放った。でも投げた後も、私は携帯から目を離せなかった。

「五月ちゃん連絡待ち?」
 ユリちゃんが何の邪気もなく聞いた。私は一瞬ひどく心許せない気持ちになってから、いきなり横暴な気持ちになって、ううん別に、素っ気ない声で言った。
「五月ちゃんが携帯見ているのが珍しいから」
「ちょっとね、弥生の事で旦那と喧嘩になって」
「そうなの? 亮さんって喧嘩とかするんだ」
「あんまりしないけど。ほら、幼稚園の事で。前に話さなかったっけ?」
「あ、言っていたね。どうするか決まった?」
「うーん、まあ大体の希望は。二年制だから、枠が少なくて入れるかどうか微妙だけど」
「そういうのって、コネとかでどうにかならないの?」
「うーん、確実なコネがまだ見つからないんだよね」
 こういう仕事に就いているという事で優遇してくれるところはあるけど、希望校の強力なコネは今のところない。女優やモデルのママ友に慌てて聞いて回っている所だ。そもそも、出だしが遅かった。もっと早く幼稚園のこと考えはじめていれば、三年制を受験出来ただろう。今年は仕事が多そうだからと安易に二年制を受けようと思ったのもまずかった。

二年制の枠が驚くほど少ないと知っていれば、仕事をセーブしてでも去年中にプレスクールに入れていただろう。東京の公立小学校の教員の質は最低レベルだ、それに有名人の子どもが公立に入ったら虐められる、そう言って絶対に私立を受験するべきだと主張していた夫は、店の経営危機という事もあるのかもしれないけど、既に幼稚園受験の事など忘れたかのように振る舞っている。

志望する園に合わせてプレスクールを選んだ私は、夫は何で相談もなくそんな勝手な事をと怒り狂ったけれど、毎日のように深夜遅くに帰宅して日中は寝ているあなたに相談をする隙も時間もなかったし、そもそも受験を押し付けといてあなたは何もしなかったと大喧嘩をして以来、幼稚園の話題はほとんど出なくなった。元々少なかった会話は、「弥生の近い将来についての話」がマイナスされて、更に減少した。

 ワンカットに百枚くらい撮ってるじゃないかと思うほど撮りまくるカメラマンのせいで、予定より三十分押しで事務所に戻ると、間髪入れずにインタビューが始まった。インタビュアーは当然のように家庭、母、というテーマを中心に話を聞く、そういうインタビューにももう慣れたけれど、ママさんモデルという言葉にいつも苛立つ。

ママがモデルになった訳じゃない、モデルが出産をしただけだ。でも次の瞬間には、何故自分がそこまでこだわっているのかよく分からなくなる。
「普段、旦那さんとは一緒に食事されますか?」
「しますよ。お昼は、夫が作ってくれる事もあって。夜は、彼がお店に出るので別々の事が多いですけど」
「お嬢さんは、お父さんの作る料理と、お母さんの作る料理とどちらが好きですか?」
「うーん、夫の方が好きみたいです。私の作る料理は、味付けが薄すぎるみたいで」

 インタビュアーは微笑んで、仲が良くていいですね、と言った。夫と最後に一緒に食事をしたのは、三ヶ月以上前の事だ。夫が私たちに食事を作ってくれるのは一年に一度か二度だ。今年に入ってからは一度も彼の手料理を食べていない。もっと言えば、最後に夫とセックスしたのは九カ月前だ。本当のことをいったら、どんなインタビューになるのだろう。ふと、待澤から返事がない事への不安が薄れているのに気づいた。仕事をしている間、私はあらゆることを忘れられる。仕事が無かったら、私はあらゆることを考えすぎて自滅してしまうだろう。

 インタビューを終えた後、浜中さんとツダちゃんとスケジュールの打ち合わせをして、ツダちゃんに実家まで送ってもらった。合い鍵を使ってタワーマンションに入るたび、実家なのに何故か罪悪感に駆られる。それはここが、私の父親でない男が買ったマンションだからかもしれない。ママおかえり、と抱きついて来た弥生を抱き上げると、キッチンにいる母親に遅くなってごめんと声を掛けた。

「弥生ちゃんがばあばあのお料理食べたというから、あんたたちの分も作ったとこよ」
「私の分?」
「食べていくでしょ?」
 いらないとは言えずに、うんと頷いた。カロリーも栄養も考えずに作られた母の手料理は苦手だ。ジムとヨガで絞った体が、母のさして美味しくもない料理で台無しになるのは耐えられない。
「体調は?」
「大丈夫よー。私もうずっと調子いいって言ってるじゃなーい」

 空元気よー。この人と一緒に食事をするのかと思うとどっと疲労感が増した。二年ほど前、母は細く長く患っていた子宮内膜症の根治手術を受け、それ以来更年期障害に悩まされている。それが嫌で避けてきた手術を、もう自然に閉経する頃になって決意した経緯はよく分からなかったけれど、とにかく参っている母の相手をするのが憂鬱で仕方ない。

 更年期障害が進んで困ったのは、元々折り合いの悪かった私の夫と母が完全に決裂した事だった。もうちょっと子供と過ごす時間を作りなさいとか、自分の仕事のことばかり考えてないでとか、確か母がそういう類の事を言ったのがきっかけだった。夫は激昂し、結婚に失敗したくせに人の家庭に口出すなと怒鳴り、それ以来彼らは一度も会っていない。母は私が中学生の時に再婚した義父とも今は別居しているし、姉はまだ子供もいないから、仕送りだけで母との関係を保っている。

つまり、この高層マンションの一室に一人取り残された母が頼れるのは、私と弥生だけというわけだ。弥生は母と上手くやっている。母は弥生の前ではヒステリックにならないし、それなりによく面倒を見てくれている。でも正直、母との関係に行き詰まりを感じていた。夫との不和で不穏な場所と化してしまった自分の家も嫌いだけど、更年期障害という、自分が直面するまで考えたくもないような状況に陥って参ってしまった母と娘と女三人で過ごすのも苦痛だ。

幼稚園に向けて言葉を伸ばすため、友達とのコミュニケーションを学ばせるためにと、しばらく休ませていた保育園に行かせ始めたけれど、正直なところ、母に頼り切りになるのが嫌でという理由が一番大きかった。

 十三の時に初めて男と付き合ってからずっと、男に欠落したものを感じて来た。特に夫に関しては、それを強く感じていた。出産したり、母の更年期障害を目の当たりにして、私はそれが子宮にまつわるエトセトラなんじゃないかと思うようになった。私は十代の頃に一度堕胎と、三年半前に出産を経験して、その二度の妊娠をきっかけに自分の人生が大きく変わったのを実感してきた。母は子宮と卵巣を摘出し、一歩男に近づき、鬱になった。男は、女が陥ったら鬱になるような状態まで生きているのだ。

女にあって男ないものは、自分自身の胎内にありながら自分自身を大きく左右し、人生をも変えてしまう抗う事の出来ない絶対的な存在だ。女は成長過程で思いのままにならない体や現実を受け入れ、その条件下で生きていく術を身につけていくのに比べて、男は絶対的なものが自分の胎内ではなく外にあると思い込むから、幻想を追い続けながら生きていく事が出来るんじゃないだろうか。でも私はいつか、自分の中にある絶対的な存在を、失うかもしれないのだ。

 子宮筋腫の事は、浜中さんと夫しか話していない。よくある病気で、月経のある女性の二割から四割が持っているものだという。それほど一般的な病気であることにも拘わらず原因ははっきりと分かっていない。でも、閉経した女性の筋腫が小さくなり症状がなくなる事、初潮を迎える以前の女の子に筋腫が出来ないことから、月経に伴う女性ホルモンが筋腫を作ったり育てたりという役割を担うっているのではないかと言うのが有力な説だ。

だとしたら、私は毎月毎月、生理を迎える事で自分の子宮の状態を悪化させている事になる。妊娠していない期間が続く事が、卵子が受精しないという事が、私の筋腫を育てているのだ。こういうことを考えていると、私は自分がどんどん母に同化していっているような気がする。

子宮筋腫は、高い確率で子宮内膜症を併発していると専門書に書いてあった。いずれ私も母親と同じ途をたどる事になるのかもしれない。例えば弥生が初潮を迎えた頃、私が子宮を全摘したとしたら、その時私は本能的に弥生に対して憎悪を抱くのではないかという気がする。そしてそれと同じょうに、私の出産から間もなく子宮を全適した母は、心のどこかで私を憎んでいるのではないかという憂鬱な疑問がいつも心に渦巻いている。

 ハンバーグを半分以上残して実家を後にし、誰もいない家に帰ると、弥生をお風呂に入れて寝かしつけた。寝息をたてる弥生の手からゆっくりと手を放してリビングに戻ると、テーブルの上で不在ランプを光らせていた携帯に一瞬どきっとしたけれど、母親とリナちゃんからのメールが入っているだけだった。もう十時を過ぎていた。待澤にメールを送ってから、丸一日が過ぎようとしている。

もう一通メールを入れようか。何か弁明するようなメールを、入れた方が良いのだろうか。でもここで入れたら。私は待澤との関係に於いて圧倒的に不利な状況に立たされてしまうのではないだろうか。でもそうして恋愛に力関係を持ち込んでいる自分がもうよく分からなかった。勢いよく起き上がり。パソコンを起動させた。メールの送受信をして、パソコンにも待澤からのメールは届いていない事を確認して、パソコンを閉じた。

つい一昨日の朝まで仲良く過ごしていた待澤が、もう二度と会えない人になってしまったのかもしれない。私は体中が冷えていくのを感じて、また携帯に手を伸ばしかけて止めた。キッチンに行くとウォッカをロックで注いで寝室に戻った、一気に飲んで眠りについてしまおうと思ったけど、私は舐めるようにウォッカを飲みながら、じっと携帯を見つめていた。

やっぱりもう一度メールを入れよう、目まぐるしくスピードで文面を考えながら携帯を手に取った時、携帯が震えた。待澤からのメールだと分かった瞬間、顔面に痛いほどの熱が生まれ、じわじわと全身に拡がっていった>

「今朝メールに気づいたんだけど、すごく急いでいたから電車で返信しようと思っていたら、携帯家に忘れちゃって。返信遅くなってごめん。でも帰宅して一分でこのメール書いているから許して。俺はずっと前から五月が大好きだよ」。読みながら、体中から力が抜けて涙が出た。待澤が好きだと思った。今すぐ待澤に会いたいと思った。でも次の瞬間には、涙が止まるほどの恐怖に包まれていた。

 会えば会うほど待澤が好きになっていく。私は、昨日送ったメールの締めくくりとして書いたその言葉を読み返した。私は待澤を失わなかった。でも昨日私は、いつか失うものとして考えてきた待澤が、失ってはならない存在となっているのを知った。待澤を失うかもと思い続けた今日一日、私が感じていたのは夫を失うかもという恐怖と、自分の築いてきた家庭が崩壊するかもという恐怖という類の危惧でもなかった。

私は彼と不倫を続ける生活の中で、いつの間にか自分と待澤を切り離して考えることが出来なくなっていた。自分を避け続ける夫と生活を共にしつつ冷静さを保っていられるのは、待澤という自分を承認してくれる絶対的な存在があるからであって、いざとなれば夫と離婚しても待澤が受け皿になってくれるだろうという安心感があるからであって、いざとなれば夫との結婚生活を続けるために、自分の家庭を壊さないために、不倫を続けていると言えるのかも知れなかった。私は弥生という三人ではなく、そこに待澤を含めた四人で、この家のバランスを保っていたのだ。

初めて待澤と寝た日、明け方ホテルから家に向かうタクシーの中で、これから自分がまた今までのように普通に生活を送っていくのだと絶望しながら、激しい後悔の念に駆られた。何故こんな事をしてしまったのかという思いでいっぱいだった。このまま連絡を無視し続け、なかった事にしてしまおうと思っていた。でも迷いの中で再び会う約束を交わし、再び寝て、同じように明け方ホテルから家に向かうタクシーの中で、私は待澤に対する好意と執着心が急激に高まっていくのを感じていた。

その時もう既に、私は待澤のいない生活を考えることが出来なくなりつつあった。始まった時からずっと、常に自分の不倫に対する考え方はぶれ続け、自分のしている事は死をもって償うべき大罪だと感じられる時もあった。待澤と抱き合っていれば夫に会いたいと思い、夫の顔をみれば待澤に会いたいと思った。不倫をしたら、夫に対する気持ちがはっきり見えてくるかと思っていた。

別の可能性を考える事で、夫の事を相対的に考えられるんじゃないかと思っていた。でも待澤と不倫を始めてから、夫に対する気持ちも待澤に対する気持ちも混乱に満ち、まるで自分が力任せに引きちぎられていくような思いに駆られるばかりだった。激しく渦巻く感情とは裏腹に、「気にしないで」と私は冷静を装うってメールを打ち始めていた。私は何故か、彼に正直になる事を強い抵抗を感じている。

 囲みの撮影を終えて、主催者に挨拶をしたらすぐに帰ろうと思っていた。少人数のパーティは好きだけれど、こうして百人も二百人も人が集まるようなパーテイは疲れて仕方ない。
「あ、木下さんだ」
「え、誰?」
「リンクの人。覚えてない? ワークスの広告持って来てくれたじゃん」
 ああと言ってその人の顔を眺めながら、曖昧な記憶を辿る。産後一年の間にこなした仕事は、過酷な育児と授乳によるホルモン過多のせいでほとんど記憶が残っていない。ライブ終わったら挨拶行こう、と言いながら浜中さんと苦手なタキシードのカマーバンドをぐっと引き上げた。

円形の舞台ではDJがハウスを流していて、その周りでは外国人ダンサーたちが踊っている。赤い照明とピンクの照明に交互に照らし出されているのは、イギリスの有名なDJらしいけど、私は知らない人だった。胸元の開いたミニドレスの裾をぐっと引き下げる。下げると胸元が危ないし、上げるとお尻が危ない。日本に初上陸するアナベラの衣装をもらえると知って楽しみにしていたのに、サンプルが少なすぎてサイズのあった物が見付けられなかった。

 アナベラの社長と経営者たちに挨拶をして、モデル仲間としばらく盛り上がっていたら、いつの間にか浜中さんの姿が見えなくなっていた。モデルや女優たちは、こういう時だけ異様に馴れ馴れしかったり明るかったりして、何かの症状みたいだと思う。いつもはさん付で呼ぶ子が五月ちゃーんと声をかけてきたり、べたべたとスキンシップを求めてきたりする。こういうパーティに出る事が仕事に繋がる時もあるけど、セレブなパーティで人脈を誇示して、狭い業界の内輪ネタで盛り上がっている人たちを見ていると、自分のいる業界が本当に下世話なものに感じられる。

 左手にクラッチ右手にシャンパングラスという格好で、給仕係からマカロンを受け取りぱくんと一個口に入れた瞬間、五月ちゃんと声を掛けられた。
「あ、リカさん」
 口をごもごとさせながら振り返り、一気に明るい気持ちになった。「moda」の編集長のリカさんだった。
「すごい綺麗! 五月ちゃんはやっぱすごいわ。うちの撮影受けてくれた?」
「はい。入り口で。何か今日はすごい人が集まってますね」
「アナベラだからね。演出もさすがのもんよね。写真楽しみにしてるわ。あ。ねえ五月ちゃんちょっと紹介したい人がいるんだけどいい?」

 三年前大手出版社から引き抜かれ、「moda」の敏腕編集者となったリカさんは、とにかく業界内の評判が良い人で、知り合ってすぐホームパーティにも行き来する仲になった。エッセイの依頼を受ける時も、浜中さんはブログの更新すらまともに出来ないのに反対したけれど、リカさんと仕事をしたいという気持ちから、すぐに承諾の返事を出して貰った。

「あ、ちょっと待っててね」
 リカさんは手で制するような仕草をしてからその場を離れ、一人の女の子の腕を撮って戻ってきた。新人のモデルだろうか。後ろにはマネージャーのような男の人が付いている。
「こちら、作家の土岐田ユカさん。五月ちゃん、デビュー作の「テッド」、面白かったって言ってたよね?」

 軽い驚きと共に彼女を見つめた。雑誌で見たことはあるはずだったけれど、記憶の中の彼女と目の前の彼女とが一致しなかった。彼女はどこか投げやりというか、面白かったでもつまらなかったでも気にしないというような口調で「ありがとうございますー」と微笑んだ。それにしても、読んだは読んだが面白かったと言った記憶はない。

「テッド、すごく面白かったです。土岐田さんってこういうパーテイ、よく来るんですか?」
「いや、よくは来ないです。そんなに呼ばれないんで」
「土岐田さん、クレアーズでアナベラのタイアップ小説書くんですって」
 リカさんがそう言って、新刊もすっごく良くって、今月号でインタビューしたのよと続けた。私は薄らいでいた小説の内容を頭に巡らせ、彼女がファッションブランドとタイアップするという事に違和感を覚えた。少なくとも、「テッド」は悪趣味小説と言ってもよいような小説だった。クライアントの求めているようなものを、彼女が書けるとは思えない。代理店が彼女の小説も読まず、ビジュアルだけで依頼したのではないだろうか。

「あ、私この間五月さんのエッセー読みました、すごく面白かったです」
 相手が悪趣味小説を書いている作家だから、何となく信用できない。本当に? と苦笑しながら言うと、彼女は大きく頷いて見せた。

「あれ、そう言えば二人の子どもって、同じくらいじゃないかしら?」
 リカさんが弾んだ声で言うの聞いて、一瞬何の事か分からず黙り込んでから、彼女を見つめた。
「子どもいるの?」
 私は思わず身をかがめて聞いた。BGMがうるさくて、背が高い私はかがまないと人の声がはっきりと聞き取れない。
「あー、はい。来月二歳になる娘が」
「うち、三歳半の娘。そうなんだ、全然知らなかった。公表してないの?」
「別に隠してないんだけど、私が記者会見とかマスコミにファックスとかしたらおかしいし」
 ママ友じゃないの、と何故か嬉しそうなリカさんは、後ろから話しかけてきた他誌の編集者と話し始めた、すぐに立ち去るかと思いきや、土岐田ユカは一歩私に近づいて、私はまた少しかがんだ。彼女は十二センチありそうなヒールを履いていたけれどもそれでも五センチヒールの私は視線が下を向く、彼女は百六十くらいだろう。彼女の目に映る世界を想像する。自分より十五センチ背が低い女の子には、この世界はどんな風に見えているのだろう。

「私、五月さんの事見たことがあるんです」
「え、どこで?」
「うち、ドリーズルームに子どもを預けてて」
「えっ、そうなの?」
「去年の夏頃かな、お迎えの時によく見かけてて、何度か挨拶も交わしているんです」
「うそー? 覚えていなかった、今も通ってる?」
「今もまさにこのドリーズにいます」
「そうなんだ、私、最近またあそこに預け始めた所なの」
「そうなんですか? じゃまた会うかもしれませんね」
「うん。そうしたらよろしくね。あ、さっき一緒にいた人って、旦那さん? いなくなっちゃったけど」
「旦那です。マカロンでも食べてるんだと思います」
「仲良いんだね」
「五月さんは、こういうとこ旦那さんは来ないんですか?」
 うちはほら、お店をやってるから、と眉間に皺を寄せて言うと、彼女は一瞬間をおいてからああと納得したように頷いた。多分、私の夫はシェフである事を知らないのだろう。

「じゃあ、ドリーズで会うのを楽しみにしてます。ちなみに娘さんて背高いですか?」
「大きいよ。四月生まれっていうのもあるけど、クラスでも飛び抜けて大きい」
「いいなー。私背の高い人って好きなんです」

 じゃまたと言って、彼女は去って行った。いつの間にか後ろに待機していた浜中さんが、今のだれ? と聞いてきて説明していると、視界の端に彼女の旦那さんを見つけて後ろから抱きついている様子が写り込んだ。私は、結婚して二年が経った頃から、夫をパーティに誘わなくなった。いつも忙しい忙しいと言いながら毎晩店を出ている彼は、私がパーティに誘うと、重要な客が来る時以外は大抵セカンドシェフに店を任せてパーティに付き合ってくれた。

でもそれが彼自身のスノビズム、人脈や店の集客という意味を含んでいるのが露骨に分かって、私はそれを強烈に嫌悪した。顔の知れた有名人ほど彼は馴れ馴れしく接し、すぐに名刺を渡した、そうしてそうやって集めた有名人の顧客にワインをサービスしたり、優先的に予約受け付けたりしているのを知って、私は彼に対する尊敬の念が薄れていくのを感じた。とうとう耐えられなくなって、パーティで名刺をばらまいたり、初対面の人に馴れ馴れしくしないでと言った時、彼はひどく憤慨してこれも仕事の内だと怒鳴った。

わたしは、もちろんそれと自分が完全に切り離せない事を自覚しながらも、そうして私と私の人脈、私の居る世界を混同して、そういう意図はなかったとしても結果的に利用している彼が許せなかった、そんな仕事与えてやるかという気持ちで、私は彼を誘うのを止めた。

 ライブが終わった頃、入り口の方から土岐田ユカが口をもぐもぐさせながら手を振っているのに気づいた。よく見ると、その手の親指と人差し指の間に二つか三つ、マカロンが挟んである。よっぽど気に入ったのだろうかと思いながら、木下さんと話していた私が思わず笑顔になって手を振り返すと、彼女は旦那さんと手を組んだまま会場を後にした。

彼女は、幸せそうだ。仕事も、それなりに上手くいっているのだろう。でも私は彼女に、決定的に欠如しているものを感じた。それは私の作家という職業に対する偏見かもしれないけど、何かを表現する人間として、彼女には主体性が大きくかけている気がした。その違和感は、自分がNYで他のモデルたちと比べて、自分に確実に欠けているものがあると感じた時のむ事を彷彿させた。

 結局、モデル仲間たちと二次会に流れて、帰宅したのは三時過ぎだった。シッターのハナちゃんを帰すと、私は一度弥生の寝顔を見に行って、リビングに戻った。「今家に帰ったよ。早く帰ろうと思ったんだけど、モデル仲間たちと二次会に行っちゃって、」待澤へのメールをそこまで書いた所で、玄関から音がした。私はメールを保存すると、液晶を下にしてソファに置いた。

「ああ、起きてたの」
 リビングのドアを開け、私に気づいた亮は嬉しそうでも嫌そうでもなく、ただひたすら「ああ」という表情で独り言のように呟いた。
「うん。今日はアナベラのパーティで、その後リナちゃんたちと飲みに行って」
 亮はそう、と言いながらキッチンへ行き、一本ビールを持ってきた。飲む? という一言がない事に、もう苛立ちも悲しみも感じない。
「お疲れ様」
 うんと言いながら、彼は私から一番遠いソファの端に座った。五人掛けソファの両端に座ったまま、私たちは視線も合わせず、お互いを牽制し合うようにしばらく黙り込んでいた。きっと彼は数分もしないうちに立ち上がり、お休みと言い残して自室に籠もるだろう。私はそう思いながら、気詰まりな空気から逃げるようにチェストにあったボディクリームを塗りたくって、足を揉みほぐし始めた。

「今日永吉さんが来て、五月のエッセイが良かったって言ってたよ」
「永吉さん、来たんだ」
「ああ、接待で」
「嬉しいな。あのエッセイなかなか評判いいの。そうそう、今日富山くんと会ってね、今度カシオカに行くって言ってたよ」
「そう言えば、予約入っていたな。またあの彼女と?」
「ユリちゃん? ううん。別れたんだって。週刊誌に撮られないように気を付けてあげて」
 亮の表情が、いつもより少し柔らかいような気がした。私は嬉しくなって、何かもっと話題はないかと記憶を巡らした。でも、土岐田ユカに会ったこと、彼女がドリーズに通わせている事を話そうと口を開きかけた時、亮は缶ビールを持って立ち上がった。じゃあおやすみと言う亮に、うんお休みーと答えながら、私はこれまで何度も亮がこのソファから立ち上がる度に感じてきた絶望を、また感じた。

 でも今、それは以前ほどの絶望ではない。不倫への罪悪感からかもしれないけれど、私は夫が私と関わりを避ける事に、さほど絶望しなくなった。それは、夫との関係が冷え切って以来ずっと苦しんできたスパイラルからの解放で、私は今、夫が立ち上がっても心穏やかに保つことが出来る。でも、リビングを出て行く夫を見ながら、自分が酷く情けない思いをしていることに気づいた。

結局私は誰とどんな道を歩んで行きたいのだろう。はっきりとした感情もビジョンも持たない自分自身が、自分意思と全く関係のない所で動いていっているのを感じた。私は待澤の気持ちや夫の気持ちを汲んで、それに合わせて自分の次の行動を決めているだけだ。それは一種の、屈辱に似た気持ちだった、しばらくぼんやりと宙を見つめ、ボディクリームを放り投げると、また待澤へのメールを打ち始めた。
つづく 第三章  ユカ
重要キワード 孤独な育児、キャバ嬢、ドラッグ、ツリー、ケタミン、女性蔑視