結婚の条件は、女性の学歴に応じて「生存」→「依存」→「保存」と変化していた。すべての未婚女性が同じ理由で晩婚化しているのではない。それぞれのカテゴリーの女性が求める結婚は異なる。が、その条件に叶う男性は一様に見つからないのである。

本表紙結婚の条件 小倉千加子著

生存・依存・保存 『東京ラブストーリー』

 女性の最終学歴は、どうやって決まるのだろうか。人は、自分の学歴は自分で決めたと僭越な事を思っている。が、女性の学歴は、父親の学歴・職種・所得つまり出身階層によって半ば自動的に決まる。子どもの頃から、食卓で両親が娘に「○○ちゃんは、学部は文一にかる? それも文三がいいかしら?」と尋ねる家庭と、「○○ちゃんは、看護師になればいいよ。いとこの△△ちゃんも看護学校出ていい給料もらって働いているし、女は手に職を持っていれば安心だから。

同じ学校に行ったらいいよな」と話す家庭に育った娘では将来の学歴計画は早期に異なった方向に決められてしまう。親の頭のなかにある学歴計画は、娘にとってはいわば「自明」の将来であり、それ以外の人生を想像することは難しい。

そうして、同じような階層に育った子どもが同じ学校で出会い、同じように職種に就き、同じ階層の人と一生つきあっていくのである。大学などは、各大学間で偏差値ごとに親の階層は同質化し、子どもの価値観も階層内部から離脱することは難しい。

 これもわが国が「早期選抜社会」であることの一環である。日本では、子どもの教育費を親が負担するので、教育投資が高い家庭では高学歴・高学校歴を子どもに付けさせることができる。学歴は、階層の重要なメルクマールである。

 晩婚化と最終学歴

たとえば、東大の大学修士課程を出て、二年ほど研究所に勤めたあと、自宅で「パラサイト」している三十三歳の女性と、高校を出て事務職として働き、離職と転職を繰り返して現在派遣社員で母親と二人暮らしている三十三歳の女性がいるとして、この二人の結婚しない理由を同列に論じても始まらない。事情は自ずと異なり、結婚相手に求める条件も、将来の結婚・職業計画も微妙に違うはずである。

 私は、東京・神奈川・大阪・京都の四都道府県に在住・在勤の未婚女性五十二名にインタビューして、結婚に関する意識を聞いた。事前に対象者を選ぶ基準を決めるため、無作為に未婚女性に質問をしてみた。

「あなたは結婚するつもりはありますか?」この問いに「はい」と答えるのが晩婚化を担う当事者としての未婚女性である。しかし、私の質問に、四十歳以上の女性は「もう結婚する気はない」と答えた。「だって、今更引っ越しするのは面倒くさい」が一番多い理由だった。どうやら、晩婚化というのは四十歳未満の女性の現象であって、四十歳以上は未婚者ではなく非婚者、それも確信犯シングルであるらしい。彼女には十年経てば、統計的には「生涯未婚者」にカウントされていく。

晩婚化が進行する原因を調べるためには、最高三十九歳までの女性をターゲットにしなければならない。そこで二十二歳から三十九歳までの、大学生から社会人、フリーター、無職の女性五十二名を対象としたのである。

 インタビューの結果、痛感したのは、五十二名の女性は、住んでいる地域ではなく、年齢でもなく、最終学歴によってその結婚意識を際立たせているという事実だった。最終学歴は、ほとんどがその人の出身階層の関数であり、本人の価値観・職業観・男性観に関して大きな影響を与えていた。そこで、学歴別に未婚女性の結婚意識を分類してみたのである。

 高卒者の結婚意識

 高校卒の女性は、インタビューに応じてくれること自体が難しかった。「今、身体の調子がよくないのでお会いできません」と、インタビューを拒否されることが多かった。

 前々章で述べたように、高校卒の人で地方在住者は比較的早く結婚する。結婚は生活財であり、結婚して初めて食べられるのである。そのため、地方在住者で三十歳を過ぎて未婚であることは、その地方に住みづらいことになり、多くは都会に出てきている。

地方では未婚女性は経済的にだけではなく精神的にも暮らしてはいけない。が、都会に在住していても、高卒者の労働条件は劣悪である。資格もなく手に職もなく、ただ高卒の学歴だけで就職しても自活するのは難しく、転職に転職を重ね、しかも転職するごとに給料は下がっていく。再就職も二十四歳を過ぎれば難しく、前途に何の希望も見いだせない都会暮らしの高卒女性が、最後に辿り着く道、それは自営業者になることであった。

「母親と小料理屋をやりたい」(インタビューに答えてくれた高卒未婚女性は母子家庭が多かった)、「小さなお花屋さんを持ちたい」。それにあたって、彼女たちは結婚して配偶者と実母とともに家族経営することを計画していた。彼女たちは、爪に火を灯すようにして貯めた三百万円の現金を持っていた。しかし、店を開くには最低一千万円が要るという。

そうすると、夫になる人には七百万円の貯金のあることが望ましい。しかし、高校を出て、三十歳前後で調理師の免許を持ち、七百万円の貯金のある男はいないのである(七百万円の借金のある男はいくらでもいるのだが)。

 かくして、高卒未婚女性は、ジリジリと生活が苦しくなっていくのを如何ともすることができない。「母が寝込んだら、どうしていいのか」「なんとか結婚して、夫婦で力を合わせて働き、母に育児を助けてもらいたい」と切実な言葉が聞かれた。

 恐らく彼女たちの半数は夢が叶わぬまま「生涯未婚者」になっていくと思われる。彼女たちには、生活苦と孤独苦の二重苦が待ち受けている。結婚は、彼女たちにとって、「生存」を賭けた最後のチャンスなのだ。日本にいて、健康で、しかし結婚しなければ食べていけない層が現実に存在するのである。

 短大卒の女性の結婚願望

 一方、短大卒未婚女性の多くは実に優雅な独身生活を享受していた。インタビュー時に三十一~三十五歳の短大卒女性は、バブル期入社組のラッキーな生まれである。彼女たちは、短大の銘柄を問わず、ほとんどが、一部上場企業に楽々と入社し、平均四年半で退職していた。従って「家事手伝い」もしくは典型的なパラサイト・シングルである。

退職の動機は「同期が退職するから」が一番多く、OL時代に貯めたお金でイギリスに語学留学したり、カナダの大学に一年行って帰ってきたりして、日本でブラブラしている人がほとんどであった。海外に行く前は、日本に帰って何か他の少し専門的な仕事に転職するつもりであったが、帰って来ても希望の職種はなく、フリーターをしながらお稽古事をし、結婚相手を探していた。

結婚相手に求める条件は、「自分がOLだったときに年収三百万円貰っていたので、自分より収入が上で、しかも私が家庭に入ってうしなうことになった三百万円を上乗せした収入つまり最低でも七百万円から八百万円の人」という訳の分かったような分からないようなものであった。

要するに、自分たちは専業主婦になるので、安心して子育てができるような給料をきちんと運んでくれる男性というのが最大の条件なのである。短大卒女性の専業主婦願望というのは強烈である。そもそも短大の英文科や国文科に進学する女性は、入学時には明確な入学目的もキャリア計画も持たない。

自分が在学する間に、同じような階層の友人たちと同調競争し、職業も一時就労型で、友人たちが退職すると同じように退職し、友人たちと同じような結婚を志向する。が、その結婚相手には自分が扶養されるのは当然で、専業主婦として友人に恥じない相手を見つけ、やさしい夫と可愛い赤ちゃんに囲まれて幸せな家庭を夢見ている。

仕事と家庭を両立するようなしんどいことはいやで、それ以前に、最初の上場企業は辞めてしまっているので、安定した給料を得られる仕事に再び就いている者はほとんどいない。彼女たちにとって結婚は「依存」そのものである。

 彼女たちが求める結婚相手の条件は3Cと呼ばれる。まずcomfortable直訳すれば「快適な」だが、意訳すると「十分な給料」である。二番目にcommunicativeこれも直訳すれば「理解しあえる」だが、真意は「階層が同じかちょっと上」というものである。

階層が自分より下の者は徹底的に回避される。一緒にカラオケに行って、彼氏が鳥羽一郎でも歌えば悲惨であり、ファッションや行きつけの店、住所で、相手の階層は念入りにチェックを入れておかねばならない。最後はcooperative「協調的な」だが、本当は「家事を進んでやってくれる」であった。専業主婦でありながら夫に家事の協力を当然のように要求する根拠は「自分は育児で大変だから」というものであった。

かつての3高からは、高身長は消えた。が、よく見れば高学歴・高収入は消えていない。「身長は努力しても変えられないけど、学歴と収入は本人の努力の成果だから」民主的な条件だと、正当化できる。事実、テレビドラマの「やまとなでしこ」で松嶋菜々子演じる神野桜子はそのとおり言ってのけた。

 高収入と家事への参加という要求に応じられる男性は実際いくらいるだろうか? 女性学の研究の結果では、男性で家事の分担をすすんでできるのは、非競争部門――公務員・教員――の男性でないと無理となっている。

彼女たちは、『ベルサイユのばら』で言えば、夫にフェルゼンのように高貴な貴族でいてほしい、しかもアンドレのようにオスカルに貢献してほしいという無茶な要求を出しているのである。自分はマリー・アントワネットとオスカルを兼ねているつもりなのであろう。

 興味深いのは、短大卒の女性たちが、育児から手が離れると、「社会と繋がっていたい」と希望し、学校に行って勉強をしなおして何者かになるという計画を持っていたことである。その仕事とは、フラワーアレンジメントであったりエッセイストであったり、なぜかカタカナ名前の職業であった。

「自分の趣味の延長線上で仕事をして世間に認められたい」と言うのである。かつて、「男は仕事・女は家庭」という性別役割分業に反対して「男は仕事・女は仕事と家庭」という新・性別役割分業が謳われた時代があった。古典的婦人解放論とも呼ばれるこのスローガンのおかげでひどい目にあった女性は少なくない。

女性には仕事と家事という二重役割があてがわれながら、夫は何の家事参加もしなかったからである。共働きだからといって、夫が家事を半分やるわけでもないなら、妻は外に働きに出る分だけ負担が増え、疲れるだけである。この新・性別役割分業をやってきた可哀想な母親を見て育った娘たちは、母の轍は踏まなかった。

日本では、娘たちを「新しい女の生き方」は選ばなかったのである。男は外で働き、女は扶養されることの「特権」を存分に享受する方向に向かったのだ。経済は夫に責任を持ってもらい、自分は趣味を兼ねた仕事をする。いわゆる「夫は仕事と家事・妻は家事と趣味仕事」という新・性別役割分業に向かっているのである。私はこういう志向を「新・専業主婦志向」と名づける。日本的な、あまりににほんてきな結婚の進化である。

 この短大卒女性たちのパーソナリティは、従来から女性学の世界では「短大生パーソナリティ」と呼ばれていたものである。高卒者の堅実さとも四大卒者のキャリア志向とも違い、家庭でのパワー拡大を目指し、自分の女性的ジェンダーの特権を決して捨てず、一見保守的な生き方に見えるこの「短大卒パーソナリティ」は、現在短大の減少とともに、四大の中堅以下の大学の女子大生のパーソナリティにそのまま移行している。

彼女たちは、どうせ自分たちが一生続けられる、遣り甲斐も収入もあり、子育てと両立できるゆとりのある仕事に就けるとは思っていない。結婚して子どもができて、子どもを保育園に預けてまでして両立しなければならないほどの仕事に就いていない多くの女性たちは、この「依存」結婚を目指して、相手探しに余念がない。

しかし、そんな都合のいい男性は存在しない。そうして晩婚化はひたひたと進行する。それでも、彼女らは結婚の条件を引き下げることができない。「女は結婚して家にいろ」という国家の指示に最も忠実に従おうとしている女らしい女性は「はい。家にいます。だからこそ安心して子育てができる結婚を探しているんです」と言っているのである。返す言葉があるだろうか。

 四大卒「勝ち組」女性の結婚の条件

 最後に四大を出て、この不況下に専門職として就職したいわゆる「勝ち組」女性の結婚に求める条件を聞いた。彼女たち――図書館司書、教員、公務員――は、「経済力は求めない。ただ私が一生働くことを尊重して、家事に協力的な人であれば」と抑制した声で答えた。

彼女たちは今の自分が結婚によって変わる事を恐れていた。結婚に求めるものはすなわち「保存」であった。
 結婚の条件は、女性の学歴に応じて「生存」→「依存」→「保存」と変化していた。すべての未婚女性が同じ理由で晩婚化しているのではない。それぞれのカテゴリーの女性が求める結婚は異なる。が、その条件に叶う男性は一様に見つからないのである。

母と娘の間

 現在、大学生の子どもを持つ母親世代の中で最も多い最終学歴は、高校卒である。高校を出て社会に出、結婚して母になった女性たちは、自分が望んでも果たせなかった可能性を実現させるために、娘を大学に進学させようとする。母親たちは「女に学問は要らない「と言って、親(特に父親)に大学に行かせてもらえなかった人がかなり多い。娘を大学に進学させる動機として、自分は自分の親のような無理解な親ではないことを証明したい、すなわち「瑕疵(かし)のない親」になりたいという完全性への欲求がある。

 もう一つに「私ももっと高い教育を受けていれば、今の自分以上のものになれたはずだ」という「もしも」幻想がある。大学を出て、専門的な勉強をしていれば、もっと違う人生が送れたはずだ。今日の生活は、高卒という自分の学歴のせいだと考える人は、男女を問わずたくさんいる。その人達の、大学教育に寄せる期待はきわめて強く、また大学に向けられる期待は実に切実で真剣なものである。

 私は、かつて学生に「母の履歴書」を聞き取り調査をしてこさせたことがある。普段は母の人生について耳を傾けたことなかった学生たちは、母にインタビューすることで、母の真意を初めて知ったと異口同音に答えていた。母はどこで、どんな家に生まれ、どんな親の許で育てられ、いかなる学生時代を送ったのか、

そして娘と違って、多くの場合高卒で社会に出、会社に勤め、現在の夫と出会い、どんなふうに結婚して自分たちを生み育ててきたか、を仔細に聞き取り、母の言葉どおりに書き取る作業を、学生たちは一生懸命やってきた。そこには、日本の中年女性の典型的な暮らしぶりが活写されていた。

 娘に期待すること

 現在、四十代から五十代にさしかかる母親たちは、みんな家族のために必死に生きていた。親たちに、大学の授業料の負担は重くのしかかり、多くの母親たちはパート労働で補助的収入を得ていた。
人間というものは面白いものだと思ったのは、母親たちは自分が働いて稼いだ金は、子供の授業料に充てていると考えていた点である。

水道代や食費は夫の給料で、そして教育費は自分のパート賃金で、と基本的生活費と教育投資を、お金の使い道として峻別し、子どもが大学で学べるのは夫が働いているのではなく、自分が働いて得た金のせいだと自ら言い聞かせているようであった。ガス代や水道代ではなく、大学の授業料に充当すると思うからこそ、母親たちは働けるのであろう。

 その分、子どもたちには、真面目に大学で知識を身につけてほしいという切実な要求が浮かび上がった。

 娘を大学に行かせた理由は三つのものが挙げられた。
「大学で学んだことを活かして、専門的な仕事に就いてほしい」
「人生は厳しいものだから、大学時代に出会った恩師や友人を心の糧として、将来苦しいことがあった時にもめげずに生きてほしい」
「何か資格をとって、子育てが一段落したら、再び仕事に復帰してほしい」

 母親たちが最も弱い言葉、それは「専門」である。自分たちに「専門」的な知識や技能、具体的には「資格」がないことを、今更ながら後悔するレポートには充満していた。
多くの母親は、結婚と同時に離職し、子育てを終えてパート社員として働いている。

職場では中年の女子パートは、大学生のアルバイトの男子よりも低く見なされる。ずっと働き続けてきた正社員の女性は何らかの専門的技能があるか、資格を持っているかのいずれかである。自分も資格を持ってさえすれば、もっといい条件で働けたのにという経験から出た苦渋の念が、娘への期待として口にされる。

 母親たちが、二十代にさしかかったとき、結婚退職は当たり前のことであった。
「初めて男性とつきあったのが、今の主人です。つきあったら結婚するのが当たり前と思い、結婚するなら退職するのは会社では当時当たり前でした」と母親たちは一様に語る(このあとに「主人と結婚したら、主人の両親と同居するのは当たり前と思っていました」という発言が続く)。

 作家の柴田翔氏が、逗子にあった堀田善衛氏の家を初めて訪れた際、トイレを借りて、そのトイレが庭に面した明るい大きな洋式だったことに驚いた体験を、堀田氏の追悼文の中で書いている。

「私が育った時代の日本家屋の典型的な便所は、北の隅の一畳ばかりの、狭い暗い空間だった。(中略)かつての私のような小市民層出身の青年にとっては、世界は所与のものである。つまりそれは自分以前に既にそこにあり、自分としては、そこでそこそこ生き延びて行くのに、そこの書かれざるルールにどう対処すればいいのか――それを思案し、工夫するほかない。(中略)電話が鳴るからといって、取らねばならないものではない。便所も別に暗い片隅に造らねばならないものではない」

 柴田氏のトイレについての「自明性」が、この日に潰えたのである。
 大学生の母親たちは、たびたび「当たり前」という言葉を使って、自分の半生を語った。
 夫の親と同居して親の面倒を見るのは、長男の嫁として当たり前であり、結婚したら会社を辞めるのも当たり前であり、それは自明のルールであって、外部からなんら証明する必要もないものであった(大学生の祖父にとっても、娘を大学にやらないことは自明のことであったろう)。

 昨今よく問題になる「育児ストレス」が母親の世代にはなぜなかったかといえば、子育ての苦労の話をするのは母親として「当たり前」だったからである。

 しかし、時代は変わった。かつては蔑称だった「職業婦人」という呼び名は消滅し、「キャリア・ウーマン」という尊称に変わった。

 そうなると、人生のいくつかの転機にはもっと他の選択肢もあり得たのではないかという悔いが生まれてくる。結婚しても、会社を辞めなくてもよかったのではないか、子どもができても仕事を続けていればよかったのではないか、夫の両親との同居を最初に拒否していればよかったのではないか、と。

「子どもができても仕事を続けるほうがよい」と答える女性は、三十代・四十代の女性の四〇%いる。(総理府広報室、一九九五)。母親たちは、自分がパートで働いている職場で、専門職として正社員で働いている女性を見る。それは、病院では薬剤師であったり、給食センターでは管理栄養士であったりする。
自分にもそういう「資格」があれば、今のような労働条件で働かなくてもよかったのに、あるいはもっと遣り甲斐のある職種に就けたのに、という後悔に母親たちは多かれ少なかれ襲われる。そして、娘には「勝ち組」のライフコースを歩ませたいと期待する。

 しかし、二十代の女性の七二%は「子どもができたら仕事を辞める」と言う。そしてそのまま専業主婦になることを希望する者は再就職したい者より多いのである。大学生も多くは、結婚したら、夫の給料で生活するのが「当たり前」だと思っている。子どもにはお稽古事をさせ、私立大学に行かせる程度の稼ぎは夫に「当たり前」に期待している。

 娘には、母の期待が通じない。結婚して、子どもを産んでまで、なぜ働かなければならないのか。自分の母親が働いているのは、父親に十分な稼ぎないからで、それは母の夫選びに失敗したせいである。母が、舅・姑で苦労しているのも、母の結婚が失敗だからである。自分は母の轍は踏まない。そう気合を入れて、結婚に臨んでいるのである。

 結婚した女の三つの身分

 結婚した女には、三つの身分がある。
 夫の稼ぎで十分食べられる女、妻も働らなければ食べられない女、妻が夫を養う女である。結婚の勝ち組は、言うまでもなく、夫の稼ぎにおんぶする女であるが、最後の「夫を養う女」が、必ずしも負け組とは単純に言えないところに三つの身分の不思議なバランスがある。

例えば、松田聖子とか、内田春菊、田口ランディ、篠田節子などのように、十二分な収入があって、夫が無職であるとか、主夫業をしているとか、マネージャーであるとか、形だけ仕事に就いているとか、あるいは純粋にフェチを満たすためだけで年下の男性を選び、何回も取り替えるかしている女性は、女の甲斐性で男を遊ばせているという意味において、仕事の勝ち組であるが、結婚制度からのなんらかの恩恵をうけているとは言えない。

 従って女性の夢は、結婚で勝つか仕事で勝つかであり、どちらにも入らない谷間のような存在が、夫の稼ぎを補うために働かなければならない妻なのである。これこそ、最も唾棄すべきあり様なのだが、不思議なことに、フェミニズムは、この「両立コース」こそ、自立した女性の生き方として称揚している。

仕事と家庭を両立するのがフェミニズムなのだと多くのフェミニストは言う。これに対して、女子学生たちは内心こう思っているのだ。

自称フエミストを気取る学者(大学の先生)や弁護士や高級官僚になれるなら、自分も結婚しても仕事を続けるかも知れないけど、結婚しても子どもができても、なお続けるに値する専門職に就けないなら、妻の労働はただの家計補助であり、遣り甲斐のない単純な作業でしかない。仕事の代わりはいくらでもあるが、我が子の母親の代わりはない、と。

女性問題は、階層問題に取って代わられ、高階層にいるフェミニストが、すべての女に「結婚しても働き続けよ」と𠮟咤激励する資格は何もない。誰もが、意味のある、自己実現のできる仕事なら、したいのだ。そうではなく、ただの「お金のための労働」なら、そんな労働はしたくない。普通の女子学生たちはそう考える。男の子も同じだ。単なる労働からの撤退が、始まっている。

 既婚者女性の四つのコース
 専業主婦になりたいという若い女性の「夢」は、自分の母親のような「家事とパート労働の両立コース」に決して入りたくない、夫の収入だけで家族が食べていけるような相手を探したい、母のように家計の足しにするために働くのは嫌だという切実な要求なのである。結婚では、男性が家族扶養の責任者であることは、専業主婦願望を持つ二十代の女性にとって自明のことだ。

そのことと「男女平等」という理念は、なんら抵触するものではない。大学生の女子にとって「男女平等」は当たり前であり、つきあっている男が自分を養うくらいの稼ぎがないと、結婚相手として「適当」でないことも当たり前なのである。

 結婚したいという未婚女性には四つのコースが待ち受けている。
 第一に、結婚して子育て中にも、家族扶養の責任を夫と分け合う「両立コース」。現在大学生の親の年齢では、「両立コース」に入る母親の職業は公務員(保育士・小学校教諭を含む)と自営業が圧倒的に多く、民間企業で働き続けたケースはほとんど存在しない。
母親から娘に対して、家庭を両立するために公務員になれというアドバイスが出ていることも多い。

 次に、子育ての間は離職し、夫一人に家族の扶養を任せる「一時的依存コース」。子どもが生まれる前に、働いている妻たちは自分の仕事が赤ん坊を犠牲にしても継続に値する仕事かどうか吟味する。育児と仕事を天秤にかけると、ほとんどの女性は育児に勝るような有意義で高給を貰える仕事に就いていないので、育児のほうが意味が重くなる。だから、仕事を辞める。

 第三に、最初から最後まで専業主婦でいる「依存コース」。古い言葉であるが、「永久就職」であり、家事さえしていれば食べていける。

 最近ではこれらのほかに、子育てのあとは家計の補助のためではなく「自己実現」のための仕事をする「依存プラス自己実現コース」ができた。
 今、未婚女性は(フェミニストの意向に反して)、この最後のコースをひたすら目指している。彼女たちの語った言葉で言えば「保育園に子ども入れるのは可哀想」「子どもが学校から帰った時に、家にいる母親でありたい」が、同時に「いつまでも家庭にいて、社会と繋がらない生き方はいや」「常に女性として輝いていたい」「自分の才能を活かして、社会に認められたい」という欲求である。これが全部充たされるのは、第四のコースのみなのである。

 労働からの総撤退

 早い話が、専業主婦とキャリア志向の「いいとこどり」である。経済は夫に負担させ、自分は有意義な仕事で働き、なおかつ家庭を持っている。自分の仕事はお金が必要でやっているのではなく「選んだ仕事(価値ある仕事)」であり、創造的で、自分の名前が世間に知られるもので、なおかつ子どもが帰宅しても手作りのおやつを食べさせるために、在宅でできることなら言うことはない。

 キャリアウーマンとして男性に伍して働いてきたエリート女性、生活のために働いてきたパート主婦、仕事と家庭の二重役割の負担に耐えてきた両立派、先行世代のあらゆる働き方が今や忌避されているのである。

 まず、エリート女性を目指すことが困難なのは自分の偏差値を見れば分かる。もし専門職に就けても、仕事ゆえに家庭を持たないのは淋しすぎる、仕事と家庭を両立するために疲れ果てるのは嫌だ、経済的自立のために生き甲斐も意味を見出し得ない仕事をするのは耐えられない。
これら不快な条件を全部排除してくれるのが、第四のコースなのだ。

 夫は経済のために必要だ。子どもは夫よりなお重要だ。出産と育児は体験価値のあるイベントであり、女性なら一度は体験してみたい。そして、保育園に預けて子どもは淋しい思いをさせたくない。

 大衆は、フェミニストの「啓蒙」するところには行かなかった。娘は、母親の期待するところにも行かなかった。
 
 結婚が女性を保障してくれる三大特典――保障された年収・達成義務からの解放・豊富な余暇時間――は、けっして手放さず、その上に立って、社会から認められ、仲間に羨ましがられる仕事に就きたい。子どもがいても、生活臭のない、社会と繋がった仕事をしていたい。生活のための労働は、奴隷(男)にさせ、自分は貴族のように異議のある仕事を優雅にしていたい・・・・・。

 今や単なる生活費稼ぎの労働は、男と親と老人だけがするものになりつつある。
 あらゆるつまらない労働、人間がしなければならない「当たり前」の労働から、若い女性が総撤退を始めている。専業主婦の優雅な生き方は、それほどまでに強烈な呪縛を持つ。母の願いは遂に娘とどかないのである。

勝ち組の主婦たち

「女の子には出世の道が二つある」はサブタイトル。「社長になるか社長夫人になるか。それが問題だ」と、斎藤美奈子氏の『モダンガール論』の帯に書いてある。それなら、女の子が社会に入った時にとる道も二つある。誰よりも仕事ができる方法を探すか、誰よりも仕事のできる男を探すかだ。

 三十代後半にさしかかる独身の女性が、吐息をつきながら、私にある日こう言った。
「自分がいつも人に『女としては変わっている』と言われていた理由が今になってやっと分かりました。私は会社にいるとき、誰にも負けずに仕事をすることばかり考えて、仕事のできる男を見つけることを考えなかったからです。

女の子なら普通はそういう生き方をちゃんと準備しておくという常識が私には欠けていたんです。私は女ではなくただの人間だったんです!」

 女として生きるか人間として生きるかという二者択一を迫られていることを自覚している女性は、私が晩婚化の調査しているときにも一人いた。彼女は当時大学生だったが、結婚に関する意識を尋ねられてこう答えたものだ。

「男女平等はプロパガンダです。そのおかげで結婚して主婦になるのには一抹の後ろめたさを感じます。自分は落ちこぼれなのではないかと思わされます。フェミズムというのは、今やネガティブ・シンボルで、どこか世間からずれた人、ちょうど大学の自治会をやっているようなイメージですね。女が男と対等に戦うのは、受験勉強でさんざんやってきました。受験によって、階級上昇を果たすんです。

教育によって日本では階級闘争が行われているんです。社会に出て、また男女込みでやると、はっきり言って上が多すぎます。だから、私は『女』になります。偏差値の低い大学に志望を替えるようなものです。

もちろん『女』には『女』の上がいます。でも、ライバルは半数になります。結婚という大逆転をして『成りあがってやるぜー』みたいに思っています。結婚で大逆転できなくても、子どもで逆転を狙うこともできますから。仕事と家庭を両立するなんて、そんなしんどいことはいやです。仕事を選んでどこまでも行くのは、家庭がないとしんどくてやっていけません。家庭だけだと、精神的にはずっと楽です。束縛するのは姑だけです」

 彼女の場合は社長ではなく社長夫人への道もしくは社長のママへの道を目指すということになるのだろう。しかし、教育によって階級闘争が行われているという認識をもっていることといい、「女」への道を計算で選ぶことといい、彼女がすんなり「女」になることは難しいと、その時私は直感した。本当にうまく「女」への道を辿る人は、その道を選ぶのではなく、最初から「女」のまんまなのだ。

「女」になるという宣言は、「女」になりたいけど、なれないかもしれないという不安を打ち消すためのものだ、と私は感知していた。

 インタビューに答えてくれた人がその後どういう風に生きていったのか、追跡調査をしていないのでわからない。しかし、五二名中二名とは、偶然その後も音信があり、彼女はその二名のうちの一人となった。大学を卒業した彼女は、編集者として小さな出版社に就職し、すぐに会社を辞めてフリーのライターになった。今もライターとして細々と生活しているらしい。

 そもそも「女」になる――社長夫人への道を行く――ことを、偏差値の低い大学に志望を変更することに喩えた時点で、彼女の「女」への道は塞がれていたと言ってよい。人間がある道を行くのは、計算や打算によってではない。計算で行くのは相手を騙している。

他人を騙す程度では「女」にはなれない。はじめに自分を騙していなければ「女」にはなれない。自分は打算的な女ではない、打算的な女はほかにいる。そうマジで思っていなければ、専業主婦として成功することはできないのだ。私が、そのことを知ったのは、テレビドラマ「東京ラブストーリー」のおかげだ。

 自分は関口さとみではない

 一九九一年のことだ。私がある日、前の晩に見た「東京ラブストーリー」における赤名リカについて授業で話すと、女子学生たちはやたら熱心に身を乗り出して聴いてくるので困ったことがあった。この異常な熱心さは何なのかと、私はだんだん不安になった。

そしてようやく気がついたのだ。彼女たちは、みんな自分を赤名リカに同一化してドラマを見ていたのだ。自分の敵は、関口さとみのような、男に上手に媚びる女だ。肝腎なときに、カンチにおでんを作って持ってくるような女こそ、リカちゃんの敵だ。おでん女は女の敵だ。彼女たちはそう思い、自分をリカちゃんの位置において見ていたのである。今となっては、それを私は「あつかましいさ」とは呼ぶまい。自分自身を美化してみる。人間に普遍的な傾向にたじろいだと言っておこう。人は、最も憎んでいる相手すら無意識に同一化する生き物だ。

 女の子は、一生に一度はおでんを作らない限り、男の子に選ばれない。肉じゃがでもいい。おでんか肉じゃがを作らなければ、社長夫人への道はない。女の子は自ら社長になれないのなら、関口さとみと同じことをするしか生きていく道はないのだ。なのに、おでんを作って上手に男に媚びる関口さとみの「女性性」が嫌いなのだ。

 いざ自分が「女」への道を進んでいくときには、防衛機能が働いて、自分自身をうまく騙せるようになるのである。幼児期から「女」のジェンダーを素直に内面化している子は、そうやって簡単に自分をだますことが出来る。自分で自分をだますとは、自分の真の動機に自分が気づかないでいられることだ。それをしなければならないからするのではなく、自分はそれを好きなのだと勘違いしていられることだ。

 ドラマの「東京ラブストーリー」では、最終回で、ロスアンゼルスから帰国し、東京でキャリア・ウーマンとして働いている赤名リカにカンチは偶然再会する。

 人の流れの中を一人で颯爽と歩いている赤名リカを、一番美しかった時代の鈴木保奈美が演じる。織田裕二が演じる永尾完治が、リカの姿を見つけた時、カンチの横には妻であるさとみ(有森也実)がいた。夫が見つけたリカの姿を妻は同時に見ることはできない。

なぜなら、そのとき妻は夫の靴ひもを結ぶために、彼の足下に屈みこんでいたからである。
前方をキッと見つめ、東京を歩くリカと、夫の靴ひもを結ぶために地に伏す妻。社長を目指す女と社長夫人を目指す女が交差する。それを見ていた日本中の夥しい数の女の子たちの中でも、社長になる道と社長夫人になる道が交差する。

リカの生き方に共鳴して涙を流すことは、自分がリカ的人間であることとはまったく無関係だ。リカが好きでも、気がつけばさとみのように生きてきたという事はいくらでもありうる。要するに、何が自分を動かすかと言えば、主義・主張への賛成・反対ではない、もっと原初的な、自分のもろもろの性向の体系。自分でも説明できないハビトゥスであると言う他はない。
ある階級・集団に特有の行動・知覚様式を生産する規範システムとしてのハビトゥス。結婚とは、他の何にもましてハビトゥスによって説明される慣習行動である。

 つづく 女の子の二つのタイプ