更年期障害って腰痛と同じで、見た目にはほとんど分からないし、そもそも病気って訳でもないから、他人に、特に男性にこの痛みやイライラを理解してもらおうと思っても、なかなか難しい。そこが、一番つらいところがだと思います

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更年期障害は続くよ、どこまでも

更年期は始まりも終わりもややこしい

阿川 女性にとって、特に40代、50代には、けっこう重い問題のひとつが更年期障害ですが、大石さんはどうでした? 今もまだ続いていますか?
大石 私、40代半ばくらいからずっと女性ホルモン補充療法をしているの。
阿川 そんなに早くから? どうしてホルモン療法を始めたんですか?
大石 そのころ、なんだかよくわからない眩暈(めまい)がして、いつもないようなフワフワ感があるなって思っていたの。そしたら知り合いの編集者が「私、更年期の本をつくったんです」ってくれた本を読んでみたら、全部みごとに当てはまってた。ああこれが更年期障害なのかと。
阿川 まず、眩暈から始まったんですか?
大石 眩暈が一番ひどかった。あとは、やる気が出ない。気分の浮き沈みが激しい。急に鬱(うつ)っぽくなったり、ものすごくハイになったり。それで血液検査をしたのよ。
阿川 血液検査でホルモンの状態がわかるんですか?
大石 そうよ、知らなかった? 結果、「閉経後くらいから、女性ホルモン量が落ちています」って言われて。
阿川 え?  でもまだ、月の訪れは・・・・・。
大石 先生に「生理はきちんときているんですけど」って言ったら、「それは無排卵月経です」って言われて、はらーってなった。それで「これだけ女性ホルモン量が落ちているんだったら」と、女性ホルモンを補完することを提案されたの。今でこそ、貼ったり塗ったりする薬があるけれど、20年くらい前は飲む薬しかなかったのね。で、のんでみたら、ピッと治ったのー あらゆる鬱陶しい感じがすべてなくなっちゃって、もうビックリ。
阿川 うー、果敢なかたですなあ。不安はありませんでした?
大石 乳がんや子宮がんになるリスクが高いとか血栓症になりやすいとか、いろいろ問題はあったわよ。でも「もうどうなっていい。今、心地よい方がいい」と思って腹をくくったの。それからずっと飲んでいます。年齢に応じて量は少なくなっているけど。
阿川 じゃあ、早期対応のおかげで、その後は更年期症状に苦しむこともなく?
大石 そうだったんだけど、女性ホルモン補充の薬を飲み始めてちょうど10年経った55歳のとき、血栓症になっちゃったのよ。血管外科の先生には、女性ホルモン補充療法の性じゃないかって言われ、仕方なく一時的に辞めたの。そしたら・・・・。
阿川 来ましたか・・・・。
大石 うん。ホットフラッシュが一気に。私、ずっと女性ホルモン剤で抑えていたんじゃない? 徐々に辞めればよかったんだけど、突然辞めたもんだから、もうひどくって。仕事には全然集中できないし、外で打ち合わせしていても、みんながダウンジャケットを着てるくらい寒いのに、私一人が汗びっしょりになっちゃったり。新幹線の中でも突然頭がグラッとして、ダーッと汗がしたたり落ちたり。もう本当に具合が悪すぎて、血栓症になろうとも乳がんになろうとも、とにかく薬を死ぬまで飲もう思ったの(笑)。 実際、薬を再開したら、ピタッと治ったし。

ホットフラッシュは突然に‥‥‥

阿川 ホットフラッシュって、ほんとうに突然来るんですよね。私は、初めて来たのが40代の終わりくらいだったかな。取材の時間に遅れそうになりダッシュして、現場になんとか駆け込んで、「すいません、お待たせしました」って椅子に座ったら、汗が止まらないの。冬だったのに、首の後ろからずっと汗がタラタラタラって。しばらく汗を拭き拭き話をしていたら、今度は急に寒くなって来て。あとで、「もしかしたらあれが世に言うホットフラッシュ?」って思ったのが、初めてのホットフラッシュ体験でした。
大石 そう、暑い暑い暑いって思っていたら突然、寒い寒い寒いってなるのよね。
阿川 私の場合「暑い寒い」っていう現象は、年に1回か2回くる程度で、他には何も起こらなかったんですよ。ところが或る日突然、鼻血がドバーッと出て、それがけっこうな量でびっくりしちゃって。うち合わせている最中だったから、「すいません」って慌ててティシュを鼻に詰めたんだけど、ちっとも止まらなくて。打合せ後に「週刊文春」の対談があったんですが、移動のタクシーの中でも止まらない。カバンの中が真っ赤に染まったティシュでいっぱいになったのを覚えています。もう、何なのこれは? って思った。
大石 それ、下から出る分が鼻からってこと?
阿川 わかんないです。でも、もしかしたらこれが生理の打ち止めの合図か? とは思いました。「これが最後ですよー、打ち止めですよぉ、カンカンカンー」って鐘を鳴らしてるのかと。その頃、ひどい鼻血が2週間に1回くらいの割合で続いたんで、ちょっと怖かったですけどね。
大石 やっぱり、定期的に血は外に出さないとまずいのかしら。でもそんな状態で、お医者様に相談しなかったの?
阿川 うーん、何か忙しかったし、ま、しばらく様子を見ようかと。そこが、大石さんと違って行動力がないんです。病院に行った方がいいかなとおもっているうちに、なんとなく治まってた。で、1年間くらい断続的に大量出血を繰り返して、それからしばらくしたら。「あれ、もしかして閉経したのかな?」って感じでしたね。
大石 1年間も鼻血が続くって凄くない? 私だったらすぐ病院に駆け込んじゃう。
阿川 これは更年期障害と思えば、別に病気ではないしねえ、だいたい、同年代の友達の話を聞いていると、私は軽い方だなって自覚がありましたし。
大石 何時が始まりっていうのがわからないのよね、更年期障害って。閉経もはっきりしていないし。
阿川 そうですよね。3ヶ月くらい生理がこなくて、妊娠か? ってことはまずない、だとしたらついに閉経か? と思って納得し始めたら、1年後に再開するってことはありましたからね。結局、いつ閉経したのか、いまだによく分かっていない。一度、母に「何歳のとき、終わったの?」って聞いてみたんですよ。そしたら、「そうねえ。どうだったかしらね」なんて答えるから、恥じらっているのかなって思ったけど、今なら理解できる。わかりませんよね、いつ終わったかって聞かれても。
大石 ほんとにそうね。

目玉焼きが焼けそうなくらい後頭部が熱い
阿川 でも、その大量鼻血と。年に数度のホットフラッシュぐらいで私の更年期障害はクリアしていると思っていたら、甘かったですね。53歳、54歳ぐらいになって。ふっと泣き出したらタ゜ム決壊かって思うくらい涙が止まらなくなって声を上げて泣き続けるとか、精神的に不安定になるとか、無性にイライラするとかね。なによりホットフラッシュの頻度がものすごく激しくなりました。酷い時は10分に一度くらいのペースで。
大石 それ、かなりひどいんじゃないの?
阿川 あるとき、テレビ局の楽屋でメーク中にアシスタントから電話がかかって来て、「原稿の締め切り、明日ですけど」って言われて。「え、来週まで延びるって話じゃなかったっけ?」「いえ、確認したら、明日が本当にギリギリだそうです」って言われた途端に、グワーッと体が熱くなって。そしたらヘア&メークさんが「阿川さん、阿川さん、今、どんどん頭が熱くなっているですけどっー 汗が滲み出てます。目玉焼きが焼けそうですっ」て実況中継してくれました。その日は、朝、シャンプーして髪をさらさらにしてたはずなのに、汗ですっかりびちゃびちゃ状態になっちゃって。
大石 わかる。洗ったばかりの髪が、あっという間にべったりするのよね。特に後頭部の下あたりが酷い。
阿川 私も後頭部の下側から汗が噴き出ました。その頃はまだ美容院に通ってたんですけど、担当の人に、「アガワさんの髪、後頭部の下のあたりの痛みが酷い。パサパサになっている」って言われましたもん。汗のせいだったみたい。
大石 あの時の汗は、尋常じゃない量よね。
阿川 夏の盛りに仕事に出かけなくちゃいけなくて、車を出そうと駐車場へ降りていったら、見知らぬ奥様に「今日は。暑いですねえ、辛いですねえ」って声をかけられたんですよ。そうしたら、たちまち涙が溢れてきて、その見知らぬ奥様の前でオイオイ泣き出して。「大丈夫ですか?」って心配されて、むちゃくちゃ恥ずかしかった。でもその日は私、だいぶ不安定だったのか、仕事場に行っても涙が止まらなくて、「具合悪かったら無理しなくていいよ」っていわれると、また申し訳なくて涙が流れるという具合で。これはやばいぞって自分でも怖くなったことがあります。
大石 わけもなく悲しくなるのよね、突然スィッチが入ったみたいに。
阿川 私、更年期障害って大したことはないし、まわりに比較してかなり軽症だなって思っていたんです。それなのに、途中からジワジワ強烈になってきて。あまりにも精神状態が不安定で、ちょっと仕事を調整した方がいいかと思ったほどです。ちょうどその頃、小説の連載をしていたんですけど、男性の編集者に正直に告白して、「辛くて、今月書けないかも」って言ったら、「じゃその心境を書いたらどうですか」と。
大石 さすが男性。女性だとそういう提案にならないかも。
阿川 毎回語りが変わる連作スタイルだったので、その回の主人公を50代ぐらいの女性に設定して、私のホットフラッシュの話をこと細かに書いたの。当時の私の口癖が「きたきたきたきたーっ」だったから、セリフにもそのまんま使って、それでその月の締め切りをなんとか乗り切っました。
大石 転んでもタダじゃ起きないわね(笑)。

子宮を取って、さっぱり―

阿川 薬を信用しない主義とかではないけど、我慢してりゃ何とかなると思ってたんです。それと、50歳になるちょっと前に、婦人科検診で「子宮筋腫がゴロゴロあります」っていわれたとき、同時に「ただ、子宮筋腫のエサは女性ホルモンですから、ゴロゴロあるっていうことはまだ女性度が高い証拠です。でも、だんだん女性ホルモンは減って行きますから、ゴロゴロは放っておけば自然になくなります」って先生がおっしゃったのね。だから、更年期障害が始まったときも、自然の流れに任せていればいつか終わるだろうって思っちゃった。私、料理は加工癖があるんだけれど、体に関することは、加工しないでなるべく自然にいきたいってタチかもしれません。
大石 私はずっと「女性はだいたいあるものなのに、珍しくあなたは子宮筋腫がない」って言われたの。でも、めまいや情緒不安定さを感じた40代半ばに薬を飲んだでしょう? ホルモン剤の影響か、その後やっぱり筋腫が育っちゃたらしい。だけど、それを止めるには女性ホルモン剤を辞めるしかない。でもやめると具合が悪くなる。ものすごく辛い。それを繰り返しているうちに「もう、子宮をとってしまおう」ってことになったの。
阿川 ええーっー 子宮そのものを!?
大石 卵巣は女性ホルモンを分泌するところだから取るのはまずいけれど、子宮はとっちゃってもいいかなと。48歳のときかな。
阿川 取っちゃったんですか?
大石 うん、取っちゃった。生理もこないし、さっぱりしたわ。
阿川 うさっぱりって、大胆だなあ。それ、外科手術したって事ですか?
大石 そうよ。ここ、お腹を切って。
阿川 ひえー。信じられない。病気でもないのに身体にメスを入れるなんて…‥。
大石 卵巣があれば大丈夫だし、子供を産まないなら子宮はいらないわけだし。逆に、子宮筋腫みたいに、そこにできているものがどんどん育って外の臓器を圧迫するくらいなら、取ったほうがいいという先生たちの意見もあって。「歯を抜くぐらいのものだから」と(笑)。
阿川 歯と同じかいー
大石 実際は、歯を抜くよりは100倍大変だったんだけどね。
阿川 そりゃそうでしょう。
大石 更年期障害は、始まりもややこしければ終わりもややこしいって言うけれど、私の場合、心置きなく女性ホルモンを飲み、最後は子宮を取ったから、始まりも終わりも楽。ただし、その10年後、子宮を取った時の手術が原因で腸閉塞になり、大変な目に遭いましたけど。
阿川 だから言わんこっちゃない。やっぱり歯を抜くのとは大違いじゃないですか。

更年期障害は続くよ、どこまでも

大石 それにしても、更年期障害の度合いは本当に人それぞれよね。
阿川 私は今でも軽い方だと思ってましたけどね。ただ、あまりにも辛い状態が続いた時は、本気で仕事を辞めようかと思いました。誰にも会いたくないし、イライラするし、すぐに泣きたくなるし、汗はすごいし。
大石 そこまで思うのって、決して軽くはないとおもうわよ。
阿川 そう? それまでまた母に、「更年期障害が辛いんだけど、母さんどうだった?」って聞いたんです。そしたら、「どうだったかしら。大したことなかったような気がする」って言われてがっかり。相談相手にもならなりゃしない。親子なのにこんなに違うものなのかって驚きました。
大石 うちの母もそうよ。「まったく覚えていないわ」って。
阿川 それで、60代半ばぐらいの女性に「辛いんですよぉ」って訴えたら、「でもそれ、まだ10年は続くわよ」って言われてショックで。確かに今でもまだときどきホットフラッシュが来ますからね。最初のホットフラッシュから勘定すると10年以上経っているのに。
大石 そうなのよ、続くのよー だから私の担当医は「女性ホルモンの薬をサプリメントだと思って、生涯飲んでもいいと思う」って。リスクはあるけどね。ただし、保険がきくのは60歳までなのよ。以降は自費になる。結局、ある程度お金がないと女性ホルモンも補充できないのよね。
阿川 介護もそうだけど、医療って結局、お金があるかないかで対処できることが違ってくるんですね。あと、更年期障害って腰痛と同じで、見た目にはほとんど分からないし、そもそも病気って訳でもないから、他人に、特に男性にこの痛みやイライラを理解してもらおうと思っても、なかなか難しい。そこが、一番つらいところがだと思います。
大石 特に仕事をしている女性は辛いと思う。阿川佐和子の対談に阿川さんがいないわけにはいかないし、私の場合なら台本の打ち合わせにはいなくちゃ始まらない。死にたくなるような気持ちや、汗ダラダラのホットフラッシュを抱えていても、絶対的責任のもとに約束の時間、場所に行かなきゃいけない。その責任感と、どうにもできない辛さの間で”前線”で働く女はより一層、更年期障害のしんどさが増すんじゃないかな。
阿川 そうかもね。でも逆に、仕事があってよかったなって思う時もあります。テレビの収録中に突然、「きたきたきたーっ」てなるときは、さほど悪化せず治まることが多いんです。やっぱり気力っていうか集中力っていうか、そういう力が働くんですかね。

周囲に宣言する
大石 阿川さんは更年期障害に関して、どんな対処をしたの?
阿川 積極的に薬を飲むことはしなかったアガワの対処法はですね、まず「自分が不快だと思う事はできるだけ排除」しました。たとえば、テレビの収録や写真撮影がある仕事は別として、打ち合わせやラジオの仕事のときは「お見苦しいでしょうが、しばらくスッピンでお許しください」とスタッフにお断りしました。だって、出かける支度して、顔にファンデーションを塗った瞬間から、ダーッと汗が流れ始めるから。塗っては扇風機の前でしばらく冷やし、またメークをしては冷やしって、普段の3倍ぐらいお化粧に時間がかかっちゃって、どうしようもないじゃない。
大石 わかる。化粧どころの騒ぎじゃないわよね。
阿川 それから、「ノースリーブをお許しください」と宣言しました。私、腕が太いから本当は見せたくないんですけど、恥ずかしいとか言っている場合じゃない。とにかく暑くてかなわんと。恥ずかしいと辛いと、どっちを取るか? と自問して、恥ずかしいに甘んじようと決めたんです。そんな風に、自分とって精神的に不安定、不快になる要因を一つずつ排除していったら、少し楽になりました。
大石 周囲に宣言するってこと、実は大切よね。
阿川 昔だったらこういう特有の身体のことは、秘め事として周囲には明かさないようにするのが女性のたしなみだったと思うんですけど、もうね。ちょっと男性諸氏にも理解してもらったほうがいい気がして。実際、私の男友達は、奥さんが更年期障害のせいで、まったく家から出かけられない、人とも会えない、料理も作ってくれないって状態になった時、最初のうちはオロオロするばかりだったけど、更年期障害のことを理解してから、ものすごく協力的になれたって言ってた。だから私も、仕事場やゴルフ場で鼻血が出たり、「きたきたっ」て急に暑くなったときなんか、「すいません。こういう年頃なんです。けっこう辛いんです。ご理解のほど」って。ケロッと周囲に言っていましたもの。
大石 私も男性プロデューサーに「ただ今私はこのような状況でして、薬を飲んでずいぶんと押さえてはいるけども、いろいろ大変なんです」ってはっきり言いました。「脳下垂体がこうなっていて、こういう反応が起こるんです」って図解つきで説明したり、「あなたの妻もいずれ、突然なくとか不安定になったり、めまいがするとか言うかもしれない。それはこういう仕組みだってこと、知識として覚えておくといいですよ」って、あらゆる男性に言ったな。
阿川 そういう理論的説明のできるところが、私とは全然違う、さすがだわ。
大石 だって、男性こそきちんと更年期障害について学んでおいた方がいいと思うもの。でも、いくら丁寧に説明したって、みんな全然しみてないわけ。「はあ・・・・?」みていな感じで。

バッサリ髪を切る
阿川 若い女性もそうですよね。こればっかりは、実際に自分でなってみて、実感しないと分からないからねえ。体験している者同士だと、更年期障害ネタだけでわんわん泣きながらお酒を酌み交わしたりできるけどね(笑)。
 子供たちも多少は知っておくといいと思う。なんでお母さんは最近、バカに機嫌が悪いんだ? なんであんなに暑がるんだ? ああ、そうか。そういう年頃なんだって、理解していれば、家族同士の余計な争いも減るでしょう。そうだ、対処と言えば、もう一つ、思いだしました。バッサリ髪を切った。
大石 それもご自分でカットしたの?
阿川 いや、さすがに美容院で。さっきのノーメーク宣言と一緒で、とにかく頭も髪も汗でびっちゃびちゃになるから、もうできるだけ短くしようと。特に煩わしい前髪を短くしました。あとは扇子とタオルハンカチを常に持ち歩く。冬でもね。
大石 そう、タオル地― ハンカチなんて気取ったものじゃ無理、あの汗は吸収できない。
阿川 アクセサリーもできるだけつけないようにした。ただでさえ暑くてカーッとなっているのに、アクセサリーがちょろちょろぶら下がっているだけでイライラするから。とにかく精神的に煩わしいと思うものを徹底的に排除しました。それでも少しずつ少しずつ、薄皮を剝がすように辛さが軽減していった気がします。でもまだ、終わっていないんだなあ。中には、何も問題なく更年期を終える人がいるみたいですね。体質ってあるのかな。継続して運動している人は比較的軽い、とか。
大石 あまり関係ないと思うな。だって、これまでずっと定期的に女性ホルモンを分泌していた卵巣がそれを出さなくてなって、そうするように命じていた脳下垂体が、なぜ出さないだー と卵巣に命令を出すわけでしょう。そのとき、脳下垂体は心臓の動きから何から全部に指示を出しているわけで、必死に卵巣に働きかけるあまり、いろんな機能にも影響を与えしまうわけ。汗を大量に出すとかね。それは、運動なんかで紛らわせられるものじゃないと思うり。

物覚えが悪くなったのもホルモンのせいか!?
阿川 つくづく、人間の体にホルモンがどれほど影響を与えているかということを痛感しますね。体だけじゃなくて精神面にもね。悲しい気持ちを落ち着けたり、暑い寒いを感じたり。あらゆるバランスを取ってくれるわけだものね。いわば制御機能。血圧にもコレステロールにも、肌荒れや爪の具合まで、あらゆることに影響しているんですね、女性ホルモンって。そういえば最近、物覚えが悪くなったのも女性ホルモンが影響しているのかもしれない。
大石 本当に、ホルモンの偉大さに改めておどろくわね。元来、女性ホルモンは子供を産み、育て、守っていかなきゃいけない母の強さの源だと思う。生きるパワーにすごく関係しているのよね、きっと。
阿川 男性にも更年期障害があるんですってね。狩りに出たり、戦ったり、子孫を残したりするための男性ホルモンがなくっていけば、男性が女性化していく。だから歳を取った男性はなんとなくお婆ちゃんっぽい印象になるんですよね。女の人はお爺さいんになり、男の人はお婆さんになり、そして人類は一種類に昇華されていくのか。
大石 確かに。男性は、男性ホルモンの減少とともに、全体的に体つきも丸くなるし、顔も優しくなって、性格まで丸くなるわよね。

男性ホルモンで意欲的にー

阿川 一方、女性は・・・・。
大石 私「なんだか最近やる気が出ない」ってかかりつけの医者に相談したら、「じゃ、男性ホルモン打ってみますかー」って言われたの。で、注射をピチッと打つと、その日バンバンにやる気になるよ。
阿川 ホントですか!? じゃ、あちらも?
大石 やあね、仕事よ、仕事― 仕事に意欲的になるの。ただね、男性ホルモンを注射すると、顔にニキビが出るのよ。
阿川 そのうち、胸毛やヒゲが生えてきそう。
大石 打ち続ければそうなるわね、きっと、どうしてもやる気になりたいときは、男性ホルモン注射はおすすめよ。
阿川 どうしてそう肉体改造したがるのかな(笑)。
大石 「今すぐ元気が欲しい」と思うと我慢できないの。出来ることがあれば即やっちゃう。
阿川 ナチュラルでは生きていけないんですか?
大石 ナチュラルな方がいいとは思うんだけど、元来の性格が短気なのよね。今、どうしても欲しい物は欲しい― と思った時の行動力は、自分でもすごいと思う。
阿川 私は、ちょっと1週間ほど様子を見て見ようかなとおもっているうちに、まあ1年先でもいっか、というタイプだからなぁ。下着も大石さんに倣って、上下色を揃えた方がいいだろうなと思いながら、きっとバラバラのまま死ぬな。
大石 私はとにかくすぐやってみるタイプだから、待ってみるって事が出来ないの。行動力があるというより、短気なのよ。
阿川 あら、私も短気ですけど。
大石 そう? 短気じゃなくてせっかちなだけじゃない?
阿川 短気とせっかちって違うんですか? せっかちとか短気も、更年期障害で加速されるのかしら。どんどん面倒なババアになっていく予感がする。

第7章 オンナの「仕事術」

「評価される幸せ」を感じようー

阿川 仕事を始めてまもなくのころ、父に言われたんです。なんでもいいからひとつ、専門分野を持てと。これについては誰よりも阿川佐和子に聞くのが一番いいと言われるくらいのものを。でも、60歳を超えた今でも自分が何屋なんだかよくわからない、正直言って。つまり、自分の専門ってものをいまだに語れないでいる気がします。
大石 そうかしら。阿川さんって、「阿川佐和子」という独特の立ち位置を作っていると思う。そのポジションは唯一無ニ無に「職業/阿川佐和子」ですよ(笑)。
阿川 こんなこと言うのなんですが、隙間産業屋って感じ。要するに、テレビで会談でもそこそこ進行が出来て、大女優ほど気を遣わなくてすむ。おまけにプロダクションに所属していない個人経営者ですから、ギャラが安い(笑)。使い勝手がいいみたい。
大石 安いとは思えないけど、ま、仮にそうだとしても、またあの人を画面に映したいって思うのよ。なんだか可愛らしいじゃない、阿川さんって。お美しいのに愛嬌があって品がある。声の感じも素敵。テレビ雑誌の人が出てほしいって思う気持ち、とってもよくわかるけど。
阿川 そうですかね? よく女性誌のインタビューで働く女性に向けたアドバイスを求められるんですが、毎回悩みます。そもそも仕事して生きていくつもりはなくて結婚することが人生の目標でしたから、20代はお見合いに明け暮れてちゃんと就職をしたこともない。それがひょんなきっかけで30歳の直前でテレビの情報番組のアシスタントを務めることになって、そうしたらエッセイを書いてみないかというお誘いもいただいて連載ページを持つようになって。何を贅沢なこと言ってるんだって話すけど、私はそういった仕事はすべて、いつか妻と母親になるための人間修行の過程、仮の姿だと思っていたんですよね。
大石 みんな阿川さんのようになりたいと思って、どうやってなれるか興味があるもの。なりたくてなれるものじゃないけどね。
阿川 ‥‥人間としての深みはないし、自信もないのに。小心者だから断れず、お調子者だから、おだてられ、やってみなさいと言われた仕事、目の前の仕事をただひたすらやって来ただけなんです。仕事を始めて5年くらい経ったところ、30代半ばかな。「うん? これはどうも仮の姿じゃないぞ」って疑わしくなってきて。「このまま結婚せず、子供も産まないで、自分の生活を支えて生きていく人生になるのか?」と。
大石 それくらいの年齢で同じように悩む女性も多いんじゃないかしら。
阿川 だからといって確固たる覚悟が決まったわけでもなく「どうするんだ? 私」と思いつつ日々の締め切りに追われる毎日を送っていました。ただ、そのころやっと、たとえ結婚したとしても仕事は続けていきたい、という気持ちは生まれていたように思います。仕事は辛いけど、やっぱり社会と直接つながって、自分のしたことを、原稿料なり言葉なりで評価を受ける立場にいることは必要だな、と。
大石 仕事をするという事は、「評価」にさらされるという事だから。
阿川 フフフ、かつてのボーイフレンドと偶然再会したとき「何を喜びとして過ごしているのか」と聞かれて、とっさに「仕事の評価」と答えた大石さんらしい。
大石 さらに言えば、「評価にさらされる幸せ」ってあると思う。
阿川 専業主婦の友達は「日々やっていることが評価されない」と嘆くけれど、そこなのかもしれない。家事にせよ会社の仕事にせよ、内容はそれぞれあるけれども、仕事をするということは他人の評価にさらされるということで、それが専業主婦の場合は夫や子供、家族になるし、私たちのように外で仕事をしている女は、自分と関わる人間の数が増える分だけ、その評価の範囲が広がっていくということでもあるじゃない?
大石 そのとおりね。
阿川 それは怖いことであると同時に、世界が広がっていく喜びでもある。それが評価される幸せにつながっているような気がします。

「したい仕事」より「必要とされる仕事」を
大石 じやあ、評価してもらうところにどう身を置くかっていうと、「必要とされる」ってことに尽きると思う。阿川さんだってそうじゃない? きっかけはどうあれ、テレビに出て見ないか、書いてみないか、と言われるってことは、必要とされているということ。私なんて、誰にも必要とされていなかったもの。
阿川 何をおっしゃいますやら。
大石 本当ょ。私はずっと女優になりたかったのに、まったく需要がなかった。劇団を立ち上げたのは女優としての場を作るためだし、脚本を書き始めたのも、そんな自分にいい役を与えるため。そうしたら、たまたま芝居を観に来たプロデューサーが「あなたは自分で演じるより書いた方がいい。テレビの仕事をしませんか」って。その頃はまだ女優になりたかったから「は?」って感じで、でも劇団は赤字でお金を稼がないといけないから、しぶしぶアルバイトで企画書屋みたいなことを始めたの。
阿川 企画書屋? すぐに脚本を書いたわけではないの?
大石 そうよ。そのプロデューサーが有名脚本家の宮川一郎先生と知り合いだったから、先生のところでお茶汲みとかお弟子業みたいなことから始めたの。脚本家を目指す人はまず、テレビ局に出す企画書づくりが最初の仕事。当時は2時間ドラマの全盛期で、何百本の中から1本が選ばれるような時代だったから。
阿川 100分の1以下か・・・・・。まずは企画が通らないと脚本を書く段階に至らないわけですね。
大石 でも、自分が書いた企画が通ったからと言って、すぐに脚本を書けるわけじゃないのよ。企画が通っても、脚本を書くのは師匠や先輩方だから。
阿川 そうなんですか? 自分で書けないの?
大石 そうよ。当時は企画書1本で3万円くらいもらえて、月に7,8本は書いてたから、結構いいアルバイトになった。全部、自分の劇団の赤字の穴埋めに消えたけど。私が書いた企画書が立て続けに5本くらい通ったりしたの。
阿川 すごい倍率なのにー
大石 あんまりにも企画書が通るもんだから、「宮川先生のところに、どうも使える子がいるらしい。その子に書かせれば企画が通る」と噂になっちゃって。最初は師匠が考えたことをもとに企画書にしていたんだけど、そのうちもう、バンバン自分でアイディア出しちゃった(笑)。私の名前は何処にも出ないのにね。

バンバン通る企画書の書き方
阿川 バンバン通る企画書づくりなんですか?
大石 とにかく「短く」書くこと。ピリッと短く。
阿川 短くって、どれくらい?
大石 ドラマの企画書は、大まかな物語の流れと展開、イメージキャストをまとめるんだけど、私は必ずA4用紙2枚以内にまとめてた。みんなもっと10枚以上しっかり書くのよ。きっと、そっちのほうが内容も詳しくまとまっているのだろうけど、読む側のことを考えたら、長いのは絶対ダメだと勝手に思っていて。
阿川 なんて頭がいいですかー 確かに、忙しいプロデューサーたちが読むわけでしょう? しかも毎日膨大な量の企画書に目を通さなきゃいけない。
大石 なかには「こんな薄っぺらいのじゃダメだ」っていう人もいたけど、私は「絶対短いほうがいい」って、それだけは自信があった。だってどんなに一生懸命たくさん書いたって、自分が読む側だったら、長々と読むのは面倒じゃない。
阿川 ふむふむ。勉強になります。
大石 あとは、「ハッタリ」を利かすこと。当時は企画が通っても脚本を書くのは私じゃないから(笑)、とにかくインパクトを大切にした。”平凡な主婦が買い物から帰ってきたら玄関に死体がー よく見るとそれは・・・・”とか、展開がちょっといい加減でも「おおっ?」と思わせる要素をいっぱい盛り込む。そして最後に「これこれこうだから、必ず視聴率をお約束いたしますー」と書いておく。
阿川 なんだかよくわからないけど、そのドラマ観たい気がしてきますね(笑)。
大石 とにかく企画書屋としてやたら売れちゃったんだけど、もう自分がすり減りそうで、摩耗してきて・・・・。そこで潰れてしまう脚本家の卵も多いらしいけれど、2,3年やったところかな。そろそろ脚本を書いてみなさい、と師匠に言われました。

デビュー作の視聴率19.8%
阿川 書き方を教わったりしたんですか?
大石 全然。もちろん自分の劇団の脚本は書いていたから脚本がどういうものかわかっていたけど、テレビの脚本の書き方なんて全く分からない。でみ、企画書を書き送ったおかげで、物語を構築する力は、随分訓練されたと思う。
阿川 どんなドラマでデビューしたんですか?
大石 3人のOLが「素敵な結婚をしたい」とかあれこれしゃべるコメディーの2時間ドラマ。3人組っていっとき流行ったんですけど、その走り。でね、なんと視聴率19.8%だったの。20%行かないとダメな時代だったとはいえ、新人としてはかなり‥‥。
阿川 すごい。凄いじゃないですかー
大石 ドラマが放送された翌日、朝からじゃんじゃん家の電話が鳴ったの。3人組のOLのセリフが生き生きして面白いって評価されたらしく、「昨夜のドラマ観ました。ぜひうちとやってください」「次はうちで書いて下さい」って。当時、トレンディドラマを作ってくれ言われると有名なプロデューサーからも電話があったんだけど、名前を聞いても誰だか知らなくて、あとで師匠に叱られたくらい(笑)。
阿川 脚本家・大石静、ここに誕生。
大石 女優としてはまったく評価されなかったのに、この手応えは一体なんだろう? 「あなたと仕事がしたい」と、これほどまでに必要とされたことがあったのか? いや、ない。なんなんだ、この感じはって、戸惑いつつも嬉しかった。
阿川 まさに、多くの人から評価される幸せ、ですね。
大石 10年くらい劇団とテレビの仕事と両立していたんだけど、40歳の時、書くことに専念すると決めて劇団を辞めました。

私の書くドラマに私はいらない

阿川 女優への未練はなかったんですか?
大石 全然、ない。
阿川 そんなにきっぱりと。
大石 なぜかっていうと、テレビで脚本を書くようになると、スタッフとしてキャッスティングするほうになるでしょう。この役はこの役者が合うとかこの人はイメージじゃないとか。そうすると、はっきり分かったのよ。どんな小さな役も、”大石静という女優”にやってもらいたとは思わない。つまり、私の書くドラマに私はいらないって。
阿川 客観的に自分を見たら、ってことですか。
大石 そう、客観視。自分で劇団を主宰していると、スタッフの弁当の手配から掃除からお金の計算、脚本まで全部やっているから、女優として、自分が書いたドラマなのに自分を全く必要としてないの。お呼びでないことがわかったから、キッパリ役者を辞めました。
阿川 もったいない気もしますが。おしなべて、思いっ切りがいい方ですなあ。

「これしかない」という覚悟を
大石 わたしはずっと、「これしかない」という思いで脚本家をやってきました。女優時代はまったく見向きもされなかったのに、私の脚本はこれほど必要とされている、こんなこと今までなかった。だから、絶対に手放さないと誓って、いかなるチャンスも逃さないし、つべこべ言わずに踏ん張って来た。でもね、こんなに長く脚本家をやっているのに、いまだに脚本を書くことは辛い苦しい。楽しいと思いながら書いたことなんて一度もないんです。仕事が好きかと聞かれたら・・・・世はわからないし。
阿川 私も、インタビューの仕事好きじゃない。書く仕事もつらい。
大石 「好き」とか「楽しい」よりも、「辛い」のほうが大きい。
阿川 ときどき「楽しい」がある。ふりかけのように、はらりと少しだけ。
大石 そうそう、まったくその通り。
阿川 女性誌の取材でよく聞かれるんです。「好きな仕事をして生きていくためにはどうしたらいいですか」「やりがいのある仕事が見つからない」「自己実現するにには?」
大石 「好き」とかそういう事の前に「これしかない」と思えるかが大事だと思う。好きなものなんそう巡りあわないし、やりたいことかどうか、自分に向いているかどうかも、案外自分で判断するものじゃないのかも。自分の経験をふりかえってみると。
阿川 各界で活躍されている方たちみんな同じことを言っています。「結局、自分の能力は自分じゃわからない。人と見ているもんだから」と。私だって、「先日のインタビューの聞き方はうまかった」「この間のエッセイはよかった」とおだてられ、周囲を頼りに仕事を続けていると、また別の人が気づいてくれて「こういう仕事をやってみないか」と持ち掛けてくれて今がある。だから、「ここは私の場所じゃない、私の能力を生かせる場所はほかにある」という考え方は、とちっとおこがましいと思うの。
大石 まったく同意見です。今いる環境で与えられた仕事をきちんとこなせない人が、別のところへ行ってうまく行くなんて思えないから。
阿川 「これしかない」にも2種類あると思います。私のようになんとなく始めて継続しているうちに、合っているかも? と実感する「これしかない」と、大石さんのように、これだけ必要とされるならこれなんだ、と思う。「これしかない」と。
大石 いずれにしても、肝が据わればその人にとっての「これしかない」になるのよ。
阿川 以前、陶芸家で人間国宝の第14代柿右衛門さんにインタビューしたとき、「どういう人が、お弟子さんに向いていますか」と質問したら、「器用じゃない人」とおっしゃった。
大石 なるほど・・・・・。

阿川 「器用な人はすぐに上達するから、”僕にはもっと他の仕事があるはずだ” と迷い始める。器用でない人は、なかなかうまくいかないから10年は続ける。10年続ければ必ず技術が身について、結果的に起用でない人の方が上達するんです」と。
大石 自分にはこれしかないという覚悟のもとに続ける。これは、どんな仕事でも言えることなのよ。

「夢は必ず叶う」なんて嘘だから

阿川 最近、特に思うのだけれど「バラ色の仕事、バラ色の職場、バラ色の人生」がどこかにあると、皆さんは思っている節がありません?
大石 そうね。私は自分の生まれ育った環境から、小さいときすでに「生きる事は辛い」とうっすら感じていたから、人生は厳しいという現実に向きあえたけども。
阿川 私も理不尽な父親のもとで罵倒されて育ったから、この親のもとでいきてきたなら、どこへいってもやっていけるという妙な自信がありました。
大石 こうなったら、小学校ぐらいのときに、人生バラ色ではないってことを叩き込んだほうがいいと思う(笑)。
阿川 スパルタですな。でも、最近「夢は必ず叶う」って当たり前のように使うじやない?
 何かのチャンピオンだとかオリンピックに出ちゃうような凄い人達が、気軽にああいうこと言っちゃダメだと思う。夢は必ず叶うなんて嘘だから、普通、叶わないでしょう。
大石 叶わないのよ。叶う人は、選ばれた特別な人たちだから。
阿川 そもそも、夢が叶えば幸せなのかって問題もありますよね。その世界のチャンピオンになることが幸せかっていうと、それは人それぞれだし、描いていた夢そのものが間違っていたという場合もあるかもしれない。何が幸せかは自分で判断しないと。
大石 ある世界で突き抜けた方たちっていうのは、もともと才能がある上に、いろんなものを捨てて、血を吐くような努力をして、その結果を手にしているのよ。軽々とあの場にいるわけじゃない。誤解を恐れずに言うと、人間はどれも尊い命だけれど、”身の程”というのがある。能力にも確実に差があるの。だけど一方で、それぞれの能力を全開にして、精一杯に生きることこそ尊い。という考え方がないがしろにされている気がします。
阿川 いいぞ、いいぞー
大石 スポーツで世界の頂点に立つことも、大金持ちになることも、好きな人と家庭をもつことも、小さな店でおせんべいを焼きながら子供を育てることも、全部素敵なこと。いろんな世界があって、いろんな幸せがあるということを、今の子供たちに知ってほしい。
阿川 こっちのほうが幸せで、こっちは幸せじゃない、なんて絶対的なことはないですよね。だから、夢はみなそれぞれでそれが叶わないこともあるってことをまず知るべきだし、夢が叶わなかったとき、さてどう対処していきますかって考えた時こそ、学ぶことは大きいと思うんです。
大石 そのときに人にはそれぞれ才能も能力も違うんだってこと、つまり身の程を知るのよね。そして、たとえ夢が叶わなかったとしても絶望するのではなく、人としての我慢強さや踏ん張る力を学んでいくことだと思う。

みんながイチローにはなれるわけがない
阿川 みんながみんな、イチローになれるわけがない。
大石 そう、みんな平等じゃないのよ。最近は、あなたらしさを大切に、あなたは才能がある、あなたの「個性」を生かしましょうと、すべてにおいて肯定的すぎる気がします。小さい両親も学校も「あなたはすごい」「イチローみたいになれる」「世界でひとつの花だから」って言って、すべての子供が可能性に満ちていると教えるでしょう? しかもイヤなことはやらなくてもいいとも。だから遺伝子がどんどんひ弱になるのよ。
阿川 みんな違うからこその個性と言うなら、違いは違いできっちり学ばないと。
大石 勉強はできないけど、ものすごくかけっこが速いとか、調理実習ではポンポンキュウリが切れるとか、能力は人それぞれ違うじゃない。
阿川 違うってことを知った上で、自分は何処を目指すか。そこを考えるところから、面白いことが生まれるものなのにね。
大石 その通りだと思います。
阿川 なのにみんな、「他人と比べて幸せか? 自分の本当の居場所はどこか?」ということに日々、悩まされ続けている。メディアもそれを煽(あお)っているきらいがある。
大石 「全方位キラキラ」している女性像とかね。素敵な旦那と結婚して憧れの街に住み、かわいい子供がいて、きれいな色のマニキュアをしてステキな服を着て、仕事もバリバリやってたりする人たち。
阿川 聞いているだけで疲れそうだけど(笑)。そういうママを雑誌で見て、「私もそうならなきゃ」って焦ってがんばって、追い詰められてみんな疲れちゃうらしいですよ。
大石 それが必ずしも幸せとは限らないじゃない。現代社会はあまりにも情報が溢れすぎてるから、自分自身の”軸”を見失っちゃう。危険な時代ね。人がどう思うかより、自分がどう思うか。それが一番大切なのに。

自分のことだけ考える時間は大事
阿川 とは言いながら、他人がどう思うかなんてどうでもいいって悟るには、そうとう強靭な精神を必要とするのだとも思う。私、他人の目なんて一切、気にならないって人に会うと、それだけで「ははあ」って尊敬しちゃいますよ。この年になってもやっぱりどこか人と比べてしまいます。そんで、愚痴るし嘆くし文句言うし。
大石 私だってそうよ。いいのよ、愚痴っても他人の悪口言っても。でも、雑誌やパソコン、携帯見たりして人とも比べて落ち込むくらいなら、一度自分とじっくり対話してみればいいと思う。自分のことだけ考えてみる時間を持って大事なこと。
阿川 私はいつも、女性誌のインタビューでこう答えています。「今すぐ、雑誌も新聞も携帯も閉じなさい。テレビを消しなさい」って。
大石 まぁ、我々はそこで仕事をしているんだけどね(笑)。
阿川 そういえば、その昔、大失恋して泣きながらトボトボ家に帰った瞬間、父がいつものように烈火のごとく怒鳴っていて、まだ赤ん坊だった弟がぎゃぎゃあ泣いていて、母に「ちょっとこの子、頼む。あと、お鍋の火、消しといて」って赤ん坊を手渡されて。生きるって・・・・こういうことなんだなと、ふと思ったことがあります。
大石 生きるってそういうこと。男にフラれたら、布団をかぶって寝ればいい。
阿川 床ずれが出る頃には絶対元気になるしね(笑)。どんなに落ち込んでいてもお腹が空し、目の前にやらなきゃいけないことがいっぱいある。どんなに絶望していても、世の中の人の心が全部こっちに向くなんてことはない。つまり「私の悩みは全世界の悩みではない」ということに気づくの。
大石 人間は、案外逞しいから、すぐに慣れて性懲りもなくまた恋をする。慣れることで強くなっていくのよ。
阿川 ねえ、私たち、これ以上強くなってどうすんの?(笑)

怒鳴られる。ケンカする、は当たり前
大石 「週刊文春」の対談ってものすごく長いわよね。どれくらい続いているの?
阿川 93年から始まったから、かれこれ25年目に入りました。四半世紀か・・・・。
大石 凄いー それだけ続けば、立派な対談のプロよ。
阿川 いや、何度も申しております通り、私はもともと専業主婦志望で、何かになりたいとおもうことがなかったわけで・・・・。でも、ありがたいことにさまざまな仕事にお声をかけて頂いて、ここまで続けてこられたのは周囲のおかげにほかなりません。
大石 辞めたいと思ったことはある?
阿川 そんなの、ほぼ毎日、数え切れないくらい。大石さんは?
大石 脚本家を辞めようと思ったことは一度もない。だってこれしか生きていく道はないもの。でも阿川さん、そう言いながらもこれまできちんと続けてきたのはなぜ?
阿川 「できません」と断る強い意志がないんです。ただの小心者ですね。だから引き受けた以上は、怒鳴られるのがイヤだからちょっと頑張る。そのくせ、褒められるととことん調子にのる。

ほめられたのは3回だけ
大石 私も同じよ。目の前の仕事を必死にやってきただけ。あとは、プロデューサーやスタッフが導いてくれるから。もちろん、怒鳴られたこともやり直しって言われることもケンカすることも、山のようにあったけど。
阿川 大石さんもそんな経験が? ちょっとホッとします。私は30歳手前でテレビの仕事を始めたとはいえ、親の七光りで抜擢されたど素人なわけで、街頭インタビューでもモタモタして「使い物にならん」と毎日怒鳴られました。「普通は2年もテレビに出たら慣れて一人前になるもんだけど、あんたは頑固だね」ってディレクターに嫌味を言われたくらい(笑)。だからインタビューにはぜんぜん向いていないと思っていたし、ニュース番組も「次は天気予報です」「あ、ただ今ニュースが入りました」ってアシスタントとしてキャスターぶるのはけっこう上手なんだけど、心の中で私は報道をやる質(たち)じゃない、と。
大石 意外。ニュース番組のキャスターなんて、みんなが憧れる職業なのに。でも、その仕事は6年間続けたわけでしょう?
阿川 6年間で褒められたのは3回くらいかな。「向いていないから辞めたい」とピービー泣いては、プロデューサーに「叱られるうちが華(はな)。求められるうちが華」と慰められました。そうやって励まし、支えてくれる人たちを裏切らないように必死でしたね。
大石 文章を書く仕事は?
阿川 父が小説家だから、小さい頃から出版社の人が周りにいて、「いずれ書いてみなさい」なんて言葉をかけてもらうじゃない? 小説家志望の人から見ると、「ずうずうしいー」って感じかもしれないけど、そんなチャンスを与えられるのであれば、それを断る事はもっとずうずうしいって思っていて。だから「やってみます」とお引き受けして、こちらもなんとか辞めないで続けてきた、走りつづけいれば、何かはつかむ。最近やっと、そんな気がしてきたところです。
大石 最初のころ、お父様が文章を添削してらっしゃったの。「志賀直哉先生の目に留まることがあるかもしれない、そう思って書くように」って。阿川さんならではのものすごいエピソードだなあって思って。
阿川 正直言って、志賀直哉先生の作品は『暗夜行路』と短編をいくつか読んだくらいで、『花火』を書いた又吉直樹さんみたいに好きな作家の作品を読み返してその文章をつかむなんて努力をしたこともない。もっと言えば小説を読むということ自体が好きじゃないんです。文字に対する持久力と集中力がなくて。

仕事に馴染む力?
大石 でも、小さい頃から叩き込まれた文章の形式とか、何か遺伝子的なものってやっぱりあると思うけどな。
阿川 自分ではわかりませんが、ただ、文章についてはリズムや間、価値観など、何かしら受け継いだものはあるのかなと。たとえばこの会話が続くのはしつこいかも、これを書き過ぎると理屈っぽくなるなとか。塩梅みたいなものだと思うんですけど。
大石 それこそ作家の遺伝子よ。それにしても、文章を書く、ニュース番組のアシスタント、対談のホストと、最初は怒鳴られようとも結果的にあれもこれもできちゃうのね、阿川さんって。
阿川 ただ必死だっただけ。でも、仕事って好きであろうと嫌いであろうと、「続ける」ことで、失敗や成功やさまざまな経験を積んで、なんとなくその仕事に馴染んでいくという気はしています。

「自分らしさ」をいかに生かすか
大石 『TVタックル』の司会進行っぷりを観ていると、阿川さんは素晴らしい仕切り役よ。番組にすっごく馴染んでいるし、あれは阿川さんにしかできない芸当だと思う。アク強いオジサマばかりだから、阿川さんがいないと殺伐としちゃうわよ、あの番組は。
阿川 そんなことはないと思うけど。実は『タックル』は最初、コメンテーターとして出演依頼があったんです。アシスタント的役割だとしても、出目が『情報デスクToday』や『情報特集』なので報道の人というイメージが強かったみたいで。
大石 『NEWS23』でも、筑紫哲也さんの隣に座っていらしたしね。
阿川 きっと、安藤優子さんや桜井よしこさん、小宮悦子さんのように、女性ジャーナリスト的な役割を期待されていたんです。でも皆さんのように世界情勢の知識とか、現場の取材にこそ醍醐味を感じる気概とか、そういうのがまったくなくて。報道系は向かないと分かったので、「コメントは無理です。進行役の方がまだまし」とお答えしたら、じゃあ進行役で、と言われたのが始まりです。
大石 ごちゃごちゃいうおじさんに「そこ、うるさいから」って言って、パッと空気を変える場面とか、痛快で好き。
阿川 あるとき、テーマが若い人の性問題だったかな、「週に何回くらいセックスをしたいですか」という質問に誰も答えないから「若いんだから週に3回はするでしょ」って発言したら、ピートたけしさんはじめ、オジサマたちが全員ずっこけて。「阿川さんってそんなことを言う人なんだ」って呆れられて。あれから何かが吹っ切れましたね。そのまんまの私でいいんだなって。普段の姿を知っている友人はみんな、「『ダックル』に出てから、やっと本当のアガワに戻ったね。ずいぶんといい子ぶって賢ぶってたもんね」と言ってました。

オオイシ流「人気が出る人」の見分け方
大石 そうよそうよ、どんなエッチなこと言ったって、阿川さんは品があるもの。阿川さんのように、年齢を重ねてからレギュラー番組の本数が増えている人って外にはいないでしょう。人気のある人は共通してある種の「透明感」があるの。
阿川 透明感!? そんなもん、ないよ、私。
大石 自分じゃわからないものよ。ドラマでもバラエティでもニュースでも、視聴者にたくさん応援してもらうには、透明感がなきゃダメだと私は思っている。特に真ん中にくる人は、上手い下手ではなくて、透明感が必要です。
阿川 たとえば、朝の番組キャスターの夏目三久さんとか? 癖がないし媚びてる感じも無くて素敵だと思うけど、それって大石さんの言う透明感に近い?
大石 そうね、ちょっと近いかな。
阿川 NHKの有働由美子さんは? 巧みだし頭がいい。
大石 素晴らしいわよね。色っぽいし。でも私の思う透明感とはちょっと違うかなぁ。もっと突き抜けた感じがあるというのかしら。『ミヤネ屋』の宮根誠司さんとか、爆笑問題のふたりとか、アナーキーなこと言っても不潔っぽくないじゃない? 『タックル』の大竹まことさんもそう。当たる番組は必ず画面が清潔なのよ。
阿川 俳優さんだと?
大石 長谷川博巳さんを初めて見たときは、清潔感を超えた独特の透明感があるって思った。綾野剛さんも。トップを張っている女優さんもみんな持っていると思うけど、その透明感だって、やっぱり本人がいい気になったり、努力しないとくすんでしまう。スタッフがいくら盛り立てても、画面に出る人の人間力がないと視聴者にはバレてしまう。
阿川 深みがないことが明るみに・・・・。私も気を付けねば・・・・。
大石 大丈夫よ。阿川さんは盤石よ(笑)。

脚本はセリフが命
阿川 私が『テレビダックル』で何かが吹っ切れたように、大石さんも何かをつかんだというか、手応えを感じた作品ってありますか。
大石 向田邦子賞を貰ったNHKの朝ドラ『ふたりっ子』かな。それまでも家族もののドラマを書くことが多かったんだけど、とにかく「家族はいいよ」ということを謳歌する内容にしてくれ、シビアな問題は一切要らない、というオーダーが多かったんです。私自身が家族のことで苦労が多かったでしょう? 「家族は素晴らしい」とうたい上げるのが苦しかったのよね。
阿川 ふたりの母親に育てられた大石さんですもんね。
大石 でも、テレビってこういうものなんだ、視聴者が求めるものを書かなきゃいけないんだと思って書いたの。そんなときに、『ふたりっ子』のディレクターに出会って、「あなたのエッセイをすべて読んだ。エッセイにはあんなにとんがったことを書いているの、ドラマはなぜ保守的なのか。もっとあなたらしさを出しない」と言ってくれた。
阿川 保守的だと思われがちなNHKの方が?
大石 そう。それであの『ふたりっ子』を書いたんだけど、爆発的にヒットして。自分らしさを出していいんだなと、転機になった作品でした。
阿川 『セカンドバージン』も攻めていましたよね。すごくエッチで。
大石 こんなセリフをテレビで書いていいの? っていう過激なセリフもあったのに、好きなようにやりなさいとプロデューサーが言ってくれたの。実際、あのドラマは濡れ場がたくさんあるように思われているけれど、実はそうでもないの。セリフがエッチだから一回で3回分の濡れ場を観たように感じるのよ。
阿川 余韻(よいん)があるのね。ひと粒で3度おいしいってやつ。
大石 脚本家によってはさまざまですが、私はあまり、台本に詳しくト書きを書き込みません。セリフや行動でその人物がどんな人かをわからせたい。だから細部はすべて演出家やスタッフに任せます。信じて委ねる。映像が出来上がって観たら「こういうつもりで書いたセリフじゃないのに」って思う事もありますが(笑)。まったく違うドラマになったとしても、その違いを楽しんで喜びにしないと、脚本家はできないと思う。
阿川 そうでしょうね。
大石 とにかくセリフが命だと思います。普段、人が話すときって、2割の本音で喋って残りの8割は隠しているものじゃない。うまい脚本はその2割の会話で8割を感じさせる。「この人はこう言っているが、実はこう思ってるな」と。
阿川 ひえー、難しい仕事ですよね。
大石 ほんとうにね。脚本家の山田太一先生は「キャラクターの語尾に宿る」という持論で、演じる側が絶対に語尾を変えちゃいけないのよ。「寒いね」「寒いですね」「寒くね?」これだけでも、全然性格が変わってくる。だから、ベテラン俳優ほど、語尾を勝手にアレンジすることなくきちんとセリフを言うのよ。セリフの重みを知っているから。

膝の裏の汗、墓場で放尿
阿川 セリフではないけど、以前『サワコの朝』に出てくださったとき、向田邦子さんのドラマで、女性がミシンを踏んでいるシーンにエロスを感じたと言われましたよね。
大石 そうそう。暑い夏、ある女がミシンを踏んでいたら、好きな男がその部屋へくるわけ。女は「私って、暑いとここに汗をかくのよ」と言ってはタオルで膝(ひざ)の後ろの汗をそっと拭く。その仕草がなんともいえずエロティックなのよ。この仕草だけで「今すぐ抱いて」ってセリフの代わりになるわけ。衝撃を受けたわ。
阿川 「好き」とか「愛している」というセリフや「抱く」とかいう動作をいっさい入れないで、いかにしてその内面や心情を視聴者に伝えるのか。そこが脚本の醍醐味なんですね。ただ、そこにギクッとして「こう言うのを書きたいー」って気づく大石さんもスゴイ。
大石 小さい頃からオマセでスケベだったら(笑)。あともうひとつ、有名な向田作品に『寺内貫太郎一家』ってあるでしょう。西城秀樹さん演じる寺内家のプー太郎息子が、ふらりと流れ着いた居候女に恋をする。ある日、その女が日傘をさして出かけて行くんだけど、彼は気になって後をつけるの。女は墓場に入って行って、日傘をおいてしゃがんだの。何をするんだろうって思ったら、いきなりジャーッておしっこをしたの。
阿川 ええーっー
大石 ことを終えたらまた日傘をさして、ニッ笑った。それで西城さんは、ますますその人をすきになっちゃうのよ。
阿川 わかるような、わからないような・・・・。

ズルズルとハマっていく感じ
大石 今の時代、そんなアナーキーな表現、赦(ゆる)されないでしょう? でも、オシッコをしているのを見ちゃうだけで好きになっちゃう気持ち、何となくわかるじゃない。ただ単に好きになるって言うより、ズルズルとハマっちゃう感じ。中学生くらいのときに見たんだけど、ものすごーくエロスを感じたなぁ。今でも忘れられない。
阿川 やっぱり、ことのほか敏感で、いらしたのね(笑)。そういう風に、大石さんが面白いと感じたシーンをずっと大切にして、その感覚を今でも磨き続けていることがエライです― だから、大石さんの作ったドラマのワンシーンは、あんなに印象的なんですね。

セクハラ禁止が男とテレビをダメにした
大石 大胆な表現は、昨今のテレビでは全くできなくなったわね。
阿川 セクハラ、パワハラ禁止の時代ですから。男とテレビが面白くなくなってきたのはセクハラ、パワハラがあると思うんですよね。
大石 男もね(笑)。
阿川 世のおじさんはみな、セクハラとパワハラに脅えています。日本の、いや世界中の男をダメにしているような気がするんですけれど。もちろん、とんでもないセクハラおやじは制裁を与えないといけないと思いますけど、ちょっと精細モードが行き過ぎているような…‥。
大石 男の人が職場でエッチな冗談も言えないようじゃ、つまんないもんね。脚本家になりたてのころ、テレビ局のおじさんはみんなエロくて面白くて人間臭くて、そういう話を聞くのが大好きだった。落ち込んでいたらエッチなジョークで励ましてくれたりして。一方で、人妻の私に「温泉に行こう」「上に部屋をとってあるよ」と言って来るおじさんもいたな。
阿川 そういうとんでもないおじさんが世の中には存在するってことを、とりあえず知っておいた方がいいと思うんです。じゃないと、いざというとき逃げる知恵がつかないから。コイツは危ないぞって察したら、いいネタとして取っておこうくらいの気持ちでしばらく様子を見て、どうやったらこの危機から逃れられるか、必死に手立てを考える。そこに生きる知恵がいっぱい詰まっている気がするんですね。
大石 そうそう。いくらでもネタが転がってた。
阿川 最近は男も女も、そういう危険と紙一重な経験をしなさすぎて、だから羞恥心がなくなっているんじゃないかと思う、逆にね。

「何があってもしがみついてやる」
大石 今思えば昔はパワハラだらけ。演出家の久世光彦(くぜてるひこ)さんなんて「こんな本じゃ、撮れねえー」ってみんなの前で私の書いた脚本をぶん投げて、遠いとこに飛んで行った本を惨めな気持ちで拾う私に「辞めてもいいぞ」って。「絶対辞めない」と心で誓って、「もう一度考えます」って泣きながら家に帰ったこともある。
阿川 逞しいな・・・・・―
大石 今思えば久世さんに「お前は本当にこの仕事をやりたいのか? しがみついてもやるんだな?」と言われていたと思う。それで「何があっても絶対しがみついてやる」と腹をくぐったところもある。そうやって人が育つこともあると思うんですよね。
阿川 私も報道番組のアシスタント時代、ジャーナリストの秋元秀雄さんに「取材もロクにできないのか、ふざけんな、出ていけーっー」怒鳴られたことがあって、恐ろしさの余り必死で取材し直した。泣きながらスタジオに戻ったら、秋元さんが「バカもん」ってニヤッ笑ってくださって。一気に緊張感がほぐれて、またブワーッ泣いた。
大石 そうやってみんな、教育してくれたわけよね。愛があるもの。
阿川 あとになるとわかりますよね、必死に育てようとしてくださったんだなって。今の上司はなんか言ったらパワハラ、セクハラだの言われるから、できるだけ刺激しないようにしているみたい。だいたい、この歳になるとわかりますけど、人を叱るのって疲れます。あの言い方でよかったのかなって。叱ったこちらが眠れなくなったりしてね。
大石 エネルギー使うのよね、叱る方も。でも、そういう生身の人間の感情的な部分に触れることや、感情の盛り上がりを自ら経験することが「生きてる」ってことを実感する瞬間だと思うけどね。

仕事ができる人間には想像力がある
阿川 考えてみれば、若い人はだんだん打たれ弱くなって当然ですね。だって叱られる機会がない。親からも、職場でも。
大石 今ではありえないんだろうけど、昔はテレビの現場でADがバタッと倒れる光景をよく見たわよ。下っ端だからずっと走り回って寝不足でロクなものを食べていない。でも倒れたって「そんなところで倒れるな、邪魔だー」って怒鳴られた。今は、ADが倒れるようなシフトを組んだら上司の責任問題になるし、逆にADは何か不条理な事で監督に怒られたら、もう来ない。「あの人どうしたの?」って聞いたら、「もう辞めました」って。
阿川 私、いくら叱られ慣れたって、そこまでの目に遭うのはイヤだな。
大石 監督にもいろいろなタイプがいるけど、今は穏やかなタイプが増えていると思う。昔は、「揉めている」ってゾクゾクしてたけど(笑)。殺気立った空気もそれそれで心地いい。
阿川 蜷川幸雄さんみたいな人もうでないんですね(笑)。
大石 脚本家もすぐ辞めてちゃあ。そもそも監督が「なんかイメージが違う」って、昨日と今日で言う事が変わっちゃうことなんて日常茶飯事。でも耐えられなくて辞めちゃうからすぐに次の人を入れる。そのせいか、今はひとつの作品を何人も脚本家が居て共作するのよ、信じられない。私たちの時代は、せっかくもらった仕事を他の人に渡すなんてありえないから、なんとしても踏ん張ったけど。
阿川 ただ、今は昔ほど根性がなくなっているかもしれないけど、そのかわり気が利く子は利くし、女の子も体力があるし、頭の回転もいい。私が彼等と同じ年だったころ、こんなにテキパキ動けただろうかっていうくらい優秀な子もたくさんいますよね。
大石 そうね、優秀な人はものすごく優秀。そういう人はやっぱり出世してる。監督が次にやりたいことを察して先回りして動いていたり。指示がなくても動いている。
阿川 察する力、目配りって言うの? 視野の広さというか、見通す力。
大石 つまり想像力よね。世代に限らず仕事が出来る人には必ず想像力がある。
阿川 最近の若い役者さんはどうなんですか? 先日テレビ番組でご一緒した若い役者さんは、仕事が終わると一刻も早く家に帰ってゲームをやりたいと。家でひとりでゲームをしたり、友達とラインをやっている時が一番テンションが上がるって。
大石 役者さんと直接の交流はあまりないんだけど、若者たちはみんな同じだと思うな。
阿川 その彼に、「恋愛は?」と聞いたら「二次元で恋をしています。二次元の女性のほうがキレイだしいい子だし、リアルな恋愛はプロセスを考えたらものすごく面倒くさい」って。
大石 傷つきたくないのね。
阿川 しかも潔癖症が多いらしい。特に男子に、セックスも「キレイな子じゃないとできません」って。
大石 何ふざけたこと言ってんのかしら。

「おっぱい、興味ないす」
阿川 その番組に出ていたアラフォーの芸人さんが「男子として、おっぱいは見たくないのか? おっぱいはひとつずつ全部違うんだぞ― 観て触らなきゃわからないのだぞー」と(笑)。別のおじさんも「俺はできる限り多くのおっぱいを触りたいと思って、こうして頑張ってるんだー」って。旧世代は「おっぱい、おっぱい―」って盛り上がっているのに、若い世代は「いや、別に興味ないっす」とクールでした。
大石 役者、つまり演技するっていうことは、ある種のスキンシップなのよ。別にラブシーンでなくたって、面と向かってセリフのやりとりをして怒鳴り合ったりするって、ものすごくアナログ。肉体的にも精神的にも生身の人間に触れることが役者の仕事なのに。
阿川 「恋人役の相手を好きになったりしたことは?」と聞いたら「考えたこともない」って。毎日一緒に舞台の上でラブシーンをしていても、生身の人間とは恋はしないらしい。
大石 実際は、舞台上でどんなに激しい濡れ場をやっていても、プライベートではくっつかない人のほうが多いけどね。役者って、自分のことが一番好きな生き物だから。自分以外の誰かを演じるなんて、自分のことが本当に好きじゃないとできないわよ。まあ、それにしたって、役者も含め最近の男子は”欲望”が希薄よね。だって20歳そこそこの男子なんて、頭では面倒くさい思いつつも、オスとしての欲望は抑えがたい時期でしょう? 生物としての欲望が薄まっているなんて、遺伝子レベルで何かが壊れてる気がする。

仕事の醍醐味とは?
阿川 大石さんにとって、仕事の醍醐味って何ですか。
大石 出会いがあること。有名無名にかかわらず、たくさんの人との出会い。結局は、なんでも「人」だと思う。
阿川 まさに。インタビューが下手で嫌いだった私が今も続けているのは、普通に生きていたら会えないような素敵な人たちに会って話をすることができるから。
大石 私の場合、自分の作品を通して一人でも多く人がザワッとしたり何かを感じたりしてくれたら、やっぱりうれしい。結局、「必要とされること」じゃないかな、仕事をする醍醐味って。
阿川 いつまでも仕事を続けますか。
大石 注文がある限り、死ぬまで仕事はしたいです。
阿川 私は・・・・みっともないから出るなって言われたらテレビはやめます。書く仕事はどうだろう? でも「書いて」と言われたら、やっぱり書いちゃう。認められると喜ぶんだね、私。
大石 引退後はリゾート地でのんびりしたい、何てよく聞くけど、私はリゾートは嫌い、1日で飽きちゃう(笑)。 だったら都会で仕事をしたいわ。生涯現役が理想です。
阿川 えー、私はリゾート地に1週間くらいは行きたいわ。でも、仕事するならずっと「面白がりたい」ですね、私の場合。面白がるポイントが同じ人と仕事がしたい。逆に言えば、どんなに苦手な部分があっても趣味が合わなくても「どう面白いものをつくるか」という目的地さえ同じなら、多少は目をつぶることができると思います。
大石 そうね。ドラマや映画は作品ごとにチームが変わるから、同じ目的にみんながわあっと向かっている時はやっぱり活気がある。そういう現場にはヒットのめがあるわよね。

ノッてる空気
阿川 大ヒットを出したいという欲はありますか。
大石 もちろん。大ヒットや小ヒットよりも、多くの人に見てもらいたいという方が正しいかな。そういう手応えがあるときって、現場やチーム、そして世の中にも、特有のノッてる空気感がある。蕎麦屋さんに入っても、駅のホームでも、見知らぬ人がそのドラマの話をしていたり、そういう時は爆発的にきている感じ。
阿川 うちの父が昔「電車に乗って、自分の本を読んでいる人を3人見つけたら、それは結構なベストセラーになる前兆だぞ」と言っていました。
大石 3人はすごい。昔は電車の中ですることの筆頭は読書だったしね。
阿川 かつて、檀ふみとの往復エッセイ集『ああ言えばこう食う』を出して間もなく、駅からバスに乗ったら、目の前に坐ってる女性がその本を読んでいたんですよ。さすがに3人はいませんでしたけど、もしや本が売れる兆しか? なんてちょっと口元がニヤけちゃった。結果的に35万部くらいになりました。そんなに売れるとは思っていなかったから、「父の言ったことはこういうことか」と合点しましたね。
大石 私も昔、「週刊文春」でエッセイの連載をやっていたとき、電車で隣に座った人がまさに私のページを読んでいて、恥ずかしいような晴れがましいような気持ちになったな。
阿川 地下鉄で向かいの席の人が「週刊文春」を読んでいて「あら次は阿川佐和子の対談だぞ、おおっ、めくった。読み始めたー」とチラチラ見てたら、その人がふっと顔を上げたんです。目が合ったんでつい会釈したりしてね。どうも恐れ入りますって。
大石 どうせ作るなら、たくさんの人に見てもらって、何らかのアクションをして欲しいわよね。クリエイターに限らずどんな仕事でもみんなそうでしょう。だけど、ヒットした場合、なぜそんなに売れるのかは、分かるようで全然わかんない(笑)。
阿川 私も、なぜあれほど『聞く力』が売れたのか、いまだに分かりません。
大石 そうなの? 書いている時に手応えはないもの?
阿川 全然なかった。人生そんなもんなんでしょうね。

おわりに             大石静
 対談本を出さないかとお誘いを受けたのは、今から2年以上前のことだったと思う。
 阿川さんの勢いに便乗すれば、私もきっといい思いが出来るに違いないと、即座にお引き受けした。
 その頃、阿川さんはまだ独身だったし、お父様もご存命だった。2,3年の間に、いろいろなことが阿川さんの人生に起こり、気がつくと人妻にもなっていた。

 このタイミングに本を出して、ご結婚に関する隠れた事情をあれこれ語ってもらえれば、この本はきっ
と売れるだろうと、再びスケベ心が湧きあがるのであるが、思うようにはいかなかいのが人生で、なか
なか本はまとまらなかった。

 幾度も幾度も文芸春秋の応接室で、阿川さんがお宅から持って来てくれた贅沢な果物や美味し
いお菓子をいただきながら、喉が嗄(か)れるくらいおしゃべりした。対談と言うより、おしゃべりという感じ
であった。

 どうでもよいことだが、阿川さんのお宅にはこんなに素敵な贈り物が、余ってしまうくらい来るんだ
ー・・・・いいな―と思ったりしたのも、今は懐かしい。
 様々なことを一生懸命しゃべったりし、たまげるようなお話も聞いてしまったけれど、一番面白いとこ
ろは生涯活字には出来ないようなことも多く、エッセイを書いても対談しても、周りの人を傷つけること
なく自分を表現することの難しさを、改めて学んだ気がした。

対談なんて簡単だと思っていたが、そんなに甘い仕事ではなかったのである。
 という訳で、皆様に読んでいただいてもいい話というと、のどかな無駄話のようになってしまい、これ
でいいかしら? ヌル過ぎないかしら? と、阿川さんもオオイシも幾度か立ち止まった。

そのつど、この本を企画した文藝春秋の向坊健さんと、ライターの田中美保さんに励まされて、何ん
とかここまで辿り着いたという感じである。
『オンナの奥義』なんて大それたタイトルを付けてしまったが、この本が読者のお役に立つかといえば
心許ない。それでも私たちのおしゃべりを日々の暮らしの合い間に、ちょっと楽しんでくださる方がいらしたらうれしく思うし、光栄にも思う。

阿川さんは美人だし、名門だし、だからみんなに求められるんだ。運もよさそうだし・・・・とひがんだ眼
差しを持っていた時代もあったので、今回お話を聞いていて、目から鱗なことがあった。それは阿川さ
んの「望まれた素直に受け入れて前に出てみる」という考え方だ。

その素直さ、物怖しない力が、様々なシーンで活躍される華やかな阿川さんの今日の”源”であると
確信したことである。ご本人によれば「短期楽観主義」的生き方なのだそうだ。

 それにくらべて「長期悲観主義」で、あれにもこれにも懐疑的な私には、困難な日々が続くが、阿
川さんに負けずに、私は私の方法で生涯脚本家を目指したいと、この対談をやって胸深く思った。
 2018年1月25日 著者 大石静・阿川佐和子
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