生殖の性は閉経、停止する。お年寄りの性は質が変わる。お年寄りに性の必要性を語る場合、筆者はその目標を心の絆づくり、健康づくりに置いている。
 人生八十年時代といわれるが、人間の体の細胞は、百二十年から百二十五年生きられるそうである。

本表紙 大工原 秀子著

煌めきを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いで新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れている

女性はいつまでセックスを求めるか

 健康づくりに大切なセックス
 老人の性問題は、人生八十年時代のこれからの大きな問題である。筆者が初めて実態調査を行った昭和四十八年には、年を取ればセックスは「枯れる」ものと思われ、老人に性問題があるなどとは考えられてもいなかった。

 あれから十六年、老人の性問題は確かに社会的に認められ始めているが、筆者からみると、まだまだ人生五十年時代の考えにとらわれていると思う。性を子作り、生殖のためと考えるところから脱けられないのである。

 生殖の性は閉経、停止する。お年寄りの性は質が変わる。お年寄りに性の必要性を語る場合、筆者はその目標を心の絆づくり、健康づくりに置いている。
 人生八十年時代といわれるが、人間の体の細胞は、百二十年から百二十五年生きられるそうである。ただし、人間はずっと手前でさまざまな病気にかかって死んでしまう。でも、これまで不治の病とされていた病気が、医学の進歩によってどんどんクリアされてきたから、これからは人生八十年ではなく、生殖の性を閉じてから、さらに新たな八十年時代がやってくると考えなければいけないだろう。

 老人のセックスは若い頃と比べると、よりメンタルに、高尚になってくる。
 男性は、若い時ならそれこそ二、三日もすれば、我慢できなくなるほどの強い性衝動にかられるだろうが、加齢と共に衰えてくると、性欲・勃起・挿入・ピストン運動・射精・オーガズムという六点セットの性器結合のための性能力も弱まり、相手との肌のふれ合いを求めるよりもメンタルなものになる。女性も、生殖の性を閉じて、愛する人の抱擁や愛撫だけでも、心理的に満足を得るようなセックスに変わっていくだろう。だから、男女両性にとって、老年期の性は夫婦のコミュニケーションを深める心の絆づくりのセックスに変わるのである。

 お年寄りの性がなぜ大切かと。筋肉をはじめ身体機能は使わなければ衰えて、廃用萎縮、固くなるのだ。
 マスターズの報告によれば、「規則正しい性的表現の維持は、良好な健康状態と老化過程に対する精神的調節を相まって、結婚生活に性的刺激のある環境を作り出し、順次、性的緊張を向上し、八十歳以上に能力を与える」とあるからだ。お年寄りの性がなぜ健康づくりかお判りいただけたと思う。また、性反応は性器のみならず、筋肉血管、皮膚ホルモンその他全身に影響を与えるといわれ、女性は死ぬまで週一〜二回のセックスが出来ればいつまでも若さが保つといわれている。年を取れば膣壁は薄くなり、その奥行きは浅くなり、粘滑液の分泌にも時間がかかるようになるが、セックスを続けていれば、快感は、時間が短くなっても二十代・三十代と変わらない。

 男性も、勃起や射精がだんだん難しくなるが、逆に、射精さえしなければ長く続けることができる。
 老年期の、女性は妊娠の心配もない年齢。男性は射精を遅らせようと我慢した若い時の苦労もなくなって、むしろお互いに大いにセックスを楽しめる時期だと考えるべきだ。そのうえ性反応は、筋肉をはじめ体の全身反応だから、心身の諸機能を活性化することにもなる。お年寄りにとってセックスは、健康づくりにもってこいというわけである。

 「性欲を感じる」男女が増えている」

 ところが、こういうお年寄りのセックスの実態は、なかなかわかりづらい。足りない情報、誤った考えにとらわれたまま、みなひそかに悩んでいた。それで何とか実態を知り、お年寄りの悩みに答えようと、私は昭和四十八年に初めて実態調査を行った。

 その結果を昭和五十四年『老年期の性』(ミネルヴァ書房)として一冊の本にまとめたところ、社会的に大きな反響を呼んだ。その後、週間誌や新聞や単行本などのマスコミでも、老人ホームや病院での男女の性の実情をルポした記事がいくつも出るようになって、老人の性が決して「枯れる」ものではないことが明らかになった。

 そこで昭和六十年、筆者はその後の変化を知ろうと二度目の実態調査にあたった。
 実態調査を行って一番驚いたことは、二回とも性欲は枯れるどころか高齢で維持しているということだった。この傾向は、とくに男性に顕著。性欲が「全くない」と答えた男性は前回一一%、今回は九%。残りは程度の差こそあれ「性欲がある」と回答した。九十%の男性に性欲があり、老人も現役ということだ。

 女性で「全くない」と答えた人は、前回六六%、今回四一%。二〇%も減ったとはいえまだ男性と大きな差があるのは、女性が若い時から「性欲を感じてはいけない」、「女から求めてはいけない」「声を出すな」「恥じらえ」などと、セックスを抑圧されてきたからではないか。本当に性欲が感じらなければ病気でいえば心身症に分類されるだろう。

 性欲を感じる男性の「勃起する」率は、前回は六七%であったが、今回は七八%にも増加した。女性も性欲を感じて「濡れると」と答えた人は、前回二一%で、今回は三〇%である。
 前回よりも今回の方が、性の欲求も肉体的の反応も元気な老人が増えているのは、平均年齢が約一歳若返ったこともあるかもしれないが、何よりの原因は、社会が大きく変わり、老人たちの意識にも影響があったということだろう。

「挿入・射精」の両方とも可能な男性は、前回三八%、今回四七%、双方不可能な人が前回二三%、今回一八%であった。「挿入だけで射精無し」「勃起しないが射精できる」という人を合わせて今回三五%であった。

 実を言うと筆者は、勃起しない状態で射精できるなどわからなかったが、ある時、妻があまりにも無理解なので業を煮やしてか勇敢にも目の前で実際にやって見せてくれた七十五歳の男性。パンツを脱いで「見せてください」と。マスターベーションをしているうち確かに、固くはならないけど、生クリームみたいな白い精液がポチョポチョとティシュペーパーの上に滲み落ちた。飛ぶなんてものではなかった。

 四日に一回ぐらい射出させないとイライラするから、妻に頼んでも「私は絶対イヤよ。お金を持って遊びに行って」とどうしても受け付けてくれない。聞くところによると子宮筋腫か何か婦人科の手術をしたことがあったらしく、それが更年期と重なって性交痛が激しくなったのではないか、と想像できた。

 性交痛を経験した女性にいわせると、傷口を「細い針で刺したのを絹糸で引っ張られるような」痛みとか、「体が裂けるような」痛みなんだそうだ。昔は濡れない場合には、ワセリンやオリーブ油を塗ったものだそうだが、ベトベトになるのが欠点であった。いまは人工粘滑剤のリューブゼリーがあって、使用すればはるかに快適である。女性の中にはまだ、お風呂上りにはいつでもオロナイン軟膏を塗って備えているという方もある。

 膣がぬれ(粘滑液の産出)ないのに挿入される苦痛が嫌で、セックスをしなくなる人が多いが、リューブゼリーの存在や、どこでそれが買えるか知っている人は少ない。相談にやってくるのはまだ男性がほとんどである。

 夫の方は、性欲があり、勃起し射精も出来るから、性的に関わりたいのだが、妻が受け付けてくれない。そういう男の気持ちや欲求を理解するどころか、反対に「いい年してこの助平ジジイ」「ヒヒジジイ」と連れ合いを罵る。

 毎月貰う年金が微々たる額しかない夫が、妻から「あなた、お金もないのにいつまで生きるつもりですか」と言われ、勃起不全になったので、せめて妻の性器へのタッチングを求めたところ、「お金もないのにセックスなんて何言っているんです」と拒否された。それまではソコソコにセックスも楽しんだのにもかかわらず、夫達の嘆き節は「女は金だ」とお年寄りの男性はみんな言っている。それを聞くと筆者はもうあわれで、ハラだたしい。もちろん女性に対してである。

 妻達がセックスを拒否するのは、性交痛があるとか、夫が妻を大切にしなかったからとか、最初は単純に考えていた。確かに男性は、「女性は心を開かなければ体は開けない」ということを学習していない。それに、「年を取れば濡れにくくなるから、よけい前戯が必要だ」という事も分かっていない。

 年を取っていても、一〇分間くらいの時間をかけて、睦言を充分しながら、念入りに性器の愛撫をくり返すとよい。そのことでお互いの心の絆が結ばれ、心が開き、女性の体も開いてくる。それを、そんなこと面倒くさいとばかり、性急に挿入しようとする。だから妻に嫌われるのだと思う。ところが、男性側にも切実な悩みがある。体調のよいとき、たまに元気になる。妻に前戯などしているうちに、元気が失せる。だから、それ! とばかりに元気に任せて性急にことを果たす。夫達の気持ちも分からないこともないが、そのときだけでは老妻はたまらない。元気でないときも、手も口も足もあるのだから妻に充分サービスをして、常時ミズミズしくさせておくことだ。性急な老夫達の要求には、家族計画協会の新製品リューブゼリー(レディス)、寿商事の潤愛ゼリーなどは、女性の膣に溜めておける、いつでも応じられるゼリーでもあるので念のため。

 実態は、女性があまりも男性の性欲と性の実情を知らない。無知なのだ。無知は罪なのだが、その認識すらないのだから。

不良老人」を誰が責められる?

 調査にもでているが、自慰も含めて「性行為あり」としている男性は、前回七七%、今回九六%以上の人が性的欲求を感じ、性行為をしている。その回数は月に一回が一番多く、前回は十六%、今回二三%。でもこの回数は個人差がおおきくて、年齢による差がほとんどない。
 女性だって、「性行為あり」の人は前回四四%だが、今回は九三%にもなっている。回数は前回が週一回が一四%だったが、今回は月一回が、二回、三回が同数の十六%であった。

 性行為の相手も、男性は「妻」と答えた人が七〇%から八〇%に増え、「夫」と答えた女性は五八%から七四%になっていた。
 男性の性の実態、特に老人男性のそれを知るのに格好なケースがある。
 二年前、S駅のデパート地下街にたむろしていた七十歳前後の男性老人が、通りかかる女性に声をかけたり、性行為を勧誘したりしているうちに、十六歳の家出少女を自分たちの家に数ヶ月囲って、小遣いをやったり世話をして、セックスの相手をさせていた事件がある。

 少女の方は、新宿辺りで遊び疲れると、老人の住家に帰って来るという生活で、近所の人の警察への投書によって取り調べが行われた。老人には、家族があるのに世話になりたくないと言って働いていた人や、ひとり暮らしが寂しくて定期券を買って池袋E駅に遊びに集まっていた仲間がいた。

「不良老人」の事件は、懲役六ヶ月、執行猶予三年の刑が言い渡され、裁判所の老人たちは「今後は老人クラブに入ってゲートボールをしたり、孫の面倒をみたりして、真面目に老後生活を送ります」と誓ったそうである。筆者は、「そんな誓いをするな」と言いたい気持である。いったい誰が、この年寄りたちをとがめることが出来ると言うのだろう。

 彼らはいま、年金がようやく充実してきた世代である。元気があってお金があって、食べ物があってヒマがあって配偶者がいなければ、何をやるのか? 売春婦を買うことがいか悪いか別にして、そういうお年寄りの受け皿がないのに、一方的に責め立てるのは矛盾していると思わないのだろうか。

 お年寄りの性的楽しみについてみると、ビニ本を見る男性が、前回の八%から一五%に増えている。ポルノ写真を見る人も七%から一〇%へ、ポルノ映画が六%から八%へ、お触りも四%から六%に増えている。ストリップを見に行った人は一四%から五%へ落ちているが、それはストリップ劇場そのものが衰退しているからだろう。手軽なワイ談も二〇%から一一%へと減っていて、結局老人の性的楽しみの一番は、テレビのお色気番組(二回とも二九%)くらいだ。

 女性の場合は、ストリップもピニ本も見る人はゼロ(ただし前回は各々六%と一一%)で、ワイ談が五%から一三%、テレビのお色気番組が二七%から四七%に増えている。ひそやかに見ていた物が、女性も堂々とワイ談を楽しんだりテレビで見たりして、コミュニケーションできるようになったということだろう。

 とはいえ、やはり性的不満を「他のことで紛らわす」という女性が多くて、男性が五一%から四九%、女性では逆に十六%から二〇%に増えている。
 男性は年を取っても性欲もあるし、ほとんどの人が、妻をちゃんとセックス相手にしている。ところが、女性側は夫の要求を拒む妻が多い。そういう女性によくよく本音を聞くと、男嫌いの女性が多いことに面接場所で気づく。
 いま、夫は”濡れ落葉”とか言われて、掃いても掃いても妻にべっとりとまとわりついてくるといって、嫌われているのだそうだ。それは、夫を掃き出しても縁を切っても妻の勝手でよいようなものだが、はたして高齢の女性が夫と離れてひとりで死ぬ覚悟が出来ているかどうかは、筆者は大いに疑問である。

 イヤな亭主とは縁を切ってしまうわ、税金も払わないで、じゃあ、ひとりで死ぬときどうするのだろう。税金を使って社会的に面倒をみて貰うのもよいが、自助努力している人に、その分の税金が返ってくるのだろうか。もし同じであれば自助努力組は損をする。もう少し、夫婦で自助努力をして、別れるなら、死の床で誰の世話になるのか計画をきちんとたててからすべきと思うが。

 死に方を考えていますか――ターミナルケアとセックス
 現代は人生八十年時代。考えようによっては生殖の性を閉じた後、八十年もある超高齢時代というわけである。その長い時間をどうやって生きるか。政府も昭和六十三年七月、総理府の「新しい中高年の生活文化を考える懇談会」で「エイジレス社会をめざす」答申を出している。本当にこれから超高齢をどう生きていくつもりなのか。

 お年寄りが集まったと聞くと、「財産を譲って子どもに面倒を見てもらうから」という人がまだ多いのである。先日も「性と死を語る会」の会場で、高齢の親の面倒を誰に見てもらうのか、話し合いになった。

 九十二歳の女性が「五人子供がいるから、誰かがみてくれる」というので、「確約がしてあるの」ときくと「していない」という返事。そこで筆者は彼女の五人の親子関係の具体的な事情を、参加者みんなの目の前にデモンストレーションして見せた。

 母親の本人九十二歳、娘は七十代で元気だが配偶者はいない。息子二人は六十代。一人は脳梗塞で言葉と体が不自由。もう一人は脳梗塞と心筋梗塞をわずらい、妻が二十年も家出したままで離婚もままならずにいる。

「子どもを呼ぶといっても、実際にはこんな年齢構成と実情なのですよ。孫やひ孫なんてもっと頼りにならない」。その年齢構成と実情を目の当たりに見たお年寄りたちが、大ショックを受けていた。
 病気や生活の介護を子供の誰にしてもらうか決まってないなら、他人に頼む介護料と、必要な介護用品を買うお金も自分名義で作っておくこと。財産をつれあい名義にしておくと、つれあいが死ねば、今は妻に半分権利があるけれど、夫が生きている間は妻のモノではないのだから、と口を酸っぱくして言っている。そこら辺が全然わかっていない。

「私はキャリアウーマンで家がある、だから一人で生きる」なんて言っていても、一人で住むのなら自分の死の演出まで考えていますか、と問いたい。

 たとえば、死ぬ間際にあなたはどうしたいのか。民謡のチャンチキおけさが好きな方は、気の合ったお仲間に、三日三晩くらい唄ったり踊ったり賑やかにしてもらって旅立ちたいとか、いろいろあるかもしれない。

 最後に来て貰いたい人を、この人とこの人と決めておく。遠くから会いに来て頂く場合には、往復旅費、傍についてもらいたいのは、一人きりでいるのが怖い夜間だから、その分の日当。死に水を取って頂くから、ふつうの三倍から五倍に予算を計上して、そういうものすべてをちゃんと紙に書いて用意しておく。

 毎月二十二日を「夫婦の日」と考え、さらに四月二十二日、十一月二十二日は「よい夫婦の日」として大イベントを開催したらどうかと、近年話しあってきた。
 その日は、ちゃんとしたセックスをして夫婦の絆を確かめあった後で、夫婦としてこれでいいのかチェックするようにする。その時、死に方の演出の紙も毎月その日チェックし直す。

 死にゆく場所に病院を選択した場合も、最期は自分の好きな人に手を握ってもらうこと。夫婦であれば同時に性器へのスキンシップを忘れずにと提案している。これがなかなかやれないのだ。

 病院では、夫婦の別れも親子の別れもさせてくれないだろう。死んでしまうと「生きてる人に悪いから」と言わんばかりに、まるで食べ残しの配膳をコソコソと下げるように、遺体をストレッチャーに乗せて大部屋から霊安室に移すだろう。実に配慮が足りないと思う。

 夫婦なら、遺体を傷つけない限り、セックスしても法的には許されるってご存知だろうか? タブーなんてみんな自分たちで作っているんだと思う。
 好きな相手だったら、「アッ、息を引き取っちゃった。これがこの世の最後だ」と思って、死体とお別れのセックスをしながら泣くのもよい。だって「たかがセックス、されどセックス」。そう思いません? ここに一つの事例を紹介しよう。

 昭和五十九年七月十日。健康だった妻が、急性白血病で倒れて、大学病院に入院した。入院した夜、主治医に呼ばれ、あと一ヶ月の寿命と言われた。私はまさか! と大ショックをうけたが、私の態度が変われば、妻に気づかれることを心配して、その夜から病院に泊り込み看病に当たった。六十年一月二十日の死亡まで約七カ月間、一人で看病を続けた。
 七月後半から八月にかけて、がん抑制の治療を受け、妻は生死の境をさまよう状態が続いていたが、治療の効果があって、日増しに元気になって来た。九月になってから入浴も出来るようになったので、私は週三回、妻と一緒に風呂に入ってやり、妻の思い通りにさせた。

 セックスを望めば、それに応じた。十二月二十三日の再発の時まで続けた。また、毎朝検温の時間まで添い寝をしてあげた。私が夜、昼一緒におるので安心して治療に励んでくれた。妻は食事を多く取れないため、私も一緒に食事をすると、喜んで妻は少しでも多く取ろうとしてくれた。
 このようにして、私が一緒にあったためか、妻は死ということを言葉にすることも無く、一月二十日一九時頃、死の一時間三十分前、病状が悪化した時も生気であった。

 今思えば、一月二十日死の五時間前、午後三時ごろ、今まで眠っていた妻が急に大きな声で「お父さんさようなら!」と言ったので、私はビックリして、呼び起こすと妻が「夢見ていた」と言ったけれども私はその時、何を思ったか、急に思いついて私の性器を妻の手に触らせたら、妻は喜んで笑っていた。それが私の、死へ旅立つ妻への最後のセックスというか、皮膚を通しての最後の触れ合いとなった。そして二十一時三十分、安らかに死への旅立ちとなった。

 そのことが三十二年間も共に暮らした妻への最後の奉仕であったと思うと、七カ月間の看護の苦痛と思わず終った。
 六十二年三月十日の毎日新聞、「最後のセックスのすすめ」(中野区堀江老人福祉センターの性と死を語る会)を見て、私が妻の介護中に妻に対して行った行動は正しかったと思って。ペンを執った次第です。ありがとうございました。妻五十二歳、夫六十一歳。

 スキンシップが生きる元気

 スキンシップが人間にとってどんなに大切な行為かは、他にもいくも実例がある。病気がちだったり、寝たきりや環境性ぼけになった老夫婦に、性的なスキンシップを盛んにさせる、性的にかかわらせるように指導すると、生きる気力を持ち直して、ぼけが落ち着くケースが多くある。

 毎日の生活の中で夫婦のスキンシップが多くなり、性的関係もスムーズになると、「この高齢の夫に、この女房に心配をかけちゃいけない、元気になってやろう」と自分でヤル気を起こして、寝たきりのお年寄りが床からはいずり出すし、環境性のぼけが直ってくる。

 具体的にどう指導したかというと、まず夫婦を同じ部屋に寝かせる。その時、ぼけてて心配だと思っても、お嫁さんは絶対に一緒の部屋に寝ないように、お年寄りの最後の夫婦関係を壊すし、三角関係になってしまって逆効果だ。

 高齢化社会では、あくまでも夫婦二人が単位である。病気であろうと、急性期をすぎたら夫婦は二人で寝室は一部屋に休む。いままで別寝室で寝ていた夫婦は、イビキがうるさいとか、傍にいると気になって眠れないとか、もう大騒ぎだが、六十歳を過ぎたら夫婦は同衾(どうきん)して老いを二人の温もりの中で受け止めていけば、相身たがいで老けていける。更年期の四十代、五十代で別寝室にしたら、老年期までにはそれが長年の習慣になってしまうから、とても関係の回復が難しいようだ。

 同じ部屋に寝れるようになったら、次は一つの布団に寝るように指導する。そうなれば当然お互いの体に触れるようになる。お互いの体のスキンシップのとりかかりは、まず朝晩の挨拶のあと手を握るところからである。
 それから徐々にお互いの体に触れ合う。今日は目覚めることが出来て、生きている。ありがたい! もうそう長く夫婦をやっている時間はない。なぜなら、女性が六十五歳後半になると約五〇%に配偶者がいなくなる。八十歳前半では九十%いない。前述のデータ表で見てきたように。

 具体的には一緒にお風呂にいってもらう。といってもお年寄りだから、お風呂のフタを取ったり入浴の準備や後始末は、お嫁さんや家族が手伝ってあげる。体を洗うのも手伝ってあげていいが、ただし性器は、老夫婦でお互いに愛撫しながら洗うこと。

 お嫁さんや家族は「お姑さま(お舅さま)、そこだけはご夫婦でどうぞ」と声をかけてほしい。お嫁さんが舅の世話を焼きすぎて、嫉妬した姑が自殺した例もある。
 このような老夫婦の性的なかかわり合いは、施設のお年寄りでも同じだと思う。それでも機能回復におよばない場合には、泌尿器科の医学が進んでいるから、どこが故障しているのか検査を受けてみる。

 朝昼晩、三回の握手のほかに、お互いの性器を愛撫することもおすすめにしたい。なぜセックスに拘るか(本当は施設も床暖房にして、夫婦の場合なら二人とも裸で抱き合ってゴロゴロできれば一番生き生きしてくるだろうが)。赤ちゃんと同じで人間は皮膚へのトーク(語りかけ)がなければ生きていけないのだ。スキンシップは心の栄養。

 どんなにおいしい言葉を口にしても、お腹の中はわからない。でも皮膚は敏感だから、すぐ見抜いてしまう。「どうお?」とやさしい言葉かけと同時にやさしく触れれば感じるのだ。
 施設のお年寄りも、好きな人が出来たら、同じ部屋にしてあげたらいい。また実施しているところは少ないけれど、施設長さんの考え方によっては、そういう粋な計画があるホームもある。
 しょせん人間は一人では生きられない社会的な動物である。同じ老人ホームに入って帰れないお年寄りはみんな家族のようなものだから、籍を入れる入れないという問題でなく、茶飲み友だちとして考えればいいのではないだろうか。

 もっと夫婦で向き合おう

 でも、お年寄りの男女の性的なかかわり合い、結婚ってやはりいいものではないだろうか。
 先日、突然、六十五歳の女性から電話がかかってきた。いままでシングルだったが、郷里に帰ってみたら、昔の男友達が七十歳でやはりシングルになっていた。そこで意気投合して、「このたび結婚することになりましたの。それであのゥ、ゼリーはどこで手に入れられますか」って、もう嬉しさが隠し切れない。それは艶っぽい声であった。

 筆者は仕事場で「性と死を語る会」を続けているけれど、そこに参加しているお年寄りの中でもカップルが誕生したのだ。八十一歳の男性と六十八歳の女性。話は聞いていたが、実際に身近に起こってみると、会のお年寄りが湧きたって、大騒ぎだった。セックスもきちんとできて、週一かもうちょっと、とご本人が報告した。「月に五回しました。でも、そのうち二回は射精しませんでした」と。八十一歳だ。ホントにお元気。そのうちお二人をシンポジストにして経過報告を聞くのを一同楽しみにしている。

 いま、真剣に男女とも考えなくてはいけないのは、なぜもっと夫婦で向き合えないのか、人間として連れ添う二人として、向き合う努力を続けて来たか、ということである。
 女性たちは、本当に夫だけが悪かったのか、自分の男嫌いを棚に上げていないか、自問してみるべきである。性的欲求のある夫とどう性的コミュニケーションを取り戻すかを、きちんと考えることだ。ヒジ鉄ばかりでは冷たかろう。性的なかかわり合いを夫の健康づくりの一環として位置づけて、お互いの温もりの性を通して、寝たきりやぼけを予防し、イキイキと生きてほしい。

 このことを拒否するのであれば、一夫一妻制度の結婚の義務違反だ。妻が、または夫が、連れ合いの健康を奪う存在であることを恥じとして、拒否し続けるのであれば、迷惑料にとお金を払って出て行かなくてはならないと思うがどうだろう。

 夫も、妻に性的興味を持たず、インポテンツでもないのに性的関係を持たないのであれば、妻に老後の保障をして一人で去っていけばいいのだ。そして高齢な自分が一人になってどうやって生きて死にいくのか。最後の死の演出まで考えて、そのプランを毎月点検しておく。そうしてこそ、一人は一人なりに楽しく生きていけるのではないかと思う。

 性の概念は字のごとく、リッシン編は心で精神活動を表し、作りのイキルは体で、全身活動を表している。体の栄養は食物だが、心の栄養はスキンシップである。したがって、性的に成熟するということの中身には、精神活動と肉体活動と、それを支えるその人の性に対する価値観というか、生活規範に柔軟性があり、これらの三つの要素でバランスが取れていることである。

 急速に進展した長寿の社会活動規範を、五十年型から八十年型へと移行させる激変期のはざまで、老いも若きも自分の性欲を集団の中で健康的に表現する方法を模索している時代だ。特に高齢なお年寄りが、家族や社会の中で男女間のエチケットをどう表現するかわ、手探りで探し求めている時代なのだ。お年寄り一人一人の真っ赤な太陽が、美しく空を染めあげる落陽の日まで悔いることなく完全燃焼して生きたい。

つづくX 老人の性生理 T 男性の性生理