憲法の原案を起草した連合国軍総司令部(GHQ)民生局の次長だったチャールズ・ケーディスは憲法制定の目的は「日本を永久に非武装のまますることだった」とのちに語っている

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ポツダム体制下での現行憲法

ポツダム体制下での現行憲法

 現在国会で審議が行われている安保法制関連法案について、今月4日の衆議院憲法審査会で3人の憲法学者がそろって「憲法違反」と指摘したことで、野党や一部のメディアが鬼の首を取ったように騒いでいる。同日の憲法審査会のテーマは「立憲主義」で安保法制の関連法案でなかった。直接関係ないテーマについて民主党の議員が質問し、3人の憲法学者が応じた形だ。政治的意図を感じる。
 現行憲法は、わが国がポツダム宣言を受諾して第2次世界大戦に敗れ、連合国の軍事占領を受けている中で制定された。戦後の国際秩序は連合国が中心になったもので、一般に「ポツダム体制」と呼んでいる。そこにおける日本の位置付けは、連合国の旧敵国で、「米国及び世界の平和の脅威」(米国の初期対日方針)というものだった。そしてそれを固定するものが現行憲法であり、とりわけその9条2項だった。

 憲法の原案を起草した連合国軍総司令部(GHQ)民生局の次長だったチャールズ・ケーディスは憲法制定の目的は「日本を永久に非武装のまますることだった」とのちに語っている(古森義久著『憲法が日本を亡ぼす』海竜社)。9条2項が戦力の不保持や交戦権の否認を規定したのは日本にそのようなものを持たすと悪事を働き、世界平和の脅威になるという認識に基づいていたからであり、そのために「非武装」にしようとしたのだった。憲法改正の要件を世界有数の厳しいものにしたのも非武装を「永久」のものにするための措置だった。

 サンフランシスコ体制へ

 しかし、「ポツダム体制」は長く続かなかった。連合国が内部分裂し、東西冷戦すなわち自由主義対共産主義の激しい対立が発生した。東アジアではそれが朝鮮戦争として現れ、これによって米国の対日認識も大幅に変わった。
 日本は世界の平和を脅かす旧敵国でなく、自由主義陣営の一員として共産主義と闘う同志であり、共産主義への防波堤となることが期待された。朝鮮戦争が始まったのは昭和25年6月だが、GHQは日本政府に命じて警察予備隊を8月に発足させた。再軍備の始まりだ。警察予備隊は保安隊を経て自衛隊へと発展していった。
 昭和26年9月、日本は自由主義諸国とサンフランシスコ講和条約を結び、同27年4月に同条約が発効し、主権を回復した。講和条約締結と同時に日米安保条約も結ばれ、日米は同盟関係になった。「ポツダム体制」が崩壊した後に日本が属している国際秩序を「サンフランシスコ体制」と呼ぶ。

 日本国憲法は「ポツダム体制」における日本の立場を固定するために制定された。しかし、前提となる「ポツダム体制」は崩壊し、代わって誕生した新しい国際秩序「サンフランシスコ体制」に基づいて安全保障は築かれた。

 「憲法残って国滅ぶ」の愚

 憲法の規定と実際の安全保障とがその立脚する体制・原理を異にするのであるから、その矛盾を解消しなければならない。
 矛盾解消の動きは昭和29年の鳩山一郎内閣から始まった。3度の国政選挙と憲法改正の是非を争点に戦ったが、改憲の発議に必要な議席は得られず、改憲は棚上げされ、一度の改正もなされずに今日に至っている。96条の改正要件があまりに厳しいためだ。

 憲法の規定と実際の安全保障体制との間に齟齬(そご)・矛盾があることは誰にもわかる。しかし、憲法を盾にとって安保法制関連法案の非を論(あげつら)つている余裕が今のわが国にあるだろうか、中国は南シナ海の岩礁を埋め立て、軍事目的で使用することを公言している。米国何するものぞという勢いであり、余波が東シナ海に及ぶ可能世は高い。

 安全保障のリアリズムの考えによれば、力と力がぶっかるときに均衡が生じ、平和は訪れる。わが国が主権を維持し、中国との戦闘を避けるためには日米関係の強化が不可欠だ。それが戦争を避ける抑止力になるからだ。そのための措置が安保法制関連法案だ。

 憲法との矛盾は誰にでも指摘できる。しかし、わが国は生き残らなければならない。「憲法残って国滅ぶ」では困るのだ。矛盾を矛盾と知りつつ、知恵を出すのが常識である憲法学者の役割ではないのか。世の嘲笑の対象になることは避けなければならない。
 麗澤大学教授 八木 秀次
 つづく 語られないあの戦いの「理想」