40代半ばで子宮筋腫の手術をしたんだけど、私が入院した日は子供がたくさん生まれた日だったのか、同じと棟の新生児室がいっぱいだったのよ。つるんとしたかわいい顔の赤ちゃんがずらりと並んで、ギャーと泣いたり、スヤスヤ眠ったりしている姿を見たら、涙があふれて来たの。無垢とはこういうことなのか。これから死に向かって生きていくのに、生きていくって大変なのに、と。

本表紙 阿川佐和子 大石 静 共著

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第3章 「家族」とは?

赤バラ男と対等に生きるか、亭主を支えるか

阿川 大石さんの作品っても”2”が絡むものが多くないですか?『ふたりっ子』に『セカンドバージン』『センカド・ラブ』でしょ。つくった劇団も「二兎社」だし。
大石 宿命かしら。二つの仕事、二人の男(笑)。”2”は私の大切なキーワードね。子供の頃は、母親が二人いるような生活だったし。
阿川 それ、『サワコの朝』(TBS系)でもお聞きしましたけど、お母さんが二人いたっていうのは、大石さんを知る上で重要なポイントだと思うんです。そこらへんの「静の秘密」から紐解きますか。
大石 秘密って言うほどのことではないけれど。
阿川 まず、大石さんは、神田、駿河台にある旅館「駿河荘」のお嬢さんとして生まれた。駿河荘と言えば、お客様の殆どが名だたる文士や学者の先生方で、その筋ではぱっと知られお宿だったんでしょ?
大石 作家をカンヅメにするための宿です。
阿川 作家が長逗留して原稿を書く宿。昔は全国各地でそういう旅館があったみたいですね。ちなみに、うちの父は「駿河荘」に伺ったことあったんですか?
大石 阿川先生はみたことないわ。長くいらした方では、江戸川乱歩先生や松本清張先生、五味康祏先生、五味川純平先生、壇一雄先生、開高健先生、柴田錬三郎先生。学者系で京都大学の桑原武夫先生や言語学者の大野晋先生。ほかにもいっぱいいらしたわ。
阿川 ほんとうに錚々たるメンバーだねぇ。
大石 なかでも松本清張先生には、ここじゃなきゃダメ、という部屋があって…‥。
阿川 俗にいう、清張部屋。
大石 清張さんの『けものみち』という作品で、ヒロインが宿屋の秘密の通路を通って罪を犯して戻ってくるシーンがあるんだけど、その造りは「駿河荘」と同じなんです。
阿川 おっ、小説の中にでてくるんですね。
大石 駿河荘の”書院”という部屋は、中庭に面していて、そこから裏口に出られるようになっていたの。清張先生は、母に案内させて、何度も、その秘密の通路を通って外に出る時間などを計算なさっていたとか。
阿川 すごいー 大石さんちのお宿で小説のトリックを編み出したんですか。
大石 真ん中が中庭で、囲むようにコの字に建物があったから、こちらの部屋から中庭越しに先生たちの部屋が見えるのよ。ある日、執筆しているある作家の横で、きれいな女の人が静かに鉛筆を削ってたの。そしてしばらくしたらすっと視界から消えたの。ふたりで重なるように横に倒れてそのままフーッといなくなっちゃったのよ。私はまだ小さかったら、よく意味がわからなかったけど、見てはならないものを見たって感じて、ぞわぞわってしたのを覚えているわ。
阿川 何歳ぐらいのとき?
大石 幼稚園くらいかしら。おませな子どもでしょう(笑)。

二つの家、二人の母

二つの家、二人の母
阿川 大石さんはその旅館の娘かと思いきや、実は本当のお母さんは別にいらしたと。旅館を経営していた女将さんは、養母だったんですよね?
大石 生まれた家と生みの母また別で。二つの家があり、母親が二人いたようなもの。
阿川 やっぱり2に縁があるのね。
大石 実の母親は、産後の肥立ちがあまりよくなくて、ちょっと臥せいた時期があったの。その間、父が生まれたばかりの私を隣の旅館の女将さんのところに連れてって、世話をしてもらったりしていた。最初はお隣さんだし「かわいいでしょ」って、見せてるだけだったんだと思うけど。ちなみに、うちの両親はそのおかみの紹介で見合いをして結婚したのよ。
阿川 その女将はご両親の仲人さんってこと? 仲人さんが養母さんになっちゃったの? 
大石 ややこしいでしょ。
阿川 その女将さんは、結婚されてなかったんですか?
大石 そう。生涯独身。だから、隣の大石の家は親戚みたいなものだったんじゃない?自分の紹介で結婚した夫婦だし。
阿川 そもそも、何で知り合ったんですか、お父様とその女将さんは。
大石 女将の持っていた土地を父が買って、大石の家を建てたの。
阿川 女手一つで、そんな大きな土地持ちだったの? どういう方なんですか、その人?
大石 田舎から出てきて日本女子大に行くという、当時にしては珍しい向学心のある女性だった。その後、関東大震災で焼け野原になっていた駿河台の土地を、女将の父親が生前贈与のつもりで買ってくれて、そこに宿屋を建てて仕事を始めたらしい。
阿川 男に頼らず自活して生きていけと。朝ドラの原作になりそう。
大石 でもね、私は、父とその養母は、男女の関係だったと思うのよ。
阿川 ええっ?
大石 本当の所はわからないけど、それしか考えられないじゃない。確かに養母の紹介で父と母は結婚したけれど、母と結婚するころには、まだ養母との関係は続いていたんじゃないかって・・・・。
阿川 じゃ、なんでふたりは結婚しなかったの?
大石 父にとって養母は結婚相手という感じじゃなかったのかも。年もだいぶ上だし。
阿川 生みの母上は、そのことをご存知だったんですか?
大石 わからないけど、私が気づくことなんだから、実母もわかったと思う、たぶん。
阿川 しかも、薄々ながらアヤシイと思っていた女性に、自分が産んだばかりの女の子を持っていかれちゃうんでしょう? 心中お察し申し上げたくなる。

生きることはつらいこと

大石 実母の体の調子が悪いから仕方なかったのだけれど、「ちょっと面倒みてあげましょう」って、養母は自分の子のように連れ出してくれたの。
阿川 でもその方、子供を育てた経験はないんでしょう?
大石 だからなのか「かわいい、かわいい」って、まるでペットのように猫っ可愛がりしてくれた。尋常じゃない可愛がり方よ。きれいなお洋服を着せてくれて、なんでも買ってくれて。そして、こう言うの。「早くいい所にお嫁に行って幸せになりなさいね。自立なんて考えてはいけませんよ」って。
阿川 面白―い。女手一つで旅館を経営するスゴ腕女将が、「女の幸せは、結婚して子供を産んで家庭の中で亭主を支えること」を推奨するんですか。
大石 「私はこれまで一日たりとも男の人に食べさせてもらったことはない。だけどそれは、たやすいことじゃない。こんな苦労はあなたには味わわせたくない。自立する事は、そんなに幸せな事じゃない」って。
阿川 苦労を知っているからこそ、奨められないと。
大石 一方で、私を生んだ母はまったく正反対のことを言っていた。「私のようになっちゃダメ。これからは男性と対等に生きなきゃ」って。
阿川 ほっほぉ。逆なんだ。本当にドラマになりそうな話ですね。そんな相反する二人の母の間に挟まって、娘はどうすりゃいいのさ、思案橋。
大石 どっちの母の意見にも、うんうんって頷いて見せていたの。家族の平和のために、甘やかしてくれる養母といるほうが居心地はいいけれど、子供心に実母の悲しさがなんとなくわかるのよね。養母は実母より年上だったし、時代が時代だし、逆らえない部分もあったんじゃないかな。
阿川 小さい頃から、こちらが実母であちらが養母ということは、わかっていたんですか? 
大石 ええ。実母は「ママ」、養母は「おばちゃま」って呼んでて、ママは卵型、おばちゃまは丸型の顔で、私は丸顔だったから実はおばちゃまの子じゃないのかなと思った時もあった。とにかくいろいろ大変だったわ。思い出すのも疲れるもの。
阿川 なんか健気ね。そんな幼い頃から重い家族のミステリーを背負って。「ママ」のところではしっかりした少女を演じて、「おばちゃま」の前では甘えん坊のか弱い女の子ならなきゃとか、両方を巧みに演じ分けたり?
大石 そうね。どっちの母にもニコニコしていて、学校でもニコニコ。
阿川 明るくていい子、優等生だった。
大石 いい子は演じていたけれど、なんで自分は生まれて来たんだろう、なんでこんなややこしい家に暮らしているんだろうって考えた。だからなんとなく「生きていることは辛いこと」だと思ってたふしはありますね。
阿川 そうか、大石作品の根幹をなす、人間の心の機微に察知する力、鋭い観察力、ニヒルな視点は、幼少時代に培われたもの、まさにセカンドの秘密ですね。

理不尽な父親との付き合い方
大石 父は、本当にいい加減だった。「母親がどっちだろうと、子供はみんなに可愛がられればいいじゃないか」みたいなことを言って。その”ずるさ”みたいなのは、大人になってから、ちょっとわかるようになったけれど。
阿川 お父様は、アメリカ育ちの日本人なんですか?
大石 父は中学のときからアメリカに行っていて、頭の中はアメリカ人。勉強が出来たみたいで「日本においておくより、アメリカに行かせて勉強させた方がいいんじゃないか」と親は思ったらしく、親戚がハリウッドで花屋をやって成功していたから、あちらへ留学したの。毎日、アルバイトでいろんな花を大スターの家に届けに行ってたみたいよ。
阿川 そのころって、それこそハリウッド映画全盛の時代でしょ?
大石 花を届けながら勉強して、飛び級でカリフォルニア大学バークレー校に行って、建築を学んで、主席で卒業。
阿川 主席― お父様、優秀な苦学生―
大石 主席のスピーチもして、そのときの写真もあったわよ。その後、大学院に行っている最中に真珠湾攻撃があった。朝起きたら兵隊が来て、何も知らされないまま拘束されちゃったんですって、医者とか大学院生とか教育のある人達は、スパイになると困るという理由で、速攻拘束されたみたいよ。でも、父が入った知識人だけの収容所は、ものすごく待遇がよかったみたい。
阿川 戦争中ずっとアメリカにいらしたんですか? その収容所に?
大石 そう。父はその時日系人の恋人がいたんだけど、連絡がとれなくなって、どうやら悲惨な収容所に行かされちゃったらしいの。
阿川 なんか、ドラマのネタ、ゴロゴロのご家族ですなあ。
大石 終戦直後帰国して熊谷組からの誘いを断って農林省に入って、食料交渉の最前線に立っていたことは確か。マッカーサーや吉田茂、白洲次郎の話を自慢げに話しているのを「フン」って聞き流してたけど、もっとちゃんと聞いておけばよかったわ。
阿川 やだ、吉田茂や白洲次郎のお側にいらしたんですか。貴重な方じゃないですか。もったいない。
大石 でも、日本がうまくいき始めてからは、父が農林省にいても意味がないじゃない? キャリアでもないし。だんだん居場所がなくなって、結局辞めて翻訳の仕事をしていました。志半ばにして建築を捨てたことを悔やみ、農林省でそういう扱いになったことを悔やみ・・・・。だから後半は、寂しい人生だったかもしれないと今は思いますね。
阿川 じゃ、大石さんが知っているお父上は、半分ご隠居さん的な存在だったから、なおさら鬱屈(うっくつ)してたってこともあるんですかね。

物書きの娘に生まれて
大石 阿川さんのお父様は、いつも怒ってる話ばかり聞くけど、戦時中の話などは、おうちでされる方だったんですか。
阿川 してました。具体的にどこで何をしていたかというより、海軍教育についての話が多かったですね。ただ、私はそういう話を聞くのあまり好きじゃなかった。俺がお前の歳にはすでに○○をしていたとか、海軍五分前精神を知らないのか、遅刻は許さんとか、子供を叱りつける道具の一つみたいなものだったからね。父が書いたものには海軍の話が多いんですけど、ほとんど読んだことがない、本当にダメな娘なんです、私。
大石 でも、お父様と同じ、物書きになった。
阿川 図々しくもね。
大石 DNAだわね。うちの父と同じく、阿川さんのところも不条理に怒り出す理不尽な父親だけど、やっぱり超一流の作家としての尊敬の眼差しみたいなのがあったでしょう?
阿川 うーん、どうかな。取り敢えず家が仕事場だから、父の仕事が何であるか分かりやすい環境にありましたけれど、家の中が常にピリピリしているわけですよ。まず執筆の邪魔にならないよう、子供は静かにしなければいけない。父の虫の居所に合わせて家族は随時、対応しなければならないって具合で。父の執筆の都合によって食事が始まらないとか。父の機嫌がよければこちらも機嫌よくしていないと。ちょっとでもふてくされると、「なんだ、その顔は―」って、すぐ「出ていけ―」って騒ぎになるしね。
大石 父親が一日中家にいるっていうのもつらいわよね。
阿川 本が売れたり評判になったりして、世間の人に認められていることについては、子供心にも誇らしい気持ちになりますけど、家庭人として立派かどうかって聞かれたら、「父親としては認めないぞ」って密かに毒づいてた。しかも私小説は、家族が題材にして書くから、多少誇張したりするんですよ。今、自分が書く立場になると理解できるんだけど、子供の頃はねえ。学校の先生やいろんな人に「あなた、○○のときに、こういう失言をなさったんだって?」なんて言われると「違います― あれはいとこの話です―」っていちいち訂正して回るのがつらかった(笑)。
大石 わかるわ。

昭和な雰囲気
阿川 だから海軍ものは難しいからわからないし、私小説はいちいち引っかかるし、必然的に「『きかんしゃ やえもん』しかよんでおりません」ってことになるわけで。もともと私は本を読むのが苦手で、父の本に限らず本になつけなかったというのもありますけどね。私と反対に、一番下の弟は本が好きでね。父の文章を積極的に読んで、「お父ちゃん、面白かったよ」なんて素直に感想を言うのね。そりゃ、父も大喜びですよ。私なんて、ちょっと読んだら、文章の中すら父の怒鳴り声が聞こえて来る気がして避けているから、父は「俺の新刊が出たが、どうせお前は読まないだろう」って決まり台詞にしていました。
大石 不条理に怒鳴る父親・・・昭和な雰囲気でいいですけどね‥‥。
阿川 つまり、父の本を読むというのは、どこかで無理して「良い子」ぶらないと読めない気がして、文士としての阿川弘之を尊敬するという段階に至らないんですね。

ファザコンは結婚が遅れる?

大石 一般的な阿川さんへのイメージって、ファザコンでしょ。なかなか結婚されなかったのは、お父様があまりにも厳しいとか、お父様を超える男がみ当たらないんじゃないかとか。
阿川 あのですね、ファザコンには二通りあると、私は思っておりまして。一つは、「お父様、大好き。お父様みたいな男の人がいい―」っていうタイプね。で、もう一つが、「父のような人でない人と出会いたいー」ってタイプ。どちらも父親を過度に意識しているところは共通しているんだけど、私はどう考えても後者ですね。完璧に嫌いなら、父を無視して生きて行けばいいのに、父から逃れられないひ弱な自分もいて、それが情けなくて・・・・。
 だいいち、父はそんなに立派な人間じゃないんですよ。人に礼を尽くすとか、文章に対していい加減には書けないとか、そう言う事は驚くほど律儀ですけれど、一方で限りなく自己中心の甘ったれ。外面がよくて他人の目を気にして、無視されるのは嫌なのに、極度の人間嫌い。でもって癇癪(かんしゃく)が起きると自分でも止められないほどメチャクチャになって、自分が気に入らないと徹底的に許さないし、とにかく情緒が不安定で狭量なところがありました。そういう態度のメチャクチャぶりが度を越えると、見ていてもおかしいんですけどね。ある意味では面白い人間だったと言えますが。
大石 家族にしか分からない顔ってあるものね。
阿川 たとえば食卓で、おいしくない料理が出てくると「さあさあ、みんな食べなさい、どんどん食べなさい」って箸でお皿を押して、自分の処から遠のけるの。でも好物だと「全部食うなよー」って箸の先をペタペタお皿につけまわすんですよ。それって、大人のすることか? みたいな、非常に子供ぽいところがありました。
大石 だからこそ書けるのよ、きっと。子供のような純粋な心で。
阿川 純粋っていうのか?
大石 人間の欲望や愚かさを、自分もそうだと自覚していらっしゃるから表現できるんじゃないかしら。
阿川 自覚するのは、メチャクチャになったあとですからねえ。被害は甚大ですよ。
大石 昔の男ってたいていそうよ。うちの父だって、母がずーっと自分の方を見ていないと嫌なの。自分はあっちこっちよそ見しているくせに。
阿川 とにかく、物書きはみんな、頭おかしいんじゃないかって思ってたもん、私。それぞれに狂い方は違えども、
大石 小さい頃、文士の宿でいろんな先生たちのことを見てたけど、先生たちはみんな苦悩してたし、ワーッーと意味なく炸裂して襖を蹴飛ばしたりしてたわよ(笑)。作品はその人のものって言うけれど、あれ、どうかしらね。何だか気難しくて意地が悪いと思われる先生がものすごくヒューマンな作品を書かれたりするし、必ずしもその人格と作品は一致しないって、子供心に思ったわ。

「漱石夫人は悪妻」は噓?
阿川 一概には言えないけど、組織に勤める人達は、個性や育ちや能力に拘わらず、組織の中で何かを我慢してる、つまり”個”じゃないもので勝負せざるを得ない場面が多いでしょ。でも、文士って、”個”を発掘すればするほど作品に反映されるわけだから、抑える訓練をしないまま大人になっちゃうんですよね、それが芸術と言ってしまえば芸術なんだけれど、側にいる家族はたまったもんじゃない。夏目漱石にしてもモーツアルトにしても、奥様は悪妻だった問われてるじゃない? 私ね、子供の頃から思っていたけど、あれ、噓なんじゃないかな。
大石 なぜ?
阿川 世間は夏目漱石の文章に惚れて、素晴らしい、立派だと思っているけど、それはあくまで作品の世界ですからね。読者や評論家はどうしても漱石側に加担する。だから奥さんにちょっとでもダメなところがあると、「悪妻だ」って決めつけるけど、実際に家庭でどれだけ家族や子供が苦労していたか、そちらの言い分は、聞いていないんだもの、わからないじゃない。きっと漱石の妻は辛かったと思いますよ。
大石 いいじゃない、その発想― ひらめいた― 阿川さん原案でお芝居書きたい。有名作家や芸術家の妻たちが時代を超えて「まったく、ひどい目に遭いましたわ。お宅は?」なんて言い合うの。
阿川 みんなで夫の悪口を言い合う芝居? 歴代の芸術家、小説家の妻が集まって。
大石 オペラがいいかもね。妻たちの悪口、六重奏(笑)。
阿川 まあ、だからといって、父は家族や妻を大事にしなかったわけじゃないですけれどね。愛人を作ったとか、家庭を顧みないということはなかった。要するに末っ子の駄々っ子だから、自分のわがままを全面的に受け入れて「しかたない」と認めてくれる人が側にいないと生きていけなかったんですね。母はうってつけの性格だったから、ああいう妻を選んだ父は賢かった、自分をよく知っていたと思いますね。
大石 つまり火宅ができない人(笑)。
阿川 壇一雄さんのように、『火宅の人』にはなれない。

大人のオチンチンに慣れる!?

大石 話はちょっと飛びますが、うちの父はアメリカ育ちだから裸に対する感覚が違ってまし。お風呂から上がったら素っ裸で家の中をうろうろ。そこだけはなぜか私も見習っていて、当たり前だと思っていた(笑)。
阿川 家族みんな、すっぽんぽんで歩いているんですか? 年頃になっても?
大石 そうなの、ずーっと。
阿川 スースーしないんですか? 下着をつけないで。
大石 気持ちいいわよ、素っ裸って。
阿川 それはアメリカ育ちのせいなのか? ってことはつまり、小さい頃から大人の男のおチンチンには慣れていたってことですか。
大石 慣れていました。物心ついて幼稚園に行きだして父を嫌いになるまでは、ずっと一緒にお風呂に入っていて、すごいパパっ子だったし。
阿川 えっ、パパっ子だったのに? 何で嫌われちゃったの、パパは?
大石 父の頭の中はアメリカ人だから、こんな日本人顔の私に「クリスティーン」なんて名前を付けて、幼稚園の送迎のときに呼ぶのよ。「ハーイ、クリスティーン―」って。それが卒倒するほど嫌いだった。
阿川 ハーイ、クリスティーン―(笑)。
大石 どんなに辞めてって言っても絶対に自分のやり方を曲げないの。それで一気に嫌いになった。
阿川 反米になっちゃったんだ。
大石 反父です。実際は、それで私が虐められるとはなくて、父は逆にみんなから「私にも名前を付けて」なんて言われて、調子に乗っていろいろな外国の名前をつけていました。今思い出しても頭がクラッとするほどイヤだわ。
阿川 友達に喜ばれたら、文句ないじゃないですか。
大石 父親参観日にも絶対に来てほしくないけど、来ちゃうんですよ。電池の直列と並列のつなぎ方について理科の実験をやる日が参観日で、「お父様方も参加してください」って先生が言ったら、うちの父だけ出てきていろんなことをパパッとやって、さらに「こういうふうにやったら面白いよ」と電飾なんか作っちゃって。そのときも卒倒しそうにイヤだった。
阿川 気持ちは分からないでもないけれど、ちょっとうらやましい気もする。だってウチの父、友達に怖がられてたもの。怖くて近寄れないって。でも一番憧れたのは、朝出かけて夜帰ってくるお父さんですね。一日中家に居るのが本当に苦痛だったから。お手洗いに行くときだけ抜き足差し足でしたからね。

死ぬまだで”オンナ”
大石 そうだ。養母の思い出、ひとつ思い出した。
阿川 ほおほお。なんですか。
大石 小さい時、美人とかブスとか、まだそれがわからないころ「静ちゃんはお父さんそっくりね。お母さんに似ればよかったのにね」って、よく言われてたのよ。どういう意味なんだろうってずっと思っていて、実母はスラッとしたきれいな人だったし、養母はとっても色っぽい人だから、みんなにかわいそうな不細工な子と思われていたみたい(笑)。
阿川 へえー。
大石 養母は生涯独身だったでしょ。これは私の勝手な見解だけど、結婚したことがないっていうのは、男に絶望したことがないってことなのよ。宿の女将だから、いつも男の先生たちに囲まれているし、なんていうのかしら、常に目つきや仕草が艶っぽいのよ。結婚しちゃうと、何でもあり、見たいになっちゃうじゃない。
阿川 私の場合、結婚する前から、何でもありになっていましたけど(笑)。
大石 とにかくね、80歳になっても、男の人を見るときもいつも上目使いで、入院してた病院でも、男の先生がみえたら必ずその眼差しで見つめるの。
阿川 いつまでもずっと”オンナ”なんですね。
大石 好きだったけど添い遂げられなかった相手がいて、70歳になってもその相手からたまに電話がかかって来るのよ。私がたまたま電話を取って、「おばちゃま、○○さんから電話よ」って言うと、手に持っているものをハラッと落として、電話に駆けつけるの。うちの夫なんかそれを見て、「女だなあ・・・・」ってしみじみ言っていました。最後まで、オンナだった。
阿川 それはもう、結婚しているとかしていないとか関係ないですね。持って生まれた性(さが)ですよ。

第4章 「死」と向き合う

生きることは、食べたいという欲求だ

大石 お父様がお亡くなりになって2年になりますか?
阿川 そうです。肉親の死に立ち会ったのはほとんど初めてだったものだから、息を引き取った直後はもうバッタバッタでした。葬儀屋さんと「棺はどうしますか」「霊柩車は? こちらがボルボで、そちらはキャデラックですが」「仏教、神様、キリスト教、いずれになさいますか」。イエス、ノー、イエス、うーん、ちょっと考えます・・・・。葬儀屋さんの次はお寺さん、その次が火葬場、その後はお香典返し問題、相続問題、四十九日法要、お別れ会、一周忌法要って、延々と続いた感じでしたね。ここに連絡しなきゃいけない、お布施ってだいたいいくら? あれ、やったっけ? と朝方急に不安になって目が覚めたりしましたもん。
大石 いろいろ葬儀があるから毎日追われるわよね。でも、だからこそしばらく喪失感を感じさせないでいられるのよ。
阿川 これは『強父論』にも書きましたが、父は昔から、「葬儀も通夜も何もするな。香典、花の類は一切受け取るな。偲ぶ会なかもやるなよ」と口酸っぱく申しておりまして。
大石 お父様らしいわね。
阿川 冗談で「死んじゃったらわかんないからお香典貰っちゃおうよ」なんて言うと、途端に機嫌が悪くなって(笑)。だから肝に銘じていたつもりだったんです。だも、父の遺志に反するのでお香典は受け取り出来ませんと頭を下げてお断りすると、他の方から郵送で届いたりして。送り返すのも角が立つから、困ったなと思いつつ収めちゃったり。結局、お別れ会もやっちゃいました、しかも会費制で。もう、誰に申し訳ないのか分からないんだけど、泣きそうでした。父がいない寂しさのせいじゃなく、頭が混乱しすぎて。
大石 その慌ただしさが、泣く暇を与えてくれないのよ。逆にありがたいじゃない。
阿川 本当に。葬儀全般って、残された家族が気を落とさないためにあるんだなってこのたびつくづく思いました。あと、父の死に方を見ていて、「死に方もその人の生き方なんだな」と痛感しました。だって、亡くなった後も父に振り回されている感じだったから。
大石 死ぬことを含めて人生よね。
阿川 父が三年半お世話になった病院の院長が面白いことをおっしゃったんです。「生きるとは、食べたい欲求だ」と。たとえばイタリア人にとって、口からものが食べられなくなったら、生きている意味がないですって。院長はそういう考え方にひどく共感なさったそうだ、だからどんなに体が弱っても、美味しいものを食べたいと思っている事自体が生きている証なんだから、出来るだけ食べさせたほうがいい、と。
大石 わかります。いろいろな人の死を見て来たけれど、物が食べられなくなったら急転直下、悪化するもの。とくに口から食べることができなくなったら、一気に。

立派な大往生
阿川 「体にいいか悪いかということは、我々医者がしっかり判断します。ただ一律に、お酒はダメ、ステーキはダメ、あれもこれも食べない方がいい、なんてことは言えません。それがこの病室のコンセプトです」と。ウチの父はつくづくいい病院と出会えたなあと思っております。なにしろ亡くなる直前まで、「うまいものを食いたい」という意欲が衰えなかったですからね。食べたいものを食べて、立派な大往生だったんじゃないかと。
大石 お父様は、病院食にも満足されてたの?
阿川 そういう病院だから、病院食が本当においしいんです。つい、つまみたくなるくらい。月に一回予約をすれば、うな重やお寿司やステーキなんかも注文できるシステムで。
大石 注文も出来るの? すごいわね。
阿川 でも、やっぱり三年半も入院していると、どんなにおいしい病院食でも飽きちゃうらしいんですね。なので、食べ物を病室に持ち込んでいいですかと先生に伺ったら、「どうぞご自由に」って。最初は、父の好物のチーズやうなぎやフカヒレなどいろいろ持ち込んでいたんですけど、そのうち「すき焼き食べたい」と言い出した。
大石 ほんと、羨ましいくらいの意欲ね。
阿川 昔から食い意地ははってましたから。それまでは一時帰宅してウチですき焼きを作ったりしてんだけど、大腿骨を骨折して以降は、外出も困難になったので外に連れ出せない。かといってつくったすき焼きを運び込んでも、冷めておいしくないって言うだろうし。で、「そうだ、電磁調理器を持ってきて、ここですき焼きをやればいいかも」とうっかり思いついてしまったのが運の尽き。毎週のようにすき焼きを所望されるようになりたました。
大石 温かいものは温かいうちに。阿川さんもよくなさったわね、偉いわ。おいしかたったのよ、娘のすき焼きが。
阿川 それがね、いろいろ大変だったんですよ。一応、父の好に合わせて上等の牛肉と、玉ねぎや春菊、長ネギや椎茸を持って行くと、「ごちゃごちゃ入るのは嫌だ。肉と玉ねぎと豆腐だけでいい」って。次の時に肉と玉ねぎとお豆腐だけ持っていくと「椎茸はないのか」と。
大石 贅沢ねぇ(笑)。
阿川 材料を持ち込んで電磁調理器をセットしていると「せかせか動き回るな」、逆にのんびりしていると「まだ焼けないのか」。「砂糖が足りない、味が薄い、玉ねぎがかたい」と文句は尽きず・・・・。一応「うまいねえ」と喜んではくれるんですが、だいたい文句のほうが多かった。そしたらあるとき「お前、すき焼きというのはね・・・・」と言い始めたんです。「すき焼きというのは、酒、砂糖、醬油を同量入れるのがうまいそうだ」って。
大石 阿川家は関西系のすき焼きなのね。甘いほう。
阿川 そう。「今まで味が今ひとつだと思っていたら、それが守られていなかったせいだとわかった。今日からはそうしてくれ」ってことらしく。どうやら自分が以前にすき焼きについて書いた本を読んで、思いだしたらしい。
大石 イヤだイヤだと言いながら、よくなさったわね。何度も言うけど、よくできた娘だわ。

最後にローストビーフ
阿川 毎週、あれが食べたい、これが食べたいという父の欲求にこたえていたわけですが、亡くなる前日に食べたのはローストビーフでした。
大石 最後までお肉を食べたかったのね。
阿川 ローストビーフといっても、こんな紙みたいに薄いのを一口ずつ、3枚ほどね。それをペロリと平らげたあと、「次はステーキが食いたいな」って言うから「よし、じゃあ、来週はステーキ肉を買ってきて、ここで焼きましょうー」って言って帰ったんですよ。そうしたら翌日、急に容態が悪化して、その夜、息を引き取りました。だから死ぬ直前まで食べる意欲満々だったんですよね。担当のお医者様には「このお年で大変ご立派です。老衰、自然死に近いですよ」と言われました。
大石 94歳・・・・。
阿川 食い意地も、「まずい」って娘に文句言う気分も、最後までしっかりありましたからね。
大石 お父様、お幸せね。皆さまにも、何より娘さんに、こんなに良くしてもらって。本当にお幸せな生涯だったと思う。

後悔しない親の送り方

阿川 父について、もっとこうしてあげたかった、という後悔がないと言えば嘘になる。
大石 身近な人の死を経験したことがある人なら、みんな同じよ、それは。
阿川 確かに、お医者様や看護師さんたちの適正な処置のおかげで、ほとんど苦しむこともなく逝ったのはよかったと思うけれど、本当は自宅で息を引き取りたかったんじゃないかって。「俺はここで死ぬのかね」って、わりと頻繫に呟いてましたから。
大石 「家に帰りたい」とはおっしゃらないのね。
阿川 本心は帰りたいでしょうけれど、父は我儘なわりにはけっこう合理的な面もあったから、自宅での介護が難しいことは理解していたんです。無理だな、しかし、情けないねえって感じでしたね。
大石 介護やお葬式って、ちょっと失礼な言い方かもしれないけど、死んだ人にとってはどうでもいいことで、やっぱり残された人のためにやることなんだと思う。その人の死を納得するために。
阿川 そうですね。やるだけのことをやったと、自分の気持ちの決着をつけるという意味で。
大石 私の父が死んだときも、母と12時間ずつ交代で看病したんだけど、やっぱり「すき焼きが食べたい」「マグロが食べたい」ってわがまま言って大変だった。何だか懐かしい。
阿川 食欲ってやっぱり、生きる意欲の根源なのかもしれませんね。
大石 父が逝ったのは私が35歳のとき。悪性リンパ腫で、発見から即入院。2ヶ月で死んじゃったんです。今から約30年前だから今みたいに終末医療が進んでいなかったと、週末ケアについてホスピスがあるわけでもなく、何が何でも患者を生かす医療だったんですよね。だけど、父はもう手術ができないから、抗がん剤治療しかなかったの。
阿川 選択肢がない時代だったんですよね。
大石 父はずっと、「人工呼吸器につながれてまで生きるのは嫌。意思も表現できなかったようになったら嫌だ」と言っていたの。でも結局、夜中に病院から電話がかかって来て、人工呼吸器を入れるということになったんです。今は家族の許可を得てからが当たり前らしいけど、当時は、駆け付けた時はすでに入れられていて・・・・。いろいろ延命措置をしても、本人は苦しいだけでしよう? 意識不明のまま一週間の命を二週間にのばしても、意味はない。担当医にはそう言ったけど、そういう時代じゃなかった。
阿川 家族の意見は採り入れてもらえなかったんですか?
大石 主治医の判断が絶対な時代でしたね、でもやっぱり、どう死ぬかは重大な問題じゃない? 母と弟に相談したけど、「おねえちゃまに任せる」って逃げてるの。仕方ないから、私が主治医に「よりよき死も、よりよき人生のうちです、意識不明の父の意思も誰も確認することはできないけど、先生より私たち家族の方が、父の想いはわかると思う」と伝えたの。泣きそうになったけれど、努めて冷静に。
阿川 偉いなあ、お姉ちゃまー
大石 だも「それはできない」の一点張り。医師は一分一秒たりとも長く生かすのが使命だと言い張る。納得できなくて、「私たちの判断を無視して、先生が判断するのはおかしい」って激しく反論したの。

家族の延命スイッチを切るとき
阿川 先生はなんて?
大石 実はそのとき、こう言われたらこう言い返そうって、想定問答集を作って挑んだの。絶対ひるまないぞ、って。こんなに予習したのは人生で初めてってくらい準備したら、先生にも私の覚悟が伝わったのか、「わかりました」って、ついには折れてくれたのよ。
阿川 おお―
大石 「ただし、僕が人工呼吸器のスイッチを切る事はできません」と。
阿川 じゃあなたに、「お嬢さん、あなたがしなさい」ってこと?
大石 そうよ。それで、やろうと思ったけれど、なかなかできない。
阿川 そりゃそうでしょう…‥。
大石 エイッて人工呼吸器に手を伸ばすんだけど、やっぱりダメ。それを繰り返す私の姿を見て、さすがに可哀想だとおもったのか、「全ての延命のための装置は取り外します。その方の生命力にも寄るけど、持ったとしても二、三日でしょう。その場合、自分でもう尿も出ない状態になっていますから、パンパンにむくんで遺体が大変痛ましい姿になります。ですから、尿を出す薬の点滴だけはやったほうがいいと思う。それ以外はやめますか。スイッチ切るのは、さすがにあなたも辛そうだから」って言ってくれたの。「お願いします」と言ってから一日半で、スーッと、そのまま逝きました…‥。

闘うことをやめた顔
阿川 最期の瞬間は、側にいらしたんですか?
大石 ええ。その日、某作家の奥様が若い男性と出奔(しゅっぽん)したって大騒ぎで、私もスポーツ新聞を買い込んで、病室でそれを読みながら父の様子を見、また新聞を読んで、父を見て(笑)。
阿川 忙しいな。
大石 誰と誰が浮気して出てっただとかそんな下世話なことを知りたいという思いと、もう積極的な治療を辞めている父の顔を見て涙する自分。人間ってムチャクチャだなって自分で思いながら。そのうち、ピピピッと音がして、父の心臓に異変が起きたんです。先生たちが飛んできて「弟さんお母さんが来るまで持たせますか」って言うから、「そういうことはやめてくれとお願いしたのだから、もう何もしないでください」って言って、そのまんま、あっという間に息を引き取りました。逝く五分前ぐらいかな、ふっと父の顔が穏やかになって…‥。
阿川 ああ、スーッと力が抜けるような‥‥。
大石 それまでずっと戦う人の顔をしていたんだけど、穏やかな表情になった。と思ったら人工呼吸器の音が乱れ始めた。戦う事をやめたのね。最期はいい気分になってあの世へ逝ったんだなあって思いました。
阿川 ふうん。
大石 それまでブーンと回っていた扇風機が、ヒュンと回転をやめて静かになるような感じ。悲しいというよりも、ただただ「ああ、人の命が終わっていくことはこういうことか」と見守る気持ちでした。
阿川 私は仕事があって最期の瞬間には間に合わなかったんです。看取った兄の話によると、痰を吸い取る機械を入れた時に「苦しい・・・・」と言ったのが最期の言葉で、それ以外はほとんど苦しむこともなく、それこそ眠っているかと思ったら、逝っちゃったって感じだったみたいです。
大石 お幸せね。

父は「生きていたい」と思っていた?
阿川 昔から、「好物のうまいメシを食って、今日の夜もクッと死ねたらどんなに楽だろう」と父に聞かされ続けていました。晩年はさらに、「ああ、死にたい。死にたい」ってしょっちゅう。そんな父が、亡くなる一週間くらい前にふと「もうすぐ死ぬ気がする」と言ったんです。その言い方がいつも聞いていた感じと全然違って、動物的な予感、確信みたいに感じたの。
大石 私はね、人間は自分の死を感じることができると思っています。
阿川 そうなんでしょうか。大石さんは、お父様が亡くなったという実感は、いつごろから湧いてきました?
大石 亡くなって半年後くらいかな。それこそ阿川さんじゃないけど、喪失感を感じている暇がないほど、手続きやら葬儀やらでバタバタだったから。でもある日ふと、「私はあの時、何が何でも人工呼吸器のスイッチを切ろうと主治医にたてついたけれど、もしかしたら父はどんな手を使ったとしても生物として生きていたと思っていたのかもしれない」って頭によぎったのよ。気づいたらぽろぽろ泣いてた。あれだけ嫌っていたのに、しばらく経つと父親の死がボディブローのようにジワジワと・・・・。阿川さんはどう?
阿川 それがね、ジワジワがこないんですよ。同じことを大石さん以外にも二人くらいに言われたんだけど、なぜか、まだ。愛情が薄いのかな。最期まで父の前では緊張していましたからね。なんだ60歳超えてまだ父親に緊張するんだ? って自分でも情けなくなるくらい。だからその緊張感がまだ抜けきれない感じ。
大石 30年経つと、もう遠い感じよ。人はよく、死んだ人のことを忘れられないというけれど、やっぱり死んでしまったらみんな忘れると思います。親さえも遠くなる。
阿川 それは、男と女で違いがあるかもよ。だって、未亡人はみんな明るいけれど、奥様に先立たれた男性は引きずると言うでしょ?
大石 確かに。夫が死んで元気になるのは女性だけど、男性はガクッと元気がなくなるもの。
阿川 思うにあれは、「妻を失って寂しい」というよりは・・・・。
大石 不便なのね。
阿川 そう。日常生活が成り立たなくなる。ご飯や洗濯や掃除、現実的な問題において非常に困るってことでしょう。
大石 だから、後を追って自分も死ぬか、すぐに代わりを見つけるか。逆に女性は、旦那の面倒から解放されるから元気かつキレイになるのよね。

死は人生のゴールなのか?

阿川 こんなこと言うのもなんだけど、家族をはじめ、身近な生命体が命を落とす瞬間を見届けるといのは、人間にとって大切な経験だと思うんです。生命はこうして絶えるのだと実感する感覚というのかな。
大石 それと、これに向かって生きていくだという感覚。つまり、人間は死に向かって生きているんだってこと。
阿川 あー、私はその感じは薄いんですけどね。
大石 虚しいかもしれないけど、だからこそやりたいことをやろうという原動力になると、私は思っています。40代半ばで子宮筋腫の手術をしたんだけど、私が入院した日は子供がたくさん生まれた日だったのか、同じと棟の新生児室がいっぱいだったのよ。つるんとしたかわいい顔の赤ちゃんがずらりと並んで、ギャーと泣いたり、スヤスヤ眠ったりしている姿を見たら、涙があふれて来たの。無垢とはこういうことなのか。これから死に向かって生きていくのに、生きていくって大変なのに、と。
阿川 哲学的にすなおに。君たちの苦悩はこれから始まるのだよって?
大石 新生児室にはりついておばあちゃんが一人で泣いているもんだから、きっと孫の顔を見て感動しているんだと思われたんでしょうね。産んだばかりの若いお嫁さんと旦那さんに、「子供も入れて写真撮ってください」って言われたんだけど、「そこに並んでいる子供たちの人生の最後は”死”なのよー」と虚しい思いでシャッターを切ったことを覚えています。
阿川 私は、大石さんのような重い病気になったことがないから無責任かもしれないですが、”死”が最終ゴールだと意識しながら日々を送ってはいないですね。
大石 そうなの?
阿川 昔、女優の渡辺エリさんに聞いたたんですが、彼女は幼い頃から「なんで私を生んだんだ」と親を叩いていたんですって。「必ず死ぬのに」って。
大石 すごくわかる―
阿川 「人間は必ず死ぬのになぜ生きなきゃいけないのか」とか、「生きていることは苦しい、だから赤ん坊は泣くんだ」とか言う人もいるでしょう? でも私は、「生きていることはそんなに苦しいか?」って思ってしまう。もちろん、たまに「あ、この延長線上に死が待っているのかな」と悲観的な気持ちになる事はあるけれど、総じて、人生上がったり下がったりじゃないですか。ひどい目にも遭うけど、ささやかなことで立ち直れるし。それを繰り返しているうちに、「お、私、なんか力ついてきたかも」って密かに喜ぶ事も出来る。
大石 それはそうね。でもゴールは死よ。私はそこから解放されないわ。

シクラメン的人生論
阿川 私が「人生とは死に向かって生きることである」と確信するのは、シクラメンの花をみている時くらいかな。
大石 シクラメン?
阿川 シクラメンって、蕾が出てくるときはものすごくかわいくて小さくて、お肌がピチピチな感じでしょ?
大石 うん、小さくて愛おしい。
阿川 それが一日、二日、四日って経つと、もう「私がヒロインよー」みたいな感じで凛とした姿に育つんですよね。ところがピークを過ぎて数日後には、少しずつ削がれていくの。色が褪せて、茎が傾いて、花はうなだれて。少しずつね。その様子を見ながら、「ああ、シクラメンちゃん、私は今、あなたぐらいの段階?」なんて声をかけるんです。
大石 シクラメンを見て、そんな風に思う人に初めて会ったわ。でも確かに、象徴的かも。
阿川 だんだん自力で立つこともままならず、葉っぱにすがって倒れんばかりの姿になって。そして最後は、隣のイキイキとした若いシクラメンの花の間に埋もれて、シワシワになって枯れていく。その姿の切ないこと― でも、それを見るたびに私、「人生って、こういうものだな。歳を取るというのは、こういうことなんだ」って深く納得するんです。
大石 なるほど。
阿川 シクラメンって文句を言わず、老いていくでしょ。こういうふうに朽ちていきたいんです、私。余計なあがきはやめて、静かに去っていくのが格好いいかなって。この世に生を受けて、最後は朽ちる事に決まっている。私の見本ですよと声をかけながら、ご臨終になったシクラメンの花の根元をひねって、プチンと刈り取るんです。フニヨ、ドロになった茎をプチッと・・・・。
大石 ヌルッとなるー あの茎が。
阿川 それヌルッとさを感じながら、こんなことになっちゃうなら、まだ花が美しいうちにポキッと人生を終えた方が幸せかなって思うこともありますけどね。だからその程度なんです、私が人生や死を意識するのって。死に向かって生きる我々は生きがいを持つべきだとか、何か一つと成して生きていきたいっていう、意欲とか覚悟っていうのが、あんまりなくて‥‥。

「苦しいことのほうが多い」と確信
大石 私だってそんなたいそうな覚悟はないわよ。でも、考え方は渡辺えりさんと同じ。私は母を責めたりはしなかったけど、子供の頃はずっと「なぜ私を産んだんだろう?」「生きるとはなぜこんなに苦しいんだろう」と思っていたから、自分が新しい命を作る気にはとてもならなかったの。もちろん20代でガンになったというのもあるけど。
阿川 大石さんっていつもイキイキ溌剌として見えるのに、意外だな。人生、苦しみのほうが多いんですか?
大石 多いわよ(笑)。でも、生まれた以上は、手応えのある人生を生きたい。だって、生きる事は自分で止められないわけだから。どうせ生きるなら、ひとりでも多くの人に喜んでもらえるようなドラマをたくさん書きたい。人の役に立ったら、手応えがあるし嬉しいじゃない。
阿川 偉いんだなあ‥‥。

悲観的VS.楽観主義

大石 仏教の世界では、人生は修行だって言うんじゃない。全くそうだと思うの。シェイクスピアの「人間がオギャーと泣くのはなぜ、この世に生まれ出たことが悲しいからさ」って台詞も大好きよ。見事な台詞だわ。
阿川 そうですか? 私は「違うだろうが」って思ってる。生まれたての赤ちゃんが泣く理由は、巣に酸素をたくさん取り入れたいだけじゃないの? と思ったりします・・・・、すみません(笑)。だから、大石さんや渡辺えりさんみたいに、生や死を真剣に考えている人に会う度、「立派だな。それに較べて私って、なーんにも考えていないな」と反省します。
大石 何言ってんですか、反省なんかしていないくせに(笑)。
阿川 生きることは、美味しいものを食べた時、人を好きになった時、その相手も自分を好きだと言ってくれた時、「キスした、キスした、キスしたーっ」のときみたいいに、「ああ、幸せだ」と感じる瞬間の繰り返しだと思っている。もちろん、その間に苦しいことや辛いこともたくさんあるんだけどね。 
大石 苦しいことの間に楽しいことがあると思うか、楽しいことの間に苦しいことがあると思うかの違いね。
阿川 昔、中学のときかな。試験の帰り道、「試験が終わった」という開放感の中、ガタンガタンと都電に揺られながらボーッとしていたら、車内にものすごくきれいな光が差し込んできたの。「ああ、なんて幸せな光なんだろう」って泣きそうになった。こんなささやかなことで人間は幸せになるんだなと、中学生ながらしみじみ感じた覚えがあるんです。
大石 なんて感受性が鋭いお嬢さんなんでしょう。
阿川 試験勉強とか徹夜とかで我慢したり辛かったりしたぶん、普段どうでもいいことが幸せに思える。そんなことのくり返しなんじゃないって思ったわけですよ。だから、私は総合的にみて「人生は、楽しいこと、楽しいこと、ときどき苦しくて、また楽しいことがあって、また泣いて、慰められて喜んで、ちょっと落ち込んで、また楽しくなって喜んで」だと思っています。
大石 私の感覚はまったく逆よ。「苦しいこと、苦しいこと、苦しいこと、悲しいこと、ちょっと楽しくなって、また苦しいこと」って感じなの。
阿川 へえ、そうなんだー
大石 似たようなことだけど、かなり違うとも言えるわね。
阿川 同じような事でも、その受け止め方が違うということはないですか? 大石さんって、そんなに「悲観主義」でしたっけ?
大石 これって悲観主義なの? だったら、かなりの悲観主義者よ。
阿川 じゃ、私はかなりの楽観主義者だな。もうすでにお気づきでしょうけれど(笑)。

“長期”悲観主義
大石 たとえば仕事をする時はいつだってすごく苦しい。でも一人で悲観的な顔をしててもまわりが迷惑だろうから、できるだけ元気にする、自分自身をクッと上げるテクニックみたいなものを持っているのよ。だけど、うちに帰ってホッとした瞬間、悲観主義に戻ってしまうの。気持ちも見た目もだらーんってなる。
阿川 枯れたシクラメンみたいに?
大石 そう、まさにグニュって引っこ抜かれる前のシクラメンのような・・・・。「ただいま」って帰った途端に泣いちゃったりするから。
阿川 今でも?
大石 今でもずっと。
阿川 辛くて?
大石 そう、辛すぎて。
阿川 なんたる”長期”悲観主義―
大石 “長期”がついたのは初めてだわ。でも、本当に長期悲観主義。総合的にみて、9割が辛くて苦しいこと、楽しいことが1割って感じ。その割合は、生まれてこの方、ずっと変わったことがないから。
阿川 私、真逆です。もちろん、悲観主義的な面もありますよ。「ああ、なんでこんな仕事引き受けちゃったんだろう。全然書けないし、明日までにこれとこれをやらなきゃいけないのに。もう嫌だ。悲しい、辛いた、苦しい」って悲観する。でも、しばらくしたら「考えてみたら、全体的に私の人生、幸せな方だな」って思って、「よし、まず寝ようか」って布団にもぐりこむ(笑)。だから、短期悲観主義なんです。
大石 私だって、よーく考えたら、全体的に人生は幸せなほうだなんて思っているわよ。思うけど、やっぱり実感としては「生きていることは虚しく、辛い」というほうが大きいの。
阿川 でも、基本的に私は大石さんほど苦労していないからね。
大石 お幸せでいいじゃない。
阿川 すみません。
大石 でも、お幸せでいいと思う一方で、きっと本当のところは大変なんだろうな、って勝手に想像しちゃうの。やっぱり私、重症の長期悲観主義ね(笑)。

どんな最期が理想か?

阿川 大石さんは、どんな最期がいいですか。
大石 そうね。スーッと終わるのが楽だとは思うけれど、3ヶ月とか半年とか最期を自分で選べるんだったら、それなりに心の準備ができてうれしいかも。
阿川 自らの死に備えてきちんと準備したいタイプなんですね。大石さんらしい。
大石 家でパタッ倒れてしまえば楽だと思うけど、病院はお金もかかるし。
阿川 深謀遠慮な人だ。
大石 阿川さんは?
阿川 ひとに聞いておいてナンですか、望んだところで、どうせそうはならないんだからって言うのが本音ですね(笑)。
大石 確かに、そうね。
阿川 そりゃあ、「やだ、おばあちゃん、どうしたの?」って言われた時にはすでに息を引き取ってた、っていうのが、私の一番の理想ですけど。
大石 それ、いちばん理想よ、私も。
阿川 でも、そうはならないでしょ。私は、何かを選択しなきゃいけないとしたら、その選択が目の前に迫ってからやっと重い腰を上げるタイプですから。「うーん、右にする。次? 次は左で」って。その場しのぎといいますか・・・・。まったくもって長期的な展望ができない人間なんです。だって、そのときに誰がそばにいて、誰が生き残っているかなんてわからないもの。状況は刻々と変わっていますからねえ。
大石 私なんて、事務所の社長に「私が死んだら一切公表しないで、葬式もしないでください」って、今から厳しく言ってある。
阿川 そうもいかないでしょ、大石さんなら。
大石 でも一切公表しなかったら、「大石静って、なんかいつの間にかいなくなったな」って感じで終わりよ、人知れずスッと消えたいと思う。
阿川 でも、父の時の教訓じゃないけれど、死んじゃったら、当人は何もわからないわけだから、せめてお葬式は、残された人たちの都合に合わせて好きなようにやって下さいって感じだな。でもあんまり派手にやってほしくないかも。明るくパアッと飲み会にしてくれるならいいけど。
大石 結局、希望があるんじゃない(笑)。
阿川 そうですね。故人はけっこう趣味悪かったねって思われたくないのかしらね。死んじゃったら関係ないのにね。

愛猫・オサムちゃんの死
大石 父の死の瞬間を思い出したら、2006年にこの世を去った愛猫のことも思い出しちゃった、19歳だったの。
阿川 おお、ご長寿だったんですね。
大石 老衰だったんだけど、6キロ近くあったのに最後は2キロくらいになっちゃって。もう手の施しようがないと獣医師さんも言うから、うちでなるたけ一緒に過ごそうと思ってたのね。飛びあがれないし、トイレも行こうとするけど間に合わない。人間と同じように衰えていって、衰えていく自分を寂しく感じるような仕草が切なかった。ところがね、最期の日、パンッと私のベッドに飛びあがってきたの、もう絶対にその高さは飛び上がれなかったのに、ああ、ここで死ぬ気なんだなと思って。
阿川 最後の力を振り絞って・・・。
大石 その日、ちょうど私が脚本を書いた大河ドラマをやっていて、「本能寺の変」の回だったんです。愛猫はオサムって言うんだけど、「オサムちゃん、一緒に本能寺の変を観ようね、今晩」と話しながら、ベッドの上に失禁してもいいようにオムツシーツを敷いて、そこに一日ずーっと一緒に寝ていたの。水もほとんど飲めないし、もちろん食べられない。でも、一緒にその大河ドラマを観る事ができたの。ドラマが終わってしばらくして、意識が朦朧とし始めて、でも時折、私の手をピッと触ったりするわけ。それで、ついに最後、ピピピッと10秒くらい痙攣して、クッと死んだの。
阿川 いやーん。
大石 その日、「怖くないわよ。オサムちゃん、大丈夫、大丈夫、そばにいるから」って、一日中話しかけて・・・・。そしてオサムちゃんは、私の腕の中で死んでいったの。
阿川 最期の瞬間まで大石さんに抱かれて・・・・。
大石 で、しみじみ思ったの、「私が死ぬとき、誰がこんなことにしてくれる?」って。切実にー
阿川 ダーリンがいるじゃない。
大石 夫は私より8歳も年上だから、先に逝くと思うけど。夫ったら、オサムちゃんが死んだとき、寝ているのを起こして、「お父さん、オサムちゃん死んだわよ」って言ったら。オイオイ泣いちゃって。グーグー寝てたのに。
阿川 大石さんは?
大石 私? そのときは涙も出なかった。やるだけやったっていう気持ちでいっぱいで。その瞬間「私が死ぬときは誰もこんな風にはしてくれないに違いない」って確信したのよ。
阿川 完璧に悲観主義だな(笑)。

第5章 占い、下着、美容、ファッション

「男が次々に現れる」と占いに出たら?

阿川 大石さんって、ジンクスとか気にするタイプの?
大石 ラッキーカラーは気になる。今日は全部ピンク。ブラウスもハンカチも傘もバッグも。
阿川 ほんとだ。
大石 実はブラジャーもパンティもょ。ピンクもいろいろあるけど、サーモンピンク。今日のラッキーカラーはサーモンピンクだから。
阿川 ただのピンクじゃないのね。細かいな(笑)。
大石 今日は特別、ラッキーカラーは大事にした方がいいと言われて、しばらくやってたんだけどやめちゃった。その日着たいと思う色もあるし、最近は、あんまり厳密にはやらないわ。テキトー。
阿川 占い、あんまり信じないからなぁ、私。と言って、結婚の日どりは中園さんの占いに従いましたけど。
大石 人ってつい好きな色ばかり着ちゃうじゃない? 私はネイビーが好きだから、つい全身ネイビーばかり選んでしまう。そうすると人の印象って固まってしまうから、もっといろいろなイメージを与えた方がいいという意味があるのかも。ラッキーカラーを気にするようになって以来、今まで着ない色を選んだりするようになった利点はあるな。
阿川 確かにそれはありますな。どうしても着心地のいいものとか好きな服や色に偏ってしまう傾向があるから。
大石 阿川さんはまったく占いを信じないの?
阿川 全然ではないけど。一時期ハマっていたのは、東京新聞の占い。昔、シャンソン歌手の石井好子さんが「東京新聞で何より熱心に読むのは、あの占いなの」とおっしゃって。その言葉が残っていたから、東京新聞を取っていた時期は毎朝最初に占いを見ていました。「大事を望んで小事に目を向けないと事ありき」みたいに、おみくじのような文体なんだけど、なかなか深いんですよ。今はもう新聞を変えちゃったんでチェックしてないんですけど。大石さんは、占いをどこまで信じるんですか?
大石 気にはするけど、最終的に決めるのは自分よ。占いでどんなに悪いと言われようと、自分のやりたいようにやる時はやるもの。
阿川 左右されることはないですか。
大石 「いいよ」って言われると嬉しいし、背中押されているじゃない? 逆に「ダメ」って言われちゃうときはいっちゃうはいっちゃうわ、仕事も男も。ただ、私、縁あって算命学を7,8年学んでいるんだけど、算命学でいう「天中殺」って、結婚や起業みたいに、堅実なものを積み重ねていくようなことには向かない時期だと言われているの。でも、芸能界のような虚ろな仕事をしている人間にとっては、必ずしもダメって訳じゃないのよ。
阿川 虚ろな仕事・・・・。
大石 芸能界なんて、あってもなくてもいいような。そもそも虚ろなものじゃない? そあいう世界では、天中殺みたいに虚ろな時期がよかったりするわけ。朝ドラ『ふたりっ子』のヒットも天中殺の真っ最中だったし、『セカンドバージン』もそう。
阿川 じゃ、『聞く力』がヒットした年は、私、天中殺だったのかしら。
大石 あとで調べてみるわ。

よく当たる占い師
阿川 よく”見える人”っていますよね。それは信じます?
大石 実は40代で、弟の借金2億4000万円を背負ったの。
阿川 に、2億? すごすぎる‥‥。
大石 そのとき友達に「台湾で物凄い占い師がいる。悪いこととやっちゃいけない事だけを言うから、今度あなたが立ち直るために絶対会った方がいい」と言われて、台湾に行ったの。
阿川 どんな占い師だったんですか?
大石 当時80歳くらいの、盲目の台湾人のおじいさん。日本に占領されていた時代に日本語を習っていたから、カタコトの日本語は喋るの。手相を見るんだけど、目が見えないから手をちょっちょっと触るだけ。それでね、なんと私の友達の夫が死ぬ日を当てたのよ。
阿川 マジですか? 偶然じゃなくて?
大石 「何月何日の何時から何時は、絶対に家を空けてはいけない。悪いことが起こるから、何があっても必ず家にいなさい」と言われた友達は、その人に見てもらうのが初めてだったから、いくら当たるといっても半信半疑なわけ。言われた日は随分先だったし、すっかり忘れて遊びに行ったの。で、帰ってきたら、玄関で夫が倒れていて、亡くなったんですって。それが、まさに占い師が「絶対に家を空けるな」と言った日と時間帯で。
阿川 お告げにしたがっておけばよかった。
大石 ほかにも、同じように「家を空けるな」と言われた人がいて、やっぱり忘れてその日時に出かけちゃって、戻ってきたら信じていた人に大金を持ち逃げされたって。とにかく、それくらい当たる占い師だったのよ。
阿川 ちょっと怖いな・・・・。
大石 初めてその人に会ったとき、手を触る前に突然「あなたの夫は肺の病気」って言われたの。それが4月で、ちょうど3月の人間ドックで夫は異常なしだったから、どうなのかなぁと内心疑ったわけ。そしたらその年の11月、夫が突然、肺炎になって入院して、原因が分からなくていろいろ遡って調べてみたら、3月の人間ドックで、肺に見落としていた小さな影があったことがわかったんです。もう、びっくりしちゃって。ほかにも「何月何日の結婚式には出ちゃいけない」って言われたんだけど、ピンポイントでその日に結婚式なんてあるわけないと思っていたら、まさにその日の招待状が届いて。
阿川 欠席したんですか、その結婚式?
大石 行かなかった。
阿川 行ったら、なにが起こったんだろう。
大石 行ったとしたらどうなったか、結果はわからない。

借金完済の日が当たった
阿川 それで、借金問題はどうなったんですか?
大石 「肩代わりした借金は必ず返せる。何年のいついつに完済する」とも言われていて、最後のお金を振り込んだ日が、何とその日でした。
阿川 ひえぇぇぇ。
大石 とにかくあんまりにすごいから、いろいろな人に教えてあげたの。
阿川 うーん。会いたいような、会いたくないような。
大石 でもその方、4,5年前に亡くなってしまったんだけど。
阿川 あらま。残念なような、残念でないような。
大石 先生と最後に会ったとき「あなたの夫の命は間もなく終わるけど嘆くことはない。男は次々と出て来るから」と言われて、思わず「ステキッー」て言っちゃった(笑)。
阿川 もしもし(笑)。
大石 「夫の死を寂しがることはない。次々現れる男とまた結婚してもいいし、しなくてもいい」って。だから、「もう二度と結婚はしたくないし、誰の妻にもなりたくない。自由でいたいから。でも、どんな男が出て来るんですか? それはもう知っている人ですか? 本当にちゃんと次々に出てきますか?」って質問攻めにしたら、黙っちゃった。答えたくない時は黙り込むのよねぇ。それが最後でした。夫はまだ生きているし‥‥。

結局、誰も現れず・・・・・
阿川 その先生は、ご自身の死は占えなかったんですかね?
大石 知っていたかもしれない。「次の予約の日をもう少し早められないか」って連絡があったから。結局間に合わなかったけれど。「先生は自分の未来はわかるんですか」ってしつこく問いただしたことがあったけど、絶対に教えませんでした。
阿川 しかし、自分の未来を知ってしまうのは、どうなんだろうねえ。
大石 面白いのが、その先生、悪いことはピタッと当たるのに、いいことは全然当たらなかったの。何月何日に何億のお金が入って来るとか、「来月の〇日の間に、あなたのことを好きだという男が現れるけれど、その男はあなたに悪い運をもたらすから絶対に誘いに乗るな」とか。ヤダ、そんな男が出てきてもタイプだったら誘いに乗っちゃうかもしれない、でもそれだと先生の言いつけを初めて破る事になっちゃう。どうしようって、ひとりで悶々と悩んでたけど、結局誰も出てこなかった。
阿川 その時期は、誰を見ても「この男か?」っていう目で見ちゃいそう。
大石 そうだった。
阿川 なんだかんだ言って、占い、相当に信じるってことですね(笑)。

習い事は「何かを忘れるために」

阿川 占いのほかにも何か凝ってるものはあるんですか?
大石 凝っているというほどではないけど、スイミングスクールに週に一度、通っています。最初はバタ足しかできなかったのに、2年くらいしたら、クロールや背泳ぎ、平泳ぎにバタフライもできるようになったの、何とか・・・・。
阿川 バタフライまでやっているの? 吉永小百合なみだな。
大石 場所はうちから遠いんだけど、今も続いている。
阿川 エライー 私は定期的にどこかに通って何かを習うってことは、生涯無理だと思っているんです。必ず突発事件が起こって休んで、結局、足が遠のいてしまうから。原稿が書けないとか急なインタビューの仕事が入るとかね。定期的な人生は送れないタチみたい。
大石 でも水の中ってね、視聴率が悪いとか、仕事がなくなったたらどうしようとか、全部忘れられるのよ。普段はどんなに集中していても、不安とか不満とか、頭の片隅にちらついたりするじゃない? それが泳いでいる時だけ何もないの。いい子とも悪いことも全部忘れてます。無になるっていうの?
阿川 別世界に入るって感じ?
大石 そうね。だから、健康のために泳いでいるわけじゃないの。忘れるために泳いでいるの。
阿川 私もここ10年以上、ゴルフにハマっていますが、プレー中は、「来週締め切りの原稿どうしようかな」って考えることはほとんどないかな。とりあえずこの18番ホールはゴルフを楽しもうって決めちゃっていますからね。でも、それだけ好きでもゴルフスクールに定期的に通うっていうのは、出来ないんだな。
大石 阿川さんは習い事とか続かないタイプ?
阿川 子供時代はさておき、続いたためしがない(笑)。加圧トレーニングも頓挫しているし、フラメンコを習ったことがあって、よし、これは楽しいから生涯続けようと思ったけど、数ヶ月で頓挫。エステの回数券もずいぶん無駄にしましたね。予約を入れていても、仕事が切羽詰まってきたら、エステどころじゃないって心待ちになる。心の余裕がないんですかね。
大石 心の余裕はないわよ、私も。
阿川 たとえば、「昨夜徹夜したから今日はスイミング日だけど行きたくない」とか、そうことはないんですか?
大石 それは休んじゃいますよ。
阿川 あ、休むことは休むんだ。休み癖はつきません?
大石 うーん、でもまた、何かを忘れたいから行くって感じかな。

髪は自分でカット
阿川 とうとう私、美容院に行くのも辞めましたからね。
大石 ええっ? じゃその髪、自分でカットしてるの?
阿川 基本的に自分でカットしてます。もう5年くらいになるかな。間に、2回だけパーマかけに行ったけど。普段は自分で頻繫にカットして、白髪も市販のヘアカラーで染められることがわかったし。
大石 カラーリング迄? でも、後ろとか見えないのにどうやって自分で切ってるの?
阿川 ご説明させていただきます(笑)。バスルームの背面台の上に、ちょうどシンクに重なるくらいの大きさの段ボールを乗せまして、その上に切った髪を毛が落ちないようにしておくですね。で、上半身裸、全裸でもいいんですけども、鏡の前にたって、ときどき合わせ鏡にして後ろはチェックしながら、こう・・・・。最初は鼻毛切りで切っていました。
大石 鼻毛切り? あの、ちっちゃいハサミ?
阿川 そう、先が丸くて安全だから。だんだんと熟練してきた今は、ベルリンで買った先の尖ったヘアカット専用のハサミを使っています。ハサミを縦にして、「重いな」「長いな」と思った部分を梳(す)くようにして切って行けば、まあそこそこのかたちになります。
大石 確かに美容師さんは、そうやって縦に梳いてるわね。でもすごく上手― キレイに段が入っている。
阿川 コツはね、顔の回り、額縁にあたるあたりは、あまりいじり過ぎない、切り過ぎない。左右の長さがそろわなくても、たいしたことはないのですよ。失敗したと思ったら、「ま、ぃっか。また髪が伸びた時に修正しよう」くらいな気持ちで。髪は伸びるしね。
大石 月イチくらいで切っているの?
阿川 いや、もっと頻繫かな。むしゃくしゃしたときに。原稿ばっかり書いている時期は、下手すると5日に1回、切ってたりする。「うーん、書けない。髪切ろう」って(笑)。
大石 いいわね。美容院、行きたいときに予約が取れなかったりするから。
阿川 前は美容院でいろいろやってもらってる間に、原稿のゲラを直そうとか、資料の本を読もうとかできたんです。でも老眼になると、メガネかけなきゃいけないでしょ。
大石 そうそう、カラーリングしていたりすると、眼鏡かけられないのよ。
阿川 メガネかけないと雑誌も読めないから何もできなくて。この大事な3時間をどうしてくれよう、と。
大石 わかるわぁ。でも、美容院でゲラ読むと集中できるけどね。
阿川 充実した3時間になるはずが、何もできないのって悔しいじゃないですか。だから自分で髪を切るってのは、経済効果というよりも、労力と時間をロスしない効果がある。それと、憂さ晴らし。ショートカットなら微調整できるし。楽しいよぉ。オススメー
大石 私、3週間に1回くらい美容院に行っているの。ショートカットって、3週間ぐらい経つと扱いにくいなあって感じになるから。
阿川 じゃ、切ってあげようか。
大石 えー! 裸になんなきゃいけないんでしょ?(笑)

いつ”誘われても”も大丈夫な下着選び

阿川 ラッキーカラーの下着を身につけているってことは、それだけ、各色もってなきゃいけないんでしょう? 黒とか、紫とか、それこそド派手なピンクとかも。
大石 紫やグリーン、ピンク、ブルーとか見たことのないような色のブラジャーがいっぱいある。ピンクっていっても、ベビーピンクやサーモンピンク、パッションピンクとかいろいろあるし、ブルーもターコイズや水色、紺色、藍(あい)色とかあります。
阿川 そんなに!? 下着売り場みたいなことになってんのね、大石さんのクローゼット。
大石 微妙な色合いのものはなかなか日本のメーカーになくて、外国のものが多いかな。
阿川 まぁ奥さん、お高いでしょうに。
大石 高い。でも、見かけたときに「この色がない」と思ったら買っちゃう。引っ越しのとき、全部荷造りしてくれるパックを頼んだけど、さすがに下着の引き出しはあんまりにもすごいから、自分でやりました。
阿川 私はベージュと白しか持っていない。
大石 え? それだけ? ピンクも持っていないの?
阿川 買ったこともない。
大石 阿川さんの下着は白とベージュのみ、か。これでエッセイの1本できそうよ。
阿川 あ、思いだした、黒はあった、黒。
大石 黒いセーターとか着た時、透けちゃうものね。
阿川 そうそう、黒いのは持っていないとなにかに不便だし。でも、ゴルフ場でお風呂に行くでしょ? そうすると、プレー中は「ナイスショットー」なんて可愛らしく言ってた、いかにも清楚な人が、脱いだとたんに上下紫の下着だったりすると、「ウォー!」って思いますよね。この人は今日、何を目指してるんだろうと。
大石 私も、スイミングスクールの日のラッキーカラーが紫だったりすると、ちょっと困った。しょうがないからその日は普通に白やベージュにしてたかな。
阿川 あ、一応、更衣室での視線は気にするんですね?
大石 だって、紫の下着ってやっぱりなんか違う哲学が出ちゃうんじゃない?
阿川 いろいろご予定があるのかしら、今夜・・・・とかね。
大石 まあ、ガバッとはその人の方を見ないけど、あれこれ想像しちゃうのは確か。

下着は上下で色を揃える
阿川 恋多き大石さんとしてはやっぱり紫色が多かったり・・・・。
大石 やめて、多くないわよ、ぜんぜん。
阿川 失礼いたしました(笑)。 では、”ときには恋に溺れる”大石さんは、やっぱり勝負下着みたいなのはあるわけですか。
大石 勝負下着はない。だって下着はいつもちゃんとしているもの。
阿川 ちゃんとって?
大石 突然みられても、上下バラバラって事がないように常にセッティングしてる。揃っているとやっぱりきれいよ。気持ちもシャンとするし。
阿川 上がベージュで下が白ってことはないんですか? ひー、私は常に揃っておらんぞ。
大石 だって急に倒れて病院に連れていかれて、着替えなんてさせられたりしたら・・・・。
阿川 確かに途中で倒れたらやばいかな。でも、下着の色や柄が上下そろってないと、男性は「もう幻滅」ってことになるのかしら。
大石 男の人は、実はあんまり見ないと思う、そういうの。
阿川 電気消すしね。
大石 電気はついていていいんだけど(笑)、「おお、色が違う」「あ、パラバラだ」ってことに、そんなにがっかりしないと思うの。
阿川 そうなんですか? そういう現場にいたことがあるんですね?
大石 いたことはないけど、20代のころかな。友達が夜、好きな人に激しく誘われたんだけど、その日のパンツのゴムがピロッ出ていることが気になって、断っちゃったの。ほら、こう折り返した部分にゴムが入っているようなパンツだった時代ね。私は「パンツのゴムが出てたっていいじゃない。かえって可愛いって思うわよ」と言ったけど。だって、そんなにじーっと見ないと思うし、男の人。
阿川 それよりも、カカトがすごいガサガサなときに、夜、男の人に誘われて、アーッてくずれほずれってことになったとして、カカトがガサ、ガサって触れたら「ちょっと幻滅されるかも」って不安だったりしますけどね。でも、そういうときに「そこが君らしくて可愛いね」なんて言われてごらんなさいませ。もう愛はひとしおになるだろうなあ、とも思うね。
大石 女のガサガサのカカトを「愛しいな」って思わないような男じゃ、しょうがないと思うわ。

ブラジャーの洗濯は1週間に1度でいい
阿川 しかし、カカトって冬場はあっという間にガサつかないですか?
大石 ガサつく、夏もガサつく。あらいやだ、今もストッキングが伝線しかかっているー
阿川 え、ストッキング穿いてたんですか?
大石 フフフ。素肌に見えるでしょう。このストッキング優秀なの。どれだけ女優さんに教えてあげたか分からないわ。ランバンのボレーヌって色。
阿川 へえ、本当に素足だと思ってた。
大石 ストッキングが伝線しているほど悲しいことはないので、穿いてる日は必ず、取替え用を持ち歩いてます。後で取り替えてくるわね。
阿川 なんてオンナ度が高いの。エライ。私なんてブラジャーの洗濯もあまりしないのに。
大石 知っている。阿川さんのエッセイで読んだことがある。
阿川 なぜ洗わないかっていうと、私は基本的に、家に帰ったとたんにブラジャーを取るんです。だから、そんなに汚れてないでしょって思っているの。夏は別ですよ。でも‥‥。
大石 わたしもそうよ。冬だったら1週間くらい洗わない。
阿川 でしょ、汗かかないもん。もちろん、夏場はものすごく汗をかいたときは手で洗ったりしています。
大石 洗いすぎると型崩れしちゃうからね、ブラは。
阿川 でも、上下揃えてつけるとなると、ブラとパンティの洗濯の頻度が違ったら困りません? サイクルずれると揃わないじゃない。
大石 だから、ブラ1つにつき、パンティを2つ買っておかないとダメなのよ。それで、昨日つけたブラも、洗濯上がりのブラと同じ引き出しに入れておいて、1週間くらい経ってるなって思ったら洗う。
阿川 ホントに下着御殿ですね。そもそも、ブラジャーとお揃いでのデザインのパンティってことはレースがついていたりするでしょう? 同じ生地だったり、すごくオシャレなデザインだったり。私、あれがダメなんですよ。要するに私、スーパーで売っているような、綿の普通のパンティが好きなんです。ゴムがキッすぎず、ゆったりとした。そうか、私が下着を上下セットで買わない理由が今、わかった。
大石 私もお尻が全部すっぽり包まれるパンティじゃないとイヤだけどね。

Tバックってあり?

阿川 Tバックっていうの穿いたことありますか。
大石 Tバックはダメ。
阿川 冗談じゃないですよね。どうしてあんなものが平気で穿けるのかー
大石 でも、あれしか穿かない人もいるって言うじゃない。タイトスカートとかパンツとか、パンティのラインが出るのが気になるんでしょ。
阿川 夏にゴルフに行ったとき、若くてすごくスタイルがいい女性がいて、汗をかくと明らかにTバックだった分かるんです。お尻に汗をかいているから、歩くたびにピタッ、ピタッって生のお尻とショートスカートがくっつくの。これはおじさん刺激し過ぎだろうって思いながら、思わず見入ってしまって。だっていい形のお尻なんだもん。
大石 お尻に食い込むものがイヤよね。落ち着かない。お腹が出て来るとビキニのパンティも厳しいな。若い時は平気だったけど。
阿川 冷える感じもする。特に更年期になってから、場所によって温度差を激しく感じるし。
大石 足や首の後ろにはポッポとして暑いけど、お腹は冷え冷えというのは私も感じる。やおへそのあたりとか特に。だから寝る時は腹巻をしているの。パンティは穿かないけど。
阿川 はっ? ノーパン腹巻きスタイル? スースーしない?
大石 スースーしてないと逆にイヤ。家に帰ったらブラジャーと一緒にパンティも脱いじゃうから。家にいる時は下着無しスタイルよ。
阿川 そういえば一時期、スッポンポンで寝た方が風邪をひかないって聞いて試したけど、落ち着かないし、却って風邪ひきそうな気がして、即辞めました。
大石 私は基本、裸の上にネグリジェをペロって1枚着て寝る。それと腹巻き。
阿川 へえー。私なんて、たとえばコトを終えた後とか、なるべく早く着たいけどね。
大石 裸で戯(じゃ)れたりしないんですか。
阿川 そういうこともあったかな。うーん、忘れた(笑)。
大石 家で仕事をする時は、素っ裸の上に何かペロンと1枚着ています。
阿川 アッパッパ―みたいな、ネグリジェみたいな、部屋着ってことですか?
大石 そう。でもね、向田邦子さんは、打ち合わせとか人と会う時が勝負どきではなく、ひとりでデスクに座って原稿を書いている時こそが勝負どきだから、一番いい服を着て書いていたんですって。
阿川 家で、一番高価な服を?
大石 高価というか、オシャレして書くのよ。「私が一番素敵にみえるもの」を着て。
阿川 やだ、落ち着かないよ。
大石 凄いでしょう? 私も50代の初めくらいまでは、素っ裸の上にシルクのネグリジェみたいな服を着て書くのが自分にいいと思ったの。でも最近は、向田さん風に「これが私に一番似合う」と思えるのをあえて着て、さらにヘミングウェイのように立って脚本を書いてます。
阿川 え、立って書いているんですか? なんで? 疲れない?
大石 立って書いている方が案外集中できるし、眠くならないわよ。この前、電動で高さが上下するデスク買ったの。高かったけど。

立って仕事をする
阿川 全体的に睡眠不足なんですよ、大石さんは。
大石 でも、立って書くほうが断然、仕事の進みも早いのよ。特に物語をゼロからつくるときや、一番最初のセリフを出すときは立ってるほうがいいと思う。腰もラクだし、姿勢もよくなる。おすすめよ。
阿川 私がやったら、立っているって気づいてもらえなかったりして(笑)。
大石 ちなみに、立って仕事をするときは、血栓予防の靴下を穿いています。
阿川 脚に圧力をかけてむくみを取る、タイツみたいな靴下ですか。
大石 そう。飛行機や新幹線でも必ず穿くんだけど、すごく肌触りが悪くない? 長時間穿くものだから、もうちょっと穿き心地のよいものを考えてほしいな。
阿川 確かに厚手でザラザラしてますよね。ランバンに開発を頼みましょうか(笑)。

失敗しない服装計画
大石 これ、女性にはよくあることだと思うけど、出かける直前になって、洋服のコーディネートに迷いが出て、ものすごく混乱するときってない? 私、たまにあるんだけど、うちの夫が「何時間やっての、ファッションショー?」って呆れてる。
阿川 大石もあるの? あー、よかった。大石さんは、下着は上下きちんと揃えているし、ストッキングの取り換え用も必ず持ち歩いているし、身だしなみに落ち度がないようにお見受けしてたから。大体、オンナって、服装計画を間違えたときと髪のセットがうまくいかないときが、不機嫌になる理由の第3位、4位ぐらいに入りそうな気がします。
大石 不幸な気持ちになるわね。服に関しては、延々と決まらないときもあるし、パッパッと決まるときもあるし、選ぶ時間すらないときもある。
阿川 前の日からこれ着ていこと決めて用意しておいて、当日それを着てお化粧もして、さて靴を履こうと思ったら、その服装に合うヒールが高い靴だと気づき、でも今日は腰が痛いからローヒールの靴しか履けない。じゃあこの服に合わないってことになって、一から着替えたり・着替えたら着替えたで、アシスタントに「うーん」なんて首をかしげられたりすると、また全取り替えしたりして。
大石 出かける直前に「その服はどうかな」なんて夫が言った日にゃ「じゃここで脱ぐーもう二度と着ないー」と険悪になったり。阿川さんの旦那さんはどう?
阿川 先日、チェックのパンツで出かけようしたら「草刈りでも行くのかい? レストランに行くんだけども」って言われました。
大石 なぜ世の夫は出かける直前に言うのかしら。でもね、前の晩に決めた服は、朝、気分が変わっちゃうから大体ダメよ。
阿川 えっ、私、前の晩にコーディネートして掛けおくことが多いんですけど。朝、慌てないようにと思って。
大石 私もそうするけど、次の朝に気分が違うときが半分以上だな。
阿川 私は絶対にスタイリストにはなれないって思う。服とアクセサリーと靴のことを総合的に考える頭がないー 面倒だから昨日と同じ服ってことも結構あるし。会う人も違うし、仕事も違うからいいやって。気に入ると暫く同じ服を着るから、「週刊文春」の対談で2週連続同じ服だったこともありました。
大石 私もそうよ。昔、ネットに書かれたことがあるの。ちょっと前までフジテレビで番組審議委員をやっていたんだけど、あんまりカチッとした洋服を持っていないて。まあいいかって同じ服着ていったら「大石静は三ヶ月も同じ服着ている」って。早朝の放送なのに、よく見ているなって。
阿川 ほんと、よく見ていますよねぇ。『聞く力』でも書いたけど、美輪明宏さんとの対談のとき、私は黒いジャケットに黒いパンツ、中に白いTシャツを着ていたんですね。暑かったからジャケットを脱いでインタビューしてたら「まあ、あなたったら、昔の体操の教師じゃあるまいし、もう少し着る物を考えたらどうなの?」って呆れられたことがあって。
大石 体操の教師(笑)。

服にも裏方の美学
阿川 要するに昔は、インタビュアーってものは自分が目立ってはいけない黒子的な存在だから。モノトーン系のパンツスーツばかり着てたんですよ。そのほうが選ばなくていいから楽だっていうのがあって。でも、40歳を過ぎたころ、スタイリストさんに「こういうものも阿川さんに似合いますよ」って言われて、思ってもいなかったようなスタイルの洋服にチャレンジするようになったら、楽しくなっちゃって。今はわりに、対談の相手がどういう格好をしてくるか、どういうキャラなのかを一応考えつつも、黒子的な服から脱却しました。
大石 テレビ番組の『サワコの朝』のお洋服は毎回ステキよ。色もきれい。特に華やかな色が似合っている。だからってゲストを凌駕(りょうが)するような派手さという感じは全然なくて。
阿川 それもそのスタイリストさんが担当なんです。面白い格好をさせるんですよ。
大石 脚本家って、裏方じゃない? 私もドラマの制作発表とかで記者会見に出なきゃいけないときは、絶対役者さんより派手にならないようにしてます。自分で言うのも何だけど、裏方の美学っていうのかな。
阿川 今日、話していてつくづく思ったけど、大石さんって、ほんとにいろんなことに敏感で、好奇心が旺盛ですよね。実践力もあるし。それに較べて私は、ちょこまかと動きは激しいわりに、あるがままと言いますか、なんと鈍感に生きていることかと反省しきりです。
大石 そんなことはないわよ。髪の毛を自分で切っている方が凄いわよ。しかも裸で。感動した―

つづく 第6章 「更年期」とのつきあい方
更年期は始まりも終わりもややこしい