宮沢賢治が自分の地元である東北の農村の現況を批判している。農民の人生には、セックスと労働しかないと。しかも、クオリティの低いセックスだった。乗って3分、あがいて3秒夜這いのセックスのように前戯も後戯もなしっていう。
このような貧相さは「セックスレス(性交拒否)」になる。賢治はそんな状況がイヤだから、違う世界があるんだということを伝えたいと、芸術を投入した。それが彼の啓蒙原型だったというわけですが、予測不可能な遊びを楽しむこともない、社会の仕組みって、実は宮沢賢治の時代に限らず、今もあって、そこに押し詰められている人が多い気がしますね

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第五章「いまが生涯でいちばん楽しいとき」

本表紙 瀬戸内寂聴・瀬尾まなほ
新聞や文芸誌の連載を抱えながら、
最近は俳句作りにも 励んでいる寂聴さん。
俳句の”一番弟子”は
意外な人物でした――

〆夢みて生きたい

「最後の晩餐は1人で食べたい」
まなほ 先生は、よく「これが”最後の晩餐”になるかもしれないから」と、おっしゃいますよね。雑誌の企画などで「最後の晩餐に食べたいものは?」という質問もありますが、先生は本当は何を食べたいのですか?
寂聴 「大市」のスッポン!
まなほ おおっ、即答なんですね(笑)。大市は先生の小説(*『京まんだら』)にも出てきますよね。すごく有名な老舗ですけれど、先生は日本に限らず世界中で美味しいものを食べているから、もっと悩むかと思っていました。
寂聴 とにかく、美味しい。それにはいろいろな思いでもあるのよ。
 私が小説家の里見ク先生と最後にお会いしたのは、その大市で雑誌の対談をしたときです。亡くなる前の年で先生は93歳でした。
 そのとき「人間は死んだらどうなるんですか?」と私が聞いたら、先生は即座に、
 「無だ」と。
 「では、ご一緒に住んでいらっしゃった(愛人の)お好さんにもお会いできないんですか?」
 「会えるもんか。すべては無だ」
 そうおっしゃったの、
 この「無だ」という里見先生の言葉を、近頃よく思い出します。「無」というと、何もなく空っぽのイメージがありますけど、すべてのものから解き放された自由な境地とも考えられるでしょう。
まなほ そんなに深い思いもあるんですね‥‥。
 でも、スッポンを食べたら、”最後の晩餐”のはずなのに、美味しすぎて生き返っちゃうかも(笑)。
 ですからスープぐらいにしておきましょう。先生はもう寝っ転がっていてもいいです。私がスプーンで先生の口に入れてあげますから。
寂聴 介護食じゃないの、それ(笑)。
 じゃ聞くけど、まなほが最後の晩餐のときは、誰と何を食べたい?
まなほ え、誰とって?
寂聴 ああ、まなほに「誰と?」って聞くのは、付き合っている相手がいないんだから無意味だったわね。
まなほ そんなこと言わないでくださいよ。私最後の晩餐で食べたいものは、やっぱり洋菓子ですね。たとえばデザートビュッフェみたいな感じで目の前にセッティングしてもらって、好きなものを片っ端から食べる! 先生もお好きなデザートを一緒に食べましょう。
寂聴 そんなの気持ち悪い(笑)。甘いもの大嫌い!
まなほ 大嫌いというなら食べなくていいのに、いっつも食べてるじゃないですか(笑)。「何で嫌いだって言っているのに食べるんですか?」って聞いても、「食べなきゃ仕方ないでしょ」って言う。
寂聴 アイスクリームなら大好きよ。
まなほ そうそう。先生が「いらない、いらない」って言うから、私だけデザートにアイスクリームを頼んだりすると、「ちょっと頂戴」って言って取ったりしますよね。それがちょっとじゃなく、半分以上だったりして(笑)。
寂聴 あははは。
まなほ テレビ番組でも話しましたけど、先生が夜中にアイスクリームを食べようとして、冷凍庫が閉まらなくなったことがありました。深夜に先生から「どうしよう」って電話がかかってくるから、何事かと思いましたよ。
寂聴 私、そんなに情けない顔していた?
まなほ 怒ったことを、ちょっと可哀想になりました。
 それにしても私たち全然違いますね。大市のスッポンと洋菓子のビュッフェって(笑)。先生は、その最後の晩餐のスッポンは、どなたと食べたいのですか?
寂聴 もう死ぬときはね、1人ですよ、一遍上人(いっぺんしょうにん”時宗の開祖”)の言葉に或るでしょう。
 「生ぜしも独りなり、死するも独りなり。されば人とともに住するも独りなり。添いはつべき人なきゆえなり」
まなほ 先生の法話でもよくおっしゃっていますよね。わたしも寂しいときに、ふっと思い出します。
寂聴 そう、私の大好きな言葉なの。
まなほ じゃあ、最後のスッポンも、特にお喋りするわけでもなく、1人で「おいしいなあ」と思って食べるのですね。
寂聴 それでいいの。私、人にはわりと気を遣うから、最後のときまで気を遣うのは嫌なのね。
まなほ 本当に先生は、人に気を遣っていますものね。

「信仰は自然に導かれるものです」

寂聴 さっき一遍上人の話をしたけれど、まなほは仏教を信じている?
まなほ 基本的には無宗教なんですけど、何か困ったことがあったら、「神様―」なんて神頼みしています。でもふだんは、あまり信じていないです。
寂聴 日本人はだいたいそうよ。でも、何かあったときに手のひらを合わせる。それが本当の信仰の始まりなの。
まなほ ここは尼寺で、先生も尼さんなわけですけれど、私たちスタッフには仏教の話はあまりしないですね。
寂聴 信仰は人に言われたりするものじゃないし、先まなほが「生ぜしも独りなり」を、自分が寂しいときに思い出すと言ったけど、そうやって自然に導かれていくものなのよ。それを「ご縁があって」と言う。
まなほ 「ご縁があって」と、先生はよくおっしゃいますけど、その言葉も好きです。ほかに先生の法話や講演を聞いていて、いつも印象深いのは「忘己利他」と「無常」です・この2つは心の奥にストンと落ちる感じがします。
寂聴 「忘己利他」と「無常」は寂庵法話で何度も話してきたから、自然にまなほになじんでいるんでしょうね。
まなほ そうです、そうです。
寂聴 『平家物語』の書き出しの、《祇園精舎の鐘の響きあり》は知らない人たがいないくらいですけど、お釈迦様は2千500年以上前に、人々にこの世の無常を説いていらっしゃいます。
 現代の私たちの人生も、同じ状態はいつまでも続きません。いいことが続いて安心していると、突然、失敗する。いいことも悪いことも、同じ状態は続かないのね。たとえば、お父さんが失業して、お母さんが病気になって、どんなにひどい生活になっても、やがてどん底におちたボールが跳ね上がるように、ポーンと好転するの。
まなほ はい。それをいつも聞いていますから、この2〜3年、夢かしらとほっぺたをつねりたくなるようなことばっかり続いていますけれども、これはいつまでも続くものではないって、自分に言い聞かせているんです。
寂聴 寂庵は尼寺ですからね、ここにいるとお釈迦様の教えが身につくんです。
まなほ 私、寂庵に来る前は、尼さんは毎朝お経をあげるものと思っていたんですけど、先生はそんなに毎日は上げていませんよね。
寂聴 毎日は上げていないけど、いつもちゃんとできる。
まなほ でも、この前の法話のときに、「先生、お経を上げてください」と言われて、ちょっと困っていませんでしたか(笑)。
寂聴 困っていない、困っていない(笑)。

「改装した天台寺も見てみたい」

寂聴 二戸(にのへ)市の天台寺の改装も長引いているわね。
まなほ こんなに長くかかるとは思わなかったですね。でも’19年度中の完成を目指しているそうですよ。
寂聴 まさか私が生きているうちに改装が終わるとは思わなかった。
まなほ 完成したら見に行かれるのですか?
寂聴 名誉住職だしね、行かなきゃしょうがないじゃない。
まなほ やっぱり京都からだとちょっと遠いですよね。
 寂庵から大阪まで車で移動して、岩手県の花巻空港からまた車で2時間かけて行くと、腰に負担もかかりますからね。
寂聴 まぁ、体調がいいときなら、行こうと思えばなんとか行けるのよ。
まなほ キレイに修復された本堂は、私も見てみたいです。
寂聴 お披露目のときは、修復費用を寄付して下った人たちをお呼びするのでしょうね。行ってご挨拶もしたいわね。個人で何百万も寄付してくださった方もいるし。
まなほ どこかの社長さんとかですか?
寂聴 そうではなくて、一般の女性が、長い間貯めていたお金をスッと出してくださったの。
まなほ それって、きっと老後の為に一生懸命貯めた貴重なお金ですよね。
寂聴 ですから、そういう人たちをまず呼ばなきゃいけないじゃない。お話もちょっとしたいしね。
まなほ 私もお会いしてお礼を言いたいです。
 でも先生、荷づくりはご自分でしてくださいね(笑)。
寂聴 何で? 私はちゃんと自分でやっているよ。
まなほ 私、先生をお年寄り扱いしていないんです。だから、何でもかんでもやってあげるんじゃなくて、旅支度とかは、「先生、明日は東京に行きますから、着替えは自分で準備してくださいね」と、言うようにしているんです。スーツケースに必要なものを書いた紙を貼ったりはしますけれど。
寂聴 私にやらせた方が、あなたは楽できるしね(笑)。
まなほ それが全然楽じゃないんです! 最後に荷物をチェックしてみると、「何で、2泊3日のスケジュールなのに靴下が10足も入っているの!?」って。
寂聴 うふふふ。
まなほ 「パンツ、こんなに一杯あっても履かないでしょ」とか、「これもいらない」「これもいない」って、不要なものを全部よけていかなくてはいけないんです。何であんなことになるんですか?
寂聴 そう? 自分では分からない(笑)。

「一緒に日光金谷ホテルに泊まったのはいい思い出です」

寂聴 まなほは、私と一緒に徳島へ阿波おどりを見に行きたいと言っていたこともあったね。
まなほ よく昔の写真では見るのですが、先生が踊っている姿も見たかったです。でも腰が悪いですし、阿波おどりの時期の徳島はすごく暑いですからね。
 小林陽子さん(*徳島「寂庵塾」2期生。徳島県移住コーディネーター)のご自宅に泊めていただいて、友人たちと一緒に見に生きました。自分でも衣装を借りて踊ってみたのですが、意外に難しかったですね。
寂聴 私からすると、あなたが時々する変なダンスのほうがよっぽど難しいと思うけど(笑)。
まなほ あれはほとんど自己流ですからね。
 徳島に一緒に行けなかったのは残念でしたけど、どうせなら先生とは一緒に海外旅行に行ってみたいです。
寂聴 まなほは、講演や法話で日本全国をあちこち廻ったような気がするけれど、確かに海外はなかったね。
まなほ 私が寂庵に来る前は、スタッフみんなでドイツのハイデルベルクまで行ったんですよね。
寂聴 私が脚本を書いたオペラ『愛怨(あいえん)』(三木稔作曲)がオペラの本場、ドイツの演劇で上演されて評判になったのよ。
 ハイデルベルクの市長さんも見に来たし、ものすごい拍手を受けて、私も舞台挨拶をしたのよ。一度でいいからカーテンコールをして見たかったです。
まなほ わぁ、私も先生のカーテンコール見たかったです。
 でも、それから体調を崩したので、海外には行けませんよね。私たち寂庵のスタッフの社員旅行は、法話のある天台寺や、以前、法話をした徳島の2ヵ所。
寂聴 そういえば、以前は佐渡島や沖縄とか、島によく行っていた。
まなほ そうそう、みんなでハワイへ行ったことも聞きました。
 でも私は先生が好きな国や、先生にいろいろな思い出ある国へ一緒に行ってみたいです。恋人と別れようかと悩んでいた時期に訪れたフランスのパリとか、小説『比叡』(新潮文庫)に書いたドイツのロマンティック街道とか。
寂聴 いままで旅行した中で、ここはよかったな、という場所はあった?
まなほ いろいろ思い出もあるのですが、特に印象に残っているのは「日光金山ホテル」ですね。栃木県の日光で先生の講演があって、一緒に泊まりました。
 あのヘレン・ケラーも泊まったのよ、と教えてくれましたね。
寂聴 ああ、思い出しました。ヘレン・ケラー以外にも、アインシュタインとかアメリカ大統領のアイゼンハワーとかも泊まったの。
まなほ 金山ホテルに着いたとき先生が、「私、ずいぶん昔に、このホテルに泊まったんだよ」と言ってくださったことに、なぜかすごく感動したんです。
 そして優雅な部屋で先生が写真を撮ってくれたことが、すごくいい思い出になっています。
 やっぱり、先生が昔訪れた場所へ、2人で行くというのは新鮮な気持ちになりますね。何となくですけれど小説みたいなシチュエーションにも思えますし(笑)。

「私の代わりに法話もできるんじゃない」

寂聴 あなたも作家らしく想像力が豊かになったねえ(笑)。
まなほ サンフランシスコには先生の別荘があるんですよね。前に「いつか連れて行ってあげる」と言ってくださったんですけれど。
寂聴 そこは私が買った家だけど、いまはもう娘のものになっているの。
 本当にいい別荘でね、娘や孫たちもいまは使っていなくて、いつも空いているのよ。そこへみんな連れてったら、広いから喜ぶかなと思って。
まなほ いいですね、サンフランシスコの別荘。いつ頃建てたんですか?
寂聴 もう10年以上の前。海からすぐ近くにあって、窓から太平洋が見えるの。とてもいいところよ。
まなほ 先生は何回くらい、そこに行かれたんですか?
寂聴 アメリカに住んでいる娘のために買ったんだけど、家具なども買い揃えるために、何度も足を運びました。
まなほ やっぱりお嬢さんには、お優しいのですね。
寂聴 でも別荘の広さとか、いろいろなことで意見の対立もあったのよ。昔の私は、そういうことが気に入らなくてすごく怒ったけど、娘も私に似て気が強いからね。「サンフランシスでは、それでいいんです」って、すまして言うの。でも、今となっては「まあ、いいか」になるね。
まなほ そうそう。どんなに嫌なことがあっても「日にち薬」というお薬が傷ついた心を癒してくれるんですよね、先生(笑)。
寂聴 あなた、トークショーだけでなくて、私の代わりに法話もできるんじゃないの(爆笑)。

「連載『その日まで』、その日とは死ぬ日のことです」

まなほ あ、そうだ! 私今朝、先生からすごーくいい言葉を聞いてしまいました! 先生が「そろそろ俳句、飽きてきた」と言ったんです。私「しめた!」と思って、すかさず「じゃあ先生、がんばって小説を書いてくださいね」って念押ししたのです。
寂聴 そんなこと言っていた?
まなほ 句集『ひとり』が星野立子賞をいただいてから先生、もうずっと俳人モードに入ってしまって、書斎に入ると仕事机いっぱいに紙が散らばっていて‥‥。どの紙にも細かい字でいっぱい俳句が書かれているんじゃないですか。
寂聴 うふふふ。
まなほ 「これは何ですか? 締め切りもあるのに何をしているんですか?」って問い詰めても、先生はあいまいに笑うだけ・・・・。
 小説はほったらかしにしていいんですか?
寂聴 俳句は楽しいからね、けっこう私は本気なのよ。新聞の折り込みチラシなんかでも、余白があると、そこに一句書きたくなる。
まなほ チラシだけじゃないですよ。原稿用紙の端っこか、包み紙の裏とかにいっぱい俳句を書いて、書斎のあちこちに置いてありました。「何だか先生がおとなしいな」とおもったら、こっそり俳句を作っていたのか(笑)。
寂聴 あははは。このままいけば、もう一冊、句集が出せるかも知れない。
まなほ そうですよね、先生はもう一冊出したいんですよね。
 最初のタイトルが「ひとり」でしたから、2冊目は『ふたり』かしら!? 今度は自費出版じゃなく、出版社が出してくれそうですね。
寂聴 そうそ。だって俳句ぐらい作らなければ、人生つまんないじゃないの。96歳までいきてきて、もうしたいことはだいたい全部したでしょ。美味しいものもみんなで食べたでしょう。『源氏物語』の現代語訳も仕上げたでしょう。も男もいないでしょう。あと何があるの?
まなほ 私の結婚式がある。
寂聴 結婚式なんて何が面白いもんか(笑)。私なんて、会場で挨拶するだけじゃないの。
まなほ ひどい! でも先生、早く私に真っ白なウェディングドレスを着させたいって思ってくれていたのは、本当ですよね?
寂聴 まぁ、それは楽しみしているんだけど、もうこの年になったら、日常生活には本当に楽しいって事はないのよ。
 時間があったら横になりたいわね。横になってみる本っていったら、重くて厚い書籍でなくて週刊誌とか。ですから私は芸能ゴシップにも近ごろ詳しいの。
まなほ 先生は、「作家は世間のことを知っておかなきゃいけない」なんて言って、いつも週刊誌を読んでいますが、明らかに好きなだけに見えます。私が書斎に入ると、サッと隠すこともあるし。
 じゃぁ先生、こうしましょう。週刊誌でホップして、俳句でステップして、連載の執筆へジャンプするんです。
寂聴 小説を書くのは精力が必要で、すごく疲れるの。
まなほ でも『群像』で連載をするって決めたのは、先生自身ですよ。
寂聴 そう、タイトルは『その日まで』(『群像』’18年7月号から連載開始)。「その日は」とは「死ぬ日」のことなのね。
まなほ 締め切りもあるのに、俳句ばっかり作って・・・・。
寂聴 大丈夫だって。何を書くは、ちゃんと頭の中にできている。
まなほ 頭の中にできているって、ずっと前から言っていますけど、毎月400字詰め原稿用紙10枚って、私から見たら気が遠くなる量なんです。
寂聴 大丈夫、大丈夫(笑)。

「作家を騙そうとする秘書は初めて」

寂聴 でも連載を引き受けたと、あなた入ったとき、怒るかなと思ったら、私の体力のことを心配してくれた。やっぱりまなほは優しいね。
まなほ 誰だって心配しますよ。そのことを伺ったとき、もう気が遠くなりそうでした。
 でも私にとっても、書きたいという先生のその気持ちがいちばん大切なんですね。編集者の方に「もし何か体調を崩して、途中で無理になっても、その場合は許してください」ということを、ご了解いただきました。
寂聴 まなほ 言いたいことを、ずけずけ言う秘書はいないね。
まなほ 言いたいことはいっぱいありますけど、全然言えていません。
寂聴 言いたいことを言うだけでなくて、いたずらまで仕掛けてくるしね。
まなほ 昨日、ボールペンで手の甲の虫の絵を描いたんです。それで先生に「ここに虫がいる」って言ったら「ああ、もう気持ち悪い!」って嫌がってましたよね。
寂聴 ふつう、秘書がそんなことをする?
まなほ 先生を騙したりする人は、いままでいなかったと思います。だって、そんなことをしたら本気で怒らせることもあるし、クビになるかもしれませんから。
寂聴 ふつうの作家と秘書の関係じゃないね。年の離れた親友みたいな感じね。そこがいいのよ。
まなほ でも肝心な仕事への評価は、正直なところどうなんでしょう?
寂聴 歴代の秘書の中でも、こと仕事に関してはまなほは優秀ですよ。
まなほ ・・・・安心しました。自分で聞きながら、もし先生に「優秀じゃない」って言われたらどうしようと心配していたんです。
寂聴 安心しなさい。もう何でもちゃんとできている。
まなほ ありがとうございます。
寂聴 あまり教えないけど、すぐに仕事を覚える。水があったとしか言いようがないわね。
 でも私だけが優秀とおもっていたって、仕事先から「まなほさんには困っている」とか「若くて可愛いだけで何もできない」と言われていたら、あなたも私も困るじゃない?
まなほ そうですよね。
寂聴 その点、皆さんも褒めてくださる。だからきっと格段に優秀なんですよ。
まなほ 格段ですか?
寂聴 あははは。ちょっと喉が渇いた。ビールくらい出してちょうだい(笑)。
まなほ そうですね、賄賂、賄賂! ビール取ってきます(台所へ)。

「俳句の弟子、第1号は・・・・」

まなほ さっきは連載のお仕事の邪魔になるって、俳句の悪口を言ってしまいましたが・・・・。
寂聴 あなたのお母さんも、私の俳句の弟子だしね。1人しかいないから本当の”一番弟子”よ。
まなほ 先生の句集を読んで、興味を持ったそうです。私にまずメールで送ってきたんですよ。それを私が半紙に書き出して先生にお見せしたんです。
 母も、まさか先生が見てくださるなんて思ってもみなかったからびっくりしていました。それ以来、先生が添削してくださるようになって。
寂聴 昨日も作品をドカッと持っていらしたの。初めて見せていただいたときは、本当に俳句を覚えているのかな? というレベルだったけれど、2回目のときは、すごく上手なになっていました。
まなほ 最初は母も何もわからなくて、1つの句に季語を2つ使うとか、そういうレベルだったんです。
 だけど先生が丁寧に指導してくださったり、「この本を読むといいですよ」って教えてくださったりで、母もどんどんやる気が出てきています。
寂聴 1人で奈良の吉野へ吟行(ぎんこう「*和歌や俳句の題材を求めて、名所・旧跡などに出かける)をするほど、すごく熱心なのよ。
まなほ 以前から旅行は好きだったんです。
 でも先生が「吟行にいきなさい」と、おっしゃった、「俳句ってそんなにお金がかかるのかな」と、思ったんです。でも銀行じゃなくて吟行だったのですね(笑)。いまでは季語の本も持ち歩いています。
 私は俳句はダメそうですが、母には才能が有りそうでしょうか?
寂聴 まなほは詩心がないし、考え方が散文的だかね。でもお母さんは、まあまあね。
まなほ 先生がまあまあっていってくれるんですから、すごいですよね。
寂聴 お母さんは頭がいいし、詩人なんです。
まなほ いままで母がものを書く姿なんて見たことがなかったのに、俳句を詠み始めてからはちょこちょこメモを取ったりしていて。
寂聴 才能がない人がいくら努力したってダメなのよ。
 でもお母さんは、やっぱりまなほの母親だけあって文学的才能があります。
 たぶんお母さんは1冊ぐらい句集を出したいと思ってるはず。きっと、もうその気になっているわよ。
まなほ 親子で世話になっています(笑)。

「素直で明るいあなたなら、どこに行っても大丈夫」
寂聴 『おちゃめに100歳!寂聴さん』の出版記念パーティで、「次に出す本が50万部売れたら、私が先生を養います」と、みんなのいる前で宣言したでしょう。
 まあ、そう思ってくれているだけでも嬉しかったわ。だからしょっちゅう「早く養え」って言っている(笑)。
まなほ 私、本気で言ったんですよ。でも、まだ2冊目が書けていませんけれど‥‥。
寂聴 まぁ、楽しみにしているわ。
 あなたは若いし、これからも楽しいことがいっぱいあるでしょうけれど、きっといまが生涯でいちばん楽しいときよ。
まなほ 結婚して、子供が生まれて、育児して・・・・、それもきっと楽しいと思いますけれど、テレビに出演したり、エッセイを書いたりは、なかなか経験できませんから。本当に先生と出会って、優しくしていただいたおかげだって、いつも感謝しているんです。
寂聴 まなほはそういうことを、口に出して言うの。「おかげさまで」とか、「ここに来たからこういう目に遭える」とかね、いくら世話になっても、そんなことふつうの若いコはね、心で思っていてもなかなか言えないですよ。
まなほ ちょっと恥ずかしかったりしますよね。
寂聴 それを、まなほは素直に言える。そう言われたら私も「ああ、そうか。じゃ、私に感謝しているんだな」と、ちょっと嬉しく思うじゃない。
 ですから、素直で明るいあなたなら、どこに行っても大丈夫。若いときは「すべて自分の実力で成し遂げた」と、思ってしまうのが普通かもしれませんけれど、あなたは思い上がらないところが本当に偉い。
 あとは男運があればねぇ‥‥。
まなほ 男運がないのは、きっと先生に似たんですよ(爆笑)。
寂聴 そこは似なくていいの!(笑)。

今日の私と、明日のまなほ
〆あとがきにかえて

 いま私は文芸月刊誌『群像』に、「その日まで」という題の連載を書いています。
「その日」というのは「私が死ぬ日」のことです。死ぬまで描き続ける、という私の小説家としての夢を込め
たタイトルで、この題は自分の中では、早くから決めていました。
 わたしの死ぬ日は、明日かもしれない。
 今夜かも知れない(笑)。
 その連載の第1回の読者からの評判が予想外にいいので、びっくりしています。なぜ評判がいいのか自
分でも分からないのですけれど、読んだ人は「文章が素直で、誰が読んでも、わかりやすい」と。
 いわれてみればそうかもしれない。だんだん私も、秘書の瀬尾まなほの文章のようになってきたのでしょう
か(笑)。 できるだけわかりやすくしよう、そうおもって随筆のつもりで書いていたら、結果として立派な小説
の雰囲気になっていたのです。

 せっかく連載を始めたのですから、単行本にならいとつまらないでしょう。ですから、少なくとも一年、12回
ぐらいは続けます。
 『群像』の担当編集者は、
「毎月書かなくともいいです。好きなように休んでください」
 と、言うんですけどね・
 本当に好きなように休んだら、もう書かないでしょう(笑)。「毎月書くぞ!」という意気込みがないと、続け
られません。
 不思議なことに書き続けていると、書きたいことがどんどん出て来るのです。『群像』にも書きましたが(*’18年9月号)、まさか私より1歳年下で「サムライ・アーティスト」と国際的に評価されていた、彫刻
家の流正之(ながれまさゆき)さん(*’18年7月 95歳没)が亡くなるとは、思っていませんでした。

 流さんの「その日」を、お嬢さんからはがきを頂いて初めて知ったのですけれど、7月7日の「七夕さん」
に亡くなるなんて、羨ましい(笑)。
 
 今年の初めには「影の総理」とも呼ばれた政治家の野中広務(のなかひろむ)さん(*’18年1月、92歳没)が亡くなって、とても寂しい思いをしたのですけど、これからも私と仲良しだった方々が、いくらで死にますよ(笑)。その人たちのことを書いていっても、たちまち1冊の本になると思います。
 いつ誰が、どこで、どうなるのか?
 どんな大災害が起こるのか?
 いよいよ日本が海外出兵して、戦争に加担する日が来るのか?
 もうそんなことは、そのときにならないとわかりません。起こったことを私がどう受け止めたかを、命の限り「その日まで」書き続けます。

「頭がいい」とは想像力を持っていること

 まなほは、なにもかもがとってもうまくいっているようです。先日も琵琶湖のほうへ1人で講演に行っていましたけど、もう随分上手になっているようです。

 あのコは頭がいいから、いつも私の講演や法話を聞いているうちに、何か「心のコツ」みたいなものを、素直に吸収したのだと思います。
 単に利口というのと頭がいいということはちょっと違うんですね、ここまでは言っちゃいけないことか、もうここでやめたほうがいいとか、もうちょっと言ってもいいかとか、そう言うことが分かる、それが頭がいい、ということです。いくら教えたって、なかなか飲み込めないものなのです。

 ですから、まなほのことはあまり心配していません。彼女の講演の内容などにも、私からアドバイスしたこと
は一度もない。講演そのものを聞いたことなどないのです。
 私も忙しいですから、そこまで付き合えない(笑)。

 私が放っておくものだから、講演に行く前の彼女は「壇上で、喋れなくなったらどうしようかしら」なんて
ウジウジしている。それで私が「大丈夫! 行けー!」って言う(笑)。すると講演が終わった後に「うまくいきま
した!」と電話があって、元気に帰って来る。

 あまり細かいことは言わないで「大丈夫」って、一言だけ声をかけるんですけど、それがまなほの自信になるようね。言葉の力は、それほどすごいのです。
 まなほの長所を改めて考えてみると、「頭がいい」のはもちろんですけど、「優しい」のが、いちばんの美点です。優しい、頭がいい、そして文章が書ける。これだけで十分。
 ほかに褒めるところは‥‥、もうないですね(笑)。

 寂庵へ昔から来ている出版社のひとなんかは、まなほと私のスキンシップが微笑ましい、と言うのね。
外国では親子や孫がハグし合うのは珍しくもないけど、あの娘は66歳年上の私を抱え上げる。プロレスのヘッドロックみたいに、私の頭を二の腕でしめつける。

 リハビリを受けていると、そっと忍び寄ってきて脇腹をくすぐるのよ。それを96歳の私がケガしないように気を付けているから「スキンシップ」なんて言われますが、一歩間違えば「老人虐待」です(笑)。

 要するに、頭がいいということは、想像力を持っているということ。
 ですから想像力を持っているまなほは、いつ、どこへお嫁に行っても大丈夫なんですけれど、ちっとも行かない。行こうらも相手がいない(笑)。

まなほが物書きになるために必要なこと

 10年くらい前、私は能楽を大成させた世阿弥(ぜあみ)の生涯を描いた小説『秘花』(新潮社)を出しています。
 それを書くために、島流しの刑を受けた世阿弥が晩年を過ごした佐渡島を何度も訪ねました。その取
材や調査から私はたくさんのことを教わりました。
「この世には”雄時(おどき)”と”雌時(めどき)”がある」と。いまから600年以上前は男尊女卑で、男が絶対よくて、女はなんでも悪い、劣っているといわれていた時代でした。

 悪いことが続いて起こるときは女の時=雌時。
 いいことが起こるときは男の時=雄時。
 この世に生きていると、その雄時と雌時が交互に入り替わってくる、と世阿弥は言うのです。

 いまのまなほは、ちょうどその「雄時」。人生で華のときなのです。人間の一生は必ずそういう時が一度
はあります。その人の所に、いいことがワーッと集まってくるときが。
 本当は、そんな潮目があるうちに、2冊目の本を出したほうがいいんですけどね。

 ‘17年の暮れに初めて書いた本、『おちゃめに100歳! 寂庵さん』が、この本の売れない時代に18万
部を超えるベストセラーになったんでしょう。ですから、いろいろな出版社の編集者たちがまなほに、「早く小
説を書け」「次の随筆を書け」と、言ってくれるんですけど、まなほとしては、最初の1冊目の実績と編集者
の大きな期待がプレッシャーになって、なかなか筆が進まないようです。

 まなほは私にはちっとも弱音を吐かないけれども、彼女が苦しんでいるのが手に取るようにわかります。
 これから彼女が随筆や小説に挑戦していくのに何が必要かと言えば、それは物をよく見る事でしようね。
 そして、本もよく読まなければいけないのですけど、あの人は全く読んでない(笑)。本人は読むようになっ
たと言っていますけど、まだまだ足りません。

「物を見る目」は寂庵へ来て随分備わりましたから、もうちょっと本を読んだ方がいいですね。
 私の秘書の生活をしていたら時間的に余裕がないかも知れませんし、じっと本と向かい合うより、まだま
だ外へ出かけたい年頃ですからね。でも、体が2つ欲しいくらい忙しいときこそ、さまざまなことが身につくの
です。
 ショルダーバッグに読みたい本とメモ用紙を入れて、いつも持ち歩く。待ち時間や乗り物で移動するとき、
1ページでも2ページでも読む。
 日記の代わりにちょこちょこ手紙を書く。
 彼女のメモ書きぐらいの短い手紙でも、長い手紙であっても、その行間には新鮮な感受性と才能がちりばめられていて、読んでいるうちに涙が出てくるくらい、私を感動させてくれました。日記代わりの手紙は、随筆の原点ではないでしょうか。それを続けていけば、彼女は必ずものを書いて生きていける。私はそう思っています。

忙しくて遺言を書く暇がありません(笑)
「周りが迷惑するから、早く遺言を書いてください」、会計士の先生と顔を合わせる度に、そうせっつかされ
ているんですけど、いざ遺言を書こうとすると次々に事件が起こるから、全然書く暇がない。結局、書けない
んじゃないかしら。

「もう、好きなようにしてぇ」なんて言いながら、無責任に死ぬんじゃない(笑)。
 まあ、遺言は書けませんから、私が「その日」にまなほに何かメッセージを送るとしたら、「早く子供を産
みなさい」ですね。

 寂庵に来たころから、彼女は「子供が好き。なるべく多く子供が欲しい」といっていました。初めは5人な
んていっていたが、このごろは3人ぐらいに減ったけど(笑)。
子供を産むのなら若いほどお産が楽です。本当に欲しいのなら、結婚なんかしなくていい、シングルマザー
でもいいと思うのですけど、「1人で育てる自信がない」と言う。

 私の夢は、イケメンの青年たちに両手をとられてまなほの結婚式に出ることだったのですけど、どうなるこ
とやら(笑)。
もう一つの夢は、私らしいかっこよく死ぬこと。
 私の何よりの楽しみは小説を書くことです。書斎の机に400詰め原稿用紙を広げて、使い慣れた万
年筆を右手に持って、好きな小説を書いているときにお迎えが来る。そのままコトンと原稿用紙に伏して、
私は浄土へ行く・・・・。

 そんな「そん日」が来るといいなと思っています。
 突っ伏した私の姿を見つけるのは、まなほなのか、それとも誰か別のスタッフなのか。
 きっと、まなほは「私がいちばん最初にみつけます!」と、言ってくれるでしょうけれど、こればっかりはどうもなりませんね(笑)。
 (寂庵にて・談)2018年11月20日

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