私の場合、もちろん感じるし気持ちはいいんですけどね、男の人が入ってくると、まあ、こんなもんかなあって思いながらあれこれ演技しちゃうんですよ。こんなに一生懸命やってくれている相手に悪いなあと思うと頑張る自分もいたりして

 本表紙 林真理子著

はるこ、愛人を𠮟る

はるこ、愛人を𠮟る
「すっごいところですねえ…」
 菊池いづみは、何回めかのため息をもらした。
 今立っているところは、とんでもなく広いテラスで、そこから東京タワーと六本木の夜景が見えた。手を伸ばせばすぐ届きそうなくらい近くにだ。
「こんな六本木の真中に、こんな凄いマンションがあるなんて‥‥」
 傍の中島ハルコに話しかける。今日はハルコの友人のホームパーティーに連れてきてもらったのである。ホームパーティーというから気軽にやってきたのであるが、マンションのエントランスから度肝抜かれた。体育館ほどの広さのロビーの奥に、女性コンシェルジュが三人もいるフロントがあるのだ。訪れた者はそこで確認を取り許可証を首から下げる仕組だ。びっくりするほどセキュリティは厳しい。というのもこのマンションには、有名な企業のオーナーや芸能人。政治家が住んでいるからである。

 六本木に再開発で新しい商業ビルが出来たのは知っていた。しかしその後ろにひっそりと隠れるように、こんな豪華なマンションがあったとは‥‥。

 さっきスマホで確かめたのであるが、このマンションは億ションどころではない。最低価格が二億円する。テラス付きのペントハウスは五億二千万という値段であるが、ここがまさしくそうなのだ。
「お金ってあるところにはあるんですね…」
 いづみは思わず、ありきたりの感想を口にした。一面ガラス窓の後ろの部屋はパーティーが開かれ、五十人ほどの人たちが集まっていたが、そこで抜かれるシャンパンの銘柄を見ていづみは驚いた。クリスタルが無造作に供されているのだ。一本数万円するものである。

「こんなことくらい‥‥バブルを知っている私としちゃ、そんなに驚かないわよ」
 ハルコは鼻を鳴らした。五十二歳の彼女はバブルの真っ只中で生きてきたらしい。
「バブルの頃って、ハルコさんはもう会社を興してた頃ですか」
「いいえ、名古屋で二回めの結婚してた頃よね」
「それじゃあ、あんまりバブルを知らないんじゃないですか」
「違うわよ。あの頃はしょっちゅう東京に来てたわね。二回めの夫と離婚直前でそろそろ何かやらなきゃいけないと思っていたから」
「そうですか‥‥」
 悪いことを聞いたといづみは後悔した。二度目の結婚は、夫が他に女をつくって破綻したと聞いているからだ。
「ちょうど私がITに目を付け始めた頃よね。あの頃私にもっと資金があれば、三木谷よりはやくネットショッピングに手をつけられたと思うわね。私もパソコンを使っての買物が、近い将来主流になると思ってたんですもの」
「なるほど‥‥」
 ハルコの自慢話が始まる時は、きちんとあいづちをうつに限る。
「だからね、起業について勉強しようと、いろんな人に会いに行ったわね。パーティーに顔出して名刺を渡したり、会った人には手紙を書いたりしたわ。あの頃、名刺配り歩く女はいくらでもいたけど、成功したのは私くらいじゃないかしら」
「へえーつ」
「ただ名刺配り歩く女とね、私とは明らかに違ってたの。君とだったら何か一緒にしたい、とかいう人もいっぱいいたんだけどもね。私は今、そういう甘い誘いにのっちゃいけないと思ったわね。バブルは終わりかけてたけど、まだ世の中浮かれてた。今、安易に男の人の力で何かを始めたら、後できっと失敗するって、私はわかってたのね。まあ、私はわかりやすい美人だったから、女を売りものにしてるってきっと言われるだろうし」

「ほーっ」
 いづみはこの頃、あいづちもバリエーションをつけられるようになった。
「それからまだ正式に離婚してなかったっていうのも大きいかもね。人妻に言い寄ってくる男はちょっと薄汚ない感じがしてたのよ。そりゃあ大変だったわよ。私のこと好きで好きで、ストーカーまがいの男も何人もいたわよね。それが一流企業のおえらいさんだからびっくりしちゃうわよ。中には、女房とは別れるから付き合ってくれって泣きつく人もいたりして」

「ひえーっ」
「あなたたちの世代はわからないだろうけど、あの頃、魅力的な綺麗な女がちゃんと働くって大変なことだったのよ。私がね、私が今ちゃんと仕事が出来てて、人から尊敬されてるっていうのは、この時きちんとしていたっていうことが大きいと思うの」

「わかります」
「そうはいってもねえ、毎晩すごかったのよ。おじさんたちが競って私をいろいろなところへ連れて行きたがるの。冬はフグなんか毎晩だったわよ。料亭にクラブ、突然香港にうまい中華食べに行こうって誘われたりね。まあ、私は泊りがけの旅行には行かなかったけど」

「羨ましいです‥‥」
「でしょう。私が今、ちゃんとした経営者としてここにいるのは、バブルをちゃんと乗り切ったからなのよ」

「ふうーん、いろんなことがあったんですねえ‥‥」
 途中でいささか面倒くさなったいづみは、手すりにもたれて東京タワーを眺める。今夜は「さくら」をイメージしているのだろうか、全体がピンクの光に彩られている。
「東京タワーをどれだけ近くに見られるかで、都心に住む人のお金持ち度がわかりますよね」
「そこへいくと、この部屋なんてトップクラスなんじゃないの」

 よく事情を聞かされないまま、ハルコにこのマンションに連れてこられたのであるが、シャンパンもさることながら、招待客の豪華さに驚いた。モデルとおぼしき女性たちが何人もいるのは当然としても、よく顔も名前も知っているタレントや、一流半とはいえ女優、そして美貌で売り出し中のピアニストもいる。
「あの、ここのオーナーってどんな人なんですか」

「えっ、さっき紹介したでしょ」
「大貫さんっていう方で、お名刺頂きましたけど、何をしているかよくわからないし‥‥」
 英語の小さな文字がずらずら並んでいて、外国風の暗い照明の中ではよく読み取れない。
「海外の投資をしている会社よ」

「なるほど」
「そういう会社は多いけど、大貫んとこはすごくうまくやってんのよ。個人資産二百億ぐらいあるんじゃないの」
「ひえー」
 今度は本当の”ひえー”が出た。
「このマンションだって住むためのものじゃないもの。あなたも見たでしょう。写真や絵がやたら飾ってあったのを。ここは大貫がコンテンポラリーアートを置くためだけの部屋なのよ」
「あー、さっき写真を見せてもらいましたよ。裸の女の人の白黒の写真とか、花の写真とか‥‥」
「なんでもアメリカの有名な写真家らしいわ。だけどね、写真やオブジェなんて持ってたって、そんな価値は上がんないわよ。やっぱり絵よねえ‥‥」

「ハルコさんは絵を集めてるんですか」
「集めてる、ってほどじゃないけど、パリやニューヨーク行った時は小さな画廊をまわって新人のものを買ってくるわ。ほら、私って独得の勘とセンスがあるせいかしら、すぐに値上がりしちゃうのよね。みんなびっくりしてるわ」

「へえー」
 今度は礼儀的なやつだ。
その時、
「ハルコさん、楽しんでいますか」
 という声がかり、ふりかえるとそこに大貫がいた。白いシャツと黒いパンツという服装が、ぜい肉のない若々しい体によく似合っていた。年齢は四十代半ばというところだろうか。
「お酒はいいとして、料理がちょっと足りないんじゃないの」
「ケータリングでオードブルだけを頼んだんですよ。こういうところで食べる人はあまりいませんし‥‥」
「私がいるわよ。今夜は何を食べられるか楽しみにしてきたのに…。あなたさ、自分がダイエットしているからケチしているんじゃないの」
「ひどいなァ…‥」
 と言いながら目は笑っている。不思議なことにハルコがずけずけいえば言うほど、男たちは喜ぶのだ。
「私がいい人紹介してよかったでしょ」

「はい。ありがとうございます」
「あのね、私が大貫にうちでやっている個人トレーナー紹介してやったのよ。月に二十五万出すとね、週に二回うちに来てトレーニングしてくれるの。若い経営者はみこーんなやってるわ。大貫、この間までデブだったのに、ちょっと見ない間に引き締まったじゃないの」
「そうなんですよ。さっきもみんなに、何やってんの、すごい、って驚かれましたよ」
「うちの”VIPトレイン”せいぜい宣伝しといて頂戴。だけど大貫、ちょっとカッコよくなったからって、また女のことでごちゃごちゃしちゃダメよ」

「本当にハルコさんって、言いたい放題なんだから」
 大貫は嬉しそうにくっくっと笑った。こちらも何かしているのだろうか。不自然なほど白い歯だ。この年齢の金持ちの男が、美容に費やす金というのは、なまじ女よりもずっと多いに違いない。
「大貫っていうのはね、最初の奥さんと別れる時、大変だったのよ。なんだかんだもめてね。そしてやっと若い女と再婚したらね、今度は別の女と不倫よ。いづみさん、いつも私がよく言っているでしょ。一回離婚する男はね、二回、三回女房と別れることが出来るのよ」

「そうですね‥‥」
 いづみは自分の苦い過去を思い出すことになる。
「本当にこのテの男は、女癖が悪いんだから。大貫、あんたさ、彼女のことどうすんのよ」
「どうするも何も‥‥。今更別れられないし、今のところうまくいってますよ」
「そう思ってんのは自分だけじゃないの。あのコは黙って耐えているタイプじゃないしい」

 話を聞いていると、別れられないのは妻の方ではなく、愛人の方だということがわかる。
「クミも来ていますから、挨拶させますよ」
「へえー、こういう時にも招(よ)んでるのね」
「彼女のことはみんな知ってる。そういう仲間だけを招(よ)んでますから」
 部屋に呼びに戻る大貫の後ろ姿を見ながら、
「ハルコさん、あんなこと言っていいんですか…」
 いづみは言った。
「何が?」
「大貫さん、愛人のこと言われるの、やっぱり嫌なんじゃないですか」
「そんなやわな男じゃないわよ。大貫はね、証券会社にいたペーペーの頃から知っているけどね、あんなふうにへらへらやりながら仕事が出来るの、私に弱味いろいろ握られてて、まあ弟みたいなもんよ。最初の女房と別れる時も、私にさんざん相談にのらされてんだから」

「そういうもんですか…」
 やがて大貫が白いワンピース姿の女を連れてきた。女は三十代半ばといったところだろうか。いづみが想像していたほど美人ではなかったが。化粧が巧みで垢抜けた女である。ワンピースも、ところどころレースが施されたヴァレンティノであった。この季節にノースリーブで腕をむき出しにしていた。ゴルフで灼けたとひと目でわかる二の腕だ。相当やっているらしく筋肉がはっきり見て取れた。

「わあー。ハルコさん、久しぶり」
 女は大げさにはしゃいでみせた。
「あら、クミちゃん、元気そうね」
 ハルコも愛想よい声を出すが、いづみにはそれがとても意地悪いものに聞こえる。自分がそういう立場だったことがあり、いづみはこういうことに敏感だ。しかしクミという女が自分と決定的に違うところは、全く「影の女」ではないところである。こういうパーティーにも堂々ときているし、それに名刺には「代表取締役社長」とある。シロップやハーブを輸入する会社だという。

「便秘にものすごくきくハーブがあって、女性誌に取り上げられて 大人気。今、ものすごく売れているんですよ。ハルコさんにも菊池さんにも今度送りますね」
「私は生涯、一度も便秘になったことがないから大丈夫」

 ハルコはおごそかに言い、いづみは確かにそんな気がすると思った。
 話題は大貫と久美が、最近行ったニュージーランドに移る。仕事の打合せに、彼は久美を連れていったらしい。
「あっちのゴルフ場ってものすごくいいですよ。まわりの景色が素晴らしくて、気持ちがせいせいするわよ。ねえー」
「あっちでムラタ産業のムラタさんも一緒に回りましたよ。あの人、前ほど飛ばなくなったけど」
 大貫はごく自然に久美の腰に手をまわしている。どこら見ても仲のいい夫婦だ。ハルコも同じことを考えていたのだろう。
「あんたたち、そんなに派手なことして大丈夫なの」
 忠告めいたことを口にした。
「またごたごたが起こるんじゃないの」
「もう起こっていますよ」
 大貫は苦笑いした。
「ユリコとは、この半年別居しています。ハルコさんにはまだ言っていませんでしたけど」
「あら、そうなの」
 ユリコというのは本妻の名のだろう。
「子どもを連れて実家に帰っています。まあ、別れる気持ちはないようですけれどね」
「それはそうでしょう。でも‥‥」
 ハルコが何か言いかけた時、久美が遮った。
「私だったら別れますけどねえ」
 不貞腐れたような口調は、男に聞かせるためだったからである。彼女の気持ちが、長い不倫をしていたいづみには、手に取るようにわかるのだ。

「私が奥さんだったら、とっくに別れてると思いますよ。だってそうでしょ。夫に自分よりもずっと好きな人が出来たんだから仕方がないじゃないですか。絶対に別れるな、だったら‥‥」
 そう、そう。私もずっと同じことを考えていたっけ‥‥。
 その時、信じられないことが起こった、夜空に響けとばかりのハルコの怒鳴り声である。
「あんたさ、ふざけたこと言うんじゃないわよッ」
 はっと久美を睨みつけた。
「あんたさ、愛人でしょ。愛人なら愛人らしくもっと謙虚になりなさいよ。奥さんが可哀想と思わないのッ」
 いづみも久美も同じようにぽかんとハルコを眺める。自分も妻子ある男とつき合っているではないか。もっとこうした女に理解と優しさがあると思っていた。

「今日は大きな顔をして、奥さん面してこういうパーティーに出ている。噂はちゃんと届いているわよ。少しでも奥さんの気持ちになってあげたらどうなの」

 酷いわ、と久美は歯を食いしばっている。男の前で泣こうとしているようだがうまくいかなかった。あの技は若くないと出来ないことだ。何でこんなに言われなきゃいけないのよ、と捨てセリフを残して立ち去ってしまった。
「大貫、追うことないわよ。あんたが甘やかすから、すごく調子に乗ってるんだから」
「そりゃそうですけどね‥‥」
 驚いたことに大貫は全く怒っていない。そう困惑しているわけでもない。それが証拠に、通りかかった黒服の男の盆から、赤ワインを三つ取り、それと空になったシャンパングラスとを取り替えた。

――大貫の話。

 ハルコさんにはまいっちゃうなア。そうずけずけ言われると、久美も傷つくと思いますよ。ハルコさんが久美を気に入っていないのはわかります。時々は一緒にゴルフしたり、食事をしたりしてくれますけど、内心フン、と思っているのはミエミエですからね。

 久美はでも一生懸命ハルコさんにすり寄ってきたんじゃないですか。あれだけコウマンチキな女が、ハルコさんには気を遣うのは感動的ですよ。あれは僕に対する気持ちっていうよりも、本当にハルコさんのこと好きじゃないかなア。よく言っているもの。

「あれだけ好き放題生きていけたらどんなにいいかしら。まるっきり人に気を遣わなくて嫌われないっていうのは、やっぱりあの人、何かを持ってんのよね」
 久美はね、他の女とちょっと違うんですよ。彼女の人生に僕は責任持たなきゃいけないっていうか…‥。

 彼女と知り合ったのは今からも八年前、そう、ユリコと再婚してすぐの頃ですよ。ハルコさんも知ってのとおり、最初の女房と別れる時ごちゃごちゃがありましたよね。金も時間も使って離婚して、次の女と結婚してたほっとひと息のはずだったんですがね。うまく言えませんけどね、この時離婚疲れしたんですよ。子どもとも会えないようになって、こんなことまでして手に入れたい女だったのか。そこまでして欲しい人生だったのかとかいろいろ考えちゃった時に、不意に久美が現れたんですよ。

 金持ちの親の金で何かしたいと言うので、いろいろ相談のってやってるうちに仲よくなりました。ハルコさんも知っているとおり、ああいう気の強い女、僕は好みなんです。それから顎が尖ってて唇の薄いところも、僕の大好きな顔です。

 二年ぐらいつき合っているうちに、久美は別れると言うんです。僕がユリコと別れるつもりないことに腹を立てたんですね。ユリコに子どもが出来たことが決定的になるんです。

 そしてよくある話ですが、自分ももう三十近いので、結婚するって言い出して見合いをしました。彼女はあのとおり美人だし、家は資産家ですからすぐにまとまります。クリニックを経営している内視鏡で有名な医師と結婚したのは、あきらかに僕への当てつけなんでしょうね。自分がその気になりさえすれば、すぐこのレベルの男と結婚できるって‥‥。

 だけどこれは人の話ですけどね、相手の医者というのは醜男だったそうです。確か爬虫類系の顔だって僕の弁護士も言っていました。ええ、弁護士ですよ。ハルコさんにはさすがに言えませんでしたけど、彼女の元ダンとはかなりゴチャゴチャがあるんです。

 久美は新婚旅行にハワイへ行ったんですよ。ハレクラニのセミスイートとって、いよいよ初夜っていう時に、なにやら複雑な気持ちになったんですね。僕に電話をかけてきたんです。その爬虫類が先にシャワーを浴びている間でした。
 まあ、ドラマティックなことが好きな女ですから、

「やっぱりあなたのことが忘れられない‥‥」
 って涙ながらに訴えるんですね。ええ、
「あんな男に抱かれるかと思うと、死にたくなる」
 みたいなことも言っていました。僕もさっさと切ればよかったんですけど、なんだかのってしまい甘い言葉をささやき続けました。まあ、嫉妬もあったんですね。
「僕だって久美なしでは生きていけないよ」
 とか、
「君が他の男のものになることは耐えられない。気が狂いそうだ‥‥」
 とか。まあ、テレビドラマのようなことを二人で話し続けました。それも相手の男がずっと聞いてたんですね。

 もう大騒ぎですね。次の日、二人別々に帰ってきました。男は弁護士雇って、婚姻届けの無効とか、慰謝料請求とかいろいろやったんです。僕も訴えるとか何やらあって、それで弁護士頼んだんですね。結局久美の親がホテルオークラの披露宴から、新婚旅行の費用すべて払った上に、慰謝料もつけてやっと和解したんです。よく週刊誌ネタにならなかったものだと、今考えてもひやひやします。

 久美の親はもう怒り狂って、僕とはもう二度と会うなと言っています。だけど彼女は未だに僕と別れない。もう三十四ですから、すごく焦っていると思うんですよ。プライドの高い女ですから、僕に離婚してくれと責める事もないけど、さっきみたいについぽっといっちゃうんですよ。それが何だかいじらしいんです。ほら、僕は彼女の人生を狂わせたっていう責任ありますからね‥‥。だから当分今のままの生活は続くと思います‥‥。

「ふうーん、大変ねえ‥‥」
 三杯目の赤ワインを飲み終わったハルコは、小さなしゃっくりをしながら言った。
「でもいいじゃないの。大貫は仕事はできるけど、男と女のことは優柔不断なのよね。ぐちゃぐちゃ悩むのが大好きなのよ。いいじゃないの。今の三角関係。あんたは仕事をバシバシ決定出来てるけど、私生活ではできない、それでバランスとってんじゃないの」
「そんなことはないですよ」
「そうなのよ。あの久美って女も性根が悪そうで、三角関係にぴったりよね。ここにいるいづみさんみたいに中途半端な性格だとね、あれこれ悩むけど、奥さんに自分の存在を知らせようとはしない。そうでしょう」
「ええ、まあ‥‥」
「それで口惜しいやら情けないやら苦しいけど。結局、自分で身を引いて一件落着。世の中の女がみんないづみさんみたいだと、男は助かるんだけどね。久美みたいなコだと、どうせ奥さんにあれこれしたんでしょう」

「そうです。まあ、直接あれこれしたわけじゃありませんけど」
「電話かけたりはしないけど、化粧品やアクセサリーをあんたの荷物に紛れ込ませて、こういう女がいますってアピールする‥‥」
「ハルコさん、よくわかりますね」
「アホらい。女って五十年前からこういうことをしているんだから。それでおたくの奥さん、怒っちゃったわけでしょ」
「そうです」久美は奥さんも知る三角関係にもってきたわけね。こうなるとやっかいだわ。長引くわよー。私の周りで、こうやってずるずる三十年、四十年つき合っちゃう男がいっぱいいるわよ」
「ハルコさん、脅かさないでくださいよ」
「社長やら会長で、こういうの何人も見てきたわ、よろよろのお爺さんになった時、最後は奥さんに看てもらおうと帰ってくるの。だけどね、そんな爺さん、奥さんだってもういらないわよ。子どもたちだって奥さんの味方で冷たくされるわけ。愛人の方も、とうとう籍を入れなかった男の、下の世話なんてまっぴら。そういう男の末路は哀れよねえ‥‥行き場所がなくてうろうろ。高級老人施設に入れれるのはまだいい方よ。奥さんにも愛人にもほっとかれて、ワンルームマンションで寝たきりっていう人、私知っているもん」

「本当にやめてくださいよ」
 大貫は顔をしかめた。先ほど余裕ある苦笑いではない。
「大貫さ、そろそろ別れた方がよくない。あんたの会社だって、上場したばっかりなんですもの」
「そうですよ‥‥」
「それだったら早くしなくちゃ。私はね、不倫が悪いって言ってんじゃないのよ。だけどね、あんたは少しあのコをつけあがらせたわね。今日のパーティーだって、あのコがやりたがったんでしょ。女主人として振る舞いたいのと、それから綺麗な女たちに、大貫は自分のものだと見せつけたいのよね」

「まあ‥‥今夜のパーティーは、彼女が企画したものですが」
「だけどね、女だからへんなところでケチなのよ。どうせこの後、みんなとどこかに食べに行くんだから、料理なんて出すことないわよ。オードブルだけでいいって久美はいったんでしょ。だけど大貫は招いた女たちからケチって言われたくないから、クリスタル抜いてる。久美はシャンパンの値段なんてわからないからね」
「図星ですよ」

「大貫、愛人がね、こっちの懐を考え出してケチになったら要注意よ。自分の取り分をちゃんと考え始めてんの。ふつう愛人っていうのはそうじゃない。短期決戦と思っているから、いろいろ金を遣わせる。だけどね、将来をちゃんと考える女は怖いわよねえ」
「やめてくださいよ!」

「どうせ個人資産二百億あるでしょ。一億くらいパッとあげなさいよ」
「二百億だなんて、何言ってんですか。うちの会社の規模でそんなあるわけないでしょ。僕が持っているものなんかほんのわずかなもんですよ」
「このマンションは何よ」
「これはゲストハウスとして買ったもんですし、コレクションは会社のもんですよ。ハルコさん、二百億なんてやめてください。ハルコさん言うと本気にする人が多いですからね」

 大貫はそわそわし始めた。よほどハルコに言いふらされるのが怖いらしい。
「大貫、あんたによーく言っておくけどね、節税のからくり、愛人にも片棒担がせとくとあとで大変なことになるわよ。どうせ別れないだろうから、最後にこれだけは言っておくわ。愛人がさ、本妻顔するようになったらその男はオシマイよ。まわりからコケにされるだけだからね」

 そしてハルコは東京タワーを背にして、大貫の方に向き直った。タワーの桃色の光が後光のようにさして、ハルコをまるで預言者のように見せている。

「大貫、私は女で失敗した何十人っていう男を見てきたの。あの部屋に入ってシャンパンを飲みながらよーく見なさい。あんたに色目使いにやってきた、綺麗な女がいっぱいじゃないの。あの中から新しいのを選びなさい。そっちの方があなたのためになる。私は断言してもいいわ」

 帰り道に、いづみは言った。
「今日のハルコさん、はっきり言いますが、私、びっくりしちゃった」
「そうかしらね。私、いつもあんなもんよ」
「他のことはともかく、男と女のことはアバウトOKと思っていました」
「これに関しては個人的なものが入ってるからね」
「個人的?」
「そうよ。私は大貫の会社の株を持っているのよ。女や脱税で躓(つまず)かれたら困るじゃないの。だから今日は特別きつく言っといたのよ」
「ふう、本当に個人的ですね」

「当たり前でしょ。人なんてその時々でいい加減なこと言うのよ。だから人の忠告なんか本気で取ることないのよ。私だって今日、おいしいものがいっぱい出てきたら、もっとやさしいこと言ったかも…。ねえ、いづみさん、お腹空かない?」
「この近くにすごくおいしいうどん屋さんがありますけど。かき揚げも炊き込みご飯も食べられますよ」

「うどん、いいわね。だけど五億のうちにお招きされて、どうして帰りにうどん食べなきゃいけないのかしら。全くケチな愛人くらい、腹が立つものはないわね」
 ハルコは思い切り顔をしかめた。

つづく はるこ、母娘を割り切る