大東亜戦争で日本は、インドネシアを350年もの間、植民地支配してきたオランダを駆逐し、軍政を敷いた。愚民化政策をとったオランダとの違いは、日本が官史育成学校、医科大学、師範学校、商業学校など、国作りに必要な教育を推進したことだ。

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語られないあの戦いの「理想」

外交場裏では語れなくても、後進の私たちは覚えておきたい。
「17/8/05」これは、ジャカルタの独立記念塔に収められたインドネシア独立宣誓書の日付である。
05年とは、日本紀元(皇紀)2605年のことだ。昭和20年、西暦1945年である。宣誓書に署名したのは独立運動のリーダーで、インドネシア共和国の初代大統領と副大統領になったスカルノとハッタの二人だ。
「17/8/05」これは、ジャカルタの独立記念塔に収められたインドネシア独立宣誓書の日付である。
日本が大東亜戦争に敗れた翌年、スカルノら建国準備委員会はジャカルタ在勤の海軍武官、前田精(ただし)海軍少尉の公邸に集まり、インドネシア人だけで17日未明までかけて宣誓書を起草した。前田は後に、インドネシア共和国建国功労賞を授与された。スカルノらが、強制されていないのに、敗戦直後の日本の紀元を独立宣誓書に用いた意味は重い。

西暦は植民地支配への反発から避けたたようで、辛亥革命後の中華民国暦のように建国を元年にすることもできたが、そうしなかったのである。
大東亜戦争で日本は、インドネシアを350年もの間、植民地支配してきたオランダを駆逐し、軍政を敷いた。愚民化政策をとったオランダとの違いは、日本が官史育成学校、医科大学、師範学校、商業学校など、国作りに必要な教育を推進したことだ。

特に、祖国(郷土)防衛義勇軍(略称PETA)をつくり、3万8千人ものインドネシアの青年に訓練を施した意義は大きかった。
彼らが、植民地支配に戻ってきたオランダ軍や援軍となったイギリス軍との間で、独立戦争を戦う中心となった。
80万人犠牲を払って独立を勝ち取ったのである。
日本に引き揚げず、インドネシア独立戦争に身を投じた日本軍将兵は1千人から2千人もいたとされる。相当数が戦死し、ジャカルタ郊外のカリバタ国立英雄墓地に葬られた人もいる。

インドネシアでのアジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議に出席した安部晋三首相は先月22日、カリバタ英雄墓地に葬られた残留日本兵の墓前に献花した。
第1回バンドン会議(1955年)では、日本代表団は、アジア独立を掲げて戦ったことを感謝され、歓迎された経緯がある。
今回のバンドン会議での演説で、阿部首相は第1回会議の逸話にも、日本がアジア独立を掲げて大東亜戦争を戦ったことが有色人種の国々の独立につながったことにも触れていない。

そこには日本流の謙虚さがあるし、当時は敵国で今は盟邦となっているアメリカや友好関係にある西洋諸国への外交上の配慮がある。
首相がカリバタ英雄墓地に詣でたことは、日本人がアジア独立に貢献したことを、言葉でなく行動で伝える機会だったが、日本ではほとんど報じられなかった。
いつの時代でも戦争は避けるべき悲劇だ。それでも、日本が国を挙げて戦った戦争に、当時の日本人がどんな理想や意義を見出していたのか、外交場裏では語れなくても、後進の私たちは覚えておきたい。それがバランスのとれた歴史観につながる。
産経新聞 論説委員

美しき勁(つよ)き国へ  桜井よしこ

中国や韓国は日本の謝罪を引き出すことをもくろむが、日本人は大東亜戦争について反省の年月を重ね、首相以下政府首脳は中国や韓国に50回以上、謝罪した。
 この70年間、近隣の大国は必ずしも自国民を幸せにはせず、周辺諸国とは軋轢(あつれき)を続けてきた。対照的に日本は一度も他国を侵略せず、国際社会にもでき得る限り貢献し、国際法、人権、民主主義を守ってきた。日本国民もおおむね穏やかで安定した日々を過ごしてきた。ISILの蛮行に苦しむ人々への人道支援もさらに強化する。この間の実績を日本国民は大いに誇りにしてよいのである。

 そもそも日本は十幾世紀もの長い時間をかけて穏やかな文明を育んだ国だ。七世紀初頭の聖徳太子の一七条の憲法は国政の基本として「和」を掲げた。身分、貧富、部族の違いにとどまらず、宗教の違いさえも乗り越えて、和に基づく国造りを実践した。異教を受け入れた日本の宗教的寛容の精神は、ISILへの激しい反発からEU各国で台頭中の過激で排対的なネオナチズムの対極にある。国際社会に開かれた日本型寛容の精神こそ、二一世紀の世界に必要であることを確認したい。

 明治政府の五箇条の御誓文は

国民を大切にする公正な国造りの誓いだ。かって異教を受け入れた精神は、明治政府のもとでも、相互の相違を認めた上で編的価値観の実践を目指す姿勢として確立されている。普遍的価値観を踏みにじる大国や勢力のまえで、日本はこの点についても大いに自信を持ってよいのである。和の精神と雄々しさをもって、より能動的に国際社会に貢献していくのがこれからの日本の在り方であろう。


 一方、日本の戦後の努力を認めず、村山談話や河野談話の文言を引き継げという声がある。だが私はむしろ、両談話の曖昧さや誕生にまつわる疑問を安倍談話で乗りこえるのがよいと考える。

 村山談話は、1995年六月九日金曜日、19時五三分という異例の遅い時間に衆議院本会議で欠席265人、出席議員わずか230人で採択された戦後50年目の日本の謝罪決議とセットだ。謝罪決議も村山談話も、その誕生のプロセスは著しく公正さに欠けている。河野談話も慰安婦「強制連行」が根拠を失った今、
「広義の強制性」という判りにくい論拠に立つ。
 両談話のこの種の欠陥を超えて日本を新しい地平へと導くとき、新談話はその使命を果たすのではないか。開かれた平和な世界の構築に貢献する資格と責任が日本にあることを自覚したい。首相には自らの想いを込めて前向きの日本の姿を描きだしてほしい。

日韓の細道  首都大学特任教授 鄭大均(てい・たいきん)
「日韓併合」やその時代をいかに評価するかの問題は両国の最大の政治的争点である。この点で韓国の公定史観がこれを違法であり無効であるとしているのは周知の通りである。
 と同時に、かつて「日政時代」と呼ばれていた時代が「日帝時代」を経て、近年では「日帝強占期」と呼ばれていることからもわかるように、日本の「悪意」や「悪政」を語る物語は、時間の経過とともに強度を高めつつ国民に共有されているのである。

 旅行者でも気が付くことだが、今日の韓国には「日帝」の「蛮行」を語る物語があふれている。学校教科書で学んだ「日帝強占期」の日本像は歴史ドラマや日常のニュースで反芻(はんすう)されるとともに、国中の博物館や記念館を訪問すると、その「実物」に向き合えるという仕組みである。

 一方の日本はというと、「日韓併合」などといっても、そもそもピンくる人が少ない。これは戦後日本の学校教育やメディアが、日本国の地図にかつて朝鮮や台湾が含まれる時代があつたのだということをきちんと教えてこなかったことの代償である。

 ただし、左翼の一部に早くから自国の加害者性の歴史の糾弾に熱心な人々がいたことを忘れてはならない。この時代を熱心に語り続けたのは彼らであり、侵略への負い目意識から韓国や中国のいうことを無条件に尊重する風潮を作り出したのは彼らである。
 もっとも近年の日本には、負い目意識を蹴散らかすような議論が流行りで、一見元気がよい。韓国人の言う歴史が到底信頼に値するものではないという証拠を彼らは次々に提示してくれるのだが、それでも日本は安泰とはいえない。

 「日韓併合」の問題は国際社会でも言及されることが多くなっているというのに、日本人の多くは無知、無関心のままであり、それを英語でスピーチできる人間もほとんどいない。負い目意識を蹴散らかすような議論が流行りといっても、これらは身内同士のサークルの中でしか通用しないアジテーションあることが多い。

 これでいかにもまずい。ではどうしたらいいのか。前から考えることだがね「日韓併合の時代のベストエッセー集」のような本を何冊か刊行し、まずは「日韓併合」の時代をリアルタイムで経験してもらうのはどうだろうか。エッセーだから、難解な論文や政治的アジテーションや小説は含めない。そもそも小説や論文などより、エッセーのほうが時代の息吹きをよく伝えてくれる。

 この時代には、たとえば安倍能成(よししげ)のような魅力ある書き手がいて、そのエッセーを読むと、この時代の風景がよく見えてくる。安倍は京城帝大で15年以上も教えた後、旧制一高校長を経て学習院院長を歴任して人だが、京城(現ソウル)の町をよく歩き、人間や自然をよく観察し、多くの魅力的なエッセーを残してくれた。
 エッセー集の刊行を通して期待しているのは、日韓併合の時代が、われわれが考えるほど、よい時代でも悪い時代でもなかったということである。この時代については、なにせ、政治主義的、民族主義的な議論ばかりが多くて、当たり前の人間の当たり前の日常があったことが忘れられている。日本人も韓国人も、まずはそいう当たり前のことに気づいてもらわないとお話にならない。

美しき勁(つよ)き国へ  桜井よしこ H27・6・01日
 次世代の日本人に誇りある国を残すには、少なくとも、基本的に自力で自国の防衛を行える普通の民主主義国に国の在り様を戻すことだ。その好機がいま眼前にある。
 占領政策の初期に作られた現行憲法は日本に自立国家として振る舞うことを許さない多くの制限を課している。安全保障で日本を縛り続けることを是とする考えは、日米双方に依然、根強い。だが、そうした思考が無益であることを国際政治の大変化が証明しつつある。
 先の安倍首相の訪米でオバマ大統領が見せた手厚いもてなしや首脳会談における緊密な関係の強調は、平成25年2月、あるいは26年4月の日米首脳会談におけるものとは全く異なる。25年の訪米では首相のために大統領は昼食会を主催したが、その顔に微笑が溢れていたわけではなかった。

 26年に国賓として来日したオバマ大統領は来日直後の寿司屋で、うちとけるというより単刀直入に環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)での譲歩を迫った。
 ビジネスライクで実務はこなしても、日米両国が連携して大きな戦略を担うという同盟国としての絆を感じさせたわけではなかった。ところが今回、安倍首相へのオバマ大統領の個人的好意も十分に表現され、日米の強い絆が度々強調された。

 この大きな変化は、憲法改正は実現されていないものの、「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」を見直し、安保法制の整備を明言し、力を発揮しようとする強い日本がアメリカにとっての国益だと判断したからであろう。
 アメリカの影響力はかつてない程、低下した、世界の警察でないと宣言したアメリカの眼前で、中東ではISIL(イスラム国)らテロリスト勢力が跋扈(ばっこ)する。オバマ大統領のイランの核保有につながるとして、サウジをはじめ、アラブ諸国との間に深刻な溝を作った。欧州諸国は中国のアジアインフラ投資銀行(AIIB)に加入した。ロシアも中国も力の外交に踏み切り、強硬路線を変える兆しはみられない。

 このような中で、いま、アメリカにとっての唯一の選択が日本との緊密な協調関係なのである。アメリカが強い日本を必要としているように、日本もアメリカを必要とする。両国の国益がぴったり合致する中で新しい関係が生じているのだ。
 中国も事態を的確に把握している。5月26日発表の国防白書で、中国の安全とっての「外部からの阻害と挑戦」は、日本の安保政策の転換と、地域外の国、つまりアメリカの南シナ海への介入だと明記した。中国政府が公式文書で仮想敵として日米を具体的に示しているのである。
 国際政治の大きな潮流としてこのような構図が生まれているとき、日本はいかにして自国を守り、国際社会の平和構築に貢献できるのか。
 5月30日、シンガポールの「アジア安全保障会議」で、アシュトン・カーター米国防長官は中国名指しで、「直ちにかつ永続的(南シナ海での)土地の埋立てをやめるべきだ」と批判した。

中国人民解放軍の孫建国・副参謀長は翌日、岩礁埋め立ては「軍事、防衛上の必要性を満たすため」だと反論した。
 初めて正式に、南シナ海の埋め立てが軍事目的であることを認め、中止する気はない言明したわけである。
 強気の中国は、アメリカ軍にたいする抑止力も着実に向上させつつある。シンクタンク『国家基本問題研究所』企画委員、富山㤗氏の指摘だ。
 5月21日中国空軍の最新鋭爆撃機H6Kが沖縄本島と宮古島海峡上空を通過し、西太平洋上で日帰り訓練を行った。同期の巡航ミサイルは核弾頭搭載も可能で米軍のアジア戦略の重要拠点グアムを攻撃する能力を持つ。アメリカが南シナ海に介入するとき、中国はグアムをたたく能力を手にした。

 アメリカにとって深刻な危機であり、アメリカ軍の行動が制約を受ける可能性は否定できない。それでもカーター国防長官は、現在、中国の人工島の12カイリ外で行っているP8対潜哨戒機による偵察活動を、12カイリ内展開する可能性を強調する。
海洋の自由と法治を掲げるアメリカには一歩も引く気配はない。
 中国とアメリカの主張が真っ向からぶつかり、相互に軍事力を誇示するこの緊張は戦後最大の危機と言っていいだろう。

 これが日本にどうかかわってくるのか。カーター長官は「同盟国及びパートナー」との協力で対中抑止力を構築するとして、中心軸に3カ国による協調、日米豪、日米印、日米韓の協調を挙げた。いずれの場合も日米が基軸になっており、アメリカのみならずアジア全体の日本に対する信頼がうかがえる。
 カーター長官はまた、ベトナム、マレーシア、フィリピン、インドネシアとの多層的な軍事協力に触れて、アジア全体で、国際規範逸脱した中国に抑止力を効かせる意図を強調した。
 日本がすべきことは何か。激しく変化する国際情勢と中国の脅威をまず、明確に見据えることだ。そのうえで、アメリカもアジア諸国も自立した強い国として日本に期待していることに気づきたい。

 国会論戦でガイドラインの見直しと安全法制の整備を国民への説明もなくアメリカで約束したのはおかしいと民主党は論難する。だが、ガイドライン見直しは民主党政権のときに始まつのではなかったか。
 中国の脅威に国際法と外交で対応できる状況を創りだすためには逆に十分な軍事力が必要である。いま、そのことを学び、現実に根ざした安全保障政策を屈使する日本へと、脱皮するときである。   産経新聞引用

美しき勁(つよ)き国へ  桜井よしこ

日本の無力化図る中国

 着々とアジアインフラ投資銀行(AIIB)を進める中国とは対照的に、日米など12カ国は環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉の合意を今回も達成できなかった。
 決定に時間がかかる民主主義陣営はいま、米国の強いリーダーシップを失い、本来の力を発揮し得てない。米国の消極性を前に、アジア諸国が求めているのは日本の指導力である。米中のせめぎ合い、中国の世界戦略の本質を明確に把握して、世界が必要とする日本の力を発揮することが、安倍晋三政権の歴史的使命である。

 9月3日、習近平国家主席は大閲兵式に臨み、抗日戦争の意義と中国共産党政権の権威を強調するはずだ。その中国がいま日本に対して熱心な接近を試みている。安倍首相を手招きしつつも、歴史の捏造から領土領海への侵犯まで日本への挑戦を止めない。

 個々の事実にとらわれることなく、全体像を見渡せば、中国の意図は明白である。習主席は「偉大なる中華民族の復興」を掲げるが、相手と戦うよりも、詭道(きどう)を旨とし、相手の脅威を無効化することによって戦わずに夢の実現を達成するのが賢明な方法だと孫子は教えている。具体的には中国の支配権を確立し日米両国に、中国の力と威光を受け入れざるを得ないと納得させることを目指している。

 その意味で、中国が東シナ海に新たに建造した12基もの海洋プラットホームを経済面だけから分析するのは誤りであろう。
 国家基本問題研究所副理事長、田久保忠衛氏は、これら海洋建築物が軍事転用されれば日本にとってのキューバ危機になると喝破した。
 中国はエネルギー調達先の多様化において、日本に先行しており、東シナ海のガスをはじめ、海洋由来のエネルギーが中国のエネルギー供給量全体に占める割合は9%強で大きくない。ガス単独で見れば、2012年実績で中国はLNG(液化天然ガス)3040万トンを11カ国から輸入、内52%はパイプラインでトルクメニスタンから輸入した。

他に買い手が存在しないために、完全に中国の買い手市場となるパイプラインによる輸入契約は中露間でも結ばれた。ロシアの大幅譲歩で成立した同契約は、エネルギー需要が伸びる中で、中国が安定した安価なガス輸入の枠組みを作り上げたことを示している。
 経済産業省は「こうした中、コストが高く、採算が合うのかどうかわからない東シナ海ガス田を、なぜ急激に開発するのか。違和感を覚える」と述べている。
 東シナ海開発のエネルギー確保の可能性は否定できないが、真の動機は他にもあり得るということだ。経済的発想では解けない疑問は軍事的発想を適用すれば解けてくる。

 南シナ海、東シナ海での中国の動き、第1列島線を出た太平洋での彼らの行動、例えば沖ノ鳥島を島と認めず、同党周辺海域を日本の領海および排他的経済水域(EEZ)と認めないことなどを総合的に見るとき、右のいずれの海域にも共通するのが、中国に空域管制能力がない点である。そしていま中国が進めているのが、その管制権の空白空域を埋める作業なのである。

 東シナ海の海洋プラットホームを軍事転用すれば同海域上空に設定した防空識別圏(ADIZ)は真に機能し始め、自衛隊および米軍の展開は大きな制約を受ける。南シナ海の7つの島を埋め立ては中国による管制の空白圏だった南シナ海中央部およびフィリピンと台湾間のバシー海峡での中国の管制力を強化する。
 7月30日、沖縄本島と宮古島間の宮古水道上空を中国人民解放軍の爆撃機など4機が2日連続で堂々と飛行したが、台湾海峡への中国のコントロールが強まれば、日本への影響も計り知れない。

 第1列島線を越えた太平洋に目を転じてみよう。中国が沖ノ鳥島を日本の島だと認めないのは、射程3000キロを誇る米軍の巡航ミサイルが北京を襲う可能性への恐れだと専門家は見る。

沖ノ鳥島は、北京を起点に半径3000キロの海域のふちにあり、中国は同海域を日米でなく、自身の支配下に置くことで北京防衛を考えているとみられる。
 東シナ海、沖縄・南西諸島、沖ノ鳥島海域を含む西太平洋、南シナ海、バシー海峡、台湾海峡をまたぐ勢力圏を形成すれば、中国は日米両国の生命線であるシーレーンを握ることができる。

日本は石油の90%以上を同海域を通って運び、米国の戦略物質の過半も同様である。
 東シナ海ガス田問題はこうした全体像の中に置いて考えるべきであり、安保法制の議論にも反映させるべき深刻な問題であろう。
 中国を駆り立てるエネルギーは、かつて中国は総てを奪われたという恨みである。彼らは、米国でも欧州でもない中国の価値観に基づいた世界の形成を目指していると思われる。だからこそ、問うべきだ。中国で人々は幸せになっているか、と、7月のわずかひと月で、人権擁護派の弁護士ら200人以上が拘束・逮捕された。チベット、ウィグル、モンゴルの人々は弾圧され、虐殺され続けている。
 その中国がいま、安倍晋三首相に靖国神社を参拝しないという意思の伝達を含む3条件付で訪中を求めている。
 価値観を大事にする日本の首相として、中国の現状に目をつぶることになる訪中には慎重でありたい。日本の戦後70年の歩みに自信を持って、中国とよき友邦国であるためにも、日本の価値観の表明にひるんではならない。
 015年8月2日 産経新聞朝刊
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