佳人と暮らし始めて気づいたのは、子供は自分を躾けるひとに甘えるという事だ。甘えないのは輪の性格なのだと私は思ってきたけれど、私や央太のように上も下も作らず好きに生きなさいという態度でいる親に、子供は甘えることが出来ないのだろう。

本表紙 金原ひとみ著

十二章 ユカ、五月、涼子編

「広告 セックス最中小さなチンコ、緩いマンコだなと感じるあなたも、他人にあれこれ言えない持ち主である。生出しで雰囲気を損なわず刺激と興奮に満ちたセックスで性戯も自然に上達し上手になれ男と女の深い愛情に繋がっていく。
挿入避妊具なら小さいチンコ、ユルユル膣であっても相手に満足させ心地よくイカせられる」

 入った途端鼻の奥が痛みだすほど、ラウンジは乾燥していた、ワンピースの袖を肘まで捲り上げ、お冷をもってきたウェイトレスにアールグレイを注文する。バッグから取り出したゲラをめくり、校閲の指摘の入った箇所を中心に確認していく。校閲者が鉛筆で書き込んだ漢字ドリルのお手本のような字と、私がボールペンで書き込んだ汚い字が、A3サイズのゲラにぽつぽつと穴を開けているように見える。

「すいません、お待たせしました」
 十五分前、慌しくやって来た青田さんにこんにちはと言いながら、ゲラをまとめて角を合わせる。
「いや、今日はほんと寒いですね。ついこの間まで上着もいらないくらいだったのに、こんなに一気に寒くなるなんて、今年は本当に異常気象ですね」
「そうですね。子供の保育園でも、今週に入ってから一気に風邪がはやり始めて」
「そうですか、いやあ、今会社でも咳をしている人が多くて。うちの保高はこの間マイコプラズマに感染して、死にそうな顔で会社来たんですよ。土岐田さんも気をつけてくださいね」
「まあ、子どもと生活していると、気を付けようもないんですけどね」

 言いながら、ゲラを渡した。拝見させて頂きます。と言って青田さんは原稿を受け取り、赤ペンを取り出し眼鏡を掛けた。青田さんがゲラをチェックしている間、私は携帯でニュースをチェックして、届いていた友達からのメールに返信を送った。携帯をバッグに放り込み、ラウンジから覗く日本庭園をじっと見つめながら、込み上げて来る憂鬱に気づく。

「ありがとうございます。問題ありません」
 青田さんそう言って、チェックを終えたゲラを鞄に仕舞った。その手で手帳を取り出し、「それ次の締め切りなんですが」と言う青田さんに苦笑しながら、私も手帳を取り出す。

「去年ひどい事になった年末進行です」
「すいませんでした、十日くらいでしたっけ?」
「そうですね。十日を目安にして頂けると助かります。まあ、その辺なら多少融通もききますんで」
「分かりました。今回はもう書き始めいるんで、何とかなると思います」
「でも、最終回が年末進行なんてちょっとあれですね」
「かなりあれですよ。もうちょっと計算して書けば良かった」

 言いながら、十二月十日の欄に「最終回〆」と書き込んだ。ふと、自分が何か遠い過去を思い出すような表情をしているのに気づいて苦笑する。たかだか一年半の連載なのに、もう五年くらい書き続けてきた小説の終わりというような気がする。それは、単純に小説に対する思い入れというよりも、この一年半、自分の身に起こった全ての事に対する思い入れに近いような気がした。確かに私この一年半、自分が過ごした時間を凝縮するように書いてきた。

「締め切りが明けたら、ちょうど年末ですし、ゆっくり休んでください。どこか行く予定とかありますか?」
「いや、締め切り明けたら、もう出産までゆっくりしようと思って」
「そうか。そうですよね。あ、あと、保高とも相談したんですが、連載終了のお祝いと忘年会を兼ねて、年内に一度お食事でもどうですか?」
「ぜひぜひ。来年に入っちゃうと、ちょっと危ないかもしれないんで」
「じゃあ、そちらに関してまたご連絡します」

 十分ほど最近の映画や漫画や、小説の話をしてから、すいません僕この後会議でと言う青田さんに、私はちょこっとここで執筆していきますと、バッグの中のパソコンを指さす。そうですかかと言って、青田さんは伝票を持ち上げてウェイトレスを呼んだ。
「ちょっと気が早いようですが、何だか一年半、あっという間でしたね」

「ほんと早かったです。最終回、もう三分の一くらい書いたんですけど、何か全然、終わるっていう実感がなくて」
「土岐田さんの事だから、まとめに入るような書き方はしないんでしようね」
「まだ三回くらいは続きそうな勢いのまま終わらせたいです」

 青田さんは意外そうな表情を浮かべてから、垂れた目を更に柔らかく緩めた。
「連載の依頼に行った時、土岐田さんが般若みたいに恐い顔したのが懐かしいです。この一年半で、土岐田さんが別人になったように感じます」
 ではと言う青田さんに会釈すると、私は持ったままの手帳に視線を落とした。十二月十日の「最終回〆」の書き込みを確認して、また憂鬱な気持ちが吹き出していくのを感じる。ページをめくりながら思い出した。再来週、十二月七日は、弥生ちゃんの命日だ。気づいた途端、暖房で火照りついた体からしんと熱が抜けて行った。五月と、もう連絡も取っていない。五月がそれを望んだわけでも、私がそれを望んだわけでもないが、子供を失った五月と、子供を失っていない私が離れたのは自然な流れだったのだろう。

もし私が輪を失ったとしたら、私は輪を知る全ての人と未来永劫関わりたくないと望むはずだ。状況が許するなら、田舎や海外に引っ越すかもしれない。

 弥生ちゃんが車に撥ねられたって。死んじゃった。事故のあった次の日、電話で私にそう伝えたのは涼子だった。どうしよう、電話から聞こえる涼子のヒステリックな声が、私の不安と恐怖を激しく煽った。私は混乱しながらも、私たちができる事なんてないよと言った。でもと言って言葉を詰まらせ、涼子は泣いた。何で弥生ちゃんという言葉に、私は少なからず動揺した。

私には、死ぬのなら私の子だという意識があった。そしてきっと涼子にも、死ぬのなら私の子だという意識が、あったのだろう。私はヤク中で、涼子は虐待をしていた。私も涼子も、自分の子供は最も事件や事故に近い所に存在していると、自覚していたはずだ。三人の中で五月だけが、母として正しく弥生ちゃんを育てているように、少なくとも私にはそう見えた。私や涼子が子供を軽くあしらい、うざったい気持ちを隠せずにいる傍らで、五月はいつも弥生ちゃんを笑顔で受け止めていた。最も悲劇が起こってはならない所に、悲劇が起こったのだ。

私は、涼子の取り乱した声を聞きながら、連載小説と並行して書き進めていた小説を思った。五月が不倫相手の子ども妊娠していると打ち明けた時から、私は五月をモデルとした主人公の小説を書き始めていた。友人の打ち明け話を小説に活かそうだなんて、不誠実な行為かもしれない。でも私はその小説を発表するしないに拘わらず、とにかくそれを書き上げない事には前に進めない気がしていた。

でも五月の持つ、不倫、妊娠、流産というキーワードに「我が子の死」が加わったことを知った瞬間、私はあの小説を書き上げられる事はないだろうと思った。私の小説は、現実に負けたのだと思った。私の小説は現実の強度に打ち勝ってなかったのだ。あの時のヒロインは完成した。

私が永遠に小説を書き得なかったであろう悲劇のヒロイン像は、現実で完成したのだ。弥生ちゃんの死を知った時、私は小説が否応なしに包括している卑俗さを知った。弥生ちゃんが死んで、私は小説が嫌いになった。例えば高熱を出している人が小説を読まないように、裸族に小説が必要ないように、少なくとも友人の子供の死を知ったあの瞬間、私には小説が必要なくなったのだ。

 今月、輪は三歳になった。今年の運動会では一人で徒競走に出て、ラインダンスを踊った。あと一年経てば、彼女は死んだ弥生ちゃんの年齢を追い越す。輪は着々と語彙(ごい)を増やし、今では「考える」とか「感じる」などの高度な動詞を使いこなし、「私洗い物ってほんと嫌いなの」とか「昨日の残り」などと私の口癖を多用しつつおままごと遊びをする。二歳児によくあるというイヤイヤ期らしいものもさほど親を困らせるものもなかったし、彼女が今私に漏らす甘えは寝付く直前の「こちょこちょして」という要求のみだ。

何が良いのか分からないが、足の裏や指間を爪の先くすぐってやると輪は安心したように目を閉じ、すぐに穏やかな寝息をたてて眠りにつく。出産したばかりの頃はここまで手がかかるものかと驚いたが、今では三年でここまで成長するものかと驚かされる。輪が三歳になってから、よく弥生ちゃんの事を思い出す。五月は、こんな時に弥生ちゃんを失ったのだと、強烈に思い知らせられる。

 しばらく表舞台から姿を消していたようだったけれど、この間、ファッション誌でちらりと五月の姿を見た。最近は、ショーの仕事を中心に活動しているようだった。弥生ちゃんが死んでから今までの間に。五月に会ったのは一度だけだ。弥生ちゃん死んでから一ヶ月あまり経ち、年末年始休みを終えてドリーズが再開した頃、いつものように輪を連れてドリーズから帰宅した私は、マンションのエントランスで五月を見つけた。ミーティングスペースのソファに腰掛け、サングラス掛けた彼女に五月と声を掛けながら、次に何と言ってよいのか分からなくなり、私は緊張を紛らわすため、「五月久しぶりだね」と輪に囁いた。

「やよーちゃんは?」
 エントランスに響き渡った輪の言葉に動揺した私と反対に、五月は落ち着いた動作でサングラスを外し、私ではなく輪を見つめた。五月はうっすらと微笑んで、やーよいちゃんは? という言葉に対する答えのように「おかえり」と言った。喉がからからに渇いて、舌が不自由に動いた。五月、と発した言葉が恐ろしく小さく響いた瞬間、五月はその先に続く言葉を遮るようにして「誕生日プレゼント、渡し損ねちゃったから」と掠れた声で言って、紙袋から綺麗に包装された箱を取り出した。

「遅くなったけど、お誕生日おめでとう」
 しゃがんで差し出した五月からプレゼントを受け取った輪は、ありがとう、と大きな声で言った。
「二歳おめでとう。優しい女の子になってね」
 輪は意味が分からないのか、黙ったまま大きく頷いた。
「抱っこしてもいい?」
 輪がほんの僅かに頷くと同時に、五月は両手を広げた。輪はためらったように一度私を振り返ったけれど、すぐに律義な動作でプレゼントを床に置き、五月の胸に収まった。やっちやんは死んじゃったんだよ、もう会えなくなっちゃったんだよ、そういう話はしていた。ドリーズでもスタッフ皆で黙禱を捧げたり、月命日にはたくさんの花が手向けられたり、お友達を失った子供たちに対してもそれなりの説明をしているようだったけれど、

カブトムシが死んだとか、踏んだら蟻さん死んじゃうよと言うのとは違って、二歳や三歳の子供に友達の死を伝えるのは途方に暮れるような難しさで、その難しさと向き合うことは、自分の中の「何となくこういうもの」として片づけてきたものをほじくり返して再確認する行為でもあって、私はそれを雑に避けながら「何となくこういう事」として輪にずさんな説明をしてきたのだと、輪を抱きしめる五月を見ながら自覚せざるを得なかった。

 五月は輪を抱きしめ、何度も何度も薄い髪の毛や背中を撫でた。五月が輪から身体を離し、その顔をじっと覗き込んで笑いかけると、輪は事の深刻さをそれなりに理解しているかのように、厳かに微笑み返した。
「私輪ちゃんに、どこかでシンパシーを感じていたの」
「そうなの?」
「うん。輪ちゃんを初めて見た時、自分の子供の頃に似ているなって思ったの。弥生は旦那似で、私に似ていなくて、初め見た時、弥生より輪ちゃんの方が私に似てるなって、こんな、自分に似た子供を育てられたら幸せだろうなって、思ったの」
「女の子って、男親に似るのよね。輪も、私には全然似てない」
「でも私の子供は弥生だけだった」

 輪を抱きしめる事で、撫でる事で、それが我が子ではない事を確認したかのように、五月は納得したような表情をしていた。五月が輪を抱きしめた時、五月は輪を殺すのではないか思った。殺されてもいいと思うほど、五月は神々しかった。私たちが抗う事など出来ない。神のように見えた。

 その場で五月と別れて、帰宅した輪がばりばり破いた包装紙の中には、Bonpointのワンピースとカーディガンが入っていた。さすがモデルだなと思ったのは、輪は明るい色の服は似合わない、男の子の服の方が似合う、と話していた私は「これなら」と思わせる。タックのみが飾りになっているシックな濃紺のワンピースと、いつも男の子用の服ばかり着せられている輪が「うわあ」と惚れ惚れした控えめなレースのついた薄いブルーのカーディガンというセレクトだった。

五月はつまり、私だけが喜ぶ物でも、輪だけが喜ぶ物でもなく、私と輪が一緒に喜べる物を、選んでくれたのだろう。やよーちゃんみたい。そう言ってワンピースを胸元にあてている輪に着てみようかと言って、私はワンピースとカーディガンを着せてやった。はっとするほど、輪は可愛らしく、女の子らしいかった。これからはこういう服も着せていこうと思いながら、普段ズボンばかり穿かせているせいか、着心地の悪そうな表情でスカートの裾を捲り上げ腿をぽりぽりと掻く輪を見つめ、私は自分があらゆる事に、後悔に似た気持ちを抱いているのに気がついた。

 ラウンジ内の照明がぐっと落とされたのに気づいてパソコンから顔を上げると、既に陽は落ちきっていた。携帯で時間を確認して、慌てて会計を済ませると、私は足早にホテルを出た。十分ほど歩き、ドリーズの前の坂道を上り始めた時、随分とお腹が重たくなったのを感じる。四月に妊娠に気づいてから七ヶ月、あっという間に腹が膨らんでいったように感じる。

この間の検診では、胎児の推定体重は千七百グラムだった。輪の妊娠中は、まだかまだかという気持ちでいた。妊娠期間って長いですね、とぼやいて、二人の子持ちである担当の女医に「産まれれば数十年離れられないんです」と、哀れみに近い目を向けられたのが懐かしい。仕事に育児にと忙しい生活の中で、妊娠している事すら忘れがちな第二子は、正直あと半年くらいお腹に入ってもらいたいぐらいだ。

最後の妊娠になるかもしれないのに、最後の出産になるかもしれないのに、もっと味わっておきたいのに、という気持ちは強烈にあるものの、現実は今目の前にいる輪や夫の事だけで精一杯だった。

 初期に少し小さめだと言われたり、五ヶ月でもう尿蛋白がプラス、と言われたりもしたけれど、そうして生活に追われたから、深く考えもせず楽観的でいられた。そして深く考えずにいられたというのは、やはり順調だったのだろう。五ヶ月後半の超音波検診で「女の子、っぽい」と言われてからその判定は覆る事なく、先生は検診のたびに口調を断定的に変化させていき、この間は「割れ目が見えますね」とエコー写真を使ってその部分を指し示した。男の子が欲しかった私は落胆したものの、輪が妹と聞いて喜んだこともあって、少しずつ女多勢の家庭を楽しみにする気持ちが募っていった。

 ドリーズで輪を引き取ると、私たちは手を繋いで帰路を歩んだ。今度のお休みはぞうさんの公園に行きたいであるとか、向こうのコンビニに寄ってチューブタイプのアロエヨーグルトのアロエヨーグルトを買いたいであるとか、そういう輪の要求に応えつつ帰宅すると、二人でヨーグルトやビーフジャーキーを食べながら保育園での話を聞き、歌やお絵描きに付き合った。

輪が言語コミュニケーションに長けてきた事もあるけれど、私は今かつてなく輪と向き合う事が出来ているように感じる。それまで、嫌々相手をし、どこかで拒否し、どこかで無視し続けてきた輪という存在を、やっと真正面から認める事が出来たような、そんな気がする。安定期に入ったのを機に、妹か弟がお腹にいるんだよと説明された輪は、一緒に入っている毎日のお風呂で日に日に大きくなっていくお腹を見ながら、私と共に新しい子供の誕生に立ち向かうのだという意識を高めて行ったのかもしれない。

妊娠して以来、私と輪の絆は急激に強まったように感じる。胎動が激しくなり始めた六ヶ月の頃、寝かしつけのために一緒の布団に入った時、膨らみ始めた下腹部に輪の手を触れさせた。活発に動いていた胎児が子宮の中から輪の手を蹴った瞬間、輪は目を丸くして私を見つめた。赤ちゃんが蹴ったの? 何で蹴ったの? と聞くと輪「遊んでいるんじゃない」と答えると、「ボールで遊んでいるのかな」と言って輪は愛おしそうにお腹を撫で、「おーい!」と臍に向かって呼びかけた。

その時私は初めて、「この子を産んでよかった」と、かつて自分が選択した輪の出産という行為を称賛する事が出来た。私のした事は正しかったのだと、はっきりと断言する事が出来た。輪を産んで良かった、出産から三年が経ち、やっとそう思えた瞬間、私は本当にほっとした。

 女性ホルモンのせいか安定期に入った頃から、私は生まれてこの方感じた事のなかった「部屋を綺麗に保ちたい欲求」に駆られ、常に部屋を片づけ続け、インテリアデザイナーを紹介してもらい内装を整えた。生まれて初めて花瓶を買い花を生け、引っ越した当時のサンプルの中から三十秒で決めた白いカーテンを捨て、デザイナーの意見を聞きながら光沢のあるブラウンのフラットカーテンに替え、換気扇やお風呂を専門業者にクリーニングしてもらい、精液愛液垂れ流しで染みだらけだったシーツを全て捨てシルクのチャコールグレーのものに買い揃えた。

輪の部屋にも子供部屋らしい収納や小さい家具を揃え、飾り気のなかったステンレスの照明もピンクの鳥かご型の照明に替えた。殺伐とした倉庫のような家に少しずつ生命力が満ち、生活空間が美しく整うと、私はヤク中が幻覚剤打った瞬間に感じるような安らぎを得た。生まれて初めて、家を愛おしく感じた。赤ん坊がハイハイし始めれば出して置けなくなると分かっていながらガジュマルやオーガスタなどの観葉植物を買い、アロマディフューザーをリビングと寝室に設置し、

お風呂上りには毎日ボディクリームを塗り、規則正しい生活を心掛けて、週に二、三度パン焼き器でパンを焼き、毎朝マリアージュフレールの紅茶を淹れ。この間は初めて自分でピクルスを漬けた。期間限定と分かっている。かつて、お菓子作りにハマって三ヶ月間に一日に二つも三つもケーキやクッキーを作り続けた事もあったし、筋トレにハマってランニングマシンを買い毎日一時間半のランニングと腹筋背筋三十三回セットのメニューをこなして腹筋を割り体脂肪率を十二%まで落とした事もあった。

一過的なものに過ぎない。このセレブ主婦的な生活は、出産を機に音を立てて崩壊するに違いない。赤ん坊と暮らしながら、このスローライフを維持出来るはずがない。でも、私は赤ん坊だった輪を育てていた時とは全く違った気持ちで、生まれてくる赤ん坊を育てる事ができるような気がしていた。

央太と暮らしていた時にはなかった安心感が今、この家にはある。央太と結婚していた七年間、私は真っ暗な海底にいるような浮遊感の中にいた、七年間ずっと、私は現実を生きているような気がしなかった。出産、育児という現実的な行為を続けながら、私は何処となく浮遊していた。それが央太の性質のみによって引き起こされた事態だとは思わない。ただ私はずっと、彼といると自分の中にある種の魔物的なものが権力を持っていくのを自覚していた。そして無意識的に、私はそれを利用していた。

私は彼と居ればいるほど魔物的な悩みを抱き、魔物的な生活に埋没し、そうして肥大した己の魔物性を小説に向けて来た。でももう限界だった。全てが限界を迎えていた。央太の浮気を疑い部屋を漁り、輪の誕生日に失踪するという失態を繰り広げてから、私は身じろぎ一つせずその臨界点を見つめ続け、最後は央太の携帯を盗み見て飲み屋の女の子とのメールのやり取りを見つけて怒り狂い、半ば言いがかりをつけるように離婚した。

数回上司と店に行っただけだ、メールを見ればわかるだろうがプライベートな関係は何一つない、そもそも最後のメールは二カ月も前じゃないかという央太の言葉を、私は聞き入れなかった。自分の中にある魔物を刺激する央太という存在に、刺激に刺激を重ねはちきれんばかりに肥大しきった魔物に、私は恐れをなしたのだろう。

破裂しそうな巨大な風船の元から逃げ出すように離婚して、私は新しい男と恋愛を始めた、私のとった行動は、誠実ではなかったかも知れない。私は最後まで魔物と向き合うべきだったのかもしれない。ただ、私は何故愛する央太という存在が、愛おしくて仕方なかった夫という存在が魔物を刺激するものとして機能する状況に陥ってしまったのか、その理由が分からなかった。

多分、私も央太も、そんな事を求めてはいなかったはずだ。でも何故か、私たちの関係はいつの間にかそういうものに変容し、破綻していった。恋人や夫婦は、そういうものかもしれない。長年連れ添う中で、愛情以外の他意を含んでいくものかもしれない。純粋な恋愛感情のみが、恋愛関係を継続させていくわけではない。それが分かっているし仕方ない事だ。でもうんざりだった。

私と央太の関係が継続すればするほど肥大していく魔物に、私はうんざりしていた。私は恋人と、分かりやすい二極的な関係の中にいたかった。象徴的だったのは央太が間違って送信してしまった文章ファイルに対する私の反応で、私は何故あの文章を読んでしまった事を央太に話さなかったのか、何これ何で私の名前が別の名前に変えられてるのと問い詰めたりしなかったのか、そして何故、私はあの文章を読んで、央太に対する愛情を深めたのか。

それは私にとって最も解しがたい疑問だった。私あの文章を読んで央太に対する愛情を深めた自分自身こそが耐え難かった。そういう形で央太の魔物、私の魔物を認めてしまう自分自身最も気持ちが悪く、最も忌み嫌うものだった。愛しているから一緒にいたい、愛しているから一緒にいる、愛されれば愛されるほど幸せ。そういう関係を、私は愛おしい男と共に築いて行きたかったのだ。そうしてそういう関係を、私は央太と築けなかった。

どんどん私たちの関係は。正反対の方向に向かっていた。新しい夫は私の望み通り私を愛する。私は共にする限り、シンプルな恋愛をしていられるだろう。私たちの間に子どもが出来たのは愛し合ってセックスをしたからであって、それ以上の意味も以下の意味もない。そういう認識のまま出産に挑み、私は彼との間にある愛情の証として我が子を出産し、彼と共に輪と新たな子供を慈しみ続けるだろう。

 携帯を見つめ、桂人は「師走かあ」と呟いた。輪がその隣で「しわすかー」と真似をする。
「十二月って事だよ。分かる? 十二月って」
「分かるよ。いちがつ、にーがつ、しーがつ、ごろがつ、しろがつ」
 最近少しずつ月日、曜日、時間の感覚を持ち始めたらしい輪が、言いながら隣の佳人の膝に足を載せる。輪は隣にいる人に足の裏をくっつけたり押つけたり載せたりする癖がある。常に足の裏を押し付けられていると私は苛々して仕方ないのだが、佳人は特に気にならないのか、いくら踏みつけにされても注意すらしない。
「もうすぐ今年も終わるんだよ。今年って言っても分からないか」
「分かるよ。今年が終わったら来年になったら、輪はお姉ちゃんだ」
「パパは?」
「パパは、パパのままだよ」
「何で?」
 シツコク聞き続ける輪に、佳人は困り顔で「妹が生まれも輪は女の子だろ? 妹が生まれて変わる事と、変わらない事があるの」と説明し、「ほら支度支度」と輪の肩を叩いた。去年の暮れに離婚して、今年初めに佳人と暮らし始め、一日一個のチロルチョコで餌付けされた輪があっという間に佳人に懐いて以来、保育園への送りは彼の役割になっている。

「検診、今日だよね?」
「うん」
「気をつけてね。出血の事、ちゃんと聞くんだよ。何かあったら連絡して」
「大丈夫だと思うけどね。出血っていうほどの事でもないし」
「ちゃんと聞くんだよ」
 はいはいと答えると、佳人は支度をしにリビングを出ていった。輪が着替えや身支度、トイレや片付けを一人で出来るようになったのは、偏に佳人のおかげだ。これまで私も央太もしてこなかった躾というものを、佳人はこの家に持ち込んだ。一人でさっさとトイレに行き、オムツからパンツに穿き替え、靴下を穿き、リュックに連絡帳とお気に入りの玩具を詰め込み意気揚々と玄関に向かう輪を見ていると、私は一年前とは全く違う家庭に居るような気になる。

ベビーカー乗る? 抱っこがいい。という佳人と輪のやりとりを聞きながら玄関に向かい、少し歩けば? と小言を言うと。輪は抱っこがいいと繰り返し、靴を履くと佳人に向かって両手を伸ばした。佳人と暮らし始めて気づいたのは、子供は自分を躾けるひとに甘えるという事だ。甘えないのは輪の性格なのだと私は思ってきたけれど、私や央太のように上も下も作らず好きに生きなさいという態度でいる親に、子供は甘えることが出来ないのだろう。

私はあなたの責任者である、というような毅然とした態度で面倒を見る佳人には、輪は言い付けも守る代わりに激しい甘え、我が儘を言う。生まれて来た時から慣れ親しんできた私や央太には甘えず、突如現れた責任者面をした男に甘える輪を見て、当初私は激しい違和感を覚えた。

「ママのお腹には赤ちゃんがいるから、輪ちゃんはママに抱っこって言わないように我慢してるんだよって、この間言っていたよ」
「へえ。初耳」
「だから俺は少しくらい甘やかしてもいいだろ」
 抱き上げられた輪は佳人の首筋に抱きつきも私をみやってにやりと笑った。男って馬鹿よね、とでも言いたげな輪に笑い返して、いってらっしゃいと手を振った。

 ほんの僅かに、おりものが薄いピンク色になっているような感じの出血がありました。そう話すと先生は細い眉を上げ、見てみましょうと呟いて立ち上がった。お腹にエコーを当てて胎児の大きさを測った後、ここが胎盤ですと先生は画面を見て指差し「胎盤の位置は問題がないので、胎盤からの出血ではないでしょう」と言った。

 ベッドから起き上がって移動すると、パンツを脱いで両足を開く形で診察台に座った。手袋をつけた先生が子宮口の固さを確認し、コンドームを被せたエコーを挿入して子宮頸管の長さを測り「三十八ミリ」と言った後「問題ありません」と断定した。

「まあ、たまに原因不明の出血はあります。おしっこを拭く時に引っ掻いてしまったとか、膀胱炎という可能性もありますけど、少量の出血一回きりという事なら。特に気にする必要はないと思います」
「そうですか。慌てて夜間診察とかに来なくて良かったです」
「今回は様子を見て正解です。とりあえず大台の二千も目前だし、あとは一ヶ月でどれだけこの子が頑張ってくれるか、見守るしかないですね。確か、あなたは一人目の時も最後の検診で推定二千四百くらいで、実際出てきたら二千五百あったので。まあ今回も何とかなるでしょう」

 出産の何が怖いかと言うとばがばがになってしまう事で、輪の妊娠中、それを避けるために帝王切開という道も真剣に考えたくらいで、輪を出産した一ヶ月後央太とヤッとき、央太がイケなかったらどうしようと怯えていたのを覚えている。今回は出来るだけ輪と同じくらいで、或いはもう少し小さいまま出てきて欲しいというのが、不謹慎かもしれないけど本音である。

 二週間後に検診の予約を入れ、会計を待っている間、「子宮口も開いていないし頸管も四センチ弱あったし、胎盤も問題なしだって、多分私の見間違えか、少なくとも子宮口じゃない所からの出血だと思う」とメールを打ち込み佳人に送信した。痛みも張りもなかったため、まあ大丈夫だろうとは思っていたけど、私自身ほっとしていたのも事実だった。

 タクシーに乗り込むと、私はオフィス街の駅名を告げ、深く座ったまま母子手帳を開いた。腹囲はとうとう八十を超えた。血圧は少し高めで、相変わらず尿蛋白が+、体重は五十五キロが目前に迫っている。輪の時は四十七キロで出産をしたのに、きっと二度目だから気が緩んでいるのだろう。母子手帳に挟まっていたエコー写真を見つめる。頭の輪切りと、足の写真だった。もう身体全体を楽しむような週数ではなくなってしまったけれど、それでもお腹の我が子を映したそれは、毎回私に新鮮な喜びを与える。

生まれてしまえばうるさく、うざったく、良いことばかりじゃないと分かっているが、お腹にいる間は否応なしに愛おしい。私が死ぬ間際、この人生で一番幸せだったのはいつだったかと振り返る余裕があるとすれば、恐らく妊娠期間を思い出すだろう。出産でも、子供との生活でも、央太との生活でも、佳人との生活でもなく、お腹に子を抱え、その未知の存在に思いを馳せている今の事を、思い出すだろう。

大通りでタクシーを降りると、私は一本裏の通りに入ったマンションのエントランスに入った。603と番号を押して呼出ボタンを押すと、ほどなくしてドアが開く。エレベーターに乗り込み、六階で降りると通路を歩み、603号室のインターホンを押した。央太は久しぶりと言いながら、ドアを大きく開いて招き入れた。

「今回あまり大きくならないな」
 央太は部屋に上がった私をさっと観察するように見た後、そう言った。
「輪ちゃんとは仲良くやってる?」
「旦那に懐いちゃって、旦那の連れ子みたい」
 妊娠五ヶ月の頃、丁度離婚から半年が経ち、佳人と入籍した直後から、私は央太に会うようになった。離婚の公正証書を作るために二人で弁護士の所に行って以来会っていなかった央太に、私は会いたいとメールを入れ、この家にやって来た。そして何となくうやむやにセックスした後、私は妊娠の事実を告げた。あと数ヶ月早くここに来ていたらどっちの子か分からなくなってたなと央太は言って、いやでも妊娠してから来たのか、と一人で納得したように続けた。私はもう、自分自身に呆れたり悲しんだり苦しんだりする事に意味を見いだせなかった。こうして、どうしようもない形で私の人生は続いて行くのだろうと思った。

「去年、友達の子どもが死んだの、覚えてる?」
「ああ、あの、モデルの友達の」
「うん。この間思い出したんだけど、来週、その子の命日なの」
「ああ、もう一年経つんだ」
「央太と離婚するちょっと前だった」
「じゃあ、もうちょっとで離婚して一年か。そうか。年末だったよな」
「何か、今でもその子を死が体の中に残っているような感じがするっていうか。変な感じがするんだよね」
「変な感じ、ね」
「これまでさ、祖父母とか、例えば広田さんとか、根津さんとか、身の回りの人が死んで、お葬式行ったりしてきたじゃない。で、そういう人の死って通り過ぎて行くものじゃない。でも何か、その子の死には、現在進行形で継続しているような気がして。葬式に行けなかったせいかもしれないけど」
「葬式で人の死を何となく納得して終わらせるより、そうやって継続する死の方が、正しい死なんじゃないの」
「正しい死、ね」
「人って、死ぬと葬式挙げられて、火葬場で焼かれるじゃない。そういう死に対処していくルールがあるわけじゃない。多分さ、家族が死んだら好きに葬っていいんですよって、水葬でも火葬でも土葬でも、死体をホルマリン漬けにしてもミイラにしても、剝製にしてもいいですよって言われたら、皆困ると思うんだよ。人の生とか死とかって、ある程度何らかのルールの中にないと、どうして良いか分からなくなるもんだなと思うんだよ」

「私ちっちゃかった頃、親が死んだらって想像したら凄く悲しくて、山小屋みたいな所で礫みたいにしてずっと死体を置いて置きたいって思ったの。でも母親にそれを言ったら、腐っちゃうよって言われて、悲しいやら悔しいやらで、納得いかなくて」

「大人には、死んだらお通夜、お葬式、火葬、納骨、っていう、死ぬ人と死なれる人の間に、死んだらこうなりますよ、っていう相互理解があるわけじゃない。でもね小さい子供は自分が死んだらどうなるのかとか、死がなんなのかと分かっていないから、だから取り残された方には未消化なものが残り続けるんじゃないかな」

「でも大人たちのその相互理解って、共同幻想みたいなものでしょ?」
「だから正しいんじゃないの。ユカは小さい子供の死と直面して、自分が記号的に捉えてきた死に疑いを抱いて。もう一度死になるものを再設定しなければならない状況に置かれた。でもユカがそこで再設定してしまった時、ユカはある種の怠惰さをもって、誤解と共にその子の死を終わらせる。だからその子の死が体内で継続している状態こそが、正しい死なんじゃないかと思ったんだよ。そもそも、生と死っていう概念を取り払えば、人には生も死もないと言えるわけじゃない」

 私は何も答えないまま、じっと天井を見つめた。央太は、正しい事を知っている。少なくとも、自分が正しい事と思う事と、自分が間違っている事を、きちんと分けている。正しい事と間違っている事をブラジャーとパンツに喩えれば、彼はそれらをきちんと別の引き出しに、あるいは仕切りを使って分けて収納している。

でも私はブラジャーもパンサも一つの引き出しに仕舞い、空きがあれば靴下もワンピースもトップレスも、服以外書類も文房具だヘアーブラシだシャンプーだクッションだお菓子だとぐちゃぐちゃに詰め込んでいる。そういう人間だから私は央太と離婚した。そして央太に会いに来た。妊娠して、佳人と結婚するという段階を踏んで、央太に会いに来た。

 茶色く変色した乳房が、大きく膨らんだ乳房と共に揺れる。腹に子どもを抱えたままセックスするという事を、一人目の時は特に意識しなかった。でも今、佳人とする時も、央太とする時も、私は今自分が腹に胎児を抱えていることを強く意識する。それまで激しく動いていても、始まった途端に静まりかえるその態度も、私の想像力を掻き立てた。

固く閉じた子宮口の奥でひっそりと外界に赴く時期を探っているその胎児を、想像する、胎児がこの手に落ちてくるまで、私は臍の緒で繋がった我が子を、如何様にも想像することが出来る。後ろから胸を触る央太の手が少しずつ降りていきクリトリスを触った。耳を嚙まれ、膣が収縮する。央太が腰の動きを止めたまま、静かにイッたのが分かった。私は手を放す事が出来なかった。私は央太を、央太が象徴するものを、央太に依託してきたものを、結局捨てられなかった。これまでもそうだった。私は色々なものを繋ぎ止めたままここまで生きてきた。だから私はもうその事について絶望しない。

 裸で寝そべったまま枕元のペットボトルから水を飲もうとすると、それ古いからと言って、央太が冷蔵庫から新しいペットボトルを持って来て、自分が一口飲んでから手渡した。
いつの間にか、央太は黒いパンツを穿いている。ベッドで腰かけた央太が、まだ喉の渇きが癒えないのか、私がペットボトルを持って来て返すのを待っていのが分かった。ペットボトルを枕元に置き、央太に背を向けて目を閉じた。私はたぶん、央太と会わなくなって、央太と連絡を取らなくなって、毎月養育費を振り込んでもらうだけの関係になったとしても、央太を自分のどこかに包括して生きていくだろう。

愛する事も憎む事も、考える事もなく、ただひたすら、央太としいう存在を体内に受け入れて生きていくだろう。推敲を重ねた、最終回の原稿を思う。あと一週間、私はあの原稿を推敲し続け、最後まで迷いを持ったまま、青田さんに送るだろう。あの小説が終わったら、私はいつしか新しい小説を書き始めるだろう。妊娠して、体内で肥やし、放り出して、追い払う。私は死ぬまで、そういう事を続けるだろう。
バラ涼子
 中山さん、という声に振り返って、持ち上げかけていたトレーから手を離す。
「B-2のお客さんの伝票、B-4で取っちゃったから、追加あったらB-4で取って」
 百瀬さんの苛立ったような声に分かりましたと答えると、私はお冷やを載せたトレーを左手に持ちフロアに出た。ピンポンピンポンという音で来客に気づき、席に案内する。さっき入ったお客さんにお冷やを出し、ハンディで注文を取り送信すると、私はまた新しいお客さんにお冷やを出すためバックヤードに入った。
「オーダー待ち四枚です」

 デシャップ台からキッチンに向かって大きな声で言うと、怠そうな返事がちらほらと聞こえてくる。時間は十二時十五分。これからオーダー待ち五枚、八枚、と数を増やし、フロアもキッチンも混乱を極めるだろう。このバイトを始めて八カ月が経つが、十二時から一時までの怒濤の目まぐるしさには、毎日毎日慣れる事がない。十時から十四時まで働いた後一時間休憩を挟み、十五時か十八時まで働くと、私は上がり作業を済ませてから控え室に戻って着替えを済まし、無駄話をしているパートの主婦やバイトの学生と軽く言葉を交わしてから店を出る。

週に五日、七時間働いているけれど、時給八百五十円のこのバイトでは月に十三万が関の山で、最初の数ヶ月は三割引きで食べられる賄いを食べていたものの、バイト代は減るわ太るわで、馬鹿馬鹿しくなって止めてしまった。今では家で作ってきたおにぎりを二つと、従業員室に常備されたインスタントコーヒーだけでお昼を済ませる。

 バイト先のファミレスからマンションまで歩いて十五分、大抵、その途中にスーパーに寄って夕飯の買い物をしていく。今日はキャベツを半玉ともやし、食パンとピーナツバターを買って帰宅した。ドアを開けてしんとしたダイニングに買い物袋を置くと、私はすぐに夕飯作りに取り掛かった。ダイニングの明かりは点けず。流し台の上の蛍光灯だけ灯してキャベツと豚肉をひと口大に切っていく。

フライパンを温める前に、予約しておいた炊飯器からピー、ピー、と炊き上がりを教える音がする。ごま油、醬油、塩コショウ、七味、と調味料を脇に用意してから、フライパンを熱しごま油をひく。強火のままキャベツともやしと豚肉を炒め。ものの三分で野菜炒めを作ると、私は食器棚からお皿を取り出した。丁度かちんと音をたてた電気ポットから、インスタント味噌汁の味噌と具を入れたマグカップにお湯を注ぐ。簡単に台所を片付けると、ご飯と味噌汁と野菜炒めと冷蔵庫の中に残っていたたくあんをお盆に載せダイニングテーブルに運んだ。

 自分が食べきれるぴったりの量をよそい、テーブルに出たものをきちんと食べきることが出来る。これは、一人で食事をする事の唯一の利点だ。私は今日もご飯と味噌汁と野菜炒め食べきり、二切れ残ったたくあんと、半分取り分けておいた野菜炒めにラップをかけて冷蔵庫に入れた。お皿や調理道具を洗うと、テーブルと台所を布巾で拭き取り、お茶を注いだコップを持ってソファに移動した。テレビを点け、ぼんやりとその光を見つめる。時折、テレビの中の下らない話に合わせてくすくすと笑う。

おばあちゃんみたいだ。そう思う。父方の祖母は、祖父が死んだあとこんな生活を送っていた。日課は一日三度の食事と買い物とテレビだけで、たまに親に連れられて嫌々やってくる孫を嬉しそうにお小遣いをあげる彼女を見て、子供ながら私は、この人は何が楽しくて生きているんだろうと思っていた。楽しくないもなくて、ただ淡々と生きるという意味が、今私には何となく分かる。

 お風呂を沸かしに行く途中、私は不意に卓上カレンダーに目を留めた。あと三日。あと三日で、弥生ちゃんの命日だ。体中から力が抜けていくのを感じながら、止まった足を踏み出し、ひんやりと冷たいお風呂場で給湯器のスイッチを押した。弥生ちゃんが死んだ。私は未だに、その現実をどう受け止めて良いのか分からない。私の手によって虐待された一弥は生き残り、傷つけられながら生き残り、この世の最も祝福された子供のように見えた弥生ちゃんが死んだ。

弥生ちゃんが死んだ事を知った時、私はもう二度と一弥を虐待するまいと決めた。でも私はすぐに、また一弥を虐待した。繰り返し繰り返し、私はもう虐待しないと誓い、誓を破り虐待した。何度も何度も児童相談所に電話を掛けようとしては、掛けられないまま携帯を閉じた。ほどなくして、浩太が虐待と気がついた。

私の目の前で一弥の服を全て脱がせた浩太は跪(ひざまず)いて痣だらけの一弥を見つめ、目に涙を浮かべた。私がその時抱いたのは、懺悔の気持ちでも悔恨の念でもなく、「ざまあみろ」という思いだった。お前が育児を放棄して私に押し付けて私を追い詰めたから、一弥はこんな姿になったんだ。

そう思った。でも浩太は裸の一弥を抱いたまま、私の存在を根底から否定するような目で私を睨み付け、激しい罵りの言葉を浴びせかけた。そして散々罵った後、気づかなかった自分自身を責めるように言葉を、力なく呟いた。

 私たちは何日もかけて話し合った。虐待に至った経緯、私はどうするべきだったのか、これからどうして行くべきなのか、浩太はどうするべきだったのか、虐待を抑止するためにどんな方法があるのか。インターネットや本で情報を集め、私たちは出来る事から始めていった。浩太は残業を減らし、飲みに行く回数を減らし、日曜日は一弥の面倒を見ると約束した。

私はとにかく絶対に一弥に手を挙げないと約束して、苛々してしまった時は一弥を寝室に閉じ込め、そのまましばらく一弥の声が聞こえない所に行ってクールダウンをする、それでも苛々が収まらない時は浩太の母親に電話を掛ける。という対策を取る事にした。一弥閉じ込めて置いても良いように、寝室から危ない物を排除して、母親にも軽く事情を話しておいた。でも、たまに苛々して手を挙げてしまう事があると話した時、母親が見せた軽蔑の視線は、私を激しく傷つけた。

一緒に行った浩太が「僕が育児を手伝わなかったせいです」とフォローしてくれなければ、私は母親と決裂し、更に状況を悪化させていただろう。虐待を知って以来、浩太は人が変わったように優しくなった。浩太は、私が病気であると思う事で、私に対する怒りを哀れみへと変換する事に成功したのだろう。

 峠は越したと思っていた。育児に不安を覚えていた時、育児が辛い時、私は浩太に話す事が出来る。頼れる人がいる。一弥の体中の痣が消えればまたドリーズに預けられる。浩太が、またドリーズに預け始めたら俺も送り迎えすると言ってくれた事もあって、私は久しく感じた事のなかった心の安らぎを胸に抱いた。

でも浩太に虐待がばれてから三週間も経ち、ドリーズに預け始めた矢先に、私はまた一弥を虐待した。大声で罵声を浴びせ、平手で頭をはたき、頭を叩き付け、尻を叩き、蹴り飛ばし、ポカリを顔に浴びせかけ、怯えて泣き声を上げる一弥に馬乗りになって頭を何度もたたきつけた。私はまた、虐待をした。

 最初はただのぐずりだった。私も、軽い気持ちで受け止めていた。でも一弥の泣き声は止まらず、次第に私の冷静さを奪い、苛々して一弥の手を払った瞬間、一弥が激しく倒れ込んだ。もう二度と虐待をしないと心に決め、浩太と約束し、私はもう永遠に虐待から解放されたのだと思い込んでいた私は、自分が再び一弥に暴力をふるってしまった事に動揺し、同時に手を払っただけなのに激しく倒れ込んだ一弥に、まるで彼が「演技してる」かのように感じ怒りを増幅させた。

ここまでせっせと、いつ崩れるか崩れるかと怯えながら作り上げてきたドミノが、バラバラと一部分倒れた。それはただの一部分ではあった。修復しようと思えば、すぐに出来たはずだ。でも私は、そこまで作り上げて来たドミノが、たとえ一部分であっとしても崩れてしまった事に絶望して、全て蹴散らかし台無しにした。寝室に一弥を閉じ込めて押入れに閉じこもったけれど、ドア二枚と襖一枚と私の両手を突き抜けて鼓膜を刺激する泣き声は私を追い詰め続け、私は汗ばんだ手でお守りのように握っていた携帯で浩太に電話を掛けた。

浩太は出なかった。恐ろしくなった。いざとなると、到底母親に電話する気にはなれなかった。母親は私を軽蔑し、なじるだろうと分かっていた。児童相談所の電話番号を表示させ、通話ボタンを押そうとした瞬間、寝室で大きな音がした。慌てて見に行くと、木箱に入っていた小物類がぶちまけられ、その脇で一弥がひっくり返って泣いていた。戸棚の上から垂れていた敷物のフリンジを引っ張って、小物入れを落としたようだった。

落ちてきた時にぶつかったのか、一弥のおでこは赤く腫れていた。可哀想にと言いながら私は、このたんこぶは小物入れがぶつかって出来たものだという私の説明を浩太は信じるだろうかと考えていた。大丈夫? と聞いて頭を撫でながら、私は自分が抑えられなくなる予兆を感じていた。

結局、私は一弥を虐待した。めためたに傷つけた。一弥は私に激しく揺さぶられ、床に頭を打ち付けて気絶した。薄めを開けたまま身じろぎ一つしない一弥をみて、私はようやく動きを止めた。一弥の口元に手を当てそこに息が吹きかかることを確認してから私は家を飛び出し、裸足のまま実家に走った。母親はいなかった。玄関の前に座り込み、地面に顔を押し付けて泣き続けていると、一時間か、二時間か経った頃に母親が血相を変えて帰ってきた。

「あんた」
 母親は一言そう言って、私を憎々しげに見つめた後、私の隣にへたり込んで声を上げて泣いた。私も声を上げて泣いた。二人で、一月の寒空の下、声を上げ泣いた。情けなかった。あまりに情けなくて、私は痛くなるほど顔面を歪めて泣き喚いた。

 着信に気づいた浩太が、何度掛け直しても私が電話に出なかったため、慌ててマンションに帰宅すると顔を腫らした一弥が一人で泣いていた。浩太は全てを理解し、一弥を避難させるべく神奈川の実家に向かった。浩太から電話でその経緯を説明された母親は、私を捜すべく会社を出て、私のマンション周辺を探した後、自宅に戻り私を発見した。浩太はどちらかの両親を頼る道を探ったけれど、浩太の母親は義父を介護しているため一弥の面倒を見続ける事は出来ず、私の母親は離婚のショックで精神科に通い始めたばかりで、父親は不倫相手の叔母と一緒に暮らしていて私も頼りたくなかったため、一弥はそのままマンションに戻ることなく浩太の手によって児童相談所の一時保護施設に保護され、その後児童相談養護施設に送られた。一弥はあの日以来、一度もこの家に帰って来ていない。

 部屋着を持ってお風呂に向かう途中、足音が聞こえた。私は鍵を捻ってドアを開け、丁度ポケットから鍵を取りだそうとしていた浩太は驚いたように顔を上げて「ただいま」と言った。
「おかえり」
「びっくりした」
「今、お風呂に入ろうと思ってここ通ったら足音がしたから」
「お隣さんは思わなかったの?」
「私、浩太の足音分かるから」
 そうなの? と言いながら浩太は玄関で靴を脱いでダイニングに上がった。
「風呂、入るの?」
「ご飯まだだったら温めてから入るけど」
「夕飯パン食べただけなんだ。軽く食べようかな」
 私は取り分けていた野菜炒めを温め直し、ご飯とインスタント味噌汁と、冷凍の唐揚げを一緒にテーブルに出した。
「野菜炒めか。いいね」
 コートを脱いだ浩太は、ふうっと大きく息を吐いて椅子に座り、いただきますと言いながら箸を持った。
「最近何か野菜が美味くてさ」
「おじさんみたい」
 笑いながら言うと、俺はもうおっさんだよと浩太が笑う。私も、自分が二十代である事が信じられない。もう自分は枯れ切った、しなしなの老人のようだ。生きるためのあらゆる能力を失った私には、バイトも家事もリハビリの一環のように感じられる。きっとそうなのだろう。私は、自分が真っ当な人間に、真っ当な生活送れる人間に戻るためのリハビリとしてこの生活を続けている。

もし一弥を児童相談所に連れて行った後、浩太が離婚すると言ってこの家を出ていっていたら、私は今頃こんな生活を送っていなかったはずだ。キャバクラや風俗店で働き、どうでも良い男と付き合って、一弥の事も浩太の事も忘れて自堕落な生活を送っていたかもしれない。私は最近やっと、浩太と結婚して、浩太の子供を産んで良かったと思えるようになった。散々対立して、散々傷つけ合って、子供すら失ったけれど、私たちは受け入れた。結果的には、お互いを受け入れた。

「そうだ。誕生日プレゼント、決めた?」
 そう聞く浩太が、緊張しているのが分かった。
「考えてはいるけど、何がいいのか、よく分かんなくて」
「三輪車とかって、二歳で乗れるかな」
「どうなんだろ。もうちょっと大きくなってからじゃない?」
「じゃあ、ミニカーとか?」
「乗り物が好きだって言ってたしね。向こうとしても、あんまり大きい物じゃない方がいいかもしれないから、明日聞いてみよう」
 そうだよなと呟いて、浩太は気を取り直したように箸をご飯に埋め、茶碗から掻き込むように食べた。来月、一弥は二歳になる。待ち望んでいた誕生日だ。二歳になれば楽になるよと、いつだったかユカが話していたのを思い出す。私はゆらゆらと、胸の奥底でロウソクの火が揺れ始めたような不安を感じる。視線を落とし、手元を見つめる。

「大丈夫だよ」
 浩太の言葉に顔を上げる、自分がひどく強張った表情を浮かべているのが分かる。
「三歳までの記憶なんて、皆忘れちゃうんだから」
 そう言って、浩太は勇気づけよるように微笑んだ。浩太は楽観的であろうと、いや、私に楽観的である風に見せようと努めている。私から希望を奪わないように日々言動に注意しながら、私と生活している。そんな浩太の態度が有難いと思う時もあれば、苛立たしい時も、心苦しい時も、救われる時もある。

一弥を保護されてすぐの頃は、浩太がそうして楽観的な言葉を吐く事が耐え難かった。ついこの間まで、私が聖母マリアのような母親でない事を心で責め、憎んでいたくせに、「三歳までの記憶なんて無くなるんだから」と言って私が家事や育児から手を抜けば私を軽蔑していたくせに、何が「涼子にとって今が一番の薬は休養だよ」だ、と浩太を心の中で罵倒した。

あんなに無理解で、無理解である事で私を追い詰めていたくせに、突然理解のある振りなんてしないでくれと、本気で憎悪した。でも、浩太を罵倒する気力もなく、浩太の優しい鷹揚な言葉を聞き続けている内、私は癒されていた。私は周囲の理解ある人々に支えられている。いつしかそういうストーリーの中に、私は自分を当てはめていた。

「まだ一ヶ月あるから、ゆっくり考えよう」
 私はそう言うと、お風呂入るねと続けて椅子から立ち上がった。ああという声を背に、お風呂場のドアを閉める。動揺していた。一弥の喜ぶ顔が見たいと思うと同時に、私に一弥を喜ばせる権利などないとも思う。あんなに蹴りつけ、殴りつけた赤ん坊に、今更私ができる事などあるのだろうか。

私がすべきなのはプレゼントではなく、自己犠牲による償いではないだろうか。もしも自分が激しいリンチに遭いその犯人が捕まったとしたら、私は何を望むだろう。極刑までも求めないだろうが、それなりの長い服役生活を送り、自らの引き起こした事件を心から反省し悔いて欲しいとは思うはずだ。

私は確かに、収容された囚人のような、面白味のない生活、禁欲的な生活を心掛けてきたつもりだ。たまの楽しみはお菓子とテレビで、友達と遊びに行ったりショッピングに行ったりというような無用な欲求は無視して、ひたすら生活と貯金のためのバイトを続け、慎ましい生活を送ってきた。でもそれで、私が許されて良いのだろうか、私は何故、子供を殴りつけたのに、蹴りつけたのに、捕まらなかったのだろう。それは私が親だからか。

一弥が被害届を出すことが出来ないからか。浩太や母親が私を庇ったからか。私は罰せられるべきではないだろうか。一弥を虐待している自分の顔が浮かぶ。自分が初めて虐待した時から、私は虐待されて泣いている一弥の顔よりも、見たことのない、虐待をしている自分の顔が何度も脳裏に蘇り、その狂った表情に背筋の凍る思いをしてきた。嗚咽が漏れそうになり、手で口を押さえた。洗面台の前で、私は両手を口に当て、青ざめた醜い自分の顔をじっとみつめた。

 こんにちは。浩太が明るい声を出すと、受付の職員は私たちに目を留め、ああこんにちはと微笑んだ。面会受付票に記入していると、今広間にいますんで、と声を掛けられた。子供たちの声が聞こえる。私は喜びに頬が緩むのを抑えられない。広間の一角を占める乳幼児スペースに、一弥はいた。マットの上でブロック遊びをしていた一弥と声を掛けた浩太を見上げ、次にその後ろにいた私を見つけた。
「ママっ、ママっ」
 一弥は言いながら立ち上がり、身体を揺らすようにして喜び、そのまま溶けてしまいそうなほど嬉しそうに顔を緩めた。
「ママママ」
 駆け寄って来た一弥を抱き上げ、何してたの? と言いながら一弥の頬を包むように手を当てた。
「ボック」
「ボック、ボーック、と言いながら、ブロックの方を指さす。散乱したブロックの脇に座ると、保育士の赤羽さんに挨拶をした。
「車もあるね」
 言いながら、浩太は一弥にタイヤの着いたブロックを差し出す。ブーブー、と言いながら車を前後に動かす一弥の鼻を、バッグから取り出したポケットティッシュで拭う。風邪ですか? と聞くと、赤羽さんは「そうですね、この時期なんで、全体的に風邪が流行ってます」と答えた。必要最小限の物と職員で回っている施設で、手厚い保護を受けられるとは思っていない。一弥にとって、ここがさほど居心地の良い場所だとも思わない。でもそれでも、危害を加える母親と二人で家にいるより、一弥はここに居た方がずっと幸せなのだ。

「ママっ、ママ」
 服を引っ張る一弥につられて立ち上がると、一弥は自分が描いた絵が飾られている壁を指差した。すごいね上手だね、一弥はもうこんなにお絵かきが出来るんだね、と言って、これはなあに? これは? とぐちゃぐちゃに書きなぐられた線の魂を指して聞いていく。
「だっだ、ぐっぐ」
 一弥は嬉しそうに答えてくれるが、何を言っているのか分からない。私は去年、丁度二歳前後だった輪ちゃんの様子を思い出して、深い不安に襲われる、「ママ大大好き、とか言われるとあー良かった、って思う」というユカの言葉が信じられない。施設で生活しているせいなのだろうか。

男の子は言葉が遅いとはよく聞くけど、リンチちゃんははきはきと喋っていた言葉が、今鮮明に頭に蘇る。一弥は未だに、ほとんどの事を単語だけで伝える。水を飲みたい時は「みじゅ」という言葉と飲むジェスチャーで伝え、「お水飲みたい」とか「お水ちょうだい」という文章にはならない。

前に保育士に聞いた時、男の子は女の子が好きなままごととかお店屋さんごっこではなく、ミニカーとか仮面ライダーの人形を使って一人で自分の世界に没頭して遊ぶのが好きなんで、皆コミュニケーション下手ですよと言って。○○くんも○○くんもすごく言葉が遅かった、と他の子の名前を出して慰められた。

でも二歳も間近だというのに二語文は全く出ず、喋れる言葉がここまで少ないと、ちょっとおかしくないだろうか。私は自分がそんな心配を出来る立場ではないと分かっていながら、後で浩太と一弥の言葉について相談してみようと思った。

 私たちはブロックやミニカーで遊び、外が暖かくなってくると庭に出てブランコや滑り台で遊んだ。冷たい風に身を縮めながら浩太と一弥と三人で笑い合っていると、私たちはまだあのコーポミナガワに三人で住んでいて、日曜日にお昼ご飯を食べた後公園に遊びに来ているような、そんな気持ちになる。もしもここでシャッターを切れば、何の問題もない幸せな三人家族のように、私たちは写るだろう。

 きゃっきゃと笑いながら走り回る一弥を浩太が追いかけている。言葉は遅いけど、運動神経は良いように見える。滑り台のポールを中心にぐるぐると追いかけて、逃げ回っている二人は、息を切らしながら大きな声を出して笑っている。本当は、私もいつも面会の間中、ずっと一弥を抱きしめていたいと思っている。ずっと一弥のあの身体を抱きしめ、一ミリでも一弥の心を温めたいと思っている。でも子供はやっぱり、遊んでいる方が楽しいなのだ。どんなに抱きしめようとしても、玩具を手に取り、ポールを追いかけ、一弥はすぐにこの手からすり抜けてしまう。

一弥があんなに私の抱っこをせがんだのは、あの時期だけだったのだ。私の腕を腱鞘炎にさせ、医者にもう修復不能ですと言われるほど手首をねじ曲げるまで抱っこをせがんだのは、新生児から生後一歳までの間だけだったのだ。切り落としても良かった。本当は、両手首を切り落としても良いから、私は一弥を抱き続けるべきだったのだ。苛酷な育児に疲れ切った頃の記憶は鮮明に残っているのに、私はそんな偽善的な思いを胸に抱いていた。

「こんにちは」
 声を掛けられて振り向くと、施設長の取出さんが頭を下げた。
「こんにちは」
「一弥くん、楽しそうですね」
「やっぱり男の子は、身体を使って遊ぶの好きなんですね。私が精一杯相手しても。もう物足りないかも」
「そんな事はないですよ。一弥くんはお母さんの事が大好きですから」
 黙り込んで、私は浩太がサッカーボールを蹴り始めのをじっと目で追う。
「中山さん夫婦は、この施設で一番面会率の高い親御さんです」
「そうなんですか?」
「ええ。毎週毎週、ご夫婦で子供に会いに来る親御さんは、とても少ないんです」
 そうですかと呟いて、私はまた黙り込んだ。正直私は、この施設の人に合わせる顔がない。どういう顔で、一弥について話せば良いのか分からない。
「どうですか。そろそろ、一泊くらいさせてみませんか?」
 私は口を薄く開けたまま、取出さんを振り返った。
「お母さんも一弥くんも、前に比べてずっと表情が明るくなりました。少しずつ、週末は家で過ごすようにしていっても良い頃かと、私は思います」

 今にも私は、「来週一泊させます」「来週夫と迎えに来ます」と答えてしまいそうだった。でも口が動かない。緊張で喉がじりじりした。私はゆっくりと口を開き、乾燥のせいで切れそうになっている唇の端をゆっくりと僅かに舐めると、大きく息を吐き出した。
「‥‥まだ」
「そうですか。いいんです。ゆっくりで」
「もう少し‥‥」
 もう少し自信が持てないと。その先に続ける言葉が途切れた。じっと地面を見つめている私の足に、一弥がタックルをするように抱きつき、私は一瞬ぐらっと揺らいでから、しゃがんで一弥を抱きしめた。
「もう少ししたら、ママと一緒の布団で眠ろうね」
 一弥は耳元で言われた言葉の意味が分かっているのかわかっていないのか。はあはあと肩で息をしながら笑顔で私を見つめ、再び歓声を上げ私の手をすり抜け浩太を追いかけ始めた。永遠に一弥を手放してしまったかのように、体中から力が抜けていくのを感じた。

「大丈夫です。一弥くんは、心身共に健やかに成長しています」
 はい。私はしゃがんだまま、両手で顔を覆い、小さい声でそう答えた。

 あいつはどんどん体力がついてくなあ、もう俺じゃスタミナが足りないよ、三歳になったらキャッチボールだな、わざと遠くに投げて取りに行かせて、スタミナ切れにさせるんだよ、今日はもう、ご飯食べて風呂入ったら倒れるように寝るだろうな。帰りの電車で、浩太は嬉しそうに話していた。そろそろ帰らなきゃと言った時の、一弥の泣き顔が脳裏にこびりついて離れない。私は、無理に笑顔を浮かべ、浩太の話に相槌を打った。

「お前は座んなっ」
 怒鳴り声が響くと同時に、車内がぴりぴりとした空気に包まれた。斜め向かいに座る四人家族の父親が、周囲の視線を気にせず「トモは立ってろ。お前の席はねえんだよ!」と続けた。父親は、四歳くらいの男の子を膝に載せたまま、立ち尽くすトモと呼ばれる男の子を睨みつけている。双子だろうか、二人は同じくらいの背丈に見える。トモは大きな声で叫ぶように泣き出し、父親の隣に座る母親は心配そうにその様子を見つめている。

「もう二度とトモとは電車に乗らないからな、お前は次の駅で降りろ。一人で降りろ」
 何かワガママでも言ったのだろうか。最近よく、内縁の夫が妻の連れ子を虐待死させたというニュースを見るけれど、水商売風の金髪の母親と、ヤクザのような父親は、そのパターンに面白いほど当てはまっているように見えた。もしかしたら、父親の膝に載っているのは父親の連れ子、怒られているのは母親の連れ子というパターンかもしれない。でもそれにしては、二人の男の子は似ているように見える。泣き続けるトモに「うるせえっ」と父親は怒鳴った。母親がトモを宥めるように声を掛けると「甘やかすな、こういう奴は痛い目に遭わないとわかねえんだよっ」と母親を肘でどついた。

 他の乗客の間では、「誰か何か言って方がいいんじゃないか」という不穏な空気が漂っていて、私と浩太の間には、別の意味で激しい緊張が走っていた。赤ん坊を虐待していた妻が、身体的暴力はふるわずとも、子供に暴言を吐いている男を目の当たりにしている時、自分はどうすべきなのか、浩太は測りかねている様子だった。膝の上で握った両手に力が入る、もしここに一弥が居たら、あなたはああいう人々とは別の世界にいるのだから安心させるべく、私は一弥を抱きしめ、優しく笑いかけただろう。

でも実際私はあの父親と同類だ。いや違う、私はあんな風に、自分の虐待を肯定しているような人間であった事は一度もなかったはずだ。私は追い詰められていた。でもそんな関係ない。暴力を振るわれる人にとって、暴力をふるう人が自分の暴力に苦悩しているか否かなど、全く無意味な情報でしかない。

 暫くするとトモは母親の膝に座り、場は鎮まったようだった。父親はトモを無視したまま、自分の膝に載る男の子とチョコレートを食べていた。まだ涙の跡が残るトモは、母親の腕に抱かれ、少し落ち着いたような表情を見せていた。

「大丈夫? 気分悪い?」
 浩太が私を覗き込んでそう聞いた。ううん、大丈夫。微に顔を上げて言うと、浩太は私の左手を握った。温かい手が、少しずつ私を落ち着かせていく。たまには駅前で何か食っていこうか? という浩太の言葉に、色んな気持ちがせめぎ合ってはっきりと答えられずにいると。向かいの席で再び不穏な動きが見えた。

「お前は何でそういう嫌な奴なんだ! そういう奴は向こうに行けっ。一人で電車降りろっ。トモはもう家に帰ってくんなっ」
 怒鳴り声に続いて、ぴゃーっと弾かれたような鳴き声が響き渡る。お菓子の取り合いでもしたのだろうか、トモという男の子は母親の膝から下ろされ、グミ袋を持ったまま大声で泣いている。
「俺の見えねえ所に行け!」
 怒鳴られるたび、トモはびゃー! っと鳴き声を高めていく。私連れて行くから、と小さい声で言って、母親が立ち上がった。

「一人で降りろよ、もうお前なんかいらねえからな」
 母親に手を引かれ、泣きながら隣の車両に移動していくトモの後ろ姿を見ながら、私は一弥の涙を思い出した。恫喝され、殴られ、蹴られ、訳も分からないまま不条理を嘆くように大粒の涙を流していた一弥の目を。かつて自分が引き起こした惨劇を思うと、足が震えた。

「ったくよお、何だかあいつは」
 ぼやく父親の膝の上で、大人しい男の子は去っていった兄弟を気にしているようだった。さっきからトモが怒鳴られる度に、男の子はほとんど無表情でありながら僅かに兄弟を気遣う素振りを見せていたのだ。そういう事言っちゃ駄目だよ。何でわざと怒らせる事するんだよ、と暗に目でメッセージを送っているように、私は見えた。

「見るんじゃないよ。あいつは一人で電車を降りんだ」
 身を乗り出して隣の車両を見つめていた男の子の身体を制止して、父親はチョコレートを貧った。チョコレートを欲しがって泣く一弥を、私は虐待した事があった。気が遠くなっていくのが分かった。私は肩に力を入れると浩太の手を振りほどき、ちょっと待ってて呟いて立ち上がった。ゆっくりと歩いて隣の車両に向かう。後ろから、慌てて浩太が追いかけてくる気配がして振り返る。

「すぐ戻るから」
 困ったようにでもと言いながら浩太が足を止めると、私は再び歩き出し、隣の車両へ続くドアをくぐった。トモはもう泣いておらず、お母さんと手をつなぎ、乗降ドアの前に立ち外を見つめていた。お母さんは疲れているのか、気力なくドアにもたれかかって、同じように外を見つめていた。私は何か、トモに何か声を掛けたいと思っている。でもあと一メートルの所まで来ても、私は自分が彼に何を言いたかったのかわからなかった。

トモは涙で湿ったその顔を私に向けて、私を見つめてから何の意思も感じさせないまま窓の方に向き直った。どうして良いのか分からなかった。私はトモの脇で、同じよう、窓の外を見た。薄暗い外の景色からは、どんな情報も読み取れない。一弥の柔らかい体を抱きしめたい感触がまだ両腕に残っている。温かい布団の上で一弥を強く抱きしめ、共に眠りたい。起きた時、一弥のあの小さな顔が目の前で微笑んだら、私はどんな思いで一弥を抱きしめるのだろう。

大変だった。私はノイローゼになったのだ。虐待するまでに、追い詰められていたのだ。育児は楽じゃない。いい事ばかりじゃない。私は何度も虐待していないと浩太にも自分にも誓い、何度もその誓を破ったのだ。私は一弥と共に眠るのが恐い。一弥と共に生活をするのが恐い。一弥は恐怖だ。私にとって、最も強大な恐怖だ。でもあの恐怖を強く抱きしめたい。私は恐怖をこの体に取り込みたい。恐怖と一体化したい。早く。一刻も早く。
「かずや」
 そう呟いて、私はトモの頭に手を載せていた。
バラ五月
 もしも弥生がこの一年を、生前の健やかさをもって過ごしてきたならば、彼女はどんな女の子に成長を遂げていただろう。コートとワンピースのかかったハンガーをクローゼットの取っ手に引っ掛け、少し離れた所からじっとみつめた。背の高かった弥生は、五歳用の服でも少し窮屈だったかもしれない。先週、通りかかった子供服のブティックで、チェツク柄のコートと薄ピンクのコットンワンピースを半ば衝動的にレジに持っていきながら、買ってしまえば後悔するだろうと思っていた。

でも帰り道、いつもそこで服を買うたび、弥生がどんな顔で喜ぶか想像していた時の沸き立つような期待を、私は弥生が死んでも尚胸に抱いていた。弥生は洋服が好きな女の子だった。新しい服を買うと、いつも目を輝かせて「着る!」と声を上げた。そんな弥生を見るたび、私はモデルのである自分、モデルの子供である弥生、服を着る事を仕事としている私、服が大好きな弥生、というそれぞれに大きな充足を感じた。

 吊り下げられた服の前にしゃがみ込み、そこにない顔を想像する。一年分、大人っぽくなったその顔を。一年分、伸びた髪を。そして一年分、私や友達と深めたであろう絆を。

 オイルヒーターからコツコツと音がする。法事が始まる前から温めていた部屋は、そこに弥生が眠っていた頃の温かさを取り戻したかのように、生命力に満ちているように見える。今でもたまに、私は弥生の部屋で眠る。ただ否応なしに、弥生の匂いは薄れていった。産まれたばかりの頃、私を柔和な気持ちにさせた胎脂の匂いを引きずり続けたような、子供特有の炭水化物的な匂いは、この部屋のドアが開くたび薄れていった。

 弥生の骨はまだ納骨していない。弥生は死んで一年経っても尚、私の心の大きな部分を占めたまま動かない。子供を失った事を、私はまだ受け入れていない。でも、最近になって少しだけ理解できてきたのは、「私はもう母でない」という事だった。自分の生活は、ただ自分の生活として継続していく。夜中、目が覚めてしまつた弥生に起こされることもないし、弥生の生活サイクルに合わせて早寝早起きをする必要もないし、保育園の送り迎えの時間を気にしたり、夜の予定に合わせてベビーシッターを手配したり、母親に弥生を預ける必要もない。

私の生活は、ただ私の生活としてのみ存在していて、その中に仕事や友人や夫といった要素を、私が自分の意志で詰め込んでいくだけだ。育児の義務から放り出された私は、無重力の中にいるように身軽だった。身軽過ぎて、ぼんやりしていると気づかない内にどこまでも飛んで入ってしまいそうだった。

自分を繋ぎ止めるものがないということは、そういう事なのかと思った。風が吹いただけで、私はころっと、簡単に何らかの過ちを犯してしまいそうだった。魂も何もかも抜けきり、抜け殻になったと思った。でも私は死んでいなかった。命だけが取り残されていた。弥生を失っても、私は一年間生きてきた。

「五月」
 ドアの開く音がして振り返ると、亮が顔を出して「出来たよ」と言った。
「うん」
「大きいなあ」
 亮は私の隣まで来て、ハンガーに掛かったコートから二十センチほど上の辺りに、見えない弥生の頭に手の平を載せかざした。
「本当に、こんなに大きくなったのかな」
「弥生には、これでも少し小さめだったかもしれない」

 亮は黙ったまましばらくそのコートを見つめて、私の肩に手を載せ「食べよう」と言うと先に部屋を出て行った。キッチンから良い匂いがしている。自分が随分とお腹を空かせている事に気がついて、立ち上がってハンガーをクローゼットの中に仕舞うと弥生の部屋を出た。ダイニングテーブルを片付け、フォークやナイフを並べながら、部屋に残る線香の匂いに、仏壇を振り返る。仏壇には一足先に、サラダと魚料理とリゾットが一皿に盛りつけられていた。

「高級キッズプレートだね」
 私が言うと亮は苦笑いをして、ハンバーグとかナポリタンの方が良かったか? と言った。
 ママの料理とパパの料理どっちが好き? と聞くと、弥生はいつも「パパの!」と元気よく答えていた。私のそう言って欲しい気持ちと、そう言うと亮が喜ぶのを分かっていて、子供なりの気遣いでそう言っていたのかもしれない。亮がご飯を作ると、弥生は無理をしてでも残さないよう、頑張ってたべていた。

私はそうしても子供のくせに気遣いをしたり空気を読む弥生にどこかで苛立ちを感じていたけれど、何故あの弥生の優しさを認めてあげられなかったのだろうと、今は後悔の気持ちで一杯になる。あの優しい子供が、無意識の内に私の心の支えとなり、私の存在を強固に肯定していたのだという事を、何故彼女が生きていた頃に私は気づけなかったのだろう。

温野菜のカニソースがけ、白いインゲンのスープ、マダイのソテー、ロブスターのリゾット、弥生が見たら、わあって喜ぶような夕飯を作って。弥生の命日に合わせて一周忌の法事をやると決めた時、私がそう言ったのを亮は覚えていたのだろう。
「リゾット先に食べてよ。温かい方が美味しいから」
「シェフなのにそんな事言っていいの?」
「料理人は皆、料理が一番美味しい時に食べてほしいと思うものだよ」
 ふうんと笑いながら、スプーンを手に持ちリゾットを掬った美味しい、と声を上げる同時に、私はリビングの片隅に置かれた仏壇に目をやった。
「ねえ」
「うん?」
「弥生も一緒に食べない?」
 うん? と一度聞き返してから、亮はああと言って席を立ち、仏壇の前に置かれた皿をテーブルに持ってきた。大きなプレートは私の隣に置かれ。亮はその脇に小さなフォークとスプーンを置いた。法事の終了と共に、遠慮していのか早々に帰ってしまった私の両親と亮の両親に、もう少し何かおもてなしをすべきだったのではないかという気持ちが残っていたけれど、こうして気兼ねなく三人で食事が出来て良かったと思った。

私は手を伸ばして、弥生のお皿に載る温野菜とマダイをナイフで小さく切り分け始めた。亮は暫く黙ったままリゾットを食べ進め、私の方を見ないままワインでも飲むかと声をかけた。うんと答えながら、私はアスパラガスを切り分ける。亮が、私のこういう行為を嫌がるのは知っていた。

亮は、弥生の死を乗り越えるべき問題だと思っている。今は弥生と共に生きているような気持ちでいる私を、亮は批判的に捉えている。亮の気持ちは理解出来る。私は今、そういう亮と一緒にいる事にさほど苦痛を感じない。むしろ、そういう亮と共に弥生を失ったのだと思う事で、救われる所がある。

 コルクを抜き、グラスに白ワインを注ぐと、亮はまたキッチンに戻り、小さなコップを手に持って戻ってきた。私の隣に置かれたコップには、オレンジジュースが入っていた。じゃあ乾杯。亮の言葉にグラスを上げ、私は熊の絵が描かれたコップにもグラスをぶっけた。

弥生がまだ一歳か二歳の頃、保育園で覚えてきた「乾杯」を、外食にいった際にしつこくせがんだ事があった。かぱーい、かぽーい、と何度なく繰り返す弥生に、私たちは苦笑しながら何度もコップをぶつけてやった。あまりにしつこく、いい加減嫌になって無視し始めると「パパ、かぱーい」「ママ、かぽーい」と弥生は先生が注意するような口調で私たちに乾杯を促した。

 どうしたら良いのか分からない。未だに、そういう気持ちになる事がある。時折激しい混乱に見舞われ、死ぬしかないと気になる事がある。先が見えず、未来が見えず、強烈な絶望に駆られ、取り乱すこともある。数日立て続けに弥生の夢を見ると、弥生が死んでいるのか生きているのか分からなくなる事がある。まだ、ふとした瞬間弥生の姿を探している事がある。弥生の声が聞こえるような気がする事も、すぐそこに弥生がいるような気がする事もある。

この一年私は弥生の影の中に生きているようだった。ずっと弥生の存在を気に掛けながら、意識しながら、生きていた。死んでしまったけれど、いや、死んでしまったからこそ、彼女は私には抗いようのない神として、私の世界に君臨している。育児は大変だった。逃げ出したいと思ったのも、一度や二度ではなかった。でも弥生の死に、弥生が存在から観念に変わった途端、私はそこに幻影を見るようになってしまったのだろう。

弥生はもう、物体として私に機能する事はない。もたれかかってきたり、抱きついてきたり、キスしてきたり、手を繋いできたり、しがみついてきたりは二度としないのだ。柔らかく細い胴体、長く伸びた四肢、二重まぶたの目、すっきりした鼻筋、少し大きめの耳、ふっくらとした唇、歳の割に大きな足、足に較べると小振りな印象を与え手の平、すこしざらざらした手触りのお腹、産毛が綺麗に渦巻いていた背中のつむじ、柔らかく細く艶のある真っ直ぐに伸びた黒髪、寒い時にはランプが灯ったように赤味を帯びた頬、切っても切ってもあっという間にのびた手の爪、いつも私より冷たかった手、私とそっくりだった肉の少ないお尻、美しいあの子供。今、弥生はそういう肉体ではなく、「イメージ」として「思い出」として「愛」として、私は機能している。

 いつの間にか手が止まっていて、その事に気づいた瞬間僅かに手が震えて、フォークを落とした。金属の響く音がして、私はびっくりして顔を上げた。亮はこの雰囲気を誤魔化したり、和ませたりするような言葉を口にするかと思ったけれど、彼は何も言わず左手でフォーク、右手にグラスを持ったまま、穏やかな表情を浮かべていた。でもその穏やかな表情が、自然に浮かべられたものではなく、半ば能面のように張り付いているのだと気づいた時、私はいま口にすべき言葉を更に見失ってしまったように思った。

いけないいけないいけないと思いながら、私は僅かずつ、自分が冷静さを失っている事に気がついた。これまで何度も何度も、私は砂浜で砂の城を作るようにして、弥生の死を乗り越えようとしてきた。大丈夫大丈夫大丈夫と強く思い込み、仕事をしたり友人と会ったり亮とデートをしたりして僅かな自信を身につけ、城を手で固く固めていく途中でそれは抗いようもなく波にさらわれ、ここまでの努力が全て無になってた事に絶望して砂浜に倒れ込み幾度も波に打たれた後、のそのそと起き上がってまた城を造り始める。この一年、私はそうして城を造り続けてきた。

城を作っても作っても、波はどこまでも迫ってきて、一瞬にして私の城を破壊した。もう駄目だと濡れた砂浜に顔を埋めては、私は何度も起き上がった。何度も起き上がり、何度も倒れた。弥生の死から、残酷なまでの規則正しさで時が経ち、城が崩れる頻度が少なくなっていくのに対して、崩れた時のショックと絶望感は激しさを増しているように感じる。

そもそも私は、城が完成すると思ってない。弥生が死んだ事を乗り越え、立ち直れる日が来るなどとは、思っていない。でもじゃあどうしたら良いのか。じゃあどうしたら良いのか。
「どうしたら良いのか。良いか分からない」
 穏やかな表情を張り付けていた亮がグラスを置いて私を見上げた。
「まだ、私はどうしたら良いのか分からない」
「俺は」
 亮はそこで言葉を止めた。沈黙が重たく、私は大きく息を吐き出しながらグラスを持ち上げ、一気に白ワインを飲み干した。
「俺はどうしたら良いのか分かっているような振りをしているけど、それが正しいかどうか考えないようにしているから、そんな振りが出来るだけだ。俺だって本当はどうしたら良いのか分かってないよ。でも俺は五月の前で平然としてなきゃいけないから、だからそうして正しいかどうかも分からずに、そんな振りをしている」

「平然となんてしなくていい。私はそんな事求めていない」
「平然としてなきゃ、平然とお前の前に座ってなきゃ、お前はまたいなくなるんだろう」
 「開きかけた口を、私は固く閉じた」
「俺がお前と向き合わないで顔を背けたから、お前は他の男と浮気した」
 違うと声を上げたかった。でも私は何も言わなかった。

「一瞬でもお前の目から目を逸らしたら、またお前がどこかに行きそうで、だから俺は、正しいかどうかも考えずに、そういう振りをしているんだ」
「今の私がどこかに行けると思う?」
「分かんないよそんなの、俺はまだお前のことを、ちゃんと信用していない」

 ワインボトルに伸ばした私の手を遮るようにして、亮がワインボトルを手に取り、私のグラスに注いだ。信用できない女から、一年間目を逸らさずに生活するという事が、私には想像できなかった。信用できないからこそ、目を逸らさずにいられるのだろうか。それとも信用したいから、目を逸らさずにいられるのだろうか。それを想像できない事は、男という他人が根本的に理解できないという事に等しいような気もした。

「私はこの一年、ずっと亮を見てきた」
「どうだかな」
 亮は表情を緩ませ、笑ってそう言った。「俺は妻が不倫しても、不倫相手の子供を妊娠しても、流産しても、何も気づかない男だからな」

 何を言ってよいのか、どんな顔をして良いのか分からないままグラスを持ち上げた。亮がそれらの事実を、事実として受け止めた上で、私と別れない決断を下したという事が、私は未だに不思議でならない。亮はあの日、私の話を聞く事を拒んだ、出来る限り、誤解のない形で、正確に自分の気持ちと状況と不倫に至った経緯を話そうとした私を、何でそんな話を聞かなきゃならないんだと、もう離婚だと、亮は切り捨てた。

待澤の子供を妊娠した時に取りに行った離婚届をまだ引き出しに入れていた私は、亮が出て行きしんとしたリビングのダイニングテーブルにその離婚届と印鑑を置いた。次の朝、離婚届には亮のサインと印鑑が押されていた。流産で胎児を失い、交通事故で弥生を失い、不倫の事実を話して亮を失い、私は本当に一人になるんだと思った。そう思った事が、私は絶望しながらどこか安堵していたように思う。

弥生を失って、亮は失わずにいるという事が、私はどこかで負担だったかもしれない。亮と離婚した方が、弥生を失った悲しみから早く立ち直れると感じていたのかもしれない。でも、その次の日の明け方、弥生が死んでから初めて自分の部屋で眠っていた私に、亮は「ちょっといい」と声を掛けた」
「あれから、一睡も出来ないんだ」
 そう言われた途端、今眠っている事が心苦しくなり、私は顔を俯けた。
「俺が見てた現実は全部噓だったのかもしれないと思うと、恐ろしいんだ。俺が見てきた五月とか、俺が見てきたこの家とか、家庭とか、弥生とか、何か、俺の見てきたのは全て噓だったんじゃないかって」
「噓じゃない」
「俺の見てきた五月は、絶対に浮気はしない女だった。五月の言っている事とか、五月が産んだ弥生とか、五月が俺に見せてきたもとか、全て信じられない」
「ごめん。信じてとか言わないよ。でも本当に亮が大好きだった。弥生が大好きだった。何も失いたくなかった。浮気以外、何の嘘もなかった。亮はもう私と離婚したいと思ってるって、私はそう思っていた」

 いえば言うほど、自分の言葉には欺瞞が満ちている気がして、自分の嘘臭さに耐え難くなった。言葉を重ねれば重ねるほど嘘くさくなると分かっていながら、私は言葉を止められなかった。亮がベットの脇に腰かけ、私の背中に手を回して抱き寄せるまで、私は無用な言葉を紡いでいたように思う。私たちはその晩セックスをして、次の日も朝からまた話し始めた。亮は一転して、全てを聞きたがった。私はすべてを話した。私が全てだと思う全てを話した。

妊娠の事も流産の事も、流産してから、弥生に対する気持ちが冷めていった事も、弥生に対して、何か割り切れない思いを抱いていた時に弥生が車道に飛び出し、自分が自ら弥生の命を手放したように感じている事も、三日間失踪した時、浮気相手の所にいた事も、そこに行けば楽になる筈だと思っていた事も、そこに行けば救われると思った事も、でも違うと思った事も、亮にすべてを話す事でしか、私は弥生の死を現実にできない思った事も。

 すべて話すために、三日三晩二人でいた。ずっと二人で話していた。亮がどんな結論を出すか、私には最後まで分からなかった。これからの事なんだけど、と亮が切り出した時、耳を塞ぎたくなるほど恐かった。亮を失いたくはないと強烈に、私は思った。もう失いたくなかった。弥生の面影の映る亮を失えば、私は弥生と、もう一人の弥生を失うようなきがしていた。

「彼と別れられるの?」
 亮がそう言ったのを聞いた瞬間、私は一塁の希望を見出した。そしてそれから一年、私は他の事を忘れたように、亮という存在だけを生きる上での支えにして、亮という希望だけを見つめ続けて生きてきた。今弥生とどう向き合ったら良いのか。今亮とどう向き合ったら良いのか。私は一年間それだけを考えて続けて生てきた。単発の小さな仕事は出ることはあった。友人と会う事もあった。でもそれは人としての生活を正常に成り立たせるために必要な一要素でしかなかった。

 亮との生活は、少なくとも私には、愛に満ちたものに感じられた。でも私は亮と言葉を交わせば交わすほど、穏やかな生活が送れば送る程、関係が改善していけばいくほど、喪失感が漂っていくのを感じていた。ここには、弥生だけが居ない。温かさを取り戻した家庭に、弥生だけが居なかった。もしもここに弥生がいたら、どんな顔をしただろう。どんな風に笑っただろう。

私と亮がソファでくっついているのを、私と亮が穏やかな表情で優しく言葉をかけあっているのを、弥生はどんな風に成長していっただろう。微笑み合う私たちの間にあの小さな体が「やよいもつ」と割り込んできたら、私は、私の人生にこんな幸せな時間はなかったと、そう思ったはずだ。でも弥生だけが居なかった。この家には、ぽっかりと黒い穴が開いていたように「喪失」が巣くっていた。「喪失」は癒される事がない。埋まる事がない。城を作っても波がさらっていくように、開いた穴に何を詰め込んでも、穴は全てを飲み込んでしまう。

その先が宇宙に繋がっているように、全世界を詰め込んでも、穴は埋まらないだろう。大切な人を失った人は、一体どうやってこの穴と生きて行くのだろう。私は、一生埋まらないと分かっている穴と、どうやって生きていけば良いのだろう。見ないふりをしても、意識しないようにしても、どうやったって穴はそこにある。

そんな風に弥生の喪失を穴に喩えて想像していると時々、自分もその穴の中に飛び込めば、その穴は私自身となり全世界となり、その時私は弥生と一体化するはずだと、そういう妄想に駆られる。

 食事を終えると、亮は弥生のお皿とコップを仏壇に戻し、下げた食器をゆすいでそのまま食洗機をスタートさせたようだった。微かに水の音がするのを聞きながら、私はソファの前のローテーブルに赤ワイン用のグラスを置いた。洗い物が大嫌いで、キッチンの棚が低すぎて食洗機が入らないと知った時絶望の余り紙の皿とコップと割り箸とプラスチックのフォークを大量に買い込んだという話をしていたのは誰だったかと考えてすぐ、ああユカだと思い出して、僅かに頬が緩んだ。

「うん? 何?」
 キッチンからチーズの載ったお皿を持って戻ってきた亮が、私の顔を見て嬉しそうに聞いた。
「ううん、何か、前に友達が洗い物が大嫌いっていう話をしていのを思い出して」
「へえ」
「洗い物しながらiPodで音楽聞いて歌ったり、踊ったり、小説を朗読聞いたり、聞くだけで話せるようになるっていう教材を流して洗い物の時間だけでフランス語をマスターしようとしたり、お皿の一枚一枚に嫌いな奴の顔を思い浮かべて金たわしで洗ったりして、色々試行錯誤して楽しもうと思ったんだけど、洗い物だけはどれだけ工夫しても好きになれなかったって」

 亮は笑って、それあれ? あの小説家の子? と聞いた。亮とほとんど会話をしなかった空白の期間に体験したり、聞いたりした面白い話を、この一年かけて私は全て亮に話してきた。ユカとは連絡を取らなくなってしまったけれど、そうして亮に話して追体験してきたせいか、あまり疎遠になったという実感がない。

「そうそう。ユカっていつも話が大袈裟で」
 この間、久しぶりにリカさんと会った時、ユカが旦那と別れ、アートディレクターと再婚したという話を聞いた。離婚後半年待っていたように入籍したようで、更に妊娠していると聞いて驚いた。すごく話よねえと笑った後、「moda」でその劇的な恋愛を書いてくれないかって依頼してるの、とリカさんはいかにもやり手編集長らしい表情で語った。

 弥生の死をきっかけに、多くの関係者が立ち切れた。意識する事もなく、細かくなって細かくなっていつの間にか、ぷつりと途切れてしまった関係もあれば、はっきりとあの時を境にぷつりと切れた関係もあった。弥生が産まれる前から親交のあった人や、リカさんのように子供とは関係ない所で知り合った仕事関係の人は、今でもそれなりの付き合いがあるけれど、ユカや涼子ちゃん、保育園で知り合った他のお母さんや、ママになった事で仲良くなった子持ちのモデル仲間とは、もうほとんど連絡を取る事もない。

たまにどうしているんだろうと思う事はあるけれど、無駄な気を遣うのも、遣われるのも嫌だ。それに、自分が母になった事で、子供の居ない人と話が合わなくなってしまったのと同じように、母でなくなった私が、今育児をしている母親たちに会っても、話が合わないだろう。私が母親でなくなった。子供を育て上げられたわけでもなく、子供が出て行ったわけでもなく、失った。失って、母でなくなった。

 亮がくすくす笑っているのに気づいて、今度は私が「なに?」と聞く。
「いや、前にそのユカって子の話で、ナンパしてきた男が童貞だったと知って、友達がそいつの股間をガン見したっていう話があったじゃない。あの話、何かよく思い出して笑っちゃうんだよ」

 ああと言って、私も笑った。ユカと涼子ちゃんが高校生の頃、二人で遊んでいる所にナンパしてきた男子高校生と立ち話をしていた時、片方の男の子が友達を指差し「こいつチェリーボーイなんだよ」と言った瞬間、涼子ちゃんが顔から視線を一直線に股間に落としたという話を、ユカはいつだったか面白おかしく話していたのだ。
「へえーっ、て言いながらじっと股間ガン見しててさ、もう超笑った」

 確か、その場に涼子ちゃんはいなかったはずだ。ユカはそう言った後、「でもさ、結局その場では遊ばなかったんだけど、今の涼子の旦那って、その時のチェリーボーイなんだって。私はすっかり忘れてたんだけどね」と話した。えっじゃあ涼子ちゃんの旦那さんって涼子ちゃんしか経験していないの? と聞くと「いやいや、実際付き合い始めたのは、ナンパから何年か経った後で、残念ながらその時には経験済みだったみたいよ」と手を卑猥な形をして笑った。何でか分からないけれど、私はその話を聞いた時、涼子ちゃんは幸せな人生を歩んでいくだろうと、勝手に涼子ちゃんの未来に安心した。

「でもユカ、絶対にその話誇張してるよ。本当にいつも大袈裟に話すんだもん」
 そう言うと、私は亮と一緒にまた笑った。
「なあ、これうまいよ。食べてみ」
 亮がハードタイプのチーズを指して言う。一切れ指で摘まんで口に入れると。うんおいしい、と私は声を上げた。
「こっちも飲んでみ」
 言われて、注がれたばかりの赤ワインを手に取ると、口に含んで「うん」と更に声を上げた。
「おいしい。すごく合う」
 だろ? と満足そうに亮は言って、自分もワインをぐっと飲んだ。弥生に会いたかった。私たちの不仲に、最も心を痛めていた我が子に、今私たちこんなに幸せでいるよと知らせて上げたかった。もう大丈夫だよ、仲良しだよ、そう伝えたかった。

 化粧落とさないの? コンタクト取った? パンツ見えているぞ。苦笑混じり言う亮の声に、弱々しく微笑み返す。夫婦二人で晩酌をしながら酔いつぶれてしまった私は、亮の腕に抱きかかえられ、寝室のベッドに運ばれた。ベッドの真ん中に優しく寝かされた私は「亮は自分の部屋で寝るんだろうか」と一瞬考えて寂しくなった。亮が躊躇いか、それとも何か他の事を考えていたのか、一瞬の間を置いて隣に寝そべった時、私は何処かでほっとしている自分に気づいた。

亮の仕事量にもよるけれど、大体一週間の内二日か三日は一緒に寝ている。子供の世話する必要もなくなり、仕事にも本格的に復帰していない私が早寝早起きする意味もなく、最近三時や四時に帰ってくる亮に合わせて遅寝遅起きの生活を送っている。弥生といた時は、インタビューであんなにも早寝早起きのメリットについて切々と語っていたのに、今では如何に自分が自己肯定に必死になっていたのかがよく分かる。

私が必死に、母になろうとしていたのだろう。母である自分、弥生の母である自分、母としての自分、母としての今、母としての未来、それら全てを肯定して振り返らずに前に突き進む事でしか、私は母という役割を受け入れられなかった。本当は恐かった。母になるのも、母でいるのも、母で居続けるのも、どこかで恐かった。自分は母だと胸を張って言いながら、どこかで「本当に母なのか」と違和感を抱いていた。今、疑いようもなく、私は母ではない。でも疑いようもなく、私は母だった。

 隣でじっと黙っている亮が起きている事に気づいた私は、迷いながら手を伸ばした。子供の一周忌に、私はセックスをするのだろうか。そんな事して良いのだろうか。私の迷いに気づいているのか、亮は一瞬私に触れられる事を無視するような素振りを見せた後、私を強く抱きしめた。化粧を落としていない顔が亮の胸元に擦れて、息苦しさを感じる。

体をまさぐる亮の手に、私は反応していく。亮に全てを話してから、待澤には一度も会っていない。私は亮の目の前で電話をかけ、待澤に別れて欲しいと言った。五月ちゃんが、本当に旦那さんに気持ちがあるって分かってたよと、高校生の頃のように私の名前をちゃん付けをして待澤はそう言った。「でもあの時流産してなかったらどうなっていたのだろうって。今でも考えるんだ」待澤の言葉に、私は何も答えられなかった。

流産していなかったら私は、待澤の子供を、絶対に産んでいたはずだ。「俺にできることがあったら何でも言って」言葉に詰まりながら発された水っぽい声に、私は黙ったまま電話を切った。亮の目の前で待澤と別れた私は、自分は近い内、また私は待澤の所へ逃げ出してしまうのではないかと思っていた。

亮と、弥生の死を直視していく事に、私は耐えられる気がしなかった。実際、この一年で二回、待澤に電話を掛けたいと思った事があった。辛くて辛くて、全てを捨てて逃げ出したら楽になるんじゃないかと、待澤の電話番号を表示させたまま泣き喚いた。でも私は掛けなかった。掛けなかった。待澤と会うのに使っていたホテルには、この一年一度も行っていない。待澤と別れてから、あのホテルの前を通るたび心が乱れ、「私はこの道を通るたびこの胸苦しさを感じ続けるのだろう」と思った。

でもこの間そのホテルの前を通った時に、私は何も感じなかった。ふと違和感を抱いて、「そうか、あのホテルか」と振り返って気がついた時、私は待澤とのあれこれを乗り越えられた気がした。

 パンツを下ろされ、亮の指がせわしなくわたしの性器をまさぐり、ゆっくりと入って来る。小さく声を上げて、亮の肩を掴むように力を入れた。この一年、普通にセックスをしてきた。一週間に一度は、セックスを重ねてきた。避妊はしていない。でも私はこの一年、一度も妊娠しなかった。毎月毎月、私は何処かで期待している。一日でも生理が遅れれば検査薬を使う。二日目も、三日目も、検査薬を使う。先々月、四日遅れた時、私はほぼ妊娠を確信していた。重たいお下腹部痛に顔を歪めてトイレに入り、鮮やかな経血を目にした瞬間涙が零れた。

駄目だった。今月も駄目だった。毎月毎月そうして一喜一憂している事を、亮もどこかで勘づいているのかもしれないけれど、私はそうして一喜一憂してしまう事を亮には話していない。その話をするのが恐いという気持ちもある。不倫相手の子供を流産した事を知っている亮が、一年普通にセックスをして子供が出来ない事をどう思っているのか、私は聞くのが恐い。普通にセックスを重ね、いつしか妊娠して、また自然に出産に至る、そういう流れの中で、私はきっと亮との関係を、信頼関係を、そして弥生を失ってしまった事で失ってしまった何らかの一部分を、取り戻せるのではないかと思っていた。希望は捨てていない。でも、妊娠しないという現実を受け止める事も出来ない。

 つき上げられながら、声が少しずつ高まっていく。揺さぶられ、抱きしめられ、キスをして、私は薄く目を開ける。リビングに繋がるドアの隙間から、明りが僅かに漏れている。かつてこの家を走り回っていた美しい子供が、不謹慎かもしれないしお門違いかもしれないけれど、私は再びこの家に呼び戻したいと思っている。もしも私が再び妊娠をしたとしても、生まれる子供は弥生ではない。

その子供に、弥生の魂が籠っている訳ではない。それは分かっている。でも私は亮が弥生に似ている事を痛感した時に亮を失いたくないと強烈に思ったように、弥生の面影の残る何者かの複製を作る事に、激しい執着を抱いている。不謹慎だ。でも子供が欲しい。私は母になりたい。子供が欲しい。再びこの手に、我が子が抱きたい。弥生のように美しい子供を、再びこの腕に抱きたい。抱きしめたい。そして二度と離したくない。

 亮。名前を呟いて、背中に爪を立てる。動きが激しさを増し、それ以上入らないほど奥まで亮の性器が精細な乱暴さで入ってくる。私を見下ろす亮の額から汗が流れ、冷えながら落ちてきたその僅かな飛沫が、亮が他人である事を強烈に実感させる意味を含んだものとして、冷たく阻害するように私の胸を濡らした時、亮が震えた。私は半ば、自分を諦めるように祈った。何でも差し出すだろう。私は何でも差し出すだろう。愛おしい物ものに、全てを捧げるだろう。
*初出「新潮」二〇一〇年一~九、十一~十二月号 二〇一一年~三月号
 マザーズ 著者 金原ひとみ