第二部 第6,7、8,9章

 訳注 第二部 第六章
*1 バースコントロールと中絶の問題の歴史については、T巻第二部「歴史」V、以下を参照。
*2 『青少年期とセクシャリティ』
*3 『女性の心理』
*4 『不感症の女』
*5 N・ハーレ
*6 『負けを覚悟の勝負』「子ども」
*7 『結婚』
*8 H・ドイッチュは、子どもが本当に一ヶ月遅れで生まれたことを確認したことを断言している。
*9 『負けを覚悟の勝負』「子ども」
*10 T巻第一部一章を参照。
*11 ちょうど私の聞いた例によると、ある男が、妻――彼女をたいして愛していたわけでもなかったが――の妊娠初期は、吐き気や、目まいなど妊婦に見られるのとまったく同じ症状を呈したということだ。
*12 『結婚』
*13 すでに述べたように、分娩の苦痛をなくそうという主張に対し、一部の反フエミニストは自然と『聖書』を盾に怒りを表明した。苦痛は母性「本能」の一つであるはずだというのだ。H・ドイッチュはこの意見に引きつけられている。母親が出産の苦しみを味わわなかったら、赤ん坊を目の前に差し出されても、母親はその赤ん坊を心の底では自分の子として認めないのではないか、と彼女は言っている。
  しかしまた彼女は、苦痛の大きかった妊婦たちには空虚感が共通して見出されることも認めている。そして著作を通じて、母性愛は一つの感情、一つの自覚的な態度であって、本能ではない、つまり母性愛と妊娠は必ずしも結びつかない、と主張している。
  彼女によれば、夫が最初の結婚で得た子を養子にして、その子を実の母親のように愛している女もいるという。この矛盾はドイッチュが女はマゾヒズムを運命づけられているとしたことと、彼女の理論から女の苦痛に価値を与えざるをえないことから生じている。
*14 このテーマでシュテーケルが集めた告白の一つを部分的に要約したもの。
*15 『負け覚悟の勝負』
*16 コレット『宵の明星』。
*17 『湾にて』

第二部 第七章
*1 T巻を参照。 まさに自分を性の対象として把握する同性愛者は例外である。また、ダンディについては別に研究しなければならない。今日、目立つカットの明るいスーツを着るアメリカの黒人の「ズートスーツ好み」[ズートスーツは、裾でくくっただぶだぶのズボンと長い上衣から成る派手なスーツ]には非常に複雑な理由があると言われている。
*2 T巻を参照。
*3 クラフト=エビングが報告しているサンドールの場合は立派な服装をした女が好きであったが、自分は「着飾る」ことはしなかった。
*4 前世紀を背景とする映画。それにしてもさまらない映画で、ペティ・ダイヴィスは、結婚までは白を着るきまりなのに、舞踏会で赤のドレスを着て顰蹙(ひんしゅく)をかっていた。彼女の行為は既成秩序に対する反抗と見なされたのである。
*5 I・コイン作。
*6 しかし、最近の調査によれば、フランスの女性用体育館には今日はほとんど人がいない。フランスの女が身体文化に熱中するのはとくに1920年から1940年にかけての時期である。今のところ、家事の負担が彼女たちにあまりにも厳しくのしかかっている。
*7 『負けを覚悟の勝負』
*8  『愛らしい洞窟』
*9 『ケビ』
*10 トルストイ『戦争と平和』参照。
*11 シュテーケル『不感症の女』。
*12 『強迫観念と精神衰弱』
*13 ここで結婚について述べている。恋愛においてはカップルの態度は反対になるのが分かるであろう。

第二部 第八章
*1 T巻第二部を参照。
*2 『思春期』
*3 マロ『思春期』による。
*4 著書は本名を伏せてマリー・テレーズという筆名でこの身の上話を公刊した。私は筆名で示すことにする。
*5 『獄中の街娼たち』
*6 「淋病をごまかすため、検診前に女主人が女に渡すタンポン。だから、医者が病気の女を見つけるのは、女主人が女を首にした時だけという訳であった」
*7 もちろんこの状況は、消極的なうわべだけの方策では変えられない。売春をなくするためには二つの条件が必要だ。すべての女性にしかるべき仕事を保証すること。
 自由な愛を慣習がけっして防げないこと。売春を成り立たせている必要性を取り除いてはじめて売春を廃止することができるのだ。
*8 スターが芸術家でもあり、愛されるために創意工夫し創造することもある。そうなると彼女は、これから二つの任務を兼ねるか、あるいは情事の段階を越えて、後にふれる女優、声楽家、ダンサーなどの仲間に入ることもありうる。
*9 同様に、結婚を自分の目的に役立つように使う女もいれば、愛人たちを政治的、経済的等々の目的に達する手段のように用いる女もいる。前者は主婦の状況を越え、後者は高級娼婦の状況を越える。


第二部 第九章
*1 T巻第一部第一章参照。
*2 1925年8月、ノール県の中産階級の主婦で、夫や子どもたちと同居していた六十歳のルフェーヴル夫人が、息子の運転する車で旅行中に、妊娠六ヶ月の嫁を殺害した。死刑の宣告を下されたが、恩赦を受け、懲治院で一生を終えた。その間、彼女は一度も改悛の念を示さなかった。彼女は嫁を、神の承認のもとに、「雑草を抜いたり。悪い種子を除くように、獰猛(どうもう)な動物を殺すように」殺したのだと考えていた。
 嫁の残酷さについて彼女が上げた唯一の証拠は、ある日若妻が彼女に「今でも私もいるのですから、私のことも勘定に入れてください」と言ったことであった。彼女が泥棒に対する護身用という口実でピストルを買ったのは、嫁の妊娠を察知した時だった。
 閉経後も彼女は自分の母性に絶望的にすがりついていたのだ。十二年間、彼女はつわりに似たむかつきを経験していたが、これは想像妊娠の象徴的な表れである。
*3 『市の紋章』
*4 『蝮の世代』