彼女の存在自体が私の存在を否定していた。彼女が口にしなくても、彼女の在り方が私の在り方を否定し、「そんな人生楽しいの?」と常に問われているような気持ちにさせた。私は彼女に会うまで、自分がそこまでのコンプレックス、これでいいのかという迷いを抱いている事にすら気づいていなかった

 本表紙金原ひとみ著

朱里

 ドアを開けた瞬間、呼吸が出来なくなった。息が止まって、このまま倒れてしまうんじゃないかと思うほど、私はびっくりしていた。なにこれ、という言葉さえ喉にひっかかって出てこない。口と目を開けっ放しにしてしばらく呆然と、部屋を見回す。言葉を失うというのはこの事かと、私はぼんやりと思っていた。一分ほどドアの前に立ち尽くしていただろうか。

どうしようもなくなって静かにドアを閉めると、私は痺れたようにひりひりする足を無理やり動かし、階段を下りきった所で立ち止まり、ゆっくりと息を吐き出した。息は細く長く、永遠に吐き出されるのではないかと思うほどだった。

「あ、お義母さん」
「あら、朱里(あかり)さん。どうしたの?」
 お義母さんに話していいものかどうか分からず、しばらく口ごもった挙げ句、いえ、と呟いた、ちょっと疲れてしまって、という言葉に力が籠らない。
「力仕事は誠に頼んでね。何でも言いつけてくれたらいいから」
「あの、えっと、上の寝室の事なんですけど」
「ああ、そうなの。誠たちが使っちゃってて。ごめんなさいね。本当にあの子どうしようもなくて。でももう、すぐに出て行くって言っているから」
「そうなんですか? ちょっと、まだ色々事情が分からなくて」
「前の会社が紹介してくれた関連企業がいくつかあって、そこを受けているんですって。すぐに見つかるから大丈夫って言ってたけど、でもそれにしても長いわよね。もう四ヶ月になるもの」
「あの、来月には光雄さんも戻ってくるので、出来るだけ生活空間を整えたいんですけど」
「ごめんなさいね、誠はもう、上の部屋は自分の物で一杯だから、今から下に移すことは出来ないって言うのよ。でもほら、理英ちゃんもいるし、朱里さんたちが過ごすには下の方がいいんじゃないかって、私も思うんだけど」

 途方に暮れて、気が遠くなる。半身不随のお義父さんの介護のためにもと、二十五年ローンで二世帯マイホームを建てた半年後、ロンドン駐在の辞令が下った、お義母さんお義父さんに家を任せ、訪問介護員を頼み、万全の態勢で私たちはまだ二歳だった理英を連れてロンドンに赴任し、二年耐えた。学生の頃から大の苦手だった、聞き取れない、通じない英語。説明書も注文も予約も買い物も電話も、全てがスムーズにいかなかった。最初はここまであらゆる事が曖昧にしか分からない状態で生きていく事は不可能だとすら思った。

でも旦那を置いて帰る訳にもいかず、二年間がんばった。英語は日常会話を話せるようになった所で勉強を止め、日本人の友達と遊び、ネットで日本のテレビを観て、日本の家族や友達とスカイプをして、日本料理を作り続け、ようやく二年が過ぎ、念願の日本に帰国した。そうしたら、マイホームは義兄夫婦に占領され、私たちの寝室は義兄夫婦の寝室になっていて、私たちの物は一階のリビングと繋がった和室に移されていた。

あまりの仕打ちに言葉を失ったけれど、リストラされ、新しい仕事が見つかるまでとここを頼り、ほんの数ヶ月だけ、私たちが帰国する前に出ていくからと言い張って乗り込んできた彼らを、とにかく出て行けと私の一存で追い出す事は出来ない。

 そもそも職が安定せず稼ぎの少ないお義兄さんだったから、次男である光雄が二世帯を建て、介護の費用も出し続けているのに、その家を乗っ取るなんて、何て非常識な人たちだろう。私は二階の物置きの様子を思い出して鳥肌が立つのを抑えられなかった。

「あの、ちょっと聞きたいんですけど」
「なあに?」
「上の、物置きにしてた部屋、なんですけど」
「ああ、あそこは芳子ちゃんが使ってるって、誠が言ってたけど」
「えっと、どうして納戸、芳子ちゃんが使ってるんですか?」
「そうね、朱里さんたちが帰って来たんだから、荷物もあるし使うわよね。綺麗に戻すように私が言っておくわ」
「あの部屋、えっと。お義母さん見ましたか?」
「私は見ていないわ。誠がね、上は自分たちで綺麗に使うから、任せてくれって言うのよ。あんまり上に来てほしくないみたいで」

 お義母さんと戸惑ったように言った。私は今自分の身に起こっている事があまりに非現実的過ぎて、世界がどんどん歪んでいっているような錯覚に陥る。胸元にこみ上げるものがある。吐きそうだった。ようやく戻って来れた日本。二年越しの、念願の日本。

これからはあんな不便な生活にも、言葉の通じない孤独にも、友達や家族と会えない孤独にも耐えなくてもいいんだと思っていたのに、何故自分たちの寝室を乗っ取られ、物置き部屋まで乗っ取られ、お義母さんがお茶をするスペースとして作ったリビングの脇の和室に押し込められなければならないのか。私はロンドンから送った荷物が段ボール何箱分だったか記憶を巡らせ、絶望的な気持ちになる。

「四ヶ月経って、全く就職先は決まってないんですよね?」
「そうねえ」
「前の就職先が紹介してくれた所は、もう全て受けたんでしようか?」
「それは、どうなのかしら。ごめんなさい私、お父さんの事もあるから、あんまりあの子たちの事はきちんと把握してなくて」
 自分が責めるような口調になっているのに気がついて、はっと口をつぐむ。お義母さんを責めるのは間違っている。たった一人でボケ始めている半身不随のお義父さんの世話をしている彼女に言う事じゃない。昔から、兄貴を甘やかしていたからな。四カ月前、突然お義兄さんが家に転り込んだと報を受けた時、彼が言った言葉だ。

兄貴を放っておけないんだよ、お母さんは。と呟いて、まあ帰国するころには出ていってるだろう、と楽観的に話していた光雄に、何と伝えれば良いのだろう。私たちの寝室は占拠さていて、私と理英はリビング横の和室に追いやられ、理英が小学生になったら子供部屋にしようと、それまではと物置にしていた六畳の洋間は芳子ちゃんの部屋となり、何とも気持ちの悪い景色に様変わりしてしまった事を。

 和室に入りふすまを閉めると、私は理英の寝顔を見つめ、一瞬微笑んだ後に鬼の形相となって携帯を取り出し、SNSを開いて旦那のアイコンをタッチする。「とんでもない事態」「私たちの寝室で生活しているんだけどあの人たち」「寝室は彼らが出ていくまで返してもらえないらしい」「お義兄さんが今から荷物を下に移すのは無理だと言い出してやがったらしい」「寝室ちょっと見に行ったんだけどとにかくひどい有様」

「私たちのベッド使ってるし」「超汚い」「そして子供部屋」「驚かないでね」「酷いことになったの」「芳子ちゃんがオタク部屋に改造してた」「びっくりした?」「びっくりしすぎて私笑えてきた」「何かよくわからないんだけど変なアイドルみたいなポスターが貼られまくってて」「ていうか中に机持ち込んでパソコンとか布団とかもあって」「もう完全に部屋として使ってるんだけど」「どういうこと?」

「エロ本みたいなものとかもあるし何かよく分からないけれど色々物があって、とにかくもう酷い有様」「とにかく汚い!」「ちょっと頭おかしいんじゃないあの人たち」「腹が立つ!」「信じられない!」「早く出て行って光雄からも言ってよ」「信じられないあんな気持ち悪い人たちに私たちの寝室と理英の未来の子供部屋を占拠されているなんて!」「あんな気持ちの悪い人たちと理英がひとつ屋根の下で暮らさなきゃならないなんて耐えられない!」一瞬悩んで、最後のメッセージだけは送らずに削除した。

怒りのあまり、携帯を打つ指が震えている。早く光雄に帰って来てもらいたかった。彼が戻ってくるのは一か月後、それまで、私は彼の家族たちと、馬鹿みたいなことになったこの家で生活しなきゃならない。そんなまさか、と笑ってしまいそうになる。何か、悪い夢を見ているようだった。息苦しさの中、震えた携帯を手に取る。

「大丈夫?」のんびりした光雄の言葉に、私は惚けたように力が抜けて行くのを感じた。光雄はいつもそうだ。次男特有なのかもしれないけど、とにかくいつものほほんとしていて頼りない。そののほほんとした性格が上司や周囲の人に好印象を与えるのか、周囲の人間に温かく受け入れられ過ぎる結果、そののほほんが矯正される機会がないまま社会生活を送れてしまっている。

光雄が口出ししたとしても、あまり戦力にはならないかもしれない。絶望的な気持ちで「大丈夫じゃないよ」と返事を入れる。「これから会社だから、帰宅したらまた連絡するね」という返事を見て、力なく携帯をロックする。和室の片隅に置かれたダンボールの山を見やる。お義兄さんたちがせっせと、私たちの寝室と物置き部屋から運び出した、私たちの物だ。彼らがすぐに出ていくなら、荷解きする必要はない。でも、彼らがいつまで居座る気なのか、さっぱり分からない。

私ははっとして、また携帯のロックを外す。「ねえこういうのはどう?」「お兄さんたちに六畳一間くらいのアパートを借りる初期費用を渡してあげない?」「そうすれば出て行ってくれるかも」「だって私たちの家だもんあの人たちがいるのはおかしいよね?」「何で私たちの家にあんな人たちがいるの?」どうどう巡りの独り言が続きそうだから、そこで携帯をロックした。

そうだ。そうすれば彼らは断る道理はない。六畳一間くらいだったら、どちらかがバイトでもすれば家賃だって払えるはずだ。でもその初期費用を払うのは私ではないが故に、その事は光雄の了解を得た後に、光雄から切り出してもらわなければならない。
「疲れた」

 呟くと、理英の隣に横になった。昨日帰国して、空港から帰り易かった私の実家に一泊して、ようやく念願のマイホームにスーツケース二つと理英を抱えて帰ってきたら、私の家はこんな状態になっていて、私は天国から地獄に突き落とされた。私は上の寝室を遣われている事を知らされていなかった。義兄夫婦は、この空いていた和室で慎ましく生活していると思っていたのだ。

もしかしたらもう出て行っているかもと思ったけど、帰国まで二週間と迫っていた頃にまだいるのよとお義母さんに聞かされてから、ずっと憂鬱だった。それでまさか、寝室を占拠されていることは、そして私たちが帰っても尚そこに居続けるとは、思ってもいなかった。あまりに非常識だ。私には寝室を使う権利を主張する権利がある。私は、もう随分長いこと会っていない義兄夫婦に、何と切り出そうか考えていた。

お義母さんの話によれば、彼らは今日何かというグループのコンサートに行ってるらしかった。きっと義姉さんの好きな男性アイドルのコンサートなのだろう。そういう趣味があるとは聞いていたけれど、親戚の集まる食事会などで話しを聞いているだけで何となくその実態は掴めず、そういうのが好きな人最近多いもんねー。と今思えば私も随分吞気に彼女の趣味を流して聞いたものだ。

 いや、そもそもこの一つの屋の下で暮らすという異常事態に陥らなければ、彼女のようなアイドルオタクの生々しい実態など目にせずに済んだはずだ。何故、輝かしいマイホームが、こんな事になってしまったのか。天井を見上げている内に、涙が滲んでいった。零(こぼ)れ落ちる前に袖で拭う。息が震えて、一緒に体が震えた。声を出さないように気を付けながら、私は袖を目元に押し付けてたまま泣いた。

 あ、久しぶりです。しれっという芳子ちゃんに顔中から湯気が立ち上がりそうなほど怒りが湧いたけれど、お邪魔してます、と笑顔のまま皮肉まじりの言葉で出迎えた。
「朱里(あかり)さんお帰りなさい。なんかごめんねー。こんな事になっちゃって」
 誠さんはいつものへらへらした表情で軽く言った。今日一日の怒りが放出しそうだったけれど、ぐっと抑えて口を噤む。
「母さんは?」
「もう寝たみたいです。お義兄さんたちは、ご飯は?」
「あ、僕たちはもう食べて来たから」
 そうですか、と言いながら、キッチンに残してあった夕飯を片付けていく。芳子ちゃん誠さんと喧嘩でもしたのか、ぴりぴりした空気が漂っていて、彼らが帰って来るまでしようと思っていた彼らの滞在に関する話を切り出せなくなっていく。

「光雄さんはいつ帰って来るんですか?」
「あ、一か月後に。私たちが先に来て、この家を整えようと思って」
 そうなんですか、とまたしれっと答える芳子ちゃんを殴りつけたい衝動に駆られる。イギリスから帰国して、お疲れさまも長旅ご苦労様を聞くこともなく。お義母さんと光雄の話をする彼らに、言いようもない怒りを抱いた。普通いうだろう。頭の中でぶつぶつ考えながら、そんな事を考えている自分も嫌になる。
「あの、上の部屋なんだけど」
「あー。ごめんね朱里さん。本当に申し訳ないんだけど、僕たちのものが多くて、今から下に移すことが出来なくて。多分もうすぐここは出ていく事になると思うから、それまで置かせてもらえないかな? 僕の仕事が決まればすぐにでも出ていくからさ」

 いつ決まるんですか決まりそうな会社はあるんですか? 採用されるという根拠は? 
と詰問したかったけれど、私が出しゃばるのも場違いな気がして、はあと頷く。
「あの、せめて寝室の隣の物置き部屋を」
「あ、ごめんなさい。私が今あそこを使っちゃってて」
「あ、知っています。ごめんなさい使っているのを知らなくて今日ちょっと開けちゃって」
「寝室が物で一杯だから、どうしても一人になれる空間が欲しくて」

 無職男の妻が言う台詞かよと呆れながら、彼ら帰って来るまで何度も何度も頭で練り直していた言葉を口にする。
「悪いんだけど、そろそろロンドンから送った第一便の荷物が届くから、今でさえこの和室には寝室にあった荷物が詰まっているし、あそこを物置きとして使う前提で考えたから、使えないとちょっと困るなって思ってて。出来るだけ早く、あそこは空けてもらいたいの」

「あ、はい。今すぐはちょっと無理かもしれないけど、出来るだけ早く、綺麗にしてお返します」
 あの気持ち悪いポスターも綺麗に剥がせよ気持ち悪い同人誌も一冊残らず撤去しろよと頭の中で毒づく。
「じゃあ、今和室にある荷物、あんまり開けないで置くね。また物置き部屋か寝室に置く物もあるし」
「すいませんねえ」
 誠さんは駄目男だ。仕事も続かず、常にお金がなくて、そのくせ女性経験が少ないせいでこんな女の子と結婚してしまった。芳子ちゃんの変貌ぶりはひどかった。結婚するまではとっても感じのいい子で、お義母さんもお義父さんも結婚を勧めていた。でも結婚したが最後。彼女は今時テレビドラマでも見ないほど、駄目な嫁になってしまった。

結婚前は率先してやっていた家事をやらなくなり、趣味のアイドルに時間もお金も派手につぎ込むようになり、結婚後に借金が判明してそれをお義兄さんが肩代わりし、明るく元気な芳子ちゃんというキャラは封印され、いつも表情に乏しく、結婚前はきゃー○○くん○○ちゃん、と親戚の子どもたちや理英を見ると軽く発狂していたのが、今では「ああ久しぶり」程度のクールな反応しか見せない。

ネットの掲示板や悩み相談サイトで見るような親戚トンデモエピソードをほぼ創作だと思っていた私は、彼女の変貌ぶりに驚きながらも、ワイドショーを見るように愉快な気持ちで他人事として見ていた。まさか、その存在が私の生活を脅かすものになろうとは思ってもいなかった。

「あ、それとちょっと聞きたいんですけど」
「うん?」
「納戸に理英のおもちゃがまとめて入れてあったと思うんですけど、こっちの段ボールを探しても見つからないおもちゃが結構あって。まだ上に在るんじゃないかと思うんですけど」
「あー、実はね、ちょっとおもちゃが多くて邪魔だったから、いくつか大きい奴だけ捨てたんだよね」
 一瞬訳が分からず、首を傾げる。
「は?」
「大きめのおもちゃ、もう遣わないだろうなーってやつをいくつか捨てさせてもらったんだ。もう帰ってくる頃には五歳くらいだしと思って」
「理英は四歳です。え? え? 何を捨てたんですか?」
「いや、はっきり覚えてないんですけど。多分アンパンマンとか、大きめのおもちゃを」
「芳子ちゃん、何を捨てたか覚えています?」
「うーん、レゴとか、ピンクの家みたいなやつとかかなあ」
「いや、レゴは捨ててないよ」
「いや、捨ててたよ」
 私は今ここで交わされている会話があまりよく理解出来ず、ぼんやりとしていた。
「あの。お義母さんはそれを知っているんでしょうか?」
「いや、母さんはいつも父さんに付きっきりだから、そういう面倒な事は話さないんだ」
「とにかく何を捨てたか分からないと」
「もし本当に大事なものだったら弁償しますよ」
「えっと、何で、捨てたんでしょうか?」
「いゃ、本当におもちゃが多くて、ちょっと邪魔だなあって思ってて。下に置いておくにしても段ボールに入りきれない大きさだったりもするし、もう理英ちゃんもこんなもので遊ばないだろうなって思うものだけ、ちょっと捨てようって事になって、あ、ぬいぐるみ類は捨ててないよ」
「あの‥‥何で確認してくれなかったんでしょうか?」
「あ、僕実は光雄のメールアドレス知らなくて。まあいいかなって物だったから」
「えっと、確認なんだけど、上には、もう私たちの物はないんですか?」
「うん、クローゼットの中の物以外全部下ろしました」
「もう一つ確認です。おもちゃの他に捨てた物はありますか?」
「いやいや、そんな事しないですよー」
 とんでもない、と首を振る誠さんに呆然としながら、分かりました、おやすみなさい。と言って携帯をポケットに入れ和室に入り、ふすまを閉めた。二人がひそひそと話す声が聞こえて来る。
やはり私は呆然としていた。何が起きているのかよく分からなかった。彼等の言葉の意味は分かるのに、その言葉の意味かる現実が全く理解できなかった。小さな電灯だけ点いた部屋ですやすやと眠る理英の姿が目に入った瞬間、私は堰を切ったように布団に顔を押し付けて泣いた。声を殺して大泣きした。

悔しくて仕方なかった、今日、おもちゃと書かれた箱を漁ってずっと探していたのだ。理英がお気に入りだったおもちゃ、理英が日本に帰ったらあれで遊びたい、とずっと話していたおもちゃ、初めて三人で行った海外旅行のシンガポールで、光雄と理英が一時間以上話し合って決めた電車のおもちゃ、私の両親が理英の一歳の誕生日プレゼントに買ってくれたおままごとセット、一時帰国の時に私の両親が買ってくれたドールハウスは、大きいから送ると高いし、どうせそろそろ帰国だからとここに置いていた物だった。

 じーじとばーばが買ってくれたお人形さんのおうちで遊びたいなと繰り返す理英に、帰国が決まってからというもの私は何度も呪文のように「もうすぐじーじとばーばーの買ってくれたおうちで遊べるからね」と言い続けて来たのだ。理英をそうやって宥めていた時の自分の恍惚とした気分さえ、生々しく蘇る。

夢見ていたマイホームでの生活は、あの人たちの存在によって穢(けが)され、更に重要なファクターを捨てられた。思い出の籠った、いや、思い出しか籠っていないおもちゃを、私たちの過去に一ミリも関わりのない人たちが勝手に捨てた。勝手に触れられただけでも気持ちが悪いというのに、勝手に捨てられた。あの人たちが、ゴミ袋に入れ、燃えないゴミの日に、ゴミ捨て場に捨てた。そもそも。もう遊ばないだろう、の根拠はどこにあるというのか。

子どものいない彼らにおもちゃの適正年齢が分からないのか。そして私たちが第二子を想定していないと確信しているのか。おもちゃで遊ぶ理英を見ながら、そこに理英の妹か弟がよちよちと歩み寄ってくる想像を、私はずっとしてきたのだ。私は泣きながら、彼らを一生許すまいと決めた。

このまま表面上は上手くやっていたとしても、心から彼等を信用し、心を許す日は未来永劫に来ないだろう。人の家に勝手に転がり込んだ挙げ句に人の物を勝手に捨てるような奴らを、信用できるはずがない。きっと、彼らは精神的に少しおかしい人たちなのだ。彼らと理英だけの空間を作らないようにする、大切な物を捨てられたくない物は彼等の目につかない所に置く。或いは私の実家に送る、などの措置が早急に必要だ。

そうだ、と思いついて私はスーツケースの中からポーチを取り出す。銀行の通帳や印鑑などが詰まったポーチだった。これは絶対に彼等の目に触れない所に隠さなければ。肌身離さず持ち歩くか、実家に宅配便で送って保管してもらおうか。私はひどい悲しみと怒りの果てに、激しい使命感に駆られ、明日からは大切な物を隔離する作業と、この酷い所業を光雄やお義母さんや親戚、そして実家の両親に知らしめ、彼らへのネガティブキャンペーンをはっていこうと心に決めた。

光雄は当然私の味方につくだろうが、問題はお義母さんだ。彼女は駄目ねあの子はと愚痴りながら誠さんを甘やかし、どんな状況でも拒絶はしない。やはりどことなく、光雄よりも誠さんへの愛情が強いように見える。でも、お義母さんは結婚後豹変した芳子ちゃんの事を快く思っていない。表面的には上手くやっているものの、自分の息子が変な女にたぶらかされ、利用されているのでないかという疑いを持ち続けている。

これまでに何度か、お義母さかが躊躇いながも芳子ちゃんの人格を疑うような発言をして、私に意見を求めて来ることがあったのだ。お義母さんに対しては、誠さんへの名前ではなく、芳子ちゃんの名前を出してネガティブキャンペーンを展開した方がいいかもしれない。とにかく一刻も早く私はこの現状と被害を周囲に訴え、自分にとって暮らしやすい環境を取り戻さなければならない。これはもはや単なる親族間の諍いや権利の対立ではなく、生存競争だ。

 布団に仰向けに寝転がり、静かに涙だけを流す。かさりと涙が耳元に落ちる音がした。絶対に許さない。大嫌いだ。呪詛(じゅそ)の言葉を頭に反芻させながら、私は理英の手を握った。長旅の疲れが残っているのか、時差ボケのせいか、理英は日本に着いてからよく眠っている。楽しみにしていたおもちゃだけでも買い直してやろう。おもちゃを捨てた事実は理英には言わないでくれと言っておかなければ。

自分の楽しみにしていたおもちゃが、おじいちゃんやおばちゃんや、私たちからもらったおもちゃが、あんな、おじさんやおばさんに勝手に捨てられたと知ったら、理英は傷つくに違いない。もう四歳だ。もう色々なことが分かっている。そもそも、彼らと理英が接触しないように気を付けたほうがいいかもしれない。

物置部屋の様子を思い出すとぞっとする。ボーイズラブとかのジャンルなのか知らないけれど、とにかく今腐女子と言われている系の子がすきなのであろう本があちこちに散らばり、とてもじゃないけれど直視出来なかった。

イギリスに居たせいかも知れない。イギリスではパリコレモデルみたいな人が胸やヘアを丸出しにしているようなポスターはあっても、いわゆる日本にありがちな巨乳の女の子の水着グラビアみたいなものを外で目にする事は無く、十代の少年少女が水着になっている写真などとんでもないという雰囲気があり、一時帰国の度電車やコンビニで若い子たちが水着になっている広告や雑誌を見てぎょっとしていた。

性的なものへの免疫がなくなっている部分は確かにある。元々そういうものに免疫が無く、イギリスで更に免疫をなくして帰国した私には過酷な儀礼だ。私は、自分の家がとてつもなく野蛮でデリカシーのない場所になってしまった事が苦痛で仕方なかった。

 アイドルグループの追っかけをやって、その人たちを模写したエロ漫画を好む妻を、誠さんへはどう思っているのだろう。或いは誠さんにも同じような趣味があるのだろうか。誠さんに隠された趣味はあるのではと想像し始めると吐き気が止まらなくなる。

オタク差別は良くない。漫画を好む人や、アイドルが好きな人、ゲームが好きな人を丸ごと変態扱いするなんて馬鹿げている。でも私には免疫がなさ過ぎて、どうしてそのような趣味の人たちを好意的に受け入れることが出来ない。この拒絶反応は、汚物やゴキブリ、臭いおやじなどに感じる生理的な反応に近い。

頭ではわかっている。私たちにさほどの大きな違いはない。私たちは等しく平等な人間だ。でもどうしても駄目なのだ。私はコミケの様子がニュースで流れるチャンネルを替えてしまうし、アイドルの追っかけがアイドルのポスターに土下座している画像なんかを見ると血の気が引くし、小学生や中学生の女の子が性的な対象になっているような漫画を目にしたりすると、気が狂いそうになって表現の自由を規制する法案に諸手を上げたくなる。

これは母親として、生理的な反応なのかもしれない。例えば私は、理英がいつか大きくなり、アイドルグループの追っかけをやったり、同人誌を読んだりしているのを見ても、ここまでの嫌悪は感じないだろう。でも今、小さな子供を持つ親として、私は過剰に彼等のような人に対して嫌悪感を持つような回路が組み込まれてしまっているという事なのかもしれない。

 もっと心の広い人だったら、笑って許せるだろうか。例えば光雄だったら、おもちゃを捨てられた事をそこまでの絶望を感じないかもしれない。そこまでは気にしないのかもしれない。それはきっと、光雄には自分の世界があるからだ。同じ家に生きていたとしても、光雄にはそれとは違う自分の空間がある。でも私には、この家が世界だ。

この世界が快適でない状況で生きていくのは、私にとって地獄でしかない。例えば何か仕事をして、ばりばり働いていればまた違うのかもしれない。でも元々お義父さんの介護を手伝えるようにと作った家だ。働きに出ると言っても光雄やお義母さんは反対しないだろうが、もしも芳子ちゃんがお義母さんにうまく取り入って点数を上げたら、義兄夫婦を追い出す戦力としてお義母さんが使えなくなってしまう。

私は自分がなんと矮小(わいしょう)で下らない世界にいるのだろうと絶望すると同時に、その世界から出られない自分自身にも絶望した。「お義兄さんたちに理英のおもちゃを捨てられた」一言そう光雄にメッセージを送ると、私は怒りと憎しみからできるだけ目を逸らす事に専念した。

思い出されるのは、ロンドンのアパートだった。あんなに辛かったロンドンでの生活が、今はとても幸せだったように感じられる。言葉が通じなかったのは辛かったけど、ウェイトローズやマークス&スペンサーみたいな高級感のあるスーパーや、ホテル・ショコラ、プレスタット、ロココのような素敵なチョコレートのお店がたくさんあったし、美味しいティールームも近所にたくさんあった。イギリスに行った年に私の誕生日、光雄が内緒で休すみを取り、理英を幼稚園に送った後リッツでアフターヌーンティーをした事があった。

三ヶ月待ちと聞いていたから行こうと思った事もなかったけど、久しぶりに綺麗なワンピースを着て、びしっとスーツを着た光雄と煌びやかなリッツに入るとそれだけで気分が高揚し、シャンパンと三段に盛られたサンドイッチとスコーン、ケーキを目と舌で堪能した。最後にウェイターがHappyBirthbay Akariと書かれたホールケーキを持ってきたのを見て、私はふと結婚式の時以来だ。

もう食べられないよと恥ずかしまぎれに言うと、持って帰って理英と食べよう、と光雄はウェイターにテイクアウトをお願いした。あの時の事を何度も話題に出す私に喜んだのか、光雄はそれから記念日には度々シッターを頼んで星付きレストランや評判のお店に連れて行ってくれるようになった。年に二回はヨーロッパ内を旅行し、去年の夏にはニースとカンヌに行ってセレブ気分を味わった。

きっと光雄は、ロンドンに中々馴染めない私を気遣ってもいたのだろう。今思い返すと、ロンドンでの生活は夢のように煌びやかなものだったように感じる。知り合いも少なく、家族三人は孤立感があったけど、だからこそ家族の結束が強まったし、光雄も日本にいた時と違って毎日夕飯時には帰宅していた。

日本人幼稚園に子供を通わせ始めてからは、ママ友も増えて時々ランチに行くようにもなり、最後の方は英語で困る事もあまりなくなっていた。最初に日本人向けのクラスを取って早々に止めてしまった英語だったけれど、やっぱり一度きちんと語学学校に行ってみようかなと思い始めた頃に帰国の辞令があり、そこからは帰国に向けてばたばたして結局実現しなかった。私は何で、あんなにも閉塞感に苛まれていたのだろう。ロンドンで私は、今思えば過不足なく、幸せだったはずなのだ。

あ、理英ちゃんだ。誠さんはそう言うとおかえりーと続けた。芳子ちゃんはああ理英ちゃん、とにっこりした。芳子ちゃんは理英がまだ赤ちゃんだった頃に親戚たちの集いなどで会うと抱かせて抱かせてと進んで構っていたが、今となってはさばさばしたもので、大きくなったね、元気だった? などの社交辞令的な言葉もなく、キッチンに残してあった卵焼きと味噌汁を見つけてこれ食べてもいいですか? と聞いた。どうぞと一言言うと、私は途中だった身支度を続けた。

「理英、靴下履いて上着着て」
 はーいと答えて理英が和室に入ると同時に、私はテーブルについた二人に「おもちゃの事なんだけど」と切り出した。
「うん?」
「捨てた事、理英には言わないでください」
 誠さんは少し不思議そうな顔をして、うん、と要領を得ない表情のまま頷いた。
「お気に入りの物があったし、帰国したらあれで遊ぶ、って楽しみにしていた物もあったんです。理英に分からないように買い直すんで、捨てたことは内緒にしてください」
「そんな大切な物もあったの? ごめんねほんと。もし必要なら弁償させてもらえないかな」
 弁償よりも出て言ってくれ、と言いたかったのを抑えて、私はそれは遠慮しますと答えた。

「とにかく捨てたことは理英には言わないでくれればそでいいですから」
 私それだけ言うと化粧ポーチに口紅を戻して立ち上がった。
「今日はどっかお出かけ?」
「幼稚園の見学です」
 そっか理英ちゃんもう幼稚園なんだね、と言う誠さんにお昼ご飯は外で食べて来るんでと言い残して、私は出て来た理英の上着の前のボタンを留めてリビングを出た。お義父さんの部屋をノックすると、どうぞ、とお義母さんの声が聞こえて、私はドアを軽く開ける。
「幼稚園の見学に行ってきます」
 あらそう、と言って、お義母さんは読みかけの本に栞を挟んで立ち上がった。お義父さんは寝ているようだった。
「ごめんなさいね。誠たちのこと。家事も全然やらないでしょ? あの子たち。一日中何やってるんだかね」
「就職活動もしてるんですよね?」
「してるって言うんだけど、なかなか決まらないし、ちょっと前にお金貸してくれって言い始めて」
「え、お義母さん、貸したんですか?」
「二十万、貸したのよ」
「でも、ここにいれば家賃はいらないし、ご飯もここで食べるんですよね?」
「いろいろお金がかかるんだって、貯金も底をついたみたいで‥‥」
「お義母さん、貸した分はもう仕方ないにしても、これ以上は貸さない方がいいと思いますよ」
「もちろんよ。きちんと念を押したのよ。最初で最後だって」
 それにしたって普通貸すか? ていうかどうしてその二十万でアパートを借りないんだろうと思いながら、私は不安を感じていた。私たちの物を勝手に売られたりしないだろうか。イギリスからの荷物が届いたら、すぐにブランドもののバッグや服、大切なアクセサリーなんかは避難させた方がいいかも知れない。人の物を勝手に捨てる人たちだ。どんな非常識な事をしでかすか分からない。

朱里さん使っていなかったから~、なんて言って芳子ちゃんが勝手に私の物を使ったり、くすねたり、売ったりする事だってあり得る。疑心暗鬼になったまま、私はバッグの中のポーチをぐっと押さえた。通帳類だけでも、今日実家に置いてこようか。でも、今実家に帰ったら、私はもうこの家に帰れなくなってしまうような気がする。

出来る事なら、私は出て行きたいのだ。光雄が帰って来るまで、実家にいる事にしようか。心が揺らいでいくのを感じる。此処でこの家を離れたらヘゲモニー争いに負けてしまう、と思っていたけれど、そんな争いに身を投じるのはばかげているような気もして虚しくなる。
「お義母さん」
「なあに?」
「お昼ご飯にと思って、煮魚と酢の物を冷蔵庫に入れておきました。ご飯も朝の残りがあるんで、食べてください」
「まあ嬉しいわ。朱里さんが帰って来てくれて本当に良かった。芳子ちゃんはご飯作らないし、たまに作っても味付けが若者向けで、私はちょっと苦手なのよ」
「そうだったんですか」
「ずっとお父さんと二人で、山田さんが来てくれてはいたんだけど、寂しくてね。あの子たちが来るっていい始めた時は、実はちょっと嬉しかったんだけど、一緒にいると心配ばっかりなのよね。光雄と違って誠は何かこう、ふらふらしてて、頼りなくて、最初は一ヶ月だけと言って転がり込んだのに、こんな事になっちゃって、一番つらいのは朱里さんよね。本当は私がびしっと言って追い出すべきなのに、本人たちを目の前にすると強くは言えなくて。ごめんなさいね」

「そんな、大丈夫です。私には、しばらくばたばたすると思うんで、迷惑かけちゃうと思うんですけど、お義父さんの事とか、何かできる事があったらいつでも声を掛けてください」
「いいのよ。朱里さんは理英ちゃんの事を中心に考えて。お父さんの事は私と山田さんで何とかなるから」
 ありがとうございます、と言ってドアの中を覗き込もうとする理英を止め、私は玄関に向かった。お義母さんはとてもいい人だ。穏やかで、嫁いびりのような事もしないし、きっと芳子ちゃんの作った料理にも文句を言わず無理して食べて来たのだろう。今、私の株は上がっている。ここで出ていったら大きな減点は避けられない。今ここで逃げるわけにはいかない。この家で戦わなければ。私は覚悟を決めて理英の手を引き、バス停に向かった。

「イギリスにいらしたんですよね」
「はい。二年ほど」
「理英ちゃんは、英語を喋れるんですか?」
「いえ、元々二年か三年の予定だったので、現地では日本人幼稚園に通っていたんです。なので英語はほとんど」
「あらそうなんですか。ご挨拶くらいは出来るのかしら?」
 グッドモーニング、と微笑んで言う園長にうんざりする。そんな発音で子どもが聞き取れるわけないだろう。
「理英、good morningって言ってごらん」
 理英は少し恥ずかしそうにgood morningと言った。上手ねえ、と言う園長に愛想笑いをする。本当は、現地校に通わせたいと思っていた。違う文化を体験させてやりたかったし、理英に少しでも英語が身につけば、日本に戻ってからも続けさせようと思っていた。でも例えば理英の体調が悪い時に英語で説明できないし、もし幼稚園で他の子に虐められたり暴力をふるわれたりしたら英語で抗議しなければいけない。そんな事出来っこないと、私は現地校の選択肢を早々に諦めた、どうせすぐ帰るんだから、と自分に言い聞かせて。

「恥ずかしいがりやかしら?」
「かなり、人見知りですね。引っ込み思案で」
 言いながら、情けなくなる。私がイギリスでいち早く覚えたフレーズは「she is not outgoing.(彼女は社交的ではありません)」だった。出来る限り人に声をかけられないように気を付け、公園でも人気のない場所を選ぶ彼女に怪訝な顔をする人が多かったために、覚えたフレーズだ。誰かが何かをくれようとしても受け取らず、貸してくれと言われるのが嫌でおもちゃもスコップも持たずに砂場では手で遊び、理英は家でのびのびと過ごしていたのだ。

でもその人見知りがようやく少しましになり、逆に幼稚園の先生に言われたことは必ず守り、トイレトレーニングなども一度説明されただけで一度もお漏らしをすることなく終え、持ち前の神経質さで自分の持ち物をきっちりとロッカーや下駄箱に並べる様子もみられるようになってきた事で安心していた。

理英は言われたことはきちんと出来るのだ。内弁慶で、二人きりの時は私に反抗する事もあるけれど、先生や他の大人に言われることは異常にきちんと守る。他の子のように、騒いだり泣きわめいたり、乱暴な事をしたり、そういうことは絶対にしない。ずっと理英の性格に苛ついてきた私は、ようやく彼女が幼稚園の登園時に泣かなくなり、まるで軍隊のように先生の言う事を死守する様子を見ていて、少しずつ苛立ちが収まるのを感じてきた。

もっと天真爛漫な子になってもらいたかった。そういう思いはある。キャーキャー元気に騒いで走り回る子になってもらいたかった。そういう子を見ると私は抑えきれない衝動に駆られた。あの子が私の子どもだったら、とあらゆる子に対して思って来た。でも、ようやく理英の性格が受け入れられるようになってきたのだ。

自閉症なんじゃないか、何か脳に障害があるんじゃないかとずっと不安だった。言葉も遅く、ようやく喋り始めても幼稚園では無言のまま、友達と遊ぶのも苦手で、初めて見る食べ物には手を付けない、初めての場所ではベビーカーから降りない、初めて見る人がいると目を合わせまいと私の後ろに隠れる。散々社交性を身に着けさせようとあらゆる所に連れ出したけれど、時間以外の何物もそれを解決してくれなかった。

「理英ちゃんは何歳ですか?」
「四歳です」
「日本はどうですか?」
「楽しいです」
 模範的だ。至極、彼女は模範的だ。大人がどんな答えを求めているか分かっている。私はほっとすると共に、激しい虚無感も抱いている。不意に、セイラちゃんの事が頭に浮かぶ。ロンドンで同じ日本人幼稚園に子どもを通わせているママ友たちと集まってお昼にホームパーティをした時、仲良しだった真里ちゃんがエリナを連れて来た。真里ちゃんからエリナさんの話を聞いていた私は、彼女の異色な経歴に興味を惹かれ、今度はランチする時にでも連れておいでよと言っていたのだった。

にも拘らず、私は彼女が自分の苦手なタイプである事を一目で理解した。エリナさんの隣で、成長期なのか、痛々しいほど細い脚をスカートから覗かせていたのがセイラちゃんだった。母親に促され、ぼんやりと部屋を眺めていた彼女は「こんにちは」と言い微笑んだ。完璧なまでに一貫したおっとりした態度と、どう動いても可憐に見える動作に、私は何となく異質なものを感じた。小さい子どもが多いから退屈するんじゃないかと心配していたけど、彼女はすぐに小さい子たちと一緒になって遊び始めた。

彼女は子どもたちに取り合いっこされるほどその場に馴染み、私はその輪の中に理英までもが入っている事に驚いた。あれやろうこれやろうと誘われておままごとしたかと思えば、セイラが一番好きなお話をしてあげるねと言い、「ある日家に帰ると、部屋の真ん中に大きな卵があった」と奇妙な語りだしの話で子どもたちを大笑いさせている彼女を見て、私はハーメルンの笛吹き男の話を思い出した。あの子が本気を出したら、あっという間に公園で遊ぶ子どもたちをまとめてどこかに連れ出す事が出来るんじゃないかと思ったのだ。

私はセイラちゃんを見ていると落ち着かなかった。その落ち着かない気持ちが、日本のファッション誌を読んでいて、イギリスで手に入らない日本の服やバッグが欲しいと思った時のもどかしさに似ていると気づいた瞬間から、私はセイラちゃんの事を出来るだけ視界にいれまいと努力した。

 そして話せば話すほど、エリナさんに対しても私は苦手意識を強めていった。物怖じせず何でも人に聞いていける積極性、図太さ、女独り身で外国に住もうという発想自体が私には理解不能だった。あらゆる意味で、私は彼女のような人間が受け入れ難かった。こんなにも日本に帰りたい自分と、何となく転機かな、程度の気持ちで来た彼女との差が堪え難かった。

 どちらにせよ、子供たちの年が離れていたし、家も近くなかったから、エリナさんと頻繫に会う事は無かった。そしてセイラちゃんは輪をかけて、ほとんど目にすることはなかった。でもあの子を思い出すたび、あの子の情報を耳にするたび、私は落ち着かない気持ちになった。全く周りが見えていないような、自分以外の何者かが世界に存在している事に気づいてすらいないような、

もっと言えば自分自身がここに存在している事にすら無頓着であるような、周りの子がどうしているか、周りの人々の顔色や行動を絶えず盗み見て、目立つことを怖れ、常に誰かの後ろに隠れるために影を探し回っているような理英と真逆のあの女の子の在り方が、私のようやく落ち着き始めた鱗をまた激しく撫で上げた。私はあの子の話を友達から又聞きするだけで、心が揺さぶられ、無力感の渦に巻き込まれた。

 理英ちゃん、あの幼稚園嫌だな。帰り道、案の定そう言い始めた理英を宥める意味も含めて、ファミリレストランに入った。あの幼稚園に通う事になったら、給食の無い日はこうやってママとお昼ご飯を食べに来ようね、と言うと、理英は悲しげな顔のままメニューを見始めた。

理英は同い年の他の子に比べるととてもいい子だ。店の外で騒いだり、癇癪を起こしたりしない。二歳の頃からレストランに連れて行っても全く問題なかった。困らせる事はしない。静かにねと言われれば静かにできる。じっとしてねと言えば何時間でもじっとしている。はしゃいで走り回っている子たちを見ていると、うちの子は全く別の生き物に見える。

「これがいい」
 彼女が少しだけ声を弾ませて指差したのはキッズフレートだった。まるで別の生き物に見えるのに、彼女が他の子どもたちと同じものを選ぶのが不思議だった。私はボタンを押して店員を呼ぶとキッズプレートととんかつ定食を頼んだ。とんかつは久しぶりだった。日本食と言えば寿司と焼き鳥ばかりのロンドンでは、何でもかんでも手作りしていた。

ドレッシングも口に合う物がなく手作りしていたし、ポン酢も手作り、ゴマだれ、漬け物ももちろん手作り、家で太巻きやちらし寿司を作る時は白バルサミコ酢ですし酢を作る所から始めていた。手抜きする隙のない料理が、私にはちょうどよかった。料理をしている間、私は自分の存在意義を考えずにいられた。

美味しい料理を作る事は、子供のためにも夫のためにも大切な事だし、美味しい料理を作れば二人に喜んでもらえる。夫はいつでも上司や同僚を自宅の夕食会に誘えるし、子どものお弁当は幼稚園で皆から称賛され、ママ友と家で昼食会をすればすごーいと皆に喜ばれてレシビを聞かれる。料理以外は、誇れるものが何もない私にとって体のいい暇つぶしだった。

共働きがスタンダードのイギリスでは働いていないと言うと怪訝な顔をされることも多く、二年もいるのにそんな英語? と遠慮なく驚く人たちもいた。そもそも私のビザは就労出来ないビザだし、育児と家事で忙しくて勉強をする暇がない。私はそう言い続けて来たけれど、本当は激しい劣等感があった。いい奥さん、いいお母さんに徹する事によって、私はそれ以外の文脈からの批判を無視する事が出来た。

自分自身に或る迷いや批判すらも、毎日美味しい料理を作る事で、私は見ないふりを出来た。でもエリナさんは違った。料理上手で、綺麗好き、育児熱心、私が自己肯定され得る要素であるそれに対して、「だから?」とでも言いたげな態度で、ホームパーティの時も、何でわざわざ和食を作るの? と聞いた。彼女が嫌がらせで言っているのなら話は簡単だった。でもそうじゃなかった。彼女にとって、私の作る料理は無意味だった。あの時、彼女は皆の持ち寄った料理を僅かに食べ、均等に「美味しい」とコメントし、ワインばかり飲んでいた。

これどうやって作るの? ゴマ油ってどこのメーカー使っているの? レシビ教えてー、と他のママ友がいつも反応をして盛り上がっている間、彼女は退屈そうに携帯ばかり見ていたのを私は見逃さなかった。だから私は彼女が嫌いだったのだろう。

彼女の存在自体が私の存在を否定していた。彼女が口にしなくても、彼女の在り方が私の在り方を否定し、「そんな人生楽しいの?」と常に問われているような気持ちにさせた。私は彼女に会うまで、自分がそこまでのコンプレックス、これでいいのかという迷いを抱いている事にすら気づいていなかった。今自分の生きている人生以外の人生を考え得る度量のない私にとっては、彼女の存在は目障りなものでしかなかった。

 とんかつに使用されている豚は鹿児島県産の黒豚です。テーブルに置かれたナプキン立てにそう書いてあるのを見つけて不意に原発事故の事が頭をよぎる。イギリスにいながらも、風評被害云々のニュースはよく見ていた。東北の物を避ける人が多いからわざわざこんな表記をしているのだろうか。イギリス駐在が決まった時、放射能も心配だし、イギリス行は良かったのかもよ、と言った親戚のおじさんがいた。よくもそんな事が言えるなと、私はおじさんの顔をまじまじと見つめてため息をついた。

マイホームを建てたばかりなのに、海外駐在の可能性なんてないと思っていたのに、英語もまともに喋れないのに、と絶望的になっていた私は次々愚痴を漏らした。友達にも、イギリス? 羨ましーい! 黄色い声をあげる子たちが居て、そういう反応を目にする度、羨ましいならお前もイギリスで生活してみろと言いたくなった。

でもいかにイギリスでの生活が過酷であったから、生きている意味を再考させるほどに自信を喪失させるものであったか、今になって私が彼女たちに伝える事は不可能な気がする。

「理英ちゃん、ロンドンに帰りたい」
 理英の零した言葉に、胸がざわついていくのが分かった。自分も昨晩義兄夫婦の存在のせいで同じことを考えていたというのに、それを理英に言われるのは耐え難かった。やったね、日本に帰るんだよ。おじいちゃんの所に帰るんだよ。また一緒にくらすんだよ、と言った時にも理英は全く同じ反応をした。ここがいい、と変化を嫌う彼女は呟いて静かに涙を流して悲しみを表現した。

「ママもだよ」
 呟くと、理英は顔を上げてママもなの? と聞いた。
「ママもちょっと悲しいよ。でも、まだ慣れてないからだよ。もうちょっとしたらパパも来るし、理英も新しい幼稚園で友達もたくさん出来て、すぐに楽しくなるよ」
「なつきちゃんとゆりちゃんに会いたい」
 理英は日本人幼稚園で仲が良かった子の名前を挙げて目に涙を溜めた私は、理英のこういう所が嫌いだ。後ろ向きで、なよなよしていて、ぐずぐずと愚痴っぽい。私がどんなに前向きに励ましても、彼女はでも、でも、と繰り返すぐずぐずと泣くのだ。

どうして理英のそういう所が嫌いなのかと言えば、私は自分の中にある理英と似た部分を嫌悪しているからだ。例えばイギリスに行ってからの私のように苦境に立たされた時、前向きなりきれない自分、前向きでありたい、前向きであろう、という気持ちに反してどんどんと後ろ向きになり、周りと自分を比べて劣っている部分を過剰に卑下し、日本に帰りたいこんなところ嫌だと泣きごと言ってしまう自分が大嫌いだった。

本当は前向きに生きていたかった。そうなりきれない自分を棚に上げて娘への嫌悪感を強めていくなんて、ひどい母親だ。今こそ、私も前向きになり、一緒に頑張ろう、と理英を励ましてやらなきゃならない時なのだ。

「分かるよ。ママもなつきちゃんママとゆりこちゃんママに会いたいよ。またイギリスに遊びに行こうね、あと、なつきちゃんは来年になったら日本に帰って来るみたいだから、そしたらきっとまた会えるよ」
「そうなの? なつきちゃんは東京に住んでいるの?」
「ううん、兵庫っていう所だよ」
「ひょうごって日本?」
「日本だよ」
「東京と近いの?」
「近くはないけど、イギリスよりはずっと近いよ」
 でも実際彼らが帰国したとしても、わざわざ兵庫まで会いに行ったり向こうから来たりもしないだろうな、と冷静に思う。この先の人生で、もう会う事のないのかもしれない。私はこれまで、先に帰国していった駐在のママ友が泣いて別れを惜しみ、メールするからね。フェイスブックで近況を教えてね、日本に帰国する時は絶対連絡してね、と言って帰国したきり、ロンドンでの生活を忘れたかのように連絡が滞る現象を目にし続けてきた。

少ない在英日本人の中で、互いに子供がいたから結びついた縁だ。ロンドンで仲良くなった友達の中には、日本で数多くのママ友候補がいる環境だったら仲良くならなかっただろなと思う人もたくさんいる。まあんなもんか、私は彼らが社交辞令的に年賀状だけ送ってきたりするのを見てそう思ってきた。

 と思い付いて、携帯を見ようとバッグに手を伸ばす。イギリスから戻ってすっかり気が緩きった。カフェでもレストランでも常にバックを膝の上か脇に置いていたのと違い、日本では隣の席に置いておける。路上のATMでも、背後に気を付けながらささっとお金を下ろしていたけれど、日本に帰ってからそんな危険意識を持たずコンビニで堂々とお金が下せる。

警備員は弱そうだし、指定した商品と正確なおつりを放出する自動販売機があちこちあるし、夜中に女の子が独り歩いたりもする、何て平和な国なんだと感激する事ばかりだ。百円ショップは何処でもあるし、コンビニもどこにでもある、24時間営業の店があるなんて夢のようだ。テレビ番組は全部意味が分かるし、新聞も読めるし、看板の意味もすべてわかるし、書店では何もかもが面白そうに見える。

帰国以来疲れる事ばかりでうんざりしてきたけれど、考え始めると日本は最高! という気持ちがどんどん盛り上がっていく。ずっと求めてきた帰国なのだ。ずっと求めてきた平穏な生活なのだ。私は一体何が不満なのだろう。

「理英、この後もう一ヶ所幼稚園見に行くんだけど、それが終わったらお買い物に行こうか」
「何買うの? おもちゃ?」
「うん。駅前のショッピングセンターに行こう。おもちゃも一個だけ買ってあげる。ママもいっぱい買い物あるの」

 やったあ、と声を挙げる理英に微笑んで、ちょうどやってきたキッズプレートととんかつ定食に手を合わせる。頂きます、と言ってみそ汁とご飯を口に運び、サクサクしたとんかつを濃厚なゴマソースにつけて一口頬張ると、今日本にいる事が涙が出るほど幸せな事に感じられた。

幼稚園の帰りに理英とファミレスに来てとんかつ食べたよ。絵文字と一緒に光雄にメッセージしとんかつ定食の画像を送った。今朝まで延々愚痴のメッセージを受け取っていた光雄は安心したようで、いっぱい日本を堪能しな、俺はフリッツばっかりだよ、と返事がきた。早く朱里の手料理を食べたいな、と続いたメッセージに満足して、私は携帯を仕舞った。

 ただいま帰りました、昼寝をしなかったせいで眠たそうな理英の手を引いて帰宅すると、お義母さんがリビングに一人坐っていた。
「あらお帰りなさい。幼稚園どうだった?」
「二ヵ所とも、とても良さそうな所で安心しました。どっちの方がいいか、光雄さんと話し合って決めようと思います。あ、すいませんご飯炊いてくれたんですか?」
「ええ。誠たちが。食べたからもうほとんどなくて、そろそろ炊き上がると思うわ。みそ汁も作ろうと思ったんだけど、ごめんなさいね、いつも料理が疎かになっちゃって」
「いいんですいいんです。すぐに作るんで、ゆっくりしててください」
「そう? じゃあお父さんを見に行こうかしら」
「今日はどうしますか? 
お義父さんと食べますか?」
「そうね。向こうで食べるわ」

 穏やかな表情でそう言ってお義母さんはリビングを出ていった。お義母さんは、私たちに遠慮してるのか知らないけれど、いつもリビングではなく自分たちの部屋でお義父さんとご飯を食べる。向こうの部屋にも簡易キッチンが設置されていて、コンロ、レンジ、冷蔵庫もあるから、洗い物もそっちでやるし、お茶やちょっとしたものは向こうで用意しているようだった。

彼女は、どこかお義父さんを私たちに晒さないようにしているふしがある。介護の手伝いもどことなく拒まれている気がするし、半身不随とはいえ補助すればリビングで一緒に食べる事も不可能ではないのに、痴呆が始まったお義父さんを私たちに見せる事に躊躇(ためら)てるのかもしれない。それこそ理英は、昨日帰国の挨拶をしに行ったきり、お爺ちゃんの顔をみていない。

 疲れたあ、とソファに横になった理英に、ちょっと寝てもいいよ、ご飯が出来たら起こすから、と言うと理英ははーい、と答えてお気に入りのブラケットをたぐり寄せた。

 みそ汁の出汁は鰹節と昆布。イギリスにいたときは日本食材は、あまりに高かったためほとんど買わず、日本で買いだめしておいただしの素を使ってしまう事が多かったけれど、日本では煮干しも鰹節も昆布も大量に種類があって、今日も乾物コーナーを歩いているだけでテンションが上がつた。

わかめ、ひじき、梅干し、納豆、しば漬け、お茶漬け、理英が好きそうなふりかけも大量に種類もあるし、何でもかんでもカゴに詰め込めたい気持ちを抑えて「これからはこれが私の日常なんだ」と自分にいい聞かせてた。

 肉じゃがに入れるじゃがいもと玉ねぎの皮を剥き、酢の物に入れるきゅうりを薄切りにする。そうだと思い出して、さつま芋を取り出すと乱切りにした。日本に帰ったらまず作ろうと思っていた大学芋を作ろう。イギリスではさつま芋が水っぽくてうまく作れなかったのだ。

料理をしているうちに、私はどんどん満たされていく。こんなに豊富な食材、便利な焼きそばの生麵やうどんの生麵、照り焼きソース、焼き鳥のたれ、鍋のスープ、中華だし、素晴らしく調合された調味料、チャーハンの素もある国で、料理が面倒くさいなどと言う主婦の気持ちが一ミリも理解出来ない。イギリスと違って細いきゅうり、形の整った野菜たち、柔らかなキャベツの葉、ずっと食べたかったごぼう、レンコン、椎茸、いつも日本食材屋で買おうかどうか悩んでいた一本千円もした長芋が二百九十円で売っている、スーパーの野菜売り場は天国だった。

ご飯、みそ汁、肉じゃが、きゅうりとわかめの酢の物、大学芋、それぞれをよそって大きいトレーに載せると、二回に分けてお義母さんとお義父さんの部屋に運んだ。ベッドの脇にお皿を並べていると、お義父さんがああ芳子ちゃんありがとうね、とにっこりして、私は一瞬凍り付いたように固まってから「朱里です。イギリスから戻って来たんですよ。昨日お帰りって言ってくれたじゃないですか。もうちょっとしたら光雄さんも帰って来ますからねー」

と少し大きめの声で言った。そうか朱里さんか、と頷きながらも、お義父さんの目がきちんと私を捉えてするようには見えなかった。私の父方の祖父もそうだった。最後はボケきって、何を言っても分かっているの分からないのか、心筋梗塞で亡くなるまでおばあちゃんは徘徊癖に悩まされ、私の母親もよく介護の手伝いに行っていた。

不謹慎かもしれないけど、お義父さんが脳梗塞をやって半身不随になっていた事は、その後痴呆症が始まったことを考えると不幸中の幸いだったのかもしれない。この家を建てる前に住んでいたマンションに徘徊する痴呆症の老人が数人いて、見知らぬお爺ちゃんに突然怒鳴りつけられたり、廊下で放尿して家族に取り押さえられる様子を目にしてきた私は、義父が徘徊したり暴れたり出来ない身体である事にほっとしている。

赤ん坊がベランダから落ちないように扉にチャイルドロックをつけたり、キッチンに入らないようにベビーゲートを設置としたりするのと同じように、徘徊老人だって外から鍵をかけて出られないようにするのは彼等を守るという意味でも大切な事ではないだろうか。

私は、お義母さんが元気である事を前提に同居を受け入れたけれど、もしもお義母さんがいつか病気で倒れたり、突然死したりしたら、私がこのお義父さんを全て世話していかなければならないのだと改めて実感し、二年前よりも痴呆が進んだお義父さんの姿ら憂鬱になった。

 何故よりによって芳子ちゃんと間違えるのか。彼女は介護の手伝いなんてしていないはずなのに。誠さんと芳子ちゃん痴呆が始まる直前に結婚したから、何となく印象が強く残っているのかもしれない。在英中は一度も帰国しなかったから、記憶が薄れるのは仕方ないけれど、私は言いようのない苛立ちが胸に蠢くのを感じた。

リビングに戻ってまだ眠たそうな理英を叩き起こしてご飯だよと言う。ご飯の支度が終わった頃、階段から足音がして私は身構える。
「あー、いい匂いだなー」
 上から物音がしていたため、居るのは分かっていたけれど、料理が出来上がるタイミングで二人で降りて来るなんてと思いながら、一緒にどうですかと言う。
「いいんですか? じゃあ頂きます」
 芳子ちゃんは、自分たちのお箸を並べるとさっさと席についた。お前らのママじゃねえぞと思いながら、どうぞとご飯とみそ汁を出していく。
「理英ちゃん、芳子ちゃんの隣に座りたい」
 何でこんな気持ちの悪い女の横に座りたがるのかと心の中で憤慨しながら、理英はママの隣よ、と目を真っ直ぐ見つめて言う。理英は私の目を見ただけで私が怒っているのが分かる。
「いいよいいよー、こっちにおいで」
 芳子ちゃんが隣を指差して言うと、理英はやったあとと言って椅子を降りてしまった。理英は、先生や他の大人に言われた事や、私が外で注意する事は必ず守るのに、家にいる私の言う事を聞かない。かっとしたけれど、私はじゃあこれと言ってご飯とみそ汁を理英の前に差し出した。

「わー美味しいなー、この肉じゃがすっごく美味しいなー、これ作ったんですか?」
「そうですけど」
「すごいなー、ねえよっちゃんも肉じゃが作ってよ。すっごく美味しいなー」
「良かった。光雄さんも好物なんですよ」
 誠さんは美味しいなーと言いながらどんどん肉じゃがを食べていく。すぐになくなってしまいそうだったから、理英の取り皿に多めに分けてやった。芳子ちゃんは明らかに面白くなさそうだった。料理が下手だからだろう。料理が上手くなりたいという気持ちが無いなら、ずっとレトルトのおかずでも食べていればいいのだ。無理して料理して不味いものを食べさせられるくらいなら、コンビニ弁当の方がずっとましだ。

料理が上手くなりたいのであれば、世の中には大量にレシピがある。ネットででも見れるし、分量をきちんと計り書いてある通りの手順を踏めば皆それなりの物が作れるのだ。そういう馬鹿でも出来ることが出来ない人は、きっと料理が上手くなりたいと思っていないのだろう。そういう人はどうせ化学調味料とか保存料なんかにも無頓着なんだろうから、コンビニ弁当を食べればいい。

以前、親戚の集う場で芳子ちゃんが作ったあまりに油の量が多すぎ、醬油の味しかせず、べちゃべちゃで、冷めていて、豚肉プラス何故かハムの入った野菜炒めを食べた時にそう思った。そんな絶望的に料理が下手な人がいるとは知らなかった私は無理して数口食べ、美味しいねと笑顔で言った。その後、洗い物をする私の横で誠さんが「あいつにとって調味料は醬油と塩だけなんですよ」と苦笑いで言うのを聞いて、哀れみに近い気持ちを覚えた。

「芳子ちゃんは、どんな料理が好きなの?」
「うーん、焼き肉とか、辛いものも好き」
「じゃあ、今度ホットプレートで焼き肉しよっか」
「えーでも焼き肉はやっぱりお店が美味しくない?」
 焼き肉のお金を払わされるのはごめんだと思いながら、じゃあ今度皆で行こうか、と今度が永遠に来ない事を願いながら笑顔で答える。
「理英ちゃんも焼き肉行きたい!」
「理英ちゃんはまだ駄目だよ。まだ子どもだからね」
 誠さんの言葉にいらっとして、大丈夫ですよ? と笑顔で言う。
「理英は何処のお店に行ってもきちんと静かに出来る子なんです」
「でも、テーブルで火も使うし、内蔵とか辛いものとか食べられないだろうし」
「大丈夫ですよー。理英は本当に言われた事はきちんと守る子なんで。ロンドンでもよくディナーに連れてっていたんです。三ツ星レストランは無理だけど、焼き肉くらいなら全然平気ですよ」

 鼻にかけたような印象を与えないように気を付けたつもりだったけれど、思わずイギリス住まいだった自分を誇示するような言い方になってしまった事に気づいて口を噤む。誠さんの何でかわからないけれど「子どもは公共の場に出すべからず」的な考え方に私は以前から苛立ってきた。こんな男の子どもを産んだら大変だろう。子どもや育児、母親の立場や思いに無頓着なデリカシーのない男と結婚してしまったら友達らがどんどん離婚していくのを私は見て来た。

芳子ちゃんと誠さんも今は良いかもしれないけれど、子どもが出来たらきっと芳子ちゃんはぶち切れ始めるだろう。光雄がそういうデリカシーのある男で良かった。イギリスでもサッカー観戦やポロ観戦、競馬観戦やハイパージャパン、コンサートも、子どもを連れて行ける所にはどんどん連れ出したし、光雄も人見知りで積極性欠ける理英をどんどん外に連れ出すべきだと同意して、色々なイベントや小旅行を提案した。こんな男と子どもを作ってしまったら生き地獄だろうな、と私は目の前の誠さんを見ながら思う。

「辛いもの、どんなのが好き? 中華? 韓国系? 夕飯の参考に、もし食べたいものがあったら教えてね」
「あ、でもよっちゃんはお腹が弱くて、辛い物の好きなんだけど、食べるとお腹壊しちゃって。だからあんまり気にしないでください」

 そうなの? それは辛いね、と言いながら、次第に苛立ちが高まっていく事に気づく。何なんだこの女。気持ち悪い。ほとんど喋らず黙々とご飯を食べる芳子ちゃんがどんどん気持ち悪い生き物にみえてくる。まるで自分の代わりに誠さんに喋らせているようだ。

「じゃあ、誠さんは何が好きですか? いつも夕飯考えるのが大変で」
「あ、僕、ビーフシチューが好きなんですよー」
「いいですね、ビーフシチュー。駐在の友達で、フランスからイギリスに来た子が居て、その子に聞いたんですけど、ビーフシチューって、フランスのブルゴーニュ地方が発祥だって言われてて、フランス語ではブフブルギニョンっていって、牛肉を赤ワインに付け込んで何時間も煮込むんですよ」
「へえー、それってルーとか使わないんですか?」
「うん。色んなレシピがあるんだけど、私は赤ワインとトマト缶と、フォンドボーと、あとはブーケガルニで煮込むだけ。私もその友達の家で初めて食べたとき感動したんです。今度作りますね」
「わー、レストランみたいだなー」
「へえ、ビーフシチューってルーがなくても作れるんだあ」
 芳子ちゃんの言葉が完全に感情をなくしたような響きである事に気づいたのか、誠さんが「前によっちゃんが作ったビーフシチューもすごく美味しかったよ」とフォローした。
「でも肉が固かった。肉ってどうやったら柔らかくなるんですか?」
「あ、パイナップルの汁使うとどんなに安いお肉でも柔らかくなるよ。加熱処理していないパイナップルの汁かジュースに漬け込んで煮るととろとろになるよ。あとは圧力鍋かなあ」
「えー、そんな面倒臭いこと出来ない」
「いいんだよ、よっちやんのビーフシチューも美味しいから」
 誠さんのフォローに合わせて、そうそう、手作りのも美味しいけれど、ルーのビーフシチューって定期的に恋しくなりますよね、と同調する。何となく、二人の間に険悪な空気が漂っているように感じられて、理英すら少し芳子ちゃんを気にしている様子が窺える。誠さんは、結婚後ずっと芳子ちゃんのご機嫌取りに必死だ。結婚前はむしろ誠さんの方が強気に出ているように見えたけれど、結婚したが最後、なのか、彼は彼女の機嫌を損ねる事を恐れているかのように彼女の顔色を窺い続けている。でも、デリカシーのない誠さんは芳子ちゃんの気持ちがよく分かっておらず、ただ単に芳子ちゃんが苛々し始めると慌ててご機嫌取りをするというやり方のために空振りして、芳子ちゃんがその無理解さに更に苛立っているような、そういう印象を受ける。

 前に親戚の集まりの時、芳子ちゃんが不意にいなくなり連絡も取れなくなり、数時間後に電話を掛けて来て駅前まで誠さんを迎えにこさせた事があった。何かちょっと機嫌斜めみたいで、と困ったように笑いながらコートを羽織って出て行った誠さんは、それから何時間も帰ってこなかった。

私はその時の誠さんが、二歳の子どもについて話す時のような、そういう感覚で芳子ちゃんの事を語っているのを違和感を持った。ご機嫌斜めで、という言葉は、その相手に論理や理屈を見ていないような気がして、きっと彼は「女の事をよく分からない」と過剰に女と男を切り離して考えているんだろうと思った。彼の中には、女性蔑視、子ども蔑視、自分と違うものを排除する意識が根強く残っている。

だから彼がどうしたの芳子ちゃん、心配したよと駅前まで駆けつけて、何か食べたいものある? どこか行きたい所ある? とご機嫌取りをしても、芳子ちゃん、はきっと自分が身下されているような気がして、思い通りの行動を取らせても達成感がなく苛々が募っていくのだろう。私はその手の自分中心主義的な男が大嫌いだ。

へこへこしていて決して亭主関白ではないけれど、掘り下げていけば根元にあるのは強烈なマッチョ精神で、彼がどんなに芳子ちゃんのご機嫌取りをしようが、アイスクリームを走って買いに来ようが、愛人と隠し子がいて定期的に失言しつつ料亭でがっはっは笑っているような団塊世代の政治家なんかと根本的には変わらないのだ。

 親戚の集まりの中で孤立している気がして居ずらかったみたいで、と次の日の朝誠さんは言って、朱里さん、年も近いし仲良くやってくれないかな? と続けた。まだ芳子ちゃんの本性を知らなかった私は、社会性のなさそうな子だなと思いながらも、私の方こそぜひ仲良くしてもらいたいです、と答えた。

会社勤めをしていた頃、後輩に同じような子がいた。彼氏とちょっとした喧嘩をしたり、気に入らないことがあったりするとすぐに芳子ちゃんのように失踪して、今○○にいる、とメールや電話で言ってわざわざ迎えに越させる女が。私は誠さんみたいなマッチョな男も大嫌いだけど、そういう面倒な女も大嫌いだ。男が自分を心配して捜しまわるというシチュエーションに燃えるのか、権力争いの一つの戦略なのか知らないが、何ともしみったれた画策だ。そもそも、誠さんは結婚自体芳子ちゃんに押し切られた感がある。

何故そんな結婚を急いだのか分からないけれど、お義母さんによれば、いつになったら結婚するのもう三十になっちゃう結婚してくれなきゃ別れると喚いて結婚にこぎ着けたのだから呆れてしまう。そもそも何で早く結婚しなきゃいけないのか。三十で結婚していないとおかしいのか。正直さっぱり分からない。

最近流行の婚活とかそういうものもよく分からない。社会的な体裁、或いは一人の孤立感に耐えられず? 子供が欲しくて? どれもしっくりこない。一人で生きる人生は充実していないとでもいうのだろうか。恋人同士だって、二人が望んだ時に結婚するべきだ。どちらかがしたいと騒いでする結婚なんて意味がないし、二人が望まないのであれば事実婚でも全く構わないわけで、結婚が恋愛の目的なんて馬鹿げている。

「ママ」
「ん?」
「ごちそうさまでした」
 ああ、と言いながら理英のお皿をチェックする。みそ汁を少し残していたけれど、よく食べてました、と微笑む。何だか自分がふつふつ考えていた事が、エリナさんが言いそうな事だなと気づいて、私は面白くない気持ちになった。

きっと、結婚しなきゃと焦る気持ちと、結婚なんてしなくても充実した人生を送れるという気持ちと、私の中には両方あるのだ。そして、エリナさんのように完全な後者である人を見ると苛立ち、芳子ちゃんみたいに完全に前者である人を見てもまた苛立つのだ。それは、どちらにもなり切れていない自分自身への苛立ちでもあるのかもしれない。

「ごちそうさま」
 箸を置いて立ち上がった芳子ちゃんは、自分のお皿を流しに運ぶとじゃあ私は先に上へ行ってるねと言ってリビングを出て行った。あの人は人の作ったものを食べておいて皿洗いする気もないのかと呆気に取られる。きっと私が作り置きしておいた昼食に使ったお皿も、洗ったのはお義母さんなんだろう。

私はこれ以上なく不本意ながら転がり込んだ彼らと生活を共にし、子育てに家事にと忙しくしているのに、彼らは無職な上にお金も入れずに私たちの寝室と納戸を占拠し、理英のおもちゃを勝手に捨て、洗い物もしない。今朝はお風呂場と洗面台の排水口に髪の毛が溜まっていたし、換気ボタンを押しておらずもの凄い湿気が籠っていた。苛々した気持ちのままさつまいもをつつく。
「あの」
「うん?」
「えっと、これからしばらくの間一緒に生活するので言っておきたいんですけど」
「はいはい」
「一緒に生活する者としてちょっとルールというか、決めておきたい事があって」
「ああ、なるほど。そういうの、必要ですよね」
「えっと、お義母さんはお義父さんの介護をしているので、私はそれをフォローしつつ家事と育児をやっていくつもりなんですけど、えっと、私が帰国するまではお義兄さんたちはどんな生活をしていたんでしようか?」

「うーん、僕たちは割と夜型だから、お昼くらいに、まあ遅い時は夕方くらいに起きて、それからご飯とか食べて」
「その、ご飯って、お義母さんが作ってたんですか?」
「母さんが作ったり、よっちゃんがたまに作ったり。よっちゃんもね、たまには今日は料理する、って張り切ってフレンチトーストとか、野菜炒めとか突然作る事もあるんだよね」
「掃除とか、洗い物とか、洗濯とかは?」
「うーん、まあ汚いと思ったらする感じかな。下の掃除は母さんがやって、洗い物もそうだな、基本的にお母さんで、洗濯はそれぞれ、僕たちの分は僕たちでって感じで」
「そんなにお義母さんが色々やってたんですか?」
「そうですね」
「一応、ここに間借りしている状態ですよね? 生活費も貰ってはいないし、もうちょっと協力的に色々やってもらえないですか? せめて洗い物はするとか、共用のスペースだし、お風呂とかリビングの掃除をしたりとか」
「でも僕たちは夜型なんで、夜中に洗い物しか掃除したりすると朱里さんたちは寝ているし、迷惑ですよね?」
「でも、お昼か夕方くらいには起きるんですよね?」
「でも起きてすぐは何も出来ないし‥‥」

 あまりに信じられない発言の数々に、私は自分の怒りを抑えきれなくなっていくのを感じた。こういう非常識な兄がいるなら、そしてその非常識な女と結婚するなら、こんな家に嫁入りなんてするんじゃなかった。無力感に打ちひしがれる。こんな時、光雄がいたらと思う。嫁の立場で言えることなんて限られている。こんな時、光雄が間に立ってくれれば。あと一ヶ月、あと一ヶ月と思うけれど、私の精神はそれまでもつだろうか。光雄に頼んで光雄から遠隔的に注意してもらうのも、私の無力さを露呈するような行為に思えて悔しい。

「お義母さんはお義父さんの介護があるし、私も理英の世話があって、出来るだけお義母さんのお手伝いをしたいし、お義兄さんもここに居るなら出来る事はやってもらいたいんです。何て言うか、その、一応同居している者として責任感を持ってもらいたいというか」
「そうですよね。これから僕らも朱里さんの力になれるように努力しますよ。じゃあ、洗い物とお風呂とリビングの掃除はこれから僕がやるんで」

 私の力になれるように? 私の力になれっていう話じゃない。てめえらの面倒はてめえらで見ろって話だ。言ってやりたい言葉を飲み込む。
「芳子ちゃんは、家事は出来ないんですか?」
「よっちゃんは、家事やってって言うと苛々するから、いいんです僕がやるから」
 気持ち悪い、と口について出そうになって慌てて別の言葉を探す。
「お義兄さんて、そんなに芳子ちゃんが怖いんですか?」
「怖いっていうわけじゃないけど、一回機嫌悪くなるとしばらく収まらないし、そうなると色々面倒だから」

 嘲るような調子で言ってしまったことを一瞬悔やんだものの、誠さんはそんな事を気にする様子もなく、淡々と答えた。
「ずっと、そんな感じなんですか?」
「結婚してすぐの頃はそうでもなかったけど、ここ二、三年、彼女はちょっと疲れやすくて、すぐに体調悪くして、体調が悪くなると機嫌も悪くなるから、僕は出来るだけ手伝うようにして」
「何か、持病があるとか?」
「いや、元々身体が弱い子だから」
 へえ、と呟いて、馬鹿馬鹿しくなる。そんなに芳子ちゃんの機嫌を損なうのが怖いなら、一生芳子ちゃんのご機嫌が悪くならないように気を遣って生きて行けばいい。夫婦の形はそれぞれだ。これ以上異次元的な話を聞くのが苦痛になって、私は自分の食器を片付け始めた。

「じゃあ、よろしくお願いします。私もペースが戻ったらもっとお義母さんのフォローをしていきたいと思っているんで、ここにいる間はそれなりに協力してもらえると助かります。一週間二週間ならまだしも、もう何カ月も居るわけですし」

「うん。僕もこんな事になって申し訳ないと思ってるんだよ、本当に厚かましいお願いだって分かっているんだけど、情けないけど頼れるのは実家しかなくて」
「ついでに聞いておきたんですけど、出ていく目処は立っているんでしようか? 私たちも、この和室での仮暮らし状態は辛くて、いまだ目処が立っていない状態なら、光雄さんが帰って来る前に上の寝室と部屋を交換してもらいたいと思ってるんです。光雄さんと理英とこの和室で生活するのは無理があるんで」

「まだ目処は立っていないんだけど。光雄が帰って来るまでには絶対に出て行くよ。まとまったお金が全然ないわけじゃないし、あとは仕事探しだけだからさ」
「本当ですか? 良かった。じゃあ光雄さんにもそう伝えておきます。光雄さんも、家の事とか誠さんのこと心配してて、光雄さんが帰ってくる頃には部屋を整えておきたいと思ってたんです。

もしもそれ以降も出て行くのが難しそうだったら、下の部屋と交換するよ」
 この人は、この家は両親の家だくらいに思っているんだろう。別に誰にもはっきりとは明言していないが、観の家に関して義両親が払った金は一千万だけで、残りの六千万の内二千万はうちの貯金で残りの四千万のローンを払っているのは光雄だ。そんな簡単に、交換するだなんて言わないでもらいたい。

「いつまでもだらだらになると、お互いの為にならないから、きちんと期限を設けた方がいいと思うんです。一ヶ月後の光雄さんの帰国までには絶対という事で、お願い出来ませんか?」
「うーん、仕事が決まらないと、まだ何とも言えないなあ」
「あの、就職活動はしてるんですよね?」
「それはもちろんよ。」
「この四ヶ月、決まってないんですよね」
「そうだね」
「それで今後一ヶ月で決まるという見通しの根拠はあるんでしょうか?」
「知り合いの会社でね、今月空きが出るって話があって」
「あ、そうなんですか? 聞いておいて良かった。安心しました。何の会社なんですか?」
「長距離の運送。結婚前にしばらくやった事があって。何日も家空ける事になるし、色々心配はあるんだけどね」

 運送なら別にそこじゃなくても今すぐ雇ってくれる所だってあるだろうと思いつつ、いいじゃないですかーと笑顔で言う。全く子どもっぽい男だ。でもこれ以上突っ込んだらモラハラになるかもしれないと思い口を噤む。家に置いてやっているんだからと詰問しているわけではない。ただひたすら、純粋に、涙が出るほど、彼らに出て行って欲しいだけだ。

「もう限界かも」「ひたすら憎い」「こんな風に人に憎しみを抱く自体が辛い」「こんな風な人との関わり方をしたくない」「ここにいると私は、なりたい自分からかけ離れてしまう」「もっと寛容に、優しさを持っていきたいのに」「もう憎悪しかない」「ずっと苛々している。理英にもあたっちゃう」「理英の問題もまともに考えられない」「今私はあの事を許せない」「こんな自分が嫌いで仕方ない」「一刻も早く出て行って欲しい」「理英と光雄と三人で穏やかに暮らしたい」。

光雄に連投しているメッセージを見つめながら、自分が激しく病んでいる事に気づく。帰国から二週間が経ち、私の憂鬱は限界に達していた。どこまでも無遠慮な義兄夫婦、毎食
毎食私の作った料理を貪り喰い、誠さんがやると言った食器洗いも下洗いをきちんとしていないせいで食洗い機を開けると半分以上きちんと洗えておらず、洗い物が入り切れなとフライパンや鍋を後回しにしてシンクに残して置くものだから料理をする時になって自分で手洗いしなければならなかったり、

排水口や生ゴミの掃除をしないために常にシンク内に生ゴミが散乱し、誠さんに洗い物を任せてから二回も排水管が詰まりを直すのはもちろん私の役目だ、リビングの掃除も適当でいつも掃除機がリビングの端に放りだされていてそれを片付けるのも私の役割になっている。

洗い物をしたくないからわざとこんな適当なやり方をしてるんじゃないだろうか。光雄に対してだって。家事をしてくれる際にこうしてああしてくれと言うのは躊躇うのに、誠さんにあれこれ口出しを出来るはずもなく、生ゴミは生ゴミ用にゴミ箱がここにあるので、ここに捨ててもらえますか?

と二回言ったものああ分かりました、と答えた誠さんがそれ以来生ゴミを捨てた形跡はない。ゴム手袋をはめて生ゴミを寄せ集め腐った臭いのする排水口を掃除する度、誠さんへの怒りとこんな状況に陥ってしまった自分の不運さに涙が込み上げる。

 ロンドンに帰りたい、ロンドンに戻りたい。もう一度あの自由な生活をしたい、人と生活したくない。私の家族と、光雄と、理英と、三人で暮らしたい。あらゆるものとの隔絶感と孤立感の中で、三人で結びついていたあの生活。帰国以来、全てが義兄夫婦に狂わされてばかりだ。

時差のせいで光雄と連絡を取れない事も多く、どんどん疑心暗鬼になっていく。光雄は帰って来ないんじゃないか。私をこの地獄に落としたまま、どこかへ失踪してしまうんじゃないか。そんな通常の精神状態では考えもしないような事で頭が一杯になる。そして理英の問題だ。新しい環境に身を投じたせいだろうが、幼稚園に通い始めて一日で理英は情緒不安定になり、深夜に何度も激しく夜泣きを繰り返すようになり、睡眠サイクルの乱れからここ数日おねしょも繰り返している。

幼稚園の先生に聞くと、園ではとってもいい子にしていますよと言うけれど、でも友達はまだ出来ていませんね、とも言われ心配していたのが、ようやく今週に入って最近仲良しのお友達が出来たんですよと聞いて喜んでいたら、昨日お迎えの時に言われた言葉に私は愕然とした。「実は理英ちゃん、今日いつきちゃんと一緒に他の子の悪口を言って泣かせてしまったんです」いつきちゃんというのは数日前に聞いた。仲良くなったという友達の名前で、私は先生の顔をまじまじと見つめて言葉を失った。

理英が虐められるのならまだしも、いじめをするなんてあり得ないと思った。他の子と間違えているんじゃないかと思って理英を覗き込み、本当なの? と聞くと、理英は口をへの字にして顔を俯けた。何をしたんですか?  理英はどの子に、何を言ったんですか? そう聞くと、どの子にかは教えてくれなかったけれど、いつきちゃんがある子にお洋服が可愛くない。と囃し立て、理英ちゃんも一緒になって可愛くない可愛くないと言って泣かせてしまったのだと先生は話した。

あまりにショックで、私はしばらく口を開けたまま固まっていた。信じられなかった。内気で内向的で大人しく、先生に怒られる事など一生ないだろうと思っていた理英が、友達と一緒に他の子に悪口を言い泣かせた。帰り道、私は痺れたように体を引きずるようにして歩いた。そして人気のない通りまで来ると私はしゃがみ込んで理英をじっと見つめ、歯をくいしばったまま両手を強く握った。ごめんなさいと顔を強張らせて言う理英に、私は許しの言葉を口にする事が出来なかった。

ママは恥ずかしいよ、理英がお友達にそんな事を言うなんて、信じられない、見損なったよ。言葉の意味はよく分かっていなかっただろうが、私の怒りは伝わったようで、理英はその場で大泣きした。だから嫌だったんだ。日本の幼稚園や学校にはそういう馬鹿げた下らないいじめや仲間はずれがあって、きっとこれから十数年も、私は理英が虐められたり、こうして虐めたりという事案に凍りつくような思いをするのだろう。私はその帰り道、理英の顔をまともに見ることが出来なかった。

そんな事をする子じゃないと思っていたからこそ、ショックが大きかった。その日帰宅してから理英はずっと、なつきちゃんに会いたい、ゆりちゃんに会いたい、とロンドンの日本人の幼稚園と比べるとやはり、殺伐としているのかもしれない。

この理英だって被害者に他ならない。むしろ理英をいじめっ子にさせてしまうこの環境が良くないのだと思い始めたら、怒りの矛先が幼稚園の先生や他の子ども達に変わりそうで、私はその自分のモンスターペアレント的な発想にげんなりした。

 そして昨晩、そうして理英が泣いてロンドンに帰りたいとくずっているのを聞いて、誠さんの言った言葉は「やっぱり小さい子にカルチャーショックは良くないね。子どもは落ち着いた環境で育てるべきだよ」だ。お前みたいな引き籠り気質の男の子供はきっと保守的に育てられて公園にも行かない子どもになるんだろうな! と心の中で罵倒しつつ、心の中で反論を繰り広げた。

小さい子なりに、別の環境で得るものもたくさんあったはずだ。旅行とは違う海外体験が出来て、記憶にも少しは残るだろうし、たくさんの出会いもあった。落ち着いた環境でというが、じゃあ子どもと二人で日本に残って落ち着いた環境ではあるけど父親はいないという環境の方がましだったのかと言えばそれはどうなんだ? 

じゃあ転勤しない男と子どもを作るのが最も子育てに適してるとでも言いたいのか?  そんなあんたらの生っ白い思い込みで安易に発言するんじゃないよこのぬるま湯の裸の王子が! 私はたくさんの駐在家庭を見て来た。それこそ、十年以上海外を転々としている家庭だってあった。でも彼らはすごく前向きで、子どもたちもしっかりした素直な子に育っていた。

私だって海外赴任についてく事に迷いはあった。旦那だけ単身でという道も考えなくもなかった。でも前向きに考えようとした。きっと住めば都、新しい体験が私も理英も出来る、日本では出来ないようなことがたくさん出来る、そう思って前向きにイギリス行を決めた。

もちろん上手く行くことばかりではなかったけど、英語が下手で本当にほとほと嫌気がさしたこともあったけど、でも最終的には私はイギリスに行って良かったと思えたし、あの時いかなかったら後悔していたはずだ。

「大丈夫? あと二週間の辛抱だよ。とにかく帰ったら俺が何とかするから、もうちょっとがんばって」
 光雄からのメッセージを見て、私は不意に思い出す。来なきゃ良かった、来なきゃ良かった、こんなところに来なきゃ良かった。呪詛の言葉のように頭の中を渦巻いていた。早く自分の家に帰りたい新築の家に帰りたい日本に帰りたい日本で生活したい言葉がわからないこの生活はもう嫌だ帰りたい来なきゃ良かった。

本当にそうだった。がんばって楽しもうとしたけれど、本当はそんなに楽しくなかった。がんばっていろいろ経験しようとしたけど、本当の心は日本にあって、本当は全然イギリスなんて最悪って思っていた。いつの間にかイギリスでの記憶が美化されていた事に気づいて力が抜けていく。

 ぶるっと震えた携帯のロックを再び外す。Y-Mari’という名前に、既に懐かしさを覚えていた。「あかりちゃん元気? 帰国したきり連絡ないから元気かなーと思って。きっと忙しい毎日だよね。さっきエリナと飲んでて、あかりちゃんの話題になったからちょっとメッセージしてみました~」最後ににっこりと絵文字が入っている。真里ちゃん、エリナさん、理英と同じ気持ちだ。帰りたい。あの毎日に戻りたい。苦手なエリナさんだったけど、今思うと懐かしくて、何でもっといっぱい話して置かなかったんだろう、もっと仲良くすれば良かったのに、と、さっきまで自分の記憶を改ざんされていて本当に色々大変な事ばかりだった思い出していたというのに、過去に引きずられる自分に辟易する。

「久しぶり! 元気じゃないよー。色々大変な事ばかり。理英は帰りたい帰りたいって言ってばかりだし、私も色々あって…‥新しい生活に馴染めなくてさあ。そっちはどう? 相変わらず?」時計を見ると、もう十一時だった。向こうは三時だ。きっと、真里ちゃんとエリナさんの事だから、パブでぐいぐい飲んでいたんだろう。

イギリスで仲の良かった友達らの記憶が蘇って胸が苦しくなる。ずっと料理の話、子どもの話、美容の話とか、幼稚園、小学校について、色々話したい。きっと、ママ友と下らない話をしていれば、少しは気も楽になるだろう。

「大丈夫? あかりちゃんちょっと話ない? 今家に帰ってきた所で、お迎えの時間までになっちゃうけど」
 意外な申し出に驚きつつも、誰でもいいから愚痴りたい、久々の友達と話したい、という気持ちが募って「いいよ、じゃあ五分後くらい掛けていい?」とメッセージを入れた。リビングに出て、冷蔵庫を漁ってワインを取り出す。帰国してすぐにワインが恋しくなって買ったものの、まだ開けていなかったものだ。栓を抜いてワイングラスに注ぐと、私はSNS
をオンライン通話画面にして真里ちゃんとのアイコンをタッチした。

「もしもしー」
「もしもし? 久しぶり。どうしたのちょっと心配するよあんな弱気で」
 まあ話したい事は山ほどあるけど乾杯、と言うと、あ、私も家帰って飲み直した所なの、乾杯! と真里ちゃんは声を上げた。ごくごくと久しぶりのアルコールを飲んでいると、自分がロンドンの真里ちゃん家のリビングにいるみたいで、思わずするすると愚痴が零れていった。

義兄夫婦が転がりこんでいる事、お義母さんが通いの介護員にばかり介護を頼み、あまり私を頼ってくれない事、旦那が引っ越し準備と仕事の引継ぎに追われて連絡が取りづらい事、理英が幼稚園で意地悪な友達とつるみ、いじめに加担した事、いつまでもイギリスに帰りたいと泣き言を言っている事、私自身も、日本に帰ったというのに義兄夫婦のせいで最悪な気持ちから始まり、今思えばイギリスでの生活が天国のように思える事、ワインも進んで、真里ちゃんが酔っぱらっている事もあって、明日の幼稚園の送りの事も忘れて話していた。

「もちろんロンドンでの生活は大変だったけど、今思えば最後の方はちょっと余裕も出てきてたし、幸せだったかなあって思うの。もちろんそれは結果論なんだけど、もちろん大変だったんだけど、でもやっぱり、落ち着いて家族三人で生活出来るって、本当に幸せな事だったんだなあって。

だってさ、帰国したら多分旦那もロンドンに居た頃と違って、残業もするようになるだろうし、飲み会とか、そういうつき合いも出てくるわけじゃない? 毎日家族三人で夕ご飯食べる生活ってもう出来ないんだよね。何かそういう事考えたら、やっぱり駐在も悪くなかったなあって思うんだよね」

「まあ、何かが足りれば何か欠けるもんだよね。朱里ちゃん、すごく帰国したがってたのに…義兄さんたちの事さえなければねえ」
「ほんと。こんな事になるなら、あと一年くらいイギリス居てもよかったなあ。やっと帰れたと思ったのに、結局ここも新しい地獄だよ」
「長男ってとこが面倒くさいよね。うまく立ち回らないとこれから先親戚つき合いとか色々面倒な事になるもんね」
「そうそう! 義兄夫婦の問題ってほんとうめんどうくさい。もっときちんとした人だったら、って思わずにはいられないよ。何でこの家に彼の問題が持ち込まれなきゃいけないのか。ほんと耐えきれない」
「ほんと旦那の実家とか旦那の兄弟親戚との関係は権力闘争だよね」
「ほんとほんと。友達もさ、旦那の親が死んだ時、遺産相続で揉めて、大分裂しちゃったって。親戚同士って、普段は仲良くしててもいざ何かあった時に、何で私よりあの人の方が、とか、何でうちよりあの家の方が、みたいな嫉妬が半端ないんだよね。殺人事件もさ、親戚関係とか、家族関係のいざこざが発端になってみたいな事多いよね」

 うわ怖っー、と真里ちゃんは嬉しそうな声をあげる。
「そこにアル中とかDVとか借金とか離婚とか絡んでくるとほんと泥沼だよねー」
「ほんとそうだよ。真里ちゃんとこは旦那さんの家とうまくやれてていいよなあ。ていうか、私も今回帰国するまではすごくうまくやってる方だって思ってたんだけど‥‥」
「まあ、うちもいつどうなるかわからないよ」
 けらけらと笑っている内に、少しずつ気分が楽になっていく。どうして女は、話す事でしか報われないのだろう。女にとって悩みとは、解決するものでなく語るものだ。男と相談すると大抵こうしたらああしたらという提案の嵐にになって苛々する。解決策など考え尽くした挙げ句の相談なのに、何をこいつらは解決しようとしているのだろう、と呆気に取られる。女が自分で抱えている問題を乗り越えるのに必要なのは、解決策でも時間でもなく、話す事、聞いてもらう事でしかない。

「あーでもちょっとほっとするよ。さっきまでエリナと話していて、何か価値観違いすぎてくらくらしてた所だからさあ」
「エリナさん相変わらず? 自由人?」
「うん。相変わらず。こんな感じの、家庭の問題とか旦那との問題とか話すと、何でそんな事で悩んでいるの? って感じの反応しかしないから。まあ彼女の言いたい事は分かるんだけど何かあーあ、って気持ちになるんだよねえ」
「分かる分かる。やっぱバツが付いている人って、基本的に我慢しない人なんだろうね」

想像出来る。今の私が置かれた環境やその苦しみについて話したとしても、彼女は何でそんな事に耐えているの? ときょとんとするだろう。分かっている。状況に縛られない人には伝わらない苦しみだ。ただひたすら肩が下がりきって床につきそうな脱力感にため息をつく。何者にも干渉されず、自分の好きなように生きていく。それが出来る人には、この世界はどんな風に見えるのだろう。

子どもの頃は親に干渉され、大学生になってようやく親元を離れて自由になったと思ったら、今度は社会人になって会社で人の視線や空気を気にしながら会社内での人間関係、立場を守り続け、結婚して子どもが出来たら子どもに干渉する側となり、義父が倒れてからは介護の問題が浮上して親戚との関係も重たくのしかかり、これから子どもが小学校に入学したりしたら、今度は学校内でのママ友関係やPTAだとか、そういうものにもかり出され、気がついたら子どもたちが出て行き、いずれは子どもたちに面倒臭いなあと思われながら介護されたり、同居してもらったり。

そこまで考えて、私はそこはかとない虚無感に襲われる。自分の行く末がこんな風にしか想像できない事に、自分の未来が坑いようのない形で規定されていく事に。

 例えばもしも私が仕事に復帰したら、その道は覆るのだろうか。少なくとも、家族や子どもだけが生き甲斐であるという状況は避けられるのだろうけれど、今からパートやバイトを始めたって少ない稼ぎの上、子どもや光雄に我慢を強いる事になる。じゃあ正社員でどこかに、といったってこのご時世どこも雇ってなんてくれないだろう。

元の会社のOGがいい所だ。私はかつて自分が働いていた職場でのOGの軽んじられっぷりを思い出してその思いつきがいかに悲惨な結果を生むか思いに至る。働いていた頃は、未来は無限に感じられていた。詳細に、どんな未来があると考えていたわけでもないけれど、自分にできない事について考える事なんてほとんどなかった。

今になって、私は今自分に出来る事よりも、出来ない事について考える時間が増えている事に気づく。年のせいもあるだろう。今年で三十五.会社を辞めて五年が経とうとしている。会社を辞め、家庭に入り、旦那の親と同居を始め、イギリスに行き、帰って来て、私は今、自分が何も持たない、何も生み出さない限りなくゼロに近い存在である事に傷ついている。

自分の母親を思い出す。子どもの頃、幼かった私には、彼女がゼロでなくマイナスの存在にしかた見えなかった。おばさん的な見た目に価値はなくむしろ存在自体がマイナスに見えたし、一時間千円にも満たない時給でパートをしてこき使われている彼女が、道行く人からおこぼれを貰う物乞いのように見えた、おばあちゃんと一緒に痴呆のおじいちゃんを介護する彼女は、みすぼらしかった。

母親に憧れる要素なんて何一つなかった。だから私は、専業主婦にはなりたくないと思って来たのだ。働き続けたかった。家庭に入るなんてまっぴらで、お金を稼いでシッターや介護員を頼んで、自分は自分の仕事をこなしながら、家庭の幸せも手に入れるつもりだった。でもいつしか、私は会社で昇進していく能力と情熱が自分にない事に気づき始め、次第に社内の圧力的な空気に蝕まれ始め、このまま働き続けるよりも家庭に入った方が私にとっても子どもや旦那にとっても幸せなのかもしれないと思い始め、また会社で子育てと仕事を両立している女性を見て、精神的にも肉体的にもあんな事は出来ないと諦めの気持ちを抱き始め、妊娠のタイミングで会社を辞めた。

会社の先輩に、不妊治療をしていた女性がいた。何度やってもうまくいかず、子どもに対する考え方の違い故に夫との溝も深まり、離婚に至ったと話している彼女を、私は哀れみと共に見つめていた。可哀想な人。そう思っていた。私は、これから自分が子どもを産むと信じて疑わなかったからだ。

自分が不妊症である可能性や、子どもを持たない可能性を、どこかで完全にない事にしていたのだ。でも今になって思い返すと、会社では既に管理職になり、いつまでも身なりに気を遣って自分好みの生活をし、恋愛もしている彼女が輝いて見える。

多くの専業主婦が辿っている道を辿っている内に、いっしか私は彼女よりも格下の、私が母に対して感じていたマイナスな、哀れな存在に成り下がっていた。でもその成り下がった自分を自覚したくないために、子育ての意義、家庭を守る事の意義を過大評価し、不妊症の上司のエリナさんみたいな人を見下す事でプライドを保ってきたのだ。意識的にしてきたわけではない。それは自然な、反射的な生理反応であって、自分で操作できるものでもないのだろう。

 きっと、私がここから別の道を歩む事はないだろう。私は、子どもと夫と共に、それらを後ろ盾に生きて行くしかないのだ。

「ニューヨークに行くんだって」
「ん? 何? 誰?」
「エリナだよー」
「ニューヨーク?」
「新しい彼氏がニューヨークでの仕事が決まったんだって」
「なに、彼氏って何者?」
「ベルギー人だったかな、ダンサーなんだって」
 現実味がなさ過ぎて、感想の一つも出ていない。
「完全に、ロンドンの方は引き払っちゃうってこと?」
「そうみたい。ニューヨークのカンパニーに引き抜かれたか何かで、もう完全にむこうに住むみたい」
「まじ?」
「まじまじ。しかも聞いてよ、彼氏二十一だって」
 うわー、と言ったきり言葉が続かない。
「よくそんな簡単に決めるようなあってびっくりしたんだけど、取り敢えず行って見るよ、って超気楽でさあ。ま、今回は彼氏も一緒だし、イギリス来た時よりは色々楽だと思うけど」
「まじかあ。やっぱりシングルは想像を絶するなあ。やっていけんのかな? そんな若いダンサーなんて、収入ないんじゃない?」
「ま、彼女自身不労所得で生きているような人だからさ。やっぱ金持ちと一回結婚しちゃえばその後の人生バラ色だよねー」
「何か遠い世界だなあ。ビザとかどうするの? まだ結婚はしてないんでしょ?」
「あー、何かエリナの元旦那がアメリカ在住歴が長いみたいで、向こうの人の推薦状とか簡単に手に入るみたいで」

「何か、適当に生きている人には、適当に生きていける環境が整ってるんだもんね。ほんと何で自分の人生ってこんなに複雑なんだろうって思うよ」
「ほんとうんざりするよね。私もさあ、旦那が携帯いじっているだけで女じゃないかとか疑っちゃうし、携帯で連絡つかないともやもやして生きた心地がしないし、ほんと何でこんなに心配性なんだろうって自分でもうんざりするもん。もっと鷹揚に構えてられる女になりたいよ」

 真里ちゃんの話は何となく的外れな気がしたけれど、真里ちゃんの嫉妬話は仲間内でもよくネタにされていた。彼女の旦那さんへの愚痴を聞くたびに、旦那さんの事が好きなんだな、と微笑ましく思ったし、過去の自分を見ているようで可愛らしく思えた。私はもう、光雄に対して彼女のような初々しい気持ちは持っていない。

彼に対して何の不満もないけれど、真里ちゃんみたいな二十代の子とは、何かが違う。燃え上がるような恋愛感情は、子どもの誕生とほぼ同時に消えうせてしまった。何故だろう。私はもう、恋愛だけでなく、何かに熱中する事がない。激しい感情や情熱を、完全に失ってしまった。愚痴を話して晴れ晴れしていた気持ちが、また少しずつ曇っていくのを感じた。

 私たちはしばらく近況について話した後、そろそろお迎えに行かなきゃという真里ちゃんの言葉ではっとして、私ももう寝なきゃと言ってじゃあねーと浮ついた声で電話を切った。

切った瞬間、自分の顔に残った笑みに違和感を抱く。何で私は笑顔でいるんだろう。私はいつもそうだ。笑いながら心は笑っていないし、心が泣いてても顔は笑うし、遠慮して、気を遣って、空気を読んで、そつなく生きている。それが私の取り柄だ。唯一の取り柄だ。そつなく生きれる。それだけが私の誇りだ。惨めだろうが何だろうが、それしか私の生きる道はない。私が三十五年間かけて切り開いてきた道は、そういう道だった。今からどこかに引き返す事は出来ない。前に進む以外の道はない。

 大きなスーツケースを二つも引きずり、ボストンバッグを肩にかけて、私は空港を彷徨っていた。手に持ったパスポートとチケットが汗で滲んでいく。チェックインをしなきゃ、スーツケースを預けなきゃ。チェックインカウンターを探し回っているのに、私はHというカウンターを見つけられずにいる。はっと、私は一瞬辺りを見渡す。理英の姿が見えない。元々一緒に家を出たのか、それとも私はずっと一人だったのか、思い出せない。でも大きな喪失感がある。

発狂しそうなほどの焦燥のなか、私はぐるぐると辺りを見渡す、高い吹き抜けの空港の天井はガラス張りだ。遠い向こうにhという字を見つけて、私は携帯で自宅に電話を掛けながらhに向かう。もしもし? 光雄? 理英はそこにいる? ねえ光雄? 私は大きな声を出しながら電光掲示板を見上げる。もう間に合わない。私は一体どこに行こうとしているか。

仕事だったような気がする。大事な仕事が。手帳を見ればきっと書いてあるはずだ。おかしい。何でこんなに頭が廻らないんだろう。そうだ、昨日飲み過ぎたんだ。もう人の居ないチェックインカウンターを突き進んでチケットを出す。受け取ったのはがっちりとした制服を着た白人男性で、私は思わず「急いでください」と英語で声を上げる。

「このチケットは無効です」は? 何で? どうして? そう聞きたいのに言葉が出てこない。たくさん走ったせいで胸が痛かった。もしもし? 朱里? どこにいるの? 何だこの時間差はと思いながら、やっと聞こえた声に電話を耳に押し当てる。もしもし? という言葉が出て来ず、私は口だけでぱくぱく動かし続ける。

「新規のチケットを購入されますか?」
 私はうんうんと頷きながら光雄に「理英は?」と叫ぶが声が出ない。理英はどこ? 怒鳴り声も出ない。こんな状態で、私はどこに行き、何をするのだろう。
「十万円になります」

 意外と安いな。私は何故か冷静に思いながら、肩と耳の間に携帯を挟んで左手でバッグの中をまさぐる。チェックインさえすれば飛行機は私を置いていかない。大丈夫だ。今ここでチケットを買えば私は目的の場所に行ける。必死で財布を探す。慌ててがさごそとバッグの中に手を走らせる。おかしい。私の財布は長財布で大きいのに何で手に触れないのか。内ポケットか? 噴き出した汗が顎から垂れようという時、いったと声をあげる。そうだ私は、バッグの中に包丁を入れていたんだ。

持ち込み禁止ですと言われた時の言い訳もちゃんと英語で考えてきたんだった。激痛の走る左手を引き出すと手は真っ赤で、私は呆然とぽたぽたと血の滴る手を見つめながらふと思い出す。そうだ、理英は死んだんだ。数ヶ月か、数年前に、私は我が子を失いもそして既に私はその喪失から立ち直っているのだ。もう理英を心配する必要はないんだと思いだし、私はどこか安堵しつつ、血が滴り続ける手から目を離せない。お支払いはカードですか? 現金ですか? 朱里? 何処に居るんだ? 今何処に居るんだ?

 ぜいぜいと肩で息をしながら目覚めた私は、左手を目の前に持って来て、それがいつもの左手であることを確認する。体中が心臓になったように全身がドクドクと振動している。隣ではまだ理英が眠っていた。

障子が閉められた小さな窓から、朝陽が差し込んでいる。上半身を起こして、立てた膝に顔を埋める。思いきり息を吸い込んで、大声を出そうとお腹に力を入れた瞬間、思いとどまって息を止めた。ゆっくりと震えながら息を吐き出す。何故か分からない。自分のどんな気持ちが、そんな夢を見せたのか分からない。でも私は、何故かひどく絶望的な気分だった。

 リビングに出ると、私は水道から注いだ水を一気に飲み干して、グラスをシンクに置いた。
朝ご飯を作らないと。そう思いながら冷蔵庫の中を眺める。ハムエッグと、昨日の残りのサラダと、トーストかな。ぼんやり思いながら、上の部屋で物音がする事に気付いた。こんなに早く起きてるなんて、珍しい。徹夜だろうか。あの人たちが上でばたばたしていたから早くに目覚めてしまったんじゃないだろうか。私は軽い苛立ちと疑心を抱きながらフライパンを温める。
「あら、朱里さん」
「あれ、お義母さん。早いですね」
「昨日の深夜から上が騒がしくてね、注意しに行ったら、突然引っ越しするって言うのよ」
「え?」
「友だちのやってるシェハウスに引っ越すんですって」
「え、出て行くんですか?」
「そうなのよ。今日友達が軽トラックで来てくれるから、何往復かして荷物を運び出すって」
 脳が痺れたように、びりびりしていた。大声で歓声を上げたくなるのを抑えて、胸が高鳴りを抑えるように胸に手を当て、深呼吸をして、急ですね、理英を幼稚園に送ったら私も手伝います、とお義母さんに言った。

こんなに強烈な喜びを押し隠して演技ができる自分に驚きながら、あらあらいけないフライパンが、という振りをしてかお義母さんに背を向けた瞬間、顔面から完全に力が抜ける。こんな幸福が人生にあるなんて、思いもしなかった。元々、日本に帰った瞬間手に入る筈だった幸福だけれど、それがこんなにも尊いものであるなんて、思った事はなかった。

お義母さんがリビングに出て行くと、ハムエッグを焼きながら、私は静かに涙を流した。彼等の出て行った後、寝室と物置部屋を綺麗に掃除して、自分の荷物を運びこみ荷物を綺麗に整頓し、軽く模様替えをしたりして、和室も綺麗に掃除してお義母さん好みのインテリアで整え、キッチンも冷蔵庫も綺麗に整理し直し、この家を自分の生活空間を美しく、私のルールで整えていく。

そう考えただけで腹の底から喜びが立ち上がって来るのが分かった。麻薬のようなそれが、私の体中を麻痺させていく。生きていてよかった。私の人生を邪魔するものは、もう永遠に現れないような気がした。この家は、私の世界だ。強大なコントロール感覚の下、私は家事をし、義父を介護し、看取り、愛する娘と夫ともに何十年もこの家で生きていくのだ。

もう誰の事も羨ましくない。私は世界一幸せだ。黄身が薄ピンクに焼けたハムエッグ、こんがりと薄茶色のトースト、レタスとコーンと人参のサラダにタマネギドレッシング。起きてきた寝ぼけ眼の理英がテーブルについて手を合わせ、頂きますと言う。完璧な幸福の景色に、私は胸を打たれた。

初出「すばる」2015年1月号金原ひとみ著
恋愛サーキュレーション図書室の著書