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Ⅲ 愛からの生き甲斐

本表紙

仕事と愛に生きるとき

“女が本気で仕事をやり抜いていくとき、そこに生きる苦しみと愛の懊悩(おうのう)が生じる。だが、それを乗り越えてこそ、本当の生きる喜びが生じるものだと思う”

〆女が働くことへの白眼視

 女が仕事を持つ場合、まだ今の社会では、男より女にはるかに肉体的、精神的な負担が多くかかって来る。何時だったか女流文学者の例会で、珍しく出席率がよくて、平林たい子、佐多稲子さん、円地文子さん、今は亡き壷井栄さん、森田たまえさんをはじめ、十数人の女流作家が集まったことがあった。

 その日たまたま、話が岡本かの子のことから林芙美子の思い出話にうつり、彼女たちの生前の奇妙な癖や、生活が話題になった。
 その結果、私たちが等しく感じたことは、男の作家は見廻すと、過去にも現在の人でもなかなかすばらしい妻を持っていて、家のことを任せっきりなら、子供の教育もまかせっきり、その上、秘書役から会計役、中にはマネージャー役までやっている妻がいる。それで男の作家は、小説に専念する以外は何も気を遣うこともなく、また妻の愛情に甘えて、家の外に気分転換と称して、恋人の一人や二人持つことが多い。仕事が仕事だから、一週間に二回は妻以外の女二人と浮気しない事には神経がはりつめ、疲れすぎて、いい仕事が出来ないという流行作家もある。

 ところが、女の作家の場合をふりかえると、日本だけを例にとっても、名をなした女流作家のほとんどは、結婚に失敗しているか、あるいははじめから結婚しないか、結婚していても、本当に夫婦らしい夫婦でないということが多いのである。もし、女流作家が、仕事で気詰まりだかといって、夫以外の男と、浮気でもしようものなら、どういうことになるだろう。

 たちまちその女流作家は週刊誌にスキャンダルをすっぱぬかれ、世間の指弾を浴びることになる。男女同権をいくら女が叫んでみたところで、まだセックスにおいては、女は男同様には解放されていないし、世間の強い監視を免れることは出来ない。

「私たちの時代は、女が二階に書斎を持っているというだけで、あそこの女房は亭主の頭の上で仕事をしているという悪口を言われたものでしたよ」
「そうそう、うちなんて、子供が学校から泣いて帰るので、どうしたのかと聞くと、お前んとこじゃ、かあちゃんの方がとちゃんより稼ぎいいんだってなって、友だちに虐められたって言うんです。大人がそう言っているのを子供が聞いたんでしょう。女が働くということは、もうそれだけで白眼視されていましたね」
「あたしたちだって、亭主が外に出る時は洋服を着せかけたり、靴を揃えたりしましたよ。それから亭主の友達がくればお茶なんか出して、お辞儀だってしましたよ」

 みんながそこでどっと笑ってしまった、要するに、そういう話をする先輩作家のほとんどが、離婚し、傷ついている。

 仕事との板ばさみ

 たまたま、話が岡本かの子と林芙美子の話になっていったのも、二人が女としては思う存分の仕事をし、そのかげには岡本一平、林緑敏という、稀有な良き夫の内助の功を受けていたからであった。

 岡本かの子は、夫との間に十年ちかい歳月、性ぬきの夫婦生活をし、その間、恋人を夫に公認させ、三人まで家庭にひきいれ、夫や子供と共に同居させていたという常識では信じられない生活をまっとうした。

 そう聞いただけでは、不潔で不倫な感じを受けるが、事実は、夫一平の超常識的な広い愛に理解され、かの子は天性の感受性を何ひとつ、損なうことなく、堕天女のような天真爛漫さで、この異様な生活を純粋に生きる事が出来たのである。かの子と一平の間に生まれた岡本太郎氏は、こういう母親をふりかえって、
「世間では、そういうかの子を化け物扱いするし、何か不気味な怪物のようにいうけれど、彼等の関係は全然、不潔な感じではなかった。かの子は全く無邪気に一平の超常識的な広い愛を信じていたし、その愛の中に収まって、恋人をひっくるめて一平に愛されて安心しきっていた。当時のわが家に、陰惨なものは何ひとつなく、実に、無邪気そういう関係が保たれていて、一種の調和があった。明るいまことにのびのびとした雰囲気だった」

 と語っている。そういう母の振舞を見て、思春期にあった一人息子としては、最もショックを受ける立場の太郎氏がこういう言を出せるのだから、かの子と一平の夫婦関係というのは、稀有ということばでしか表現できないだろう。

 林芙美子の夫の緑敏氏の言によれば、芙美子は緑敏氏と結婚してからも、
「相当浮気はしていたようですよ。私は取り立て聞かなかったし、向こうもその時は言わないけれど、やはり何となく感じますし、後になって色々と辻褄の合わないことが出て来て、結局バレてしまうという形でした」
 と語っている。

 一平の場合も、緑敏氏の場合も、その態度は丁度、男の作家の妻がとっているような気構えである。一平のように恋人の同居を許すというのは、作家の妻だって、めったなことでは実行し得ないけれど、男が作家の時は全く例のないことでもない。

 そういうことを話し合った後で、私は芸術座にかかわっている私の『かの子繚乱(りゅうらん)』を観て一層感慨が深かった。

 芸術家というものは、生まれながら躯(からだ)にも魂にも悪魔(デーモン)を同居させている。その悪魔の魔力を参加させない限り、芸術の花が開かないとすれば、一緒に住む者は、一種の生贄(いけにえ)になるだけで、たまったものではない。

 小説を書く女にとっては(私にとっては言い直すべきかもしれないが)何より先ず、「小説」という絶対無二の夫であって、その夫の命令は至上命令で、どんな犠牲を払っても服従する。その余力でもって、生身の男と結婚したところで、その現実なり恋人なりは、第二主義的存在になるし、ひらたくいえば男妾のようなものである。それでいて、その現実の夫や恋人から全幅の愛を得ようとするのがもともと無理だし、虫のいい話なのだと思えて来た。

 私の親友の女流作家は締め切りになると、上ずってしまって、最後の酒好きの夫のために、お酒のつもりで間違えてお酢をおかんして、夫をしょげさせたという逸話を持っている。芸術家ではなくても、女が本気で仕事を持つ場合、仕事と愛との板挟みになって悩まなければならないことは、この社会制度の下ではまだまだ長くつづくことではないかと思う。

女そのものの正体

“女の毒にあてられた傷は癒される。けれども女の純情に殺された男の生命は、もはやよみがえらない”

〆男食いの性の女

 約十一億円の不正融資で世間の耳目をそばだたせた千葉銀行のヒロイン坂内ミノブさん(53)が東京高裁で開かれた告訴審公判で「無罪」の判決を受けた。東京地裁の一審では懲役三年の刑の判決を受けた事件である。
 
 伊皿子(いさらご)御殿の女王と呼ばれるほど、庶民の生活とは縁遠い豪華な生活を送っていたこの辣腕の女実業家の事件は、千葉銀行の元頭取古荘氏との特別な関係も想像されて、他人事と思って野次馬根性でみれば、とにかくドラマチックで、規模が大きくて、下手なテレビドラマなど見る以上にスリルとサスペンスに富んでいた。

 事件当時、彼女の有罪を殆ど信じ込んでいた私などは、女が男をこれほど騙せるものかと痛快がったり、騙した女の頼もしさより、騙された男の阿保さかげんがつくづくおかしく、千葉銀行に預金など一円も無かった関係から、闇から闇へ動いた十一億円に対する公憤というものに心が辿り着くまでには時間がかかった。と、いうより十一億円はおろか、一億という金さえ、私たち庶民の生活とはあまりに縁遠く天文学的数字に思えて、実感が湧いて来ないと言うのがホンネであった。

 ところが、東京高裁の判決では、尾後貫裁判長が「銀行業務にシロウトの被告には責任がない。また借入金と同額の担保がはいっている」というので無罪を言い渡したという。その判決理由によれば、千葉銀行が融資したことに責任があり、従って古荘元頭取(一審で懲役三年、執行猶予三年の刑が確定)に特別背任罪が成立しても、彼女に共謀の意思がない場合には責任がないという。

 また彼女のもう一つの容疑である「公正証書不実記載、同行使」(融資のために不正な公正証書を作り使用した)に対しても、古荘頭取の指図通りにしたことで、彼女にはどんな罪になるかという認識さえなかったと、全ては古荘氏の単独犯行と断定された(古荘氏はさる二十五年から坂内さんの経営するレストラン”レインボー”の不渡手形買戻し資金として四億四千万の融資をしたのを始め、回収の見込みのないのに総額十一億円を融資した)。

 もしこれが額面通り受け取るなら、日本の実業家などというのは、何とチョロイものだろうかと啞然とせざるを得ない。女社長などは、何も知らなくて慣れそうである。銀行側のいうままに証書ら盲判をおして、金を借りられるなら、誰だって、銀行に押しかけていくだろう。これだけ世間を騒がせた不正事件が、頭取側だけの一方的罪でおさまり、女社長の方はすっきり無罪なったということが、真実なら、この女社長は、稀代の悪女か、稀代の天真爛漫な善女かのいずれかだろう。

 古荘氏という初老の紳士がこの女社長に巡り会わなかったならば、こんな大事件は起こらなかったのだ。罪の決まった古荘氏は自業自得という感じにしても、古荘氏の家族の人々の悲痛な立場を思いやると、何だかかわりきれない気がしてならない。銀行業務にそれほどまでシロウトで、銀行から十一億円も金を引き出す能力があるという坂内ミノブという女史の正体について考え込まされてしまう。

 聞くところによれば彼女の事件当時の家は「伊皿子(いさらご)御殿」と呼ばれる千五百坪の大邸宅で女中三人、自家用車三台、家族の生活費は一か月百二十万円とか――。

 まったく、お伽噺の国の女王様のような生活ぶりである。そういう生活ができる神経と体力はやはり常凡の女性ではないだろう。
 この事件は要するに一人の女が一人の男を徹底的に喰い、その社会的生命を殺してしまったという事だ。
 世に男喰いの性の女というのがある。何人男を変えても、男が死ぬとか、没落するとかで、終りを完うせず、女だけが残るという運命を繰り返す女たちのことをいう。
 坂内ミノブさんもたしか、結婚の経験者で、もうかつての夫だった人とは別れていたように覚えている。

 恋の熱量が仕事の支え

 女王蜂のように、雄はすべて自分に奉仕する存在と心得る女が、歴史上にもないことはない。女が世間を渡っていく上に、男を利用し、踏み台にすることくらい近道で安易な方法もないだろう。その上、天性女は、男を釣り上げる肉体という便利な万能な餌を持っている。どんなにしとやかぶった女の中にも、心の底を覗けば男に奉仕させる自分を夢みているし、その自覚がたとい眠っていても、何かの機会に、突然目覚めるという可能性を十二分に隠している。

 娘時代は、まったくおとなしい一方だったが、結婚していつのまにかすっかりしっかり者になり、夫を完全にお尻に敷いているという例も世間にはざらにある。
 たとえばクレオパトラなどは、あらゆる権謀術策を用いて、敵将を次々にじぶんの肉体の魅力の虜にし、国を守ろうとした。
 
 大衆小説のドラマのヒロインには、近頃よく出てくるタイプの女である。ところが男にとって、本当に怖い男喰いの女というのは、こういう女たちではないようだ。自分の美、自分の魅力を十二分に知って、それを武器にする女の行為にはすべて打算がつきまとっている。

 打算は、収益の採算さえあれば目的は達しられるのだから、最後のところは互いにドライに割り切りあうことができる。つまりことがバレた時は、「ああ、あれは見せかけの愛だったのか」と可愛さあまって憎さが百倍、百年の恋も一瞬に醒め果てるというものだ。女の方もバレてしまえばふてくされて、堂々と居直ってしまう。騙される方が馬鹿なのであって、男はせめてもの面子を保つために、あんまり見苦しい別れ際は見せまいとする。結局、女のだまし得、利用し得ということで終わってしまう。

 ところがもうひとつ、始末の悪い「男喰いの性」の女がある。
 たとえば山田五十鈴さんの例をとってみても、彼女のこれまで世間に広まっただけでも、指折り数えねばならないほど、堂々恋愛遍歴をしてきた。

 新しい恋人を得るたび、彼女はそれまでの地位も財産も実に惜しげもなくすっぱすっぱとふり捨てて、新しい恋人の胸に飛び込んでいる。私たちの目や耳に伝わる彼女の新しい恋は、いつでも何だか、それまでの恋より社会的には惨めになるような感じのするものばかりである。少し、利口な考え深い女ならば、秤にかけてみて決して取らないだろうと思う方に彼女は猛然と突進していく。

 彼女のそういう時の行動ほど、恋は思案の外という言葉を如実に感じさせてくれるものはない。そこにはおよそ打算や駆け引きのかけらもない。燃えずにおさまらない女の愚かしい、けれども純粋な、恋の炎だけしかない。

 そうした相手に選ばれた男性は、果たして幸福だろうか。いつでも私たちの目に映るのは、新しい恋を得ていっそう照り輝く、女優山田五十鈴であり、男の影は、彼女の恋人という名前になり、人格が半減してしまう、いつのまにか影を薄め、彼女が次の恋を得ると、ほっと蘇ったり、ぐったりついえてしまったりする。蘇っても、もはや、彼女の恋心をかきたてた時のような、張りも魅力もなくなっている。要するに、美味しいところは、彼女の人一倍盛んな生命力に吸い尽くされ、干からびてしまっているのだ。

 同じような例がリズ・テーラーの上にもいえる。世間は、彼女たちを、責めることが出来るだろうか。二人とも一日として、恋がなくては生きられないような女であるようだ。
 あれだけの仕事をし、なおかつ、恋が欲しいなど、よくよくエネルギッシュなのだと想像するのは、読みが浅いのであって、あのエネルギッシュな仕事への情熱も、また恋の熱量によって支えられているのである。

 よく、男は、恋愛中はそわそわして、仕事が手につかないなどという人もあるが、女、ことに、彼女たちのような男喰いの女は、男という餌を嚙み砕いている恋愛中こそ、いきいきと活力に満ち、生きる張りと希望に燃えているのだ。
 山田五十鈴やリズ・テーラーを、浮気女、多情女と呼ぶのは簡単だ。けれども、誰も彼女たちの恋に打算がないのを認めないわけにはいかない。

 それは突然、彼女たちの上にふりかかり、彼女たちがその日の朝まで夢想さえしなかった恋の中へ叩き込んでしまうからである。
 打算がないからようやくそこに救いが生じる。彼女たちはそういう意味ではまったく一人の「可愛い女」にすぎないのである。

 男が捨てておかない女

 可愛い女ということばが、これほど普遍化されたその源は、いうまでもなく、チューホフの小説『可愛い女』にあった。
 オーレンカという気立てのやさしい、物静かで善良で、ぽってりとしたばら色の頬と黒いほくろのある白い柔らかな首筋をもった娘は、しょっちゅう誰かしら好きで堪らない人がいなくては生きられない。最初の夫は遊園地の経営主、次の夫は材木商、二人とも夢中で愛するオーレンカを残し、おもわぬ病気であっさり死んでしまった。三番目の男は結婚しなかったけれど獣医だった。オーレンカは、どの男の時も、全身全霊をあげて相手を愛し抜く。素直で無色透明な硝子ばりのような心の持ち主のオーレンカにとっては、いつでも愛する男が全宇宙であり、じぶんの生命であり、男の意見がそっくりそのままじぶんの意見であった。

 最初の夫の時は、芝居小屋にかける出しものや見物のことしか語らず、二度目の夫の時にまで材木にうなされるという傾倒ぶりで、三度目の情夫の時には誰彼のみさかいもなく牛や羊のペストの話ばかりしかけていた。最後は情夫の息子の小学生に母性愛をかきたてられ、子供の教科書を読む声がそのまま彼女の意見になった。

 誰もオーレンカのような女をふしだらで無貞操な女とは思わず、「可愛い女」といわずにはいられない。

 こういう女のひとつの典型をチューホフは見事に書き残した。男から見れば、可愛くて仕方ない、かばってやらずにはいられない、頼りない、いじらしい女の姿――男にとっては永遠に理想の女が、こういう質の女なのは、誰でも認めないわけにはいかない。

 そして気がついて見回せば、世界中どこにでも、なんとこういう女がたくさんいることだろう。女が生活能力をつけることを阻まれていた日本では、特にこういう女が最大公約数を占めていたのではないだろうか。

 ところで、オーレンカの夫は次々と死んでいる。三人目の男は、遠い地へ転任するという形でオーレンカのもとを逃げたばかりに永らえたけれど、やがて帰ってきた時は、もう昔の颯爽(さっそう)とした姿も魅力も失っていた。無邪気な女の、無意識にふりまく生命力の強さほど怖いものはない。

 女の生涯に、男を何人か変えなければならないということは、もうそれだけで、女が女としての平穏な生活の軌道からはみ出したことであり、厳密にいえばアウトロウの側に落ちたことになる。

 誰も女は最初から、生涯に何人もの男の肌を知ろうとは思わないであろうし、幸福で平坦な道を求めている筈である。にもかかわらず、何人かの男を遍歴しなければならない女たちをみると、そこに一つの共通点を見出すことが出来る。

 惚れっぽいこと。信じやすいこと。淋しがりやであること。忘れっぽいこと。純情であること。情熱家であること。エネルギッシュであること。打算がないこと‥‥‥。

 こうして上げてみれば、男がこういう女を捨てておけないのは当然である。彼女たちは知らず知らず、男を引き寄せる甘い匂いをたて、花粉を待ち受けて、年中しっとりと濡れそぼっている。
 男にとってこんな可愛いペットがまたとあるだろうか。
「馬鹿だけど可愛い」と男はよく、こういう種類の女たちを批評する時に使う。そういう時、男は女の中に「女そのもの」の正体をみたように思う。優越感と保護意識が彼を幸福にする。

 男にとって本当に怖い女

 生活能力があろうが、特殊技能を持っていようが、こういう性(たち)の女の中には、永遠に育ち切らない童女性が棲んでいて、いつまでも定まらない危なっかしい足元でよちよち走りつづけている。
 それをみつけ、危ないと思ったが最後、男の負けである。

 赤ん坊があの小さな指でもぞもぞ手探り、しっかり相手の肌に全身でしがみついた時、誰がその手を振りほどき、突き飛ばすことができようか。可愛い女の永遠の童女性にとらわれた男たちが、しだいに生命を吸い取られ、やせ細るまで、女の為につくさずにはいられなくなるのはやはり宿命というよりほかはない。

 無邪気の罪ほど慄然(りつぜん)と恐ろしいものはない。子供が爆薬に火をつけたり、井戸に毒を投げ込こんだりするのと同じような怖ろしさが、可愛い女の純情な恋の中には潜んでいることを見逃せない。

 本当に男にとって恐ろしい女は、権謀術策の男たらしでも、打算と欲の固まりの女王蜂でもなく、一見純情可憐、捨身の情熱と、無償の愛を捧げて、盲目的にしがみついてくれると見える「可愛い女」なのである。
 女の毒にあてられた男の傷は、女が癒してやることはできる。
 けれども、女の純情で殺された男の生命は、もはや女が蘇がえさせることはできない。一応蘇ったかに見えていても、彼の心はすでに死灰に満たされていて、平和の影をなぞっているに過ぎない。

 今夜、私はたまたま二人の美しい女優さんに逢った。
 岸田今日子さんであり、嵯峨美智子さんであった。
 岸田さんは、自分は何も家のことは何ひとつできない。ご主人の中谷昇さんは、そういう岸田さんをはじめから愛していて、何でもしてくれたがって何もさせないと、幸福そうにいった。いかにも嫋嫋(じょうじょう)として可憐で、あどけなく、見るからに男たるものは、思わずその細腰を支えてやらねばならないような気分に誘い込まれる魅力にみちていた。
彼女の言っている言葉は、まったく、無邪気な可愛い女オーレンカのおのろけを聞いているようであった。そのあと逢った嵯峨美智子さんは、岸田さん以上にさらに嫋嫋とした女性で、けしの花のようなもろい妖しい魅力にふるえていた。彼女は、これは内緒だけれども、声をひそめ私の耳に囁いた。

「愛なんて、信じられないわ・・・・・。ある人があたしのために死んだとき、本当のところ、悲しみなんかなく、勝利感だけ残ったの」
 私は、二人の美女の話にどちらも公平に深く頷いていた。
 ひとりになった時、不思議なことに、私には、男が居なくてもやっていける新しいタイプの女を感じ、嵯峨美智子さんこそ、あの可憐な唇をもれた不敵な囁きがまだ耳に残っているのに、世にもいとしい「可愛い女」オーレンカの生まれ変わりのような気がしてきたのである。私の霧の深い夜、もしかしたら、二人のいたずらな妖精に夢をみせられたのだろうか。

人間の愛欲の本能

“結婚とは、自信のなさを神に誓い、大勢の証人を立て大袈裟にお金を使い、自分たちの愛の不変をデモンストレーションいるものだ”

〆情事を愉しむ誘惑

 世の中というものは、男と女の愛だ、情事だというようなことだけで動いているものではない。
 もっと大きな社会的問題、たとえば世界戦争、宇宙管理、人種問題、思想問題、宗教etc‥‥など、考え、懼(おそ)れ、憧れがなければならない大切で切実な問題にぎっしり取り囲まれている。それらの事柄に比べたら、男と女の間のいざこざなんか。まったく取るに足らないミミッチイ問題に過ぎない。

 そのくせ、人間は劫初(ごうしょ)以来、一向に変わらない一つの原型となった姿勢で、一対の男と女の愛を確かめ合わずにはいられないもののようだ。

 ソ連に行った時、あの国で、男女の三角関係の小説が熱心に読まれ、大真面目で議論されているのをみて、一種の驚きにうたれた。けれども考えてみれば驚くほうがおかしいので、どういうふうに社会制度が変わろうが、文明が進歩しようが、人間の「心」という問題にしてぼったら、何千年も変わらないできたことが、そう一挙に変わるはずもないのであった。

 離婚とか近親相姦とか、女系家族とか、一夫一妻制とか、その時々の人間の都合によって、男女の間の性とか道徳とか、約束事は変わってくるものだけれど、愛する相手を独占したいという、人間の愛欲の本能は、ずっと一筋の道を貫いてきている。変わりやすく移ろいやすい「愛」だということを、人間は本能的に知っているからこそ、さまざまな約束ごとで互いの愛を縛り、つなぎとめようと努力する。

 結婚という契約がそれで、人間は自分たちの愛の自信のなさに本能的に脅えていて、神に誓ったり、大勢の人を証人にたてたり、二度と繰り返すのはこりごりだと想うほど、大袈裟にお金を使って盛大な披露宴をはり、自分にも相手にも世間にも、自分たちの愛の不変をデモンストレーションしてかかる。

 それにもかかわらず、「妻の座」というものは、一向に強固にならず、年々歳々、わが国などでは離婚は増大しているし、妻子ある夫が、突然、別の愛人に走り、世間を驚かす事件は後を絶たない。

 結婚しないで、妻子ある男と愛で結ばれ、いわゆる「愛人」の地位に甘んじ、三角関係をつづけている女がずいぶん増えてきた。

 それは、登録された「妻」のように、正確に数字を挙げる事は出来ないけれども、実際は世間や妻たちが想像している以上に、その数は多いのではなかろうか。

 男が妾を持つということは、今でも関西の一部では、男の甲斐性の一つのように考えているところさえある。封建時代の名残りで、働きのある男が、妻子に生活上で経済的不便を与えない限り、二号を置こうが、三号、四号を持とうが、仕方ないという見方がつづいてきたのである。

 ところが、現代の「愛人」たちは、男から経済的負担を仰がないで、自分の能力で、自分の生活をまかない、愛の場においてだけ、男を必要とする女が多い。
 妻にとって、こんな始末の悪い相手はないのである。
 事の始まりは、どういう事情だったにせよ、女が他人の夫と、愛人関係を継続しようと決意した場合は、それがたとい世間に知られようが、隠されていようが、彼女自身は、その瞬間から、いわゆる世間の陽の当たる大道からそれて、アウトロウになることを選んだのであるから、怖いものなしになってしまう。

 世間の評判、非難を気にしていては取れない行動をとる女は、優しい顔していても、芯はきつくて、情熱的なのであり、自我が強く、決断力と行動力をもっている。もちろん、心は感受性が強く、肉体的も敏感
であろう。こういう女が男にとって恋愛の対象としては絶好なのはいうまでもない。

 男と伍して、生活能力があるということは、どういう種類のものにせよ、一応彼女がある種の独自の才能に恵まれていることの証明にもなる。

 世の中と闘っているために、常に刺激を受け心身とも彼女たちは実際の年よりは若々しい。自分を実質以上に美しく魅力的に見せることも、自然に覚え込んでいる。こいう女と特定の関係を結び、退屈する男はまずいないだろう。

 ましてその男が、もうすでに何年か結婚生活をつづけており、結婚生活ないし家庭というのを維持し継続していくことが、経済的にも精神的にも、なかなかの努力のいるものであり、想像以上のエネルギーを搾り取られるものであるという事を身に染みて感じ始めた頃であれば、なおさらである。

 金がかからず、むしろ、たまには飲ませてくれたり、気の利いたプレゼントさえしてくれる。妻より若々しい(実際には妻より自分より年上であっても)女の情事を愉しむことが出来るならば、男は万一、ことがバレたときの妻のヒステリーなど、ものの数とも思わない誘惑を覚えるであろう。

 不思議なことに、男は家庭の体面さえ破壊しない以上、たとい、情事の場でどんな破廉恥な、正道から逸脱した行為を採ろうと、世間は大目に見てくれるし、身辺を脅かされるようなことはない。とくにキリスト教に縁の薄いわが国においては殊更(ことさら)そうである。

 奪ったものの誇りと自信

 「愛人」と自認している女は、いわゆる二号でもなければ、情婦でもないと、自分では思っている。もう手垢のついてしまったゼロ号という呼び方の軽々しさにも満足しない。

「愛人」というのは、いかにも、男女対等のような爽やかな響きがあって、彼女たちの内に或る無意識のコンプレックスを慰めてくれる。
 世間を捨て、道徳の枠から自らはみ出したつもりの彼女たちの上にも、従来の歴史が積み重なってき古い生活感情というものが残っていて、それは潜在意識下で、終始、彼女たちを脅かし、苦しめているのである。

 それだからこそ、彼女たちはいっそう必要以上に、男から金品を受け取るまいと固くなり、男の「妻」や「家庭」に対して殊更に無関心を装おうとする。

 それらはすべて、彼女たちのコンプレックスの裏がえしにすぎない。
 彼女たちは、嫉妬するということを極度に自分に戒めている。嫉妬は被害者の特権であり、少なくとも自分は加害者だという誇りだけで彼女たちは支えられている。

 嫉妬される立場の危険は受け入れられても、嫉妬する側の惨めさには我慢がならない。この世で一人の男を中に挟んで、あらゆる優位な保証を妻に与えっぱなしにしている上、嫉妬までさせられてはやりきれないという誇りがある。盗人猛々しいと陰口を利かれようと彼女たちはこたえない。はじめから、陰口や非難は覚悟の上での行動なのである。

 妻が嫉妬で猛り立つほど、男の自分への心の傾斜の度が測れるようで、彼女たちはほくそ笑む。
 かといって、内心まったく彼女たちが嫉妬しないかといえば、大有りである。
 妻の何倍か、恨み辛みの深い嫉妬を、相手にひた隠しに隠しているにすぎない。

 彼女の何より我慢できないのは、自分の前にいる彼がこれほど自分に夢中になり、燃えているにもかかわらず、いざとなると、妻や子を決して捨てようとしない厳然とした事実である。

 男は必ず、情事のある機会に、妻も子も、この恋のためなら捨ててもいいようなことを口走る。ところがそのときは、互いの恋愛感情が最高潮の時なので、女の方は、たいそう充たされた寛大な気持ちになっており、奪ったものの誇りと自信から、男の妻の名目だけの座に、たいそう同情した不遜な精神状態になっている。

 そう言う場合、女は決して、「じゃ、すぐ片をつけてしまいましょうよ」などとは言わない。ここまで決心を見せた男がいじらしくなり、もう一段と自分の寛大さ、愛の深さ、ひいては自分の隠れもない犠牲の重さを再確認さしてやりたくなってくる。そこで努めて平静に、物分かりがよさそうに、
「私には仕事があるわ。ちょうどこの程度が一番いいのよ。お宅のあの人には、あなたを失ったらその日から食べていけないんだから、まあゆっくり考えて御上げなさいよ」
 などと言ってしまう。

 これがいかに心もとない虚勢だったかを思い知るのは、ずるい男は、もう決して二度と再び、こんな危険な提案を口にしなくなってからのことである。

 血みどろの嫉妬と疑惑

 「愛人」の立場に甘んじる女たちは、「家庭」の不潔さ、空虚さ、ご都合主義など口をきわめて罵倒するし、(心のうちだけでも)自分こそ、純粋で打算がない真実一路の高尚な人間のように思い込みたがる。

 けれども。それもたまたま、相手の男としりあったとき、すでに相手に妻子がいたという既成の事実があったからにすぎないのであって、なおさら、それでも相手の誘惑に打ち勝てなかった、精神的、あるいは肉体的な弱みが、自分の方にあったからだということはあんまり認めたがらない。

 一人で働いて自活している女は、妻子を養っている男ていどに、社会から疲労して自分の部屋に帰りつく。そのとき待っている冷たい空気と、ひとり寝のベッドと、答える者のない独り言と、味気ない食事の淋しさとの、気の狂うような夜が何度かあったのだ。

 それらはきれいさっぱり忘れて、世間の良識や、相手の妻たちに非難されると、自分の無限の自由とひきかえに、こんな屈辱の立場を選んでしまったのかと、ひとりで後悔するときがある。

 男が家庭に帰っている間、妻を抱くのが止められないように、自分だって男と適当に浮気をして見せればいいようなものだけれど、「愛人」という名に甘んじるような、お人好しで、ひとところ抜けたところのある女は、ことのほか貞節で、浮気のひとつもこっそりしておけるような気の利いたところは持ち合わせていない。

 それができるような目先の利く女は、「愛人」などという何の益もない、犠牲だけ強いられる惨めな立場に、べんべんとおとなしく収まってなんかいないのである。

 たいていの「愛人」が、「愛人」の立場にようやく飽き足らず、疑惑を抱き、自分の誇りも、意地もすてて、かつてあれほど軽蔑した「妻」の座にすりかわろうという考えを抱くのは、ただ時間の問題にすぎない。

 正常な神経の持ち主の夫婦の結婚生活に、必ず倦怠期が訪れるように、どんな熱烈な愛人関係にも、それが継続されているうちは、やはり倦怠期が訪れる。

 皮肉なことに、一方、「愛人」というものの侵入のため、それまで倦怠期で垂きっていた夫婦の間に、急に活発な精神の交流が蘇ることが多い。たちまちそれが、血みどろの嫉妬と、猜疑心と憎悪の浴びせかけてのドロ試合であっても、何も起こらない無風状態の退屈さ、無刺激の怖しさよりは、ずいぶんとましなのである。

 嫉妬や憎悪を通して、互いに相手を、卓袱(ちゃぶ)台や座布団くらいにしか感じられなくなっていた妻や夫の中に、改めて人間の息吹きを感じ合うことが出来るようになる。

 嫉妬に狂う妻や、喚く妻や、荷物をまとめにかかる妻のなかには、茶碗やスブーンが突然、口を利き出したような愕きと新鮮さを夫に感じさせるものがある。

 愛が幻影に変わるとき
 たいていの夫は、孫悟空のように、妻の掌上で浮気やアバンチュールを愉しんでいるにすぎない。だからこそ「愛人」」に敢然と子供を産ませるような「夫族」は滅多にいるものではない。

 妻がある上に、「愛人」」を持とうとするような男は、およそ自制心の少ない男の標本と考えていい、そういう男の八割は、不用意に「愛人」にこどもを妊(みごも)らせてしまうのである。「愛人」は、最初のころは、自分からさっさと子供を処分して、おおいに物わかりのいいところをみせたがる。

 ところが、二度、三度と重なるうちには、本能的な自衛意識が出て来て、こういう危険を何度でもおかさせる男に対して疑惑と憎悪を感じ始める。

 そうなると、今まで思うまいと努めてきた(思う事は自分を卑しめると考えてきた)相手の家庭や妻や子供のことが際限なく細やかな空想を誘ってくる。
 そうなると、押さえに押さえ、隠して隠してきたこれまでの嫉妬が、突如として堰(せき)を切って落とされ、荒れ狂いはじめる。
「妻をとるか、私をとるか」
「家庭を捨てるか、私と別れるか」
 そう迫りはじめると「愛人」は、もはや物分かりのいい昨日までの「愛人」ではなく、糟糠(そうこう)の妻のような所帯窶(やつ)れのした、嫉妬で目の縁にクマを作った悪鬼の形相(ぎょうそう)であり、口走ることばは彼女が日ごろ問題にしない長屋のおかみさん的卑俗そのもので、論理的も高尚さもあったものではない。

「愛人」は気づかないままに、すでに半分「妻」に変化していたのである。
 人間が変わるということを、男を通しても十分知っていたはずなのに、自分が変わるということは、変わってしまった後も気づかなかった、いや気づこうとしなかったことに、はじめて否応なく気づかせられ。
「好きな男の子供を産み、男の力を借りずに、自分だけで育てることが、自分の理想だ」
 そういうことを、多くの「愛人」たちは、自分の恋におぼれている最中にはいう。

 けれども、実際に社会的な仕事を持っている「愛人」たちは、日本の社会構造のなかでは、こういう自由な立場をとれるまでにはなっていない。

 多くの「愛人」たちは、何年か、何カ月か、自分の長い淋しさを忘れさせてくれた恋の幻影にうつつを抜かした後で、苦っぽく、現実の立場の惨めさを悟る。その日から、もう一度彼女はほんとうの「心の闘い」と「社会の闘い」が始まるのである。

 独占欲のない男女の愛が、どんな美名に飾られていようと。虚しく、はかない幻影にすぎないことを悟らなければならないのが「愛人」という名の女に課される運命の試練と、本当の罰である。

女の可能性を拡げる勇気

“わずかな生涯にいささか悔いも残さないことは、したい放題をすることだ”

〆炎のような女

『葉隠(はがくれ)』に、
「人間一生は纔(わずか)のことなり、好きなことをして暮すべきなり」
 ということばがあったが、宮田文子さんの生涯を思い浮かべると、文子さんくらい、与えられた生涯を好きな事のし放題をして、いつでも自分を火のように燃やし尽くして生きた人も無かったと思う。
 お葬式の時の弔辞(ちょうじ)を読んだ宇野千代さんが、
「文子さん、あなたはなぜ、もっと休んでくださらなかったのですか」と哀切な響きをこめた声で文子さんの霊に訴えかけられていたが、寸時も休むことが惜しいように、文子さんは自分の生を慌しく賑やかにこの上なく華やかに生き抜いて逝ってしまった。同じく弔辞を読まれた平林たい子さんは、
「あなたが私たちの先輩として、女の可能性の幅を思い切って拡げて生き抜いてくれたことを有難く思います」といわれていた。

現代女流の二大作家に、これほど切々たる弔辞を読ませた宮田文子という人はそれだけ値打ちのある生を生きた人であった。

 愛媛県の駅長さんの娘として生まれた文子さんは、天性美貌に恵まれていて、小さい時から、人々に愛されていたらしい。十八の時、早くも恋愛して、無鉄砲な駆け落ちを敢行した時から、波瀾(はらん)にとんだ生涯の幕が切って落とされた。時代は丁度、青鞜(せいとう)派の女人たちが世間に対して女の独立と権利を主張しはじめた時で、自我に目覚めた女たちが、一斉に立ち上がり、それまで男の従属物として定められていた位置から、自分の立場をとり戻そうという気運がみちみちていた。

 地方の町から、夢と野心に燃えて、気概と向上心のある少女たちが続々と上京していた。文子さんも大きく見れば、そうした時代の波が生んだ「新しい女」の一人といえないこともない。ただし、文子さんの場合は、青鞜の女たちよりも、もっと現実的に、自分の足と手で、自分の足場を掴み取っていく天性のバイタリティが備わっていた。最初の恋は独立へのスプリントボードにすぎなく、女優を志して、松井須磨子に可愛がられたりしている。美貌はどこでも文子さんの運命を決定する時、大きく作用した。せっかく女優への足掛かりを得た時、松井須磨子の死に逢い、挫折した。

 次は新聞の婦人記者になっている。まだ女の記者の珍しい時で、ここでも美貌が必要以上に物をいって、たちまち、文子さんを有名にした。探訪記者として、各界へ単身化けこんでお目見えして住み込み、赤裸々に探訪記事を書き、ジャーナリストとしても一応成功した。何度も結婚し、何度も恋愛し、子供も何人か産んでいるけれど、どの恋愛にも結婚にも文子さんの自由過ぎる魂は安住することが出来ない。どこへでも気軽に飛びだしていく放浪性があり、またどこででも、人に愛され、根を下ろす雑草のような逞しさがあり、文子さんは、いつでも自分の位置よりはるかな場所に見える青草の美しさに惹かれ、憧憬(しょうけい)の気持ちの衰えることをしらなかった。

 武林無想庵(たけばやしむそうあん)と織(し)りあった時、夢想庵が、親の遺産で渡欧するというのを織り、
「ヨーロッパへつれてってよ。向こうまで名義上夫婦として連れってくれればいいわ。あたしはパリで女優になる勉強をするから、あちらでは別れましようよ、つきまとったりしないわ」
 そのような提案をだし、夢想庵に承諾させてしまった。いわゆる便利結婚だったが、それが実を結び、旅中すでに子供をみごもり、パリでイヴォンヌという女の子を産んでいる。イヴォンヌの誕生が、この便利結婚を本当の結婚にまで落ち着かせたが、ここでも文子さんの華やかすぎる血は収まらなかった。働きのない夢想庵との生活に飽き足らず、料亭をひらいたり、モンテカルロのキャバレーで踊ったり、一時もじっとしていない。若い男と恋をして、夢想庵に「コキュの嘆き」を書かせると思うと、恋人に嫉妬からモンテカルロでピストルで撃たれるという劇的なスキャンダルまでおこしている。ピストルは文子さんの頬を撃ち抜いたということだった。 

自我に生きた一生

 夢想庵とも別れた後、さまざまな事件の果てに、ベルギーで貿易商を営む宮田氏に巡りあい、ようやく文子さんの理想の夫に巡り会った。
 宮田さんは、これまでの文子さんの逢ったどの男よりも男らしくて太っ腹で、この夢多い放浪癖の強い女を、しっかりと羽のもとに抱きしめる力を持っていた。

 爾来(じらい)文子さんは、宮田氏と四十年近い結婚生活を全うした、その後も、ベルギーと日本を一年に二回も三回も往復して、いつも何かしら、新しい事業に着手しており、日本では帝国ホテルを常宿にして、華やかに暮らしていた。

 七十の声を聞いてチベットの奥のフンザ王国へ出かけたり、全身を亀の子たわしでこすり、片脚で立つという美容健康法を世間に広めたり、絶え間なくジャーナリズムに話題を提供していた。

 一口にいって、「不死鳥」の名は、文子さんのためにつくられたかと思うような観があった。
 私は、どういう訳か文子さんから招待をうけ、帝国ホテルで文子さんの手料理をご馳走になったり、彼女の生涯の想い出を話されたりして、可愛がってもらった。

 私がはじめてお逢いした時は亡くなる前年だったが、文子さんは紫のワンピースを着て、黒い髪を高々と結いあげ、濃い化粧の紅が華やぎ、四十代にしか見えなかった。美しいと感嘆すると、「あなたのような芸術家から美しいといわれると、とても嬉しいわ」と艶然(えんぜん)と笑った。私のどこを好いてくれたのか分からないけれど、文子さんなりに、私の生き方から、自分の若い日を見出して懐かしんでいられたのかもしれないと、その頃は思ったりする。

 亡くなる時は、目の前に自叙伝の出版記念会をひかえ、ますます多忙をきわめ、駆けずり回っていた。最愛のイヴォンヌさんに、先だたれたのがとても堪えていて、最後にお逢いした時は、私の顔を見ただけで涙を浮かべていられた。私はたまたまイヴォンヌさんと同年だったことも、文子さんの涙を誘ったらしかった。

 急に気分が悪くなり、自分で知人や医者に電話をかけて、医者が駆け付けた時は、もうホテルの部屋にたったひとり意識不明になっていた。

 多くの人に愛され、多くの人を愛したけれど、文字通り、たったひとりで文子さんは死んでしまった。したい放題をした文子さんは、永遠からみればわずかのこの世の生涯に、いささかの悔いものこさず逝ったことだろう。生きていた日には、そしりも妬みも受けただろうけど、これからの文子さんは、女の可能性の幅を勇気を持って最大限に拡げて見せてくれた女性の先駆者であり、実践者のひとりとして、日本の女の歴史の中に記憶されるのではないだろうか。安らかに霊よ眠り給えと祈らずにはいられない。

本能的な無意識の打算

“女はいつでも子を産む「危険」にさらされている。そのくせ、妊娠について、本気に考えるのは、妊ってしまってからなのだ”

〆母になる女のすべて

 女が子供を産む場合を考えてみよう。まず、いちばん正常な状態で産むのは、妻が夫の子を産むことだろう。
 このほか、女は、あらゆる立場で、あらゆるチャンスに子を産む「危険」にさらされている。あえて「危険」といってもいいだろう。なぜなら、この科学の発達した現代においてさえ、お産で命を失う女が皆無とは言えないからである。女が子を産むということは、それだけ命がけの大事業なのに、女はなんと易々として子供を産みたがっていることだろう。

 妾が旦那の子供を産む。女中が主人の子供を産む。一度の強姦にも女は子供を妊ることがある。かと思えば人工授精でも女は子供を産むことがある。愛が無くても、性の交渉がなくても、女は子供を妊るということは、なんという怖しいことだろうか。これは神の恩恵ではなく劫罰(ごうばつ)としてしか考えられない。

 そのくせ、女は命がけの妊娠について、本気に考えることは、はじめて子供を妊ってしまってからなのだ。

 幸福な人妻が、結婚生活の当然として妊娠した場合、その女はほとんど、受胎ということを幸福の色眼鏡を通してしか考えない。「子宝に恵まれた」ということばで彼女たちの心の内がいいつくされる。

 子供は周囲から祝福されて生まれてくるのだし、子供を育てる責任は、子供の父親がとってくれる。つわりは苦しいけれど、我慢して出来ない苦しさではない。母になる女のすべてが、それを平気で受けて通り過ごしているのだ。それに、つわりで苦しむほど、夫は自分の責任を感じ、代わってやれない苦しみに悩む妻を労わってくれる。

 臨月まぢかになって肉体の醜悪さには、泣きたくなる。鳩の嘴(くちばし)のように可憐な色をしていた乳首は黒ずみ、膨れ上がり、静脈を走らせた乳房は不気味な重量になって垂れ下がる。まともに見おろせない自分の腹。それでも、夫はその腹に耳を当て、撫で、労わってくれる。

 お産は不安だ。青竹をへし折るほど苦しい力を必要とすると聞いている。経験のない恐怖に襲われる。でも、母も祖母も姉たちも、けろりとしてそれを通り抜け、こりもせず何人も産み続けている。心配することなんかないのだ。夫は息をひそめて待っている。産めば涙を浮かべ「よく産んでくれた」という。

 こういう幸福な人妻の出産は、子を産むということが一つの義務であり、勲章であり、愛の証しにもなる。

 ほとんどの妻は、未経験な出産に対する恐怖心を抱いても、夫の子を産むという正当な誇りがそれを打ち消してくれる。
 こういう幸福な妻はさておいておくとしよう。
 私が言いたいのは、そういう幸福な母たちのかげで、世に認められない子を産む女たちのことだ。

 なぜ私生児を産みたがる

 日本は世界一の堕胎国だけれど、まだ、不器用にも、生真面目にも、認められない愛人の子を産む女たちも後を絶たないように見える。彼女たちはなぜ、その子を産みたがるのか。

 愛しているから――というのが、彼女たちの切り札である。
 恋にとりのぼせているとき、女は理性を失っているから、そういうことを純情な女ほど考える。その上、女は子供を産むことで、男との不安定な愛を、確固たる約束ごとにしょうという本能的な無意識の打算を持っている。

 言い換えれば、子供さえ産ませなければ、男はいつでも愛人から逃げ出せるという男の打算をこれも本能的に無意識に見抜いているのである。
 男が子供を産むようにならない限り、本当の意味の男女同権などあり得ない、というのが日頃の私の意見である。

 と同時に、本当の自由な女とは、好きな男の子供を、法律とは無関係に産んで、男の経済力を当てにしないでその子を育てていける女だ、という考えも長い間抱いてきている。

 私自身は、かつて正常な結婚生活に置いて。夫の子どもをひとり産んだことがある。そのとき、妊娠は当然だと思っていたし、当時は愛していた夫の子供を産むということが素直に嬉しく有難く、若さの肉体的自信と、出産に関する無知から、およそ不安も恐怖も抱かず、その子を産んだ。

 その後、夫と別れ、子供は夫が育ててくれたので、私は勝手な生き方をしてきた途上、妻子ある男と半同棲の長い年月を持った。その男を、愛しいていたため、私は何度も、ふっと。その男の子を産んでもいいと言う甘い妄念にとりつかれたことがあった。経済的には初めから頼りになる男でなかったので、もちろん子どもが生まれてもそれはあくまで自分が養っていくという目算の上でであった。

 私はその男との愛には、なんの不信不安も抱いていなかったので、そのときの産んでみようかと言う気持には、子供によって男の愛をつなぐとか、ためすかという打算や功利的なものは一切交じっていなかった。

 今、思い返してみても、ただ純粋に、その男の容貌や気質や、才能の一部をどこかに受け継いだ「未知の自分の子」の顔を見たいという欲望だけだったと思う。

 夫の子を産んだときには、あまりにも当然の、予定された出来事として、私は私の受胎にも出産にもおよそ疑問を持ったり、そのことを哲学的に考えてみたりしょうとしたことはなかった。

 夫でない愛人の子を産もうと考えたとき、はじめて私は女が子を妊るというこの怖ろしさと厳粛さについて考えた。同時に生まれてくる子ども命や運命の不思議にも考え及んだ。

 子供は自分では望んで生まれて来はしないのだという事が、今更のように考えられた。すると、その子の未知数の運命に責任を持つことの怖しさにはじめて身がすくんだ。

 私がほとんど無意識に近い精神状態で、ただ結婚の中の一つの義務のように産んで、自分で育てることを放棄してしまった子供の運命についても、そのとき、はじめてよくよく考えさせられたと言っていい。

 幸い、私の子供はその父親が無事養育してくれているからいいものの、もしその家に意地悪な継母がきたり、あるいは実母のいない不注意から、幼時に病気で死なしたりしたらどうだろう。

 いや幸福そうに育っていても、その子の本当の心の中の幸も不幸など、どうしてその子以外にわかるものだろうか。

 そんなことを思うとき、私は、まだその子にもう一人、自分の欲望のため、生まれたいかどうかその意志を聞いてみるわけにもいかない子供をもう一人産むのは、恐しくなった。

 浅ましい女の業の深さ

 それ以来、私は、若さの残る間にもうひとり子供を産んでみたい、今度こそ、いろいろ実験をこころみ、妊娠し、出産するまで自分の心理や肉体を克明にみつめてひとりの子を産んでみたい、という作家的な好奇心と欲望を押さえてきた。

 同時に、やっぱり生んではならないと最後に決める心の底にき、今後の自分の半生に、その子が何等かの意味で重荷になることが面倒だという打算が働いたように思う。

 あるいは、もっと突き詰めて考えるなら、その頃すでに今の仕事をしようと決めていた私には、女が男の子を妊ってみたいという本能的な母性愛よりも、世の男が抱く自分の生命の拡張を本能的に望む生殖本能より自己顕示欲の方が強かったのではないだろうか。

 つまり私はすでにその頃、女が我が子を望むのではなく、男が我が子を望むような欲し方で、自分の子を思い描き、男と女の共同で産む子を、ほとんど人工授精に近いやり方で自分一人で産みたがっていたともいえる。

 幸か不幸か、長い同棲の歳月の間に、何度か通り過ぎた懐胎の機を外し、私は、子供を産みはしなかった。
 その後、私はまったく別な年下の男と恋をし、やがてその男の変身に逢ったとき、嫉妬と逆上のみぐるしい懊悩(おうのう)の中で、本気でその男の子供を産んでやろうと考えたことがある。

 今考えると、これほど浅ましい、こっけいな出産の動機などないのだけれど、そのときは正直、本気でそう思った。
 私はそれまで、世間でよく、家の外に愛人を作った男がそんな最中にかぎって、妻に子供をつくらせる例をみていて、その男も妻も、なんて馬鹿げていて、またなんと見苦しいことをするのだろうと批判してきた。同時に、それを見て、ショックを受けた愛人の取り乱し方にも、男というものがそんなものと知りもしないで、妻子ある男を愛してきたのかなど、思いあがった冷たい批判をしたりしてきた。

 ところが自分が、その立場に立ってみて、愛情の激情が、男女の肉を結びつけるように、憎悪の激情もまた、男女の肉を相寄らせるという人間の業の深さをまざまざと悟らされたことだった。

 私はそうした血みどろの争いの中で、自分の娘ほどの小娘に向かって、男とはそういうものだということを知らせるため、私と男とがその悶着の最中につくった子供の顔を突きつける事によって、その小娘と男が私に与えた屈辱を徹底的に返上してやろうか、などということを魔に憑(つ)かれたように思いつめてきた。

 同時に、まだ子どもが産める自分の肉体の若さを、小娘にも、いゃ、誰よりも自分自身に確認させたいという、馬鹿馬鹿しい妄想に取り憑かれたようであった。
 しかもその憎悪と怨恨の最中においてすら、男はまだ私の愛人だったし、産もうと夢見る私の子は愛人の子という名で私の頭の中では呼ばれていた。

 女の浅ましさの極まりまで私は堕ちたようであった。そして、子を産むという女の業が、ときには人を殺すと同様の凶器に変わり、人をも自分をも殺す毒を持つものだという事を思い知らされた。

 その地獄を通り抜けてきて、はじめて私には、世の中の赤ん坊の顔が、この上もなく美しい、世の中の娘や息子の成長の豊かさがこの上もなく懐かしいものに思われてくる。

 私の業の深さは、ああいう地獄の底でしか母性の本能に目覚めさせられないものだったのかもしれない。私はまだ望めば、子供を産める自分の肉体を織っている。ただし、もうせいぜい一人が二人しか産めないだろう。

 けれどもその子を私は決して産まないだろう。今産めば、私はその子に何の不自由もさせず思い通りに教育をしてやれるかもしれない。娘ならば、自分のかつて望んで果たさなかったすべての夢を果たしてやろうとするかもしれない。
 けれども私は、もう子供はほしくない。
 どんな好きな男の子供にせよ、この年まで苦労を共にしてきた自分自身というものほど、私にとっては可愛い大切なものはないように思う。

 女の闘いの道

 そう考えてみた時、ちょうど私は、太宰治の運命にまつわった三人の女性たちと、その子たちの関係について、仕事の上で調べることになった。

 前から一番心惹かれていた『斜陽』のモデルの太田静子という人は、はたしてその希望どおり、妻の座にいない愛人の身で太宰の子を自ら求めて産み、太宰の死後、どのような充実した生を送ることが出来ているのだろうか。

 いつだったか、私は、静子さんの産んだ太宰氏の遺児治子さんの十五歳の手記を読んだ。
それは素直で明るく、そして天使のように人を信じる心だけが書ける、りっぱな美しい文章だった。一読して、清冽な感動を受け、泣いていた。

 太田静子という人が、愛のために、道徳を踏み破り、世間に背き、肉親を捨て、選び取った道が、どのような血みどろのものであったにせよ、この治子さんの成長の姿を見たら、太田静子さんの女の闘いは勝利を得たと言えると思った。
 けれども、こういうことはまったく稀な例ではないだろうか。何がこのような稀な例を産んだのか、それも私は確かめなかった。

 数年前、ある人の計らいで、私は軽井沢の小さな私の仕事部屋に、太田治子さんを迎い入れることが出来た。
 高校一年生の治子さんは十六歳になっていた。写真しか知らない太宰氏そっくりの治子さんは、私よりはるかな長身で色白の柔和な顔付をしていた。
 悪びれずてらわず、天然に備わった気品がにじみ出て、実に感じのいいお嬢さんだった。

 生まれて一度も父に抱かれたことのない治子さんは、太宰氏のことを静子さんの口調どおり、今でも「太宰ちゃま」という言葉で語る。治子さんの素直な口から聞く静子さんの女の闘いは、私が想像していた以上に悲惨を極めたものだった。

 治子さんを妊ると同時に、平たくいえば、静子さんは、太宰氏から捨てられたのだ。
 後にできた新しい愛人山崎富江さんに遮られ、静子さんは治子さんを太宰に逢わせることも出来ていない。それでも、
 証 太田治子
 この子は私の可愛い子で
 父をいつまでも誇って
 育つことを念じている
 昭和二十二年十一月十二日 太宰治

 そんな法律上、なんの力もない古風なお墨付き一枚と、養育費毎月一万円、当時の静子さんと治子さんに示された太宰氏の愛情のすべてであった。その上、養育費も半年後には太宰氏と富枝さんの心中というカタストロフ(結末)で、自然消滅になってしまった。

 その後、ふたりの母子は、世間からも、肉親からも見捨てられ、太宰氏のあれほど多くのお取巻きや友人たちからも忘れられ、人生の底辺を黙々と歩いてきている。もちろんこの母子には、死後の莫大な太宰氏の印税は一銭も渡っていない。

 私はこんな太田静子さんの生き方を、ある意味で敗北ではないかと思っていた。はっきりいって、無知でセンチメンタルな愚かな行いだと冷たく見ていた。

 けれども今、治子さんという何よりたしかな静子さんの作品を目の前にして、その見事さにどんな種類の芸術品に接したよりも強烈な感動を受けてしまった。
 やはり、静子さんは、女として、りっぱに一つの道徳革命の旗手となったのだということを悟られた。

 十年間、静子さんは、ある寮のまかない婦という、およそ不得意な職業にしがみつき、誰の手も借りず、「斜陽の子」をひとりで育てて来たのだ。当時の手記を、自分ではもう甘くて読み返せないといっているという。自分で闘い取った道で血みどろになって、静子さんは生き、誰よりも自分自身を強く豊かに肥らせてきたのではないかと思う。
 凡人に選べる道ではないけれど、いつの世にも必ず誰かが選び取らねばならぬ女の闘いの道であるように思う。

友情はどこで確認するか

“骨肉の愛や男女の恋愛は肉体で感じるが、友情は心と心の問題だ。要するに人格と人格、個性と個性の上に成り立つのである”

〆不安定な女の友情

 太宰治の、今ではもう古典となりかかっている名作『走れメロス』という短篇がある。これは男の友情、人間の信の美しさ荘厳さを描いたもので、教科書にも多く採用されていると聞く。
『走れメロス』だけでなく、昔から、洋の東西問わず、男の友情については数々の伝説や逸話が伝えられている。男は友情のためには、自分の命さえ惜しまいほど純粋になれるらしい。ところが、私はまだ女の友情について、これほど古典的な有名な話をあんまり聞いた覚えがない。むしろ、女の友情とは信じ難いというのが世間の通念ではないだろうか。

 たとえば、魅力的な妻を持った夫と、魅力的な夫を持った妻とでは、どちらが自分の友人に要心し警戒するだろうか。私は断然、魅力的な夫を持った妻の方が、自分の友人に対して猜疑的であろうと想像する。

 女の友情とは成り立ち難いといわれるのは、女の本性に自律性がなかったことが多分に影響しているように思う。骨肉の愛とか、恋愛とかは、多分に本能的、動物的な愛だけれど、友情になると、形而上(けいじじょう)的な匂いを帯びてくる。頭の組織が男より即物的具体的につくられている女に、友情が苦手なのは当然かもしれない。貞操観念の非常に強い、男に対してはまことに貞節な女が、平気でしばしば友情を裏切るのを私は何度も目撃している。

 骨肉の愛や、男女の恋愛は、肉体で感じることが出来る種類の愛だけれど、友情はあくまで心と心の問題なので、その高尚さが女にはもともと不向きなのかもしれない。

 要するに友情は人格と人格の、個性と個性の結びつきだから、親次第とか、夫次第とかいう従属的な立場観念の、女と女の間に本当に成り立つ筈はないといっていいのである。

 よく学生時代は、無二の親友だとなんて言った女同士の友情が、恋人を得た途端、どうでもよくなってしまう例をみる。病気の女友達を見舞いに行く時間を、恋人とのデートにすりかえて女はさほど心を痛めないものなのだ。恋人が出来ると、純情で貞潔な女ほど世界中が恋人のおもかげで埋まってしまい。他のことは目に入らなくなる。恋人の影響で、それまで好きだった食物や、音楽や、人間まで、嫌いになることに何の未練も示さない。純情で可愛い、男に好かれる女ほどその傾向は強い。言い換えれば良妻になる可能性の強い恋人のある女、或いは良妻そのものは、友情をほとんど必要としないといっても過言ではない。

 彼女たちの目は、恋人の目、夫の目がコンタクトレンズのように貼りついていて、そのレンズを通してではなくては物が見られなくなっているからだ。学生時代に女の友情が成立したように見えるのは、女がまだ女としての依存性を自覚していないからではないだろうか。

 私は、理想としては女はあくまで自我をもって確立し、何よりも自立出来る経済力を養い、実際に、経済的独立をすることこそが、結婚するより重大な、意義のあることだと考えているし、世の中はどうしたってそういう方向に向いて行くと信じている。けれども一方、まだ今の日本の社会情勢の中では、女が自立し、女が自活していくことが、どんなに辛い道であり、淋しい道であるかということも織っている。女は頼りになる男を愛し、その男の庇護の許に、精神的にも経済的にもまかせきって暮らすことが一番楽な生き方であるし、女の幸福というのはそういう生き方だろうと考えている。けれども自分の半生を振り返ってみる時、私は私の思うような女の幸福安穏な生き方から、次第に外れてくるにつれ、強固で揺るぎない女の友情にも恵まれもし、掴み取ってきたように思うのはどういう事だろう。

 仕事の中にこそ生まれる

 わりあい人なつこく、人見知りしないたちなので私は幼少から友人は多く、学生時代も多すぎる友人に囲まれていた。けれども本当に頼りになり、本当に信じることの出来る女の友人を得たと思ったのは、自分が小説家としての道を選び、曲がりなりにも物書きの端くれになった時からであった。それは自分と同じ道を励む女友達であり、いわばライバルでもあった。仕事のことでは絶えず、相手の状態を窺い、自分にひきくらべ、安心したり、不安になったり、優越と嫉妬の入り混じった複雑な感情を抱きながら、一日も彼女とは無縁で暮らせなくなってきていた。
 話すことはすべて仕事のことであり、他のもろもろの話題も仕事に根を持たない限り、語りあう情熱を見出せない。そうなってはじめて、私たちは、愛人や夫を捨てる日、或いは捨てられる日はあっても互いの友情に裏切られ、裏切られる日はないだろうことを確認していた。なぜなら、私たちは。もう決して自分で選びとった自分の仕事を死ぬまで捨てるようなことはないからである。

 そういう女の友情を得てみて、はじめて男との友情の確かさを理解することができた。互いの仕事を尊敬するうえで成り立つ友情以外は、本当の友情ではないように思われてきた。男女の愛には倦怠期があるけれど本当の友情には倦怠期がないのも、この頃になってようやく分かってきた。

 今日は何気なくひらいた週刊誌にある女優さんの再婚話が出ていて、その女優さんの恋人というのは、結婚と同時に女優を辞めるという条件で、結婚を考えているということが出ていた。その女優さんは女優でありたいため、半年前離婚したばかりの人である。
 愛する女の社会的地位や、自立の能力や、才能を認めず、一個の裸の女としてのみ愛するというのは、一見、男らしい言い分のように聞こえるけど、これほど下らない封建的な男の利己心はない。相手の才能や経済的独立を認めない男の愛情なんて、聞こえはよくても煎じつめれば女を性愛の対象しか考えていない愛し方でしかない。
こういう男に限って、結婚してしまえば、妻の友人や、妻の過去に口出しし、自分の領域の中だけに妻を縛り付けおこうとする人種である。やがて限界のくる女優としての彼女に華やかな引退の花道を作ってやる。
聞こえのいい言葉だけれど、女優というのは八十歳でも九十歳でも勤まる仕事で、芸術には限界の時などありえないのである。

 その女優さんが、その男と再婚に踏み切るかどうかはしらない。けれど、もしそういう考えの男と結婚したら、この女優さんは経済的にどんなに恵まれた生活をするかもしれないけれど、自活する女だけが持つことの出来る「女の友情」という、この世の宝をもはや永久に手にすることはできないだろうと思う。

未亡人という女の中の心

“未亡人にとっての敵は、好色な男たちの牙ではなく、本能的に危険視している同姓の目である”

〆なまめかしい雰囲気

 男にとって、おんなのなかでいちばん魅力的に見えるのは処女でも、人妻でも、尼僧でもなく、それは未亡人という名の女たちではないだろうか。彼女たちはもうすでに性愛の何であるかを知っているし、その育ち切った肉体はすでに耕され、肥料を撒かれた畠である。
 こちらの眼差しひとつ、吐息ひとつで、言いたいことは察してくれるし、躯の動かし方だって心得ている。

 彼女が年若い場合は言うまでもないけれど、相当年を取っていても、未亡人という名になった女には、憂愁が淡いロマンチックな陰影をつくり、実際の素材以上に美しく見えるものである。朗らかに満腹しきった女の笑顔よりも、不幸そうな翳(かげ)りにまつわれた心身ともにひもじげな淋しそうな女の愁いの顔の方が、センチメンタルな日本人の男心をそそるのである。

 未亡人になった原因がどういう事情にしろ、要するに彼女たちの人生は、その半ばで、自分の意志とかかわりなく、いきなり嵐に襲われ、育てて来た花茎を真ん中から無残にへし折られたのである。夫を失う瞬間まで、さほど夫を愛していなかった人妻であっても、夫を失ったということは、たちまち生活の根の揺らぐような不幸であることに変わりはない。とにかく経済的に彼は家を支えてくれたのだし、社会的に妻や子供を守って矢面に立ってかばってくれたのである。

 夫の働きと夫の愛情に頼りきっていられた幸福な妻ほど、未亡人にされた瞬間から不幸は深刻になる。

 結婚前は相当に知的で、技術的にも何等かの技能を身につけ、充分ひとり立ちできた女でも、夫が男らしく、経済力があり、社会で成功していく型の男である場合、たいてい自分の才能など押し込めてしまって、内助の功をつくす家妻に収まってしまっている。使わない智恵は錆びつき、使わない知識や技術は時代遅れになり鈍磨する。いざ夫に死なれ、昔のように自分の力で立ち上がろうとした時は、すべて一からやり直さなければならない。

 未亡人が一番手っ取り早く昔の幸福な状態にもどる何よりの手段は、再婚するということだろう。
 けれどもその再婚も、初婚でさえ、女の数が上回り、結婚難になっているこの頃、そう、おいそれとあるわけではない。

再婚する未亡人をふしだらなどという封建時代の貞女の貞操観念のようなものは、もう時代遅れに見えるけれども、これがまた根強く一般社会のモラルの基底には残っていて、そうそう再婚を急ぐ事は出来ない。

 それでなくても未亡人という一種危険で不安定な状態に周囲の猜疑と嫉妬の目がまつわりついていて離れない。未亡人とっては、敵は、彼女の隙を狙った好色な男たちの牙ではなく、彼女たちの魅力や価値を織っていて、本能的に危険視している同姓の目である。

 聡明な妻は未亡人になった親友を次第に家庭的なつきあいから遠ざけるし、夫に不幸な友の就職や再婚の世話を頼みもしない。

 離婚した女たちは、それを自分が望んだにしろ、無理強いされたにしろ、その問題で男の厭な面をさんざん見せられているし、男の身勝手や利己心や横暴にさんざん悩まされているので、ある程度男には愛想をつかしているし、男を憎むことを知っている。

 未亡人の不幸は、中断された愛の形で男を奪われたため、男への夢は永遠に見残されたことになり、たとい生前の夫の浮気や、浪費や酒乱で悩まされていたことがあったにしろ、「死」という一つの結末は、たいていの厭な過去を清め、忘れさせる能力を持っている。

思い出の中では憎悪も嫉妬も怨恨さえもが、浄化され、いつのまにか懐かしい美しい思いでばかりで飾られてしまう。ちょうど恋をしている女たちが、相手に実物以外の自分の願望や夢をかけ、勝手に理想像を描くのと同じような熱烈さで、未亡人は死んだ夫の影像を、追憶という絵具で、美しくも頼もしく塗り替えてしまう。

「生別れと結婚しても、死に別れとはするものではない」と言われてきた世間の諺(ことわざ)には、そんな真理が含まれているようである。

 財産のない未亡人は、生きていく手段にまず悩まなければならないし、財産のある未亡人は、その財産目当てに押し寄せて来る男たちを防ぐことに悩まされる。たまたま、本当にその未亡人を損得抜きで純粋に愛して近づいてくる男があったとしても、その男を財産目当てで近づいてくる男たちと区別し見分けることが難しいし、まず疑ってかかるという不幸に見舞われる。

 一挙に破れる幸福

 長い生涯にはどんな理想の相手でも倦怠期がくるし、愛想の尽きる時もある。たいていの夫婦が、なかば諦めと面倒くささから、お互いに誤魔化しあって、ずるずると情熱も誠意もない結婚生活を送るのに比べたら、面倒くさい離婚の騒ぎや手つづきもふまず、もう一度別の相手と、新しい結婚生活のやり直しができる状態におかれるということは、考えようによっては都合のいい恵まれた環境といえないことでもない。けれどもそんな風に自分の自由になった立場を喜ぶような未亡人は、ほとんど見当たらないのである。

 結婚式に当たって、離婚を予想する夫婦が滅多にないように、未亡人になる場合まで考慮に入れて三々九度の盃をかわす花嫁もまずいないだろう。

 けれども、本来ならそれこそまず第一に考えておかなければならない問題なのだ。どんなに健康診断書を取り交わして相手の丈夫さを確かめておいたところで、急性と名の付く命取りの病気は無数にあるのだし、第一このごろのような交通渦の社会では、いつ愛する夫の頭に工事中の駅の鉄棒が落ちて来るか分からないし、夫の通勤電車が脱線転覆するかわからないのである。その上、無事に会社に辿り着いても、いつ覆面のハイティーンがジャックナイフやピストルを白昼、夫につきつけるか保証できない。

 浮気や情事は、妻が防ぎようもあるし、闘いようもあるけど、これら災難は、いくら周到な注意も用心も受け付けてはくれない。神経質になれば、夫を殺されたくない妻は、夫を家に閉じ込めておいて、自分が働きに出るより外なくなってしまう。

 朝、いってらっしゃいと見送り出した時が永遠の別れなる可能性の方が多いのである。病気で寝ついた夫なら、とにかく妻はある期間夫を看病できるし、その間にいくぶんなりと夫の死について覚悟も用意もできるけれど、こういう不慮の死の際には、いつまでたっても夫の死が、信じられない。

 そのほか癌という悪魔も夫を狙っている。それは今や病気というより一種の怪物となって妻たちの心を脅かす。老人にしか現れないと思っていたり、遺伝だと信じられていたりしていた時はまだしも幸福だった。今や癌は壮年にも青年にも取り憑くし、肺癌などは発病して一か月足らずで岩乗な夫をあの世に連れ去ってしまう。

 もっと怖ろしい集団夫殺しは戦争である。いかに世界中の妻たちが戦争を呪い、防止しようと努力したところで、今までの歴史は、それが不可能なことだけを語っている。危うく保たれているこのガラス細工の城のような平和が、いつ一挙に破られるかもしれたものではない。

 癌未亡人も戦争未亡人もまったく妻にとっては不可抗力の中に襲ってくる不幸である。生涯、絶対未亡人になりたくないと思うなら、女は結婚しないでおくしか方法はない。

 私の友人が弟の見合いに立ち合ったら、相手の娘さんが、いきなり、「生命保険はいくら入っていますか」と訊いたので、びっくりしたという話をした。私といっしょにその話を聞いたもう一人の友人が「あたしは、うちのパパに何とか生命保険をかけてもらいたかったのだけれど、なかなか言い出せなかったのよ。何だか、死ぬのを待っているように思われはしないかと思って、喉迄まで出かかって言えなかったわ。それが都合よくパパの友人に頼まれて、自分から三百万入ってくれたの、その後で彼が言うには、入ってみると何となく安心だね、これならいっそ五百万か、もっと無理してでも入っておこうかというの、あたしも思わずもういいわって言ってしまったわ。まさか、そうなるとあなたを殺したくなるかも知れないとも言えなくってね」

 今の娘さんのドライぶりも、生命保険を夫に勧められない戦前派の妻のウエットぶりも、一皮むけば同じ女の利己心に支えられている。どっちにしても、まだ女として値のある妻を残して死んでゆく夫こそいい面の皮である。

 淋しさの卑しいかんぐり

 もともと男やもめに蛆がわき女やもめに花が咲くものだったのだ。喪服の女の美しさ、黒いヴェールの女の美しさは、古今東西の文学にも書き残されている。
 それは結婚式純白のドレスよりも、華やかな打かけ姿よりも、もっと女を美しく魅惑的に見せる。未亡人を征服するという男の気持ちの中には尼僧に恋を仕掛けるについで、一種可虐的な破戒の快楽と戦慄が伴うようである。世間もまた未亡人という名になった女に、人妻だった時にはなかった、なまめかしい雰囲気を感じる。

 そこで想像されるのは彼女のベットの広さであり、空閨(くうけい)の淋しさへの卑しい勘繰りである。

 女の生涯は男とちがって、本来受身なものだから、婚期を過ぎた未婚の女が、世間の想像してくれるほど肉体的に悩んでなんていないように、未亡人もまた、それほどかやの広さに悩みつづけたりなどしていない。同時にまた女は、男が考えているよりも、近ごろ世間では喧伝されているよりも本来精神的であり、セックスにおいてはムード派であるために、愛している夫を失ったというショックと痛手で、一年くらいの禁欲は何でもなくすぎてしまうものだ。一年の喪が明けたら、未亡人が涙を忘れ、新しい恋にたちむかっていったところで、何の不思議があるだろう。
 
 彼女は未亡人である前に、もともと女であったのだ。
 未亡人に子供もない場合は問題もないけれども、未亡人には子供が残される。夫婦そろってさえ子供にひとかどの教育をするのが並大抵な事業でないこのごろ、女がひとりで、子供を育てていくというのは仇(あだ)おろそかな苦労ではない。

 未亡人が頑なになり、考えが偏狭になり、意地悪な僻み屋になりやすいのは、子供をひとりで育て抜こうと後家の頑張りを決心したばあいに多い。片親と侮られないためにという心の張りから、意地になって両親揃った子よりも充分なことをしてやりたくなる。そのため、少しでも多い。収入の道を選ばねばならず、そういう女の仕事は、誘惑の多いこともつきものだ。

子供のために身を落とすというという言い訳は常盤御前(ときわごぜん)の昔から、何となくひとなく人の同情を呼ぶし、自分への言い訳にもなる。けれども、そういう犠牲も頭から押し付けられる子供の方こそ有難迷惑というものだろう。

 いつの時代でも、子供の方が母の時代よりはドライにできてきている。まして戦後の教育は、子供を、親を親として見る前に人間として批判するし、尊敬も軽蔑もする。親の犠牲や責任から奉仕を恩着せがましく押し付けられるより、子供は老後の親を面倒みる義務や責任から解放される方を望ましく思う大人に育っていくものだ。成人した息子や娘が一度恋人や妻を得た場合、母にどんなに冷淡になるかは、自分自身や亡父のことを思い出せば歴然である。

 女の性が受身だといっても、女が女として肉体的な快楽を味わいえる年齢ならば、誰に遠慮もなくセックスに充されて、幸福になる権利はあるだろう。
 最近の女の生理的生命は、年と共にのびているようで、ついこの間までは《五十の老婆》などという文字が新聞に見えていたけれど、今や五十代の女は昔の三十代ほどの色気もあれば活動力もある。四十代や五十代の未亡人だって、今更などという碑下や諦めや、はにかみは捨ててしまって、第二の恋や、第二の結婚に大いに意欲的になっていいはずだ。

 ふた色の人生を生きる権利

 一人の男を深く知り尽くせば万人の男に通じるという言い方も一つの心理ではあるけれども、人間は顔の違いのように、性格も肉体も結局は千差万別である。
 死んだ夫がどんなに最高にすばらしく思えても、死んだ夫とはまた違った、魅力のある男性が無数にいる。一人の男より二人の男、あるいは三人の男を、精神的にも肉体的にも知る方が、愛する夫を奪われるという不幸の代わりに、二人目の男を合法的に認められるという特権を与えられたのが、未亡人という名の意味だと解釈して悪いだろうか。

 雑誌によく登場する未亡人をみても、石垣綾子さんとか十返(とがえり)千鶴子さんなどの名をあげることができる。
 彼女たちが御夫君を失った時の手記は、涙なしには読めないような感動的な悲痛なものだったけれど、彼女たちが、幸福な妻の時代よりも未亡人になってから衰えたとも不美人なったとも思わない。仕事の量が減ったとも、老い込んだとも思えない。

 彼女たちは夫のいた時と同様、否その時以上に、若々しく、生き生きと、美しくなり、魅力的になり、仕事はいっそうもりもり精力的に見せてくれている。夫を亡くした悲しみは仕事を持つ妻は、夫に依存しきっていた妻も違いないだろう。ただ、悲しみから立ち上がる時は、十返さんや石垣さんのように仕事を持っていた妻の方が、痛手の回復が早いし、忘れられている時間が多くなる。

 美しい愛や、優しい人を忘れたくないのは人情だ。だからといって、いつまでも過去の愛にしがみついているくらい愚かなことはない。人間が成長していくためには、多くのことを忘れ去らねばならないし、忘れるべき努力もしなければならない。生きるという技術の中には、いかに美しく忘れるかということも大切な要素として含まれているのではないだろうか。

 未亡人は、少なくともふた色の女の人生を生きてみる可能性に恵まれたのだと解釈して、胸を張り誰に気兼ねもなく、夫の残りの生命まで貪欲に生きていくべきだ。第二の男が、たまたま亡夫に数段劣る男であっても、亡夫の価値を見直すことのできるという特典がある。亡夫以上の優れた男に巡り会えば何をいわんやである。

 どんなに仲の良い夫婦でも、あまり長すぎる夫婦生活の中では、夫も妻も、相手がある朝、ポックリ死んでいてくれないか、と願うような夜が一度や二度はあるものだ。未亡人になった女の中だって、夫にそんな呪いをかけた日がなかったとは言えないだろう。だからといって、熱烈に愛した無数の夜が、差し引きになるわけもない。人間の生命の儚さを誰よりも痛切に思い知らされた未亡人こそが、人間の生きている時間の快楽や幸福に、もっとも積極的に貪婪(どんらん)になる権利があるのではなか。

幸福の何たるかを考えたとき

“青春とは、それ自体のエネルギーと芳香を持っていて、どんな逆境にも一種の光を持つものだ”

〆愛をも奪われる不安

 関東大震災を生まれて一年目を迎えた私にとっては、物心ついてから、戦争は空気のように慣れ親しんだものだった。
 
 非常時ということばがいつかは常時になってしまっていて、私たちは非常時でない時がどんなものなのか思い出すことが出来なかった。天皇は現人神(あらひとがみ)であって、天皇の写真の載った新聞で鼻をかんだり、お習字の練習用にしたりすると、今にも目がつぶれそうな迷信的畏れを植え付けられていた。不敬罪ということがあってそれが泥棒より火付けより悪いことのように教えこまされた。

 そいう天皇のために、命を捨てることが、日本という神国に生まれた我々民草(たみくさ)の義務であり、私たちの天皇のためならば、万歳と嬉しそうに叫んで死ななければならないのだと教え込まれていた。学校へいくと小学校から女学校までどの学校にも、校門のすぐわきに御真影奉安殿(ごしんえいほうあんでん)があり、天皇、皇后の写真がその中に納めてある。生徒たちは校門の出入りに必ずその前に最敬礼をしなければ通過できなかった。

 女学校に入って間もなく、戦争の拡大につれて、学校全体が軍隊にならって組織され、大隊、中隊、小隊などに分けられて、各隊に隊長が置かれ、旧来の組長とか、委員長とかいうものにかわった。修身の時間には忠君愛国と、婦徳の道が教え込まれた。

 そういう教育を受けながらも、しっかりと時局を見通したり、クリスチャンとしての信仰を持つというような知的な親たちや家族を持つ子供たちは、そんな教育を鵜吞みにしていなかったかもしれない。けれども素朴で、無知で、純情な国民の大多数の家庭では、この国家を上げての戦いは、止むにやまれぬ、生きねばならぬために起こったものであり、食わなければ食われるゆえの自衛の戦いだと教え込まれ信じこまれていた。私などは、自分が男に生まれ、海軍兵学校に入れないことをどれほど情けなく口惜しく思ったかもしれない。戦いに負けるなどということは有り得ない事であった。男はすべて戦場に出て戦うことが当然であった。恋も結婚も、戦争の前には犠牲にしなければならなかった。

 私たちの結婚は軍刀も増強するための兵隊を生むのが目的だった。産めよ増やせよというスローガンで、私たちの結婚は早婚を奨励された。皮肉なことに相手は戦争に駆り出されて男の絶対量が足りない。私たちは、結婚して二晩で夫を戦地に送ることを承知で平気で結婚した。明日は戦死するかもしれない男の子をみごもることに何の躊躇も不安も抱いていなかった。私たち戦中派の青春が、世にも不幸だったというと嘘になるような気がする。青春というものはいつでも、青春自体のかもしだすエネルギーと、自然に発する芳香を持っているもので、どんな逆境の中にいても一種の光を持つものではないだろうか。

 そんな時代の中で私たちは女の幸福をどのようなものとして描いていただろうか。恋人や夫や、息子、愛する者たちをいつ奪われるかもしれないという不安の許に置かれているだけ、女たちの愛は純粋に刹那的に全人生を燃やし尽くすように、不断の心の訓練を積んでいたのではないだろうか。戦争が進むにつれ、右を向いても左を向いても不幸な女たちがいっぱいいるため、不幸にも不感症になっていたのではないだろうか。考えることを教えられないで、教えられることを素直に信じることを美徳とされていた習慣から、私たちはどんな時にもその原因を考えるよりもまず目の前の難局を体当たりで打開する活力を自然に身に着けて行ったのではないだろうか。

 何よりも確実に生きる力

 私たちの前の時代の目覚めた母や祖母たちが、自分たちを取り巻く因習的な習俗打破のために、爪を剥がし、歯で岩を噛み砕くような辛い思いをして、男と対等に学び、より正しく成長しようとして血みどろになって闘いとろうとした「自由」とか「女の尊厳」というものについて、私たちは、彼女たちより更に前の時代の、封建時代の女たちのように無気力になり不感症になっていった。戦後、二十年を数える今、五十代、三十代、二十代の世代に比して、四十代の女たちの社会的進出がいかに遅れ、人材がいかに少ないかということが各界の著しい現象になっている。ようやく、この一、二年来、あちこちで四十代の女実業家、学者、芸術家の名の挙げられるのをみる。

 それをみても如何に私たちの若い日のすべてが、戦争の為空白にされていたかということが示されていると思う。私たちの世代より前の先輩たちは、権力と闘うことも知っていたし、国体を批判する目も持っていたし、自我の何であるかを織っていた。それを自分の涙と血と学び取って血肉として知識化していた。

 私たちの同年輩の男たちは、戦争に身を挺して戦い、弾丸の下で戦争の何であるかを体験し、命をかけて、自分の新生の目標をつかんだ。私たちより若い世代は、戦争によってうけた傷は、生理的なかすり傷にすぎず、戦争を一口に馬鹿をみた経験として片付け、自信を持って進むことができる。

 私たちの世代の女たちだけが、夫を、恋人を、兄弟を失い、必死に素直に戦争の正しさを信じて生きた総てを裏切られ、その打撃と傷跡に虚脱してしまっていた。戦争という現実を差し引いたら、私たちには何も残っていていなかった。私たちは、一から人生をやり直さなければならなかった。二十年かかって信じ込まされたものからぬけ、いろはから学び直し、ひとかどの口をきけるようになるのには、やはり二十年余りの歳月を必要としたようである。

 私たちは今、ようやく二十の青春を迎えたと同じようなものである。天皇という幻影のために死んでゆく子を産むために、恋し、結婚し、愛する者を戦場に送ることが、名誉ある女の幸福と思っていた夢を、愚かだと嘲(わら)うことは易しい。けれども、その悪夢から覚めた私たち世代の女だけが、本当の虚無の凄まじさを知っているし、為政者や権力者に対する根深い憎悪と怨恨を隠し持っていることを忘れもらいたくない。

 私たちは、幸福の何たるかを考える事もしなかった世代である。今や幸福らしい幻影に決して酔うことのできない世代である。けれども私たち四十代の、戦中派の女たちほど、生きる事に対して現実的に逞しいエネルギーを底深く持っている者はいないのである。それは誰に与えられたものでも、教えられたものでもない。自分の愚かさを通して本能で掴み取った、何よりも確実な、生きる力である。

 これからの十年を私たちは幸福の何たるかを論じたりしないで幸福にいききってみせるであろう。

あとがき

    瀬戸内寂聴
 青春出版社というのは、その頃、エッセイの本を次々と出版し、それがみんなベストセラーになるという、名前も体質も若々しい出版社であった。

 そこから依頼を受け、女の生き方についてのエッセイを書き下ろした。
 1998年(昭和四十三年)四月十五日に発刊になった。私の四十五歳の時に書いたもので、満四十六歳の誕生日の一ヶ月前に発刊されたことになる。

 その数年前から私はいわゆる流行作家と呼ばれる立場になっていて、夜を日についで、書きに書いていた。
 そんな中でよく書いたものだと思うが、私はひどく大真面目にこの仕事に取り組んだことを覚えている。出来上がったものは出版社の期待していたものより堅いものになっていた。
 出版社はもっと、若い女の甘い愛や恋について、柔らかなエッセイを期待していたらしい。

『愛の論理』という堅い題も、私がつけて譲らなかった。
 私はこの中で、戦争のまっ只中に青春を過ごし、戦争の傷をもろに受けた、私たち世代の女の苦悩を書き、敗戦後、急にアメリカから与えられた女たちの参政権が、私たちの母や祖母たちの世代が、どんなに苦労して、それを手に入れるために闘って来たかという女の歴史についても語りたかった。

 それまでに、私は明治生まれ、男女の差別の厳しい社会で、自我にめざめて因習と闘って来た女たちの伝記をいくつか書いていた。
これらのことを、連載中であった。
 田村俊子、岡本かの子、伊藤野枝、平塚らいてうなどで、『愛の論理』を書いている時は、たまたま、明治末の大逆事件で、日本の女で只一人、革命家として絞首刑になった菅野須賀子のことを、連載中であった。

 そんなことも重なって、私は自我にめざめ、自分の隠された才能と開発に果敢に挑む女たちの悩みについて、格別の思い入れを持って書いている。

 男の需(もと)める「女というもの」と、実在の女たちの中に在る女の本性とに、いかにずれがあり、そのために、男女の間に思いがけない誤解を引き起こす結果になるか、そんなことを当時の私は重大事と考えていた。

 この中には私自身の家出、離婚、男たちとの恋の苦悩や快楽など、正直に告白しながら、若い人たちのこれからの恋や愛や、結婚や離婚について、ずいぶん真剣に、書いている。

 今、私は八十歳になっている。三十五年も昔に書いたものである。この当時、私は黒髪があり、着物や宝石でおしゃれをして、せいぜい女としての快楽を愉しんでいた。小説家としても、脂の乗りきったといわれる精力的に多作の時であったもちろん恋もあった。一つの恋が終わりかけ新しい恋の始めと重なり合い、個人的には人知れず苦悩をかかえていた。

 そんな時だったので、自分の愛の軌跡を振り返り、反省したり、決意を自分に促したりしている時であった。発刊された『愛の論理』は少し堅すぎたのか、出版社が期待したほど爆発的には売れなかったが、多くの若い読者や、中年の迷いの多い読者を得て、その後も版を重ね続け、ロングセラーとなって文庫本にもなった。

 それから五年後の私の五十一歳の三月十五日に『ひとりでも生きられる』というエッセイ集を、青春出版社から出してもらっている。これは出た途端バカ当たりして、ベストセラーになり、ロングセラーになり、私の三百冊余り出している単行本のなかで、売行は最高なのである。

 この本は、『愛の論理』よりも、もっと親しみ易い文章でわかり易く書いているので、読者が増えるだろうと思う。それに題がよかったのだと思う。この題も私がつけた。
 その年の十一月、私は中尊寺で出家得度している。
 出家後もしばらく私は晴美という父のつけてくれた戸籍名で物を書いていた。二つのエッセイ集も、当然、瀬戸内晴美が著者である。

『愛の論理』を今度、新装版に改めて、また出版してくれることになった。ロングセラーだから、今風に装丁もシックになるだろう。名も寂聴にした。

 改めて読み直してみても、私の考え方もこの時と全く変わっていなくて、書いてある女性のかかえた問題も、全然旧くなくて、たった今の、若い娘や中年の女性たちの抱えている愛の悩みや、問題がそのまま書かれているのにびっくりした。真理というものは、年月が経っても旧くならないものだと感動した。

 これを機会に、若い人たちに更に広く読まれることを期待し、願っている。
 2002年10月1日

恋愛サーキュレーション図書室