シカの雌は、自分を争って、雄が死闘を続けているのを眺めて、どちらも大した雄ではないと見極めると、雄が戦っている間にどこかに行ってしまう。
 人間の女性だって同じことであろう。自分の周りに男が寄って来るのは歓迎である。それだけさまざまの遺伝子を持った男たちが寄って来るのだから、自分が産む子供にはどのオスの遺伝子を使おうかな、と迷うのも楽しいであろう。だから昨日まで自分を追いかけていた男が、今日は別の女の尻を追うようになると不機嫌である。

本表紙 三浦朱門著

赤バラ閉経による卵巣からのホルモン分泌が減少することで性交痛を引き起こし、セックスレスになる人も多く性生活が崩壊する場合があったり、或いは更年期障害・不定愁訴によるうつ状態の人もいる。これらの症状を和らげ改善する方法を真剣に考えてみたい

第四章 男と女は、「男類」と「女類」ほどに違う?

〆私は「耳女性体験者」だった。

 私が結婚することになった時、”女性のベテラン”である吉行淳之介が、性の体験なしに結婚するのは、兵士が訓練をせずに戦場に行くようなものだと私に説いて、彼と親しい娼婦を相手に、一応の訓練をすべきだと言い出した。

 これが冗談ではなかった証拠に、本当にそういう地区の従業員組合の組合長という三十代の女性を紹介してくれたことがあった。
 私に性の体験がなかったのは、道徳的理由でもなく、また、そういうことに使う金に不自由していたわけでもない。一言で言えば、怖かったのである。

 ハイティーンのころから、一緒に食事をしたり、夏なら海に泳ぎに誘うことのできる異性の知り合いはいたが、皆、私より年上であった。
 そういう知り合いができたのは、旧制高校に入ってからであった。高知の田舎町では旧制高校は最高学府であり、地元の旧制中学からは最高級の秀才でしか入れなかった。そして私たち四十人のクラスでは、浪人二年の者が二人と落第してきた者を含めて、浪人が六割、飛び級して入ったのが一割程度、残り二割と少しが現役、という状況であった。

 入学して間もなく親しくなったのは、前にも触れたが阪田寛夫である。彼は一般的には『サッちゃん』という童謡を作詞家として知られているが、芥川賞をはじめ、数々の文学賞を獲得し、日本藝術院の会員にもなった文学者である。ちなみに『椰子の実』の作曲家の大中寅二(おおなかとらじ)は彼の叔父である。

 阪田は大阪出身だから、高知の田舎町では幾らか違う空気を漂わせていたかもしれない。まず阪田が「森永」チェーストアのレジの女性に好かれて、何を飲食してもタダになった。同行する私もタダである。そんなことから、今の言葉でいえば、スナックのウェイトレスたちとの交際が始まる。

 ただ私は、そういうお化粧した大人の女性の体臭が感じられるほど近づくと、惑乱して話を合わせることが出来ない。それは高校を卒業して、東大に入ってからも同じであった。

 敗戦後、一年近くたって、私が始めたバイトは、前に書いたが女性のファッション誌の翻訳である。ファッションの仕事となると、多くの女性と一緒に仕事をすることになる。当時、モデルさんは職業としてまだ確立していなかったが、モデル役はいた。私も彼女らに対しては、編集部の一員として偉そうな態度を取らねばならない。

 とにかく私は女性体験が絶無なのに、一人前の顔をしていた。「耳年増」という言葉があるが、私は「耳女性体験者」であった。
 そりほかにも、バイトではなかったが、女子大生のレポートの書き方などの相談相手もしていた。彼女らの、ダンスパーティで知り合った男子学生に付きまとわれたという相談に、一人前面して忠告などしていたのである。

 そんなわけで、男姓体験もなさそうな曽野綾子と結婚するについては、別の性の体験などなくても、相手も無知なのだし、何とかなるさ、と楽観していた。
 ところがそうでもなかった。

〆生物は「男類」と「女類」に分けられる?

 結婚して間もなく、阿川弘之の家を訪問した時、結婚の感想を聞かれた。
「いや、同じ人類、動物学的には種ですか、それで男と女を一緒にしてしまうのは、間違いだと思います。全動物を男類と女類に分けて、男類の系列としては、人間の男、チンパンジーの雄、それからライオンの雄、カエルの雄、サカナの雄、昆虫でもセミの雄、ノミの雄、シラミの雄という集団。
それとは別に人間の女性、チンパンジーの雌、以下。ずっとあって、ノミの雌、シラミの雌といった女類の系列がある。少なくとも生物学的には、そういう分類が必要ではないでしょうか」

 と言うと、阿川は嬉しそうな顔になって、大声で襖一つ隔てた隣の部屋の夫人に呼びかけた。
「オ――い、オマエはシラミの雄の次だとよ」
 阿川の言うことは間違っているが、そういう思想は今でも私の中にある。
 たとえばサケは、繫殖の時期を迎えると、海から自分たちが生まれて育った祖先の河を上り、その上流の産卵に適したところにたどりつく。そこで雌は産卵をすると、もう、その生涯は終わる。自分が産み落とした卵に、どの雄が精液をかけよと無関心である。

 シカの雌は、自分を争って、雄が死闘を続けているのを眺めて、どちらも大した雄ではないと見極めると、雄が戦っている間にどこかに行ってしまう。
 人間の女性だって同じことであろう。自分の周りに男が寄って来るのは歓迎である。それだけさまざまの遺伝子を持った男たちが寄って来るのだから、自分が産む子供にはどのオスの遺伝子を使おうかな、と迷うのも楽しいであろう。だから昨日まで自分を追いかけていた男が、今日は別の女の尻を追うようになると不機嫌である。

 そして適当な男が見つかると結婚する。だから、彼がほかの女性にそのDNAを配分しようとすると怒るのである。彼のDNAは自分専用でなければならない。男にも似たところがある。妻はほかの男のDNAを持った子をつくると、その養育の費用が自分にかかってくるので怒る。

 ある男、めでたく結婚して、子どもが生まれた。子供が生まれても、夫婦の仲は変わらない、と彼は思っていた。それは赤子を隣の部屋に寝かせて、夫婦だけの時間を、子供が生まれる前のころのように楽しもうとしていた。

 しかしある晩、もうすぐに夫婦の新和関係が絶頂になろうとしていた時、隣の部屋で赤子が泣き出した。
「するとだね。それまで、オレの胸の中でハーとかホーとか言っていた女房が、突然、オレを突きはねのけてだね、赤子の所に行きやがった。彼女は子どもを抱いて、乳を飲ませて幸せそうにしているが、オレはどうすればいいんだ。

 彼女にとっては、乳房の占有権順位は第一が赤ん坊、第二がオレ、ということになる。つまりね、オレは彼女にとって、子供を産むための道具にすぎなかった、ということさ」
 確かに性交に関する限り、男に主導権がありそうに見える。だいたい、男がその気にならなければ、彼のDNAは女性の卵子に伝わらないのである。ところが、悲しいことに、男はたいていの女性に対して、その気になるようにできている。

 しかし間違ってはいけない。男は女を獲得し、彼女を支配して、DNAを植え付けるのではない。彼女に奉仕してDNAを提供するにすぎない。
 それでは女性はどうして男性を相手として選ぶのだろうか。

〆女が男に求めるのは、さまざまな「力」

 まず、それは力である。力というのは、原始時代には識別が簡単であった。自然と肉食動物から女性を守ってくれる体力、知力の持ち主である。その壮健な体と知力の象徴として、若々しく疲れを知らない、そして形体的にも整った肉体の持ち主ということになる。

 形体的に整った肉体というのは、人間が衣服で体を包むようになると、姿勢とか身長とか、顔立ちによって識別するようになる。文明が進むと力というものも、複雑な形を持つようになる。

 ある社会で支配的な影響力を持つ者は、その権力が力と見なされる。また経済力も、現代では力である。だから原始時代だったら見向きもされなかったような老人でも、権力があり、経済力があれば、結構、女性が彼のDNAを受け入れてもよい、と考える。

 若かった遠藤周作や私が、一流ナイトクラブのホステスにもてなかったのは、金がないと見透かされたからである。私たちが一万円札の束をもっていて、それを彼女らのプライドを傷つけないような形で提供する気配を見せなら、私たちだってもてたに違いない。

 水上勉や吉行淳之介が若かった頃からもてたのは。彼らが彼女らの目に、母性愛をくすぐるものがあったか、あるいは、今は客とホステスという関係だが、ナイトクラブの外で個人的につきあえば、この人達は同じような悩みを持つ仲間、という同士愛に似たものを漂わせていたのであろう。

 とにかく女性はさまざまな男性のDNAを受け入れてもよい、という衝動を持っている。だから文明が進んで、男性が女性とその子供の生活に必要な物資を確保する役回りとなると、男性は自分の女への目が厳しくなる。極端な場合、イスラム教徒のように、男性の女をほかの男性の目にすら触れないようにする。

 その反対の場合もある。蒙古人のような放牧民の場合、ごく狭い地域を放牧しているのだし、接触する他人も限界がある。というよりも、誰もが共通のDNAを分かち合っている結果、新しい遺伝子が入りにくくなる。その場合、客が来れば、彼に自分の妻を提供するケースも出て来るし、ジンギスカンのように、妻が敵に捕らわれている間に宿した息子を、ほかの息子と同様に扱うというケースも出て来る。

〆男はペットの雄に共感し、女は雌に感情移入する

 ある男、ペットショップで雄の子犬を買った。チビのくせに、一人前をして、客に吠えかかるのが可愛いと思ったのである。
 最初のうちはよかった。ちょうど気候のよい季節であり、バスケットに入れて、団地の入り口の駐車場脇の子供の遊び場で、一部がゴム紐になっている網を街灯に縛り付けて、勝手に走り回らせておけば犬は満足だった。彼はベンチに座って、その日の新聞にザッと目を通す。それが終わればバスケットに入れて家に帰る。バスケットに入れるのは、子犬がまだ小さくて、大人の歩調につていけなかったからである。

 やがて大人と同じ速さで歩けるようになる。そうなると、団地の入り口まで行って帰るのが、ちょうどよい散歩の距離になった。子犬に散歩をさせると朝食がこなされてきて、消化器を刺激するのか、家に帰ってトイレにゆきたくなる。それが済めばちょうど出勤の時間になる。

 散歩の途中、大きな犬に出会うと、子犬は怯えて、主人の股の間に避難する。この辺りまでは可愛かった。
 そのうち、大きな犬に積極的な関心を示すようになった。耳を立て、尻尾を振って、そばに駆け寄ろうとする。どうやら相手は発情した雌であるらしい。しかしその雌犬は、彼の飼っているような子犬などは見向きもしない。

 彼はふと自分が中学時代に、テレビのアイドルに熱を上げていたことを思い出した。そして子犬に共感と憐れみを覚えたのである。
「そうか、そうか。しかし、まだ、お前には無理だ。あきらめろ」
 心の中でそう呟いて、抱き上げて通り過ぎた。子犬は小さい声で吠えながら、雌犬の方を眺めていた。

 犬の散歩は彼の仕事、というわけではない。日曜などは彼が寝坊しているから、妻が犬を散歩に連れていく。
 ある日曜、女房と犬がそろそろ帰るころだと、台所でコーヒーをいれ、トーストや卵料理をしていると、妻が入り口から、大声で苦情を言う。
「うちの子ったら、色気づいちゃって。三号棟にキレイな雌犬がいるでしょう。あれを見ると、近寄ろうとして、引っ張っても動かないのよ。恥かいちゃったわ。去勢した方がいいんじゃない?」

 彼にとってはほほえましい行動が、妻に不名誉な体裁悪い出来事なのである。彼はふと思った。子犬が雌で、散歩の途中、狂暴そうな雄犬に目を付けられたとしよう。恐らく子犬は怯えて彼の足の間に避難するであろうし、彼としてはその雄犬を厚かましいと思い、不愉快に思うだろう。

 しかしヒョットとすると、子犬を連れていたのが妻であったとすると、
「ウチの子、まだ子供だと思っていたのに、一応は大人の雄犬の関心の対象になるみたい。今日なんか、やはり同じくらいの大きさの雄が寄って来て、ウチの子のお尻の匂いを嗅ぎたがるの。向こうの犬を連れていた男の人がひどく恐縮して、謝って犬を引きずって行ったけれど、ウチの子も、もう犬としては一人前、いえ、一匹前になったみたい」

 と。意外に上機嫌なのではないだろうか。それに対して、彼は不機嫌な顔で、
「親が誰だか分からない子犬が何匹も生まれてはかなわないから、獣医さんに避妊手術してもらってこいよ」
 と言いそうである。
 ペットでさえ、男は雄に共感を持ち、女は雌の子犬に、思春期の自分の体験を反映させる気配がある。この家の場合にしても、そこに雄犬がいれば、夫はそれに共感を覚え、雌犬なら、妻がその成長を微笑ましく思う。
 いや、人を含めて動物全体を男類と女類にわけるという発想は、人間の男と、女性への違和感を、飼い犬に投影しているのかもしれない。それほど多くの人間の男は女性を知れば知るほど、違和感を見出すに違いない。

〆男の優先順位と女性の優先順位は、次元が違う

 男同士、飲み屋などで語り合う時に、配偶者のことよりも、たとえば職場の女性、珠に、「お局さま」といわれるようなベテランOLのことを、
「やっぱり、女ってのは・・・・」
 などといった形で、そういう違和感をこぼしあうのであろう。
「だからな、今年、入って来た、あの可愛いコ。彼女だって、いざとなると、やっぱりシブトイぜ」
 などと、「可愛いコ」に惹かれる自分たちを戒めたりする。

 男だって、別に自分たちが鈍感だとは思っていない。会社の仕事にせよ、家庭生活にせよ、それなりに神経を使っている。ただ、男の優先順位と女性の優先順位とでは、次元が違う。

 たとえば、男は社外の人や組織との対応については、会社とのかかわりで優先順位をつけて、大切なところから対応してゆこうとする。しかしそれはお局さんからすると気に入らない。
「課長、A社へのお礼、もう一週間も遅れていますが、早く、処置してください」
 彼女にとっては日付の早い遅い、あるいはお中元でいえば、その質や金額が問題なのである。よいお中元を持ってくる相手は、それだけ、自社にすり寄ろうとする気心があるのだから、優先順位としては後回し、という男の課長の気持ちはわからない。

 家庭生活でも同様である。たとえば夫婦だけの食事の後で、お中元にもらった果物をデザートに食べようとした時、夫としては、《たまのことだから、奮発するか》といった気持ちから、豪華にメロンを四つ切にして、皿に盛ってゆくと、女房は嬉しそうな顔をするどころか、
「あらー、メロンなんか。昨日からやっと食べごろになったから、明日のお客にお出ししようと思っていたのに。夫婦だったら、ネーブルが一番古いから、あれから始末してゆけばいいのよ」
 と言う。そこまではいい。

 夫が、メロンは半分残っているのだから、明日のデザートには、古くなったネーブル一緒に切り刻んで、ハチミツやワインでフルーツポンチまがいのものを作ればいい、と言おうとすると、女房は言葉をついて、
「まったく、男の人っていのは、モノがわかっていないのだから」
 とまで決めつけるのである。

 どうも、全動物を男類と女類に分けるということは、生物学的には間違いかもしれないが、人間に関する限り、ということは文化人類学者には、男性と女性とは違う価値観を育てているらしい。それだからこそ、互いの短所を補うことができる。というので、どの社会でも結婚という制度、男性と女性が補い合って暮らす、という制度を作ったのであろう。

〆旧約聖書にみる長男の自立と末子(ばっし)相続
 旧約聖書は、遊牧民の古代の伝承や風習がさまざまな形で書かれているので、貴重な文書だと思う。
 たとえば末子相続というのがある。つまり息子が何人も生まれると、まず長男が一定の家畜を与えられて自立せねばならない。家族が増えると家畜も増やさねばならないし、それまで遊牧に使っていた草原では間に合わなくなるからである。

 それだけに、新しい牧草地と家畜の群れを与えられた長男は、そこに接触するほかの放牧民に対して、自分はこれこれの家庭の出身で、羊の群れをその家長である父親からもらった家畜である、ということを明らかにせねばならない。それで遊牧民では父親、部族の名が重要になる。牧草地の利用の権利の争いが起きれば、それは個人とその群れではなく、家族と家族、場合によっては部族と部族の争いになるからである。

 テロリストとして有名なオサマ・ビン・ラディンの場合、「ビン」は息子という意味である。文字通りいえば、ラディンの息子のオサマということになる。
 しかしこの場合、ラディンというのは父親の名前ではなく、部族の一歩手前の一族としてのラディン出身のオサマ、という意味である。ラディン家のオサマということだ。
 
 イブン・サウード(初代サウジアラビア国王。アブドゥルアズィーズ・ビン・アブドゥルラハマーン・ファイサル・アール・サウード)という人がいるが、イブンはビンと同じ意味の方言で、息子という意味で、サウード家の男性、ということである。したがって、「サウジ・アラビア」という言葉の意味するところは、サウード家の支配するアラビア国ということになる。

 旧約聖書では「ノアの方舟」のノアの子孫のアブラハムは、神の命令で父の許を離れて自立した遊牧者になる。その時、息子がいなかったからであろうか、ロトという甥を伴っていたが、やがて彼に家畜を分与して別居する。

 アブラハム夫婦はもう子供をつくることの難しい老年になってから、イサクという息子を与えられる。神に息子イサクを犠牲として捧げよ、と命じられて、その神意に沿おうとした心を愛でられて、結局イサクの命も助かり、アブラハムの後を継ぐことになる。

 イサクは父の死後、双子の息子を与えられるのだが、彼の跡を継ぐのは後から生まれた、弟のヤコブである。そのヤコブはたくさんの息子に恵まれたが、末子のヨセフを愛するのを上の息子たちは憎んで、ヨセフをエジプト人に奴隷として売ってしまう。

 このヨセフは奴隷の出身ながら、エジプトの宰相になる。そして故郷が飢饉になったため一族がエジプトに避難してきた時、ヨセフはかつて自分を売った兄たちを捕らえる。
 兄たちは宰相が自分たちの弟と知らないので怯えるが、ヨセフは兄たちを脅しただけで、かえって彼らに恩恵を与える。

 こういう物語は、遊牧民にとって、息子、それも末子中心主義を偲ばせる。もっとも、これからの物語が記述された時代には、もう遊牧民から定住する農民になっていたであろうから、末子相続についてはいろいろと違和感があっただろう。

〆一夫多妻は男の天国? それとも地獄?

 アブラハムはほとんどユダヤ民族にとって祖先といってもよい存在だから、イサクに相続させるために、兄であったロトを甥にする必要があったのではないか、と私は想像している。イサクに家を継がせるために、神はイサクを犠牲として捧げようと命じ、それに従おうとしたアブラハムの信仰を愛でて、イサクに後を継がせよう、アブラハムに命ずる。

前述したように、イサクの息子ヤコブは双子の兄を差し置いて家を継ぐが、その兄は聖書では怪物のように描写されて、ヤコブが跡を継ぐのはしかたがないと思わせるようにしている。

 またヤコブの末息子ヨセフが兄たちに奴隷として売られながら、結局、立身出世して、家の名を残すのはヨセフということになるのも、農民になったユダヤ民族にとって、末子相続の伝承を正当化するためのフィクションが加わっている、と私は想像するのだが、間違っているだろうか。

 とにかく、ここでは父から息子へという伝承ばかりが重視されて、女性は名前が出て来るだけである。一人の男が何人もの女に子供を産ませている。

 一つには遊牧民の生活では男子の死亡率が高かったからであろう。ヒツジの群れを守るために、オオカミの群れと戦わねばならないから、遊牧民の男は闘士として育つのだが、犠牲者が多かったことであろう。

 旧約聖書はそうしてできた未亡人を遺族が養うために、弟が兄の未亡人を妻とする、という話も出て来る。彼女らにも子どもがいた事であろうから、肉親による家族中心の元遊牧民の農民としては、彼女とその子供を養うためには死者の弟の妻にするより仕方がなかった、と私は想像している。

 イスラム教は一夫多妻主義をすすめたように誤解している人がいるが、教祖ムハンマドは、一夫多妻主義を否定することが困難であったから、妻は四人までにとどめろ、と妻の数を限定したのである。

 しかし現代の日本の男にとって、あの恐ろしい妻が四人もいたら、それだけで家出したくなることであろう。一人だけでも大変なのに、それが四人もいて、それぞれが勝手に問題を持ち込んだらと想像しただけで、そんな家庭生活は到底維持できないと思うはずだ。

 世界の風潮として、一夫一妻制が基本になろうとしているのも、男の理論と女性の理論が違う以上、それを一人一人で戦わせる、というか、それは補いあわせるといっても同じことだが、そうするより仕方がない、というのが正直なところであろう。

 女性にとっては《この手のかかる夫を一人で持て余しているのに、二人も三人もいたら、とてもじゃないがやりきれない》ということだろうし、その逆も、つまり男にしても、一夫多妻については同感するところであろう。

第五章 男は生産的、女は消費的?

〆女性の役割は消費、男性の役割は生産?

 妻にいろいろと都合があって、夫が家事をすると、概ね、妻は気に入らない。それは自分の領分を侵された、という嫉妬もあるかもしれないが、確かに貯蔵された物資を順序よく処理してゆくには、女性の理論が有効だ。

 たとえば、頂いたお中元は早速礼状を書きはするものの、その利用の仕方は物の値打ちによって、たとえば食糧ならその日の栄養のバランスや、素材の鮮度などによって、消費の手順を決めてゆく。夫に任せると、その場での気分や自分の嗜好などで消費の手順を決めるから、夫の食糧の使い方は女性の消費の心づもりと違ってきて、妻は気に入らない。

 そもそも、結婚制度の生物学的目的が種族の繁栄にあるとすれば、その中での女性の役割は消費の一言に尽きる。

 性交の時の授(受)精における体力の消耗は、女性も男性の射精と同程度であろうが、それから胎内で赤子を人間として通用するまで育てるだけだって、大変な消耗である。胎児というのは彼女の子供であっても、夫のDNAをも受け継いでいる。母親にしてみれば、胎児は半ば異分子である。ツワリというのも、胎内に異分子がいるために生体としての違和感、生理的拒否感の表現といえよう。

 それから出産。それだって大変なことである。性交と同じ器官を使うのであるが、その消耗度が違う。それから授乳、育児と、母親として心身の休まる時がない。
 つまり、結婚生活の目的が子孫を残すことにあるとするなら、そこでの女性の消耗たるや相当なものである。もちろん、消耗の原資である物資は夫である男が持ってくるのではあるが、女性としてはそれらを生理的にも、家庭運営上でも、効率よく整然と消費してゆかねばならない。

 だから食後のデザートは何にするか、ということについても、夫になど任せてはおけない、ということになる。
 一方、男は生殖にあたっては、ほんの一瞬、当人も意識しなかった一つの精子が妻の卵子と結合するために、性交を行うだけである。繰り返すが、それまでの男女の消耗の度合いは似たり寄ったりである。

 問題はそれからあとである。妻のお腹かが大きくなるにつれて、さまざまな物が必要になる。一つは彼女と胎児を養うための食料の確保であるが、その他、出産と育児にあたっては多様な物資を必要とする。それらの物を彼は手に入れなければならない。人類が積極的に生産活動を行う以前から、それらの物資の入手は男性の責任であった。必要な物資の入手を「生産」というなら、男子の職分は生産ということになる。

 つまり女性は消費的存在であり、男性は生産的存在ということになる。
 そこで男性は外で働き、女性は家を守る、というパターンができたのであるが、文化が進み、人間の生産活動が複雑になるにつれて、男性の働き方が純粋に生産活動に従事するとは言い難いことになる。

 たとえば、家電を製造して販売する一企業を考えてみよう。いかなる製品を、どういう性能を持たせて、どのような過程で製造し、それをどのようなルートを通じて幾らで販売するか、といったことは、この企業にあってはその生産的な顔ということができよう。

 他方、それぞれの分野とプロセスに、どのような施設を用意すべきか、それを経済的にするにはどうやって入手すべきか、その費用は幾らと見積もったらよいのか、また生産に従事する従業員の人数、その待遇、労働の質の維持はどうするかという面もある。

 全過程を自社で製造するわけでないから、部品別に、特定の他社から購入せねばならない。この場合でも、経済的に見合う事はもちろん、製品の企業秘密を守るために、論理的な面も重視し、人間関係の面では、協力関係を結ぶ他社、多くの場合は、中小企業との関係を密にする必要がある。

 かといって、それらの会社を子会社にすれば、親会社に全面依存して、これまで以上によい製品を作る研究・努力を怠るようになっては困る。
 こういったことは、一つの企業の中での消費的な要素である。

〆どんな活動にも生産と消費、両方の要素がある。

 主婦は家庭生活を維持してゆくために、どんな炊事道具や衣類の補修具、収蔵庫などが必要かを検討する。さらには子供が成長するにつれて、教育のためにどの程度の学費――塾の費用、場合によっては家庭教師の選択――が必要かを考えねばならない。家庭教師が女子大生の場合、中学生の息子の性愛の対象になっていることをうすうす感じて、真面目に教えようとしなくなっても困る。その謝礼だって、世間並みの相場と、彼女の能力を加味して決定せねばならない。

 主婦の仕事は、企業内部の運営、人事、下請けとの対応などと共通する性格が強い。
 つまり、どのような人間の活動の中にも、生産と消費の二つの要素がある。一人の個人が食料を手にするのは生産であっても、一度口に入れれば、その段階から消費になる。

 私は二十代の時、若くして今までいう准教授になった。すると経理を担当する副学長的権限を持つ人、つまり消費面の責任者が、私には昼飯を驕ってくれた。そして、雑談的に、大学の経営について教えてくれた。

 人件費は五割にするのが理想で、六割を超えてはならない。一学年千名、学部として四千名とするのが経済的存在の限界。できれば学部で五千名欲しい。私のいた学部は芸術学部であったが、大量生産のできない音楽部はゴクツブシ。演劇科、放送科を創設すれば、少数の学生を相手に、人件費ばかり食っている音楽の教師の利用面が増える。

 この辺りまではよかった。或る時、簿記の本を取り出して、借方・貸方の説明をはじめられたとき、私は昼飯はタダで食べられる特権を放棄することにした。しかしその後の私の社会生活を考えると、やはり会計簿記というのは、もう少しわかっていたらよかった、と後悔している。

 簿記の初等科的知識がショッキングだったのは、百円で仕入れたものが、百五十円で売れたら、私のようなオメデタ人間は儲かった、とばかりに大喜びするだけだが、簿記では百五十円の入金と同時に、保有していた財貨が喪失したことを記入する。つまり入るものがあれば、出るものがある、ということだった。

 別の言い方をすれば、素晴らしいイタリアンレストランでご馳走を食べて、大喜びするのはいいが、次にその払いというものがある。それを誰がどういう形でするか、ということである。

 会社が生産施設を拡大するために、増資をする。つまり株主に対して借金を増やす。この処置には生産的な局面と、消費的な局面がある。それは原始時代の我々の祖先の男性が、食料となるシカを獲るための大変な体力を消費し、古びた槍の代わりに新しい槍を作るようなものである。いや、狩りの最中に岩から落ちて、足を捻挫したり、肩を打ったり、といった消耗を伴うかもしれない。

 もし仮に、男性の在り方が本質的、女性の在り方が基本的に消費的、ということが言えたとしても、それぞれの中に逆の要素がある。男性が狩りをする際、何らかの消費をするのだし、女性の本来は消費のための貯蔵方法が、発酵その他の現象によって、生産性を持つことも考えねばなるまい。

 それだけに男女の役割は入り込んでいる。というよりも、単純に生産と消費という分け方ができないところが、家庭生活、夫婦関係の難しい所である。

 すでに述べたように、男の世界である生産的組織の中にも、純生産的な面と純消費的な面とがある。かつては、社会活動は男性の分野という不文律があったにしても、文明が発達するにつれて、女性の社会活動分野が増えてきた。

 生産性というか、仕事の能率を基準に報酬を決めるのは、生産中心主義というか、男性的な方法である。しかし、三十歳で結婚したての男よりも、四十歳の子供が二人いる所帯持ちの男の方が、たとえ仕事の能率は同じでも、年齢や家庭環境を勘案して、というのが、消費的というか、女性的な反応である。

 人件費を男性的基準で決めるか、女性的基準で決めるかは、その企業が置かれている環境によって決定されるのであろう。

 今度の東日本大震災と津波において、被災者の相互扶助、そしてその冷静さが世界の称賛の的になった。これは日本社会の中で共同消費者的心情が育っていたからではあるまいか。

〆日本では女性的な消費思想が支配的

 十九世紀の半ば、欧米列強が日本に開国を迫った時、それを拒否すれば、中国や朝鮮半島のように、植民地化することは目に見えていた。ただ、日本は千年以上にわたって、白村江の戦(六六三)、遣唐使、元寇(げんこう)(一二七四年、一二八一年)のような形で、異国を意識することはあったが、異民族に征服されたことも、民族と文化の存立を守るために多大の犠牲を払うといった経験も無かった。

 そしてそれらの歴史的事件を通じて、異国の存在を「唐・天竺(てんじく)」という形で意識してきたことが、日本人のアイデンティティを育てるのには役立った。

 一方、中国は他国の存在を無視した。だから大英帝国の使臣が北京に来た時も、朝貢(ちょうこ)国の使者のように、皇帝の前に跪(ひざまず)き。床に額をすりつけて礼をすることを要求したのである。

 朝鮮に至っては、国とは中国のことであり、自らの存在をその属国と自覚していた。だから北京からの使者を都の外の迎恩門(中国からの恩をお迎えするところ)まで朝鮮王が出迎えたのだし、使者が滞在するのは慕華館(中国を慕う館)であり、接待の責任者は皇太子であった。そして日本を朝鮮以下の国と見なしていた。

 何の本だったか忘れたが、韓国の芸術家が、「日本の竜の爪は三本であるのに対して、朝鮮半島の竜の爪は四本であり、中国は五本である。それが三つの国の序列を示す」と言っているのを読んで、なるほど、韓国人が日本人を嫌うのは当然だと思った。軽蔑している民族、劣っている筈の国が、自国より繁栄していることは許せない、と言う訳である。

 多分、日本人で竜の爪の数など意識した人はいなかったであろう。それくらい日本人は内向きになっていた。朝鮮半島ともに中国大陸とも隔たった存在、日本列島の中は身内という意識を、千年以上の歴史を通じて育ててきた。

 だから十九世紀半ば、西欧の列強に対して一致して反応したのだし、大震災に際しても、助けあえた。つまり日本の国民意識というのは、家族意識の延長にある。

 それだから、明治のはじめ、英語で言えば、「ステイト、カウントリー、ナショナルステイト」といった言葉に対して、国家《国にして家》という言葉を作ったのであった。国と言うのは日本語で、「あなたのお国は?」「越後です」というような地域的なニュアンスのある言葉であり、家と言うのは家屋というよりも、同じ家屋で生活を共にする家族の意味である。「ウチは家風として」あるいは「我が家の生活では」というのが家である。

 つまり日本人であるということは、日本列島を国とする日本人という家族なのである。だから困窮している時は助け合う、しかし同じ家庭で育った兄弟も、それぞれに生活を持つようになると兄弟ゲンカをするように、罹災民(りさいみん)も、それぞれの生活が成り立つようになると、そこに格差ができて、ケンカが起きるようになるかもしれない。それまでは互いにお握り一つずつでガマンして、他人のお握りを盗もうなどは誰も考えなかった。

 だから、日本の社会では女性的な消費思想が支配的だ。企業の従業員にしても、能率給より、三十代か四十代かといった年齢による格差が大きい。

 大卒と高卒で給料に差があるのは、大学生の長男と高生の次男では小遣いの違いがあって当然、という思想に通じるであろうし、それは平の工員と社長とは給料が違っても当然、という思想に通じる。

 したがって、ある会社の従業員の平均年収が四百万円とすると、社長が四千万円としても、まあ、社長としての体面もあるし、それなりの交際があるのだから、として認めるであろう。

 それだけに、アメリカの、というよりも一時は世界一の大企業であった「GM」が数年前に倒産した時、最高経営者の退職金が数十億円と聞いて、多くの日本人は仰天したであろう。会社を潰した責任者は私財を投げうっても、会社の損をいくらかでも償うというのが、日本的、共同消費者の思想である。

 またソニーのインターネット配信サービス関係で、利用者の情報が七千万件以上流失してしまったという事件が起こった際に、ソニーの社長がアメリカ人で、その年棒が数億円と聞いて、ああ、そんなことをしていたらソニーは潰れるわ、という感情を持った日本人も多かろう。

〆アメリカ型社会では、生産者の論理がはびこる

 ところがアメリカのように、一つの国家の中に世界各地からさまざまな文化が集まり、皮膚の色も、当人なりの先祖なりの入国の事情も異なる国では、家庭や国民は家族の延長、といった思想は通じない。

 カリフォルニアやアリゾナには、中南米訛りのスペイン語を話す人が多い、というよりも、英語のできない人はいくらでもいる。彼らの多くは密入国して、農場の作業員などをやっているうちに永住権を得た人達で、その子供たちはアメリカ生まれだから当然、アメリカ国籍を持つ。

 中には、自分たちの住んでいるところは元来がメキシコ領だったのに、十九世紀の戦争でアメリカが奪ったのだから、自分たちは当然、そこに住んで、自分なりの生活をする権利がある、と信じている人もいる。

 また、二百年も前に祖先が奴隷としてアフリカから連れてこられた人々は、アメリカ建国の理念や憲法とは無縁の生活水準で育つ。そもそもアメリカの独立宣言は、総ての人の生命、自由、幸福への追求を謳いながら、それらの文章に賛同した人たちは、多くの場合、奴隷を持っていて、奴隷には生命の保証も自由と幸福の追求も許さなかった。

 奴隷制度は十九世紀の後半、南北戦争の結果、日本の明治維新のころに撤廃されたが、社会的には、旧奴隷は平等とは縁遠い状況に置かれた。そして二十世紀になっても、アフリカ系市民の娘は十代半ばで出産し、父親にあたる十代の若者は、ある程度は母子の生活を支えようと努力するが、適当な仕事に就けないままに、やがて姿を消してしまう。アフリカ系市民の中には、こういった母子家庭が結構多かった。

 また、ヨーロッパで差別されたユダヤ系の人々は、生き残るためには高い能力と資産こそ必要だとして、優れた経歴を育てながらも、結局、差別から逃れられず、アメリカに可能性を求めてやってきた。
 ここでもユダヤ人への差別はないわけではないが、ヨーロッパほどではなかった。それにしても、大学人や芸術家にユダヤ系が多いことを考えると、実力がモノをいう分野が一番生きやすいということであろう。

 同じことはアジア系市民にもいえる。英語の「シャンハイ」という言葉には、地名としての上海意外に、人をさらってくる、という意味もあることからも、アメリカ西部の開拓、珠に大陸横断鉄道の建設労働者用に、上海あたりから食い詰めた中国人をさらってきたことは間違いない。

 日系移民の場合も、小作農の二,三男に生まれた人たちが、日本にいては自分の農地が持てないと諦めてアメリカに渡り、最初は農場労働者として働き、生活の基礎を築いた。

 やがて社会の階梯(かいてい)を上がるにはまず教育だと気づいて、子供の学校教育に熱心になり、二世には教師や学者、法律家、医師などを目指すように仕向けた。

 こういうアメリカ型の社会では、国民は、家族の延長ではない。宗教は、仏教でもキリスト教でもよい。自動車の部品を作る旋盤は確実に操作できる技術があれば、その能力によって給料と雇用条件を決める、といった生産者の論理がはびこることになる。

〆男性社会にとって、女性は異分子だった!

 日本では国が家庭、国民が家族という原型があるといっても、そして現実問題としては、家庭は女性の領域だが、社会は男性という先入観がある。つまり消費は女性だが、生産は男、という区別がある。
 それだけに一九二〇年代、つまり今から百年近くも前に、企業などに女性が入って来ると、男は或る戸惑いを覚えた。男性の世界が女性に侵略されたというのは言い過ぎにしても、やはり異分子なのである。

 自宅を女性客が訪問した場合なら、応接は家の女性たちが中心となるから、男は彼女らに呼ばれた時に客と接し、言われたようにしていればよい。
 しかし家庭を離れて、男性と接触する女性というのは、日本ではた伝統的に水商売といわれる仕事の女性であった。広い意味で性的楽しみを男性に売ることによって、成立する仕事である。

 会社にOLとして入って来た女性は、当然のことながら水商売ではない。かといって、家庭での女性客のように、自分の妻になり、母や姉妹が応接してくれるわけではなく、自分が直接対応せねばならない。その結果、しばしば家事従業員、つまり今風に言えば、お手伝いさんに対するような態度を取った。
「おい、ナントカ君。例の書類を持ってきてくれ」
「おい、お茶を頼む」
「ナントカ君。僕の今日の予定はなんだっけ」
 しかし、そういう状況は徐々に変わっていった。それには戦争体験と戦後の学制改革、社会変動が大きい。

 戦争中、若い男は片っ端から軍服を着せられて戦場にゆき、国内の産業、つまり生産面での男性は少なくなった。そこを埋めたのは女性である。この現象は欧米では第一次世界大戦当時、一九一〇年代に起きた。

 そして敗戦による米軍を中心とした占領軍の政策によって、日本の伝統的な社会構造は崩壊した。いや、その根幹部分は頑固に残ったにしても、戦時中に進行しつつあった国民感情に基づく、反戦前的傾向は増幅された。

〆成績優秀な女子学生、発想が面白い男子学生

 その一つが男女同権である。今になっては殆ど信じられないことだが、小学校でも中学年になると男女は、同じカリキュラムでも別のクラスで学んだ。中学の段階からは明らかに男女別学であり、カリキュラムも違った。

 その上の高等専門学校、今の基準でいえば准大学というべき高等教育機関までは女子にも用意されていたが、本当の意味での大学の殆どは女子に門戸を閉ざしていた。私の知る限り女性の大学生を受け入れたのは、今の東北大学、筑波大学、そして私立では早稲田大学であった。

 東大も戦後は男女共学になり、私たちの科に入学してきたのは、戦前は准大学であった津田英学塾出身者だった。彼女は才媛で、後に津田塾の塾長、つまり大学の学長になった。彼女に限らず、女子学生は成績優秀であった。

 私は大学卒業後、日本大学の芸術学部の教師になったが、毎年、優等生を選ぼうとすると、どうしても女子に偏る結果になることが多かった。ゼミなどで面白い発言をして、こういうのは社会に出ると、面白い人間になるな、と期待の持てる男子の成績はせいぜいで中の上なのである。それで優等生になると、名前に顔がくっつかないような、つまり、あまり印象の明らかではない女子学生ということになる。

 これは日大特有の現象ではあるまい。多くの教育機関で見られるはずである。つまりペーパーテストという、答えの決まった問題については、消費的能力――よく記憶してストックを大きくして、必要な時にはいつも取り出せるようにしておくこと――が有効なのであろう。

 教科のもう一つの面に、なぜ、そういうことが問題になるのか、その裏側にどういう可能性が潜んでいるか、といったことを考える能力がある。たとえばシカを狩るとしたら、最近、ヤツラはあの水飲み場をよく利用しているから用心しているのだろう、とすれば、どこに行ったら油断しているところを捕まえることができるか、というように推測する能力である。

 しかし、このような生産的能力は学校教育では、少なくとも学部の次元ではあまり必要とされないのである。大学院だって、あまりにも「生産的」に過ぎると指導教授に敬遠される危険がある。

 大学の成績だけでなく、入社試験などは女子は優秀な成績を取る。もし試験の順位だけで採用すると、新入社員のほとんどは女子ということに成りかねない。それで多くの企業は、ペーパーテストはまあまあだが、面接で面白いことを言った男子も採用するか、ということになる。

〆人間としての資質、生産性に目覚めた女性たち

 組織に入っても、組織には生産的面と消費的な側面があるから、消費的分野に配属された女子は有能である。たちまち管理職になる。問題は生産的分野に配属された女子である。ここでは半ば先天性として育ってきた消費的能力はあまり役に立たない。

 ある雑誌の九月号の企画会議で、前年の九月号ではどんな特集をしていたかを調べているようでは、その雑誌はジリ貧になるであろう。九月号が発売される八月には、読者たちはどんなテーマに関心を寄せているだろうかと考える必要がある。シカを捕らえるには、どこに行ったらよいのか、という問題と同じである。

 そこで初めて、女性としての資質のほかに、人間としての資質が目覚める。生産的といっても、男性とは違う生産性を見出してこそ、男性と肩を並べて生産に従事できるのである。

 つまり、シカを捕まえるのに、槍を持って追いかけるだけではなく、罠を仕掛けるとか、予め網を張っておいてシカを追い込み、網に角を引っ掛けてもがいているところを捕らえる、といった方法を考え出す。

男は力自慢だから、その力をフルに使う事を考える。だから力以外の物を使う女子のアイディアに驚くであろう。そのようなことから、女性の中からも、生産面で管理的、主導的な役割を果たす人が現れる。
 それだけに、そういう女性は古い習慣や意識にとらわれている同性に対して厳しい。

 ある服飾関係の企業の管理職の女性が、雑誌社とタイアップして、一枚のスカートでも、ブラウスやアクセサリーを替えることで、どのようなコーディネートが可能かという企画を立て、自分も立ち合いでモデルを使って写真を撮っていた。

 カメラマンや助手は男性であるが、モデルは彼らもプロだからだと割り切っているからであろう、彼らの目の前で着替えることは抵抗を感じなかった。また撮影関係の男たちも、自分たちの仕事に忙しくて、着替えをするモデルの肢体を見るゆとりなどなかった。

 たまたま女性管理職に用事ができて、入れ替わりに男性社員が撮影現場に入って来た。彼は着替えの中のモデルを見て、一瞬、びっくりしたのであろう、自分の目を罰するかのように目を反らした。そのモデルは彼の存在を意識して、体を隠そうとした。そこへ女性管理職が戻ってきて、そのモデルのプロ意識のなさを叱ったのである。

つづく 第六章 家長(男)の権威、主婦(女)の実力
〆「父親の権威」の実態を知る家族