私の妻は、セックスが嫌い。拒否はしないが、その気を示さないので、思い切って聞いてみたら、「セックスは嫌い。少なくとも好きではない」とはっきり言われた。
私は現在、六十四歳七カ月、二人の子供は独立し、夫婦二人暮らし。私有財産は、土地と家屋。預貯金利子は少ないが、毎月厚生年金が二十一万五千円入る。

本表紙 大工原 秀子著

夜の夫婦生活での性の不一致・不満は話し合ってもなかなか解決することができずにセックスレス・セックスレス夫婦というふうに常態化する。愛しているかけがえのない家族・子どもがいても別れてしまう場合が多い。

定年後の夫婦これでいいのか

健康はいたって良好で、自分の部屋、妻の部屋別々で、居間など住まいの空間は快適である。

健康への配慮とし、毎朝、朝食前、テニスを一時間行い、他に趣味として百人一首競技カルタと読書。
性欲は、若いころと比べたら。むしろ増したように思う。性的機能も、勃起、射精、挿入可能で、性的欲求の程度は性交行為を欲している。
しかし、セックスにのりきを示さない妻が相手では、私はいったんその気になっても、途中で萎えて、冷めてしまう。
何とか自然に高まりを持っていこうと努力してみるが、妻は応ずるような気配は示さない。生殺しあっているようなもので、若い時はこういう状態でも最後まで到達できたのだが、六十歳を過ぎてからはそういうわけにはいかなくなった。

いつもこのような状態なので、二年くらい同衾(どうきん)していない。とはいっても私自身は元気なので、マスターベーションを毎日行い、週に一回は射精する。さらに、毎日一回用便後、清潔にした後、冷水シャワーを数十秒かける金冷法を行う。その効果なのかわからないが、毎夜二回前後、勃起して快感を伴い、目が覚める。

「広告7」膣挿入用具を使いペニスに負荷をかけ続けることで成熟した逞しいペニス・持続力がつくエクササイズ効果を発揮する。さらに、ペニス・挿入用具によって膣・子宮部に負荷をかけ続けることで成熟した女になり、個人差はあるものの強力な膣筋肉収縮・解放を自在に操れるエクササイズを発揮し、オーガズム(男がイク時、ビクンビクンってなるのと同じことが女の下半身に0、八秒くらいの間隔で、意識しないで筋肉の収縮運動(子宮も含む)が起きる、それがイクということ)を得やすい体質となり、膣筋肉収縮・解放を自在に操ることによって男の射精を容易に女性もコントロールできるようになる。及び避妊用具としても優れている。
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目下、性的な楽しみとして芸術写真(裸婦)を眺める。じっと見ていると、気分が爽やかになり、ほのかな快感を覚えはするが、残念ながら私は、セックスをすることが人生最大の楽しみと思っているので、架空の異性と想像で楽しむのは空しい。夫婦合体の真底からの安らぎを得られないような状態で、あと何年しかない大事な人生を送るのかと思うと、毎日が惜しくて惜しくてならない。
若いころの不勉強のツケで「地位がない」「金がない」「若くない」のないないづくしの罰を受けているのだとあきらめ。
 それでもどこかに、私と同じ思いをしている女性がいるのではないか。そんな人と必ずめぐり逢える筈だという、僅かな希望との間を行ったり来たりして、毎日、悶々としている。配偶者を持つ身でこのような望みを持つことは、けしからぬことだろうか。
 再婚を希望しない者同士、いろいろな事情で残りの人生をあきらめかかっている者同士、お互いの家庭を尊重しながら、私のような場合の者同士、それぞれが楽しく異性交際したいと願うのは特殊だろうか。

 少し長くなったが、以上のような相談を受けた。この相談にもみるように、昼間は夫婦仲良く、夜は別々という生活者の相談が増えて、長寿社会の夫婦像がいかなく表われ、元気な男性老人の嘆きが伝わって来る。

 性のありようは文化である。その国のその地方の、その家族と地域社会によって、性の考え方や表現方法は学習される。若い頃の性は、生殖・快楽、夫婦のコミュニケーションが目的目標であった。しかし、問題となるのは、高齢者の性が、一夫一妻の婚姻制度の中で、子産みの性を終えて子どもが巣立たせ親の責任を果たし、さらに配偶者を見送ったあと完全に婚姻制度が形骸化していてもなお、何の修正もされず、夫や妻の求めることを拒否していても、見せかけの夫婦として営々と存続させていくことである。

 夫婦であるからこそセックスは、誰はばかることのない行為として夫婦のかかわりあいの中で、心と体の一体感を共有しながら、二人の世界で安らぎを得ることが出来る最高の行為だと思う。夫婦の心理的な距離を縮める努力をした上で、”なぜ、セックスが嫌いなのか”、この相談者の場合も、他の異性を求める前に、話し合うことが先決であろう。
 今後、老人の婚姻制度の見直しと、改正が是非必要となるだろう。ハイクオリティ・セックスを求める老人の為に。

 7 老年期のセクシャル・ハラスメント

 昨今、働く女性のセクシャル・ハラスメント(性的嫌がらせ)が話題になっている。
 が、働く男性のセクシャル・ハラスメントはどうなっているのか。語られることが少ない今、気にかかっている。

 セクシャル・ハラスメントで老年期を切ってみれば、お年寄りにとって職場は勿論、社会や家族からセクシャル・ハラスメントを受けている。しかも、お年寄りは転職したり、次の好の職場を探したり、家族を取り換えたり、地域社会の集団から離脱もできない。
 ジッと我慢するより手はないのではないか。

 筆者は前に、老年期の男性は性的欲求を持つと、「いい年して」、「不潔」、「いやらしい」、と言われていると書いたが、このようにお年寄りは社会からセクシャル・ハラスメントを受けている。
 お年寄りよ、おおいに怒れ!
 とはいえ、妻(女性)からセクシャル・ハラスメントを受けている夫からの相談が多く、次のような例もある。

 私は昭和八年東大を卒業。十年に見合い結婚して、満州の民間会社に就職した。戦後、技術者として中国に留用され、二十三年間、中国の生産復興の仕事に就いていた。

 昭和四十七年十二月に日本に帰国。四十八年から五十五年まで七年間、東京の会社で働き、その間、社会保険を支払ってきたが、中国での仕事が民間会社であったため、厚生年金は支給されず、退職後は無収入の生活となっている。

 妻は七十六歳、私は七十九歳。私はセックスに関する知識がなく、前戯の方法は全く知らなかった。いきなり挿入し、時間が長ければ妻は快感を感じるものだと考えていた。
 その後、先生方の講演や本を読み、勉強して妻に夫婦生活の大切さを説明した。私も前戯を十分に行うよう努力した。三十分、四十分と肩、背中、脚、足先、腿、胸と愛情をこめて優しくさすり続ける。しかし、私の手が妻の性器に近づくと、「お父さん、お金もないのに何ですか、いつまで生き続けるのですか。」と言って拒絶する。「じゃ、一緒に風呂に入ろう」と言うと、「いやらしい、色気違い、助平ジジイ」と罵り、拒絶する。

 私がどんなに努力しても拒絶するので、きっと妻に嫌われているのだ、嫌われる原因をなくすることが先決だと、妻に、1 夫婦生活に関する私の考え、2 妻に対する態度、3 生活の中での行為行動、4 その他、すべての面で妻が気に入らないと思っていることを、遠慮なく出して、話し合いをしたいと妻に申し出た。
 ところが、妻は話し合うことすら不賛成。

 妻は娘の言うことはよく聞くので、娘に相談したところ、娘も話し合いには賛成で、妻にいったようだが、未だに実現しない。
 そこで、日頃から親しくしている燐家のご夫婦で、奥さんとはジョッキング仲間であるところから、妻の考え方を説得してもらうことにした。ところが何と、ご主人曰く、「私の妻もキスをさせない。オッパイも触らせない。性生活など全くない」と答えて、外見は仲良さそうなご夫婦でも、当家と同じようなもので、説得してもらうわけにはいかなくなった。

 妻は夕方四時までが、新聞や雑誌を読む時間なので、傍らに寄ってみるが、私の手が性器の近くに行くと、同じパターンの繰り返しで、拒否されてしまう。
 そこで、夜、一緒に寝て体をさすることを考え、妻の布団に入ると、妻は反発して起き上がり、布団から逃げ出してしまった。

 翌朝、「スキンシップは大事だ」と妻に言うと、「いつまで長生きするつもり? 子供に迷惑をかけるつもりなのか」と責める。妻自身は、毎朝、老人クラブの人たちと散歩に出かけ、毎日医者に診察してもらい、薬を飲み、歯医者にも通院して、自分は健康で長生きしたいと考えているのに、私が、温もりの中の夫婦生活を説いてみても、賛成しない。

 このことは、閉経後セックスをしてならない、罪悪だと考えるセックス観に合わせて、私の収入が老齢福祉年金(年間三三万円)だけの男なので、頼りにされていないことも関係ありそうに思える。
 しかし、中国政府に二十三年間も留用されたのは、日本政府が中国侵略戦争を行ったためで、軍属でない民間技術者に、日本政府は賠償も補償もしてくれない。だから私が厚生年金を貰えない責任は日本政府にあると思う。そうは言っても金のないことが妻の不満にもなり、実際問題としてセックスの拒否をさせる一つの原因となっている。年金問題は国で解決方法を考えていただくよりほかなく、この回答は筆者の範疇を超える。年金の谷間にいて年金問題に一肌ぬいて下さる方はいないものでしょうか。

 さて、「性的に不満足」の理由を配偶者のいる老人に聞いた筆者のデータがある。夫は配偶者がいても妻が相手しないため、「相手がいない」が一位「応じてくれない」二位、「おっくう」三位。妻は「おっくう・体がきかない」が、不満足の一位になっている。
 老人のセックスは、生殖を閉じた性を生きる心の絆づくりのセックス。体がきかなければきかないほど、肌の温もりを感じ合える心の絆づくりが必要で、肌を合わせた快感と、一人ではないという安堵感にひたって、情緒を安定させ、死の瞬間まで生き生きと、男性も女性も、性を燃焼させることができるのだ。

 男女とも高齢になれば、生理学的には中性的な様相を呈してくる。そうなればなるほど、自分の性を意識して表現することが肝腎となる。生殖だけのセックスは、豚さんと同じレベル。人間だけが生殖を伴わない性を楽しむことができる動物であるということだ。

 あなたのセックスは動物レベルの行為か。
 人間のセックスで生きているか。
 性を伴わない生はないのであるから、どんなに高齢になっても、自己の性を楽しく生きる工夫が必要である。

 8 性愛はぼけの秘薬

「娘の結婚式に行くから支度しなければいけない」。
 二カ月前からギックリ腰で寝ていた妻M子さん(七十九歳)が真夜中、ムックリ起き上がり、夫Yさん(八十三歳)を起こした。
 ひとり息子(四十五歳)は結婚し、二人の孫がいる。娘などいるわけがない、Yさん。
 腰が痛いはずの妻が、スックリ立ち上がり、洋服ダンスの上から夫の式服を取り出し、夫の布団のまわりに並べだした。

 驚いたYさん。「おばあちゃんどうしたの?」四十年前の話が返ってくるけど、話の辻褄が合わない。腰がスッキリ伸びて、トントンと階下の息子夫婦を起こしに行った。
「おじいちゃんが明朝出かけるから、早目に朝食の用意をするように」。二階にもどったM子さんは、目はうつろ。一点を凝視して、ブツブツ言って眠らない。

 翌朝、息子夫婦は朝食の支度が整ったことを伝えにきて、母親の異常に気づいた。が腰痛も訴えずに、シャンシャンと歩き回るので、様子を見ることにした。
 しかし、排尿便のコントロールが乱れて、失禁するようになった。三日目、町医受診、睡眠薬が処方され、服薬させると二日二晩眠りつづけた。

 目が覚めると、腰痛を訴えるほかは、空ろな目で一点を凝視したままだ。高齢の夫は夜眠れない。このままでは、夫が倒れてしまう。
 Yさんは、息子夫婦に言った。「私達夫婦は、平均寿命以上生きた。バアさんがこんなでは、私はもう世話もできない。孫も受験だ。私達二人で死のうと思うが――」

 相談を受けた息子夫婦は、「死なれたら私たちも困ります。おバアちゃんは私達でみます」。
そう息子夫婦に言われて困ってしまった。何か良い方法はないものかね。

 妻のM子さんは、三十四歳で初婚、息子に恵まれた。いたって健康。七十二歳のとき、自宅の二階から転落して、子宮脱の手術を受けた。三年前、妹が脳腫を四日わずらって死亡してから、笑うことがなくなり、一年半、毎日、お経がつづいた。その後はギックリ腰を患うまで、アルファベットを紙に綴って暮らしていた。

 Yさんは職人。関東大震災のとき、吉原のベランダで兵隊さんと碁を打っていて羅災したくらいの遊び人。四歳で腎炎、二十歳で梅毒、淋病、三十歳で胃弱、七十歳から腎性高血圧、胃潰瘍。八十歳から老人性貧血で病院の入退院の繰り返し。

 Yさんは妻より四歳年上の三十八歳で結婚。医者に「梅と淋しい病気で、子供は出来ないヨ」とご宣託を受けていた。ところが、妻が妊娠したではないか。
 激怒したYさんは、妻を打ちのめした、「よくも不義の子をヌケヌケと――」。月下氷人のところにも妻の髪の毛ひきつかんで、文句を言いに行った。

 実業家のお手伝いさんをしていたMさん、実業家の折り紙付きのご推薦だった。「不義をするような人ではありません」と言われて、病院で血液検査。Yさんに子種があったのだ。おそい子持ち、当時は、メリンスの着物を着せて、可愛いい、可愛いいと、膝小僧がぬけるくらいになでて育てた。そんな人柄なのだ。

「Yさん、奥さんは治る。死のうと思ったんでしょうょ。死ぬよりは優しいから、やってみますか?」
「何でもやるからお願いします」。

1 奥さんの言葉に逆らわない。「そうか、そうか、それで」と話しを引き出すこと。

2 その時、手を握るか、ボディータッチをしていること。

3 ボディータッチをしながら、「私が妻のオマエを必ず守るから安心しなさい」と優しく何回も声をかける。

4 言動が不穏状態の時は、夫が手や肩を抱きしめて、「私が守ってやるから安心しなさい」と言い聞かせること。

5 今夜一緒に入浴し、性器はやさしく愛撫して洗う。

6 同衾(どうきん)すること。眠るときと起きた時、性器へのタッチングと握手を行う事。もしかしたらそれが最後のセックスになるかもしれないから。

7 入浴後の着替えを手伝いは、体を拭きながら、結婚当時を、よかった頃を思い出し、きれいだったこと、楽しかったことを話しながら拭く。体に触れることは、夫がやること。
8 出かけるときは行先き、帰りの時間を言っていくこと。

そんなこと、死ぬより優しいことだと、Yさんは帰っていった。
翌日の報告。不穏行動消失、失禁消失、一週間でぼけの症状の一部分が改善された。そこでリューブゼリーを提供した。
Yさんは、七年前、妻が子宮脱の手術をするとき、医師に、開腹か局所的にするかと聞かれて、開腹では大変だと思い、局所的にお願いした。医者から下から縫ってしまった、と説明したので、Yさんはてっきり、塞いでしまったと思い込み「私は大変、元気だったから不自由しましたが、リューブゼリーを使ってみます。」

 翌日、トロンと一点を疑視している妻といっしょに入浴、体を丁寧に拭いたり、リューブゼリーを何と言って使おうかと考えた。
「バアチャン、これは夫婦だけが使うゼリー。きょう、堀江(老人センター)から貰ってきたから使うけど、悪く思うなヨ」夫婦だけが使うもののだからネ」と何回も言った。ぬっていると足を閉じようとした。そのとき、「あ、まだ頭の線が全部切れていない。」足が動いたそのとき、心から神様に感謝した。そうこうしているうちに、私が元気になって、これはしめたと思って、インサートしようとしたら門前でおじぎ。でも足を妻が自分で閉じようとしたときは、とても嬉しかった。
「Yさん、ゼリーはどこに塗りました?」
「ハイ膣です」
「あそこは鈍い所です。クリトリスに塗布します、優しく愛撫します」
「やってみます」。
 そう言ったYさんと金曜日に別れた。月曜日、ニコニコ顔のYさんに会った。
「土曜日に浅草に行って、うなぎと天ぷらを食べて来ました。きょうはまだ体がフラフラします。しばらくしたら、うなぎと天ぷらがきいてくるでしょう」

 言われた通りに。リューブゼリーをうまく使うと口をきかなかった妻が、足を閉じて「ソコはイヤ」と言った。Yさん自身元気になっていたので、今度はうまく自分自身にも塗って、妻の膣の入り口から中にも塗って、挿入も射精もできた。「とても満足です。まだフラフラしてますが、浅草の、うなぎと天ぷらはききませんナ」
 そんな冗談が言えるようになった。

 Yさんが、性愛を軸にした老妻への看護展開を開始して一か月目、妻のM子さんは、起き上がれるようになった。近所の神社に一人で散歩に出かけられるようになり、病院にも通えるようになった。

 約十年間、夫婦の会話も少なく、子宮脱の手術後は、膣口を塞がれてしまったと早とちりしていたYさん。夫婦生活を中断していたが、妻のぼけを回復させたい一心から、夫婦の性愛を軸にした看護を展開させて、一カ月後には完全に回復することが出来た。

 休眠状態にある高年男性の性反応能力は、本人が活発な性行動に戻る意欲があり、かつ、性行為に興味を持つパートナーがありさえすれば、再び覚醒させることが出来る。長期間にわたって性行為が行われなかった場合でも、適当な刺激が与えられ、性的興味をもつ配偶者がいれば、七十代、八十代に入っても、有能な性的機能を回復することが出来る。

 このマスターズの『人間の性反応』の調査データを、ぼけの出現した妻を相手に、Yさんはみごとに実証した。
 男女の性的刺激は、全身に働いてぼけ症状を回復させる、自然の秘薬であると言えよう。

9 終末の床でのケア

変わりはてた同級生

これ以上見開くことは困難、と思われるほどに大きく開いた目は、瞬きもせず、尖った頬に
こぼれそうになって、筆者の瞳に注がれた。
 小学校時代の親友、太郎君の変わり果てた姿が病室のそこにあった。
 今年の夏、房総半島に二度目の台風が通過すると予想されたその日、私の高校時代のクラス会があった。その席で、太郎君の病状が取りざたされた。

「あの病院に入ったら生きては帰られない、と噂の高い病院に六月から太郎君が入院しているの。いま、村から二人が入院中で、太郎君が先きか、それとも花子さんが先かかといわれているのよネ」。

 旧友の言葉に私は仰天した。
 死ぬにはまだ早い。
 次の休日を待って車を飛ばした。
 一年前、軽い脳出血で倒れ、精密検査の結果、クモ膜下に静動脈瘤が二つも見っかった。医師団の判定で、くも膜下出血の予防として開頭手術が勧められた。
「手術すれば、現在より良くなって帰宅できます」
 太郎君はリハビリを積極的に励み、車椅子で元気に歩けたが、「これ以上良くなる」という医師団の言葉に励まされて、開頭手術を受けた。
 手術は成功したはずだった。
 が、太郎君の状態は、手術前より徐々に悪化。呼吸困難でカニューレが装着され、言葉を失った。嚥下困難、鼻炎栄養、排尿困難、バルーン・カテーテル挿入、点滴。体中が管だらけになった。
 そなん姿で転院して二カ月半。
 二十歳も老けて見えた。
 三十八度の熱が、ここ一週間続いている。背部と仙骨部に床ずれができた。
「なんてことだ」。
 私の差し出した手を、彼は握りしめて離そうとしない。握られた手が痛いほどの怪力だ。ここ数年会っていないが、私が分かるのだろうか。
 私を見詰めた彼の目は瞬きもしない。嬉しいのか、悲しいのか、彼の表情は動かず読み取ることができない。
「看護室に行ってくるから手を離してネ」
 そういっても、なかなか離そうとしない。
 やっと離してもらって手を再び握って、
「ネッ、いい? 大工原よ。わかったら手を握って」。
 彼は痛いほど力強く、手を握り返して来た。口はきけない。表情を作る事も出来ない。彼とのコミュニケーションは、こちらが問いかけ、握手によって彼の判断を読み取らなければならなかった。どんなに無念だろう。

 夫婦でなければできないこと

 次の休み、床ずれ予防のムートンシーツを入手して、車で飛んだ。
 その日、病院で彼の妻と会うことが出来た。完全看護の病院だから、家族の介護負担が軽減されるというメリットは大きい。
 しかし、ケアの中に夫婦でなければできないケアがありはしないか。私のムートンシーツを敷くために、体を移動させた刺戟かもしれない軟便の排出が、オムツカバーの間から見えた。彼の陰嚢が便にふれている。
 全員が病室から出されて、排便の処理が終わった。
 陰嚢の床ずれをみて、ふと考えた。
 看護婦さんはあら拭きで終わり、仕上げは側にいる妻に性愛をこめて拭かせたらどうだろう。尿道は排尿だけに機能させてよいものだろうか。バルーン・カテーテルを挿入されれば性欲は消失するのだろうか。精子は規則正しく睾丸で造成されているのではないか。排出したくはならないのだろうか。

 こんな例がある。
 死の床の父親にオムツ交換をしていた娘が、「父さん、昔はこんなんじゃなかった。もっと大きくて元気だった。ダメじゃない。もっと元気を出して」。
 娘の言葉に父親が大きな口を開けて楽しそうに笑った、という話を娘さんから聞いた。
 また、がんの妻が帰宅中に急変した。夫は抱きかかえ、とっさにペニスを握らせた。妻はニッコリ笑って、医師を待つ間もなく静かに逝った。
 などなど、終末の性器へのケアを家族から聞きつけ、性器を排泄機能だけに捉えたケアでいいのだろうか、と考える。

 私の親友は完全看護の病院で、最後の夫婦生活を過ごしているのだ。看取る妻の側にそのような見方があるだろうか。
 彼は二週間後に、死の転期を迎えた。
 彼の大切な陰嚢にも、床ずれができていて処置されていた。
 妻の手で「陰嚢浴をチャポチャポ」させてあげれば、床ずれにならず、温かいお湯の刺戟でのびやかに、彼の陰嚢は快気の声をあげたであろうに‥‥。
 床ずれのできた陰嚢を見て痛ましい思いであった。

 性は脳で目覚め、脳で成熟し、脳で表現される。このような性は、他の動物ではなし得ない、もっとも人間らしい営みである。
 終末の床に横たわる人にも、このことを考慮したケアを望みたい。

10 コミュニケーションとしての老人の性

脳があるかぎり性欲もなくならない
 日本語の性という言葉にあたる言葉としてジョン・マネー(米国の医学心理学者。性の研究の国際的指導者)たちは、セクシャリティという言葉を使い、それをさらに、セックスとはジェンダーの性に分けて概念を規定している。(ジョン・マネー、パトリシヤ・タッカー著『性の署名』朝山新一朝山春江・耿(こう)吉訳・人文書院)

 セックスとは、性器の構造、生殖の仕組み、性ホルモン、性反応など、先天的なものをさす。一方、ジェンダーの性は、両親とのかかわりとか社会の規則、国の文化などで決まってくる後天的なものである。自分が男である、女であると認識する性自認も、両親や社会から教えられるもので、ジェンダーに属する。性役割、夫婦関係、人間関係などに対する考え方も、ジェンダーの性である。

 まず、そのうちのセックスを考えてみると、遺伝的な性は、性染色体によって受胎後に六週間ぐらいで決まるが、その胎児期の、妊娠ホルモン、男性ホルモン、女性ホルモンなどのホルモン・ミックスによって、その人の性の方向性が決まると言われている。つまり、この時期に、遺伝的に男の胎児が、男性ホルモンの多い環境にあると、性の原基は男の性器になり、体も男性に分化していく。しかし、男性ホルモンが少ないと、遺伝的には男であっても、女性化する。妊娠中に、母親のストレスが非常に多い場合、性ホルモンの環境が乱れ、男の子も、非常に女性的になるといわれている。

 男と女は、生理的にも、はっきり違うものだと今まで思われてきたが、男には妊娠させる能力があり、女には妊娠し、授乳する能力があるという以外は、あまりはっきりとして違いはなく、違いがあるのだと思い込ませるのが、ジェンダーの性というわけである。

 また、今まで遅れていた脳の研究が進むにつれて、性反応の仕組みなども、かなりわかってきた。現在では、食欲中枢などと並んで、性中枢があることがわかっている。この脳の性中枢が働いて性欲を作り、性ホルモンを動員して、腰にある仙髄、つまり脊髄神経を動かす。男性を勃起させる副交感神経、射精に関わる交感神経も、性中枢に支配されている。また性的な淋しさである空閨(くうけい)感も、人間の内臓感覚、体の感覚を脳がキャッチして感じるものである。

 いい匂いだ、美しい、触れられて気持ちいいといった、五感を通して得られた刺激は、腰の性中枢に伝えられてもその中枢からの指令によって、性腺刺激ホルモンや性腺刺激促進ホルモンなどが分泌され、神経系に刺激が伝わって、体が反応し、性欲が表現化される。

 つまり、性欲とは、脳が感じるものである。老人の性を考える場合、たとえ性器が衰えても、脳の性中枢が存在する以上、性欲があるのは当然なのだということを、まず認識する必要がある。

 月経が停止し、卵巣の機能がストップし、性器を支配していた卵巣からのホルモンが停止すれば、子宮や膣は老化する。膣が紙のように薄くなったり、オーガズムが少し遅くなる、膣のテント形成がなくなる、性的紅潮がなくなるなどの老化現象がみられる。しかし、脳の中枢で作られる性欲は、衰えはしても、なくなることはない。

 従って、性欲があっても、年を取ると、性器機能障害を招くということはあり得る。ところが、高年女性でも性的表現を充分にしていれば、女性の性反応は高齢になっても、二十代、三十代と変わらないといわれている。「マスターズの報告『人間の性反応』」ゴナドトロピンという性腺刺激ホルモンなどは、閉経のころが最高に多く、八十歳ぐらいまできちんと分泌しているといわれている。(石浜淳美『Sexluality Manual』HATO書房)

 女性の場合、性欲は閉経後に増すなどということも、ホルモン関係の研究が進むにつれてて、解明されてきているのである。

老人の性は健康づくりの性

 昭和十年の統計によれば、最後の子供を生み終えるのが三十五歳で、閉経後二年で女性は死んでいた。この時代は、老年期の性など考える必要もなかった。
 現在、女性は平均二十八歳で最後の子どもを生み終え、平均閉経年齢は五十三歳、さらに平均寿命まであと三十年誰でもが生きることになる。心臓は百二十年、脳神経細胞は百二十五年生きるともいわれているから、そうなると閉経後六十年くらい高齢で生きることもできる。

こういう時代の到来には、老年期の性、つまり生殖を目的としない性について考えなけれ
ばならなくなったのは当然と思う。

 二十八歳で子どもを生み終えてからの性は、生殖のための性でなく、夫婦のコミュニケーションのための性に変えながら、高齢をミズミズしく生きるためには、週に二回とマスターズの調査が答えていることを、若いうちから考慮しなければならない、と筆者は考える。
 特に、お年寄りの性は、コミュニケーションのための性であり、健康づくりのための性だといえる。

 性が生殖レベルで考えられていた間は、老人の性は枯れるものだ、お年寄りの性など不潔だ、といった考え方が一般的で、老人の性はタブー視されていた。人生五十年の時代はそれほども、さほど問題はなかっただろうが、高齢化社会の現在ではそうはいかない。

 老人の性は、思春期の性の問題と似たような側面をもっている。昔は、大人になればすぐに結婚して働いていたから、思春期の性の問題という形では存在しなかった。

 高学歴の現在、性的に成熟してから、結婚という形の中で、性的欲望を実現できるまで、長い時間をかける。思春期は、性的欲望があっても、それを実現する相手がいない時期といえる。

 老年期も、六十五歳以上になると、男性の約九十%には配偶者がいるが、女性には五十%しか配偶者がいなくなる。性欲はあっても、表現する相手がいなくなる時期である。
 老人の性が、思春期の性と決定的に違うのは、長い経験、過去の歴史があることだ。その過去は、激しく変化する時代だった。人生五十年の時代の教育を受け、儒教の影響の強く、男尊女卑の時代に育って、老年期に入ると、人生八十年の時代になっており、しかも男女平等同権の時代になっている。ジェンダーの性のありようが大きく変わった。

 妻が応じてくれない、と嘆く多くの男性のお年寄りがいる。妻のオーガズムなどまるで無視して、自分本位の夫婦生活を送ってきた男性が、今になって妻のヒジテツをくっている。

 性欲をまるで感じないという冷感症的な女性のお年寄りも多い。若いころから男性本位のセックスで、オーガズムなど感じたこともない、”もういやだ”、という女性。性欲があるなどという事は、嫌らしいことだと信じ、無意識のうちに抑圧している女性。

 価値観の多様な変化のなかにさまざまなお年寄りがいる。そして、性欲を抑え込んだために、心身ともに健康を害しているお年寄りがたくさんいるのも現代なのである。
 人間の体は、アドレナリンとノルアドレナリン、ドパーミンの三つの物質の総合作用で、感情をつくり出しているとのだといわれている。(大木幸介『感情はいかにしてつくられるか』講談社現代新書)

 性器などに刺激を受けると、それは脳に伝えられる。人間には、刺激を受けると快感を得ようと誘うA―神経系の脳と、快感を感じとる脳がある。そしてこの神経ホルモンは、その人に良好な刺激が加えられると、脳神経細胞からドパーミンという物質が放出されて、快感を感じとる。体の内部環境をととのえ、リラックスさせるといわれる。

 一方、不愉快さや怒り、恐れなどを感じれば、闘いや逃走のホルモン、アドレナリンやノルアドレナリンなどの神経ホルモンが分泌される。すると血圧が上がり、呼吸は早まり、心拍数も上がって、体が緊張し、食欲や性欲は抑えられる。つまり闘いや逃走に適した体になるといわれる。(大木幸介『感情はいかにしてつくられるか』講談社現代新書)
 逆にいえば、解放され、リラックスした人は、性欲も自然と強くなり、性欲を抑え、体を緊張状態にしておけば、さまざまな病気も出てくるというわけである。

 お年寄りにアレキシミア(失感情症)の人も、たくさんいる。(樋口正之編集『情動のしくみと心身症』医歯薬出版株式会社)五感で感じる性的刺激を、頭で断つことによって、次第に感情を失う症状であり、性欲があってはいけないと、感じることはいけないと教えられてきたお年寄りに、多く見られる。昔は、失感情であっても、人生五十年で終わってしまったが、高齢社会ではそうはいかない。現実にはそれが、お年寄りの心身症となって、病気という形で現われている。

 感情を断てば、感情の便秘が起こり、自律神経系のバランスをくずし、ホルモンのバランスもくずしてしまう。その結果、心の歪みが、一番弱い臓器に、病気として出てくる。血圧が高い、胃が痛い、背中が痛い、糖尿病、などいう、心身症の病気が増加するだろう。

 心身症を治すのに一番いいことは、心(ストレス)を開放する事である。快い、嬉しい、悲しい、寂しいといった感情を、素直に表現することだ。感触、味覚、視覚、嗅覚、聴覚という感覚と感情が溶け合い、最高の恍惚状態を伴うオーガズムの体験は、心と体を開放する。老人の性は、健康づくりの性だ、という意味は、こういうことをいっているのである。

 老人の性はコミュニケーションの性

 夫が八十五歳、妻が八十歳の夫婦で、妻がぼけ始めた時、夫が性的アプローチしたら、妻のぼけが治り、安心した夫が妻とのコミュニケーションをサボると、妻は再びぼけてしまったという例を前述した。

 五十年くらい一緒に暮らした妻に先立たれ、便を踏んでも平気なほどぼけていた八十歳すぎの代議士が、老人ホームに入り、気に入った女性のベッドと隣同士になった途端、ぼけが治ったという例があった。

 また、老人ホームに入っていた夫の元に妻が訪れ、自宅で一晩同衾しただけで、ぼけていた夫が翌日から、挨拶もすれば歯も磨く、リハビリステーションにも積極的に取り組むようになった、という例もある。
 お年寄りにとっては、性的なかかわり合いがこれほど大切になる。この場合のセックスは、性交そのものでなくて、愛撫やタッチや抱擁でもいいのだ。

 もちろん、性交のできる人は、そうするのが一番だろう。自分本位のセックスや膣炎のために妻に拒否されている夫は、それまでの自分本位の態度を反省し、妻にリューブゼリーなどの潤滑剤を使うなどの工夫をし、夫婦二人が協力し合ってオーガズムに導く努力をする必要がある。ポテンスの落ちた男性も、濡れなくなった女性も、マスターベーションで、能力を取り戻すこともある。これは、体の他の部分に障害が起こった時に、リハビリステーションに励むのと同じことだ。

 性交そのものではなくても、皮膚への刺戟は大切なことである。人間には集団欲があるが、肌を触れ合うことで、孤立感からくる緊張から開放される。
 

 死の床での最後のセックスは手だ、といわれている。毛のない手のひらは敏感で、外部脳ともいわれる。(久保田競『手と脳――脳の働きを高める手』紀伊国屋書店)その外部脳を使った性器へのスキンシップは、夫婦など親しい人間に限られるが、握手やダンスなら、誰とでもできる。
 ぼけて、不穏行動を伴う老人を、横からギュッと抱きしめて、一緒にゴロゴロ転がるだけで、穏やかになる場合もある。羊水と同じ三十七度ぐらいのお風呂にお入れすることも、不穏行動を鎮めるには効果的である。皮膚という一番広い感覚器官に、快い刺激を与えることが、鎮静作用をもたらす。

 しかし老人がぼけた場合、性をコントロールできなくなる場合もある。ぼけの基礎にある病気を見極める診断を受けると。いわゆるぼけに伴う不穏行動の場合、単におぞましがるのではなく、病気と理解する必要がある。配偶者がいる時は、その配偶者が上手く受け止めてあげる事で解決することがあるし、一人残された老人の場合、先に述べたように、家族が抱きしめてあげたり、ぬるいお風呂に入れたりすることで、安堵感を抱かせ、気持ちを鎮めることができる場合もある。

 お年寄りのボケを防ぐためにも、家族が素直な気持ちで、楽しく過ごすことも大切だ。人間は肌への刺激だけでなく、五感への刺激のすべてが脳の活性化につながるが、しかし、年を取るに従って、五感は鈍くなるから、逆にめだつ派手な明るい衣服を身につけ、よく匂う香水などふりかけるのもいい。家に閉じこもらず、なるべく外気に触れ、人に接することが大切である。

 さらにお年寄りの性にとって、もう一つ見逃せないのが責任の問題であろう。老化して責任が取れそうもないところは、若い人が大枠を決め、その中でお年寄りを自由にさせるのがよい。子供や財産作りが目的ではなく、コミュニケーションの問題もある。相続問題や、扶養の問題、お墓の問題など、難しい問題が絡むなら、なにも入籍する必要はないだろう。籍はそのままにして、同棲するのも、一つの方法だ。一方が一方の家に通ってくる、通い婚という方法も考えられる。どこか、場所を決めておいてデートする、デート婚でもよいと思う。

 最初1 デートを重ね、2 次に通い合い、そして3 同棲へと進んでもいい。この時、現実的には、一緒に暮らしたら毎月いくら、死に水を取ってくれたらいくら残す、といった、金銭的な契約を結ぶ4 契約婚という形も考えられる。

 いずれにしても、お年寄りの性は当然のことであり、お年寄りが愛し合うのも、素晴らしいコミュニケーションの結果だと受け止めることが、なによりも大切である。
 

U大工原 スキンシップ組体操 この章は割愛させていただきます。
 つづく V ふれあいセックス相談