人は女に生まれるのではない、女になるのだ。社会において人間の雌がとっている形態を定めているのは生理的宿命、心理的宿命、経済的宿命のどれでもない。つまり女と呼ばれるものを作り上げるのである。他人の介在があってはじめて個人は〈他者〉となる。子供は自分に対してだけ存在しているかぎりは、自分を性的に異なるものとしてとらえることはできない。女の子、男の子にあっては、身体はまず主体性の輝かしい発現、世界を理解するための道具である。彼らが世界をとらえるのは目や手を通してであって、性器を通してではない

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第二の性 Ⅱ体験 ボーヴォワール著 中嶋公子・加藤康子監訳

本表紙 ボーヴォワール著 中嶋公子・加藤康子監訳
女であることはなんと不幸なことか― しかし、女であることの最大の不幸は、実は、それが不幸であることが分からないことである。
 キルケゴール
半ば犠牲、半ば共犯、
すべての人と同じように。
 サルトル
序文
 現代の女たちは女らしさの神話をくつがえそうとしている。具体的に自分たちの自立を主張し始めている。とはいえ、何の困難もなく、人間としての条件を完全に生きる事が出来るわけでもない。女の世界のただなかで女たちによって育てられた女の常識の運命は、結婚であり、事実上、結婚はいまだに女たちを男たちに従属させている。男の威厳が消滅したというにはほど遠い。

 なぜなら、それは依然として強固な経済社会的基盤の上に築かれているからである。だから、女の伝統的運命を詳細に調べ分析する必要があるのだから、どのように女は自分の条件を学習していくのか、どう女はそれを体験するのか、どんな世界に女は閉じ込められているのか、どのような脱出が許されるのか、こうしたことを私は描き出したいと思う。そうやってようやく、重い過去を受け継ぎながら、新しい未来を作り上げよとして努力している女たちに、どんな問題が付き付けられているのかが、わかるだろう。もちろん、私が「女」あるいは「女性的な」という言葉を使うとき、どんな原型にも、どんな不変な本質にも拠ってはいない。私が明らかにする主張の大部分は、そのあとに、「教育と慣習の現状において」という意味を補う必要がある。この本では、永遠の真実を述べようと言うのでなく、個々の女の生きる実存全体に共通の基盤を描こうというのだ。

第一部 女はどう育てられるのか

一章 人は女に生まれるのではない、女になるのだ。社会において人間の雌がとっている形態を定めているのは生理的宿命、心理的宿命、経済的宿命のどれでもない。つまり女と呼ばれるものを作り上げるのである。

他人の介在があってはじめて個人は〈他者〉となる。子供は自分に対してだけ存在しているかぎりは、自分を性的に異なるものとしてとらえることはできない。女の子、男の子にあっては、身体はまず主体性の輝かしい発現、世界を理解するための道具である。

彼らが世界をとらえるのは目や手を通してであって、性器を通してではない。出生、離乳のドラマは乳児にとって男女とも同じように展開する。男女の乳児ともに同じ興味、同じ喜びを感じるのだ。まず吸う行為が最大の快感の源となる。次に肛門期に移ると、男女に共通する排泄機能から最大の満足感が得られる。

男女の生殖器の発達も似通っている。同じ好奇心、同じ無頓着さを持って、自分の肉体を探り、クリトリスやペニスから漠然とした快感を得る。彼らの感覚は、既にはっきり示される範囲で、母親に向けられる。柔らかく、なめらかで、弾力のある女の肉体は性的欲望をそそる。

 そして、この欲望は手でつかむことのできるものである。女の子も男の子も攻撃的な仕方で母親を抱き、触れ、愛撫する。弟や妹が生まれると、同じように嫉妬し、それを怒ったり、拗ねたり、お漏らしをしたりという行動で表現する。同じように愛嬌を振りまいて大人たちの愛を得ようとする。
12歳までは少女は同年齢の少年たちと同じくらい逞しく、同じような知的能力を示す。彼等と競い合うことのできない領域は一つもない。少女が思春期のかなり前から、また時には幼いころから、性的に特定化されているように見えるのは、不思議な本能によって少女が受動的、媚び、母性へと直接運命づけられているからではない。子供の生活には、ほぼ最初から他人が介在していて、生まれたばかりの頃から子どもにその使命が強制的に吹き込まれるからである。

 新生児にあっては

世界は先ず内在的な感覚という形で示されるだけである。胎内の暗闇に住んでいたときのように、〈全体〉の内部に浸っている。母乳で育てられるにしろミルクに育てられるにしろ、母体の温もりに包まれている。
乳児は自分とははっきり区別されるものとして事物を感じ取ることを少しずつ学んでいく。自分と事物をはっきり識別するのである。同じ時期に多少とも乱暴な仕方で、乳を与えてくれる肉体から引き離される。

 ときには激しい発作を(*1「意味、検索サイト」)起こして、この分離反応を示すこともある。いずれにしろ、こうした分離が行われる頃――生後6ヶ月頃――他人の心を捉えたいという欲求を身ぶりで示しはじめて、のちにはこれ見よがしの身ぶりとなる。もちろん、このような態度はそうしようと選択してやっているのではない。それに、ある状況を生きるのに、それについて考える必要があるわけでもない。乳児はすべて実在者が生きる根源的ドラマである〈他者〉との関係のドラマを直接的に生きているのだ。人間は不安を通じて自分が遺棄[見捨てられる]されたと感じる。
 自分の自由、主体性から逃れて、〈全体〉の内部の埋没したくなる。それこそ、人間の宇宙的自然崇拝的夢想の源、忘却、眠り、恍惚、死への欲求の源である。しかし、人間は個別の自我を消し去る事はけってできない。

 だからせめて即自の安定に到達したて、モノとして固定されたいと思うのだ。人間が自分自身にとって一つの存在として見えてくるのは、とりわけ他人の眼差しによって擬固させられるときである。このような観点から子どもの行動を解釈しなくてはならない。子どもは未知の世界の中で有限性、孤独、見捨てられた状態を肉体のかたちで発見する。この不幸を補おうとして、子どもは他人がその実在性と価値を築いてくれる一つの像のなかに自分の存在を疎外する。子どもが自分のアイデンティティを主張し始めるのは、鏡に映った自分をとらえる頃――離乳期と重なる時期――からのようだ(*2「意味」)。子どもの自我は鏡のなかの像と混ざり合っているので、自分を疎外することによってしか形成されない。

 いわゆる鏡が多少とも重大な役割を果たしているにせよ、子どもが6ヶ月頃から親の表情を理解し始め、親の眼差しの下で自分をひとつの客体としてとらえ始めるのも確かである。子どもはすでに世界に向かって超越(意味)する自律した主体である。しかし、子どもは疎外されたかたちでしか自分自身に出会うことはない。

 子どもと成長すると、二つの方法で、本源的な遺棄とたたかう。まず分離を否定しようとする。母親の腕にうずくまり、生きた温もりを探し、愛撫を求めるのだ。また、他人に支持されることで自分を正当化してもらおうとする。大人は子どもにとって神さまのように見える。大人は子どもに存在を付与する力があるからだ。

 子どもは、自分を、あるときは可愛らしい天使に、またあるときは怪物に変えてしまう大人の眼差しの魔術を思い知る。天使になったり、怪物になったりというこの二つの防御方法は相反するものではない、むしろ逆に、補いあい混ざり合っている。

 誘惑がうまくいったとき、正当化されたという感情はキスや愛撫を受けるなかに肉体的確認を見出す。これは子どもが母親の膝や優しい眼差しのなかにすでに知っている幸せな受動性と同じである。生まれて3~4年間は男と女の態度の違いはない。男の子も女の子も誰もが離乳前の幸せな状態を永続させようとする。男の子にも、女の子と同じように誘惑や誇示の行動が見られる。女の子と同じくらい、好かれたい、微笑んでもらいたい、可愛いと褒めてもらいたいと願っている。

 引き裂かれる思いを克服するよりもそれを否定する方が満足できるし、他人の意識によって固定されるよりは〈全体〉の内部に埋没するほうがより徹底している。肉体的融合は他人の眼差しの下ですべての責任を放棄するよりもっと深い自己疎外(意味)を引き起こすからだ。誘惑や誇示はただ単に母の腕に身を委ねているよりも、もっと複雑で困難な段階を表している。大人の眼差しの魔術は気まぐれである。
 子どもがいないない、いないをやって見せると、親はその遊びに加わり、手探りで追っかけたり笑ったりする。だが突然、「さあ、もういいかげんにしなさい。みんなちゃんと見えているんだよ」と言う。子どもの言葉が大人にうけると、子どもは同じことを繰り返して見せるが、今度は大人が肩をすくめるだけだ。

カフカ[1883-1924、チェコ生まれのユダヤ系ドイツ語作家]の世界と同じくらい不確かで予測のつかないこの世界では、一歩愛を踏み出すごとにつまずく(*3「意味」)。だから、これほど多くの子供たち成長することを恐れるのだ。両親が膝の上に乗せてくれなくなると、またベッドに一緒に寝かせてくれなくなると、彼らは絶望する。こうした肉体的な欲求不満をとおして、見捨てられた状態をますます痛切に感じるようになる。人間は不安にかられながら見捨てられた状態を自覚していくのである。

 この頃はまず女の子に特権が与えられたように見える時期だ。第二離乳期は第一期ほど唐突ではなくもっと緩やかだが、子どもは抱擁してくれる母親の肉体から引き離されていく。とくに男の子に対してはキスや愛撫が少しずつ拒否されていく。女の子の方は相変わらず可愛がられ、母親のスカートにまとわりついても許される。

 父親は彼女を膝に上に抱き、髪を撫でたりする。キスで包むように柔らかな服を着せられ、娘の涙や気まぐれは許される。髪を丁寧に結ってもらい、その身ぶりや媚びた愛嬌は面白がられる。肉体的接触や好意的眼差しが彼女を孤独の苦しみから守っている。反対に、男の子に対しては愛嬌さえも禁止されるようになる。取り入ろうとしたり、悪ふざけをするとうるさがられる。

「男はだっこなんて言ったりしないの・・・・・男は鏡なんか覗き込まないの・・・・男は泣かないものなの」と言われる。男の子は「小さな男の大人」であるよう求められるのだ。大人から独立することによって、大人の支持を得ることになる。人に気に入られようとしないようにすることによって気に入られることになるのである。

 多くの男の子はつらい自立を強いられることに怖けづき、そういうことなら女になる方がいいと思う。最初に女の子と同じ服を着せられていた時期には、幼児服を脱ぎ捨ててズボンを穿いたり、巻き毛が切られるのを見たりするとき、たいていは涙ぐむ。なかは執拗に女らしさの方を選ぶ子もいる。同性愛に向かう一つの態度である。「僕はどうしても女の子になりたかった。男であって偉いんだという自覚の欠如から、しゃがんでおしっこをしたいと言い張るところまでいってしまった」とモーリス・サックス(*4)は言っている。
しかし、男の子が最初のうち姉や妹ほど可愛がられないのはもっと大きな思し召しが男の子にはあるからである。男の子に課されるさまざまな要求はより高い一つの価値を直接生み出すのだ。ジャルル・モーラス[1868-1952、フランスの作家、思想家]は回想録のなかで母や祖母にちやほやされる弟に嫉妬していたと語っている。

ペニスに具像化

それで、父親は彼の手をとって部屋の外に連れていき。こう言った。「僕らは男だろう。女なんかほっておこうぜ」。男の子により多くが要求されるのは、それだけ優れているからなんだと言い聞かせる。彼の歩む道は困難だと勇気づけながら、男らしさの誇りを吹き込まれるのである。この男らしさという抽象的概念は、男の子にとって具体的な姿に怯えてくる。それがペニスに具像化されるからだ。

男の子が自分の無気力で小さな性器に誇りを感じるのは周囲の態度を通してであって、自発的にではない。母親や乳母たちがフアルス(男根)と雄の概念を同一視する伝統を永続させているのである。彼女たちが愛への感謝のなかにまたは従属のなかでその威光を認めるからか、あるいは乳児の情けない姿のそれを見るのが彼女たちにとって復讐となるから、子どものペニスを扱う時、彼女たちはとりわけ満足気だ。ラブレー[1494頃―1553、フランスの作家]はガルガンチェア[ラブレーの『第一の書ガルガンチェア』の主人公]の乳母たちの戯れやお喋りを教えてくれる(*5)

またルイ十三世の乳母たちのそれも歴史が伝えている。とはいえ、それほど厚かましくない女たちでも、男の子の性器に愛称をつけて、あたかも小さな人格のように、それは彼自身であったり別の人であったりするのだが、話題にするのだ。彼女たちはペニスを、すでに引用した表現を使うと「たいてい、当の個人よりずっとずるく、かしこく、ぬけめのないもう一人の自分(アルテル・エゴ)」(*6)にしてしまうのでうる。

身体の構造上ペニスはこの役割を果たすのに適している。肉体から切り離されれば、それはまるで小さな自然のおもちゃ、人形のようである。この分身に価値を与えることで、子どもの価値は高められるのだ。

ある父親が語ってくれた。彼の息子の一人は3歳でまだしゃがんでおしっこをしていた。姉妹や従姉妹に囲まれて、臆病で陰気な子どもだった。ある日、父親が彼をトイレに連れていって言った。「男はどうやるのか、お前に見せよう」。それ以来、その子は立ち小便をするのがすっかり自慢となり、「穴からおしっこをする」女の子たちを軽蔑するようになった。彼の軽蔑はそもそも、女の子に器官が一つ欠けているからではなく、女の子は彼のように父親から特別扱いで手ほどきを受けていないという事実上から来ていたのだ。

したがって、ペニスは男の子が優越感を得る生まれた時からある特権として現れるのではなく。むしろ反対に、それに高い価値を与えているのは、つらい第二離乳期の埋め合わせとして大人が考え出して、それを子どもが熱心に受け入れることなのだ。
このことによって、彼は自分はもう赤ちゃんではなく、女の子でもないという無念さから守られるのである。そのあとで、彼は自分の性器のなかに自己の超越性と誇らしい絶対性とを偶像化していくのだ(*7)

 女の子の運命はこれとは大きく異なっている。母親や乳母たちは女の子の性器に畏敬の念も愛情ももたない。外側しかみえずつかむことのできない隠れた器官に注意を払うこともない。ある意味で女の子に性器はないのだ。だが、女の子はこの不在を欠陥とは感じない。

 明らかに、女の子の身体は女の子にとってそれだけで完全なものである。しかし、彼女は自分が世の中では男の子と違ったふうに位置付けられていると感じる。いろいろな要因が総合されると、彼女の目にはこの違いが劣等性となって映ることもありうる。

例の、女の「去勢コンプレックス」ほど、精神分析学者によって論議された問題はあまりない。今日では、大部分の学者はペニス羨望は場合に応じて非常に様々な形で現れることを認めている(*8)。まず第一に、多くの女の子たちはかなりの年齢になるまで男の身体構造を知らない。子どもは、太陽と月があるように、男と女がいることを自然に受け入れる。

子どもは言葉の中に含まれている本質を信じていい、その好奇心ははじめての分析的でないからだ。多くの女子にとって、男の子の股の間にぶら下がるこの小さな肉の塊は何も意味しないし、滑稽ですらある。それは洋服や髪形のちょっと変わった特異性と似たような特異性なのだ。

 普通、女の子は生まれたばかりの弟と見比べて自分を発見する。ヘレーネ・ドイッチュ[1884-1982、オーストリアの女性精神分析者]によれば、「女の子が非常に幼いときは、弟のペニスに強い印象受けたりしない」。
 彼女は18ヶ月の幼女の例を挙げている。この子は新生児の弟のペニスを見つけてもまったく興味を示さなかったが、ずっと後になって、自分の個人的関心事との関連ではじめてペニスに価値観を認めるようになったのである。

 ペニスが異常なものとみなされることもある。それは余分に突出した物、つまり瘤(こぶ)、乳房、イボのようにぶらさがったなにかははっきりしない物であるからだ。嫌悪感を引き起こすこともあるかもしれない。とにかく、女の子が弟や友だちのペニスに興味を示す場合が多いというのは事実である。

 しかし、それは彼女が文字通りの性的嫉妬心を感じていることを意味するわけではない。ましてやその器官がないからといって深く傷ついたと感じることはない。女の子はすべてを自分の物にしたがるようにペニスも自分の物にしたいのだ。しかし、この欲望は表面的なものにとどまっていることもありうる。

 排泄機能、とくに排尿機能が子どもたちの熱心な興味を引くのは確かである。両親が他の子どもをえこひいきすることに対して、おねしょうが一つの抗議となることはよくある。男がしゃがんで排尿する国もあるし、女が立って排尿することもある。これはとりわけ農婦に多く見られる習慣だ。だが、現代の西欧社会の習慣では、ふつう女はしゃがんでするのがよいとされている。

 一方、立ったままするのは男専用だ。この違いは女の子にとっては最も目につく性的な違いである。排尿するために、女はかがみ、肌を出し、だから隠れなくてはならない。これは不便で恥ずかしい束縛だ。よくあることだが、たとえば大笑いで失禁してしまうと悩んでいる場合、この屈辱感はいっそう大きくなる。女の子の方が男の子よりコントロールしにくい。男の子にとって、排尿機能は好き勝手にできる遊びのようなものもので、自由を発揮できるあらゆる遊びの魅力を備えている。

 ペニスは思いのままに手で扱え、それを介して行動できる。これは子どもの最大の興味の一つだ。ある女の子は男の子がおしっこをしているのを見て、感嘆したように叫んだ。「なんて便利なの(*9)―」好きな方向に放水出来るし、おしっこを遠くに飛ばすこともできる。男の子はここから全能感を得るのだ。

フロイトは「昔の利尿剤への熱烈なる願望」について語っている。ウィルヘルム・シューケル[1868―1940、オーストリアの精神分析医]は良識をもってこの公式に異議を唱えた。しかし、カレン・ホーナイ(*10)[1885―1952、ドイツ生まれのアメリカの女性精神分析学者]が言うように、「とくにサディスト的性格の全能幻想◇1「意味」はしばしば男性の放尿に結びついている」のは事実である。

 一部の大人(*11)たちのうちに生き続けているこれらの幻想子どもにあっては重要である。カール・アブラハム[1877―1925、ドイツの精神分析学者]は「女たちがホースで庭に水蒔きする時に感じる大きな快感」について語っている。私は、サルトルやガスト・パシュラール(*12)[1884―1962、フランスの哲学者]の理論に賛成して、この快感は(*13)必ずしもホースとペニスの同一視から来ているのではないかと考えている。
 すべての放水は奇跡として、引力への挑戦として現れる。それを管理して支配することは、自然の法則に対してささやかな勝利を勝ち取ることだからだ。いずれにせよ、男の子にとって姉妹には禁じられた日々の愉しみがそこにある。そのうえ、とくに田舎では、おしっこ飛ばしをとおして、水、土、苔、雪などの事物と多くの関係を築くことが出来る。

女の子のなかにはこれを体験してみようと、仰向けに寝て「上に向かって」尿を上げようと試みたり、立ちション便の練習をしたりする者もいる。カレン・ホーナイによると、女の子はまた男の子が露出してもよいとされているのを羨ましく思っているらしい。

ある女の患者が一人の男が通りで立小便しているのを見て、いきなり「神さま一つお願いすることにしたら、一生に一度でいいから”男”のようにおしっこをしてみたい」と叫んだと、カレン・ホーナイは報告している。女の子にとっては、男の子は自分のペニスに触る権利があって、それをおもちゃのように使えるのに、女の子たちには自分たちの性器は触れてはならないものとされていると思えるのだ。こういった要因全体が、彼女たちの多くに男性器を所有したいと思わせることを、精神科医たちが集めた大量の調査や告白は証明している。

ハヴェロック・エリス(*14)[1859-1939、イギリスの医者。自体愛は彼の用語]はゼニアという名をつけた患者の言葉を引用している。「放水の音、とくに散水ホースから出る音は、子供の頃眺めた兄やその他の人がするおしっこのほとばしる音を思い出させるので、いつでも非常に興奮しました」。また、もう一人の患者R・S婦人は子どもの頃、幼な友だちのペニスを両手で握るのが大好きだったと語っている。ある日、彼女は散水用ホースを渡された。

「まるでペニスを握っているようで、それを握るのは非常に心地よいものでした」。彼女は、自分にとってペニスはまったくなんの性的意味ももたなかった点を強調している。彼女はペニスをただ排尿するためだけにあると思っていたのだ。最も興味深いのは、ハヴェロック・エリスが聞き取りしたフロリーのケースである。このケースについては、のちにシュテーケルもその分析をおこなっている。というわけでその詳しい要約を次に紹介する。

 これは非常に聡明で、芸術家タイプ、行動的で、生物学的にみて正常、性倒錯者ではないひとりの女性のケースである。彼女の語るところによると、排尿作用は子ども時代におおきな役割を演じていた。彼女は兄弟たちとおしっこ遊びをしたものだが、彼らは手が濡れてしまっても平気だった。

「男性の優越性を最初に感じたのは、排尿器官と関係がありました。私はこれほど便利で飾りにもなる器官を私にくれなかった自然を恨みました。口の取れた急須だって私ほど惨めな思いはしなかったと思います。誰も男の優位、優越感を私に吹き込む必要などありませんでした。目の前に常にその証拠があったのですから」

 彼女自身は外で排尿することに非常に快感を覚えていた。「彼女には森の片隅の枯れた葉の上にしゃーとほとばしるうっとりするような音に比べられるものなど何もないと思われた。そして、それが吸い込まれていくのをじっと見ていたものだった。けれど、彼女は一番魅了したのは、水の中に排尿することだった」。これは多くの幼い男の子たちが感じていることで、池や小川におしっこしている男の子を描いた無邪気で通俗的な版画の類が存在する。

 ズロースの形のせいで、試してみたかったことが体験できなかったとフロリーは嘆いている。田舎を歩き回っているとき、彼女はおしっこをぎりぎりまで我慢して、突然立ったまま放尿してしまうということがよくあった。「この快感がもたらす禁断の奇妙な感覚と、立ったまましゃーとほとばしって出て来ることに驚いたのをはっきり覚えています」。女性心理一般において、子供の洋服の形は非常に重要性をもって彼女は考えている。

「ズロースを下げ、前の方を濡らさないように体をかがめなくてはならないのは私にとって憂鬱の種だっただけでなく、後ろの裾を持ち上げてお尻を出さなくてはならないことが、なぜ多くの女にとって羞恥心は前ではなく後ろの方にあるかを明らかにしてくれます。
私に最初に押し付けられた性の区別とは、男の子は立って、女の子はかがんでおしっこすることで、実際これは大きな違いだったのです。
多分こんなふうにして、私が一番最初に抱いた羞恥心という感情は恥骨にではなく。むしろお尻に結びついていたのです」。これらの印象はどれもフロリーにあっては極めて重要なものだった。

 なぜなら、彼女におしっこをさせるため、父親は血が出るほど彼女を鞭でよくたたいていたし、また、女の家庭教師がある日お尻をぶったからである。彼女はヒズマゾムの夢や幻想に取り憑かれ。学校中のみんなの目の前で女教師から鞭で打たれ、そのとき意思に反しておしっこを洩らしてしまうという「本当に奇妙な快感を与えてくれると考え」が頭から離れなかった。15歳のとき、どうしようもなくて誰もいない通りで立って排尿してしまった。

「自分の感覚を分析してみると、最も重要なのは立っていることの羞恥心と、私と地面のあいだの放射距離の長さでした。たとえ洋服に隠されてたにせよ、この事件を何か重大で滑稽なものにしていたのはこの距離だったんです。普通の姿勢には親しみの要素がありました。

 子どもなら大柄でも放尿の距離はそう長くはなかったはずです。でも、15歳で、背も高かったので、距離の長さを考え恥ずかしく思いました。ポーツマスの近代的小便所に恐れをなして逃げ出した、以前お話したことのある御婦人方には(*16)、女が足を拡げて立ちスカートをたくしあげ下からあれほど長く放尿するなんてことは、とても下品なことに思われるのは確かだと思います」。彼女は20歳で再びこの経験をしてからしばしばそれを繰り返すようになった。

 突然見つかるかもしれない、でも止められないだろうと考えると、恥ずかしさと快感とが入り混じった気持ちを感じるのだった。「勝手におしっこが出て行くような感じでしたが、でも自分の意志でそうした時よりはるかに大きな快感を私にもたらしてくれました(*17)。そうしなさいと決定してくる何か目に見えない力があって、その力によっておしっこが外に出て行くことの奇妙な感覚は女性特有の快感で、なんともいえない魅力なのです。

 自分自身よりはるかに強い意志によって、自分から尿がほとばしり出ると感じることは強烈な魅力があるのです」。その後、フロリーのつねに排尿偏執と混じり合った鞭打ちのエロチシズムは進行していった。

 このケースは幼女体験のさまざまな要素を明らかにしているので大変興味深い。しかし、これは明白に特殊な状況であって、そうした状況がこれらの要素にこれほど大きな重要性を与えているのである。普通に育てられた女の子にとって、男の子の排尿上の特権は劣等感を直接生み出すにはあまりにも二義的な事柄である。精神分析家たちはフロイト以後、単にペニスを発見するだけで心的外傷(トラウマ)が生まれるのに十分だと考えていて、幼児の心的傾向は彼らが想定しているよりはるかに合理性を欠いていて、明確に分類しないで、矛盾があっても平気である。幼い女の子がペニスを見て、「私にもあるわ」とか「私もそのうちに貰えるわ」とか「私にもあるわ」と叫んだとしても、それは嘘をついて自己防衛しているのではない。

 存在と不在は排除しあわない。子どもは、その絵が証明するように、目で見るものよりも、自分が定めた有意味的類型の方をはるかに信じる。だから普通、子どもは見ないで絵を描くのである。いずれにしても、子どもは自分の知覚のなかに、自分がそこに取り入れたものしか見いだせない。

 フェルディナン・ド・ソシュール(*18)[1857-1913、スイスの言語学者。構造主義言語学の先駆者]はこの点をまさに強調して、リュケの非常に重要な次の観察を引用している。「いったん引いた線がまちがいだとわかっても、もうその線はないも同然で、子どもの目には文字通り見えておらず、代わりの新しい線にいうなれば魅了されてしまうのである。紙に間違って描いてしまった何本もの線は気にも留めない」

 男の身体構造は強健な形に作られていて、小さな女の子にしばしば強い印象を与える。そうなると、彼女には自分の身体は全く見えてこない。ソシュールは4歳の女の子が柵の格子から男の子のようにおしっこをしようとして「水の出る小ちゃくて長い物」が欲しいと言っている例を引用している。その子は同時にペニスを持っているとも、もっていないとも言ったりするのだが、これはジャン・ビアジュ[1896-1980、スイスの心理学者。

子どもの認知発達を研究し、発生的認識論を構築した]が記述している子どもにおける「とけこみ」[あるものが同時に別のものである幼児的または原始的思考]によると思考と一致する。女の子は、子どもはみんなペニスを持って生まれてくるが、その後両親がそのうちの何人かを女の子にするために切ってしまうのだと、本気で思っている。この考えは子どもの人工論[すべての物は人間が作ったものだとする幼児的思考]を満足させる。これは両親を神格化することで、「自分が所有する物すべての原因が両親にあるようにとらえるのだ」とピアジェは言っている。子どもは去勢をまず懲罰とみなすのではない。

 それがある種の欲求不満の性格を帯びるためには、女の子がなんらかの理由からすでに自分の状況に不満を抱いている必要がある。H・ドイッチュが適確に指摘しているように、ペニスを見たといった外的な出来事が内的展開の指示を出すはずがないのだ。「男性器をみたということが心的外傷(トラウマ)を生じさせることもありうる。

しかし、それはそういう結果を引き起こしやすい一連の経験が先立って存在するという条件においてのみ言えることである」と彼女は言っている。もし、女の子が自慰や露出の欲求を満たすことが出来なかったり、両親からオナニーするのを叱られたり、兄弟より愛されていない、期待されていないと感じたりすると、彼女は自分の不満をペニスの上に投影する。

「男の子との身体構造相違により女の子が何を発見するかというと、それは彼女が以前から感じていた欲求を確認すること、言ってみれば、その合理化である」(*19)。男の子に特権が与えられて、女の子の目にはペニスがその特権の象徴や理由に見えること、それは両親やまわりの者が男の子の価値を高めたからであるという事実をアルフレッド・アドラー[Ⅰ870-1937、オーストリアの精神分析学者]は適確に強調している。

彼女の兄弟は優れていると見なされ、彼自身も男であることを誇りに思っている。そうなると、女の子は男の子をうらやみ、満たされていないものを感じるようになる。ときには母親に対して、まれに父親に対しても、恨みを持つ。さもなければ、ペニスは切断されてしまったのだと自分を責めたり、体内に隠されていてそのうち出てくると思って自分を慰めたりする。

 ペニスの不在は、たとえ女の子が本当にそれを所有したいと思っていなくても、女の子の運命において重大な役割を演じているのは確かである。男の子がペニスから得る大きな特権は、見たりつかんだり自由にできる器官に恵まれているので、少なくともそこに部分的に自己を疎外できるということだ。自分の肉体の神秘、その脅威、それらを彼は自分の外部に投影する。そうすることで、それとのあいだに距離を置くことが可能になる。もちろん彼はペニスに身の危険を感じるし去勢を恐れている。

 だが、それは女の子が自分の「内面」に対して感じる漠然とした恐れ、しばしば女の一生を通じて続く恐れよりは克服しやすい恐怖である。女の子にとっては自分の内部で起こっているすべてのことが非常に気がかりである。

 最初から彼女の目には自分が男よりはるかに不可解で、生命の謎めいた不安に深く包まれていると映るのだ。男の子には自分で確認できるもう一人の自分「アルテル・エゴ」がいて、そこで自分を確認するので、彼は自分の主体性を果敢に担う事ができる。彼が自己を疎外する対象でさえも、自律、超越(用語解説)、権力の象徴になるのだ。彼はペニスの長さを測ったり、友だちとおしっこをどれだけ遠く飛ぶか比べっこしたりする。のちに勃起と射精が満足と挑戦の源泉となる。

 しかし、女の子は自分の肉体のどの部分にも自分を具現することはできない。その埋め合わせとして、彼女のそばでアルテル・エゴの役目を果たすようにと、他のモノが両手に渡される。人形である。指にけがをしたとき巻く包帯もまた「人形」と呼ばれることに注目する必要がある。

 子どもは着物を着せられ孤立した指を喜びと一種の誇りをもって眺め、疎外のプロセスを自分の言葉でそれを示すからだ。しかし、ペニスという分身、この自然なおもちゃの代わりを最も満足の行くような形にするのは、人間の顔をした小さな人形であり、それがないときには、トウモロコシの穂、または木切れでもよいのである。

 大きな違いは、人形が一方では身体全体を表して、他方では受動的なモノであるという点だ。そのため、女の子は自分の身体全体に自己疎外するように、またこの身体全体を生気のない与えられた条件とみなすように仕向けられる。男の子がペニスのなかに自律的主体としての自分を追求するに対して、女の子は自分がこのように飾られたい、可愛がられたいと夢見ているように、お人形を大事にし、飾り立てる。翻って見ると、彼女は自分をすばらしいお人形(*20)だと思っているのだ。

褒められたり叱られたり、イメージや言葉の意味を発見していく。彼女は気に入られるためには、「イメージのようにきれいに」にならなくてはならないことを知る。彼女はイメージのようになろうとし、変装し、鏡を覗き込み、物語のなかのお姫様や妖精と自分と比べる。こうした幼児的な媚態の際立った一例を示しているのが、マリー・バシュキルツェフ[1860-84、ロシア生まれのフランスの画家、作家。『日記』が有名]である。彼女は三歳半となり離乳が遅かったために、四、五歳頃になってから、可愛いと褒められたい、他の人の言う通りになりたいと強く思うようになったのだが、それは必ずしも偶然ではない。離乳のショックはすでに物心のついた子どもにとっては強烈だったに違いない。分離を強いられた彼女はそれを克服しようと、懸命に努力しなければならなかったのだ。

「五歳の頃、私は母のレースの付いた洋服を着て、髪には花を飾り、客間に踊りにいったものでした。私は名バレリーナのパティパで、家中のものがそこに集まって私を見つめていました・・・・・」と彼女は日記に記している。

 このようなナルシズムは女の子にあっては非常に早く現れ、女の人生においてきわめて重要な役割を演じているので、まるで神秘的な女性本能から来ているように思われがちである。しかし、今まで見てきたように、実際は、解剖学的宿命が女の子のとる態度を定めているのではない。

 女の子と男の子を区別する相違は、一つの事実を女の子が受け入れるのに多様なやり方を取りうるという点である。ペニスは確かに特権があるが、子どもがその排泄機能に関心を失い、社会生活に適応するようになると、その価値は自然に下がる。もし八歳から九歳を過ぎても、彼らの目にペニスが特権を保ち続けるとしたら、それはペニスが社会的に認められた男らしさの象徴となったからである。

 実際、ここでは教育と周囲の人々の影響は計り知れないほど大きい。子どもたちはみな、離乳による分離を気を引いたり媚びる事で補うとする。男の子はこの段階を乗り越えるように義務付けられる。彼はそのナルシズムを自分のペニスに集中させることで、ナルシズムから解放される。

 一方、女の子の方は全ての子に共通する、自分を客体化する傾向のなかに留め置かれる。人形はこの傾向を助長するが、決定的な役割を果たすわけではない。男の子もまた熊のぬいぐるみや道化人形を可愛がり、そこに自分を投影することもある。
 ペニス、人形などのそれぞれの要因が重要性をもつものは、子どもたちの生活が全体としてどのような形態をとっているかによるのだ。

 このように、「女らしい」女の基本的特徴とみなされる受動性は、ごく幼い頃から、女のなかに培われる特徴なのだ。しかし、それを生物学的条件であると主張するのは間違いである。実際にそれは教育にあたる者たちや社会から押し付けられる運命なのだ。男の子が無限の可能性をもつのは、他人に対して存在する彼の在り方そのものが、彼に自分に対して自分を定めるように仕向けられるからである。

 彼は世界に向かう自由な運動として自分の存在を鍛錬しようとする。彼は他の少年たちと厳しさや独立心を競い合う。女の子を軽蔑する。木に登り、仲間と喧嘩したり、激しいゲームで彼らと対抗したりして、自分の肉体を自然と征服する一つの手段として、闘いの一つの道具としてとらえる。自分の性器を誇るように、筋肉を自慢する。遊び、スポーツ、闘い、挑戦、試練をとおして、自分の力をバランスよく使うことを覚える。同時に暴力の厳しい訓練も受ける。殴られること、痛みをものともしないこと、幼い日の涙を拒否することを学ぶ。

 彼は企て、発明し、決行する。もちろん、「他人に対して」存在するものとして自分も試される。自分の男らしさを問い、大人や仲間と比較して多くの悩みごとを抱える事になる。しかし、非常に重要なことは、この自分の客観的形態に対する関心と、具体的なプロジェクトのなかで自分を明確に主張したいという彼の意志とのあいだには根本的対立がないということである。することによって、もっぱら行動のみをとおして、彼は自分を存在させるのである。

 反対に、女にあっては、はじめから、自律的存在と「他者としての存在」のあいだに衝突がある。女は気に入ってもらうためには気に入られるようにしなくてはならない、自分を客体にしなくてはならないと教えられる。だから、自分の自律性をあきらめねばならない。生きた人形として扱われ、自由を禁じられる。

 このようにして一つの悪循環が作り上げられる。自分を取り巻く世界を発見し、把握し、理解するために自分の自由を行使しなくなればなるほど、それだけ自分の可能性を見つけられなくなり、それだけ自分を主体として思い切って確立する勇気がなくなる。もし女の子がそうしろと励まされれば、彼女は男の子と同じ溌剌とした活力、好奇心、自発的精神、大胆さを示すことが出来るはずだ。男のような育てられ方をした時に、そういうことがしばしば起きる。

 その場合、彼女は多くの悩みを抱えずにすむ。興味深いことに、えてして父親が娘に施すのがこうした教育であることがわかる。男親から育てられた女は女らしさからくる欠陥の大部分を免れる。しかし、女の子を男の子とまったく同じように扱うことは慣習に反する。ある村で出会った三歳と四歳の女の子は父親によって半ズボンをいつもはかされていた。村の子供たちはこぞって彼女たちを追い廻した。「あいつらは、女か男か」と。そして、確かめてみようと言い出した。

 それで、彼女たちはお願いだからワンピースを着せてほしいと懇願した。女の子が孤独な生活を送ろうというのでない限り、いくら親が男のこのような態度を許していても、周囲の人々や友だち、先生たちの顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまうのだ・大抵は、おば、祖母、従姉妹たちがいて、父親の影響をうまく補ってくれるものだ。

普通は、娘に関して父親に与えられている役割は二義的なものである。女の上にのしかかる不幸の一つは――ジュール・ミシュレ[1798-1874、フランスの歴史家]がまさに指摘していることだが――、それは幼年時代に、彼女が女たちの手に委ねられることである。男の子も最初は母親に育てられるが、母親は彼の男らしさを尊重する。そして早い時期に、彼は母親から離れていく(*22)。一方、母親は娘を女の世界に完全に組み入れようとする。

 後の章で、母親の娘に対する関係がどれほど複雑なものであるか見てみようと思う。母親にとって娘は分身でありかつ他人である。彼女は娘を威圧的な態度で可愛がるが、一方では敵意を抱く。母親は子どもに自分の運命を押し付ける。それは自分は女らしさを誇らしげにわがものと主張する一つの方法であり、同時にそれに復讐する方法である。

 これと同じ行動が、男性同性愛者、ギャンブラー。麻薬常習者などなんらかの仲間集団に属していることを自慢にし、かつそれを屈辱と感じている人々にみられる。彼らは熱心に勧誘して信奉者獲得しようとするのだ。そのようなわけで、女たちは娘に任されていると、傲慢さと恨みが入り混じった熱心さで、彼女を自分に似た女に変身させようと懸命になる。娘の幸福を心から願っている寛大な母親でさえも、普通は彼女を「ほんとうの女」にする方が安全だと考える。そうすれば最も楽に社会に受け入れてもらえるからだ。それで同じくらいの女の子たちを友だちとしてあてがい、女教師に娘を預けるのである。

女の美徳

 彼女はギリシア・ローマ時代の女性部屋さながらに円熟した女たちに囲まれて暮らす。女の運命の手ほどきとなるような本や遊びが選ばれる。女の知恵がもたらすさまざまの宝が娘に伝えられ、女の美徳が示される。料理、裁縫、家事とともに化粧、魅力、恥じらいなどが教え込まれる。動きにくくしかも大事に扱わなくてはならない高価な服を着せられ。凝った髪形を結ってもらい、行儀作法を押し付けられる。「背筋をしゃんとしなさい。アヒルみたいな歩き方はだめです」。優美になるために、活発な動作は控えなければならない。

 おてんば娘のやるようなことはしてはいけないと言われ、激しい運動やケンカは禁じられる。要するに。姉たちと同じ召使い女にしてかつ偶像となるよう促されるのだ。

 今日、フェミニズムの成果のおかげで、女が学問をしたりスポーツに打ち込むように奨励するのが当たり前になりつつある。とはいえ、それらに成功しなくても、女の子は男の子より大目にみてもらえる。人々はそれとは別の種類の完成を女の子には要求し、それで女の子は成功するのがいっそう困難になる。とにかく、彼女もやはり一人の女であり、女らしさを失わないことが求められるのである。

 もの心つくまでは比較的容易に女の子はこの運命に身を委ねている。子供は遊びと空想のレベルで生きている。子供は在るものをまねして遊び、行為をまねして遊ぶ。行為と存在はそれが空想のなかで行われているかぎりは明確に区別されていない。女の子は男の子の現実の優越性に対して、自分の女としての運命に含まれていてすでに遊びのなかで果たされている約束を代償と見なすことが出来る。彼女もまだ子供の世界しか知らないので、最初は母親の方が父親より権威があるように見える。彼女は世界を一種の母権制のようなものとして想像する。

 母親のまねをして、母親と一体化する。しばしば彼女は役割を逆転しさえもする。「私が大きくなったら、ママが小さくなるの・・・・・」と母親に本気で言う。人形は彼女の分身であるだけではない。自分の子供でもあるのだ。本当の子供は母親にとってはまたアルテル・エゴでもあるだけに、この二つの役割が両立しないことは滅多にない。女の子は人形を叱ったり、罰を与えたり、慰めたりするとき、同時に、母親に対して自分を守り、彼女自身も母親の権威を身につけるのである。彼女はこの母娘カップルの二つの要素を集約しているのだ。

 彼女は自分の人形を信頼し、教育し、人形に対して自分の絶対的権威を確立する。ときには腕をもぎ、たたき、虐待することもある。つまり、人形をとおして主体性の確立と疎外の経験をしているのである。たいていは、母親がこの空想上の生活に加わる。子供は人形を中心に自分の母親と一緒にお父さんお母さんごっこをして遊ぶ。

 これは男が排除されたカップルだ。ここにもまた、生まれながらの神秘的な「母性本能」はまったくない。女の子は子供の世話は母親がするものだと実際に確認し、まわりからもそう教えられる。今でも聞いた話や読んだ本、彼女の小さな経験総てがそれを証明している。

 彼女はそうした未来を豊かなものとして思い描いて楽しむように仕向けられ、これからはそれが具体的な形をとるように人形に与えられている。彼女は自分の「使命」を否応なしに押し付けられているのだ。

 子どもというものが自分に与えられた運命のように見え、また、男の子より自分の「内部」に関心をもつことから、女の子はとりわけ生殖の神秘に好奇心を抱く。彼女は赤ちゃんがキャベツ畑で生まれるとかコウノトリが運んでくるとかという話はすぐに信じなくなる。とくに、弟や妹が生まれると、彼女は赤ん坊が母親のお腹のなかでできることをすぐ知るようになる。

 それに、今の親は昔の親ほどこのことを秘密にしない。普通は、女の子はこの現象を恐ろしいと思うよりも驚愕する。魔法のように思われるからである。彼女もまだその生理的な意味の内容をすべて把握しているわけではない。まず父親の役割を知らないし、なにか食べ物を呑み込んだから妊娠したのだと思っている。これはおとぎ話のテーマだ(物語の王女様が何か果物や魚を食べた後、可愛い女の子や玉のような男の子を産むのはよくある話だ)。

 そして、このことから一部の女たちはのちに妊娠と消化器官とを関連づけて考えるようになる。これらの問題や発見全体が女の子の関心の大部分をとらえて、その想像力を培っていくのである。典型例として、ユング(*23)[1875-1961、スイスの精神医学者]が集めた事例を引用してみよう。ここにはほぼ同じ頃にフロイトが分析したハンス少年の事例と非常に類似する点が示されている。

 アンナが両親に赤ん坊がどこから来るのかと質問しはじめたのは三歳頃である。それは「赤ちゃん天使たち」なのだと聞いて、彼女は最初、人は死ぬと天国に行き、赤ちゃんの姿に生まれ変わるのだと思い込んだようであった。四歳の時、弟ができた。彼女は母親の妊娠に気付かなかったらしい。出産の翌日、母親がベットの横になっているのを見たとき、彼女は戸惑いと疑いの目で母親をじっと眺めてから、ついに聞いた。

「ママは死ないの?」彼女はしばらく祖母の家にやられていた。彼女ははじめ看護婦を嫌ったが、すぐに看護婦ごっこをして遊ぶようになった。彼女は弟に嫉妬した。嘲笑ったり、一人話をしてみたり、言う事を聞かなかったり、おばあちゃんの家にまた行ってしまうと脅かしたりした。彼女はしばしば本当のことを言ってくれない母親を責めた。子供の誕生について、嘘をついているのではないかと疑っていたからだ。
 子供を「もつ」といっても、看護婦としてと、母としてでは違っているらしいと彼女は漠然と感じていたので、母親によく尋ねた。「私もママみたいな女の人になるの?」彼女は夜中に大声で両親を呼ぶくせがついてしまった。まわりでメッシーナ地震が大いに話題になっていたので、彼女はそれを不安の言い訳にした。そのことについて絶えず質問していた。

 しかしある日、いきなり尋ね始めた。「どうしてソフィは私より小さいの? フリッツは生まれる前はどこにいたの? 天国にいたの? そこで何をしていたの? どうして、今になって降りて来たの?」。母親はとうとう土に草花が生えるように、お腹の中に弟が生えたのだと説明した。アンナはこの考えに大変満足したようで、次にこう聞いた。「彼は一人で出てきたの? ――そうよ。――でも歩けないのにどうやって?――はって出てきたの。――じゃあ、そこに穴から出てきたの?」。

彼女は返答も待たずに、コウノトリが運んできたってことはよく知っているわと大声で言った。そして夜になって突然こう言った。「私のお兄ちゃんはイタリアにいるの。壊れないガラスと布でできた家にいる(*24)のよ」。それから地震に興味を示したり、噴火の写真を見せとせがむこともやめた。彼女は人形にコウノトリの話をまだしてはいたが、自信なさそうであった。

 しかしまもなく、新しい好奇心がわいてきた。父親がベッドにいるのを見て、「どうしてベッドにいるの? パパもお腹に何か草が生えてきたの?」。彼女は夢の話をした。

 自分の持っているノアの箱舟の夢だった。「それでね、下のところが開くようになった蓋があったの。小さい動物さんたち、その出口かにみんな落っこっちゃったの」。実際には、彼女の箱舟は屋根が開くようになりたいたのだ。彼女はまた悪夢を見た。父親の役割を自問しているのだと察することができた。ある妊娠した女性が母親を訪ねてきた。翌日、彼女はアンナがスカートの下にお人形を入れ、頭を下にして次のように言いながらゆっくり人形を取り出すのを見た。

「ほらね、赤ちゃんが出て来るわよ。もうほとんど、ほら全部出たでしょう」。それからしばらくして、オレンジを食べながら言った。「私、それのみ込んで、ずっと下、お腹の一番下までおろしたいの。そしたら私も赤ちゃんができるわ」。ある朝、父親はトイレにいた。彼女は彼のベッドに飛び乗り腹ばいになって、次のように言いながら足をバタバタ動かした。「ねえ、こうじゃない。パパはこうするんでしょう?」五カ月の間、彼女は自分の関心事を放棄してしまったかのように思われた。

 次いで父親に警戒心を示し始めた。父親が自分を溺れさせようとしたなどと何かそういう思い込みをもったのだ。ある日、庭師の見ているところで、土の中に種を埋めて遊んでいて、父親に聞いた。「目や顔に植え付けられたの? 髪の毛も?」。父親は生えて来る前から赤ちゃんの体のなかには、もうすでにその芽があったんだと説明した。

性器

「でも、どうやってフリッッ坊やはママの中に入ったの? 誰がママに植え付けたの? 誰が体のなかにパパを植え付けたの? そして、どこからフリッッ坊やは出てきたの?」。父親は、微笑みながら言った。「おまえはどう思うんだい?」。そこで彼女は自分の性器を指さした。

「ここから出て来たんじゃない? ――その通りだよ。――でも、どうやってママの中に入ったの? 種蒔きしたの?」。父親はそこで、パパが種蒔きしたんだと説明した。彼女は完全に満足した様子で、翌日には母をからかった。「フリッッは小さな天使で、コウノトリが運んできたんだってパパが話してくれたわ」。

彼女は以前よりずっと穏やかな様子を見せるようになった。にもかかわらず、彼女は庭師たちが立ち小便をしていて、その中に父親がいる夢を見たりした。また、庭師が引き出しにカンナをかけているのを見た後、彼女の生殖器にカンナをかけている夢も見た。彼女はまさに父親の正確な役割を知ることで頭がいっぱいだったのだ。五歳でほぼ完全に教えてもらって、その後は、それについてなんの不安も見せなかったようである。
籠に入れて歩き、ゆりかごのなかにポンと放り投げたり、お乳をあげたりする。男の子も女の子と同じように、母性の神秘に魅せられている。子どもはみんな「深い」想像力があり、事物の内側にある秘密の宝を予感できるのだ。どの子も、小さな人形がおなかに入っている人形、箱がなかに入っている箱、中心にそのミニチュア版の複製画がはめ込まれた版画など「いれ子」の奇跡を感知する能力をもっている。目の前でつぼみを開いたり、卵の殻の中のヒナを見せたり、「水中花」が水鉢のなかで繰り広げる脅異を見たりしたら、子どもは誰でも魅了される。

 ある男の子は、復活祭の卵を開け、砂糖でできた小さな卵がいっぱい詰まっているのを見て、有頂天なにって叫んだ。「わあー ママみたいだ―」。お腹から子どもを出すこと、それは手品の技のようにすばらしいことなのだ。母親は妖精の素晴らしい力を持っているように見える。

 男の子の多くはこういう特権が自分たちに拒まれていることを残念に思う。のちに、彼らが卵を巣から取り出したり、若い草木を踏みつぶしたり、自分の周りにある生命を一種の怒りを持って破壊したりしたら、それは自分たちが生命を生み出すことができないことへの復讐なのだ。一方、女の子の方はいつかそれを生み出せると思い悦に入るのである。

 こうした期待が人形遊びによって具体化されるのに加えて、家庭生活もまた女の子に自己確立の可能性を与える。家事の大部分はかなり小さな子どもでもできる。普通、男の子は家事をしなくてもよい。しかし、姉や妹は掃除、ちり払い、野菜の皮むき、新生児の入浴、鍋の火加減を見る事など、やっていいところかやらせられる。

 とくに長女はたいてい母親の仕事を分担する。便利なためか、敵意やサディズムのためか、母親は自分の仕事の多くを長女に負わせる。そうやって、長女は早くから勤勉な世界に組み込まれる。彼女の自分の重要性を感じ、それに助けられて自分が女であることを積極的に受け入れる。損得勘定をしなくてすむ幸せとか、子どもらしい無頓着さは彼女には許されない。

 年齢より先に女になってしまった長女は、こういう特定化が人間に課す限界をあまりにも早く体験する。青春時代にはすでに大人で、それが彼女の生涯に特異な性格を与える。過度な仕事を背負わされた女の子は早くから奴隷のようになり、喜びのない生活を強いられるのである。しかし、能力に見合った努力のみが要求される場合には、大人のように自分も役に立つのだと誇りに思い、大人たちとの連帯を喜ぶ。

 この連帯感は子どものから主婦までの距離がそれほど遠くないから可能なのだ。専門的な仕事についている男は何年も修業を積むことで子どもの段階から隔てられている。

 父親の活動は男の子にとってはまったく謎に包まれている。

男の子のなかには将来彼がなるような男の姿はまだほとんど輪郭を現していない。反対に、母親の活動は女の子にとっては近づきやすいものだ。「小さいけれど、もう一人前の女だね」と両親は言う。またしばしば、女の子たちにあっては伝統的にこの段階が幼稚な段階にとどまっているからである。事実は、彼女が早熟だと思い、生まれたばかりの赤ん坊のそばで「小さな母親」の役を演じて満足しているということだ。彼女はよくもったいぶって、分かったような口を利き、命令する。子どもの領域に閉じ込められている兄弟には偉そうな態度をとり、母親とは対等に話をする。

 こうした代償を得るにもかかわらず、女の子は与えられた運命を甘受するのではない。大きくなるにつれて、男の子に対して男であることをうらやましいと思うようになる。両親や祖父母が娘より息子を欲しかったという気持ちをつい見せてしまったり、妹より弟を可愛がったりすることがある。いくつかの調査によると、大部分の親は娘より息子をほしいと願っている。周囲は男の子にはより真面目により尊重しながら話しかけ、より多くの権利を認める。

 男の子自身も女の子を軽蔑的に扱う。男同士だけで遊び、女の子は仲間に入れず、侮辱する。なかでもとくに彼女たちを「小便くさい」と呼び、こういう言葉によって少女の幼い頃の密かな屈辱を甦らせるのだ。フランスの男女共学の学校では、男子のカースト的集団が女子のカースト集団を故意に圧迫したりいじめたりする。ところが、もし女子の集団が彼らと競争や争いをしようとすれば、彼女たちの方が叱られる。

 男の子が自分を特別に目立たせようとしている行動を、女の子は二重の意味で羨ましいと思う。なぜなら、彼女たちも世界に自分の力を明示したいという自然な望みがあり、また自分たちが強いられている男より劣った状況に異議があるからである。女の子はとりわけ木登り、ハシゴ登り、屋根の登りを禁じられているのが苦痛だ。

 アドラーは高低の観念は非常に重要であると指摘している。空間的上昇の観念は数多くの英雄神話に見られるように精神的優越性を意味する。頂上、頂点に到達するということは、与えられた世界の向こう側に絶対的主体として立ち現われることである。男の子の間では、これはしばしば挑戦のきっかけになる。こういう勇敢な行動が禁じられた女の子は、木や岩の根元に坐って、勝ち誇った男の子をはるかに上の方から眺めながら、身体も魂も自分は劣っていると感じる。

 かけっこや高跳びで後ろの方に取り残された時、またケンカで地面に投げ出されたり、ただの怠け者にされたりするときも同じ気持ちになる。

 子どもが成長するにつれて、さらに世界は広がり、男の優越性はいっそうはっきり現れてくる。そうなるとたいてい、母親との一体化はもはや満足のいく解決策とも思えなくなる。女の子がはじめて女としての自分の使命を受け入れるにしても、それは彼女が諦めようとするからではない。反対に、支配するためである。結婚した女たちの社会が特権的に見えるから、自分も同じように主婦になりたいと思うのだ。ところが、人と付き合ったり、勉強したり、遊んだり、本を読んだりして、母親の圏内から離れるようになると、世界の支配者は女ではなく男だということに気づく。

 この直感的認識が――ペニスの発見よりももっと確かに――女の子の自己意識を否応なしにかえてしまうのである。

 性の序列をまず家庭生活の経験をとおして女の子は発見する。

父親の権威は日常的に感じられるものではないにしても、絶対的であることが少しずつわかってくる。この権威は滅多に使われないので、いっそう輝かしさを帯びる。実際には母親が主婦として家庭を取り仕切っていても、母親はたいてい父親の意志をうまく隠れ蓑にする。重要な時には、母親は、父親の名において、父親を通して、命令したり、褒めたり、罰を与えるのだ。

 父親の生活は不思議な威厳に包まれている。彼が家で過ごす時間、書斎、彼を取り巻く品々、彼の用事、習癖などは神聖な性格がある。家族を養うのは彼である。彼はその責任者であり長なのだ。普通は外で働いている。

 彼を通して家庭は外の世界とつながっている。父親は、この波乱に富む、広大で、困難で、すばらしい世界を具現する。父親は超越であり、神でもある(*25)。これこそ、自分が身をすり寄せるその強い肉体の中に、娘が肌で感じるものだ。

 かつて、イシス[エジプト神話。死者の守護神]がラー[エジプト神話、太陽神]に、地球が太陽に王座を奪われたように、母親は父親によって王座を奪われる。しかし、そうなると、女の子の状況は根本的に変化する。なぜなら、彼女はいつか自分の全能の母親のような女になる事を求められていたからだ。――彼女が絶対的力をもつ父になる事はけっしてないだろう。

彼女を母親に結びつけていた絆は積極的な対抗意識だった。――いまや、彼女は父親が価値づけてくれるのを受け身で待つことしかできない。男の子は対抗意識を通して父の優越性をつかみとる。一方、女の子は称賛しつつ空しい思いでその優越性を受け入れる。すでに述べたが、フロイトが「エレクト・コンプレックス」[娘の、母親への憎しみと父親への愛を言う。一巻、354ページ◇4参照]と呼んでいるものは、彼が主張するような性的欲望ではない。

 それは従属と称賛のなかで客体になることに同意した主体の完全な自己放棄である。父親が娘に愛情を見せる時、娘は自分の存在がすばらしく正当化されたと感じる。

 彼女は他の人たちからなかなか手に入れられない美質をことごとく備えているのだ。彼女は満ち足りていて、神のように崇(あが)められる。生涯を通して、彼女がこの充足と平和と郷愁をもって追い求めることもありうる。この愛情が拒否されると、彼女は自分に罪があり、だから、罰が与えられたのだと永遠に感じ続けるかも知れない。

 もしくは、自分の価値づけを他に求めたり、父親に冷淡になるか、または敵意さえ抱くかもしれない。それに、父親だけが世界の鍵を握っているわけではない。男なら誰でも普通、性的威信を分かちもっているのだ。とはいえ、彼らは父親の「代用品」とみなすべきでない。祖父、兄、おじ、友だちの父親、家族の友人、先生、司祭、医者が彼女を魅了するのは、直接に彼らが男であるからなのだ。大人の女が〈男〉に対して示す感動にあふれた尊敬は〈男〉を偶像化するのに十分であろう(*26)

 この性の序列化が女の子の目に深く刻印されるように、あらゆることが貢献している。彼女が受けた歴史や文学の教養、あやされながら聴いた歌や伝説は男を賛美している。ギリシア、ローマ帝国、フランス、すべての国家をつくったのは男たちであり、大地を開墾する道具を発明したのも男たちだ、大地を支配し、彫像、絵画、書物でいっぱいにしたのも男たちだ。伝説、おとぎ話、物語の反映である。女の子が世界を探求し、そこに自分の運命を読み取るのは男の目を通してである。

 男の優位は圧倒的だ。一人のジャンヌ・ダルク[1412-31、百年戦争でイギリス軍を破り、フランスの危機を救う]に対して、ペルセウス、ヘラクレス、アキレス[以上三人はギリシャ神話の英雄]、ダビデ王[前11―10世紀、イスラエルの王]、騎士ランスロット[『アーサー王物語』の中でも有名な登場人物]、デュゲクラン元帥[14世紀、百年戦争下の元帥]、武人バイヤール[1476―1524、「怖れを知らぬ理想の騎士」の異名をもつ]、

 ナポレオンなど、なんと多くの男がいる事か。そのうえ、ジャンヌ・ダルクの背後には大天使ミカエルという偉大な男性像が浮かび上がっている― 有名な女たちの伝記ほど退屈なものはない。それらの人物像は偉大な男たちに比べてまったく生彩がない。しかも、その大部分は何人かの男の英雄の影に包まれている。イヴは自分自身のために造られたのではなく。アダムの伴侶として彼の脇腹から引き出され造られた。『聖書』のなかには名だたる活躍をした女はほとんどいない。ルツ[「ルツ記]の女主人公は夫となる人を見つけることはしなかった。

エステル[「エステル記」に登場するユダヤ人の女]はペルシア王アハシュエロスの前にひざまずき、ユダヤ人たちの赦免をとりつけたが、彼女にしたところで養父モルデカイの手中にある従順な一つの道具にすぎなかった。ユディット[古代ユダヤの英雄的女性。祖国を救うため、敵将ホロフェルネスを誘惑してその首を切り落とした]はもっと大胆であったが、彼女はまた司祭に従っただけで、その功績には疑わしい後味の悪さがある。

若きダビデの純粋で輝くような勝利には比べようもないだろう。神話の女神たちは軽薄か気まぐれで、最高神ユピテルの前ではみな震えあがる。プロメテウス[ギリシア神話。天上の火を人間に与えるために盗み、ゼウスの怒りを買う]し天国の火をみごとにかすめとるが、一方、パンドラ[ギリシア神話に登場する地上最初の女]は災いの箱を開けてしまった。

おとぎ話のなかには恐るべき力をふるう魔女や老婆も確かにいる。なかでもアンデルセンの『天国の庭』のなかの風母神の姿は原始的な大女神を思わせる。四人の巨大な息子たちは震えながら彼女に服従している。息子たちが悪さをすると、彼女は彼らをたたき、袋に閉じ込めてしまうのだ。しかし、ここには人を引きつける登場人物はいない。雄の支配を逃れている妖精、人魚、水の精たちのほうがもっと魅力的だ。

しかし、その存在は不確かで個性というものがほとんどない。彼女たちは固有の運命をもたないまま人間の世界に介入する。アンデルセンの小さな人魚は人間の女になったその日から、愛の束縛を知り、苦しみがその運命となる。

古代の伝説と同じように現代の物語のなかでも、男は特権的英雄だ。セギュール夫人[Ⅰ799-1874、フランスの女性童話作家]の本だけが興味深いことに例外的だ。それは母系社会を描いていて、夫が登場するときは滑稽(こっけい)な役割になっている。しかし通常、父親像は現実の世界と同様に栄光の輝きで包まれている。『若草物語』[アメリカの女性作家L・Mオールコットの家庭小説]の女のドラマは、不在によって神聖化された父親の庇護というかたちで展開する。

冒険小説では、世界一周したり、水夫となって航海したり、ジャングルのなかでパンの木の実を食べるのは少年たちだ。重大な出来事はことごとく男が起こしたものだ。現実がこれからの小説や伝記を確証する。女の子は新聞を読んだり、大人の会話を聞いたりして、今も昔も世界を率いているのは男なんだと確認する。彼女がすばらしいと思う国家の長も、将軍も、探検家、音楽家、画家も男である。彼女の胸を情熱でときめかすのは男たちなのだ。

この威信は超自然的世界にも反映されている。女の生活のなかで宗教が演じる役割のせいで、一般的に、女の子はその兄弟以上に母親に支配されていて、宗教的影響もより多く受けている。さて、西欧の諸宗教においては、父なる神は一人の男、男性特有の特徴である白い豊かなあごひげをもつ一人の老人(*27)である。キリスト教徒にとって、キリストはさらにいっそう具体的で、金髪の長い髭を生やした生身の一人の男である。

神学者たちによると、天使に性別はない。しかし、天使たちは男の名前を持ち、美少年の姿で現れる。地上における神の使者たち、つまり、人々がその指輪に接吻するローマ法王、司教、ミサを唱える説教を行い告解室の秘密のなかで人々はひざまづかされる司教、彼らはみんな男である。

女のセクシャリティ

敬虔な女の子にとって、永遠の父との関係は、彼女が地上の父親ともっている関係に似ている。これらの関係は想像の領域で展開されるため、彼女はより完全な自己放棄さえ体験する。とくに、カトリックの教えは最も迷える女の子に影響を与える(*28)。聖母マリアは天使の言葉をひざまずいて聞き、「私は主の婢女(はしため)です」と答える。

マグダラのマリアはキリストの足元にひれ伏して、女の長い髪でキリストの足を拭う。聖女たちはひざまずき、光り輝くキリストに彼女たちの愛を誓う。ひざまずき、香の匂いのなかで、子どもたちは神と天使たちの眼差しに、つまり男の眼差しを身にゆだねる。女たちが語る官能的な言葉と神秘的な言葉の類似についてしばしば強調されてきた。たとえば、聖女テレーヌ[1873-97、フランスのカルメル会修道女]はこう書いている。
 おお、私の〈愛する人よ〉、あなたの愛によって、あなたの眼差しの優しさを、この世で見ることがかなわなくとも、あなたはあなたの唇のえもいわれぬキスを感じることがかなわなくても構いません。でもお願いです。あなたの愛で私をどうか燃えあがらせてください・・・・・。

愛する人よ、あなたの最初の微笑みの
優しさを今すぐ見せてください。
ああー 燃えるような妄想のなかにわたしをそっとしておいてください、
そうー あなたの心のなかにわたしをかくまってくださいー

あなたの神々しい眼差しに私は魅せられたい、あなたの愛の虜になりたい。いつか、そうなってほしい。
あなたは私を愛の家に連れて行き、私の上で溶けてしまうでしょう。あなたは私をついにこの燃えるような深遠のなかに沈め、永遠に幸せな犠牲(いけにえ)にしてしまうでしょう。
 
 しかし、以上のことから、こうした感情の吐露がつねに性的なものである結論付けてはならない。
 むしろ、女のセクシャリティが発達していくとき、子どもの頃から女が男に捧げてきた宗教的感情がすでにそこには浸透しているのである。女の子が聴罪司祭に対して、または誰もいない祭壇の下ですら感じる震えが、のちに恋人の腕の中で感じる震えと非常に近いことは確かだ。なぜなら、女の愛は、ある意識がそれ[意識]を超越する一つの存在に対して自分を客体化する経験の形態の一つであるからである。これはまた若い敬虔な娘が教会のなかで密かに味わう受動的な歓喜でもある。

 ひれ伏し両手に顔をうずめた若い娘は自己放棄の奇跡を知る。ひざまずくことで天に昇ることもでき、神の腕に身をゆだねることで雲や天使に包まれた〈昇天〉が約束される。彼女はこのすばらしい経験をもとに地上における自分の未来を作りあげていく。しかしまた。女の子は他の多くの道をとおして未来を発見することもできるのだ。

 それなのに男の腕のなかにうっとりと身を委ね、栄光の天国に運ばれるようにと、あらゆることが彼女を捉えている。彼女は幸せになるためには愛されなくてはならないと教えられる。女は、「眠りの森の美女」、「ろば皮姫」、「シンデレラ」「白雪姫」であり、受け入れ耐え忍ぶのだ。歌や物語のなかには、危険を冒して女を探しに行く若者が登場する。彼はドラゴンをやっつける巨人と闘う。

 女の方は搭やお城、庭や洞窟に閉じ込められている。岩に繋がれ、囚われの身となり、眠り込んでいる。彼女は待っているのだ。いつか王子様がやってくるわ・・・・・・(いつかやってくるわ、わたしの愛している人が・・・・・・)、

 ポピュラーソングのリフレインが忍耐と希望の夢を彼女に吹き込む。女にとって一番必要なこと、それは男の心を魅了することである。たとえ勇敢で向こう見ずであっても、すべてのヒロインが切望するのはこの報酬なのだ。そして大抵は、美貌以外の美徳は要求されない。

 女の子が自分の肉体的外見を気にしているうちに、それが本物の強迫観念になりうるということは理解できる。王女様だろうが女羊飼いだろうが、愛と幸せを手に入れるために常に美しくなくてはならない。醜さは残酷にも意地悪さにつながっている。醜さが理由で不幸になったとき、運命が罰するのは彼女たちの罪なのか、それとも彼女たちの醜悪さなのかあまりはっきりしない。

 素晴らしい未来を約束された美しい乙女は、だいたい最初は犠牲者の役柄で登場する。ジュヌヴィエーヴ・ド・ブラバン[欧州伝説の女性で、夫にあらぬ疑いをかけられ、森の奥へ追放された末に、命を失う]や、グリゼリディス[ボッカチオ、ベトラルカ、チョーザなどの作品に扱われている模範的で温順な忍耐強い女性]の話はそれほど純真無垢な話ではない。

 愛と苦しみが心を掻き乱しながら交錯する。女が最もすばらしい勝利を手にするのは屈辱の底に落ちることによってなのだ。相手が神であろうが一人の男であろうが、女の子は最も完全な自己放棄に同意することで自分は絶対的力を持つものだということを学ぶ。

 彼女は最高の勝利を約束してくれるマゾヒズムを楽しむ。ライオンの爪にひっかかれて白い肌を血で染めた聖女ブランディーヌ[キリスト教信者の女奴隷で、177年リヨンで殉教]、ガラスの棺に死者のように横たわる白雪姫、眠り姫、気を失ったアタヨ[ジャトープリアンの小説『アタラ』の主人公]など、受け身のままで、傷つけられ、虐められ、屈辱を受け、辱められる、これらのやさしいヒロインの一群が後輩たちに教えるのは、虐待され捨てられ、諦めた美しさが発する魅力的な威光なのだ。

 兄弟が英雄ごっこをして遊んでいるのに、女の子の方が進んで殉教者ごっこをするのは別に驚くことではない。異教徒たちはライオンの群れに彼女を投げ入れ、ペロー[フランスの詩人、批評家、童話作家。『赤ずきん』『シンデレラ』など]の〈青ひげ〉[ペローの童話に登場する、六人の妻を殺した男]は髪を掴んで彼女を引きずり回し、夫である王は彼女を森の奥深くに追放する。

マゾヒズム

 彼女はあきらめ、苦しみ、死に絶える。そのとき、彼女の額には栄光の輝きが射してくるのだ。「まだほんの小さな子どもだったにもかかわらず、私はもう男の愛情を自分に引き寄せたい、彼らを心配させたいと願っていました」とアンナ・ド・ノアイュ夫人[1876-1933、フランスの女性詩人]は書いている。このようなマゾヒズムの夢の顕著な例はマリー・ル・アルドゥアンの『黒い帆』に見られる。

 七歳のとき、どの肋骨だったか、私は最初の男を創りました。大きくて痩せていて、とても若く、長い袖を地面に引きずるような黒いサテンの服を着ていました。その美しい金髪は肩に巻き毛となって重く垂れていました・・・・・私は彼をエドモンドと名づけました・・・・ついで、彼に二人の弟を与える日がやってきました。

 この三人の兄弟、エドモンド、シャルル、セドリックは三人とも黒い服を着て、金髪ですらっとしており、私にも奇妙な幸福感を味わわせてくれました。絹の靴をはいた彼らの足があまりにきれいで、またその手があまりに華奢(きゃしゃ)だったので、彼らの動作一つひとつが魂をゆさぶりました・・・・・私は彼らの妹マルグリットになりました・・・・私は兄たちの気まぐれや意のままになっている自分を想像するのが好きでした。上の兄のエドモンドが私の生死の鍵を握っているのだと空想しました。

 私には顔や目を上げて見る事が許されてはいませんでした。彼は些細な理由を付けては私を鞭で打ちました。彼に話しかけられると、私は恐れて悔いの念で気が動転してしまい、何と答えてよいかわからず、ただ「はい、殿下」、いいえ、殿下」とひたすら口ごもって言うだけでした。そうやって私は自分を愚かだと感じる妙な喜びを味わいました‥‥彼が私に課す苦痛があまりに強い時には、私は「ありがとうございます、殿下」とつぶやくのでした。

 苦痛はほとんど気絶しそうになる時がありました。私は叫び声を上げないようにするため、唇を彼の手に当てました。そのとき、心が張り裂けるような衝動に襲われ、私は幸せの余り死んでしまいたいという状態に達するのでした。

 多かれ少なかれ、かなり早い時期に、女の子は自分がすでに恋愛できる年齢に達したと空想する。九歳か十歳で、化粧を愉しみ、ブラウスにパットを入れて胸をふくらませて、レディーの扮装をする。しかし、男の子を相手に性的体験をしようとするのではまったくない。もし男の子とトイレに行って、「見せ合いっこ」遊びをしたとしても、それは単に性的好奇心からにすぎない。だが、愛の夢想の相手は大人である。

純粋に想像上であっても、また現実の人間に呼び起されたものであっても、とりわけ後者の場合、子どもは遠くからその人を愛することに満足するのだ。コレット・オードリー(*29)[フランスの現代女性作家]の思い出の中に、こうした幼少期の夢想の適切な例が見られる。彼女は五歳のときすでに愛を見出したと語っている。

それはもちろん、幼少期のちょっとした性的快楽、たとえば食堂のある椅子に馬乗りしたときや寝る前に自分の体を撫でたときに感じた満足とはなんの関係もありませんでした‥‥愛の感情と快楽との唯一の共通点は、私が周囲に両方とも注意深く隠していたことでした・・・・その青年への私の愛は、寝る前に彼に思いを馳せてあれこれ素晴らしい話を想像することだったのです。

プリヴァで、私は次々に父の事務所の所長さんに恋をしました・・・・でも彼らはそこをやめるからといって悲嘆に暮れるようなことは決してありませんでした。彼らは愛の夢想の口実でしかなかったからです・・・夜、横になると、私は自分があまりにも幼く臆病すぎることに対して復讐しました。私はすべてを念入りに準備しました。

彼を目の前に思い浮かべることは難なくできましたが、問題は自分を変えることでした。なぜなら、私は私であることをやめて、別の女性になっていたからです。まず私は美人で18歳でした。一つのドラジェ菓子の箱が随分役に立ちました。それは平たい長方形のアーモンドボンボンの箱で白い鳩に囲まれた二人の若い娘が描かれていました。

私は茶色の髪を短くカールした女の子の方で、モスリンの長いワンピースを着ていました。私たちには10年間の空白期間がありました。戻って来た彼は昔とほとんど変わらず、そのすばらしい乙女を見て、とても感動しました。彼女は彼を思い出したように見えず、いつものままで、彼に気に掛ける風でもなく、機知にあふれていました。私はこの初めての出会いの為に、本当にみごとの会話を作り上げたのです。その後、誤解があり、彼女の心をなかなかつかめず、彼にとっては失望と嫉妬の残酷な時期が続きます。

ついに、彼はぎりぎりのところまで追い込まれ、彼女に愛の告白をしました。彼女は黙ってそれを聞き、彼がすべてを失ったと思ったその時、ずっと彼を愛し続けてきたと彼に伝えたのです。二人はしばらく抱き合っていました。普通、このシーンの舞台は夕暮れの公園のベンチでした。私は二つの影が近づくのを見、ささやき声を聞くのです。同時に私は肉体と肉体の熱い触れ合いを感じます。

でもそれから先はすべて紐が弛んだようになり・・・・結婚にまで至ることは絶対ありませんでした(*30)・・・・翌日、顔を洗うとき、ちょっとそのことを考えるのでした。

私には鏡の中の石鹼だらけの自分の顔がなぜ自分を魅了し(他の時には自分を美しいとは思いませんでした)、希望で満たしたのかわかりません。私は何時間でも、未来への道のりのはるか向こうから私を待っているように見える、ちょっとのけぞった、このぼんやりした顔をじっと眺めていたのではないでしょうか。でも急がなくてはなりませんでした。一度顔を拭いてしまえばもう終わりで、いつもの平凡な子どもの顔が現われ、もう何も興味をひくことではありませんでした。

遊びと夢想は女の子を受動性の方向に導く。しかし、彼女は女になる前は、一人の人間存在である。そして、女としての自分を受け入れる事は自分を放棄すること、去勢されることだと既に知っている。責任放棄には心を引かれても、去勢されるのは厭だ。〈男〉、〈愛〉はまだ未来の霧の中にある。いまは、女の子も兄や弟と同じように、能動性や自主性を求めている。自由の重荷は子どもにはそれほど負担ではない。責任を伴わないからだ。

大人の保護のもとで自分は安全だとわかっている。自分から逃げたいとは思わない。生命に向かう自発的躍動や遊び、笑い、冒険への好みは女の子に母親の枠のなかを狭く息苦しいと感じさせる。母親の権威から逃れたいと思う。これは男の子が受け入れなくてはならない権威よりはるかに日常的かつ私的なかたちで行使される権威だ。

シドニー=ガブリエル・コレット[Ⅰ873-1954、フランスの女性作家]が愛情こめて描いたあの『シド』[シドは彼女の母の愛称]の家と同じような理解にあふれ、つつましやかな権威というのは稀なケースである。母親がある種の虐待者で、子ども相手に支配本能とサディズムを満たすという半病理的ケース――よく見受けるケース(*31)――については言うまでもないが、娘は、母親が面と向かって自分を絶対的な主体として主張しようとするのに格好の客体なのだ。この思い上がりは子どもを激しい反抗に導く、C・オードリーは普通の娘の反抗心を次のように描いている。

私には真実を、たとえそれがどれほど潔白であったとしても、答える事は出来なかっただろうと思います。母を前にして自分が潔白だとは決して感じられなかったからです。彼女がいなくてはならない大人で、まだなお彼女から解放されないうちは、彼女を恨んでいました。私の奥には荒れ狂った残忍な傷のようなものがあり、その傷口がいつも開いていたのは確かです。

母が厳しすぎるとか、母にそんな権利はないとか思っていたのではありません。私はただ渾身の力を込めて、いやい、いや、いやと思っていたのです。私が母を責めたのはその権威のせいでも命令のせいでも独断的な禁止のせいでもありません。母が私を屈服させたいと思っていたからです。彼女はよくそう言っていましたし、言わない時でも目が、声がそう語っていました。

また、彼女が奥さんたちに子どもは懲罰の後ではずっと従順になるものだと語っていたこともありました。この言葉は喉に引っかかっていて忘れることはできませんでした。吐き出すことも呑み込むこともできませんでした。それは、この怒りは、母を前にした私の最悪感であり、自分に恥じ入る気持ちでもありました(なぜなら、とにかく私は母が恐ろしかったし、自分としては反撃のつもりで、乱暴な言葉をちょっと使うか、生意気な態度をちょっととるくらいしかできなかったからです)。

でも、ともかく、それは私の勝利でもあったのです。なぜなら、傷口がそこにあるかぎりそして無言の狂気が生きていて、それが私を捕らえ、ただ、屈服、従順、懲罰、屈辱と繰り返すかぎり、私は屈服させられることはないからです。

母親が威信を失ってしまっている場合がしばしばあるが、そうなると反抗はよりいっそう激しくなる。
母親は待ち、耐え、嘆き、泣き、大騒ぎする女のように見える。日々の現実のなかで、この報われない役割はなんの光景ももたらしてはくれない。母親は犠牲者として軽蔑され、ヒステリックな女といて嫌われる。彼女の運命は無味乾燥な繰り返しの典型とみなされる。彼女は愚かにも人生を反複されるだけで、それが辿り着く先はないのだ。

 彼女は主婦の役割に固執して、存在の発展をやめる。彼女は娘にとって障害であり、否定である。娘は母に似たくないと思う。娘は、女優、作家、教師といった女の拘束から逃れた女たちを崇拝する。スポーツに勉強に夢中になり、木に登ったり、洋服を破ってしまったり、男の子と競争しようとする。一番多いのは、胸の内を明かすことのできる同性の心の友をつくることである。

 これは恋愛感情のような独占的な友情で、たいていは性の秘密を分かち合おうことを含んでいる。少女たちは手に入れることができた情報を交換しあったり、批評したりする。少女の一人の友達の兄弟を好きになって、三角関係になることもよくある。

 こうして『戦争と平和』のなかでソーニャはナターシャの心の友で、彼女の兄ニコライを愛するのだ。いずれにせよ、このような友情は秘密に包まれている。一般的にはこの時期の子どもは秘密をもちたがるものだ。どうでもいいことまで秘密にする。そうやって、自分の好奇心に対して大人がやる隠し立てに反抗するのである。これまた自分の重要性をあらゆる手段を使って獲得しようとするのだ。彼女は大人の生活に介入しようとする。大人をテーマに小説を作り上げるが、その半分はでたらめだと思っているにもかかわらず、自分はそこで大事な役割を演じているのである。
彼女は女友だちといっしょになって、男の子たちに対して軽蔑には軽蔑をもって報いるふりをする。別にグループを作り、彼らを嘲笑ったり冷やかしたりする。だが実際は、彼らが彼女を対等に扱えば満足する。男の子の支持を求めているのだ。彼女も特権カーストに属したいのである。これと同じょうに感情の動きが、原始遊牧民においては女を男の主導権に従属させるが、いまでは男の仲間入りが認められた女の子にあっては自分の運命を拒否というかたちで現れる。

彼女の中では優越性が内在性の不条理を非難しているのだ。彼女は礼儀作法に束縛され、服装で窮屈な思いをし、家事に縛られ、飛躍はことごとく止められることに苛立っている。この点に関して多くの調査がなされ、ほぼすべてが次のような同じ結果を出している(*32)。男の子は全員――かつてのプラトンのように――女の子には絶対なりたくないと言い切っている。

また、ほとんどの女の子は男の子でないことを残念に思っている。ハヴェロック・エリスが報告している統計によると、女の子になりたいと思っている男の子は100人に1人だが、女の子は75%以上が性を変えたいと思っているようだ。

カール・ピバルの調査によると(ポードゥアンが自著『子どもの心』で報告)、12歳から14歳の20人の男の子のうち18人が女の子になるくらいなら、他のどんなことでする方がましと思い、22人の女の子の内10人は男の子になりたいと思っている。

その理由として次のことを挙げている。「男の方がいい。女の人みたいに苦しまなくてすむ・・・・お母さんからもっと愛される・・・・もっと面白い仕事が出来る・・・・勉強がもっとできる・・・・・女の子を恐がらせて楽しむ・・・・男の子を恐がらなくてよい・・・・男の子方がずっと自由だ・・・・男の子の遊びは面白い・・・・洋服で窮屈な思いをしなくてよい・・・・」。この最後の異議はよく出される。

女の子の殆ど全員が、洋服で窮屈な思いをしている、動きが自由にならない、しみのつきやすい明るい色の衣装やスカートはつねに気を付けなくてはならないといった不満を漏らしている。10歳から12歳の女の子の大部分は本当に「おてんば娘―できそこないの少年」、つまり男の子になる免許がない子どもたちなのである。彼女たちは剝奪や不公平としてそのことに苦しむだけではない。彼女たちに押し付けられている制度そのものが不健全なのだ。

女の子たちのうち生命にあふれ出る活力は堰き止められ、使われることのないその生命力はノイローゼに陥る。彼女たちのあまりにもおとなしい活動はありあまるエネルギーを使い尽くすことはない。だから、彼女たちは退屈する。退屈なため、そして辛い劣等感の補償[身体的、精神的に劣っていると感じる時に、これを補い克服しようとする心理的動き。アドラーの用語]をするため、ロマンチックで物悲しい夢想に身を委ねる。

こうした安易な逃避趣味を身につけ、現実感覚を失っていく。興奮すると見境なく自分の感情に身を任せる。行動しない代わりに、おしゃべりをし、とりとめのない話に真面目な言葉を好んでさしこむ。顧みられず、「理解されない」、彼女たちは自己陶酔的感情に慰めを求めている。

小説のヒロインのように自分を眺め、賛美し、哀れむのである。彼女たちがおしゃべりで芝居がかってくるのは当然だ。これらの欠点は思春期にはいつそう顕著になるだろう。彼女たちの不安や苛立ちや怒りの爆発、涙となって現れる。彼女たちは涙が好きである。――これはその後も多くの女たちがもちつづける趣味だ――その理由の大部分は、彼女たちが犠牲者を演じるのが好きだということにある。
それは運命の厳しさに対する抗議であると同時に、自分をほろりとさせる一つの手段なのだ。

 「女の子というのは非常に泣くことが好きで、その状態を二重に楽しむために鏡の前に泣きに行く子がいるほどです。わたしはそういう子を何人か知ってきました」と、デュパンルー卿[1807-79、フランスの教育者、『女子教育についての書簡』の著書がある]は語っている。

 女の子のドラマの大部分は家族と関係に関わることばかりだ。

彼女たちは母親とのつながりを断ち切ろうとする。母を憎む場合もあれば、保護を強く求める場合もある。彼女たちは父親の愛情を独占したがる。彼女たちは嫉妬深く、感じやすく、気難しい。ありそうもない話をでっちあげることもよくやる。自分は貰い子で、いまの親は本当の親ではないとおもうのである。秘密の生活を両親に与えてみて、二人の関係を空想する。父親は理解されておらず不幸で、妻を理想の伴侶として見ていない。父親にとって娘こそがその理想であると勝手に想像する。

または逆に、母親が自分の夫を、当然なのだが、がさつで乱暴者と思っていて、彼との肉体関係を非常に嫌がっているなどと想像する。空想、お芝居、子ども染みた悲劇似非(えせ)歓喜、奇行など、これらの原因を女の不可解な魂のなかに探るのではなく、女子が置かれた状況のなかに見出さなくてはならないのだ。

自己を主体、自律、超越として、絶対として感じている個人にとって、自己のなかに劣等性を生まれながらの本質として見出すことは奇妙な経験である。自分に対して自己を〈一者〉と定めたものにとって、自分に対して自己を他者性として示されるのはなんともおかしな経験だ。

人生修行を積む中で、女の子が自分を一人の女として捉えるようになったとき、彼女のうちに起こるのはまさにこうした経験なのである。彼女が属している領域は、いたるところ男の世界によって閉ざされ、制限され、支配されている。どんなに高くよじ登っても、どんなに遠くへ冒険を試みようとも、いつでも、頭の上には天井が、道をはばむ壁があるのだ。男にとっての神ははるかかなたの空にいるので、男にとって神は本当には存在しない。しかし、女の子の方は人間の顔をもつ神々の間で生きているのである。

こうした状況は女に特有のものではない。アメリカの黒人も同じ状況にいる。彼らは一つの文明のなかに部分的に組み込まれているのだが、その文明は彼らを劣等カーストとみなしている。ビッグ・トーマス(*33)が劣等性であり、肌の色に記されたこの呪われた他者性である。彼は飛行機が飛ぶのを見る。しかし、黒人であるために、空は禁じられていることを承知している。女の子は女であるために、海や極地、多くの冒険や喜びが禁じられていることを知っている。

彼女は悪い側に生まれてしまったのだ。両者の大きな違いは、黒人は反抗しつつも自分の運命に耐え忍ぶ、つまりいかなる特権によってもその過酷さが贖(あがな)われないのに対し、女の子の方は共犯関係へと仕向けられることにある。すでに指摘(*34)したが、絶対的自由でありたいと欲する主体の本来的要求と並んで、実存者には自己放棄と逃避への非本来的欲求がある。

両親や教育者、書物や神話、女や男たちが女の子の前にちらつかせるのは受動性の悦びである。まだほんの幼い頃から、もうまわりは彼女にその喜びを味わわせる。その誘惑は徐々に狡猾になり、彼女の超越への飛躍が厳しい抵抗にあってつまずけばつまずくほど、彼女は不可避的にそれを譲歩せざるをえなくなる。とはいえ自分の受動性を受け入れる事で、彼女は同時に抵抗せずに外から課された運命に耐えることを受け入れるのである。

この運命は彼女を不安にさせる。野心的であろうが、だらしなかろうが、臆病であろうが、少年が飛び出していくのは開かれた未来に向かってである。彼は船乗りかエンジニアになるであろう。田舎に残るか、都市に出て行くだろう。世界を観るだろうと、金持ちにもなるだろう。予測できない可能性が彼を待ち受けている未来を前にして、少年は自分を自由だと感ずる。女の子は妻、母親、祖母になるだろう。

彼女は自分の母親がしたように、子どもの世話をするだろう。12歳で女の子の一生はすでに決められている。彼女はそれを作り上げるのではなく、毎日見出していく。彼女は好奇心でいっぱいだが、すべての段階があらかじめ決められ、日々、その方向に否応なく導かれていく人生を考えるとたじろいでしまう。

だから、女の方が兄や弟よりもはるかに性の神秘に気を取られるのである。たしかに、兄弟たちにもそれに同じくらい熱烈な関心を示す。しかし、彼らの未来のなかで夫や父親の役割は一番気がかりな事柄ではない。

結婚や出産においては

女の子の運命そのものが問題になる。その秘密を予感し始めると、彼女には自分の肉体がひどく脅かされるものとして見えてくる。出産の魔力は消えた。なぜなら、多少とも早い時期に筋道をたてて教えてもらっていたならば、彼女には、子どもが母親のお腹のなかに偶然現れたのでも、杖の一振りで出てきたものでもないことがわかっているからだ。彼女はつらい想いで自問自答する。

多くの場合、自分の肉体のなかで寄生体が増殖するというのは彼女にとってもはや素晴らしいことではなく、恐ろしいことに思えてくる。この怪物のごとき腫れ物を考えるとぞっとする。しかも、どうやって赤ん坊は出て来るのだろうか。出産の苦しみや悲鳴について誰もはなしてくれたことはなくても、彼女はその話を偶然聞いたり、「汝、苦しみのうちに産むべし」という『聖書』の言葉を読んでいる。想像すらできない耐え難い苦痛を予想する。おへそ辺りに異常な作用が起こるのだと考えていると、彼女はもう落ち着いてはいられない。

 出産のプロセスがわかったと思った女の子が、発作的に神経症的便秘を起こす例はよくある。正確に説明しても大した救いにはならない。腫れ物、裂傷、出血のイメージがつきまとって離れない。女の子は想像力に富んでいるため、こういう光景にはより敏感である。

 しかし、どんな女の子でもそれを見たら震えてしまうはずだ。コレットは、ソ゜ラ[1840-1902、自然主義文学を唱えたフランスの作家]の本の出産を描いた場面を読み、気を失っていたところを母親に見つけられと語っている。

 作者は出産の場面を「露骨で生々しい多くの細部描写と、解剖学的正確さをもって、またその色彩、姿勢、悲鳴を得々と」描いていて、田舎の少女のおとなしい知識ではとうてい及びもつかなかないことでした。私は幼い雌としての自分の運命を信じ込み、それにたじろぎ、怯えました・・・・また、他の文章は、私の眼の前に、引き裂かれた肉体や排泄物、汚れた血などを描き出しました‥‥私はまるで密猟者が台所にもってきて殺したばかりの子ウサギのなかの一匹のようにぐったりとなって芝生に倒れていました。

 大人がいろいろなだめても、子どもは不安のなかに取り残されたままである。女の子は大きくなるにつれて、大人の言葉をそのまま信じないことを覚える。たいてい、大人の嘘に不意打ちされるのはまさに生殖の秘密についてである。彼女はまた大人たちが最も恐ろしいことを正常な事と考えているのも知っている。なにか肉体的に激しいショック(扁桃腺の切除、抜歯、メスによるひょうそうの切開)を経験したことがあったなら、彼女はその記憶に残る苦痛を出産に投影するだろう。

 妊娠・出産が示す身体的特徴は夫婦の間に「なんらかの身体的なこと」が起こったのだと直ちに暗示する。「血のつながった子、純血、混血」などの表現によく見られる「血」という言葉はしばしば子どもの想像力を方向づける。結婚はなにか厳粛な輸血を伴うのだと考えるのだ。

 だが普通は、「身体的なこと」は大小の排泄系統とつながりがあるように見える。とくに、子どもは男は女のなかにおしっこをすると考えがちだ。性行動は汚いとみなされる。子どもにショックを与えるのはこの点だ、「汚い」ものは、子どもにとって最も厳しい禁句で包み隠されてきたからだ。一体なぜ、大人が生活のなかにそれを取り入れるということが起きるのか。子どもは自分の発見のばかばかしさのせいで、最初ののうちは恥ずべき事だと思いから守られる。話を聞いたり、読んだり、書いたりすることになんの意味も見出さない。

 すべてがありえないことに思われるのだ。カーソン・マッカラーズ[1917-67、アメリカの女性作家]の魅力的な本『結婚式のメンバー』のなかで、幼い女主人公は隣人二人が裸でベッドにいるところをたまたま見てしまう。とかと、彼女は事態の異常性そのものに妨げられて、それを重要視しないのである。

ある夏の日曜日のことだった。マロー家のドアは開いていた。彼女にはただ部屋の一部と、タンスの一部、それにベットの脚だけが見えた。ベッドの上にはマロー夫人のコルセットが投げてあった。ひっそりした寝室のなかで、なにか理解できない物音がしていた。彼女は敷居のところまで進んで行って、ある光景にびっくり仰天してしまった。ひとめ見るなり、「マロー夫人が発作おこしたわー」と叫びながら、彼女は台所に走って行った。

ベレニスはホールにすっ飛んで行き、部屋を覗き込むと口をつぐんで、ドアをバタンと閉じてしまった・・・・・フランキーはなんだったのか知りたくて、ベレニスに尋ねようとした。しかし、ベレニスはただ普通の人たちよと言っただけで、人のことを考えて、せめてドアくらい閉めておくべきだったんじゃないかしらと付け加えた。フランキーは人のことをいうのは自分のことだなと気がついたが、でもよくわからなかった。

「どういう発作だったの」。彼女は尋ねた。ベレニスはただ「あのね、いいこと、普通の発作なのよ」と答えた。彼女の声の調子で、フランキーは全部喋ってもらえないんだとわかった。あとになって、彼女はマロー家の人たちを単に普通の人として思い出すのだった。

子どもに、知らない人には用心するように言うとき、性的な事件の説明をするときには、えてして、病人、変質者、狂人のことを話してしまうものだ。説明しやすいからである。映画館で隣の席の男に触られたり、通りがかりの男にズボンのボタンをはずして見せられたりした女の子は、あれは気がおかしい人だったのだと思う。たしかに、狂気に出会うのは嫌なものだ。てんかんの発作、ヒステリーの発作、激しいケンカは大人社会の秩序の欠陥を示し、それを見た子どもは身の危険を感じる。

それでもともかく、調和のとれた社会のなかに、浮浪者、物乞い、酷い傷をもつ身体障害者がいるのと同じように、社会には異常者が何人かはいるが、社会の基盤は揺がされることはない。子どもが本当に恐怖をいだくのは、両親、友だち、先生が隠れて悪魔を祭る黒ミサを行っているのではないかと疑う時なのだ

性交・性関係

はじめて、男と女の性関係について聞かされた時、そんなことはあり得ないと私は大声でいいました。だって、両親も同じことをしてきたはずだなんて、彼等をとても尊敬している私は信じられませんでした。私はそんなこと気持ち悪すぎて、絶対にできないと言いました。不幸な事に、それから間もなく、両親がしているのを聞いて、自分の誤りに気づかされたのです・・・・・それは恐ろしい瞬間でした。私は耳をふさぎながら、毛布で顔を隠しました。そしてここから何千キロも離れたところに行ってしまいたいと思いました(*35)。

衣服を着た威厳に満ちた人々、品位、慎み、理性を説くこれらの人々のイメージから、取っ組み合う裸の二匹の獣のイメージにどうやって移行するのだろう。そこには大人自身による大人の異議があり、それが大人の威信を揺さぶり、空を闇のなかに沈める。たいてい、子どもはおぞましいと新事実を頑固に否定する。「パパとママはそんなことはしないわ」と言い切る。

あるいは性交について品位あるイメージを得ようとする。「子どもが欲しくなったらね」と女の子が話していた。「お医者さんに行くのよ。洋服を脱いで目隠しするの。見てはいけないからよ。お医者さんがパパとママを結び付けるの。うまくいくように手伝ってくれるのよ」。彼女は愛の行為を外科手術に変えてしまった。

おそらく、あまり面白くないけど、でも歯医者さんの治療と同じくらいそれはまっとうな事なのだ。だが、拒否してみても、逃げてみても、不安感と疑いが子どもの心に忍び込んでくる。離乳の時と同じくらい苦しい現象が起きる。子供を母親の肉体から引き離すのではもはやないが、子どもを囲む保護者の世界が崩れてしまうからである。子どもは、頭上を覆う屋根も無く、真夜中のような暗闇の未来を前にして、たった一人置き去りにされた自分の姿を見出す。

女の子の不安を増大させるもの。それは自分にのしかかる得体の知れない不運の輪郭をはっきり描けないことだ。手に入れた情報には一貫性がないし、本当は矛盾に満ちている。専門的な説明も厚い影を取り払ってはくれない。次から次へと質問が湧いてくる。性行為は苦しいのだろうか? それとも快いものだろうか? どのくらいの時間続くのかしら? 五分、それとも一晩中だろうか? 

ある女は一度抱かれただけで、母親になったとか、ときには何時間も快楽のときを過ごしても妊娠しなかったとか、本で読んだことがある。みんな毎日「こんなこと」をしているの? それともたまになのかしら? 子どもは聖書を読んだり、辞書を調べたり、友だちに聞いたり、情報を得ようとして、暗闇と嫌悪のなかを暗中模索する。この点に関して、興味深い資料がある。これはリープマン博士が行った調査で、性の知識について、若い娘たちが彼に答えた回答のうちのいくつかである。

私は相変わらず漠然として歪んだ考えを抱いたままさまよっていました。誰一人として、母も、学校の女の先生たちもこの問題に触れませんでした。どの本を読むことで、私にとって最初はごく自然に思われ抱いた行為のまわりに、ある種の危険と醜態に包まれた謎が少しずつ織り上げられていきました。12歳の上級生たちは下品な冗談を使って、私たち下級生クラスとの間に架け橋を作ろうとしました。それはどれもまだかなりあいまいで、とても嫌悪感を覚えるものでした。それで私たちは、子どもはどのようにできるのか、結婚式があんなに大騒ぎする機会なのは、男にとってあれは一回限りの出来事なのではないとかとかを知ろうとして、あれこれ言い合ったものでした。15歳のとき迎えた初潮は私には新しい驚きでした。私にも順番がきて、言ってみれば、輪の中に引き入れられることになったのです…‥。

・・・・・・性教育― これは両親の家でほのめかすこともならない言葉でした― ・・・・・私はいろいろな本を探しましたが、どの方向に行けばいいのかわからないまま、探すのに苦労し苛立っていました・・・・私が通っていたのは元男子校でした。男の先生にとってこの問題は存在していないようでした・・・・ホーラムの作品『男の子と女の子』がついに真実を明らかにしてくれたのです。

私の苛立ちと興奮過剰の状態は消えました。でも、私は当時とても不幸だったので、エロチシズムとセクシャリティだけが本物の愛を型作っているのだということを、認め、理解するのにずいぶん時間がかかったのです。

私の性入門の過程

Ⅰ、最初の質問と漠然とした観念(そこには贖罪の観念はまったく含まれていない)。三歳半から十一歳まで・・・・三歳半から数年間は私がした質問に回答なし。七歳のとき、雌ウサギに餌を与えていて、赤ん坊ウサギが数匹下から這い出てくるのを突然みる・・・・母は私に動物でも赤ちゃんは母親のお腹で成長して、脇腹のあたりから出て来るのだという。この脇腹からの誕生というのは私には筋が通っているとは思われなかった・・・・一人の子守が受胎、妊娠、月経について多くのことを語ってくれた・・・・とうとう私は私の最後の質問として父親に彼の本当の役割について尋ねたが、彼は花粉と雌しべの漠然とした話で答えてくれた。

Ⅱ、性について知るための個人的ないくつかの試み(11歳から13歳)。百科辞典一冊と医学書一冊を探し出す・・・・・しかし膨大な聞きなれない言葉で構成された理論的な教えでしかなかった。

Ⅲ、既得知識のチェック(13歳から20歳)○a日常生活において、○b専門的研究において。
 八歳の頃、私は同い年の男の子とよく遊びました。
 あるとき私たちはそのことに触れました。私はすでに知っていたのです。というのは、女は体内にたくさんの卵を持って、本当に子供が欲しいと母親が思ったら、そのたびに、これらの卵の一つからひとりの子が生まれてくるのだ、と母が私に話してくれたことがあったからです‥‥・その子に同じ説明をしたところ、彼はこう返事を返してきました。

「君は本当にまぬけだね― うちの肉屋さん夫婦はね、子どもが欲しくなると、二人でベットで、いやらしいことをするんだよ」。私は憤慨しました・・・・うちには当時(12歳半頃)お手伝いさんがいて、下品なあらゆる話をしてくれました。恥ずかしかったのでママには一言も漏らしませんでした。でも、男の膝の上に座ると、子どもが授かるのかしら、母に聞いてみました。彼女はすべてを、可能な限りみごとに説明してくれたのです。

 子どもがどこから出て来るのか、私は学校で知りました。それは何か恐ろしいことだという感情をもちました。でもどうやってうまれるのかしら? 私たち二人とも、そのことについていわばおぞましい考えを作り上げました。とくに酷くなったのは、ある冬の朝、学校へ行くとき、私たちに近づいてきて、暗がりのなかで性器を見せて、「どう、可愛とは思わない」と言う一人の男に出会ってからです。私たちの嫌悪感は想像もつかないほどで、文字通り吐き気を催しました。21歳まで、私は子どもはおへそから生まれるものだと信じていました。

 ある女の子が離れたところに私を連れ出して、尋ねました。「子どもがどこから出て来るか知っている?」。ついに、彼女はハッキリ言う決心をしました。「ええっ、なんてあなたは間抜けなのー 子どもなんて女のお腹から出て来るのよ。子どもが生まれるのにはね、女は男と本当にいやらしいことをするんだから―」。

 それから、彼女はそのいやらしいことを、もっと細かく説明してくれました。けれどもそれで、私はすっかり変わってしまいました。そういうことが起こるかもしれないと考えるのを断固として拒否しました。私は両親と同じ部屋で寝ていました・・・・そんなある夜、信じられないことが起こっているのを聞いてしまったのです。

 そのとき、私は恥ずかしくて、そう、私は自分の両親を恥ずかしく思ったのです。私は恐ろしいような道徳的苦しみを感じました。私はこうした事柄をすでに知ってしまった自分を酷く堕落した人間に思っていました。

 一貫した教育がなされたとしても、問題の解決にはならないと言わざるを得ない。両親や先生たちの善意にもかかわらず、性愛の経験を言葉や概念で表すことはできない。人はそれを生きて初めて理解するのである。

 すべての分析は、それが最も真摯なものであったとしても、どこか滑稽な面があり、真実を伝えることに失敗する。花々の詩的な愛や魚の結婚に始まって、ヒヨコ、ネコ、ヤギを通過して、人類にまで達するとき、生殖の神秘を理論的に明らかにすることはできる。

性的快楽や性愛

 しかし、性的快楽や性愛の神秘はそのまま残る。穏やかな血をもった女の子に、どんなふうにして愛撫やキスの楽しみを説明したらいいのだろうか。家族同士ではキスをするし、それも唇にすることもよくある。だが、どうしてもこの粘膜の出会いがある場合にはめくるめく陶酔を引き起こすのだろうか。それは目に見えない人に色彩をあれこれ描写するようなものだ。
 官能の機能に意味と統一性を与える直感的な興奮や欲望を欠いている限り、その機能の諸要素は不愉快でぞっとするものに思われる。

 とくに女の子は、自分は処女で封印されていて、女になるためには男の性器が彼女の中に入って来なくてはならないとわかったとき、憤激する。露出症は広くみられる倒錯(とうさく)であるので、勃起したペニスを見たことがある女の子は多い。いずれにせよ、彼女たちは動物の性器はすでに見ているし、遺憾ながら、馬の性器はごく普通に彼女たちの目を引いている。

彼女たちがそれに恐怖心を抱いてしまう事が認められる。出産への恐れ、男性器への恐れ、結婚した人間を脅かす「発作」への恐れ、
汚らしい行為への嫌悪感、まったく意味のない行為に対する嘲弄、これらすべてがしばしば女の子に、「私は結婚なんてぜったいしないわ(*36)」と公言させることになるのだ。

 これこそ苦痛、狂気、猥褻(わいせつ)に対する最も確実な防御法である。その時が来たければ、処女を失うのも出産もそれほど恐ろしいものには思われなくなる。何百万人もの女たちが諦めてそうしてきたし、説明しようとしてもむだである。子どもが外部の出来事に恐れを抱くとき、大人はそれを取り除こうとする。だが、おまえはいつかは自然にそれを受け入れるようになると予言することによってそうするのである。

 しかし、子どもがそのとき恐れているのは、ずっと先の将来に、気がおかしくなり錯乱した自分自身に出会うことなのだ。サナギになり蝶になる毛虫の変身は子どもを不安にさせる。その長い眠りのあとも、まだ同じ毛虫なのだろうか。輝く羽の下で、毛虫は自分と分かるのだろうか。サナギを見て、愕然として物思いに沈んでしまった少女を私は何人も知っている。

 それでも変身は行われる。少女自身にその意味はわからない。しかし、自分と世界との関係、そして自分と身体との関係において何かが微妙に変わりつつあることを理解する。彼女はかつては無関心だった接触、味、匂いに敏感になる。頭のなかで異様な映像がよぎる。

 鏡の中の自分が自分でないような気がする。自分のことを「変だ」と思うし、事物もなにか「変な」様子をしている。以下はリチャード・ヒューズ[1900-76、イギリスの小説家]が『ジャマイカの烈風』のなかで少女エミリーを描いているくだりがある。

 エミリーは涼しくしようと、お腹まで水に浸かって座り込んだ。すると、何百もの小魚が、彼女がちょっと体を動かすたびに、奇妙な口でつついて、彼女をくすぐるのだった。意味のない軽いキスとも言えるようなものだった。最近、彼女は人に触られるのを嫌がるになっていた。それにしても、これはぞっとするほど嫌だった。もうこれ以上は我慢ができなかった。水から上がって服を着た。

 マーガレット・ケネディ[現代イギリスの女性小説家]の精神的に安定しているテッサ[小説『操堅きニンフ』の主人公]でさえも、次のような奇妙な困惑を経験している。

 突然、彼女は自分をとても不幸に感じた。彼女の目は開いたドアから水が流れるように差し込んできた月の光によってくっきり二つに切られたホールの暗闇をじっと見つめた。我慢できなかった。ぱっと立ち上がり、聞こえないような小さな叫び声をあげた。「ああー なんて私は世界全体を憎んでいるのかしらー」。彼女は叫んだ。静かな家にあふれているように思われたあの悲しい予感に捉えられて、震え上がり、怒り、追いかけられるにして、彼女は山の中に身を隠そうと走っていた。小道でつまずきながら、「死にたい、死んでしまえばいいのに」と、自分自身にぶつぶつ言い始めた。

 彼女は自分が何も考えずに行っているのだとわかっていた。死にたくなどちっともなかった。激しい言葉を吐けばすっきりするような気がしたのだ。

 すでに引用したカーソン・マッカラーズの本のなかには、この不安な時期が長々と描写されている。

 夏のことだった。フランキーはフランキーでいることに吐き気を感じ、疲れてしまった。彼女は放浪者で台所をうろつく役たたずになっていた。汚くて飢えていて、惨めで悲しげな女になっていた。おまけに、罪人でもあった。‥‥‥この春はなかなか終わらない奇妙な季節だった。

 物事が変わり始めていた。でも、フランキーにはこの変化が何だかよくわからなかった・・・・・緑も木々や四月の花々には何かがあって、その何かが彼女を哀しい思いにさせてたのだ。この名状しがたい悲しみのせいで、彼女は街を去るべきだったと思った・・・・・街を離れて、遠くへ行ってしまうべきだったのだ。なぜなら、今年、遅れてやって来た春は暖慢で甘ったるかったからだ。長い午後がゆっくり流れていた。

そして春のやわらかな緑が彼女に吐き気を催させた・・・・・。何もかもがわっと泣きたいような気持ちにさせていた。ときおり、朝早く、彼女は庭に出て、夜が明けるのを眺めながら、長いこと佇んでいた。そうしていることそれ自体が心のなかに生まれた一つの疑問のようだった。でも、空はそれに答えてくれない。

以前にはまったく気が付かなかったいろいろな物事が彼女の心に触れるようになった。夜、散歩していると目につく家々から洩れる明かり、袋小路から立ち昇ってくる知らない声。明かりを見つめ、声を聞いてくる。しかし、明かりが消えてしまい、声も聞こえなくなった。待っていたのは、それだけだった。こうなるのを彼女は恐れた。ふいに自分に向かって自問しなければならなくなるからだ。自分は何者なのか、この世のなかでこれから自分はどうなるのか、なぜ、こんなところにいるのだろう、しかもたった一人で、明かりを見たり、耳を澄ましたり、空をじっと見つめたりしているのだろうか、と。彼女は怖かった。そして、胸が妙に締め付けられた。

‥‥彼女は街を散歩していた。目に入るもの、聞こえて来るものが中途半端に思われた。彼女の中にはあの不安が残っていた。慌てて何かをしてみるのだが、やらなければならないようなことはけっしてなかった・・・・・・春の長い夕暮れの後、街中を歩き回ったとき、メランコリックなジャズの調べのように、彼女の神経は震えていた。心臓は強張り、止まってしまいそうだった。

思春期

この不安定な時期に何が起きるのか、それは子どもの身体から大人の女の身体になること、肉体が作られていくことだ。主体が幼児段階にとどまる腺組織発育不全の場合を除き、思春期の危機は12、3歳頃から始まる(*37)

この危機は男の子よりも女の子の方が早く始まり、はるかに重要な変化をもたらす。女の子は不安と不快感をもってそれを抑える。乳房や体毛組織が発達する時期には、一つの感情がうまれる。それは自慢に変わることもあるが、もともとは羞恥心から来る感情である。突然、彼女は恥じらいを見せるようになり、姉妹や母親にさえ、自分の裸を見せるのを拒否する。嫌悪感の入り混じった驚きを持って、自分の体を調べてみる、

そして、不安な気持ちで、かつてはおへそと同じくらいなんの不快感を与えなかった乳首の下に現れた、少し痛くて固い芯のある膨らみを探ってみる。彼女は自分のなかに傷つきやすい一点があるのを感じて不安になる。多分、この傷は火傷や歯の痛みと比べたらずっと軽いに違いない。でも、ちょっと具合が悪いだけにしろ病気にしろ、痛みはつねに異常なことなのだ。それなのに、正常な場合でも若い娘の胸はよくわからないよう鈍痛のような恨みが棲みついている。

なにが起こりつつあるのだ。それは病気ではなく、いわば存在の法則自体に組み込まれているものだが、しかし、闘いであり、引き裂かれる思いである。

たしかに、誕生から思春期まで、女の子は成長した。けれども、彼女には自分が成長したことは感じられない。一日一日、彼女とって身体は完成された、確かなもとして存在してきた。いま、彼女は「女として形作られつつある」。この言葉そのものが嫌悪を催させる。生命現象が安定るのは、それが一つの均衡を見出して、その活性のない外見が花のような生気と動物の毛並みのような艶を帯びる時である。しかし、少女は胸が膨らみを帯びてくると、「生きている」という言葉のあいまいさを感じる。彼女は金でもダイヤモンドでもなく、不安定で不確実な奇妙な物質で、その中心では不純な錬金術が入念に行われている。

彼女は絹糸の束のように静かに広がる髪には馴れているが、脇の下や下腹部に新しく生えてきた毛の魂が彼女を動物あるいは藻類に変身させる。多少とも教えられていたにもかかわらず、少女はこうした変化のなかで、彼女を彼女自身から引き離そうとする一つの運命に急き立てられる。そうやって彼女は自分自身の存在の瞬間を越える生命の環境に投げ込まれていく。

彼女は、自分を男や子どもや家庭という墓場に運命づける存在状態を予感する。乳房はそれ自身ではまるで慎みのない無用の増殖に思える。腕、脚、肌、筋肉、体を支える丸いお尻まで、それまではすべての用途がはっきりしていた。排尿器官と定められた性器だけが少々怪しげであったが、隠れていた他人には見えなかった。

ところが、乳房はセーターやブラウスの下にこれ見よがしにある。自分と一体だと感じていたこの身体がこの身体が女に子にとっては肉体として現れている。それは他人が眺めたり見たりする一つの物体なのだ。「あまりにも恥ずかしかったので、私は自分の胸を隠すために二年間ハーフコートを着ていました」と、ある女性が話てくれた。

また別の女性は「私より早く大人の体つきになっていた同い年の友だちがボールを拾おうと身をかがめたときに、奇妙な狼狽を感じた記憶があります。彼女のブラウスのV字カットの部分からすでに重たそうな二つの乳房が見えてしまったのです。私の体に似た彼女の体をとおして、私もこのように形作られて行くのだと思い、そういう私自身に赤面してしまっていたのです」。

「13歳のとき、私は素足のまま、短い洋服で歩き回っていました」と、また別の女性が語った。「一人の男がにやにやしながら、私の太いふくらはぎのことを何か言ったのです。翌日、ママは私に長い靴下をはかせ、スカートの丈も長くしました。でも、自分が見られていると突然感じたときのショックは決して忘れることはないと思います」。

女の子は自分の身体が自分のものでなくなり、自分の個性の明確な表現ではもはやないのだと気づく。彼女の身体は彼女にとって未知のものになった。と同時に、彼女は他人から一つのモノとして捕らえられるようになったのである。通りで、人は彼女を目で追い、その体つきをとやかく言う。彼女が見えなくなりたいと思う。大人の肉体になることを恐れ、自分の肉体を見せることを恐れる。

この嫌悪感は多くの少女にあっては、痩せたいという願望となって表れる。もはや食べるのも嫌になる。それを強いられると、吐いてしまう。たえず自分の体重に気を付ける。病的なほど内気になってしまう女の子たちもいる。客間にいることも、通りに出ることも拷問のようだ。ときには、そこから精神病にまで進む。典型的なのが次の病例で、『強迫観念と精神衰弱』のなかでピール・ジャネ、[Ⅰ859-1947、フランスの精神医学者]はナディアと呼ばれ患者について書いている。

ナディアは裕福な家庭の娘でとても聡明だった。洗練されていて芸術家タイプ、とりわけ素晴らしい音楽愛好家であった。だが、子どもの頃から、頑固で癇癪もちだった。「彼女は愛されることにすごく執着していて、両親、姉妹、使用人など誰に対しても熱烈な愛を要求した。しかし、少しでも愛情を手に入れると、すぐに無理難題を言いあまりに傍若無人なので、人はたちまち離れていった。彼女の性格がどうにかならないかと思っていた従兄たちがからかって言ったことが、恐ろしいほど敏感な彼女に羞恥心を与えてしまい、恥ずかしさの対象彼女の身体に局部化されてしまったのだ」。

また愛されたいという欲求は子どものままいたい、可愛がってもらえて、なんでも我儘の言える小さな女の子でずっといたい、という願望を生じさせた。要するに、この欲求は大人になることに対する恐れを彼女に抱かせたのである・・・・思春期の早い訪れは、羞恥心の恐怖と大人になる事への恐れがない交ぜになって、とくに事態を悪化されることになった。

「男は太った女が好きだから、私はずっとすごく痩せたままでいたい」。恥毛や胸の発達の恐怖が前出の恐れに加わった。11歳になると短いスカートをはくようになったので、みんなに見られているような気がした。それで長いスカートをはかせてもらったが、足や腰などに恥ずかしさを感じていた。

初潮の訪れに彼女は半狂乱になった。恥毛が生え始めたとき、「こんなに醜悪なものを持っているのは世界で私一人だ」と確信した。そして20歳までに「こんな野蛮な飾りは消そうと」脱毛に精を出した。肥満にはずっと嫌悪感をもっていたので、胸の発達はこれらの妄想をいっそうひどくした。他人の肥満は別にいやではなかったが、自分となると大きな欠陥に思われた。

「きれいになりたいわけでもないわけではないのです。もしむくんだらと思うと恥ずかしくて恥ずかしくてたまらないのです。不幸にして太ってしまったら、誰にも姿を見られることのないようにします」。というわけで、彼女は太らないためのあらゆる手段を捜しはじめた。

自分の周りにあらゆる用心を張り巡らし、誓いで自分を縛り、おまじないをした。五回で十回でもお祈りを繰り返します、片足で五回飛びますと誓うのだ。「同じ曲で、ピアノの弱音キーに四回当たったら、大きくなること、もう誰からも愛されないことを受け入れます」。彼女は食べないと決心した。「私は太ることも、大きくなることも、大人の女のようになる事も望みません。なぜなら、いつまでも小さな女の子のままでいたいからです」。

彼女は食べ物は一切受け付けないとおごそかに誓った。母親の懇願に譲歩して、彼女はこの誓いを破る。しかし、それからは、ひざまずいて宣誓書を書いては破って何時間も過ごす彼女の姿が見られた。18歳で突然母親が亡くなってからは、彼女は次のような節食を自分に課した。コンソメスープ二皿、卵黄一個、酢大匙一杯、一個分のレモン汁いり紅茶一杯、これが彼女の一日食べるすべてである。

空腹が彼女を蝕む。「私はお腹が空きすぎて、ときには何時間も食べ物のことばかり考えて過ごしました。猛然と食べたくなって、唾を飲み込み、ハンカチをもぐもぐ噛み、床を転げまわりました」。だが、彼女は誘惑に負けなかった。どれほど彼女がきれいでも、彼女は自分の顔はむくんでいて、吹き出物が一杯出ていると言い張った。

医者がそんなものは見えないと主張しても、彼女は彼には何も分からない、「皮膚と肉の間にある吹き出物に気が付かないのだ」と言うのだった。彼女はとうとう家族と別れて、小さなアパートに閉じこもり、看護人と医者にしか会わなくなりました。まったく外に出ず、父親の訪問にもしぶしぶ受け入れるだけであった。父親がある日彼女に顔色がいいと言ったことから、症状がひどくぶり返してしまった。

彼女は自分の顔はまるまる太っていて、顔色はつやつや輝き、筋肉はたくましいのではないかと恐れていたからだ。彼女はほとんど暗がりのなかで暮らしていた、それほど彼女にとって見られる、つまり、目に見えるということは耐え難いことだったのだ。

両親の態度が容姿に対する羞恥心を娘にたたきこむ原因となることはきわめて多い。ある女性が次のように打ち明けている(*38)。

 私は家でしょっちゅう批判されるのがもとで、身体的劣等感に悩んでいました・・・・母は極端に虚栄心の強い人で、私がつねに特別に目立って見えることを望みました。私の欠点である肩、腰の張りすぎ、ぺちゃんこのお尻や胸など隠すために洋服屋にいつも山ほど細かい注文をつけました。何年間も首がむくんでいてため、首筋を見せる事は許されませんでした・・・・思春期のあいだ、とりわけ足がとても醜かったせいでいやな思いをしまして。歩き方をとやかく言われ、私は苛立っていました・・・・こうしたことはたしかに当たっているものではありましたが、私はとても不幸になってしまったのです。

とくに《backfisch》[ドイツ語でおてんば娘]であっただけによけい不幸でした。ときにはすっかり億病になって、どうしてよいかまったくわかなくなってしまうことかありました。誰かに出会ったときまず頭に浮かぶのは、いつも「ああ、足だけでも隠せたら」ということでした。この屈辱感が女の子の行動をぎこちないものにして、何事も赤面とせることになる。

この赤面のせいでいっそう億病になり、赤面そのものが恐怖心の対象となる。シュテーケルはとくにある女性を取り上げて語っている(*39)。彼女は「若かった頃、病的なほどひどく赤面したので、一年間ほど歯が痛いのだと言って、顔の周りに湿布用の包帯を巻いていた」。

 ときとして生理が始まる前の、前思春期と呼ばれる時期に、女の子がまだ自分の肉体に嫌悪を感じていないことがある。彼女は女になる事を誇りに思い、自分の胸の成熟を、満足感をもって見守る。ブラウスにパットの代わりにハンカチを詰めて、姉たちに自慢して見せる。

 彼女はまだ自分の中に生じている現象の意味を捉えてはいない。初潮の訪れ彼女にその意味を明らかにし、恥ずかしいという感情が表れる。それ以前にすでに羞恥心が存在する場合でも、この時期にそれが確立し、顕著となるのである。すべての証言は次の点で一致している。子どもにとっては、事前に教えられていようがいまいが、この出来事は不快で屈辱的なものとして現れるのだ。

 しばしば母親が教えるのを怠ることもある。すでに述べたが、母親たちには娘に月経の秘密を明らかにするよりも、妊娠や出産、さらには性関係の秘密までも打ち明ける方が容易なのである(*40)。それは母親自身がこの女としての拘束を嫌悪しているからだ。

月経のショック

 この嫌悪感は男たちの古くから得体の知れない恐怖心の反映であり、母親がこの嫌悪を娘たちに伝えるのである。女の子は自分の下着に怪しげなシミを見つけると、自分が下痢か致死的出血、または性病にかかったのだと思う。1896年、ハヴェロック・エリスが報告した調査によると、アメリカの「ハイ・スクール」の125人の生徒のうち、39人は漠然とした知識しかもっていなかった。つまり半数以上は無知であったのだ。ヘレーネ・ドイッチュによれば、1946年でも事態は全く変わっていなかったようである。

 H・エリスは「原因不明の病」に侵されたと思い込み、サン・トウアンでセーヌに身を投げた少女のケースを引用している。シュテーケルも「ある母親への手紙」のなかで、月経の出血に魂を汚す不純のしるしと罰を見て、自殺しようとした女の子の話を語っている。

 少女が恐れるのは当然である。自分の生命が自分から逃れていくように思えるのだ。メラニー・クライン[1882-1960、イギリスの女性児童精神分析学者]とイギリス精神分析学派によると、少女の目に血は内臓器官の傷として映るのである。丁寧に教えられて、極端に激しい不安を感じないですむ場合でさえ、恥ずかしくて、自分を汚れていると感じる。

 洗面所に走って行って、汚れた下着を洗ったり隠したりする。この経験の典型的な話がコレット・オードリーの著書『思い出の瞳に』に見られる。

こうした興奮のまっただなかで、激しい葛藤の幕は閉じた。ある晩、洋服を脱ぎながら、私は病気になったのだと思った。怖くはなかった。明日には何でもなくなるだろうと思って、何もしゃべらないでおいた・・・・・四週間後、その病気はぶり返し、もっとひどくなった。私はそっとパンツを浴室のドアの後ろの洗濯もの入れのカゴに投げ入れに行った。すごく暑い日だったので、菱形模様のタイルの床が足になまぬるかった。戻ってベッドに入ろうとしたところ、ママが部屋のドアを開けた。

 私にあのことを説明しに来たのだった。母の言葉がそのとき私のうちにどういう効果を引き起こしたかは思い出せないのだが、彼女が小声で話していると、カキが突然顔を出した。その好奇心に満ちた丸い顔を見ると、私はかっとなって、出て行けと叫んだ。彼女は恐れをなして、出ていった。部屋に入る前にノックしなかったんだから、お願いだから彼女を叩いてくれと母に頼んだ・・・・冷静で何でも知っているやさしく幸せな母の様子を見てわたしはすっかりうろたえてしまった。母が行ってしまうと、私は暗澹(あんたん)とした気分に沈み込んだ。

 二つの思い出が突然甦った。二、三ヶ月前、私たちはカキと一緒に散歩を終えて帰るところだった。ママと私たちは木こりのようにがっしりして白いあごひげをたっぷり蓄えたブリヴァの老医師に出会った・

「お嬢さん大きくなられましたね、奥さん」と、私をじっと見ながら、彼は言った。即座に、私はなんだかわからないが彼が嫌いになった。その後しばらくして、パリから帰ってきたママは、小さな新しいナプキンをタンスにしまった。「それ、なあに?」と、カキが尋ねた。ママは、大人がよくする、真実のうち三つは隠したまま一つだけを明らかにして見せる時のそれらしいそぶりをした。「これはね、もうすぐコレットにいるのよ」。だまって一つも質問できないまま、私はママを憎んだ。

 その夜、私はベッドのなかで何回も寝返りをうった。そんなことありっこない。目が覚めかかっていた。ママは間違っていたんだ。あれは過ぎてしまって、またやって来るなんてことはもうないわ・・・・・密かに変わり汚れてしまった私は、明日他人と向き合わなくてはならなかった。私は妹を嫌悪感を持って眺めた。彼女はまだ何も知らなかったし、自分でも気づかないうちに突然私を圧倒する優越した存在になったからだ。

 次に、私は男たちを憎み始めた。彼らはあのことをけっして経験することはないのを知っているのだ。そしてしまいには、こんなにもおとなしく我慢している女たちを嫌悪した。私に起こっていることを彼女たちが知らされたら、みんなきっと喜ぶだろうと確信した。「ほら、あなたの番が来たのよ」。

 彼女たちは考えるだろう。あの子もだわ、私も女の子を見ると、自分にそう言ったものだ。それからあの子どもだわ。世界は私をうまく捕まえたのだ。私は不快感を抱きながら歩いた。走ろうという気にはなれなかった。大地や太陽で熱くなった緑や食べ物から変な匂いが吐き出されているような気がした・・・危機は去った。

 もうやって来ることはないだろうとあらゆる常識に逆らって再び期待し始めた。一ヶ月後、明白な事実を認め、完全な茫然自失のうちに今度はこの病気を決定的に受け入れなくてはならなくなった。それ以来、私は記憶のなかには「以前」ができてしまった。私の存在の残りの日々はもう「以後」でしかないのだった。

 大部分の女の子にとって、事態は似たような経過をたどる。彼女たちの多くは周囲のものに自分の秘密を打ち明けるのをとてもいやがる。ある女友だちが話してくれたのだが、母親が居なくて、父親と女教師にはさまれて暮らしていた彼女は、生理が始まったことに気づいてもらえるまでの三ヶ月を、汚れた下着を隠して、恐れと恥ずかしさの中で過ごしたのである。農家の女たちは動物の生命の最も過酷な側面を知っているので、何事にも動じないと思われているが、田舎では月経はまだタブーの性格をもつため、彼女たちでさえこの不運に嫌悪を抱いている。

 私が知っている、ある若い農婦は、言えない秘密を隠すために、冬中、凍りつくような小川で隠れて下着を洗い、それをまた濡れたまま肌にじかに着ていたのだ。似たような事実を百でも挙げる事が出来るだろう。

 だが、この驚くべき不幸を告白しても、救いにはならない。「愚か者が― おまえはまだ若すぎるよ」と言いながら、娘に乱暴に平手打ちを食わせる母親は恐らく例外ではあるだろう。しかし、不機嫌な顔をする母親はかなりいるのではないか。ほとんどの母親は子どもに十分な説明をしない。

 女の子は最初の月経ショックをきっかけに始まる新しい状態を前にして不安でいっぱいになる。彼女は別の苦痛に満ちた驚きが将来にまだ残されているのではないかと思ったりする。また、これからただ男の前に立つだけで、または触るだけで妊娠するのではないかと想像する。そして、男に対して真の恐怖を感じる。

 わかるように説明しても不安を取り除いても、そう簡単に彼女の心を平静にすることはできない。以前は、女の子は少し欺瞞的だが、自分はまだ無性の存在だと思う事が出来た。自分のことを考えないでいることができた。ある朝起きたら、男に変わっていると夢想することさえあった。いま、母と叔母が満足げな様子でひそひそ話をしている。「もうこれで、一人前の娘よ」。主婦連合の勝利だ。娘は彼女たちのものである。

 このようにして有無を言わせず女の側に数えられるのだ。女の子がそれを誇りに思うこともある。彼女は、自分はいよいよ大人になったのだ、自分の生活が一変するだろうと考える。たとえば、ティド・モニエは(*41)次のように語っている。

 私たちの何人かは夏休みのあいだに「一人前の娘」になっていた。学校でなるものものいた。そうなると、彼女たちが自分の臣下を迎え入れる女王みたいに堂々と便座に坐っている校庭のトイレに、私たちは一人ずつ「血を見に」行くのだった。

 しかし、女の子はまもなく幻滅する、なぜなら、彼女には何の特権も得られず、人生は相変わらずだということに気づくからだ。唯一新しいのは、毎月繰り返される不潔な出来事だけである。自分はこういう運命を宣告されているのだと知って、何時間も泣く子もいる。彼女たちの憤りを一層激しいものにするのは、この恥ずかしい欠陥を男に知られているといことだ。

 少なくとも女の屈辱的な条件は男には神秘のヴェールで覆われていてほしいと思う。でも、だめだ。父も兄弟も従兄弟も、男たちは知っているし、時には冗談の種にしたりする。

 女の子のうちにあまりにも肉体を感じさせる自分の身体への嫌悪感が生じたりまたは増大するのは、まさにこういう時である。最初の驚きが去っても、だからといって、毎月の不愉快な思いが消えるわけではない。毎回、女の子は自分自身から立ち昇る、むっとする腐ったような臭い――沼地や萎れたスミレの匂い――を前にして、子どもの頃の擦り傷から出た血ほど赤くない。怪しげな血を前にして、同じ嫌悪を感じる。昼も夜も、着替えのこと、下着やシーツに気をつけること、多くの細々とした不快で実際的問題の解決に心掛けている家庭では、生理用ナプキンを毎月洗い、ハンカチの束の間に置く場所も決まっていた。

となれば、洗濯女やお手伝い、母親、姉など洗濯をする人の手に自分から出たこれらの排泄物を委ねなければならなかっただろう。薬局で売られている「カメリア」や「エーデルワイス」など花の名前のついた箱入りのナプキン類は使用後は捨てられるようになっている。

 しかし、旅行や保養、遠足に行った場合、便器にナプキン使用禁止と明記されていて、ナブキンの始末はそれほど容易ではない。『精神分析日記』の小さい主人公は生理用ナプキンに対する嫌悪を書いている(*42)。生理のときには姉の前でさえも、彼女は暗がりのなかでしか洋服を脱ごうとはしない。

 この面倒な邪魔な物体は激しい運動の最中にずれることがある。道の真ん中でパンツがずりおちそうになるよりひどい屈辱だ。こんな恐ろしい予想が精神衰弱からくる奇癖を引き起こすこともある。一種の自然の悪意によって、出血の初めは気がつかないで過ぎている。たいていその後に不快感や苦痛が始まる。若い娘には生理不順が多い。散歩の途中で、通りで、友だちの家で、突然生理になる恐れがある。

 シュヴェルーズ夫人(*43)のように、洋服や座席を汚してしまう危険があるのだ。そうなる可能性に絶えず脅えながら暮らしている娘たちもいる。若い娘は、この女の欠陥に強い反発を感じれば感じるほど、粗相(そそう)や内緒話の恐るべき屈辱に自分が晒されまいとして、ますます用心深くそれを意識せざるをえないのだ。

セクシュアリティ

 ここに、リープマン博士が若者のセクシュアリティに関する調査で得た一連の回答(*44)がある。

 16歳で初めて生理になったとき、朝、それを確かめながら、とても怖くなりました。実をいうと、いつかそうなる事は知っていました。でも、とても恥ずかしくて半日いっぱい横になっていました。あれこれ聞かれても、「起きられないの」としか答えませんでした。

 まだ完全に12歳になっていませんでしたが、初めて生理になったとき、私は驚きの余り口がきけませんでした。恐怖で呆然自失の状態でした。母は毎月あるものなのよと、素っ気なく教えてくれただけでした。それで、私はこれはとても汚いものだと考えました。そして、男にはそれがないことを認める事が出来ませんでした。

 この出来事があって、母は私に教える決心をしたのです。もちろん月経のことも一緒にです。それで、私は二度目の失望を感じました。というのも、生理になるや、私は大喜びで寝ている母の所に走って行きました。「ママ、私、なったわー」と叫びながら、彼女を起こしました。「起こしたのは、そのためなの」と、ママは答えただけでしたから。それにもかかわらず、このことは私の人生における本当に一大異変なのだと思いました。

 そういうわけで、初めて生理になったとき、血が数分たっても止まらないことを確かめると、かつてないほどの恐怖心を感じました。それでも、誰にも、母にも一言も言いませんでした。ちょうど15歳になったばかりでした。それに、痛みはほんの少ししかありませんでした。一度だけ余りの酷い痛さに気を失ってしまい、自分の部屋の床に三時間あまりも倒れたままだったこともあります。でも、そのこともまた何も話しませんでした。

 初めて生理なったのは、私が13歳ぐらいの頃でした。クラスメートとはすでにその話をしていたので、私には大人の仲間入りの番が回ってきたと得意にかんじていました。かなりもったいぶって、体育の先生に今日は生理ですから授業は受けられませんと説明しました。

 私に教えてくれたのは母ではありません。私が生理になったのは19歳になってからで、下着を汚してしまって、叱られるのがこわくて、それを畑に埋めに行きました。

 18歳になっていました。その年、初めて月経になりました(*45)。私には何も教えられていませんでした・・・・夜、激しい腹痛を伴ったひどい出血があって、私は一時も休む事が出来ませんでした。朝になるとすぐ、胸をどきどきさせて、母の所へ走って行きました。そして、泣きながらどうしたらいいのか尋ねました。

「もっと早く気がついて、こんなにシーツやベッドを汚さないようにしなくちゃだめでしょう」。こう厳しく叱られただけでした。説明の代わりはこれだけだったのです。当然ですが、私は一体どんな罪を犯したのかとあれこれ考え、恐ろしく不安になりました。

 わたしはどういうものかすでに知っていました。私はそれをじりじりしながら待っていたのです。というのも、これで母が子供の作り方を私に教えてくれると思っていたからです。その日がやってきましたが、母は沈黙したままでした。それでも、私は歓びで一杯でした。「これでおまえも子どもが出来るね。お前は一人前の女なんだよ」と、自分にいったものでした。

 この危機はまだ傷つきやすい年齢のときに起きる。男の子は15,6歳で初めて思春期に達する、女の子が女に変わっていくのは13から14歳頃だ。しかし、ここから、男の子と女の子の経験の基本的な相違が生まれるのではない。この相違はまた、女の子の場合には不快な衝撃を与える生理現象にあるのでもない。

 思春期は男と女では根本的に違った意味をもっている。なぜなら、思春期が彼らに予告する未来がおなじものではないからである。

 確かに、男の子もまた、思春期には自分の身体を厄介な存在と感じる。しかし、幼少時代から自分の男らしさに誇りをもっているため、それに向かって堂々と自己形成の時期を乗り越えていく。彼らは脚に生えた、自分たちを男にする毛を誇らしげに見せあう。これまでになく、彼らの性器は比較と挑戦の対象となる。大人になるということは変身することであるが、変身は彼らを怖気づかせる。

 多くの若者は自由の厳しさを知らされた時、不安を感じる。だが、男の威信に行き着くことは喜びなのだ。反対に、女の子は、大人になるためには、女であることが彼女に課す限界のなかに閉じこもらなくてはならない。

 男の子は生えてくる体毛のなかに無限の約束を見て感嘆する。女の子は自分の運命を阻む「突然始まった出口のない深刻な事態」の前で呆然とする。ペニスは社会的状況から特権的価値を引き出す。同じように、この社会的状況が月経を呪われたものにするのである。

 ペニスは男であることを象徴し、月経は女であることを象徴している

女であるしるしが恥ずべきこととして迎えられるのは、女であることが他者性と劣等性を意味するからである。女の子の人生はつねに女の子にとってそうした何か漠然とした本質によって決定されたものとして現れる。

 ペニスの不在はこの本質を具体的に示すものではない。股間から流れ出る赤い血の中に現れるのがこの本質なのだ。すでに、彼女が自分の条件を引き受けていた場合には、喜びをもって月経を受け引き受け入れる月経となる・・・・「さあ、これでおまえも一人前の女だね」と。この条件をつねに拒否してきた場合には、血という形で示される評決が彼女をうちのめす。

 たいていの場合、女の子は躊躇(ちゅうちょ)する。だが、月々の汚れは彼女を嫌悪と恐怖に向かわせる。「女である、というあの言葉が意味するのはこれなんだわ―」。これまで漠然と外部から彼女にのしかかっていた運命、それがいま彼女のお腹のなかに潜んでいる。逃れる方法はない。追い詰められたように感じる。性の平等な社会では、女の子は月経を大人の生活に入るための女の子に特有な手段としか考えないだろう。男でも女でも、人間の身体はもっと不快な他の様々な束縛を経験している。しかし、人はそれに容易に順応する。なぜなら、そうした束縛はみなに共通していて、誰もそれが重大な欠陥を示すものとはおもわないからである。月経が若い娘に嫌悪感を引き起こすのは、それが彼女を去勢されたものと劣ったもののカテゴリーのなかに追い込まれるからである。

 この失墜感は彼女に重くのしかかることになる。人間であるという自尊心を失わなかったならば、彼女は出血する自分の身体に誇りを持ち続けるだろう。そして、彼女がその自尊心をもち続けることができたら、自分の身体に対する屈辱感は和らぐだろう。

 スポーツ、社会、学問、宗教の諸活動をとおして超越への道を切り拓く若い女は、去勢されていること[ペニスがないこと]を自分が特徴づけるものとみなさないだろう。彼女はそれをたやすく克服する。この時期にこれほどしばしば若い娘が精神病を発現するのは、想像を絶する試練を彼女に強いる目に見えない運命を前にして、自分が全く無防備だと感じるからである。

 自分が女であることは、彼女の目には病気、苦痛、死を意味し、この運命に彼女は身がすくむのだ。
 こうした不安を分かり易く説明している事例がある。H・ドイッチュがモリーという名で記述した患者の例である。

 モリーが精神の変調に苦しみ始めたのは、14歳の時だった。彼女は子どもが五人いる家庭の四番目の子であった。父親は非常に厳しく、食事のたびに娘たちにやかましかった。母親は不幸せだった。両親のあいだに会話がないのはしょっちゅうであった。兄弟の一人は家を出て行ってしまっていた。モリーは才能豊かな子で、タップダンスがうまかった。

 内気で、家庭の雰囲気をつらく感じていた。彼女は男の子に恐怖心を抱いていた。姉は母親の反対を押し切って結婚した。モリーは姉の妊娠に強い興味をもった。姉は難産で鉗子を使わなければならなかった。彼女はお産の一部始終を知り、女は産褥で死ぬことがよくあると聞いて、とてもショックを受けた。彼女は二か月間、乳児の世話をした。

 姉が家を出るとき、ひどいケンカかがあり、母親は気絶した。モリーも気を失った。彼女は教室でクラスメートが気を失うのを見たことがあった。死や気絶の観念が頭にこびりついてしまった。初潮を迎えたとき、母親に気まずそうに言った。「あれが来たわ」。そして、姉とナップキンを買いに行った。通りで、一人の男に会い、彼女は顔を伏せた。一般的な仕方で、自分自身に対する嫌悪感を顕したのである。生理期間中痛みはなかった。いつも彼女は母親にそれを隠そうとした。

 ある時、母親はシーツのシミを見つけて、生理なのかと尋ねた。そうだったのだが、彼女は否定した。ある日、姉に言った。「もう、なんでもできるのよ。子どもを産むことだってできるわ」。「それには男の人と暮らさなくてはね」と、姉に言った。「だって、私は二人の男の人と暮らしているわ。パパとおねえちゃんの旦那さんよ」

 父親は、レイプを恐れて、娘たちだけで夜外出することを許さなかった。こうした心配は、男という者は恐ろしい存在なのだというモリーの考えを助長することになった。初潮を迎えてから、妊娠することへの恐怖、お産で死ぬことへの恐怖が非常に激しくなり、部屋から出るのを次第に拒むようになった。

 一日中ベッドにいたいと望むようにさえなった。無理に外に出ようとすると、心配の余り、酷い発作をおこした。家から離れなくてはならなくなると、発作に襲われ、気絶した。自動車やタクシーが怖く、もう眠ることもできなくなった。夜に泥棒が家に入ってくると信じ、わめき、泣いた。食欲異常があり、ときどき気絶を防ぐためにといってめちゃくちゃ食べ過ぎてしまった。

 また、閉じ込められたと感じた時には、怖がった。もはや学校へも行けず、通常の生活も営むこともできなくなった。
 同じような話がある。月経の発作に係わる話ではないが、ここには少女が自分の内部に対して感じる不安が現れている。ナンシー(*46)の話だ。

 その女の子は13歳の頃、姉ととても仲が良かった。
 姉が内緒で婚約、結婚した時、その秘密を打ち明けられて、彼女は得意になった。大人の秘密を分かち合うことは、大人として認められることである。彼女は姉の家でしばらく暮らした。しかし、赤ちゃんを「買う」つもりだと聞かされて、ナンシーは義理の兄とこれから生まれる子どもに嫉妬を感じた。

 また大人につまらない隠し立てをされる子ども扱いに戻るのは我慢できないことだった。彼女は内臓に異常を感じはじめ、盲腸の手術を受けたいと言い出した。手術は成功したが、病院に入院しているあいだにナンシーはひどい興奮状態にあった。嫌っていた看護婦と激しい言い争いをした。彼女は医者を誘惑しようとし、デートに誘い、挑発的態度をとり、神経発作を起こし、女として自分を扱うように要求した。

 数年前の弟の死は自分の責任だと自分を責めた。とくに、盲腸はまだ取られていなくて、胃の中にメスが置き忘れていると思い込んでいた。ペニー銅貨を吞み込んでしまったという嘘を口実にして、レントゲン写真を撮ってくれと要求した。

 手術願望――とくに盲腸切除願望――はこの年頃によく見られる。こんなふうに女の子のレイプ、妊娠、出産に対する恐怖を顕すのだ。お腹のなかに何か漠然とした脅威を感じて、自分たちを狙っている得体の知れない危険から外科医が救い出してくれると期待するのである。

クリトリス・オナニー

 女の子に女の運命を告げるのは月経の始まりがきっかけではない。他のよくわからない現象が彼女のうちに生じる。それまでは、女の子の官能性はクリトリスにあった。オナニーは女の子にあっては男の子ほど一般的でないのかどうか、それを知る限りでは難しい。

 最初の二年間、たぶん生後数か月ぐらいかで彼女はそれを行うようになる。二歳くらいになるとやめて、ずっと後になってまた再び始めるよだ。その身体構造からして、男の肉体に植え付けられた陰茎のほうが隠れた粘膜よりも自慰を誘う。しかし、子どもは体操器具や木によじ登ったり自転車にまたがったりすることから、衣服の接触や遊びで偶然に擦ることがあったり、また、クラスメートや年上の子や大人から教えてもらったりして、こうした感覚を発見し、しばしばそれをまた甦らせようと努める。

 いずれにせよ、快感は、それが達成されたときには、自律的感覚である。なぜなら、それは子どものあらゆる気晴らしがもつ軽さと無邪気さを備えてい(*47)るからだ。彼女はこうした性的快感と自分の女としての運命をまったく関連付けなかった。

 男の子との性的関係は、それがあったとしたら、大部分は好奇心に基づくものだ。そしていま、彼女はこれまで経験したことのない怪しい興奮が肉体を貫くのを感じる。性感帯の感受性が発達する。女には性感帯が多くあるので、体全体が性感帯と考えることもできる。

 家族の愛撫や無邪気なキス、洋服屋や医者、美容師の何気なく触れる手で、髪の毛やうなじにかけられる親しげな手が彼女にそれを教える。彼女は男の子や女の子との遊びや対立関係の中で、さらに深い興奮を覚えて、しばしば自らそれを追い求める。それで、ジルベルトはシャンゼリゼでプルーストと争った。

 また、女の子はダンスのパートナーの腕のなかや母親の天真爛漫な眼差しに奇妙な気だるさを覚えるのだ。それに、箱入り娘ですらもっと明確な経験にさらされる。「申し分のない」階層では、これらの嘆かわしい出来事に人々は申し合わせたように口をつぐむ。

 しかし、祖父や、父親とまでは言わないにしても、家族の友人や小父、従兄弟などのある種の愛撫は、母親が思っているよりはるかに有害である。先生、司祭、医者が厚かましかったり、無遠慮だったりする。こういう経験を綴った話が、ヴィオレット・ルデュック[現代フランスの女性作家]の『窒息』とS・ど・テルヴァーニュ[現代フランス小説家]の『母の憎しみ』、ヤシュ・ミゴークレーの『青いオレンジ』に見出せる。シュテーケルはとくに祖父がしばしば危険であると見ている(*48)。

 私は15歳でした。お葬式の前日、祖父が家に泊まりに来ていました。翌朝、母はもう起きていました。一緒に遊びたいからベッドに入っていいかいと祖父は私に尋ねました。私は何も答えずに跳び起きました・・・・・男は怖いと思うようになりました。と、このようにある女性は語っている。

 もう一人の若い女性は八歳から十歳のころ、70歳の老人である祖父に性器をいじられたときに受けた深刻なショックを思い出す。彼は膝の上に彼女を抱き、膣に指を滑り込ませた。子どもはとてつもない苦痛を感じたが、決してそんなことは喋らなかった。その時から、彼女は性に関するすべてに非常な恐怖心を抱くようになった。

 これらの出来事は女の子に屈辱感を抱かせるために、語られることなく過ぎてしまうのが普通である。しかも、両親に打ち明けたとしても、しばしば、彼女を𠮟るという反応しか返ってこない。「ばかなことを言うんでない・・・・・いやな子ね」。彼女はまた見知らぬ人たちの奇妙な行動についても口をつぐんでいる。ある少女はリープマン博士に次のように語った(49)

 私たちは靴屋の地下に一部屋借りていました。家主は一人のとき、しばしば、私を探しにやって来ては、腕に抱き、前後に細かく体を揺すりながら、それはとても長いキスをしました。おまけに彼のキスは軽いものではありませんでした。口の中に舌を突っ込んでくるのです。たまりませんでした。でも、とても怖かったので、私は一言も漏らしませんでした。

 大胆なクラスメートや不品行な女友だちのほかにも、映画館で女の子の膝にすり寄ってきた膝もあれば、夜、電車の中で脚を撫でた手もある。通りがかりににやにや冷やかす若い連中もいれば、通りで後を付けてくる男もいる。抱きしめてきたり、見えないようにさっと触れて来ることもある。

 彼女たちはこれからの突然の出来事の意味がわからない。15歳の頭のなかでしばしば奇妙な混乱が起こる。理論的な知識と具体的な経験とが一致しないからである。ある女性は疼(うず)きと欲望の痛みのすべてをすでに経験済みなのにもかかわらず、フランシス・ジャム[Ⅰ868-1938、フランスの詩人]が作り上げたクララ・デルデルブースのように、母親になるには男のキスだけで足りると思っている。また、ある女性は生殖器の解剖学的構造について、正確な知識をもっているにもかかわらず、ダンスの相手が彼女を強く抱きしめたとき感じた疼きを頭痛と取り違えた。たしかに今日では、若い娘たちはよりずっと色々な情報を与えられている。

 しかしながら、思春期になっても性器に排尿以外の使い道があることを知らない娘が一人ならずいると断言する精神科医(*50)もいる。いずれにせよ、彼女たちは性的興奮と性器の存在とのあいだを関連付けることが殆どないのだ。なぜなら、男の勃起のようにこの相関関係を明らかにしてくれるような明確なしるしが何もないからである。

男や愛に対するロマンチックな夢と示される生々しい事実とのあいだにこれほどの断絶があるために、彼女たちはそこに何の統合も作り出されないでいる。ティド・モニエは男の体がどんな構造をしているのか確かめて、友だちに話す約束をしたと語っている(*51)

私はわざわざ父の部屋にノックをせずに入って、こう言ってみたのです。「あれは。モモ肉を食べる時の骨につける柄に似ているわ。巻物みたいで、丸いものがくっついているの」。説明するのは困難でした。そこで絵を描いてみました。三枚も描きました。そして、友だちがそれぞれ下着に自分用に隠して持ち帰り、ときどきそれを見てはぷっと噴き出したり、物思いにふけったりするのです‥‥私たちのような無邪気な少女に、どうして、感傷的な歌や美しくロマンチックな物語とこの物体とを関連付ける事などできるでしょうか。

物語の中では、愛は完全なる尊敬であり、恥じらい、ため息、手へのキスであって、そんな物体は男にないかのように鈍化されてしまっているのですから。

それでも、読書、会話、目にした光景、小耳にはさんだ言葉をとおして、女の子は自分の肉体の疼きに意味を与える。彼女は呼びかけ、欲望する。熱い、戦慄、汗ばみ、はっきりしない不調のなかで、彼女の肉体は新しい不安な側面をもつ。若い男が自分の性愛の傾向を主張するのは、自分が男であることを喜んで受け入れるからである。

性的欲望・マスターベーション、オガィズム

男にあっては性的欲望は攻撃的、捕捉的である。彼はそこに自分の主体性と超優越性の確立を見る。彼は自分のクラスメートにその欲望を誇る。彼の性器は彼にとって依然しいて官能の疼きだが、彼はそれを自慢に思う。彼を雌の方に投げ出す衝動と世界に投げ出す衝動とは同じ性質のものであり、彼もまたそこに自己を認める。

反対に女の子の性生活はつねに闇に隠されていた。彼女の官能性に変化が現われ、
それが肉体全体に広がってくると、その秘密は悩みとなる。彼女は疼きをまるで性病のように耐え忍ぶ、それは能動的でなく、一つの状態である。そして、どんな自主的決断をもってしても、想像のなかでさえ、それから自分を解き放つことはできない。捕らえ、弄(もてあそ)び、犯すことを空想しない。彼女は待ち受けるものであり、呼び寄せるものであるからだ。彼女は自分を依存的なものと感じる。彼女は疎外された肉体のなかにあって、自分が危険な状態にあると感じる。

なぜなら、彼女の漠然たる希望、幸せな受動性の夢が、彼女の肉体は他人のためのものであることをはっきりと彼女が示すからだ。彼女は自分の内在性においてしか性体験を持ちたいとは思わない。彼女が呼び求めるものは、もう一つの肉体の手や口との接触であって。手や口や見知らぬ肉体ではない。彼女は自分の相手のイメージを陰のなかに置いておくか、また理想の靄(もや)の中に沈める。

しかし、その存在が自分につきまとうのをどうすることもできない。男に対する彼女の若者らしい恐怖や衝動はかつてないほどあいまいで、だからこそ一層不安な性格を怯えていた。以前は、そうした恐怖や衝動は子どもの体(オルガニスム)と大人になる未来とのあいだの深い亀裂から生まれていた。

 しかしいまは、それらの原因は若い娘が自分の肉体に感じるこうした複雑さそのものにあるのだ。彼女は自分が所有される運命にあるのは、自分がそれを願ったからだと理解する。それで、彼女は自分の欲望に抵抗する。彼女は自ら同意して獲物になった恥ずべき受動性を望むと同時にひどく恐れる。男の前で裸になる事を考えると、不安で気が動転する。

しかし同時に、そうなれば男の視線にどうしようもなく自分がさらされるだろうと予感する。捕らえ、触られる手は視線よりももっと威圧的な存在だ。手は彼女をいっそう脅かす。だが、肉体の所有の最も明白で憎むべき象徴は男性器による貫通である。若い娘が憎むのは、自分自身と一体であるこの肉体に、革に穴を開けるように穴をあけられること、また、布を引き裂くように肉体を引き裂かれることなのだ。

とはいえ、それに伴う傷や痛み以上に若い娘が拒否するのは、傷や痛みが押し付けられたものであるということだ。「男によって貫通されるという考えにはぞっとする」と、かつてある少女が言った。男根への恐怖は嫌悪感を生み出すのではない。

だが、その恐怖は嫌悪感の確証であり、象徴である。貫通の観念は、もっと一般的な形で内部に猥褻(わいせつ)で侮辱的感覚を持ち込む。その代わりに恐怖がそのきわめて重要となるのである。

若い娘の不安は悪夢となって彼女を悩まし、幻覚となっておりますますつきまとう。レイプされるという考えが、多くの場合強迫観念となるのは、彼女が自分の知らぬ間に忍び込む迎合に気づくときである。強迫観念は多少とも明瞭な多くの象徴をとおして夢や行動に現れてくる。

少女はいかがわしい目的で潜んでいる泥棒を見つけるのが怖くて、寝る前に部屋を調べ回る。家に強盗が入った音を聞いたような気がする。窓からナイフをもった押し込み強盗が入って来て、そのナイフが彼女の体を貫通する。程度の差はあれ、男たちは彼女に恐怖心を与える。

彼女は父親に対してもある種の嫌悪を持ち始める。タバコの匂いがもう我慢できない。彼の後ろで浴室に入るのも嫌だ。父親を深く愛しているとしても、この生理的衝動はよくあることだ。しばしば末娘に見られるように、まるで父親を憎んでいるかのように彼女は非常に苛立った表情をする。精神科医が若い女性患者にたびたび見出したと言う一つの空想がある。

一人の年配の女の目の前で、彼女の同意のもとに、自分が男に犯されていると想像するのだ。彼女たちが自分の欲望に身を委ねる許しを母親に象徴的に求めているのは明白である。

 なぜなら、彼女たちに最も重くのしかかる束縛の一つが偽善の束縛だからである。というのも女の子が「純粋」とか純潔に身を捧げるのは、自分のうちや自分の周囲に生命や性の神秘的な疼きを見出すまさにその時だからだ。

オコジョ[イタチに似た小獣]の冬毛のように純白で、水晶のように透明であるようにと、彼女は透けるオーガンジーの洋服を着せられ、部屋はドラジェ菓子の色の壁紙で飾られ、彼女が近づくと、人々は声を潜める。淫らな本を読むことも禁じる。ところが、「忌まわしい」欲望や映像を胸に秘めていないマリアの娘は一人としていない。

 彼女は親友にさえ、また自分自身にもそれを隠そうと努力する。彼女はこれからそれを自分に禁止して、生き、考えるほかないのだ。自分自身に対する不信は彼女を陰険で不幸で病的な感じにする。そして、もっと後には、こうした抑制と闘うことはきわめて難しくなるだろう。

 しかし、なにも抑制するにもかかわらず、彼女は言葉に尽くしがたい過の重みで押しつぶされそうな気がする。女に変身すること、それを屈辱感のみならず、後悔の念のなかで彼女は甘受するのである。

 思春期は、女の子にとって、つらい混乱の時期であるということがよくわかる。彼女は子どものままでいたくない。だが、大人の世界は恐ろしくかつ面倒なものに思われる。こうコレット・オードリーは語っている。

 ですから、私は大きくなりたいと思っていました。でも、私が目にしていた大人の生活を送りたいと本気で思う事は全くありませんでした・・・・・私の中で大きくなりたいという意思が培われていったのはこんなふうにしてでした。大人の条件を決して引き受けず、両親や主婦や家庭的な女や家長と決して連携することなく、大人になりたいと思ったのです。

 彼女は母親の束縛から解放されたいと思っている。しかし、また保護されたいという欲求も非常に強い。彼女の良心に重荷となる過失、つまり、自慰行為、怪しげな友情、悪書を読むこと事は彼女にとってこの逃げ場を必要なものにするのだ。15歳の少女が女友だちに書いた次の手紙は特徴的(*52)だ。

 ママは私がX家での大舞踏会で長いドレスを着てほしいって思っているのよ。初めて長いドレスよ。私が嫌がっているのでママは驚いているの。最後だから、私に短いピンクのドレスを着せてってお願いしたの。怖いの。もし私が長いドレスを着ると、ママは長い旅行に出かけてしまって、いつ帰って来るか分からないような気がするの。ばかみたいでしょう。

それと、ときどきママはまるで私が小さい子みたいに、私のことを見るのよ。ああー もしママが知ったら― 私の手をベッドに縛リ付けて、軽蔑すると思うわ― シュテーケルの著書『不感症の女』のなかに女の子ども時代に関する注目すべき資料がある。ウィーンのある[可憐な小娘]が二十一歳頃に書いた詳細な告白である。これはこれでバラバラに検討してきたすべての時期の具体的な総括となっている。

五歳の時、私は最初の遊び友だちにリシャールという六、七歳の男の子を選びました。私はいつも、どうやって、男の子とか女の子とか、子どもを見分けるのかを知りたいと思いました。イヤリングでよとか、鼻で見分けるのよとか言われていました・・・・・何か隠されているなという感じでしたが、その説明に満足していました。

突然リシャールがおしっこをしたいと言いました・・・・彼におまるを貸してあげることを思いつきました。彼の性器を見ると、私にとってはまったくびっくりするようなものだったので、大喜びで叫んでしまったのです。「あら、そこに、リシャール、何もっているの ? まあ、なんて可愛い― あらまあ、私も一つほしいわ」。と同時に、大胆にもそれに触ってしまいました・・・・。

二人は叔母にその場を見つかり、それからはしっかり監視されることになる。九歳で、彼女は八歳と十歳の二人の男の子と結婚式ごっこやお医者さんごっこをする。みんなが彼女の生殖器に触り、ある日、男の子の一人がペニスで彼女に触れ、自分の両親も結婚したとき同じことをしたのだと言った。「私はかんかんに怒りました。やめてよ、とんでもないわ。そんな汚いことやったりしないわー」。

彼女は長い間この遊びを続け、この二人の少年と、愛と性の深い友情関係をもつことになる。ある時、叔母がそれを知って、ひどい騒ぎになり、少年院に入れると脅された。彼女は好きだったアルチュールに会えなくなり、とても苦しんだ。勉強をしなくなり、字の形も乱れ、眼付も悪くなる。彼女はワルターそしてフランソワと新しい友情関係を育みはじめる。

 ワルターは私の思考と官能のすべてを占領してしまいました。書き取りノートの宿題をしながら、彼の前に立ったり座ったりして、スカートの下に手を入れて触らせてあげるようになりました・・・・・母がドアを開けると、彼は手を引っ込め、私がそのまま書き取りを続けていたのです。

 ついに私たちは、男と女のノーマルな関係をもちました。でも、私は彼に多くを許したわけではありません。私の膣に彼が挿入するとすぐに、誰かがいると言って、彼から自分の体を引き離しました・・・・そのことが罪だなんて思いもしませんでした。

 彼女の男の子との交際は終わった。残されているのは、女の子との友情関係だけである。

 私は、大変育ちがよく教養のあるエミーに夢中になりました。一度、12歳の時のクリスマスに、私たちは紙のなかに自分たちの名前を彫り込んだ小さな金のハートを交換しました。私たちは「永遠の忠誠」を誓い合って、それを一種の婚約だと考えていました。私の知識はエミーによるところが大きいのです。彼女は私の性の問題について教えてくれました。

 私は第五級[日本の中学二年]のとき、子どもを運ぶコウノトリの話をすでに疑い始めていました。子どもはお腹から出てくると信じていましたし、出て来るためには切開しなくてはならないと思っていました。エミーが、とくにマスターベーションの話をした時は、本当に驚きました。

 学校では、福音書の何節かが、性の問題について私たちの目を開いてくれました。たとえば、聖母マリアが聖女エリーザベトに会いに来た時の、「お腹の子どもが喜んで飛び跳ねていた」とか、『聖書』のなかの他の好奇心を引くような下りとかです。

 私はそのくだりにアンダーラインを引きました。それが見つかって、学習態度の評価が悪い点を取ってしまうところでした。彼女はシラーが『群盗』のなかで語っている「九ヶ月の思い出」を私に見せてくれました。エミーの父が転勤になり、私はまた一人になってしまいました。私たちは自分たちで作りだした秘密の言葉で手紙のやり取りをしました。ひとりぼっちで、寂しくて、私はユダヤ人のヘデルという女の子を好きになりました。一度エミーにヘデルと学校から出て来るところを見られてしまいました。彼女は嫉妬から、私にケンカをふっかけてきました。私は商業学校に入学するまでヘデルと一緒でした。

 私たちは、将来義理の姉妹になることを夢に見ている親友でした。というのは、学生だった彼女のお兄さんの一人を、私は好きだったからです。彼に話しかけられると、混乱ばかりしてしまうほどでした。夕暮れ、ヘデルのお兄さんがピアノを弾いているとき、彼と小さな長椅子に座ってピッタリ寄り添いながら、私は何故だか分からないまま熱い涙を流していました。

 ヘデルと友情を結ぶ前に、私は数週間ぐらい、エラという貧乏人の娘と付き合いました。彼女はベッドの音で目が覚めて、両親が”向かい合って”いるところを見てしまったのです。父親が母親の上に横になると、母親は恐ろしいほどの叫び声をあげ、父親は「用心の為に早く体を洗っておいで」と言ったのよと、私に教えに来ました。

 わたしはその父親の行動を気にするようになり、通りでは彼を避けるようににし、彼女の母にはとても同情をしました(それほど叫ぶのだから、よほど苦しかったに違いないと思っていましたから)。

 別のクラスメートとペニスの長さについて話したこともありました。12センチから15センチあると聞いたこともあります。被服の時間に、私たちは物差しをもって、スカートの上から問題のあの場所からお腹に沿って計ってみようとしました。当然、少なくともおへそ辺りまできましたので、結婚すると文字通り串刺しにされるのだと思い、恐ろしくなりました。

 彼女は雄犬と雌犬の交尾を見ている。「馬が道端でおしっこをしていると、目を離すことはできませんでした。ペニスの長さに驚いたのだと思います」。彼女はハエを観察し、田舎では、動物を観察する。

 十二歳のとき、ひどい扁桃腺炎にかかり、知り合いの医者に診てもらいました。ベッドのそばに座ると、突然毛布の下に手を入れ、ほとんど”あの場所”に触れて来たのです。私は「恥ずかしくないのですかわっ―」と叫んで、跳び起きました。母が飛んでくると、医者は大変気まずそうな様子で、無礼なお嬢さんですね、ちょっとふくらはぎをつねろうとしただけなのにと言いました。私は彼に謝らせられたのです・・・・ついに生理が始まり、父が血だらけの私のムナップキン見つけたときには、恐ろしい騒ぎになりました。

 なぜ、清潔な男である彼が「こんな汚れた女たちと暮らさなくてはならないのか」と、生理になって、なにか悪いことをしたような気がしました。
 15歳の時、彼女は別の女友だちと”家族の誰に読まれないようにと速記で”手紙のやりとりをするようになった。

 私たちを魅了したものについて、書かなくてはならないことがたくさんありました。彼女はトイレの壁で見つけたたくさんの落書きを私に知らせました。
 私はその一つを覚えています、「愛の崇高な目的とは何か? 棒の先でくっつく二つのお尻さ」。私の想像のなかでは、愛があれほど崇高なものだったのに、この落書きは愛の価値を糞便にまで引きずり降ろしてしまった。だから、覚えていたんです。

 私は決してそこまでは行くまいと決心しました。若い娘を愛する男がそんなことを彼女に要求できるわけがありません。
 15歳半で、私には弟ができました。ずっと一人っ子だったので、やきもちも焼きました。友だちはいつも弟の体がどうなっているか見てきてくれと言いました。でも、私は彼女が望むような情報を与えることが全然できませんでした。

この時期、もう一人の女友だちが結婚式の夜のことをいろいろ話してくれました。その後、私は好奇心から結婚してみたいと考えるようになりました。ただ”馬のように喘ぐ”という彼女の描写が、私の美的感覚を傷つけました・・・・私たちの仲間のうちで、愛する夫から服を脱がされ、ベッドに運んでもらうために、結婚したいと願わなかったものがいるのでしようか。それほど心惹かれるものだったのです。

 これは正常なケースで病的ではないにも拘わらず、この子どもは例外的に「倒錯」的性質をもつと恐らく言われるのであろう。彼女は他の子供ほど監視されていないだけである。「育ちのよい」若い娘たちの好奇心や欲望が行動に現れないとは言って、妄想や遊びの形でそれが存在しないとは言えない。私はかつて、非常に敬虔で面食らうほど純真な少女と知り合いになった。

 彼女は――母性と信心にすっかり浸った完全なる女性、となるのだが――ある夜、姉に震えながら、こう打ち明けた、「男の人の前で服を脱ぐのって、どんなにか、それはすばらしいのでしょうね― ちょっと、私の夫になってちょうだい」。感動のあまり打ち震えながら、彼女は服を脱ぎ始めた。どんな教育しようと、女の子が自分の肉体を意識したり、運命を夢見たりするのを防げることはできない。

 せいぜいできるのは厳しく抑制することぐらいである。だがそれはその後の性生活全体に重くのしかかる事になるだろう。望ましいのは、逆に、彼女が冷静に屈辱感を持たずに自分自身を受け入れるよう教える事である。

 これで、思春期にどのような葛藤が若い娘を引き裂くのかがよくわかった。彼女は自分が女であることを受け入れずに、「大人の女」になることはできないのだ。彼女は、自分の性が去勢され固定された生を自分に宣告していることをすでに知っていた。

 そしていま、自分の性を不純な病気、漠然とした罪のかたちで見出している。若い娘の劣等感は、なによりもまず、不在として捉えられた。ペニスの欠如は汚辱と過失とに変えられてしまったのだ。彼女は傷つけられ、汚辱感を持ち、不安に苛まれ、罪の意識に囚われながら、未来に向かって歩み出すのである。

 つづく 第二章 娘時代