価値観の多様化、個性化、単身化であり、また、女性の社会進出により家庭の構造、機能も変化し、生活水準の向上と自由時間の増大とも相まって、生活の質や精神的な豊かさを求めるようになった。
 翻って、老後の生活を概観してみれば、第一に、忍び寄る老化と余力の低下、病気、死に直面する肉体の衰えがあるが、これは自然の摂理であり、うまく乗り切るよりほかにないのである。生きがいを失って寝つくことから、寝たきりになってしまう。

本表紙 大工原 秀子著

更年期よる性交痛・性機能不全・中折れ・性戯下手によるセックスレスは当サイト製品で解決することができる。セックスレス・セックスレス夫婦というふうに常態化すると、愛しているかけがえのない家族・子どもがいても別れてしまう場合が多い。

Ⅰ人生80年型セックス・ライフ

性(SEX)ぬきに老後は語れない 続・老年期の性

Ⅰ人生80年型セックス・ライフ

1心の絆を深めよう
人生五十型生活規範よ、さようなら!

あなたの生き方の規範は五十年型? それとも八十型? いずれであろうか。
昭和二十二年、敗戦後はじめての国勢調査では、平均寿命が男五十・〇六歳、女五十三・九六歳であるから、生活規範も人生五十年型でよかった。

 ところが、昭和六十年の国勢調査では、平均寿命が男七十四・九五歳、女八十・七五歳と、三十八年間で男は二十五歳、女は二十七歳も寿命が延びた。さらに平成元年十月の平均寿命が男七十五・九一歳、女八十一・七七歳で、男女とも過去最高。

過去三十四年間で男女とも六十五歳まで生存する者の割合は二一ポイント増加しており、八十歳まで生存する者の割合は三十四年間で二倍以上になっている。(週間保護衛生ニュース)世界一の長寿国となったものの、外国の長寿国は、七十五年から百年以上をかけて長寿国に移行したため、いわゆる老後の生活規範も、わが国と違ってその時代とともに整備されてきた。

 また、敗戦後四十年年間を、国興しに躍起となって働いた日本は、今やジャパンマネーが諸外国を脅かす時代となり、生活様式も大きく変貌を遂げた。

 価値観の多様化、個性化、単身化であり、また、女性の社会進出により家庭の構造、機能も変化し、生活水準の向上と自由時間の増大とも相まって、生活の質や精神的な豊かさを求めるようになった。

 翻って、老後の生活を概観してみれば、第一に、忍び寄る老化と余力の低下、病気、死に直面する肉体の衰えがあるが、これは自然の摂理であり、うまく乗り切るよりほかにないのである。生きがいを失って寝つくことから、寝たきりになってしまう。要は寝つかない努力が必要であろう。現在、ぼけの出現率は五%で、残りの九五%のお年寄りはぼけていないのである。そしてこの五%の老人のうち、三%の脳血管障害性のぼけは血圧管理を妨げるし、残る二%のアルツハイマーもいつかは、究明されるだろう。

 第二に家庭の構造と機能の変化である。

 高齢化社会は五世代家庭も出現する反面、高齢者世帯で夫婦のみの世帯が昭和五十年から六十年の間に二倍に増加。六十五歳以上の老人総人口は一、二六〇万人で、うち約一割近くの一一七万人がひとり暮らし老人である。そして今、五人に一人の割合で老人単独世帯が増加中だという。(昭和六十年国勢調査)

 老親の扶養義務は、嫁に非ず子どもにあるのだが、これも絶対扶養義務は課されていない。結局は、夫婦しか残らないのである。病めるときの看とりの中心になるのは当然、配偶者だ。結婚の誓いの言葉である”汝、健やかなるときも病めるときも”を地で行くことが要求される。お互いに長生きするには、夫婦の絆が問われる時代となった。

 第三には、生殖のための性行為を閉じる。女性は、

結婚後の生殖年齢期間以上に、閉経後の人生を長く生きる。つまり、妊娠の懸念なく夫婦の心の絆を強める、触れ合いの性行為が、死の寸前まで楽しめる。

 クオリティー・オブ・ライフ(生活の質)を高めることこそ、「素晴らしいき老後・夫婦の時代」への幕開けである。

【広告】市販のゼリーを使った場合、女性の膣中は途中から滑りが悪くなり耐え難くなり一気に冷めることもある。しかし特許取得のノーブルウッシング(膣温水洗浄器)を用いオリーブオイルを膣奥に適量を流し込むことで、長時間のプレーであっても膣腔が乾くことはない。行為後に温水洗浄を行うことで残滓の全てを流し出すこともできる。

お年寄りだって若者と同じ

「年寄りのくせに、いい年をして‥‥」と、お年寄りの性犯罪に世間は眉をしかめる。お年寄りだからといって差別されたり、責められてはかなわない。悪いことは若者もお年寄りも同様である。

 最近、こんな相談が、後妻の娘(四十八歳)からった。後妻の娘(四十八歳)からあった。
「義父(八十二歳)が、後妻の母(七十二歳)に性行為を求めたところ、母は包丁を持って義父を拒否しました。すると義父は私の家に来て、私に性行為を要求したのです。こんな義父をなんとかならいでしょうか」

 この相談を受けてまず感じたのは、この素晴らしい夫婦の時代を、なんと貧しい生き方をするのだろうと思った。しかし、包丁を振り回すのはともかくとして、この種の”妻の拒否”というパターンの相談が多い。

 そこで、娘さんに「あなた方夫婦が年老いたとき、ご主人に包丁を振り回しますか」と尋ねた。娘さんは「いいえ、私達は枯れていますから、そういうことはありません」。
 このように、性行動をクオリティー・オブ・ラブに高められない若い世代が、続いている。このことは、急激な高齢化社会到来のひずみが、老若に拘わらず性問題となって、如実に突出してきていることも見逃せない。

 皮膚へのケアが最も大切

“人間は一人では生きられない社会動物”といわれる。
 人には、赤ちゃんのころからスキンシップの重要性の親の保育行動から学習する。子育てでは授乳、抱きしめ、頬ずり、抱擁、なめたり、おんぶにだっこ、おむつ交換、沐浴と、どれほど母親の手や肌が、子どもの皮膚や粘膜を刺激しつづけてきたことか。要は、親子の心の絆づくりとは、両親が感情のおもむくままに行った子供の皮膚や粘膜へのタッチや圧迫によって作り出されるのである。

 これは、有限の時間内で、最後の夫婦時代を生きるお年寄りには、大切で重要なことであり、皮膚への温もりのケアの効用性を利用しない手はない。
 ましてや、夫婦だけが触れるお互いの皮膚を含めた性器等への触れ合いは、非常に大切なことであり、重要な意味を持っている。

 肌で感じる、肌合いが違う、肌身はなさず、肌をゆるす等々――皮膚に散りばめられた感覚器官を通して、人間は感じたり、愛したり、憎んだり、苛立ったり、心が動かされたりするのである。
 また、肉体的接触の欲求は、抱擁の欲求は、口唇欲求と同様に、ストレスの期間に強くなるといわれている。

 食べ物や酒、タバコは、自分ひとりで満たされるが、抱擁の欲求には、もうひとりの人間の協力が得られなければ成り立たない。

 さらに性行動としての性行為の効果は、二つの魂の調和と二つの肌の結合であり、お互いの皮膚が全面的にかかわり合う老年期の性行動は、子を産む生殖の性行為は、子を産む生殖の行為は終わり、夫婦の心の絆づくりの性行為となる。
 それは、皮膚や粘膜への圧迫、スキンシップ、優しく丁寧なペッティングだけでも、立派な性行為となる。
 呼吸が弾めばエアロビックスの運動、体全体の筋肉を緊張させたり脱力させればストレッチの運動、といった具合だ。
 このように、皮膚へのケアは、夫婦のコミュニケーションを深めることであり、運動となり、健康づくりにも役立つ。
 とはいえ、男性も女性も性器は老化する。妻に拒否される場合、今までの男性主体の性行為へのお返しもさることながら、女性性器の老化への対処がまずかったのかもしれない。
 閉経後の粘膜液の産出が潤滑でない性行為は、痛みを伴うため、非常に苦痛だと訴える女性が多い。このような女性には、人工の膣潤滑補助剤のゼリーが市販されているので、薬局で買って使用されることをお勧めしたい。

 ところで、愛撫を十分に行い、週に一、二回の性行為があれば、高齢女性も二、三十代と変わらず、みずみずしく生きられる。(ジョンソン・マスターズ『人間の性反応』池田書店)人生八十年時代、夫婦の心の絆を深めるお互い工夫をお互い研究して、せっかく入手した長寿人生八十年時代、夫婦の心の絆を深める工夫をお互いで研究して、せっかく入手した長寿を息切れしないように、みずみずしく、いきいきと演出していただきたいと思う。

 体や心の不調で生きがいを失って、寝たきりやぼけになってしまったお年寄りが、「夫婦の性学」を軸にした介護を受けて、再び生きる気力を取り戻した例は、枚挙にいとまがない。
 夫婦共々が”老春”を謳歌して、落日の真っ赤な太陽のように、周囲を美しく染め上げていただきたい。

2 性愛は心身のリハビリテーション

 背中を撫でもらうと
 フランスの諺で「人間は撫でてもらわなければ背骨が縮んでしまう」といわれている。撫でてもらうにはもう一人の協力が必要で、私たちは一人では生きられない社会的な動物であるということだ。

 年が寄って一人になったら、私たちはいったい誰に撫でてもらうのだろうか。一夫一妻制度の中で暮らしているお隣りの奥さんとか、隣りのご主人というわけにはいかない。やはり、撫であうのは夫婦ということになる。世界一の長寿国になったとはいっても、男女の寿命の差があるから、平均寿命でいえば男性が五歳早く亡くなり、結婚年齢からみると女性が三~五歳若い。妻は夫より八年から十年もの間、高齢をひとりで暮らすことになる。

 長寿は、男女に決して平等ではない。

 若い時には、社会制度としてた一夫一妻制の結婚の中で、男と女が対になった生殖が目的のセックスがあったわけだ。若い夫婦は子供を生んで育て、子供が巣立つと二人は、年を重ねた老夫婦として再び向かい合って暮らせる。しかし、老いを二人で暮らせる期間は六十歳ぐらいまでの十~十五年くらいだろうか。

 六十五歳頃になると、男性の一割、女性の五割くらいは配偶者が欠損してくる。七十歳の前半で男性の二割、女性の六割、七十歳後半になると、男性の四人に一人は、配偶者がいないし、女性は逆に三人は配偶者が亡くなる。

 配偶者がいなくなる、ということになると、”撫でてもらわなければ、背骨が縮んでしまう”かかわり合いの中で生きていく人間は、どのようにして生きていくのだろうか、という問題にぶつかる。
 また長寿社会では、例えば百歳の親が健在ならば、その子供は八十代、孫が六十代で、祖孫は四十代。ヤシヤ孫二十代。それも夫婦が健在であればよいのだが、どういうわけか男性が早く亡くなるので、直系が親より早く逝って、子供の嫁とか孫の嫁だけが残ってしまう方おられる。家族の形態も多様化してきて、夫婦の境界がきちんとしなくなり、価値観の入り乱れたかかわり合いの中で高齢を生き続けるようになると、長寿の目的達成はどうなるのだろう。長寿の目的は、できるだけ寝たきりやぼけの苦しみの中で生きるのではなくて、楽しく生きたいという事であるから、どのようにして楽しく生きるのであろうか。

 夫婦の性愛を軸に
 人生五十年から八十年、さらに百年を目指すとき、いまの六十代以上の方々が、先達として高齢社会の実験室の中にほうり込まれているようなもので、長寿生活の実験室の中で結果を生み出す作業中ということになるだろう。

 人生五十年時代の女性の性行動は、結婚で始まり、月経が終わるとことで終了していたが、いま月経停止を五十二~三歳とすると、そのあとを二十年も三十年も生きているわけで、生殖のための性を閉じたあとの、性のかかわり合いの見直しをしなければならない。

 更年期を過ぎたら、妻たちをミズミズしく保たせる治療だと考えて、夫である男性が、意識的に、性的に妻にかかわっていただかなければ、それこそ妻が枯れてしまう。老いるということは、心理的にも体の老化と病気と死に直面して、日常を生きているわけで、夫婦のかかわり合いがギクシャクすると、お互いの老いを看取る関係がうまく行かない。

 私は昭和四十三年頃から、老人が淋しさを訴える要因に、性的な問題があると気がついてきた。
 家庭訪問をしていると、ごたごたした家庭問題の中に、息子を嫁に取られまいと息子の世話をしている老母とか、孫に夢中になっているおばあちゃんは、だいたい配偶者がいなくて、孫の世話で淋しさを紛らわしていた。配偶者が健在であれば家庭が円満でも、片方が欠けてしまうと、家庭の中の力関係が次の世代に移っていく。病気中でも何でも、夫婦が生きているというとは強い。

 だから、家を建て直したりするときは、息子や嫁が面倒を見てくれるだろうと息子夫婦にすべてをまかせないで、自分たち夫婦が遠慮せず、裸でゴロゴロできるような快適な部屋を作ることだ。裸でゴロゴロするということは、心と体の、よいリハビリステーションにもなる。

 老人夫婦のセックスは、生殖に関係するセックスとは違う。夫婦での皮膚への語り掛けがお互いの脳を刺激し、性ホルモンや神経ホルモンなどに作用し、脳が活性化する。年をとっても、夫婦の性的なかかわり合いがあれば、寝たきりになってぼけても、配偶者が自分を慈しんでくれるという受け取り方をして、その慈しみや、優しさに支えられて、一生懸命に生きる。

 高齢になってうまく死ねるということは、うまく生きるという事だから、どんなに年老いても、上手に二人で生きられる部屋を工夫して作り、夫婦の性愛を軸にした皮膚への語りかけを密にする。若いころのようにいかなくても、片肺飛行でも飛べる。

 性という字は心が生きる

 ぼけてきて、外を徘徊するのを付き添う、というようなとき、「昔、あなたと二人で歩けなかったものね。真冬の夜は辛いけど、星を見ながらデートしましょう」と、徘徊をデートだと思えば、気分的にも楽だし、家族にも「デートしてきますよ」といえば、「ハイ、ご苦労さん」と、そこに笑いがある。
 これも夫婦の性愛である。
 入浴する場合でも、水を汲んだり、沸かしたりは、家族やヘルパーさんに頼み、体をさわったり、お尻の周りを清潔にする行為は、夫婦の場合セックスの前戯となる。臀部や陰部は通常、夫婦とか親密な関係の人しか触らないのだから、入浴は、ゆっくり性的にかかわれる夫婦の愛情の交換の場になる。つまり夫婦のコミュニケーションの場であり、湯の圧迫や皮膚圧迫で運動になる。

 老いた夫婦、両親のそういう姿を見て、その次に老いていく息子夫婦や孫たちが、考えを新たにしていくと思う。

 性の字の”⺖”(立心編)は心や精神を意味し、「生」は生まれる、生きるの意味であって、草木の発芽の形からさらに成長して伸びた意を表した像形文字(角川書店『字源』)ということで、性は心と体、性は命である。子生みの生殖の性は、人生の性行動のある一部分だが、性そのものは生きる命である。では、生きる心はどこから作られるであろうか。

 皮膚の外の刺戟と、皮膚の中の内臓感覚や感情を、脳の知情意がコントロールして、その都度、心をつくり出す。人間の皮膚は、マントのように全身を包んでいる。性器も皮膚で、一部分は粘膜化したもの。全身の皮膚は感覚器官として、聴覚や嗅覚や臭覚・視覚・触覚・味覚といったあな穴から、外部からの情報、温もりとか冷たさ、痛み、空腹、圧迫などを感じ取ると、その信号を脳へ伝えるわけである。

 夫婦の生活がなくなって淋しいという空閨(くけい)感とか、空腹感、筋肉や骨などの感じも脳に送って、脳がコントロールして私たちの心を作り、その脳の心を指令に従って私たちは行動する。
 ところがお年寄りはどうだろうか。老いを四季にたとえた詩がある。
「白内障で目はカスミ(春)、耳はジンジン蝉が鳴き(夏)、葉(歯)は落ちて(秋)、頭に霜をいただく(冬)」と、年を取るとはこういう順番で衰えるという表現である。

 しかし性の概念は心が生きること、つまり、衰えてきた感覚器官を補って、心を生き生きとさせること。そのためには、脳に性的な刺戟を与えなければいけない。人間の性反応は、生理学的なことが、合理的に順序正しく、引き続き起きる結果だと言われる、それにはまず、お互いが性的に目覚めていなければならない。

 性器にリズミカルな刺戟を与えれば、健康な男女なら、オーガズムに達する。この性反応をお年寄りが素直に受け入れることができれば、健康的な性反応を受け取り、感じることができる。

 ところがいまの六十代の方々は、貝原益軒のいう「女大学」の価値観を血肉化して、身につけてしまった。この考え方をどう軌道修正できるかは、男性が主体的になって女性を導くしかないと思う。

 女性は更年期の後、閉経後も、一週間に一、二回の性交渉があれば、性器は衰えても、感じ方や粘滑液の分泌は二、三十歳代と変わらず速いといわれている。せっかく健康な肉体を持っていても、性交渉がなければ、粘滑液の分泌少なくなって性交痛もあるから、市販されている粘滑液補助剤を使うことが、男性も女性も、夫婦のエチケットとして必要である。

 規則的な性的表現がカギを握る

 年齢とともに女性性器は衰えてくるが、男性もポテンスが下がる。
 六十歳前後の定年の時期の男性には、ストレスもたまって、第二次インポテンスに見舞われる。日本人は性教育の基礎教育を受けていないから、自分だけが特別のように考え、そのことを妻に隠して、何となく調子が悪いとか、会社が忙しいとか、酒を飲んだからとか、言い訳をしてセックスから遠ざかる。が、第二次インポテンスは誰にでもある。

 その立ち直りが問題で、この時期に、夫婦が互いの老いを傷つけあってしまうと、この後にどんなに長生きしても、相手がせっかくのパートナーで居ながらも、ヒジ鉄を喰わせてしまう。夫婦で権力闘争をしている人もいるが、パートナーの拒絶というのが、一番男性のポテンスを下げるといわれる。

 そこで、老年期の性障害の克服であるが、男性も六十歳を過ぎると、二段階ある射精過程が変わって来る。若い頃は、見たり聞いたりして感じ取ると、すぐ勃起して、睾丸から精子が前立腺のところまで射出され射精が我慢できなくなる射精抑止不可避感を感じる。そこまでが一段階である。ところが六十歳を過ぎると、この一段階がなくなり、切迫感のない射精になるから、ここで性的に衰えたと感じる、というわけである。
 このことをカバーして、中高年が性的反応を維持するには、規則的な性的表現をすることが、そのカギだといわれている。

 さらに、性的に休眠状態であった高年男性の性反応能力は、本人に活発な性行動に戻る意欲があって、かつ性行為に興味をもつパートナーがいれば、再び活性化できるという。

 しかし、そのタイムリミットは、五年くらいのようであるから、自分の生理に合わせたマスターベーションに励むこと。これはリハビリテーションの一つである。自分の性器も身の内。脳卒中で、手や足や障害のある場所にリハビリテーションを行うように、性器も衰えさせない訓練が必要となろう。そのためには、マスターベーションがリハビリの一つの方法である。
 また、規則的な性的表現は、若い人よりも。中高年女性に重要となる。男性は配偶者をほっておいてはいけない。女性も夫の要求を拒否せずに受け入れること。

 規則正しい性的表現の維持は、良好な健康状態と老化過程に対する精神的調節とあいまって、結婚生活に性的刺戟のある環境を作り出し、順次、性的緊張を高め、八十歳以上にその能力を与えるという。これはジョンソン・マスターズの調査の結論である。
差し込み文書
男性生殖器解剖図
1.膀胱 2.恥骨 3.陰茎 4.陰茎海綿体 5.亀頭 6.包皮 7.尿道口 8.S状結腸 9.直腸 10.精嚢 11.射精管 12.前立腺 13.尿道球腺 14.肛門 15.精管 16.精巣上体 17.精巣 18.陰嚢 
日本人男性ペニスの平均長さ:十三・五センチ程度である。性行為では子宮噴門(うずら卵ほどの大きいさ)に、ちょっと当たるような感触がある程度であり、女性達が望む性欲の疼きを満足させるほどの刺激と興奮はセックスの最たる中枢子宮頸・子宮へとは与えらないのかもしれない。平均長さ:十三・五センチ程度のペニスであれば!
男性機能図

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つまり、性反応を生理学的な側面から見た人間の調査で、愛がなくても、適切な刺戟を性器に与えれば、血管、神経、筋肉、ホルモン系に作用して性反応が起こり、全身に影響を及ぼして、生き生きとするということ。
 人間の性反応を応用して性的表現を充分に行い、長寿をイキイキ生きていただきたいと思う。

 性的表現は若い人と同じように

 ひとり暮らしの方は、まず、恋をすること。異性に対して、若い人と同じように関心を持っていただきたいと思う。
 配偶者を見送ってお一人になったお年寄りは、年齢的にも、社会的にも大きな責任を果たし終え、まさに手枷足枷がとれたわけで、つれあいのほしい方は、最初は茶飲み友だちとして、財産など見せずに、人柄を見る。それから1デート婚、2通い婚、3同棲、4契約婚、そしてお人柄がよかったら、5制度的な再婚へと進める。

 契約婚は、子どもを含めた全家族の中できちんと文書化して公証人役場に預ける。さもないと相手が病気になったときに、家には子供たちが乗り込んできて、病人を他の病院へかくし、逆に面倒をみてもらえないで、お金や財産を取られて放り出される人もいる。家を追い出された人もいる。家族全員の前できちんとした方法で契約をして、一緒に暮らす方法もある。

 現在、核家族化して、お年寄りの面倒を見てくれる人が自分の周囲にいなければ、お互いの年金を持ち寄って、生活に工夫をこらして、性的な表現の温もり中で、お互いの皮膚に語り掛けをしながら、生き生きと暮らす工夫を怠らないことだ。

 配偶者と死別して、一人になり、生きる気力を失ってぼけ始めたお年寄りが、性的なかかわり合いをもてる相手とめぐり会ってぼけが治った人、また、ぼけたお年寄りが、家族の看護疲れで老人ホームに入れられ、入居した部屋の隣りのベッドに、自分の気に入った女性と居合わせ、ぼけ症状が消失したという例もある。

 ホームズとレイの社会再適応尺度によると、生活上の出来事とストレスの強さとの関係は、第一位が配偶者の死がストレスの強さ100、第二位離婚73、第三位夫婦の別居63と、配偶者関係が上位を占める。配偶者が健在であったら、配偶者にシワが増えたとか、ババアになったとか、ヒヒジジイとか、お互いの老いをののしるような、そんなもったいないことを言わないで、最大のストレスをよけに新婚の頃を思い出して、夫婦仲を良くしていただきたい。

 男性も女性も、配偶者に関心を持たなければ、老年期の忍び寄る老化と病気と死に、有効的に取り組むことはしにくい。また、生きる力を失って、寝たきりやぼけが進行したとき、お互い怠けた分の落とし前は、お互いの人生の終焉ふりかかってくる。

 異性は生きる最良の力となり、医者や薬に勝る良薬であることをお伝えして、死の瞬間まで、ご自分の男・性、女・性の特性を生かしイキイキと、幸せなセンティナリアンをめざして、生き抜きたい。

3 ぬくもりをください

六十六歳になった風薫る五月のある晴れた日、私は、出勤時間を合わせてトイレに立った。
 扉を開けたとたんに目まい。
 しゃがんだことは覚えている。うすれる意識の底でどういうわけか、そこには井戸があった。その井戸の中に真っ逆さまに落ちていくような気持ち。
 二日間は昏睡状態。
 そのまま担架で入院した病院で、私の意識は戻った。そのときも井戸があった。井戸の底にボッと灯がついた。その先に光がパッと驚いて目が覚めた。と同時に「このまま死んだら苦しくないナ」とも思った。次に自分の手を見た。「?動かない」「なぜだ? ご丁寧に足まで‥‥」。
 自分の意志で自由にならない自分の手足。まだあった。「トイレに行きたい」と妻に言いたかった。が、言葉が出ない。「顔を拭いてもらいたい」。あせった。さまざまな要求や欲求が湧いてきても、私の気持ちを伝えることが出来ない。
 脳出血の私の意識回復の風景は、こんな状態だった。

 四カ月半、入院していた。リハビリステーションのおかげで、外見的には、手足の麻痺も言葉も徐々に回復した。
 四人の子どもは、それぞれ独立していたので、退院後は、自宅の二階の一部屋を、自分の居室にした。妻は台所に近い居間で寝起きする。
 私は夜二回はトイレに起きる。二階を歩く私の足音を階下の妻が目ざとく知って、居間の電気の紐をパチンと引っ張る。ソロリ、ソロリと妻の枕元を通って用を足す。温かそうな妻の布団を横目に、再び二階に上がる。見届けたように、再び妻の手が電気の紐をパチンと引く。
 健康相談室の保健婦のところで、三日にあげず血圧チェックを受ける。幸いにも脳卒中の後遺症はほとんど残らないが、どういうわけか最低血圧が高い。時々頭がモヤッとしてくる。

 日常生活は、朝起きてまず新聞を読んで、その日の無料の催し物をできるだけ見に行く。足代は無料のバス券を使う。頭や手足を使わないとぼけるので、都会でできる余暇利用の生活リハビリを満喫した暮らし。

 ところが保健婦が、「妻を電気の手動式点滅器に使わないで、妻と同衾(どうきん)すること。妻との温もりがお互いの脳に働いて、心が安定して、独りではないと実感できるから」と。

 いまさら、いい年して妻にそんなことを言ったら、「お父さん気が狂った」と、さっそく子ども達に電話されてしまう。聞いた子ども達が心配して飛んでくる。
 だから妻にはそれは言えない。相変わらず妻は、私がトイレに立ったときの手動点滅器。
 二度目の発作は、十二年経った七十八歳の夏。

 その日は、朝からやけにジリジリと暑かった。朝食のとき、手に持っていたお椀が落ちた。妻が「どうしたんだろう?」と聞くから、「どうしたんだかわからない」と言ったが、その後は初回と全く同じ。全く歩けない。食べ物を聞かれたので、「スイカを食べたい」と言ったが、言葉に出ない。脳梗塞だった。

 言葉が通じないときは、とてもイライラする。自分を表現できないときは、人間を卑屈にする。イライラが嵩じると気がくるってしまう。体も言葉も自由にならず、自分のことがすぐ相手に通じないと、短気になるし、まあ死んだも同じだ。

年寄りに残るものは、悲しいことと、苦しいことばかりだから、現在を楽しく考えることだ。楽しいことはあんまりないから、一時間でも、一日でも、物事の見方や考え方を変える。自分に得だナ、幸せだナ、と思えるように考える。妻も子ども達も、私のかわりに病気になってもらうことも、かわりにやってもらうことも、かわりに死んでもらうわけにもいかない。

 朝、目覚める。絵の展覧会に行く楽しみを持つ。他の事は考えない。バスに乗り、出来る限り歩く。体の具合は下半身から弱る。歩けなくなったらどうなるんだろう。考えると恐ろしく、不安になる。

 だから自分と同じくらいの人を見本に、背中をまっすぐにして歩く。商店街のウインドーに自分の姿をうつして、頭を真っ直ぐに腰を曲げないように。体裁もいい。背中を伸ばせるだけ幸せだと。

 そのとき、そのときの自分の行動を、自分で見て、判断できる自分を幸せだ、と考えることで、自分を慰める。
 今晩が寿命かもしれない。
「温もりをください」
 妻にそういえる気分だ。

4 性に対する成熟した良識を

「相談にのって下さい」
 春爛漫。お花見日和の開館直後、髪を振り乱した蒼白な顔色、地味な和服の裾も乱れたトキ(仮名)さん(六十五歳)が、飛び込んでくるなり相談室のベッドにヘナヘナと座り込んだ。
 朝からなにごと。
 トキさんは息もたえだえ。
「主人が変わってしまったんです」
「え! 変わってしまった? 変わりはててしまった? 変わり果てたご主人の遺体の発見でも?」
 トキさんの剣幕に筆者は一瞬そう思った。ところが話はこうだった。
 夫が定年定職した頃から、私は頭にお鉢をかぶったようで、夜眠れない。夫は今朝も老人クラブの婦人部に誘われて、旅行に行ってしまった。行きしなに女性の一人が、
「奥さん、ご主人をお借りしますヨ。奥さんにお断りしたから、今夜はオオッピラネ」。皆にそう言うと、楽しそうに出かけた。私は主人を貸すなんて一言も言ってはいない。
 定年前の夫の職場は全員男性。家に来るお客も男性ばかりで、何の心配もなかった。
 退職後の夫は、誘われるままに老人クラブに入会。そのうえ、老人会長を引き受け、ダンス、カラオケ、旅行にと忙しい。ゲートボールは判定委員会の資格を取り、全国をまたにかけれて出歩く。

 それに引き換え私は、だんだんと憂鬱になり、いつも頭にお鉢をかぶったようで、気分もすぐれない。夫から、「この頃のお前はおかしいよ」といわれる。夫が、外出するつどいや味な態度をとると、「いっしょに行こう!」と夫が誘うが、私は外出が嫌い。気心の知れない人たちと一緒にいたくない。「この頃、あなたはおかしいよ、ボクが愛しているのはお前さんだけだヨ」。夫にそう言われても気分が晴れない。

「これは妻の嫉妬だ」と賢明な読者には考えられるだろうが、当のトキさんはメラメラと燃え盛る嫉妬の炎に自ら油を注ぎ、虫の息で筆者の前にへたり込んでいる。性生活も、そういうことは嫌だ、と五十代から拒んでいる。そのような妻の言動が、かなりの身勝手であることに、本人は気づいていない。

 女性の生殖の性は閉経で停止する。そして、閉経後の女性には生殖を閉じた性を生きる長い人生が待っている。ここからが本当の意味での夫婦のハイクオリティ・セックス・ライフが展開されなければならないはずなのに。

 夫の定年後の地域生活への拡がりは、妻のトキさんには初めての体験。妻の掌中から夫の生活がはみ出てしまって見えなくなり、不安になったのだろう。

 女性会員の「旦那さんを借りますヨ」といったぐらいの、ジョークも分からなくなってしまったとは、嫉妬もかなり重症。

「ハイ、どうぞ、煮て食おうが焼いて食おうがご自由に。夫をよろしくお願いします」
 ぐらいの度量があれば、頭の重さもとれるし、睡眠も戻る。味噌樽ではあるまいし、「外に出るのが嫌い」と、狭い家の中に閉じ込もらないで、夫と行動を共にすることだ。一緒に動き回れば、夫の行動範囲も理解できるし、心の悩みも解消する。

 老人の性は枯れるもの、きたない、などとタブー視されてきたが、筆者の調査からもいえることだが、元気なお年寄りは、いつまでも元気。
 男は気持ちの上ではいつまでも現役。時間の許す限り、夫と行動を共にして、妊娠の気遣いのない第二のハネムーンを満喫することをトキさんに、すすめた。

 帰りしな、廃用萎縮の性交痛を緩和させる。潤滑ゼリーのサンプルをそっと渡し、円満な夫婦生活を祈った。
 後日、「うまくいっています」。
 晴々としたトキさんの電話の声で、思わず筆者の顔はニンマリとほぐれた。

 5 めざせハイクオリティ・セックス

「モシモシ、あの、私は七十三歳になりましたが、トルコへ行ってもいいのでしょうか‥‥」
「え? トルコって? いまソープランド、と言っているところですか?」
「そうです」
「奥様はいらっしゃるのでしょうか?」
「いいえ、五年前にがんで死別しました。こんなことをおたずねするのも、どうかと思いますが‥‥」
 電話の主のためらいの声が、伝わってくる。
「どうぞどうぞ何なりと」。
 私に促された声の持ち主は、「もう勃起しません。愛撫だけしてくれるところがありますでしょうか‥‥」
 最近たてつづけに、こんような相談があった。
 かと思えば、「少々お尋ねしますが、七十歳になりましたが潤滑ゼリーはどこで手に入りますか?」と聞かれ、「はい、二、三のメーカーがありますから、そちらに問合せて送って頂いたらいかがでしょう。お電話番号をお知らせします。控えてくださいね。よろしょうか?」と筆者。「いいえ、それは困ります。子供達と同居しておりますから、送ってもらっては困ります」。電話の向こうであわてた男性の声がした。

「ソープランドについてはお店の『営業許可証』が出ているのですから。ご自分で利用なさりたいのであれば、ご利用なさったらいいのではありませんか。子どもでなければ年齢制限はないと思います。しかし性病、とくにエイズに気をつけてください。念の為ですが、エイズ予防はコンドームですよ。ソープもいいでしょうが、今からでも遅くありません。茶飲み友だちをみつけてはいかがですか。年齢も少しでも若い方が条件がいいのです。八十歳を過ぎるといろいろ難しくなりますから」。

 七十三歳から天寿を全うするまでソープ通いでもあるまいと、その方に茶飲み友だちをすすめた。

 さらに勃起不全の対策について、「手紙に貼る切手、ありますね。夜、お休みになる前に、ご自分のペニスサイズに切手の輪をつくり、その輪にペニスを入れてお休みください。

 人間の睡眠には、一時間半毎にレム睡眠状態、体は眠っているけれど頭は起きる状態、つまり眠っていて目玉がキョロキョロ動いている時、ペニスが勃起します。従って、そのとき切手のミシン目から輪が切れます。切れれば勃起機能は健全です。試してみてください」

 最近とみに泌尿器科の医学進んでいます。日本のインポテンス研究会事務局(03-762-4151、内線3605)に電話して医師を紹介して頂き、検査をうけることです。愛撫の件はそれからにしてはいかがでしょう。

 勿論、お金さえ払えば、その筋のプロはおりますでしょうが、お年寄りが通っているうちに「精神が荒廃してきます」とおっしゃった方もおりました。

 マスターズの調査によれば、週一、二回の性行為(刺激)があれば、高齢女性の粘膜液の産出・オーガズムの性反応は、二十代、三十代と変わらないと報告されている。

 人生五十年時代では、閉経後の人生は短く閉じたが、人生八十年時代となると、閉経後も長い人生を生きることになる。性器は当然老化するが、誰もが加齢による身体の廃用萎縮を予防するように、性器の廃用萎縮も予防しなければならないのは、当然のこと。

 最近、わが国で開発された潤滑ゼリーを活用して、性交痛を予防し、生殖の性を閉じたのちの性行為の目標「夫婦の心の絆づくり」のために、性行為に励まなければならないと、私はすすめている。

 お年寄りは、子どもたちに遠慮している時間はない。電話の主も平均寿命にあと五年、やがてこの世の中から消えてしまう存在。
 七十歳前半で男性の二割近くの人が配偶者を失う。夫婦で生きる時間は少ない。老夫婦の絆づくりの性行為を、誰も咎める権利はない。

 しかし、この老夫婦の心の絆づくりの補助剤の潤滑ゼリーが、全国の薬局やスーパーに買いやすい状態で置かれていない現状は、老人の性に対する、国や国民の意識に偏見があるからだと思う。お年寄りの廃用萎縮による性器の寝たふり・ぼけを防ぐために、潤滑ゼリーがどこでも購入できるようにしたいものだ。このことは長寿社会を人間として生き続けるためにお年寄りが要求していくことはないだろうか。許認可する側の若い現役の役人では、お年寄りの切実さは理解しにくい。

 また、ある日にも、八十歳の父親の結婚について、三女と称する四十歳前半の女性が相談に見えた。
百坪の敷地に両親が住んでいた。
一男三女の子ども達は、みな結婚して、それぞれ独立している。母親もがんで一年前に死別。父親は固い役所の管理職。子ども達はみな父親を尊敬して敬愛してきた。ところがその父親が、子ども達を集めて「結婚したい」と発表。子ども達は「まさか!?」と、大ショックを受けた。三女は「八十歳にもなってそんなことがあるのだろうか」というお決まりの相談であった。

後日、八十歳の父親と子ども達が揃って相談にみえて、父親は、三女の友人の母親との交際が始まって、この件は一件落着した。ところが昨日、三女が再度相談にみえた。
父親が交際を始めた女性の実家は金沢、一年間交際を続けて再婚話しに発展した。女性が財産の処分について相談の為、金沢に帰った。話を聞いた子ども達が母親の再婚に反対、逆に金沢にいた高校生の孫を東京の家に下宿させて面倒を見させられるハメになった。
「だから、今まで旅行、観劇などいつも二人で楽しんできたけれど、これからは会う機会も少なくなる」と女性から言われた。

八十三歳になった父親は、「そういう交際では困る」とすっかり気落ちして、みるみるヨボヨボした老人になり、これが自分の父親かと思うほどの年寄りになってしまった。
三女は「どうか、元のように元気な父親には戻せませんでしょうか」。
「空いたバスは、すぐ後から来ますよ。乗り換えですヨ。乗り換え」
「ではまた、父を連れて相談に来ます」。
 頑張れ! ハイクオリティ・セックス。
 つづくⅠ-6 定年後の夫婦これでいいのか