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Ⅱ 愛からの自覚

本表紙

魔におそわれる不可抗力のとき

“理解することには疑りがあり闘いがおこる。幸福とは、その苦しみに裏打ちされた傷だらけの愛を自分の孤独の中にしっかり握り締めることはないだろうか”

〆 新しい人生の意義

 娘の頃、女の幸福とは、生涯にただひとりの運命的な異性にめぐり逢い、その男に愛され、愛し、その男と結婚して、子供を産み、その子から生まれる孫を抱き、いつか夫を看病しその死を看取る。その後、一、二年、ゆっくり人生に名残を惜しんで上、子や孫に看取られ、夫の後を追う。

 そいう生涯こそ、女の幸福な一生と呼ぶにふさわしい者だろうと考えた。何の本でそう教えられたのか、あるいは誰かから教えられたものか、今は忘れてしまった。

 周囲を見渡しても、やはり女の大多数はこういう夢を描きながら、その七十パーセントくらいは、こういう生涯を送っているのではないかと考える。

 愛し、愛される異性にめぐり逢うということが、なかなか難しい。大抵の恋愛は錯覚の上に花開くものだから、愛し、愛されているという幻影に酔うのが恋愛というものの正体であるのかもしれない。

 錯覚が取れ、相手の正体が、正味のままに目に映りはじめる頃は、相手の目からも鱗が落ち、自分もまたかけ値なしの正体を相手の目にさらされていることを覚悟しなければならない。

 この一年ほど、急に、妻の家出が増えているという記事を目にした。昔の妻の家出は、たいてい子供をつれて出て行ったものだけれど、近頃は、ほとんどが子供を置き去りにして出るという。

 母性愛はどこへいったかというようなことばで、その記事は結ばれてあった。
 私には愛するということは、生活するということにつながるとしか考えられない。
 共に一つの部屋に、あるいは一つ家に暮らすということは、どうにも隠しようもない互いのあらや、欠点を、示しあわずにはすまされない。楽しみよりも苦しみの多い、この人生の辛さを、わけあう中にはじめて愛が定着するのではなかろうか。

 今の母たちに母性愛がないと言われるのは、今の若い女たちが昔の女たちよりも本能的に生きなくなったという事かも知れない。

 自分の腹を痛めて産んだ子が可愛いというのは、最も動物的で原始的な生物の種族保存の本能であって、これは健康で正常な肉体と神経の持ち主なら、おそらく誰だって備えている筈である。

 ただし、世の中が複雑になり、人間の生活も単純でなくなり、それにつれて、様々な情緒や知恵が発達するにつれ、本能だけでないあれこれの要素が人間性に加わってくる。
 夫妻の間に子供があるということは少なくとも共に一年を過ごしたということになるだろう。

 一年がかりで、お産という命をかけたひとつの大事業を成し遂げあったという経験は、ふたりだけの貴重な体験であって、その中には他人の想像の許されない微妙で懐かしい、そして不安と期待に満たされた想い出がつまっている筈である。

 それにもかかわらず、母となった妻が、夫と子供を捨てて家を出るということは、どういうことなのか。
 家出妻の九十九パーセントは、家を出る前より不幸になっているということが調査され、データーも上がっている。けれども、人間の幸、不幸の感じなどというものは、すべて個人的な主観的実感であって、他人の憶測などあくまでも想像に過ぎない。

 客観的に、どう惨めな生活に陥っていようとも、本人が、そこに、以前は味わえなかった新しい人生の意義を認め、惨めさの中にも、生きる実感を掴んでいるなら、前の生活より、今の生活が悪くなったとは考えていないだろう。

家出妻の本当の原因

 人間の生活には、魔におそわれる不可抗力の時がある。落ちついた人が交通事故にあったり、細心な人が、大切な物を落としたりすることだってある。こうしたらだめだなと思いながら、どうしても、そうしてみたい奇怪な時に摑まれることがある。

 妻の家出というものは、私は、この「魔の時」に起きるものだと思う。私自身、子供を置いて家を出た家出妻であった。
 十数年も前になってその時を、いくら思い返してみても家を出てしまった瞬間の自分気持は、一種の真空状態に投げ込まれていた頼りなさの形でしか浮かんで来ない。

 恋もあったし、新しい生活への夢もなかったわけでもないけれど、何といっても、それまでの生活の中に安らげない奇怪な苛立ちしか思い出せない。誰にもわかって貰えないという思い詰めた孤独感だけは、今にも尾を引いて残っている。

 たいていの妻に去られた夫たちが、家庭的で、優しくて、妻想いなのも偶然のことでないように思う。
 妻は、優しくされることを望んでいるだけではない。優しい心で理解されることを望んでいる。そのくせ、理解してもらいたがっている自分の正体というもの自身を、その妻がわかっていないのだ。夫に鏡になってもらって、そこに映る自分を教えてもらいたがっている。

 多くの、妻に優しい夫たちは、本質的に妻を理解しようとしてはいず、自分の流儀で、自分本位に妻を愛しているような気がする。
 ひもじい時に、厚いオーバーを買ってくれたり、寒い時に、高価なアクセサリーをもらっても妻は充たされない。

 理解することには、疑いがあり、闘いおこる。そうした摩擦のない愛のもろさを人は忘れがちだ。気づかない、ささいな、不満や違和感に、或る日突然、火がついてたまったガスが爆発する。

 大抵の家出妻が、その発火の役目をした新しい恋に失敗しているのを見ても、家出妻の本当の原因が、新しい生活への憧れでないことが頷ける。
 わかってもらえないもどかしさ・・・・そういうものを感じたことなく生涯をすごす妻たちも決して少なくないだろう。そういう妻たちの無難で貞淑な生涯は、今の世の中でも称賛され、尊敬される。

 けれどもボーヴォワール夫人の不幸、アンナ・カレーニナの不幸を、人は決して修身の教科書的に読み継いできたのではない。彼女たちの心の迷い、悶え、充たされない苛立たしさ、肉の誘惑、それは、人間の中の永遠の業苦(ごうく)であって、すべての女たちに、その苦悩が通じるからこそあれらの小説が名作として読まれてきているのだろう。

 今、私は、生涯を無傷で、平穏無事にすごす人妻、この原稿のはじめに書いたような人妻の生涯を、負け惜しみからではなく、決して羨ましいとは思わない。今でも尚、まだつづいている私自身の人生のぬかるみに、足を汚し、足をすくわれながら、私は「生きる」ということは、愛するために悩むことではないかと考えるようになっている。

 人間は無関心なもののためには悩まないし、腹も立てない。あらゆる錯覚をはぎとった上で、夫を、恋人を、友人を愛し始める時から、人は本当に生きる苦しみを味わうだろう。幸福とは、その苦しみに裏打ちされた傷だらけの愛を自分の孤独の中にしっかり握り締めることではないだろうか。

〆女が離婚にふみきるとき

“人は愛するたびに過ちをおかしているのかもしれない。それでも愛さなかったより、愛する幸福を一度でも知った方がより深い人生を生きたことになる”

生きる自由を求めて

 北鎌倉の駅から鎌倉よりに、小半丁ほどの所に、東慶寺という静かな尼寺がある。
 春は花々があふれ、秋には紅葉の炎につつまれた美しい静かなお寺である。この寺は江戸時代から有名な「駆込寺」の異名をとっている。

 封建時代には、女は結婚の自由はもちろん、離婚の自由さえなかった。親や兄弟の利益のために政略結婚に利用され、有無をいわさず、顔もろくに知らない相手に嫁かされても、また嫁いだ相手から、どんなに横暴で非道な虐待を受けても、女は一旦嫁した以上は、死ぬまでそこで辛抱を強いられた。

 そのくせ、女は夫の都合によって、いつでも勝手に離縁されることがあった。家風にあわぬという一言で、妻の位置はくつがえされ、三年の間子供が生まれなければ、たとえそれが夫の肉体的欠陥のせいであっても、離婚の正当な理由になって、婚家を追われた。

 離婚はあくまで、夫の、あるいは婚家の意志によって行われ妻の意志はまったく無視された。

 妻が夫と別れたい時は死ぬしか道がなかった。ただ一つ北鎌倉の東慶寺まで逃げ延び、すると、一歩この寺へたどり着けば、法律の届かない世界になっていて、三年間、女は尼寺に生活すると、離婚が認められた。 夫の暴虐に苦しめぬかれた女たちは、必死の想いで江戸から走りつづけ、東慶寺へ駆け込み、生きる自由をこの尼寺に求めたものだ。追手に追われ、女の足では逃げきれず、途中からつれ戻される哀れな女たちも多かった。

 今では、昔のまま残っている東慶寺の石段の下までたどり着くと、追手に追われた女は、必死になって、履物を寺の境内に向かって投げ込んだ。それが片方でも境内に届きさえすれば有効で、体は捕えられても女の逃走は認められるという決まりがある。

 今から考えると信じられないような話だけど、女はそれほど結婚の場においては自由も人格も認められていなかったのである。
 前後、女の得た権利はさまざまだけれど、いちばん大きいのは、離婚の自由ではなかろうか。

 東慶寺の昔語りが、今では夢物語になって、家庭裁判所で扱う離婚事件は年々増加する一方のようである。しかも、妻の立場から離婚訴訟をおこす数が増加する一方である。妻はもう、夫の横暴に泣き寝入りなどしない、姑の理不尽に、非人間的な忍耐などしようとはしない。姦通罪がなくなって以来は、妻でありながら、新しい恋のために、離婚したがる女さえ増えている。

 駆込寺が唯一の、女の自由の抜け道であった頃からみるとまったく隔世の感がある。
 それにしても、私たちは自分の周囲に、あまりにたくさんの離婚を見つづけている。俳優や知名人の離婚事件は、いちいちジャーナリズムが派手に取り上げるため、ほとんど、毎週のように、誰かしらの離婚事件にギョッさせられる状態だ。

 知名人の結婚というもの自体が、婚約したといっては記者会見、結婚したいつては記者会見というかたちで、報道されるし、週刊誌はいっせいにまた、その事件を取り扱かい、当事件の感想やら、結婚披露宴の人数から、費用、デコレーションケーキの高さまで、こと細かに報道する。ところが、ものの一年たらず、あるいは二年足らずに、あっけなく離婚となると、またいっせいに結婚の時以上派手に報道される。知名人の離婚沙汰が特に目立つから、彼らが、辛抱性がなく、飽きっぽく、浮気で軽薄のように見えるけども、世の中に一々報道されない人々の離婚は、一々とりあげれば、新聞はすっかり埋まってしまうほど、多いのではないだろうか。

 崩れ去る結婚のかたち

 数年前、私はラジオで、何かのおりに、女は結婚をそれほど悲壮に考えないで、何度でもやり直しの利くものだと思ったらいい、といったようなことを言ったら、世の中の幸福な主婦たちから猛烈な反撃をくって、投書が放送局に山のように舞い込んだことがあった。

 それらの意見はすべて、結婚の神聖さを説き、結婚は一生に一度するものという覚悟で臨むべきで、私の意見はまことに不真面目で、結婚や人生を冒涜するものである、という意見だった。

 このごろ私は、周囲の若い有能な職業婦人たちから、
「どうしても結婚する気にはなれないんです。好きな人はいるのですけれど、なぜ、その人と結婚という形で結びつかなければならないかわからない。今のままで、お互い自由を守りながら自分の仕事にそれぞれ力を尽くしていたいのだけれど、周囲や相手が、その気持ちを我儘だといってわかってくれないのです」
 という意見を、何度も聞くようになっている。

 彼女たちの気持ちもっと突っ込んで訊くと、
「周囲の結婚生活のどれを見ても、大して魅力を感じないし、第一自分自身の愛情に、死ぬまで変わらず続けられるほどの自信がない」というのが、率直な告白のようである。

 人間が自我に目覚め、本当に謙虚に自分自身を見つめる目を持てば、そういう考え方を持つのが当然のように私は思う。

 結婚ということを大切な人間の事業と考えるほど、結婚の基礎となる「愛」に不安と不信を覚えるのが、本当の姿ではないだろうか。つい最近までは「出戻り」ということばは、女にとって生涯の半分を抹殺されたような不利な烙印だった。けれども今や離婚は、女の勲章の一つのようにさえなっている。

 離婚に踏み切ることは、とにかくも、相当の勇気のいることである。結婚に踏み切る勇気は、恋の情熱というものが支えてくれるし、未来の幸福への幻想が助けになってくれる。人々とも好意の目で見守り励ましてくれる。

 離婚の場合は、まったくその逆で、醒め果てた情熱で、冷静に現実を見極めなければならないし、将来の不安を直視しなければならい。周囲の冷笑や非難の目も覚悟しなければならない。もっと厭なことは、野次馬根性の大袈裟な同情の目だ。

 それらを乗り越えて、やはり離婚に踏み切る決心をした女は、すでに、女として人生の一つの峠を乗り越えたことになるのではないだろうか。

「離婚される」しか能のなかった女が、今や「自ら離婚する」女になったことは、決して道徳の腐敗でも、婦道の失墜でもなく、女の成長であり、女の力の拡張の証明のように思う。

 男に頼り、男に養われるしか能力もなかったし、そういう立場しか許されなかった女が、自分自身の足で立ち自分の手で自分の生活の糧をつくるようになったことは、女は誇っていいのだと思う。

 昔、女は嫁入りの時、二度と家の敷居をまたぐなと親たちから訓戒された。それが娘を嫁に出す親たちの、共通のはなむけの言葉だった。実際そのころの生活能力のないように育てられた女たちは、夫の家を出る以上は、また誰かに養ってもらわねばならず、親のもとにかえるしか方法はなかったのである。

 ところが今では、生活能力を持った女たちは、嫁いだ家を出たところで、もう二度と生家のしきいをまたぐ必要はない。夫の家から、自分自身の家を発見すればいいのである。

 将来、女が生活能力を身につけ、それぞれの自分の才能を伸ばし始めるにつれ、今までのような、「家」の観念に捕られていた古い「結婚の形」は崩れ去るだろうし、離婚はもっともっと多くなるだろう。かといって結婚がまったく女の夢から消える時代は、決してそうたやすくはやってこないのではないだろうか。

 まだまだ、花嫁衣装は女の夢をかきたてるし、炉辺の幸福は、働く女たちの疲れ切った神経に、美しい灯となって憧れを誘う。逞しい夫の胸に頭をあずけて眠ることが、女にとっては何よりの安らぎであることは間違いない。

 ただ、昔のように、この結婚は死ぬまで貫き通さねばならないという悲壮感は、次第に薄らぐだろうし、離婚の経験を持った多くの才能ある女たちの方が、幸福と貞淑な家庭の妻たちよりは、より多くの女の生き方の幅を広げていくことは、争えない事実となるだろう。
 今でも、まだ世間は有能な一人の独身の女性よりも、結婚リングをはめた無能な女の方に伝統的な敬意を表したがる。

 けれども、少なくとも夫たちは、昔の夫のように全面的には妻に安心しきれないのである。いつ妻に離婚を宣言されるかもしれないと不安とともに、結婚しなければならないのである。かといって、永久に逃げる心配のない妻を持つには、夫の経済力が次第に不足になってきている。皮肉な現象である。少なくともこの状態は、もっとすすむだろうし、女の立場はまた少し強くなるのではないだろうか。

 有能な女として幅広く

 私は今、パリの下町の宿でこの原稿を書いている。昨日、二泊三日のパリ郊外の城めぐりの小旅行から帰ったばかりである。
 バスの一行のなかには、見るからに幸福そうなイタリア人の夫婦と、独身の初老のボヘミアンタイプのカリフォルニアの男と、母親と二人の女の子をつれた美しい中年のアメリカ女と、四人の未婚のアメリカの娘たちが乗り合わせていた。

 質素な身なりで、六十日のヨーロッパ旅行を楽しんでいる娘たちは、朗らかで、大食で、よく笑った。美しく、どこかもの憂そうな中年の女は、足の悪い母親と、元気で可愛女の子の面倒をよく見ながら、誰よりも熱心に、古城の見学をし、ガイドの説明に熱心に耳を傾けていた。

 ソバカスのあるお喋りのタイピストが、あの人は、夫から取り上げた離婚費用で、この旅行をエンジョイしているのだと教えてくれた。
 ロワール河のほとりに建っている夢のような古城の一つに辿り着いた時、お城のそばの旧い教会から、花嫁の一行が出て来るのに出逢った。

 娘たちは歓声をあげ、とうとうバスをストップさせてしまった。
 花嫁も花婿をもっと見たいといい、その写真を撮りたいと言うのだった。二人の娘はまだ若く、ほかの二人は長年先生をしているそうで、もう、オールド・ミスの感じがした。
 四人の娘は、二人の女の子と同じくらいはしゃいで、花嫁の一行についていった。
 たとい田舎でも、やはりフランスの花嫁だけあって、ウェディング・ドレスはスマートで愛らしかった。

 ほんの数人の身内と友だちだけに守られて、花嫁は健康なつやつやした頬を上気させていた。あごひげをはやした花婿の方が、照れてとりのぼせている。
 二人はお城の見える河原におり、思いきり枝をのばしたマロニエの樹の枝の一つに、花嫁の長いヴェールを結び付けて。ポーズをとり写真を撮った。

 私たちの一行もそれを四方から写した。離婚した金持ちの中年の女もいっしょにそれを写していた。幸福そのもののイタリアの人妻も写していた。
 折からの教会の鐘が、さわやかな音を立てて、みんなの頭上に鳴り響いた。南フランスの空は晴れ、古城の壁が白く青空にそそり立っていた。

 やはり結婚は美しいし、花嫁は愛らしいし、娘たちは、結婚に憧れるし、それに破れた女も、とっさには無条件でその日の晴れ姿を懐かしむものだと思った。
 私たちのバス旅行は、その慎ましい美しい結婚式に行き遭ったというだけでいっそう美しい晴れやかなものになった。

 パリに帰ったら、旅行会社の人が、日本から届いたばかりだという週刊誌を二冊くれた。一つは有吉さんの離婚記事が、もう一つは美空ひばりさんの離婚記事が載っていた。
 どちらも私にははじめて聞く事件だった。
 有吉さんには日本を発つ十日ほど前、逢っていた。元気で楽しそうに神(じん)さんのおのけを聞かされた。もうその時はすでに有吉さんは離婚していたのだと、週刊誌の記事は知らせている。よく読むと、その両方とも、妻が経済力と、仕事を持ったための悲劇のようにとれた。

 私の眼には昨日見た古城のほとりの美しい結婚式が浮かんできた。
 もの憂そうな表情で母と娘をヨーロッパ旅行させていたアメリカの女の姿が浮かんできた。幸福そのものの、よく肥ってよく笑ったイタリアの人妻の俤(おもかげ)も重なった。
 四人の娘たちがオレンジの花冠をつけた姿も想像されてきた。

 私はどうしても、有吉さんやひばりさんの離婚が、暗い記事とは感じられなかった。女が一人の男にめぐり逢い、愛し、愛され、結婚する。さまざまな夢を描いて実際に生きてみていつか、夢破れ、破局がやって来る。正直で、人生にぶつかろうとする人間ほど、結婚生活の中で、傷つき、悩み、挫折する。

だからといって、彼女たちが、愛されなければよかった、結婚しなければよかった、というのは愚かな批判だ。
 人は愛するたびに誤りを犯しているかも知れない。それでも愛さなかった女より、愛する幸福を一度も知った女の方がより深い人生を生きた事には間違いはないだろう。
 同じ人と何度結婚し直してもいいし、別の人間と次々に結婚し直してもいいのではないだろうか。

 離婚するたびに、女は若返り、賢くなり、悩みに洗練され、味もましていくことだろう。結婚はもうこりたという女、男にはまだ懲りないのかもしれない。男にはもう懲りたという女も、結婚への夢はまだ捨てないかもしれない。
 それでいいのだと思う。
 東慶寺へ駆け込むしか自由の守れなかった日本の女が、世間のさまざまの好奇の目にもめげず、勇敢に離婚し、勇敢に自分の自由を主張し、自分の道を、自分の血を流してきりひらいている。

 いつか女たちは、大げさで無意味な結婚披露の宴にかける金の馬鹿らしさかに自分から気づくだろう。むしろその金を互いに離婚費用として積立て、結婚生活に入るくらいの知恵を持つのではないだろうか。案外早い将来に。

 こんなことを思って、通りの向こうの窓を見ると、向かいの帽子屋の窓辺で、美しいおばあさんがせっせと花嫁のオレンジの帽子をつくっている姿が見えるのだった。

惨めな愛の因果関係

“真の芸術家は本質的に自己主義で我ままで気まぐれで移り気で、人並以上の情熱ないし情欲家である”

〆恍惚と栄光の犠牲(いけにえ)

 何時だったか、漫画家の近藤日出造さんと対談した時、
「うちの女房が、あなたが漫画家で、小説家でなくて良かったって言いましたよ」
 と、例のユーモラスな調子でおっしゃった。勿論話に面白味をつけるためのつくった話だろうけど、これほど左様に、小説家の妻というのは辛いものである。

 私は、たまたま小説家になってしまったけれど、万一、私に娘や息子がいたら、小説家とだけは結婚させたくないと思う。いや、小説かに限らず、漫画家とだって、およそ、芸術家と名の付く商売の人物とは結婚させたくないものだと思う。

 芸術家というものは本質的に自己主義で我儘で、気まぐれで、移り気で、人並以上の情熱ないし情欲の持主と相場が決まっている。こういった素質を持ち合わせていないものは、決して上等の芸術家にはなれないのである。

 私は、たまたま、田村俊子や、岡本かの子の伝記小説のようなものを書いたし、三浦環のような天才的音楽家についても小説を書いたおかげで、女といえども、本当の芸術家が、如何にデモーニッシュな情熱を持って生まれ、そのために苦しめられ、自分もくるしみながら、周囲の者をも苦しめたかということをつぶさに織(し)らされたのであった。

 明治生まれ、まだ婦徳が、儒教的道徳の上に立っていた男尊女卑的風潮の中にあって、彼女たちは、結婚を一度ならずし、一度ですんだかの子にしても、恋人を何人か自分の芸術の生贄(いけにえ)として生きている。彼女たちが誰も淫蕩(いんとう)だったわけでなく、むしろ、純情な点、純粋な点では、世間の平均以上に、とびぬけていたにも拘わらず、当時の道徳からみれば、あんまり褒められるような生涯を送っていないことを、つくづく考えさせられるのである。

 けれども、彼女たちは、自分の中の怪物のような情熱や、悪魔的なエネルギーを、ただ、恋や、情事に浪費したわけではなく、恋や、情事で火をつけたそのエネルギーでもって、自分の内の芸術的才能に点火して、みごとな聖火をかかげて世を照らしたのであった。いわば、自分の脂に火をつけて、その炎で、小説を書き、その炎で、世界を駆け巡って歌を歌い続けたのである。

 こうなればもはや、情火は、浄火であって、後世の私たちにとって、彼女たちの生前の迷いや過ちや、悩みまでも、並々ではない非凡な経験のように見えてくる。

 このところが芸術の不思議さと怖ろしさで、だから幾千、幾万の凡人が、非凡を夢見て、芸術の殿堂を叩きつづけ、無慈悲に拒まれ、ただ汚辱と過失だけの後悔の中に惨めな生を終えた事だろう。

 太宰治『晩年』の中にひかれたヴェルレエヌのことばに、「撰(えら)ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」というのがある。何となく憧れ易い魅力にみちたことばだけど、太宰治が、賢婦人と子供たちを残し、未亡人の美容師と玉川上水で心中し、更にもう一人の婦人に子供を産なせて何の保証も与えず、棄てていることを思えば、芸術家の恍惚と栄光の陰に捧げられる犠牲の大きさに慄然としないものはいないだろう。

 酬(むく)われない愛

 荻原葉子さんの『天上の花』という小説があって、田村俊子賞にも選ばれ、大層好評を受けた。
 これは一世の天才詩人だった荻原朔太郎の遺児である葉子さんが、亡夫の許に出入りしていた詩人、三好達治とのふれあいに心をひそめ、その天才と、狂気にちかい詩人の精神の内奥にせまり、悲惨な実生活を描き上げた、迫力ある力作であった。

 その中で、美しい詩を書く三好達治が、どう眺めても美貌という以外の取柄のない朔太郎の妹に恋をし、彼女が第一の結婚の結果、未亡人になったのを待ちかねて、子までなした妻を離縁してまで、その結婚に踏みきり、東京の詩壇も、旧(ふるい)交友もすべて捨てて、福井の海辺の町へ逃れ、そこで凄絶(せいぜつ)な結婚生活を送る過程がうかがわれる。

 三好達治の最初の妻は、佐藤春夫の姪(めい)にあたる人だったので、この人との離婚は、三好達治にとっては、生涯の業とする詩をさえも賭けたものだった。

 人の心を慰め、人の心をふるいたたせ、人の心に希望や、夢を与える詩人が、女を見る目の浅く、馬鹿馬鹿しいほど幼稚なのに読者は愕(おどろ)かされてしまう。
 第二の妻は、美しいだけで虚栄心が強く、自分の身を飾ることと、好きな食べ物を食べることと、金銭を貯めることにしか興味がなければ、人生の意義も認めない。男の偉さは収入ではかり、人の値打ちはその身なりでしか測れない。心の優しさというものは皆無で、思いやりは全く持ち合わせていない。

 たいていの人なら、彼女の美貌の陰に隠されたこういう世俗的な厭味を見抜いてしまうのに、三好達治は、彼女の稀な美貌に、自分の生涯のすべてを賭けて、この恋の達成を願っている。結婚は、文字通り、悲惨を極め、惨憺たるものになった。

 夫人は、達治の心の美しさや、優しさや、愛の一切を認めようとせず、ただ、彼の経済的甲斐性なさだけを責め立てる。挙句の果てに、愛を抱けない夫の許から如何にして逃げだすことに心を砕く。その脱走が発見される度、達治は狂気のようになって、愛妻の上に及ぶ限りの暴力を振るってしまう。

 荻原葉子の筆が、この二人の宿命的な不幸に結ばれた悲惨な夫婦生活に及ぶとき、その惨めさと凄惨さに、読者は息を飲まされる。

 およそ冷酷、無知なこの罰当たりな妻に、いらだたしいものを覚えさせられると同時に、三好達治ほどの天才詩人が、なぜ、こうも、下らない女に熱中するのか腹立たしくなる。人間の不思議さ、人間の哀しさに、思わず心が凍ってくる。

 三好達治の不幸な、報われない愛の経歴を教えられる時、私たちは、西洋にもこれ以上の悲惨な愛の半生を捧げつくし、報われることのなく淋しい死を遂げた文豪がいたことを思い出さずにはいられない。

 バルザックと、ハンスカ夫人の悲恋である。
 これはあくまでもバルザックの側からいっての悲恋であって、ハンスカ夫人もまた、達治の妻と同様、生まれつき心の冷たい、虚栄の固まりのような女だった。

 バルザックが、彼女に捧げた純愛は、達治のそれに劣らず、しかもバルザックは、この夫人の冷酷さに、達治ほどの暴力も振るわず、ひたすら書きに書いて、自分の命を縮め、夫人の虚栄を満たすために、あたら才能と命を使い果たしている。

 けれども、バルザックも、三好達治も、この悲惨な報われない愛のお蔭で、素晴らしい作品を後世に、我々に残してくれている。芸術家の愛とその栄光の因果関係は、もっともっと多くのことを私たちに考えさせられるようである。

“男まさりの女”の分析

“真に「男まさりの女」とは、無名の夫の姓だけで通用する無名で無数の女たちである”

〆女の心の痛ましい姿勢

 女は誰でも、たとえば本質的に男まさりの女であっても、やはりじぶんを女らしい女と思いたい、あるいは思われたい、いじらしい心を隠している。

 戦後は特に女が強くなって、いや、大宅壮一氏のご意見に従えば、世界の男がすっかり弱くなったので、女がいかにも強そうに目に映るようになった。
 女実業家の数がぐっと増えたし、女のお金持ちもぐっとふえ、女で職業をもつのは当たり前になってきた。
 『夫婦善哉』の「おばはん頼りにしてまっせ」ということばが流行ったのも、頼りがいのある男まさりの女が、世間にあふれてきた現象を表していたのだろう。女が頼りになるということは男が頼りにならなくなったという意味であり、男らしくない男が増えているという事実をも示している。

 女以上に、男がいかに女らしい女に郷愁を抱いているかということは、これほど女の職場への進出が多くなってきた現在でも、正月あたりに和服姿でもみせようものなら、「へえ、そんな女らしいところがあったの」と、見直したり、嬉しかったりする他愛なさである。

 女の所へ遊びにいった男が一番うれしがるのは、女が気軽に台所に立って、たとい野菜をちょんぎり、出来合いのフレンチ・ドレッシングをぶっかけただけでも、手作りのサラダの一皿でも出してくれることである。本当の男の方が、舌も料理の腕もずっと発達していても、やはり男は女に料理をさせる方が快適だと思う因習ら、神経が慣れすぎている。

 この頃では人の眼さえなければ、奥さんの下着ぐらい平気で洗っている男がいても、やっぱり他人眼のあるところでは、タテのものもヨコにもしないような顔をして、いかにも女房を顎で使っている亭主面をしてみせたがるのである。

 ちょっと進歩的な若い男なら、恋人や婚約者の才能を、結婚によって枯らせるのは惜しいと実際におもうと、口出していう。けれども女がバカ正直に、そんな男の言葉を鵜吞みに信用して、結婚後も今まで通り、いやむしろ、結婚という精神と肉体の落ち着き得たことから、いっそう張り切って意欲的にそれまでの仕事をつづけ、立ち向かっていくならば、必ず、早くて半年、長くて一年後には、男の方で悲鳴をあげてしまう。
 ちょっとずるく悪賢い男は、
「きみのような才能のあるある女には、本当は男や家庭はもはや不必要なんだよ。ましてぼくのような平々凡々な男は、きみにはふさわしくないし、成長の妨げにこそなれ何の役には立たない。君を愛していることは微塵も昔と変わりはないけど、君をいそう自由にして、より力強く仕事に専念できるようにしてあげたい」
 といいだし、もう少しバカ正直な男ならば、

「僕は間違っていたよ。やっぱり、朝起きた時、ぷ―うんと味噌汁の匂いがしてきて、はたきの音や電気掃除機の音がとなりの部屋でしているという家庭的な雰囲気が欲しいんだよ。君の才能は認めるけど、それは僕一人を幸福にしてくれるためのものではない。もっと馬鹿でも無神経でも不美人でもいいんだ。大根脚の蟹股だっていいんだ。僕をだまって休ませてくれる女がほしくなったんだ。別れてくれないか」
 というようなことをいう。

 そうなってみて、はじめて、男まさりのといわれ、優秀な職場の花、あるいは優秀なタレントといわれてきた女たちは、ぎょっと青ざめるのである。
 そんなときの女の心の分析をしてみれば、正直なところ、自分より収入の少ない男の不甲斐ないに内心呆れてもいるし
『これだからなるほど出世しないんだワ』
 と、ひそかに一日に三度や五度は、甲斐性のない夫の性格分析や能力判定をやって計算しつくしている上、
『今が別れ潮時かもしれない。今ならまだあたしにだってもう一度花が咲かないともかぎらないんだわ、あと二年もたてば遅すぎる』
 など、女らしい、夫を知ったら、目を回しそうなことを考えていたくせに、そんな気持は男の愛想づかしを聞いたとたんにたちまち雲散霧消してしまって、自分の自己拡充意欲にあげ、一にも二にも、彼との生活のために、身を粉にして、厭な目にも困難な仕事にも堪えて堪えてきたような錯覚に陥り、不法な被害を一方的に被ったように思い込み、慌てふためくのがおちである。

底にある女の本当の弱さ

「男まさりの女」と世間から思われていた女の、何人が果たして本当の意味で男まさりだろうか。
 男の中に立ち交じり、男以上に目覚ましい仕事の成果を上げる女をそう呼ぶならば、それは間違いである。たとえば、世に聞こえた女社長、女美容師、女デザイナーなど、私たちはすぐ彼女たちの名前と顔を思い浮かべるけれども、彼女たちのほとんどは、れっきとした夫が背後についていて、何々女史の夫という名に甘んじて、内助の功を努めてくれているからこそ、世間に屋台を張っていかれるのである。

 男たちの多くは、「有名な女」の夫あるいは恋人になるのを潔しとしない。
「小糠三合あれば養子にはいかない」といった昔の男の意地みたいなものが、今でも日本の男のなかに潜んでいて、男は女を養うもの、庇護する者という観念がしっかりと根を張っている。

 少しでも自分より収入の多い、社会的地位の高い、有名な女と特別の関係になることは、世間に痛くもない腹を探られるような気がして、嫌がるのである。
 もちろん、それほど有名でない女をものにしたという得意さがないではない。けれどもそんな得意さは、そんな女の力をあてにした、あるいは利用したとカンぐられる方の屈辱感に比べたらものの数ではない。

 あれほどの女に惚れられたということは、男にとっては自慢にはなれ、決して不名誉な話ではないのに、彼等は、そこで逡巡せずにはいられない。そしてまた、世間の男たちは、確かに、彼等を嫉妬するあまり、軽蔑したふうをするのである。

 このごろのように、マスコミが異常な力を持っている時代では、才能のある女は、運とチャンス次第で、たちまち世の中の脚光を浴び、あれよあれよという間に、有名な女になってしまう。それはまったく本人の好むと好まざるにかかわらないマスコミの暴力的意志であって、個人のか弱い力ではとうてい抗しきれるものではない。要するに、「時の勢い」というものの怖しさである。

 有名になった女を、世の中では、ただちに男まさりの女というイメージに結び付けたがる。たとえそれが、女優とか、美容師とか、デザイナー、あるいはバーのマダムというような、もっとも女らしい女にふさわしい職業に携わっていても、ひとたび有名な女になった彼女たちの上からは、真の女らしさは消えてしまって、バイタリティとファイトの固まりみたいな、闘志満々の、「男まさりの女」のイメージしか浮かんでこないのである。

 そんなに作られた女のイメージのなかから、その女の本当の弱さや、いじらしさをかぎとり、感じ取ってやる能力のある男に巡り会うと、有名な女や男まさりの女は、たちまち、ぐしゃぐしゃになって男の胸に倒れ込んでゆきたくなる。世間に名が通るということは、女にとって、決して幸福なことはない。

 本当にしたい仕事をする幸福と、有名になるということは、まったく次元のちがう問題であって、自我を自覚し、本当の生活の何であるかを知っている女ほど、つくられた虚名の空しさ、わびしさは骨身にこたえているのである。
 彼女たちに必要なのは、多くの男が、妻や恋人のなかに求め、見出すような、憩いと安らぎ以上の何物でもない。

 “男まさりの女”の生き方

『婦人公論』に載った女の歴史というバイバル手記を読んで、私は佐多稲子さんの畔上(あぜがみ)輝井さんの現在の手記に大層打たれてしまった。両方とも、現在の私自身に、かかわりのある心境に繋がったせいもあるけれど、女一般の問題としても、十分考えさせられるものを含んでいた。私は佐多さんの『くれない』という小説は、現在の仕事を持つ女たちに、もっともっと読まれていい小説だとかねがね思っている。

「二十数年前、この文章を書き『くれない』を書き、今おもうと、先に挙げた大人っぽい見方というものに、当時ほどの反撥はないが、テーマにしたものそのものは、今日どうなのだろうか」
 と佐多さんは述懐していられるが、このテーマは今も決してまだ仕事をもつ女たちのなかから拭いきれていない大きな問題で、何度も繰り返され、思い直され書き継がれて行っていい問題だと私は思う。

「夫の浮気を女房が騒ぎながら、この女房は、夫を自分の処に取り戻そうとしていなのである。取り戻そうと思わないままに七転八倒している」
 この女の嘆きは、自我を持つ女の前向きの姿勢としては、それがどんなに痛々しくみえても、見事な、正しい姿勢であるはずだし、世の中が当時より、いくらか広くなり、女の自由が当時よりいくらか得られ、女は強くなっていると思われている今にしても、誠実に生きようとする働く女のなかには、今でもかならず襲ってくる悩みであり、そのときになれば、やはり七転八倒する苦しみであるようだ。

 これとはまったく対照的な言葉を畔上輝井さんは書いている。
「妻の座を失った後の哀しみは私がよく知っています、その自由は決して喜びではなく、不満と孤独でしかありません」
 繰り返し女ひとり生きることの悲しみを訴えている。佐多さんの仕事が小説を書くということで、畔上さんの仕事が料亭経営ということだということも、この二人の孤独となった男まさりの女の、後半生の生き方や心境に大いに作用しているだろう。

 佐多さんが、当時も今、個人の幸福を社会という大きなものの中に押し広めあるいは、すべて個人的な考え方を社会という大きなものの上に立ってみる生き方や考え方を確立しているのにくらべて、畔上さんは、直接には政治というもっとも社会的な機構のなかに身を投じてその渦に巻き込まれていながら、政治を通して世の中をよくするというのは、あくまで、夫有田氏の思想のうけうりであり、畔上さん自身は、本質的には可愛女で、惚れた男が、たまたま政治家であったため、政治で世の中をよくしたいと思い、有田さんを選挙に勝たせてあげようと七転八倒するのも、惚れた男を世に出したいという滝の白糸的女の純情の発露に外ならないのである。

 それほど立派な政治家の有田さんが当選するために、なぜそんなに莫大な借財が残されるのかということが、門外漢の私たちはまず浮かぶ疑問であるのに、そのことは畔上さんはあまり触れようとはしない。

 そんなことより、惚れた男のために、無我夢中になって、力のかぎり、駆けずり回り、奔走せずにはいられない畔上さんの「女らしさ」の「女そのもの」の姿に、炎を背負ったような美しさを感じるのである。

 男まさりの仕事をやりとげて、別れた男にも今もまだ仕送りし、季節ごとに秘かに衣類を届けずにはいられない畔上さんの女らしさは、女の愚かしさにそのまま通じるものだけれども、佐多さんが、七転八倒のなかから仕事を通してぬけだし、公の席上で、別れた夫と逢っても、窪川さんと堂々と呼びかけ会議の意見を戦わせるという淡々とした心境と、それは表裏一体のもので、決して無縁ではないと思う。

 残された仕事を後世の人が見るなら、佐多さんは別れた夫よりも、たしかに男まさりの立派な仕事をのこした女傑のように思われるかもしれない。
 畔上さんも、般若苑が残る限り、その名前が思い出され、この庭を女の幸福と引き換えに守り抜いた男まさりの女傑として記憶されるだろう。けれどもこの二人の女傑の、何とまあ、女らしいことか。

ヘマをやらない賢明な妻

 私は佐多さんには仕事の上の尊敬する先輩として親しくしていただいているから、なおのことよく分かるのだけれど、現在の女流作家のなかで本当に女らしい女というのは、平林たい子さんと佐多稲子さんではないかとかねがね思っている。女らしさの質がこのお二人においては少し違うのだけれど。

 佐多さんは趣味のいいもので身の回りを統一して、美しく暮らしていられるし、着物にだって羽織の紐にだって神経をゆきわたらせた女らしさを匂わせている。
 畔上さんともパーティーの席で二度ほどお逢いしたが、前髪を紫にそめて、高価な訪問着をつけた畔上さんの小柄な和服姿は、やはり女そのもので、どこにも男まさりの、「やり手」という感じなど見受けられなかった。

 髪をごま塩のひっつめにし、斜子(ななこ)の半纏でもひっかければ、お豆腐の入ったお鍋を抱えて横丁から走り出してくる下町のおかみさんのような、暖かい親しみのある人かもしれないと感じた。あけぴろげな笑顔は、素直な人の良さを剥き出しにしていた。

 本当の男まさりの女というのは、決して、世間に名前を知られるような、あるいはマスコミの暴力に巻き込まれるようなお人好しではないのである。身の恥も、家庭のいざこざもたちまちさらけ出し、電車の中のぶら下がり広告に、その恥をさらし者にするような不用意な女ではないのである。

 有名な、あるいは無名な男の、かげになって、じっと、男の手綱を握り、男の能力を秤ながら、適当におだて上げたり、けしかけたり、必要な餌を適当に与えたり、ときどき、精神と肉体の緊張を促すためケンカを吹っ掛けたりしている「幸福な家庭の妻」たちこそ、男まさりの女の名に相応しい女類である。

 そういう賢明な妻たちは、決して、身を誤って新聞や週刊誌の実話に取り上げられたりするようなヘマはやらない。
 まして、婦人雑誌の広告を見て、手記や小説を送り、あわよくば一攫千金、一夜あければ流行作家などという夢を描いたりはしないであろう。
 しっかりと夫のという馬の手綱を手のうちにして、暖急自在あわてずさわがず、夫のちょっとした浮気などさらりと対処し、情熱過剰で馬鹿純粋な、多くの「有名な女」たちのような、下手な騒ぎ方は決してしないであろう。

 真に、「男まさりの女」とは、こういう無数の、世にその名も知られていない夫の姓だけで通用する無名な女たちなのである。

自分の内からあふれる愛

“男と女が違うことよりね、男と女が別れることの難しさを思う。私は、怨んで責めて泣いて憎んで、その果てにようやく別れというものが訪れる気がしならない”

 〆尽くされるということ

 女流文学者の集まりの席で、その場にいなかった宇野千代さんのことが話題に出た。宇野千代の作品が問題にされたのである。その作品は二十五年以上も連れ添ったあげく、離婚した北原武夫さんのことを書いたもので、短編をいくつも重ねるという、じっくりした仕事ぶりで宇野さんはそれを発表されている。

 宇野さんは北原さんと結婚される前にも、幾人かの人と結婚し、離婚した経験を持つ方である。それだけでも普通の人から見れば、複雑で数奇な人生を送ったと思われるのに、もう六十八歳という今になって、二十数年も連れ添った十いくつも年下の夫と離婚するということは、普通の常識では傷ましいく気の毒に感じられるのである。ある人は、宇野さんのその小説を読んで泣いたといい、また別の人は同じ題材を夫の側から書いた北原さんの小説を読んで涙がこぼれたと話した。

 どちらも、そこに書かれた別れた夫から言い渡される老いた妻のいじらしい心情と、あわれな境涯に同性としてうたれたという意味であった。私もその宇野さんの小説はかかさずずっと愛読してきた。

 女流文学者の集まりに時たま姿を見せる宇野さんは、とても六十八歳などとは信じられない若さで、白い華やかな頬の瑞々しさも、ブリーチした、若々しいかつらのよく似合う頭も、ご自身デザインの目の覚めるようなコバルト色の綸子(りんず)に銀色の刺繡で大きな花を描いた訪問着も、宇野さんならではの華やかさとシックさで、躯に溶け込ませていられるのだった。ピンク色の頬紅もローズ色の口紅も、宇野さんだからこそ似合うのだという不思議な、不死鳥のような美しさを保っていられるのだった。その華やかさで美しい宇野さんは、笑顔さえこれまでよりしばしば見せられるようになっていた。

 物を書くという辛い仕事に同じように携わるだけに、私たちは宇野さんの破鏡が他人事ではなく感じられていた。
 離婚の経験を持つ人も多く、一人の人との結婚を完(まっと)うしている人でも、世の常の主婦よりは激しい屈折をへて夫に向かっているという人が多いので、宇野さんの離婚は、そのまま私たちの愛の記憶になまなましい血を滲ませるような気がするのだった。けれども私たちは現実の宇野さんの不幸よりも、それを昇華しきって、すばらしい香気のある文学に生まれ変わらした宇野さんの文学的力量に圧倒されてもいたし、羨ましさも感じていた。

「宇野さんは女の中の女なのよ。男の人を好きになると、じゃが芋の皮から自分で剥いてお料理をせずにはいられない人なのよ」
 宇野さんの旧いお友だちの誰かがつぶやいた。

「尽くしたくて尽くしたくてしようがなくなるのね。ところが男はあんまり女から尽くされるとうるさくなって、かえって逃げ出したくなるようね」
「いやあだ。あたしなんかじゃが芋の皮はおろか、ご飯を炊いてやるのも面倒くさいわ」
 そんな話がつぎつぎにとびだしてくる。結局その場にいた十何人かは、ほとんどが宇野さんの尽くしたがりの性質を美しく羨ましいものに言い、けれども、そこが男と別れていく原因なのかもしれないと呟くのであった。

 いつも充たされない女の心

 私は、そんな話を聞きながら、たまらなくなった。私も亦(また)、好きな男が出来ると、じゃが芋の皮から自分で剥いて食べさせたい方である。出来ることなら、足袋や靴下も自分ではかせてやりたい、男の足を自分の膝にのせ、その伸びた爪をつんでやるのは何とも幸福だろう。耳垢も人任せなど出来ないではないか――。

 そんな私の愛情は、あふれすぎ、過剰ということは、物足りなさと同様に、人には違和感を与えるようだった。

 まるでほどよい風呂の湯がすっぽり人の全身を包むように、自分の内から溢れ出る愛で、愛する男のすべてをすっぽりと暖かく包んでやりたい激しい欲望は、いつでも私のなかを乾かせ、充たされない想いでイライラさせてくる。
 男はそういうタイプの女に逢うと骨なしになって怠慢になるか、自己嫌悪に陥ってそのぬるま湯の中から逃げ出していく。

 どちらも私は欲していないのに、結果的にはそんなことが繰り返される。
 そうしてまた、何度か繰り返しても、男と女の間の愛情には馴れるということがなく、過去の経験は、その特定の男にしか通用しないもので、新しい恋に向かうたび、女ははじめての恋に巡り会ったと同様のときめきと興奮に投げ込まれてしまう。

 どうやら、そんな感情は年齢とは関係がないらしい。
 宇野さんは、小説の中で、裏切られた夫への憎しみをひとかけらも書こうとしない。同じ題材を扱った北原さんの小説の中に、妻にすまないとか、自分は悪い男だとかしきりに加害者めいた言葉を書きながら、その本心は、自分は新しい恋人の若さと純情をつとめて喧伝し、別れた妻の老醜と、惨めさを、行間に溢れさせているのに比べ、宇野さんの小説は何と、別れた夫にやさしく、控えめで、自分の身を卑下しすぎるほど卑下していることだろう。

 男と女が逢うことよりも、男と女が別れることの難しさを思う。
 互いに相手を傷つけないで人と人が別れるなどということが、ありうるだろうか。
 私は、怨んで、責めて、泣いて憎んで、その果てにようやく別れたというものが訪れる気がしてならない。

 人に愛された想い出より、人と別れた想い出をもつ女の方が、しっとりと魅力的なのは、その女が心底から人を呪い人を憎んだ苦しい経験をへて、人を許すことを織(し)っているせいではないかしらと思う。

 仕事を持っていると、私はあふれ狂奔(きょうほん)した男への愛も、やむなくセーブされ、私は、好きな男のために、じゃが芋の皮を剥く暇もない生活に遂(お)われている。

 林芙美子さんのお茶碗の糸底で包丁を研ぎながら、トントンとなますを刻むのが上手だったし、平林たい子さんは、いつでも気軽に台所に立ち、玄人はだしのローストビーフなど、苦にせずすらすらと作ってくれる。

 人の心の襞(ひだ)の中にわけ入り、女心の闇に光を当て、小説を書いて行こうとする女たちは、あふれる大きすぎる愛を焚いては持て余し、その分量が現実の世界では、収まり切れないので、自ら苦しみ、喘ぎ、のこりを小説の中に注ぎ込んで処理するという方法を見つけるのではないだろうか。女の作家たちが、その結婚の度数にかかわらず、どこか充たされない、きつい表情を笑顔の下に隠しているのを、私はもう一度見直すような気持ちであった。

《手紙》わたしからあなたへ

 後をふりかえらずに

 ゆき子さん、お手紙拝見しました。御幸福に暮らしていらっしゃるとばかり思っていたのに、びっくりしました。でも、聡明なあなたのことですから、こういう結果を選ばれたのはよくよくのことでしょう。
 あんなに愛し合って結ばれ、誰からも祝福された結婚だったし、可愛い陽子ちゃんまであるのにと思うと、残念な口惜しいさもしますが、人間の愛というものは、我儘な「いきもの」で、決して何年も同じ状態を保つものではないのです。

 愛が頼りにならない儚いものだと分かっているからこそ、人は結婚の時、様々な誓いや約束の儀式を大げさにし、一人でも多くの証人にたちに立ち会ってもらって、自分たちの愛の監視をしてもらいたがるのかも知れません。

 多くを語らないあなたの便りの中に、あなたのここまで辿り着いた心の闘いのあとが、かえって痛々しく感じられて涙を誘われました。陽子ちゃんを連れての新生活に入る決心をされたこれからの生活を思うと、その困難さは、ここへ辿り着く心の苦しみにも増すものがあるだろうとお察しします。

 けれども、いちどひびの入った瓶は、いくらついてみても、醜い傷痕や、つぎ金具のむかでのような跡をとどめます。一応、水はたたえられて、用をたしても、その傷は、傷のなかった昔には返りません。

 純粋なそして人一倍感受性の強いあなたが、その傷あとを見るたび、思い出す心の痛手にはいつまでも苦しめられるよりは、やはり思い切って腐った傷口から、すっぽりと手足を切り取るような思い切った大手術を断行なさった勇気に拍手したいと思います。

 人生は何度でもやり直しが出来るものです。
 そして人間は結局孤独なものです。孤独だからこそ慰めあう相手を欲しがるのです。あなたが、人生の第一の愛に破れたからと言って、あなたの人生がもう終わったと考えるのはやめてください。尼僧のような気持で、陽子ちゃんだけのために生きるなどという悲壮な考え方には私は賛成できません。

 陽子ちゃんが成長した時、そんな思い詰めた母の愛が重荷になりはしないかと心配です。どうかもっと、心を大きくもって、すべてを時間という医者の手に委ねて下さい。

 まだ今のあなたに、とやかくことは言いたくありませんけれど、性急に、殻をかぶって、自分を閉じ込めてしまうのだけはよして下さい。どんな傷口も時間が癒してくれますし、血をふく傷にもかさぶたがはり、それが落ち、あとは新しい皮膚が生まれているものです。

 どうか、後をふりかえらず、前だけを向いて、新しい生活に自信をもって進んで下さい。
 私の青春は戦争中だったせいもあって、女学校の時のクラスメートの大半が、未亡人や、離婚者で、無事に一度の結婚に収まっている人の方が少ないくらいです。女子大のクラスメートは、もっと自分に生活力があるため、結婚生活が全うし難いパーセンテージを示しています。

 それでもみんな今逢うと、辛い時代を切り抜けて、子供たちを育て上げたり、あるいは子供と別れて、新しい生活の中で生き直して、ようやく落ち着いた雰囲気を身辺に漂わしています。

 どの人も、心を開けば血のふくような傷を持っていますけれど、今ではそんな辛い想い出も、昔話として、友だちと平気で話し合える心境になっています。

 そして、正直の話、私は幸福に、平和に、いい夫に守られて来た奥様の友人よりも、こうして辛い過去を持って、世間や自分自身と闘い抜いてきた傷だらけの友人の方に、話し甲斐と頼り甲斐を感じるのです。人生を織っているのは、悲しみや苦しみにきたえられた人の方だとつくづく思います。

 ゆき子さん、こういう不幸に遇うのが決して、あなたひとりの特殊な運命でないことを考えてください。あなたのように、今、耐えている人が無数にいることを思ってください。

 私は今日雨の中を、『幸福(しあわせ)』というフランス映画を観てきたところでした。帰ったら、あなたの手紙が雨にぬれて待っていたのです。
 この映画は、二人の子供のある愛し合った夫婦の中に、夫に恋人が出来るという思いがけない新しい状況が生じることから始まります。夫は妻を愛しながら、新しい恋人にも一目で惹かれてしまいます。

 一か月ほどして、正直な夫は妻にそのことを告白してしまいます。やさしい妻は、あなたが楽しいならそれでもいいと答え、夫を喜ばすために、夫の愛撫を受け入れ、その直後、二人の子供と夫を残したまま自殺してしまうのです。

 妻を愛していた夫は嘆き悲しみますが、何カ月後には、新しい恋人を妻の位置に据え、死んだ妻の時のように幸福に暮らし始めます。
 観る人の観方でどうともとれる映画です。
 妻の純粋さに感動する人もありましょうし、愛のエゴイズムに愕然とする人もありましょうし、こんな残酷な話はないと怒りを覚える人もあるでしょう。死んだ妻の絶望が死に追いやられるほど深いものなら、そこまで追いやった夫がぬくぬくと幸福になるのを許せないという観方もありましょう。

 で見やっぱり、死ぬのはどんなに美しく見えても敗北だということ、生きているものが勝ちだということをあなたの手紙を読み終わったとたん、思いました。

 陽子ちゃんと一緒に、死ぬのを思いとどまったというのを読んだ時、私には、あの美しい森の池に入って死を選んだ純粋な妻の死が、如何に、無意味なものかと言うことが分かりました。

 生きて闘うこと。それが人生だと思います

 私の女学校の友人に、戦後から二十年の間に四度結婚した人がいます。世間はよくも性こりもなくと嘲笑ってた時期がありましたが、四度目にようやく巡り会った性のあう、そして真剣に一緒に暮らす情熱を示す現在のご主人を得た後の幸福な彼女の毎日を見て、今では誰も笑う人はいなくなりました。

 自分が幸福になることに、あくまで貪欲だったその友人も私は尊敬します。人生は諦めてはならないのです。破れた靴は捨てるしかありません。でも人は必ず新しい靴を履いて、地をしっかり踏みしめて行かねばなければなりません。裸足では歩けないのです。

 どんな靴でも、やがては足に慣れてきます。今のあなたの新しい生活の痛みが、一日も早く馴れて取れてしまうように私は祈っています。そして心のゆとりが生まれたら、積極的に、また幸福をつかみ取ってください。

 悲しみと苦しみは女を深め美しくするものです。そして本当の友人とは、逆境に立ってはじめて目に入り、近づいてくるものです。
 一度遊びにいらして下さい。ゆっくりお話ししましょう。

つづく Ⅲ 愛からの生き甲斐
仕事と愛に生きるとき
“女が本気で仕事をやり抜いていくとき、そこに生きる苦しみと愛の懊悩(おうのう)が生じる。だが、それを乗り越えてこそ、本当の生きる喜びが生じるものだと思う”