シナの針や染料などの高度な技術品を得ようとすれば、米・布が流れ出し、飢餓輸出になってしまう。12世紀からは銀が流出し、2世紀あまりで朝鮮半島の銀山は掘り尽くされてしまうのである。だから、季朝になると朝鮮半島の経済はずっとシナ地域に対して防衛的になった

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侵略といえない朝鮮統治

普通わが国の人々は、明治になって初めて西洋を知ったことを喜ぶべき出来事として記憶にとどめている。だが、知ったのは西洋ばかりではなかった。東洋とも、この時はじめて顔を突き合わせたのである。東洋といえば支那・天竺(てんじく)だと、書物からイメージしていた人々が汽船に乗って海を渡り、やっと東洋を見ることができた。

古代に固定されていた季氏朝鮮

明治時代の経済学者・福田徳三は季氏朝鮮を目の当たりにして、まるで平安の藤原時代のようだったと言った。
土地の所有権ナシ、商店ナシ、行商人のみアリ、今の北朝鮮のような世界である。さぞかし驚いたに違いない。
戦後のマルクス学者たちは、世界各地はみんな発展していなければならないし、それは一定の段階を踏んで進んでいくのだと信じていたので、福田に朝鮮差別のレッテルを貼り付けて退けた。
だが今では、福田の方が正しかったことを研究して明らかにしている。

シナ地域と朝鮮半島は全く対等でなかった。先進技術国の隣に極貧国があるようなものである。朝鮮には一次産品以外売るものがなかった。
シナの針や染料などの高度な技術品を得ようとすれば、米・布が流れ出し、飢餓輸出になってしまう。12世紀からは銀が流出し、2世紀あまりで朝鮮半島の銀山は掘り尽くされてしまうのである。だから、季朝になると朝鮮半島の経済はずっとシナ地域に対して防衛的になった。

特権商人が対馬との交易でシナの白糸と日本銀を交換する。その日本銀で朝貢使節に下人や馬夫身分で200人、300人単位でついていき、支配階級のために北京で高度な技術品や芸術品を買い付けるのである。

人数分だけ褒美もくれるのでこれも売り物になった。女真族がシナ地域の征服者になり清朝を開くと、大きな貢物を要求されたので、この供給も彼らの仕事になった。
こんなことをしていたので、季氏朝鮮は18世紀まで古代に固定されていた。これらがガラガラと崩れてゆく。17世紀以来の商人ギルドは、支配階級自らが他の商人たちと個別に結託したので穴あきになり、他方民間では自前の染料がないので民衆は白衣姿、結局針一本作れない技術水準のまま、近代日本に併呑された。

格差ゆえに施した近代政策

日本がやってきたとき季朝の国庫は空だった。王は「そちたち好きに計らえ」と、5人の大臣に国を丸投げした。この史料は実録、王室日記をはじめ3カ所から出ている。日本が統治したのは当時、西洋列強が角を突き合わせる時代だったので、その安全保障ゆえだった。

近代化政策を施したのは、あまりに格差がありすぎたからであり、放置したのではかえってコストがかかりすぎるためだつた。だから、朝鮮半島に関しては「侵略」などというのは無理である。

明・清代にはシナ地域との圧倒的な格差のため、朝鮮の経済をシナ経済の末端にしないように意識して経済の発展を抑制してきたが、19世紀末に近代日本が来ると貿易の自由化が始まり、あっという間に日本に取り呑みこまれた。

もし過去の歴史をさして、「侵略」以外の何かしらの言葉を持って置き換えるならば、「不運」というのが妥当と思われる。
これからの未来だが、朝鮮半島の経済は中国経済の末端に連なることになるだろう。

ここで、もう一つ気がついたことがある。日本を除く東アジア地域、西洋に比しての『東洋』だが、この地域に世界的に孤立した特徴がある。それは、ここのみが無神論地域だったということだ。彼らの伝統では、自己の血族でない霊魂は祭ってはならない。自家の先祖の霊魂だけが神さまであり、他家のものは全部ゴーストなのである。これがまさに、彼らに靖国神社が理解できない理由となっている。

国史を凌駕する宗族の歴史

日本には古来神様がいる。日本人は元旦には神社に初詣に行き、家に神棚のある人は手を合わせるだろう。だが、なぜ宗教としての自覚が希薄なのか。それは恐らく隣国が特異な無神経論地域なため、宗教的な確執や葛藤を経験していないからではあるまいか。隣国では、社会の基本単位が男系血族による宗族である。

だから共同の意識が地縁にまで及ばない。物理的に一族のために蓄財し、精神的に宗族の歴史が一番大事なので歴史認識にこだわるのであろう。国は不運の歴史ではあっても、自家の歴史は立派だったと思いたい。後者の意識が前者を凌駕(りょうが)し、ついに国史まで偽造するに至った。これを国家規模で行ったのが、北朝鮮の金家の「革命伝統」であり、韓国では金泳三大統領時代に始まる『歴史の立て直し』政策であった。

韓国では1990年代以降、テレビの時代劇では奴婢(ぬひ)まで色物を着るようになり、外出禁止だった季朝・京城の夜を提灯(ちょうちん)を持って出歩くようになった。不運だった「隠者の国」はケバケバしく彩られ「自尊者の国」へと変貌した。以降、韓国人の現実像と歴史像は乖離(かいり)し、言うこととやることがちぐはぐになっていくのである。

崩壊した対岸の国の「法冶主義」

歴史の中に未来はない。あれば将来の得を取ろうと皆が歴史学者になってしまう。そういうことはあり得ないので、歴史の中に未来はないのである。
他方、未来に対する先見性はいらないという社会科学者がいる。
だが、先見性が無ければ政策提言はできない。だから先見性は必要なのだ。

『大明律』にみる法の粗放性

歴史を学ぶと情感は豊かになるかもしれない。だが現在ではそんなに悠長なことは言っていられない。先見性は跳ばなければ分からないが、この撥(は)ね板の位置と方向性を教えてくれるのが歴史である。とすれば役に立つ歴史とは、現在から遡(さかのぼ)って自分で調べてみるしかないというのか実感である。

中国や韓国の法冶がどうもおかしいと、最近気がついた。
あまりにも恣意(しい)的で放埓(ほうらつ)である。粗放というべきかもしれない。そこで明国14~17世紀の『大明律をひも解いてみる。
名前の偉そうさに騙されてはいけない。
大明律刑律闘殴条に、
「人の一歯および手足一指を折り、人の一目をつぶし、人の耳鼻をえぐり、人骨を破り、胴鉄汁(銅鉄の溶けた液体)で人を傷つけるごとき者は杖(棍棒)で一百。汚物をもって人の口鼻内にそそぐ者、またかくのごとし」とある。
私闘した者は百叩きということだが、最後のところヘンだ。人の顔にヘドでも吐きかけるのだろか。

他方、李氏朝鮮の法典の刑律の項には「大明律を用いる」と書かれている。こういうのを中国の権威にそのまますがる事大主義という。だが、異国の刑政をそのまま持ち込めるのだろうかと疑問がわく。そこで李朝18世紀の『続大典(しょくたいてん)に上の該当項目があるかと探すと、あった。

「墓穴を穿(うが)ち放火し、あるいは汚物を投げ込んで戯れをなした者は『汚物、人の口と鼻にそそぐ律』により(罪を)論ず」とある。

人の墓穴にゴミを投げ入こんだ者は、大明律の人の顔にげろを吐いた者を罰する法律で百叩きにするというものである。大変だなと思うことはない。実は賄賂でいかようにも手加減された。

「近代化に失敗した歴史」

それよりも、この両者の訳の分からない法律の歴史を問わなければならないだろう。 李朝のほうは18世紀ともなると一族同士の墓所争いがひどくなる。朝鮮の墓所は山だから即山争いである。

敵一族の墓に汚物を投げ込むと百叩き、棺を燃やせば斬首だった。それにしてもシナ人の顔面を朝鮮人の墓面に置き換えるとは何なのか。実に、彼らの歴史とはこのような古代の粗放性に彩られている。
日本のような中世や近代はないのだ。

日清戦争とその結果の下関条約で直接近代に押し流された。以来120年間。中国は近代化する気が無く、韓国は近代化の根本である法冶主義に失敗したことがますます明らかになりつつある。

近代にいたるまで中国の文明は現代芸術・技術であつた。ところが以降は骨董の芸術品と化した。かつて朝貢とは中国にしかできない精巧な針とか、彩色衣料とかを周りの「蛮族」がもらいに行ったものである。

人数分くれるので300とか500人とかで行く。これが財政を圧迫すると止める。するとすぐに略奪しにくる。李朝にはそんな勇気はない。軍事力が違いすぎる。むしろ馬とか女とか援軍とかをシナに要求された。馬はしぶって分割払いして数を減らして誤魔化す。女は明時代になると女色を要求されたので、妓生(キーセン)を送って誤魔化した。

伝統として続く「濫赦の弊」

この誤魔化し・逃げ口上を漢文で「塘塞(とうそく)」という。
朝鮮の外交史は塘塞の歴史だ。援軍を要請されると、倭宼(現日本)が攻めてきて忙しいから行けないと誤魔化した。
こういうものをシナと朝鮮の宗藩関係とかいうのである。手なずけと化かし合いの関係だ。このような朝貢外交しか知らない中国が、西洋勢力の進出で半植民地状態に陥り、ついで軍閥割拠する戦乱の地になり、日本が進出してくると国共内戦がらみで三つ巴(ともえ)となり、共産党軍が勝って社会主義国となり、西洋文化を知らない年月が延々と積み重ねられて100年を超えた。

近代になって「蛮族」にあげられる物のなくなった中国は今、アジアインフラ投資銀行(AIIB)とか、中韓の自由貿易協定(FTA)などの朝貢外交に余念がない。

だが、後者ではすでに中身が空っぽである。農産物や自動車などの主力商品が関税撤廃の対象外になっている。
現代の韓国では法冶主義が崩壊し、李朝並みの濫囚・濫刑・濫赦(濫(みだり)な逮捕や刑罰・恩赦(おんしゃ)乱発)に戻りつつある。 産経新聞の加藤達也前ソウル支局長起訴やセォル号船長の死刑判決などがそれである。

「濫赦の弊」は伝統としてずっと続いてきた。

蓄財で逮捕された元大統領や左翼運動で死刑判決を受けた元学生などが平然と出獄し、豊かな老後を送ったり、死刑宣告を勲章に左翼議員として返り咲いたりするのはこのためである。 蓋(けだ)し、われわれの海の対岸にいるはこのような人々であり、別に驚くにはあたらない。筑波大学大学院教授 古田博司

誤解・思い込み…・特異な韓国

先にインドネシアで「バンドン会議60周年記念」の国際会議が開かれ安倍首相が演説した。バンドン会議はだ二次世界大戦後に独立したアジア・アフリカ諸国が反植民地主義や民族自決、世界平和などを掲げ1955年に開催した。インドネシアのスカルノ大統領、インドのネール首相、中国の周恩来首相、エジプトのナセル大統領が中心となり後の非同盟運動のきっかけとなった。

日本は60年前の会議に招かれた縁があり今回、安倍首相が出席したか、韓国人にはこれが理解できなかったらしい。「日本は侵略国で韓国を支配した植民地主義の国だったはずなのに」というわけだ。

知り合いの韓国マスコミのOBも首をかしげたので「いや、東南アジアや中東、アフリカ諸国には、日本はアジアが欧州の植民地支配から解放されるきっかけを作ったと評価する声があるからだ」と説明したところ驚いた表情で「そんなはずはないだろう」という。

「日本はアジアを侵略、占領した」というので「いや日本による占領は数年間で、アジア諸国にとっては欧州諸国による長期の植民地支配から解放されたことのほうがはるかに重要だったからだ」と重ねて説明したが最後まで認めようとしなかった。

知識人に属する韓国人でもこの程度なので、多くの韓国人は「日本は今もアジアの国から恨まれている」と誤解し思い込んでいる。韓国が「アジア」というときは、イコール韓国と中国ということでほかの国は視野に入っていないのだ。

いつもジコチュウで視野が狭いため、バンドン会議60周年会議で安倍首相の演説に過去の歴史にたいし反省だけあって謝罪が言っていないと批判したのは、参加もしていない韓国だけだった。
先に日本の外務省が戦後日本の対外協力の実績を紹介した映像の広報資料を発表したときも、韓国だけがデタラメだといって非難している。とくに韓国のことを取り上げあげたわけでもないのに映像の一部に韓国の製鉄所や地下鉄、ダムなどの写真が入っているのを見て韓国だけが反発した。

さすがに政府は何も言わなかったが、マスコミは準国営のKBSテレビや最大手の朝鮮日報が先頭に立って「韓国の経済発展は日本のおかげとはとんでもない!」「妄言だ!」と意地になって日本を非難した。
アジアの他の国は何も言っていない。しかも実際は韓国が経済・技術援助をはじめ最も日本の影響を受けて発展したことは国際的には常識なのだ。

韓国政府が日本との国交正常化(1965年)の際に、過去の支配に対する補償として受け取った対日請求権資金5億ドルだって、韓国の経済発展の基礎になったことは韓国政府発行の『請求権資金白書』(76年発刊)に詳述されている。国交正常化50周年の今年、記念事業としてこの白書を日韓双方で復刻出版してはどうか。

これほどに左様に韓国はアジアでもきわめて特異な国なのだ。18日にはインドのモディ首相が韓国を訪問するが、朴クネ大統領はモディ首相と歴史談義をしてみてはどうだろう。インドは100年近く英国に植民地支配されたが「おたくの謝罪・反省・補償要求はどうなっていますか?」と聞いてみればいい。今、世界で韓国だけが歴史にこだわった外交をしていることが分かるだろう。
=ソウル 黒田勝弘=
つづく 日本10億円拠出の条件 韓国 報道は完全な捏造