荒野をさまよう
代理謝罪
一九九一年十二月、韓国の元慰安婦三人が日本政府に補償を求める裁判を起こした。日本政府は初め、旧日本軍の直接関与を否定していた。その後直接関与を示す資料の存在資料の存在が判明し、政府は軍の関与を公式に認めて謝罪した
慰安婦問題で謝ったが最後、これを契機に、我も我もと名乗ってでるに違いない、同じような形の、北朝鮮、中国、それから日本国内の被害者に対して、これから、日本人は膨大な額の金を、何らかの形で払っていくだろう。自分が悪いという以上、そのような犠牲を払わない事は筋が通らないからだ。
身を捨つるほどの祖国はなしや?
サル並み? サル以下?
スポーツの犠牲者たち
赤ちゃんつき秘書
病醜のダミアン
風景の一面
精巧絢爛豪華金ぴか
昔話としての戦争
秀才のおかげ
私が日本に帰って間もなく、正月休暇中だった文民警察官の拠点が攻撃された。そして明石代表は「もの取り強盗のたぐい」ではないかという意味の発言をされた(日本経済新聞九三・十七)。
指導者・モーセの怒り
羊を殺す日
乱戦のすすめ
復讐の方法
ピアース氏の道
背と腹の関係
戦争の補償は講和条約で決着がついていても、今改めて慰安婦問題に良心的であろうとするなら、自分がいかに金を出すか、だと思う。民間で作った組織でやればいいことだが、それが最低の筋の通し方であろう。そして次の問題は金の分配をどうするのかという事になって来る。
慰安婦問題にも、必ず自分は慰安婦だと言って金をせしめようとする人も出て来るだろう。そういう人と本当に苦しんだ人とをどうやって選別するのか、その辺の判断は誰がどうするのだろう。
自分は告発するだけで、償いは国家か社会がするでしょうと言うのでは、無責任である。
それとなく別れて住む優しさ