ソウル支局長として滞在していた韓国で、インターネット上に掲載したコラムが朴槿恵(パククネ)大統領の名誉を棄損(きそん)したとして私は、起訴された。「容疑者」「被告人」から無罪に至る500日間、特班員として朴政権と韓国検察を見続けた

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朴政権との500日 前ソウル支局長手記

異様な法廷 震える検事の手

 ソウル支局長として滞在していた韓国で、インターネット上に掲載したコラムが朴槿恵(パククネ)大統領の名誉を棄損(きそん)したとして私は、起訴された。「容疑者」「被告人」から無罪に至る500日間、特班員として朴政権と韓国検察を見続けた。そこには自ら泥沼の中にはまり込み、もがいている韓国の姿があった。
(社会部編集委員 加藤達也)

◆崩れた虚勢

 22日夕、東京・大手町の産経新聞編集局で、韓国当局中央地裁の無罪判決を受け入れて告訴を断念したという一報を聞いた時、まず浮かんだのは喜びの感情ではなかった。その5日前の17日、判決を受けてほっとしたのとは対照的な思いだった。無罪確定を受けて思い浮かんだのは、1年以上前の2014年11月27日、ソウル中央地裁の初公判の法廷での光景だった。

 その日午前10時前、私は裁判官のひな壇と向かい合うように配置された長い腰かけに弁護士と並んで座り、判事団の入廷を緊張しながら待っていた。
 やがて書類の束を1㍍積み上げたショッピングカートを重そうに引きながら男性が法廷に現れ、検事の机の上に束を次々にドン、ドンと音を立てておいていった。男性は検察関係者と何事かやり取りすると、机上の書類束をまたカートに載せて、机には厚さ20㌢ほどの書類を一部だけ残して出て行った。

 隣の弁護士が私の耳元にささやいた。「あれは虚勢、はったりですよ。検察はこれだけ調べた。被告を有罪にするから覚悟しろと言うパフォーマンスです」
 相手を内面から揺さぶる心理戦が既に始まっているのかと感心しましたが、開廷後、検察による起訴事実の読み上げが始まると、今度は検察の虚勢が崩れていくのを目撃した。

 検察側の筆頭を務めたのは高泌亮(コウピルヒョン)検事だった。高検事はソウル中央地検刑事第1部に所属し、私に対する告発を受理して捜査を担当してきた。韓国検察にも法廷での立証を担当する公判部があるが、重要事件の場合は取り調べ検事が身分をそのままに、法廷に出てくることがあるという。

 私は取調室で、朴大統領への「誹謗(ひぼう)の目的」を認めさせようとする検事との応酬の間、高検事の指先の動きがピアノを弾くように滑らかなことに気づいた。小指は反り返らせたまま使わず左右計8本の指で、カタカタとリズミカルに調書を作成する姿はプライドの高い、神経質そうな性格を感じさせた。

 ◆窮状を象徴

 だが、初公判で見たのは全く別の姿だった。起訴事実が記載された文書を持った高検事の手が大きく震えているのだ。私は高検事の震える手を見ながらいろいろなことを思った。検事もやはり緊張しているのか。告発した右翼の男らが喚(わめき)き散らし、40人の立見傍聴人まで出た異様な法廷の空気にのまれているのか。それとも、大統領の顔色を見た法務・検察幹部から筋の悪い事件を後半まで背負わされた重圧か―。

 おそらくはその全部だったのだと思う。検事の“震える手”は、その後の審理での検察の窮状を象徴する出来事として記憶の底に定着することになった。
 検察は実際に苦しんでいた。有罪の立証趣旨に合った言論の専門研究者を証人として連れてくることもできず、裁判長から承認の準備状況を問われて「現在調整中です」と応じる姿も苦しい。弁護側証人への尋問では、被告の悪意立証の証拠として日本のネット掲示板「2ちゃんねる」の書き込みを提出。弁護側から「その勇気がうらやましい」と皮肉られる始末だった。
 2015/12/31日

  朴政権との500日 前ソウル支局長手記 (2)
検察はどんな気持ちでこの公判に臨んでいたのだろうか。私は、担当の高泌亮(コウピルヒョン)検事の気持ちが知りたかった。10月19日、「懲役1年6月」という求刑がなされた後半の閉廷直後、まだ廷内に残っていた高検事に「ご苦労さまでした」と声をかけた。
私の呼びかけを意外に感じたのか、求刑を終えたことで肩の荷が下りたのか、高検事は戸惑ったような笑顔で「支局長こそ、長い間、大変にご苦労をなさいましたね」と、最も丁寧な言葉でねぎらってくれた。顔には、安堵(あんど)が浮かび、検察官の威厳はなかった。

私が、朴槿恵大統領の名誉を傷つけたとして告発されてから無罪判決まで1年4ヵ月。朴政権をめぐる国際世論や日本の対韓認識の悪化が進行する一方で、朴政権の目的だった「産経新聞懲罰」は何の成果もなかった。朴大統領の側近たちも韓国の法務・検察当局も、「こんなはずはでは・・・・」という思いだったろう。

◆目的は産経の信用失墜

「産経新聞の支局長を一気阿世(かせい)の波状攻撃で揺さぶり、精神的に追い込んで謝罪を引き出し、記事を取り消しさせて産経の信用を内外で失墜させることでしょう」。弁護方針の検討会で朴栄琯(パクヨングァン)弁護士は韓国政府と検察側のシナリオをこんなふうに読み解いてくれたことがあった。朴弁護士は高検検事長を2カ所経験している元検察高官だ。韓国の法務・検察の手の内を見通している。

検察は韓国の右翼団体の告発を受けた翌日の2014年8月7日に私を出国禁止としたが、私には直接伝えられなかった。同年10月8日に起訴した際も抜き打ちで、メディア報道で知った。
こうした揺さぶりは、先の見えないはじめてのころこそ「今後、どうなってしまうのだろうか ?」という不安を駆り立てる効果があったが、慣れてくると「あ、またか」となって効果はなくなる。

私の取材では、韓国側は産経側から早期に謝罪と記事の取り消しを引き出せると踏んでいた。韓国側はまず青瓦台高官による「民事・刑事で法的責任を徹底的に追及する」という発言で委縮させ、検察に呼び出して取り調べて恫喝(どうかつ)。謝罪の意思を確認したが、思うような成果は出せなかった。

早期の謝罪引き出しは難しいとみた韓国側は9月下旬、「遺憾」の言葉を引き出す作戦を戦術に転じた。
国際社会では、事態が「政権批判をした外国特班員への弾圧」として定着し始めていた。韓国側は一刻も早く状況を転換しなければならなかったのだろう。
私自身と産経の経営陣に「さっさと謝ってしまってはどうか」「遺憾という言葉だけでも表明できないか」などという“提言”や“助言”が多数、届いた。

例えば、青瓦台に出入りして意見を求められることもある日韓関係専門の学者は休日に早朝に電話をしてきて「日韓関係の悪化を心配している。遺憾ぐらい表明できないか。青瓦台も振り上げた拳を下ろすタイミングを探っている」と。
しかしそもそも、日韓関係の悪化の事態を招いたのは誰なのか ? 私はこうした発言の一つ一つに慎重に耳を傾けたが朴大統領自身が事態を心配して周辺と話し合っているという実感はついに持てなかった。

◆辞職の圧力・・・吐は気も

一方、公判も論告求刑まで進んだ2015年の秋、もはや「謝罪」を得ることは不可能とみたのか、韓国側は「遺憾の意」を引き出そうと必死になっていた。
特に柳興洙(ユフンス)駐日韓国大使の働きかけは熱心だった。11月26日から12月17日に延長された判決公判の期日が迫る中、知韓派の国会議員や安倍晋三政権の中枢にも働きかけ、「産経の社長と面会だけでも…」と要請してきた。社はこうした申し出を丁重に断ったという。

私の元には、ある新聞社の旧知のOBが20年ぶりに連絡してきた。面会すると、私に「会社を辞めて、遺憾の意を表すべきだ」と切り出してきた。これにはさすがに絶句してしまった。
昨年夏の問題発生当初には、あまりの圧迫感から吐き気を催したこともあった。しかし、そもそも、私のコラムは刑事訴訟されるようなものだったのだろうか ? 何度も自問してきた。

結局は安易な謝罪、遺憾表明をしなくてよかったと思っている。水面下で話し合いを持って、遺憾の意など示して折れてしまえば、将来も問題を蒸し返されて延々と弱みとなりかねないことは、日韓の歴史が証明している。中途半端な妥協をしなかったから、無罪となったと確信している。
(社会部編集委員 加藤達也)