高血圧は心臓病や脳血管のトラブルに連結しやすい。新聞に出る有名人の死因にかなりの割合で肝不全という病名が書いてある。また血糖値が高いということが意味する糖尿病も、恐ろしい病気である。痛風だって放置しておけば、痛いだけでなく、血管がボロボロになって、さまざまな循環器系の病気の引き金になる。胃潰瘍とか胃癌といったことが、自分のこととして意識される。

本表紙三浦朱門著
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男にとって老いとは

第十六章気がつけば親切にされる存在に

〆お父様はただただ疲れている

〆お父様はただただ疲れている
 老いるということは、一体、どういう現象なのであろう。
 男の場合、四十代に会社などで受ける健康診断で、病的な状況を告げられる。
「血圧が高いですね。今のところ上が百四十ちょっと、下が九十です。上は心配ないですが、下の高めなのが気になりますね」
「検査の結果肝臓に関する数字が思わしくないですね。酒もすこし控えるように」
「血糖値が高いですね。食後四時間で百二十というのは、警戒値ですね」
「尿酸値が五を越えてます。これ以上高くならない方がいい。要するに上手いと言われる物の摂取を少なくする」
「食欲がなくて、吐き気、胸焼け、胃酸の逆流がある? 胃潰瘍かも知れませんね、胃カメラを飲んでみますか」
 その時になって、四十男は初めて、先輩が血糖が高いとか、糖が多いとか、GDTが高い、痛風の痛みがどうしたの、胃潰瘍で胃を切るの、といった言葉、当時は右から左に聞き流していた言葉が、現実のものになってきたことを悟るのである。

 高血圧は心臓病や脳血管のトラブルに連結しやすい。新聞に出る有名人の死因にかなりの割合で肝不全という病名が書いてある。また血糖値が高いということが意味する糖尿病も、恐ろしい病気である。痛風だって放置しておけば、痛いだけでなく、血管がボロボロになって、さまざまな循環器系の病気の引き金になる。胃潰瘍とか胃癌といったことが、自分のこととして意識される。

 ところが、これらの病気の原因は一口に言えば、ストレスの多い生活をしているための職業病である。また一つは贅沢病なのである。運動不足で、社用だ、仕事だと、酒を飲み高級な食事を食べていると、その人の先天的体質によって、上に挙げた病気のどれか一つ以上が問題になってくる。

 男の四十代というのは、かなり厳しい状態にある。勤めている男にとっては、宴会などなくても、定刻の午後五時に事務所を出られる人は滅多にいない。本来の業務の他に、職場の古狸なるが故の雑用をいろいろと果たさねばならない。

 なかなか休みがとれない。心身の疲労が溜まってくる。日曜などは昼近くまで眠る、ということになる。午後に起き出して、子供の相手などしていると、すぐに日が暮れる。一家の久しぶりの夕食なので子どもの好きな鍋物とか豚カツなどを奢(おご)る。

 子供の旺盛な食欲を肴に、ウイスキーの水割りを飲み、野球の中継などを見ていると自然に眠くなる。しかし彼はこのまま眠る訳にはいかない。妻の不当な疑惑を避けるために、また一家の一週間の平和のために、彼女にサービスしてやらねばならない。それが夫の特権的快楽であった新婚時代はすでに去り、他の女とならもっと情熱的になれるのだが、と思いながらのサービスは、日曜に回復した体力をかなり消耗する。

 それでもよく眠れて目を覚ませば、体力、気力が回復していることを感ずる。しかしその日は月曜であり、朝食もそこそこに、職場に駆けつけねばならない。
 近頃は週休二日制に近くなった。これが定着すれば、土曜は家族と子供たちへのサービスに職場での労働以上に体力を消耗しようとも、日曜を完全に休息の日とすることができる。

 とにかく職場で二十年選手になったお父さんは疲れているのである。
 体力をつけなければ、というので昼は高たんぱく、高脂肪の食事を摂る。午後になると身体が重い感じがする。胃腸が昼食を消化しようとしているのである。しかしお父さんは親が死んでも食休みなどとは言っておられない。会議にお得意さんとの折衝に、商品の生産計画の実施のために、いろいろと奮闘しなければならない。

 これは事務職の管理職のお父さんにだけ当てはまることではない。労務担当の人でも、昔のような力を必要としなくなった。昔の労働組合などのポスターというと、ポパイのように逞しく腕の労働者が、大きな手にハンマーを握りしめている図柄があったが、今では大きな力は全部、機械がやってくれる。テレビゲームを操作する道具に毛が生えたようなものを持って、指先でちょこちょこやるだけで、何百トンの鉄材を動かすクレーンを動かせるのである。

 アメリカの工事労働者の写真などでも、ぶよぶよの中年太りの人が増えた。摂取の犠牲になって瘦せ衰えて、結核患者のような労働者、あるいは万国の労働者と連携する革命的な逞しい労働者、とぃつたイメージは今日ではほとんど存在しない。

〆四十男の若さの追求は、奥の細道を辿るに似ている

 とにかく男も四十歳にもなれば、長年の職業生活、家庭生活、あわせて日本の経済大国という物質的事情によって、幾つかの病的症状を背負い込む。たとえば戦争末期の日本には、高血圧、肝臓病、糖尿病、痛風、胃潰瘍などといった病気は絶無に等しかった。

 もっともその代わりアメリカの飛行士の気まぐれによる機銃掃射による死亡、空襲による焼死、といった危険は高かったにしても、食事が貧しかったし、職場では物質不足のために仕事は休みも同然だったから、ストレスもたまらなかった。それで今の日本の中年の男性を襲っている病的症状は起こりようがなかったのである。

 運動しなくちゃあ、酒と脂肪と蛋白の多い食事は控えなくては、ストレスを解消する方途を講じよう、アルコールを摂らない休肝日というものを作れと言われたなあ、といったことを思いながら、なかなかそれすら実行できず、半病人になっている、それが日本の男の現状である。

 女性が瘦せなくては、と思いながら、目の前のケーキがあれば、つい手を出して、四十歳になれば三段腹になるのと同じく、男は生活を変えなくてはと、心掛けながら不健康な食生活、肉体生活を送って、やがては半病人になってしまう。

 それだけに若さに憧れる、という点ではこの年代が一番であるかもしれない。若さの象徴としてゴルフが強いといったことが問題になる。ゴルフ場で街中というのは有り得ない。広々とした緑のコース、頭上には青空が広がり、日はさんさんと照っている。そういう所に出ると、人は何故か、自分が今、非常に健康な状態にある、と思い込んでしまう。

 ゴルフには勿論、社交的な側面もある。しかしゴルフもまたスポーツだから、ゴルフが強いということはスポーツマンということであり、まだ若い、ということでもある。
 人によっては酒に強い、ということに若さの証を見出そうとする。また若い女性が相手になってくれた、といったことに若さを確認しようとする人もいる。

 日本の水商売のかなりの部分は、この中年男の若さを証明したいという願望によって、経済的に成立しているところがある。そういう場所でゴルフの話をして、オレはまだ若いパワーがあるという自信をとりもどす。酒だってまだ強い。女もオレの言うままになるではないか。オレはまだエネルギーに満ちている男だ、水商売の世界は男にこういう形で幻の自信を与えてくれる。

 また普通の女性であっても、時とすると中年男の若さの実証に付き合わされることがある。食事に誘われて、ただで美味しい物を食べられるし、ウチの課長はそれほどイヤらしくもないから、とほいほいついて行っているうちに、風向きがおかしくなる。

「エエー、あたしが課長に気があるって? とんでもない。誤解よ、そんなの、恋は遠い日の花火ではない、ってのは、テレビのコマーシャルだけの世界」
 といった告白を人づてに聞いてがっくりすることになる。

 山口瞳さんのエッセイで、春の桜花賞といった競馬のレース――私は競馬をしないのでこれは私のうろ覚えである――の後、東北地方に競馬を追いかけてゆくと、行く先々で桜の花を見られる、とぃた文章があった。

 四十男の若さの追求は、桜の満開を奥の細道を北に辿るのと似ている。開花時期が東京より三日、四日と遅れる土地の花見をしていって、弘前や盛岡の城址の桜あたりが最後で、北海道にゆくと、何処か本土の桜とは違っていて、花見をしてもわびしい。

若さにとっての北海道というのは、五十歳の大台、ということになろうか。
 四十代ではまだ抵抗していた老眼鏡は五十の声を聞くころから、ポケットから離せないものになる。髪の毛は嘘をつかない。禿げるか、白くなるか、そのいずれにしても毛が薄くなり、生え際が後退する。

 椅子に座って電話している時に、部下のOLが後ろから茶を持って来てくれたりすると、この娘は自分の後頭部の毛が薄くなって地肌が見えているのをじろじろ見ているに違いない、と僻(ひが)みもする。
 ついさっきごろまで、海外旅行をするのに、二十キロ程度の重さのトランクを扱うことなど何でもなかったのに、それが次第に困難になる。若い時はOLが書類を入れた段ボール箱を持て扱っているのを見て、
「本気でやれ」
 などと思ったものだが、ようやく力のない者は重くて扱いかねる箱の類が沢山あることを知るようになる。

〆とうとう、労わられる年代になってしまった

 そしてある日、若い女性が自分に親切になっていることに気付くのである。
 それは自分の男性的魅力にひかれたのだ、と思うほど、自惚れていない。自分が老人になったから、女として接近しても安全だ、ということで、親切にしてくれているにすぎないことを悟る。

 いざとなれば、彼女たちはこんなジジイ、蹴飛ばしてやれば吹き飛んでしまう、と安心しているから親切になれるのである。

 改めて思うと、二十二で就職した当時のOLたちはオレに冷たかった。あれは親切にするとオレに気があると自惚れるから、わざと冷たくしていたので、裏を返せば、あれはやはり独身の男としての自分を充分に意識していたことであって、冷たくした娘たちにしても、真剣に交際してほしいと頼めば、付き合ってくれたのではないだろうか。つまりあの冷たさはもてていることの裏返しだったのだ、と知るのである。

 そして一人か二人しかいなかったが、海のものとも山のものともつかなかった、あのころのオレに優しくしてくれた女性に、本気で感謝しなければならないと思う。
 宣伝課長をしていた時に、会社のコマーシャルを作るのに起用したモデルのハッチャンは、オレと会いたがったし、ネクタイなどをプレゼントしてくれた。こっちがそのつもりになれば、ホテルまで付き合ってくれたかもしれない。あの時の彼女の気持ちが打算だけだとは思いたくないし、オレの忠告に涙を流して聞いてくれたことからみても、やはりある程度の本気の気持ちもあった。

 オレは立場上、彼女に手を出さなかった。それは正しいことだが、オレが宣伝課長でなかったら、彼女はあれほど積極的にオレに接近しただろうか。
 中年以降の情事、疑似恋愛など振り返って見ると、それは本当に裸の自分がもてたのではなく、自分の社会的地位とか、若い男が持っていない金が、女性にとって魅力があったに過ぎないことも分かっている。

 一番、純粋にもてたとすると、高校二年の時に、打ち合わせた訳ではなかったが、駅のホームで待ち合わせるようにして、二人で帰宅したミヨちゃんが、本当にもてた唯一の例かもしれないと、今はやはり五十の婆さんになっている筈のミヨちゃんが懐かしい。彼女はオレが流感で一週間休んだ時、授業のノートを整理してオレに見せてくれた。オレは彼女に何も報いなかったなあ、と今更のように悔やまれる。

 五十の後半の男はまだ電車では席を譲られないが、職場では労われる存在である。職場で偉くなって役員になっていても、部下の女性は上司へのサービスという面と共に、母性本能をくすぐり老人への労わりの要素が含まれてくる。
「専務、お口にお昼のハンバーグのソースがついています」
 と秘書の娘がティッシュで拭いてくれても、それは婚約時代に妻になる娘が、額の汗を自分のハンカチで拭ってくれたのとは違うのである。妻なる娘にとっては婚約者の汗は不潔で気味の悪いものでもない。しかし秘書にとっては上司の汗や口に着いた食物の残滓は気味の悪いものである。しかしそを拭ってやるのは、母性愛や看護婦に似た感情からであろう。

 四十歳の課長の寿司屋からかっぱらって来た湯吞みは、そのへりは課長の唇が触れたと思えば、OLにとっては身震いするほど汚い。それは彼女が課長に雄を感ずるからであって、彼女は雌として、受け入れよい男性と、絶対に拒否する男性との区別に敏感になっているためである。

 五十を過ぎた会社の重役の口の端についたソースは、二十代の娘にとっては、不潔であっても、彼を異性とは認めないから、毛嫌いの対象にはならない。五十の男はしばしば若い女性の憐みの対象になる。

エピローグ 人生はいくつになっても見果てぬ夢

〆残るは妻だけ、彼女のいない人生はない

 そして六十歳。
 還暦という言葉は否応なく、男には自分が老人になったことを悟らせる。
 六十代の前半で概ね男にとって子育ては終わる。彼が四十歳の時に生まれた子供も、彼が六十五歳の時には二十五歳になる。もう親離れをしている。

 社会的にも自由業、組織の役員になったものを除いて、概ね第一線から引退する。クラス会で集まると、半数は働いていない訳ではないが、第二の人生というか、最初の職場は定年退職になって、その後、第二の人生というと聞こえはよいが、要するに隠居仕事をあてがって、そこで長年培った顔の広さと実務への練達した技術だけで、現役時代から見ると僅かな給料を得ている。年金があるから、それを合わせれば何とか老夫婦で暮らしてゆける金額である。

 若い女性の活き活きとした姿を見ると、間近で眺めたいと思うし、その肌に触れてみたいような気もする。どういう所に行けばそれが可能かは知っている。しかしそれを実行するのにはためらいがある。

 若い女の肌にふれたいから、現役時代からなじみだったマダムがいるクラブにいきたいと女房に言えば、笑って許してくれる。しかし老妻に許してもらえるようなことは、言ってみれば年寄りの冷や水なのである。第一、若い女というのは、孫娘とそうは年が違わない。男の孫のガールフレンドもやがてその年頃になるのである。

 またそう言う相談を持ち掛けることが出来るという自体、すでに老いなのである。それは真剣なことではない。冗談のようなものだ。

「やっぱりなあ、この年になって若い娘の肌は魅力的だよ。今度、ほら、支社長時代に正月には家に挨拶に来た、ほら、何とか言った、そうそう、おミヨちゃんか、あの人の店に行って、若い娘の顔を見て来るかな」

「行ってごらんなさい。おミヨちゃんは喜んでくれるかもしれませんでも、あたしはホストクラブなんかゴメンですね」
「そうだ、ホストとタンゴを踊って、ギックリ腰になったりして‥‥」
 そんな会話が可能になると、男にとって、妻の存在が貴重になる。血のつながりから言えば、子供が一番、縁が深いのだろうが、子供は丁度、中年にさしかかるころで、子育てに社会生活に忙しくて、とても親の面倒を見るどころではない。第一、自分たちの生活のテンポが合わないから、たまに孫を連れてこられると、帰った後が、がっくり疲れてしまう。

 若い頃からの友人も、一部は亡くなり、残った者もそれぞれのついの住処を手入れて引きこもっているのか、音信は年に一度の年賀状だけになってしまった。
 親類縁者も今も遠い存在である。

 そうなると、根は他人だったはずなのに、残るのは妻だけ、ということになる。自分の人生は結局は妻と一緒に築いてきたようなもので、彼女のいない人生など考えられくなっている。

 それは若い時の熱情で、寝ても覚めても一人の女のことを思っているのと違っている。日常、妻を意識しないでも、生活そのもののあらゆる分野は妻にしには存在しなかったものなのである。

 そして妻を思いやるというよりも、いささかエゴイスチックな動機から、妻に死なれては困ると思う。
 買い出し、ゴミ出しに皿洗いまでは自分の仕事、料理と洗濯は妻の領分、掃除は協力してやる、といった家事の分担がいつのまにかできていて、妻に寝込まれるとその日の食事から困ってしまうのである。

〆若い時に見えていなかったものが見えてくる

 そして七十歳。もう働いている人はいよいよ少なくなる。健康はいろいろと問題があるが、それは四十代からの長い付き合いだから、それなりに病気とのつきあって生きていく術も身に着けた。

 それでも次第に病気が優勢になりつつあるから、こちらは侵略されつつある王国のようなもので、やがて産業の中心部分を占領されて、国家は半身不随になり、そうなれば王都を占領され国家としては消滅してしまう日がくることを覚悟する。

 それでも人間の業であろうか、上手いものを食いたい。美しい景色を見たい、未知の世界を知りたい。美味しい物の内容は若いころとは違ったが、それでもやはりそれを口にできた時は嬉しい。

 男の業として、まだ異性に興味がある。私はテレビドラマが好きになってきた。若い人達の風俗がわかって、それをバカにしながら楽しんでいるつもりだった。それが妻に指摘されたのだが、実は若い女優さんを見たくてドラマを見ているのではないか、と言われば、確かにそういった面もないではない。

 若い時は七十のジジイなどというものは、もう女などに興味がないのだと思っていた。しかしそういったものでもない。

 強いて違いを言えば、若い頃の異性を見る目は飢えたイヌが、食べ物を前にしたようなもので、食器がどうあろうと、多少、そこに土砂が混じっていようと、ただひたすらに空腹を充たすために食う。

 中年になると、食器の良し悪しとか、食事をする場の雰囲気とかが問題になる。料理の上手い下手は勿論だが、食品の質や盛り付けまでに趣味ができてくる。

 老人になっても腹は減るから、ある程度の食べ物は必要だが軽くよい。茶事でも食事があるが、老人の性の欲求も、茶事での食事のように、若い人から見れば抽象的な関係で満足するようになる。

 私は今でも関西に用事があって、月に二度ほど新幹線を利用する。富士山の全容が見える事は滅多にない。全く見えない日が多分半分ほどで、部分的に見える日が半分近いといった比率であろう。

 富士山が見えなければつまらないが、それはそれで運が悪かったと諦められる。全容が見えた時は、今日はついていたと自分を祝福する。そして部分的にしか見えなければ、富士山と一口にいっても、その日によって、全く同じに見える日というのはないものだ、と妙なことに感心する。

 つまり老人になるということは、別にわびしいことは言えない。若い時に見えなかったものが見えて、それなりに美しい光景を楽しむことができる。そして人生は何歳になっても、依然として見果てぬ夢なのだ。
 平成九年四月 三浦朱門

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