前方の曲がり角からワゴン車がエンジン音を響かせて近づいて来るのが見えた。すぐ後ろに入るはずの弥生の声が斜め後ろから‥‥と思った瞬間身体中の穴から火が出るように焦燥感の中で振り返り、息が止まるかと思うほどの胸の苦しさに顔を顰め、やよいっと声を上げる。転がるように車道に駆け出し、手を伸ばす
本表紙金原ひとみ著

十一章 五月

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「かんたんレース編み」。表紙には生成の糸で編まれたベビードレスが写っている。お腹の子を産もうと決めてすぐの頃、注文した本だった。すっかり忘れていて、今日宅急便が届いた時も。開けるまで何か入っているか分からなかった。今年初めに長女を出産したモデル仲間が、自分の編んだベビードレスをブログにアップしているのを見た時から、いずれ私も弥生にケープでも編んでみようかと思っていて、お腹の子を産んでくれと待澤に言われた時ふと、その画像を思い出したのだった。

あのベビードレスって何か見て作ったの? とメールで聞くと、彼女はこの「かんたんレース編み」という本を教えてくれた。注文したのが本だけで良かった。赤ちゃんが消え、お腹を空っぽにした私の元にかぎ針やレース糸が届いたら、私はもっと虚しい思いをしただろう。

 つい数週間前までは私は妊婦だったのに、もう妊婦というものが随分と遠い世界の事に感じられる。妊婦と分かってから流産の手術を受けるまで、ほんの僅かな期間だったけれど、私はその間激しい幸福感に、多少なりとも冷静さを失っていたのだろう。でなければ、何を差し置いてもまずしなければならない離婚手続きの前に、レース編みの本など注文しないはずだ。0~24monthsと書かれた数字を見て、二歳になったばかりの輪ちゃんの姿が頭に浮かんだ。いつも男の子っぽい格好をしている輪ちゃんも、ピンクや白の手袋やポンポネットをつければ一気に女の子らしくなるだろう。

図面を拡大すれば、弥生にケープも編めるかもしれない。でもその面倒臭いプロセスを思うだけで、気持ちは萎えてしまう。こういう手間のかかる事をするためには、ある種の狂いが必要だ。私はもう、妊娠中のあの多幸感を失ってしまった。産後うつに近いものだろうか。流産の手術以来、女性ホルモンが激減したせいか、それとも流産への憂鬱な気持ち、あるいは不妊症かもしれないという不安のせいか、募るのは不能感ばかりで中々明るい気持ちになれずにいる。ファーストシューズやベスト、おくるみなどを写すカラーページをぱらぱらと捲った後、それを寝室のキャビネットの奥にしまった。

 検診、行ったんだね? 待澤の言葉に顔を上げ、その顔をまた俯けるようにして頷くと、バジルの香る野菜ジュースをたっぷりと掬ったスプーンを口に入れた。
「問題なし。出血もほとんどないし、組織検査も問題なかったし、もうお風呂も入っていいし、セックスもしていいって」
 わざと軽い口調で言って、僅かに微笑んだ。
「お腹痛いとか、そういうこともない?」
「うん。大丈夫。順調」
 待澤を安心させるために、にっこり笑って見せる自分が情けなかった。流産をしたのは私なのに、何で私が待澤に気を遣わなければならいのだろう。何もなかったように、前と全く同じようにいかないのは分かっている。寝食を共にしてくれる夫婦ならまだしも、私たちは二週間に一度程度しか会わない不倫相手で、そういう関係の中で、二人で流産を乗り越えるのは不可能なのかもしれない。

手術の日、待澤は病院の近くまで来てくれたし、手術が終わるまで待ってくれたし、そうしてくれる存在に救われたとも思ったけれど、私たちには、普通の夫婦やカップルが不幸を乗り越えるために費やす時間や言葉が圧倒的に足りていない。今日、このレストランで待澤を見つけた時も、私はどんな顔をして良いのか分らなかった。待澤に会うのは手術の日以来、二週間半ぶりだった。

術後しばらく体調が悪く、次の週は仕事が忙しかった。ジムもヨガもサボってしまっている。雑誌の企画で紹介してもらった、個人レッスンもやっているピラティスの先生にも、連絡をしようしようと思いながら出来ていない。友達からの食事やパーティの誘いもほとんど断ってしまった。確かに私は忙しかったし、体調も悪かった。でもどうしても待澤に会いたいと望めば会えたはずだった。数時間だけでも望めば、会えたはずだった。

私は、一人で流産を受け入れる事に専念した。その方が早いと思った。待澤が流産したわけではない。流産の当事者は私だけなのだ。待澤と二人で歩調を合わせるよりも、自分一人で誰にも気を遣わせず傷を舐めていた方が治癒は早いに決まっている。結局、子宮にまつわる事は、女だけで済ませた方が手っ取り早いのだ。悲しみを理解してもらいたいとか、二人で乗り越えるとか、そういうのは今の私には非効率的過ぎる。

私はもう、そういう次元で男と関わる事が出来ない。育児と仕事を両立させている内に、悲しみも苦しみも効率的に、合理的に処理するようになってしまった。現実的に考えても、仕事と育児を両立させていながら、待澤と思いの丈をぶつけ合うようなコミュニケーションを取る時間も余裕もない。

「気持ち的には?」
「うん?」
「精神的には、落ち着いている?」
「うん。大丈夫。もう平気」
 言いながら、私はまるで弥生と向き合っているような気持ちになる。心配したり不安になっている弥生を、大丈夫だよ平気だよと宥めるような、そんな気持ちだった。母になるとは、そういう事なのかも知れない。誰とも世界を共有せず、たった一人で生き、超然として他人の憂いを和らげる、母とはそういう存在なのかもしれない。

聖母マリアに象徴されるように、母とは最も満たされた存在であるように捉えられているけれど、本当は昔から、母なるものが誕生したその時から、母とは最も孤独な存在であったかも知れない。

 シナモンスティックでホットワインを掻き混ぜると、匂いを嗅いでからごくっと飲み込んだ。渋みや酸味やシナモンの香りが口の中に広がって、一口でぐっと体が温まった。
「お酒、久しぶり」
「控えていたの?」
「別にお酒ぐらいいいんだろうけど、一応、刺激物は避けていたの」
「そうなんだ」
「何か、ホットワイン飲むと、冬って感じがするよね」
 うんうんと言いながら、湯気をたてるワインの表面をふうっと吹き、僅かずつ飲み進める待澤を見ながら、高校生の頃に見た待澤の姿を思い出した。マックだかモスだかのファストフードに行った時、私は待澤が紅茶のティーバックをカップから引き上げ、絞るようにプラスチックのスプーンに巻き付けてからトレーに置いたのを見て、強烈な愛おしさを感じた。

私や他の友達らと話しながら、さらっとそういう律儀とも神経質とも取れるようなことをした待澤をみて、私は彼への気持ちを強めたのだ。何が琴線に触れたのか分からない。ただただ、私は待澤がティーバッグをそんな風に取り出す人だとは思っていなくて、だからその意外さやらに、息がつまるような情熱を募らせたのかもしれない。でも今、彼が紅茶のティーバッグをそうして引き上げたとしても、私がそうしてときめく事はないだろう。

 まだ少し血出るかも。待澤が指を入れてきた時、私は小さい声でそう言った。痛くない? と聞く待澤に頷くと、ゆっくりと指が動き始めた。どきどきして、力が入った。昔、堕胎後に初めてセックスした時も、私はこうしてどきどきしていた、行為に最中に強烈な痛みを感じて相手を押しのけた。待澤を押しのけたくなかった。優しくして、という言葉に待澤は頷いて、キスをした。

いつも激しいセックスをする待澤に、こんな事を言わなければならない日がくるとは思っていなかった。不妊治療をして、何度も流産を繰り返す人も多いらしいけれど、もし再び流産したら、私はもうセックスを楽しめなくなってしまうだろうと思った。流産を怖れて、セックスも怖れてしまうだろう。日常生活に支障をきたさない程度であっても、そう思うくらいには、私は自分の流産に傷ついていた。

「ゴム、持っている?」
 私の呟きに顔を上げ、つける? と待澤は聞いた。長く伸びる前髪の隙間から待澤の申し訳なさそうな目が覗いて、私は怒りを感じた。二回生理を見送るまではまた流産する可能性が高いからきちんと避妊してくださいって言っていた、という医者の言葉をさっき伝えたばかりなのに、前回外出しで出来たという事は、今外出ししてもまた出来てしまうかも知れないのに、また私が流産に苦しむかも知れないのに。怒りで性欲が減退する前に、そうだよな、と言って待澤は顔を上げた。

前に五月がくれたのが‥‥と言いながら鞄を漁り、待澤は小さな箱を出して封を切った。随分と前にあげたものだった。セーフティーセックス推進キャンペーンのイベントに参加した際に、大量にもらった物だった。それを上げた時、待澤は「俺ら使わないんじゃん」と笑って「他の女としろって事?」と冗談を言いながら愛撫を始め、生で挿入した。

「他の女とはしてないみたいだね」
 俺には五月しかいないよ、そう呟いてゴムを手渡した待澤の腰元にかがんで被せながら、その言葉が皮肉めいた意味を含んでいる事に気がついた。ゆっくりと挿入した待澤が動くたび、恐怖心が疼いた。私にゴムをつけてくれと言わせた待澤への怒りも募った。

自分の体は自分で守らなければならない。自分の子供は自分で守らなければならない。結局どうやったって、男には理解出来ない領域なのだ。それでも、待澤が入れてから五分も経つと、私はそういうあれこれを忘れて久しぶりのセックスに大きな声を上げていた。
「やっぱり旦那と、なんてないよな?」
 待澤の言葉に、どきっとして振り返ったのは、セックスを終えて二人で煙草を吸っている時だった。
「ないよ」
 裸でベッドに横になったまま、私は笑ってそう言った。もしかしたら待澤は「やっぱり旦那とやっていきたい」という言葉を期待していたのかもしれないと思ったけど、待澤は何の作為も感じさせない微笑みを浮かべ、だったらいいんだけどと呟いた。

「何か、気持ちの切り替えが出来なくて」
「うん」
「赤ちゃんと、弥生と待澤と四人でやっていくんだって思ってたから、何となく状況を受け止めきれないっていうか」
「うん。分かっている。ゆっくりでいいよ」
 私は、またこのまま、待澤との不倫も亮との結婚生活も続けていくような気がした。ゆっくりでいいよと待澤が言っている内は、私は亮と離婚できるような気がしなかった。でも待澤は、再び妊娠するという事態にでも陥らなければ、きっと離婚を促すような事は言わないだろう。柔らかい憂鬱が私を包んだ。このまま亮と生活をし、弥生を育て、待澤と不倫を続けていく。そう思うと憂鬱だった。

待澤と不倫を始めて以来、「何のために」「いつまで」という疑問が芽生える事は多々あったけれど、流産するまで、私はその状況をさほど絶望的なものと感じて来なかった。でも今、私はこの将来性のない生活を、前と同じように続けていける気がしなかった。気持ちが傾きつつある事に、気づいていた。私はもう、亮と離婚する事を考えていない。私は亮と離婚することを考えていない。

私は亮とやり直したいと思っている。流産して、待澤と私を繋ぐ大きなものが一つ消えた時から、私はこれを機に待澤と別れた方が良いのではないかと思っていた。待澤と別れる事を、何度も想像した。でも私はいつものように待澤を誘い、いつものレストラン、いつものホテルに部屋を取り、前と同じようにセックスをしている。まだ失うのは恐いのだ。

今また、亮と弥生と三人で閉塞した柏岡家に戻って、亮に邪険に扱われ、無視され、スキンシップもセックスも会話もない生活の中で、一日一日死に向かって生きて行くのが恐いのだ。生活を共にする人は、共に生活する事で死の恐怖を紛らわしてくれる人でなければならない。私は亮と一緒にいると自分の中に生よりも死を感じてしまう。

 亮との関係は、改善されつつあるように感じる。前のように、何日も全く話さないというような状態は脱した。でも待澤という支えを失い、私は冷静でいられるだろうか。亮との関係改善を急いで、再び関係が破綻してしまうかもしれない。じゃあ、私は亮との関係が、昔と同じような良好な形に戻るまで待澤をはけ口として利用して、亮と良好な関係を再構築できた暁に、晴れてめでたく待澤を捨てるのだろうか。そんな事が出来るのだろうか。出来たとして、私はそれで本当に幸せなのだろうか。

 朝の五時過ぎに帰宅すると、シッターのハナちゃんがリビングのソファで眠っていた。弥生を寝かしつけた後にやってきたのだろうか、部屋は綺麗に片づけられ、洗濯乾燥機に入りっぱなしだった洗い物も綺麗に畳んである。塩素臭いキッチンを見に行くと、そろそろ茶渋を綺麗にしなきゃと思っていた十枚ほどの白いお皿とコップが綺麗に漂白されて水切り台に置かれていた。起こそうか起こすまいか迷っていると、気配に気づいたのかハナちゃんはばさっとブラケットをはねのけるようにして飛び起き、はっ、と声を上げた。思わず笑って「おはよう」と言うと「ああびっくりしたあ」と顔を歪め、あー寝ちゃったーと情けない顔で笑った。

「寝る時は布団出していいって言ったでしょ。寒くなってきたし風邪ひいちゃうよ。今出すから、寝て行きなさいよ」
「あ、いいんですいいんです。本当は寝ちゃいけなかったんです」
 明日はお休みなんで、家に帰って続きやりますもと言ってハナちゃんはローテーブルに置かれたノートや筆記用具をまとめて始めた。院生と聞いた時は生ぬるい生活を送っている若者なんてと懸念もあったけど、実際に会って見るととても真面目で、馴れ合いを嫌い、子供には片付けの時間、お風呂の時間を厳守させ、子供の扱いも家事も手際の良さはベテランベビーシッター並みだった。

弥生も、それまでのシッターたちに比べて大分懐いている。それまでのシッターの名前を口にすると、私が居なくなるだと気づいて泣き出したのに、ハナちゃんの名前を出すと「いつ来るの?」と笑顔を見せる。聞くと、専属のベビーシッターになって欲しいという声も多く、もう既に院生というよりもシッターになりつつあると言う。

「夜の八時にウンチが出ました。良便です。今日は頑張って自分でお尻を拭けました」
「あら、すごい」
「お風呂の際は、洋服の着脱も自分でやって、体も自分で洗うと言って頑張っていました。夕方、お絵描きをしてママの絵を描いたんですが、明日ママにあげると言って枕元に置いて寝たので、きっと起きたら持って来ると思います」
 ハナちゃんはマッシュルームカットの頭を撫でつけながらはきはきとそう言った。
「そうそう、ママと公園行く約束したんだ、って嬉しそうに言っていましたよ」

 では、と言ってバッグを持って出て行こうとするハナちゃんに、ちょっと待って行ってキッチンに向かった。ハナちゃんは甘いもの大丈夫だよねと聞きながら、最近表参道にオープンしたばかりだという洋菓子のマカロンの詰め合わせを差し出す。

「この間仕事相手から何箱ももらって。良かったら食べて」
 いいんですかとにっこり笑うハナちゃんに、またメールするねと手を振った。鍵を閉めるとしんとした玄関から一瞬夫の部屋を見つめる。もう寝ているのだろうか。物音は一切しない。でも、亮は私と話すのが億劫で、物音を立てないように気を付けているだけかもしれない。私とのコミュニケーションを回避するために、彼はベッドの中で息をひそめているかもしれない。

何故彼が、それほどまでに私を拒絶するのか。私はいまだによく分からない。彼の店の経営が悪化すればするほど、私が育休から復帰して仕事を増やしていけばいくほど、格差婚と言われがちな私たち夫婦の中に、ある種のタブーが出来ているのは気づいていた。そして、プライドの高い亮にとってそれが耐え難いものである事も分かっていた。でも私は、そんな風に週刊誌に書かれるような内容の事が、本当に夫婦関係を壊すなんて事があり得るとは思っていない。

確かに私は、一時期亮に辛く当たっていた。仕事に復帰していく中で、育児をしながら仕事をする事の大変さを思い知り、中々良いシッターに巡り会えず、幼稚園の事や躾の事も一人で思い悩み、疲れ切っていたのだ。育児をしてくれ、弥生の事をもっと考えてくれと、仕事でいっぱいいっぱいになっている亮に対してプレッシャーをかけているような事を言ったかもしれない。

でも、そうして必死に懇願する私に、だったら離婚すると脅し、それっきりセックスもしなければ手にも触れる事もせず、顔を合わせるのも恐れるような態度をとるようになった亮の気持ちが、私にはあまり理解できない。自分のプライドや生活を侵害する物に対して、男性は強い拒絶反応を示す生き物だとはよく聞く。そして確かに、これまで突き合って来た男性たちに比べても、亮は特にその傾向が強いように感じてきた。

でも彼はこうして妻と全く心を通わせない夫婦生活を継続させる事に、どんな意味を見出しているのだろう。何の目的もなく、離婚も関係改善も求めず、ただ流れるままにこの家で生活を送っているだけなのだろうか。ただ波風を立てないように生活をしていれば、いつか何となると思っているのだろうか。耐えきれなくなった私から「離婚しょう」と言われるのを、粛々と待っているのだろうか。

 夫の部屋をノックしてみたい衝動を押しとどめ、私は弥生の部屋のドアを静かに押し開けた。朝日が差し込み始めた部屋で、弥生は四肢をあちこちに伸ばしてじっと目を閉じている。枕元には、クレヨンで描かれた絵が置いてあった。しばらくその場で弥生を見つめ、ドアを閉めた時、全く動かない心に気づく。流産の手術以来、私は弥生を可愛とは思えない。表面上は優しくしていても、どこか弥生と向き合う時私は空っぽなっている。

空っぽの頭で弥生に微笑みかけ、弥生を褒め、弥生を𠮟り、ママ弥生のこと好き? という言葉に大好きだよと応える。弥生は可愛。どう見ても可愛い。でも、弥生の事を考えただけで胸が沸き立つような感情は、しんと鎮まっている。これも、女性ホルモンが減少した事による気持ちの変化なのだろうか。

女性が排卵日や生理前に苛々するという話を。ほとんどオカルトのようなものだと思っていた私は、人間はホルモンに操作されている、遺伝子に操作されている、と言うような話をする人が嫌いだった。半ば、霊能力者や超能力者のような、胡散臭い人を見るような目で見てきた。でも自分が妊娠したり、出産したり、授乳をしたり、流産したりという激しい女性ホルモンの波にさらわれている中で、私は自分の力ではどうしようもない感情の変化が起こる事があるのだという事実を認めざるを得なかった。

自分の意志と感情を、全く別の形に捻じ曲げてしまうものが自分の中にあると思うと、恐ろしかった。つまり私は、自分の意志とは全く関係のない所で、ある日突然弥生が憎くなったり、亮と別れたくなったり、待澤をめためたに傷つけたくなったりするかもしれないのだ。そして同じように、自分自身すらも理由なく憎くなって、殺してしまいたくなる時が来るかもしれない。

 顔を洗いは磨いてから寝室のベッドに入ると、夏用と交換したばかりの冬用の羽毛布団が重く体にのしかかる。冷たいマットレスと掛ふとんの間に足を伸ばし、枕に頭を載せた。まだじんじんと熱い股間に手を伸ばし、下着の上から触れた、人差し指で、数回筋をなぞる。疼くものはあるものの、面倒臭い気持ちが先行した。目を瞑ると、帰り際洗面台の前で、待澤が髪を整えながら口にした言葉が蘇る。「三人で幸せになろうな」。私はどんな顔をして良いのか分からず、綿棒で滲んだアイラインを拭う手を止め、待澤の肩に顔を埋めてうんと頷いた。

 近々どっかで軽く食事しない? というメールに気づいたのは、六本木のスタジオで撮影を終えた時だった。濱中さんとスケージュールの打ち合わせした直後だった、今だったら予定を入れやすいだろうとメイク室で電話を掛けると、久しぶりーという調子の良いユカの声が聞こえた。
「どう? やっぱ年末は忙しい?」
「十二月に入ったらちょっと忙しくてなりそうだけど、今週だったらまだ余裕があるかも」
「そう。今仕事中?」
「今スタジオで撮影が終わったとこ」
「そうなんだ、どこ?」
 じゃあこれからちょっとお茶する? という突然の申し出に何となく断りたい気持ちになったけれど、私今青山なんだよねと言うユカに、じゃあ会おっかと答えていた。待澤以外で唯一妊娠を伝えた友人に、一刻も早く「自分がもう妊娠していない」事を伝えたかったという気持ちもあった。何故か分からない。でも私は今、誰かがどこかで「森山五月が妊娠している」と思っている人がいるという事に耐えられなかった。私はもうそんな幸せを手にしていないのだと、宣言しなければならいような気がする。

 オープンテラスのカフェレストランに入ると、人の多いテラスや窓際を避けてくれたのか、ユカは店内の奥まった席に座ってメニューを見ていた。
「あっ、お疲れー」
 明るい声に、ほっと息をつく。輪ちゃんの誕生日にすっぽかされて以来、電話で理由は聞いていたけれど、ユカが何か切羽詰まった状況にあるのではないかという心配な気持ちが。どこかで燻っていたのだ。車の中で置きっぱなしなっている輪ちゃんへの誕生プレゼントが頭を過ぎた。もしユカもうパーティをやる気がないなら、帰り際に渡そうかと思った。

「どう? 体調」
 どう? と私が聞きかけた時にそう聞かれ、一瞬動揺した後に「駄目になっちゃった」と顔を歪めてそう言った。言った瞬間、妊娠という呪いから最後の一歩を引き上げたかのように、気が楽になった。流産したという事実を、私はこれ以上誰にも伝えなくて良いのだ。
「駄目?」
「うん。流れちゃった」
 そうなのと言いながら、ユカは憂鬱そうな表情を見せ、大変だったねと呟いた。何故かその言葉に、目頭を熱くした。大変だった。そうなのだ。大変だった筈なのだ。でも私は、大変な素振りを誰に見せないまま、大変でなかったように振る舞う中で、本当に流産がさほど大変な事ではなかったような記憶を作りつつあった。でも本当に大変だったのだ。私は赤ちゃんを失ったのだ。それは大変な事だったはずだ。

「うん。大変だった」
 言葉に出して見ると、ああ大変だったんだという気持ちになった。私は大変な状況で、大変な決断をして、大変な悲しみを胸に抱いていたのだ。言葉にしないと、人は現実を夢のように処理してしまうのかも知れない。特にああいう悲しみを伴う現実は、過去とも現在とも繋がりのない、ぽかんと独立した記憶となって、いつしか夢だったのかすら分からなくなってしまう気がする。

その時抱いた思いの全てを言葉にして、それで初めて現実らしきものとして捉えられるのかもしれない。でも同時に、大変だったと口にした瞬間この体中に広がった悲しみは、作られた悲しみだったという気もする。他人に対して自分の体験を言葉にするという行為は、自分の記憶を捻じ曲げ、本質を見失わせるものであるような気がした。

私ははっとして、それ以上ユカには何も言うまいと口を噤んだ。待澤と共に流産を乗り越えるべきだったのかもしれない。私は待澤と、何故あんなにも表層的な所でしか流産について語り合えないのだろう。
「じゃあ、離婚はしないの?」
「向こうはまだ、するつもりでいるんだけど、流産しちゃったから、何となく踏ん切りがつかないっていうか。夫とやり直していきたい気持ちも強くなって」
「五月は元々、旦那さんの事を嫌いになって浮気してたわけじゃないんでしょ?」
「嫌われたから浮気した、って言った方が正確かな」
「でも、旦那さんも別に離婚したいとは言っていないんでしょ?」
「今の所は」
「話すことは出来ないの?」
 ユカが聞いたとたん、店員がお飲み物はお決まりですかと声を掛けて来て、ユカがシャンパン私がペリエを頼んだ後、食べ物適当に頼んでいい? と聞かれいいよと言うと、ユカは生ハムサラダとステーキと豚肉のパテと魚介のパスタを頼んだ。普段カロリーに気を遣っている私も、そこまで潔く頼まれるともう今日は思う存分食べようという気になる。

「話すって、旦那と?」
 店員が去った後聞くと、は? とでも言いたげにユカうんと頷いた。
「つまり、私が聞いた話だと、五月と旦那さんは一年くらい前から関係が悪化して、大喧嘩の末に会話がなくなり、顔も合わなくなった。家庭内別居を続けている。そういう事よね?」
「まあ、概ねそういう事」
「旦那さんと五月の間で、いわゆる良好な夫婦関係を保つのに必要な類の意志の疎通は、ここ一年くらい全くないって事だよね?」
「そういう事になるね」
「すごい話だそれって。何かエイリアンと暮らしているような気になったりしない?」
「する。何考えてるのか分からなくて、もしかしたらゲイになっているかもとか、たくさん愛人作ってるかもとか、自分の部屋で変な儀式しているとか思っちゃう事あるの」

 ユカはくすっと笑って、新興宗教の教祖になってたりしてねと言った後、軽く笑みを歪めた。
「まあだから、異常事態だよね夫婦としては、だから、普通にあんたは一体どうしたいのって、聞いてみればって思うんだけど」
 簡単に言うけどと呟いて、やって来たベリエにライムを搾った。生活の事弥生の事仕事の事、私たちの間に現実的な話しかない。カードを挿入してください、ご利用金額で入力してください、ご利用明細を発行しますか。

私たちの間にはそういう、機械でも出来るような話しかないのだ。最近、関係が改善しつつあるとは言っても、やはり私たちの間にが「私はこう思う」「俺はこう思う」という機械以上の話を始めると、途端にその場に緊張が走り、一触即発のムードが漂い始める。私は亮を怒らせ、また離婚するぞと脅かされるのが恐いし、亮もまた、私の中の何かが恐いのだろう。

サラダをつつき始めた頃、私はやっと気を取り戻して、所でユカは大丈夫なの? と聞いた。なにがと惚けて見せるユカに、嘘をついた弥生が必死に平静を装うっている様子を目の当たりにしている時のような、そんないたたまれない気持ちになった。友人の自殺を止めに、という理由を、端から疑わしいと思っていたけど、やっぱり嘘だったんだと私はユカの表情を見て確信した。

「心配したんだからね」
「ああ、ごめんね。ありがとう」
「パーティ、遣り直さなくてもいいの?」
「いいのいいの。今年末進行で忙しいし、料理作るのとか面倒だし」
「私でよければ作るよ」
「いやいや、何か、色々疲れちゃって」
「そう」
「うん」
「輪ちゃんとか、旦那さんかとは、普通にやっているの?」
「うん。もう普通に」
「何かあったら、話くらいは聞くからね」
 うんありがとうと言うユカの笑顔を見ながら、ああ彼女は大変な時に私に何かを話したりはしないし、私はそれを分かっていながら話を聞くなんて言ったんだと思ったら、ひどく虚しい気持ちになった。私が一人静かに悲しみに対処したのと同様に、ユカもまた、ああして私や涼子ちゃんに迷惑は掛けつつも、自分の問題を自分自身で処理しようとしているのだろう。十代の頃のように、はらわたを引きずり出すようにして全てを吐露していた頃のように痛々しい人間関係を持つ事は、もう出来ないのだ。大抵の事には笑って応え、悲しみや苦しみは体内で処理して、私は平気ですよという顔でまた外に出て行く。

それはきっと、子どもに見られたくないからだ。子どもにみられたくないから私たちは陰で泣き、陰で苦しむようになったのだろう。汚物を人目に更さないようにトイレが進化したように、私たちは自分の負の感情を子どもたちに見せないように、ある種の感性を麻痺させて進化したのだろう。でもシンデレラ城の張りぼてであるように、子どもたちが目にする優しい母やの裏には、ぞっとするようなマイナスの感情が渦巻いている筈だ。

ユカは、自分の苦しむ姿を輪ちゃんに見せたくなかったから、だからあの日逃げ出したのかもしれない。彼女はむしろ冷静に、母として、逃避の道を選んだのかもしれない。

 肉汁滴るステーキを頬張り、うまい、美味しい、うまい、と繰り返し、とうとう最後の魚介のパスタが出てきた時、ユカは赤ワインを追加して、追加の声が切れるか切れないかの流れで「そうそう最近涼子から何か連絡あったりした?」と聞いた。

「涼子ちゃん? ううん、輪ちゃんの誕生日に二人でまちぼうけくらってから会ってないし。多分メールとかもしないと思うけど」
「そう。ドリーズでも、会わない?」
「うーん、そう言えば最近見てないなあ。どうかしたの?」
 うーん。いや何か、私も最近ドリーズで見てなくて。何か、メールしても電話しても出ないし」
「そうなんだ。一弥くんが体調崩したりしたのかなあ」
 うーん、と言ったきり、ユカは黙り込んだ。シェプレートに取り分けたパスタをぐちゃぐちゃとフォークで掻き混ぜ、何かを考え込んでいるようだった。
「心配なら、家に行ってみれば?」
 でも…‥、と心細げに言うユカが、何だか可愛らして笑ってしまう。いつも飄々として我が道を行くタイプのユカが、恋する女子中学生のようにぐずぐずしている姿は意外だった。
「でもやっぱり、立ち入るべきじゃないと思うんだ」
「涼子自身が考えて、涼子なりの良心に基づいて結論を出さなきゃ、涼子は不幸なままだと思うんだ」
「なに? 涼子ちゃん、不幸なの?」
「分かんない。でも‥‥」
「何か、悩んでるの?」
「‥‥分かんない」
 ユカの煮え切らない態度がもどかしかった。ユカはともかくとして、私は涼子ちゃんだったら何か助けになれるような気がしていた。旦那さんとの間に確執があるだとか、育児の孤独だとか、バイトが決まらないだとか、そういう事で悩んでいるとしたら、涼子ちゃんが話してくれさえすれば、私に何か力になれるような気がした。私自身、旦那や子供や仕事の事で、散々悩んできた。自分がそうだったからこそ、気の利いたアドバイスを貰わなくとも、話すことで癒される所もあるだろうと分かる。

「今から行ってみようか?」
「涼子んとこ?」
「うん」
「いいよ。多分、居ても出ないと思う。部屋番号も知らないし」
「表札出ているかもよ」
 もうちょっと連絡待ってみるよ、ユカはそう言って、自らを元気づけるように笑った。
「五月は、本当に放っておけないんだね。苦しんでいる人が」
「別に、そんな聖人みたいなものじゃないよ」
「お母さんが自殺を仄めかして失踪するたびに探して回ってたって、私はピンとこなかったんだけど、五月を見ているとああそういう人もいるんだなあって、何か、誇らしい気持ちになるっていうか」
「そんないいもんじゃないよ」
「五月の存在は、私が生きて行く中で必要な世界への希望の五%くらい占めているよ」
 何それと笑って、私はベリエを瓶から飲み干した。そんなもんじゃない。それは本心だ。いつからか分からない。でも確かに、事務所に所属し、モデルとして活動していく中で、私はある種の芸能人的倫理観を身に着け、順応していった。

例えば現役アイドルで「母親が大っ嫌い」とか「父親なんて死ねばいい」と公言する子がいないのと同じように、アイドルより制約は少なくとも公共の場で許される発言を、日常生活でも無意識的に選んでいる所がある。もし私が「子供なんか産まなきゃ良かった」とか「母親なんて死んじゃえばいい」などと家族を否定するような言葉を吐けば、私は確実に仕事を失うのだ。

ユカは作家だ。「皆死ね」だとか「セックス大好き」だとか「子供なんてクソ食らえ」と言おうが事務所を解雇される事も、スポンサーが外れる事もないし、クリーンなキャラであるよりも、そういうキャラの方がむしろ作家としてはウケが良いのかもしれない。モデルは、どんなにヤンキーキャラやバカキャラであっても、「やっぱり家族が大事」という最終結論を出さなければならない。

そうしなければ、世間は彼女たちを抹殺しようと躍起になる。もちろん、表の顔と裏の顔を乖離させていく子も多い。テレビや雑誌で演じている分、オフでは悪態をつきまくるような子もいる。でも皆、子供を持つと裏の顔を抹殺していく。いや、裏の顔を、さらに奥に隠すと言った方が良いのだろうか。私だって、母親を憎んでいた時期はあった。失踪した母親を探し回りながら、あのババア! と一人フロントガラスに向かって怒鳴った事もあった。

私は母親に対して「さっさと死んでくれ」と思っていた自分自身を奥の方へ追いやり、少しずつなかったことにしていたのだ。
 トイレ! と言ってユカが席を立った後、空っぽになった目の前のソファを見つめたまま、「そんなにいいもんじゃない」ともう一度呟いた。

 結局お迎えの時間ぎりぎりまでユカと話していた私は、慌てて車を出し、運転しながら輪ちゃんへのプレゼントを渡し忘れた事に気づいた。あーあ、と大きく声を上げてから、ふと今朝弥生を送った時子どもたちが歌っていた「あわてんぼうのサンタクロース」を思い出して口ずさんだ。十二月が間近に迫っている。今年は、初めて体験する事がたくさんあった。離婚に怯えたのも、不倫をしたのも、不倫相手の子どもを妊娠したのも、流産したのも、初めてだった。

 家に帰って弥生を寝かしつけた後、久しぶりにパソコンを開いた。知りたい事、調べたい事は大抵携帯で調べてしまうし、パソコンのアドレスにメールを入れてくる人も少なくないため、一週間に一度くらいの頻度でしか使っていない。毎晩寝る前に飲んでいるハーブティーをチェストに置き、パソコンを膝の上に載せてベッドの上で操作していると、ウィルス対策ソフトの期限が二ヶ月後に迫っているという注意書きが浮かび上がった。

AdobeやiTunesも「バージョンアップしますか?」としっこく聞いてくる。パソコン音痴な私は、何となくインストールだとかバージョンアップだとかエラーだとかいう言葉を見ると恐ろしくなってしまい、大抵閉じるボタンを押して見なかった事にしてしまう。

 メールをチェックして、数人の友達のブログを読み、ニュースサイトを開いて気になるニュースを読んでしまうと、もう読むべきものがないような気がして、私は購入後亮にセッティングしてもらった際に見繕ってもらったお気に入りリストをざっと見回した後、検索サイトをクリックした。検索サイトの欄を開き、キーに手を載せてしばらく迷った後「流産」と打って検索ボタンをクリックした。

流産した人がこれほどまでに多く、これほどまでに言葉を発しているかと驚くほど、流産経験者の集まるコミュニティサイトが大量にヒットした。育児ノイローゼの人や、DVを受けている人や、病気の人などそうなのかもしれないけれど、おおっぴらに外で話す事のできない悩みを抱える人にとって、インターネットというのは有効な癒しの手段となるのかもしれない。

流産後の経過について調べようと思っていた私は「流産した人・子供を亡くした人専用板」という掲示板をクリックしていた。自分と同じように初期流産した人や、死産した人、SIDSで子供を亡くした人など、様々な人が書き込んでいた。胎芽が見えなかった人、胎芽も見えて心音も確認出来た後に流産してしまった人、安定期に入って安心した途端に流産してしまった人、二十二週以降の死産で千グラムにも満たない我が子を火葬体験した人、内出血のある痛々しい遺体に対面するかどうかの決断を迫られ、未だに自分の出した結論が正しかったのかどうか悩んでいる人、

産後すぐに死んでしまったけれど、一度でもその体を抱けて幸せだったという人、流産以来妻が塞ぎ込んでしまい、どう接して良いのか分からないとアドバイスを請う男性。色々な人がいた。子供や胎児を神聖視するような人もいれば、流産を科学的、合理的に受け止めている人もいたし、感情的な人、落ち着きを取り戻した人、まだ悲しみの癒えていない人、悲しみを乗り越えた人、悲しみを乗り越え出産をした人。

もう何十年も前の事だけど前置きをして、かつての自分の体験を書いて他の人を慰める人もいた。もちろん鼻につく書き込みも多かった。悲劇のヒロインじみた自己愛的な書き込みや、自分のせいだ自分のせいだと自分の行動をぐちぐちと後悔していたり、出産に至った人を羨むような書き込みや、自分が幸せになれないのは子どもが出来ないからだと断言するような、そして同時に子供を持っている人はそれだけで幸せだと断言するような書き込みもあった。

夫、子供がいて初めて幸せな自分になれると思っている人は、実際に出産すればその過酷な育児の中で、子供が自分の意志や物語とは全く別の所に存在していて、それこそ最も自分を裏切る者であると知るだろう。恋愛でも仕事でも味わった事のない、思い通りにいかない挫折感を、私は弥生を出産して初めて知った。

 久々にパソコンを擬したせいか目の奥が痛み始めてきた頃、私は自分と同じく、妊娠六週で胎芽が見えず流産と診断された人の書き込みを読んでいた。赤ちゃんを失った悲しみ、また流産してしまうかもという不安、習慣性流産ではないかという不安、周囲からのプレッシャー、様々な環境や気持ちの中で消え入りそうになっている彼女が、子宮筋腫を抱えた自分自身と重なって、目元が熱くなった。

私自身、流産と言われた時から、もう子供を産めないのかも知れないという絶望感を抱かれずにはいられなかったのだ。何故だろう。子供は一人でいいと思っていた。このまま一人っ子の弥生だけを溺愛していくという家庭の在り方も、良いのではないか思っていた。思いっ切り愛情を注いで、愛らしい女の子になってもらいたいと思っていた。妊娠したと分かった時も、悩んだ。

相手が夫でなかった事が大きな悩みではあったけれど、それ以外の理由も含めて、堕胎した方が良いのではないかと思い悩んだ。でも流産という結果を迎えてから、私は強烈に子供が欲しいと思うようになった。小さな新生児をこの腕に抱きたい。もう一度だけ我が子を出産したい。その思いが先走っている。不思議だった。もう産めないのかも思った瞬間、私は子供を産めなかった自分の体を不良品のように感じた。

その不良品感を覆すため、つまり自分自身のプライドを維持するためなのかどうなのか、とにかく「産まない」のではなく「産めない」のだと思うと耐え難かった。弥生だけでいいと心に決め、二人目を作ろうとも思わないまま、一度も妊娠せず一生を終えていたら、こんなに強烈な欲求に駆られる事なく。私は弥生と一人の母として一生を全うしていただろう。でも駄目だった。産めなかったと知った途端、絶対に意地でも二人目を産まなければならないような気がした。
私は今、かつてなく、妊娠したかった。子供を産みたかった。こんな気持ちになったのは初めてだった。

まるでもう何十回も流産を体験したかのような気分になる程、パソコン上の言葉を読み漁っていく中で、私はある数行の書き込みに目を止めた。

「何という本だったかは思い出せませんが、流産をした人のために絵本『あなたの赤ちゃんは、あなたの命は数ヶ月です。それでもママとパパに会いに行きますか? と神様に聞かれ、それでも行きますと応えて、あなたのお腹に宿ったのです』というような文章がありました」

 体が強張っていく感がした。一瞬の後に、私はパソコンを脇に押しやり布団に突っ伏して泣いていた。掛け布団を顔に押し付けて、大声を上げて泣いていた。ああ初めてだと思った。あの日手術の直前、僅かに涙を流してから、私は一度も泣いていなかった。流産から三週間近く経って、やっと思い切り泣くことが出来た。悲しかった。全身から悲しみを放出するように、私は体中で泣いた。

小さい子供が、欲しい玩具を買ってもらえず床でじたばたするように、私はじたばたと、失ってしまったものを思って泣いた。失われ、ここまで全く思いを寄せた事もなく、存在の記憶すら失われていた我が子を思い泣いた。絵本の引用が、何度も何度も頭に浮かぶ。あの書き込みを読んで、私はまず「陳腐な慰めだ」と冷めた気持ちを抱き、次の瞬間悲しみに圧倒された。生物学的にはまだ命とも呼べない数ミリの胎芽を安易に擬人化して、センチメンタルな思いを押しつけるなんて俗悪だし、不誠実だ。そう思った。

でも私はそれで良かったのだ。不誠実であっても、泣きたかった。陳腐な慰めで不誠実に泣くことでしか、私は癒されなかった。わんわんと声を上げ、空っぽのお腹を撫で、私は失ったのだと強く思った。私は失った。理由は分からないけれど私は失った。かけがえのないものを失った。そしてそれはもう手に入らない。悲しかった。こんな悲しみは他にないと思った。明日は撮影がない、という思いが涙を加速させ、私は時間を、何もかも忘れて狂ったように泣き続けた。

 少しずつ、自分を取り巻く状況が好転しつつある事に気づいていた。流産直後に、新しいCMの契約が決まった。三年ぶりの化粧品のCMで、言葉で言われることはなかったけれど、浜中さんが待ち望んでいた類のCMだという事はその喜びようで分かった。産休から復帰して以来、モデルというより「ママ」というキーワードで取り上げられる事が多く、そういう人として認識される事に、そして自分自身がそういうイメージを受け入れてしまう事に複雑な思いでいたため、私自身ほっとしていた。

亮との関係も僅かずつ改善を続け、週に一度か二度は自然と二人で話す時間が出来たし、今年は一度も旅行に行けなかったから、来年はどこかに行きたいなあと軽いトーンで言うと、「ハワイがいいなあ」と、冗談か本気かわからないような口調でありながら、亮はハワイの海や空に思いを馳せるような表情を見せた。

亮との関係が好転していけばいくほど、私は待澤に送るメールが減っていっているのに気づいていた。待澤は、私の変化に気づいているのかいないのか、メールや電話ではいつもの通り優しく、何かを急がしたり、責めたりするような態度は微塵も見せない。あらゆる事が少しずつ、平常に戻っていきつつあるような、そんな気がしていた。でも弥生に対してだけは、私が優しい気持ちを取り戻せずにいた。

いつものように接していた。出産してから流産するまで、私は弥生に対して自然に愛情が湧き出してくるのを実感し続けていた。ワガママや甘えに苛立つ事はあっても、揺るぎない愛情の元で、私は育児をしていると思っていた。でも今、自分でも信じられないほど、弥生に対して心が動かなかった。

 タコをスライスして、キュウリとワカメと混ぜ合わせる、タコは、弥生の好物だ。味を見ながらタコの酢の物を作り、大根とゴボウが柔らかくなったのを確認してから、だし汁に味噌を溶かした。玄米を多めに混ぜたご飯も、いい具合に蒸らされている。昨日の残りの挽肉とナスのあんかけをレンジにかけると、私は弥生の部屋に向かった。

「弥生、ご飯だよ」
 ううん、と声を上げて、弥生は目を開けた。私を一瞥して、枕に顔をごしごしと押し付け、ねむいー、とくぐもった声を出す。タコがあるよと言うと、タコぉ? と嬉しそうな声を上がった。キッチンに戻る途中、とろっとおりものが垂れるような感覚があって、下着が濡れた。ご飯と味噌汁をよそうと、私はトイレに入ってパンツを下ろした。とろっとした赤黒い血が、白いパンツを染めていた。今日は何日だったかと考えて、やはり手術から三週間しか経っていないのを確認する。

次の生理は一ヶ月から二ヶ月後に来ると先生は言っていた。それに、普通の経血よりも色が濃く見える。術後は、短かったり長かったり、経血が多かったり少なかったりと、いつもと違う生理がくるものだとは聞いていたけど、やっと止まった出血が一週間ほどで再開し、生理の可能性も低いとなると、この不正出血は何か悪い予兆のように感じられた。どきどきした。先生は、今回の手術が次の妊娠に影響する事はまずないと言っていたけど、私はその言葉をどこかで信じられずにいる。

もしも亮との関係が改善して、いざ亮と二人目を作ろうと思った時に、私は不倫相手の子どもを流産してしまった事が原因で妊娠できない体になっていたら、私は一生悔やんでも悔やみきれない思いで生きていかなければならない。私はその罪の重さに、耐えられない筈だ。亮の子どもを流産して、妊娠できなくなったのなら仕方ない。でも不倫相手の子どもを流産して妊娠できなくなったとしたらと思うと、自分が本当に取り返しのつかない事をしてしまったような気がして恐ろしくなる。

「ママー、ママー?」
 ナプキンをつけていると、がちゃがちゃと音がして、弥生がトイレに入って来た。
「止めてよ恥ずかしい」
 鍵を閉めて、入らないでと言うと泣きだすこともあるため、鍵を掛けずにいる習慣が付いてしまっていた。弥生は「ウンチ出た?」と私の足の間を覗こうとする。
「ちょっとちょっと、見ないでよ」
「ママ、血出たの?」
 そうよと言ってトイレットペーパーを巻き取りながら、弥生の声の大きさにどきどきする。これまでも、私が出血しているのを生理の時に目の当たりにしてきた弥生には特に不思議な事ではないのだろうが、弥生の声が亮に聞こえたらと思うと、居ても立っても居られないような焦燥感に襲われた。パンツを上げると水を流し、洗面所で弥生と一緒に手を洗った。
「ねえママ、今日の朝食ってタコなの?」「そうよ。タコの酢の物だよ」
「すのものかあ」
 酢の物の意味が分かっているのかいないのか、弥生は夢見るような表情でそう言った。お手伝いするー、と言う弥生に、ご飯と味噌汁は熱いからねと、お箸とビニールのマットを持って行って貰った。隣に並んで頂きますと言って、二人でご飯を食べながら、私は緊張した下腹部に意識を注ぐ、とにかく弥生送ったら病院に電話して聞いてみよう。考えている途中ではっとして「そうだ」と呟いた。

今お父さんに車持って行かれちゃってて、と言う母親に昨日車を貸してしまったのだ。私だって仕事にも送り迎えにも使うのにと文句を言ったけれど、地元から出てきた友達を東京観光に連れて行きたいのよと言う、珍しく社交的な母親を断れ切れなかった。日中は亮の車を借りようと決めて、帰ってきたらすぐに返してねと言って、私はキーを母親に渡した。でもいざとなると、今眠っているであろう亮を起こし、機嫌の悪い亮に事情を説明してキーを貸してもらうのも億劫だった。

「今日、保育園タクシーで行こうか」
「タクシー? うん。弥生タクシーで行く」
 弥生は嬉しそうに言って、「弥生タクシー好きなんだ。だってタクシーってさあ、ママのお隣に座るでしょ? 
ママのお膝にごろりって出来るから、弥生嬉しいんだ」と続けた。そうだね、と答えながら、私は疎ましい気持ちも拭えない。弥生のまとまりつき方は、猫のような気まぐれなものでない。私が許せばそれこそ一日中私にべたべたとくっついているような纏わりつき方だ。

たくさんある興味の中の一つに私があるのでなく、弥生の興味は私一点に注がれていて、私が行きなさいと促すから仕方なく外の世界にも出て行くというような引っ込み思案な子なのだ。チクチクと下腹部が痛んだ。やっぱり、何か子宮に問題があるのではないか、考えれば考えるほど不安が募った。

「タコかたぁい」
「いつもと同じだよ」
 弥生はしばらくくちゃくちゃとタコを嚙んだ後に、マットの上にタコを吐き出した。
「ペーする時はティッシュに」
「ママ、小さくして!」
 私は返事もせず立ち上がると、キッチンからナイフとフォークを持って戻った、お肉やタコなど、かみ切れないものはよくこうして小さくしてと頼まれる。でも、「小さくしてと!」という言葉が、弥生の単なる甘えにしか感じられない時もある。いつもと同じ大きさに切り分けられたタコを、食べられる時と食べられない時があるというのは、つまりそういう事なのだろう。仕事が忙しい時や、睡眠不足の時や、体調の悪い時など、弥生は私の不調を感じ取って面倒をかけないように配慮してくれるのに、今日は何故か、私の苛立ちや不安を知ってか知らずか甘えモードに入っている。

きちんと優しい顔で向かい合って上げれば、弥生は満足してワガママを言わなくなるだろうと分かっているのに、私は弥生が面倒な事を行ったりするほど、心がどこかに飛んでいくような浮遊感に囚われていのを感じた。

「あ!‥‥」
 弥生の声に、切りかけているタコから視線を上げると、お椀を持つ弥生の胸元を味噌汁がぐっしょりと濡らしていた。はあとため息をついて、弥生のパジャマを脱がせるとそれを洗濯機の隣の手洗い場に放り込み、濡らしたタオルを持って戻った。
「ごめんなさい」
 意気消沈したように口をへの字にして泣きそうな弥生に、いいのよと言って、味噌汁臭い胸元をタオルで拭いてやる。顎を上げる弥生の首筋も拭き終えると、長袖チュニックを着せてやった。
「ありがとう」
「どういたしまして、お味噌汁、お代わりする?」
「ううん。弥生タコ食べる」
 弥生は練習用のお箸を持って、私の切ったタコを口に入れていく。おいしい、と私を見上げて微笑む弥生に、良かった。と微笑んで見せる。私は、亮とも待澤とも自分自身とも流産という事実とも、どこか腰が引けて真っ直ぐ向き合えないような気が、ずっとしていた。そして、これはただの責任転嫁に違いないなのだけど、何となくそれは弥生のせいであるかのように私は感じていて、だから弥生が疎ましかったのかも知れないと思った。

確かに、弥生が居らず、私が亮と二人で結婚生活を送っていたとしたら、私は身軽だっただろう。離婚も、子供がいると大変さは二倍にも三倍にもなると言われている。弥生がいなければもう既に離婚していたかもしれないし、不倫なんていう面倒臭い真似をしないで済んだかもしれないし、そもそも亮と結婚もしていなかったも知れない。そんな事を言ってもしょうがないのは分かっている。でも、三年間貰えなかった化粧品の仕事、出産後にぐっと落ちた仕事の質、夫の変化、保守的な考え方が染みついた自分自身、私はそれらを心のどこかで弥生のせいと考えてしまっている。

 私は第二子を出産して、新しい世界に足を踏み出すつもりでいた。でもそれは叶わなかった。私は流産して、踏み出しかけていた足を戻し、元の生活に溜まった。きっと私は、妊娠前と同じように、不倫を続けバランスを取りながら、憂鬱な生活を送って行くだろう。それが嫌なのだ。私は、どちらか一人と、真剣に向き合いたいのだ。でも、私と夫、私と待澤、という一対一の関係を考える際の「私」の中には少なからず「弥生」という要素が溶けている。私は、少なくともあと十数年、弥生と生活を共にしていくのだ。

弥生を切り離したところで、未来について考えることは出来ない。だから弥生をうざったいと、感じてしまうのだろうか。でも弥生の要素が溶けているとは言え、私は私だ。私は、何か間違っている。何かが間違って。間違った感情を抱いている。理性が間違いであるという結論を導き出しても、感情は変わらなかった。

「ねえママ、髪結んで」
 朝食を食べ終えた弥生が、小物入れを開けた、お気に入りのゴムを探しながらそう言った。いつも、私の機嫌が悪い時はそんな事言わないのに、どうして今日はそんなにも負担を書けるのか。苛々しながらもいいよと言って、ブラシを持って来てねと声を掛けた。ソファに腰掛けて連絡帳に記入していると、弥生がウサギのついたゴムを二つ私の前に置き、「二つ結びにしてくーだーさい」と笑顔でブラシを差し出した。

「後ろを向いて。立ったままね」
 はーい、と返事をして、背を向けた弥生の髪をブラシでとき始める。細く、さらさらした髪はなかなか手に収まらない。おでこの方からぐっとブラシで髪を持って来て、左手で髪の束をつかむ。
「いたい」
 ちょっと我慢してね、と言いながら、ウサギのゴムを口に咥え、ぐっと伸ばしてから髪の根元に押しつける。
「お腹いたい」
「え? お腹痛いの?」
 弥生が屈むような仕草を見せたため、ちょっと待ってもう出来るから、と言いながら慌ててゴムを巻き付け、ウサギとウサギをくっつけるように引っ掛けた。
「右もさっとやっちゃうから、そしたらトイレ行こう」
 うんと弥生が頷いたのを確認して、急いでブラシを小さな頭に滑らせて、右半分の髪をまとめていく。せわしなくブラシを滑らせていると、また弥生が「いたいっ」と声を上げる。ごめんごめんと言っている途中で、ぶくぶくと音がして、私はブラシを動かす手を止めた。
「え?」
 下を見ると、弥生の足が震えている。弥生はびっくりしたのか、うわーんと声を上げた。髪を放し、ブラシを置くと、弥生のパジャマのズボンを見る見る湿っていく。きゃっと声を上げ、私は慌てて弥生の両脇に手を入れて抱き上げ、キッチンに向かった。抱き上げられた弥生の足首の辺りから、ぽたぽたと黄色い液体がカーペットに落ちているのが見えた。

キッチンのフローリングに立たせると、ぐずぐすと泣く弥生に、「ちょっと立ったままいてね」と声を掛け、慌てて棚からウェットティシュを取ってウンチを拭き取った後。もうクローゼットの奥に仕舞って久しいオムツを取りに行き、キッチンの弥生の元に戻った。
「ウンチ出ちゃった」
 両袖で目を擦りながら弥生はそう言って。「ごめんなさーい」と泣きながら謝った。
「しょうがないでしょ、ママも気がつかなくてごめんね。どうしたんだろうね、昨日は普通のウンチだったのにね」
 うん、と頷いて、弥生は気持ち悪そうに身震いした。水のようなウンチで湿った下半身が気持ち悪いのだろう。脱ごうねと言って、出来るだけウンチに触れないようにズボンを引き下げていく。でも、膝で引っかかったズボンを思い切り下げた時に、ウンチが手についてしまってからは、もうどうでも良くなってさばさばと汚物を拭き取り始めた。

キッチンのフローリングもウンチに塗れている。先にバスルームに連れて行った方が良かっただろうかとも思うが、でもそうしたらバスルームまでの道のりでまたぽたぽたとウンチが零れるのは避けられなかっただろう。

「弥生、お腹痛かったの。ごめんなさい」
 弥生はまだ目をうるうるさせて謝り続けている。最初はいいよいいよと言っていたけれど、段々面倒臭くなってきて、私は黙ったままウンチまみれの服を洗濯機の脇の手洗い場に放り込み、少しだけ濡れていたチュニックも脱がせてそこに放ると、弥生の下半身と床をウェットティシュでさっと拭き取り、また両脇に手を入れてバスルームに連れて行った。お湯で洗い流し、ボディソープで体中を洗ってしまうと、弥生は落ち着いたのか少しずつ笑顔を見せ始めた。

「お腹のお薬飲もうね。今日は、また漏れちゃうかも知れないから、オムツで過ごそうね」
 また泣き出しそうな顔で弥生が聞く。数ヶ月前、近くの病院で浣腸をされて以来、弥生は病院と聞くだけで恐怖の表情を浮かべる。
「今日はとりあえずお薬飲んで様子見て、次また柔らかいウンチが出るようだったら、明日の朝行こう」
 そう言いながら、ボディソープのダマスクローズの香りに包まれた弥生をタオルで拭きとると、オムツを穿かせ、キッチンで薬を水に溶かして飲ませた。弥生の部屋で服を着せ、じゃあ靴下は自分で履いてねと言ってキッチンに戻り、ウェットティッシュで散々拭いた後、更に雑巾で水拭きをして、手がウンチ臭かった、キッチンの床には後で消毒液をかけようと思いながら、ごしごしと念入りに手を洗う。

「ママー、出来たよ!」
 弥生がやって来て、靴下を指さす。
「偉いね。よく出来たね」
 微笑んでから、その濡れてる所は踏まないでねと、水拭きした箇所を指差す。しっかり手を洗うと、私は洗濯機の脇にあるゴム手袋をはめ、手洗い場に放られた、味噌汁とウンチで汚れた弥生の服を洗い始めた。

使うの久々なせいか、じょろろろと音をたてて水道は水を吐き出し始めた。浄水器をつけていない水が一本の筋になって落ち、ウンチまみれの服を濡らした水が跳ね返り、思わず顔をしかめる。蛇口を捻って水を細くすると、私は液体につぶつぶが混ざったようなウンチを、体をのけぞらせて手を伸ばして洗っていく。突然胸がずきずきして、深呼吸をしようと大きく息を吸い込むと、張り裂けんばかりに胸が苦しくなる。

「ママー。何やっているの?」
 言いながら、弥生が言われた箇所を避けて通り、私の横にやってくる。
「弥生のお洋服、洗ってるのよ」
 言いながら、自分の声が震えているのが分かった。
「弥生、ウンチ飛ぶから、ちょっと離れていて」
 弥生は素直に一歩下がり、ズボンを洗い流す私を見ている。体が揺れた。はっ、はっ、はっ、と息を短く吐き出す。突然、ぼろぼろと涙が落ちた。
「ママどうしたの?」
 私が泣いている事に気づいた弥生が、体を強張らせて私を見上げ、今にも泣き出しそうな顔をする。声を上げて涙を流す私を見て、弥生はむずかるように体を戦慄かせ、いやだいやだとワガママを言うように「泣かないで、ママ泣かないで」涙を堪えながら怯えたように顔を歪める。これまで、弥生の前で泣いたことはほとんどなかったせいか、弥生は激しく取り乱していた。

「ママもお腹痛いの? 泣かないで。弥生ママ大好きだから、悲しいから、泣かないでっ」
 ううっと声を上げて、私は顔を俯けた。ゴム手袋をしているせいで、涙も拭けなかった。うわーん、と弥生が泣き声を上げ、でもすぐに思い直したかのように泣き止み、「大丈夫だかね」と自分を奮い立たせるように言って駆けだした。訳が分からず顔を上げるとぽっと涙が落ちて、キッチンの入口から「大丈夫だよ」とでも言うようにこくりと頷いて、再びかけて行く弥生の後ろ姿が見えた。

訳の分からない悲しみに、まだ体の震えを止められないでいると、亮の部屋をパタンと開け、パパっ、ママが、ママがっ、と叫ぶ弥生の声が聞こえた。亮の寝ぼけたような声がする。パパの顔を見て張りつめていた糸が切れたのか、どうしようママがっ、という声に続いて泣き声が聞こえた。がたがたと音がして、寝ぼけた顔のまま「どうしたのっ?」と慌てた様子でやって来たTシャツとブリーフ姿の亮は、私が泣いているのを見てもう一度」どうしたの?」と聞いた。

「何でもないの、弥生がウンチ漏らしちゃって、それを片付けるのが大変で、何か分からないかだけど、何か、悲しくなっちゃって」

 自分でも理由が分からず、正直に言って。亮は何だよと呆れたように笑って「大丈夫だよ、ママ、何かちょっと悲しくなっちゃったんだって」と足にしがみつく弥生に優しく言った。「びっくりしたよ、ママがママが、って叫ぶから、倒れたり、誰かに襲われたりしたのかと思ったよ」亮はそう言って、じゃあパパ寝るねと弥生の頭を撫でてリビングを去っていった。

「ママ、もう大丈夫? 悲しい?」
 取り残されたようにぽつんと佇む弥生は、恐る恐るといったようにそう聞いて、「大丈夫だよ」と肩で涙を拭いて笑った私に、顔を引きつるようにして笑い返した。私はまたウンチを洗い流して、水気を絞った洋服を三枚洗濯機に放り込み、洗剤を入れてスタートボタンを押した。キッチンの棚の中から消毒液を取り出し床にスプレーすると、その部分を避けてリビングに出た。カーペットももっと綺麗にしたかったけど、あんまりやると弥生の罪悪感を煽るかもしれないと思って、さっとファブリーズだけ吹きかけた。

「そろそろ保育園行こうか」
 心機一転という表情で言うと、弥生はうんと明るい顔を見せ、タクシーでね、と付け加えた。
 忘れられたように揺れていた弥生の右の髪をゴムで結うと、鏡の前で眉毛だけ書き、私は弥生と一緒に家を出た。いつもは地下駐車場まで行って車に乗るため、エントランスから出るのは久しぶりだった。弥生はひっきりなしに「弥生前ここで転んだんだよね」とか「お手紙きてるかなあ?」とか「弥生ここ掴まないで階段上がれるんだよ」などと私に話しかける。ママもう悲しくない?  と、本当はそう聞きたいのだろう。私は、先を歩く弥生を追いかけるようにして、足を速めた。

 マンションの前の道は車通りが少ないため。あっちの大きな道まで歩こうと言うと、弥生はうんっと返事をした。弥生の先を歩きながら、落ち葉を竹箒で搔き集めているマンションの従業員のおじさんに「おはようございます」と声を掛ける。おはようございます、と優し気な笑みを浮かべるおじさんに、弥生も「おはようございます」と大きな声を出した。

偉いねと言われて嬉しそうな弥生は、スキップのように軽い足取りで歩いていた。車に慣れてしまうと、この大通りまでの距離さえ億劫になるのだから、体というものは怠惰(たいだ)なものだ。ジムに行って運動する方がずっと大変なのに、タクシーに乗るために僅かな距離を歩くという意味の希薄さが、億劫な気持ちにさせるのだろうか。

「今日は木曜日か。イングリッシュの日だね」
 独り言のように呟くと、「ママちょっと待ってね」という弾むような声を斜め後ろから聞こえた。え? と呟いた瞬間、前方の曲がり角からワゴン車がエンジン音を響かせて近づいて来るのが見えた。すぐ後ろに入るはずの弥生の声が斜め後ろから‥‥と思った瞬間身体中の穴から火が出るように焦燥感の中で振り返り、息が止まるかと思うほどの胸の苦しさに顔を顰め、やよいっと声を上げる。転がるように車道に駆け出し、手を伸ばす。反対車線に駆けていく弥生は振り返らない。

弥生の後ろ姿がゆっくりと揺れている。やよいっ、という声はもう言葉になっていない。届かない。駄目だ届かない。弥生は私の方も車の方もみない。タイヤとアスファルトが擦り合い高いブレーキ音をたてる車を見て私は、怯んだ。一瞬足が止まった。顔を引いた。ばんっ、と、大きな風船が割れるような音がして、弥生が車にぶつかるのが見えた。

弥生はまるで人形のように飛んで、高くなっている歩道の縁にぶつかり、跳ね返って再びアスファルトに頭を打ち付けた。弥生と叫びながらがくがくする足で駆け寄り、うつ伏せに倒れ僅かに脚を動かしている弥生の頭を手で庇いながら横向ける。全身から熱が引いていくのが分かった。弥生の右側頭部は大きくへこみ、側頭部からおでこにかけて裂傷から血が溢れだしていた。どんどん血が滴り、私の手や膝を濡らし、アスファルトを濡らしていく。

ブルブル 震える手で弥生のへこんだ頭を押さえ、救急車、救急車呼んでっ、という車の運転手か掃除をしていたおじさんだかの怒鳴り声を聞きながら、弥生を抱きかかえ生気を失いつつある弥生の目をのぞき込む。弥生、弥生、弥生、大丈夫だよ、大丈夫だよ、大丈夫だからね、言葉が私の口から出ているのか、私の頭の中で反響しているのか分からない。

私の膝の上で私の腕の中でぶるぶると痙攣し目を半開きにして、頭のへこんだ弥生は、その僅かに開いた瞼の隙間から黒目を覗かせ、私の姿を捉えたかのように見えた。弥生、弥生、大丈夫だよ、大丈夫だよ、いくら大丈夫だと言っても、弥生の目はそれ以上開かない。世界中のどこかに今弥生を救える人がいるのなら誰でもいいから手を差し伸べてという気持ちで世界中に轟くような声で助けてという叫びは、辺りの空気を震わせて消えていった。

 弥生が担架に載せられ、それに続いて救急車に乗り込む時、私の掴んだ手すりに、弥生の血の痕がついた。病院の集中治療室から出てきた医者に残念ですが言われるまでの間で覚えているのは、その赤い手形と、走る救急車の窓から見えた何かの看板が書いてあった「3倍」という文字、後は集中治療室に入っていくストレッチャーの上で、蛍光灯の下鮮明に見えた弥生のおでこに走る裂傷その三つだけだった。事故を思い出そうとすると、その三つの画が静止画のスライドのように、頭に浮かんだ。

ご臨終ですと言われた時、私の隣には母と亮がいた。二人にどうやって連絡をしたのか、あるいは病院か警察が連絡をしたのか、いつ着いたのか、着いた時私に何と言って声を掛けたのか、私は何と説明したのか、全く思い出せない。ICUの前で、私は祈っていたように思うし、泣いていたようにも思うし、呆然としていようにも思う。霊安室で、対面した弥生の遺体にしがみついた。一人で痛い思いをした弥生。一人で心臓マッサージを受けていた弥生。一人で死んでいった弥生。私が居なければ何も出来なかった子が、一人で凄惨な現実を体験し、死んでいったと信じられなかった。

 一人にしたからだ。あの一瞬、気の緩みで、手を繋がず、目を離してしまった。あの一瞬、弥生は私の注意も関心も受けず、孤立していた。だから死んだのだ。弥生を抱きしめていると、後ろから亮の呻くような声が聞こえた。入り口から前に進めずにいた、その場で母親が泣き崩れていた。霊安室で弥生に対面してから、検死の間、弥生をレイプされているかのようなおぞましさに気が狂いそうだった。

一度でも他人の手に触れさせたくなかった。今、全てのものが弥生を穢(けが)すような気がした。弥生は初めての場所も、初めて会う人も、初めてのことも、苦手だった。私が居なければ、パニックになった。

 全てが夢のようだった。次から次へと場面が切り替わって、私はそのどれもきちんと把握できなかった。何度も泣いた。何度も叫んだ。嫌だとも、やめてとも、助けてとも、弥生とも、助けてとも、弥生起きてとも、ママだよとも、何度も叫んだ。事故の二日後、弥生は火葬された。

亮と母親が、弥生のお気に入りの玩具や洋服、髪ゴムや小さな肩掛けポーチ、お菓子や靴下や、私と亮と三人で写っている写真を棺に入れた。私の長い髪に憧れて、弥生髪伸びた? と何度も聞いた弥生の声を思い出した私は。眉切り挟みを取り出すと、左手で掴んだ髪の束を頬の脇で切、一房弥生の手元に置いた。
そういう物ものと一緒に、弥生は焼かれた。私の体から出て来た肉体が、百七センチ十四キロで成長を止めた小さな体が、灰になった。

 これまで火葬場で遺骨を拾う時、私はその骨が作り物であるかのような印象を持った。その骨が、生前の故人の体内で動いていたとは、とても思えなかった。でもその骨は、正しく、その数日前まで私に駆け寄り、私に抱きつき、私に甘える弥生を動かしていた、弥生の骨だった。見たこともなかったのに、これは弥生の骨だと私はわかった。

小さかった。細かった。弥生の体はこの世から消えた。人でも物でもなく。もっと目に見えない強大なものに、運命のようなものに、私は突き放されたのだと思った。生まれて初めて感じる恐怖だった。私は、この世で最も大きなものに突き放された。拒絶された。

 恐がりで、慎重で、いつも私の後ろから離れずに歩く弥生が「ママちょっと待っててね」と言った後何をするつもりだったのか、火葬の後現場に花を手向けに行った時やっと分かった。車とぶつかった瞬間、弥生はしゃがみこもうとしていた。その先にあったのはアスファルトと歩道の境目に生えていた季節外れのスミレの花だった。いつか、亮と喧嘩になりかけて険悪な雰囲気になった時、弥生がタンポポを積んではいと私に差し出した時の事を、私は思い出した。

弥生はあの時のように、私を悲しみから救おうと思ったのだ。分からない、それは憶測だ。私がそう思いたかっただけかも知れない。でも弥生が、はにかみながら「はい」とスミレを私に差し出す姿が何度も何度も頭に浮かんだ。頭の中で私は、飛び出しちゃ駄目でしょと𠮟りつつありがとうと微笑み、何度も、数え切れないくらいたくさんのスミレの花を弥生から受け取った。

あの日私が悲しみを弥生に見せなければ、弥生は死ななかった。その思いはやがて、そもそも流産をしていなければ、不倫をしなければ、亮との関係が破綻しなければ、と私の過去を遡って、私の全てを否定した。

私は現場を見ながら、跳ねられた弥生を見て弥生が死んでしまうと思った時、私の心に湧きあがった強烈な悔恨の念が「あんなに苦労しここまで育ててきたのに」という、浅ましい思いだった事を思い出した。ここまで苦労してあれほど労力をかけて、ここまで育ててきたのに全てが水の泡になってしまうという、そういう思いだった。スミレの花で私の悲しみの淵から救おうとする弥生と自分は、とても離れた所にいたのだと思った。

 亮も警察の人も、亮の両親も、私を責めるようなことは言わなかった。母親は霊安室で遺体を見た時、何であんたが居たのに! と叫んだけれど、それ以上何も言わなかった。私は、自分が高級な壺になったかのように感じた。私は腫れ物だった。テレビのワイドショーでは、きっとトップニュースで報道されているだろうと思った。

友達も、親戚も、恐る恐るといった様子で簡潔なメールを入れて来たけれど、返事をせずにいたら誰もメールを入れて来なくなった。待澤も一度だけ「出来る事があったら言ってくれ」というメールを入れて来たけれど、それ以降連絡なかった、身内でやるからと断ったにも拘らず葬儀に訪れた浜中さんは、「今は仕事の事は考えなくてもいいから」とだけ言った。

彼女だけは来て欲しいと唯一声を掛けたハナちゃんは、葬儀に来た時から号泣して泣いていた。弥生の遺体を見ると悔しそうに、怒っているかのように泣き、最後は私にすがりつくようにして泣いた。彼女が最も、弥生の死を悲しんでいるように見えた。

 同じ家に居ながら、亮は母親もほとんど私に話しかけてこなかった。弥生の部屋で、私は一日の大半を過ごした。うとうとしてはっと目覚めると、私は何度も何度も布団をめくり上げ、弥生がそこにいない事を確認した。私は散々泣いたけれど、それは弥生がここにいない、という現実的な意味で泣いていたのであって。弥生が死んだという事が悲しくて泣いてるわけではないような気がした。

弥生の死は、外から与えられた情報でしかなくて、私の中では事実として機能していなかった弥生に会いたかった。弥生はどこかに隠れているだけの気がした。目の前で轢かれたのに、目の前で焼かれたのに、私はどこかで弥生が偽物にすり替えられているような妄想にとり憑かれた。私はほとんど、亮とも母親とも話さなかった、死後の世界で、弥生と二人で生きているような錯覚に陥った。

 事故から一週間が過ぎた頃、私は唐突に自分のせいで弥生が死んだのではないかと思い始めた。助けられなかったのではなく、私は「助けられたのに助けられなかった」のではないかと。弥生を追いかけていた私の足は、車に怯んで一瞬止まった。あの時、私は弥生の命を諦めたのではないだろうか。いやその前に、弥生の前を、弥生に注意を払わずに歩いていた時、私は心のどこかで弥生が死んでもいいと、思ったのではないだろうか。私は、弥生が死ぬ前から、弥生の命を手放していのではないだろうか。

 事故は不可避だったとして、車の運転手は不起訴処分となった。私が運転していたとして、避けられなかったとは思わない。妥当だし、運転手が一生あの時の事を心のどこかで悔いながら生きていくのだと思うと、申し訳ない気持ちにさえなった。事故から三週間が経ち、泊まり込んでいた母親が自宅に帰り、亮が再び店に出るようになり、弥生がいないだけの、元の生活が戻り始めた頃、私だけが取り残されていた。

私だけが、弥生のいた頃から何も変わっていなかった。弥生のいない世界が、どんどん現実に馴染んでいくのに対して、私は弥生のいない世界に何一つ馴染めなかった。

 ある朝、とても寒い朝だった。唐突に弥生が寒い思いをしているような気がして、私は弥生の部屋のクローゼットから冬物のムートンコートを出した。去年着ていたもので。もうサイズが合わないかもしれないと思いつつ、匂いを確認しながらリビングに行き、買ったばかりの仏壇に置かれた骨壺を包むようにしてコートを掛けた。

寒くない? そう声を掛けると「うん、寒くない」という声がした。振り返ると。ダイニングテーブルの上にクリアファイルが置かれていた。一番上のプリントには「我が子を失った親の会」と書かれている。亮が置いたのか、昨日料理の差し入れに来た母親が置いて行ったのかわからないけど、私はクリアファイルからプリントを出す気にはなれず、もう一度仏壇の骨壺を振り返った。

同じ体験をした人の話を聞いたり、話を聞いてもらったりして、癒されるとは思えなかった。流産とは違う。私は、三歳半まで育てた我が子を、自らの手で失ったのだ。私は、現実味を増していく喪失感に耐えきれず、バッグ持ち、コートを羽織った。玄関で慌ただしく靴を履きながら、下駄箱の上に置かれていた弥生の手袋を鷲掴みにしてバッグに入れた。

キートレーからキーホルダーを掴み取ると、家を飛び出した。鍵も掛けず、マンションの裏口から出るとタクシーに乗り込んだ。私は段々、弥生の死を理解し始めているのが分かった。それが堪えられないのだと分かっていた。東京郊外の駅名を口にすると、運転手はぎょっとしたように振り返った。

「二時間くらい掛かりますよ」
 いいですと答えてタクシーが動き出すと、私は待澤に電話を掛けた。久しぶりに聞く待澤の声が、私を安堵させた。
「これから会いたい」
 私は、今タクシーに乗っていて、そっち向かっていると告げた。待澤の家に行った事はなかった。いつもいつも、私たちは港区のホテルで会っていた。考えてみれば彼は、いつも電車で長い時間かけて、私に会いに来ていたのだ。自分が何故こうして待澤に会いに行くのか、私は分かっていた。待澤に会えば楽になると、ほんの僅かにかもしれないけど、楽になると分かっていたのだ。

タクシーの中から見慣れない景色を眺めながら、私は弥生が死ぬ直前に買った。えんじとオフホワイトの毛糸で編まれたノルディック柄の手袋を撫でていた。弥生は差し出した手袋をみてとても喜んだけれど、中々指を上手に入れられず、一本の所に二本指を入れては「出来なーい」と泣き出しそうな顔をしていた。めんどうくさいと思いながら「はいはい」と指を入れ直してやっていた時間は二度と戻らない。

 大丈夫かと言いながら、待澤は玄関で私の両腕を掴んだ。何と答える事も出来ず、私はその場にへたり込んだ。待澤に会えば、楽なると思っていた。確かに私は楽になった。不倫を始めてからずっと、私は待澤といると弥生の事を考えないでいられた。弥生の事も亮の事も。家庭の事も考えずにいられた。確かに私は、初めて待澤に抱きしめられて、頭の中を占めていた弥生に対する思いが、僅かに純度を下げていくのを感じていた。楽になってどうするんだと思った。楽になって、それで、癒されて、それで、次どうするんだ。傷が癒えたら、私は一体何をしたいのか、楽になって、何をしたいのか、分からなかった。また仕事を再開する。ぐちゃぐちゃになった家を整理する。待澤と恋愛していく。そのどれも、自分の希みではなかった。

 待澤は予備校の仕事を休んだ。休んで、ずっと私と一緒に居た。後で買いに物に行くけど今はこれしかと言いながら出された蒸しパンを、私は半分食べた。弥生が死んでから、固形物を口にするのは始めてだった。私は何も喋らなかった。手を伸ばせば彼は手を握った。両手を伸ばせば、彼は私を抱きしめた。それで、確かに私は癒されているように感じた。人の肌に触れ、言葉なくひたすら一緒にいる。それだけで、私は少しずつ。元の自分に戻っていっているようなきがした。

携帯が鳴っていた。亮かも知れないし母親かもしれない浜中さんかもしれない。きっと見皆私の自殺を心配しているのだろうと思った瞬間、私は自分の不倫が何を意味するものか、分かった気がした。皆が私の自殺を心配して連絡を取ろうとしている時、夫でない男と抱き合っている事なんだと、そういう事なんだと、そんな風に思った。

 三時間眠った。深夜四時、待澤のベッドで目を覚まし時、私は時計を見てそう思ったと同時に、弥生を探していない自分に気がついた。まだ弥生が生後二ヶ月か三ヶ月だった頃、育児疲れでへとへとになっていた私は弥生に授乳をしながらベッドで寝てしまい、起きた時隣に弥生の姿がない事に気づいて、寝ぼけたまま布団をひっくり返して枕を引くり返して、叫び声を上げそうになりなりが這いつくばってベッドの下や脇を探し回った。

弥生は、隣の部屋のベビーベッドに寝ていた。寝不足と疲労で、ベビーベッドに寝かせた事を私は全く覚えていなかったのだ。その時の事が印象的だったのだろう。私は、弥生が死んでから何度もうたた寝をしては、弥生を探し回っていた。ああなんだここにいたのかと、全身の力が抜けるような安堵を求めて、弥生を探し回っていた。でも待澤の部屋のベッドで目覚めた私は、そこに弥生がいない事を知っていた。

 次の日は日曜日で、待澤はまた私と一日を過ごした。買い物に行くと言われたけど、いいと答えて、待澤が買い物行っている間、私は窓から外を眺めて過ごした。待澤の部屋に一人でいるのが気持ちよかった。私はやっぱり、少しずつ、弥生の死を乗り越えつつあるような気がした。時間はかかるだろうけど、少しずつ仕事していけるのだろうと思った。

 月曜日の朝、待澤は大学の講義に行った。待澤は大学から何度もメールを寄越した。いま授業中だというメールもあった。先生が授業中にメールしたら学生に𠮟れないんじゃん、という返信を打ちながら、私は自分が微笑んでいる事に気ついた。亮との不和が、待澤と不倫をする事で何とか耐え切れたようにも今回もまた、私は待澤との関係の中で、この苦しみを乗り越えられるのだろうか。

でも待澤が帰って来て、待澤が作ったすき焼き肉を噛み砕きながら、何か違うような気がし始めた。美味しいって言って、笑って、割り下を追加して、卵を割って、私はどんどんその想いを強めていく。携帯はとっくに充電切れしていた。しようと思えば、待澤の充電器を借りられた。でも私は借りなかった。誰がどんな事を、私に発信しようとしているのか。全く分からなかった。

捜索願が出されるかも知れないし、マスコミが失踪の事実を書き立てるかもしれないし、事務所からコメント等が出されているかも知れなかった。外部と切り離されている開放感、弥生の事を考えなくてすむ開放感、静かな所で少しずつ、治癒していっている安堵感。でも何か違うような気がしてならなかった。私は何を間違っているような気がした。

 すき焼きの後ゆっくりお風呂に浸かると、待澤と一緒にベッドに入って、しばらく話をした。何かが違った。待澤が先に眠りについた。私は一時間たっても寝付けなかった。さっきまでの安心感が、不安感に変わっていた。静かにベッドを抜け出すと、来た時と同じように、私はバッグを持ってコートを羽織って、鍵も掛けないまま待澤のマンションを出て大通りでタクシーを拾った。

 亮が家にいるか分からなかった。鍵を回して、玄関でパンプスを脱いでも、分からなかった。リビングに上がってソファに亮の姿がない事に気づいて、きっと亮は店に出ているのだろうと思った。コートを脱いでバッグを落とす。骨壺は、コートが掛けられたままになっていた。クリアファイルはなくなっていた。でもそれ以外、変わった様子はなかった。捜索願など、誰も出さなかったのだろう。

ただいまと言った。弥生ただいまと言った。返事はなかった。家は空っぽだった。疲れのせいか眠気のせいか、足元がふらついた。私は部屋着に着替えると弥生の部屋に向かった。がちゃっ、と何度も何度も聞いてきた弥生の部屋のドアが開く音が、弥生が駆け寄って来る足音を耳にしている時の恍惚を思い出させた瞬間、暗闇の中で飛び上がるものが見え、「弥生!」という大声が聞こえた。マットレスの脇で、上半身を起こした亮が目を見開いていた。寝ていたらしい亮はドアを開けて入って来たのが弥生ではなく私だと気づく、五月かと消え入りそうな声を漏らした。

「おかえり」
 その声を聞いた瞬間、私は自分が何をしにこの弥生の消えた家に戻ってきたのか分かった。戦慄きながら天を仰ぎ、私はその場に崩れ落ちて弥生と声を上げた。それまでどんなに私が泣いていても私に指一本触れなかった亮が、近づいてくるのが分かった。背中に温かい手が触れた。耐え切れず私は亮の胸元に顔を押し付けた。十一ヶ月ぶりに、私たちは抱き合った。離婚という言葉が亮の口から出てから、触れ合う事のなかった私たちが、弥生が死んで初めて触れ合った。

 弥生の死を現実にするために、私は亮にすべてを話すだろう。弥生は私の子どもだった。そして、亮の子どもだった。自分にとって弥生が何であったのか、それが一致している人しか、私は弥生の死を共有する事は出来ない。私は、弥生の死を亮と共に理解する以外に、弥生の死を現実にする手段を持っていない。亮と心が通わなくなってから私に起こった事、私のした事、不倫も、不倫相手の子どもの妊娠も、離婚の決意も、流産も、それをきっかけに弥生への愛情が薄れた事も、弥生の死も、

弥生の死は私の意志によって引き起こされたものだったかもしれないという可能性も、全て私のした事見た事聞いた事感じた事を亮に話して、私はそれらすべてを現実にする。弥生の死を現実にするために、私は亮に全てを話す。亮の胸にしがみつきながら、私はすべてを捨てる覚悟をした。亮が大好きだと思った。それは、この胸にしがみつけばすぐに気づけたであろう事実だった。涙を拭い、全てを話そうと体を離し亮を見上げた瞬間、弥生が見えた。こんなにも亮と弥生は似ていたんだ。そう思った。亮もまた、私の顔を見て、言葉を失っていた。

つづく 十二章 ユカ
キーワード我が子の死、新しい男と恋愛、子供の躾、育児を放棄、育児が辛い時、一時保護施設、母としての今、母としての未来、